夢の残骸に思いを馳せて (15)

ついに取り壊しが決定した


ここの遊園地は、かのバブル期の建築ラッシュで建てられ、多くの来園者が笑顔と思い出を作っていった

しかしバブル崩壊と共に客足は徐々に遠のき、遊園地側も新しいアトラクションや子供向けアニメとのコラボ等をするも費用と収入の差はどんどん開き、やがて緩やかに、緩やかに……そして誰に知られることもなく、ひっそりと閉園していった

あれから十数年、この土地は誰からも忘れ去られ、取り壊されることなく時の止まった夢の残骸としてこの場に捨て置かれている。それを証明するかのように、入り口に掲げられた巨大な時計は停止した時間そのままに過去を現在に投影していた。
時計を掲げるキャラクターの笑顔はもう客に向けられることはなく、ただただ虚空に向かって健気に微笑んでいる。そんなもう誰にも向けられない笑顔を見ていると何だか胸が苦しくなり、ついに顔を逸らしてしまう

この遊園地はもう取り壊しが決まっている。きっと何も無くなる。そしてその上に何かがまた建てられるのだろう。夢の残骸があった場所に、自分の思い出の地に…


それを考えたくなくて目を瞑ると廃墟が廃墟でなく、夢の残骸が本当に夢を与えていた時代が蘇ってくる

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思い出すのは幼少時代、まだ社会の辛さも学生の苦労も学校の人間関係も何も知らなかった、両親から与えられる愛情と食事と睡眠、幼児向けの娯楽と悪いことをして怒られるのだけが世界の全てだった時代、この遊園地が自分の記憶の始まりだった

平々凡々とした日々、自宅や他に連れていってもらった場所は忘れていき、最後まで残された最初期の記憶、家とその周りだけが全てな自分にとってここは本当に夢の世界だった。

見たこともない程の人、人、人。テレビの中でしか見たことないキャラクターたち、きらびやかな眩いばかりの装飾と鳴り止まない音楽、目にするもの全てが輝いて見えた。目に映る全てが自分を歓迎しているように感じた。

人々のざわめきも、風の音も、空気すらも、何もかもが新鮮で、いつも過ごしていた世界とは違う、隔絶された夢の国だと、そう感じていた。

目を瞑って思い出に耽る自分の真横を幼い少年が駆けてゆく。それは幼少期の自分、あの頃の自分がまるでそこにいるかのように笑いかけてくる。

きっと自分を通した視線の先に両親がいるのだろう。早く来てよ、遊園地に入ろうよ。そう急かしている。両親のどちらかが転ぶから走らないでと注意する。どちらかが迷子になるぞと慌ている。遊園地は逃げないからと、それでも一秒でも早く遊びたかった、一瞬でも楽しい時間を減らしたくなかった。

幼い自分は何者にも代え難い笑顔を湛えてゲートの向こうに消えていく、最後まで顔の見えることの無かった両親もその後を追って消える。



ふと、目を開けるとゲートが開いていた。閉鎖されてから一度も開かれることの無かった夢の入り口が開き、キイキイと錆びた音を鳴らしながら手招きするかのように揺れている。立ち入り禁止の柵も看板も、常に巻かれていた鎖も消えていた。

まるで何かに導かれるように、何も考えることなく足を踏み出していた。ゲートの内側へ、役目を終えたかつての夢の国へと

たった一歩、敷地内に足を踏み入れた途端空気が変わった気がした。賑やかな繁華街から薄暗い裏路地へと入り込んだような、車が入り乱れる大道路から古さびた墓場に入ったような、漠然とした、それでいて確かに感じる空気の違い。

先ほどまで近くに感じた人の往来や車の通り過ぎる音は遠くに聞こえ、空の雲一つに至るまで遠い背景に映し出されているような、違う世界の景色にさえ思えた。

あの音楽が無くても、アトラクションの動く音や人々の笑い声がなくても、かつての夢の国はやはり現実から切り離された世界として存在しているのだ。


一歩一歩、かつての夢の国を見渡しながら歩いてゆく。極彩色に彩られていた塗装は剥げかけ、建物に飾られているキャラクター達の目に生気は宿っていない。

足下の舗装されていたアスファルトにはヒビが入り、割れ目から生えた名も知らぬ雑草が好き勝手に延びている。人が手を加えることがなくなった植え込みはかつて象っていた様々な意匠を忘れ、ただ不格好な草木として存在している。

くたびれた着ぐるみは壁にもたれ掛かるように捨て置かれ、脱皮した抜け殻のように開いた背中から見える剥き出しのチャックが夢の終わりを告げていた。美味しい食べ物を売っていた屋台は横倒しにされ、地面から生えた植物が蔓を巻き付けている。


何があったのだろうか、この建物はもはや崩れかかり、一部は瓦礫に埋もれてさえいる。入ることを躊躇い、既に割れている窓から中を覗くと金属のフレームがむき出しになったぬいぐるみ達が独特なポーズで固まっていた。

まるでついさっきまで踊っていた最中に時が止められたような、そんな錯覚さえ覚える。ステージを照らす照明はいくつかが床に落ち、その代わりに天井に開いた穴から歪に差し込む光がもう動くことのない彼らを照らしていた。



ふと、とある乗り物が目に留まる。なんてことはない、子供向けの小さなジェットコースターだ。まだ何の恐怖も知らなかったあの頃、初めて味わう「スリル」というものに病みつきになっていた。何度も、何度も、もう一回、もう一回とせがみ、親が呆れるまで乗り続けた。

懐かしくなり、列を想定してロープで作られた道に入り、乗り場まで歩いた。そこにはあの日そのままに時が止まったように懐かしい乗り物が待っていた。

横に二人乗れる車両が四つ繋がっている小さな絶叫マシン、手入れされることもなくなった車体は塗装が剥がれ、錆び付いたレールは今にも折れてしまいそうなほどに脆く、頼りない。


それでも自分の目には、あの日の思い出そのままの光景として映っている。笑顔で発車を告げるキャスト、アトラクションの設定に沿った楽しげなアナウンスと音楽…

乗り物がガガガガガと音をあげて走り出す。すぐにチェーンを巻き上げる音とともに速度が緩やかになり、坂を上り始める。上がる高度とともに興奮が沸き上がり、頂点に達するとともに限界まで高められた期待は一気に快感に変わる。

風を切り、右に左に身体を引っ張られ、上昇に下降に身体が跳ねる。そしてその興奮がさめやらぬ内にコースターは減速し、元の乗り場に戻ってきてしまう。だからもう一回、もう一回と、あの興奮を何度も、何度も味わいたくて繰り返し並んだのだ。

今一度、あの時のことを思い出しながら席に座ってみる。母親と並んで座ってもまだ隙間が開いていた席は今見ると狭く、あの日より遙かに高くなってしまった目線はあのときと同じ光景を映してはいなかった…


幼い自分が次はどこに行こうかと楽しげに声を上げる。両親はどこに行きたい?と質問で返し、次はあそこ!と自分で投げかけた質問に自分で答えた。幻影は踊るように次の目的地へと走り出し、やがてふっと消えてしまった。

再び廃墟の中に取り残される。幻影が映し出していた光景はどこか輝いていた。しかし今は塗装が剥がれた瓦礫しかない、瓦礫の中で物思いに耽ていたに過ぎなかった。

行こう。幻影を追っているのか、思い出を追っているのか、自分が何をしたいのかすら判然としないまま、ジェットコースター乗り場から離れる。



城を見上げる。この遊園地のシンボルとも言える大きなお城だ。これももはや廃城となり、繁栄の象徴の様な華やかさは消え失せていた。

塗装は剥げ、所々に赤茶けた錆の浸食が見られる。好き勝手に伸びる植物が廃城感を尚一層増し、森の中に忘れ去られた廃墟を思わせる。パーク内のどこからでも見える大時計は他の時計と同じ時に止まり、文字盤のガラスはヒビが入っていた。

遊園地の時を止めているのがあの大時計だというような錯覚すら覚え、あれさえ動かせばかつての華やかな夢の国がまた動き出すのではないかとすら思ってしまう。

そんな妄想を振り払い、時計に背を向ける。また、幼い頃の幻影が自分を呼んでいる気がする。


灰色の空は今の時間を完全に失念させる。この世界の時計は全てが同じ刻に止まり、決して再び刻み始めることはない。

ここに足を踏み入れてどのくらい経ったのだろう。つい先ほどまで外にいた気もするし永い間ここを彷徨っている気もする。幻影と現実が混ざり、過去と現在の光景が重なり合う。

ここでは全てが希薄に感じる。自分の意志すらもどこかボーっとして何か考えているのかいないのか、それすらも定かでない。スマートフォンも腕時計もその存在を忘れ、時の流れを確認しようとする考えすら沸いていなかった。



どの乗り物も今は決して動くことがない。あの日の思い出をなぞりながら歩き続けるとふとざわめきが聞こえてきそうになる。

溢れかえっていた人の声、足音、愉快な音楽と乗り物の駆動音、しかしそれは幻に違いなく、今目にしているのは確かに閉鎖された遊園地であり、夢の残骸だけが宿る廃墟なのだ


ふと足を止めたのは大きな観覧車の前だった。かつて色とりどりの光を放ち、夜の遊園地の中で一際輝いていた観覧車は今はもう光を失い、灰色の曇り空の下で無言で佇んでいる。

ゆったりと動いていたゴンドラは風が吹いても揺れることなく固定され、過ぎ去りし日々を憂いているかのように地面に陰を落としていた。

色褪せたポスターが虚しく笑っている。ところどころ剥がれかけ、掠れて文字が読めなくなっている部分もある、それでも歓迎の言葉とまたおいでというメッセージは読みとれた。

きっと、この言葉を最期に受けたのは自分なのだ。次にこれを見た人物は何も考えず、読むことすらもせずに破り捨てるのだろう。そしてこの建物は取り壊され、遊園地そのものが更地になる。

その跡地に何かが建った後、誰もが少しずつ忘れていくのだろう、この歓迎の言葉も、かつて存在した夢の国も、ここに訪れた人々の笑顔も、楽しかった思い出すらも……

最期…最期の客として自分はここに招かれたのだろうか、それとも何かあるのだろうか。忘れている何かが、自分自身が求める何かが


キィ、と開いている扉が風で揺れている。ゴンドラだ、もう動くはずのないゴンドラが自分を呼んでいる。錆び付き、色褪せ、窓ガラスさえくすんでいるゴンドラ、観覧車の小さな個室へと足をかける。

人一人分の体重がかかったことで揺れるゴンドラ内に入り、穴の開いているイスに腰掛ける。また幼き日々の思い出が脳裏を掠める、しかし今度は今までと違い…ゴンドラが動き出した。

間違いない、とうに電気も通っていないであろう観覧車がキイキイと鳴き声をあげ、少しずつ、ゆっくりと動き出しているのだ。

あの日の速度そのままに、思い出の中のゆっくりした緩慢な動きをなぞりながら、徐々に高度を上げていく。


ゴンドラの中、家族が座れるように向かい合ったイスの反対側、自分の真正面にもやのような者があった。微かな白いもやは見ている自分の前で少しずつ形を整えていく。少しずつ、頂上に近づくに連れてはっきりと

それは輪郭だけの朧気な存在でありながら、確かな確信があった


自分だ。あの日の幼い自分が目の前にいる。思い出の中の無邪気な表情も喜びに満ちたせわしない動きも見せず、目の前のイスに大人しく座っている。

ここまで見てきた幻覚でも、思い出の投影でもない。確かに、確かにそこにいる。輪郭だけの霞がかったもやであろうと、確かにいるのだ。

君が…呼んだのか?」


返事は無い。もやは微動だにせず、ただただそこに座っている

再び沈黙が流れ、視線を泳がせる。色褪せた塗装、錆びた金属、かすんだ窓ガラス…

ふと、輪郭の少年が窓を指さしていることに気づく

そうか、もうすぐ頂上に着く頃か…埃を被った窓ガラスを手で擦り、外の景色を覗き込む。確かこの観覧車は遊園地全体を見渡せたはずだ…

廃墟に成り果てた、色褪せた夢の残骸、それでも、最後にここからの景色を目に焼き付けようと思った。


どんなに寂しい光景だとしても、これが最期なのだから


だが、窓の外に見えた景色は…


「これは……」

自然と自分の頬に暖かい何かが流れる

窓の外に広がっていたのは廃墟の遊園地ではなかった。色褪せた夢の成れの果てではなかった。

そこには、あの日の光景が、まだこの遊園地が華やかだった頃の光景が映し出されていた。

どこまでも透き通った、夕焼けに染まる茜空。どの建物も鮮やかな彩色に彩られ、様々な人々が楽しそうに笑いながら歩いている。


それは、幻覚でも、思い出の投影でも無い、確かに、確かに窓の外にあの日の光景が広がっているのだ。


ゴンドラの扉を開けると懐かしい音楽が、楽しげな声が、遊園地のアナウンスが流れていた。思い出より鮮明に、思い出せなかったところまで

下から何かが浮き上がってくる。それはキャラクターの絵が描かれた風船だった。下を見ると空に両手を伸ばしている少年がいた。

自分だ。そう…最後にこの遊園地に来たとき、買ってもらった風船を離してしまったのだ。結局空に浮かび上がった風船は帰ってくることなく泣きながらも諦めることになった。

その風船が今ここにある。描かれたキャラクターは満面の笑顔で笑いかけてくれている。


今、自分は大人になって忘れていた何かを取り戻せたのだろうか…あの頃失った何かを受け取れたのだろうか


いつの間にか流れていた涙は量を増し、風船を抱きかかえながら嗚咽すらも漏らしていた。


「君は…君は、これを見せたかったのか…?」


後ろを振り向く。あの頃の自分が微笑んでいる。幼少期の自分が両手を広げ、どこまでも純粋な、どこまでも透き通った笑顔で

……



気が付くと遊園地の前に立ち尽くしていた。廃墟の遊園地は廃墟でしかなく、ゲートは確かに締め切られ、立ち入り禁止の柵も看板も鎖も、一度も解き放たれたことが無いように硬く閉じられていた。

腕時計を見る。時間はあまり経ってない、あの時確かにこの手に掴んだ風船も無い…でも、でも確かに、今日の出来事は確かに在ったのだ。


空を見上げる。雲が流れ、鳥が飛んでいる。そう、時は何にも平等に流れる。時が止まったようなあの廃墟にもずっと流れ続けていた。


この遊園地はもう取り壊しが決定している。きっと何も無くなる。そしてその上に何かがまた建てられるのだろう。

でも、その時にまた来てみよう。夢なんて無い場所かもしれない、もしかしたらただの駐車場かもしれない、無機質なオフィスビルかもしれない。でも確かにそこには需要があり、誰かが必要として建てられたものだ。

それでも、この場所にまた来てみようと、そう思った。


どうせなら、家族で来れるショッピングモールがいいな






ありがとう




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