【ゆるゆりSS】ふたりの距離 (33)

 大室櫻子、古谷向日葵、中学二年の冬。
 二学期の期末試験を終え、まもなく冬休みを迎えるいう少しふわついた時期に、それは起こった。

 教室の前方で、教師が淡々と生徒の名前を読み上げながらテストの答案用紙を返していく。受け取って歓喜する者、落ち込む者、「うあー!」と叫んで友人と笑い合う者、じっと見つめてゆっくりと席に戻る者。その反応はまさしく十人十色といったところだ。

「……大室さん」

 名前を呼ばれ、ソワソワした気持ちを必死に隠しながら教師のやや後方で待機していた櫻子は、呼ばれてすぐに答案を受け取った。
 おそるおそるその点数に目をやる。

「げっ」

 そこには、フィクションの作品でしか見たことのないような、現実にこんな点数をとってしまうことがあるのかというほど低い点数が、無情にも書かれていた。

 たった一文字の、丸。
 まんまる。ゼロ。れーてん。
 名前の書き間違えで採点してもらえなかったとか、そんな粗末なものですらない。ただのひとつも正答を書けなかった、本気の0点の答案。
 嘘でしょ、という気持ちがある一方で、落胆と諦めを足して半分に割ったような複雑な感情……マイナスであることだけがはっきりしている、とにかく嫌な気持ちが、ずんと胃の底に沈んでいくような気がした。
 あーあ。
 やばい。
 本当にやばい。
 ついに、こんな点数を叩き出してしまった。

(うーわ……)

 テストを受けているときから薄々そんな気はしていた。だって問題が全然わからない。普通に授業を聞いていたら取れていたのであろう、基礎的な部分の問題すらわからない。唯一「もしかしたら合ってるかも」という淡い期待で書いた部分は、つまらないケアレスミスにより無情にもペケがつけられていた。今回は選択肢で書くタイプの回答がほとんどなかったのでヤマカンを張る余地もなかった。当たり前だが、歴代最低得点だ。
 テスト中は半ばヤケになって、「もうこうなったらどれだけ低い点数がとれるか見てみたい」と開き直っていたような記憶もある。だが実際に引くほど低い点数の答案を目の前にしてみると、そんな強がりをする余裕も一瞬で掻き消えた。
 これは確実に怒られる。向日葵にも、姉の撫子にも、母親にさえ怒られる。
 ほかのひょうきんな女子のように、友人に見せびらかして笑い飛ばすことも今はできそうにない。こんなものを見せたら笑ってもらえずにドン引きされてしまうこと請け合いだ。櫻子はぺったんこの胸に答案用紙を押しつけ、わずかな前傾姿勢のまま自分の先にスススと戻った。
 とても現実の出来事とは思いたくないほどのショック。しかし自分には確かに身に覚えがある。こんな点数しかとれないような答案用紙を提出したのは、間違いなく自分なのだから。
 やや青ざめた顔でぺとんと着席した櫻子のことを、向日葵は心配そうに見つめていた。

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 そんなショックな出来事も数時間たてば忘れてしまえるのが、大室櫻子の短所であり、そして最大の長所でもあるのかもしれない。
 0点をとったことについて割り切ったというわけではなく、本当に単純に0点をとったという事実を一時的に忘れてしまっている櫻子。当然悪びれる様子などももちろんない。
 向日葵とふたりで歩く放課後の帰り道。櫻子はすっかりウキウキとした気持ちでややスキップ気味に歩いていた。
 なんてったってもうすぐ冬休み。クリスマス。年末なのだ。その事実を思い出して嬉しくなってしまい、昼休みや放課後はクラスメイトたちと遊びの相談にふけっていた櫻子に、もうテストのことを思い出す余地などない。
 しかし隣で歩いている少女は違う。ずっと「嫌な予感」が胸に張り付いたまま消えないのを、黙ってここまで引きずってきた。試験中、なんなら試験前からずっと、自分の成績よりも気がかりに思っていたほどだ。0点をとった当人は、その気持ちには気づいていない。
 そんなこんなでふたりの家の手前まで来た頃、いつものように「じゃあねー」と帰っていきそうになる櫻子の手をぱしっととって、向日葵は言った。

「待ちなさい」
「うぇっ?」
「あなた……今日返ってきたテストの答案、何点だったんですの」
「え!?」
「ずっと気になってたんですわ。見せなさい」
「あ、いやー、学校に忘れてきちゃったかも……?」
「嘘。席についてすぐカバンにしまってたの、私見てましたわ。それだけ見ていたくない点数だったってことなんじゃないの?」
「そ、そんなことは~……」
「見せなさい!」

 いつにない剣幕で迫ってくる向日葵に気圧され、櫻子はしぶしぶカバンを地面に置いて、かじかんだ手で答案を探した。
 冗談みたいな点数をとってしまったこと、普通に言ったらとんでもなく怒られる。とくに今回は向日葵の忠告や協力の申し出を、面倒だからと再三跳ねのけてきたという経緯もあった。
 テスト前からずっと、こうして帰り道で一緒になったりするたびにお小言を言われていた。今度のテストは範囲が広いとか、難しいとか、この時期にとる点数が今後の受験生活に大きく関わってくるだとかなんとか。
「はいはい」と相槌をうちながらも櫻子は、頭の中ではいつも別の楽しげなことばかり考えていた。「一緒に試験対策しません?」と声をかけられても、「いいよひとりでやるから!」と言って、逃げるように自分の家に入り、そのまま暖かい部屋でずっとゴロゴロしていた。
 そんな経緯があるだけに、今回はどれだけ大きなカミナリが落ちてくるかわかったもんじゃない。でももういつものように逃げることもできない。どうせ今逃げても明日また言われてしまう。なんなら家の中まで勝手に押しかけられてしまう。
 それだったらむしろ、今大々的にふざけて見せた方が傷は浅くなるだろう。なんてったって今回は0点なのだ。8点とか11点とかだったらリアルな数字すぎて笑えないが、今回はついに0点をとってしまったのだ。これはむしろチャンスかもしれない。

「お、驚くなよ~?」
「……」

 櫻子はそう前置きしながら答案を掴むと、しゃがみこんだ体勢から一気にジャンプし、向日葵の目の前にばーんと答案を突き出した。

「じゃ~~~~ん!! れーてーーん!!!」
「っ……」
「見てみて、ほんとに0点! ほら! ついにとっちゃったの! 逆にすごくない!?」

 向日葵がショックそうな表情を浮かべていたのは一瞬だけ視界に入ったが、「おふざけモードで乗り切る」という方向にひとたび舵をきってしまった櫻子はもう止まらない。こんなところで勢いを失速させてしまったら意味がない。ここはこのテンションで押し切るしかないのだ。

「いや~今まで取りそうで取ったことなかったけど、ついにって感じ! 何がすごいってさ、別にわざと取ったわけじゃないんだよ!? ほらここだって、私なりに考えて合ってるかな~って思いながら書いたんだけど、それすらケアレスミスでダメになっちゃってさ~!」

 冷たい風が吹きつける、薄暗い冬の夕暮れ。自宅のすぐ前であるということも気にせず、櫻子は明るいテンションでまくし立てた。今はとにかく、怒られないことが最優先だ。
 我ながらよくもまあこんなに0点をとったことを肯定的に言えるなと思いながらも、ややオーバーリアクション気味に櫻子は続けた。さながら大手企業の名物社長のスピーチかのように。

 途中からはほとんど向日葵の顔も見ていなかった。それが気付くのを遅らせた。
 ふと見やると、向日葵は深くうつむきながら、冷たい地面にしゃがみこんでいた。

(えっ……?)

 さすがに様子がおかしいことに気付き、櫻子が慌てて駆け寄る。

「向日葵?」

 その肩に手を乗せると、ふるふると小刻みに震えているのが一瞬でわかった。そして、持っていた答案にはぱたたっと雫が落ちた。
 突然雨が降ってきたわけではない。すべて、向日葵の目から零れ落ちてきたものだ。

「う……うっ……」
「ひ、向日葵!?」
「うぅ……っ……ぁ……」
「ちょ、ごめん、ごめんって……」

 作戦が失敗したことのショックより何より、向日葵の動揺ぶりの方に櫻子は驚いていた。
 その姿、その泣き方、泣き声。
 すべてが一瞬にして遠い記憶を思い出させた。

――これは、本気で泣いているときの向日葵だ。

 幼いころにはよく見たが、大きくなってからはほとんど見たことがなかった姿。
 勝手に溢れ出してくる涙が止められなくて、子どものような嗚咽も止められなくて。本当は私の手を振り払いたいほどなのであろうに、そんな気力すらなくて。
 ただただ悲しいという気持ちだけが胸の中にいっぱいになって、自分ではもうどうすることもできないときの、向日葵の泣き方だ。

 いや……しかし、 “これほどまでのもの” は、もしかしたら初めてかもしれない。
 こんなに本気で泣いている向日葵は、今まで見たことがないかもしれない。

「ひ、向日葵ってば……」

 昔だったら、自分が抱きしめてあげればすぐに泣き止んでくれた。
 食べていたお菓子をあげたり、おもちゃをあげたり、優しくしてあげれば、ひまちゃんはすぐに泣き止んで笑顔になってくれた。
 けれど、今はもうそんな手は通用しない。
 今はもう自分が抱きしめたところで、向日葵はより悲しい思いをするだけだろう。
――だって、悪いのは完全に自分だ。

(私が……悪いんだ……)

 櫻子は大きな後悔と、目の前で泣きじゃくる幼馴染に対して何もできないという無力感に苛まれた。
 向日葵の再三にわたる忠告を無視して、協力の申し出も面倒だからと断って、テスト前なのにずーっとずっと遊び呆けて、それでこんな点数をとってしまったのは、自分だ。
 今の私に、向日葵を抱きしめる資格なんかないし、私ではもう、向日葵の涙を止めることはできない――。
 その事実に気付き、オロオロと慌てることすらできずにただ固まっていると、何事かと気づいた花子が家の中から飛び出てきた。
 すると、「どうしたの」と状況を聞かれるよりも先によろけながら立ち上がり、向日葵は櫻子にも花子にも何も言わないまま、逃げるように自分の家の中へと入っていってしまった。
 取り残された花子は当然櫻子を問い詰める。しかし櫻子も櫻子で放心状態になっていた。
 ほとんど無意識によろよろと自分の家に入り、よたよたと部屋までの階段を上がり、0点の答案を花子に見られて怒られたり呆れられたりしたところまでは、なんとなく覚えている。
 けれど櫻子は、もう妹のお小言も、「撫子おねえちゃんに報告するから」という声も、受け止めることができない。
 とにかく、あまりにも悲しそうに泣く向日葵の姿が、脳裏に焼き付いたまま離れなかった。
 大きなトゲが胸に刺さったような気がして、けれどそれを抜く資格すら今の自分にはないんだということを痛感して、ずっとそのトゲを見つめたまま、痛みをただ受け入れていた。

――私が泣かせた。私が向日葵をあんなに泣かせたんだ。
 ごめんね、ごめんねと心の中で何度も繰り返した。直接言わなければ意味がない、そして言ったところでもう何の解決にもならない謝罪の言葉が、胸の中で生まれては、口から出ることなく消えていった。
 今はもう、向日葵の笑顔を思い出せない。泣き顔しか思い浮かばない。
 向日葵の涙が沁み込んだ答案用紙を撫でると、すっかりふやけて固くなってしまっていた。
 そんなとき、「一緒に試験対策しません?」と言ってきてくれた時の向日葵の顔が、ちょっとだけ思い出せた。

――ああ、私は。
 向日葵を、裏切ったんだ――。

 すると、途端に目から大粒の涙が溢れ出してきて、もうどうすることもできなかった。

「うくっ……ふっ……うぅぅ……」

 自分でも自分の気持ちがよくわからないままベッドに倒れ、櫻子は情けなく泣き続けた。
 これが、すべての始まりだった。

『私はひま子の気持ち、わかるよ』

 その日の夜。
 櫻子は花子から渡された電話を通して、今は大学に通うために遠方で下宿している撫子から、ありがたいお説教を受けていた。
 事の顛末について花子から報告を受けた……というより「どうしよう」と相談されていた撫子は、「いつかはこんな日が来るってわかってたじゃん」と呆れながらも、それでも何も言わずにはいられないようで、黙って電話を替わった妹に言葉をかけていた。

『櫻子が勉強嫌いなのはよくわかってたけど、「本っ当にこんな事態になっちゃうまでなんにもしなかったんだねあんたは」って、呆れを通り越して驚いてるよ』
「うん……」
『きっとこの気持ちがもっともっと大きくなって、ひま子と同じくらいになったら……私だって泣くと思う』
「……」
『もう中学二年なのに……というかもうすぐ三年になるのに、何やってんの』
「……ごめんなさい」
『だから私に謝っても仕方ないんだって。ひま子に言いなよ……ってか、本当はひま子に謝るのも違うんだよ。あんたが勉強しなくて大変なことになって、そのとき困るのは未来の櫻子だけなんだから』

 ずっと無気力に泣き続け、ほとんど夕飯を食べることもなく打ちひしがれていた櫻子は、静かに姉の声に耳を傾けていた。
 花子はいつもだったらもう寝ている時間だろうが、きっと今もこちらのことを気にして、隣の部屋で眠れずにいることだろう。

『はぁ……ま、今はいいや、ちょっと忙しいし。今度冬休みでそっち帰るの。詳しい話はまたその時にするから』
「……」

 ため息交じりの姉の声が、より胸の内を重くしていく。

『……櫻子……あんたさ、ほんといつになったら気づくの』
「っ……」

 それだけ言って、静かに通話は切れた。
 櫻子は力なくスマートフォンを下ろし、うつむきがちに部屋の中の虚空を見つめる。

 気づく?
 何に?
 わかるようでわからないその言葉の意味を考えながら、櫻子はとにかく向日葵に謝りたかった。
 明日、一緒に学校に行ってくれるだろうか。

「向日葵……」

 真っ暗な部屋の中、ベッドのへりに腰掛けながら、櫻子は向日葵の泣き顔のことを思い続けていた。
 どうして、どうしてあんなにも泣いていたのだろう。
 べつに今までにだって、0点とまではいかなくても、低い点数をとったことは何回もあったのに。
 今になって、急にどうして?

 ふと足元に肌寒さを感じて、毛布の中にもぞもぞと身体をすべりこませた。思えば今日一日、なんだかずっと寒かった。
 早く暖かい季節にならないかなと思いながら、ひんやりとした枕を抱きしめる。そうしてわかった。

――ああ、そうだ。冬が終わったら春になるんだ。
 次の春には、私たちは中学三年生になって、そうしてまたもう一年経って冬を超えたとき、私たちは高校生になるんだ。
 私と向日葵は、そこで離ればなれになるんだ。

 私はこんなバカだし、向日葵はきっと頭のいい高校に行くし、もう一緒に学校に行くことはなくなるんだ。
 ずっと続いてきた私たちの腐れ縁も、もうここまで。
 頭の良し悪しとか関係なく、こんなに性格も何もかもが違う私たちが一緒にいられるのは、もうここまで。
 いつの間にか私が乗っていた車両のレールは、向日葵が乗っているものとは別になっていた。
 向日葵はきっと、同じレールに乗ってほしくて、ずっとずっと私に手を差し伸べていたのに。
 私はそれに気づかず、自覚もなく迷子になっていて、いつの間にか、どこに行くのかもわからないレールに乗るしかなくなっていた。
 このふたつのレールが交わることは、たぶんもうない。

『……櫻子……あんたさ、ほんといつになったら気づくの』

 最後に放たれた姉の言葉の意味が、今になってようやくわかったような気がした。
 櫻子の目からまた涙が零れ落ち、枕にスッとしみ込んでいく。
 胸の中にあるのは、やっぱり向日葵に対する、「ごめん」という気持ちだった。

(向日葵……っ)

 ごめん。ごめんね。
 震えるほど寒い夜。櫻子は枕に顔をうずめ、声にならない声で、謝罪の言葉を何度も繰り返していた。
 力尽きて眠ってしまうまでずっと。

―――――
――――
――

 翌日。
 ほとんど深く眠れないまま迎えた朝、向日葵と一緒に学校に行こうと思ったが、なかなか家から出てこない。数分経っても出てこないのでおかしいと思って家の人に聞いてみると、用事があって先に行ったようだと言われた。
 急いで学校に向かうと、そこで初めて今日が二学期の終業式であるということを思い出した。どこか学校全体のムードも浮ついているように感じる。しかし櫻子はそれどころではなかった。

 向日葵はというと、普通に教室にいた。一見いつもどおりに見えたが、なぜか櫻子の方を見ようとしない。
 視界に入っていないわけではなさそうだが、明らかにわざと意識しないようにしていることは櫻子にも肌で感じ取れた。
 やっぱり、怒ってるんだ。私は嫌われたんだ――。櫻子は途端に弱気になってしまい、結局朝の段階では声をかけることができなかった。

 終業式が終わって、ホームルームも終わって、いよいよ放課後。
 今日一日ずっと目を合わせてもらえなかったが、一緒に帰ることくらいはできないだろうかと向日葵の付近でうつむいていると、うまい具合にちなつがパスを出してくれた。

「向日葵ちゃんと櫻子ちゃんはこのまま一緒に帰るの?」
「えっ? ああ、うん」

 反射的にそう返事してから向日葵の方を見ると、今日初めて一瞬だけ目が合った。
 向日葵は肯定も否定もせず、あかりとちなつに別れを告げて、そのまま教室を出た。櫻子もその後を小走り気味についていく。
 去り際に教室の中を振り返ると、あかりとちなつが少し困ったような笑顔で「早く仲直りしてね」とでも言いたげに手を振っていた。
 向日葵はなるべくいつもどおりになるよう振舞っていたが、ふたりの様子が今日一日ずっとおかしかったことは、とっくに伝わっていたようだ。

 友人たちの協力を受け、一緒に帰れる大義名分を得ることはできた。しかし当然ふたりの間に会話はない。
 いつもより少しだけ早歩きで帰る向日葵と、うつむきながらそれに着いていく櫻子。
 何か話さなければ。けれど言葉が出てこない。このままでは家についてしまう。その前に、何でもいいから伝えなければ。

「……っ、……ごっ」
「……」
「ごめんっ、向日葵!」

 カバンを握る手いっぱいにぎゅっと力をこめ、櫻子は言葉を絞り出した。
 たどたどしくなってしまったが、なんとか切り出すことはできた。
 向日葵は一瞬足をとめたが、またすぐに元の速さで歩き出した。絶対に聞こえているはずなのに。
 櫻子はその隣を歩きながら、後に続く言葉はないかと探しあぐねる。その様子を見かねたのか、今度は向日葵の方から低めの声で話し始めた。

「……なんで、謝るんですの」
「え、だって……昨日の答案……」
「あなたが自分で勉強しない道を選んで、あなたが自分で0点をとって……それでなんで私に謝るんですの」
「……」

 向日葵の顔を見ることができない。
 昨日の夜、撫子にもずっと同じようなことを言われていた。
 謝るのは違うんだって、さんざん聞かされたけど、今は謝罪の言葉しか出てこない。
 もう、謝って許してもらえるような段階じゃないんだ。櫻子がそう痛感して黙りこくっていると、向日葵はふと歩みを止めた。
 おもむろに方向転換して、いつもは曲がらない交差点を曲がっていく向日葵。櫻子は何事だろうと思いながらも後ろを着いていく。どうやら向かっているのは近所の公園のようだった。
 きっとあのまま家の前まで着いてしまえば、また昨日のように心配した花子や楓が出てきてしまうからだろう。
 今日一日ずっと無視していたくせに、今の向日葵は、ふたりきりで話がしたいようだった。

 公園について早々、向日葵は冷え切ったベンチに座ることもなく、葉の一枚もついていない木の下に立ちながら呟いた。

「……あなた、どこの高校行くんですの」
「えっ……」

 冷たい風が足元から身体を冷やしていく。
 この質問は、今までにも何度かされたことはあった。
 具体的なビジョンなどない櫻子は、そのたびに何とかはぐらかしてきたけれど、今思えばこの話をするとき、向日葵はどこか悲しそうだった。

――別に、どこだっていいじゃん。
 向日葵には、関係ないでしょ。

 今までだったら、そんなことを言って突き放していたのかもしれない。
 けれど今こんなことを言ったら、また昨日みたいに向日葵を泣かせてしまうということは櫻子にもわかっていた。
 泣かせているのは、ほかでもない、自分だ。

「……」

 進路の話は嫌いだった。
 将来の夢について考えるのが嫌になったのはいつからだろう。
 小さいころは、未来というのはいつだって明るいものだと思っていた。
 なのにいつから、未来のことを考えるのが憂鬱になってしまったのだろう。

「……なんとか言いなさいよ……っ」
「うん……」
「櫻子!」
「っ……」
「言っておきますけど、私はあなたのために、志望校のランクを落とすなんて……できませんからね……っ!」

 今にも泣きだしそうな震える声を聞き、はっと顔を上げる。向日葵は目を赤く充血させ、悲痛な表情で訴えかけていた。
 櫻子は無性に嫌な気持ちになった。
 向日葵の言葉に腹が立ったわけではない。向日葵にこんなことを言わせてしまう、こんな顔をさせてしまう、自分のすべてが嫌になっていた。

(そんなこと……言われなくてもわかってるよ……)

 それは、いつか言われるんだろうなって、ずっと思っていたこと。
 しかしいざ実際に声に出して言われると、何か「決定的なもの」をつきつけられたような、胸が詰まるような思いが全身を駆け巡った。

 すべては現実から目をそらして、何もしてこなかった自分が悪いんだ。
 もっと早くに気付いて、もっと早くに頑張っていたら、このセリフを言わせない未来にできたかもしれないのに。
 その努力すら放棄したのは、ほかでもない自分なんだ。

 向日葵はまたぐすぐすと泣き出し、そしてしまいには櫻子を置いて、公園から走り去ってしまった。
 櫻子にはもう、それを追いかける気力も残っていなかった。

(……最低だ)

――私は、最低だ。
 私はいつの間にか、大切な幼馴染を泣かせる、どうしようもない人間になっていたんだ。

 数分ほど経ってから、向日葵が走り去っていった方角を見やる。当然、もうそこには誰もいない。冷たい冬の薄闇だけが、ただそこにある。
 なんだか、もう二度と向日葵に会えないような気がした。
 なんだかもう二度と、向日葵とは会ってはいけないような気がした。

(……ごめんね、向日葵)

 そのまま周囲が真っ暗になって、心配した花子から電話がかかってくるまで、櫻子はずっと公園に立ち尽くし、ぽろぽろと涙を落とし続けた。
 向日葵からもらったマフラーは、すっかり冷たく濡れてしまっていた。

 撫子も帰省して久しぶりに賑やかになると思いきや、今年の冬休みの大室家は静かなものだった。
 理由はもちろん、一家で一番うるさい櫻子に元気がないこと。
 姉や妹がリビングでくつろいでいる間も、櫻子は部屋に閉じこもったままだった。

 12月24日。クリスマスイブ。
 櫻子はこの日、終業式前に友人と交わしていた遊びの約束をキャンセルし、そのほかに入っていた冬休みの予定もすべて断った。
 あのときの向日葵の泣き顔を思うと、とても遊んでいられるような気分ではなかった。
 今はとにかく勉強をしなくてはいけない。夜、櫻子はとりあえず机に向かい、冬休みの宿題に手をつけてみた。
 まともに開いたことのなかった問題集の最初のページを開き、グッグッと手で押さえて折り目をつけ、一問目から順番ににらめっこをしていく。
 しかしすぐにわからない問題にあたって、あえなく挫折。持っていたシャープペンをノートの上に転がし、ぐでんと机につっぷした。

(だめだ……全然わかんない……)

 問題の答えもわからなければ、勉強の方法さえもわからない。つまずいたときに何をすればいいのか、ほかのみんなはどうやって解決しているのか。
 そもそもこんな宿題をやったところで、受験に繋がる成績の向上が見込めるのだろうか。何もかもがわからなさすぎて、それすら心配になってきた。

 ふと櫻子の目に卓上カレンダーが目に留まった。10月くらいからめくることさえしてこなかったそれを手に取り、12月のページを見てみる。
 今日が12月24日。あと一週間で来年になる。
 受験が具体的に何月ごろから始まるのか、そんなこともわかっていない櫻子だったが、とにかく冬が本番だということは今年受験生の綾乃たちから聞いていた。
 つまり、だいたいあと一年。一年間で向日葵と同じレベルにまで辿り着けなければ、離ればなれになってしまう。
 一年が長いようで短いことは、14年間生きてきた中で薄々気づきつつあった。だって去年の冬から今まで、何かを成し遂げた記憶というものがほとんどない。ずーっと遊んでいただけであっという間に過ぎ去った気がする。
 このスピードで来年も過ぎていくのだとしたら、向日葵に追いつくなんて到底無理なのではないか。
 そもそも、目の前の宿題すら10分と集中力が続かない自分に、一年間も頑張り続けるなんてことができるのだろうか。

「……っ」

 階下からうっすらと聞こえてくるテレビの音にまぎれて、時計の秒針の音がコチコチと部屋の中に静かに響く。
 この音があと何回刻まれた時、私と向日葵は決定的に離ればなれになってしまうのだろう。
 焦燥と不安が募っていく。

 コチ、コチ、コチ。

「……ぁああっ!」

 無性に胸の中に嫌な気持ちが渦巻いて、櫻子は持っていた卓上カレンダーを壁にたたきつけた。
 ばすんとカーテンにぶつかって、カレンダーは力なく床の上でぱたりと畳まれる。

(無理だよ……無理に決まってるじゃん……!)

 ぐしゃぐしゃと頭をかきむしる。
 一年で向日葵に追いつくことも、一年間頑張り続けるなんてことも、今の自分なんかにできるわけがなかった。

(だいたいなんでだよ! 向日葵と離ればなれになったって……いいじゃん別に……!)

 櫻子はベッドにつっぷし、そのままぼすんぼすんと腕を叩きつける。
 自分でも自分の気持ちがわからない。
 どうして自分はそんなに向日葵と離ればなれになることが嫌なのか。
 むしろ一緒の高校に進める可能性の方が限りなく低くて、どう考えても高校で離ればなれになるってことはずっと昔からわかっていたはずなのに、なぜこんなにもその現実に苛立つのか。

 向日葵と同じ高校になんか、行けなくたっていいのに。

「向日葵と一緒になんか……ならなくたっていいのに!!」

 そのとき、部屋のドアが開いて帰省中の撫子が入ってきた。
 反抗期真っ盛りといった妹の小さい背中に、鋭く言葉を投げかける。

「ドンドンうるさいよ」
「……出てって」
「下まで響くの。花子が怖がってる。やめて」
「……関係ないじゃん……!」
「関係ないことない」

 撫子はすっと部屋の中まで入り込み、ベッドでうなだれる櫻子の隣にすとんと腰掛ける。
 階下のリビングにいるフリをしていたけれど、本当は妹の部屋の前でずっと様子をうかがっていたのだった。

 ぐちゃぐちゃのベッド、投げつけられたカレンダー、1ページも進んでいない問題集が視界に入る。
 髪もハネてくしゃくしゃになり、荒れていることが一目で見て分かる妹のことを、とても放っておけなかった。

「……ひま子と一緒になれないのが、そんなに嫌なの?」

 撫子にそう言われると、櫻子は今にも飛び掛からんとする勢いで、姉に向かって感情をむき出しにした。

「そんなことないっ!!」
「……」
「向日葵と同じ高校になんか行けなくたって、そんなのっ……別にっ……!!」

 苛立ちのあまり、自分の太ももを叩こうとして振り上げた櫻子の拳を、撫子がぎゅっと掴む。

「……じゃあ、なんでそんなに泣いてんの」
「うぅ……う……っ」

 撫子は決して怒ることなく、そのまま櫻子を抱きしめた。
 櫻子は途端に全身から力が抜けていってしまい、姉にもたれかかるように倒れ、子どものように泣き続けた。

「うぁぁあ……あぁぁあぁ……」
「……まったく」

 くしゃくしゃに乱れた妹の髪を、優しく撫で付けて整える。
 抑えきれない感情が涙となって溢れ、どうすることもできなくなっている妹の背中をとんとんとさすりながら、優しく語り掛けた。

――いいんだよ。ひま子と同じ学校に行きたいって思っても。
 いいんだよ。ひま子と一緒にいたいって思っても。
 ひま子には、秘密にしておいてあげるから。
 櫻子が自分から言えるときが来るまで、ずっとずっと、秘密にするから。

 櫻子はよじよじと姉の胸に顔をうずめ、熱い涙が染み込むのも構わずに泣き続けた。撫子はしっかりとそれを抱き留める。
 久しぶりに再会して、ちょっとは大人になったのかと思ったら、まるで小学生の頃に戻ってしまったかのように泣きじゃくる櫻子を見て、撫子は少し可笑しくなった。
 さっきまで下で花子にひっつかれていたところに、今度は櫻子が泣きついている。
 ふたりとも、ずっと寂しかったのだろうか。やっぱり、家を開けるのはまだ早かったのだろうか。櫻子の頭に頬をつけて包みながら、困ったように笑みを浮かべた。

 受験という壁が立ちはだかる以上、櫻子と向日葵の道がここで一旦分かれることになるかもしれないというのは、撫子もずっと昔から気がかりだった。
 いざその時期が来た時、このふたりはどうなるのだろう。やっぱり別々の道に進むことになるのだろうか。
 その場合、ふたりはそれぞれ納得してその道を歩むのだろうか。進む道は別々になりながらも、今までどおり一緒に居続けるなんてことができるのだろうか。
 それとも……ふたりの距離はここで完全に引き離され、二度と昔みたいな距離に戻ることはなくなってしまうのか。
 もしくは……櫻子がここから死ぬほど頑張って、ひま子と一緒の学校に行ったりするような未来が、あったりするのだろうか。

 未来のことは誰にもわからない。すべては当人たち次第。
 そんなことを思いながらふたりのことをずっと見守っていたつもりだったが、やっぱりこんなことになってしまうのかと、泣きわめく櫻子の髪を手櫛で梳きながら、呆れ気味に思った。

 撫子に櫻子のことを怒る気はない。だってふたりはべつに、「一緒にいなければいけない」関係ではない。
 ここまで学力に差があるふたりが一緒の学校に進むには、櫻子が死ぬほど頑張るか、向日葵が相当妥協する道を選ぶかのどちらかしかない。もちろん向日葵には後者を選んでほしくはないし、そして後者を選ぶほど愚かではないことも重々承知している。
 そうなると前者しか方法はない。きっと向日葵は一縷の望みをかけて、前者の未来がいつかやってくるようにと願いながら、今まで櫻子の面倒を見てきたのではないだろうか。
 けれど、そんなのはやはり夢物語なのかもしれない。本人たちを含む誰もがそう思っていたことだろう。だったら、一緒の学校に進むという未来を無理に選ぶなんてことはしなくてもいいはずだ。その先でまた道がひとつに合流する可能性もあるし、未来の形はひとつじゃない。
 どんな道を選ぶかは、その時その時のふたりが決めればいい……撫子はそう思っていたが、どうやら話を聞く限り、向日葵も櫻子も「可能性の低い未来」をまだまだ信じていたいようだ。
 だったら姉として、その未来に手が届くように、少しでも応援をしてあげよう。

 すっかり泣き疲れてしまったのか、腫れぼったい目を閉じてすんすんと鼻を鳴らしながら眠った櫻子に毛布を丁寧に掛け直し、撫子は部屋を後にした。

――――――
――――
――

 12月25日。
 いつも以上に重たい目蓋を開けて櫻子が目をさますと、外がやけに明るかった。
 カーテンを開けてみると、一面の雪景色。いつの間にこんなに降っていたのだろう。
 視界の端に向日葵の家が写った。少し目を細めて、向日葵が玄関から出てきたりしないだろうかと思ったが、何の変化もない。
 諦めてベッドの方に戻ろうとすると、そこでベッドサイドに何かが置かれていることに気付いた。

「え……?」

 白い紙製のラッピングに包まれた、ちょっとしたダンボールほどはある大きさの何か。手に持ってみるととても重い。
 包装紙自体は適当に家にあった紙を使っただけのようだが、その包装の仕方はまぎれもなくプレゼントのそれだった。
 そうだ。今日はクリスマスだ。

 大急ぎで包装紙のテープ部分をカリカリと剥がしてみる。中から出てきたのは、どうやら数冊の参考書のようだった。

「メリークリスマス」
「ね、ねーちゃん?」
「なにそれ、プレゼント? サンタさん来てくれたんだ。よかったね」

 ドアからこっそり顔をのぞかせた撫子が、少しだけ楽しげにこちらを見ていた。
 櫻子は眉をひそめながら裏表紙を見る。

「これ……ねーちゃんの名前書いてあるけど」
「あちゃー……まあ、隠してるわけじゃないけどさ。それ、私が高校受験の時に使ってた参考書」
「!」
「私も当時は何が良いかって、いろいろ探したからさ。そこにあるのは特におすすめのやつ。ちょっとだけ古いかもしれないけど、範囲とかは変わってないみたいだから……全部櫻子にあげる」
「……ねーちゃん……」

 プレゼントに参考書なんてもらっても、去年までの自分だったら怒っていたかもしれない。
 けれど今の櫻子は、なぜか少しだけ、目の前のその難しそうな本に希望のようなものを感じていた。
 片っ端からぱらぱらとめくってみる。撫子は昨晩と同じようにその隣に腰掛け、櫻子の小さい頭を撫でた。

「櫻子……勉強してみよ」
「!」
「勉強すればいいんだよ。そうすれば、これからもひま子と一緒にいられるよ」

 櫻子の目が大きく見開かれる。
 答えは最初から、ずっとそこにあった。

「ほら見て、こういうのとか。細かい参考や解説がわかりやすい位置についてて……とにかく使いやすいの。しかもこれ一冊で、この教科の大抵の部分はマスターできる」
「……うん」
「もしもここにあるやつが全部できたら、県内の高校くらいはどこにだって行けるかもしれないよ。私が行ってた高校もたぶん大丈夫。たぶんひま子も……そこ目指してるんでしょ」
「!」
「だからさ、まずはここから、やってみなよ」

 撫子は一冊の参考書を櫻子に持たせ、その手を上から包んだ。

――この一冊。この一冊をひととおりやってみな。
 何回も何回もやって、全部の答えを暗記するくらい、やりこんでみなよ。
 それが終わったら次の一冊。それも終わったら、またもう一冊。
 そうやってここにあるものが全部できたとき、櫻子はきっと、ひま子と同じ高校に行けるようになってるよ。

「わからないことは全部復習ページに載ってる。それでもわからなかったら、いつだって私が教えてあげる。一緒に考えてあげる……だから、まずは一歩、踏み出してみよ」

 撫子の優しい声を受け、櫻子のすっかり枯れてしまったと思った目から、また熱い雫がこみあげてきた。

「まず一問。まず1ページ。少しずつ、少しずつでいいの」
「う……うぅっ……」
「ひま子と一緒の高校に行けるようにさ……頑張ってみようよ」

 大室櫻子、中学二年の冬休み。
 12月25日の、クリスマス。
 この日、櫻子は一度も家から出ることなく、静かに机に向かい続けた。
 お茶を持ってきたり、わからないところはないかと様子を見に来たりと、かいがいしく面倒を見ようとする撫子・花子に見守られながら、櫻子は険しい道をゆっくりゆっくりと歩き出した。

 この道は、「ふたりの距離」を戻すための道。

 わからない問題にぶつかると、気持ちが焦る。頭をかきむしりたくなるような不安に襲われる。
 けれど向日葵の顔を思い浮かべると、前に進む気持ちが湧いてくる。
 もう泣かせない。もう二度と、あんな顔はさせない。
 その速度は決して早いものではないが、目の前の一問一問をこなすたび、確実に向日葵との距離が詰まっているような気がして、それだけで櫻子の胸には勇気が湧いた。

――櫻子はこの日、生まれて初めて、勉強を通して「嬉しい」という感情を抱いた。

 結局この冬休み、大室家はいつもより静かな正月を迎えた。
 櫻子は、少しずつ少しずつ一日の勉強時間を増やし、最後にはほとんど受験生のようなスケジュールで、自分から机に向かい続けていた。
 まるで人が変わったようだったが、花子も撫子も、それを温かい目で見守り続けた。
「このぶんなら私が戻っても大丈夫でしょ」……三が日を過ぎたころ、撫子は櫻子の様子を逐一伝えてもらうよう花子に頼み、下宿先に戻っていった。
 花子も、櫻子がついに変わったことを喜ばしく思いながら、ややお節介気味にサポートをし続けた。

 三学期が始まったら、きっとひま姉は驚くだろう。
 もしかしたらいつか本当に、一緒の高校に行けるほど櫻子の成績が上がってしまうのかもしれない。
 そんな未来を思い浮かべながら、せかせかと忙しそうにしている姉の背中を見つめ、花子は嬉しそうに微笑んだ。

 冬休みが終わり、三学期。
 櫻子と向日葵は中学二年生として、そして花子は小学三年生として、その学年の最後の学期を迎えた。

 結局櫻子は冬休みの最終日まで、ほとんど欠かすことなく、何なら日に日に勉強時間を延ばしながら机に向かい続けた。今までだったら信じられないような光景だが、それは花子の目の前で確かに繰り広げられた現実だった。
 実際の受験があるという日は約一年後。まだまだ遠い。けれどこの分なら、ひま姉は櫻子のことを少しは見直して、今までのことをすぐにでも許してくれるようになるだろう。花子はそう思っていた。
 だが、一度切れてしまった糸というのは、自然と元通りに繋がってくれるものではないらしい。

――櫻子と向日葵が、一緒に学校に行っていない。

 花子がそれを知ったのは、一緒に登校している楓に教えられたことがきっかけだった。
 家を出る時間が小学生と中学生では少し違うため気づかなかったが、どうやら向日葵の方が三学期になってから登校時間をかなり早め始めたらしい。
 それも、まるで櫻子と一緒に登校するのを避けるかのように。
 櫻子も向日葵がそんなことをし始めたのにはとっくに気づいているだろうに、向日葵のことを追おうともせず、今までと変わらない時間に家を出ていた。
 その事実を知り、花子の胸はちくんと痛んだ。
 この感覚は、あの時と同じ。

 冬休みに入る直前、とある寒い夕方に、家の前から女の子の泣き声が聞こえてきた。
 一体何事かと思って外に出たら、子どものように大泣きしている向日葵と、呆然としている櫻子がそこにいた。
 詳しく事情を尋ねる前に向日葵は家の中に逃げ込んでしまったため、花子が向日葵を目撃したのはその日が最後になる。
――すべては、あの日から始まった。

 あれから櫻子は心を入れ替えて、少しずつ少しずつ勉強をするようになっていった。
 楓とは冬休みの間もよく遊んでいたので、そのことは当然話している。なんなら楓も大室家に来て、櫻子が勉強している後ろ姿を一緒に見ている。
 それなら、向日葵が楓からそのことを聞いていないはずがない。
 そして聞いていたとしたら、ふたりが仲直りをしないわけがない。花子はそう思っていた。

 とある平日の夜。ふたりきりの夕飯の席で、花子は櫻子にぽつりと聞いてみた。

「……櫻子」
「ん?」
「ひま姉と一緒に学校行ってないの?」

 櫻子はもぐもぐと動かしている口を一瞬だけ止めた後、「んー……」とはぐらかすように相槌を打った。

「いそがしいんじゃない?」
「い、いそがしいって……そんなわけないし。今まで普通に一緒に行ってたのに……」
「でも、なんかあるんだよたぶん」
「なんかって何!」
「……わかんないけどさ」
「……」

 花子は、それ以上は何も聞けなかった。
 これ以上問い詰めたら、目の前の櫻子がふいに泣き出してしまうんじゃないかと、そんな予感に包まれて、声に詰まってしまった。
 撫子が家を出てから増えた、櫻子とふたりきりの夕食。けれど櫻子に元気がないと、どんなに頑張って料理を作っても味気ないものになってしまう。

「花子は、気にしなくて大丈夫だよ」
「櫻子……」

 向日葵がどれだけ櫻子に対して怒っているかはよくわかるし、櫻子がそれだけのことをしてしまったというのもわかっている。
 でも、櫻子は毎日頑張ってる。
 どれだけ続くかはわからないけど、今までにないくらいの頑張りを見せてる。
 だったら、仲直りくらいはしてもいいはずなのに。
 よくわからない不安とよくわからない焦りが、花子の小さな身体にもやもやと渦巻く。

 これ以上櫻子に聞いても仕方なさそうな気がして、花子は翌日に小さな行動を起こした。
 吐く息が白くなるほど寒く、前夜から降り積もる雪がまだ少しちらつく冬の朝。
 噂どおり、櫻子が家を出る時間より30分も早く古谷家の玄関が開き、向日葵が出てきた。
 花子は門の影からその様子をこっそりと確認する。

 向日葵の姿を直に見るのは久しぶりだった。結局冬休みに入って以来、向日葵は一度も大室家を訪ねてこなかった。まだ新年の挨拶すら交わしていない。
 花子は意を決して向日葵の前に姿を現す。向日葵はハッと気づいたようだが、特に歩くスピードを変えたりもせず、ゆっくりと門を出た。

「おはようございます、花子ちゃん」
「……おはよ、ひま姉」
「そのニット、可愛いですわね」

 向日葵は花子の被っているニット帽を見て微笑み、そして「それじゃ」とその脇を足早に通り抜けて行こうとした。
 花子はすかさず行く手を塞ぐように前に立ち、向日葵を見上げて尋ねる。

「櫻子と一緒に行かないの?」
「……」

 その表情は、怒っているわけでも、そして気まずそうにしているわけでもなく。
 ほんの少しの寂しさを感じさせるような、痛々しい作り笑顔だった。

「先に行ったと……伝えておいてください」

 すいっと花子の横を通り抜け、昨晩新たに降り積もった雪をきゅっきゅっと踏みしめながら、向日葵の背中は少しずつ遠ざかっていった。
 花子の胸が、またちくんと痛んだ。
 頭のニット帽には、雪が少しだけ降り積もっていた。

 櫻子と向日葵の間に生じている異変。
 それに気づいているのは花子や楓だけではなく、あかりやちなつもまた、同じクラスに通うものとしてまざまざと肌で感じていた。

 おかしくなり始めたのは、やっぱり冬休みに入る前。
 周囲に対してはいつものように振る舞いながらも、一言も言葉を交わさず目も合わせていないふたりのことを、あかりとちなつはずっと心配していた。
 今までにもこんなことは何回かあった。けれど放っておけばいつの間にか元に戻っていて、またいつもみたいないがみ合いや喧嘩が始まる。
 それが、櫻子と向日葵だった。

 冬休みに入ってすぐ、櫻子から遊びの予定のキャンセルを告げられた際は「今回はちょっと長引きそうだね」と話し合っていたあかりとちなつ。それでも休みが明けるまでには必ず元に戻っているだろうと思っていた。
 それなのに。

「……ちなつちゃん」
「……やっぱり、まだダメ?」
「そうみたい……」

――櫻子と向日葵が、関わり合うのを避けている。
 ふたりとも、基本的にまったく言葉を交わさない。目を合わせることもない。朝はいつもバラバラに学校にやってくるし、休み時間なども一緒になるのを避けている。
 そのくせふたりとも、「お互い以外」の人には気丈に振る舞っているから、それが余計に「ふたりの会話だけがない」という違和感を際立たせている。

 あかりやちなつでなくとも、ここまで一緒に時間を過ごしてきたクラスメイトなら誰しもが異変に気づいていることだろう。
 向日葵と櫻子の間に生じている、かつてない類の不和。
 解決に向かってほしいが、自分たちにできることはあるのだろうか。

 あかりもちなつも、結衣と京子の来なくなったごらく部室で思い悩んでいた。向日葵と櫻子の間に確執がある状態では、学校生活の面白さは大きく損なわれる。しかし、周囲の力によってふたりをむりやりくっつけようものなら、二度と関係が修復不可能になってしまうのではないかという恐怖もある。
 そして、互いに無視をしあっているだけというのがまた難しい。これなら取っ組み合いのケンカをしてくれた方が何倍もマシだった。

「あかりね、この前ちょっとだけ櫻子ちゃんに聞いてみたの。どうしてこんなことになっちゃったのって」
「うそっ」
「でもね……あんまり教えてもらえなかった。それどころか、櫻子ちゃん、『私が悪いんだよ』って……あかり、あんな櫻子ちゃん見たことない……」
「えー……ってことは、向日葵ちゃんに聞けばわかるのかな……でも、私たちが聞いて簡単に解決できることなら、こんなに続いてないよね……たぶん」
「うん……」

 ちなつとあかりがそんな話をしていたときから数刻が経ったころ。
 七森中の生徒会室には、久方ぶりの客人が訪れていた。

「久しぶり、古谷さん」
「あら、先輩方」

 やってきたのは、すっかり受験生として多忙を極める生活を送っている綾乃と千歳。
 放課後まで残る用事があったついでに、久しぶりに生徒会室に顔を出してみたところ、そこにいたのは向日葵だけだった。

「あれぇ、ほかのみんなは? 新しく入った一年生もおるんちゃうん?」
「いえ、今日は生徒会活動があるわけじゃないんですわ。私はたまたま、この部屋を使わせてもらってるだけで」
「わかるわ。ここって集中できるものね」
「勉強でもしてるん? こんな時間まで頑張って、古谷さんもウチらと同じ受験生みたいやなあ」
「……ええ、まあ」
「……大室さんは?」

 綾乃が何気なく聞いた一言が、向日葵の胸にぴゅうと風を吹かせる。

「あの子は……少し、忙しいみたいで」

 気遣いを遠慮しようとする後輩の作り笑顔に、思わず顔が曇る。
 本当は、綾乃と千歳の耳にも、ふたりの不和に関する噂は届いていた。

「……無理しないでね、古谷さん」
「ほなな~」
「はい」

 結局綾乃と千歳はそれ以上何も聞くことはできず、適当な世間話を少しだけして、生徒会室を後にした。
 この部屋はいつだって賑やかだった。あの無口なりせが会長だった時代でさえ。
 その賑やかさの大部分を占めていたのが、ムードメーカーの櫻子だった。
 その櫻子が静かな今……櫻子がいない今、放課後のうすら寒いこの部屋は、寂しげな空間と化してしまう。

「……これは本当に、根深い問題みたいね」
「そやなぁ……」

 櫻子と向日葵のふたりに関係する誰しもが、歯車の合わないような感覚をおぼえている。
 いつかは時間が解決してくれるのだろうか。いつか元通りになるきっかけがやってくるのだろうか。そんなことを思いながら、それでも時間は着実に進んでいく。
 京子や綾乃たちはいよいよ受験本番を迎え、自分たちの人生の転換点を自分なりに乗り越えていく。
 少女たちは、すこしずつすこしずつ、大人になっていく。

 陽の光の温度が徐々に徐々に上がっていき、道の端に積まれている雪が少しずつ解け、季節は春を迎える。
 桜の木がぽんぽんと可愛らしい花を咲かせる頃。
 櫻子と向日葵、そしてちなつとあかりたちは、とうとう中学三年生になった。
 新学年に色めき立つ、春休み明けのクラスメイトたちが、掲示板の前に群がっている。
 ちなつとあかりは一緒にその前に立ち……そして、顔を曇らせた。

 ちなつとあかりは幸運にも同じクラスだった。これで三年連続のクラスメイト。
 そして、同じく三年連続で、向日葵の名前もそこに連なっていた。
 しかし……絶対に向日葵と同じ名簿にいるであろうと思われていた名前が、ない。
 見つけたのは、違うクラスの名簿。

 時間は何も解決してくれないし、そして神様は意地悪だった。
――櫻子と向日葵は、とうとう別のクラスになってしまった。

「こんなにケンカばっかりなのに腐れ縁」
「幼稚園からずっと同じクラスで、もうウンザリですわ」

 そのセリフが聞けなくなる日が来てしまったこと。
 自分たちの手でどうにかなるものではないけれど、ちなつとあかりは、えもいわれぬ後悔に襲われた。

――――――
――――
――

 時間というものは、残酷だ。
 こんなにも結びつきの強かったふたりの関係が壊れてしまったこと。
 その状態を、「普通」にしてしまうなんて。

 三年生になってクラスも別々になり、向日葵と櫻子の距離感は、元に戻る余地すらも感じさせなくなってしまった。
 もう昔のように一緒に遊ぶことなどなくて、朝はバラバラに学校に行き、帰りも時間帯をずらして帰ってくる。
 それが「当たり前」になってしまったことに、花子や楓はずっと心を痛めていた。

 さらに厄介なことに、ふたりはお互いの “無視” さえも、ついにやめてしまった。
 互いの姿が視界に入らない時間が増えすぎたせいか。今はもう目が合えば「よっ」「あら櫻子」と挨拶を交わす程度にはなったらしい。
 関係の薄い多くの人たちにとって、それは一見仲直りともとれるものかもしれない。
 しかしふたりのことを間近で見てきた人にしてみれば……それはふたりの関係において、いまだかつてないほどの “悪化” でしかなかった。

 ある夜。
 どん、という音が隣の部屋から聞こえてきて、ベッドに無気力に寝転がっていた花子は思わず飛び起きた。
 櫻子の部屋のドアをそっと開けて、中の様子をおそるおそるうかがう。
 デスクライトだけがついている部屋の中で、櫻子が自分の髪をぐしゃぐしゃに掴んで机に突っ伏していた。

「さ、櫻子……?」
「うぅぅ……」
「ど、どうしたのっ。体調悪いの……?」
「わかんない……っ」
「え……」
「わかんない……わかんないわかんない……っ……!」

 自分を傷つけるかのように髪を掴んで身悶える姿を見て、慌てて駆け寄る花子。
 歯をぎりぎりと噛み締め、ふぅふぅと息を荒らげながら、櫻子は泣いていた。
 姉からもらった問題集には、ぼたぼたと大粒の涙が零れ落ちていた。

「できない……全然できないよぉ……」
「さ、櫻子、しっかり……!」
「……こんなんじゃ……こんなんじゃあ……!」

 とにかく落ち着かせなくてはいけないと思いながら、花子はその背中をさする。
 妹の介抱を受け、不安気な気持ちが体温を通して伝わったのか、櫻子の身体からはしゅんと力が抜けていき、そしてめそめそと息を整えながら「ごめん」と謝った。
 苦手な問題にぶちあたり、教科書を読み込んでもうまく理解ができず、まったくペンが動かなくなってしまった自分自身に嫌気が差し、思わず机を叩いてしまったようだ。
 今の大室家では、こんな光景が珍しくない。

 苦手な科目や難題だけじゃない。中だるみも体調不良も必死に乗り越えながら、櫻子は毎日毎日机に向かって戦っている。
 こんなことで大丈夫なのか、こんなことで受験までに間に合うのか、不安で押しつぶされそうになっている弱々しいその背中を、花子はもう何度も見てきた。
 そのたびにこうやって抱きしめて、小さく震える姉をなんとか落ち着かせているが、花子の胸の内にはいつもある懸念があった。

――櫻子はこんなにも頑張っている。
 けれど、櫻子がこのまま頑張り続けて、向日葵と同じ高校に行けたとして……そのときふたりは、元通りになれるのだろうか。
 こんなにも距離が離れてしまったふたりは、同じ高校に進んで、同じクラスになったとしたって……もう二度と昔のような関係性には戻れないのではないか。
 だとしたら……櫻子のこの努力には、一体何の意味があるのだろうか。

「今日はもう頑張りすぎだから。少し休んだ方がいいし……」
「……うん……」
「撫子おねえちゃんにも電話してみるから。わからないところは、また明日聞きながらやった方がいいし」

 しおしおと力を失っていく櫻子をベッドに寝かせ、おでこをそっと撫でてから部屋を出る。
 パタリと閉じたドアに背をもたれ、花子の目には、うるうると涙が溜まっていた。
 過去の贖罪のように努力し続ける櫻子を、もう見ていられなかった。

(櫻子が……こんなに頑張ってるのに……!)

 花子は静かに、我慢の限界を迎えていた。

 夕暮れが痛々しいほどに赤い、翌日の放課後。
 いつもどおりひとりで帰ってきた向日葵は、ちらと目線を動かしながら周囲に誰もいないことを確認し、家に入ろうとした。
 しかし、

「きゃっ!?」
「……」

 玄関の脇に隠れていた小さな人影を見つけ、思わず悲鳴をあげてしまった。
 そこには……ランドセルを背負ってうつむく花子がいた。

「は、花子ちゃん……?」
「久しぶり……ひま姉」
「ど、どうしたんですのこんなところで……」
「……話したいことがあったから、待ってたんだし。櫻子のことで」

 顔を伏せたまま、古谷家の玄関を塞ぐようにじりっと立ち尽くす花子。
 その声は怒っているような、悲しんでいるような……複雑な心情を孕んでいた。

「よ、呼んでくれれば、いつでも伺いましたのに……」
「……うそつき」
「えっ」
「今のひま姉が、うちに来るわけないし。櫻子だけじゃなくて、花子のことまで避けてるんだから」
「っ……」

 ぽつりと放たれたその言葉に、向日葵は胸を刺されるような思いがした。
 櫻子に会わないように家を出て、櫻子に会わないように家に戻る日々。
 その中で、できれば花子にも会わないようにと気を付けていたことを、向日葵はずっと後ろめたく思っていた。今もまさに、花子と偶然鉢合わせたりはしないかと気を付けていたところだった。
 当の本人にそれを指摘され……申し訳なさでその顔が見られなくなる。

「別にいいんだし、花子のことは」
「っ……」
「ひま姉にそんなことされたら悲しいけど……花子だったらべつに、いくら無視されたって、いくら嫌われたっていいし」
「……」

「でも……櫻子のことだけは……」

 ぽたり。

「櫻子のことを避けるのだけは……やめてあげてほしいし……」
「!」

 ぽた、ぽたり。

「櫻子は……ひま姉のために、がんばってるんだから……」
「は、花子ちゃん……」
「ずっとずっと、がんばってるんだからぁ……!」

 大きな目から、大粒の涙が地面に零れ落ちる。
 花子は肩を震わせ、膝から崩れ落ちそうになるほどの悲しみに耐えながら、向日葵に訴えた。
 向日葵は持っていたバッグを捨てて花子に駆け寄り、その小さな身体を抱きしめる。

「おねがいひま姉……櫻子のこと……嫌いにならないで……っ」
「っ……」

 向日葵の胸に泣き顔をうずめ、花子は心からの想いを弱々しく訴えた。
 櫻子だけでなく花子も、張り裂けそうになる胸の痛みに、ずっとずっと耐えてきたひとりだった。

――櫻子がばかなことをしたのは、本当に櫻子が悪いと思う。
 ひま姉がずっと手を差し伸べてたのに、ずっと素直になれなくて、ずっとずっとその気持ちを裏切ってきた。
 あんな風にふざけて0点の答案を見せびらかすような真似をして。
 本当に、本当にばかだった。

「でもね、櫻子はもう変わったんだよ……」

 あの冬の日からずっと抱えてる、ひま姉に謝りたいって気持ち。
 いくら声に出しても意味がないってわかって、その気持ちを伝えるには勉強するしかないんだってことにやっと気づいて。
 信じられないかもしれないけど、櫻子は変わったんだよ。
 ひま姉と一緒の高校に入るって目標を本気で目指して、毎日毎日、頑張ってるんだよ。
 楓に聞いて、知ってるでしょ。

「それなのに……なんでひま姉、櫻子のこと許してくれないの……」
「花子ちゃん……」
「なんでいつもひとりで学校行っちゃうの。なんでいつも逃げるように家の中に入っちゃうの。なんで櫻子のこと、ちゃんと見てあげないの……」

 たくさんの想いが詰まった熱い涙が、七森中の制服に染みこんでいく。
 向日葵の腕をぎゅっと掴みながら、花子はこれまでの思いの丈を訴えた。

 そこへ、

「何してるの、花子」
「っ!」

「どしたの……なんで泣いてるの、向日葵まで」
「さ、櫻子……」

 学校からちょうど帰ってきたところらしい櫻子が、優し気な目をして立っていた。

「そっちは向日葵んちでしょ。花子の家はこっちだよ」
「櫻子っ、花子は……櫻子とひま姉に仲直りしてほしくて……っ」
「仲直りって……べつにケンカしてないよ。私たち」
「そういうのじゃなくて……! また昔みたいに戻ってほしくて……!」

 櫻子は困ったように微笑みながら古谷家の門をくぐり、向日葵に抱かれている花子の手をするりととった。

「ほんとにケンカとかはしてないもん。ねえ?」
「え、ええ……」
「さ、ほら帰るよ。ごめんね向日葵も」
「櫻子……」

 櫻子は目も合わせないままに向日葵にそう告げると、花子の手を引いて自分の家に帰ろうとした。
 櫻子と向日葵が言葉を交わすところを見たのは何カ月ぶりだろう。花子はわけがわからないまま、やや強引に手を引かれていく。
 昨日はあんなに泣きながら勉強していたのに。毎日毎日ひま姉のことを思って頑張ってるのに。
 どうしてそんなに他人行儀に接するのか、花子にはわからなかった。

 向日葵には、黙ってそれを見送ることしかできない。
 楓もその様子を、家の中から心配そうに見つめていた。

 やっぱり、ふたりの関係はもう戻らないところまで壊れてしまったのだろうか。
 夜、やや腫れぼったい目を枕におしつけながら、花子はベッドに横になっていた。
 櫻子は今日も変わらずに勉強を続けている。それもこれも向日葵と一緒になるためのはずなのに、どうしてふたりは昔のような関係に戻ろうとしないのだろうか。
 櫻子のことも、向日葵のことも、もうわからない。
 これが大人になるということなのだろうかと、花子は小さくため息をついた。

 そんなことを考えている時、枕元のスマートフォンがメッセージを受け取った。
 ちらりと見えた送り主のアイコンが視界に入り、花子は大きく目を見開いてそれを手に取る。
 直接メッセージをもらうのは何カ月ぶりだろうか。送ってきたのはまさかの向日葵だった。

[まだ、起きてますか]
(ひ、ひま姉……っ)
[今日は本当に、ごめんなさい]

 ふと、夕方に向日葵に抱きしめられていた時の感触を思い出す。
 一方的に思いをまくしたててしまったが、「私からも伝えたいことがあります」という気持ちが、あの抱擁には込められていたような気がずっとしていた。

(ひま姉は……ちゃんとわかってくれてる……)

 花子は、向日葵に会えない間もずっと、向日葵のことを信じていた。
 櫻子が向日葵を裏切ってしまったとしても、向日葵が櫻子を裏切ることは絶対にないと、心の隅で頑なに思っていた。

[もしも花子ちゃんが良ければ、お話しませんか]

[玄関の鍵を開けておきますから]

 最後のメッセージが届くころにはもう、花子はこっそりと家を抜け出す準備を終えていた。
 櫻子に気付かれないよう、細心の注意を払って古谷家へと向かう。
 空には満月が煌々と輝いていて、夜だとは思えないほど明るいような気がした。

「花子ちゃんには、全部話しておかなきゃと思いまして」
「ひま姉……」

 明かりが小さく落とされた、薄暗い向日葵の部屋。そのベッドのへりに並んで座って、花子は向日葵の話を聞いた。
 パジャマ姿の向日葵はどこか昔よりも大人っぽい気がして、なんだかドキドキしてしまいそうなほど、綺麗だと思った。

「櫻子が勉強し始めたのって……去年の年末から、なんですのよね?」
「うん……」
「……私、すぐには気づけませんでしたわ。初めて知ったのは楓に教えられたときで……それを聞いても、しばらくはとても信じられなかった」
「……」

「その頃の私は……櫻子との関係を断ち切ろうとしていたんですわ」
「!」

 初めて向日葵の口から語られる、 “向日葵側” の真実。
 膝元に乗せられた花子の小さな手を両手で包みながら、向日葵はぽつぽつと打ち明けた。

「ずっとずっと、不安だったんですわ。私と櫻子は、中学を卒業したらどうなってしまうのかって」

 これからも一緒に同じ学校へ行けるのか。
 それとも、まったく違う学校へ進むのか。
 櫻子は、どちらの道を選ぶつもりなのか。

「私は……叶うことなら、一緒の学校に進学したいと思っていましたわ。でも、あの子の成績がいつまで経ってもそれに見合うものにならなくて……あの子には、私と一緒の学校に進むなんて選択肢は、最初からないのかもしれないって……」
「……」
「櫻子の気持ち……直接聞いてみればいいのに、そんなこともできなくて。どっちだろう、どっちなんだろうって、ずっと気にしていることしかできなくて。でもその答えを決定的に思い知らされたのが……あの冬休み前のことだったんです」

 あの日で、すべてが終わったような気がした。

――望みの薄い希望にいつまでも縋っていたのは、私ひとりだけだったんだ。
 心のどこかではなんとなくわかっていて、その現実を受け入れる準備だって、できていると思っていたのに。
 0点の答案を振り回す櫻子を前にしたとき、自分の中で何かが決壊してしまった。
 最初からそんな道なんてなかったのに、一方的に期待を寄せて、一方的にお節介を焼き続けて。
 何もかもが空回りしていたことに気付かされ、すべてがばからしくなってしまった。
 どんなにいがみ合うことがあっても、櫻子と自分の思いはいつでも一緒だなんて、小さいころと同じように信じていた自分の幼さが、笑けてくるくらいに悲しかった。

「そして……決めたんですわ。櫻子とお別れできるようになろうって」
「っ!」
「今から少しずつでも、あの子との距離を離して……高校に上がるころまでには、自然に “櫻子離れ” ができるようにならなきゃって、そう決心したんです」

 いつかは必ず訪れる、別れの時。
 その時がきても苦しくならないように、気持ちの整理をつけておく必要があった。
 そうでもしないと、きっと壊れてしまうから。
 櫻子はそのままどこかに行ってしまって、自分は暗いところに置いてきぼりにされて、もう自分ひとりでは動けなくなってしまいそうな気がしたから。

 だから、冬休みはほとんど家から出なかった。
 櫻子に会うのが怖かったから。
 年が明けてまた学校が始まるその時までに、櫻子のことを見ても泣かないようにならなきゃと、自分で自分の心に言い聞かせていた。
 そうして、ふたりの距離は “順調に” 離れていった。

「でもあるとき、楓から教えてもらいましたわ。櫻子が勉強を始めたと」
「!」
「それを聞いて私は……すぐには、とても信じられませんでした。もしかしたら、そういう嘘を楓に吹き込んだんじゃないかしらって、そんな嫌な想像をしてしまうくらい」

 もう、期待したくない。期待をすればするほど、後で傷つくのは自分なのだから。

「もう、櫻子の前であんなに泣いたりしたくなかった……だから、その後も私は変わらずにいようとしました」

 けれど、それだけの変化ともなれば、やっぱり自然と伝わってくるもので。
 櫻子と何も喋らなくても、櫻子を視界から外そうとしても、どうしたって肌で感じるほどにわかってしまうほどで。
――あの子が本当に変わり始めているなんてことは、すぐにわかっていたんですわ。

 向日葵のしっとりと落ち着いた言葉に耳を傾けながら、花子は「やっぱり」と目を細めた。
 櫻子のことを、ずっとずっと隣で見守ってきた向日葵が、気づかないはずがない。
 楓に教えられずとも、必ず気づいていたはず。櫻子の変化を……姉妹である自分や本人でさえ気づかないような些細な変化でさえ敏感に感じとれてしまうのが、本来の向日葵のはず。

「本当は、怖かったんですわ。また期待して、そして絶望して……同じことを繰り返すんじゃないかって。でも……そんな怖さと同時に、嬉しいという気持ちが湧き上がってくるのもまた……抑えられませんでした」

 内なる恐怖と、抑えられない期待。
 視界の端に物憂げな櫻子が映るたび、いつもより集中して授業を聞く華奢な背中が映るたび、その均衡は徐々に徐々に崩れていって。
 期待はそのまま膨らみ続け、いつの間にかまた、胸の中で希望の種が芽を出し始めていた。

 そんなある日、放課後の教室に、櫻子がひとりで残っているのを見つけてしまった。

「あれは……2月の終わりくらいでしたか」

 問題集を広げて、授業中にとったノートを見返して、せっせとペンを動かしていた。
 私にとっては見慣れない姿。でも、ずっとずっと見ていたくなるような、そんな懐かしい背中。

 気付けば、その隣に立って。
「櫻子」って、名前を呼んでいる自分がいた。

 私のことはとっくに帰ったと思っていたんでしょう。
 櫻子は驚いたようにまんまるに目を見開いて、こちらを見上げて。
 こんなにしっかりと目が合ったのは何日ぶりだろうってくらい、ずっとずっと見つめ合っていた。

 かけたい言葉はたくさんあるはずなのに、何を言っていいかわからなくて。
「わからないところとか、ありませんの」って……そんなつまらないことしか言えなかった。
 でもそれだけで、心が満たされていくのを感じた。
 愛しい気持ちが……湧き上がって抑えられなかった。

「でも……あの子の胸の内は、私と同じではありませんでしたわ」

 手を伸ばして櫻子の頭に触れようとしたとき、櫻子は突然がたりと椅子を引いて、わずかに距離をとった。
 その目は申し訳なさそうに虚空を見つめていて、ゆらゆらと揺らめいていた。

「……めて」
「え……」
「やめてよ……」

「櫻子……どうして……」
「やなんだよ……もう、優しくしないでよ……」

 首を振りながら不安気な声を絞り出すと、櫻子は突然立ち上がって問題集やらペンやらをひっつかみ、乱暴にカバンにしまった。
 呆気にとられている向日葵は、身動きが取れなくなる。
 それでも、荷物をしまい終わった櫻子が教室を出ていこうとするときには、無意識にその腕をつかんでいた。

「櫻子っ」
「やめてってば!」
「どうして……!」
「嫌なのっ!!」
「!」

 櫻子は向日葵の手を乱暴にふりほどき、肩を震わせながら息を整えていた。

「もう……嫌なの。向日葵のこと……裏切るの……っ」
「え……」
「私に優しくしないで……私を甘やかしたりしないでよ……」

 ふるふると首を振り、自分に言い聞かせるように小さく呟きながら、うつむきがちに教室を出ていく。
 うすら寒い廊下へと消えていく小さな背中を、向日葵はただ見送ることしかできなかった。

 しばしの静寂ののち、櫻子のいなくなった机を指先でつっとなぞる。
 言葉の意味はうまくわからなくても、櫻子の気持ちは痛いほどに伝わってきた。
 期待に応えられないかもしれないことに、これ以上裏切りを重ねてしまうことに、櫻子は恐怖していた。
 けれどその中に、もうこれ以上傷付けたくないという “優しさ” のようなものを、向日葵は感じずにはいられなかった。

 そして、翌日。
 生徒会室で事務仕事をしていると、突然ドアががらりと開いた。
 入口に立ち尽くしていたのは、自分があげたマフラーに鼻先まで顔をうずめてうつむく櫻子だった。
 その手には、紙が一枚握られている。
 それは……七森中生徒会からの、退会届だった。

「ごめん、向日葵」
「櫻子……」
「私……もう、ここには来ない」
「……」
「今までずっとさぼっててごめん。今までずっと、押し付けちゃっててごめん」

 深々と頭を下げ、櫻子はそのまま踵を返し、生徒会室を後にした。

 あの冬休み前の日からずっと、櫻子は生徒会に来ていなかった。
 こんなものを出さなくても、もう櫻子は来てくれないだろうということは、薄々わかっていた。
 最近では後輩も、「大室先輩はどうしたんですか」と聞いてくることはなくなっていた。
 それでも、こんな紙を出してきたのは、なぜなのか。

「あの子は本当に……怖いんでしょう」

 自分の努力が実を結ばないことが。このまま勉強を続けても、一緒の高校に受からなかったときのことが。

(私を……もう一度裏切ってしまうことが)

 やや折り目の付いた、かさついた紙を撫でると、櫻子の気持ちが伝わってくるようだった。
 期待に応えられない可能性があるから、期待してほしくない。
 もう自分には、結果を出す以外ない。

 櫻子のことを遠ざけようとしていたとき、櫻子の方も自分から遠ざかっていこうとしていた理由が、やっとわかった。
 その方が、都合がよかったのだ。
 私が近くにいると、あの子は困るのだ。

 花子は、今も薄暗い部屋で勉強を続ける櫻子のことを思いながら、向日葵の言葉に耳を傾けた。
 ずっと見えてこなかった向日葵の思惑が、ずっと不思議に思っていた櫻子のすべての行動が、腑に落ちていくような気がした。
 今のこの状況が、なるべくしてなったどうしようもない現実だということが、やっとわかった。

「だから私は決めましたわ。あの子のしたいようにさせてあげようって」
「……」
「受験結果の出るそのときまで、あの子が自分を律するためにとる方法がそれなのだとしたら……そのとおりにしてあげたいって、思ったんです」

 櫻子の気持ちを尊重する。
 あの子のために、なるべく静かにしていよう。
 あの子の邪魔にならないように、遠くから遠くから配慮してあげよう。
 向日葵が今も櫻子から距離を取り続けている理由は、それだった。

「そうこうしていたら、いつの間にか三年生になって……とうとうクラスまで別になってしまって。でもよかったのかもしれませんわ。あの子の歩くスピードは落ちていないようですから……きっとそれが答えなんでしょう」
「……そうかもしれないし」
「ごめんなさいね……花子ちゃんからしてみれば……私のことはずっと、冷たく映っていましたわよね」
「っ……」
「櫻子になるべく関わらないようにしなきゃって……そのためには、花子ちゃんに会ったりするのも控えなきゃって、思ってました。本当にごめんなさい」
「……いいんだし、そんなことは」

「でも私は……本当は今もずっと、あの子のことばかり考えてしまっているんですわ」
「わかってる……」
「ふふっ。ばかみたいに思うかもしれませんけど……本当に、あの子のことばかり」

 花子の髪を優しく撫でながら、向日葵は自虐気味に笑った。
 やっぱり向日葵は、いつまでも自分の知っている向日葵だった。花子は向日葵の左肩にぽすんと体重を預けた。

――ああ、この人は本当に櫻子のことが好きなんだ。
 櫻子のことが大切で仕方なくて、いつだって櫻子のことを想ってくれていて。
 こんなに距離をとっているように見せかけても、本当は気になって気になって仕方ないんだ。

「退会届については、正式に受理してませんわ。だからあの子は今でも、うちの生徒会の一員です」
「えっ……」
「もともとあの子がいなくても、普通に回ってるような組織ですし。それにあの子のぶんの仕事をしていると、私もなんだか落ち着くんですわ。櫻子のためにしてあげられることが、まだあるんだって思えて」

 放課後の生徒会室は、今は自分にとっての仕事部屋兼、勉強部屋兼、「櫻子との帰宅時間をずらすための待合室」。
 そしてあの部屋が一番、櫻子のことをこっそりと感じていられる場所だった。

「……花子ちゃんに、お願いがあるんです」
「おねがい?」
「櫻子のこと……これからも支えてあげてほしいんですわ」
「……!」
「あの子がここまで頑張れてるのは、どう考えても、花子ちゃんや撫子さんのサポートがあってのことでしょう。それをもう少しだけ、続けてあげてほしいんです」

 もう私では、できることは限られているから。
 私が手を差し伸べることを、あの子は望んでいないから。
 代わりに、 “今の櫻子” に一番近い人に。

「これからもずっと……見守ってあげてほしいんですわ。あの子のこと」
「ひま姉……」
「今日、花子ちゃんがうちに来てくれて……花子ちゃんが櫻子のためにここまでしてくれる子なんだってわかって、なんだか本当に嬉しかったんですわ」
「う……うぅっ……」
「だから、花子ちゃんにだけは私の気持ちを伝えなきゃって思って……思わずお呼びしてしまいました。ごめんなさい、とりとめもなく長話をしてしまって」
「いいし……いいんだし」
「ふふっ、櫻子は本当に幸せ者ですわね……こんなに可愛い妹さんをもって。こんなに素晴らしい家族に恵まれて」

 向日葵は体重を預けてくる花子を抱きしめたまま、ぽすんとベッドに倒れた。
 その目頭にきらきらとした雫が光っているのを、花子は指を伸ばして掬いとる。
 こんなに温かい涙を流してくれる人が、櫻子にはいるんだ。
 この人はきっといつまでも、櫻子のことを待ち続けてくれるんだ。

「……花子にどれだけのことができるか、わかんないけど」
「……」
「櫻子がしぼんじゃわないように……がんばってみる」
「……ありがとうございます、花子ちゃん」

 櫻子のために、向日葵のために、今の自分にしかできない役目があるということが、花子には嬉しかった。
 けれど、

(でも……やっぱり)

 そんな気持ちとはべつに、ふたりに対して思うところがある。

(やっぱり……ふたりには、一緒にいてほしいし)

 コツコツと努力を続ける櫻子もかっこいいけど。
 やっぱり、ひま姉とツンツン突っぱね合ってる姿の方が、元気そうに見えるから――。

 花子は柔らかい胸に抱かれながら、向日葵の成分を身体いっぱいに補充して、
 そして家に帰って机に向かっている櫻子の背中を抱きしめ、その成分をいっぱい送り込んだ。

 櫻子は突然の愛情深いハグに困惑したが、黙ってその温かみを受け入れる。
 花子に心配をかけてしまっていることは、櫻子も重々承知していた。
 それこそ、勝手に向日葵を待ち伏せて、勝手に思いの丈をぶつけてしまうくらい。
 当人同士よりも気持ちが高ぶってしまうほど感受性が高すぎる妹が、可愛くて仕方なかった。
 
「もう……しょうがないなー花子は」

 櫻子はペンを置き、そのまま花子を抱っこしてベッドに運び、自分も横になった。
 撫子が家を出てからというもの、一緒のベッドで眠る回数が増えていることは、ふたりだけの秘密だった。

 春が過ぎ、一学期が終わり、中学生活最後の夏休み。
 姉妹の手厚いサポートもあり、そして何より固い決意で努力をし続け、櫻子の成績は着実に上がっていた。

 返ってきた答案用紙を、目を背けるようにバッグにしまう櫻子はもういない。
 代わりに、クラスの平均点を上回る点数が増えてきたテスト結果を、嬉々として花子に見せつける櫻子がそこにいた。
 それでもまだまだ、向日葵と同じ志望校を目指すレベルには達していない。
 この夏休みにどれだけ頑張れるかがカギになる。櫻子自身もそれはよくわかっていた。

 クーラーをつけているのに、窓からじりじりと暑さがしみ込んでくるような気がする、昼間の大室家のリビング。そこには今日も、早々に宿題に手を付ける花子と櫻子が、さらさらとペンを動かしていた。
 難問につまずいたり、不安定な精神状態になるときもあるけれど、櫻子は自分なりのスピードで着実に歩みを進め続けている。
 その横顔をみるたびに、高校時代の撫子と一緒にここで宿題をしてきたときのことを、花子は思い出す。
 本当にいつのまにか、櫻子も同じ顔をするようになっていた。

 花子はふと鉛筆を置き、背中にあるソファにぽすんと身体をあずけて天井を見つめる。
 櫻子は問題集に目を落としたまま言った。

「集中力切れちゃったの?」
「……んーん」
「がんばれがんばれ、ほらっ」
「ふふっ、櫻子にそんなこと言われるなんて……」
「もたもたしてると私の方が早く宿題終わっちゃうぞ? そんなの屈辱でしょ」
「いーし、べつに」

 ひま姉のぶんまで櫻子を支える――向日葵とそう約束したあの日から、櫻子の努力をそばで見守り続けてきた花子。
 その小さな胸の中で、このごろ心境の変化が起こりつつあった。

 撫子サンタに参考書や問題集をもらったあの日から半年。櫻子は姉のアドバイスどおり、よれよれになるくらい繰り返しやりこんでいる。
 そして、実際の受験があるという日までは、ここからもう半年。
 このぶんなら、櫻子は絶対大丈夫だ。
 櫻子自身はまだまだ不安を抱えているようだが、花子はすでにそう確信していた。
――櫻子は、好きな人のためなら、こんなにも頑張れる人なんだ。
 花子が知らなかっただけで、本当は最初からそういう部分を持ってたんだ。

 難しい問題を乗り越えたのか、よしと小さく呟いて解答集をぱたりと閉じた櫻子が、麦茶の入ったグラスをくっと飲み干す。
 氷がからりと音を立て、そしてグラスをとんと机に置いて、また問題集に向き直る。花子はほとんど無意識に麦茶のピッチャーに手を伸ばし、櫻子のグラスにおかわりを注いだ。

――櫻子のこの頑張りようを、やっぱりひま姉にも見せてあげたい。
 花子はこの頃、ずっとそんなことを思っていた。

 向日葵と同じ高校に進学するという目標のため、脇目もふらずに頑張り続ける櫻子。
 向日葵に余計な期待を背負わせぬよう、わざと距離をとって。そして向日葵もまたその想いをくみ取り、櫻子にあまり干渉しないよう気を付けて。
 そんなふたりの様子を第三者目線で見守り続ける花子は、ふたりのぎこちない関係に、やっぱりもどかしさを抱いていた。

 櫻子がひとりで怖がっているだけで、今の櫻子が向日葵を裏切るような真似をすることは、もうないだろう。
 向日葵にいくら期待されたって、それを飲み込んだ上で結果を出すことが、今の櫻子にだったらもうできるはずだ。
 こうして櫻子の努力を隣で見守る役目は、本当は向日葵がやるべきこと。
 誰よりも櫻子の考え方を理解していて、櫻子に適格なアドバイスを出せる向日葵が隣にいた方が、 “夢” が叶う確率も上がるはず。目指している道は同じなのだから、二人で手をとりあって頑張っていけばいい。
 また昔みたいに、一緒にいればいい。
 だってふたりは、本当は今すぐにでも一緒にいたいと思い合っているのだから。
 今までで一番よかったという成績表を嬉しそうに見せてくる櫻子の笑顔を見るたび、それを独り占めしている自分の幸せさが、向日葵に対してなんだか申し訳ない。花子はそう思っていた。

(……)

 どうにかして、櫻子と向日葵を元に戻せないだろうか。
 お互いのことを想いながら過ごすこれからの半年は、あまりにも永すぎる。ふたりの胸の内を想像している花子の方が、思わず参ってしまいそうになるほど。
 本当は今すぐにでも向日葵をひっぱって連れてきて、櫻子に押し付けてやりたいほどだ。

 だが、ここまでこじれてしまった以上、半端なことではふたりは元に戻れない。
 もっとふさわしい場所で、もっと時間をかけて、一度ふたりきりになったりして、この半年間の想いの「すり合わせ」をしなくては。
 そんな舞台を作ることはできないものかと、夏休み前からずっと悩んでいた。

 そんなとき、花子はある人たちと偶然街中で出会った。
 その人たちは、今の花子と同じことをずっと思っていたという。
 ふとした雑談からそんな話題になり、お互いに抱える悩みがあまりにも同じすぎて意気投合してしまい、思わず夕方まで話し込んでしまうほどだった。
 もふもふ髪のおねえさんと、おだんご頭のおねえさん。
 その日をきっかけに、花子がそのふたりと繋がっていることを、櫻子も向日葵もまだ知らない。
 今もこうして目の前で、別のクラスになってしまったふたりからのメッセージが花子のスマホに届いていることを、櫻子は知らない。

 花子のスマホが小さく震えて、またメッセージを受け取る。こっそりとロック画面を解除し、その文面を見つめる。
 作戦を決行するときが、来たようだ。

「……櫻子」
「んー?」
「撫子おねえちゃん、明日帰ってくるって」
「へーそうなんだ。ちょっと久しぶりじゃん」
「それで……なんか、温泉でも行こうかってさ」
「え?」
「夏休みだし、久しぶりに旅行でもどうって。櫻子も根つめてずっとがんばってるから、一泊くらいいいんじゃないのって言ってるし」
「なんだ、ねーちゃんからメッセージ来てたの」

 先ほどからスマホを震わせているメッセージの主は、べつに撫子ではない。
 撫子はすでに作戦の内容を知っていて、そして協力を申し出てくれている。下宿先から明日帰ってくるというのは本当だし、旅行を計画する当事者であるというのも本当だが。

「どう?」
「えー……でも、勉強しなきゃ」
「わかってるって。空いてる時間は旅館の部屋で勉強しててもいいから行こうって、言ってくれてるし」
「……」

「櫻子のこと、心配してるんだよ撫子おねえちゃんは。本当に、ずっとがんばってるから……」
「んー……」
「たまにはどこか出かけて息抜きした方がいいって……花子も思うし」
「!」

 花子は少しだけ目を伏せて、寂し気な雰囲気を出しながら、櫻子にそう伝えた。
 櫻子が何かを感じ取ってくれたって、見なくてもわかる。

――ごめんね、櫻子。こんな演技までして。
 花子が寂しそうにすれば、櫻子は付き合ってくれるって……わかってて、やってるんだよ。

「……一泊か」
「うん」
「それくらいなら……ま、いいか」
「!」

「確かに、夏休みだしね。撫子ねーちゃんも帰ってくるし、久しぶりに家族でどこか行くのもありだよね」
「そ、そうだし」
「よし、そうと決まったら気合入れてもっと宿題片づけなきゃねっ。いつ行くとか決まったらまた教えてよ」
「……うん、ありがと」

 櫻子は「よーし」と姿勢を直してまた問題集に向き直り、いっそう集中してペンを走らせ始めた。
 花子は下宿先の姉にメッセージを送るふりをして、こっそりと繋がっている「あの人たち」に報告する。

 “こっち” も、うまくいきました。
 あとは、その日が来るのを待つだけ。

――――――
――――
――

「ねー、どこにいるの!?」
『今飲み物買ってるから。すぐ行くよ』
「早くしなよ、もう電車来るよ!?」
『大丈夫だって。っていうか櫻子こそ、ホームの位置間違えてないよね』
「間違えてないし、もうとっくについてるんだけど!」

 数日が経ち、旅行の日がやってきた。
 大きな駅で電車に乗って、目的の温泉街へ。久しぶりの、姉妹だけのお出かけ。
 勉強道具と着替えだけをバッグに用意してきた櫻子は、駅のホームで撫子に電話をかけていた。まもなく電車が来るというアナウンスが鳴ったのに、飲み物を買いに行ったらしい花子と撫子が戻ってこないことに焦っている。

「わー、電車来ちゃったよ! どうすんの!?」
『乗って乗って。私たちも近いところから乗るから』
「ほんとに!? 乗っていいの!?」
『乗って。後ろの方の車両にいるからさ、こっちきて合流しよ』
「も~!」

 出発からいきなりトラブルになりかけていることにハラハラしながら通話をきり、電車に乗る櫻子。
 花子と撫子はその様子を、少し離れた階段の陰からこっそり見守っていた。

「……よし、櫻子乗ったよ。花子、向こうの様子はどう?」
「大丈夫、向こうも乗ったって」
「OK、うまくいきそうだね」

 ~

「まったくもう、ねーちゃんと花子はしょうがないんだから……!」

 ごとごと揺れる電車内を気を付けながら歩き、先頭から後方の車両を目指す櫻子。
 旅行のプランやスケジュールに関することはすべて姉と妹に任せたものの、出だしからこんなことで今回の旅行は大丈夫なのかと不安になる。
 つり革や手すりを経由しながら、少しずつ少しずつ後ろの方へ。
 そして、後方の車両へと繋がるドアを開けたとき、ちょうど向こうにも同じように、ドアに手をかけていた人がいた。

「きゃっ」
「あ、すみま…………」

「えっ」
「え」

 それは両者にとって、まったく予想だにしていなかった人物。
 こんなところで出会うはずがない。こんな日にこんなところで、偶然に会うなんて。

「さ、櫻子!?」
「向日葵……っ!?」

 大室櫻子、古谷向日葵、中学三年の夏。
 涼しげな格好に身を包み、旅行の荷物を持ったふたりは、お互いの顔を見つめ合ったまま、電車の連結部分にしばらく立ち尽くしていた。
 ふたりとも、お互いの顔を見るのは終業式以来だった。
 その日だって、べつに直接話をしたわけじゃなくて、お互いに遠くからその姿を確認しただけのことで。
 こうして身近な距離で見つめ合うのは、一体どれくらいぶりのことだろうか。

「な、なんでこんなとこにいるんですの……?」
「そ、そっちこそ!」
「え……ま、まさかっ」

 何かがおかしいと先に気づいたのは、向日葵の方。
 周囲の視線を気にしてとりあえずドアを閉じ、櫻子を傍らに待機させたまま大慌てでスマホを取り出す。
 どういうことなのかと問い詰めるLINEをふたりの友人に送ると……一瞬で既読がついた。
 返信が返ってくるまでもなく、はめられたことに気付く。

「櫻子……あなた、どこか行く予定?」
「どこって……ねーちゃんと花子と一緒に、温泉に……」
「や、やっぱり!」
「え、なに……?」

 向日葵は何かを思い出し、ふたりのクラスメイトにあらかじめ渡されていた可愛らしい封筒を取り出す。
 封を開けると、そこにはこれから向かう温泉旅館の宿泊券が、 “2枚だけ” 入っていた。

「あーっ、ここ! ここ行くって言ってた、花子たち!」
「……」
「え、なんで向日葵もこの券持ってるの……? 向日葵も行くの……?」
「私たち……だけですわよ」
「は?」

 向日葵の持っていた封筒から、小さな紙がひらりと舞い落ちる。
 櫻子はそれを拾い上げると、そこに書かれている文章の突飛さに、思わず声をあげそうになった。

[ふたりで久しぶりにゆっくり過ごしてネ♪ ちなつ]

[ひま姉、櫻子をよろしくお願いします 花子]

「な、なにこれ!? なんで花子とちなつちゃんが!?」
「やられましたわ……」

 動揺するふたりを乗せた電車は、ごとごとと進んでいく。
 ふたりきりの温泉旅行が、始まる。

 向日葵に事情を説明され、妹たちとLINEでメッセージを交わし、さすがの櫻子にもようやく事態が飲み込めてきた。

――自分と向日葵を、ふたりきりで温泉旅行に行かせる。
 そのために花子と撫子、そしてちなつとあかりが、グルになって動いていたのだ。

 乗り換え予定の駅でひとまず降りたふたりは、所在なさげにホームに立ち尽くす。
 櫻子は、ここ最近の花子の様子がどこかおかしかったことに思いを馳せていた。

 向日葵との関係を「元に戻そう」としたがるような妹の雰囲気は、どことなく感じていた。
 向日葵の話を持ち出す頻度が昔より明らかに増え、「今ごろひま姉どうしてるかな」などと、こちらに意識させるように話すことが確かに多かった。
 なんならもう、ソファでごろごろしながら「やっぱりひま姉に勉強見てもらいなよ」などと言ってきていた。

 同じようなことは向日葵にも思い当たるフシがあった。ちなつとあかりとは今も同じクラスなので、当然話をする機会は毎日のようにあるのだが、櫻子の話を持ち出すことが急に多くなっていた。
 まさかここまでの強硬手段に打ってくるとは、さすがに思わなかったが。

「……どうしますの、櫻子」
「え……」
「今ならまだ、戻ろうと思えば戻れますけど」
「……」

 向日葵の隣に立ち、ホームでぱたぱたと生暖かい風を受ける櫻子。
 突然こんなことに巻き込まれて、了解もなくこんなことをされて、少し腹が立っていたのは事実だった。
 けれど、ここ最近ずっと、向日葵のことが気になっている自分もいた。

 学校にいる間はお互いの姿くらいは確認できる。「今も元気そうにしている」ということくらいは、廊下から遠目に見るだけでも確認できる。
 けれど夏休みに入って会う回数が一切なくなると、途端に自分の中で向日葵の顔が思い浮かぶ頻度が増えていた。
 花子の言葉を受けて、「確かに今頃なにしてるんだろう」と気になって、ぼーっとベッドに寝転がってしまう時間が増えていた。
 その向日葵が、今は隣にいる。

 自分も背が大きくなったと周囲から言われることが増えていたけど、久しぶりに間近で見る向日葵も昔より大きくなっているような気がした。
 背だけじゃない。雰囲気もどこか大人っぽくなっているような気がして、「今の向日葵ってこんな感じなんだ」と思う感覚が、むずがゆくも嬉しかった。

「あなたは……あんまり行きたくないんじゃない?」
「え……」
「ほら、本当は忙しいんでしょうし……そのバッグも、勉強道具とか入ってるみたいですし」

 宿泊券の入った封筒をもじもじと手でいじりながら、ぽつりとつぶやく向日葵。
 親しい人物に騙されたという境遇は同じだったが、向日葵の行動原理が変わることはない。
 櫻子のしたいようにさせてあげる。ただそれだけだった。

 櫻子が帰りたいなら、一緒に帰る。無茶な計画を立てた友人たちを少しだけ怒って、そしてまたいつも通りの日常に戻る。
 でももし、櫻子がこのまま旅行に行きたいと言うのなら、一緒にそれに付き合う。
 根をつめて頑張っている櫻子が気分転換できるまで……櫻子が満足するまで、一緒にいてあげる。ただそれだけ。
 選択権は、櫻子にある。
 けれど、 “自分自身の本心” というものは、意志とは関係なしに……言葉の端々や所作にどうしようもなく滲み出てしまっていて。
 櫻子もそれに気づかないほど、もう子どもではなかった。

(向日葵は、一緒に行きたいんだ……)
「……」

(私と……一緒に)

 ふっと一息ついてから、足元に置いた荷物を背負い直して、櫻子はわざとらしく大きな伸びをした。
 向日葵が顔をあげ、その様子を見つめる。

「次、何番線のればいいの?」
「えっ?」
「せっかくここまで来たんだしさ。行こうよ、温泉」

 そう言われた向日葵の瞳が嬉しそうにぱあっと煌めいたのを、櫻子は確かに見てしまった。
 ずっと昔から……幼稚園に通っていたころから、向日葵が嬉しそうにするときの目は変わらない。

「私、ねーちゃんと花子に任せっきりだったから、旅館の場所とかもわかんないよ。だから向日葵教えて」
「ええ、大丈夫ですわ」

 違う路線へと乗り換えるため、荷物を持って歩き出す櫻子。
 向日葵はやや小走り気味に、その隣を着いていった。
 こうやって並んで歩くのは、本当に半年以上ぶりのことで。
 その歩幅も、風に乗ってわずかに香る髪の匂いも、何もかもが懐かしくて、そして嬉しかった。

 女子中学生がふたりだけで宿泊施設に泊まれるものなのか。
 内心疑問に思いながらチェックインの手続きをする向日葵を後ろから見ていたが、特に何かを聞かれることもなく普通に部屋まで通された。
 向日葵に大人っぽい落ち着きがあるからだろうか。櫻子は少しだけ唇を尖らせた。
 用意されていた部屋は驚くほどいい場所で、櫻子は思わずきょろきょろと見渡してしまい、「恥ずかしいですわ」と向日葵にたしなめられた。少し若めの女将がいそいそとお茶を淹れながら、館内や周辺施設の説明をする。
 夕食の時間などについて一通り決め、しずしずと女将が出ていくと、ようやく一息つけそうな時間が訪れた。

「あら、眺めもすごいですわ。ほら櫻子」
「うわ……」

 向日葵が窓辺の明かり障子をすっと開け、座っている櫻子に手招きする。温泉街の街並みがやや高所から一望できるロケーションに、思わず櫻子の口からも声が漏れた。
 値段のことはあまり気にしていなかったが、ひょっとしてすごく高いところなんじゃないだろうか。
 午後の落ち着いた雰囲気の温泉街を、浴衣姿の観光客たちがほどほどに行き交い、賑わいを見せている。
 少しだけ胸が高鳴る一方で、こんなことをしている場合じゃないと、櫻子は我に返った。

 部屋の中へと戻り、持ってきたバッグから勉強道具を取り出す。
 女将の淹れたまだ熱いお茶を急いで飲み干して片づけ、ちゃぶ台の上に問題集を広げた。
 向日葵の視線を感じる中、ややぎこちなく問題を解き始める。
 向日葵の前で勉強をするのには少しだけ抵抗があったが、かといって呑気に遊んでいる姿を見せるわけにはいかなかった。

「……」
「……」

 しばらくして向日葵の方を見ると、ローテーブルと一人用のソファが置いてある窓際の謎スペースに座り、お茶を飲みながら外を眺めていた。
 その横顔が綺麗で少しだけ見惚れてしまい、ぶんぶんと首を振って問題集に向き直る。
 向こうはこっちを気にしてなさそうなのに、こっちが向こうのことばかり気になってしまうのが、ちょっとだけ悔しかった。

「……外、行ってくれば」
「?」
「私のことはいいからさ。街の方行ってくればいいじゃん。もったいないよ」
「……いえ、いいですわ。私はここで」
「……」

 何がいいのかはわからないが、そう言われてしまうと言葉が続かない。櫻子はまた問題集に向き直る。

 その後しばらく目の前の問題に打ち込んでいたが、いつもの三割ほども集中できておらず、言い様のないもどかしさを櫻子は感じていた。
 もともとこんな勉強は、ふたりきりの空間で静かにしていては気まずくて間が持たないから、逃げ場を作るために始めたようなものだった。
 けれど、窓際に座る向日葵だけはなぜか妙に落ち着き払っていて。
 部屋に置いてあった観光地情報の資料をゆっくり読み込んだり、また目を細めて外の景色を眺めたりしていた。

 その表情は平静を装っているようだが、どことなく寂し気で、物憂げで。
「今ならまだ、戻ろうと思えば戻れますけど」と言っていた、あの乗り換え駅での姿と重なって、胸の奥がちくんと痛んだ。

「これが終わったら……」
「?」
「これが終わったら……どこか行こうか」
「……いいんですの?」
「いいよ、べつに」
「わかりましたわ」

 返答の声色だけで、向日葵が少しだけ嬉しそうになってくれたことがわかる。
 どんどん大人っぽくなっていくくせに、そういうところだけはまだまだ子どもっぽい。
 櫻子は適当に目処をつけ、このページまではやってしまおうと自分の中で決めてから、カリカリとペンを動かした。

 ふたりきりの空間。ふたりきりの時間。
 聞こえるのは外の遠い喧騒と、もくもくと動くペンの音と、向日葵がお茶をすする音だけ。
 シチュエーションはまったく違うけれど、自分の部屋で向日葵とふたりきりで勉強をしていたときの雰囲気を、櫻子は少しだけ思い出せた。

「……ねえ」
「なに?」
「わからないことがあったら聞きなさいねとか……言わないの?」
「あら、そう言われるのが嫌なのかと思ってましたわ」
「……嫌だけど」
「でしょう。だから私は何も言いませんわ」
「……ふん」

「私は何も言いません。あなたの重荷になるような……応援とかも、べつにする気はありません」
「……」
「何も言いませんけど……でも、見ているくらいはいいですわよね? 今日くらい」
「……向日葵がそうしたいなら、どうぞ」
「ふふっ」

 静寂とゆるやかな時間の流れの中で、何かがほつれるように解けていく。
 きっとこれは、この半年の間にお互いの間に凝り固まってできた “何か” 。
 何をするでもなく、ただ静かに一緒にいるだけで、それは少しずつ少しずつ、しかし着実に壊れていくようだった。

 やがて、自分で決めたところまで問題を解き終わり、解答解説を見ながら知識を定着させていくプロセスも終わったころ。
 向日葵の髪をぽうっと透き通らせていた外の陽光は、いつの間にかオレンジ色の夕焼けになっていて。
 その視線に気づいたように、向日葵も櫻子の方に振り返った。

「終わりました?」
「……ん」
「じゃあ、ちょっと散策に出ましょうか」

 向日葵は嬉しそうな声色を隠そうともせず、外に出る支度を始めた。
 そんなに行きたかったのなら、やっぱり自分を置いて出かけてくればよかったのにと櫻子は言いたくなったが、その言葉は胸の内に収めておく。
 出かけたい気持ちはあるけれど、ひとりで行くのは、嫌だったんだ。

「じゃ、行きましょう」
「ん」

 温泉街をしばらく散策して、部屋に戻り。
 びっくりするくらい豪華だった夕食を部屋で済ませ、ふたりは温泉へ向かった。

 少しずつ少しずつだけど、ふたりの間に言葉数が増えていく。
 必要に応じてする会話だけではない、雑談などが増えていく。
 ちょっとずつちょっとずつ、ふたりの「昔の雰囲気」を取り戻していく。

 露天風呂に出ると、もう月が顔を出していて。
 ふたりで月を見ながらまったりと湯につかり、今のお互いのクラスメイトの話などを、ぽつぽつと語り合った。
 会話の内容は本当にとりとめもないものだったが、その言葉のひとつひとつには、お互いの気持ちが乗っていた。
 この半年の間に募っていた想い。ずっとお互いを意識しないように気を付けながら、その中でどうしようもなく生まれていた想い。
 その気持ちを言葉に乗せて交換し合ううちに、お互いの距離が少しずつ少しずつ戻っていくような気がして。
 やっぱり、来てよかったのかもしれないと、櫻子も思い始めていた。

 のぼせないうちに風呂から上がり、浴衣に着替えて部屋に戻る。
 櫻子はまた勉強を始め、向日葵は自分の定位置と化した窓際のソファに腰を下ろした。
 もう、ふたりの間に静寂があってもあまり気にならない。
 だから櫻子は、自分の中の気持ちに向き合いながら、向日葵にかける言葉をゆっくりと探した。

「ひ、向日葵」
「はい?」
「……ごめんね、ほんと」
「なにがですの?」
「あのとき……0点とって」
「!」

 去年の冬休み前……すべてが始まったあの日の出来事。
 櫻子は、あの日からずっと、心の中で悔やみ続けていた。

『あなたが自分で勉強しない道を選んで、あなたが自分で0点をとって……それでなんで私に謝るんですの』

 あのときの向日葵の言葉は、今も胸に刺さったまま、抜けていない。
 その棘を、一生背負っていかなければいけない咎として見つめ、もう二度と同じ過ちを繰り返すまいという決意に変えて、櫻子はここまで頑張り続けていた。

 あのときの向日葵の泣き顔。あのときの向日葵の悲し気な声。それを思い出すたびに怖くなる。
 あの日のことを本当に許してもらうには……実際の受験で一緒に合格するしかない。
 そのときまで、自分には向日葵と仲良く話す資格なんかないんだと、そう思い込んでいた。

 だから本当は、今のこの謝罪の言葉にも意味はない。
 今いくら言葉を重ねて謝ったところで、実際の本番で落ちてしまえば、何の意味もないのだから。
 それどころか、また向日葵を期待させてしまって、また向日葵を裏切ってしまうことに繋がってしまうかもしれない。
 それでも櫻子は……やっぱりどうしても、向日葵にこのことを謝りたかった。

 弱々しい声で謝ってきた櫻子の視線を感じながら、向日葵は目を閉じて、湯呑に小さく口をつける。
 そして、温泉街の夜景を見下ろしつつ、優しく言った。

「そんなの……」
「……」
「そんな昔のこと、もう忘れましたわ」
「……ええっ!?」

 櫻子が素っ頓狂な声を上げて膝立ちになる。向日葵はその反応に思わず微笑みながら、また湯呑を傾けて表情を隠した。

「忘れたって……そんなのアリなの!?」
「だって忘れちゃったんですもの。もう半年も前のことじゃない」
「でも、向日葵すごい怒ってたじゃん! あんなに泣いてたじゃん!」
「いいんですのよ、過去のことは」
「え……」
「今のあなたなら、もうあんな点数は二度と取らないでしょう。それだけで十分なんですわ」

 呆然としている櫻子に微笑みかける向日葵。
 向日葵もまた、自分を傷つけるほど必死に頑張っている櫻子に対し、ずっと伝えたい気持ちがあった。

 櫻子が不安を抱えながら頑張っていることは、ずっとずっとわかっていた。
 それでも、今は櫻子の負担になってはいけないと思い、あえて距離を取り続けた。
 けれど、櫻子の不安を取り除いてあげたい、櫻子の罪悪感を取り払ってあげたいという気持ちもずっと抱えていて。
 今日一日櫻子が勉強している姿をそばで見続けて、その気持ちが何なのかに、ゆっくり向き合うことができた。

 それは……櫻子のことを、応援したいという気持ち。

 少しずつ、少しずつ努力を重ねて、険しい道を一歩ずつ歩み続けてきた櫻子。
 自分のために本気になって、ここまで成績を上げてきた櫻子。
 その様子を、今日こうして改めて目の当たりにしてみて……何もしないわけにはいかないという気持ちが、向日葵の中にふつふつと湧いてきていた。

 本当はいつだって、櫻子のためにできることなら何でもしてあげたいというのが、向日葵の純粋な気持ちだった。
 頑張っている櫻子を見るのが、本当は心の底から嬉しくて、愛しかった。

 ずっと抱えていた謝罪の気持ちを「忘れた」の一言ですかされてしまった櫻子は、脱力感に苛まれ、ぐでんと畳の上に倒れる。
 すっかり身体に力が入らなくなってしまったようで、向日葵はくすくすと笑いながら、「今日はもう寝ましょうか」と就寝準備にとりかかった。

 ふたりで使うには大きい和室の真ん中に、布団が並べて敷かれている。
 櫻子はその片方にぽすんと倒れ込み、向日葵は部屋の明かりを落とした。

「ほんとに今日はずっと勉強してましたわね。お疲れ様」
「……あんま集中できなかったよ」
「ふふっ、でもいいじゃない。たまにはそんな日があったって」

 ひんやりと気持ちいい枕に顔をうずめながら、櫻子は目を閉じる。
 ……と思ったら、突然背中に温かい重みがのしかかってきて、思わず跳ね起きてしまいそうになった。
 向日葵が、うつぶせて寝ている櫻子の上に馬乗りになり、肩のあたりからゆっくりとマッサージを始めた。櫻子は恥ずかしさで逃げ出したくなったが、しっかりと上に乗られてしまって身動きがとれず、さらに気持ちよさのおかげで身体から力も抜けてしまい、なすがままだった。

「あなた、やっぱり身体も少し大きくなりましたわね」
「……そんなのわかんの」
「わかりますわよ。昔より全然……なんだか本当に、撫子さんみたいになってきましたわ」
「それ、花子にもよく言われる」
「単純に大きくなってるのもあるでしょうけど……やっぱりそれだけ、中身もしっかりしてきたってことでしょうね」

 向日葵のマッサージは気持ちよかったが、そんなことより胸のドキドキが強すぎて、櫻子は気が気ではなかった。
 感じている気恥ずかしさがすべて体温に変わって、きっと向日葵にも伝わってしまっている。風呂上りであることはもう理由にならない。櫻子は枕に顔をつっぷして身を硬直させるが、向日葵はその硬直をほぐすように丁寧にマッサージしていった。

「ちょっと前の話ですけど……」
「い、いつの話っ?」
「温泉街に散策に出る前。あなたがここで最初に勉強してたときの」
「……ああ」

「私、あなたのことは応援しないって言ったでしょう。あなたの重荷になるようなことはしないって」
「……うん」
「あれ、やっぱり取り消してもいいかしら」
「ひぇっ!?」

 向日葵はマッサージの体勢からそのまま櫻子の上にもふんと覆いかぶさり、浴衣の上からもぞりと手を忍ばせて、まるまると抱き込むように櫻子を包んだ。
 予想外の言葉と突然の深い抱擁に包まれ、櫻子はあわあわと動揺する。
 向日葵はそんな様子を気にも留めず、櫻子の耳元で淡々と続けた。

「今日一日、あなたのことを見てて……気が変わっちゃったんですわ」
「ちょっ……!」
「やっぱりあなたのこと……応援したい。わからないところとか、教えてあげたいって」
「な、なにそれ! 今まで私のこと避けてたくせに!」
「それはあなたの方が逃げていくから、あえて追いかけなかっただけですわよ。でも……今は違う」

 もぞもぞと身をよじって抵抗を続ける櫻子が逃げないように、深く優しく抑え込む。

「本当にあなたのこと……見直したんですわ。だから、応援したい。あなたの力に……なりたいの」

 櫻子はぴたりと動きをとめ、しばしの静寂が流れる。
 そして枕に顔をうずめながら、弱々しい声を漏らした。

「……ゃだよ……」
「え?」
「こわいよ……これで、向日葵と同じ高校受からなかったら……どうすんの……」
「……」
「またあのときみたいに泣かせちゃうくらいなら……私に期待なんて、しない方がいいよ……」
「櫻子……」
「私、まだまだバカなんだからさぁ……」

 思いつめたような泣き声を聞き、向日葵は櫻子の髪を撫でる。
 くしゅくしゅと手でもてあそびながら、その耳元に優しく語りかけた。

「失敗したときのことなんか……落ちちゃったときのことなんか、考えなくていいんですわ」
「……」
「もし仮に不合格だったとしても、私は絶対にあなたを責めたりしません。だって私はもう、櫻子がこんなに頑張ってるんだって知ってるんですもの」
「向日葵……」
「自分の力でこんなに頑張れるようになった櫻子が、もし全力でチャレンジして……それでもだめだったら、それはしょうがないじゃない。私はきっと、あなたを誇りに思いますわ」

 櫻子の首元に顔をうずめ、親が子に語り掛けるかのように、優しく話す向日葵。
 その温かさが、その重みが、櫻子にはたまらなく愛しかった。
 この半年間、本当はずっと、向日葵とこんな風に話したいと思っていた。
 いつの間にか、夢は夢じゃなくなっていた。

「それにきっとその時は、あなたを責めるより前に、私の方が後悔してますわよ。櫻子のために何もしなかったんだって」
「え……?」
「櫻子はこんなに頑張ったのに、私がそれを見捨てたってなったら……激しく後悔すると思いますわ。そうなったらたとえ高校浪人したって、あなたに付き合うと思います」
「……そんなこと、考えなくていいよ……」
「ふふっ、そうですわね。というか落ちませんって。絶対」
「もう、なんの根拠もなしに……」
「いいえ。私にはわかります。櫻子はやると決めたらやる子ですから」
「……」
「絶対、ぜったい、大丈夫ですわ」

 向日葵の料理にだけ、お酒でも入っていたのだろうか。
 あんまりにも大人っぽいから、女将さんが気を利かせてお酒を用意しちゃったのだろうか。
 もぞもぞと甘えながら密着してくる向日葵の色っぽさに、櫻子の胸の鼓動はピークに達していた。

 けれど一方の向日葵は、くすくすと微笑みながら、密着状態を崩すことはなくて。
 この半年の間に募った想いを、ずっとこんな風にしてみたいと思っていた気持ちを注ぎ込むかのように、触れ合う面積を少しずつ増やして。
 そうして伝わってくる体温を感じて、櫻子はなんだか勇気が湧いてくるような気がした。

 ごろごろ、ごろごろと、ふたりして布団の海に揺られる。
 こんなこと今までしたことなかったのに、一度距離が離れたせいか、お互いがお互いの温もりを求めてしまっていた。

 しばらくして、さすがに暑すぎるといってギブアップした櫻子は、向日葵の下から這い出て、もう一度温泉で汗を流したくなるくらい火照ってしまった身体をぱたぱたと冷ました。
 向日葵はその様子を微笑ましく見ながら布団の上に座り直し、櫻子に向き直った。

「改めて、言わせてください。あなたのお手伝いがしたいって」
「向日葵……」
「私は……あなたと同じ高校に進んで、あなたと一緒に高校生活を送りたい。そのために、あなたのためにできることは、何でもしてあげたいんですの……これは本当に、心の底からの本心ですわ」
「……」
「だから、距離をとるのも、もうやめにしましょ」
「!」
「また昔みたいに、一緒に学校に行って、一緒に勉強もして……」
「……うん」
「一緒に、頑張っていきましょうよ」
「……そだね」

 向日葵は櫻子の手を両手で包み、心からの想いを伝える。
 櫻子はじんわりと伝わってくる仄かな手の温度を通して、向日葵の言葉を素直に受け入れた。

「そうだ、たまにはまた生徒会にも顔を出してくれると嬉しいですわ」
「……えっ、私とっくにやめたじゃん」
「あんな退会届、受け取ってませんわよ。副会長の席は、今でもちゃんとあなたのために空けてますわ」
「……」
「勉強時間が減るのが嫌なら、その分を私がカバーしますから」
「……いいのに……」
「あなたのぶんの仕事も今までどおり私がやりますし、勉強の面倒も見たい。今はとにかく、あなたのために色々してあげたいんですわ」
「だから、そういうのが重荷になっちゃうんだって~……」
「じゃあ、重く感じないで?」
「わがままか!」
「それくらいの重荷……背負ったって、今の櫻子なら大丈夫ですわよ」
「……うぅ……」

 真っ赤な顔で困り尽くす櫻子の顔を、向日葵は膝立ちになって抱きしめる。
 温かい胸に包まれ、櫻子の文句は子犬の泣き声のようにくんくんと弱っていった。

「今日一日、ずっとそばにいて……やっぱり、わかったことがあります」
「……」
「私……あなたのこと、好きなんですわ」
「っ!」

「あなたと一緒にいたい、これからもずっと一緒にいたいって、思ってる……」
「向日葵……」
「櫻子は、どう?」
「……」

 櫻子はぐぐっと体重をかけて向日葵をぽすんと布団に押し倒し、浴衣越しの胸にふにゅんと顔をうずめながら言った。

「……私だって、同じだよ」
「……」
「向日葵と一緒にいたいから……向日葵のことをもう泣かせたくないから、こんなに頑張ってるんじゃん……」
「……そうでしたわね」

 向日葵は目を閉じて櫻子を抱きしめ、その背中をさする。
 櫻子もその腰にきゅっと手を回し、溢れる思いを少しずつつむぐように、ぽつぽつと話した。

「向日葵、お願い……私、これからも頑張るから」
「……ええ」
「だから……力を貸して。また今までみたいに……いっぱい、私の勉強、見てよ」
「……ふふ、よろこんで」

 本当は、向日葵にも内緒でずっと勉強して、それで合格してみせたら、かっこよかったのかもしれない。
 でも、もうあまり時間もないし、そんなことも言ってられない。
 向日葵と一緒になるために、櫻子はどんなことだってする覚悟だった。
 こうなったらもう、向日葵の手でもなんでも借りてやる。

「大丈夫、櫻子は絶対大丈夫……あなたは絶対に受かりますわ」
「……ん」

 櫻子の髪をもしゃもしゃと愛しそうに撫でながら、先に眠りについたのは向日葵の方だった。
 窓から差し込む月明かりに照らされた寝顔は、子どものように安らかで。
 櫻子は少しだけ位置をずらすように向日葵を布団に寝かせ直し、髪をかきあげておでこをそっとさすった。

(ずっと一緒にいようね……向日葵)

 小さくて愛しい唇に、そっと自分の唇を重ねる。
 少しだけひくりと動いた気がしたのは、きっと気のせいだろう。

「おやすみ、向日葵」

(……おやすみなさい、櫻子)

――――――
――――
――

 翌日。

 櫻子と向日葵は早々にチェックアウトを済ませ、電車を乗り継いで一緒に帰宅した。
 櫻子は大室家へ、向日葵は古谷家へ。しかし向日葵は勉強道具を用意すると、すぐに大室家のリビングへ向かう。
 昔みたいな光景が、また大室家に戻ってくる。

「夏は受験のてんのーざん! がんばるぞー!」
「わぁ♪」
「気合入りすぎだし」
「温泉旅行で気力回復しすぎでしょ……」

 櫻子はペンを高くかかげてメラメラと闘志に燃えていた。ソファに座った楓が嬉しそうに拍手を送る。
 花子と撫子はお土産の和菓子をはくはくと食べながら、呆れ気味にツッコミを入れた。

「ところで天王山ってどういう意味?」
「それくらいわかっとけし。それが試験問題になったらどうすんの」
「わー、国語苦手なんだよなぁ……」
「国語というよりは歴史だと思うけど」
「ふふっ」

 冷たい麦茶を人数ぶん淹れて戻ってきた向日葵は、櫻子の隣に座る前に、スマホを取り出す。
 大切なクラスメイトふたりに心からの感謝をメッセージで伝え、そして窓をからりと開けて風を取り入れた。

 涼風が優しく頬を撫で、チリンチリンと風鈴が鳴る。
 青く澄み渡る空と高い雲を見て、向日葵は思った。

――私たちの未来は、こんなにも輝いている。


~fin~

医学知識  「イベルメクチン」は「優秀な薬」です!!

◆イベルメクチン」は「新型コロナ」に効果がある優秀な薬です!
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イベルメクチンが新型コロナウイルスを抑制(よくせい)する!!
今から約1年前、2020年4月に「イベルメクチンが
新型コロナウイルスの増殖(ぞうしょく)を抑制(よくせい)する」という
実験室での研究結果がオーストラリアから報告されました。
「「新型コロナウイルスを感染させた細胞に2時間後に
イベルメクチンを添加したところ、48時間で
新型コロナウイルスの増殖を約5000倍減少させることが
できたとのことです。」」
                 医学知識「イベルメクチン」

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