着物彼女「仲直りの……ちゅー」 (16)
「ちゅーすっぞ」
初詣に対して、どうしても元日にお参りせねばならないといった強迫観念を持ち合わせて居ない俺たちは、三が日が終わり、丁度良い感じに参拝客が疎らになった頃合を見計らい、今年一年の諸々を神様によろしくお願いしに来た。
御手洗で手と口を清め、鈴を鳴らし、たった今、二礼二拍一礼を終えたところなのだけど。
「は?」
「ちゅーすっぞ」
連れがよくわからないことをほざいている。
「お前な……神前だぞ?」
「だからこそ、ご利益がありそうじゃんか」
「ご利益って……絶対バチが当たるだろうが」
いくらなんでもこのシチュエーションでキスはあり得ないだろう。しかし、連れは納得せず。
「いいじゃん、付き合ってんだし」
「その大義名分が通用する場所じゃないだろ」
「私とキスしたくないのかよ?」
「少なくとも今この場ではお断りだ」
「ちぇっ……けちんぼ」
ケチじゃなくてエチケットを守ってんだよ。
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「んじゃあ、帰ったらちゅーすっか?」
参拝を終えて、来た道を帰る道すがら、懲りずにキスの話題を振る恋人を、適当にあしらう。
「そういうムードになったら、考えてやる」
「なんで偉そうなんだよ? 頭下げろっての」
「どうして頭を下げる必要があるんだよ」
「せっかく、ちゅーしてやろうと思って提案した私がバカみたいじゃんか」
なるほど。どうやら認識に齟齬があるらしい。
「いつ、誰が、キスしてくれと頼んだんだ?」
「ちゅーしたそうな顔してただろ?」
「どんな顔だよ、それは」
呆れると、彼女は正面に回り、見つめられた。
「……なんだよ」
「いひひ……今、私の唇を見てただろ?」
「……見たら、悪いのかよ」
「別に? てか、私に言うことあるっしょ?」
「……意地張って、ごめんなさい」
どんなに不本意でもとりあえず謝っておく。
「よしよし。それでいいんだよ、それで」
「……本当に性格悪いな、お前」
「そんな私が好きなんだろ?」
まあ、好きだから、付き合ってるわけで。
「ただいま」
「おかえり。早かったわね」
帰宅すると、リビングから姉が顔を覗かせた。
「まあ、空いてたしな」
「……あの、お邪魔します」
「なんだ、あなた居たの?」
誰だお前とツッコミたくなるような彼女。
先程までの高圧的な態度はどこへやら。
姉の前だと、借りてきた猫のようになるのだ。
「あ、明けまして、おめでとうございます」
「はい、明けましておめでとう」
おずおずと、姉に新年の挨拶をする彼女。
そんな挨拶、俺はされた覚えがないけどな。
姉は腕を組み、つま先から頭の先まで眺めて。
「ところで、どうしたの、その格好は?」
「えっ? な、何か、おかしいですか?」
今日の彼女の格好はカーキ色のフライトジャケットにダボッとしたジーンズ。いつも通りだ。
髪が短いボーイッシュな彼女に似合っている。
「初詣なんだから着物くらい着たら?」
「いや~実は着物を持ってなくて……」
「じゃあ、私のを着せてあげるから来なさい」
「ええっ!? そ、そんなの悪いですよ!」
「口答えしない! ちょっとこの子借りるわよ」
「ほどほどにしてやってくれ」
助けを求める視線を向けられても万事休すだ。
こうなったら姉は誰にも止められない。
連行される憐れな彼女を見送って、ムードもヘッタクレもなくなり、俺は一人で自室に篭って、お色直しをひたすら待つこととなった。
「ま、ざっと、こんなものね」
「い、息が苦しい……」
「文句言わない!」
「は、はひっ!」
小言を言われつつも着付けは終わったらしく。
俺の部屋に来た彼女は、艶やかな着物姿に。
驚きよりも、感心というか、感嘆してしまう。
「こうも変わるとは……」
「ジ、ジロジロ見んなっ!」
「あなた、誰の弟にそんな口利いてるの?」
「す、すみません! ごめんなさい! だからお尻はつねらないでくださいっ!!」
姉に尻をつねられて涙目の彼女は普段の何百倍も女らしくて、ついつい、胸がときめいた。
「た、助けて……!」
「あ、ああ。姉貴、そのへんにしとけ」
「そうやって甘やかすから駄目なのよ」
「お、おう。監督不行き届きで、申し訳ない」
何故か俺まで謝る羽目に。姉は鼻を鳴らし。
「いい? ちゃんと言いつけ通りにするのよ?」
「はひっ!」
「本当にわかってるの?」
「わかりました! だからお尻だけは……!」
「ん。それなら、頑張んなさい」
「ひゃんっ!?」
何やら問答をしたのち、最後にペチンと彼女の尻を叩いて、姉は俺の部屋から立ち去った。
「あんたのお姉さん、怖すぎ」
「慣れるしかない」
「……でも、着物貸してくれるとか、良い人」
姉に怯えながらも、満更でもない様子。
クルクル回って、ご機嫌な彼女。
つい、ひらひら翻る振袖に見惚れていると。
「見すぎだから」
「別に……減るもんじゃないだろ」
「それもそうか……んで、私、かわいい?」
そう尋ねられたら、首を縦に振るしかない。
「……かわいいよ」
「よっしゃ!」
ガッツポーズする恋人に、グッときた。
「なあ……こっち、来れば?」
「その言い方、どうにかなんないの?」
「……こっちに、来てくれ」
「しゃーねーなぁ! ほら、これでいい?」
ベッドに横並びに座らせると、胸が高鳴った。
「顔、赤すぎ」
「……仕方ないだろ」
「まあ、気持ちはわかる」
「……わかって、たまるか」
普段ボーイッシュな恋人の女らしさとか。
そんなマニアックなところに惹かれてしまう男心なんて、女には絶対にわかって欲しくない。
「でも、まあ、安心したよ、ほんと」
「なんのことだ?」
「女に興味ないのかと思ってたからさ」
なんだそれは。とんでもない誤解である。
「俺はノーマルだ」
「でも正直、女の人、苦手っしょ?」
「まあ……姉貴が、あんなんだからな」
あの姉と暮らしたら、誰でも女を恐れる筈だ。
「だから、私はこんな感じであんたに近づいて、付き合ったわけだけど……怒られちった」
「怒られたって、姉貴に?」
「うん……女を隠すのはズルいってさ」
「それで、着物を着せられたってわけか」
「今日一日は女らしくしろって言われた」
姉貴の奴。弟の恋人に何を言ってやがんだ。
「気にすんな」
「でも、事実だから……」
「いいんだよ、お前はお前で」
我ながら、臭い台詞だとは思う。
それでも、本心からの言葉だった。
たしかに、こいつは女らしさを隠している。
けれど、そのおかげで、非常に楽だった。
一緒に居て、気疲れしない関係を築けた。
それを姉はズルいと言うが、知ったことか。
「俺はそんなお前を、好きになったんだから」
全て織り込み済みだ。だから、問題はない。
「……どこでそんな台詞を覚えたの?」
「ネットを探せばいくらでも出てくるぞ」
「……バカ野郎」
とんっと、肩に頭を乗せてきた。絶好の機会。
「キス、するか?」
文句なしの、最高のムード……だと、思ったら。
「……めっちゃ、したいけど……今はダメ」
「はあ? なんでだよ」
「……めっちゃ、おしっこ……したいから」
おしっこか。それなら、仕方ないよな。畜生。
「さっさとトイレに行ってこい」
「そうしたいのはやまやまなんだけど……」
「どうした?」
「自分では帯が緩められなくて……」
「裾まくって、そのまましろよ」
「汚したらどーすんだよ! 切腹ものだぞ!?」
「お、おう……すまん」
というわけで彼女の花摘みに同行する羽目に。
「いいか? 帯は慎重に緩めろよ?」
「んな、大袈裟な」
「じゃないと、決壊しちゃうからあっ!?」
「お、おう……わかった。任せてくれ」
トイレの個室内で、俺は慎重に帯を緩めた。
「脱いだ着物、持ってて!」
「お、おい! 何も全部脱がなくても……」
「肌着も長襦袢も汚せないだろ!?」
「だからって……お、おいっ!」
「なんだよ!? 漏れちまうぞ! いいのか!?」
「良くないけど! お前、パンツは!?」
「んなもん、ひん剥かれたっつーの!!」
どうやら姉は、パンツをひん剥いたらしい。
「後ろ向いててするから問題ないだろ!?」
「問題だろ! すぐに俺は出てくから……」
生尻に耐え兼ねて、個室から脱出を図るも。
「ひ、1人にすんなよっ! 泣いちゃうぞ!?」
「泣くな! わかった! 傍に居るから!」
「じゃあ、手繋いで! どこにも行かないで!」
「よしきた! ほら、これでいいか!?」
「あー良かった! ほっとしたら、出そう!」
「出せよっ! 全部残らず出し切っちまえっ!」
「……嫌いに、ならない?」
「今更何言ってんだよ!? ならねえよっ!!」
「……そういう優しいとこ、ポイント高いぞ」
「うるせえ! さっさと出せよ! 出しちまえ!」
「せ、急かすなよ! 出るものも出ないだろ!」
もう、トイレで何してんだろうね、俺たちは。
「ああ、もう! とにかく!」
このままでは埒があかないと判断して、俺は。
「とりあえず、黙れ」
「ふあっ……!」
便座に後ろ向きに座った恋人を、抱きしめた。
「もっと、ぎゅっとして……?」
「こうか?」
「お腹、押すように……んっ。そんな感じ」
言われるがまま、彼女の下腹部を圧迫する。
「出そうか?」
「っ……んなこと、聞くなっ……あんっ」
「出た?」
「だ、だから、聞かないで……んんっ」
おや? なんだか如何わしいぞ。おかしいな。
「ほら、出しちゃえよ」
「ダメ……恥ずかしいよぅ」
「とか言いつつ、楽しんでんだろ?」
「それは……自分、だろっ!」
「ああ、俺は楽しい。愉しくて、堪らない」
「ひぅっ!? この、変態……!」
「最高の褒め言葉だ」
なんだろう。この征服感。癖になりそうだ。
「ああ、そこぉ……ダメダメ!」
「ダメじゃない」
下腹部のマッサージのコツはだいたい掴めた。
「ほんとにヤバい……ヤバいからあっ!?」
「出して」
「……やだ」
「じゃあ、やめるか?」
「やだぁっ!」
本当にわがままだな。くっそ可愛いなあもう。
「耳とか、かじった方が良さげ?」
「やんっ……聞くな、バカ」
「では、遠慮なく。いっただっきまーす!」
「ひゃうんっ!?」
パクリと耳をかじると、ちょろりと水音が。
「今、出たよな?」
「……うっさい。耳、もっとして」
「してください、だろ?」
「調子乗んな……あひゃんっ!?」
強がっても身体は正直だ。ちょろろろろろん!
「ああっ!? 出てる! おしっこ出てるぅっ!」
「フハッ!」
勝利。その二文字が脳裏に浮かび、哄笑した。
「フハハハハハハハハハハハハハッ!!!!」
もう、誰にも、止められない。勝鬨を上げた。
「ちょっと、トイレで何をしてるの?」
ドンドン、と強めのノックと、姉の声が響く。
「フハハハハ、ハハハハ、ハハハ……やばい」
一気に冷めた。冷水をかけられて我に返った。
「……大笑いするから」
「だって、仕方ないだろ」
「まあ、気持ちはわかる」
「わかって、たまるかよ」
彼女に叱られつつも、後始末を開始。
「ほら、これでさっさと拭け」
「……ありがと」
トイレットペーパーを手渡すと、拭き始めた。
「っ……こ、これは!」
「ん? どうかした?」
「いや、なんでもない」
前傾姿勢になった彼女の生尻が魅力的すぎて。
「ちょっと、すまん」
「えっ?」
「ちゅっ」
「うひっ!?」
思わずキスしたら最後の尿がちょろりと出た。
「フハッ!」
「お、お尻にちゅーすんなよっ!?」
「フハハハハハハハハハハハハハッ!!!!」
二度目のフィーバータイム。しかし姉がまた。
「今度高笑いしたら、ドア蹴破るから」
「あ、はい……すんません」
これはマジギレの気配。大人しく沙汰を待つ。
「で?」
「俺はただ、トイレの補助をしていて……」
「で?」
「別に何もやましいことはないと言うか……」
「で?」
「少なくとも、規制には引っかからないと……」
「で?」
「申し訳ありませんでしたあっ!!」
個室から出たのち、俺は釈明に追われた。
法的には、何も問題はない筈だ。健全だった。
しかし、姉ルールの前では何もかもが無意味。
「何が悪いか、ちゃんとわかってる?」
「……まあ、一応は」
「私が怒ってるのは女の子を泣かせたからよ」
「えっ?」
泣かせた? なんだそれはと、思っていると。
「ふぇ~ん」
「よしよし、怖かったわね」
おい、誰だそいつは。くそっ。裏切り者め。
「この子は大事な恋人でしょ?」
「……はい」
「だったら、大切にしなさい」
「……はい」
いつの世も男は悪者だ。それがこの世の定め。
「新年だから、ビンタ1発にしといてあげる」
「……勘弁してくれ」
「男なら覚悟を決めなさい! いくわよ!」
「ぶべっ!?」
思いっきり頬を張られて、廊下に転がった。
「しばらく、そこで反省すること」
「ふぁい」
頬を腫らして、トイレの前で正座していると。
「あっぶねー。マジ助かったわ」
裏切り者の恋人がヘラヘラと肩を叩いてきた。
「……お前なんかもう知らん」
「怒んなよ~! ちゅーすっか?」
「……する」
「なんだよ、やけに素直で可愛いなあ」
だいぶ落ち込んでいたので素直に受け入れた。
「仲直りの……ちゅー」
触れるだけのキス。けれども、長く甘いキス。
「それにしても、めっちゃ、愉しかったな!」
「ふんっ……そりゃあ、良かったな」
「なんだよ、愉しかっただろ?」
「……まあ、な」
「照れんなよ~! ほら、もっかい、ちゅー!」
なんか、キスで誤魔化されている女の気分だ。
それでも、怒りや憤りは、消えてなくなった。
姉が着付け直してくれた着物のおかげだろう。
トイレの芳香剤の香りが、鼻腔をくすぐって。
なんだか今年も良い年になりそうだと思った。
【仲直りのちゅーはトイレの後で】
FIN
キス好きなボーイッシュ彼女とか最高や
乙です
オリジナルながら新年早々いい話でした
sage忘れすみません
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