お忘れください (13)
僕は、とても老朽化したアパートに住んでいる。でもとってつけたようにエレベーターはついているから不思議だよな。
ある昼下がり、妹のサヨリと一緒にエレベーターにのることになった。
僕はバイトに行く途中だった。
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サヨリは友達と遊びに行く様で、いつもよりおめかしして高いヒールを履いていた。
でも昨日ひどい喧嘩をしたせいか、未だに一言も会話をしてくれていない。
しかしサヨリが上機嫌なのは、高そうな香水の匂いからなんとなくわかった。
僕らがのってしばらくして、急にエレベーターの下降が早くなった。電灯もチカチカしだし、明らかに普通の状況ではない。
エレベーターが『落ちて』いるのだ。
サヨリが大きな悲鳴をあげる。
僕はあまりに突然のことに膝がガクガク震えだした。
ガタン、という大きな音がして、エレベーターは止まった。
体のあちこちが痛い。
『…サヨリ…?サヨリ!!…息はある』
サヨリは落ちたショックで気絶してしまったみたいだ。床に苦しそうな顔で伸びていた。
エレベーターの中は怖いくらいにシンと静まり返っている。
『そ…そうだ!通話ボタン…!!』
ぼくはエレベーターのボタンに外部の運営会社との通話ボタンがあったのを思い出し、長押しした。
『頼む…どうか…かかってくれ…』
『こ…こ…は …だ…い』
無機質な機械音声がかすかに聞こえた。
『こ……は …ださい』
押し続けているとだいぶクリアになってくる。
『この…は お…ください』
なんて言ってるんだ?いまいち聞き取れない。
『このボタンのことは お忘れください』
『…え?』
そう言った。たしかに聞こえた。
え?おかしい。聞き間違いだろうか。
『このボタンのことはお忘れください』
は?
僕が何回押しても、機械音声はそう繰り返すばかりだった。
『な…なんだよ…』
誰かのイタズラだろうか?
僕は気味が悪くなり、他の階のボタンを連打してみた、が、反応はない。
『…あ、僕スマホ持ってたじゃん!!』
ふと尻ポケットの硬い存在を思い出し、119番に掛けようとキーパッドを開くが、手が震えてうまく打てない。くそ。たった3つなのに!!
僕はあまりにも震えがひどいので、隅に座って休むことにした。
サヨリは相変わらず床に突っ伏して動かない。
僕はバイトに行く途中だったんだ。時間になっても出社しなければ、誰かが心配して家に連絡をしてくれるはずだ。
サヨリだって待ち合わせをしていたみたいだし、相手も心配して何かしらの行動をとるはずだ…
僕は考え事をしているうちにウトウトし出した。
『ってことがあったんですよ!ほんと怖くないですか!?いやぁその後なんとかなったとはいえ、生きた心地がしませんでしたよ~』
ここは探偵事務所。応接室で正面に座った男は今日の依頼者だ。自分が乗っていたエレベーターが落ちたとかで、運営会社がちゃんと機能しているかを調べて欲しいとか。
『そうなんですか。大変でしたね』
俺は相当うんざりしていた。この男は途中から同じ話ばかり…
『実は僕、家の近くの病院で生まれたんですけど…そこ看護師も医者も一人もいなかったんですよ?今じゃ潰れましたけど…考えられませんよねー』
男は武勇伝の様に語った。
『あ、ああ。それはすごいですね』
俺は疲れからか笑顔がひきつるのを感じた。
『あ、僕そろそろバイトなんで、あとはよろしくお願いします』
男は時計を一瞥するとそう言った。
『わかりました』
男は席を立ち、そのまま事務所を出ていった。
『やっと帰りましたね~先輩』
こいつは俺の後輩だ。どうやら隣の部屋で俺の話を盗み聞きしていたらしい。動くたびに黒いフレアスカートがふわりと揺れ、香水の匂いがした。
『おー。盗み聞きは面白かったか?』
『やめてくださいよ~人聞きの悪い…それにしても気になりません?さっきの話』
『あー、さっきの男の話は気にする必要はないよ。忘れた方がいい』
『どうしてですか?』
『だって彼の言っていたボロアパート…今は誰も住んでいないからね』
『え?それって…』
『それ本当ですか!?!?』
さっき帰ったはずの男が帰ってきた。先ほどの話が聞こえてしまったらしい。
『…聞いてたんですか』
『どういうことですか?その、僕は…!』
『君はもう…』
『…そっか。僕あの時死んだのかー!そうかー!…じゃあの、妹は…?サヨリは…?』
『妹さんの方は無事だよ』
『よかった…それだけで僕は…安心しました』
彼は柔らかな笑みを浮かべると、そのままふわりとまるで風船の様な足取りで事務所を後にした。
『お前…何か話さなくてよかったのか?』
俺は横にいた後輩に目をやった。
『なぁ、サヨリさん』
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