嘘刀語 (161)


 物語と言うのは大抵一方の視点から語られるものだ。
 物語を彩る人物の全ては語られる事は決してない。それは主要視点の人物であっても逃れられない定めだ。それが脇役敵役ともなればなおさらだ。
 語れる物語は有限だ。
 語れる人物は有限だ。
 ならば、限りある中で語られる物語を語ろう。
 とかなんとか言っちゃったりして。
 妄想に妄想を重ね、幻想に幻想を塗り、連想に連想を繋げ、偽装に偽装を継ぎ、偽証に偽証を含み、欺瞞に欺瞞を掛けた嘘八百の物語。思い付きと思い違いで思うがままに綴られる物語。
 嘘歴史の嘘歴史。
 格闘剣花絵巻、刀語の外伝!
 嘘刀語始めますか?

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一振り目・絶刀『鉋』所有者 真庭蝙蝠








 真庭忍軍。
 時代の裏で権力者たちの下、その鍛え上げた技で歴史を積み上げてきた忍者の中でも暗殺を専門とする特異な忍軍。その凶悪な性質と確かな実力でもって長い歴史を積み重ねることが出来ている強大な組織でもある。
 十二頭領というその名のごとく十二人の頭領の下に統率されると言う奇異な組織体制の下に構成された忍軍は、その手柄の末に天下を握った尾張幕府と密な関係を持つに至った。それは忍軍としては安泰が約束されたようなものだ。

 だがこれらの情報は全て過去形で話すべきだろう。
 何故ならばよりにもよって、天下の尾張幕府を裏切ったのだ。
 里を引き上げて、忍軍総出で抜け忍になった。

 本来この様な事はある事ではない。
 あって良い事ではない。

 だが、それでもソレは起きてしまったのだ。
 真庭忍軍に所属するある一人の忍が、尾張幕府家鳴将軍直轄預奉所軍所総監督と共に遂行したある任務が切っ掛けだった。あるいはもしもこの世界に歴史を築き上げようと心血を注いでいる者が居たとしたら、それは仕掛けだったのかも知れない。

 いずれにせよ、起こってしまったものは覆しようが無い。
 ならば問題はこの後どうするのか、だ。
 成立してしまった歴史に対して、これからどのような歴史を積み上げるかだ。

 これに関しては互いに迅速だった。
 裏切られた者はすぐさまに次の手を打ち……また裏切られていた。
 そして、裏切った側は……。


「キャハキャハ、いくらおれたち真庭忍軍が抜け忍には寛容だからつってもよぉ、まさか里全部が抜け忍になる日が来るなんて思いもしなかったよなぁ。 ま、おれが言っちゃあ世話無いけどよ」

 耳障りな甲高い声でその男は言った。
 黒い袖無しの忍装束。腕に巻かれた鎖。一般の忍装束とは乖離した変体忍装束は彼が真庭忍軍の忍である証だ。
 そして彼こそが里ごと幕府を裏切り抜け忍になる切っ掛けとなった任務をこなした忍だ。

 真庭忍軍十二頭領が一人、獣組真庭蝙蝠。

 軍所総監督奇策士とがめにある刀の収集を命じられ、見事その任務を果たし――その刀を持ったまま逃走した。
 忍者なんていうのはどれだけ技術を磨こうとも忍術を極めようとも雇われの身である。いくら卑怯卑劣が売りの暗殺集団だとは言え、信用を失えば雇われ先を失う。主君を裏切るなど信用をどん底に落とすような真似は御法度などという生易しい話ではない。禁忌だ。普通思いつきすらしない。魚が陸上で日向ぼっこをしようと言い出すようなものだ。

「まあおれは獣組であって魚組じゃねぇんだけどよ」

 その組み分けに関してはかなり怪しい部分が多いのだが。
 組み分けの詳しい内容に関しては、6月の物語にて。

 話が横にずれたが蝙蝠が、そして真庭忍軍がそんな危険を冒してまで幕府を裏切ったのかと言えば、そこはいかに忍者らしからぬ裏切りという行為を働いた割りに忍者らしかった。
 金のためだ。
 先に述べたように忍者は雇われの身だ。
 雇われてその腕を振るう以上は見返りを要求するのは至極当然のこと。
 得られる報酬とは何だ?
 卑怯卑劣が売りな忍者が名誉など求めるわけが無い。
 雇われ使われる身で天下など手に入れられるわけが無い。
 もちろん報酬と言えば金である。
 金のために技を磨き、金のために雇われ、金のために殺し、金のために裏切る。
 そこには一部の矛盾も一瞬の後ろめたさも存在しない。

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しかし、ならばこの時代において最大の顧客であるはずの幕府を裏切ったのは何故か。
 いや、何故かも何もすでに述べたように金のためなのだが、この時代この国に幕府以上に金を出して雇ってくれるような所はないはずなのだ。どう考えても割に合わない。利益とリスクが折り合わない。

 その答えが先の任務で収集した刀にある。

 四季崎記紀。
 戦国の世を支配したとさえ言われる伝説的な刀鍛冶。その彼が打った刀の総数は千本と言われているが、中でも別格とされる十二本の刀がある。否、その十二本のために他の刀を打ったとさえ言われているくらいの格別だ。

 その内の一本こそが先の任務で真庭蝙蝠が刀。
 決して折れず曲がらず傷つかず何時までも良く斬れる。頑丈さに主題を置いて打たれた刀。
 『絶刀・鉋』。
 刀としての機能はさて置いても美術品としてのその価値は、一国が買えるほどとすら言われている。

 言われてるだけで十分だ。
 言われてるほどで十全だ。
 幕府を裏切り、里ごと抜け忍なるのには事足りる。

「全部集めりゃ、国が十二個買えちまうって訳だ。 キャハキャハ! いくら幕府つったってこれ程の報酬をくれねぇもんなぁ。 それだったら全部横取りして売っぱらっちまうってのは至極当然のことだ」

 

キャハキャハ、とやはり聞く者を不快にさせる甲高い笑い声を上げる。
 真庭忍軍十二頭領という立場にいる人間にしては随分と人格に難があるように思えるが、それは何も蝙蝠だけに限った話ではない。真庭忍軍に所属する者で人格に難がない、精神が破綻していない忍など皆無だ。十二頭領ともなればその際どさが極まった際物揃いだ。ひょっとしたらキャラの濃さで選出したのではないのかと邪推してしまいたくなるような面子だ。まるでそうでもしないと歴史に介入できないとでも言うように。まるっきりそうでもなければ物語に登場できないとでも言うように。

「しかしあの奇策士の子猫ちゃんには感謝しなきゃいけねぇのかな? おれたち真庭忍軍を恐れ知らずにも利用しようなんて思ってくれちゃってありがとうってよぉ。 キャハキャハ! お陰でこんな儲け話にありつけたんだからな」

 だけども、それでも――。
 蝙蝠は今までの甲高い笑いとは違う静かな、しかしそれこそが本質だと言わんばかりの暗い笑みを浮かべる。

「あの女に感謝する気なんて、いくら金を積まれようとも起きねえがな」

あの奇策士の目的を知った以上、あの女の異常な正体を知ったならば、とりたてて特別な感情ではない。
 蝙蝠は確信していた。卑怯卑劣が売りな蝙蝠だからこそ確信していた。
 この世にそれらを知ったうえで協力しようなどと言う物好きは、好き好んで利用されようと言う奴は一人だっていやしない。
 あの女を好きになるような奴など絶無だ。

「キャハキャハ! あんたもあの女に利用される所だったんだぜ、危なかったよなあ」

 笑う蝙蝠の前には縛られ猿轡までされた男が一人、恐怖で震えていた。
 男はここらではそれなりに名の知れた、腕の知れた船頭だった。自分でも己の腕への自信を持っていた。頼まれれば向こうの無人島にだって豪語していたほどだ。
 それが災いした。
 金の支払いが良い客が来たまでは良かった。若い娘だった。老人のような真っ白な総髪。豪華絢爛と言う言葉すらでも足りない着物を重ね着した娘だった。
 真っ当でないことなど一目で知れる。ましてや行く先は無人島だ。これで怪しまないものはいまい。
 それでも、詮索しなかったのは支払いの良さと己の腕を証明する良い機会だと言う事、それになによりも下手に詮索して厄介事に巻き込まれたくなかったからだ。

 しかし、本当に巻き込まれたくないと思うならば、いらぬ欲を持つべきではなかった。断ってしまえば良かったのだ。
 今更、何を言ったところで、どう思ったところで手遅れなのだが。

「しかし、あんたも中々良い体してるじゃねえか。 戦闘用の体とはまた違った鍛え方だよな。 これが海の男って奴なのかねえ、カッコイイじゃねーか。 キャハキャハ」

 先程から一方的に喋り続けている蝙蝠だが、その視線はずっと男から外れずに居た。
 まるで観察しているように。
 まるで観測しているように。

「いやいや、おれもいろんな奴の体を視てきたけどよ、考えてみりゃ海の男はこれが初めてだったかも知れねえな。 今まであまり必要とすることが無かったもんなあ、キャハキャハ。 しかしおればっか見せて貰うってのは不公平だよなあ。 おれもあんたに取って置きを見せてやるよ」

 そんなことを頼んでいない。
 頼まれてもいないのに、蝙蝠は自分の腕を口の中に突っ込んだ。
 拳を口の中に入れられるのを一芸としている者がいるがそんな生半可な物ではない。拳どころか手首が肘が順々に口の中に這入りこんでいく。
 その光景は大道芸と言うには見ていて気分の良いものではない。
 ましてや縛り上げられた上で目の前でやられては不安と恐怖を煽るだけだ。

 そして当然だが、それで終わりではない。蝙蝠が見せようという取って置きはこんな大道芸の延長などではない。
 ずぶりと入った腕がゆるりと口の中から出てくる。
 肘、手首、手と這入ったものから逆順に逆再生のように這い出てくる。
 当然だが、これは時が遡っている訳ではない。その証拠に這い出てきた手には這入るときには無かった物が握られている。

 一振りの刀だ。
 蝙蝠の胴体よりも長い刀身を持つ直刀がまるで奇術のように取り出された。

「キャハキャハ。 こいつが伝説の刀鍛冶四季崎記紀が打った変体刀完成形十二本の内の一本《絶刀・鉋》だ。 アンタみたいな船乗りじゃ一生縁の無かったはずの刀なんだからしっかりと目に刻んでくれよ」

 しかし、そんな事言うまでもなく言われるまでもなく、船頭の視線は刀へと注がれている。釘付けだ。
 別にその刀が持つ特別な何かを感じ取ったわけではない。いくら伝説の刀鍛冶と呼ばれた男が打った際物の業物だとしても、剣士どころか武芸者ですらない船頭が見て、そこまで感じ入るものは無い。
 ただ単純に、縛られて身動きできない状態で翳された刀という分かり易い殺傷道具への危機感からだ。

 蝙蝠は船頭の真意を知ってか知らずか、いやむしろ船頭の真意などどうであろうとも同じことだと思っていることだろう。魅せてやると言いながらも自身がその刀身をうっとりとねっとりとじっとりと見詰めている。

「あぁ、本当に良い刀だ。 国一つ買えちゃうくらいの価値があるってのも頷けるってもんだよな。 剣士でもねえのにおれまでも魅かれるモノがあるぜ。 もっともだからって手放すのを惜しんじゃ本末転倒だよなあ。 あくまでこの刀は金のなる木ならず金になる刀なんだからよお。 キャハキャハ!」

 将来的にその刀をどうするかも船頭の興味の外だ。
 船頭が気になって気になって、気にして気にしているのは、今現在この場での刀の使い道だ。

「ああ、そうだこれだけじゃあ、おれの通り名としては足りないなあ。 あんたとしちゃ、一生拝む事ができない刀を見れただけでも十分かもしれないが遠慮するこたぁねえ。 存分に見て驚いてくれよ」

 キャハキャハと甲高い笑い声を上げる口が裂けた・・・。
 口だけではない腕が脚が、全身の筋肉が捩れ骨が伸縮し捏ね繰り回されて作り直されていく。

「ふぅ、やはり良い体だな。 戦闘用とは違うが見事に鍛え上げられている」

 船頭の目の前には刀を持ち変形忍装束を身に纏った船頭が居た。
 自分と同じ姿の者が自分に刀を突きつけている光景は悪夢そのものだったが、非情にもこれは現実だ。非常識だが現実だ。

「忍法《骨肉細工》。 体を粘土細工のように好きなように作り変えるのがおれの忍法だ」

 悪夢は楽しげに告げる。
 夢などではなく現実などだと。

「キャハキャハ! どうやらビックリ仰天してくれたみたいだなあ。 おれとしても見せた甲斐があったってもんだよ。 それじゃあ、最後にとっておきだ。 おれの名前と通り名を教えてやるよ」

 忍が名前を名乗る事のメリットはない。
 まあ、真庭忍軍に関してはその限りではないと突っ込みをされるかも知れないが。

「おれの名は真庭蝙蝠。 通り名は冥土の蝙蝠。 あまりにも冥土の土産を大盤振る舞いする接待好きの性格から名づけられた名前だよ。 あんたも一杯土産を持てただろ?」

 ゆるりと刀を翳す。
 ここまでくれば、事がここに至ればその刀の使い道は両全だった。

 知りたくも無かったけど。

「でもまあ、良かったよなあ。 あんたは運がいいぜ。 これであの女に利用されることがないんだからな」

 その言葉を最後に船頭は船を出した。
 土産を沢山載せた三途の川を渡るための船を。

 不承島。
 この島をそう呼んでいるのはこの島に流された親子だけだ。近くの本土の地でも無人島と認識されている、そんな島。
 そんな島につい先刻、一艘の船が訪れた。

 乗っていたのは二人。
 一人は年不相応な白髪頭の豪華絢爛な着物を着た女。
 もう一人は、彼女をここまで送り届けるために舟を漕いで来た船頭。
 否、既に今は船頭ではない。

「キャハキャハ! あの女どこへ行くのかと思えばこんな無人島にようだったとはな。 まあとは言っても、あの女が何の目的も無く訪れるわきゃあねえよな。 どうせ碌でもない悪巧みを腹に訪れたんだろうよ」

 既に、変体忍装束へと着替えた真庭蝙蝠は白髪頭の女――奇策士とがめを追うべく、行動に移っていた。彼女の動向を追うことで、より多くの四季崎記紀の刀の情報を得るために。

「さあて、んじゃまあ、あんたの持っている情報を洗いざらい全て吐き出してもらおうかね、子猫ちゃん。 どんな手段を用いてもどんな犠牲が出ようともな」









一振り目・完了
















二振り目・斬刀『鈍』所有者 宇練銀閣









 鳥取藩因幡砂漠。
 観光名所として他の土地からの観光者を集め、鳥取藩にとって貴重な収入をもたらしていたそれが突如として藩そのものを滅ぼす猛威となって襲いかかった。突如としてその規模を広げて周りの土地を飲み込み始めた砂漠は終には鳥取藩全土を覆い尽くすほどに広がったところでようやくにその拡大を止めた。まるで測ったかのようにさながら謀ったように鳥取藩だけを飲み込んで。
 どれほどの権力を持とうがいかほどの武力を用いようが、自然の猛威を押し止めることなど過去の歴史から見ても、あるいは仮に未来の歴史を視ても不可能かもしれない。

 結局の所、自然に対して人間が出来る事は受け入れて去るか拒んで去るかの二つしかない。

 だが、一人、ただ独り、砂漠に飲まれた鳥取藩に居座る人物が居た。

鳥取藩下酷城。

 因幡砂漠に佇む、鳥取藩で唯一形を残した建造物。
 この過酷な地が、それでも以前は人が住まう地だったということを証明する数少ない物的証拠だ。かつては物見客で賑わっていただろうこの藩を治めていた城も、しかし今となっては砂と風で傷み朽ちて、まるで古代の遺跡のような有様だ。
 それでもこの城だけが唯一、見渡す限り砂の色だけが支配する地において別の色を持っていた。もっともその色も蜃気楼に隠されているために、余程近づかなければ見ることは出来ないのだが。

 この城の中に住まう者こそただ独り、誰もが逃げ出した砂漠に飲まれた鳥取藩に居残っている人物だ。

 浪人にして下酷城城主、宇練銀閣。

 何とも矛盾した肩書きだが、実際そうなのだから仕方あるまい。
 どこにも仕えていない以上、身分は浪人。
 城に住まう唯一の人物だから、立場は城主。
 故の奇妙な肩書きだ。

 だが、その奇妙な肩書きも奇妙な立場の銀閣には相応しいのかも知れない。
 誰もいなくなったこの土地に、それでも銀閣が居座ったのは決して愛郷からではない。
 かと言って、皆に置いていかれて、仕方無しにここにいるわけでもない。
 居座っているわけでもなければ取り残されたわけでもない。
 ただ、気がついたら一人残っていた。
 だから居残っている、という言い方が相応しい。

鳥取藩下酷城。

 因幡砂漠に佇む、鳥取藩で唯一形を残した建造物。
 この過酷な地が、それでも以前は人が住まう地だったということを証明する数少ない物的証拠だ。かつては物見客で賑わっていただろうこの藩を治めていた城も、しかし今となっては砂と風で傷み朽ちて、まるで古代の遺跡のような有様だ。
 それでもこの城だけが唯一、見渡す限り砂の色だけが支配する地において別の色を持っていた。もっともその色も蜃気楼に隠されているために、余程近づかなければ見ることは出来ないのだが。

 この城の中に住まう者こそただ独り、誰もが逃げ出した砂漠に飲まれた鳥取藩に居残っている人物だ。

 浪人にして下酷城城主、宇練銀閣。

 何とも矛盾した肩書きだが、実際そうなのだから仕方あるまい。
 どこにも仕えていない以上、身分は浪人。
 城に住まう唯一の人物だから、立場は城主。
 故の奇妙な肩書きだ。

 だが、その奇妙な肩書きも奇妙な立場の銀閣には相応しいのかも知れない。
 誰もいなくなったこの土地に、それでも銀閣が居座ったのは決して愛郷からではない。
 かと言って、皆に置いていかれて、仕方無しにここにいるわけでもない。
 居座っているわけでもなければ取り残されたわけでもない。
 ただ、気がついたら一人残っていた。
 だから居残っている、という言い方が相応しい。

かつて、銀閣の先祖である金閣は当時の最大権力者からこの刀を献上するように命じられても叛き、挙句には差し向けられた軍を片っ端から切り捨てた。その数は一万人にも及んだとされる。
 さすがに、それを銀閣も鵜呑みにしているわけではないが、少なくとも命に叛き、そして最後まで刀を渡さなかった事だけはこの刀が物的証拠として宇練の家に代々受け継がれている。
 まあ、その結果としては当然なのだろうが宇練家の者は代々浪人の見に甘んじる事となっていた。何せ時の将軍に逆らった大罪人の一族だ。いくら既に当時の将軍家が没落したとは言え、彼らを改めて取り立てようなどと思う藩は何処にも無かった。いや、もしかしたら奇特な藩も探せばあったかもしれないが、彼らがこの因幡を離れようとしなかった以上、意味の無い話だった。まさか面目を丸潰しにされた鳥取藩が取り立てるなどということはまずもってない。
 いや、それ以上にそもそも斬刀と共に受け継いできたモノがあってはどこの藩でも取り扱えないだろう。
 宇練家の人間は代々狂っていた。
 斬刀の、四季崎の刀の毒が隅々まで行き渡っていた。
 それは刀を守るために己の主である藩に、そして時の将軍に逆らった金閣程では無かったのかも知れないが、それでも刀への執着、或いは妄執は常軌を逸していたし、それを用いて多くの人間を斬ってきた。

 だが、銀閣はそこまで狂ってはいなかった。
 毒は回っていたし、人を斬りたいという衝動もある。そして何よりこの刀を、そしてこの地への妄執は現状を見れば容易に知れることだ。
 それでも、人を斬りたいと思い、そして斬ってきたのは以前よりそうであったし、刀と因幡の地を守るのは他に守るものが無かったからだ。

 そもそも人を斬りたいという衝動が強ければ、こんな誰もいない地などとうの昔に棄てているはずだ。稀に盗人や迷い人が訪れ、それを斬ってはいるがそう頻繁にあることではない。
 それなのに銀閣はこの一室でうたた寝をしていた。
 毒気よりも眠気のほうが強いとばかりに。

 だが、その眠りも常に浅い。
 ほんの小さな物音でも意識が覚醒してしまうような眠り。
 故に常に眠気は晴れずにいた。だから何時だって寝ているし、その眠りは結局浅いので……と悪循環を繰り返す。

 お陰で銀閣はいつも夢を見る。
 内容は様々だが、それらは決して起きていては見れないモノばかり。起きて見る夢など当の昔に失っている銀閣にとっては唯一見ることの出来る夢だが、やはりそれも不毛。
 何故ならそれは所詮幻影でしかなく、見て得られるモノなど何一つ無いのだから。


 ふと、銀閣は目を覚ました。
 最初に目に入ったのは容赦なく照りつける太陽。周りに広がる青空とそこに浮かぶ白い雲。そしてそれらを遮るように青々と茂った木の葉。
 どうやら、木陰で居眠りしていたらしい。

 違和感。
 何かが違う、銀閣がそんなことを思ったとき、横から騒がしい声が聞こえた。
 どうやら自分はこの声に眠りを妨げられたのかと気付くと、違和感より不快感のほうが先にたつ。

「旦那! 銀閣の旦那! いい加減起きてくださいよ!」
「うるせえな。 アンタのうるせぇ声でとっくに起きてるよ」

 男は現在銀閣が雇われている所の下っ端だった。
 銀閣のような輩を雇うだけあって、ならず者共の集まり。そこの下っ端となるとチンピラと呼ばれる類の人種だった。

 それでも、人斬りの銀閣を雇ってくれているのには変わりなく、眠りを邪魔されたというくらいの理由で斬り捨ててしまうわけにはいかなかった。
 それに銀閣を恐れずに声を掛けてくる貴重な人間である事も斬らない理由だった。

「それで? 一体人の眠りを邪魔してまで何の用だよ」
「おお、そうだった。 それがですねどうもウチと敵対してる組が近々大きな動きを見せるって情報を入手したんですがね。 何分情報が不確かな上に、一体何処の連中が何時、何を企んでんのかも分からんって有様ですが、一応旦那にも働いてもらう事になるかもしれねえんで耳に入れておこうかと思いまして」
「そんないい加減な情報のためにいちいち俺を起こしたのか?」

気だるそうでありながらはっきりと苛立ちを含めた声音でそういうと身を起こして、涼んでいた木陰から抜け出す。
 途端にキツイ日差しに晒されるが覚悟してたほどの熱気は襲っては来なかった。というか、何だか暑さだけでなく全体的に感覚があやふやに感じた。剣士としてはあるまじき事であるが、まさか起き抜けで感覚が鈍っているのではないかと銀閣はいぶかしんでみるが、別に不調といった感じはしなかった。

 現に思うように刀を振るうことが出来た。

「あれ? え? ええええ!?」

 すっぱりと、男の着流しの裾が斬れた。
 何の前触れも無く、事情を知らぬ者が見れば妖怪鎌鼬の仕業かとも思ったかもしれないが、男にはそれが誰の仕業なのかを知っていた。見えずとも見聞きしている故に知ってはいた。

「ちょっと旦那! 何するんですかい!?」
「眠いから八つ当たりした。 起こしたのはアンタなんだ、そんくらい良いだろうが」

 悪びれもせず言う銀閣に、男は口を何度か金魚のようにパクパクと動かしていたが、結局は諦めきった溜息しか漏れてこなかった。小声で「ひでえよなぁ、こええよなぁ」などとも言っていたが、銀閣は気にも留めずに歩き出していた。
 男は慌てて銀閣の後姿を追う。別にもう用事は済んだ以上は銀閣に付いてくる必要は無いはずなのだが、何故かこの男はよく銀閣の周りをうろちょろと付きまとう。

「ちょっと旦那。 どこへ行くんですかい?」
「寝直す前に八つ当たりをしに行くんだよ。 とりあえず八つ当たり出来そうな連中がいる所に案内して貰おうか」

 一瞬何を言われたのか判断できなかった男は戸惑ったが、言わんとしてるところを理解するとニヤリと笑う。
「やっぱ銀閣の旦那はひでえよなぁ、こええよなぁ」

 そう言って、銀閣を追い越して前に出る。
 その背中を眠たげに眺めた銀閣は、直ぐに飽いて空を見上げた。

 目に映ったのは赤く染まった葉っぱだった。
 血の様な赤という言葉があるが、果たして今まで自分が斬ってきた時にでた赤はこんなに鮮やかだったろうかと銀閣は思う。思うが、一々そんな事を憶えていないので比べようがなかった。

 違和感。
 また違和感が付いて回る。

「いやあ、見事な紅葉ですね旦那」

 男は銀閣の斜め後ろに立って同じように紅葉を見上げている。
 口では見事と言いながら、その口調はどこか固い響きがあった。

「この紅葉は来年も見れるんでしょうかね」
「さあねぇ」

 因幡砂漠の拡大。
 突如発生したその自然災害にこの鳥取藩は揺れていた。

 相手は自然だ。
 どんなに頭を悩ませたって騒いだってどうしようもないというのにそれでも人は悩み騒ぐ。

「聞きましたかい? どうやら大勢の人間がこの鳥取藩を逃げ出してるって話ですぜ」
「知ってるよ。 こんだけ騒がしいんだ、知りたくなくても耳に入っちまうわな」

 お陰で寝不足だ、とぼやいた。
 それにいつもなら笑う男は、しかし固い口調のまま続きを告げる。

「その中にはなんとここの藩主様も含まれてるらしいですぜ」
「へぇ、そいつは驚いた」
「本当に驚いてるんですかい? どうもそんな風に見えないし聞こえませんよ」
「驚いてるさ。 しかし、それじゃああのでっかい建物が今は空き家ってわけかい」
「いや、体面や示しもあるでしょうから、何人か家臣はのこってるでしょうけど、まあそれも時間の問題でしょうがね」

 ふぅん、と頷く。
 銀閣の先祖が一万人斬りなどという所業をしても、それでも在り続けた藩が崩壊していく。並外れ技術を所有するわけでもなく、ただただ広がり続ける現象によって。

「どうです、旦那? 旦那の何でも斬れるって触れ込みの刀で因幡砂漠を斬っちゃもらえませんかね」

 まるで心中を見透かされたかのような言葉に銀閣はちょっと驚いた目で男を見る。
 見られた男も、まさか銀閣がそんな目をするなんてしかも自分に向けられるとは思ってもいなかったようで、更に驚いたように目を開く。やはり、心中を読んだわけでもなくただの偶然のようだ。

「砂漠を斬るねえ。 そいつは一万人斬りより難しいだろうよ」

 反逆行為を行いながらもそれでもふてぶてしく因幡の地に住み続けた金閣ならば砂漠を斬っただろうかと、銀閣は思いを巡らせた。金閣ならば恐らくやったであろうという不思議な確信を銀閣は憶えた。
 藩主に、将軍に逆らい、それでも因幡の地に居座ったのは挑発でも酔狂でもない。ただこの土地が好きだったのだろうと、漠然とだが今の銀閣は理解していた。だから、金閣ならばこの土地を守るために砂漠相手にも刀を振るっただろうという確信を持てたのだ。

 だが、しかし、そうなると自分は一体何のために刀を振るっているのだろう?

 そんな思いと共に銀閣の意識は沈んでいった。



「銀閣の旦那。もう駄目だ」

 男が銀閣にそう告げた。
 いつも銀閣の後ろを付いて回った男が銀閣と向き合う形で立ち、悔しそうに苦しそうに告げた。

「もうこの藩はお終いだ。 砂漠の拡大はもう誰にも止められない。 いんや、最初から誰かに止められるもんじゃあなかったんだよなあ。 もうこの藩の運命はとっくの昔に決まってたってえわけだ」

 砂漠の砂ように乾いた笑いが男の口から漏れた。
 その笑いに、今更ながらこの男もこの土地が好きだったのかと、銀閣は理解した。
 理解した上で問う。

「それで?」
「それでって、旦那」
「アンタはわざわざそんな分かりきったことを話すために俺の眠りを邪魔しに来たのか?」

 銀閣の言葉に男は唖然とした。だが、その顔は直ぐに崩れた。
 泣いているような怒っているような感情が顔から噴出しようとして蠢いているようだ。

「いい加減にしてくれ、旦那! もうこの土地は駄目なんだ! もうここは人が住んでいられるような土地じゃないんですよ! この土地を離れて他所へ行きやしょう! ちったあ知り合いのツテもあるそれを頼りに――」
「去りたければ黙って去ればいいだろ。 俺はここに黙って残る」

 銀閣の言葉に、今度こそ男の顔にははっきりとした感情が表れた。
 それは耐え難い怒りだ。

「何でだ! 何でそこまでしてここに残ろうとする!? ここはもう俺たちの街じゃない! いや、そもそも人間の土地じゃなくなっちまったんですよ! これ以上ここにいたってなにもありゃあしないんだ!」
「だから、そう思うならさっさと去れば良いだろ。 行き場所に心当たりならそこに行きなよ。 俺には――ここ以外に生き場所がないんだよ」

 ようやく男も理解した。
 もう銀閣に何を言っても無駄だという事を。

「旦那が気位が高いのは知っちゃあいましたが、ここまでとは思いませんでしたよ」
「気位? はは、面白いこと言うね、アンタ」

 こんな状況で本当に気分が良さそうに銀閣は笑った。
 男もこんな状況でなければ、自分がそんな笑いを引き出せたことを誇りに思っただろう。

 だが、現実には状況はこんな有様だった。
 だから――。

「だけど、もうここには何にも無いんだよ。 かつて賑わっていた道も! そこに並んでいた屋台だって! 旦那が昼寝のときに日除けに使っていた木も! そもそも道端に生えている草一つだって無いんだ! 人も動物も植物も! 何も! 何もかも無くなっちまったんだよ!」

 だから、男は口にしてしまった。
 決して言うべきではなかった一言を。

「もう守るべきものなんて何一つ――!!」

 しゃりん!

「――――」

 男の言葉は唐突に途切れた。
 いや、本当に途切れたのは言葉なんかではなかった。

「確かにアンタの言うとおり、ここには何もありゃあしないよ」

 ずるり、と男の体がズレた。

「こんなところに残ったって何もなりゃあしないだろうさ」

 ずるりずるりと男の体のズレが大きくなっていく。

「だけどな、それでも斬刀こいつと因幡ここだけは守らなきゃならねえんだよ。 それがアンタの言う所の気位なのかは分からんがね」

 グラリと男の体が揺らいだ。

「――秘剣、零閃」



 からり、と音を立てて襖が開く。
 その音と、差し込んできた僅かな光に銀閣は目を覚ます。

 なんだか懐かしい夢を見ていたような気もしたが、珍しい事でもないのですぐに頭の中から消し去った。
 どうせいつも夢は見る。
 浅い眠りしか出来ない銀閣には、夢を見ないほどの深い眠りはここ数年無縁な代物だった。

 襖を開けて姿を現したのは真っ白な忍装束に身を包み全身に鎖を巻きつけた男だった。
 忍装束を着ているのだから忍者なのだろうが、果たしてこの目の前の存在を忍者として認めてよいものか、銀閣には判断が付かなかった。まだ、忍者の真似事をしているうつけ者というほうがしっくりとくる。

 いずれにせよ、銀閣にとって面倒な客である事には違いが無かった。
 銀閣は眠気を隠そうともしない顔で這入ってきた珍客を見やった。

 そして、思うのだった。

 ああ、早く寝たい、と。









二振り目・完了







取り敢えずここまでで一旦切ります。 今日また更新するかもしれません
それでは


刀語ssとは珍しい

なるほど敵視点からの前日譚というわけですな
期待

期待

ID変わってますけど>>1です。 今から投下していきます









三振り目・千刀『?』所有者 敦賀迷彩








 神様はみんなを救ってくれる。

 誰の言葉だったか思い出せない。
 誰かが言っていた言葉だったとは思う。
 あるいは誰もが言っていた言葉だったのかもしれない。

 だとしたら、だとしたら――。

 だけど、それだけじゃ駄目だ。それだけだといつか神様が倒れてしまう。
 だから神様を護る者たちが必要だ。

 この言葉は憶えている。
 誰が言ったのかも鮮明に記憶している。
 決して忘れない。忘れることのできない。
 だが、その言葉もまた――。

 神様がみんなを救い、私たちは神様を護る。
 つまりは私たちはみんなを護っているということなんだ。

 そんな言葉は全て――。

大乱においてその力を一時的とはいえ、力が衰えた幕府は、各地での終戦処理に追われていた。それは戦で破壊された各国の復興であったり、混乱に乗じて山賊、あるいは逃げ落ちた者達による略奪行為への対応だったりする。

 しかし今の力の衰えた幕府では、それらを即刻一掃というわけには行かなかった。
 皮肉にも天下を巻き込んだ大乱を力任せに押さえ込むだけの力を持ちながらも、散発的に発生する略奪行為に対してはほとんど無力であった。

 出雲の国、山中。
 幕府ですら迂闊に介入できない神聖な土地。
 ここは語尾に「だった」を追加するべきかは悩みどころだ。
 確かに現在でも幕府の介入を許さない土地ではあるが、しかし、それ故に、この土地の神聖は踏みにじられた。

 先の大乱の後、神々が住まう地の山々は、神とは程遠い者たちの住処となっていた。
 幕府もその権威が振るえない土地に介入することはできない。いや、もっと直接的に言ってしまえば、権威が通じな目障りな土地に対して介入してやる義理はなかった。

 幕府の手が届かず、さらにはこの幕府の信頼が一時的にせよ落ちたご時勢、神頼みをする人間が多く、獲物となる相手に困る事もない。結果的に、この出雲には無法者どもが幅を利かせるのには絶好の場所となってしまった。
 神が住まうとされる神聖な山々を拠点に、神を信じる者達を嘲笑うかのように略奪は繰り返された。

 そんな彼らに人々は神罰が下る事を祈り、彼らは神など信じてもいなかった。
 そして神は彼らを罰する事はせず、神を信じる者は救われず、神を信じぬ者には何も無い。


「結局の所、神なんてのは誰も救わないし、誰も罰さない。 奴らは誰に対しても何に対しても何もしないんだ」

 だからこそ、神は全ての者に対して平等なのか、と真っ赤な女は思う。
 背の高い女だった。ボロボロになった着物からはみ出した四肢は引き締まっている。腰まで伸びた髪はボサボサで、手入れなど長いことしていないのが一目で分かる。化粧気なく、むしろ泥と垢で汚れた相貌。しかし、その顔立ちは凛々しく、きちんと手入れをすれば、凛とした美人であることは間違いない。
 だが、そのすべてを台無しにしている。
 それは汚れなどではない。例え、身を清め、髪を梳かし、着物を新調したとしても、彼女を見て生じるのはときめきよりも戦慄だ。

 目が、顔や着物の汚れとは比較にならないほどに、穢れ澱み濁った目が全てを台無しにしていた。あるいは、それこそが彼女の全てなのか。

 女は自分自身と同じく、真っ赤になって倒れているモノたちを見やる。そこに広がる光景は正に惨劇だった。老若男女容赦なく、斬り捨てられている。
 必要な金目の物を奪い、不要な肉体は文字通り斬って棄てたのだ。

「あ……うぁ……」

 いや、どうやらまだ息がある者も居るようだ。しかし、傷は深く、体力の無い老人。どう見積もっても長くは無い命。それでも生にしがみ付こうとしているのか、迷彩へと腕を伸ばす。

「何故、何故……な事を……うぁ、ワシらが……にを?」

 その言葉には自分を殺した相手への怨嗟が込められてはいなかった。あるのはただ、この理不尽な目にあっている事への純粋な疑問だけだ。
 だから彼女は答えてやった。言葉ではなく、刀を突き立てるという行動で。
 一度ビクリと、その身を痙攣させたが、それを最後に今度こそ完全に息絶えた。

「何のため、か。 決まってるじゃないか。 アタシらは盗賊だよ」

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金目の物を奪うために、彼らの命を奪ったのだ。
 いつものことだ。一々思うような感慨も、後悔も、罪悪も無い。
 そんな事を考えるくらいなら、そもそもこんな事をしなければ良い。

「頭領、今回は結構な収穫ですぜ」

「何せ人数からして、今までとは違うからな」

「どうも旅途中の一座だったみたいだな」

「いや~、いきなり事前準備も無く、こんな大所帯の獲物を狙うって言い出したときは、頭が乱心しかと思いやしたよ」
「ケケ、ちっとくらい乱心してなきゃ俺らの頭目は務まらねぇさ」

「ガハハ、違がいねえ」

 好き勝手に言う部下たちに、彼女は怒りもせず、かと言って親しみも見せずに、ただただ目の前の現実だけを見る。
 身包みを剥がされた、見苦しい死体の山。
 ここが神聖な神の土地などとは、笑わせる。

「全員始末したのかい?」

「ええ、そりゃあ、わざわざ生かしておく必要はありやせんからね。 不味かったですか?」

「どうでも良いさ」

 どうでも良い。
 殺そうが、生かそうが、そんなのはどちらにせよ関係ない。
 奪えればあとは関係ない。
 それが山賊の在り方だ。
 それが彼女の生き方だ。

「ああ、いや、それが頭。 どうも逃げた奴もいるらしいんですよ」

「ええ、二人山ん中に逃げ込んで行きやした」

「あ? 逃げたのは一人じゃなかったか? 山を登る方向に逃げてった奴だろ?」

「何言ってんだ? 山を下ってった奴だろ?」

「ん? じゃあやっぱり逃げたのは二人か?」

「俺が見たのは髪の長い若い娘だ」

「俺が見たのもそうだ。身体はちっと痩せてたな」

「じゃあ、やっぱり逃げたのは一人か?」

「だが、見た方向はバラバラだぞ」

 山賊の下っ端たちが、逃げたと思われる一座の生き残りの、矛盾する目撃証言に頭を捻っていた。
 二人か一人か。
 一人か二人か。
 答えの出ない問題に、元々考えることを山賊たちはすぐに自分たちで答えを導き出すことを諦めた。

「まあ、いいや。 両方追えば良い話だ。 俺は上へ行くがお前らはどうする」

「あー、俺は下だな。 下へ行くのを見たんだから」

「もちろん、その娘を見つけたら、見つけた奴が好きにしていいんだよな」

「ヒヒ、んじゃあ、ついでに今回の分け前も賭けるか」

 だが、諦めたのは答えを出すことだけだ。
 やめたのは考えることだけだ。
 己の欲望を、欲求を、欲情を満たすことはやめたわけではない。
 山賊とはそういうものだ。
 だが、一人だけ興味を示さないモノが居た。
 頭と呼ばれた女山賊だけが興味なく、既に踵を返していた。

「お、頭は来ねぇんですかい?」

「ガハハ! 女の頭じゃ、小娘を捕まえて楽しめないからなあ。 これが男だったらよかっ……」

 下卑た笑いを浮かべていた男の顔が、言葉の途中で引き攣った。
 ただ、既に背を向けていた女山賊が、肩ごしに振り返り視線を送った。ただ、それだけの動作で、大の男が、それも荒くれ者の山賊が恐怖で引き攣り、血の気が失せた。

「あ、いや……あ……」

 何かを言い繕うとして、結局震える下は回らずに意味のない言葉だけが漏れる。今まで周りで騒ぎ立てていた他の山賊どもも仲裁に入るわけでもなく、いつものように煽ることも出来ず、まるで我が事のように震えあがっていた。

 女山賊は相変わらず肩ごしに、振り返って視線を送っているだけだ。その視線も、決して憎悪や嫌悪が宿っている訳ではない。殺気が向けられている訳でもない。男たちのようにその身に刀を帯びている訳でもない。丸腰だ。

 何もない。
 興味すらなく、その辺に転がっている小石に向けるのと同様の、そこらに転がっている死体に向けるのと同様の視線。
 時間にしては本当に瞬きすらない、一瞬だったろう。  だが男にはまるで永劫のような沈黙を破ったのは、女山賊のほうだった。

「浮かれるのは勝手だが、金目のものを持ち帰るのを忘れるんじゃないよ」

「へ、へい!」

 それだけ言うと、元より興味など無かった視線を、向けるのすらやめて再び歩き出した。
 その際に、真っ赤な着物が翻る。
 黒ずんだ赤で染まった着物。
 どう考えても、意図的に柄として染め上げた色では無い。もしもこれが意図として染め上げられた色だとしたら、それをした職人は異端中の異端だろう。まともな神経をしている人間に受け入れられるような代物ではない。かの悪名高い刀鍛冶、四季崎記紀のような職人だろう。

 しかしまあ、幸いにもそんな職人はいない。
 この色に染まったのは、この女山賊が着ているうちに自然と染まっただけだ。
 もっとも、自然とこんな色に染まるような生き方は、とても幸いとは言えない生き方だろう。

「やることを忘れなければ、後は好きにしな。 逃げていった奴を追おうがどうしようがお前たちの好きにすれば良い」

 今日もまた、新たな返り血せんりょうで染め上げた着物を揺らして、圧倒的な力と恐怖で四十三人もの人数からなる一大山賊組織をまとめあげる、女頭目は殺戮と強奪の現場から立ち去っていった。







 旅の一座を襲ってから数日。
 山賊一味は、今までの蓄えと、一座から奪った物資とで、生きることに困らないだけの生活を送っていた。とは言え、四十三人の大所帯。おまけにその大半は大食らいの大男だ。蓄えが尽きるまでそう日数は掛からないだろう。

 だが、彼らはそんな事を一々気にしないだろう。わざわざ倹約に努めるような山賊は居ない。
 気の赴くままに、食い、飲む。
 食料が無くなれば――また奪えばいい。
 単純明快な行動原理。
 野暮粗暴な思考回路、
 知性など不要。
 品性など無用。
 それでこその山賊だ。

 そんな神経を所有していなければ、あるいは神経など所有していては山賊なんてやっていられない。
 いちいち考えるような奴が山賊なんかになるわけがない。
   それは彼らを率いている彼女とて例外ではなかった。
 確かに獲物は彼女が決める。
 確かに襲撃は彼女が決める。

 だが、それは決めているだけだ。考えてなどいない。
 襲った結果どうなるかなど、襲われた者たちがどう思うかなど考えない。考えるに値しない。考える資格など無い。
 そんなことを考える余裕があれば、それこそ最初から山賊などやってはいない。
 だから、彼女はただ今日も酒を喰らう。
 何も考えずに、美味いとも不味いとも無く、愉快と不愉快も無く、ただ喰らう。
 だが、残念なことに、本当に残念なことに、何よりも残忍なことに、そんなことは世界には関係ない。

 彼女がどれだけ無関心であろうとも運命には、歴史には関係ない。
 それらは容赦なく、流れ続ける。
 流れに巻き込まれるのが誰であろうとも、その結果がどうなろうとも、無関係に、全ての物が等価に巻き込み、押し流し、溺れ、沈めていく。

 彼女にとってあの大乱の日がそうであったように。
 あの頃の彼女は、自分が山賊になるなどと思いもしなかった。
 むしろ、そういう輩からこの土地を、この土地に住まう神々を護るために戦うと思っていた。信じていた。信仰していた。
 だが、現実は、現在はその真逆だ。
 歴史とは、そういうものなのだろう。
 そして今日もまた、予定調和に歴史が動く。

「頭、頭。 見つけやしたぜ」

 一時的な溜まり場にしている古寺に、山賊の一人が駆け込んできた。
 息を切らしているものの、その顔は愉悦に歪んでいた。

「見つけやした、ようやく突き止めやしたよ」

「何を言ってんだい」

 女山賊は、興奮している男に、冷めた視線を向ける。
 いつもなら、それで静まるはずだった。どれだけ熱が入っていようとも冷水を浴びせられたように静まるはずだった。
 だが、どうしたことか、今回は興奮もニヤけた面も収まらずに詰め寄ってくる。

「決まってるじゃないですか。 この間、獲り逃した娘どもですよ」

「…………ああ、そのことかい」

 ようやく、男が何を言っているのか理解した。
 理解して、呆れた。
 まだ、探していたのかと。
 その感想は、彼女だけではなかった。

「がははは、最近やたらとどこかに出かけると思ったらそういう事か」

「すっかり忘れてたぜ」

「しかし、「ども」ってことはやっぱり二人だったんだな」

「お前もしつこいねえ。 どんだけご執心なんだよ」

 ゲラゲラと、仲間内からも呆れてた笑いが巻き起こる。
 普段なら、馬鹿にされたと激昂しているはずの男が、それでもニヤニヤと、逆に見下すように笑っているのを見て、さすがに違和感を覚えた。

「ふん、それでどうするんだい? まさか今更わざわざ出向いて、掻っ攫おうって言うのかい?」

 馬鹿げている。
 言外にそう意味を込めて問う。

「ええ、もちろんでさ」

 男は言外の意味を汲み取れなかったのか、それとも汲みとってなのか、キッパリと肯定する。
「馬鹿馬鹿しい」今度は、実際に言葉にした。

「たかが娘二人のために動けっていうのかい? 別に止めはしないが、参加もしないよ。やりたきゃ勝手にやりな」

「ひひ、頭そう言わないでくだせえ。 話は最後まで聞いてから判断してくださいよ」

 男の自慢気な態度に、女山賊は眉を顰める。
 なぜ、たかが娘二人を見つけたくらいで、こんなにもこの男は気を大きくしているのかが分からない。
 ――「くらい」ではないのか。

「まあ、本当ならここで俺がどれだけの苦労をして見付け出したかも話したいところだけど、頭が急かすから結論だけ言わせてもらいます。 あいつらが逃げ込んだ先は、三途神社、ですよ」

 その言葉に、否、その場所の名称に、女の澱んだ目が、濁った目が――ギラリと、光った。
 今まで泥沼に沈んでいた日本刀が、ヌルリと浮かび上がって来た。

「三途神社ってぇ、確か……」

「駆け込み寺、みたいな場所だよな」

「寺じゃなくて、神社だけどなあ」

「この寺に駆けこんでくるのはムサイ男だけだけかあ」

「お頭がいるだろ」

「頭が駆けこんでなんて来るかよ」

 山賊たちの言葉などまるで聞こえずに、女は報告してきた男を斬り付けるように睨む。

「それで?」女は問う。「わざわざそんな報告をするって言う事は、その神社に押し入ろうって言うのかい?」
 頭目の言葉に、山賊たちは話す言葉を飲み込んだ。
 今まで、彼ら山賊が生き延びてこれたのは、その武力もさることながら、狡猾さがあったからだ。あくまで襲うのは旅人のみ。地元の、それも有力者などは決して手を出さない。そんな事をすれば、いくら腰が重い幕府や藩の連中でも動き出すからだ。そうなったら、たかが山賊程度になす術は無い。
 それなのに神社、それも裏事情を抱えている三途神社ともなれば、なおさらだ。

「さすが、お頭。 話が早い」

 だというのに、この男は自分が大手柄を上げたように語る。
 いくら考えない山賊とは言え、それはあくまでも倫理であり常識である。己の生存に関して無頓着な山賊など、当の昔に滅ぼされてしまうと言うのに。
 考えるまでも無く、この案件は却下だ。
 いや、それどころかこんな愚かな提案をした男は、頭目に切り捨てられると覚悟した。

「分かった、どうせもう直ぐ蓄えがなくなるからね。 次の襲撃をしなきゃならない」

 だが、意外な事に頭目の口から出たのは肯定の言葉だった。
 報告した男を除いて、山賊たちは正気を疑う視線を向けた。前回の旅の一座を襲うと言ったときも正気を疑ったが、今回はそれの比ではない。そもそも比べてよいレベルの話ではない。

「それじゃあ、ちょっと下見に行ってくるよ」

「か、頭、自らですか?」

「獲物がでかいんだ。 自分の目で確認しておきたい」

 そう言うと、女は理解できないと言う視線を受けながら、根城にしている古寺を飛び出した。
 その先に、彼女を待っている歴史など知る由も無く。

 三途神社。
 そこは一般の神社とは異なる顔を持っていることで、一部の人間の間では有名だった。
 女たちの最後の希望。
 この神社は色々な事情を抱えた女たちが助けを求め、集まってくる。なるほど、そう考えれば一座を皆殺しにされた娘たちが、この神社に逃げ込むのは自然の道筋だった。
 きっと、行き場も無く、生き場も無い彼女たちを、神社は暖かく迎え入れたのだろう。
 その優しさが――許せなかった。

 何故?
 何故!?
 何故それならば、私は助けてくれなかったのだ!?
 それは、逆恨みだった。
 それは、慟哭だった。
 怒りと妬みが混じった感情が噴出した結果、無謀な襲撃に賛同してしまった。
 この激情を晴らせるのならば、滅びようとも構わないと。

「許して、ください」
 その激情を覚ましたのは、皮肉にも三途神社の神主だった。
「どうか、許してください」
 首を絞められながらも、か細い声を紡ぎだした。
「あなたを助けられなかったことを許してください」
 それは謝罪の言葉だった。
「どうか、あの娘たちは許しください」
 それは懇願の言葉だった。
「…………」
 そして最後の言葉だった。
 最後の最後まで、この神主は誰かを救おうとした。
 最後の最後まで、この神主は誰かを護ろうとした。
 首を絞めていた手が、急に重く感じた。
 千の刀と比べても、比べようも無く重く――。

 と、後ろに気配を感じて振り返る。
 そこには二人の人影。月明かりが僅かに入り込む室内でも夜目の聞く彼女にはその容姿がハッキリと見えた。そして、だからこそ混乱に陥った。
 そこにいた人物は二人だった。
 二人だったが一人だった。

「双子かい?」

 今更のように、山賊たちの情報が混乱していた理由が分かった。

「ひっ」

「ああ、あなたはあの時の山賊の方ですね」

 怯える一人を庇うように、もう一人が前に出る。
 見た目は同じでも中身はやはり違うようだ。
 それは当然か。完全なる同一存在などそうそうにあるものではない。

「そうだよ、あんたのお仲間を殺した人間さ」

「別に仲間というわけではありません。 所詮、売られた身ですから」

 なるほど、と女は納得した。
 双子と言うのは忌み嫌われる。大抵どちらかは養子に出されるか、最悪の場合は殺される。この二人の場合は最悪とまでは行かなくとも、二人まとめて売られたようだ。双子の反応を見る限り、その先でも、あまり良い扱いは受けなかったのだろう。

「しかし」気の強そうな方の娘が、女山賊の手元に視線を向けて言う。「その人は、私たちを受け入れてくれました。 少なくとも生きる場所を与えてはくれました」

「そうかい」

 他に言うべき言葉が見つからなかった。
 だが、いつまでもこの状態にしておくのは辛かった。何せ、重いのだ。
 彼女は神主を丁寧に、取り落とさないように、床に横たえた。

「次は、私たちですか?」

 その問いに、後ろに隠れている方の娘がビクリと震える。

「あたしが今度はあんたたちを殺すと?」

「はい。 普通に考えたらそれが順当でしょう」

 自分たちが殺されるという話なのに、庇う娘は淡々と応対する。

「なるほど、気が強い娘だと思ったけど、どうやら間違っていたみたいだね」

 ただ受け入れてしまうだけだ。
 それが例え自分の死であろうとも。
 やはり、この娘も心が壊れているようだった。
 それでも、ひとつだけ希望があるとすれば、何もかもを受け入れるはずの娘がひとつだけ拒絶した事柄。

「そっちの娘を守ろうとはするんだね」

「……たった一人の姉妹ですから」

 その言葉に、すべてを諦めていながら捨て去らない覚悟に、女山賊は小さく笑う。
 それは長年ともに行動している山賊たちが見たことのない種類の表情だった。
 その笑みを隠すことなく、二人に近寄り――そして脇を通りすぎて行った。

「殺さないんですか?」

「私も覚悟を決めたからねえ」

 娘の問いに女はそう答える。

「まあ、あんたらも私に大して恨み言も言いたいだろうけど、それは後で戻ってからにして欲しいね」

 そう言うと、女は神社を後にする。
 向かう先はただひとつ、彼女が山賊として溜まり場に使っていた古寺だった。







「お、頭。 戻ってきたんですか」

 古寺に着くと、そうそうに部下たちが集まってくる。その姿は、直ぐにでも略奪行為に移れるだけの武装がされていた。あれだけ反対しておきながらも、準備は万端といったようだ。


 もっとも――。

「へへ、どうでした、頭。 こちらは今すぐにで――」

 そんなモノは無意味になる。
 男の言葉はそこで途切れた。
 言葉だけではない。
 首を走る血管も断ち切られた。
 視界が途切れる寸前に見たのは、赤く染まった自分自身の刀を持つ、自分たちの頭目――だった女の姿だった。

「なっ!? 頭、なんの真似だ!?」

 狼狽する男たちに、彼女はいつものように能面のような表情を向ける。
 ただ、ひとつ違うのは、その目が澱んでも濁ってもいないという点。

「なんの真似、か。 決まってるだろ。 これからあんたらを斬るのさ」

 明確な覚悟があった。
 まだ自体を理解しきれていない山賊たちの中に、一気に駆け寄る。
 そのまま一番近くにいた奴の腹を、先ほど奪い取った刀で裂く。
 次いで、そのまま次の標的の足を断ち、崩れたところを頭を割る。

「頭!? 乱心したのか!?」

「これくらい乱心してないと、あんたらの頭は務まらないだろ?」

 そこで、ようやく山賊たちも状況に対応した。否、それは飲まれただけだったのかもしれない。兎にも角にも、山賊たちはかつて頭だった女に一斉に斬りかかる。

 先程の一撃で、刀は死体に深く食い込んでいて抜けない。
 普通だったら間が悪い。
 普通だったら好都合。
 だが、彼女の習得している剣術にそんな事は関係ない。
 彼女は迷うことなく、刀を手放すと襲い来る山賊へと再び駆ける。
 振り下ろされる刀を、その腕を軽く叩くことでいとも簡単に落とし、奪い取る。そして、そのまま刀を振り抜き、相手の顎を割る。

 次いで襲い来る相手の腕を断ち、腕ごと宙に浮いた刀を掴み頭に叩きつける。
 背後から斬りかかる相手を、体を回転させて切り裂くき、その勢いのまま刀を投げてこちらを弓矢で狙っていた者を貫く。
 再び丸腰になるが、切り捨てたばかりの男から奪い、近づいてきた相手を三人まとめて斬る。
 恐れ慄いている相手に、駆け寄りその心の臓に突き立てる。
 そこへ左右から襲いかかる山賊。刀を抜いている暇はない。
 そして、そんな必要もない。

 刀をまたも簡単に手放すと、やはり斬りかかってきた相手の腕を叩き、今度は刀を落とさせるのではなく、そのまま二人が互いに斬りつけさせる。
 圧倒的だった。
 丸腰の女一人に、武装した男たちが四十三人、良いようにあしらわれている。虐殺されている。
 これこそが、出雲の地を守護するために生み出された剣術。



 ーーー千刀流!

そこから先は、もはや同じことの繰り返しだ。
 相手の人数が多かろうと、多いければ多いほどにその剣術は冴え渡る。
 斬りつけては斬られ。
 突いては突かれ。
 狂々と繰り返される。
 焼きまわしだ。
 例えば、このシーンを何らかの形で映像に残したとしたら、きっと同じ場面がずっと繰り返されているだけに視えるだろう。
 それが四十三人全ての命が終わるまで繰り返された。



 その後、全ての山賊を斬った、彼女は三途神社に戻った。
 戻って、敦賀迷彩となった。
 罪滅しのつもりはない。
 罪が滅ぶなどと思うほど、牧歌的な人間ではない。
 ただ、彼女は望んだのだ。
 生きる意味を。
 ただ、彼女は決めたのだ。
 生きていく覚悟を。

 これは一人の山賊が神主となるまでの歴史の物語の一部。









三振り目・完了
















四振り目・薄刀『針』所有者 鯖白兵









四振り目・薄刀『針』所有者 鯖白兵













 時折、その刃の美しさから芸術品としての価値を見出されるが、そんなものは刀本来の価値とは無関係だ。
 刀の価値とはその切れ味にこそある。美しさなど、結果的に付いてくる付属価値に過ぎない。
 逆説。
 斬れれば、それだけで十分価値がある。
 斬れさえすれば、刀としては美しい。
 それがどれだけ無骨で、歪んでいても、例え錆に塗れていようとも。

「拙者にときめいてもらうでござるよ」

 光が閃いた。
 いや、実際にはそんな光すらも本来は見えてはいない。
 それでも、見たのだ。見えるはずのない一閃を。
 それはあまりにも洗礼され、透き通るような純粋な光。
 美しい、と思った。
 それが、その男の最後の思考だった。

 この国において剣士とは強者を意味る言葉だ。
 かつての戦乱でも、そして闇に葬られた先の大乱においても、その世間的な善し悪しの判断は置いておくとして、大いに力をふるい武功を立ててきた彼らは、人々の間で力の象徴として扱われてきた。そして、彼ら剣士たち自身、己こそ最強たらんと、自負し、自称し、自認し、自惚れてきた。

 むろん、そうあるべく、腕を磨き、刀を研ぎ、そして斬ってきた。
 それでも、彼らのそれはあくまで、自負であり、自称であり、自認であり、自惚れでしかなかった。
 何故ならば、すでにいるからだ。
 自負ではなく、自称でなく、自認でなく、自惚れではない、最強の剣士が。

 その者がいる限りは、どれほどに声高に最強を名乗ろうとも、どれほどに腕前を磨こうとも、誰も最強とは認めない。
 日本最強の剣士にして、現在は幕府の以降に逆らった堕剣士。

 最強の称号と、大罪人を打とうという、その両方の刺客から幾度と無く襲撃を受けながらも、その全てを斬り捨てて来た。
 


かの者の名は、錆白兵。
 現時点において、殆どの者が最強と認めている剣士である。

「錆白兵とお見受けする」

 今日で何度目になるのか、数えるのも面倒な誰何の声に白兵は歩みを止める。
 無視してしまっても良かったのだが、どうせ急ぐ目的も無かったうえ、この手の輩の存在は、白兵にとって欝陶しい存在であると同時に、都合の良い存在でもあったのだ。

「いかにも、拙者が錆白兵でござる」

 華奢で小柄な男だった。
 その小柄な体型と白い長髪、男だと知っていなければ女と見間違ってしまう者もいるだろう。
 だが、この男こそ全ての剣士が目指す、最強の称号で呼ばれる剣士。
 錆白兵だ。

「それで、お主の目的は拙者の命か? それとも――」

 腰に差した一振りの日本刀を相手へと魅せつけて問う。

「この刀でござるか?」

 雪のように白い紋様が描かれた鞘だった。
 素人目でも、それが価値のある物だと知れる一品だった。
 そして、素人ではない、知る者が見れば、その刀は特別な意味を持っている。

「知れたことを。 その両方を手にし、最強の剣士の座を頂く!」

 宣戦布告と同時に、男は腰の刀を抜き放つ。
 最強の座を得ようというだけあって、男の動きは修練されたものだった。
 素人ならば、何が起きたのかも分からぬうちに斬られていただろう。
 並の手並みならば、対応する間もなく斬り捨てられていただろう。


 だが――。

「お主には無理でござる」

相手は錆白兵。

「拙者の命を取ることも」

 烈破の気合と共に斬りつける男に対して、緩慢とも言える動きで白兵は腰の刀に手をかける。

「この刀を扱うことも出来ぬでござる」

 男の刀が振り下ろされる。
 素人ならば目にすることも出来なかっただろう。
 並の剣士ならば目の前に迫る死に絶望しただろう。
 だが――。

「故にお主は最強にはなれぬ」

 相手は最強の剣士!

「拙者にときめいてもらうでござるよ」

 倒れ伏したのは男だった。

 斬られた断面は、初めからそうであったようになめらかで、ともすればそれが斬殺死体だと理解した上でも、思わず見惚れてしまうほどに見事な切り口だった。

「美しい――……」

 それが男の最後の言葉だった。
 意識した言葉ではあるまい。自然と漏れでた言葉だろう。
 だからこそ、その言葉には虚飾がない。

「ひどいなー。 こんな腕で白兵様に挑もうなんて。 まあ白兵様を狙う愚か者の割に、最後くらいは見る目があったみたいですね」

 そんな、死人に鞭打つようなことを言いながら現れた者がいた。
 小柄な男だった。いや、男というよりも童子だった。小柄なのも当然だろう。
 おかしいのは体格ではなく、斬殺死体を前にしても平然として、あまつさえ死人に対して吐き捨てる態度の方だろう。

「なんの用でござるか」

「ひどいなー。 俺は白兵様の一番弟子じゃないですか。 そばにいるのが普通じゃないですか」

「拙者は弟子などとった覚えはござらん」

 言葉でも容赦なく斬り捨てる白兵に、しかし童子はそれに対しても、にこやかにひどいなー、と言うだけだった。
 慣れている、のかもしれない。
 だが、先程の対応を考えると、別の可能性を考えてしまう。
 この童子は感情が欠落しているのではないのかと。

「それで? まさか本当に用もないのに拙者の前に現れたでござるか?」

 だが白兵もまた、感情の欠落した、硝子細工の目で、無機質な声で、童子へと再度訊ねる。
 彼自身もまた、最強の剣士という称号と引換に、感情を失ったのか、それとも感情が欠落したような人間だからこそ、最強の剣士などというものになれたのか。

「それじゃあいけませんか?」

「構わぬでござる。 まだこの刀になれるためには、斬りたりないくらいでござるからな」

 そう言って、男を一刀のもとに切り捨てた刀を童子へと向ける。
 その言葉に、ようやく童子に笑顔以外の表情が浮かぶ。
 しかし、それは刀を突きつけられたことへの恐怖ではなく、驚愕だった。

「白兵様でもまだ慣れない刀なんてあるんですか!?」

 身を乗り出して問いかける。もちろんそんな事をすれば、眼前に突きつけられた刀へと踏み込むことになる。そんな事などひどく些細なコトだと、童子は目の前にある刀と、それを持つ白兵とを忙しなく交互に見返す。
 奇妙な刀だった。
 綺麗な刀だった。
 薄い、刀の向こう側すら透けて見えるほどに薄い刀身。
 刀身に入り込んだ光が、屈折し、反射し、通過して放つ輝きは幻想的美しさを魅せていた。

「これがあの伝説の刀鍛冶、四季崎記紀の完成形変体刀――薄刀『針』ですか」

 特性は類まれぬ軽さと美しさ、そして脆さ。

「でも、それって刀としては欠陥品も良いところですよね、本来なら」

 受ければ砕け、振れば割れる。
 そんなモノが刀としての価値があるわけがない。刀の価値とは斬れること。千本もの刀を打ちながら、ただ一本の例外もなく、その価値観を込められた刀を打った四季崎記紀の刀の中で、役割が満足に果たせないこの刀は、本来ならば欠陥品の烙印を押されても仕方ない一振りだ。
 本来ならば、だが。

「刀に欠陥などござらん。 あるとしたら、それは扱うものの方こそにあるでござる」

「はは、そうかもしれませんね。 白兵様から見たら、この世界は欠陥製品だらけですか」

 ケラケラと愉快そうに笑う童子。
 それゆえに彼は見逃した。
 彼以上に感情が欠落している白兵の顔に浮かんだ歪みを。
 それは憤りと自嘲だった。
 今まで冷徹な刃のような表情に浮かんだ染みに、しかしその意味を訊ねる者はいなかった。

「それで、まさか本当に用がないわけではあるまい?」

「ああ、はい。 ちゃんと白兵様に有益な情報を持ってきました」

 結局、自分が敬愛する相手に浮かんだ染みに気づくことなく、童子は自らの手土産を披露する。童子そのものの無邪気さで。

「例の幕府の犬が、三途神社をあとにしました。 どうやら三本目の完成形変体刀の収集に成功したようです」

「虚刀流が?」

 今度こそ、ハッキリと染みが浮かび上がる。
 苛立ちと、憎悪。
 さすがに、今回は自称弟子の童子も白兵の顔に浮かんだ染みに気づき、今度こそ恐怖を含んだ驚愕を覚えた。
 だが、それゆえに、彼は気付かなかった。
 そんな表面上に浮き出た染みなど、取るに足りないほどの激情が白兵の中に渦巻いていることに。

 ザワザワと、虫が這うような不愉快な感情が。
 ザラザラと、錆が浮き出るような不快な感情が。

「お主に頼みがあるでござる」

「頼み!? 白兵様が私にですか!?」

「嫌なら構わぬ、他のものに頼むとするでござる」

「いえいえ! 嫌なんてことがあるわけないじゃないですか!」

 頼みごとをされる。
 その望外の喜びに、先程まで心を覆っていた不安は霧散した。
 この辺は非常に子供らしい。
 子供らしい純朴さと、迂闊さだ。
 白兵の硝子玉のような瞳に浮かぶ不純物。
 外部から付いた傷や汚れではない、内から滲み出した錆のような感情。

「これを、先程から我々を監視している幕府のものに渡してきてもらいたいでござる」

 そう言って、懐から取り出したのは一つの手紙。
 その書面に用件を間違うことのない、至極単純にして簡潔明瞭に記されていた。
 『果たし状』と。

「これをですか? あんな監視に?」

「相手はもちろん虚刀流でござる。 奴が持つ変体刀を掛けての決闘を申し込むでござる」

 こちらは一本、あちらは三本。
 普通に考えたら、釣り合いの行かない交渉だが、それでもあの白髪の奇策士が求めるものが、四季崎記紀の完成形変体刀十二本全ての蒐集である以上、十分に交渉の余地がある。というよりも、向こうとしてはこの挑戦に応じざるをえない。奇策士としても蒐集対象以上に、裏切った白兵を放っておくなど出来るはずがない。

「だから、向こうは必ず乗ってくるでしょうけど……」

 童子はただただ不思議そうに問う。

「白兵様がわざわざ相手にすることはないのではないですか?」
 いくら最強の剣士とはいえ、今や幕府を裏切った堕剣士。
 わざわざ幕府の人間との接触をこちらからもつ必要はないはずだ。
 四季崎記紀の変体刀にしても、白兵自身が扱うのは薄刀『針』一本で十分のはずなのに。

「余計な詮索は不要でござる」

「まあ、やれというのならばしますけどね」

 なんの説明もないままに、童子はあっさりと頷いて、白兵に背を向けて去っていく。
 納得したわけではなるまい。ただ、考えることをやめただけだ。

 錆白兵の強さに挑むものが多いのと同様に、その強さに心酔して盲目的に従う輩も多い。あの童子もそんな有象無象の中の一人にしか過ぎない。あそこまで幼い者は他にいないのが特徴だが、若いほうが強さに対する憧憬が強いゆえに一途で盲目的。

 白兵にとって、弟子など取る気もなく、周りを彷徨かれても煩わしいだけだが、それでもそれ以上に煩わしい雑事を肩代わりしてくれるので、利用させてもらっている。
 別に助かっていると思うことはない。
 彼らが勝手に頼り、勝手にやっているだけなのだから。
 だが、錆のように感情が浮き出て、魔が差すこともある。

「おい、童(わっぱ)」

 気がつけば、童子の背中に声をかけていた。

「剣法とは教わるものではなく、砥ぐものでござる」

「ひどいなー。 でも、そうなんでしょうね。 これでも一応、修練はしてるんですけどね」

「ならば、後でどの程度まで仕上がっているのか見せてもらうでござる」

「はぇ?」

 その予期せぬ言葉に、童子は口から間抜けな音を漏らす。
 今まで浮かべていた笑顔などとは比べものにならないくらい、童子らしい表情だった。

「なんだ、不服でござるか?」

「い、いえ! いえいえいえいえ! とても嬉しいです!」

 首がもげるのではないかという勢いで首を横に振り、首が外れるのではないかという勢いで首を縦に振る。
 それなりに長い付き合いの白兵も初めて見る激しさだった。

「ならば、さっさと行って用を片付けてくるでござる。 拙者の気が変わるとも限らぬでござる」

「は、はい!」

 今度こそ本当に立ち去っていく童子の背中を見ながら、なぜ自分があのような事を言ったのか、白兵は自問する。
 虚刀流との戦いが彼の心の中をかき乱しているのは確かだ。
 虚刀流との戦いは、自分が錆白兵である以上、決して避けては通れぬ戦いである。己が己であるために、己の価値を証明するために、なんとしてでも虚刀流と戦い、打ち破らなければならない。
 だが、その後はどうする?
 己の価値を証明した後、錆だらけの刀である自分はどうすれば良いのか?
 そんな疑問が僅かばかりに芽生えたのかもしれない。そして先程の言葉が出たのであろう。


「下らぬでござる」

 所詮刀は刀。
 己の後など気にするべきではない。
 だが、それでも、もしも虚刀流との戦いの後に生き延びていたら、また諸国を歩くのも良いかもしれない。その間の暇つぶしに誰ぞの剣の扱いを見ても良いのかもしれない。
 そう、思ったのだ。
 魔が差したように。
 錆が浮き出たように。









四振り目・完了








ちょっと席を外します

これはめずらしい
おつやで

おもしろい

>>1です。投下していきます









五振り目・賊刀『鎧』所有者 校倉必








 揺れている。
 グラグラと揺れていた。
 足元は定まらず、視線は彷徨い、思考は混濁する。
 目の前は闇。
 ここが何処だか、今がいつなのか、自分が誰なのかも分からない。
 そのうち、この暗い闇の中に色が混じった。
 だが、その色も闇だ。
 赤くて朱くて紅い闇だ。
 その中心に、一つの影が横たわっている。
 近づいてはいけない。
 見てはいけない。
 叫び声を上げたつもりだった。だが、声は音にならず、叫びは届かず、影へと近づいていく。
 この時にはもう、揺れていた思考はまとまり、これがなんなのか気がついていた。
 感情の揺れ幅だけは大きくなっていく。だが、荒波のごとく荒れ狂う感情でも動きを止めることが出来ない。
 結末が分かっているのに、見たらどんな想いをするのか解っているのに、止まらない。
 やがて、ついには影の間近にまでたどり着いてしまった。
 横たわる影の正体がハッキリと見えたとき、声なき叫びが、感情の津波が、自分自身を引き裂き飲み込んでいった。

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 鼻を突く匂い。
 塩と体臭、生臭さが混じった悪臭に嫌でも意識が覚醒する。
 それでもまだ、揺れていた。

 グラグラと、自分が横たわる床が絶え間なく揺れている。黒く変色した木板がギシギシと軋みながら揺れているのを、しばらく見つめいている。酔って気持ち悪くなりそうだが、すでに何年も見続けたそれは、むしろ精神を安定させてくれる。
 本当ならば、いつまでもそうやって眺めていたいが、そんな事をしていれば、永久に覚めない眠りへと強制的に落とされるおそれが冗談抜きである。

 揺れ動く安定しない足場の上で自然に重心を取りながら身を起こす。今更この程度の揺れでフラつく事もない。その巨体の重心をしっかりと安定させて自身の持ち場へと歩く。

 向かう先はこの船の調理場だった。
 この船で彼に与えられた役割は単なる雑用。誰よりも早く起きて、他の船員が起きてきたときに不都合がないように下準備をして置かなければならない。

 最初のうちは、粗相をして海に放り捨てられやしないかと戦々恐々としていたものだが、今では作業も手慣れたものだ。要領よく朝餉の準備を済ませ、あまり意味があるとも思えない清掃を終えたころ、他の船員たちの姿が現れ始めた。

「おう、しっかりと働いてるだろうな」

「はい、後は運んでくるだけです」

「じゃあ、さっさと運んでこい。 腹が減ると気がたって何するかわからねえぞ」

「わかりましたよ」

 言葉数少なく了解すると、先ほど準備しておいた朝餉を運びこんでいく。自分と同じような雑用係も同じように、否、彼らは仲間たちと騒ぎながら運んでいる。
 そのなか、彼だけは黙々と、淡々と己の役割を果たしている。
 彼だけが、そのなかで異物であるように。異物であろうとしているように。
 だが、それでも彼はこの船の船員なのだ。どれだけ異物を振舞おうとも取り込まれていることには変わりがない。

「おい、今日も仕事があるぞ」

 そう言った男が意図はしていないだろうが、それでもその言葉は彼には決して逃れられないという忠告に聞こえた。
 どれだけ忌み嫌おうとも、憎しみを募らせようとも、結局のところここに取り込まれるしか生きる術がないのだと。
 この船が海賊船であるという事実からは逃れられない。
 自分自身が海賊の一員であるという事実から背けられない。
 例え、自分の役割が略奪行為そのものではないとしても、何の言い逃れも出来ない。


 それでも、そうするしか生きることが出来ないのが、彼の――校倉必の現状だった。

「必、仕事だ。 こっちに来い」

「あ、はい」

 また一つの船が海賊の略奪行為の犠牲に遭った。
 船員は皆殺しにされ、積荷はこうして必の手によって目ぼしい物は海賊船へと運ばれていた。
 その積荷の搬送作業の最中、船長が必を呼ぶ。

 まだ何か運ぶものがあったのかと、必は船長の声がしたと思われる方へと向かっていく。それがどれだけ不愉快であろうとも、不本意だろうとも、従うしか無い。拒めるわけがない。
 だが、それでもその場所に着いたとき、拒むべきだったと後悔した。何かしらの言い訳を使えば、心証を悪くするだろうが、ここに来ることを拒むことは出来たはずだったのだ。

 もちろん、必に先の事を知ることなど出来ない。結局のところ、この後悔は己が今最善と思って行動した結果なのだ。そして、一度起こしてしまた行動は覆らない。
 そこには、二人の子どもが真っ赤になって倒れ伏していた。
 男の子と女の子。
 男の子は自分よりも小さな女の子を抱きすくめて倒れている。
 どう見ても、二人とも死んでいる。

「おい、必」

「っ! は、はい」

 船長に呼ばれ、釘付けになっていた視線を船長へと向ける。
 そこで見たのは、ニヤニヤと悪びれた様子もなく、しかし意地の悪い笑みだった。

「どうした? ボケッとして」

 理解した。
 船長がなぜ自分を呼んだのかを、必はその時ハッキリと分かった。
 試したのだ。

 必がこの海賊団に組み込まれてから5年。ただただ従順に鈍感に従ってきた。生き延びるためにも、素直に従い役目をこなして生き延びてきた。
 その結果、一定の信頼を得るほどにはなってきた。
 そう、この海賊団に伝わる伝説の刀鍛冶、四季崎記紀の変体刀の一つ賊刀『鎧』の管理を任されるくらいには。
 だが、それでも一定でしか無い。あくまでも部外者でしかない。

 だから、ここに来て必の忠誠心が本当のものか、否、例え忠誠など無くとも刃向かうことが無いかを試したのだ。
 この二人の子どもの死体を見せることで。
 この兄妹の死体を見せることで。
 海賊団に家族を、目の前で妹を殺された兄の気持ちを試したのだ。

「いえ、子どもがいるのが珍しくて」

「ああ、そうだな。 どうやら親に黙って潜り込んでたみたいだ。 だめだよなあ、ちゃあんと親の言う事を守らないから、こうやって天罰に遭うんだ。 なあ、必?」

 ニヤニヤと。
 ニタニタと。
 粘り着くように言う。

「そう、ですね。 馬鹿なガキどもです。 本当に――」

 それに、必は答える。
 決して調子を合わせたわけではない。
 その言葉は心のそこからの本心だった。

「ガハハハ、そうか! お前もそう思うか!?」

 必の答えに大いに満足した海賊団の船長は腹の底から笑い出す。
 だから、気がつかなかった。その時の必の目を。そこに宿る覚悟を。

「それで、船長。 ご用件はなんでしょうか?」

「おう、そうそう。 ここにある食料も運びこんでおけ。 海の上じゃ食料は何にも勝る貴重品だ」

「わかりました」

 そう言うと、早速作業へととりかかる。
 最後の荷物を、搬入する際に一度だけ、馬鹿な兄妹へと視線を送った。

 その日の晩は、宴会さながらだった。
 よっぽど、今日の船の収穫がよかったのだろうか。
 それもあるだろう。
 だが、もう一つ、必の従順さを確かめたという意味合いも含まれていた。
 だから、だから、船長は最後の失態を犯したのだ。

「おう、必。 お前、あの『鎧』着てみるか?」

 今や誰も装着することが叶わない賊刀『鎧』。
 しかし、必の体格ならば、あの日、『鎧』を見てから成長した、まるで『鎧』に相応しい体躯を創り上げるように成長した体ならば、着れるだろうと思ったのだろう。そして、着たところで逆らわないだろうとも。

 それは半分あたりで半分外れだった。
 まるで刀自身が所有者を選んだかのように育った必の体躯は『鎧』に相応しかった。
 だが、彼は決して忘れたわけでも許したわけでも割り切った訳でもないのだ。
 彼の心の底には未だに怒り恨み憎しみが渦巻いていた。
 校倉必は自ら所属する海賊団は心底憎んでいた。
 この二つの要素が一致すれば、後は導きだされる解はひどく簡単だった。

 海を荒らし、近隣から恐れられていた海賊団は一夜にして全滅した。
 海の藻屑と消えた。
 その後、校倉必を長とした海賊団『鎧海賊団』が発足することになったのだが、彼が何を思って憎しみの対象である海賊を生業として続けたのかは、彼の口からは語られることはなかった。

 他に生き方がなかったという者。
 二度と暴虐な海賊が現れぬように自らが仕切ったという者。
 力を手にしたとたんに奪う側の快楽に堕ちたという者。
 憶測は様々だ。


 だが、彼の覚悟は彼自身の『鎧』よりも固い胸のうちに秘められたままだ。









五振り目・完了
















六振り目・双刀『鎚』所有者 凍空こなゆき








 蝦夷、踊山。

 壱級災害指定地域の一つであるこの山には、常に猛吹雪が吹きすさぶこの土地は一般に人が近づくことがない。一般でない者ですら、百年以上前に一度だけ当時の権力者が軍を差し向けたが、結局のところ彼らはその役割を果たすことは出来なかった。

 もっとも、それは何もこの自然現象だけに原因があったわけではないのだが。
 とにもかくにも、それから百年以上という時が経ち、権力者も当時の体制から代わり、新しい体制に移り変わろうともこの土地は何も変わらない。
 完全に外界から隔絶された世界。
 この世界にありながら歴史の変動に干渉されず、また関与しない。
 故の壱級災害指定地域。
 だが、踊山が何故、姉弟されたのかという本当の理由を知る者は意外と少ない。

 踊山の山頂。
 誰も踏み入ることの出来ない領域であるはずのそこに、人知れず住み着いた一族が存在した。

 ――凍空一族。

 彼らこそがこの山が壱級災害指定地域とされた本当の理由。
 かつて旧将軍がそこに存在するという四季崎記紀の完成形変体刀、双刀『鎚』。
 その守護こそが彼らに託された役割だ。
 正確に言えば、かの変体刀の特性上、彼ら一族にしか託せないというのが実情なのだが。
 彼らが持つ特性とは超怪力。
 常人とは比べものにならないその力を持つがゆえに、超重量という特性を持つ『鎚』が託された。

 故に、彼らはその力に対して絶大なる誇りを持っていたし、力弱き地表に住む人々を『地表人』と呼び、自分たちとの違いを明確にしていた。
 そんな彼らだからこそ、一族の中でも力強き者には敬意を払われる。
 そんな彼らだからこそ、一族の中でも力弱き者には――。

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「やーい、泣き虫こなゆき」

「弱虫こなゆきー。 おまえにさわられたら弱いのがうつるからくるなー」

「悔しかったらかた手で丸太三本もってみろよー」

 そんな、ある意味牧歌的で無邪気で(その内容は一般常識からひどく外れた内容ではあるが)残酷な言葉を投げかける童子たちと彼らに遠巻きにされる童女の姿があった。

 童女の大きな瞳には大粒の涙が溜まっては落ち、溜まっては落ちを繰り返している。その涙は地に落ちて消えることもなく、極寒の中、凍ってその痕跡をハッキリと残していた。

 彼女の名は凍空こなゆき。
 元来、奔放で明るい性格だったが、同世代の中でも一際非力な彼女は、力に誇りを持つ凍空一族の他の童子たちから格好の攻撃対象となっていた。攻撃対象という言い方は、多少過激かもしれない。やっている童子たちからしたら、遊びの一環なのかもしれない。だが、そんな都合はこなゆきには関係ない。

 彼らの言葉の数々が。
 彼らの仕打ちの数々が。
 凍空一族の怪力などよりも強く、こなゆきの心を傷つけている。

「うちっち、うちっち……」

 何かを言い返そうとしても言葉にならない。
 吐き出そうとする言葉は、その結果を想像すると音になる前に全て凍りついて意味を無くしてしまう。
 結局、その態度が童子たちの嗜虐心に拍車を掛けて、悪循環となる。

 もちろん、こなゆきにも友達がいるし、その友達は苛められるこなゆきを慰めてくれるし、ときには庇ってくれる。それでもやはりあまりにも攻撃が激しい場合は、割って入ることに躊躇いが生まれてしまう。それは集団で生活する人間のどうしようもない性だ。

 やがて、誰が始めたのか雪玉をぶつける者が現れた。
 これもやはり、加害者側からすれば遊びなのだろう。初戦は子供の投げる雪玉(とは言え、彼らの言うところの地表人が受ければ骨折の恐れがある、下手をすれば死んでしまう威力)なのだから、身体的な痛みはない。
 だが、心理的な痛みは限界に達した。

「ウワァァァン」

 大声で泣きながら、こなゆきはその場を走り去っていた。
 その姿を見て、さすがにやり過ぎたと反省する者。より攻撃性を増す者。義侠心と友情と罪悪感が限界で止めに入る者。それらすべてを置き去りにして、こなゆきはただただ逃れるために村の外にまで走っていった。



 それが、その結果が思わぬ運命の分岐点になるとは誰も知らぬままに。

村はずれの雪原で、こなゆきは一人で泣いていた。
 イジメられたことも確かに嫌だった。だがそれ以上に、こなゆき自身、自分の非力さが嫌だった。
 こなゆきもまた力が無いとは言え、凍空一族なのだ。力の価値は重い。
 それ故に、自分の力の無さが恨めしく、悔しく、悲しく、泣いていた。

「うちっちは何でこんなに弱いの」

 それは誰にも答えられない自問。
 彼女の両親や友人は、それでも「いつかは強くなれる」と言ってくれる。
 それでも、今は弱いのだ。童子にとっていつかという言葉は可能性として受け止められる話ではない。

 だけれども、こなゆきは優しく聡かった。それが故に力がなくとも慕ってくれる家族や友達がいる。それが故にそんな人達の期待に未だに応えられない自分が嫌だった。
 せめて、泣き虫でなければ、泣くことがない強さくらいあればとも思う。

「それなのに、うちっちは泣いて逃げちゃいました」

 その事実が、よりこなゆき自身を責め立てた。
 泣きたくないのに、どんどん涙が溢れてくる。
 そんな自分が嫌で、また涙が出てくる。
 こんなんじゃ、また嫌われる。今は好きだと言ってくれている人たちにも嫌われる。
 こなゆきの両親はこなゆきの笑顔が好きだと言ってくれたのに、だから出来るだけ笑顔でいたいのに。

「うぅぅ、うぅぅ」

 また大声で泣き出しそうになるのを強引に押しとどめて堪える。
 そうすることが辛くないといえば嘘になるが、それでもそれ以上にこなゆきにとっては笑顔が好きだと言ってくれた人に嫌われるのではないかという思いのほうが強かった。
 どれくらい、そうしていたのだろう。
 精一杯頑張って、堪えて、涙を、悲しみを押し殺すことにどうにか成功した。

 その頃にはすでに、あたりは暗くなっていた。
 年中厚い雲に覆われているとは言え、それでも昼夜の区別はある。
 もういい加減に帰らないと、それこそ親に心配を掛けて、怒られてしまう。

「――帰ろう」

 こなゆきはそう呟いて、逃げ出した村へと駆けていく。
 せめて、帰ったときは満面の笑みで「ただいま」と言おう、そう決めて。

 しかし、残念ながらこなゆきの決意は無駄に終わる。
 こなゆきが村を飛び出してから戻るまで、刹那ではないにせよ、それでも決して長い時ではなかった。だが、その僅かな時間の間で、こなゆきの目にする光景は完全に別のものになっていた。

 こなゆきといつも遊んでいる友達も、いつも苛めてくる苛めっ子も、いつも優しい両親も、全員死んでいた。

 かつて旧将軍の軍隊すら退けた怪力を持つ凍空一族が、まるで雑草でもむしるかのように無造作に全滅していた。



 凍空一族の歴史が終わっていたのだった。









六振り目・完了
















七振り目・悪刀『鐚』所有者 鑢七実








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 不承島。
 この島がそう呼ばれるようになったのはここ数年の事だった。
 父一人、娘一人と息子一人の三人がこの島で暮らすようになってから、便宜上彼らによってそう名付けられた。

 外界と隔たれた世界。
 その中で生きる一つの家族。
 本来ならば、そのような過酷な環境であれば家族一丸となって生きていかねばならない。
 だが、それでもそのような環境にありながら、いやそもそも家族でありながら、隔絶された世界の中で更に隔絶された存在がいた。

「七実、これより七花に稽古をつけてくる。 お前は決してくるではない」

「……はい」

 父、鑢六枝は自分の娘にそう言い渡して、息子だけを連れて稽古へと向かった。
 娘を残して、息子だけを連れて行った。
 その後姿を、七実はただ見送る。
 無言で、泣き言も言わず、見送る。
 やがて、二人の姿が見えなくなった頃、七実はようやく言葉を発した。

「それじゃあ、そろそろ私も行きましょうか」


 邪悪そうな笑みを浮かべて。

 いつからか、いやきっと初めからだったのだろう。六枝と七花が稽古に出たのを見送った後、七実もまた二人の後を付けていた。そして、ジッと見ていた。

 父の六枝が弟の七花に厳しく指導しているのを。
 弟の七花が父の六枝の教えを受けて、一生懸命頑張って修行しているのを。

 戦国の世から先の大乱でも活躍した虚刀流の修行を。
 ジッと見ていた。
 修行に励む弟の七花にはもちろん、先の大乱で英雄とも言われた六枝にも気づかれることなく。
 その事実こそが、七実が六枝に隔離されている理由だった。
 並外れた、否、桁外れな才能こそが六枝に選ばれなかった理由。

 七実はあまりにも強すぎた。
 英雄である父の教えを受けるまでもなく。
 虚刀流の技を修行するまでもなく。
 七実は不適合だったのだ。
 熟した果実をそれ以上育てても無意味なのと同じように、すでにその才能は育てようがなかったのだ。
 だが、それでも七実は子供なのだ。
 鑢六枝の娘、鑢七実なのだ。
 だから七実は六枝に隠れて近くから見ていたのだ。
 自分には向けられない、父の教えを愛情を受ける七花を見ていたのだ。

 それしか、やることがないから。
 それくらいしか、許されていないから。
 いや、本来ならばそれすらも許されてはいないのだ。
 それでも、だから。故に、七実は二人の修行をジッと見ていた。

 さて、ここまで散々に七実の惨々な才能について語ってきたが、そんな彼女にも欠点と言えるものが無いわけではなかった。

 それは彼女の方向音痴にあった。

「参ったわねえ、こっちだと思ったのだけれど」

 六枝と七花が修行を切り上げたのを機に、七実もまた住処にしている小屋へと帰ろうとした。
 帰ろうとしたのだが、帰れなかった。
 自分の家への帰り道を間違ったのだ。
 迷った。
 迷子だった。

「別に牛や蝸牛の後に付いて行った覚えはないのだけれど」

 そんな微妙に次元も時間もすっ飛ばした発言をしながらも、のんびりと歩いていた。
 こういう場合、大抵歩けば歩くほどに迷っていくものなのだが、それが分かっていればそもそも迷子になどならない。
 つまりはどんどん迷って行っている最中だった。

「父さんたちは心配してるのかしら?」

 あまり期待を込めないでそう呟く。
 はじめからそんな事はありえないと決めてかかった言い方だった。

「まあ、帰れなかったら帰れなかったで、そこら辺で一晩明かせばいいわね。 さすがに明るくなれば帰り道もわかるでしょうし」

 それもまた、ずいぶんと投げやりで心許ない打開案だった。
 本当に帰る気があるのかも疑わしく感じてしまう。

 あるいは――帰る気など無いのか。

 外界から隔絶された孤島の中において、家族からも隔絶された自分に帰る場所などないとでも思っているのかもしれない。

「それじゃあ、今日はここら辺で休むとしましょうか」

 そう言って、疲れたため息を吐いて、近くの木の根元に腰掛ける。
 その姿はとても様になっていた。
 元々、病弱で線が細い七実にはそういう弱々しい儚げな仕草が怖いほどに似合う。

「このまま眠って、目を覚まさなかったら私はどうなるのかしら? 彼岸とか言う場所に言って、母さんに逢うのかしらね」

 それは嫌だ、と初めて、そこで明確な感情が表に出る。
 明らかな嫌悪。
 先立った母親へと向けるにはあまりにも相応しくない感情が浮かび上がっていた。

「まあ、それでも贅沢は言えないし、それにそもそもこの程度じゃ私は私を死なせてはくれないでしょうね」

 諦めきった、疲れきった声で言う。
 ため息と同様にとても似合っているが、彼女の年齢を考えると似合うことが問題だ。
 とにもかくにも、疲れた身体を休ませてしまおうと眠りに落ちようとしたとき、彼女の耳はその音を捉えた。
 視覚ほどではないにせよ、聴覚もまた常人とは比べものにならない程に発達した七実にはその音の正体が何であるか、ハッキリと聞き取れた。

 誰かを呼ぶ声だ。
 誰か子供が必死に誰かを呼んでいる。
 いや、七実の耳を以てすれば、それが誰だなのか何を言っているのかハッキリと聞き取れる。

 それ以前に、この島に子供など一人しかいない。いや、その一人ですら七実は今までこんな必死な声を聞いたことがない。

 だが、聞き間違いではない。これは――。

「七花?」

 七実の弟の声だった。
 彼女が欲しい物を全て持っている弟が叫んでいる。
 大切なモノを無くしてしまったように叫んでいる。

「ねえちゃん! ねえちゃん、どこだよー!」

 姉である七実を求め、探していた。
 そのことに、七実は衝撃を受けた。
 医者に匙を投げられた時も、母親が死んだ時も、島流しにあった時も、そして父親に拒絶された時も「ああ、やっぱり」としか思わなかった七実が、強い衝撃を受けた。
 それ程に意外だったのだ。
 誰かが自分を求めるということが。
 だから、七実自身、いつからそうしたのか分からなかった。
 気がつけば、七花の目の前に姿を表していた。

「七花」

「あ、ねえちゃん。 ようやくみつけたよ。 どこいってたんだよ」

 目の前に現れた、姉を見て弟の七花はようやく安心したような表情になった。
 安心して笑った。
 それが七実には――。

「七花、なぜこんな所で私を呼んでいたの?」

「なんでって、ねえちゃんをさがしにきたからにきまってるだろ」

 ――理解できなかった。

「何故、私を、探しに来たのかしら」

「なんでって、そんなのきまってるだろ」

 七実よりも数段考えることが苦手な七花は、それでもそんな疑問に簡単に答える。
 そもそも疑問にすらならないとばかりに。

「ねえちゃんがいなくなったからだろ。 ねえちゃんが、かぞくがいなくなればさがすのにきまってるじゃん」

 その言葉に、その答えに、七実はろくな反応が返せなかった。
 代わりに、話を逸らすように、七実はもう一点気になっていることを尋ねた。

「ねえ、七花。 その手に持ってるのはなにかしら?」

「うん? ああ、すいかだよ。 かえったらみんなでたべようとおもったらねえちゃんがいないんだもん」

 どうやら、姉がいないことに気がついたときに持ったまま飛び出してきてしまったようだ。
 いくら鍛えているとは言え、そんな重いものをこの小さな体で持って歩きまわるのは疲れただろうに。
 実際、どれだけ歩き回ったのかは知らないが、七花の息は上がっていた。

「そう、それじゃあここで食べちゃいましょう」

「ん? おやじがいないのにか?」

「真っ先に私を見つけることが出来たご褒美よ」

「ああ、そうなのか」

 そんな言葉で、あっさりと納得してしまった。
 やはりまだ子供ということか。
 七実は七花を伴って今さっき休憩しようとした、樹の根元へと移動する。

「それじゃあ、切って分けましょうか」

「あ、でも、おれはまだとうちゃんほどうまくきれないぞ」

「大丈夫、私が切ってあげるわ」

 そう言って、七実は七花が持ってきた西瓜を素手で綺麗に切り分けた。
 硬い皮も、水分を多く含む中身も崩すことなく綺麗に、名工の刀を使ったように容易に切り分けた。

「すげえな、ねえちゃん。 まるでおやじみたいだ」

「あなたもこれくらいは簡単に出来るようにならないとだめよ」

「おう、おれもがんばんばる」

 そう言いながらも、切り分けられた西瓜にかぶりついていた。
 七実も、自分で切り分けた西瓜を一切れ手に持って、一口齧る。

 疲れていた身体に水分と糖分が染みこんでいく。だが、それ以上に今までの食事では味わえなかった充足感が満たされている。今までに味わったことのないほどの幸福感。

 それは普通の人間なら普通に感じることができる感性を、初めて七実にもたらした。




「美味しいね、七花」

 そう言って、横を見ると弟の七花は眠ってしまっていた。
 やはり、修行の直ぐ後に歩きまわって疲れたのだろう。休息を取ったことで眠気に襲われたようだ。
 しかし、眠ってしまた七花に七実は不満を持つことはなかった。
 自分を探しまわってくれた存在。
 自分の帰りを望んでくれた存在。
 自分の存在を認めてくれた存在。
 自分の帰る場所。
 自分の家族。
 自分の弟。
 七花を見て、七実は。
 邪悪でない優しい笑顔を向けた。
 ジッと見つめるのではなく、微笑ましく見守った。









七振り目・完了
















八振り目・微刀『釵』所有者 日和号













 人はその一生を全うして、初めて己の生きる意味を知るという。
 だが、例え一生を終えたとしてもその意味を知ることが出来ない者だって大勢いる。
 しかし、それは目覚めた時から己の役割を熟知していた。
 己の存在意義を余すところなく、過不足なく、理解していた。
 故にそれは存在した時から己の役割だけを忠実に果たしていた。

 疑問の余地を挟むまでもなく。
 覚悟を決めるまでもなく。
 己の存在意義に則り、役目を忠実に従順に実行する。
 結果として、この土地が壱級災害指定地域とされようとも。
 結果として、自分に『がらくた王女』などという呼び名を与えられようとも。

 まるで関係なく、ただただ自分自身に与えられた役割をこなしていた。
 それに楽しいとか悲しいとか、そんな感情なだという不純物は一切存在しない。
 雑多な塵芥が溢れかえるこの不要湖において、唯一純粋な存在。

 伝説の刀鍛冶、四季崎記紀によって製作された完成形変体刀十二本の内の一本。

 絡繰人形。

 がらくた王女。

 日和号。

 ここではあえてソレを、彼女と呼ぶ。
 彼女が与えられた役割は非常に単純なものだった。
 彼女の創作者である四季崎記紀の工房がある不要湖の守護だった。

 とは言え、何百年もあとにこのようなからくり少女に求めるような、清掃などという役割は彼女には与えられていない。そんなモノが与えられていれば、このように塵芥にあふれた土地にはなってはいないだろう。あるいは、その手のからくに少女に求められる、ドジっ娘属性が付与されているというのならば話は別だが。

 しかし、もちろんのこと、四季崎記紀はあくまで刀鍛冶だ。
 刀にそのような余計な機能を――まあ付けないとも限らないが、少なくとも日和号には備わっていなかった。

 それに、彼女はドジっ娘などではない。己の役割を完全にこなしていた。だからこその今の不要湖の姿があるのだ。
 彼女の役割は工房に近づく者の排除だった。
 それが本当に工房から四季崎記紀の正体を探ろうとする者だろうと、めぼしい物を漁りに来た盗人だろうが、不要湖を昔の綺麗な湖に戻そうとする者だろうが、ただ迷い込んだだけの者だろうが、関係なく、等しく、等価に排除してきた。

 日和号の四本の腕に持つ四振りの刀で。
 やがて、この土地に足を踏み入れようとするものはいなくなった。
 それでも関係なく、何年も何十年も何百年も、四本の足で歩きまわり守り続ける。

 それが、彼女の役割だから。
 それが、彼女の存在意義だから。






 人が訪れることがなくなった不要湖。
 それでもその日も日和号はいつも通り、己の役目を果たしていた。
 今日もまた、別に何事も無く、ずっとそうだったように何も変わらない異常のない日々だとも思わずに、ただただ見回りを続けていた。

 だが、その日は違っていた。
 この塵芥溜めに不相応な美しい存在があった。
 それが持つ物もまた、非常に美しい物だった。
 薄く薄く薄い、その物体は向こう側の景色を透かして写し、光を取り込み屈折し反射し、幻想的な美しさを放っていた。
 常人ならば、その二つの美しさに見とれてしまうことだろう。

 しかし日和号にはそんな感情は存在しない。
 あるのは己の役割を果たすという存在意義の実行のみ。

「人間認識。人間認識」

 そう、白い影はまごうことなく人であった。
 大凡、人と呼ぶに欠落の多い人格であり、故に超越した存在だが、それでも日和号の内部構造がソレを人間と認識していた。

 そして、白い人間が持つ美しい物体を、己と同じ根源を持つ刀を、ただ一振りの日本刀と認識していた。
 ならば、彼女がやるべきことはただ一つ。

「即刻斬殺」

 四つの腕で四本の刀を構え。
 四つの足で白い影に襲いかかる。
 四つの腕と四つの足を持つ化物が襲いかかってくる様は、恐怖するには十分な異様な光景だった。

 だが、それでもその白い人間は、感情に揺れることのない、日和号同様の無機質な目で見つめていた。

「四季崎記紀が打ちし、完成形変体刀の一本、人間にして刀、日和号でござるか」

 白い人間は手にした刀を構えることなく、自らに襲い来る日和号を見やる。

「まったく、このような物が人間だとでも思っているのでござるか? このような物が刀だと言うのでござるか?」

 感情の篭らない声で呟く。
 しかし、それでもその声には隠しようのない苛立ちが含まれていた。

「ずいぶんと、拙者たちの創作者は狂っているようでござるな」

 その言葉は日和号に向けた言葉か。
 それとも自分自身に向けた言葉なのか。
 あるいは手にした日本刀に向けた言葉なのか。

「結局のところ、これもおぬしも所詮は完成形止まりということでござるか。 もっとも、拙者は完成形にも至らぬ失敗作扱いでござるか」

 そう言って白い影はようやく手にした日本刀――四季崎記紀が打った完成形変体刀十二本の内の一本、薄刀『針』を構えた。

「果たして、拙者はおぬしをときめかせる事が出来るでござるかな」

 白い人間――現最強の剣士、錆白兵はそう言って、日和号との戦闘に突入した。

 日和号の扱う四本の刀。

 一人が四本の刀を使って襲ってくるというのは、それだけで驚異だ。元来剣術というのは人間を想定している。そして、人間はどう頑張っても二本までしか(まあ後の世の人気作品に三刀流や六爪流などというものもあるらしいが)刀を取り扱えない。それを自在に操り襲ってくるというのは敵対者として想定外だ。

 事実、今まで腕試しにと挑んできた武芸者達はその四本の刀という想定外の敵に斬殺されてきた。
 だが、錆白兵はそんな十把一絡の剣士たちとは違う。
 四の刀を全て斬りつけられる寸前で紙一重も無い間合いで、しかし掠り傷一つ無く避けていた。
 本来想定外のはずの四つの刀を相手に、完全にその攻撃を見切り切っていた。

 だが、日和号もその事にいちいち同様などしたりはしない。
 避けられればまた斬りつけるだけ。
 動くなら動かなくするだけ。
 生きているのならば殺すだけ。

「人形殺法・突風」
 斬る。
「人形殺法・旋風」
 止める・
「人形殺法・竜巻」
 殺す。

 ただ己の役割を果たすのみだ。
 この死闘を、誰かが見ていたのならば、死闘と知った上で見とれていただろう。
 異形の姿とはいえ、それでもそれだからこそ日和号の放つ剣技の数々はとても人間では繰り出すことの出来ないシロモノだった。

 そして、その全てを決して逃げるでもなく、踏み込むように避ける錆白兵の見切りも人の技とは思えなかった。
 斬りつけては避けられる。
 避けては斬りつけられる。
 二人の動きは殺し合いだと分かった上でも美しかった。
 西洋の社交場で盛んな踊りのようにくるくると舞っているようだ。

 だが、それは所詮外部から部外者から見たとしたらの話だ。
 当人たちには、そんな親しみの情など無い。
 憎しみや怒りといった激しい情すら無い。
 内外の印象があまりにも食い違う死闘。
 まるで噛み合わない、空回りの死闘。
 だが、そんな死闘も幕が来る。
 それも思いの外呆気無く、拍子抜けな形で。

「ここまででござるな」

 白兵はそう言うと、今までのような僅かな動きで避けるのではなく、大きく後ろに下がって日和号との間合いを広げた。いや。実際には下がったという認識さえ出来ない。気がついたら離れていたというくらいの高速移動だった。

「結局のところ、やはり完成形を手にしても、完成形を相手にしても、拙者では完了には至らぬでござるか」

 そう言って、白兵は『針』を鞘へ収める。
 結局のところ一度たりとも日和号に対して振るうことのなかった刀を。

「そして、おぬしをときめかせることもやはり叶わぬでござるな」

 その言葉には自嘲と共に、日和号へと向けた憐憫が含まれていた。

「拙者もおぬしも創作者に見限られた不良品。 錆の浮いた刀とガラクタ人形でござるか」

 白兵は無造作に無警戒に、日和号へと背を向ける。

「さらばでござる。 拙者とおぬし。 果たしてどちらが完了に出会うのか、或いは両者とも完了形と出会い、かの刀を打ち上げるための材料にされるのかは分からぬが、もう会いまみえることもないでござる」

 そう言うだけ言って、白兵は去っていった。
 その姿を、追撃するわけでもなく、日和号は見ていた。
 見方によっては、同族を送り出しているようにも見えるし、自身を否定されて茫然自失になっているようにも見える。
 もちろん、そんなことがあるはずも無いのだが。

 しかし、それでもこの時、日和号の中で原初の記録が再生された。

 それは初めて日和号が起動したときの記憶。
 己の主が日和号に今でも守り続けている命令を与えたときの記憶。




「良いか、お前はこの地に踏み行ってくる人間を斬れ。 もちろん、俺は別だがソレ以外は例外なく斬り殺せ。 こんなことは刀である、俺の自慢の完成形変体刀のお前ならば簡単なことだろう」

 そう、それが一つ目の命令。

「次に俺の秘密を暴こうなどと、俺の目的を晒そうなどと思う輩が現れないように、この工房を護れ。 もっともこれは一つ目の命令を守ってりゃ自然と達成できる目的だがな」

 それが二つ目の命令。

 あれから何百年と立っていても、変わることなく、疑問を持つまでもなく従っている存在理由。

「そして、お前自身を護れ。 お前が壊れちまったら、さっきの命令は護れなくなるんだからな。 まあ、いつかはお前を墓石に来る奴が必ず来るが、そいつが現れるまでは、完了形が来るまではお前はお前を守り通せ」

 三つ目の命令は、結局のところ守ってはいる。
 先の命令二つを実行する際に、危険になったことすら無い。
 しいて言えば、先の白い人間と相対したときは、相手がその気ならばこの命令は果たせなかったかもしれないが。

「そして最後だ。 お前自身を護れ。 こいつは今までの命令を守るために言ってんじゃねえ。 お前のその姿は俺が惚れた女の姿なんだ。 そいつが傷つけられるのはさすがに俺も嫌なんでな」

 四つ目の命令は――果たして守れているのか分からない。
 ただ、その時の主が見せた自嘲の笑みだけがハッキリと再生されていた。
 気がつけば、日和号はいつも通り工房の中ではなく、不要湖で立ち尽くしていた。

 白兵が立ち去って、僅かな時間しか立っていないだろうが、それでもその僅かな時間に、本来ならばわざわざ再生する必要もない記録が再生された。
 それが、同じ創作者を持つ者との接触が原因なのかは、しかし日和号を含めた誰にも分からない。
 所詮は過去の記録でしかなく、思い出どころか、幻ですら無い。

 だから、日和号はまた、動き出す。
 彼女は何百年もそうしていたように、己の役割を存在意義を、主に与えられた命令を守るために。
 カタカタと四本の足を動かして歩み始める。









八振り目・完了
















九振り目・王刀『鋸』所有者 汽口慚愧













「私は嫌です!」

 そんな言葉が、道場に響き渡る。
 向き合うのは若い女と老いた男。
 その二人が睨み合って、否、若い女のほうが一方的に老人を睨みつけていた。

「私は、こんな道場を継ぐ気などありません!」

「しかしな、お前が継がねばこの道場は潰れる。 それは我が心王一鞘流が潰えることを意味する」

「潰れればよろしいではないですか! こんな、門下生などすでに一人もいない道場など! それにこの太平の世の中で剣の道を志すことに何の意味があるのです! 潰えるというのならば、それも時代の流れ。 潰えてしまえば良いのです」

 その言葉は、あんまりと言えばあんまりな言葉だった。
 自分の流派をこのように言われれば、怒りを持って返すのも、手を上げたところで仕方あるまい。
 だが、老人は手を上がるどころか怒りの感情すら表に出さずに言う。

「時代の流れ、か。 確かにそれが風化していくものを無理に止めようとするのも無様なのだろう」

 否定されたことを否定せずに肯定した。
 その言葉は一抹の寂しさがあった。

「だったら!」

「だがな、それでもいかに時代が流れ、歴史の変節があろうとも、それでも人が常に己が内に持っていなければならない芯というものがある。 我が流派はそれを世に伝えるための流派だ。 それ故の活人剣だ。 人々に必要とされてないのならば、それはそれで構わない。 しかし、必要とされたときに我が流派はその求めに応えねばならない」

 その言葉は若い女の荒々しい声とは反対に落ち着いた澄んだ声だった。だが、その声が持つ力は若い女の言葉よりも強く相手の心を打ち付ける。

 それでも、若い女は飲まれそうになるのを必死にこらえて老人を睨みつける。

「そんな悠長な話、私はごめんです。 それに心の在り方を伝えるというのならば、この村の伝統である将棋でもよろしいでしょう! 将棋の中にだって人の心の中を打つものはあります」

「そうだな。 確かにそれで伝えられるものもあるだろう。 将棋では伝えられないものを伝えるのが剣術だ、などとは言いはしないよ。 だがな、お前は将棋で何かを伝えられるのか? 将棋がどうではなく、お前自身が将棋を通して、何かを伝えることが出来るのか?」

「っ!」

 老人の言葉は静かながら、正面から娘の性根を打ち据える。
 ここでシッカリと返せるようならば、きっと老人は何も言わないだろう。娘の好きなようにさせたのだろう。
 だが、娘は言葉に詰まり、何一つとして返す手がなかった。

「お前の将棋は娯楽であり、横道に逸れているのに過ぎない。 お前自身が本当に決めた進むべき正道を、王道を歩まねば、お前自身が傷つくことになるぞ。 そうでなければ、辿り着けない境地というものがある」

「それが、剣術だと言うのですか! それこそ勝手な言い草ではありませんか!」

「剣術がそうだなどとは言わんよ。 継いで欲しいというのはやはり私の我侭だ。 だがな、結局のところ剣術とは違う道を歩むのではなく、ただ剣術からの逃げ道としての道しか探していないお前には、きちんと剣術と向かい合った上で、お前自身の王道を見つけて欲しいのだ」

「私は……」

 返す言葉など無い。
 老人の言葉は全て彼女自身が自分自身にすらひた隠しにしてきた想い。
 それを見事に打ち付けられ、それでも尚、自分の意志を尊重しようという言葉に対して、反論する言葉がなかった。
 だから、結局のところせめて言えた言葉は、子供のような自分自身の主張だけだった。

「私は、この道場を、心王一鞘流を、汽口慚愧の名を継ぐつもりはありません!」

 そう言い渡して、娘は道場を飛び出した。
 その後姿を見る老人――汽口慚愧の表情は予想外にも穏やかな微笑みだった。





 娘は決して祖父のことが嫌いではなかった。
 むしろ、両親を失ってから自分を育ててくれた祖父には感謝してもし切れない。
 だから、恩を返すというのならば、道場を継いであげるべきなのかもしれない。
 だが、娘は観てきたのだ。
 門下生のいない道場を持つ祖父の姿を。収入などろくに無いのに、自分を育ててくれた祖父の苦労を。

 ならば、道場など剣術など捨てて、もっと楽な道を歩ませてやることのほうが恩返しになるのでは無いのか。今後、剣術が必要になる時代がそうそう来るとは思えない。また、来て欲しいなどとも思わない。

 先の大乱、まだ子供だったとは言え、それの虚しさと悲しさは娘もある程度知っている。
 なにせ、両親を失ったのだ。
 その事も娘が剣術を避ける理由の一つなのかもしれない。
 そう、だから、つまるところ逃避なのだ。
 祖父のためだとか時代の流れだとか、そんなものは全て逃げ道でしか無い。

「詰みです」

「……あ」

 パチンと、駒が置かれた盤上を見やる。
 なるほど、確かに足掻きようがない完全な詰みだ。

「参りしました」

 娘は潔く負けを認めて頭を下げる。
 いくら逃げ道とは言え、将棋が好きなのは嘘偽りがない。
 その将棋で見苦しい真似はしたくなかったのだ。逃げ道としている以上、それ以上にはなおさらに。

「やはり、あなたは筋が良いですね。 今はまだ未熟な部分もありますが、この道に精進すれば名が響く程の棋士になれるかもしれません」

「そんな、大袈裟です」

 とは言ったものも、やはり好きな将棋の腕前をそう評価されて嬉しくないわけがない。

「しかし」

 だが。

「そうなることは、残念ながら無いのでしょうね」

「え?」

 続く言葉に、浮かれた気持ちは直ぐに沈む。

「あなたの指し方には、あなたの将棋への姿勢は極めようという形が見えてこない。 確かに良い筋ですが、それを極めようという気持ちがあなたには無い。 それでは上手い素人、というのが精精です」

「…………」

「気分を害されたら申し訳ありません。 しかし、やはり勿体無いという想いがあったので」

「いえ……貴重なお言葉ありがとうございます」

 そう言って、深々と頭を下げた。
 逃げ道ですら、逃げていることを指摘されてしまった。
 やはり中途半端な自分にはどこにも到達することなど出来ないのか。

 そんな考えが過ぎったとき、彼女の転機を知らせる声が舞い込んできた。
 もっとも、それが決して幸運な知らせというわけではない。
 何故なら、彼女が慕う祖父が倒れたという知らせなのだから。





 元々、高齢だった上に一人で孫娘を育ててきたのだ。その無理が祟ったのか、ここのところ調子が悪かった。そして、ついに今回、急に倒れるような自体になってしまった。
 剣術を志していただけに、年齢の割に丈夫とは言え、それはあくまで年齢の割にでしかない。
 そもそも、どれだけ剣の腕があろうとも、病や老いには勝てるものでもない。

「お祖父様! しっかりしてください!」

「はは、大丈夫。 孫娘の顔を見間違えるほどに耄碌していないよ」

「そういう問題ではありません!」

 この期に及んでも、まだ穏やかに笑いかける祖父に、孫娘のほうが泣きたかった。
 いつまで、自分は祖父に迷惑を掛け続けるのかという想いが彼女を責める。

「しかしまあ、確かにそろそろお迎えが来るのかもしれんな」

「何を弱きなことを!」

「はは、まあそれでもこうしてお前がいるときに、まだ意識があったのは幸いよな」

 そう言って、まるで遺言でも残すように言って、もう力が入らないだろう腕を伸ばして、近くにあった一本の木刀を手にして、孫娘の方へと持っていく。

「お祖父様、それは」

「そう、我が道場に伝わる我が流派の証。かの四季崎記紀が残した完成形変体刀十二本の内の一本、王刀『鋸』だ」

 それは一見して、平凡な木刀だった。

 確かに木刀にしては凝った意匠が施されてはいるが、それくらいでとてもこれが伝説の刀鍛冶の作品とは思えないようなシロモノであった。
 そもそもにおいて、刀鍛冶が、それも戦国の世の刀鍛冶が木刀などというものを作ることからして異質だ。

 だが、孫娘はそんな事よりも、今、この場面においてそんなモノを持ち出したことの意味のほうが重要だ。

「お祖父様、申し訳ありませんが、私は――」

「解っているよ。 何も無理に道場を継げだとか、流派を頼むとかそんな事を言い出すつもりはない。 この『鋸』をお前に渡すのはそういう意味ではないよ」

「では、一体?」

 他にこの場面で、こんなモノを渡す理由など、他に思い当たらない。
 第一この木刀はそういったモノを受け継ぐ証ではないのか。

「そうではないよ。 それは己の道を歩むための証だ」

「己の道を?」

「まだ、お前には見えていないかもしれない。 だがな、いずれは往かねばならない。 その時、自分の中にある道を覆い隠す闇を斬って道を照らしてくれるだろう」

「そんな……」

 そんな事はただの気の持ちようで、木刀を持ってどうこうなるものではないはずだ。

 普通なら。
 だが、普通では無いという四季崎記紀の変体刀、それも完成形と呼ばれる刀ならばあり得るのか。

「まあ、騙されたと思ってその木刀を構えてみよ。 その時、お前の心にある闇を斬ることが出来るだろう。 そしてお前ならば、ちゃんと道を見つけられるはずだ」

「…………」

 孫娘は無言で差し出された『鋸』を受け取る。
 決して信じたわけではない。
 だが、祖父の頼みを、この程度の願いを叶えてやることを拒む理由もなかった。
 ただ、それだけのつもりだった。

「――!?」

 だが『鋸』を持ち、構えた途端、心のなかにあったモヤが晴れた。
 いや、晴れたというような緩やかな変化ではない。まさに切り裂いたと表現すべき急激な変化だった。
 自分が将棋を剣の道からの逃げ道として使っていたことを、すんなりと受け止められた。

 自分が剣の道から逃げていたのは、祖父が苦労する姿を、そして両親を奪われた事から目を逸らしたかったということ。
 それでも、大好きな祖父が、そして今は亡き両親が守ってきた流派を誇りに思っていることを。
 それらを覆い隠してきた、自分の中の言い訳がましい闇が切り裂かれた。

「これ、は?」

「王刀『鋸』限定奥義『王刀楽土』」

 呆然とする孫娘の耳を、祖父の凛とした声が打つ。

「儂も以前は心王一鞘流を嫌っていた。 お前よりも酷い。 活人剣に意味など無い、剣術など人を殺すためのものではないかと、そんな風に思っていた。 しかし、その王刀『鋸』を持った途端、儂の中にあった、そんな心は消えていた。 そして儂は剣術の答えを知りたくて、流派と名を継いだのだ。 そうあの時の儂は確かに生まれ変わったような気分だった」

 それは、初めて聞く話だった。
 だが、今更それを疑う気持ちはない。
 何故なら彼女もまた、すでに体験したのだから。

「己の道を阻むものは己の内にある。 お前がどのような道を進むにせよ、決してその道を見誤らぬように、その刀を託したい。 受け取ってはくれるか」

「喜んで……お受けいたします」

 その言葉は意外にも素直に出た。
 あるいは、これも王刀の効果なのかもしれない。
 だからこそ、今までなら決して口にするようなことがなかったことも言えた。

「そして、失礼ながら、他にもお受けしたいものがあります」

「……言ってみよ」

「心王一鞘流の道場と、汽口慚愧の名を」

「良いのか? お前が進むべき道は他にもあるやもしれぬぞ」

「はい」

「そうか、ならばたった今からお前が汽口慚愧だ」

 こうして、王刀『鋸』は新たな使い手へと受け継がれた。
 そして、心王一鞘流当主、汽口慚愧もまた新たな世代へと引き継がれた。
 それから僅か数日のうちに、先代はこの世から旅立った。
 葬式は慎ましやかに行われ、しかし村の人達のほとんどが訪れた。

 確かに、このご時世に剣術など必要とされず、現に門下生など一人もいなかった。
 だが、それでも、先代汽口慚愧は村の人から必要とされていた。



 それは王刀『鋸』を譲ったとしても変わることはない事実だった。









九振り目・完了
















十振り目・誠刀『銓』所有者 彼我木輪廻








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 せっかく見ていただいてなんなのだが、彼我木輪廻について語ることはない。
 お叱りはごもっともなのだが、しかし語ることがないものはないのだ。
 いや、事実を誤魔化した上で語らないというのはさすがに失礼になるから、恥を偲んで、恥ずかしげもなく、本当のところを言わせていただくのならば。

 彼我木輪廻について語る術がない。


 それは彼我木が歴史に対して干渉を持たない故に、語るべき物語が無い、という訳ではない。
 そういった意味合いも、少なからずあるがそれはオマケ程度の問題だ。本来的な意味合いはもっと、どうしようもなく対処の仕様がない問題である。
 そもそもにおいて、仙人である彼我木に個性というものは存在しないのだ。

 結局のところ、それは全て見た者の、観測した者の心の中でしかなく、彼我木輪廻個人の個性では決して無い。
 例えば、鑢七花ととがめが出会った彼我木輪廻はこの二人の苦手意識が形になったものでしかない。外見は鑢七花が苦手意識を持った者たちを合わせた姿に、内面はとがめが苦手とする者の性格に。

 そしてそれは他の者が観測すれば、全く別の彼我木輪廻が出来上がってしまうのだ。
 ここでかつて四季崎記紀が彼我木輪廻に誠刀『銓』を託したときの話を語ったとしても、結局のところそれは四季崎記紀の苦手意識について語ってしまうことになるのだ。
 それはここで他の登場人物が出会っていたという嘘歴史を想像したところで、あるいは登場人物に名を連ねていない人物を登場させたところで結果は変わらない。その人物の苦手意識を語るだけだ。

 あるいは、まだ彼我木が人間だった頃の話を持ち出したところで、それは彼我木輪廻であって彼我木輪廻ではない。人間である彼我木輪廻と仙人となった彼我木輪廻は同一存在でありながら全くの別物である。
 語ろうと思うならば、彼我木輪廻という存在を固定しなければならないが、仮にそれが出来たとしても、それは既に彼我木輪廻ではありえない。

 故に、彼我木輪廻について語ることはない。
 語るすべがない。
 嘘歴史の嘘歴史らしく適当に騙ることも、この場合は難しい。
 結局のところ、彼我木輪廻の存在は歴史的異物なのだ。
 それでもあえて語ろうとするのならば、語らないことで彼我木輪廻という存在を語ろう。

 語れないという事実が、彼我木輪廻を語っている。


 いささか失礼で、誠実さに欠けた話になってしまったが、それでもこれが精一杯の誠実さで語る彼我木輪廻の物語だ。


今日はここまで。 明日か明後日にまた投下します。
次の投下で最後になると思いますので、よろしければ是非最後までお付き合いください









十振り目・完了








>>1です。 投下していきます









十一振り目・毒刀『鍍』所有者 真庭鳳凰













 真庭鳳凰。

 その名は畏怖と敬意と共に語られる。
 戦国時代、十二頭領制を採用されてから常にその名を持つ忍者は実質的な頭としての役割を担っている。

 その恐るべき忍術もさることながら、忍者としての基礎的な能力や忍術もまた群を抜いていた。何よりも、あまりにも癖の強い人間が多い真庭忍軍において、指揮能力をしっかりと持っているという、考えようによっては頭領として至極当然の必要技能を所持している数少ない人物だというのも大きいとされている。

 だが、やはり実際のところは、彼の持つ忍者としての能力の高さが買われてというのが実情だ。

 歴代最強の忍者が揃っていたと言われる戦国時代でも、そして今や衰退している現状でも、真庭鳳凰は忍軍最強の忍者としてその名を馳せていた。軒並み戦国時代の忍術は劣化、風化してしまった今でも鳳凰だけは戦国時代の技を受け継いでいた。
 故に、彼の二つ名は戦国の時代と変わることなくこう呼ばれている。


 『神の鳳凰と』――。

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「いやいや、大したものだ。 本来日陰者の忍者が言うに事欠いて神と来たものだ。 お前を崇め奉れば、ご利益でもあるかもしれないな」

「お前が言うと皮肉にしか聞こえんな。 喧嘩を売っているというのならば買っても良いのだぞ」

 暗い室内に一人座る男は、天井裏から掛けられた声へと陰鬱に返す。

「第一、我はまだ鳳凰の名を継いだだけで、十二頭領に選ばれてすらおらん」

「それも時間の問題であろう。 鳳凰の名を継いだ者が今まで十二頭領に選ばれなかった事など無いはずだ。 しかもお前はあの忍法『命結び』を会得したのであろう? ならば選ばれるのが必定だろう」

 天井裏の声が言ったことは、本来ならば聞き捨てならない台詞だった。
 忍者にとって己の忍術が知られているというのは致命的だ。どのような武芸者であろうとも己の手の内が相手に知れているというのはそれだけで不利になり、敗北へと繋がる。
 それが、隠密を常とする忍者ともなればなおさらだ。
 それなのに、鳳凰は陰鬱な笑いを口元に浮かべ、まるでその程度が些事であるように嘲笑う。

「それはどうかな。 現在の衰退ぶりでは真庭忍軍は遠からず消えてなくなるだろう。 もしかしたら我が十二頭領に選ばれる前に、真庭忍軍そのものが消えているということもあり得る。 そう、おぬしたち相生忍軍と同様にな」

 鳳凰のその言葉に、今度は天井裏にいる男が笑う。
 それは自嘲であり、苦笑であり、愉悦の笑いだった。

「それは違うな、鳳凰。 相生忍軍はまだ亡びたわけではない。 そのために私がいるのだ。 私が生きながらえている間はまだ、相生忍軍は歴史から消えようとも、この世から消えてはいないよ」

「そのために生きていると? 生きていることが相生忍軍の存在の証明であり、相生忍軍の延命こそがおぬしの生きる意味だと言うことか」

「ああ、そうだとも。 もはや相生忍軍は私一人だ。 だからこそ、私が生きて相生忍軍を僅かなりとも存続し続けるのが唯一残った私の使命であり義務だ。 お前は私の生き方を笑うか?」

「笑うとも。 あまりにも下らない。 あまりにも無意味だ」

「はっきりと言うな。 しかし相生忍軍を滅ぼした真庭忍軍の者にそう言われると、腹がたつどころか、むしろ愉快でさえある」

 言葉通り、軽い笑い声が天井裏から響いてくる。

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「だかがな、鳳凰。 ならばお前たち真庭忍軍はどうなのだ? あの戦国を戦い抜き、私たち相生忍軍を打ち滅ぼしながら、この太平の世の中では衰退していくばかりではないか。 お前たちのありさまもまた無様ではないのか」

「無様だとも。 無意味だとも。 しかしな忍者が立派な訳があるまい。 意味などあるわけがないだろ」

「ほう? 立派な忍者や忍者の存在に意味など無いと?」

「忍者はただ生きて、死ぬだけだ」

 鳳凰のその言葉に、天井裏から本当に本当に楽しそうな笑い声がが響き渡る。

「ハハハ! なるほどな! 確かにその通りなのだろう! だがな、鳳凰よ! お前のその物言い、お前のその在り方こそが、まさに絵に描いたような、物語に書かれるような、歴史で語られるような、立派な忍者ではないか!」

 余計な感情など一切持たず、意味など考える事もなく、覚悟などわざわざ決めるまでもなく、さながら一つの道具のように、ある時は刀となりて、ある時は矢となりて、ある時は毒となりて、対象を殺す。

 その在り方は、確かに理想の忍者像と言えるだろう。
 だが、その賞賛も鳳凰は皮肉としか受け取らなかった。

「理想の忍者か。 だがな、例え我がそうだとしても、しかしだからこそ我は頭領としては理想どころか現実からも程遠い存在だよ。 我は余計なことなど考えぬ、そんな我を冷静などと表する輩もいるが、結局のところ我はただ虚ろなだけだ。 だから、里の行き先を、衰退を、滅亡を憐れむことも憂うことも出来ぬ。 だから、我には頭領の資格などないよ」

「しかし、それを言ったら、お前だけではあるまい。 お前たち真庭忍軍は確かに恐るべき暗殺集団だが、だからこそあまりにも破綻した存在だ。 むしろそのような全体を思う物の方こそ少ないだろう」

「それこそが、この太平の世で我らが衰退した原因でもあるのだろうな。 結局のところ戦国を生き延びた我らだからこそ、太平の世の中では生きられぬのは道理だろうよ」  むしろ――と、鳳凰はそこで一息いれる。

「むしろ、今頭領として必要なのは、お前のような無意味で無様な、およそ忍者らしくない誇り高い忍者であるのだろうな」
 
その言葉に、しかし天井裏の者は今度は笑いを返すことはなかった。

「皮肉にしか聞こえないな」

「皮肉ではない。 心の底からの賞賛と本心だよ」

「だから」

 と、続いた言葉は下からではなかった。
 天井裏にいる者の真後ろから聞こえてきた。
 今の今まで、つい先程まで確かに声は真下から聞こえてきたはずなのに。気配は確かにそこにあったはずなのに。
 だが、考えても見れば鳳凰は忍者。それも同世代に類を見ない使い手だ。声を別の場所から響かせるなど、気配を別の場所に置いておくなど、造作も無い。

「真庭忍軍のためにも、お前のその人格を我が頂こう」

「っ!?」

 気付いたときには既に遅かった。
 迂闊といえば迂闊だったのだ。
 だが、その迂闊を誘い込んだのも鳳凰だとするならば、やはり鳳凰は恐るべき忍者であろう。
 敵対者に敵対心を抱かせない、というのは暗殺するうえで最上級の技能だ。

 結果、己と同等、あるいはそれ以上の実力を持っているかもしれない者の顔を、人格を見事に剥ぎとり、殺した相手の部品を自らに接合する忍法『命結び』で我がものとした。
 その後、鳳凰は友人の人格を使い、見事に衰退していく真庭忍軍を纏め上げ、起死回生の一手を打ち、そして滅んだ。
 戦国を戦い抜き、太平の世になってもあの手この手を使い、離散していくのを無理に継ぎ接ぎにして、ただ一人の親友とも呼べる友を犠牲にしてまで生き長らえようとした、真庭忍軍はただ一人の生き残りもなく討ち死にした。

 しかし、彼らは最後までただ生きて死んでいったのだ。
 その在り方は確かに忍者だった。









十一振り目・完了




















十二振り目・炎刀『銃』所有者 左右田右衛門左衛門













彼の始まりは否定の言葉から始まった。

「否定する。 私はあんたを否定するわ」

 それが一度は死んだ彼を生き返らせてくれた、主の言葉だった。
 普通ならば、主にこのような言葉を言われれば、消沈するか憤るか或いは恐れるかのいずれかだろう。
 だが、右衛門左衛門は主のそんな言葉に笑みすら浮かべて、受け止める。

「申し訳ありません、姫様。 またしてもあの奇策士にしてやられました」

「はん、だから否定すると言っているわ。 してやられたのは私であって、奇策士の敵は私であって、お前は敵とすら見做されてはいないわ。 思い上がるのも大概にしなさい」

 この尾張幕府において唯一、右衛門左衛門の主、尾張幕府家鳴将軍直轄預奉監察所総監督、否定姫の敵となる存在、尾張幕府家鳴将軍直轄預奉戦所総監督、奇策士とがめ。
 彼女によって、主が立場を失ったのはこれで何度目になるのか。そのたびに、右衛門左衛門も副監督として、何よりも否定姫の懐刀として、逆に奇策士を仕留めようとしたが、尽くが返り討ちにあい、主人と共に失脚の憂いを見ている。

 もっとも――。

「私もそのたびに舞い戻ってるわけだけどね」

 そう、何度蹴落されようとも、どれだけどん底に落ちようとも、必ず否定姫は今まで通り、まるで予め歴史で定められているかのごとく、這い上がる。失敗したから潔く負けを認めて去る、などという生き方を彼女は否定しつくす。

「は、光栄です」

「あー、本当に鬱陶しい。 陰気臭い。 ジメジメと黴でも生えてるんじゃないの」

 褒めといて、あんまりな言い草である。

「それで? あの不愉快な女は今どうしているのかしら?」
「それが、どうやら幕府に四季崎記紀の完成形変体刀の蒐集を提案したようです」

「へぇ」

 その報告に否定姫は、ニンマリと実に楽しそうな笑みを浮かべる。

「それはまた、へえ、ふぅん、なるほどねぇ。 これはまた随分と面白くなくもないわね」

 失脚したばかりでありながら、消沈するでもなく、よりにもよって蹴落とした張本人の話を聞いて楽しそうにしている。
 主のそんな姿に、右衛門左衛門も喜ばしい気持ちになる。この情報を持ってきたのは、奇策士の情報を絶えず蒐集していたのは間違いではなかったと。

「それで、あの不愉快の女は変体刀を集められたのかしら?」
「それがどうやら真庭忍軍を使い、絶刀『鉋』を蒐集したようです」
「へぇ」
「そして、真庭忍軍に裏切られて絶刀『鉋』を持って行かれたようです」
「あら」
「次に、あの錆白兵を使って薄刀『針』を蒐集しました」
「へへぇ」
「そして、薄刀『針』を持ち逃げされたようです」
「あらら」
「以上を持って、二本を蒐集して、二本とも奪取されました」
「アハハハ」

 表情だけでなく、今度は声を上げて大笑い。
 腹まで抱えて身を捩っての大笑い。
 目元には涙さえ浮かんでいた。

「本当に、あの不愉快な女は面白いわね。 この私をここまで笑わせてくれるなんて」

「しかし、最終的に奪取されたとは言え、あの完成形変体刀とを一度は二本とも蒐集したのは流石と言えるでしょう」

「まあねえ、何せ旧将軍が国の威信を駆けて、国の力を傾けてまで集めようとして集められなかった一本も集められなかった、そういう事になっている代物ですもんねぇ。 まあ、大したものといえば大したものね」

「そして、今度はどうやら先の大乱の英雄、虚刀流の者に協力を求めに行ったようです」

「へえ、虚刀流ねえ。 確か刀を使わない剣士だっけ? ふぅん、あの女らしい大胆な手ねえ」

 このときは、まだ虚刀流が一体なんなのかというのを、その正体を否定姫もまだ知らない。
 知っていれば、恐らくその皮肉めいた縁に、より自分と宿敵との奇縁に笑い転げていただろう。

「しかし、完成形変体刀を表に引っ張り出すというのなら、私もあんまりのんびりとはしていられないわねぇ。 さっさと復権して、一族の悲願とやらを見届けてやらなくてはならないのかしら。 右衛門左衛門」

「は」

「今回は多少強引でも早めに復権するわよ。 あんたのことも扱き使ってあげなくわないわ」

「私は姫様のお陰で生き返った身です。 私は姫様のために生きるだけです」

「あー、ウザい。 本当に鬱陶しいわね。 そういう辛気臭いあんたの考えを私は否定するわ」

 本来ならば、褒められるべき忠信を否定姫はあっさりと手酷く否定する。
 力強い否定に右衛門左衛門は幸福感すら覚える。

「あ、でもちゃんと、あの不愉快の女の情報も集めておくのよ」

「心得ています」


 だから、例え否定されてもこの生命は主のために尽くすのだ。






 右衛門左衛門は主に散々に辛気臭い、陰湿と言われる顔を更に鬱屈とした者に歪めていた。
 むろん、その顔には『不忍』の文字が書かれた仮面が付けられ、表情は見えないのだが、それで隠しきれない陰鬱な雰囲気が溢れていた。

 主に命じられて奇策士と奥州百刑場との関係を調べてきた。調べ上げてきた。
 その結果は、やはり黒だった。そこはさすがは主の慧眼と思えたが、しかし、事はそれだけでは済まなかった。
 結果が黒すぎた。真っ黒だ。漆黒の暗黒だった。
 この結果を、主に報告しないわけにはいかない。
 だが、報告すればきっと主は大いなる不満に襲われるだろう。

 それでも、彼は忠実にありのままの調査報告を伝えた。

 そして、案の定、否定姫は未だかつて見たことのない苛立ちを覚えていた。

「本当に本当に、あの女はどこまでも不愉快よね」

 それは問いかけるような言葉だったが、しかし右衛門左衛門は何も答えない。
 それが答えを求めるような言葉ではないと分かっていたから。
 だから、代わりに酷く事務的な、役割的な問いを返した。

「それで、奇策士の処遇いかが致しましょうか」

「いかがも何も、あんたの報告が確かなら、やることは一つでしょう」

 つまりは、右衛門左衛門の手で処罰しろということ。それが監察所の仕事なのだから。
 しかし、それはあくまで役割としての言葉で、役目としての義務であって。
 主である否定姫の望むところではなかったはずだ。

「右衛門左衛門、私たちは一体何度あの不愉快な女に蹴落されたんだっけ」

「それは――」

「あー、良いわよ本当に答えなくて。 っていうか、そんなもの本当にいちいち覚えてんのあんたは? どこまでも陰湿で鬱陶しい奴よね」

「申し訳ありません」

「はん、謝ってあんたの陰湿は治るのかしら? 少なくとも私にはそうは見えないけどね」

 その言葉は、いつものような鬱陶しがるようなものとは違う、苛々とした刺々しい物言いだった。
 まるで、気に入らないことがあって八つ当たりをしているような、物言い。

 右衛門左衛門はそれがまるでもようなも、ズバリそのままだと分かっていた。分かっていながら甘んじた。主の苛立ちを受け止めるのも役目だと、それが右衛門左衛門の考えだった。

「だけどさあ、その考えるの思い出すのも億劫なくらいに私はあの不愉快な女にしてやられてきたわ。 だから今度は私があの不愉快な女を同じくらい辛酸を舐めささせてあげるつもりだったのに、結局これじゃあただの一回だけどん底に突き落とすしかできようがないわ」

 それが、ひどく恨めしい、と否定姫は想いを吐き出す。

「ならば、この件握りつぶしましょうか? 多少面倒ではありますが、やってやれないことは無いはずです。 それにどのみち今の幕府は」

「否定する。 私はそんな腑抜けた提案を否定するわ。 例えどれだけ不本意だろうと相手が見せた隙を見逃してやるほど私はお人好しでもなければ、余裕もないの。 全ては単にあの不愉快な女の迂闊さよ」

 それは今まで聞いたことな無いほどに強い否定だった。
 本当に否定したいことを、否定するためにあえて強く否定を重ねた言葉に右衛門左衛門は聞こえた。

「ならば、私はこれより職務を全うしてまいります」

「いちいち言わずに行けばいいでしょうが、本当に鬱陶しいのよ」

 仕事ならば、やることが明白ならばわざわざ報告してから出かけるなどムダでしか無い。
 それでも右衛門左衛門がわざわざ確認するように言ったのは、彼が動くのは仕事だからではないからだ。

「私が動くのは姫様のためだけです。 故に姫様のお言葉でしか動きません」

「本当に鬱陶しいのよあんたは。 さっさと行ってきなさい」

 その言葉を受けて、ようやく右衛門左衛門は天井裏より去った。
 その後、奇策士とがめ――先の大乱の首謀者飛騨鷹比等の一人娘容赦姫を炎刀『銃』にて殺害。
 彼女の刀であった虚刀流七代目当主にして四季崎記紀の完了形変体刀、虚刀『鑢』たる鑢七花との壮絶な戦いの末、討ち死にした。

 それは歴史的必然でったかもしれない。
 それは四季崎記紀の思惑なのかもしれない。
 だが、彼は、主に否定されながらもその命を主のために尽くした。
 否定姫のために戦って死んだ。


 その彼の生き方を、死に様を、否定姫は否定することはなかった。









十二振り目・完了
















嘘刀語・完了








終わりかな? 乙。 面白かったよ


























ーーー虚刀『鑢』所有者 とがめ






 北陸地方。
 加賀藩は山科の地。

 金が取れることでも有名なこの地は、藩としても非常に栄えていた。先の大乱で首謀者である奥州に近い位置でありながらも、今なおその栄華は衰えることがなかった。

 その加賀藩城下町の傍を流れる犀川の土手に、彼らは居た。
 一人は特徴的な白髪を日本人形のようなオカッパ頭にした、十二単のような派手な着物を着込んだ女。
 もう一人は上半身裸の引き締まった肉体を持つ長身長髪のボサボサ頭をした男。

 女は尾張幕府家鳴将軍直轄戦所預奉所総監督、奇策士とがめ。
 男は無刀の剣士、虚刀流七代目当主の鑢七花。

 大層な肩書きだった。
 そして大層なのは肩書きのみではない。
 かつて旧将軍ですら蒐集することが叶わなかった、伝説の刀鍛冶四季崎記紀が打ちし変体刀、その中でももっとも完成度の高かった完成形変体刀十二本をわずか一年で蒐集するという偉業を達成してみせた。

 たった二人で、とは言わない。
 この二人だからこそ達成できたのだと言うべきなのだろう。
 少なくとも当人たちにとっては、そう言われたほうが喜ばしいと思うだろう。

 さて、そんな大層な二人が、刀集めという大仕事を終えてその旅を終えたはずの二人が、何故未だにこんな所に居るのかといえば、新たな変体刀が見つかったというわけでもなく、またただの観光というわけでもない。

 その答えはとがめが手にしている大きな用紙と筆が意味していた。
 より正確に言えば、とがめが手にした筆で紙に書き込んでいるモノを見れば、だ。
 そこに描かれているのはとがめ達がいる周辺の風景だった。しかし、それはよくある風景画とは違った。抽象さはなく、片隅には寸法の参照が書かれていた。

 二人の旅は完成形変体刀の蒐集を終えても終わることがなかった。とがめはその後、国の正確な地図を作ることを提案、そしてその実行に名乗りを上げた。旧将軍ですら成し得なかった四季崎記紀の完成形変体刀十二本の蒐集という大役を成した直後に、またしても日本地図作成などという大仕事を自ら提案し実行するのは、とがめ自身の地位をより確実に強力にするためだった。

 と、まあ表向きはそういう理由だった。

 普通は表向きは国家安寧のため、とかなんとかのご大層な理由付けで、地位云々というのが裏向きの理由なのだが、今更その程度は誰もが考えることで、わざわざ裏表を指摘するようなことではなかった。

 だからこその、表向きの理由。
 ならば裏、というか真の目的はといえば――至極個人的で局地的なともすれば矮小で卑小な、だからこそ希少で貴重な目的だった。

「ふぅ、さすがに肩が凝ってきたな」

 とがめは今まで走らせていた筆を止めて、大仰に肩を回して言う。
 見れば、高かった太陽も傾いて赤い光を放っていた。
 七花はそんなとがめの弱音を横で寝っ転がって目を瞑ったまま聞いていた。

「肩だけでなく腕も疲れてしまったわ。 これは誰かに揉んでもらわねばな」

 とがめはまるで誰かに聞かすように、訴えるように、求めるように言う。
 もっとも、この場に誰かも何かもとがめ以外にはもう一人しかいないわけだが。
 そしてその一人はといえば、やはり横になって目を瞑ったまま穏やかに聞いていた。というか、これはどう考えても――。

「ちぇりおー!」

「んおっ!?」

 無防備な脇腹へと綺麗に吸い込まれるようにとがめの拳が炸裂する。

 さすがに驚いたように声を上げて目を開いたが、それだけだった。鍛えあげられた七花の鋼のような身体には痛みも与えられなかった。むしろ、殴ったとがめの手のほうが痛かった。

「なにすんだよ、とがめ」

「なにすんだではない! 私が仕事をしている横でよくものうのうと寝ていられるな、そたなは」

「仕方ないだろ。 俺に出来ることなんて無いんだから」

 とがめの文句に、七花は拗ねて答える。
 七花自身、とがめの役に立ちたいという想いはあるが、しかし残念ながら地図作りにおいて七花が役立てることは何もなかった。以前、モノは試しと地図を描いてみたが出来は酷いものだった。

 その後も七花は何度か挑戦してみたが、そもそも地図作成に意外な才能を発揮していたとがめと比べられる物でもなく、結局地図作りはとがめに任せっきりにするしか無いという現状だった。

「俺だってとがめの役に立ちたいさ。 だけど、俺は戦うことしか能がないんから」

「ふん、そなたが自分をどのように評価しているか知らぬがな、私はそなたをそのように低い価値では見ておらんよ。 でなければ、ただ戦闘能力が高いだけならば、そなたを腹心に選んだりなどせん」

「俺の他の価値ってなんだよ」

 得意げな主に七花は疑わしい目を向ける。
 とがめが得意げに胸を張っているときは大抵碌なことが無いと、経験上学んでいた。

「そうだな、とりあえずは私の後ろに回れ」

「はいはい」

 しかし言われたとおりに七花はとがめの後ろへと回る。

「肩を揉め」

「了解」

 そして言われたとおりに肩を揉む。
 どうやら先程の大仰な仕草は七花への当て付けではなく、本当に凝っていたようだ。

 七花も慣れたもので(何せ足踏みほぐしの経験すらある)とがめの凝っている箇所を的確にほぐしていく。その効果の程は緩みきったとがめの表情で一目瞭然だった。

「うーむ、もう少し首側をやってくれると具合が良いかも――おお、そうそう、そういう感じ。 分かっているとは思うが、鎖骨にだけは触れるではないぞ」

「いや、まあ良いんだけどさ。 俺の他の価値ってこれか?」

 確かに一年間やらされ続けてきただけに按摩の腕前は上達したが、それは剣士として、刀としてはかなり微妙な評価だった。

「馬鹿者。 私の腹心を見縊るような評価をするではない。 もちろん、これも非常に重要な価値ではあるがな」

 按摩も重要らしい。

「じゃあ、なんだよ。 俺の価値って」

「ふん、初めに行ったろうに、そなたは物覚えが悪いな」

 そう言うと、とがめは自分の肩を揉んでいた七花の手を取り、自分の体の前へと回す。身体を倒して背中を七花の胸へと預ける。

「そなたはこうして私に安らぎを与えてくれれば良い」

「了解」

 とがめの言に七花は短く答えて、とがめの身体に回した腕に少しだけ力を入れる。

 より安定した姿勢にとがめは先程の緩みきった表情とは違う、安らかな表情。目が細まっているのは夕日の眩しさからだけではないだろう。そのまま眠りにでも落ちてしまいそうな安心しきった顔だった。

「奇妙なものだな。 私は今まで二十年近くこれ程に自分というものを他人に委ねたことは無かった。 それがたかだか出会って一年のそなたにこうまで委ねて、安らぎを与えてもらうとわな。 そなたはいつでも私の期待以上の事をしてくれる。 本当にどれだけ感謝してもしきれぬわ」

「なに言ってるんだよ、とがめ。 らしくもない」

「ふん、私にだってたまには感情的になるときはあるさ」

「え、たまに?」

「何が言いたい?」

 今までの穏やかな声とは一転、刺すような冷たい声に七花は慌てて首を横に振る。

「まったく、そたなこそ感情的になったは良いが、だんだんと私に反抗するようになってきたな」

「そんな訳ないだろ。 俺はとがめに惚れてるんだぜ」

 普通なら恥ずかしくて言えなさそうな言葉を平気で口にする七花。こういう所は未だ未成熟だった。

「惚れている、か。 そうであったな。 しかしな、確かに私はそなたに惚れて良いとは言ったが、それでもよもやそなたを腹心にするとまでは思わなかったものだ」

「俺もまさかここまであんたに惚れ込むとは思わなかったけどな」

 一年前、無人島に訪れたとがめと、そこで暮らしていた世間知らずの七花は出会った。
 あるいは、ひょっとしたら出会うだけ出会って終わっていたのかもしれない。少なくとも、初めのうちは七花はとがめに対してもとがめが持ち出した話にも興味はなかった。
 だが、とがめの素性を知り、決意を知り、強さに惹かれて、とがめに惚れた。

 そこから一年間の旅路を経てお互いの絆はより強固に、より深くなっていた。
 互いの存在が互いに安らぎになるほどに。

「そう、そなたに矢面は任せても、このように背中を任せるとは思いもよらなかった。 だがどうだ。 今ではむしろこの安らぎが無くなるほうが思いつかない。 いや、思いたくもない、だな」

「はは、そう言ってくれると俺の方もありがたいな。 なるほどそれが俺の価値が」

 ようやく納得いったと笑う七花。

「そうだとも、だから、故に、ここで改めて命じる」

 それに対してとがめは穏やかな、それでいて威厳に満ちた声で自身の刀に、腹心に命ずる。

「そなたはそなたを護れ。 一切の傷を受けることを認めん。 そなたが傷つけば私はこの安らぎの代わりに悲しみを受けることになる。 そながを失えば私はこの安らぎの代わりに絶望に陥ることになる」

「…………」

「返事はどうした。 了解したのならば返事をせんか」

「極めて了解」

 その力強い言葉に、とがめは安心して微笑む。
 それで気が緩んだのか、瞼が重く感じた。安らぎに細めていた目がより細くなる。
 本当に、こんな風に誰かと一緒にいて気が緩むなどということは無かった。

「あれからもう一年なのだな」

 改めて感慨深げに言う。
 真っ赤な夕日に当てられて感傷的になったのかもしれない。
 意識が遠くなりながらも確かに感じる背中の温もりと赤くなった景色を見ながら、ここまでの道程を思い返す。

 血のように紅く染まった視界が、走馬灯のように一年の思い出を映し出す。



 睦月――七花と出会った。
 如月――七花の口癖を考えた。
 弥生――七花に抱えられた。
 卯月――七花への信頼が強まった。
 皐月――七花が嫉妬を見せてくれた。
 水無月――七花との隠し事が無くなった。
 文月――七花の新技を考えてやった。
 葉月――七花の覚悟を聞いた。
 長月――七花の唇を奪った。
 神無月――七花と故郷へと帰った。
 霜月――七花への思いを確信した。  師走――。


あぁ……

 たった一年。
 されど、今までの人生とは比べものにならない濃密な一年だった。
 だからこそ、結ばれた絆がある。
 だからこそ、芽生えた想いがある。
 そうでなければ、ただ一方的に惚れられているだけならば、不審になどしたりしない。
 安らぎを与えてもらうなど出来ない。
 そして、七花を腹心にしようというのならば、この図体ばかりがデカく子供のような男が与えてくれる安らぎに応えるならば。


 彼のように想いを口にせねばなるまい。
 だから、落ちそうになる瞼をこらえ。
 だから、堕ちそうになる意識をこらえ。
 夢を見るのはここまでだ。
 とがめは七花を見る。



 子供のように泣きじゃくっている、七花の顔を。
 もはや赤が濃すぎて黒になりつつある視界。
 それでも最後の言葉を、散り際の言葉を告げるために。
 せめて最後は愛おしい者の顔を見たいがために。
 必死になって生にしがみつく。
















「わたしはそなたに、惚れてもいいか?」
















虚刀語・終了








というわけでこれで本当に終わりです。
これまで読んで下さった皆様、本当にありがとうございました

懐かしくて、泣けた
素晴らしいクオリティだった
SS全盛期の頃を思い出したよ

面白かった
これが、これこそが、面白いSSだ
そのことを思い出させてくれて、ありがとう

うぉおおおお……乙!!

とがめの話は卑怯だぜおい……

タイトルそのものも嘘だったのか
乙でした
いいSSだった

すごく面白かったまた書いてください
最近SSも廃れ気味で寂しいなあ

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