チェンソーマンのとある展開からヒントを得て書きました
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さて今日の社会科では、誰もが知っている「租唖(そあ)」について、改めてきちんと勉強しましょう。まず、以前に教えた「国民の三大義務」について皆さんは覚えていますか?
今日は23日ですから、23番の田中君に答えてもらいましょう――いえ、失礼しました、田中君は今日は「租唖の日」なんですね。出席簿を見ていたので田中君の「租唖マスク」が目に入りませんでした。決して田中君に脱唖(だつあ)を促したわけではないので、先生のことを通報しないでくださいね。では田中君の代わりに、後ろの席の安達さん――はいもうチャイムは鳴りましたよ、おしゃべりはやめる。では安達さん、答えてください。
――そうですね、「勤労の義務」「納税の義務」「子供に普通教育を受けさせる義務」の三つです。
ありがとうございます。大人になったら皆さんは、国のためにきちんと働いてきちんと税を納め、子供が出来たらしっかりと学校に通わせなければなりません。
そして租唖はこのうち「納税」に少しだけ近い性質を持つものです。
祖唖。難しい字ですね。「唖」は、差別的な意味合いを含むので単独であまり用いてはいけないとされている字ですが、言葉が話せないこと、言葉が話せない人をさします。
そして「租」と聞いて思い当たるものはありますか?――三人挙げてくれていますが、速かった大井君。
――はい、「租・庸・調」ね。これは飛鳥時代、大化の改新の折に唐にならって取り入れられた税の制度ですね。穀物を納め、布などを納め、都で労働をするというものです。
「租」は「税」と同じような意味の字として今も使われています。ただし現代ではもちろん、お米や布を税として納める国はまずありません。
「地租改正」という言葉も歴史の教科書の後ろの方に出てきますが、今はお米の代わりにお金を国に納めることになっています。
……山田君、なんですか、「生ゴミのカタマリ」?正しくは中臣鎌足ですよ、テストで書いたらバツにしますからね。それと、挙手をしない授業中の勝手な発言は懲罰対象ですよ。中学校には、先生みたいな甘い先生はいませんから気を付けてくださいね。
――話がそれました。そして「租唖」はこの少し後の時期に、やはり唐から取り入れられた制度です。都では、どの人も何日かにいっぺんは、公の場で言葉を発してはいけない、自分の気持ちを詠んだ歌を人に見せてはいけない、そんな日が設けられることになったのです。
租唖の日には、言葉とは天に与えられたもので、天子に許されて使用できるものである、そのことを人々はいまいちど胸に刻みこんだことでしょう。
……ええ、驚くことに、それまで我が国では租唖の制度はなかったのです。文明があまり発展していませんでしたし、人もあまり密集してはいなかったので、それでもうまく回っていけたのです。
では、当たり前すぎて考えることがなかったかもしれませんが、なぜ租唖という制度はあるのでしょうか?租税がない国が存在しないのと同様に、現代の地球で租唖がない国はまずありません。そして租税は「お金」に絡みますが、租唖は「言葉」に絡みます。
「お金」も「言葉」も、動物にはない人間独自のものであり、他の人や社会に大きな影響を及ぼすものでもあり、だからこそ慎重に取り扱う必要があるのです。国が言葉を適切に「管理」し「集め」て「分配」する必要があるのです。
なぜ租唖があるのかを考えるために、逆に租唖がなかったらどうなるかを考えてみましょう。
つまり、みんながいつも好き勝手に話したいことを話したら、好き勝手に書き散らかしたものを見せびらかして教室の壁に貼り付けたら、いったい世界はどうなってしまうでしょうか?
はい、長谷部さん。「言葉がめちゃくちゃになる」。その通りです。古賀さんも手を挙げていますか?「社会がひどいことになる」。良いですね。寺沢さんもどうぞ。「人を傷つけてしまう」。皆さんよく想像できていますね。順に見ていきましょう。
まずは、言葉がめちゃくちゃになってしまいますね。私たちヒトが、猿のような姿から今の姿に変化するまでには500万年かかったと言われていますが、話し言葉は何も制限を加えなければ、わずか数年数十年でも変わり続け、数百年あればほとんど通じなくなってしまうだろうと言われています。
言葉が変わること自体は悪いことではありません。しかし、周りが下品な言葉ばかり話していては、自分もどんどん影響されていって、やがては皆が下品な言葉しか使えなくなってしまうでしょう。文章についても同じです。売られる本はやがて、「人の命を永久にこの世界に戻ってこれなくするような行い」「依存性を持ち人の心身に著しい回復不能な傷を残してしまうような化学物質」について書かれた、美しくない本で溢れかえってしまうことでしょう。
内容が美しく正しいものだったとしても、読みにくく文法がめちゃくちゃな本が混ざるのを許してしまっていては、やはりどんどん読みにくい本が増えていってしまうでしょう。読みやすく整った文章を書くのは難しく、整った文章を沢山読んで、沢山書いて、初めてできるようになるからです。
そして、人々が言葉を好き勝手に使っては、社会もひどいことになってしまいますね。子が親に、生徒が先生に、身分が卑しい人が高貴な人に、民衆が政をとり行う方々に、あれこれ勝手にダメ出ししてはどうなるでしょう?社会の秩序はめちゃくちゃになってしまいますね。
「言葉」の持つ力は、とてもとても大きなものです。私は今こうやって教壇に立ち、皆さんに授業をしていますが、これは私が「教員免許」を持っているから許されることなのです。免許もないのに、でたらめなことを勝手に教えてしまっては皆さんにとっては大迷惑ですよね。
教師に限らず、小説家にしろ作詞家にしろ歌手にしろアナウンサーにしろ「言葉を扱う」仕事は、どれも免許を取らなければなりません。彼らがきちんと試験に合格して、「美しく正しい言葉」を操れると国から認められているからこそ、私たちは安心して彼らの小説を読んで歌やニュースを聴くことができるのです。そうでなければ、私たちの心にどんな良くない影響があるか、分かりませんものね。
これは寺沢さんが言ってくれた「人を傷つけてしまう」ことと重なりますね。言葉が人の心に与える力は本当に大きなものです。
昔の人は、「言葉には言霊が宿っているので、良い言葉を口に出すと良いことが起こり、悪い言葉を口に出すと不吉なことが起こる」と考えていましたが、あながち誤ったものではありません。
私が他の人になにか良くない言葉を――そうですね、具体的に言うのはまずいので、たとえば「この世から永久にいなくなってしまうような状態になれと命令する」ような言葉を吐いたとして、その人が本当にそうしてしまうということも有り得ます。言葉は人をしばしば傷つけ、場合によっては取り返しのつかないことになってしまいます。
銃という恐ろしい武器は所持が禁じられているのと同じように――すみません、恐ろしい事件が起きたばかりでしたね。先生の身内も銃で亡くなりました――凶器となる言葉は禁じられなければならないのです。
自分の手を汚さずに相手の心をむしばむ、銃よりもさらにたちの悪い卑劣なものだから当然です。暴言を吐く行為や、勝手に自分の言葉を世間に向けて発信する行為は、もちろん厳しく取り締まられます。数年のあいだ「奪言」に処されたり、「再教育」の対象にもなり得ます。
租唖は人間が生まれながらに持つ「言葉」を、「社会」を、そして何より「人」を、大切に守るために欠かせない制度なのです。
ところで、租税の中には「累進課税」という制度が設けられているものがあります。
稼いだお金の一定額を納める所得税などがこれに当たり、よくお金を稼ぐ人ほど稼いだお金に占める税金の割合が大きく、反対にあまりお金を稼げない人は、税の割合が小さかったり納める必要がなかったりします。お金の格差が拡大しすぎて社会が不安定になってしまうのを防ぐためです。
租唖も、それぞれの人で重さは違います。「美しい言葉を正しく扱える人」は、そうでない人よりも「言葉を扱う権利」が大きくなっています。そうすることで「言葉の再分配」が行われ、「美しい言葉を正しく扱えない人」同士のコミュニティでも、「美しく正しい言葉」が行き渡りやすいというわけです。
租唖が軽い人はどのような人でしょうか。はい、いわゆる「言語検定特級」――正しくは「言語能力・思想検定特級」に合格した人や、身分が高貴な方、お金を沢山持っている人、国を治める方々などは、租唖がほとんど免除されていますね。
反対に罪を犯してしまった人は――特に「言葉にまつわる罪」を犯した人は――社会に悪影響を及ぼさないために重い租唖が課されますね。
また東京では、地方から来た人や外国の人の方が、東京の人よりも租唖の負担が少し大きいです。我が国の「標準語」を守るためです。
それと皆さんはまだ子供ですから、租唖は大人よりも重く課されてしまっています。租唖は十段階までありますが、皆さんの多くは第六等級だと思います。
四日に一度は「租唖の日」が設けられ、自分の言葉を「四十人」以上に同時に届けることは認められない等級です。
もちろん本人の資質次第で、あるいは親御さん次第で変わりますから、第七、第八、あるいは第五等級だという人もいるでしょう。――佐竹君、いまなんて言いましたか?他人の等級を侮辱する発言は、立派な暴言です。もし先生が通報をすれば等級が下がりますよ。
――そして「義務教育卒業試験」に合格できれば第五等級まで、つまり大部分の大人と同じ等級になれます。努力次第ではさらに上げることもできるのです。言うまでもなく、等級が上がるにしたがって、言葉を扱う責任も伴うことは忘れないでください。
――市川さん、何でしょうか?「先生の等級を教えてください」ですか?先生は第三等級です。租唖は十日に一度、しかも仕事のある時間帯は免除されますし、自分の言葉を「千人」までに――つまりこの小学校のすべての生徒に届けることが許されます。
まあ、先生の話は置いておきましょう。
このように租唖は、「租唖の日」を課したり、等級を設けたり、言葉に関する仕事のライセンスを設けることで、国が言葉を国民から「集め」て適切に社会に「分配」しているというわけです。
国が国民からお金を集め、医療・水道・消防・道路・教育・警察といったサービスに分配して美しい社会を維持する、租税と似ているのが分かると思います。
租唖の日は嫌なものだと思いますが、たまには話せない日があるからこそ、言葉や他の人をより大切に、美しく扱えるものですよね。もし友達と毎日おしゃべりしていては、くだらない噂や嘘ばかり話したり、陰口をたたいたり、暴言を吐いてしまうことにもなりかねません。
学校の無い日曜や夏休みは嬉しいですが、毎日が日曜日では、メリハリのない毎日を送ってしまうことになりかねないのと同じことです。
皆さんも、租唖の日には「租唖マスク」をして、ちゃんと学校では喋らないように気を付けていると思います。小学校ではうっかり破ってしまっても大目に見てもらえますが、中学校に上がってからは気を引き締めなければなりませんよ。
「脱唖」の罪は重いですからね。皆さんは租唖の日に、公の場で発言が許可される場面をちゃんと言えますか?
目上の人に発言を求められた場合、自分や周りの人の命が危なくて助けを求める場合、お店や交通機関や病院を利用するときに必要になる場合、などです。
要するに「自分から」勝手に、「自分の言葉」を――つまり自分の「気持ち」や「意見」が絡む内容を――発してはいけない、ということです。これさえ覚えておけば、脱唖で捕まることはありません。
――安達さん、なんですか?「先生はさっき田中君を当てなかった」って?はい。目下の人であれば、租唖マスクをつけている人にいつでも発言を求めて良いというわけではないのです。あくまで必要な場合に限られます。
中学校の部活動に入って「先輩」という立場になったら、きちんと身に付くと思います。分からないうちは、租唖中の「後輩」には話しかけないほうが良いでしょう。
そして喋ってはいないからといって、「『自分の言葉』を『文字』で書いて友達に見せる」のはもっとダメです。文字は長持ちしますし、いくらでも多くの人に届けてしまえますから。
租唖の日には授業のノートを隣の人に見せてはダメですし、租唖の人にノートを見せてもらうよう頼むのもダメです。ノートには感想や疑問など「自分の言葉」が書かれている場合も多いでしょう。
田中君と――それから福井君も中嶋さんも土田さんも今日は租唖の日ですね。きちんとルールを守っていますよね?――ええ、うなずくのは大丈夫ですよ。身ぶりや手ぶりは自分の複雑な「気持ち」や「意見」を正確に伝えられるわけではありませんからね。
あ、手ぶりが大丈夫だからといって、手話を使うのはだめですよ。音声の言語と同じく、手話は複雑な構造を持った立派な言語です。ニカラグア手話といって、自然発生する様子が観測された例もあります。
とはいえ、聴覚を持たない ろう者の方、言語の障害を持つ方などは、昔は租唖は免除されていました。言葉を話せないから一人前の人間ではない、そんなひどい扱いを受けていたのです。しかし今では、手話という言語を操り租唖の対象になる、同じ一人の人間としてきちんと扱われます。
では、私からの説明はひとまず終わりにして、皆さんから租唖についての質問があれば答えることにしましょう。
はい、栗原さん、どうぞ。……「昨日の夜にお父さんがお母さんに、バカヤロウと怒鳴っていた」?……「バカヤロウ」!?……良いですか栗原さん、そんなおぞましい言葉を……いえ、そんな汚らわしい言葉を――すみません、そんな「ふさわしくない」言葉を公の場で使っては、「罵言の罪」で連れていかれてしまいますよ。
二等級下がるだけでなく、奪言二年を食らうかもしれません。あなたの将来やお父さんのお仕事を台無しにしたくなければ、黙っていることです。先生も今うっかりして使ってしまいました。通報しないでくださいね。
今度は、斎藤君ですか、なんでしょうか?「お姉さんが、租唖はおかしい、租唖のない国に行って自由に本を書きたいと言っていた」?
……斎藤君。もう中学生になるんだから分かるでしょう。お姉さんがそんなことを言ったなんて、嘘をつくのは駄目ですよ。公共の場での「虚言の罪」は軽くないですよ。発言には気を付けましょう。
もし仮に、今の斎藤君の「嘘」を先生が真に受けて、しかるべきところに通報してしまえば――お姉さんはもう高校生でしたか?へたすれば「無期奪言」か、あるいは――いえ。ともかく、お姉さんのことが大切なら、人前でそんな嘘をつくべきではありません。皆さんも、斎藤君の嘘を真に受けてはいけませんよ。
それと、租唖がない国はありません。「租唖がない国がある」「租唖があるのはこの国だけ」などの嘘に、簡単に騙されないようにしましょう。
ちょっと休憩します
はじめます
実は、租税がない国は最近までありました――肥料のもとになる鉱石がふんだんに採れ、輸出で大儲かりし、国民の誰も働く必要がなかったのです。
……しかし、鉱石をとりつくしてしまった後は、悲しいことになってしまいました。もし、言葉を国が管理していなければ――想像すれば分かりますよね。
他に手を挙げている人は――今日は皆さんよく手を挙げてくれますね、ありがとうございます。
西野さん、どうぞ。――「租税との類推は意味をなさない。言葉は各々が制限なく発するに任せる方が、社会を維持するコストも低いし、思考が無秩序に結びついて新たな思考が創発することで、明らかに文明が豊かに発展してゆくものではないでしょうか」?
…………西野さん。さっきの斎藤君の話を聞いていなかったのですか?「自分の言葉」を持てる人は、それを大事にしたい人は、なによりもまず「自分の言葉」が公の場で認められる安全なものなのかを判断する方向に、その知性を振り向けるものです。
皆さん、西野さんの今の発言は特に意味をもたない放言ですから忘れてくださいね。適当な雑音を発する行為は人の心にそこまで大きな影響を与えませんが、しかし迷惑ではありますから「放言の罪」もたしかに存在します。
もうすぐチャイムが鳴ってしまいますね。今日の授業はこれで終わりにしましょう。来週までの宿題を出します。……ブーイングをしない。きまりなのです。租唖の制度について皆さんが「思ったこと」を作文用紙に「自由に」まとめて書いてきてください。何枚でも大丈夫です。
そしてこの作文は、先生だけではなく、校長先生などにも見せます。もし文章や内容が非常に優れていれば、「上」にも見られる可能性があり、すぐに「等級」が上がらないとしても、将来的に言葉を扱う「権利」が増える可能性があります――つまり、租唖がほとんど免除されたり、「世間に発信する」権利さえ得られるようになるかもしれません。
頑張ってくださいね。……また、反対に「ふさわしくない」作文は、校長先生に見せる前に書き直してもらいます。先生は皆さんの味方だからです。
では日直の野田君、号令をお願いします。それと西野さんは、帰りの会と掃除が終わっても教室に残ってください。
終わりです
「租唖」は、藤本タツキ氏の漫画「チェンソーマン」(集英社「週刊少年ジャンプ」連載中)の作中に一度登場する、意味が解説されない単語です
乙 面白かった
https://note.com/coolbiz_warmbiz/n/n56e1b1694097
↑この最後に「※他の媒体に投稿していません(1/5)」とあるのでこのスレ丸ごと盗作では?
今どきパクリとかようやるな
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