【鬼滅の刃】「桜と梅と」【ぎゆしの】 (38)

「お花見をしましょう」

 始まりは姉さんのこの一言だった。多くの人はこんな仕事をしているのに何を言っているのかと思っていた。現に私もそう思った。けれど、姉さんには姉さんの思惑があったみたいで…

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「こういうことになったからこそよ、何もかも我慢しなきゃいけないなんておかしいじゃない?」
「けど、そんな暇は…」
「しのぶ、誰かの幸せを守るためには自分がまず幸せにならないといけないのよ?」

 幸せを知らない人間には、誰かの幸せなんて守れないのだから。と続ける姉の顔が余りにも綺麗だったから。私はわかったと言う他になかった。そんな暇があるなら鍛錬をしないといけないとは思っていたけれど、つい流されてしまった。

「なるほど…お花見か…良い提案をしてくれたねカナエ、ありがとう。会場はここにしよう」

 御屋形様の一言で会場は産屋敷邸に決まった。

「おいおい、飲んでねえじゃねえか!」
「わっしょい!わっしょい!」
「伊黒さん、これも美味しいわ」
「…後でいただこう」
「…ふん」
「あぁ…こうしている時のなんと穏やかなことよ…」

 各々任務があったはずだけれど、この時ばかりは柱が全員集まった。こればかりは流石は姉さんと言ったところだろう。

「おかわりも用意しているからどんどん飲んで食べてね」

 姉さんがそう言って微笑む。今この場では誰もが楽しそうに桜を見ている。その中心にいる姉さんは身内の贔屓目を抜いても華やかだ。
 周りにいるのは一癖も二癖もある柱の面々なのに、こんなにも和やかな空気が流れるのはひとえに姉さんの魅力だろう。

「…」
「そんな端に座ってないで、もっとこっちに来たらいいじゃないですか」

 みんながどんちゃん騒ぎをしている中、一人離れた場所でお酒を飲んでいた水柱、冨岡さんに声をかける。普段無愛想な冨岡さんがこんな場所に来るのも珍しい。だからきっと他の人への声のかけ方がわからないのだ。

「…花が綺麗だ」
「はぁ…」

 恐ろしく会話が下手だ。コミュニケーションを放棄していると思われても仕方ない。こんなんだから風柱や蛇柱に嫌われるのだと言うのに…

「まぁ、お花見ですからね。どんちゃん騒ぎもいいですけれど、本来はこんな風にゆっくり花を見るのも…ん?」
「どうした?」
「冨岡さん…この花…梅ですよ?」

 冨岡さんが見ていたのは桜ではなく梅だった。確かに似てはいる。けれど、全く別の花だ。天然ドジっ子な冨岡さんらしい間違いだ。

「ほら、花の先が丸いでしょう?桜は先が割れているんですよ」
「…俺はわかった上で見ていた」
「いや、ごまかさなくてもいいですから…」
「俺は梅の方が好きだ」
「はぁ…」

 こう見えて冨岡さんは意外と頑固なのだ。全くしょうがない人だ。仕方がないから私ぐらいは相手をしてあげよう。

「そんなんだから嫌われるんですよ?」
「俺は嫌われてはいない」

 こんな軽口を言えるこの時間はとても幸せな時間だ。こんな時間がいつまでも続けばいいのに…そんな私の願いはこの少し後にボロボロと崩れ落ちることになるとは思ってもいなかった。

「鬼殺隊を辞めなさい…」
「カナエ姉さん!言ってよ!お願い!」

 カナエ姉さんが鬼に殺されたのはその年のことだった。どうして、どうして、どうして…その時の私には、事実を受け入れることができなかった。どうして姉さんが死なないといけないの?誰からも好かれていた姉さんが、みんな大好きだった姉さんが…

 家族を亡くしたあの日から、私の世界は姉さんを中心に回っていた。たぶんそれはカナヲやアオイもそうだった。蝶屋敷にいる女の子たちもみんなみんな、姉さんのことが大好きだった。そんな姉さんが…どうして殺されないといけないの?

「人も鬼も仲良くすればいいのに…」

 それからと言うもの、私は姉さんの姿をどこかに残したくて必死だった。
 姉の口癖を真似した。似合ってもいないぶかぶかの羽織を着た。姉が好きだと言ってくれた笑顔を無理やり貼り付けた。全ては姉さんを…誰からも必要とされていた姉さんをこの世につなぎとめるために。

「てめェ…いい加減にしろよォ!」
「はい?どうされました?」

 だからこんな風に不死川さんに胸ぐらを掴まれたって辞めるつもりはない。

「こんな時まで笑顔かァ?それはカナエが望んでた笑顔なのかよ?」
「ッ…」

 違う、違う、違う、違う、そんな浅い理由じゃない。私がどんな想いでやっているのかも知らないくせに…

「…そこまでだ」
「あァ!?」

 冨岡さんが止めに入ってくれる。いつもいつも不死川さんの神経を逆撫でする彼だけれど、今回ばかりは助かった。

「冨岡ァ!?テメェから斬られてェのかァ?」
「…胡蝶には胡蝶の考えがある」
「…チッ、もう勝手にしろやァ!」

 不死川さんが手を離す。今私の顔はどうなっているのだろう。平静を保てているのだろうか。

「ありがとうございました」
「…お礼を言われるようなことはしていない」
「ですが…」
「それと…」
「はい?」
「俺も…その笑顔がいいとは思っていない」

 その最後の一言が余計なんですよ。それじゃあ私はどうすればいいんですか。誰も教えてはくれないのに…

「お花見をしましょう」

 そんなことを続けて、新しい春がやってくる。私は姉さんと同じようにお花見をしようとアオイに声をかけた。

「ですが、しのぶ様…今年はまだ桜が咲いていません…」
「けれど、今年は柱の皆さんのお休みがこの日しか取れないの」
「ならば中止にした方が…」
「やります!絶対に!やるんです!」
「は、はい…」

 つい怒鳴ってしまった。アオイは何も悪くないのに。だけど、私は姉さんが始めたこのお花見も無くしてしまいたくはなかった。姉さんが亡くなってからすぐに辞めてしまえば、もう二度とできない。そんな気がしていた。

 場所は去年と同じ産屋敷邸。だけど、御館様は体調が悪く参加できなかった。

「ごめんね、しのぶ…」
「御館様が謝られることでは…」

 むしろ謝るのは私の方だ。桜も咲いていないのに意地だけで誰からも望まれていないお花見を開いているのだから。

「…誰も来ない」

 当たり前だ。私は姉さんではない。いくら口癖を真似ても、いくら羽織を着ても、いくら笑顔を貼り付けても、私は姉さんのようにはなれないのだと、突きつけられているようだ。

「雨…」

 最悪だ。雨まで降ってきた。桜もない。人は来ない。挙げ句の果てに雨まで降ってきてお花見などとは到底言えない。無理を言って付き合わせた御館様やアオイに申し訳がない。これだけ付き合わせて、結局はお花見一つ満足に開くことができなかった。続けることができなかった。

「本当に…情けない…花も咲いてないのに…」
「花ならある」
「え?」

 振り向くと、そこには冨岡さんがいた。何故か木の枝を一本持って。

「すまない、遅れてしまった」
「え、えぇ…それは構いませんが…」

 そもそも誰も来ていない、これからも来ないだろうから遅刻など関係ない。

「それよりどうしたんですか?そんなものを持って…」
「この辺りはまだ花が咲いていないから…花をもってきた…」
「冨岡さん…」

 だからと言って、木の枝を折ってそのまま持ってくるだろうか。いや、そうだ。そういう不器用だけど優しい人だった。だけど…

「だから、それ…梅ですよ?」

 冨岡さんが持っていたのは梅だった。前にも教えてあげたのに…でもまあ、こんなところも冨岡さんらしい。いや、違う。これは正しく私ではないか。桜には決してなれない梅なのだ。頑張って頑張って、どれだけ頑張って実を結んでも、できるのは甘い甘いさくらんぼではなく、酸っぱい酸っぱい梅の実だ。

「胡蝶…」
「いえ、いいんです。私は所詮、桜になれない梅ですから…」
「胡蝶、だから俺は…」

 口下手な貴方は、こういう時言葉を選んでくれますよね。だけど事実は覆らないから。どう取り繕っても事実は変わらない。

「ほら、こんなことやめて早く中に入りましょう」
「いや、だから…」

 まだ何か言いたそうにしている冨岡さんを押して、中に入れる。こんなところで冨岡さんが話せるまで待っていたら風邪をひいてしまう。そう思って中に入ると…

「おい、冨岡!いつまでかかってんだよ!」
「まずは雨で濡れているところを拭くといい…」
「本当にいつまで時間をかけるつもりだ?料理も冷めてしまうし、何より身体が冷えるだろう。風邪でも引いたらどうするつもりだ?貴様には柱としての自覚がないのか?そもそも…」
「しのぶちゃん!桜餅これくらいで足りるかな?」
「時透少年!これを飲むといい!」
「んっ…」
「馬鹿野郎ォ!これ酒じゃねぇかァ!?未成年だぞ!」
「よもや!?俺としたことが…」

 どうして、どうしてみんながここにいるのだろう。桜も咲いていないのに、雨も降っているのに、そして…姉さんももういないのに、どうして集まっているのだろう。

「そんなもん、お前がやるって言ったからに決まってんだろォ」
「うむ!そうだ!他の誰でもない『胡蝶しのぶ』がやると言ったから!みんな集まったのだ!」

 いいのだろうか。姉さんのように優しくないけれど、姉さんのような笑顔じゃないけれど、桜じゃなくて梅のような私だけれど、それでもいいのだろうか。

「胡蝶…」

 あいも変わらず、冨岡さんは私に話しかけてくる。

「すいません、私をずっと中に入れようとしてくれていたんですね」
「それもある…が、俺が言いたいのは…」

 口下手な彼がようやく口にしたのは…

「前にも言ったが、俺は梅が好きだ」
「へ?」

 それはどういう意味だろう。そんなことはないとわかっているけれど、冨岡さんに限って絶対にないとはわかっているけれど、そういう意味かと思ってしまう。

「と、冨岡さん、そんなこと言ってたら勘違いされますよ?」
「…だから、勘違いではない」

 また絶妙に言葉が足りない。どっちの意味だろう。本当に、本当に彼は意味がわかっているのだろうか。桜よりも梅が好き、そんな人がいたとしたら…

「あら?しのぶちゃん、どうしたの?顔が真っ赤よ、桜みたい」
「え!?いえ、べ、別に…」

 甘露寺さんに指摘される。そんなに顔に出ていたのか、感情を制御できないのは未熟者。早く心を沈めなければ。

「桜?いや、ここまで真っ赤だと…」
「うむ!まるで梅干しのようだ!」
「へェ、なんだそんな顔も出来んじゃねェか」

 そっちの顔の方がずっといい。みんなが口々にそう言っているけれど、私には最後の冨岡さんの言葉しか聞こえなかった。

「ほらな、梅は綺麗だ」

終わり

激甘の呼吸

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