【モバマス】乃々「キレイな夢を見たんだ」 (76)

初投稿なので、
何か間違ってるとことかあったら教えて貰えると嬉しいです


独自設定あります、結構長いかもしれないです
よろしくお願いします

テスト

キレイな夢を見たんだ
混ざりたくて今も奮闘中

 ──例えばそれは、出番を控えた舞台袖。
 ──例えばそれは、初めて出演する番組の収録前。
 ──例えばそれは、トレーナーさんにこっぴどく叱られた帰りの車内。

 そんな不安になった時、緊張した時、失敗した時…。私の頭の中では、いつもこのフレーズが流れます。

 力強いドラム。冴えるギター。キレのあるベース。そして、荒く温かいボーカル。
 弱気で、臆病で、逃げ腰な私とは似ても似つかないと、自分でも思います。

 ですけど。

 そんなもりくぼのイメージとはまるでかけ離れたこの歌は、“あの日”から私とPさんの背中を押してくれる、大切な応援歌となっているのです。


◇  ◆  ◇  ◆  ◇  ◆  ◇ 

 桜の香りが風に乗って流れてくる、暖かな陽気。それに反して私は、鬱々とした心地で、いつもの場所にうずくまっていました。

 窓から入る日の光が、床近く漂う埃を照らしています。何だかそれが、やたらときらきら輝いているように見えました。


 時計に目を移すと、レッスンが始まって既に十五分が経とうとしています。

 今頃トレーナーさんは怒っているでしょうか。それとも、とうに愛想は尽かされているでしょうか…。

 そう考え始めると心臓はきゅっと縮こまり、白い靴下に包まれた足の指が、もじもじと動いてしまいます。



 レッスンをずる休みするようになって、机の下は私の居場所になっていました。

 そこに出来た影は、私の姿をすっぽり包み隠してくれるような気がして。卑怯な私を見逃してくれるような、そんな安心感があったのです。

「もりくぼは別に、アイドルなんて…」

 自分に聞かせるような言い訳をしながら、事務所へは毎日しっかり足を運ぶ。そんな矛盾に満ちた行動も、この春で二年目を迎えていました。



「──あれ、またレッスンサボりか森久保」

 ひょいと身を屈め、机の下を覗いてきたのは、私の担当Pさんでした。だらしなく緩んだネクタイと膨らんだ胸ポケットを見るに、本日何度目になるか分からない煙草休憩から戻ってきた所なのでしょう。

「も、もりくぼが練習なんかしても…意味ないですし」

 ふい、と顔を背けながら言う私に、軽い調子でPさんが溢します。

「おいおい、勘弁してくれ。またトレーナーさんに怒られるだろー?」

 そう言いながらも、既にその手はスマートフォンに伸びていて。

 慣れた様子のその動きは、まるで私達の付き合いの長さと、私の不勤勉さを共に証明しているようでした。それを見て私は、ますます居心地の悪さを感じるのでした。



「お世話になっております、芸能四課のPです。…えぇ、森久保のレッスンですが…はい…いや本当に…至らずすみません…ははは」

 トレーナーさんの口撃をへらへらと受け流すPさんを横目に、私はぼんやりと明るい窓の外を眺めていました。

 罪悪感があっても改善しようとしない。恒常的に向上心がない。それが今のもりくぼなのかもしれません。


「あぁ……やっと終わった」

 げっそりしたPさんに、私は訊ねます。

「こ、今回は…何分でしたか?」

「えっと、六分三十四秒だな」

「……最長記録ならず、ですね」



 私の質の悪い軽口を叱るでもなく、Pさんも返します。

「これ以上叱られると泣いちゃうぞ、俺?」

「い、良い大人が泣く所なんて…見たくないんですけど」

「冗談じゃねえよ全く。……ん、折角だしお茶でも行くか?」

「い、一体何回休憩するんですかPさん…」

 皮肉を交えながらもごそごそ這い出てくる私を見て、

「んなこと言って着いてくるんだもんな、良い性格してるよ、森久保も」

 苦笑いをしながらも嬉しそうな顔を、Pさんはするのでした。


 高い目標がある訳でもなく、ストイックな努力をするでもなく。
 ぬるま湯に浸ったような日々を、私達は送っていたのです。




 いつものカフェは、いつものように空いていました。

 うさ耳メイド姿の店員さんからケーキセットを受け取った私達は、フォークを入れながら会話を続けます。

「にしても研修生でレッスン休みまくるとか、案外図太いよなぁ。……それ一口くれよ」

「ぶ、部長さんの向かいの席で休憩連発するPさんも大概です…う、苺と交換です」

「えぇー。ケーキに乗った苺って、醍醐味だろー? サボるよう悪い子には、やれないなぁ」

「Pさん、気付いてます…? そ、その言葉全部、自分に返ってきてるんですけど…」

 無駄にしか見えない無意義な時間。

 けれど時計の針がいつもよりのんびりと進み、カップから揺蕩う湯気を眺めていられるこの時間が、私にとっては何より大切なものとなっていました。

 ……自惚れでなければ、Pさんにとっても。



 そんな時間を過ごしている中、唐突にPさんが訊ねてきます。

「そうだ。今度の金曜って、何か予定あるか?」

 ミルクティから立ち昇るカーテン越しに、Pさんの顔を覗いて、私は応えます。

「金曜…ですか? が、学校が終わったら事務所に来るつもりでしたけど…」

「そしたら学校の近くまで迎えに行くからさ、ライブの見学に行くぞ」

「えぇぇ…見学ですかぁ……」

 途端、露骨に嫌そうな顔をし、

「むーりぃ…」

 私はいつもの口癖を呟きます。



「そんな顔するなよなー。誰かさんが休みまくりだから、ちょっとは活動している所見せないといけないの」

 コーヒーにミルクを足しながら、Pさんはしれっと言います。うぐ…と息が詰まってしまうのは、やはり私に後ろめたい気持ちがあったからでしょう。

「うぅ…うぅぅ……分かりました。お、終わったら何か、美味しいもの食べさせてくださいね…」

 こんなひねくれた返事になるものの、つい了承してしまうのでした。

「ご褒美のある見学って何だよ…。あ、オムライスの人気な店が会場の近くにあるぞ」

「わぁ、いいですねぇ…。ど、どっちのタイプですか?」

「昔ながらの、薄焼き卵タイプだ。たまに食べたくなるよなあ」

 こうして話題は、次の無駄話へと流れていきました。オムライスに夢中な能天気な私達は、このライブの見学が全ての始まりになるだなんて、思ってもいませんでした。



 春特有の浮かれたような、ざわついた雰囲気に当てられたのか日々は過ぎゆき、金曜はすぐにやってきました。

 放課後になり、私なんかと仲良くしてくれるクラスメイトと話をしながら、Pさんを待ちます。

 しばらくすると「もうすぐ着く」との連絡を受けたので彼女達と別れ、御手洗いで少し念入りに髪を整えてから、校門を出ました。

 案の定Pさんはすぐ近くまで迎えに来ており、普段ルーズな癖に、こんな所だけは心配性なことに、じんわりと笑みが浮かんでしまいました。


 下校中の生徒達が怪訝な顔でPさんを眺めて歩いています。
 それに対して少しの気恥ずかしさと、宝物を自慢したい子供のような気持ちが混ざり合い、つい小走りでPさんの元へ向かいます。

「お、お待たせしました……」

「悪いな、こんな所まででしゃばってきて」

「いえ、助かるので…。い、行きましょうか」



 会場へ向かう車内で、Pさんは今回のライブについて説明をしてくれました。

「今回出演するのは新人ばかりでな。それぞれ個人ではまだライブを開けないような、若手が集まるイベントなんだ。 いわば『お披露目会』的な意味合いもある」

「へぇ……だ、大体何年目位の人がいるんですか?」

「えぇと、研修一年目の人から四年目の人までいたかな」

「……も、もりくぼより一年遅い子も出てるんですね」

「まぁ、何を感じるかは森久保次第だ。憧れか不安か……はたまた嫉妬か」

 その言葉を聞いた瞬間、身体がカッと熱くなりました。その熱はあっという間に体内を満たし、溢れ出て、私の口を勝手に動かします。

「は?嫉妬って何にですか。………………い、意味が分からないんですけど」

 自分でも、驚きました。

 まさか自分がこんな攻撃的な返事をするなんて。いつものPさんの軽口のはずなのに、何故私はこんなに苛立っているのだろう。



 Pさんも同じように驚いたのでしょう。少し眉を上げて、会話が数秒途切れます。

「そういや学校はどうだ。新しいクラスには慣れてきたか?」

 敢えて何でもないように、別の話題でPさんは話し掛けてくれます。

「…べ、別に……普通ですけど」

 けれどそれに対しても私はまた、つっけんどんな返事をしてしまいました。



 そうは言ってもこの時既に私には、先程の突沸したような怒りはありませんでした。それでもこんな返事をしてしまったのは、きっと私の下らない意地のせい。

 さっきまで怒っていたのにすぐニコニコと返事をするのが酷く子供っぽく思えて、まだ怒っているような振りをする。幼稚さを隠そうと幼稚な行動をとってしまう。

 そんなトートロジーじみた意地が、私を突き動かしていたのです。


 二人の間に再び沈黙が訪れます。

「あー……音楽でも流していいか」

 気不味さをどうにか和らげようと、Pさんが提案します。私はむっつり、

「どうぞ……」

 と応じました。




 それからおよそ二十分。

 私達の間に会話はなく、私の知っている曲、知らない歌が窓の外を流れる景色のように、意味もなく通り過ぎてゆきました。

 跳ねるようなリズム、踊るようなメロディのそれらは、私達の重苦しい空気を上滑りしていくようで。
 申し訳ないような、いたたまれないような気持ちに、私をさせるのでした。




 信号待ちになった車内から、歩道を行く人の影が長く伸びるのを、ぼうっと眺めているそんな時。

 プレーヤーから流れる音の余白を耳にして、私は曲が切り替わることに気付きました。

 「無音を耳にする」なんて、馬鹿みたいな言葉遊びだなぁ…。
 そう自嘲的になりながら、何気なくスピーカーに目を向けた瞬間、その曲は流れてきたのです。



 飛び込んできたドラムは、私達の空気を破裂させるような軽快なリズム。続いてギターとベースが渾然となって音のうねりを作ります。止めを刺すように、自由なようでいて芯のあるボーカルの歌声が響いて……。

 私は完全に、聴き入ってしまいました。


 それはとても力強く、美しい歌でした。

 ともすれば青臭くさえ感じるその誰かは、憧れと衝動を抱えて、懸命に夢へと進み続けます。土まみれになっても、煤まみれになっても、抗い続けるその人。そこには、私にない美しさがありました。

 けれどもそれは同時に、私が心の奥底で求めていた美しさでも、あったように思うのです──。



 数分後、余白が次のメロディを運んできてようやく、私は軽く息を吐きました。自分の呼吸音さえ煩わしかったのか、浅く息をしていたようです。

 少し余韻に浸った後、つい呟いてしまいました。

「良い歌ですね……」

 自分でそう言っておきながら、私ははっとしてしまいます。
 しまった。私はPさんに、あんな無愛想な態度を取ってしまっていたんだった。

 私は、目の端でそっと運転席を窺います。

 既に別の曲が流れていたもののPさんは、私が何について言っていたのか、気付いたようでした。



「あぁ、良い歌だよなぁ。俺も学生の頃から好きなんだよ」

 努めて愛想の良い返事をしてくれていることに、私は恥ずかしさと照れを感じてしまいました。

 本当……何でこの人はもりくぼなんかに、こんなに優しくしてくれるのだろう。
 
 そんな動揺が表に出ないよう、私は慌てて言葉を繋ぎます。

「……と、特に『ここじゃない何処かへ逃げよう』って所が、気に入りました」

 くすりと笑ったPさんは前を向いたまま、

「うん、森久保。俺もそう思う」

 そう返してくれたのです。






 それから少しして、ようやく私達は目的地に着きました。

 まだ開場数時間前だというのに、会場の周りにはぽつりぽつり、ファンと思しき方々がいます。そこに私は、イベント特有の浮き足だったような空気を感じていました。


 関係者用の駐車場には、数台のトラックやバンが停まり、中から慌ただしく沢山の荷物を運び出しています。

 車から降りようとしたPさんは、ふと気付いたように私に訊ねました。

「一応俺のパーカー積んでるけど、着るか?」

「あ…お、お借りしたいです……。制服だと、浮きそうですし」

 車の傍で羽織った私を見て、その持ち主は軽く吹き出します。

「ふっふふ…ちょっと大きいな、やっぱり」

「ないより、ずっとマシです。……あ、ありがとうございます」

「どういたしまして。さて、ぼちぼち行こうか」

 私達は連れ立って、ざわめきの中心、会場内へと足を踏み入れていきました。


◇  ◆  ◇  ◆  ◇  ◆  ◇ 



 会場内はいつものことだが騒がしかった。

 設営スタッフの声や大きな物音が響くかと思えば、サウンドチェックの為に突如爆音が流れる。

 それらに一々びくつきながら後をついてくる森久保は、見ていて可笑しいような、心苦しいような妙な感覚を俺に与えていた。

 
 ──やはり森久保にはまだ早かったかもしれない。

 その不安はここに来ても未だに、胸の内で燻っていた。

 今回のライブの見学は、半ば強制されたものだった。
 研修スケジュールが遅々として進まない状況に業を煮やした部長の指示に、俺が折れる形で実現されたのだ。

 森久保が研修を始めて二年目に入っている。
 亀の歩みのような俺のプロデュースに、部長が焦れるのも無理はないことだ。

 しかし、それでも。

 俺は森久保の研修を強引に進めるつもりはなかった。
 彼女が自分から一歩を踏み出せるようになるまで、何年でも付き合うつもりだ。



「プロデューサー失格」

「甘えを許しているだけじゃないか」

「結果を出すことが全てだろう」

 心配するように、あるいは叱るように、多くの同僚が俺にそう言った。


 実際、彼らの言う通りなのだ。
 俺は……森久保が望まないのであれば、アイドルを目指さなくて良いとさえ、考えているのだから。
 
 この優しい少女に安らぎを与えることが、俺の目的になっていた。その為なら、この仕事を辞めることになっても構わない。そんなことすら、俺は何処かで思っていた。




 そっと振り返ると、森久保は人込みに流されないよう、俺のジャケットの端を掴んで付いてきている。

 まるで俺と彼女が、初めて逃げ込んだ時のように…。

 既視感を手繰るように、俺は一年前の光景を思い返していた。

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──




 「アイドルは商品だ」
 と、この業界では良く言われる。

 「商品に手を出すな」という戒めであり、また「商品は大切に扱え」という教訓でもあるのだろう。

 
 そういう意味で森久保は、綺麗なリボンのかかった“商品”だった。

 彼女の叔父は大手食品会社の広報部長だ。叔父の強い勧めによって、森久保は美城プロに所属したのである。

 珍しいことではなかった。

 取引先の娘や知人をアイドルとして所属させ、仕事を融通してもらう。ある程度の経験を積ませ、お偉方が納得する頃 (あるいは「本人が自分の限界を知る頃」だが) 、手頃な会社の事務職でも紹介し、アイドルを引退する。

  ……『誰も』損をしない、ハッピーな筋書きだ。





 森久保と初めて顔を合わせたのは、去年の春のこと。
 
 予約していた小会議室は、眠くなるような生暖かい空気で淀んでいた。換気も兼ねて窓を開けてから、彼女と向き合うように腰を下ろす。

 俺の“商品”は、身を縮めるようにして座っていた。目を伏せおどおどとする彼女に、俺は同情さえ覚えた。

 ──そりゃ、そうだよな。
 訳の分からないまま話を通され、訳の分からないまま連れてこられ、訳の分からないまま知らない男と二人きりにさせられて。
 そりゃあ、怖いよなあ。

「良い迷惑だな、君も。まあ程々こなして過ごそうや」

 内心でそう語りかけてから、俺は強引に明るい声色で、説明を始めた。





 諸般の手続きと説明は、三十分もしないで終わった。

 次いで、建物内の設備を見学がてら案内する。
 資料室、休憩室、ロッカールーム…。
 俺の後を付いて回る森久保は、ガチガチに身体を強張らせたままだった。

 ──大丈夫か、この子。明日肩凝りとかにならないと良いけど。

 そう心配しながら俺は、レッスン室の扉を開く。



 部屋の中には、新人のトレーナーさんがいた。夕方過ぎに予定されているレッスンの準備をしていたようだ。

「ここがレッスン室です。この十一番と、それから十二番、十三番がうちの部署でよく使うレッスン室なので、覚えておいて下さい。……この建物レッスン室だらけだから、迷わないよう気を付けてね」

 軽く笑いながら森久保にそう言って、俺はトレーナーさんに会釈した。

 森久保は小刻みに頷きながら──いや、もしかすると震えていたのかもしれないが──、トレーナーさんにもぺこりと頭を下げた。




 そんな俺達に対して、トレーナーさんは快活に声を上げる。

「お疲れ様ですっ。もう終わる所でしたので、使って下さって大丈夫ですよ」

「ありがとうございます。……そうだ、森久保さん。折角なら簡単なレッスンしてみますか? 汗かかない程度に」

 ふと思いついたことを、そのまま俺は口にした。

 今になって考えると本当に……苦笑いしか出ない。
 俺の軽々しい提案は、森久保にとってどれだけ恐ろしい死刑宣告だっただろうか。




「ひぃぃぃっ!! ……いっ、いえいえいえ…。だだだ大丈夫です。そもそもその、何も準備してないですしあの…」

 青ざめてペラペラと話し出す森久保。しかし、そんな彼女の声を掻き消すように、トレーナーさんが鼻息を荒くした。

「でしたら私っ、臨時講師をしますよ! 良い機会ですものねっ」

 そう言って、にこにこと森久保に笑い掛ける。
 その勢いに押されたのか、森久保はぱくぱくと口を開いたが、そこから声は出てこなかった。

 憐れ森久保は、突然のレッスンに見舞われることになった。



「……驚いたな、こりゃ」

 俺は思わず呟いていた。
 今しがた見たものが、信じられなかった。

 森久保はトレーナーさんの指示に従い、模擬レッスンを受けた。歌を歌って、ステップを踏んで、表情を作った。

 その節々で、彼女は目を瞠るようなポテンシャルを見せたのだった。


 細い手足は柔軟に動き、リズム感も申し分ない。声量の小ささには難があるものの、充分レッスンで克服できるレベルだ。
 小動物のような可愛らしさと、時折見せる困ったような笑顔。

 人を惹き付ける何かが、彼女にはあった。



 森久保に目を向けると、彼女はクールダウンとしてトレーナーさんに背中を押されながら、柔軟をしていた。

「ひゃぁぁ」

 痛そうに悲鳴を上げる様が可笑しいらしく、トレーナーさんが笑い声を上げている。

「リボンのかかった包装の中身は、ダイヤの原石……」

 そう呟く俺は、沸き立つ期待に胸を膨らませていた。









 数日後の昼過ぎ、会議室から戻った俺を、事務員の千川さんが呼び止めた。

「Pさん、トレーナーさんから内線が入っています。至急折り返し頂くように、と」

 訝しがりながら受話器を取ると、トレーナーさんの困惑した声色が迎えた。

 森久保が、レッスンに来ていないらしい。



 時計を見ると、レッスン開始から既に三十分程経っている。思わず握ったデスクの縁が、妙に冷たく感じられた。

 動揺を抑えながら、千川さんに確認する。

「今日、森久保を見ましたか?」

「乃々ちゃんですか……? あぁ、そういえば三十分位前に、廊下で擦れ違いましたよ」

 それを聞いて、安堵の息が漏れた。事務所へ来る途中、何かあった訳ではないようだ。



 であれば一体、どうしたのだろう。
 とにかくまずは森久保に電話しよう。と、俺は椅子に深く掛け直し──。

「ぎゅむっ」

 机の下から、何かが押し潰されたような音が聞こえた。それと同時に俺の左足、その脛に、柔らかさと温かさを感じさせる何か。
 
 それに触れた時、俺は跳び上がらんばかりに驚いた。

 椅子ごと転がるように机から退いた俺は、恐々その下を覗き込む。

 森久保が、いた。




 あまりの驚きの連続に、俺は声を掠れさせながら訊ねる。

「も、森久保さん……。どうした、こんな所で」

 そんな言葉の途中で気付く。
 彼女は泣いていた。声を出さないよう必死に抑えながら、青ざめた表情をしている。細かく震える身体を守るように、自分の両肩を強く強く抱き締めていた。


 何があったのかは、分からない。

 しかしこんな状況の彼女に「今からでも良い、レッスンに行こう」だなんて……。

  そんな酷なこと、俺には到底言えなかった。
 
 泣き腫らした目に脅えの色を付けた彼女は、こちらを窺っている。


 一瞬、躊躇ってから──。

「森久保、ばっくれようぜ。こっそり付いてこいよ」

 共犯者の笑顔で、俺は彼女にそう囁いていた。







 初めて二人で入ったのは、事務所から五分のカフェだった。


 森久保は俺のジャケットの腰辺りを掴んで、とぼとぼと付いてくる。その目玉には、溢れそうな程の涙を溜めていた。

 よくこんな二人組が、警官に声を掛けられなかったものだ。俺はつい苦笑いをした。


 案内された店内奥の席に着くと、俺は出来るだけ気楽に聞こえるように言う。

「いやぁ、誰にも止められずに来れて良かったな」

 にこにこと笑い掛けると途端、せきを切ったように森久保はぼろぼろ泣き始めた。きっと、緊張が解けたのだろう。

 慌ててポケットティッシュを手渡すと、それを右手に握りながら森久保は何か呟く。

「ご……ごめ……めいわ……」

 彼女の言葉を止めないよう、俺は静かに待つ。声を引きつらせ、詰まらせながら彼女が発したのは、

「迷惑掛けて……ごめんなさい」

 そんな、謝罪の言葉だった。



 正直に言うと、驚いた。
「サボってしまって、ごめんなさい」でもなく、「アイドルなんてしたくないです、ごめんなさい」でもない。「迷惑を掛けて、ごめんなさい」と言ったのだ。

 今、俺の目の前にいるのは少女。過呼吸になりそうな程に泣き、身体を震わせる程脅えた、十四歳の少女なのだ。

 自分にとても余裕があるとは言えない状況で、この女の子は周りの心配をしている。

 少しだけ、ぞっとした。
 この子は余りにも優しすぎる。



「だ、大丈夫、大丈夫! 怒ってないから気にするな。トレーナーさんにも上手いこと言っておくからさ」

 森久保の罪悪感を少しでも和らげようとしていると、店員が来た。
 声も出せない程に号泣している森久保の代わりに、注文する。
 コーヒーとホットココア。それなら彼女にも飲めるだろう。


 注文を受けに来た店員は、うさ耳のカチューシャにメイド服という妙な格好をしていた。……何かのキャンペーン中なのだろうか。

 その店員は肩を震わせて泣く森久保を見て、少し目を丸くした。しかし注文を取ると普段と変わらないように、キッチンへと戻っていく。

 その対応に、内心ほっとした。声を掛けるでも、じろじろ眺めるでもないその態度が、今の俺達には非常に有り難かった。




 しばらくしてその店員が湯気の立つマグカップを二つ持ってくる頃には、何とか森久保の涙も収まった。
 ココアを受けとる時、彼女が小さく頭を下げる余裕を見せたので、ようやく安心した。


 一呼吸おいて、軽く吹き出しながら、俺はからかう。

「大号泣じゃねえかよ。目腫れてるぞ」

 うぅぅ…と唸りながら、彼女は目を隠すように手で覆う。小さく口元を緩ませるその表情は、とても可愛らしかった。

「それだけ泣いたらお腹空いただろ。ケーキ、何が食べたい?」

「……お、お勧めは、何ですか…?」

 まだ少しおどおどとし、鼻をぐずぐずいわせてはいるものの、精一杯返事をしてくれることに温かな気持ちになる。

「店で人気なのは苺タルトらしい。あとチーズケーキだろ、ガトーショコラだろ…」

 メニューを見せながら言う俺に同調するように、森久保も「わぁ…」と声を上げていた。




 二人で初めてのサボタージュ。そこで一緒に頬張ったガトーショコラは甘く、そしてほろ苦かった。 

 口を小さくもごもごと動かし、こちらの視線に気付くと、

「な、なんですかぁ……」

 拗ねたように唇を尖らせている。

 照れたように、恥ずかしそうにそう言って、笑う彼女。
 その目元には赤みが残り、睫毛はまだ湿り気を帯びている。
 柔らかな春の光は、そんな彼女を優しく包んでいた。


 俺の“商品”は、いつしか一人の少女になっていた。


──────────
──────
──




 我に返ると依然として、ざわめきが俺たちを囲んでいた。インカムを付けたスタッフが走り、衣装を身にした少女達がうろうろと歩き回る。
 
 その中で森久保は、きょとんとした顔をこちらへ向けている。

「ど……どうしました、Pさん?」

 がぼがぼのパーカーに身を包んだ彼女は、何だか華奢に見えた。

「悪い悪い、ちょっと考え事してたよ」

 小さな頭をぐしゃぐしゃと撫で回す。
 ひぇぇ…などと情けない声を上げて、森久保はふにゃふにゃと笑っていた。

 程無くして舞台裏の照明が一斉に、すっと弱まった。
 開場直前だ。


 そして今、ステージにライトが灯る。


◇  ◆  ◇  ◆  ◇  ◆  ◇





 ライブが始まりました。

 舞台裏は相変わらず、皆さん忙しそうにしています。
 しかしその中心に居るのは、テキパキと設営作業をするスタッフさん達から、煌びやかな衣装に包まれたアイドル達になっていました。


 そんな皆さんの邪魔にならないよう、私達は並んで突っ立っていました。
 時折Pさんが声を掛けてくれたり、ちょこちょこと説明をしてくれたりします。

 けれどその言葉は、私の耳を素通りしていきます。
 Pさんの話を、しっかり聞こうとしているのに。気付けば私は、ぼんやりと辺りを眺めていたりするのでした。


 どうしたんだろう。何でもないことで苛立ったり、気付けば物思いに耽っていたり……。
 何故今日はこんなにも、いつも通りのもりくぼでいれないんだろう。


 大きな溜め息が聞こえて、はっとします。
 それが自分が発したものだと気付いて、余計に私は憂鬱になってしまいました。




 緊張と不安を合わせた顔で動くアイドルの皆は、しかし同時に、生き生きとしてもいました。
 ……そう、まるで私とは真逆のように。

 照明が弱まったため、私達のいる隅の方には薄い影が出来ています。

 ──やっぱり私は、ここでも影の中にいるんだなあ。

 自分が何ももたらさない、何も生み出さない浮遊霊になったように、私は感じていました。




 一方で、そんなジメジメした胸の内で、驚いたこともありました。

「凛さん、次お願いします!」

「うん。悠貴もお疲れ様、凄く良かった」

 アイドル同士の声の掛け合いに混じり、

「転換まで三十秒です」

「関さんセット完了しましたー!」

 スタッフさん達のやり取りが混じるこの騒々しさを…。
 自分でも意外なことに、私は心地好く感じていたのです。



 観客の歓声や、出演中の方の歌声、潮騒のような拍手。

 そういったものが、くぐもりながらも耳に届きます。
 それを聞くと背筋がぞくりとして、手にじんわり汗が浮かびました。

 思わず開いた掌の先で、指が小さく震えていることに、私はこの時気付きました。

 あれ。今は別に、怖さも不安も感じていないのに……。心が変な調子の日は、身体の調子まで変になっちゃうのかなあ。


 そんなことを考えながら、浮遊霊はしばらくそこでじっとしているのでした。





 それから少しして、Pさんが同僚さんに呼ばれました。それを待つ間、私はぽつぽつ一人で歩いて、あちこち見回っていました。

 皆さん凄いなぁ…怖くないのかなぁ……。
 そんなことを思いながら歩いていた途中、舞台袖から何気なく覗いたステージ。


 私はそこから、目が離せなくなってしまいました。
 そこにはまるで、別の世界が広がっていたのです。




 先程までここで青ざめていた女の子は今、ピンクの衣装を揺らしながら、愛らしい歌声と共に笑顔を振り撒いています。

 出番のギリギリまで担当プロデューサーと確認をしていた神経質そうな女の子は、妖艶な濃紺の衣装で微笑みながら、観客を虜にしています。

 彼女達の震えていた手足は、時に鋭く、時に優雅に回ります。それはまるで、彼女達の魅力を最大限表現しているかのようでした。


 そんな彼女達を見て観客は嬉しそうにしています。大声で応援をして、時に笑い声を上げて。
 それを見て私は、何だか胸が堪らなく苦しくなりました。

 アイドルって……こんなに人を喜ばせることが出来るんだ。こんなに、人から必要として貰えるんだ。

 周りに迷惑を掛けて、優しくしてくれるPさんにさえ、恩返し一つ出来ていないもりくぼなんかとは──まるで正反対だ。

 そう考えると私の胸は、何だかじくじくと痛むのでした。

 そして、また。

 そんな胸の疼きを抱えながらも私は何故か、煌めくステージから目を逸らすことが出来なかったのです。




 私が我に返ったのは、三十分程経ってからのこと。

 戻ってこない私を心配して、Pさんが探しに来たのに気付くまで、私は延々とステージに見惚れていたのです。


 Pさんと共に舞台裏まで戻ってくると、私は小さく息を呑みました。
 さっきまでと同じ景色が、私には全く違って見えていたから。


 ただの挨拶にしか見えなかったアイドル同士のやり取りは、そこに互いへの称賛と、ステージに向かう喜びを感じました。

 裏方として作業する人の背中からは、少しでも魅力を引き出す助けになろうという、懸命な覚悟を。

「ごめんプロデューサーさん……あんなに、練習したのに…」

 悔しそうに声を震わせてステージから戻ってくる人にさえ、私は気高さと美しさを見ました。




 ぬるま湯に浸ったような生活を続けている私に、こんなことを言う資格はない。この方達に失礼だ……。
 そんなことは重々承知していました。


 しかし、それでも。
 その時、私の口から溢れたのは、


「………………いいなぁ。」


 なんていう、嫉妬と羨望の言葉でした。
 私は…アイドルに魅せられたのです。


 ──私はこの日、キレイな夢を見たのです。


◇  ◆  ◇  ◆  ◇  ◆  ◇





 ……何だ、これは。何が起きている。

 中々戻ってこない森久保を探し歩いて、ようやく舞台袖でその姿を見つけた時、俺は酷く動揺した。


 そこには、じっとステージを見つめる森久保がいた。
 しかしその目は、その顔は、その姿は…。
 俺のこれまで知っていた森久保ではなかった。

 普段伏せがちな目が、今日は大きく見開かれ、興奮のためか頬が赤く染まっている。口元は小さくぽかんと開いたままだ。いつも頼り無さそうに揺らしている両手を、今日はギュッと握り締め、胸を抑えるように引き付けていた。

 まるで……熱に浮かされたかのようなその表情は、これまでの短くはない付き合いの中でも、初めて見るものだった。



 驚きを押し殺すように深呼吸をし、俺は森久保の肩をそっと叩いた。

「探したぞ、森久保。こんな所に居たのか」

「わひっ!! ──あ、Pさん…」

 ワンテンポ遅れて肩が跳ね上がったのを見て、本当に心の底から見入っていたのだと分かった。

「誰をそんなに、熱心に見てたんだ?」

 興味本位から訊ねると、何故か森久保は咎められたかのように、キョトキョトと目を泳がせた。

「え、いや、あの……。その…何でもない、です」

 そう言ってから、「誤魔化せたかな」と確認するように、ちらりと俺の顔色を窺った。



 何をそんなに、慌てているのだろう。そんな疑問を胸の隅に残しながらも、俺は森久保へ向け微笑んだ。

 心配するな。お前が言いたくないことなら、無理に聞き出す気はないよ。

「そろそろ裏に戻ろうか。他に見たいアイドルがいるなら、そこまで見ても構わないけど」

「い、いえ。行きましょう……」

 森久保はまるで何かから逃げるみたいに、足早に舞台袖から離れていった。




 二人で裏に戻ってすぐ、誰にも聞こえないような小さな声で森久保が呟いた。

 その言葉を──隣に立っている俺だけは、聞き逃さなかった。

「………………いいなぁ。」

 森久保らしからぬその発言に、思わず彼女の横顔に顔を向ける。
 そして再び、俺は動けなくなってしまった。

 そう溢した森久保のその瞳を見た瞬間、ある情景が浮かんだからだった。




 それは、新緑のドレスに身を包んだ彼女だった。

 大きなステージでライトを浴び、清らかな歌声を響かせている。彼女の華奢な手足がくるくる回り、美しいラインを描く。

 曲の合間にバックダンサーを務める、仲間のアイドル達と笑顔を向け合う。困ったような、照れているような表情を見せるのは、相変わらずらしい。

 観客達は心地好さそうな笑みを見せ、時に驚くように、時に応援するように歓声を上げる。それを見て森久保はより一層嬉しそうな様子で笑顔を浮かべるのだった──。



 そんな将来を、まるで白昼夢のように。俺に見せる程の輝きを、その瞳は持っていた。
 俺は…森久保に魅せられていた。


──俺はこの日、キレイな夢を見たんだ。


◇  ◆  ◇  ◆  ◇  ◆  ◇






 責任者の方々に挨拶をし、私達は車内へと戻ってきました。

 エンジンを掛けたもののPさんは車を出さず、私もまた余韻に浸ったように呆然としていました。

 少ししてPさんはようやく、そっと私に訊ねてきます。

「森久保……今日の見学は、どうだった?」

 思い返しながら、私は言葉を探します。

「う……なんというか、凄い物を見た気がします」

「あぁ、確かに。今日は凄い物を見たよ」

 そして、またしても二人揃って、黙り込んでしまいます。
 息を静かに吸って、今度は私がPさんに訊ねました。

「Pさん…もし。もしも仮に、ですけど……。その、もりくぼが……アイドルとしての活動、しっかり取り組みたいと言ったら……」

 一瞬躊躇ってから、言葉を続けます。

「あ、あんな風に……なれるのでしょうか」

 声が震えたのは緊張のせいか、恐怖のせいか。それとも……期待のせいでしょうか。



 Pさんは少し間を置いて返事をします。

「客観的なことだけで言うと……難しいだろうな」

 至極当然の、しかし予想外な言葉に私は声を失ってしまいます。

 当たり前のことなのに。言葉に表して聞くと、それは何故か酷く私の心を抉ったのです。

「ダンス、ボーカル共に他の二年目のアイドルと比べて、森久保は力不足だ。それに何より経験が圧倒的に不足してるのも痛い所だな」

 目の前の景色が急に色褪せて見えて。心臓の音だけがやけに大きく聞こえます。

「そ、そうですよね……すみません、当たり前の事を聞いて。そ、そもそももりくぼは…別にアイドルなんて──」


「でも俺は、森久保がトップアイドルになれると思う」

 私の小さな小さな声を断ち切るように、Pさんは言い切りました。




 Pさんの言葉は私が心から願っていたものでした。

 それなのに、何故でしょう。私はむきになって反論しようとしてしまいます。

「な、なんでそんなこと言えるんですか……」

 爆発しそうな感情と湧き続ける言葉で、私の頭はぐちゃぐちゃです。

「も、もりくぼはずっと逃げていたんですよ……? レッスンを休んで、机の下に隠れて」

 Pさんは黙ったまま、私の話を聞いています。

「私と同じ時期に入った子達は、とっくにデビューしています。少ないお客さんに悩んで、厳しいレッスンを乗り越えて……」



「私はそんな皆を目の端に入れていたのに、ずっとずっと、見ない振りをしていたんです……。 イベントが上手くいかないで帰ってきた人を見ると、凄く悲しくなりました。 レッスンを終えて疲れているのに、何故か気持ち良さそうな表情を見ると、後ろめたくて仕方ありませんでした。 ライブが成功して喜んでいる人を見ると……。 もりくぼは……私は、何だか胸が堪らなく苦しくなるんです」


 言葉が詰まり、喉の奥がきゅっと痛くなります。

「全部持ってるあの子と、何も持っていないもりくぼ。 ──何処から私は間違っていたんだろう。どうすれば私は、笑えていたんだろうって……」

 気付けば視界がじわりと滲んでいました。

「……わ、私が逃げていたのは、そういう時間なんですよ? 分かっているんですか、Pさん。それなのに、何でそんな……」

 言い終わることさえ出来ずに、私は深く項垂れてしまいました。




 運転席に座り、正面を向いたままのPさんは、穏やかな口調で話始めます。

「分かっているんだ。経験、実力、評判……。それにどれだけの差が開いたのか。それがどれだけ厳しいことかなんて、俺だって良く分かっているんだ」

 宙を見つめ言葉を探しながら、Pさんはゆっくりと続けます。

「マイナスからのスタートだとも思う。散々迷惑掛けて、好き勝手してた俺らは、周りから応援されないかもしれない。そんなこと、分かっているんだよ」

 Pさんはきゅっと口を結び、言葉を切って。

「でも、そうじゃないだろ。それは『やらない理由』であっても、『やれない理由』にはならないじゃないか。そこじゃないんだよ、俺が聞きたいのは」

 そう言うとPさんは私に向き直り、私の目を真っ直ぐに見つめて、静かに告げました。

「お前なんだよ。……森久保、お前なんだ」

 私は──目を離すことが、出来ませんでした。

「森久保自身がどうしたいのか。俺はそれを聞きたいんだよ」





 静まり返った車内で、プレーヤーから流れる曲だけが仄かに聞こえます。

 先程聞き惚れたあの歌が丁度流れていることに、この時私はようやく気付きました。


──終わりだよって諦めなって
──僕には聞こえない
──ただ風が騒いでじっとしてらんない


 私もこんな風になれるのだろうか。こんな風になりたいと思っても、良いのだろうか。私みたいなダメな奴が夢を見ても、許されるのだろうか。


 答えを求めてうろうろと泳ぐ私の目が、ほんの一瞬、再びPさんと合います。
 これまでと何も変わらず優しい、そっと背中を押してくれるような力強い目。

 私の腕の震えは、少しだけ収まっていました。




「も、もりくぼは……」

 ──いや、違う。もりくぼじゃない。私はどうなのか、なんだ。
 ここは、ここだけは「もりくぼ」に頼っていては、いけないんだ。

 大きく深呼吸をして、改めて声を出します。

「わ、わ……私は。弱い、ダメな人間です」

 相変わらず小さくて震えた、へなちょこな声です。

「怒られるのが怖くて、失敗するのが怖くて……何より、失望されるのが怖くて。そこから逃げてしまうような、弱い人間です」

 何故こんなに苦しいのだろう。陸の上なのに、まるで溺れているみたい。

「きっとこれまで、沢山の人をがっかりさせたと思います。 部長さんを苛立たせて、トレーナーさんを呆れさせて。ちひろさんや他の皆に心配を掛けて。そしてPさん……Pさんにも、迷惑を掛けて」

 認めることは、怖いことです。
 こんな自分だ、と認めることは、評価されることだから。ダメな自分を認めることは、がっかりされることだから。

 挫けそうになる心を懸命に奮わせ、言葉を繋ぎます。


「そんな私『ですけど』……それでも」




 他の人には大きく離されているけど──
「そ、それでも……」


 皆は許してくれないかもしれないけど──
「それでも」


 目指すゴールに辿り着けるかなんて、わからないけど──
「それでもっ!」




 「けど」と「それでも」を繰り返したその先。
 最後にぽつりと残ったのは、私のキレイな夢でした。




「私はそれでも……どうしても、アイドルを目指したい」


 それを認めた途端、音を立てるような勢いで目から涙が溢れました。嗚咽を必死に抑え、言葉を絞り出します。

 伝えたいことは、もっとある。

「諦めきれないんです……。どんなに目を瞑っても、光が、夢が……消えないんです」

 視界がぼやけていることに、心の何処かでほっとしている自分がいました。

 情けなくて、恥ずかしくて。Pさんの顔をまともに見ることなんて、到底出来なかったから。

「都合の良いことを言うな、って自分でも思います。 今更こんな事言える立場じゃない、とも思います。 ……けど、ですけど。お願いします…。 Pさん、私を助けて──」

 言い終わるより先に、私はふわり、何か暖かなものに包まれていました。



 その赤いネクタイに涙の粒がじんわり染みていくのを感じ、ようやく私はPさんに抱き締められていることに気付きます。

 それは父が娘を守るような、あるいはチームメイトと固く組み合うような、そんな抱擁でした。

「そうか……やっぱり、そうだったんだな」

 Pさんの声も、震えていました。
 そっと腕を解いた彼は、赤い目をしたまま私に言います。

「これまで俺は、森久保を傷付けないように、森久保を怖がらせないように。そればかり気にして……お前自身とは、しっかり向き合えてなかったのかもしれない」

 そして、深く頭を下げて。

「本当に申し訳なかった」




 そんなPさんの言葉に応えようとしますが、喉が詰まって声を出せません。

 そんな事ないのに。こんなダメな私の事を、Pさんはいつも考えてくれていたのに。

 涙を必死に拭いながら、せめてもと頭を大きく横に振ります。
 そんな私を見て、Pさんは少し口元を緩ませました。

「森久保が本当に欲しいものは。辛さや怖さや不安……そういったものの、『その先』にあったんだなあ」

 しみじみと言う彼に、私は黙ったまま、何度も頷きました。
 そうです。そうです。そうなんです……。



 Pさんは、喉をこくりと動かして、一度大きく息を吸いました。

「俺はダメなプロデューサーかもしれない。 最早信頼出来なくても、仕方ないのかもしれない。 今更こんなことを言うのは、狡いのかもしれない」

 そこまで、一息で言って。

「……けど、それでも。」

 私と同じ言葉で繋いで。

「俺は、森久保のプロデューサーでいたいんだ」

 そう、はっきりと口にしてくれました。


 まるで自分が我儘を言っているみたいに、困ったような顔をしているPさんに、私は胸が暖かくなりました。
 これだけ迷惑を掛けているのに。この人はまだ、私を必要としてくれる……。
 



 ここまで優しく、ゆっくりと話していたPさんが、言葉に少し力を込めます。

「『アイドルになりたい』という森久保の願いは、俺が叶える。 何としてでも叶えてやる。だから……」

 大事な頼み事をするように、しっかりとした口調で。

「『森久保をアイドルにしたい』という俺の願いは。──森久保、お前が叶えてくれないか」

 Pさんのその言葉に、私は身体が熱くなるのを感じました。

 私でもまだ、誰かの役に立てることがあるんだ。この人はまだ、私に期待してくれてくれているんだ。

「も、勿論です。もりくぼなんかで……私なんかで良いのなら、ですけど」

「俺は、森久保じゃないと嫌なんだよ」

 涙はいつの間にか、止まっていました。
 それに気付かない程嬉しい思いをするというのは、私にとって初めての経験でした。



 私はそっと、Pさんの大きな手を両手で握ります。
 そして、いつもと同じように目を宙に逸らしながら。

「その、あの、えっと……。こ、これからも、よろしくお願いします」

 そう言ってちらりと、横目でPさんを窺います。

 彼は始め驚いた顔をしました。しかしすぐに、満面の笑みを浮かべて、大きく何度も頷いていました。

「うん。そうだな、こちらこそ。……これからも、よろしくお願いします」

 お互いがお互いの手の感触を確かめるように、ぎゅっ、ぎゅっと繰り返し力を込めます。

 そして、そんな妙なことをしている自分達が照れ臭くなり、揃ってくつくつと笑ってしまいました。





「それじゃあ、その。……オムライス、食べに行くか」

 そうPさんが言ったのは、不思議な握手をしたすぐ後のこと。

 はにかむような笑顔を浮かべるPさんに、私は一瞬きょとんとしてしまいました。オムライスのことなんて、すっかり忘れていたからです。

「ふっ、ふふふ……。 も、もう。折角、良い話してたのに…台無しじゃないですか」

 笑いを噛み殺しながらそう返すと、Pさんはおどけるように、むくれた表情をしました。

「そーかい、そーかい。それなら俺一人で食べに行こうっと」

「あぁぁ…! べ、別にもりくぼは…行かないとは言ってないんですけどぉ」

 慌ててそう言う私に、Pさんは声を上げて笑います。

 いつもと変わらない私達の会話は。しかしいつも以上に、晴れやかな気分を私にもたらしているのでした。





 ライブに見入って、長話をして、泣いて、手を握り合っている間に。外はすっかり暮れていました。

 暗い夜の景色の中、道路に遠くまで白線が伸びています。それが私達の前に続くレールのようで、何だか私は嬉しくなっていました。




 そんなお店へ向かう車内で、三度あの曲が流れました。
 二人して黙って聞き入った後、私は口を開きます。

「やっぱり……良い曲ですね、これ」

「あぁ、やっぱ良い曲だ」

 少し間を開けて、ぽつりと私は付け足します。

「……と、特に『キレイな夢を見たんだ』っていうのが、気に入りました」

 私の言葉にPさんは肩を揺らすようにして笑っていました。

 そして、前を向いたまま言います。

「……うん、乃々。 俺もそう思う」




 ──私達のキレイな夢は、今始まったばかりなのです。




                 【終わり】


ありがとうございました。
HTML化依頼?やってきます

あ、やべえ。
しかもこれRで立っちゃってますね!
お目汚し失礼しました

乙です、最高でした
この先のこの二人の話も読みたい

乙乙
凄く良かった

乙、とてもよかった
読み終わった後に曲聞いたらまた泣けてきた

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