有栖川夏葉「(Sat.)ふしぎなこと」 (12)



「一秒だって無駄にはできない」

 いつだったか、私が担当のプロデューサーに対して言った言葉が、頭の中でリフレインしていた。



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この考え自体は、今もまだ変わってはいない。

けれど、最近になって、不可解な変化が自身にあった。

というのも、どうやら私は、しばしばこの考えに反した行動を取るようになってしまったのだ。


私は私が、無駄だとか非効率的な行動だとか、そういった類のものを好まないことは重々承知しているし、こうしている今だって、これから先取るべき行動が優先度順に頭には浮かんでいる。

なのに、時折、制御ができなくなる。

一体、私はどうしてしまったのであろうか。

体に残る石鹸をシャワーで洗い流し、湯船に浸かる。

胸の奥に鎮座している、正体不明の重くてもやもやとした掴みどころのない何かの正体を、一刻も早く突きとめねばならない。決意を込めて目をぎゅっと閉じる。

自然と口から漏れ出たのは溜息だった。


手早く髪を乾かし、入浴後のケアを済ませ、ストレッチへと移る。

既に習慣と化した、流れるような工程に満足感を覚えながら伸ばしている筋肉に意識を向ける。

ストレッチは、入浴後の体が温まっている状態で行うことでより高い効果が得られる。

つまりは、体が冷えてしまう前にストレッチを行う必要があるということであり、体が冷える前にストレッチに辿り着くにはそれ以前の工程を最大まで効率化しなくてはならない。

ああ、今日は何も問題はなさそうだ。

日々の習慣が滞ることなく進むことに安心する。

今日は平常通り動けている。

胸のもやもやは、もしかしたら気のせいで、ただ一時的に不調であるだけなのかもしれない。

そんなことを考えながら、寝支度を終える。

自室の照明を落として携帯電話をサイドテーブル上の充電器へと接続したあとで、ベッドへと倒れ込む。

脳内で明日の予定を思い返しつつ、目を閉じた。


そのときだった。

充電器に接続されている携帯電話がぶるぶると震えた。

ちらりとディスプレイに表示された発信者の名を見やる。

私を担当しているプロデューサーからだった。


急用だろうか。

しかし、急用だとしても今すぐなんてことはないだろう。

それに、この着信に応えなければ用件はメールで送ってくれるであろうし、確認するのは明日の朝でも何ら問題はない。

頭では理解できているのだが、手は携帯電話に伸びていた。

鳴りを潜めたとばかり思っていた胸の奥にある何かが、急に質量を増したような妙な感じがする。

また、だ。


「もしもし。私だけれど」

『あ、夏葉。俺だけど』

「ええ」

『ごめんな、夜遅くに。寝るとこだった?』

「大丈夫よ。それで?」

『ああ。えっと、明日の収録なんだが、立ち会えなくなってな』

「…………そう」

目に見えて声のトーンが落ちて、自分で自分に驚く。

これでは、担当のプロデューサーに収録に立ち会ってもらえなくなっただけで落ち込んでいるみたいだ。


『あれ。結構本気で落ち込んでる?』

思ったことをそのまま言い当てられ、どきりとしてしまう。

「そんなことないわよ」

『いや、勘違いならいいんだが』

「……プロデューサー」

『ん?』

「全然関係ないのだけれど、少しいいかしら?」

『ああ、いいよ』

「最近、よくわからないことがあって」

『よくわからないこと?』

「ええ。いつか私が、一秒だって無駄にはできない、って言ったこと、覚えてる?」

『ああ。カフェで鉄アレイ片手に本、読んでたよな』

「この考え自体は全く変わってないはずなのに、どうしてか真逆の行動を取ってしまうことが増えたのよね」

『例えば?』

「例えば……目的地には倍以上時間のかかる逆回りの電車を選んでしまう……とか。今のこの電話もそうね、本当ならその程度の要件、メールで事足りるでしょう、って言うところなのに」


『ああ、そう言われたらその通りで返す言葉もない』

「あ、その、プロデューサーを責めているわけじゃないのよ?」

『というと?』

「そういう、前までは非効率や無駄に感じていた行動を取ってしまうのが不思議で」

『そっか』

何故かプロデューサーはくすくす笑って、言う。

「何笑ってるの?」

『いや、ちょっとね。そっか、夏葉は気付いてないんだな』

「……? どういう……」

『きっとそれはね、夏葉の性格自体は変わってないと思うよ』

「非効率や無駄に感じていた行動を平気でしてしまうのに?」

『ああ。夏葉が無駄を嫌うのは変わんなくて、ただ単に夏葉の物の見方……っていうよりは物の受け取り方か。それが変わっただけなんじゃあないかなぁ』

言われて、はたと気が付く。つまり、私は。

紅潮する頬と、汗ばむ手のひら。これが電話で良かった、と謎の安堵をする。

「……そういうことだったのね」

『納得した?』

「ええ。納得したわ」

『うんうん』

にやけた顔が目に浮かぶ。


「これは良いことなのかしらね」

『さぁ、どうだろう。でも俺は嬉しいよ』

「そう」

『ついで……ではないんだけど、俺も関係ない話、一つしていいか?』

「……ええ」

『さっき、メールで事足りるって言ってただろ。アレさ、俺もそう思ったんだけど、なんとなく電話したくて。ほら、今日はタイミング合わなくて会えなかったし、明日も立ち会えないからさ』

「そうね。きっと私も、明日の朝その知らせをただ受け取るよりも、こうして電話してもらった方がずっと落ち込む度合いが軽かったと思うわ」

『そりゃよかった』

「だから、ありがとう。電話してくれて嬉しいわ」

『いえいえ。こちらこそ声が聞けて良かった。遅くにごめんな』

「ううん。大丈夫よ。それじゃあ」

『ああ、おやすみ』

「おやすみなさい」

つー、つー、と電子音を吐くのみとなった携帯電話を耳もとから離し、電源を落とす。

再度ベッドへと倒れ込み、相手のもとには届くはずのない、二度目のおやすみなさいを呟いて、目を閉じた。

おわり

おつおつ
よかった

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