消失長門「忘れないで。」 (10)
私の世界は、常に灰色だった。
私と、それ以外の他者。
誰とも繋がらず、繋がる勇気も持てなかった。
私の世界には、私しかいない。
だからなのか、世界は灰色に見えた。
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高校に入学するまでの記憶は殆どない。
しかし、今と対して変わらない生活をしていたと思う。
学校に行き、
本を読み、
誰もいない家に帰り、
時々差し入れに来る朝倉さんとご飯を食べる。
それの繰り返しだ。
そんな代わり映えのない世界に、
私はどこか安堵していた。
なぜなら、その世界には他者が存在しないからだ。
私と、時々来る朝倉さんだけの世界。
肯定も否定もない、フラットな世界。
そんな世界に安堵しつつも、
私の胸には、孤独という名の、
じっとりとした寂しさがあった。
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「長門さんは本当に本が好きなのね。」
高校に入学してしばらく経ったゴールデンウィーク前。
朝倉さんが私の家に来てそう言った。
「・・・うん。本は好き。」
朝倉さんが作ってくれた、山盛りのカレーライスに目を落としながら、
私はそう言った。
「でしょうね。長門さんったら気づいたらいつも本を読んでいるんだもの。」
お皿に、ルーの跡と米粒を一つも残さずに、朝倉さんはカレーを食べている。
器用だな、と感心していると、
「そんなに本が好きなら、」
「図書館にでも行ってみればいいんじゃない?」
朝倉さんは、私の目を見据えて、そのように言った。
「・・・図書館?」
その目を見返すことができずに、私はそう聞いた。
「そうよ。市立の大きめの図書館が近くにあるでしょ?そこなんか、長門さんきっと気にいると思うわ。」
「なんなら、今度一緒に行きましょ。」
「・・・考えておく。」
伏目がちにそう呟いた私をみて、
朝倉さんは満面の笑みを浮かべた。
考えておくと口では言ったものの、
私は図書館には一人で行くつもりだった。
別に朝倉さんが嫌いだからではない。
むしろ、こんな私に唯一仲良くしてくれる大切な人だと思っている。
私は、彼女が怖かった。
いや、彼女だけではない。
他者が怖かった。
他者と交われば、私は自分の形を保てなくなる。
まるで、蒸気のように霧散していってしまう。
そんな粘り気のあるとした恐怖が私にはあった。
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5月半ば、
私は一人で図書館に来ていた。
図書館は、朝倉さんが言った通り、
私にとっての楽園だった。
私は本が好きだ。
本を読み、知らない事象、知らない言葉に出会うたびに、
私の灰色の世界が少しだけ色付くような錯覚を覚える。
本を読むことを通して、
孤独というじっとりとした寂しさを
他者という粘り気のある恐怖を
忘れられる気がした。
だから、
私は本が好きだ。
本だけが、私と世界を繋ぎ止めてくれた。
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図書館を出ようとした、その時。
私は図書カードという存在を知った。
まだ読みかけの本がある。
この本を置いて外には出られない。
「〜〜って本どこにあるの?」
「そちらの本はただいま貸し出し中でして・・・」
「この本借りたいんだけど。」
「こちらの列の最後尾にお並びください!」
日曜日に図書館に来たのが失敗だったのか。
普段は静謐な空間であるはずの図書館も多くの人で賑わっていた。
「・・・・」
図書カードを作るために、職員の方に声をかける必要がある。
そんなことはわかっていた。
しかし、私には、職員の方達にカードを作りたいと声をかけることができなかった。
「すみませんこの本、返却期限過ぎちゃったんですけど」
「こら!図書館では走らないの!」
「ママ、喉渇いたよ〜」
「図書館はお静かにご利用ください。」
知らない音。
知らない言葉。
他者に埋め尽くされた空間に、私は身体を震わせた。
今日は諦めて帰ろう。
そう思った矢先だった。
「どうしたんだ。そんなに本を抱えて。」
「北高の制服だよな、それ。なんか困ったことでもあったのか?」
声のする方向に顔を向けた。
なぜだろう。
その人物と話すことは初めての筈だ。
それなのに、真っ直ぐに目を視ることができた。
灰色の私の世界に、
彼は確かに色彩を持って現れた。
私の運命が、カチリと変わる音がした。
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「ほらよ。これが図書カードだ。」
結局、彼が職員の方に掛け合ってくれて、
図書カードを作ってくれた。
少しずつ頭が冷静になってきた。
彼は5組の前を通るときに、時折見かけた。
確か、朝倉さんと同じクラスだった筈だ。キョンという名前で呼ばれていたと思う。
「とりあえず本を借りられてよかったな。」
肩を竦め、僅かに微笑みながら、
彼はそう言った。
倦怠と困惑と親愛が入り混じるその微笑みは、
なぜだかとても見覚えがあった。
「・・・・」
その微笑みの前に、私は何も言えなかった。
頬がにわかに熱を帯び始めた。
初めて味わうこの熱に、
私が一人困惑していると、
「そろそろ行くよ。邪魔したな。」
彼は片手をヒラリと挙げて、背を向けて歩き出した。
「・・・・・あ。」
結局、彼と碌に会話も出来なかった。
何も喋らない私と一緒にいるのが気まずかったのかもしれない。
そう思い、自分の人見知りで、勇気がない性格に嫌気がさした。
「・・・・ありがとう。」
この言葉さえ言えなかった。
今度、彼と会うときに、必ず言おう。
代わり映えのない私の生活に、
初めて出来たイレギュラーかもしれない。
不思議と嫌な感覚はなかった。
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それから半年ほど経った12月19日。
私は彼と一緒にいた。
私の部屋で、2人きりで。
テーブルを挟んで、湯呑みを囲っていた。
気が付いたら、私は彼を部屋に誘っていた。
彼と昨日、文芸部室で半年振りに再会できてから、
私はどこか可笑しいのかもしれない。
私がコンピュータプログラムだとしたら、
CPUに重大なバグがあるだろう。
彼も明らかに困惑していた。
そんな困惑してる彼を見つつ、私は言葉を綴った。
「私はあなたに会ったことがある。」
半年前に図書館に会ったことを、
湯呑みを見つめながら、私は彼に話していた。
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「・・・・」
話を聞いている彼は、呆然とした顔をしていた。
パズルのピースの最後1つが見つかったけど、それが色違いだったと気付いたような顔だ。
彼はきっとこの話を覚えていないだろう。
それはなんとなくわかっていた。
そう自分に言い聞かせていたものの、
胸の内側から押し寄せてくる寂しさを無視できるほど私は強くない。
「ずっとお礼を言い忘れていたことが気になっていた。」
それでも、私はこの言葉を彼に伝えたかった。
「・・・ありがとう。」
ありがとうという言葉は、これまでの人生で何度も口にしたことがある筈だった。
しかし。これほどまでに。
熱を帯び、質量を持った言葉を口にしたのは初めてだったと思う。
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その後、朝倉さんが部屋にやって来て、3人でおでんを食べた。
2人が帰ったあと、余ったおでんをタッパーに移して、食器を片付けていた。
「明日も部室に寄っていいか?」
帰り際の、彼のこの言葉を思い出すたびに、
自分でもわかるくらい口角が上がってしまう。
私の世界に初めて現れた、男の人。
頬に感じる熱と、胸から湧き上がる高翌揚感を初めて教えてくれた人。
ふふっ、と笑ってしまう。
明日もまた、彼に会える。
私はいま、幸せなんだろうな。
そう感じるほど、彼の言葉は嬉しかった。
しかし、同時に私はどこか確信していた。
この幸せは永遠に続かないのだ、と。
そう遠くない日に、彼と話すこのささやかな幸せは、
きっとなくなってしまう。
こう思うのは、
彼が私のことを選んでくれないと思うからだ。
彼はきっと、
他の女の子と出会って、
笑い合って、
時には喧嘩をして、
仲直りして、
恋に落ちる。
そんな確信が頭の隅にあった。
食器を棚に戻す。
白の陶器に私の顔が映る。
きゅっと唇を結んでいた。
分厚い眼鏡の奥の瞳は、小刻みに痙攣し、しっとりと濡れていた。
自分はこんな顔もするんだな、と少し笑った。
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明日には、彩りが加えられた私と彼の世界は消えてしまうかもしれない。
明日には、彼と会えるだけで、胸が高鳴るこのちいさな幸せが消えてしまうかもしれない。
それでも私は。
きっと、いや絶対にこの思いを忘れないだろう。
忘れたくない。
たった一つ。
たった一つだけ願いがあるとすれば、
彼には、忘れないで欲しい。
私がここにいたこと、を。
私は寝室の電気を消した。
世界が黒一色に染まる。
目を瞑る。
忘れないで。
瞼の裏に、彼の姿を探して、眠りについた。
明日、また彼と会えることを祈って。
fin.
普通のだった
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