フリーター、嫁に出会う (百合) (21)
思いつくままの百合
5年程務めていた会社を辞めた。
理由は寿退職。
自己都合って文章を退職届に書かされたのが会社の社宅を出た一月前のこと。
まるでこっちに問題がありましたので、辞めさせて頂きます、という感じで。
後味の悪さを感じたり、感じなかったり。
恩着せがましい会社だったなあという印象のせいかな。
私の性根が腐ってるのかもしれないけど。
それでも、それとなく円満に勤めていたので、会社の上司にも同僚にも後輩にもお客さんにも、もちろん親にも祝福された。
結婚式の日取りは決めてなかったけれど、彼の住んでいる地域に引っ越して、籍だけは良い夫婦の日に入れようって二人で決めて。
それで、みんなからプレゼントもたくさん貰った。
友達にも引っ越しの前にお祝いして貰って。
これから私は妻になって主婦になって、もしかしたらママになっていったりするんだろうなって。
漠然とした不安と希望の中にいた。
会社を辞めると、途端に時間ができた。
自分の手に余る時間ができて、仕事の無くなった解放感を味わっていたのも束の間。
すぐに、自分自身の地に足の着かないような感覚に違和感を感じるようになり、
とりあえず、派遣会社に登録してぽっかりあいた穴を埋めつつ、家事に勤しむ日々を送っていた。
なんだかんだ、4年付き合っていた彼と同棲し始めて、二ヶ月が経っていた。
「ただいま」
彼の帰宅と同時に、炊飯器がメロディーを鳴らす。
炊き立てのご飯、出来立てのおかず。
綺麗な部屋。
仕舞われた洗濯物。
今日の一日が報われる瞬間は、夕飯の時。
住み慣れた地域から離れて、周りに知り合いもいないので、
彼との夕飯が一日のちょっとした楽しみだった。
へとへとの彼を癒してあげなくては、というのは前職の職業病のようなものなのだけど、
誰かを支えて生きる喜びを感じて、これが一緒になるってことなのかとなんて。
そう、自分に言い聞かせていた。
一緒になれば、好きになれるはず。
一緒になれば、結婚したくなるはず。
一緒になれば、ちゃんとできるはず。
彼に告白されて、付き合って。
キスもたくさんして、セックスだってして。
そうやって、『彼女ならそうする』であろうことを繰り返した。
彼は一緒にいて一番ラクで、将来の事も大丈夫だろうと、
打算的な部分もありつつ、いつも私に愛情を注いでくれることに信頼して。
たくさんたくさん感謝をしなくてはいけない存在だった。
彼は毎日私に愛をくれた。
それなのに、私が彼に『好き』と伝えたのはたった1回だけだった。
好きじゃないから、好きと言えないのか。
自分の性格から、そう言えないのか。
本当に人を大切に思った事なんてないから言えないのか。
同棲し始めて、今まで考えてこなかった部分が少しずつ大きくなっていった。
このまま籍を入れることもできたけれど、本当に私の人生はそれでいいのか、と繰り返し内側から求められた。
まだ、何かを知らないでいた。それを知らないといけないような気がした。
引っかかる。
その何かは、明確に、けれど答えのない何かで。
その答えを出すのは、本当に今さらで。
なにせ、色々な人を裏切る結果の末、その答えは出る。
いいのだろうか。
本当に。
好きであろうと努力しながら結婚する、それもまた人生。
もう出会えないかもしれない。こんないい人。
それを一度白紙に戻してしまうような冒険をしてもいいのか。
自分勝手。
けれど、私は答えを求めて、貯金を崩して旅に出ることにした。
彼には、旅行に行きたいからとだけ告げて。
色々な所を旅行した。
どこかで、結婚したらどこにも行けなくなると思っていたのかもしれない。
自由じゃなくなってしまうのかもしれない。
子どもの私がいた。
とあるゲストハウスで、一人の青年と出会った。
彼は同じ歳の外国の人で、日本語も上手だった。
他にも3人ほど宿泊客がいて、みな国籍が違った。
人見知りだった私がゲストハウスに泊まったのは、一番安かったからだけど。
そこで、私は、一生誰にも言わないで生きていくのだろうなと思っていたことを話すことになった。
きっと、本当は誰かに聞いて欲しかったんだと思う。
「結婚を前提にした彼がいるんですけど、本当は私、好きかどうかまだよく分からなくて……結婚すればわかるかなって、親や先輩にも好きだから結婚する人の方が少ないんじゃないって言われたりして。こんなこと言うと親を悲しませるって分かってるんですけど、私……女の人の方が好きなんじゃないかって」
そこにいた人達は、誰も私の事を知らなかったし、私も彼らの事を知らなかった。
何を言われても平気だとは思った。
でも、田舎に住んでいた私の価値観はとても狭くて、
その後に彼らが口々に『君の本当にいたい世界』は何なのかと問われても、
宗教臭いうさんくさいで曖昧に話を濁らせて部屋に戻ってしまった。
翌朝。
同じ年の青年が、朝の散歩に誘ってくれた。
山深いところで、空気が澄んでいた。
「日本は不自由な事が多いね」
彼は言った。
「そうだね」
時折、英語を交えながら彼は自分の事を話し始めた。
学生時代は友達がいなかったこと。
そんな自分に妥協していたこと。
けれど、出会いがあって、自分が変わらないと何も変わらないと考え方を変えたこと。
そして、今は、楽しい、ということ。
『君はどんな世界にいたいのか』
朝の散歩で、彼から問われ続けていたもの。
私の本当にいたい世界。
それは、きっと今の彼と一緒にいたって、自分でこうありたいと思ったら、
そうであれるんじゃないかと思った。
本物かどうかなんて、誰にも分らないから。
自分がそうであると思ったら、それも本物の世界なんじゃないかと。
このゲストハウスに泊まる一日前に、私はもう一人、年上の女性と出会っていた。
一度だけ、友人の繋がりで電話したことのある人。
とても丁寧な印象を受けた人だった。
旅行の途中に、どうしてか、いや、どうしても彼女に会いたいと思った。
それは、彼女自身が今精神的に大変だという事を人伝で知ったからだった。
職業病が発動するのには十分な条件だった。
直接連絡を取り合う中で、彼女は本当に人に尽くす人だという事が分かった。
無意識な気苦労が絶えない、そんな印象。
何か気晴らしになればいい、という気持ちと、一人旅で少し寂しくなっていたというのもあり、私は彼女に温泉地で宿泊しないかと申し出た。
迷惑じゃないかなとちょっと考えて、やっぱりやめときましょうとすぐに撤回したのだけれど、どうも彼女は仕事の休みまでとってくれていて。
その気遣いに報いたいとも思い、初めて会う彼女と一泊を共にすることになった。
出会って緊張してはいたものの、趣味の友達の繋がりでもあったので、彼女の感覚がやや自分と似ていることがわかり安堵した。
色々と観光案内してくれて、まるで仕事をしているような口調で。
本当に真面目なんだろうなあと。
自然の風景に、すごく素敵ですと私が感想を述べると、とても嬉しそうに笑っていた。
夕方に宿泊地に着いた。
二人だけしかいない、しかも初めて会う女性。
その状況は、否応なく緊張を増幅した。
分かっていたけれど。
間違いはなかった。
私はやはり男性よりも女性の方を意識してしまうんだ。
温泉地の町並みは、夜になると美しいものだった。
ほのかな灯篭に照らされて先を行く彼女を、私はとても眩しいと感じた。
つい、写真をとっていた。
恥ずかしそうに、彼女は笑って、被写体を嫌がっていた。
夜店の射的にも案内してくれて。
細い彼女の指が引き金にかかった時、どきりとした。
気が付けば、目で追っている。
いけないと思い、彼女の方をあまり見ないようにした。
それでも、夕飯を食べ終わってお酒を含んだ体は、
ついには彼女と手を繋ぐことができればどんなに幸せかなんて思っていた。
不思議なことに、お風呂に一緒に入っても見慣れているせいか欲情はしなくて。
熱い湯船に互いに癒されて。
旅の醍醐味を味わった。
暑い時期だった。
湯冷ましに、暗がりの廊下の腰掛けで二人でお冷を飲んだ。
この時間がずっと続いて欲しいと思った。
ううん、今日一日の中で、そんなことが何度もあって。
間違いなく、私はこの人に恋愛感情を抱いていた。
救いを求めるように、私は旅の理由を彼女にぽつぽつと明かした。
思った以上に彼女の反応は深いものだった。
どうやら、同じような状況にいて、彼女は女性を好きという自覚を確立していたけれど、
男性と結婚する予定だということだった。片親で、迷惑をかけないようにと。
そうすることが普通。
そう思い込もうとしている。
それがあまりにも重なって。
その時、思った。
何かをしなければいけないような人と一緒にいて、それが当たり前のようになっていて、
誰かのために幸せになろうとして、それでも自分はどうにか生きていけるから、と。
あまりにも悲しい。
何のための人生なのか。
自分の安心、親の安心、そんなもののために生きているのか。
『本当にいたい世界』
自分で勝手に世界の限界を作っていた。
一歩踏み出せば良かったんだ。
何を我慢していたのだろう。
何を待っていたのだろう。
何も変わらないのに。
いつか幸せになるんじゃなくて。
今、幸せを掴みにいけばいいんだ。
本当に誰かを幸せにしたい、愛したいと思えるわけがないと思っていた。
自分が幸せになるために、結婚しないといけないと思っていた。
少しだけ、私たちは同調しあった。
初めて出会った人という感覚は無くなっていた。
芽生えていたのは、彼女に触れたいという欲求。
その時は、私がただただ一方的に彼女に惹かれていただけで、
部屋に戻って床について暫く経って彼女から掴んでくれた手だって、
彼女のお節介が発動しただけで。
彼女は、人の要求や意図を無意識に汲み取ってしまうから。
そこに自分なんてなくて。
そんなことに気が付いたのは、旅行が終わった後の彼女と連絡を取り合っていた中での話だけど。
私と彼女は、その晩、体を重ねた。
女性との経験なんて一度もなかった私は、
彼女のしたいようにしてと言う言葉に従った。
キスをすることすら恐れ多くて、戸惑っていたら、
すぐに察してくれて、いいよと言ってくれた。
唇を重ねながら、傷の舐めあいじゃないかと、囁く己もいた。
それでも、私は出会ってしまった。
彼女を幸せにしたい、という気持ちが芽生えてしまったのだった。
もちろん、翌朝に彼女と私の乱れた衣服や下着を見て、ああやってしまったなという一晩だけだという冷静な自分に戻っていた。
それでも、別れ際に車の中で彼女に手を繋がせて欲しいと言い、少しだけその時間を貰った。
旅行から帰って、ああ、浮気してしまったんだと思った。
嘘をつくのは嫌だったので、正直に話した。
慰謝料を請求されてもおかしくない話だった。
けれど、彼はそれでもいいから、一緒にいて欲しいと言っていた。
言葉は響かなかった。
ああ、それでもいいのか、という肯定の言葉だけを、私はずる賢く受け取っていた。
あの日から、私は彼女となんとなく毎日連絡をとるようになっていた。
電話は苦手だという事で、メールした。
本当に毎日。
くだらないこと。
いってきます。
おはよう。
お疲れ様。
おやすみ。
今までそんなの自分から誰かに送りたいと思ったこともなかった。
そんな当たり前の文章を、彼女は喜んだ。
一夜限り、間違いなく互いにそう思っていた。
けれど、連絡を取り合う中で、
彼女も私も互いの好意に戸惑い、迷い、そうして、ダメだと思いながらも、
波のように軽い好意を伝え合った。
そして、我慢できなくて、ついに、私は、好きなのだと打ち明けた。
迷惑をかけないように、やはり少し濁した。
彼女の反応はまんざらでもなく。
けれど、最後の一線を引いていた。
互いに、にじり寄る。
何かに遠慮していた。
彼氏に親に法律に世間に。
それは本当に自分のしたいことか。
もう一度、私は自分に問いかけた。
違った。
意味のないキス。
意味のないセックス。
本心からの愛情が注げない。
その全てが、もう駄目だった。
気が付いたら、彼に別れを告げていた。
そして、彼女に、一生を約束できるような身分じゃないとしても、
それでも、彼女と生きたいと願った。
泣いている時も、悲しい時も、楽しい時も、愛し合いたい時も。
全て彼女と一緒がいいと思った。
熟成していなかった感情が、一気に枝を伸ばそうともがくような。
新しい感情に突き動かされて。
答えにたどり着いたとき、私をとりまくあらゆる物は、
それでいいのか、もっと考えろ、間違っていないのか、と問いかけてきた。
気持ちは嬉しいし、私も惹かれている、けれどあまりにも短い期間の出来事で、
数か月は待って欲しいと、彼女も言った。
私は自己中心的な感情を制御できない子どもだった。
ただただ彼女に会いたくてしょうがなかった。
待つ時間はとても苦しかった。
こんなに苦しい感情を初めて味わった。
手に入らない、だから苦しいのか。
嫌らしい感情なのではとも思った。
別れを告げても、もちろん彼にも冷静になれと言われた。
すぐには引っ越せないだろうし、考えながらまだ一緒にいたらいいと言われた。
彼はとても苦しそうだった。
他人事のように思いながら、時折罪悪感に飲まれ、人の幸せを踏みにじっている自分に自己嫌悪した。
親に告げた時も、同じような反応だった。
理解されたいわけではなかった。
けれど、予想していたけれど、色々な人を心配させて傷つける選択だった。
幸いな事に、私の周りの人間は本当に本当に本当に優しくて。
例え上辺だけの言葉があったとしても、それでも、本当に優しい世界の中に、私はいて。
私の答え、願いは、2度目のデートの時を境に、成就したのだった。
フリーター、嫁に出会う (百合)
おしまいです。
読んでくれてありがとう。
しゅき…(語彙消失)
おつ
儚いな
おつおつ
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