【ガルパン】 不死の感情 (708)
3次創作だが2次創作者には許可取ってきているので始めます。Rだけでやる程度には……です
作者は同一だぞ
第1章 自分の戦車道、始めます!
No young man believes he shall ever die.
自分も死ぬことがあるのだろうとは決して信じないのが、若者というものだ
ハズリット『若者に見られる不死の感情について』より
緑爽やかな初夏の風に長音のホイッスルの音が混じる
「故宮高校フラッグ車、走行不能。よってプラウダ高校の勝利」
淡々とした審判の声が響く。
何処かのテレビ局のヘリが、ある場所の上で周りの空気を引き裂く轟音を響かせながらホバリングする
「見えました!あちらです!……出てきました!JS2!JS2です?今年の優勝はプラウダ!本年度戦車道硬式大会優勝はプラウダ高校です!ついに最強の黒森峰、その呼び名に終焉が来てしまうのでしょうか!」
ヘリに乗ったアナウンサーは興奮した調子で語る。JS2とともにいた部隊のうちのT34/85のキューポラから、ヘッドギアを付けた少女が顔を覗かせた
「笑っています。いま少女がはっきりと笑っています?これが、新たな伝説なのでしょう!」
会場は先程の所ではない。
鉄道でここからしばらく行けば、先ほどの場所にたどり着くだろう。
先程の所へ行けるのはどっちか一方だが
空の雲は空全体の50%ほど。快晴ではないが、気象庁の判断では晴れだと言える。風の調子も決して悪くない
双眼鏡で遠くを眺めていた。目の前に映されるのは森の木々の幹、木の皮が所々外側へ捲れている。
そしてその先の隙間に広がる草原。断片情報を統合すれば、それはそれは広いものだと理解できるはずである。
かなり拓けた先。展開する時間と他の部隊の配置状況を見て、まだ向こうが背後に部隊を送り込む時間は経っていない。来るならこっちからだ
「みほ、見えるか?」
隣のティーガーIIのキューポラから上半身を出して姉が尋ねてきた。
だが先程から2つの穴が脳内で合成されて映る映像には、遠くで揺れる葉のついた枝以外動くものはない
「いえ、異常ありません」
足元の戦車の安定を確認しつつ双眼鏡を下ろし、ほっと一息ついた。今の、この今の一時的な安全は何事にも変え難い
しかしすぐに風が湿気っぽくなってきた。
また見ると今度は枝以外にも動くものがいた。草原の奥の小さい林の陰から戦車群が顔を覗かせた。
その見分け方は、戦車の正面が丸っこかったら敵、という単純なものである。そして見事に条件に合致していた
「来ました!敵戦車発見。2時の方向。距離約一二〇〇、T34です。1輌……2輌……3輌です!」
「3輌なら問題ない。ここで撃破する。
各車前進ののち、1号車は先頭、2号車は中、3号車は後尾をそれぞれ撃破せよ」
姉の素早い指示が飛ぶ。
この判断の速さは私には十分には出来ない。
私も後ろのキューポラに身をねじり込み、すぐさま砲手に指示を出す
「真ん中です。停止後、一撃でお願いします」
ティーガーIの88ミリ砲が轟音と共に火を噴く。しかしその弾は少し手前の小さい丘の上で土煙を生んでしまった
「外した。着弾30メートル手前です!次弾早く!」
くそが。一撃だと言っただろう。タイムラグの間に相手は何ができる!
「1号車命中!」
「3号車命中!1輌こちらに向かって来ます!」
立て続けに情報が舞い込む。さすがは黒森峰の最精鋭、試射無しでも余裕で命中させる。
完全に遅れを取ってしまった
「距離一一七〇!風は4時方向に3m!撃て!」
すぐに再びティーガーIの車内に砲尾から薬莢が排出させる。
しかしそれは当たることなく敵の右斜め上を飛んで行くのが眼に映る
「この距離で、しかも静止射撃で2発も外すなんて!訓練で何をやってたんです!」
前の人選をミスった奴を蹴飛ばして敵車両を確認すると、側面に砲弾が命中し、文字通り爆発四散していた。横を確認するとティーガーIIの砲身から煙が登っていた
姉のだ
「……全車後退。森の奥へ進め」
身を乗り出す。風はとても冷たく無情で、そして強張っていた
姉の車輌の者が簡易机と茶を用意し、姉はその上で地図に印を付けつつ、茶をすすっていた
「他部隊の状況は?」
「確認済みの範囲内では、接敵なしとのことです」
「他の確認も早めに済ませろ。そしたら偵察で再度的の様子を探る」
空の雲は少し増えていた。60%といったところか。風は止みつつあった
「お姉ちゃん……」
姉は振り返らない
「砲手を呼んでこい。それと隊長と呼ばんか。いつも言ってるだろう」
「はい……」
undefined
歯をガタガタ震わせている砲手が砲塔の前で蹲っていた。ちょっと手荒いが、命令は命令だ
「来なさい」
「ひいっ……」
手を掴んで戦車から引きずり下ろし、両手首を抑え肩甲骨の間を押しながら前へと連れて行く。
姉の近くに持っていくと、まずはポケットに手を突っ込み、彼女の拳銃を放り捨てる。
幸いナイフはお持ちでないようだ。この近距離で暴れられて面倒なのはそちらだし
「……」
姉が席を立った。次の瞬間、張り手が音を立てて彼女を地面へと叩きつけた。頭に付けていた帽子が放物線から外れて彼方へと吹き飛ぶ
「……何をしている。仲間を危機に直面させるのが楽しいか?」
「……」
?に手を当てたまま動かない。かなり腰と手首のスナップを効かせて打ち込んでいた。私でも喰らいたくはない
「張り手は五月蝿いからやめてください、隊長」
「拳の方が良かったかな」
「叫ばせたくないなら一突きが早いですけどね」
「流石にそりゃしないぞ。正式な裁定は下されてないんだし」
手を何度か顔の前で開閉させ、踵を返して姉が再び席に着いた
「いずれにせよみほ、こいつは次はチームから外せ。お前はいつも人選が甘すぎる。下手したら次がなかったかも知れないんだぞ?
我々SS12小隊は栄光ある黒森峰随一のエリートだ。その名に恥じぬよう、相手に恐怖を与える存在でなくてはならない」
そう言うと机の上の茶をもう一口すすり、淡々と続けた
「お前も西住の血を引く戦車乗りの一人だ。
黒森峰を、西住流の名を汚すような戦いをするな。
戦場で必要なのは友情じゃない。敵だ。分かっているな?」
「はい……申し訳ありません」
「取り敢えずここでは助かったから、任命責任は保留にしておく。
しかし敵は何を考えている。我々に釣り野伏せが通じるとでも思っているのか?
おい、周りはどうだ?」
「現状ソ連戦車のエンジン音は有りません。
射線の通りにくいここに潜んでいるとは思えませんが……」
風の向きが先ほどと逆になりつつあった。
私はその間に張り倒されたやつの腕を無理やり引き上げる
「そうか。だが偵察などは送られているだろう。
風向きも変わってきたし、狙撃などにも警戒せねばならん。些細なことでも何かあったらすぐに」
「隊長!」
監視に向かっていた姉の車輌の者がこちらに駆け寄り、姉の足元で息を切らして膝をつく
「どうした!」
「西住隊長!南方に大量の発射煙が?」
姉はすぐに首から下げていた双眼鏡を目元に寄せる。遠目でもわかる。縦に登る何本もの煙の帯
「……シュターリンオルゲル!」
苦虫の汁が飛びそうな声が小隊に緊張が走らせる
「クソッ、こっちが本命だったか!
総員緊急乗車!至急このエリアから退避せよ!
我々から損害を出すわけにはいかんぞ!」
姉は机を蹴飛ばして頭からキューポラの中に入っていく。私も考えずにそれに倣う
「全速後退!急いで!」
ティーガーIも私の声とともに後退を始めた。
空からはロケット弾が風をきる轟音のみ
全力で動くエンジンの音は掻き消される
数がおかしい。
どう考えても一斉に全ミサイルを発射したようにしか聞こえない。この先運用する必要なぞないのだ、と言わんばかりに
顔からは粘度の高い嫌な汗が顎の下に溜まって落ちる
そしてそれらは森を焼き払わんとばかりに躊躇なくSS12小隊を襲った。
葉と煙の境界が無くなり、先程を超える音と振動が伝わる
「きゃあああ」
震度6弱を思わせる振動が発生した。
災害訓練の時に訓練専用の車に乗った体験と比較すれば、恐らくそのくらいはあっただろう
「落ち着いて、落ちついて後退を続けて」
ミサイルが落ちてこないことを祈り続けた。しかし手綱はその祈りの相手にはなく、プラウダが握っている。
けたたましい音とともに正面が黒く染まった
炎のはじける音で次に目を開くと、黒い煙で占められた車内の中で、砲手が先程の痛みを間違いなく知覚出来なくなっているのを目で見た。視覚よし。
手足の指先を曲げる。触覚、神経よし。足も動く。重度の火傷も負ってないようだ。
死んでない、と結論付ける頭も働いている。
状況を確認。煙の匂い。脱出だな
キューポラを触ると火傷するレベルで熱い。熱いと漏らしつつ咳き込みながらなんとか押し開け、上半身を外に出した。
煙も私の体の側面を通って抜けて行く
車輌の前方に命中したようで、他の乗員への希望は抱きようがないだろう。私が一番悪運が強かったようだ
「みほ!」
煙で痛くなり涙が出てくる目をなんとかそちらに向ける。そこには姉の車輌の者2人と左ひじを抑えた当人がいた。
一帯は焦土と化し、さっきまでの森の様子は半径数十メートルに渡り焦げた切り株に置き換えられていた。
煙にさらなる焦げ臭さが鼻をつく
「生存者はお前だけか。無線も……無理そうだな。
3号車は直撃で全滅。1号車もこれだけだ……無線も全車輌やられ、救援も呼べん。
やむを得ん。車輌を放棄して後退し、味方との合流を模索する。全くイワンの奴め、たった3輌に無茶しやがる」
姉の車輌の者が手を差し伸べ、靴越しに熱を感じながらなんとか車輌から出た頃には、草原の向こうから幾重のエンジン音とともに戦車が向かってきていた。それも我々のものとは異なるもの
「敵戦車突っ込んで来ます!T34/85が5輌……いや10輌です。デザント兵を載せています」
デザント付きか
「隊長……」
「歩兵随伴か…………森がこれでは逃げられない、か……残念だが打つ手がない……投降しよう」
姉は私が考えた通りの判断を下す。
姉は頭を垂れ、1号車の後ろを指しながら全員に隠れるように指示した
何も吐き出さぬティーガーの排気口が4人を見下ろす中、多くのデザント兵の声が響く。
言語は実に多様で、何を言っているかは分からない。
だがそれがうぉーでもウラーでもアッラーアクバルでも万歳でも結末は大差ない。
履帯の回る音が時々刻々と激しくなる。
足音が微かにエンジン音に混じり出す。
その時共にいた者の1人が、恐怖からか戦車の背後から飛び出した
「と……投降します。撃たないで」
「バカ!体を出すな!」
姉の叫びも虚しく機銃の音とともにティーガーIIの脇に血まみれの屍体が完成した。
胴体に数発、頭にも何発か食らったのだろう。左目の左側も削れたらしく、赤く染まった目玉がゴロリと転がり、視神経のみで引っかかっている。
まぁ、死に急いだのはある意味で正解なのかもしれない
「来るぞ!」
ティーガーIIの両脇からT34が2輌現れ、完成した屍体を捻り潰し、1両が前方に回って自分らを囲むように止まった
「撃つな!」
「投降する。撃つな!」
「降伏です。降伏します!」
それらに呼応して姉から順に立ち上がり、両手を高く上げる。
そして叫ぶ。力の限り。
デザント兵の持つ銃の口がこちらを向く。
彼らの指が一人でも動けば、私もさっきの者の仲間入りだ。私はお断りしたいが
敵のデザント兵の指揮官らしき者が銃を構える兵を静止させ、兵を1人呼んで銃を向けたまま姉の肩を掴ませようとしていた
「我々は黒森峰SS12部隊!戦車道規定に則り投降する!全員の同捕虜条項に従った処遇を要求する!」
3人は1人ずつ銃を向けられている。
黒い銃口の先がぎらりと光る。
私は、生きたい。
理由なんてない。
ただ、死にたくない
「撃たないで!撃たないでください!私たちは投降します?」
今日はここまでです。木曜更新にするつもりです
週二にすることにしたから更新するぞ
RRRRRRRRR
アラーム音が部屋に響く
「撃たないでください!投降です!」
いるかの時計のヒレを押すと、アラーム音ではなくベッドから落ちる音、そして背中から振動が脳内へ響いた
「わわっ」
目を開けるとそこは白かった。まもなくそれが雲と煙ではなく、天井だと分かった。
自分の部屋……か
空気が、非常に綺麗だ。咳とは無縁だ。
微笑みながらのんびり立ち上がり、窓際に行く。外が明るい
ここにはもう私を殺そうとする人はいない。窓を開けて命を狙われることもなければ、日常的に護衛がつけられることもなければ、夜に大きな音を出さないように気を配る必要もなく、命を賭ける場所に向かう必要もない
雨戸を音を立てて開ける。窓際を蝶が舞い、目の前の道路には鳩が舞い降りてきている。
朝起きた時にあと数時間で死ぬ、と覚悟するような日は来ない。
いつか、何十年も先、これまでの人生の期間を何度も繰り返した先、おばあちゃんになって病気か寿命で死ぬまで生きられる
空は快晴。少しの雲もない。
予想できない、まるで無限の時間。こんなに自由で素晴らしいことはない
「もう……うちじゃないんだ!」
ゆっくりと布団を三つ折りにして、初めて着る制服に手をかけた
それでも長年の癖は抜けないもので、外で鍵を開けた後数秒無音状態を作って外に気配がないことを確かめ、出てからも左右をさっと見る
「ととっ」
家を出る前にもう一度鍵を確認し、出発。
階段を下った先にいたのは、犬をつれる人、美味しそうな匂い溢れるパン屋さん、笑いながら登校する今日からの同級生、先輩、後輩。外の人は皆今日を生きている活気に満ち溢れているように感じられる。
日常の生活でも歩兵SSに睨まれている前の学校とは大違いだ
歩いている間に大きな校舎が何棟も並ぶのが見える。
校舎についた青と白の大の紋がのびのびとした感じを強調している。
きっとここの校風もその通りなのだろう
それともう一つ気になったことがあった。
それは私が学生だと思った人間は皆一様な制服、一切違いのない制服を着ていたことである。
ここには軍人はいない。唯一とも呼べる治安組織である風紀委員も、腕章を除けば制服であった。
恐れるものがないほど、平穏なのだろう
普通一科A組、ここが今日から私のクラス。
部屋の中からは友と久しぶりに会ったことによるものであろう陽気な話し声が伝わる
「おはようございます。皆さん最後の夏休みはいかが過ごしましたか?来年は受験勉強の為、……」
ドアの向こうから先生の声が聞こえる。
それでも若干の話し声は残る。
よく許されているな、と僅かに感心した
「それでは転校生を紹介します」
眼前でガラッとドアが思いっきり開く
「西住さん、入ってください」
「え、あ、はい!」
教壇の前に立って先生が肩を軽く叩く。大胆すぎて息が少し引っ込んだ
「こちらが転校生の西住みほさん。西住さん、一言よろしく」
「え……熊本から来ました西住……みほです。
えっ……と、よ、よろしくお願いします」
やはり自己紹介というのは慣れないものだ。だいたい向こうから名前を言われている。あとは素直に名前を言ったら言ったで大概面倒なことになるのだが、ここでは大丈夫なようだ
「ありがとう、それでは西住さんは左奥の方のあそこの空席に座ってください」
「は、はい」
その日はホームルームと始業式だけだった。どうやら生徒会長は角谷という人らしい。
この学園の生徒会長はかなり権限が強いと聞いたことがある。
その割には周囲に武器を持った護衛らしき者もいない。本当に安全な土地なのだろう
私は今日だけでそれを何度実感すればいいのか。
次の日、今日から通常授業だ。
生き生きしている皆の様子とは裏腹に、私に話しかけようとする人は4限の終わりまでいなかった
昼休みが始まる前に私は筆箱をしまおうとすると滑って定規を落としてしまった。
拾おうと机の下に潜ると頭をぶつけ、ペンが左側に落ちてきた。
それを拾おうとすると今度は机の脚にぶつかり、机の上に立てていた筆箱が倒れ、中身が床にぶちまけられた。
それらをやっとの思いで集めて、席に座っていた。
虚無感が覆い、一つ大きなため息をついた。
私は筆箱さえ操れないのか
「ヘイ彼女っ!一緒にごはんどう?」
その覆いを打破する明るい声が私の心にするすると入り込んできた。
左右に人がいないことを確認して後ろを振り返ると、茶色の髪の癖っ毛の人と黒髪のストレートの人が立っていた
「沙織さん、西住さん驚いてらっしゃるでは無いですか」
「あっ、いきなりごめんね」
「突然申し訳ありません。
よろしければお昼ご一緒しませんか?」
ストレートな黒髪を持つ人が軽く頭を下げてから高貴な口調で聞いた
「わ、私とでしょうか?」
急だったため理解が追いつかなかったが、2人は揃って微笑みながら頷いていたので、話に乗ることにした。同学年の人と飯を共に食べるなど久しぶりのことである
普通はいきなり接近してきた彼女らに疑ってかかるべきだが、持ち物にそれを裏付けるものがなく、2人のデータから考えてすでに候補からは外しており、なにより彼女らの笑顔が私をそうさせた
私は2人とともに食堂に向い、盆を取り、それぞれ注文して待つ
「えへへ、ナンパしちゃった。自己紹介まだだったね。私はね」
「武部沙織さん。6月22日生まれ」
「えっ?」
「五十鈴華さん。12月16日生まれ、ですよね」
「はい」
「すごーい!誕生日まで覚えててくれたんだ!」
「うん、一応、ですけど」
彼女らが私がそれを知ろうとした理由など知らない方がいい。
そうしている間に私の盆の上に鯖の味噌煮が来て、ごはんと味噌汁がその左右についた
「行っとき」
正面の店のおばちゃんが言う
「えっ、でもまだ漬け物が……」
「あんたら3人友達同士だろ。席取ってきな。
漬け物ならこの子に2つあげとくから」
目が輝いてきた。
中年後半の彼女の顔ですら10は若く見え、体の中から込み上げてくる何かを感じる。
踊るように席に行こうとしたが、バランスを崩して盆のものを落とし損ねた。私のおっちょこちょいだけは死んでも治るまい
幸い近場に4人分の机が空いていた
「よかったです、武部さん達が声かけてくださって。
私1人で大洗に引っ越して来たもので」
「そっかあ~。まあ人生色々あるよね。泥沼の三角関係とか、告白する前に振られるとか、5股かけられるとか」
「えっ……と」
お前は急に何を言ってるんだ?
人間同士の関係はこのようなものだったか?
私も私だが、もしこれらが事実なら、いや事実が寸分でも混じっているなら、正直この武部さんがどのような人生を過ごしたか気になる。
「そうだ!名前で呼んでいい?」
武部さんが聞いてきた。
なにがそうだなのかどうなのかは分からないが、口がすでに横一文字に広げたまま動かない。
「構いませんよ」
「じゃみほ、聞いてよー。なんか最近多くの男の人に話しかけられるんだけど」
いきなりタメ口か。ま……いっか
「どんな感じにですか?」
「おはよう、とか今日も元気だねっ、とか」
「武部さん、明るくて親しみやすそうですからね。誰とでもすぐ仲良く出来るとは素晴らしいことだと思いますよ」
これが精一杯のフォローである。
いや、本当に
「それはモテとは違うものだといつも言っているではありませんか」
五十鈴さんが盆にラーメンと山盛りの野菜炒めと大盛りごはんと味噌汁を持ってきた。
やはりそうか。少し安心した
こちらの人の方が見た目から信頼できる。
というか、その飯は一人分なのか?分けて貰っても困るだけなのだが
「そうだ、西住さん。漬け物をお渡ししますわ」
「何よ華、もー!」
「お話もよろしいですが早めに御飯を頂いてしまいましょう」
「それもそうですね」
「いただきます」
全員手を合わせ、武部さんは納豆、五十鈴さんは味噌汁、私は魚に手をつけた
私は周りの様子を確認していたが、2人に少し不思議がられたようなのでやめておいた。少しでも話をして話題を逸らそうと、武部さんのさつま芋の煮物を見て聞いた
「大洗ってさつま芋が有名でしたよね」
「そうそう。干し芋とか、一部では乾燥芋っていうらしいよ」
「そうなんですか」
「そうだ今度さつま芋アイスの店行かない?」
「そんな店があるのですか?」
「うん。色々とトッピングの種類もあって美味しいよ。今日は必修選択科目の練習があるから無理だけど」
「お茶をしに行くとか女子高生みたいですね」
「私達は女子高生ですわ」
……言われてみれば
「そういえば西住さんは必修選択科目は何になさいますの?」
「えっ……と、すみません。必修選択科目とは……」
「紙もらってないの?あの先生豪快だけど忘れっぽいからねー。
必修選択科目っていうのは、伝統的なものから一つ選択して乙女の嗜みとして学ぶっていうもので、」
「私達は戦車道を選択しているのです」
「せ、戦車道!」
私はその言葉を聞いてすぐに肩をすくめて、少し大きめの声を出した。
顔がみるみるうちに青くなるのが自分でもわかる。
馬鹿な……
「どうなさいました?」
「この学校、戦車道の授業ないと伺っていたのですが……」
私は身を乗り出して顔を五十鈴さんの方に寄せた。
それが嘘であることを願って
「数年後日本で戦車道世界大会が行われるので文科省から通達があり、今年から導入されたそうです」
だがそれは実に容易く、根元から破壊された
「……五十鈴さんと武部さんはなぜ戦車道を?」
なぜ……この2人が?
私のいた世界には似つかない2人が?
「と申しますと?」
「あ……えっと、五十鈴さんのような方ですと、なんたら道の中では香道とか茶道、華道などが似合うかな……と思いまして」
「私の家は代々華道の家元の家系なんですけど、アクティブなことをして新境地を開きたくて」
「私は戦車道やるとモテるって聞いたから。そういえばなんでみほはこんな時期に転校して来たの?」
うつむき押し黙る。
彼女らが聞く必要はない、そのはずだ
それに何なのだ、彼女らのこの理由は……恐ろしくないのか?
「でも必修選択科目は自由に選べるから」
「それよりも早く食べないとお昼休み終わってしまいますよ」
「そ、そうだねみほ。早く食べよう」
「はい……」
五十鈴さんが盆の上の物を全て平らげたことは、戦車道がこの平穏な地にあることと比べれば些細なことでしかなかった。もはや私の目にはこの平穏すら何かを隠す布地にすら思えた
5限目が終わると、廊下から足音が聞こえてきた。
そしてクラスの前から長身の片眼鏡をかけた生徒とそれより背が少し小さいが胸のある生徒に挟まれて、始業式で見た小さな生徒が干し芋を食べながら入って来た
クラスの者が口々に生徒会長だ、なんで生徒会が、誰に用だ、などと言っている
「えっと……」
会長さんは分かるが、他の2人が何者か分からない
「片眼鏡で目つき怖そうなのが広報の河嶋さん。温厚そうなのが副会長の小山さん。そして小さいのが会長の角谷さん」
沙織さんが教えてくれた
「会長、あの者です」
教壇上にて片眼鏡の生徒が私の方を指差す。
この学園の主が私なんかに用だろうか?
「やあっ、西住ちゃーん」
その小さな生徒が左手を挙げて明るそうに言う。視線は明らかにこちらだ
「えっ、はい?」
「西住みほ、少々話がある。教室の外に出ろ」
席に座る私を、河嶋と言われる人は上から見下ろした。もはや抵抗のしようもない
3人に連れられて教室の外に出る。左右どちらにも長い廊下の途中、人は授業の合間だからかトイレ側に集中している。そんな中、私にとっては考えたくもない言葉が耳に入ってきた
「必修選択科目なんだけどさ、戦車道選んでね、ヨロシク~」
何を言っているかもう一度聴きなおそうとした
「戦車道やってね」
私が聞く前にそう言いつつ会長は顔を近づけた。確定だ
だがとりあえず何か言い返さねば……
「えっ……あのっ、ひ、必修選択科目ってじ、自由に選べるんじゃ……」
「いゃぁー運命だねぇー。君は戦車道をやる運命にあるんだよ。
大丈夫、うちらは西住ちゃんがやってた物騒な硬式には参加しなくて、軟式の方にしか参加しないから。
とにかくヨロシク」
会長が私の左肩を叩いてきた。
私のは体をビクッと反射的に震える。
威圧感だ。
この小さな身から湧き出る、武器も持っていないのに湧き出る威圧感だ。
それが私の体を強張らせている
「じゃ、行くよ」
「はい」
すると片眼鏡の女が私に耳打ちしてきた
「貴様に選択しないという選択肢はない」
「かーしま、行くぞ」
「はい」
3人は最初と同じ並びで教室から出て行った
私の目の焦点は定まらなくなった
後から思い返してもこの間に何を視界に入れていたか思い出すことはできない。
どこか現実にはない物をその視界に収めていた気分だった。
その目を保持したまま6限に突入した
『君は戦車道をやる運命にあるんだよ』
『貴様に選択しないという選択肢はない』
それらの言葉が私に重くのしかかっていた。生徒会が何を考えているのか。
なぜここが戦車道を?
軍備保持?この海によって陸から隔離されたこの学園艦で?見た感じ目立った生産設備もないし、他校から見ても占領の価値はないだろう。生徒数的に投資の価値も薄い。
権力増強?様子を見た限り権限が強いという話は本当のようだし、治安も安定している。これ以上必要なのか?
疑念と不信感が私を包み込む。
「じゃあー、次の問題。西住さん」
私の耳元を波が過ぎ去る
「西住さん?大丈夫?」
「みほ!」
武部さんが声をかけると、私の体は少し反応した。が、別に彼女や先生を見ているわけではない
「どうしたの?体調悪いなら保健室行ってきなさい」
そう言われ、何も言わずゆっくり立ち上がり、指示に流された。
保健室のベッドは6つの内3つが埋まっていた
「今日はやけに病人が多いわね。ま、しっかり休みなさい」
保健室の先生は去った。私の両隣が埋まっているのだ。
そこにいたのは武部さんと五十鈴さんであった
「みほ、どうしたの?」
「すみません、少し……」
なぜ彼女らがここに居るのかは良いとして、幾分か心が落ち着くのを感じた。
保健室までの道中は良く覚えていないが、先程から薄く黒くなっている白い天井が認識できる
「生徒会の方々に何か言われたのですか?」
五十鈴さんも右を見るよう寝返りをうってきた
「そういえばどうしてこんな時期に転校してきたの?彼氏に振られた?」
「いや、そういうことではなくて……」
本当にこの武部さんの脳細胞を1つずつ見て見たい気もする。
それよりも私はこの問いに答えるべきだろうか、との問題が浮かぶ。
少し考えたが、答えることにした。
そうでなければずっと会うたびに聞かれそうな気がしたのだ
「実は私の一家は戦車乗りの家系で、」
「へぇー」
「まぁ、そうなりますと遺産相続とか次期当主をめぐる骨肉の争いとかですの?」
「いや、そういうことでもなくて……私以前は戦車道に励んでおりましたけれども、親から破門されてしまいまして、恥ずかしながら戦車道を避けて逃げて参りました」
その話を聞いた武部さんは顔を引きつらせているが、五十鈴さんはあまり変わっていない風に見える
「そうだったんだ……いや、なんかごめんね……」
「構いません」
「……私も同じなんですよ、みほさん」
「えっ?」
「私も戦車道をやったために親から勘当されているんです。
それでも私は戦車道を通じて、これまでと違う人のものではない自分の道、自分の華道を見つけたいんです。
ですからみほさんも破門にされたことを逆手にとって自分の道を探ってみてはどうでしょう?」
「自分の……道」
不意にチャイムが鳴り響く。
「授業終わってしまいましたね。せっかくくつろいでいましたのに」
「この後はホームルームだけだね。とりあえず先生に言って選択科目の紙を貰おうよ」
「そうですね。申し訳ありません、つまらない話を聞いてくださって」
「とんでもないです」
私は2人の付き添いを断り、一人で家路に着いた。何でだろうな、一緒にいたら根本も全てあからさまにしてしまいそうだから、か。
その日の夜寝床で選択科目の紙と向かい合っていた。腕には体の左肩から右脇腹へ包帯が巻かれたクマの人形を抱えている。
榴弾が斜面に命中し崩れる音。川に滑り落ち沈むIII号の姿。川に降りキューポラを開け戻ってきてから嗅いだ煙の匂い。
それらが一通り終わると次は銃声、鮮血の熱、手から感覚が薄れ地面から聞こえる金属音。
そして砲声、機銃音、叫び声。
目を瞑りクマの人形を力強く抱きしめた。
眼前にはあの時の光景が寸分狂わず浮かび上がってくる。
「自分の……道……」
微かな望みをかけて昼間五十鈴さんに言われた言葉を頭の中で繰り返す。だが一瞬の希望は昔の罵声と恐怖にかき消された。
~
「戦車道は軍部と内閣の妥協の産物であり、国際協調の脇役になった。そしてこれは、ある意味シュトレーゼマンの数少ない我儘だったのかもしれない。
彼の言葉をここに記そう。
『かつての決闘がフェンシングとなったように、スポーツになるとは平穏の証である。
だからこそDer Weg eines panzerkanpfwagen(戦車道)は、戦争から最も遠いものでなくてはならない』」
山鹿涼『日本の学園都市』より
~
今日はここまでです。また木曜日
ガルパンムーブの中でのガルパン作品やで~
始めます
次の日、武部さんと五十鈴さんの前に見せた必修選択科目希望用紙には香道の欄に丸が付けられていた。
2人の様子から戦車道であっても私の戦車道ではないのかもしれない。
しかしどうであろうと戦車道の本質は変わらない。それが私の結論だった
「……すみません、私どうしても戦車道をしたくないのです。そのためにこの学校に来ましたから」
2人は顔を見合わせ、頷きあってくれた
「誰も反対はしませんよ」
「そーそー、もし生徒会の人たちから何かあっても協力するから」
そう言って2人が机の上に手を重ねる。
温かい。私は会釈することでしか感謝を表せなかった
昼休みに紙を提出した後、食堂で再び揃って昼食を摂っていた。だが前の様な盛り上がりにはかけている。
それの最後の一角をつき崩したのは急に入った放送だった。
「2年A組西住みほ、2年A組西住みほ、大至急生徒会室に来い」
河嶋さんだ。
急に箸が止まる。
気が重い
「大丈夫ですよ、一緒に行きましょう」
「私も出来る限り協力するから!」
「はい……」
「これはどういうことだ?」
河嶋さんの手にあるのは今朝出した必修選択科目希望用紙だ
「どうしてこうなるかねぇー」
会長さんは干し芋を一つ口に入れる。どう見ても人を呼び出した人間の応対方法ではない
「私は貴様に行ったはずだがな。断ることは選択肢として存在しない、と」
「どういうことよ!」
武部さんが素早く反駁する
「特別入学許可時の書類でそう契約されているのだ」
何を言っているのか、と思ったが、棚の書類を見ていた小山さんが一枚の紙を取り出した。武部さん達とともにその書類を見るが、必修選択科目についての話なぞ全く見当たらない。
普通1科を選択する、あと私の書いた住所欄、そのような事務的なことしか書いてない。というかそのようなものなら私がサインするはずがない
「どこの部分ですか?」
すると小山さんが黄色の蛍光ペンを出し、周りを2重に囲んでいた、装飾だと思われたカタカナの部分に線を引いた。そしてそれを私たちから見て上下逆に向けた。すると線を引いたところに
『センシャドウヲリシュウスル』
と1文字ずつ角度をずらしながら書いてある。さらに小山さんがもう一箇所線を引いた
『この紙面に書いてあることについて同意の上入学する』
その後には西住みほ、と私直筆のサインが書かれていた
「これでわかったか?西住みほ、貴様は戦車道を選択することに貴様の手で同意したのだ。
それに我々にはそちらの都合を考慮する余裕はない。西住みほ、貴様には戦車道をやってもらう。西住の名において出来ないとは言わせない」
河嶋さんが両手を腰に当て胸を張った。
単純だが、確かに有無を言わせぬ手法だ。
サインするかより確認しておけば良いと思うが、後の祭りだ
「そんな……」
「卑怯ですわ」
五十鈴さんがすかさず言う。普段、数日の付き合いだがおそらくそうだろう、とは異なりかなり語気が強い
「そもそも選択科目は何をやろうと自由です。強要する方がおかしいです。
それにこれはみほさんを騙そうとしていることがありありと見てとれます。戦車道チームを強くする為に人の道を外れることを行うのは戦車道そのものの意義に背きます」
この地の権力の塊を目の前にして、毅然としたまま語り続ける
「そのような人が主導する戦車道チームで戦いたくはありません。私は香道に選択科目を変更致します」
「えっ、五十鈴さん!」
「私もそうします。みぽりんを強制的にチームに加えるなら私は戦車道やめます」
2人は力強く言い張る。
なんの冗談だ、と思うより先に動揺が襲う。
しかし逆に生徒会の3人は動揺するそぶりはない
「そんなこと言っちゃっていいのかなー?そんなこと言ってると3人まとめてこの学校にいられなくしちゃうぞ?」
会長さんは干し芋を3枚一気に食べ、肘掛に肘を乗せながら視線をこちらに向けた。露骨な恫喝である
「なっ!」
「脅しですか!」
「脅しではない。会長はいつも本気だ。
それにこちらは強要などしていない。ただ合意した書面通りの内容の実施を要望しているに過ぎない」
河嶋さんが私たちに詰め寄る。
そうなのだ。それだからたちが悪い
「ねえ、3人とも謝ったほうがいいと思うよ、ね?悪いようにはしないから」
今まであまり話さなかった小山さんまでか受け入れるように促す
私はずっと下を向いて考えていた。このまま2人の好意に甘んじてていいのか、と。
この学校にいられなくされるということは、強制退学はいくら権限が強いというここの生徒会長でもしないと思うが、自主退学に追い込むなり、とにかく彼女らをここから追い出す手段なら幾らでもある。
私一人なら我慢できるが、2人には私の為に苦しむ人にはなって欲しくない。良くない……はずなのだ
しかしその為に戦車道をやろうと思うと、過去の記憶のフラッシュバックにより目眩が誘発される。気を抜いたら本当に倒れそうだ
葛藤の間も生徒会と武部さん、五十鈴さん達との口論は続いたが、平行線を辿っている。武部さんと五十鈴さんは恫喝に対しても毅然とした態度を崩さない
何故だ。何故彼女らは私というちっぽけな人間の為に自らの犠牲も顧みず、ティーガーに向かうII号戦車のような立ち位置なのにも関わらず、反論し続けることが出来るのか
それに私は全てを話したわけじゃない。やりたくないのは事実だが、その理由をしっかり伝えてはいない。
その隙間だらけの地盤を足がかりにして、何故ここまで抗える
そういえばここに戦車道があると聞いてしばらく、疑問に思っていることが一つあった。
彼女たちは何故こんなに楽しそうに戦車道が出来ると言えるのか、である
私が知っている戦車道はそんなものではない。少なくとも新しい道が見えるなんて言語道断の世界である
何かあるのか。ここには私の知らない戦車道が、楽しい戦車道があるのか?
しかしかすかに湧いた興味は濁流に飲み込まれる。血と硝煙への拒否が脳内を包む。
目の前に現れたのは、それまであった絨毯でも窓の外に広がる海でもなかった
川、どす黒く渦巻く、対岸があるかも分からぬ大河、それが私の行く手を阻む
私は前のめりになり、口を手で押さえながら少しバランスを崩した。
五十鈴さんと武部さんがすぐに傍から手を差し伸べ、身体を支えようとする
「ほら、みほだって戦車道をやるか考えたらこんなに具合悪そうじゃない!それでもやらせるって言うの!」
「そうですよ!やりたくない人をチームに加えても、チームの士気が悪化するだけで得なんてありません!」
2人は必死に私を擁護している。先ほどの昼飯が腹から登って来る。無理だ。私にはやはり戦車道は出来ない
この流れが、あまりに強すぎる
「ええぃ!そもそもなんでお前らが来るんだ!もともとうちら生徒会と西住の話だ!貴様らには関係ないだろう!」
「戦車道に関する要件なら私たちが居ても問題ないじゃないですか!」
「それにみほは私たちの友達よ!守る理由が必要なの!」
「そうです!友達ならその危機に手を差し伸べるのは自然なことです!なら河嶋さんは角谷会長や小山副会長が困った際、仕事の関係抜きで助けない、と仰るのですか!」
「馬鹿を言うな!西住が学園に来たのは一昨日だ!そんな急速に友情が出来るわけが」
「日数がなんだっていうの!そんなの関係ない!みほはやりたくないって言ってるの!だからやらせたくない!そのために手伝いたい!ただそれだけよ!」
友情
その言葉を聞いたのはいつぶりだろうか。
ああそうだ。私がずっと捨てるように言われ続けたものだ
……私は確かにここに来て彼女らに助けられた。話しかける者がいなければ、私はきっと周りの誰からも察知されず暮らすことになる。
それだけなら都合がいいかも知れないが、きっと今回の話から助けようとする者もいなかっただろう
友情、なんと優雅な響きか。しかもそれを向こうが与えたのに、さらにそれを基に私を助けようだと?
冗談だろう、何か裏があるのだろう、とは思えない。思おうとしても否定される。現にここで2人は私を庇っているのだから
ここには友情がある。
彼女らは友情を残しつつ、戦車道を行なっている。
これは明らかな証拠だ。
ここの戦車道は、私の知らない、夢のような現実。それはある
筏を得た
大河の流れも少し落ち着きを見せた。
川上では2人が土嚢をありったけ川に投げ込んでいるし、この筏も彼女らが作ったものだ
ここまで行為を受けて動かぬは我が身の恥。
時は今。胃の中から物的証拠が来る感触が治まっているうちに
私は飛び乗った。蜃気楼に思えていた向こう岸はこの目でしっかり捉えてある
濁流は舵の効かぬ筏を容赦なく襲う
砲声
戦車を穿つ音
呻き声
叫び声
血の匂い
焦げ臭さ
銃声
銃の反動
手に着く嫌な温み
痛み
身体の違和感
嫌悪感
その全てが私に戦車道をさせまいと妨害する
やめろよ
ヤメロヨ
ナンデイキテンダヨ
オマエダケガナンデ……
思い出したくもない顔が、目の前に現れてはその存在を頭に焼き付けようとしてくる
必要なのは、私の意志だ。それらに抗い向かおうとする意志だ
向こう岸から一本のロープが垂れている。
これを掴めば、2人は救われる。いや、私もだろう
どれくらい経っただろうか。私が渡ったのは黄河か揚子江かと迷ったほどであった。ついに、地面を踏む時が来た
足元にまとわりつこうとする濁流の最後の抵抗を払いのけ、私は両足で地面を踏んだ
地面を何度も踏みつけて、それが揺るぎないことを確認すると、私は口を開いた
「私、戦車道をやります!」
「ええっ!」
驚きの声とともに私の隣にいた2人が私の顔を覗き込む。
そのさらに向こうの角谷会長は、にこやかに何度もうなづいていた
「……言ったね?」
「はい。私はここ大洗で新たな戦車の道を見つけたいです」
「ほぅ……」
「本当にいいの、みほ?」
「構いません。むしろ私を庇ってくださったお二人への感謝もありますし、何より貴女がたがいる戦車道なら出来る気がするのです。
しかしその代わり私からの条件も呑んで頂きたいのですが、よろしいですか」
「そうだろうね。ウチらもタダじゃ西住ちゃんを手に入れられないとは思っていたし。
どうだい、この先の交渉はお互いピンでいこうじゃないか」
1人で、か。まぁ確かに2人に聞かれない話にもなるかもしれない
「な、なんでそんなことしなきゃいけないのよ!下手な話ふっかけたりするんじゃないでしょうね!」
「しないよ。こっちも小山とかーしま下げるからさ」
乗るしかないだろう
「分かりました。よろしくお願いします」
「みほ、いいの?」
「はい。私が戦車道をする事には変わりはありませんから」
私は出来るだけ良い笑顔を武部さんに見せたはずだ
「みほがそういうなら……」
「私たちは引きましょうか」
「会長、宜しいのですか?」
「いいよ。さぁ、小山とかーしまは2人を……面談室の奥にでも案内してあげて。お茶菓子とかもあげていいから」
「はぁ……」
4人は一つの塊となって部屋から抜け、私は会長の向こうの校旗と青い海を眺めつつ、話しかけられるのを待った
「もう行ったかな……」
足跡は遠くに消えた。隣の部屋にも現在人はいない。ただこの小柄な皇帝と脆弱な戦車乗りしかいない
「さて、ここからは本音の話し合いだ。
こっちも西住ちゃんの素性、来た事情とかについてはある程度把握している。その下で話して貰って構わないよ。それで、条件は?」
「……まずは大洗の戦車道は権力維持のためではない事、それを保証してください」
「つまり戦車道を軍備として暴動などの鎮圧に使うな、ってことね。いいよ、そんぐらい」
にこやかに干し芋を一枚とって食いちぎる
「……随分あっさりしてらっしゃいますね」
「そりゃね。暴動なんかが起きる事態になったら、それはウチら行政の責任だ。それを戦車道で埋め合わせしようなんてタチが悪い責任回避だよ。
ウチらは公立だから、ちゃんと憲法に基づいた自由は保証してるしね。
それにそんなことそもそも戦車道創設の目的にしてないし。余所への軍事侵攻とか海の上からじゃなんのメリットもないしね。飛行機もないし」
「なるほど……」
母校の奴らに聞かせてやりたいわ
「次に、今年の夏以降、いや今年大洗に入学した人間のデータを見せてください」
向こうが少し顔を歪ませる
「……そりゃキツイね。なんせ個人情報見せろってことでしょ?ウチらにもプライバシーを保護する責任があるからさ。
あ、でも入学者はこっちで一応調べているけど、それっぽい人間はいないよ。それで信じて貰えるかい?
身の安全は風紀委員会を通じて保障するよ。勿論日々の生活の邪魔にならないようにね」
ではクラスの人の名前を先生が教えてくれたのは何だったのか、と思ったが、何れにせよこれが妥協ライン、か。
風紀委員の実力は分からないが、仮にも元名門大洗の治安維持部隊。下手なものではあるまい
「……分かりました。あとは一度練習を外から見学させてください。以上です」
向こうは今度は呆けた顔をしている。ポーカーフェイスは苦手そうだ
「……それは勿論構わないけど、そんだけかい?もっと聞いてくるものかと思ったけど。例えば戦車道を創設した目的は何だとか」
「いえ、洋上の学園艦が戦車道を作ろうとしている時点で、何かしら危機的状況があることは想定できますから。それに今の話から、表には出せない目的があるのでしょう?」
またあからさまに顔が歪んだよ今
「……単なる町おこしの名目で進めてたんだけどね……学園艦の人間全てが君みたいに勘のいい人間じゃなくて助かってるよ。それじゃ、こっちからもある程度戦車道をやる上での要望を伝えておこうかな」
「……と仰いますと?」
戯けたフリをするが、ここまでして私を戦車道に加えたのだ。相応の願いがあっての事だとは検討がつく
「西住ちゃんにはウチらの参謀をやって欲しい」
「参謀、ですか?」
隊長とかふっかけられるかと思ったが、まだマシか
「そう。ウチらには戦車に詳しい人はいるけど、公式戦で実際に試合の指揮を取った人間はいないんだわ。
ここ以外で高校戦車道を経験した人間はいないってわけ」
そんな状況でも、やらざるを得ないわけか
「今は一応指揮について習っているかーしまがやってるけど、それでマジノと5対5で練習試合やってボロ負けしてるんだよね。それでウチの指揮のレベルや練度については分かると思うけど」
「それで私に参謀として作戦を立てて欲しい、と」
「話が早くて助かるよ。あとは練習も口出ししていいから」
「しかし参謀やるにせよ、まずはチームメイトとの関係が良くなければなりません。母校のように上下関係が固まってないのなら尚更です。時間はかかるかと思いますが?」
「それはそうか」
「それに練習は目標とするレベルが分からなければ如何ともしがたいです。私は仲間と仲良く出来る戦車道を求めて加わります。それが崩されない範囲内で、という形になりますが、目標は?」
「時間は大会に間に合ってくれれば構わないよ。目標は……」
みほがゆっくりと生徒会室を出て行くと河嶋と小山が入ってきた
「お話は終わりましたか?」
「いやぁ、すまんね」
会長は椅子にドサッと音を立てて座る
「どこまで話したんです?」
「かなり本質まで。あの子は嘘ついて誤魔化せる人間じゃないよ。今まで幾多の嘘を見破って勝ってきてるんだから」
「いいんですか、そこまで言っちゃって。普通の人ならまともな精神でいられませんし、なにより漏れたら不味いのでは?」
「大丈夫、西住ちゃんは7か月罵声に耐えた人だよ。とても強い精神力を持ってる。私はそう思う。それにもともとある程度は予想していたみたいだったしね。漏らす気もないでしょ。
かーしまもこれでよかったんだよね?」
「構いません。西住にとってもこれが良いでしょうし、私達は勝たなければならない。さもないと……」
河嶋は両手の拳を力強く握りしめた
~
Without friends no one would choose to live, though he had all other goods.
(他の如何なるものを手に入れていようと、友がいなければ人は生存を選ばない)
アリストテレス
~
今日はここまでです
日曜にまた
始めます
「自分と違う種族・価値観・生まれ育ち…未知のものと出会ったからこそ、得られるものがあります」
荒川弘『銀の匙』より
合流した武部さんと五十鈴さんは私と一緒に帰途についた。2人は両隣から不安げに私の顔を覗き込む
「みぽりん、本当によかったの?」
「はい。皆さんとなら前とは違った戦車道が楽しめそうですから」
「ならよろしいのですが」
「そういえばみぽりん、とは?」
武部さんが胸の前で手を叩く
「あ、そうだ。うちのチームにゆかりんて呼んでる子がいるの。だからその子にちなんでこれからみぽりんって読んでいい?」
「構いませんよ。あだ名なんてつけてもらったのなんて初めてだから嬉しいです」
その顔は作られたものではない。純粋な喜ばしさが顔から溢れていた、はずだ。少なくとも私は空にも飛べそうなほど心地よい
あだ名、か。私をあだ名で呼ぶ気が起こる人間はこれまで居なかったな
彼女らにそう呼ばれながら名字で呼び続けるのは、余りにも仰々し過ぎるかもしれないな
今度からは彼女らも下の名前で呼ぶようにしよう。能力も家柄も関係なく付き合える友である証に
「じゃーねー」
「ではまた明日」
2人と別れ私は家路を進む
歩くことしばらく、背後に何者かの存在を感じた。振り返ると電柱の影に誰かいるようだ。気にせず進もうとするとその者が次の電柱目指して走る音がする
何者だ?まさかもうそういうのが来ているのか?だとしたらなぜまだ向こうにいた時にやらなかったのか。そっちの方が都合が良かろうに、と不思議に思ったが、まずはその正体を確認せざるを得ないだろう
「あのっ!」
すかさず振り返りその者の顔を見た。えらく髪のもっさりした、偵察には向かなそうな女子である。
その女子も突然声をかけられたことを驚いているようだ。少々の沈黙が2人の間を流れる
「さ、流石伝説のSS12部隊のエース。索敵能力半端ないです!ご無事で何よりです!」
この者は違うな、と半ば確信していると、その女子がいきなり口を開く。そのまままくし立てられるように続ける
「あ、申し訳ないです。私は普通2科2年3組の秋山優花里と申します。本物の戦車乗りの方と出会えて誠に光栄であります」
せわしなくポーズを変え、目の色を変えながら続ける。何を言っているかよく分からないが、何者だろうか、こいつは
「前から黒森峰のファンで試合はいつも戦車マガジンでチェックしてました私も戦車大好きです。
一番好きな戦車はポリッシュ7TPですいえ決してウケ狙いではありません。西住殿はどの戦車がお好きですか?
……あ、西住殿と呼ばせていただいてよろしいでしょうか?私も是非西住殿のお仲間に加えてください!」
なるほど。早口過ぎて得られた情報は断片的だが、彼女は所謂軍オタ、と呼ばれる者の一人か。
諸君……こいつ今すぐ人目につかない路地裏にでも連れて行っていいだろうか。
死線を何度も彷徨った私にとって、軍オタという人種はそれを面白おかしく楽しんで見る人だ。人種差別はしたくはないが、それでも苛立ちは覚える。こいつもこのままなら、死線を彷徨わせてやろうか
「あの、秋山……さん?」
まずこの女の話を区切った。取り敢えず話を統合する時間をくれ。そして死にかけろ
「はい、マイフューラー!」
秋山とかいう女は右手を上に伸ばし、革靴のかかと同士を叩き音を出した。
かつて私がやっていた行為そのものだ
「戦車は人を殺すための道具です。私は止むを得ず乗っていましたけれども、ああいうものは早く世界から無くなってしまえばいい、と思っています。だから遊びてそういうのが好きな人とはお友達になれません」
率直に言ってこの畜生好きの女に寒気がした。そしてこれが私の本音だ。前に向き直りそのままこの女から離れる。話す価値も無い
少し歩くと、何者かが背後から私の腰に抱きついた。先ほどの女である
「も、申し訳ありません西住殿!私が生意気でした!仲間なんてとんでもない。家来です家来!西住殿の家来にしてください!忠犬優花里とお呼びください!」
どこからそう言う結論が生じたかは知らないが、少なくとも勘違いしているようだ。
自分が話す前に人の話を聞け、と数十回は言っておきたい
「だからなんでそうなるんですか」
その行動と発言に素直に突っ込む。すると秋山は急に現状を理解したのか、腰から離れてしおらしくなった
「えっと、秋山さん?」
「も、申し訳ありません西住殿!私小さい頃から顔見知りが激しくて、戦車の話になるとパニクってよく変なテンションになってしまうんです。本当にすみません」
秋山は顔を紅潮させ平謝りを繰り返さざるを得ないようだ。
テンションとかもはや超越していた気がしたが、まぁそれは構わない。大衆の面前で土下座し始めそうなので、一旦やめさせよう。
そういえば優花里、か……
「あ、いえ、私も顔見知りするのでそれはいいんですが、あなたが『ゆかりん』さん?」
「な、何故それを?」
ビンゴ。
まぁこれからの仲間なら入院させるわけにはいかんな
「た……沙織さんが言ってたのはあなただったんですか」
「武部殿をご存知で?」
「では戦車道で同じチームになる方ですね」
「こ、こちらこそよろしくお願い致します!憧れの西住殿と同じチームなんて光栄すぎてなんといったらいいか」
「私に、ですか?姉ではなくて?」
すでに揉みくちゃになっている頭をさらに揉みくちゃにしている女の好みがなんで私なのか、という純粋な疑問しか浮かばない。
私はそんな褒められるような人間ではないはずだが
「はい、元々戦車道マガジンなどでお見受けしていたのですが、特に去年12月の軟式大会決勝戦!」
私は固まる。それこそが自分のトラウマの一つである。これについて褒められたり、無論憧れを受けたことなぞない
それを讃えられたら、私にはどう反応したら良いか分からない
「あの時味方を思って川に落ちた仲間を助けに行くあの勇姿!
あれが中学、高校と戦車のせいでクラスから仲間はずれや嫌がらせされ、友人の出来なかっただけでなく、親も趣味を理解してくれなかった挙句にオフ会に手を出し、そこで同志と思っていた人にレイプされた私に、真の戦車道、戦車に乗る者のあるべき姿を見せてくれたんです!」
彼女の目は素直に人を尊敬する目だ。戦車のみを通じてではなく1人の人として西住みほを憧れの対象としている
それは戦車道の家元の子として美辞麗句を多用する大人を見続けてきた人には一目で分かった。でもそのことはその人を苦しめることでもあった
「秋山さん、私はそれが理由の一つとなり西住流を破門されているんです」
「えっ?……そうだったんですか!」
「7月の硬式大会が最終的な理由になっているのですが、やっぱりあの時やられたら負けであるフラッグ車の車長の役割を果たさなかったことは理由の大きな要素だったようです。西住流は勝利を重んじますから。
そしてそれが、私がここにいる理由です」
無情だろうか。いや、これが真実だ
「す、すみません。西住殿。そうとは知らず無神経なことを!」
「いえ、いいんです」
「で、ですが恐れながら、あの時仲間を救おうとしたこと、私は間違ってなんていないと思います!それが間違いというなら、それは人として誤った道です!」
膝を地面につけながら、胸の前で拳を作って熱く語る。
その目は、決してお世辞ではない
「……まさか私に憧れている人が、そしてあのことを褒める人がいるなんて思いもしなかったです。でも今までのことが少し報われた気もします。ありがとう、秋山さん」
空を向き一つ息を吐くと秋山さんに礼を言った。真の熱意があの時のトラウマに幾許かの光として差し込む
「破門されてようと私の西住殿への憧れは変わりません。不束者ですがよろしくお願いします!」
秋山さんは私に敬礼を返した。
それは右手を掲げるものではなかった。
うん、そちらの方が似合ってる。
次の日の朝、珍しく私にもは寝坊した。というのも昨日言われたことを実行出来るかどうか考えていてよく眠れなかったからだ。
それが出来たのも前みたいに寝坊した際に殴られることがない安心感ゆえなのだが
「遅刻遅刻!」
朝食も食べずに急いで学校に向かう。走って学校に向かっていると目の前に人影がある。
学校の生徒であるのは見ればわかるがそれにしては非常に覚束ない足取りをしている。まるで酔っ払いの千鳥足のようであり、いつ倒れるかもわからない感じだ。
無視することもできる。いや、普通はそうする。
しかし横を駆け抜けようにも前がゆらゆらと塞がれそうなのだ。
ぶつかったら手も付かずに倒れそうなのでそうそう下手なことは出来ない
「あの……大丈夫ですか?」
私はその人物に駆け寄ってそう言った
「ううっ、辛い」
「えっ?」
「朝が辛い」
どちらかというと眠そうだが、彼女はその場にへたり込んでしまった
「辛い……いっそ、このまま全てを投げ捨ててしまいたい。ああ……それが出来たら、どんなにいいか」
「なんの話ですか?」
「だが、行かねば。」
彼女はなんとか立ち上がり、再び歩き出そうとする。しかしフラフラしておりまともに歩けそうには思えない
「肩をお貸ししましょうか?」
彼女の傍らに寄り添うと肩を貸して体を支えた
「すまない」
そう言うと彼女は私が身体を持ち上げるのに合わせ、私に寄り掛かった
「私は、冷泉麻子」
眠そうにしながらなんとか名乗る。それを聞き名乗り返そうとする。その時
「あっ!」
肩が急に重くなったと思ったらこの冷泉さんは完全に眠りに落ちていた
「冷泉さん、冷泉さん!起きてください」
「ううん……ムニャ……」
ダメだこりゃ。起きる気配はない
仕方なくそのまま行こうかと思ったが、体重をかけられたためずり落ちないようにするのが精一杯だ。中々前に進めない
「このままでは遅刻する。……仕方ない。」私は冷泉さんを背負うと、すみませんと一言かけて、彼女の首に自分の荷物を掛け走り出した
校門の前では遅刻取り締まりのために風紀委員の人がいた
「遅いわよ。後もう少しで遅刻よ」
「すみません。この冷泉さんが行きで眠ってしまって」
風紀委員は背負われている冷泉さんの存在に驚きをみせた
「西住さん、今度から冷泉さんを見かけても、手を貸さないでいいから。この人遅刻の常習犯なのよ。
ほら、あんたもいい加減起きなさい!」
声をかけられても起きず、風紀委員の人にほおを軽く叩かれから、やっと冷泉さんはゆっくりと目を開けた
「……そど子」
「私は園みどり子よ。あんた彼女のお陰で連続遅刻記録が244日で止まったんだから感謝しなさい」
常習犯とは聞いたが、それは常習犯というレベルを超えた根本的な要因があるのでは?
「……すまない」
「いえ、私こそすみません。首の荷物とりますね」
注意深く冷泉さんの首から荷物を外す
「では」
別に殴られるわけではないが、気分的にも遅刻になってはたまらない、と走って校舎に向かおうとすると彼女が呼び止めた
「まだ君の名を聞いていなかった」
何故か、とも思ったが、とりあえず自分の名を言うとすぐに走りを再開した
次の戦車道の授業の日、私にとっては初めての授業の日、日が少しずつ西からさすようになる中そこに見えた光景は、この前の角谷会長の言った試合結果を納得させるものだった
「えっと、これで全戦力ですか?」
「そっ。まあ今度38tはヘッツァー改造キットが来るから改造する予定だけど、艦内探しまくったから戦車はこれ以上増えないよ。予算も無いし」
「……」
そこにいたのは
IV号戦車D型
III号突撃砲F型
M3中戦車Lee
38t戦車
89式中戦車
ポルシェティーガー
B1bis戦車
三式戦車
マークIV
それと36人のこれから一緒に戦車道やる仲間達だった。それぞれ車輌にマークがあり、それが各チーム名を表している
「マジノの時の5輌は?」
「IV号、III突、M3、38t、89式。残りの4輌はその後見つかったからね」
使い物になるのはポルシェティーガーの56口径88ミリkwk36とIV号の48口径75ミリkwk40、III突の48口径75ミリStuk40、後は数合わせだ。いくらヘッツァーが来ても相当うまく運用しないと厳しい……
おまけに第二次世界大戦に運用されてないない戦車もある。開発設計やエンジン出力、砲や装甲も考慮すると相手戦車の撃破はおろか偵察にさえ使えるか分からない。
簡単に言えば戦車同士が戦うことを前提に設計されていないのだ。
車輌だけ見ると、会長が提示した目標はそれが大それていると言えるレベルだ。
顎に指をかけ考える私の肩を会長がつかむ
「まーまー西住ちゃん。軟式なんだからそんな深刻に考えずに、これスポーツだから、スポーツ」
「あ、そうですよね。つい硬式の方で考えちゃって」
「それでは今日の練習内容を発表する。今日は行進間射撃の訓練だ。的は近いが流鏑馬のような感じで各チームやってもらうから真面目にやれ、いいか!」
河嶋さんが場を仕切る。
「はい!」
そして全員自分の戦車に散っていった。私は初めに決めた通り、少し離れた場所から教練を見学した。
今回の行進間射撃の教練は3周行う。その様子は黒森峰で厳しい教練を受けた者として見れるものではなかった
速度は整地にも関わらず15km/hほど、装填に7秒かかり、それでさえ5枚の板のうち当たったのは3枚。黒森峰ならその場で試合の観戦にさえ行かせて貰えないだろう。
それが主力の一角であり、他のチームも2、3枚、下手したら1枚しか当たらないという状態だ
前言撤回させてもらおう。大それていると言うことすら大それている。同時に戦争なんぞに使えない証拠でもあるのだが
隊長をやっている河嶋さんの練習内容は悪くないし、統制もある程度取れている。
しかし選手のレベルに合ってない。
簡単に言えば蹴伸びさえまともに出来ない人間にバタフライを教えてるとか、アンダーサーブも打てない人間にスパイクの指導をしているようなものだ
話によると練習内容は自衛官の人に尋ねた通りにやっているらしい。
まぁその自衛官がまともであるといいが、練習方法は一般的なものなので、恐らく実際の練習風景を見ているわけではないのが理由だろう
救いは私の予感が当たっていたことくらいだろうか。休憩中の会話は盛んであるし、車輌ごとのチームワークは総じて良い。帰り道はチーム混じって帰ることもあるようだ。
軟式のみを知る者たちの、和気藹々とした戦車道、悪くない、むしろ良いが、目標を達成するには厳しいバックグラウンドだ
私は練習後会長さんのところに赴き、河嶋さんとともに戦車道に参加する旨と練習内容に関する提言を一緒に干し芋をつまみながらした
私はい……華さんや沙織さんとの仲を考慮され、IV号戦車、あんこうチームに割り当てられることになった。なんと先日会った冷泉さんも同じ車輌だそうだ。遅刻の見逃しと引き換えらしい
走行中に寝たら蹴り起こそう。うん、そうしよう。居眠り運転ダメ、ゼッタイ
2回目から私の指示を基にした練習が行われることになった。基礎中の基礎練からの一般的なものだ。
しかし簡単に自己紹介した上でそのことを河嶋さんから皆に告げられると、不満げな顔をするものもいた
「急に基礎練習のみにするって?現状練習出来てるのになんで変えなきゃいけないんですか?
それに今まで大洗の戦車道は桃さんが仕切ってたじゃないですか。どうして急にこんな何処の馬の骨か分からない奴が組んだ練習なんてしなくちゃいけないんです?」
「ま、馬の骨なんて見たことないけどね」
「し、しかしだな、この西住は……」
河嶋さんの視線が不安げにこちらを向く。
私は自分の扱いは向こうに任せてある
「……戦車道の有名どころから来た者だ。私よりも戦車道にはずっと詳しい。西住を迎えることで、冬の大会に向けて相手と互角に戦える力をつけるんだ。
マジノとの練習試合の時、私たちはまともに張り合うことさえできなかった。私は……隊長として無様な負けだけは見たくない。その為だ。
無論これまでの練習方針は維持するし、練習内容は私も合意した上で決定するから、異様に厳しくなるとかそういうことはない。だから安心して練習に臨んでほしい」
見るからに不満げだが、一応は納得してくれたようだ。彼らにとっては私という異物の介入によりこれまでの流れが断ち切られることが恐るべきことなのだろう
私もこの空気を壊したいと思うほど空気の読めぬ場違いな者ではありたくない
その日は私もIV号戦車に乗り込み、装填手として練習に参加した。カイルでの行軍や的への停止射撃などの基礎練習のみで終わらせたが、それさえも次に進むための最低限の完成度を満たせていない。
流石に厳しいことは言えないから、地道にアドバイスしていこうか
ここまでですな
乙でしたー
>>81
ありがとナス!まだ1章なのにこのスレ数とは、このまま1000スレまでで終わるのかこれもうわかんねぇな
始めます
~
「日本の学園都市はポリスである。学園艦を経由したシュノイキスモスと、政府の決定という地理的分断によって形成されたポリスである」
山鹿涼『日本の学園都市』より
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その後の数回の教練で他のチームの履修者も私のことをある程度受け入れ始めてくれたようだ
砲撃、運転、構造上の注意などについて聞かれたら、出来るだけ分かりやすく、まあたまに沙織さんの言い換えを必要とする時はあったけど、アドバイスするようにした。
私の専門はドイツ戦車なわけだが、他の車輌は優花里さんの手助けも受けつつ説明していった
5ヶ月間の練習は決して無駄だったようではなく、チームの人々もそれらを受け入れる素地は出来ており、能力の伸びは見たことがないほどであった。
恐らく石のような優秀な人材は揃っていた母校に比して、ここに揃っているのはスポンジのような素人ばかりだからだろう
その日から暫くして、私は彼女らが必要とする水準に達したと判断して、彼女らが初日に見せた練習、流鏑馬の戦車版を練習させることにした。
初めは装填手だった私だが、車長の優花里さんが私を下に抑えるのは申し訳ない、と役目の変更を申し出て、それを私は受けて車長の席に着いている
無線を付けて速度を25km/hに上げさせ、装填を早めさせる
「優花里さん、装填はなるべく早目を心がけてください」
「分かりました!」
次の的の時は5秒になっていた。外した
「華さん、3度左!優花里さん、4秒以内に装填!」
「ハイ!ただ今」
優花里さんの顔に焦りが浮かぶ。そりゃそうだ。彼女の今の体力でこのスピードは困難なはず。優花里さんはその周でなんとか4秒で装填できるようになった
結局この周で当たったのは1枚、河嶋さんが他の車輌も速度を上げるよう指示したため当たる枚数は少なくなり、1枚も当たらない車輌も出た。3周目は当てることも重視しよう、と話し合った。まだ早かったかもしれない
3周目は華さんが1枚目の板を命中させた
「麻子さん、スピード落ちてる!もっと上げて!」
次の板は装填が間に合わず当てられない。
「優花里さん遅い!3秒!」
「ハ……ハイ!」
優花里さんの目に涙がうかぶ。疲れから装填に5秒以上かかってしまった。私からの蹴りが優花里さんの左側頭部に食らわされる。
うん、これは信賞必罰だから。それにあの時軍事オタらしくベラベラ話されたこと、少しは返しても良かろう
正直あれはイラッときた
「サー、イェッサー?」
その時他の3人は冷や汗を流しつつ自分の分まで優花里さんが怒られているのだから、自分達はその分真面目に練習しなければと強く思ったようだ。飴と鞭は大事。
それに文句を言われなくなってきただけ、私もこの雰囲気の中に溶け込めてきているのだろうか。それとも雰囲気そのものが変わってきているのだろうか
……他の人はその時の優花里さんの光悦した表情に気づくことはな……さそうだね……
こいつマジモンのマゾなんじゃなかろうか。
決して私がサドなわけじゃないぞ!
部屋のクマの人形も自作じゃないから!
ちゃんと市販品だから!
逆に私もたまたま忘れ物を取りに行った際に、グラウンドで数チームが居残りで練習する様子を見た。必死に人工の丘陵を登り、稜線射撃になるよう角度を必死に整えている
彼らは目標を知らない。されどどんなチームが敵であろうと対等に試合をすることに向けて皆が本気であることを感じ、彼らの期待に応えなければいけない、と感じた
大会以外では負けてしまってもいい。そこから何か学べるものがあるならば。
紅白戦なども織り交ぜるなかで、その思いは私の傷を覆い始めていた。
だって素晴らしいじゃないか、負けても傷すら負わないのだから
練習が終わったある日の夕方、そこそここの面子での車輌の運用にも慣れてきた頃の帰り道で、沙織さんが一緒に夕食を食べないか、と言ってきた。
無論皆用事も特になかった為、優花里さんが一度家に確認を取って来ると話した以外、皆即決した。問題は場所である
一つの案は外食。まぁ学園都市にも学生向けの店舗は多いので有りである。私もそうなる可能性が高いだろうと思ったし、博打になるなら賭けるのはこいつだ。練習で疲れてるから、というのが最大の理由だ
他にも、とはいってもこれくらいしかないだろうが、小規模ホームパーティという案もある。だがまず誰の家か、準備してないのに食材はどうするのか、何も決まってない
しかし提案した人間が沙織さんだった、というのが私の賭け金を吹き飛ばした。一銭も失ってはないけど。
彼女が作るなら、ということで私以外話が決まってしまっていたのである。そしてその結果が、今私が部屋を必死に片付けている最大の理由だ
「……うーん、まだ汚い気がするなぁ」
掃除機はかけた。ベッドの布団の端は整えた。台所の洗い物も全て片付けた。玄関も整理した。スリッパは人数分無かった。ボコの人形は全部定位置にいる。
時間も近い。人を呼ぶなんて経験はほとんどない為、どこまでが許されるのかも分からないが、仕方ないけれどもここが妥協出来るラインかな。数人で階段を上る音が聞こえ始めてきたし
料理を作ることになり、必要な材料は沙織さんが調達してきてくれた。ジャガイモやニンジン、レタス、ミニトマト、牛肉などである。これだけである程度候補は絞れた
問題は誰が作るか、である。
まず麻子さんは既に床の上で眠りかけているのでなし。
続いて華さんは名家の娘さん故料理の経験が少なく、ジャガイモを切ろうとしたら包丁で指を切ってしまったのでなし。一応指は即座に消毒し、絆創膏を貼った。こういうのは場所によっては命取りだからな。
その対応をじっと輝かしい視線で見つめていた優花里さんは、実家住まいのため家庭料理を一人で作る技量はないとのこと、なお軍隊料理法なら使えるらしい。いや、飯盒とかあっても意味ないから……
残るは私と沙織さんだが、料理なら天才的技量を持つらしい沙織さんが主導することになった。メインは肉じゃがだ
私はその間ご飯を炊き、優花里さんがレタスをちぎってボウルに入れて、その上にミニトマトを半分に切って載せる単純なサラダを拵える。ドレッシングは家にあった和風のものを使った。ボウルは手頃なものが見つからなかったので料理用の金属ボウルを使おうとしたところ、沙織さんに軽くキレられたため、皿2つ分に分けた
華さんはその間に花瓶に花を生けていた。私には下手にそんな命を摘み取る趣味は無いのだが、彼女の手捌きと作り上げられた作品からは、使われた命の尊さをも包含する優美さが感じられた
「じゃ、食べよっか!」
「はいっ!」
炊飯器が軽快な音を鳴らしてしばらく、私たちは麻子さんを何とか起こし、卓を囲んで手を合わせた
「いただきまーす!」
美味い。私も最近自分で料理をするようになったが、焦がしたりするのが日常だ。そもそも肉じゃがに手を出したことはない。
それに比べてなんだ!この肉じゃがは。料亭のつけ添えで出て来ても問題ないぞ。思わず一口入れて暫く固まってしまったじゃないか。気づいたら周りが全員見つめてて赤面したぞ、全く
だがその後に出て来た男にモテるためには肉じゃが、の超理論は分からん。いやそうとも限らんやろ。
私の知ってる男の中でマトモな人間は、父親ぐらいだ。女子校にいたこともありよく知らないという部分はあるが、その僅かに知っている男は大概がマトモな人間ではない。私の記憶が薄れている人間は分からないが
しかしまぁ食事となると、それを肴にするにせよしないにせよ、話に花が咲く。学校での先生についての話、授業の話、最近のテレビ番組の話、果ては戦車道の仲間についての話まで。
例えばウサギさんチームは練習試合で車輌放棄して逃げ出して、河嶋先輩にキレられた話だ。まぁそれは私もキレる。というより軟式だからこそ出来ることだ。硬式なら機関銃の丁度いい的だな
あとはカバさんチームは歴女の集まりで、それぞれ得意な時代があるとか。格好見ればある程度分かる。優花里さんとは特にエルヴィンさんと軍事史についてもある程度話しが合うそうだ
そんな中で一つの話題が飛び出した
『私の前の学校はどんな所なのか』である。
答えなくてはならないのは勿論として、これにはどのように答えるか、が重大な問題になる。
言えないことさえザラにあるのだ。何を言おうか、少し迷いかけた。優花里さんはじっと顔を見てくる。彼女にとって私の母校には夢でも詰まっているのだろうか
「……私の前の学校は黒森峰、ってところでして……」
「黒森峰ですか。名前は聞いたことありますね。確か熊本の学園都市だったかとれ
関東の人間にとってはその程度、か
「はい。黒森峰女学園は熊本県中部にある学園都市であります。その名の通り女子校でありますね」
ま、優花里さんが話すみたいだし、下手なことを言ったら封じる程度で良いだろう
「みぽりんがいたってことは、戦車道が強い所なの?」
「その通りです。高校戦車道全国大会で9連覇を達成したこともある強豪中の強豪です!使用している車輌もティーガーII、ヤークトティーガー、エレファントなどといった重戦車揃いで侮れません」
「強いな。何だ、財政的なバックアップでも有るのか?」
「まず戦車道の流派として最大規模を誇る西住流が提携を結んでいるのが大きいですね。あとは黒森峰女学園が西日本でも1位2位を争う有力校であるのもあります。勉強のレベルも非常に高いと聞いてます。その分学費も高めに設定出来ますから、戦車道を支える一つの要因かと思われますな」
「西住、ってことは、みぽりんが破門された、というのはその西住流ってこと?」
「まぁ、そうなりますね」
「でもさ、そんな所と試合するかもしれないんでしょ?勝てるの?」
「……現状だと、非常に厳しいでありましょうね」
「ですが試合になったら、やれる事をやりましょう。そもそもその黒森峰と試合をするかも分かりませんし、まずは目の前の練習に注力しましょう!」
「そうだね、そういえばさ……」
そこで話題が変わった。そしてその先黒森峰の6文字が会話に現れることはなかった
そう、これでいいのだ。この場は肉じゃがが美味ければそれで構わないのだ。
彼女らが西住流なんて、黒森峰なんて知る必要はない。コンビニが提携している1種類しかない寂しい所のことなんて
結構長引いた。話すことが山ほどあった。そして洗い物をするところまで皆が手伝ってくれた。
寮の出口まで送った後、彼女らが全て角を曲がって姿を失うと、私は顎を持ち上げて、月とシリウス以外も燦々と輝く夜空を見上げた。見る先には一点の曇りもない
私が戦車道に加わって一月後、その日の教練が終わると全員整列し、正面に立った河嶋さんが口を開く
「皆今日の教練もご苦労だった。早速だが今週末練習試合を行うことになった。場所は大洗、相手は聖グロリアーナ女学院だ」
聖グロリアーナ女学院、その名に対し驚きを隠せない。それは隣の優花里さんも同様なようだ
「聖グロリアーナってそんな戦車道強いの?」
沙織さんが私に小声で聞いてくる
「聖グロリアーナは戦車道では過去に優勝経験があり、一昨年の全国大会で準優勝してます。毎大会ベスト4には入る強豪校です」
優花里さんが私が答える前に答えてしまった。内容は一切間違ってないからいいか
「いやーダメ元でやったら受け入れてくれたんだよね。ということでみんな用意しっかりねー」
会長さんが干し芋を食べながら言う。
ほんとこの人干し芋好きだな。確かに美味しいとは思うけど、すっごく喉乾くんだよな
それにダメ元じゃないだろ、多分。そんな強豪校にして有力校が何の目的もなくこの、言ってしまったら悪いが弱小の学園都市との練習試合なんて受けるはずがない
「明後日の放課後に各車長と我々で作戦会議を行う。遅れず来るように。今日はこれにて解散!」
「お疲れ様でした!」
総員の礼は試合への気合いを入れるものだった。
まぁそのことは置いておこう。彼らの今までの努力と手に入れた知識、経験は決して無駄にはしない
私の大洗での初陣が今始まろうとしていた
今日はここまでです。月から第2章になります
始めます
第2章 練習試合、やります!
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「リーダーシップ」とは、人々を共通の目的のために団結させる能力であり、人々に確信をもらたらす資質である。
バーナード=モントゴメリー
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2日後の放課後、生徒会室。そこのホワイトボードには河嶋さんが用意した試合会場の地図と黒い線の書かれた紙。
机の上には車長の数と会長さんと小山さんの分の地図が用意されていた
「まず試合会場は前回も言ったが大洗で、その南西部の高台と隣接する市街地の一部だ。今までの彼らの戦いを見るにチャーチル、マチルダIIと言った歩兵戦車を中心に、輌数の関係からクルセイダー巡航戦車を投入すると思われる。
チャーチル、マチルダIIの装甲は厚い。我々の一番強いポルシェティーガー以外の戦車なら100m以内でなければ抜けないと思え。
しかも相手にはちょこまかと動くクルセイダー巡航戦車がいる。整地で60km/h出せるこいつの機動力に勝てる戦車は我々にはいない。遭遇戦になる上、舗装路が多いから市街戦は避けるべきだ」
前情報は結構正確だな
「そこでその地図上に丸をつけたところを見てくれ。
東西に通る道の途中にあるそこの高台に待機し、1台が敵を手前のキルゾーンに引きつける。ここなら仰角から考えて敵は道中からこちらを狙うのは厳しい。
つまり擬似的な稜線射撃を生み出した上で、そこの手前の道で1列になった敵の部隊を倒して数的優位に立つ!
特にマチルダやチャーチルを撃破出来れば、クルセイダーはこちらの装甲と大差ない。こっちにも勝ち目がある!」
河嶋さんがその右手をボードに叩きつける
「おぉー!」
どよめきの中で皆はこの作戦の成功を思い浮かべ、楽観的になっていた。ただ1人を除いて。
私は顎に手をかけ、頭で駒を動かしていた。悪くはない。彼女が今年から始めたばかりなのを考慮すれば、戦術の基本は抑えている。
敵戦力が縦に細長くなる場所で、その先頭を戦力を集中させて順々に撃破する。各個撃破の典型だ。
イメージ的には陸上の地形を利用した丁字戦法、といったところか
だが典型的過ぎる。この地形を見たら、戦術の基礎に触れたものならばそれを考慮に入れるだろう。みすみすこれに掛かるものが隊長ならば、そのチームが大会で上位に進出することはあるまい。
そしてこの作戦は取り逃がすと両翼包囲を受ける上、後ろの道の形状からして早期脱出が困難になる諸刃の剣である。そして生憎、現状の能力ではその刃はこちらを傷付ける可能性が高い
要するに相手が如何様に行動するか、そして敵が直線状に並ぶ短時間で実際に撃破可能な能力を我々が持っているのか、それらが十分に計算されていない。
少し顔が曇る。それを気付かれたようだ
「どうしたの西住ちゃん。なんかあったら言ってよ」
それを見て会長さんが身を乗り出して聞いてきた
「いえ……」
「言っちゃって良いんだよ。参謀として来てもらってんだから」
にやけた顔で会長がさらに顔を近づけてくるる。確かにこのことを言わなくて利点はない。皆も真面目にやっているのだから私もちゃんと言うべきことは言わねば。
河嶋さんの方に顔を向ける
「あの、確かに待ち伏せ作戦は良いかと思います。
しかし相手の装甲と今の我々の砲撃の腕ではキルゾーン内で全車両仕留められるか微妙です。もし突破されたら、地形的に我々は両翼から挟み撃ちを食らうことになります」
なるほど、あぁー、といった声とともに頷く者などが出る
「五月蝿い!黙れ!これ以上の作戦があるというのか!
そもそも車輌数が同じといえども、乗員や車輌の質的には大きな差があるんだぞ!地理的優位を優先的に確保するのは当然だろう!
なんなら貴様が作戦考えろ!」
ただ一人そうではなかった河嶋さんが反論する。いや反論ではない、単に激昂しているだけだ。
この人練習でもキレる時あったけど、まさかこれでキレるとは思わなかった。
いや、その『地理的優位』が本当の優位とはなり得ないだろうから言っているのだが
だが強く言われると萎縮して言い返せなくなってしまうのは、私の悪い癖だとつくづく思う。それに私もまだより確実性のある他の策を思い付けていない
「まあまあ。西住ちゃんの言うことも最もじゃないか」
会長さんが私の側に着きつつ、河嶋さんをなだめてくれる
「それと、」
その中でナカジマさんが手を挙げた
「この待ち伏せの場所の背後に道があるじゃないですか。そこから敵が来た時の対策はどうなっていますか?」
「よくぞ聞いてくれた!」
間髪入れずに自信ありげに、河嶋さんの右手の指先がナカジマさんの方を向く
「これが今回の待ち伏せ場所での戦車の配置だ」
もう一枚の紙がホワイトボードに張り出された。それは待ち伏せ予定地の場所の地図を拡大したものである。
崖に挟まれた東西に渡る道の途中に、例の高台がある。その高台のところに、縦に戦車を表すと思われる記号が9つ並ぶ
「北からIII突、3式、B1bis、M3、マークIV38t、ポルシェティーガー、89式。IV号が囮だ。そして場所はキルゾーンの方を前に弓形の布陣をとる。重要なのはM3とB1bis」
「えっ?」
「うちらなの?」
澤さんと園さんが目線を鋭くする
「その2車輌は砲塔の回転で前後ともに攻撃が出来る。万が一挟み撃ちをされても前後両側を攻撃出来るこの2輌を中央に置くからその2輌は東から来た戦車の撃破もしくは足止めを頼む。
こちらの道は2輌も通れない狭い道、1輌封じれば道は塞げる。その時III突は砲塔を向けるのに時間がかかるから下に行ってもう一方の側面を叩く!」
またどよめきが起きた。皆を再び楽観的な空気が包む。
ここに陣を取るならばこの布陣には同意する。しかしその空気に私の挙げた問題点はかき消されてしまった。
しかもB1bisの人員では両方からの攻撃に耐えるには足りないと思われたが……そのまま作戦会議は終わってしまった
週末、大洗の港に接岸した学園艦から9輌の戦車を載せた輸送艦が出航した。
大洗女子学園は今では数少ない学園艦のひとつだ。だが事情により大洗の港には接岸出来ない。向こうもまた輸送艦に戦車を載せて学園都市から大洗港に乗り付けている
こちらはその後専用車両で試合会場へ向かう。試合会場周辺は封鎖され、近くの広場には久々の地元での試合に合わせ、多くの出店と住民が観戦に来ていた。祭である。
この住民たちも試合会場になったため家にいられなくなりこっちに来ている場合あるため、一様に喜ばしい姿だと断言することは出来ない
試合開始場所には大洗の戦車9輌、聖グロリアーナの戦車はチャーチル歩兵戦車1輌、マチルダII歩兵戦車4輌、クルセイダー巡航戦車4輌、そして華美な服装をした者たちがその背後で一列に並んで曲を演奏している
♪平和日本の始め 命を受け
♪蒼海の中より興る
♪相模の友ぞグロリアーナ
♪伝統ぞ証 成長の証ぞ
♪我らの先人は 歌い合えり
♪統べよグロリアーナを 海原を鎮めよ
♪グロリアーナは崇高であれ
それが彼女らの所属する学院の歌であることは、聞けばすぐにわかる。
私は隣にいた会長さんを肘で突いた
「ちょっとちょっと、会長さん?」
小声で耳元に口を寄せる
「どったの?西住ちゃん?」
「いやいやいや、何でです?彼女ら、グロリアーナの学院長親衛隊の軍楽隊ですよ?何でこんな練習試合の応援に読んできてんですか?」
「私が呼んだんじゃないよ?向こうが勝手に連れてきた。まぁ私も試合の盛り上げ役として丁度いいからOK出したんだけどね」
「いやしかしですね、私は外交は門外漢ですけど……」
「門外漢なら、専門に任せてくれないか?」
一枚干し芋を齧りながら、会長さんはこちらに視線を向けた。じっと、私の動きを封じる風を呼び寄せる。
なるほど、彼女は分かっていてやっているのだろう。それがどういう道かは知らないが
チャーチル歩兵戦車のキューポラから紅い服に身を包んだ少女が現れた。身軽に戦車から降りると一歩前に進み出る。こちらは河嶋さんがこれを迎える
「この度は急な申し出に関わらず受け入れてくださったこと、誠に感謝する。ダージリン殿」
河嶋さんが頭を下げる
「構いませんことよ。我々は黒森峰やプラウダなどの行う野蛮な戦いには身を染めませんの。それに出場しないならば、互いに騎士道精神に則り正々堂々と試合を行いましょう」
ダージリンさんは少々微笑み、身をあげて河嶋さんと握手を交わす。両校の生徒は一列に整列する
「只今より聖グロリアーナ女学院対大洗女子学園の試合を始める。一同、礼!」
「よろしくお願いします」
審判の透き通る声と皆の挨拶がよく広がる
「それでは20分後に開始となります。各校、準備を!」
両校の生徒は各車輌に去った。
向こうから聞こえる校歌の続きを口ずさんでいたら、沙織さんから不思議がられた
審判の笛の合図とともに両校の戦車が発進する
「今回の作戦を確認する。今回はあんこうチームが囮となり、我々が待機する523地点まで誘き寄せる。
それ以外は移動後北から予定通り並んで待機。車長は場所を操縦手と連絡しながら移動するように!」
我々が囮だ。せめてここで何とかするしかないか
「確かに相手は強豪、我々なぞ取るに足らぬ相手かもしれん。だが我々だって練習して自分たちの技を磨き上げてきた。
それを今こそ示す時だ!
絶対勝つぞ、いいか!」
「はい!」
河嶋さんから作戦の確認と檄が飛ぶ。指揮は旺盛。こちらにとっては数少ない良い材料だ。車輌はIV号を除いて途中で右折し、待ち伏せの場所に向かう。
私はキューポラから身を出した。正直気分は乗り切れない。斜め上に長く息を吐き出す
IV号は直進し、平原を見下ろす場所に陣取った
「私が偵察に向かいます。皆さんはそこで待機してください」
「西住殿、私も行きます」
優花里とともに車外に出て、平原が隅まで見える場所で身を伏せた。
視界の右側から砂埃とともに陣形を組んだイギリス戦車の群れが現れたのは、それから間も無くであった
「敵5輌前進中。チャーチルとマチルダII」
双眼鏡を確認した。色も皆違うから分かりやすい
「距離1040メートル」
「へっ?」
いきなり距離を算出した私に優花里さんは驚くいたようだ。
なぜなら私の持っていた双眼鏡は優花里さんが持っているようなメモリ付きのものではない、ただの曇りのないレンズだったらだ。
優花里さんは自分のもので測ったようだが、すぐに1040メートルだと算出した
私は嫌いだが流石は軍事オタクという人種に区分けされるだけはある。戦車の大きさは頭の中に書き込まれているようだ。
言っておくが彼女自身を嫌うわけではない。その一面以外が素晴らしいことは私自身よく知っている
「すごい!どうして分かったんですか?」
「この双眼鏡使い慣れてるし、見た目の大きさと実際の大きさを比べたらわかります」
あっさり言ってしまったが、これは当然なものではないのだ。彼女の唖然とした口と憧れが込められた目が組み合わさった表情がそれの証明だ
「それにしてもすごい行軍ですね」
「はい。あれだけスピードを合わせて走れるなんて素晴らしいです」
「我々の戦力だとポルシェティーガーしか正面装甲は抜けませんが」
「それは戦術と腕かな?」
微笑んだ顔を優花里さんに向け、沙織さんに合図した。あ、カッコつけすぎた……
「こちらあんこう。敵発見、これから引きつけます」
河嶋さんが答えたことを沙織さんがハンドサインで示す。私は一つ咳払いをしてから、キューポラの中に身を投じた
「麻子さん、敵に気付かれないようにゆっくりエンジンかけて。優花里さん。AP(徹甲弾)装填」
「はい!」
短いリズムで低音を刻むエンジン音が響き、IV号が少し前進する
「華さん、狙ってください。距離は980です」
砲塔が少し回り、砲声とその後に砲弾がマチルダIIから1メートルほど離れた所に着弾した音が、視覚より少し遅れて流れてきた。
上がった土煙を眺め華さんが振り返る。
「すみません、みほさん。外してしまいました」
「いえ、いいんです。撃破が目的ではありませんから」
あの練度で最初からあの近距離に寄せるとは、やはり華さんには静止射撃の才能がある。黒森峰のあの人よりは上かもしれないな
ふとあの顔をが頭をよぎる。生きる為に能力的に排除しようとした彼女の顔が。
やめろ、この試合くらいはやめてくれ
「西住殿、大丈夫ですか?」
優花里さんの声で幻影はとりあえず消えた。
気を取り直して深呼吸。
敵は5車輌陣形を歪ませることなく旋回し、こちらに向かって来ていた
「では敵をポイントまで引き寄せます。麻子さん、できるだけジグザグに走って敵を撹乱してください」
「分かった」
敵の第一射が近くの岩に命中する時、撤退命令を下す
ダージリンは着弾後、装填手オレンジペコの淹れた紅茶を飲み切った
「あそこからですか。
アッサムさん、あなたの言っていた羊達は少しは走り回るようですわよ」
砲手のアッサムが照準を冷静に合わせながら答える
「それでも羊には変わりありません」
「全車追撃」
指示を下すと、それに対する返事かのごとく通信手が他の車輌との無線を繋いだ
「こちらローズヒップ。敵8輌を523地点で発見しましたわ。
どうなさいます?ダージリン様のおっ紅茶の冷める前に勝負を決めてしまってもいいのでは?その為の準備は整っておりますの」
ダージリンは不敵な笑いを浮かべる
「紅茶はポットに蓋をして蒸らしてから楽しむものよ、ローズヒップ。そちら4輌は待機。次の指示を待ちなさい」
5輌はIV号への追撃を開始した
「やはり凡庸なる羊のようですね」
「全く」
5対1の競争は熾烈になっていた。次々火を噴く砲塔。それらを私の指示のもと麻子さんは見事に車輌を左右に揺らし、回避していた。
この技術は黒森峰の親衛隊に居ても遜色ないレベルだ。おまけに操縦方法をマニュアル読んだら覚えていた、と聞いた時は私でも唖然とした
そんな人間がゴロゴロいたら世の中楽だろうに。いや逆にその中でさらに凄い奴が出てくるんだろうな
「みぽりん、中に入って」
沙織さんが頭の上の蓋を僅かに開けて呼びかけてくる
「こちらの方が敵の様子が見やすいので。
軟式だから当たってどうこうなるものでもないですし」
「そうじゃなくて、万が一みぽりんに何かあったら……」
ほおを緩めた。自分より友である私を心配してくれる人がいることが嬉しかった。
まぁこれを全く無視するのは後味悪そうだ
「ならばお言葉に甘えて。あ、麻子さんすぐ左に!」
10センチほど身を屈めた。そしてすぐ右にマチルダIIの砲弾が着弾した
「こちらあんこう、あと4分でそちらに到着します」
「了解。こちら異常なし」
「クルセイダーが見当たりません。警戒を続けてください」
「分かった」
「……下手を承知で申し上げますが、もう1輌、例えば89式とかを偵察出しませんか?クルセイダーの動向が一向に分からないのは厳しいものがあるかと」
「いや、下手な分散は各個撃破の的になる。ここで火力を集中せねば、撃破出来るものも出来なくなる。
そちらの5輌が集団で行動しているところを見ると、クルセイダー4輌も集中運用している可能性が高い。1輌だけ繰り出しても見つかったら終いだ。特に89式ではな。
今回IV号を偵察に出したのも、一定の機動力といざという時にはそれらを相打ち出来るだけの火力を見込んだからだ。それに匹敵する車輌はここにはない。
それに最も近い三式では相打ちまで持ち込める練度はない。これから離脱させる時間もない。よって却下だ」
「……はい。準備を宜しくお願いします」
一方ダージリンも同時に無線を使った
「あと4分でそちらに到着しますわ。用意しておいてくださいね」
「おっまかせですわ。葉っぱのダンスは終わってしまいましたし、蒸らしすぎてミルクティーにぴったりになっておりますの。底までしっかりかき混ぜて差し上げますわ」
「素晴らしいわね。さあ、羊は足の速い牧羊犬を使ってまとめますわ。ペコ」
「了解です。AP装填完了」
「It's game time.」
ダージリンは右手を前に差し出した
「さぁ、戦車道を楽しみましょう」
今日はここまでです
また木曜日もよろしくお願いします
始めます
あと3分でポイントに着こうとするときに入った無線に驚愕した
「クルセイダー4輌が背後から急襲。キルゾーンを突破された」
こちらはもうポイントまでの一本道に入った所。背後から敵が追ってくる中引き返すのは不可能。つまりクルセイダー急襲で混乱しているまさにそこに、チャーチルとマチルダIIが乗りこんで来るのである。しかも挟み撃ち
「取り敢えず私達が撃破されないように後退!」
最早絶対絶命、私の考えた最悪のシナリオが実行されていた
こちらは523地点。敵が来た時にウサギさんチームのM3とカモさんチームのB1bisの放った砲弾は、全速力で突っ込んでくるクルセイダーに華麗に避けられ、カモさんチームとウサギさんチームはすぐにクルセイダーの砲弾の餌食になった
「IV号が来る前に潰せ!撃てっ!撃てっ!撃ちまくれぃ!
クルセイダーの装甲でこの近距離なら、当たれば撃破出来るぞ!」
河嶋はそれしか命令しない。まさにトリガーハッピーの状態だ。しかも自分の撃った弾は一発も当たらない。
そんな感じのカメさんチームの38tもすぐに側面に砲弾を食らいお陀仏になる。III突はなんとか下に回避して、IV号と合流するときに備えていた
高台では砲撃戦が繰り広げられる。レオポンチーム、アリクイさんチームが1輌ずつ撃破したが、こちらは撃った直後のアリクイさんチームの3式とサメさんチームのマークIVが撃破され、レオポンチームもエンジン近くに被弾している。
酒場での乱闘が繰り広げられていた
「カモさん、ウサギさん、カメさん、アリクイさん、サメさんが撃破されちゃって、レオポンさんも危ないって。乗員はみんなは無事だよ」
沙織さんからの報告に流石の私も耳を疑う。たった1分で5輌撃破、しかも最主力のポルシェティーガーが撃破寸前である。おまけに隊長車が撃破されている
この相手がクルセイダー4輌だと言うのだから驚きだ。仮に4輌全て犠牲にする気でも、こっちにこれだけの損害を与えられた上、先頭から砲撃というこっちの作戦を封殺出来るなら大いに価値がある
こちらの策に対する対応としては最善ではないが十分過ぎる。私なら後ろの道を作る崖の上に待機させ、合流直前に稜線射撃させて上からボッコボコにしてやるところだが。
そしたら最後にノコノコやってきた私たちを撃ち抜いておしまいだ
ま、そこは彼女らの言う騎士道とやらの成した道なのだろう。あるいは時間の関係か。
こちらに救いがあるなら、彼女らがとった策が最善ではないことと、負傷者が確認されていないことだろう
「急ぎましょう」
焦りを隠しながら淡々というしかなかった
ダージリンは戦況報告を聞きほくそ笑んでいた
「そして最後に羊を頂くのは1番強いブルドッグ」
新たに淹れられていたカップの紅茶を全て飲み干した
「ブルドッグですか?」
オレンジペコが装填しながらダージリンを見上げる
「そいつは牧羊犬ではないわ。番犬よ」
一発撃ったアッサムが言う。ペコは首を傾げる。どうやら意味が分かっていないようだ
大洗側は大きく混乱していた。隊長車が撃破されたため命令が途絶え、なんとか個々が戦っている状態だ。私から話しかけても返事がくる車輌はない
「西住ちゃん!」
急に会長さんから無線が入る
「会長さん、大丈夫ですか!お怪我は!」
「それはいいんだ。全員問題ない。それよりこっからの指揮は西住ちゃんが採ってくれ」
「えっ?ちょっ……」
「頼んだよ。負けたら祭りでチームごとあんこう踊りやってもらうから!」
急ぎ目に、しかし耳に残る声が駆け抜けた
「えっ?あんこう踊り……切れちゃった」
沙織さんが声を震わせて振り向く
「み、みぽりん?い、今何て言った?」
「会長さんが指揮は私に任せることにして、負けたらうちのチームごとあんこう踊り?というのをやれって」
「あんこう踊り!あれ踊ったらお嫁に行けない!」
沙織さんが頭を抱える
何なのだそれは?
「絶対ネットで晒し者にされます」
優花里さんも同調する
「よくわからないですけど……そんな酷い踊りなのでしょうか?」
「勝とうよ!勝てばいいんでしょ!」
「そうですね。試合ですから負けるわけにはいきません」
「そうですね、やりましょう。西住殿!」
「やるしか無いぞ、西住さん」
皆がこちらに勝利を求め呼び掛けてくる。
本当にあんこう踊りとは何ものか。少なくともこうやって絶望の淵から戦意高揚に繋げられるだけの力は持つようだが
いや、そんなこと考える場合ではないな。隊長、副隊長両名が失われた今、やる他ない。
皆で勝ちを掴みに行こうか
「……分かりました。どこまで戦えるか分かりませんが、できる限りのことはやりましょう」
力強く息を吸い込み、私のかつての心を呼び起そうとする。勝ちへの絶対的な希求を
「沙織さん、他の車輌の現状を!」
「分かった。アヒルさん!」
「こちらアヒル!一応無事です!車長に繋ぎます!」
近藤の声が返ってくる
「うちの車長が臨時の隊長になります。よろしくお願いします」
「了解した!指示を頼む!」
無線を繋がれた磯辺からの返事が返る。その後もカバさん、レオポンさんも私の隊長案に賛成した。まぁこれは隊長の責任回避もあるんじゃなかろうか
「まずクルセイダーの撃破を優先してください。III突も上に上がって」
「OK」
レオポンチームの中島さん
「心得た!」
カバさんチームのエルヴィンさん
「了解しました!」
アヒルさんチームの近藤さんが答える。坂を登り左側面に退避していたIII突がすぐにクルセイダー1輌を仕留める
「こちらカバ、1輌やったぞ!」
「分かりました。我々の到着と共に市街地へ後退します。レオポンさん、しんがりを頼みます」
「了解したよー」
「why not!」
「大洗は庭です。任せてください」
皆の陽気な返事が帰ってくる。期待がこの一身に集められるのを感じた。
IV号が斜面の右から登るなかで、3輌に囲まれつつあった最後のクルセイダーを近距離で撃破した。
これにより、大洗は背後への退路の確保に成功した
「全車後退!あんこうを先頭に進んでください!」
裏の道に入り、他の車輌の速度を見つつ砲弾を躱しつつ移動する方向を麻子さんに指示する。
これは容易いことでは無いが私からしたら難なくこなせることであり、むしろそれを聞いて素早く速度と向きを変える麻子さんの方が素晴らしい
するとしんがりのポルシェティーガーのエンジンから煙が登る。それと共にポルシェティーガーはとまり、自動判定装置の旗が上がる。まぁもともとぶっ壊れやすいエンジンに砲弾を打ち込まれていたんだ。ここまで動いたことを奇跡と思おう
「こちらレオポン、やっちゃった」
「いえ、ありがとうございます」
「西住さん、宜しく頼むよ」
ポルシェティーガーが道の半分を塞ぐ形になった。そのおかげで敵の行動を遅らせ、私達はなんとか敵を振り切り市街地に入った。
アハトアハトの喪失は痛いが、寧ろこれからの戦いでその巨躯は障害になり得る。そう思おう
「こちらは3輌、敵は5輌。戦力、防御力は相手が上ですが、こちらは地の利を活かしましょう」
さぁこい田尻凛。これが私の、負けが許されるがそうしたくない意志が見せる戦いだ
道中を警戒しながら進んでいたマチルダIIに対し、路肩の狭いところに入ったIII突が側面から奇襲を仕掛け、白いフラッグをはためかさせた
「やったぞ!マチルダII一輌撃破!」
沙織さんの無線に状況を伝えるエルヴィンさんの嬉々とした声が舞い込む。彼女らから提案された作戦だったがこんな上手くいくとは
私はすぐにその場を離れるよう指示し、彼らの土地勘に委ねた
その頃もう1輌のマチルダIIが罠の中に入ろうとしていると報告が入った。
屋内駐車場と二段式パーキングが向かい合わせになっている場所にアヒルさんチームが待機し、わざわざブザーを鳴らしてまで迎え入れたそうだ
「こちらアヒル!マチルダII撃破!」
続いてアヒルさんチームはそう一報を送ってきたが、一応麻子さんに場所を確認させてから、いや確認するまでもなく煙の立ち上り始めた場所へ向かってもらった。
アヒルさんチームは驚いただろうな。駆けつけたあんこうチームのIV号が砲身から煙を登らせながら走り去ったのだから。
やっぱり89式じゃ無理だったか。保険かけといて良かった。煙が出てたから燃料タンクは壊せたみたいだけど
さてこれで2輌撃破。数ではトントンになった。だが向こうもこちらの遊撃戦を許してはくれないだろう。ここからが勝負よ
「マチルダII2輌撃破されました!」
ダージリンの乗るチャーチルにこの報告が飛び込むと、彼女は驚きで右手を滑らせた。反時計回りに回りつつ地に落ちたティーカップが割れて四散する
これで3輌対3輌。数的優位は失われた。思わず顔をしかめる
「おやりになるわね……」
おそらくこの変化はIV号のあの少女、西住みほによるものだろう。
面白くなって来た。カップを失った分以上に楽しませてもらおう
「全車作戦変更」
あんこうがマチルダIIを撃破してからしばらく、エルヴィンさんから報告が入った
「待ち伏せ場所の近くに敵がいる。こちらには気づいていない。狙うなら今だ」
さてここでyesと下せるか、それが重要だ。
聖グロリアーナほどの敵が何度も待ち伏せに乗るのか、と。
おまけに先ほどの場所に近い、ということが私を惑わせる
「隊長、攻撃命令を!」
エルヴィンさんが急かしてくる。確かにここで機会を逃す方が後々響くかもしれない
「……わかりました。くれぐれも慎重にお願いします」
それから30秒後
「こちらカバさんチーム。すまない、撃破された。囮作戦を使ってきた」
敵が油断を無くした。明らかに私のミス。撃破の為の火力は完全にIV号に託された。
そう考えていた時側面から履帯の音がする
チャーチルだ
「側面にチャーチル!全速前進!」
麻子さんにアクセルを踏み込ませる。
また壮大な追いかけっこが始まった。合流した残りのマチルダIIと共にチャーチルが全速で逃げるIV号を追う。
麻子さんの土地勘に頼りつつこちらは敵の攻撃を避けさせ、周囲の道路や建物が砲弾の餌食となって崩れ落ちる。
ただひたすら逃げるしかないIV号は当たらずに済んでいたが、いきなり道の真ん中に看板が見えた。工事中による封鎖だ。
考えてみれば船の上にいた彼女らに最近の工事の概要など知りようもない。誰も責められない
引き返そうとするが、背後にはすでにチャーチルとマチルダII2輌が来ている。砲塔を回転させて対応しようとするが、まもなく雁首そろえてIV号にその砲塔群を向けた
「こんな諺を知ってる?イギリス人は恋愛と戦争では、手段を選ばない」
チャーチルの上でダージリンが何かほざいているが、知るかアホ。そんなことはどうでもいい。重要なことじゃない。
今ここをどうやって切り抜けるか、いま考えるべき問題はそれだ
ダージリンの挙がった手が振り下ろされようとしたその時、
「ゆくぞー!」
左脇の道からサッと89式が入ってきて、急ブレーキをかけた
「アヒルさんチーム!」
「来てくれたんですね!」
優花里さんの喜びの声を聞いた。
可能性が姿を露わにした。
プランが早急に固まる
軽い金属音がその後にこだました。チャーチルの装甲が厚すぎて撃ちぬけなかったのだ。マチルダIIも撃ち抜けないからしょうがないね
次の瞬間には3つの砲身が火を吹いた。その3発は全て89式を撃ち抜き、煙と共に旗が上る
「麻子さんは1秒停止!華さんはすぐにマチルダIIに1発撃って!そしたら脇に!」
あの短時間で誰が撃つかなんて決められはしない。3輌が一斉に撃った後の絶対的なタイムラグ。4秒あれば十分だ
砲塔と車体の間を狙った1発は見事にマチルダIIを撃破へ導く
敵の弾を捨てさせたことへの感謝は後で伝えねばな。
脇に入ったら次の角で右に、全速力で突っ走らせる。
途中の道で敵視認。
やはり歩兵戦車は歩兵戦車だった
「麻子さん!次の角右に曲がったら壁に沿って走ってください!」
素早く車体をカーブさせ、角へ急ぐ。
道から最後のマチルダIIが砲身を覗かせる。
直ぐに停車させ、素早く撃たせる。
その弾は側面に見事に命中した。
白い旗が登る。
あとはチャーチルとの一騎打ちのみ
「後退!」
素早く車体を後退させる。
チャーチルが発砲するも蛇行した車輌には当たらない。
IV号も素早く発砲するもチャーチルの厚い正面の装甲に弾かれる。
デカブツだけに大層な装甲を持ちやがって
IV号は数少ない可能性のある側面を狙いたい。
しかしそれを察しているチャーチルは側面を見せないように移動する。
その機動、まさに見事。このままでは防御の薄いIV号の方が不利だ
「短期決戦で行くしかない」
次のチャーチルの弾丸が右側に着弾する時に指示を出した
「敵に突撃するふりをして素早く敵側面に回り込んでください。旋回は出来るだけすぐに終わるように。かなり難しいと思いますが麻子さん、出来ますか?」
「やってやろう。そうすれば勝てるんだろう?」
どう考えても戦車道を始めてから半年の人間に頼むことではないが、この際気にしていてはいられない。
彼女の技量なら可能だ
優花里さんが装填を急ぐ。
麻子さんが撃ったあとの煙の残るチャーチルの正面へ進める。
チャーチルがすらりと長い砲身をこちらに向ける
「今っ!」
その声と共にIV号は左、そしてすぐ大きく右に曲がる。それに合わせチャーチルの砲身もぐるりと回る
甲高くコンクリートの地面を削る履帯。
そして互いに静止する。
双方の砲が火を吹いたのはその直後だった。
煙が周囲を覆う
無言の煙が晴れた時、純白の旗は1本のみ挙がっていた。
その旗の側にはあんこうのマーク
「大洗女子学園、全車輌撃破!よって聖グロリアーナ女学院の勝利!」
審判は笛の音に続き宣言した
大洗は、負けた
キューポラの縁に寄りかかった。顔には少し笑みが現れているだろう
満足だ、ただそう思った。自分の出来ることはやった。敵が手強いことが非常に面白かった。この負けも生きて味わうことが出来る。
これまでこの気持ちを味わえる戦いはいつぶりだろうか。
口から微かに声が漏れる
「待って!」
沙織さんの一言で現実に引き戻される。
思わず斜め下の車内を覗き込む
「負けたらうちのチーム全員であんこう踊りじゃ……」
「あっ……」
だから本当に何なのだそれは
「取り敢えずやれることはやったんだ。戻るぞ」
麻子さんがなんとかその場をまとめ、私も力の抜けた体をキューポラから引き抜き、全員車輌から出て移動する
~
You shouldn’t abandon your will by which we assumed that it wasn’t accomplished by once of defeat freely.
(成し遂げんとした志をただ一回の敗北によって捨ててはいけない。)
ウィリアム=シェイクスピア
~
今日はここまでです。続きは日曜日に投下します
あ、そうだ。前回の聖グロの校歌はこれ
聖グロ校歌
http://sp.nicovideo.jp/watch/sm33014307
この小説ってどのくらい見られているんですかね……
はじめます
「全員、礼!」
最初の場所に集まった両チームの選手再び互いに一列に並んで頭を下げた。
まずは破損した車輌の輸送準備だろうか、と背筋をぐいと伸ばしていた。
するとダージリンが部下らしき女を2人連れてこちらに歩み寄ってきた
「貴女が西住さんでしょうか?初めまして、聖グロリアーナ女学院戦車道部隊隊長、ダージリンですわ」
おまけにこちらに向けて話しかけてきたのだから、私は身体が急にロボットになった気がした
「は、はい。私が……西住みほ、です。隊長でもない私のことを覚えて貰っているとは、えっと……本当に光栄です」
正面に向き直り深めに礼をする
「貴女を知らない戦車道関係者の方が珍しいと思いますわよ。
それよりも貴女がかの学園を離れた後も戦車道をなさっているとは、少し驚きましたわ。あれだけのことがあった後ですもの」
「……えーと、これにはなにぶん事情がありまして……」
来たばっかりとはいえウチの学校の評価は落としたくないから、なんと言えば良いか
「えっと……みぽりん、相手の隊長さんと知り合いなの?」
傍から沙織さんが顔を覗かせた。
この話を切ってくれたのはありがたい
「まぁ……知り合いといいますか……」
「話したことはないけど、互いの顔は知っていることを共に認識している関係、といったところでしょうか」
詰まっているところに最適な助け舟が流されてきた
「そんなところ……なんでしょうかね?」
「分かりにくいよー、もー」
「彼女は?」
「私の車輌の通信手にして、友人である武部さんです」
「初めまして。武部沙織です!モテモテになる為に戦車道やってまーす!だけど最近は戦車道やることそのものが楽しくなってきました!」
阿呆。
少し舌を出して顔の横でピースサインしながらいきなり言うことがそれかい。キラッとか擬音が付いてそうだぞ。ダージリンさん思いっきり面食らってるじゃないか
まぁ戦車道を楽しそうにやる友人の姿を見せられたのはプラスかな
「な、中々個性的なご友人をお持ちですね」
「お恥ずかしい限りで」
「恥ずかしいって何よ!」
見たまんまだわ。恥ずかしいものは恥ずかしいのだ。こっちが頭下げなきゃいけなくなるだろうが。
私たちの世代での戦車道の主流を担うであろう方にかける言葉ではない
「ですが貴女の笑顔が見れただけで、こちらとしては十分ですわ」
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「あ、えっと……一つ疑問があるのですが、宜しいでしょうか?」
軽く手を挙げて顔をダージリンさんの方へ戻した。初めて話した人にこちらから声を掛けることが出来たことは、後になってから驚きをもたらした
「ええ、簡単なものなら」
「あ、ありがとうございます。本日の試合、あのクルセイダーの投入時間から貴女方は我々をそれ以前に見つけていた。つまりIV号を除く残り8輌があの場所にいたことを知っていたはずです。
なら何故そのまま両端を塞いで叩かなかったのです?クルセイダーを先に投入しなければ我々はまともな手を打てずに全滅し、貴女方もこの試合ほどの被害は出なかったでしょう。そしてその程度のことに貴女が気付かなかったとは思えません。少なくとも、もう少し楽に勝てたはず
宜しければ何故そうしなかったのか教えて頂けますでしょうか」
ダージリンさんは手に持っていたカップを少し傾けてから微笑んだ
「簡単な話ですわ。あの程度の作戦、貴女が立てるとは思えませんもの」
「……と仰いますと?」
「貴女と正面から戦ってみたかった、というのは理由として不足かしら?」
「……率直に申し上げますと、ここの戦車道部隊はそこまで優秀ではありませんし、外部にもそのように認知されているでしょう。
そこにグロリアーナが練習試合とはいえ負けた、若しくは戦況が拮抗したとなれば、グロリアーナにおける貴女の立場は悪化するでしょう。
それは貴女が望む所ではない。それでもこの試合で最善の勝ち方を狙わないのですか?」
「試合前に申し上げたでしょう?我々は野蛮な戦いには身を染めませんの。軟式戦車道においては勝ちが全てではありませんわ。それくらい学院も学院長殿下も承知済みです。
それに私は仮に一騎打ちになっても負ける気はありませんから」
話には幾らか納得出来たが、流石に私に対して油断し過ぎだ。ひとつ釘を刺しといてやろう
「なに、次があるなら私が勝ちます。そういうことなら私も安心して戦えますよ」
「あら、それは楽しみにしておりますわ」
次、か
私から言っておいてなんだが、そんなことを考えたのも前、いつあっただろうか。
勝たねば組織内で足を掬われる。場合によっては死。そんな世界では思いもしなかったことだ
「ダージリン様、そろそろ」
背後の部下の1人がダージリンさんに耳打ちする
「ええ、そうしましょう。すみません、西住さん。そろそろ……」
「あ、お引き止めして申し訳ありませんでした」
ダージリンさんは手を振りながら背を向け仲間と合流していた。戦車の方に見せかけて少し離れた場所へと引き下がっていく
「流石ですよ西住殿!あのダージリン殿に直々にお声を掛けていただけるなんて!」
「みほさんをお褒めになっていらっしゃいましたし、私も嬉しいです」
「よく分からんがよかったな。勝てなかったけど。
あ、戦車は自動車部が仮整備、輸送含めて手配済みだそうだ。学園艦に帰ったら整備も全部するらしい」
他の3人も話が終わったタイミングで私たちのいる方へやって来た
「それはすごいですね。あの量ですよ?」
「徹夜でやれば一晩で出来るらしいぞ」
ジョークだろう?
黒森峰の整備隊でも20輌使った試合の整備なんて、10人使って1日がかりだぞ。たった4人で夜も眠らず、それで車輌のお国もバラバラな9輌を修復するとは。
いや、練習の時も次の日には全部修理済みになっているから凄いとは思っていたけど……損傷のレベルが違うぞレベルが
次、か
私から言っておいてなんだが、そんなことを考えたのも前、いつあっただろうか。
勝たねば組織内で足を掬われる。場合によっては死。そんな世界では思いもしなかったことだ
「ダージリン様、そろそろ」
背後の部下の1人がダージリンさんに耳打ちする
「ええ、そうしましょう。すみません、西住さん。そろそろ……」
「あ、お引き止めして申し訳ありませんでした」
ダージリンさんは手を振りながら背を向け仲間と合流していた。戦車の方に見せかけて少し離れた場所へと引き下がっていく
「流石ですよ西住殿!あのダージリン殿に直々にお声を掛けていただけるなんて!」
「みほさんをお褒めになっていらっしゃいましたし、私も嬉しいです」
「よく分からんがよかったな。勝てなかったけど。
あ、戦車は自動車部が仮整備、輸送含めて手配済みだそうだ。学園艦に帰ったら整備も全部するらしい」
他の3人も話が終わったタイミングで私たちのいる方へやって来た
「それはすごいですね。あの量ですよ?」
「徹夜でやれば一晩で出来るらしいぞ」
ジョークだろう?
黒森峰の整備隊でも20輌使った試合の整備なんて、10人使って1日がかりだぞ。たった4人で夜も眠らず、それで車輌のお国もバラバラな9輌を修復するとは。
いや、練習の時も次の日には全部修理済みになっているから凄いとは思っていたけど……損傷のレベルが違うぞレベルが
それの見物はあと回しにするとして、反省会をとっとと開きたいところだが、どうもそうはいかなかいようだ
「いやー、お疲れ。西住ちゃん」
背後から会長さんが声をかける。生徒会の2人も一緒だ
「約束通りやってもらうぞ」
河嶋さんが5人に視線を向ける。その目に怯える者と悟る者と理解していない者がいた
「はい服」
そう言って会長さんが真っピンクな服とこれまた真っピンクの帽子を取り出した。襟を持ち一枚ずつ数を数える
「うん、8枚あるからよろしく」
「えっ?8?」
河嶋さんが冷や汗を流す。5じゃないぞ
「うちらもやるよ。頑張った部下にやらせて隊長がやらないってことはないよね?
こういうのは連帯責任だし、何より隊長が真っ先に撃破されたのはいかんでしょ」
会長さんがサラッと言う。小山さんは微笑みを河嶋さんに向ける。
会長さんは兎も角、やっぱり小山さん腹黒いだろ絶対。沙織さんは温厚そうだって紹介してくれたけど。ガチギレしたら全裸で戦車に載せたりしそう。無表情で。
私の空想であってほしいけど、もちろん
「うっ……」
「ダージリン」
少し離れた場所へ会長さんが呼びかける。その声にダージリンさんはどこからか仲間とともにこちらへ向かってきた。
ていうか呼び捨て?
「如何しましたか、角谷さん?」
「私らこれから向こうの広場で歓迎も兼ねて踊るんだ。見に来てよ」
「そのピンク色の服でですか?私たちに媚びても上とは繋がりませんわよ?」
「なぁに、そんな面倒な裏はないさ。敗者の見世物として見てってくれ」
自分もやるのに会長さんはけらけらと気楽に笑っている
「それならせっかく時間も空いていることですし、歓迎を受けますわ」
私は納得した
二つ投稿はミスです
大洗マリンタワー前広場。ここには元から白い舞台が用意されている。行事などにも使われるのだろう。
どこからかやってきた司会が話を切り出す
「最後は今日の敗戦への反省をこめて、大洗女子学園の戦車道チームの人があんこう踊りを踊るそうです!」
会場がどよめきに包まれる。ケータイやカメラを用意する者がちらほら見受けられる
「やっぱり晒し者にされますよう」
優花里さんが内股になって怖気づく
「恥ずかしいよー、もー」
沙織さんも自分の格好を手から隅々まで確認してから手で、それも鰭のようなものがくっついたものだが、顔を覆っている
「やるしかありません」
華さんは覚悟を決めたようだ。こういう時ほんと強いよなこの人。
麻子さん?変わりない。何も気にせず虚空を見つめている
「出番です」
係りの者が裏方の幕をめくる。
生徒会の3人から順に舞台と上がる。
もはやこの珍妙極まりない格好で踊ることは規定事項。私の敗北のささやかな責任だ。正面にいた人の群れがどうしてようと、私は甘んじてこの罰を受けるのみ
~あっああんあん、あっああんあん~
何も考えていない。ただ周りに合わせて手足を動かす。
しかしよく分からない一体感がその8人を覆っていたのは事実だった。回ったり足を上げたり忙しいったらありゃしない
~あったまのあっかりはあ~いのあかし~
隣からは愚痴が聞こえるが、こういうのは連座、連帯責任だ。下手な事を考えたら負け。
会長さんだけが楽しそうだったのは、彼女がこの罰ゲームを仕組んだのだから然り、か
試合後は破砕された大洗の街に止まる訳にはいかず、停泊している学園艦に戻ることになる。こういった公的な場で試合をする際、破壊された施設には戦車道連盟から補償金が出る
大洗なら地価は隣と比べたらまだ安い方なのだろう。というより元からそんなに金がかかるところで連盟は試合を許可しない。大洗市街戦でさえあまり望ましいものではなかったはずだ。
事実硬式では市街戦は滅多にない
だが向こうが許可した範囲内でスポーツをした、これに対し批判される筋合いは無いのでまぁほっとこう
試合の後生徒会室で行われた反省会で会長さんから私を副隊長とする案が出て、車長全員の懇願、さらにそこに会長さん直々に隊長と副隊長が同一車輌に乗ることは如何なものか、との提言もあった末私もそれを呑んだ。
というより、初めからそうして欲しかったが適当な成り手がいなかったようだ。だから私を引き入れた訳だが
今日の試合や副隊長の件など考えなくてはならないことは山ほどあるが、試合後の今日くらいは生きている安寧を享受したい。早速地上のコンビニで新発売されていたもみじアンパンなるものを楽しんだが、それだけでは不十分だ
その為反省会の後一緒にいたナカジマさんに戦車の修理の手伝いをしようか、と申し出たが、慣れた仲間の方が仕事が早いから、と断られた。その通りだろう。正直私もドイツ戦車以外の修理とかは分からない部分もあるし
さてこの反省会であるが、基本車長のみが集まって、車長ごとに各車の意見を纏めて行われる。理由はいくつかあるが、この生徒会室に戦車道履修者全員が入れないことがその一つだ。
つまりあんこうチームはここにはいない
反省会で出された内容は後で各々にメールで伝えるとして、もうすでに家に帰っており、何より試合で疲れているであろう彼女らをもう一度呼び出すのは忍びない
はてどうしようかな、部屋に戻るかな、と艦橋の下で帰り道につこうとした時、誰かに呼び止められた
「西住さん」
サメさんチームのお銀さんである。頭の上の白い帽子が目立つ。その上の羽も何処かで見た覚えがあるが、まあいい
「今日この後時間あるかい?」
「ええ、自動車部の方々を手伝おうかと思っていたのですが、断られてしまったので」
「ちょっとお誘いしたいところがあるんだが、いいかい?」
「どちらへ?」
「私たちのアジトへさ」
正直スケ番の匂いのする彼女らに対する苦手意識はあるし、彼女らも河嶋さんへの思いが強いせいか、練習中も私の指示より河嶋さんの指示を聞こうとする。正直戦車道のメンバーの中で一番仲が良くない相手だ。
風紀委員の園さんから深く付き合わなくていい、と忠告は受けているが、何度も戦い続ける仲間として関係を深めるのは損ではないだろう
「どんなところですか?」
「まぁバーだね。飯も出るし、今日は試合で早々に負けちまったお詫びとして幾らか出すよ。全額は出せないけどね」
お銀さんは申し訳なさそうに頭を掻く。軟式なら撃破されたことをそんな重く捉える必要もあるまいに。ま、硬式ならそもそも捉えられないんだが
「いえいえ、その必要はありませんよ。喜んでお尋ねします。私もお腹が空いていますし」
「じゃあ早速、付いて来てくれるかい?」
私はお銀さんに連れられて、この巨大な学園艦の中へと潜り込んでいった
甲板の入り口からは急な階段を経て内部に入り、蛍光灯が炯々と灯る下、深く深く沈む。お銀さんは時々すれ違う船舶科の人に声を掛けながら、私に対しては無言のまま先を急ぐ
崖のような場所に取り付けられたはしごを下って少し行くと、そこは甲板とは別世界が広がっていた
裸の白熱電球に照らされてぼんやりと広がるのは、食い物のゴミの散らかった通路。鉄条網で区切られた向こう側からは奇妙な笑い声がする。食い物のゴミの中には肉に関連するゴミもあるらしい
鼻をくすぐる腐敗臭。澱んだ空気の重々しさも混じる
ああ、辞めてくれ。君だけは思い出したくもない。その生気のない顔よ、私の頭にまた来るな
「大丈夫か?済まないね、私たちが居る場所はこんな所なんだ。まぁ、臭いは居たら慣れちまうもんだがね」
お銀さんの声でやっと私は幾らか正気を取り戻した。危うく食欲を完全に喪失するところだった。その言葉で引き出される顔はなんとか伏せた
「お、姉さん。そちらはお客さんっすか?」
「そう。陸のお偉いさんだ」
「『どん底』に、っすか?」
「ああ。そっちは問題ないか?」
「平気っす。それじゃ」
お銀さん鉄条網の向こうの白い服の女と話した後、我々はその鉄条網を避けて少しいった先にあるエレベーターの前に辿り着いた。
業務用であるらしく、近づく中で重いモーター音が轟く。中は車一台丸々入れそうな程広い
「こいつは学園艦の底部で作業する人たちの為の物資搬入に使われるやつなんだ」
きょろきょろと中を見渡していると、彼女がそのように教えてくれた
「そんなエレベーターを勝手に使っちゃって大丈夫なのですか?」
「私たちが行く店の材料もコイツで運ばれるから大丈夫さ。私は許可証もらってるし。風紀委員には死んでも渡さないけどね。ま、死ぬことはないんだけどさ」
そんなことを話している間にエレベーターの扉が開き、何故かあるベニヤ製の隠しドアを押し開けて煉瓦の通路をジグザグに進む。
慣れているのだろう。分岐点が多いのにそれを迷うことなく選択していた。
それにしてもベニヤ板の装飾、結構リアルだったな
ある角を曲がると、暗闇の奥にネオンの光が輝いていた。音楽も漏れ出ている。こんな文字通りの『どん底』には似つかわしくないほど清らかな、だが力強さも秘めた歌だ
「そこさ」
「ほう……」
私は興奮していた。子供が悪戯に赴く前の如く。彼女が扉を開くと、漏れ出た音は本流となって耳に注ぎ込まれる
「お、親分。遅いじゃないっすか」
「悪い悪い、反省会の後お客さんを誘ってたら遅くなっちまってね」
「ど、どうも……」
「反省会の内容は後で教えるよ」
だが雰囲気には威圧的なものも混じっている
「ようこそ、どん底へ……注文は?」
私はこういう所に来たことはないが、どういう事をすればいいかは知っている。こういうのは柄になくはっちゃけるのが吉だ。ちゃんと財布の中身は確認済みだし
「……とりあえずビール。出来ればドイツのをお願いします」
「……ドイツビール?あなたお子ち……え?」
「え?」
何か変な事を言っただろうか。部屋にいたサメさんチームの全員が私を見つめている。歌も途切れた
「い、如何なさいました?私何か変なことを?」
なに、見るからにバーなのに、実はそういう所じゃないのか?
「……隊長、イケる口か?」
「いや、本物は無いですけど、前の学校にいた時に少しは」
「あ、そう……ほれカトラス、注文だぞ」
「……」
カトラスさんはすぐに冷蔵庫を漁り、一本の茶色い瓶を取り出した。歌も再び部屋中を飛び回り始め、私はお銀さんの隣のカウンターに腰を下ろした
「……お銀は?」
「いつものラム酒」
「……まいど。隊長、こいつで良い?」
「あ、それをお願いします」
ビットブルガー、懐かしい名だ。水滴をまとった瓶とジョッキがカウンターに置かれる
「……つまみは?」
「私はポテトを」
「あたしはパイプでいいや」
「……ムラカミたち、お代わりは?」
「とりあえずいいや」
「ラム酒もう一杯。もうちょい強いのない?」
「ノンアルに強いもひったくれもないだろうが」
「濃いやつよ濃いやつ」
「……高くなるよ?」
「ツケるから良いよ」
「ラム、お前今までどれだけツケてんだよ」
そう言いながらムラカミさんはニヤついている。ここではそういうのも日常茶飯事なんだろう
「……ポテト。ラム酒も」
カトラスさんも特に機にする様子はない
「ありがとうございます」
カリッと程よく揚がって黄金色に輝くポテトが、白い皿の上に乗せられた
「おぅ。じゃあみんなこっち来い」
後ろのソファに座っていたラムさんやムラカミさん、そして歌を中断したフリントさんもカウンターの方へ来る。すぐに3杯の水がムラカミさんとカトラスさん、フリントさんの手に収まった
その間に私はジョッキを斜めにして黄色い飲み物を注ぎ込む。こういうのはね、緩やかに注ぎ込んで、いかに泡だてないかが重要なんだ。ただ静かに、静かに。
その分泡の弾力に力を与える
そしてお銀さんは胸元から袋に入ったパイプを取り出し、口に咥えた。火はいつもつけてないよな
「それじゃ、今日の試合は負けたけど最後の健闘、そして今後の一層の奮闘を誓って、乾杯!」
「かんぱーい!」
グラス同士の衝突の後、私は杯を傾けた。苦味と共に喉が鳴る。お銀さんたちもそれぞれのグラスを口元に寄せる
はぁ~、やっぱり久々のビールは良いわ。これはノンアルだけど。
私は将来酒呑みになるだろう。酒のせいで脳味噌を空にでき、そして死ぬなら悪くない
「おおっ、いい飲みっぷり」
「ははっ、隊長ヒゲ生やしてら」
「あ、ほんとだ」
上唇を指で拭うと白い泡が付いてくる。
「隊長、あんさんやっぱり凄いよ。グロリアーナってのは戦車道の強豪なんだろ?そこを相手にピンでのやり合いに持ち込むなんてさ」
お銀さんが肩の間を軽く叩きながら笑顔で語り掛けてくる
「ウチらなんてほんとに何も出来なかったってのに」
「いえ、そんなことないですよ」
「なぁに、アタイらのことはアタイらがよく分かってる。あんな初っ端で吹っ飛ばされちまったんじゃ、斬り込んで手柄なんてあげられやしないよ」
フリントさんがコップの中の氷を揺らしながら隣に腰かけた
「次は絶対に敵を撃破してくるよ!」
「ああ、サメさんの、そして船舶科の名に懸けて、今回みたいなあほヅラは2度と見せねぇ!」
「おおー、流石親分。そんじゃ、もっと鍛えないとねぇ」
「と、そうだ。隊長、あなたに一つ謝っておかないといけない事がある」
お銀さんがグラスを降ろしてこちらに正面を向ける
「何でしょう?」
「すまなかった」
そのままこちらに思いっきり頭を下げた。何だ?そんな謝られるほど悪いことをされた記憶はないが。
私が半ば呆然としているのを向こうも察知したらしい
「桃さんの作戦に対して隊長、あんたは的確にその問題点を指摘した。そしてそれが間違っていなかったことは、皮肉にも試合で証明されてしまった。
そして私は桃さんに同調した。桃さんには此処を守ってもらった義理がある。そしてなにより、正直言って私らは急にやってきて、桃さんに代わって練習の指揮を執り始めたあんたが、私は気に入らなかった」
様子から察してはいたが、自分自身で認識もしていたのか
「だがあんたの練習で皆確実に上達していた。自分たちも含めてね。あんたに変わったことへの反発は戦車道の面子には最早なかった。
つまりさ、あん時に反駁したのは単なる義理を笠にした悪足掻きだったってわけさ。
そしてそのせいであのザマさ。言い訳も何もあったもんじゃない」
なーるほど、そういうことね。完全に理解しました。そういうことなら彼女の荷を降ろしてやるのが良いだろう
「いや、謝ってもらうことではないですよ。だってあの時の河嶋さんのご指摘は間違ってないんですから」
「……へっ?」
今度は向こうが呆けた顔をしている
「そもそも私は会長さんからの指示がなければ、口を挟む気はなかったんです。あの時まだ私は河嶋さんの案の代替となる作戦を決めていなかったんですから。
人のミスを指摘するだけなら誰だって出来ます。真にあのような場で発言するべきことは、それを如何に正した案を出せるかです。
だからそもそも河嶋さんが正しいんです。それに同調したお銀さんが謝る必要が、理由を問わずどこにあるでしょうか」
出来るだけにこやかな顔をする
「隊長……あんた、天使か?」
「いえ、既に悪魔に片足を突っ込んでますよ」
「ははっ……なら海賊らしく悪魔に地獄までついてこうかね。悪かったな、こんなとこで湿っぽい話しちまって」
「いえ、これから楽しみましょう。何か食事系はありますか?」
残り瓶半分ほどのビールをジョッキに移し、最後のポテトを摘んでから呷る
「……肉焼いて塩コショウ振っただけの奴とかどう?」
「何肉ですか?」
「牛。でも経産牛のやっすいやつしかないけど、それでもいい?一応手は加えるけど」
「じゃあそれで。ミディアムレアくらいでお願いします。付け添えにパンも。それが出たら今度は……うーん、ワインは無いかぁ……」
「……カクテルでも作ろうか?」
「そうですねぇ……取り敢えずもう一本別のビールを。食後にカクテルをお願いします。お銀さんは如何なさいます?」
カウンターの正面に直った彼女は、左手一本で拒否を表明した
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肉は繊維を包丁で何度も切ってからサッと焼いたようだ。赤身主体だから脂肪もそんなに気にしなくていいし、思ったよりはるかに柔らかい。味付けも単純だが、その分肉の旨味が味の主体となる
付け添えにニンニクチップが付いている。あまり乙女には似合わぬ代物だが、肉との食い合わせの中で手が伸びるのは避けられない
次のビールは日本の一般的なもの、のノンアルコールだ。こっちもまたこれでいい。だが香りの良さならやっぱりドイツビールだ、と常々思う
「……前は燻製とかもう少しマシなもの出せたんだけど、燻製作れなくなっちゃってね……」
「いえ、これも十分美味しいですよ。そういえばお銀さんたちってこちらに住んでいらっしゃるんですか?」
「そうだね。戦車道をするまでは地上に出ることさえ滅多になかったよ」
「ここで普段は何を?」
「普段はね、艦内の整備とか施設の維持とかさ。危険な所にも入っていくこともあるね。
この学園艦ってさ、海中に入っている部分が海上にある部分よりもはるかに大きいのさ。だから定期的に見回っても整備しきれない
だから私たちがいる、と考えてくれればいいかな。空き家は簡単に荒れるけど、人さえいれば結構何とかなるからね。
あとは大荷物の輸送や検査。地上組じゃ250メートル下のことは手が回らないから、危険物が来たらこっちの仕事だね。そんな仕事は来たことないんだけどさ」
「住むのが一番の仕事、なんですか?」
聞いたこともない職務だが、理由は納得出来る
「言っちゃえばそうだね。ここら辺がちゃんとしてないと、船としても運航できないから。縁の下の力持ち、だったらいいんだけどね。ま、縁の下なんて入ったこと無いんだけどね」
「私の前の家は有りましたね、縁側」
「へえ、和風の家なのかい?」
「純和風でしたね。やってることに似合わず。それにしてもフリントさんの歌は初めて聴きましたけど、お上手ですね」
「そうだろうそうだろう。普通のバーだとジャズとかが流れてそうだが、ここで音楽を流さないのはこの声が皆の最大の精神安定剤だからさ」
「なるほど。そういえばここは学園艦のかなり深くと聞きましたが、エンジン音が余りしませんね」
「エンジンなら船の後ろ側だから逆側だぞ。あっち行くと煩いから落ち着いてなんかいられないよ。ま、最近の私たちなら何とかなるかもしれないけどね」
「たしかに。私は頭を外に出すようにしてますがまだマシですが、車輌によっては本当に耳に来ますからね。戦車道やってて聴力検査に引っかかる人、時々いますよ」
そんな会話をしながらも時は過ぎ、次のビールを空にした時、肉も食べ切った。そしてその肉汁をパンに絡め取る。見事に美味いんだなこれが
腹は見事八分目。あとはカクテルだけかね。
シェイカーを上下に激しく振っていたカトラスさんがその動きを止め、コップに中身を注いだ
「……これは?」
ここが薄暗いせいか中身が一瞬よく分からなかったが、よく見ると黒い飲み物であった
「……私オリジナルのカクテル。
ジン、アンゴスチュラ・ビターズ、オパールネラ・サンブーカ、ウンダーベルグの4種を使ってる。ジンをちょっと多めにしてるから呑みやすいと思う」
生憎カクテルには詳しくないのでそれぞれがどのようなものなのかは知らない。聞いてみると、2番目と4番目は薬酒に近いものだそうだ。
グラスの柄を持ち上げると、周囲はともかく中の液体の成す円錐の中心までは光が届きそうにない。本質が見抜けないカクテルだ
「ニンニクの匂いならコイツを飲めば気にしなくていいわ。名前は特に付けてないけど、強いて付けるなら『secret forest』かな」
「ウホッ、なんかカッコいい」
「秘密の森、ですか……で、この色。なるほど。ご存知でしたか」
「そうさ。ここにいる奴は知ってる。というか、あんた雑誌に載るくらいの有名人だったんだな。地上の本屋に聞いたら直ぐに探してくれたよ」
「はは……そんな御大層な身分では無いのですが……」
「何を言うんだい!あんた戦車道の名家の娘さんなんだろ?そりゃ桃さんもあんな風に言うはずだわ」
ラムさんが瓶を片手にもう片手で肩を叩いてくる。グラス持ってなくて良かった
「ですがその名家を破門になった身ですよ?」
「なーに、そんなの大したことじゃない。しかも戦車道最強の黒森峰の副隊長だったんだろ?凄いじゃないか。そりゃグロリアーナが戦車道の強豪でも、あんたが張り合えるはずだわ」
「……でも何故『secret』なのかも、恐らくご存知」
カトラスさんは使用した容器を私の食事した皿とともに流しへ置く
「噂話の段階だけどね。だけど火のないところに煙は立たない、とも言う……」
「……」
「安心しな。そこら辺について掘り下げる気は無いよ」
「その方がよろしいかと」
私はそれに口を付けた
「……苦いですね」
「でも、薬っぽさは薄いと思う。ウンダーベルグのストレートとかマジで胃薬だから」
「確かに」
「ま、破門されてこっち来ているってんなら、あんまり甘い記憶じゃないんだろ?」
「ええ、苦い」
「……実際は薬として効いてるんだけどね」
「薬になるとは思えないんですがねぇ」
私はもう一口含んだ。ゆっくり、ゆっくりと、噛みしめるように時はすぎる
フリントさんが曲を変えた。重く、それがゆっくりのしかかる恋愛歌。ただそのままであれば良かったのに、変わることなんて求めてなかったのに、そんな歌詞だと思われる。
昔のさらに昔を美化していないか、自分にそう問いかけさせた時、私はNOとは断言できなかった。
しかし空白の感情に何かが注ぎ込まれるのを感じた気がした。それが曲によるものか、カクテルによるものかは分からない
飲み終わり、曲も止まる。仕上げに水を一杯頂いた
「また来てくれよ」
海風にさらされた帽子を抑えつつ、お銀さんははにかんだ
「ええ、是非またお邪魔します」
「カトラスもまたオリジナルカクテル作って待ってるってさ」
「今度は甘めの方が良いですね」
「ほう、甘いもん好きかい?」
「ええ、どちらかといえば」
「じゃ、そのように伝えとくわ。次の練習、楽しみにしてるよ」
彼女は手を振り、再び巨大な船の底へと帰っていく
どしりと来ている身体を流れる熱い血流は、私を散歩へ導いた。このままじゃ眠れるものも眠れない。
今日の店、また来よう。財布が軽くなったとはいえ、それ以上の効用がここにはある。
カバンにイヤホンは入れていたが、それをさす気はなかった。風の音と生活する音、それらをリズムに取り、黒と白以外の色をスパイスに歩を進める
赤信号で立ち止まっても、正面を通る車はない。すれ違う歩行者も見当たらない。だが部屋の明かりと街灯がコンクリートの地面をしっかり照らし出し、安全性に不安はない。
途中、最近ジョギングをしていて分かった階段から下に降りる。しかし船の底に戻る気はない
この散歩の目的地に来た。甲板の一段下、ベンチなどが設置された遊歩道である。
海の向こうに見えるは夜景。左半分においてはマリンタワーだけが一段高くこちらを照らしている。だが左と右どちらが明るいかとなると、断然右であった
遊歩道の端の手すりに腕を乗せ、さらに強い海風に当たる。意識がさらにはっきりしてくる。これじゃ眠れそうにない。
カクテルもビールも美味かったけれども忘れさせることはできなかった。今日は考えたくないと思っていたことが頭をよぎり始める。
時計を見たら、散歩のうちに日付は超えていた。人と話していると、時が過ぎるのは本当に早い
~
二人の秘密は神の秘密、三人の秘密は万人の秘密。
イギリスのことわざ
~
今日はここまでです
今作に登場しましたカクテルのレシピは、忍者小僧様にご協力を頂きました。その忍者小僧様が執筆されたガルパンSSの一部を紹介して返礼と致します。
「辻さんの人には言えない事情」
https://syosetu.org/novel/101614/
何故辻は大洗女子学園の廃校に突き進んだのか。そこには彼の長く、複雑な人生と人との交流があった……
「まほ姉ちゃんに甘えたい!」
https://syosetu.org/novel/139772/
タイトルのまんま。僕も甘えたいです。
木曜は投稿できなくて申し訳ないですが、始めます
あの聖グロリアーナ女学院に善戦した、そのことに喜ぶ者は多数いた。しかし一部の者はうかない顔をしていた。気楽に考えられるならそれはそれで素晴らしいが、生憎私もその一部に含まれている
私はこの学園の目標を知っている。それを達成する為に必要な実力は、手を抜いたグロリアーナには十分勝てる程度でなくてはならない。だが実際には負けた。
無論これからも練習を積む。だがそれは他もそうだ。ウチだけが格段に向上するわけじゃない
「はぁ……」
昼休み、車庫で整備されて鎮座するIV号に手をつきため息をついた。軟式は航空戦が無いため、戦車しかない我々でも目標を達成する可能性は硬式よりかは高い
しかし私は西住流を破門された者。黒森峰と戦うとなれば、軟式とはいえ私を全力で叩きに来るだろう。それで皆に、そしてこの学園に影響が出たら……私はどうしたら良い?
思索に耽っていたせいか、私はらしくないことに背後からの足音に気がつかなかった。
これが下手な奴なら首を切られていたかもしれないというのに
「みーぽりん!」
「わっ!沙織さん、どうしたの?」
いきなり両肩を掴まれ、素早く振り返り聞き返す
「昼休みになって教室にも食堂にもいないからここかな、と。華も来てるし、せっかくだからここでご飯食べない?」
私も後で食堂で食べる為弁当を持ってきていた。そこで沙織さんの提案を快く受け入れることにした。全員IV号の上に登る
「みぽりん、どうしたのこんなところでため息なんかついて」
話をするにしてもこの話はしても良いのだろうか。飯と共にするには少し重い話な気もするが。いや、ここは友である彼女らを信頼するべきだろう
「いや、途中から入った私がみんなの上に立てるのかなっ、て」
「でもあの状況からチャーチルとの一騎打ちまで持っていくことが出来たのは誰でもなくみほさんのお力ですわ。負けはしましたけど、あの試合が出来たことに後悔はありません」
そう言い華さんはサンドイッチにかぶりつく。なおそれは合計パン1斤はある。でかい
私の力と言われたが、そうでもない
少なくとも華さんがあの時正面からマチルダIIを隙間から撃破し、そして麻子さんに路地を的確に進める操縦技術を持ち、優花里さんが一定の装填速度を維持し、沙織さんが他車輌と素早く通信してくれなければ、一騎討ちなどには持ち込めなかった
だから私がここについて未だよく知らない立場であるにもかかわらず、私のみが徒らに持ち上げられるのは喜ばしくないのだ
しかしそれを如何に伝えるか。場合によっては自慢に対する謙遜とも捉えられかねないのだ。既にそうかもしれないが
するとそこに弁当を持った優花里さんが来た。優花里さんは戦車を見る為1人でもちょくちょく来ているそうだ
「皆さん、いらしていたんですか。何のお話をされていたんですか?」
IV号の上に加わり、弁当を開く
「いやー、みぽりんが自信なさそうだから優花りんもなんか言ってあげて」
「いや、自信無いっていうかなんていうか……」
自信ない、という言葉もあながち間違いじゃないだろう。何より私がかつてのこと故に、その立場を受ける自信が無いのだから
「西住殿が頼られているから皆が副隊長に押したんですよ。
自分を否定しなくていいんですよ!
私は西住殿を素晴らしい指揮官にして無二の仲間であると確信しているであります!」
自分を否定しない、それは私が過去にやったことをみんな知らないから言っているんだ。もし私の過去の罪を彼女らが知ってしまったら……それでも彼女は私を友のまま信じてくれるだろうか
この不安は、伝えられない。如何なる言葉を尽くしても私の伝えたい内容を満たすことは出来ない
「どうしたんだ」
「うわっ」
いきなり開いたキューポラから麻子さんが顔を出した。つーかどっから出て来てんだい
「あー、麻子また授業サボったでしょー」
「自主的に休養をとっただけだ。あの授業なら聞かなくても取れる」
何時もながらひでぇ言い草だ。そんなこと口にはしないけどね
「もう、おばぁに言いつけるよ!」
麻子さんの顔が引きつり、目線をそらす
「……それは困る」
「5限からは真面目に出なさいよ」
顔色が明らかに変わった。後で麻子さんのお祖母さんのアドレスを沙織さん経由で入手しようか
「……分かった。ところで何の話だ?」
「みぽりんが副隊長なったけど、自信無いって」
「そんなことか」
「えっ?」
麻子さんのあまりに素っ気ない返事に皆驚く。私もだ
そんなこと、なのか?
「人の上に立つのに必要なのは支える人だけだ。副隊長だからって気負うことはない。困ったことがあったら私達に頼ればいいじゃないか」
麻子さんが戦車から身を出して、車体を通じて降りてきた
「でも……私ここに来たばかりですよ?練習内容の指示ならともかく、実際にチームの纏め役である副隊長になるなんて……」
「来たばっかなんて関係ないよ!みぽりんの指示なら信頼して試合に臨める、と思ったからみんなが推したんでしょ?」
「そうですよみほさん。私達は仲間です。あんこう踊りの恥ずかしさを分かち合ったんですから」
「大丈夫だよみぽりん。私たちにできることなら協力するから!そうでしょ?」
「勿論であります!私は何があっても西住殿についていくであります。手伝えることがあればお任せください!」
「……ありがとう」
仲間だ。本当の仲間だ
有能無能関係でも利得関係でもなく、信頼と友情からなるものだ
彼女たちは頼っていい。難しいことは関係ない。ただこの仲間と一緒にいたい。出来るだけ長く
逃げた先のものは私を否定するものじゃなかった
この仲間となら自分の道を見つけられる
その後いろいろなことがあった。
次の寄港日、私の誕生日に合わせてみんなで大洗の街のアウトレットで買い物した。
たまたま会った華さんの家の使用人の新三郎さんの人力車で大洗の町を走った際は、これは試合で工事中の場所に行ってしまった私に地理を覚えてもらおうと沙織さんが提案したのだが、海岸に松並木を目指してたなびく風が心地よく感じられた
あと華さんの実家についての話を少し新三郎さんから聞いたりもした。これはなかなか面倒そうだ。
破門というものは中々ひっくり返されるものではないことは私が一番良く知っている。そうしなければ破門自体が罰としての意味を失うからだ。
何があれば再び五十鈴流に戻れるのか、それは分からないだろうが、何らかの形で結果を出すしか無いのだろう。彼女らにとっては戦車道は乙女の道なのだ。
私は西住流とか二度とごめんだけどね
アウトレットなり、めんたいパークなり、港周辺での昼飯なり、磯前神社なども巡った。途中の店で少々買い食いをしたが、その中で焼きそばパンにアンチョビが入っていると思われるパンを買った。合うかはわからないが、焼きそばに塩だから少なくとも合わないことはないだろう、と予想していた
しかし実はそのパンに乗っている丸いパンがアンパンだった時は流石に閉口した。美味かったけど
その後大洗の街を縦断して潮騒の湯に移動し、塩っぽい温泉を享受した。露天風呂から若干外が見えづらかったのは残念だが、気持ちよかったのでよし
練習に関しても集中力が増して、自主練する車輌も増えた。失敗が人の動機になる、参考になる出来事だ。
例えば走行間射撃、停止射撃問わず砲撃の命中精度が全チーム上昇した。停止射撃で停止目標なら全車輌平均して命中率3/4だ。黒森峰のエース層には劣るが、下位層や補欠となら張り合える
それ以外にも隊列維持、走行技術、どれも同じ車輌に乗った強豪を相手とするには不足なし。あとは敵車輌の方が優秀でも戦える力を養うのみ
このままチームの技術力が他校と平行なグラフを描くことを恐れていたが、そうとも言い切れない状況は喜ばしい
質問してくる人も増えた。その分優花里さんを中心としたあんこうチームのメンバーに頼らざるを得ない環境が続いた。
彼女らの無償の手助けには大変助けられたし、それへの感謝も何度も口にしたりして伝えようとしたが、麻子さん以外は友人だから、ただそれだけ述べて正面から受け止められたことはなかった
そう、本来はこうであるべきだ。私だけが異様に拘っているだけなのだ。麻子さんはこの拘りに付き合ってくれた。手を取ってありがとう、というと、どういたしましての言葉とともにそれを握り返してくれる
きっと直ぐに沙織さんの口から出た親族が祖母であることと関係があるのかもしれないが、私にそれを深追いする趣味はない
大洗は戦える、少なくとも強豪相手にガチンコで接戦には持ち込める。そんな確信を持っていた
11月30日、ヘッツァーに改造された38tを含む9輌の戦車とともに、戦車を載せた連絡船は熱海港に到着。明日の全国軟式戦車道大会開会式の行なわれる自衛隊東富士演習場へ向かった
温泉街の外れを抜けて十国峠を越え、岩戸山と城山の間をすり抜けると、観光地芦ノ湖が姿をあらわす。船が浮かび青く澄んだ湖の対岸では、ロープウェイが観光客を乗せて盛んに行き来していた
「ねぇみぽりん。大会が終わったらここ来れるのかな?」
「確かに箱根の湿性花園は私も一度お邪魔したいです」
「道中の御殿場アウトレットでも良いかも~!」
これから曲がりなりにも試合だというのに、彼女らの視線は次の楽しみに向いている。
それもそうか。次の試合会場まで移動しなくてはならないから、ここに残れる期間はそう長くないことはあとで話そう
そして私も今、試合後を楽しみにしている。戦った者同士による躊躇いのない会話を、私は既に待ち焦がれてしまっていた
「西住ちゃん。気分はどうよ?」
「あ、会長さん。正直、自分の中の興奮が抑えられているか心配です」
「出来てないね。笑顔だもん」
「そう言う会長さんだって干し芋食べるペース早くありません?」
「いやー、今日は一段と美味しい感じがしてね。向こうに着くまでに500g一袋食べちゃいそうだよ」
「食べ過ぎですって」
「本当に食べ過ぎてたら私こんなに小さくないって」
確かにそうなのかもしれない。寧ろそればっか食べてたからこの体格なんじゃないか?いや、この方筋力あるからそれはないか
チーム全体の士気も高い。この高揚がプラスに使えるかは、私次第。
そしてその覚悟は皆の顔に支えられ、私の心の中に既に築かれていた
~
「日本も列強各国が導入したことを受けて、陸軍省主導のもと帝国女子戦車道連盟および帝国戦車道教導団が設立される。特に後者は当時優秀な車輌であった89式中戦車や94式軽装甲車を利用し、1936年ベルリンにて行われた戦車道世界大会決勝にて開催国ドイツを破って優勝を飾るなど、戦前戦車道の隆盛を支えた。この時の両チームの試合後の握手は当時では貴重であったカラーフィルムにて記録されていることからも、その注目ぶりが読み取れる。
しかし翌年には日中戦争が勃発。その長期化が明らかになる中、その翌年の国家総動員法により戦車道は事実上停止に追い込まれた」
山鹿涼『日本の学園都市』より
~
今日はここまでです
覚悟は、できていますか?
2130から始めます
まだ?
今日のやで
すまんな。試験終わったから週二更新再開できるんや
『世界は非常時に最高の策を取れる人間を求めている』
西住流2代目 西住ちほ
1952年、サンフランシスコ平和条約の施行に伴う、戦車道復活に際しての発言。直前では朝鮮戦争、インドシナ戦争の長期化に触れていた
…
1.試合はフラッグ車ルール、または殲滅戦ルールを適用する。フラッグ車ルールはフラッグ車の走行不能となった時、殲滅戦ルールは全車走行不能または戦闘体制が崩壊したとみなされた時に敗北とみなす
……
1.硬式戦車道とは人命を賭して非常時に最高の策をとれる人間を選び集中的に育てる為に行うものである。
1.大会中の犠牲者及び負傷者は事故扱いとする。それに対する戦車道連盟からの保障は行わない
……
1.通常硬式戦車道はフラッグ車制を導入する。しかし大会本部の総意に基づく決定により変更可能とする
……
1.試合会場は大会本部の決定のもと行うものとする。なお、同一回戦は同じ会場で行うこと。硬式は捕虜管理の敷地なども確保できる場所である、と連盟に認定された場にて行うこと
……
1.戦車は1945年以前に設計、製造されたものを使用する。他の使用武器も同様とする。それにそぐわない武器の使用は、理由の如何を問わず使用チームの反則負けとする。
また硬式戦車道において歩兵用短機関銃はトンプソンM1、モシンナガン、Stg42のいずれかと弾を100発を毎試合1車輌につき1組支給、拳銃は九四式拳銃に弾丸1発を装填し毎試合ごとに1人一丁支給する。
1.戦車砲弾は大会本部から支給、または使用を許可されたものを使用すること。それ以外の砲弾の使用は使用チームの反則負けとする
……
1.試合会場周辺は自衛隊により包囲する。逃亡と判断された場合は射殺を許可する。その死者は犠牲者扱いとする
……
棄権要項
1.棄権は戦車道連盟理事校のチームのみ認められる
……
1.硬式戦において試合参加チーム以外が、事前に戦車道連盟に通告した上で同盟校として試合に参加することを認める。ただしそれに伴う砲弾の支給は行わない
……
捕虜扱い要項
1.捕虜とは相手チームに投降したもの、及び敗北チームの生存者を指す
……
1.試合によりあるチームが負けた際、そのチームの持つ捕虜は無条件に解放される
……
?? 12月1日、ついに2012年度第74回全国高校生軟式戦車道会場である自衛隊東富士演習場が開場となった。全員にユニフォームが配られる
「わー、これがユニフォーム」
バレー部の人たちがいつものユニフォーム以外の服を着ているが、案外違和感がない
「どう、似合う?」
「お似合いですわ」
ユニフォームの背中のあんこうのマークを見せながら沙織さんが確認し、それに対して華さんが微笑んで手を胸の前で合わせている。
いつもの格好ができない歴女達は少々不満気だ。だが帽子やマフラー、羽織だけは譲れないようだ
「何だか戦車兵みたい」
「だよねー」
1年生はユニフォームを見て騒いでいる。確かにここまで紫に近いユニホームは私も他に思いつかない。かといって戦車兵らしいか、と聞かれるとそうでもない気がする。
優花里さんは目の上に手をかざして他校の様子を見回していた
「おおっ、有名な高校が来ているでありますね。あっ、サンダース発見!流石サンダース、あの周りに屋台がいっぱい出ているであります!あ、あれはもしやシャワー車輌!」
どうやら初めて間近で見る強豪校に興奮しているようだ。まぁ元々戦車道ファンだからなぁ、そうなるか
「あのー、桃さん。この服の上からスカートじゃダメですかね……」
「ダメだダメだ!せめて開会式くらいはそのカッコでいろぉ!」
「そうよ!あとカバさんチームの人たちも!コスプレ禁止!れっきとした式典なのよ!学園の代表ということを理解してちゃんとしなさい!」
「えぇ~……」
サメさんチームの面子は、特にフリントさんはカッコに拘りがあるらしく、河嶋さんや園さんと口論している。前の付き合いからか、こういう光景も微笑ましく思えるようになっていた。
だが流石にスカートの上からスカートはいかがなもんかと思うぞ
??死ぬはずが、なかった
??ふとサイレンが鳴り、それに合わせてそばに来ていた5羽ほどの鳩が一斉に飛び立った。飛ぶ時にフンを撒き散らさなくて良かったな
「これより開会式を始めます。選手の皆さんは指定の場所に戦車を置いた上でメインスタンド前にお集まりください」
メインスタンド前には大きな画面とその前に朝礼台のようなもの、そして16校のチームの選手が各2列縦隊で整列していた。私の前には河嶋さん、斜め前は会長さん。横には小山さんが並んでいた。その後ろにあんこうチームの仲間から順に続く
戦車道連盟代表の挨拶を筆頭に来賓の挨拶、前回優勝校プラウダの隊長と副隊長による選手宣誓などが次々と行われた。肩車はしないんだな
「もう開会式始まってから30分以上経つよ。いつもこんなに長いの?、みぽりん?」
後ろの沙織さんが左の耳元でつぶやく。いつもは挨拶せず紹介のみで終わる人が、次々壇上にて挨拶している。そのせいで時間はいつもの倍近くかかっている。正直ウンザリしてきた
そんな疑問を持ちつつ、ケータイ電話による通信は禁止であるから、ルール違反があった場合は即座に没収する、と伝達した会場案内係の自衛官が台を降りると、司会の者がこう言った
「最後に今大会の実行委員長よりお話を頂きます」
「やっと最後だよー」
後ろの沙織さんは辛さと安堵が入り混じったような声をあげる。私も一息つこうとしたが、その息を噎せ返るような勢いで飲み込んでしまった
裸足の上に履いたスニーカーのかかとを踏み、上に胸が黒、腹が白のパーカー、下は白地に黒の筋が脇に入ったジャージを着た初老の男が、2人の護衛の自衛官と共にゆっくりと、軋む音のする数段を登ってきた
その男の顔を見たことがあった。いや、正しくは忘れたくても忘れられない顔だった
「皆さん、こんにちは」
男は浅く頭を下げる
「北野っ?」
忘れもしないこの名前
思わずただ力の限り叫んだ。他の学校からも同様の声が聞こえた気がした。その男の背後の画面に3語が映された
?????????????????????『B R 法』
「えっ、みぽりん、どうしたの?何あれ?」
沙織さんが再び背後からひそひそ話す。しかし私にそれに答える余裕は1ミリたりとも存在しなかった
「競技開始以来八十有余年。今や戦車道はすっかりダメになってしまいました。
そこで今大会では皆さんの培った技能を埋もれさせないよう、最高の環境を用意させていただきました。どうか日頃の訓練の成果を存分に発揮してください。以上です」
他の挨拶した人々よりかは遥かに短かったが、その話に込められたものは間違いなく、限りなく多かった
北野は2人の自衛官と共にゆっくりと段を降りた。選手はざわめいた。
BR法、その画面に残されたものが何なのか、北野は何が言いたいのか。それがわかるのはほんの一部の者だけだ
だが彼らも間も無く気付くだろう。この言葉があってはならないことに
「何?みぽりん、どういうこと?」
沙織さんが先ほどよりはっきりと、不安げな顔で尋ねた。顔にこの時期に似合わない汗が流れる。冗談も大概にしろ、と言いたくなるが、依然として画面には同じ3文字が粛々と表示されたままである
確認が必要だ。あの3文字が私の想定しているものと一致していない、という証拠の
「優花里さん!待機場所に支給されている弾を一発持って来なさい!」
「はい!ただ今!」
優花里さんはすぐに待機場所に向けて駆けて行った。彼女も何かしら良くない雰囲気は感じているのだろう。私と同様汗が見える
「あんこうチームとカメさんチームはちょっとこちらに集まってください」
まだ確定ではない。まだ確定ではない。取り敢えず不安な気持ちを出来るだけ周りに伝えまいと微笑もうとするが、目が笑おうにも笑えない
「西住ちゃん、さっきのはどういうことだい?」
カメさんチームのメンバーが集まってきた。しかし視線さえ合わせる余裕がない。目線を合わせたら、顔を見せてしまう
「優花里さんの答えが全てです」
そう答えるのが精一杯であった
数分後、優花里さんが89式用の57ミリ砲弾を抱えて急いで走ってきた
「西住殿、大変であります!戦車の内側の炭素繊維のコーティングが全て剥がされて没収されています!」
皆が固まる。その意味を理解するのに時間がかかる
「優花里さん。その弾を置いてください」
彼女の動作はいつもよりもゆっくりだった。鋭く尖った鉄の塊。最後の微かな希望を小さな人差し指に託そうとする。置かれた弾を指で叩くと鈍い音がする。その音で皆理解した。私も確信した
「中が詰まってる……間違いありません。これは硬式用の弾です」
軟式用は貫通性能を抑えるため弾の中央を空洞にして軽量化し、砲弾の先を丸くしている
しかしこの砲弾は先が尖り、空洞がない。火薬の威力もまた強化されているだろう。すなわち貫通性能が格段に高い
「硬式ルールが導入されているのは黒森峰とプラウダ、あとはヨルダン、故宮とあと数校などほんの一部だけだったはずなのですが……」
ルールブックを確認していた小山さんが今年7月の大会の参加校を告げた。そう、これは軟式大会のはずだ。だが……
「BR法は殲滅戦ルールで行われる硬式戦の通称です。私も今まで実際に行われたことを聞いたことはありません。が、この様子ですと事実なのでしょう」
「バトルロイヤル、って訳か」
「硬式って……戦車の中でも当たったら怪我するってこと?」
「いや、バラバラになって即死だろ」
「そ……そんなのやめようよ!みぽりん。今からでも参加辞退して帰ろう!」
「私達と同じルールなら、会場は自衛隊に封鎖されています。逃亡は射殺され戦死扱いです」
「そんな!」
「まーまーみんな落ち着いて。動揺してたらいい知恵も出てこないって!」
会長さんが干し芋を袋に入っているビニールのカバーごと食べながら言う。その様子を河嶋さんが会長をチラリと見たが、すぐに視線を外した。私は河嶋さんの目を見た。手のうちの一つは彼女が呑まねば実行出来ない
「と、とにかくやられなきゃいいんだ!勝てばいいんだろ!我々は勝つために参加したんだ!1回戦の相手は何処なんだ!」
河嶋さんが自分の不安を払拭しようかというほど大きな声で叫ぶ。隊長がそう言うのならば、そうするしかない。逃げた所で問題がどうこうなる訳でもないのだから
華さんが近くのトーナメント表を覗く
「えっと……、サンダース大学付属高校です」
「げっ!サンダース大学付属高校!いきなり優勝候補の一角じゃないか!」
不安は増すばかりだ
ひとつ言えるのは、戦わなければ確実に死ぬ。それが私と河嶋さんから全車長に伝えられた。返事をする者は誰一人いなかった
そしてこの時、私の中ではとてつもなく恐ろしい考えが、ほぼ確信となって私の胸に仕舞い込まれてしまっていた。
私がもっと才能豊かな人間であったならば、このような結論は導かずに済んだだろうし、仮に導いても実力でそれをひっくり返せただろう。
しかしこの愚かな私にそれを成し得る自信も実力もなかった
広報部からの報告
内容
大洗女子学園の動向
同校からの連絡によると
「参加するしかないな」
と
「第74回大会の硬式化」
において選択をしたとのことです。
ここまでです
そろそろ始めます
サンダース大学学園都市、この学園都市は長崎県の旧大瀬戸町・西彼町・西海町・大島町・崎戸町とその後編入した川棚町、東彼杵町、波佐見町、佐世保市を範囲としている
かつてアメリカの支援で建設された学園都市であり、また港湾都市佐世保を管轄していることもあり資産が豊富で、大会参加校最大の約500輌の戦車を保有している。都市住民の総人口は大洗の3万、黒森峰の20万を超える50万人程(佐世保市含む)である
その戦車道隊長私、ケイと副隊長のアリサとナオミがテントの中にあるひとつの机を囲んでいた
「……どうしようかしら」
何時もは楽天的だ、と自分自身のことを捉えているが、今日ばかりは真剣な顔で話さざるを得ない
「まさか硬式戦ルールを適用するなんて」
「冗談……とは思えませんよね」
「……」
ナオミは腕を組み、椅子ににもたれかかる
「しかしこうなってしまった以上、最善の手を打ちましょう。最初は大洗ですか。データによりますと、パワーは我々が上です」
机の上に右手を置いたアリサが言う。確かにそうだが、そうとも言えない事実もある
「しかし相手にポルシェティーガー、III突、IV号、ヘッツァーがあります。彼らがある限りこちらも相応のダメージを受けるのは確実よね」
私は隊長だ。命令のない今、私の最大の職務は隊員を皆無事な状態で長崎の地を踏ませることだ。それが勝利に勝ることはないことは、私が何より理解している
「隊長の戦車道は戦争ではない、というスピリットに則るならばこの大会、棄権すべきかと」
ナオミが背もたれから身を起こす
「棄権するの!今年戦車道始めたばかりのところに!我らサンダースがそんなとこに負けるくらいなら包囲網突破を考えたほうがましよ!」
アリサが立ち上がり反論する。そう、問題は弱小と思われている大洗に降伏することが、我がサンダースの地位を貶めないかにある。私としては相手に西住みほがいる上、練習試合でグロリアーナ相手に奮闘したと聞く。弱小とは思えない
去年の冬に西住みほが行ったあの行動。みほが乗るフラッグ車と他数輌が川岸を走行していた時、待ち伏せしたプラウダの戦車が川の土手を破壊、黒森峰側の1輌が川に落ちた。それを助けにみほはフラッグ車から飛び出し、救助に向かった。その間にフラッグ車は撃破された
戦うとなれば、彼女を殺さねば終わるまい
そんな人物を殺していいのか
迷った
そんな間ずっと2人は論戦中だ
ふと外から声がする。席を立ってテントの幕を上げた。外には部下が1人直立不動で敬礼していた。
情報は伝えてある。だからこそ行為は正さねばならないと考えているのだろうか
「ケイ隊長、学校長より無線です。至急とのことです」
「分かったわ、すぐ向かうから待ってて」
敬礼を返す。身を翻し、2人の方を向く
「アイクに呼ばれたわ。対応可能な状態で待機しといて」
「イェス、マム」
2人はサッと立ち上がり、敬礼で答える。頼りになる仲間たちだ
??無線室には1人の無線士が待機していた。一礼して入り受話器を取る
「こちらサンダース戦車隊隊長ケイ。いかがしました、アイク?」
一つ命令を受けた。私は分かりました、と一言告げて無線室を出た
もとのテントに戻ると副隊長2人が顔をこちらに向ける。席に着く前に口を開いた
「黒森峰を倒すべし、それが学園長の言葉よ」
これが指し示す意味は一つだろう。私の意思には背くものだが
「つまり……」
「大会に参加し、大洗などを倒して決勝に進む、と」
「トーナメントの都合上そうなるわね」
「だったら思い切りやってやりましょう。プラウダと黒森峰を潰して、このふざけた戦車道を終わらせるんです!それが出来るのは我々しかいません!」
アリサが机を叩き叫ぶ。しかしナオミがここで手をあげる
「ナオミ?」
「……降伏を勧告する、という手もありますが、どうでしょうか。無駄な血は流したくありません」
それにアリサが手を差し出して制する
「いや、それはこっちから勧告すべきじゃないわ。こっちから戦いを回避しようという心持ちで黒森峰と戦えると思う?
万一欠員が出ても、我々の戦車道ならば補充可能です。試合をしたくないというのなら、向こうが提示すべきでしょう。それに応じる形なら我が校の威信も上がりますし」
「そうね……分かったわ。私達はこの大会、戦い抜くわよ」
迷いはなかった。それが命令であるし、経験も必要だ。少なくとも初戦がプラウダや黒森峰であるのは避けるべき。そしてここで力を示すことが出来れば、のちの試合の相手へのプレッシャーにもなり得る。
すぐに隊員に集合命令を発令した。私のこの気持ちが維持されているうちに
~
It is a good idea to obey all the rules when you’re young just so you’ll have the strength to break them when you’re old.
(若いうちはどんなルールにも従っておくのが良い。どうせ歳をとればルールを破る力が手に入るのだから。)
マーク=トゥエイン
~
台が設置され、その後ろにサンダースの校章が掲げられた。それに見下ろされる様に200人以上の隊員が集められた。これらの者は戦車の乗員だけではない。救急隊や娯楽車両の管理者らもいる。
頭に光る4つの星とともに皆の右手側から台に上がる
「Attention!(気をつけ)」
アリサの号令と共に、隊長を含む全隊員が足を揃え、力強く敬礼した
「これより!我らサンダースのケイ隊長よりお話しがある!全員心して聞くように!」
ひとつ深呼吸した。その目に皆を覆い、勇気を与えられるよう力を込めた。あとは私の心からの決意を示すのみ
「いい、これだけは覚えておきなさい! 臆病者が勝利の為に命を捧げたりはしないわ! 馬鹿正直な戦友を死なせて勝利だけを得ようとするのよ。
そして勝者としての栄光は、その臆病者が生きながらにして享受する! まるで自らがそれを得たかのような顔をして!」
「諸君! 校内にはこの度の戦車道大会への参加をやめるべきだ、という声が流れているという話があるけれど、それは臆病者が流したデマよ!
その証拠に! この私が! 今大会への参加を決断しているわ!負けるだの棄権だの。今後これらの言葉は母校サンダースへの重大な冒?と思いなさい!」
歩き回りながら手に持つ鞭を手に叩きつける
「栄光なるサンダース大学は教師も、生徒も、父兄も、常に戦いを求めているわ。ビー玉、駆けっこ、大リーガー、ボクサー、我々は小さい時から戦って勝つ者こそ愛し、負ける者には同情さえ示さない。
かつて一度我が校が負けた時を見よ!その際に指導していた奴らに対し、我々は10年以上気にも留めなかった。ただの道路脇の石ころだった。
我が校がそれ以来常に勝利するのは何故か? それは負けることさえ憎んでいるからよ!戦いは人間が、いや生物皆が熱中出来る最強の競技。素晴らしいものだけ残り、それ以外は淘汰されるわ」
鞭は今度は右肩に手首を折り返して当てる
「諸君らの中には死を恐れるものがいるでしょう。かく言う私もそれに含まれてない、といえば嘘になるわ。確かにこの場のほんの僅かな人間が、大きな戦いで死ぬことになるでしょうね。
誰しも最初の戦いは恐れる。もし違うと言う人間がいたら、そいつはホラ吹きよ。
しかし真の英雄とは、恐れつつも戦える人を指すのよ。何分か、何時間か、何日かかけて、私たちは戦場で恐れを乗り越え、命令への即応と細かな注意力を武器に前に進むでしょう」
一時的に皆に背を向け、校章を仰ぎ見る
「戦車部隊はチームよ。同じ街で暮らし、同じ街で食べ、同じ街で眠りにつく。そして同じ街のために戦う。何事もチームが優先で個々の人格など存在しえないわ。
だが中には乗員の人格も認めろ云々と言う大馬鹿がいて、戯言をツイッターやフェイスブックでつぶやき、ブログに書き散らすのよ。そして何の価値もない、単なる色が変わるだけの同情を得ようとする。
そういうやつに限って実戦では何の役に立たないカスよ! ゴミ同然よ!」
最後の一言を強調すると正面に向き直る
「我が校の装備や食事は最高で、生徒の質と士気も世界一。
私は正直相手校に同情を禁じ得ないわ。彼らは負けて恥辱を受けるだけでなく、はらわたを引きずり出され、その脂は我が戦車の履帯を洗うのに使われるのよ。
だけど彼女らに同情する必要はないわ。何故そんな貧相な装備でわざわざ戦いを挑もうとするロクデナシに同情する義理があるの?」
一つ息を吐き、その後大きく息を吸い叫ぶ
「無論私も皆と同じく学園の地を再び踏むことを望むわ。しかしみんな地面に寝っ転がったまんまでは、試合に勝つことは出来ない。
この望みを成し遂げる道はただ一つ。心に刻んでおきなさい。相手のロクデナシをぶちのめし続けることよ。とっとと奴らを引っ叩けば、私たちはとっとと家に帰れる。
最低最悪の一切合切を粉砕し、満を持して仇敵のヘボ先生を撃ち殺す!
これも肝に銘じておきなさい! 守りを固めるなどということは我が校にはありえないわ! 我々には攻撃ターンのみ、陣地の死守は相手校の役割よ!陣地保持なんて報告をする暇があったら、先に進みなさい!
進撃に続く進撃こそが我らの戦法! 上手くやろうとしてしまう前にひたすら進み、奴らをガチョウの糞のようにメタメタにしてやりなさい!」
腕を振るい上げていた腕を降ろした
「栄光ある勝利をつかんだ暁にはそれを生涯誇るこそができるわ。いつか諸君がその子供に学生時代何をしていたのか尋ねられてもこう答えなくて済む。
『ただの目立たない学生だったよ』と。
自由に捧げし美しき英雄たる諸君を率いてこの戦いに参加できるのは私の誇りであり、我らの偉大なる母校サンダースの誇りであるわ!諸君も英雄となるに足る誇りを持って戦いなさい。
黒森峰とプラウダに、この地が奴らの独壇場ではないことを、大洗を完全に制圧して思い知らせてやりなさい!
以上よ!怯むな、進みなさい!
神よサンダースに恩寵あれ!」
「イェス、マム?」
最後に今までになく意思を込めた敬礼をきめる。総員の大きな返事が響き渡る。全力で敵をたたく、そのことでサンダース全隊員が一致した
「……流石です、隊長」
台を降りた先には、各自車輌の準備するよう指示した後のアリサが待ち構えていた
「神よサンダースに恩寵あれ、ねぇ」
「良いんですよ。神に頼るのは準決勝以降。それまでは神に決められずとも、既に我々が決めていることですから」
?? 机の上には1人に1つづつスープの入った器とコップが用意されていた。会長さんがコップを掲げる
「それでは前祝いにジュースでカンパーイ!腹拵えが済んだらいよいよ試合開始、ガンバロー!」
会長さんの挨拶いつもの軽い感じだ。しかしカップ同士の当たる音は聞こえない
「西住殿、キンチョーして喉を通りません」
スプーンを持ったままが地図を確認する私に、優花里さんが話しかけてきた。ジュースの残りを喉に流す
「そうですね。もう次の次ががプラウダなんて」
「え?いえ、相手はサンダースであります!参加校ナンバー1の装備と物量を誇る優勝候補であります!」
「ああ、でも航空支援のないサンダースならなんとかなるんじゃないでしょうか?それに1回戦なら車輌数も限定されますし。
こちらの主力はヘッツァー、III突、ポルシェティーガーともに防御タイプなので引いて守りを固めましょう。それでもサンダースは押してきてくれると思います。硬式は経験の有る無しが左右しますし、数が多い分不安も波及しやすい
ですがサンダースは硬式においてならプラウダや黒森峰より士気が大きく劣りますから、そう気負うことはないでしょう。
それにその次のマジノかアンツィオも硬式の経験はありません。戦車の質から考えると、そんなに気にかけることはないかと」
「……そういえば、先ほどお会いしていた方はどなたでありますか?」
「今回には関係ないので大丈夫です」
全く、この口調を維持するのも辛いんだぞ。そんなに話をそらしたりしようとしてくるんじゃない。上手く伝えてくれよ
???珍しく華さんがお代わりすることなく食事が終わり、片付けされずに残った唯一のものである机の周りに全車長が集まる。河嶋さんが真っ先に口を開く
「西住、今回はお前が策を立ててくれ。硬式経験者はお前だけだ。軟式とは訳が違うだろう」
「分かりました」
まぁ、そりゃそうくるか。
バツ印が2つ書かれた地形図を食い入るように見つめる。一つは我々、もう一つはサンダースだ。ある程度考えた後、それとは別に1枚の紙を置いた
「敵は盆地にて包囲戦を行おうと計画しております。偵察も出してくる模様です。しかも敵の西住は我々を航空支援がないと舐めています」
ヘッドホンを外したアリサが伝えてくる
「フッ、しゃらくさいわね。あいにくウチは諜報も一流なのよ。それならば逆包囲をかければいいわ」
「偵察を瞬殺しましょう。相手から我々を見失わせるのです」
「ナイスね。そうしましょう」
そう。実に素晴らしい情報だ。
我々が賭けるのは命なのだ。試合という場で戦うだけでもフェアであろう。そうじゃなければ爆弾の雨で終わらせるわ
???午前11時、審判の笛の合図と共に第74回戦車道大会1回戦第4試合、大洗女子学園対サンダース大学付属高校の火蓋が切って落とされた
「パンツァー、フォー!」
大洗側も私の掛け声とともに移動を開始した。ウサギさんチームとアヒルさんチームが偵察として前に向かい、その他は指定された場所に向かう
「ウサギさん、盆地の方の351地点まで先ほど付けた丸太の束を付けていてください。盆地を過ぎたら切って外してください」
「了解しました」
「全車、土煙を出さないように!速度はゆっくりで構いません」
始まった。履帯が木々の間をゆっくりと、煙が葉に紛れる程度にしか上がらぬよう進む
「西住殿……」
優花里さんがこちらを見上げるのを、右足の爪先で肩を叩いてから口元に寄せて制する。何があるか分からん。無用意に口を開くでない
「西住副隊長、こちらアヒル、ただいま626地点、敵影はありません」
「了解しました。そちらで一度待機してください」
「分かりました」
通信手の近藤が磯辺にみほの指示を伝え、近くの木の陰に停車した
「本隊と随分離れたな」
「そうですね、キャプテン」
磯辺はそのままキューポラから身を乗り出し、双眼鏡を構える。辺りの見晴らしは率直に言って良くない
「しかし西住副隊長はあのように仰ってましたが、あの話本当なんですよね?」
「まぁ確かに車内のコーティングは剥がされているようだが……」
「砲弾もいつもより重い気がします」
「そ、そういえば、私たちとウサギさんチームだけさっきの食事豪華だったよね」
「何でか西住副隊長に訊いたが、全く答えてくれなかったな。何なのだろうか。
それにしても、偵察といっても敵の動きが無くては何も……ん?」
「ねえ、何か音がしない?」
佐々木がハッチの外に目を向ける。磯辺が首を左右に振って見ると、右に敵戦車が数輌見える。距離も近い
「て……敵発見!右側面3時!砲塔旋回早く!早く!」
佐々木が汗を流しながら必死にハンドルを何周も回す。回し終わった佐々木の顔が照準器に戻り、その中央に捉える。
敵は側面を晒している。幸いまだ敵は我々に気づいていない
「撃てッ!」
磯辺の合図とともに照準を定めて引き金を引く。しかしその後に聞こえたのは、完全に弾かれたとしか言いようのない甲高い金属音だ
「弾かれたか!こ、後退用意。作戦通り敵を誘い込むぞ!」
河西がレバーを引き、後退しようとしていた
アリサ車の車内ではかん高い音がこだましている
「居たな……ブリキの箱め。捻り潰してやる。どこ当てても撃破出来るでしょ」
「ベティ待って!豆タンクでしょ」
砲塔の回転を始めていた砲手のベティをアリサが制する。するとアリサはキューポラから身を乗り出した
「ハロー、そしてグッバイ」
開けながら一声挨拶すると、すぐに枠に腰と足を掛け、手元の12.7ミリ機関銃の引き金を引く。けたたましい音とともに後退しようとしていた89式を銃弾の嵐が襲う。銃弾は貫通して車内のバレー部員をも突き抜けていった
悲鳴が一瞬聞こえたが、すぐに聞こえなくなる。エンジンに最後の1発が当たったのだろうか、撃ち終わった後自動判定装置の作動する音が悲しく響いた。車内に残されたのは、車内の右側に寄った、一つあたり10は穴が空いている元人間
彼女らが試合前に訊いた、この試合では人が死ぬという話を実感する時間は、残されることはなかった
「こちらアリサ!89式撃破しました。乗員の生存もなし!
このまま進んで敵の側面を叩きます!」
「Good!うちらもM3とっとと撃破するわよ!」
早速の朗報。アリサは既にこの雰囲気の中で自身の在り方を確立している。早く私もこの現実に慣れなければ
第74回戦車道大会公式記録
大洗女子学園犠牲者
磯辺 典子
サンダース 銃殺 死体損壊が激しく致命傷は不明 即死
近藤 妙子
サンダース 銃殺 死体損壊が激しく致命傷は不明 即死
佐々木 あけび
サンダース 銃殺 死体損壊が激しく致命傷は不明 即死
河西 忍
サンダース 銃殺 死体損壊が激しく致命傷は不明 即死
「アヒルさんチームとの通信切れました」
沙織さんが振り向き報告する。通信が切れる、それはすなわち死である。そんなに地獄の釜の底を眺めたような顔をするのも然りか。
私は久々に見たぞ、その底を
「側面からも来ましたか。さすがですね。各チーム右方向の森を警戒してください」
予想の範疇。彼らはチャンスはあれどそれを逃した。そして情報と引き換えに死んだ。それだけだ
そうせざるを得なかったのだ。89式の硬式で使い道なんてどうあがいてもこれが精一杯。そうであるに違いない。そうだ。そうだ
いずれにせよ場所がわかったのは重畳。あとはこれを活かすのみ
広報部からの報告
内容
サンダース大学の動向
同校からの連絡によると
「怨敵黒森峰を打倒せよ」
と
「第74回大会の硬式化」
において選択をしたとのことです
ここまでです
2330くらいですかね……
始めます
サンダースは強かった。その経済力、軍事動員力、学力、その何れも学園都市トップクラスである。しかしそれ故に、また一つものものに勝てなかったがために、サンダースは覇権を握れなかった。
判官贔屓である。
山鹿 涼『日本の学園都市』より
「アヒルさんチーム、走行不能」
澤の背中に戦慄が走る。しかし他のものは深く考えていない。
というのも、澤は仲間が平穏の中で試合が出来るように、微かな気遣いを以って事実を隠匿していたからだ。
そしてその効果は明確に現れていた
「とりあえずアヒルさんチームの無事を確認するね」
そう言って宇津木はアヒルさんチームの周波数に無線を合わせる
「こちらウサギチーム、アヒルさんチーム無事ですか?」
無言が数秒続き、宇津木がヘッドホンを外す
「どうだった?」
「いや、返事が無いよー」
「撃破されたなら一言くれるのがルールなはずなのにね」
その意味を分かってしまった澤は胃が丸ごと口に登りそうになるのを感じた。しかしそれはすぐに引いた、喜ぶべきことが理由ではなかったが。
澤は素早く双眼鏡を構える。かなり遠いが戦車がいるようだ。4~5輌といったところか
「あや、11時方向の敵の距離わかる?」
「えっ、どれ? ああ、あの小さいの? うーん、シャーマンが6メートル弱だから……多分1000は離れているんじゃないかな?」
「ありがとう」
咽頭マイクのスイッチを親指で入れる
「西住副隊長。敵発見しました。現在えー、776地点、敵は4~5輌です。距離は1000。どうしますか?」
「作戦通り北の盆地に誘い出してください。鼻の長い車輌いますか?」
「んー、すみません。遠くて分かりません」
「それがいたら気をつけてください。有効射程は3000あります」
「分かりました。現在結構離れてますが誘い出します」
砲撃音、そして間も無くいきなり近くの土と木数本が辺りに拡散しつつ吹っ飛んだ
「えっ、な、何があったの?」
混乱に襲われるウサギさんチーム。
遠くに見える戦車のうち1輌がこちらに砲塔を向けているのが何とか分かる。しかもそれは西住副隊長に言われた鼻の長い車輌だった。あの距離からこんなに正確に撃ってくる。まともには戦えない
「主砲、副砲それぞれ1発撃ってすぐ後退!次が来る前にいくよ!」
「は、はい!」
2つの砲が放った砲弾は敵には届かなかった。ならばただ後退するのみ。この木の群れだ。こちらも当てづらいが、それは向こうも同様のはず
「……チッ!」
ナオミがファイアフライの車内で舌を鳴らす
「ナオミドンマイ!逃げてるから追うよ!大洗の目を奪いなさい」
「イェス、マム」
「Go ahead!」
ナオミには前進を始めさせた。他の4輌も砲撃を開始し、M3を襲う
だがしかし厄介だ。このままだと彼らの術中にはまりに行くようなもの。木が邪魔で、そう邪魔でナオミが十分実力を発揮出来ていない
「中々すばしっこいわね。このままだと盆地まで行っちゃう。
仕方ないわ、M3に砲撃を続けつつ、盆地を囲む敵を右側面から叩くわよ!」
「イエス、マム」
ナオミは実に物静かなスナイパーだ。たとえ自分と相手が共に動いていても、難なく当てる実力を持つ。
そして硬式にて大洗と戦うことを最後まで避けようとしていた一人。だが今は飛び回るM3に無情な砲弾を浴びせかけている。相手の車長が頭出してるけど、御構い無し。こんな直ぐに人は変われるものだろうか
自分の性に合わない疑いが、ふと浮かんでしまった。
無線を繋げさせる
「ナオミ」
「手短に頼む」
「わざと外してないわよね?」
「……」
しばらく何も帰ってこなかった。息する音さえも
「あ……」
「私の戦車道に於ける仕事は変わらない。仕事の邪魔なら断る。通信終了」
??89式を撃破したサンダースの別動隊は、盆地にいると想定している敵の左側面を攻撃するべく、履帯の音を響かせる。その為側面に注意を払うことなく、林道を縦一列に並んで進んでいる。
この時を待っていた、この1列に並ぶ時を。勝つ気でノコノコやって来た雷神の横っ腹を突くは今
「見えました!先頭M4が5輌。レオポンさんチーム先頭を砲撃!88ミリです。1発で確実に仕留めてくださいッ!」
指示が飛ぶ。この指示を出す者は躊躇ってはならない。
89式とは比べ物にならない轟音がし、ポルシェティーガーは反動で少し後退する。
その砲身から飛び出した88ミリ砲弾は狂いなく先頭車輌の車体側面を撃ち抜く。砲塔は宙を舞い、車体のありとあらゆる金属板の隙間から爆煙が吹き出す
お見事
それを確認し、次の行動に出る
「カメさん、カバさん、あんこうは最後尾5輌目を砲撃?華さん、足回り狙ってください」
先の2人の砲撃には期待してない。ただ華さんなら確実に履帯を壊してくれる。
あんこうから撃たれた砲弾は転輪に命中、履帯の破壊に成功した。カバさんから撃たれた砲弾は車体側面に命中するも貫通はせず、カメさんから撃たれた砲弾は命中しなかった
カバさんチームの命中は今後の戦術に於ける大きな利だ。カメさんの河嶋さんの砲撃は当然の結果だろう
「2発命中!擱座しました」
先頭と後尾を撃破された敵別動隊は一本道で立ち往生していた。前進も後退も出来ない。車輌同士がぶつかり合う。
さぁ、時は来た。敵の増援が来る前に
「全車中の3輌を砲撃!撃ちまくってくださいッ!」
大洗現存車輌の殆どの砲門が残りの車輌に狙いを定める
「えっとそど子、47ミリ砲と75ミリ砲どっちを?」
「どっちでもいいから片っ端から撃ちなさい!」
「河嶋ァ、うるさい!もっと静かに撃て!」
「会長、こんな時に無茶言わないでください。あと手伝ってください!」
「さっきはしくじったが、そうはいかせない!フォイアー!」
「さぁ、海賊に次の機会はない!波濤を超えるぞ!」
「ヨーソロ!」
その報告に驚きを隠せなかった
「アリサ隊は交戦1分で全車被弾、全滅だそうです」
「なに!敵主力??馬鹿な、盆地にはまだ……」
「敵部隊の場所は643地点だそうです!別動隊の生存者が、突入は中断して負傷者を収容するよう許可を求めています」
「向こうの損害は?」
「……残念ながら最初の89式のみのようです。あと、アリサ副隊長の車輌は全損、生存者のいる見込みは……との」
「……」
右手の親指の爪を噛み切り、破片を吐き捨てた。森の中からは黒い煙がもうもうと立ち昇っていた。ウソではないだろう
乗せようと思ったら乗せられたか!
こちらも向こうの場所が把握できたのは良いが、向こうは第1波を撃退して士気が上がっている。対してこっちは撃破の情報による不安があるだろう
……西住みほのレベルが把握出来た以上、このまま数的劣勢が向こうに与えられたまま戦う必要はない。車輌を整備して戻れば良い。長期戦なら物資、環境面から考えてこっちに分がある
こちらの場所はばれた。戦闘が始まってから誰も口を効かない。お喋り好きな沙織さんでさえらしくもなく神妙な顔して、恐怖と戦っているだろう。そう、これが実戦、硬式戦
5輌足止めはした。うち2輌は撃破した。双眼鏡で向こうを眺める限り、動き出す気配はない
この後ウサギさんチーム率いる本隊と正面から戦っては、損失が大きくなり過ぎる。試合の形態上、そして目標の達成の為にそれをこっちから完全に避ける手段はない
しかしそれは向こうが犠牲に構わず突っ込んで来る隊長だったらの話だ。ウサギさんチームから連絡がないところを見ると、どうやらそうでもないようなのが幸いか
股下の布が蒸れる。こんな密室に5人で屯しているのでいつものことだが、今日は冬のくせに一段と蒸れる。
いや、違う。蒸れているのではない。よくよく神経を研ぎ澄ませてみると、垂れている。どっちからかは知らんが。
不意に笑いが漏れる。私はこんな一時的な安心の中で緩んでしまうような人間だったか。はたまたこの状況に恐怖を覚えているのか。
ここは敵がファイアフライだけでもこっちに差しむける可能性なども考慮して警戒を怠らないべきじゃないか
ま、他の人が気づいてないのは幸いだ。ウサギさんチームに確認を取らせよう
「こ、こちらアンコウチーム。ウサギさん、無事ですか!」
「こちらはなんとか大丈夫でーす。梓に変わりますね」
呑気な宇津木さんの声から変わったのは、いつもより低めの澤さんの声だった。沙織さんも私に無線を繋げる
「西住副隊長!敵の追撃がやんだのですが」
「撤退ですか?静止ですか?」
「撤退です。こちらの移動以上に距離が離れています。ファイアフライも引き上げているようです!」
その直後、サンダースの陣地の方角から白い煙が登る。それが何を示しているかは断定出来ないが、他の情報から推測は出来る
「……サンダースは突入を中止したようです。陣地に戻ってきてください」
「了解しました」
深く息を吐き出した
「サンダースは一旦突入を中止したようですね。やはりプラウダとは違います。それではこちらも移動しましょう。反転してください」
「ぷはあー。緊張で息が詰まる」
ヘッドホンを外した沙織さんが開けたハッチから湯気が登る
他の車輌の様子を見るに、みんなももうことに気づいているんだろうな。これは死ぬのが少し伸びただけにすぎない、と。緊張が解けて気絶する者が居なくてよかった
???雲と煙が混じる空の下、最初の陣地に残る車輌が帰ってきていた。カップと温かい飲み物が用意され、各人に配られる。私も一杯頂き、それを両手で包みながら配られる場所から少し離れた場所で、試合会場の地図と向かい合う。
誰も会話しない。話してもこの状況に見合う話題が無いのだろう。私もそうだ
沙織さんがすぐさま審判の元に向かい交渉する。しばらく話をした後こちらに戻ってきて、数少ない会話を始めた
「沙織さん、どうでした?」
「ダメ、棄権は戦車道連盟理事校以外は一切認められていないって」
だろうな。奴らに私らの話を聞く利点はない。寧ろサンダースの話を呑むだろう。
言い終わる頃には審判は逆方向に遠く離れていた
「冷泉殿、あの、ココアを……」
「……ありがとう」
ココアから立ち昇る湯気は風になびかれ消えていく
「冷泉殿……あの、バレー部チームがやられたのにみんな意外と淡々としてるといいますか……こういうものなのでありますか?」
カップを手に持ち、指を暖めている
「衣食足りて礼節を知る……
他人に同情して悲しむには……まず自分の安全と余裕が必要なんだと思う。私達だってまだ助かったわけじゃないしな。今は誰もが心の底じゃこう思ってるんじゃないか?
自分じゃなくてよかった、って」
さすがは麻子さんその通り。結局そこだ。
他人の死は突き詰めれば第三者の死。自分と直接的な関係はない。極論を言ってしまえば完全な共感は不可能という点で、持ち物を無くしてしまったのと同じだ
そうなればまず思うのは自身の生存だろう
さて、先程と同じでは通じるまい。向こうの行動も予想出来なくなった。まだデータ取ってるなら寧ろ裏をかいて作戦を伝えた通り実行するなどやりようはあるのだが
「降伏、出来ないの?」
飲み終わって一息ついた後に、あんこうチームとカメさんチームが集まっていた所で沙織さんの口が開く
遂に出てきたか、その言葉が
小山副会長がルールブックの最初の方を確認する
「降伏の規定自体はあります。ただし戦車道に関連する犠牲者は全て事故扱いです。処遇は捕らえた側の一存で何の保障もありません」
「でも死ぬよりマシでしょ。みんな降伏しようよ!」
「オイ待て!戦闘自体は今こっちが勝っているんだぞ!確かにサンダースだが、戦闘を始めた以上その命の保障だって無いんだ!なぜ相手が優しい前提で考える?」
降伏
コウフク
音だけは幸福に等しい。確かにある経路を辿れば幸福かも知れない。しかしその経路になる可能性は、決して高くない
降伏
そして生憎私は、そのうち半ば逆の経路を辿ってきてしまっている
足から力が抜ける。両膝が勝手にストンと落ちる。さらに運動もまともにしていないのに、息が荒くなってくる
音が、臭いが、感触が、光景が、脳味噌の中で渦巻いている
「だ……だめ……で……」
「みほさん、どうしました?」
絶え絶えにしか言葉を発せなかった。華さんが体を支えてくれる。胃の中に薄荷をぶちまけたような感覚だが、吐きそうではないのは幸いか。吐くと体力を使う
「みぽりん、大丈夫?急にどうしたの?」
「このじょ……ハァ……で、こう……ヒュ……くだけ……は、だめです……」
「降伏がダメ?なんでよ!みぽりんだって死にたくないでしょ?」
「た、武部ちゃん。一回西住ちゃんをこっちで横にさせてあげて」
「あ……ありがと……フゥー……います」
「みほさん、今はいいですから。無理しないでください!」
「え、えっと……過呼吸の対処法って」
「紙袋か?とりあえず袋持って来て!」
私は近場の丸太に頭を寄りかからせていた。気道はしっかり確保されている。
白んだ空をキャンバスにして、記憶の中の視界が開けてくる。瞼を閉じて、時が流れるのを待つ。袋のお世話になる前に、肋骨が意識的に呼吸を抑えられるようになってきた
「大丈夫?」
「大丈夫……です。少し……落ち着いて……きました」
「ほんと?無理しないでいいんだよ?」
「何れにせよ……暫くサンダースは……試合を再開出来ない……でしょうし」
「それで、みぽりんも降伏ダメなんて、どうしてよ?」
支えてくれながらも、沙織さんの顔には薄っすらと怒りさえ見える
「……最早向こうに……犠牲を与えて……しまっています……。こちらを明確に敵だと……考えているでしょう。向こうが……無条件で降伏を……受け入れて……くれるとは……思えません」
「そうだ。西住の言う通りだ。向こうの好き放題なんだぞ!仲間を殺した奴らを許すはずがない!少なくともそのことを信用して動くべきじゃない!」
「で、でも好き勝手っていっても、相手も人間よ?流石に降伏して殺されはされないんじゃないの?」
分かっていない、人というものを。彼女は元からその半分である男を理解してないけれども
「人をなめて……はいけません。これまで……多くの人を……殺してきたのは、紛れもなく……人なのですから」
納得はしないだろう。彼女は本気だ。サンダースへの降伏というものに、生存への微かな望みを見出し、しがみ付いている
それから引き?がすためには、私も本気で説得をかけねばならない。戦いの最中で降伏すること、人に命を握られること、そしてその状況下で人は何をするのか、それを伝え切らなければならない
もしあの時依頼されたことを為さねばならないなら、これは重要な仕事だ。命を賭けた後である今なら出来るだろうか。思い出したくもない記憶だが、引っ張り出すしかない
「実は……わたし……プラウダの捕虜になったことが……あるんです……」
優花里さんは驚きの視線を向ける。彼女にとって噂であり、話半分に聞いていたものだったのだろう。それが真実だというのだからそんな顔になるのも仕方ない。
その丸太に腰掛けていた会長が頭を抱えた。この人は元からこのことを知っていただろう、立場的に。私のことをある程度知ってるとも言ってたしな。だからこそタチが悪い
息が荒れるのは治ったが、言葉は上手く口から湧いてこない。だが出来る限りの力を以って語り始めた、あの悪夢の日々を。
~
「Fuck you, Sanders! 」
佐々戦争前、平戸学園で流行した言葉。両手を胸の前に出し、中指を立てながら叫ぶのが正式とされる
~
ここまでです
2200からやります
指揮官が勝利を目標にするのは当然である。また、強い意志で部下を指導するのも必要である。だが、ひたすら肉体を敵の銃弾の前に投げ出すことだけが勇気ではない。近代戦の指揮官にとって、まず心がけるべきは味方の損害の防止であり、個人的信条を部下に押し付けないことである。
ジョージ=パットン
??今年の7月、みなさんと会う少し前にあった硬式大会の1回戦で黒森峰の9連勝が止まりました。プラウダのシュターリンオルゲルというミサイルの大量使用作戦に完敗したのです
私のいたSS12部隊も狙われ、車輌を破壊された姉と私と姉の車輌の者の3人はプラウダに捕らえられました。私の車輌の者は私以外全員ミサイルの直撃で死にました。むしろ生き残ったのが奇跡です
連れて行かれた先は地下の牢屋のような所でした。そこでまず所有物を服を含め没収され、手首同士を紐で結ばれました。逆らう者はナイフで服を切り裂かれました。
先にいたほかの隊の者2人と共に、一つの部屋に押し込められました。運ばれる時は男の管理官に髪を掴まれました
「やめろ!捕虜に対するこんな扱いは戦車道規定違反だ!」
姉が思わず反論します。すると掴んでいた男は手を離し腕と挟むように鳩尾に膝蹴りを食らわせ、押し倒してその上に馬乗りになりました
「あー?誰に向かって口きいてんだ?黒森峰の狼どもが人間の言葉を話すんじゃねーよ」
そういうが早いか、すぐさま男は姉の顔を何発も何発も殴りました。一回骨が折れるような音がして、姉の口調が殴られている間にいつもの男口調から女口調に変わったのをよく覚えています
「殺人鬼にはいかなる同情もしない。お前達がプラウダにやったことを思い出すといい。この程度、報いと思っても足りるものではないわ」
試合終了後見に来ていたプラウダの副隊長のノンナがブリザードの渾名にふさわしい冷酷な目を向けながら言いました
「……やり続けなさい」
「勿論です、こいつらは100回殴っても殴ったうちに入りませんよ。それより、報酬はマジなんですよね?」
「ええ、完遂したらくれてやる」
完遂とは何か。その場の誰もが予想していたでしょう。ですが口にする余裕はありません
散々殴られたあとの姉は両ほほを腫れ上がらせ、鼻と口から血を流し、ただ泣きながらゆるして、ゆるしてと繰り返していました
「オラよく見ておけ。お前らの隊長様が泣いて詫びてらっしゃるぞ」
男は髪を掴みながらそう言うと不気味なほど大きな声で笑い始めました
「お前も立て」
私がこぼした言葉を気にすることなく、男は私の腕を掴み姉と顔を突き合わせました。姉と私は互いに気まずくて視線を逸らしていました
「この2匹は西住流とかいう黒森峰戦車兵のエース姉妹らしいな。こんなメスガキが何人同胞を殺しやがったんだ」
男は私と姉の髪をひっつかみ頭同士を何度もぶつけ始めました。男はそれを面白がっているようでした
「ははは、こんな珍しい打楽器を使えるなんてな!」
そう言うと、男はおそらくロシアの歌を歌いながら頭同士をぶつけ続けました。
ぶつけ合いすぎて血を流しふらつき始めた私を男は顔から地面に投げ捨てました。別の男が面白半分に姉のこめかみに銃を突きつけます
「片方壊れたし、この玩具処分するか?」
「し……死にたくないれす。撃たないで……」
「はははは、そりゃそーだよな!でもまだまだ楽しめそうだからやめとけよ」
「はははははは。ちげぇねえ」
男の高笑いを聞きつつ、あの、試合前にいつも
"忠誠を誓った黒森峰のために戦え!"
などと言う姉が、死地に向かう人々を統率してきた姉が自分が生きる為に必死に命乞いしている様に、尋常ではない恐怖を覚えました。いや、その時は恐怖なのかも分かりませんでした
次の日、私と姉は手首の紐の代わりに首輪を繋がれました。そして手首の紐を紙の箱にラップの芯を付けた砲塔のようなものを、頭に乗せられました。そして男がよだれをダラダラ垂らして吠え盛っている黒い猛犬を連れてきました
「ホラ競争だ走れ走れ!パンサー、ティーガー!」
その猛犬は吠えながら迷いなく私達を襲い始めました。時たま犬の脚が前に振りおろされ、自分に触れる時が怖くて仕方ありませんでした。男が面白がってさらに犬を私達の方へ近づけたりもします
「ははは、どうした頑張れ」
「追いつかれて食い殺されても止めないからな」
「自慢の大砲で戦ってもいいんだぞ?まさかそのアハトアハトが飾りってこたぁねぇよなぁ?」
「はははは」
男達は面白そうにこちらを見ます。1人は写真を撮っているほどでした。
夏の日にいつ殺されるかわからない緊張の中で何時間も走らされ続けるのです。勿論喉が渇いてきます
私達に与えられる水は顔にぶちまけられる男たちの小便のみでした。それでも飲まなければ死にます。もう本能で水を求めていました
また次の日、その日はプラウダの隊長のカチューシャと副隊長のノンナが視察に来ました。カチューシャは私達以外の3人の頭に黒い袋を被せ、用意されたリボルバー式の拳銃でロシアンルーレットを始めました。私達を候補から除いたのは、こんなので殺すのが勿体ないから、と言っていました
最初の人の顔にその銃口を近づけ、引き金を引きます
1発目、空砲
2発目、空砲
3発目も、空砲
4発目で発砲され、1人の頭を弾が貫通しました。その遺体はそのまま放置されました。
撃ち終わった後カチューシャは、思ったより面白く死ななかったわね、と慣れているかのごとく銃の返り血を拭くと、悠々とその場を離れました
その先は記憶が朧げで、気絶と覚醒を繰り返していました
殴られる犯されるは日常茶飯事。犯される時は彼らが犯りたい時にやってきて、マグロでは面白くないから、と水をぶっかけられて起こされてから何度も何度もやられました。
初めてやられたときは竿姉妹だとかなんとか言ってました。ですが既に殴られ続けた後だからでしょうか、特段強い痛みを覚えた記憶はありません
他の時に一旦覚めた時、3体の遺体がコンクリートの床に放置され、姉は黒い袋を頭に被り、赤いハーケンクロイツの描かれた布を着せられ台の上に立たされていました
両手の指に紐がつけられていました。どうやら電流を流されていたようです。それを見て私はもう一度気絶しました
それからどのくらい経ったでしょうか?後から聞いたら、私たちが収容されていたのは10日だそうなので、きっと最終日だったのでしょう。足音を立てて男が入ってきました。たまに水溜りに入るような音もします
「たまらねー臭いだな、息ができねー。死んだ奴は氷に漬けとけって言っただろ」
男はイライラしているようで、近くにあった死体を結構強く蹴り飛ばしました。私はもうそれに対する感情を起こすことも、臭いを感じることさえ出来ませんでした。男は手首を柵に結ばれた私達の前で止まりました
「ヨォ2匹ともしぶてぇな。いい知らせだぞ。我がプラウダの優勝で大会は終了した。ここも閉鎖して引き上げた」
そう言うと男は持っていた銃のスライドを引き、姉の左ほおの下にめり込むように突きつけました
「死ぬ前に最期のお祈りをさせてやる。姉ちゃんからだ。子供の頃を思い出して心を込めて祈れ」
男は姉の頭を引っ掴みます
「て……てんにましますわれらがちちよ……みながあがめられますように……みくにがきますように……みこころのてんにおこなわれるようにちにもおこなわれますように……わたしたちのしょくじをきょうもおあたえください……わたしがひとをゆるしたようにわたしのつみもおゆるし……」
姉の顔からは穴と呼べる穴から液体が垂れ流されていました
「よしよしよく出来た。今度生まれる時は戦車道なんかやるんじゃないぞ。アーメン」
その後に響いたのは銃声ではなく、バネがストッパーから外れる音でした
「ん?チッ、また不発か。オンボロ銃め」
男は耳元で銃を振り、投げ捨てました。すると奥から軍服姿の人が出てきました
「何やってる!もうトラック出すぞ!置いていくからな!」
「待て、すぐ行く!」
走り始めた男の背中は私はスローモーションでも見ているかのように目に焼き付きました
男の走り去った後の死体と私たちのみがいた場は、まさに静寂。時が止まりました
「…………助かった」
それを私は自分の声で進ませます
「お姉ちゃん……私達……私達助かったんだよ……お姉ちゃん?お姉ちゃん?」
???周りにはいつの間にか人が集まっていた。そこにいる全員が私の口から発される一言一言をただひたすら耳から取り込んでいた
「その後、解放され黒森峰に戻った私達は病院に運ばれ、精密検査を受けました。姉は鼻の骨を折られ、植物状態と診断されました。そしてその日から一度も目を覚ましていません」
他のものは誰ひとりとして話そうとしなかった。人には経験しなければわからないものがある。これはおそらくその一種なのだろう。ただ、その深刻さのみは伝えられたようだ
「……何もそこまで話すことはない……」
河嶋さんが空気を維持しつつ口を開く
「ガチの戦車道ってそこまでやるのか……こりゃマイッタね……」
「……あの噂は、マジだった、ってわけかい。奴隷船の大西洋横断よりよっぽどひどい」
会長さんと途中から来ていたお銀さんが続いて独り言を述べる。彼らの背後で優花里さんは拳を握りしめていた
「会長、みなさん、もう……」
大粒の涙を流し、つっかえながら続ける
「こうなってはもう、戦って勝つ以外なくなったのであります!」
ま、私たちの精神に対する犠牲と引き換えに、作戦は無事に成功したわけだ
ウサギさんチームの者も人が集まるのを見て軽い気持ちで来ていた。みほの話を途中から聞いた、聞いてしまった
聞き終わった後話す者はいなかった
そして反応することなく放心状態のまま元の場所に戻った。皆椅子に座っても空を眺めたりうずくまるだけだ
「……梓は……知ってたの?」
山郷がなんとか喋る
「……何を?」
澤は空を見上げながら返す
「……要するに、アヒルさんチームにはもう会えない、ってこと」
「……うん……」
「……どうして?」
宇津木が口を挟む
「……みんな、逃げ出しちゃうか嫌になっちゃうと思ったから……そうなったら先輩達に迷惑かかるかもしれないし」
「確かにね……で、逃げられるの?」
「それが出来たら逃げてるよ……自衛隊に包囲されて無理だって」
「降伏しても……ああなるんだよね……」
「つまり……生きたいなら戦うしかない、ってこと……」
「だったら、さっき秋山先輩が言ってたみたいに戦うしかないじゃん!やるしかないよ、梓!」
「みんな……いいの?佳利奈とか、紗希とか……」
「……いいよー」
阪口は席を立つ。それでも少しふらつき、視点もあやふやだ
「仕方ないよねー」
丸山はまだ空を眺めている。すると大野が新しいお茶のポットを持ってきた
「そういえばあやは?」
「何?」
「このままこの大会に参加するかってこと」
「するしかないんじゃない?死ぬか、死ぬまで戦うか、なんでしょ?」
ポットを机に置きながら平然という
「……だよね……」
丸山はこちらに虚ろな視線を向け頷く。これでこの場は纏まったかと思いきや、それを崩す言葉が一つ。
「……イヤ!」
「優季?」
「人を殺すなんて絶対イヤ!なんでみんなそんな事が言えるの!」
そう、はっきり言ったのだ。いつもの掴みようのない柔らかな声はその存在を封じ込まれている。
「……でも、ここは自衛隊に囲まれているんでしょう?」
「うん。逃げようとしたら殺されて、戦死扱いだって。で、降伏しても……」
「さっきの通りと……やっぱり生きるには、ここで戦うしかないんだよね」
「そういうこと、になるね」
「優季ちゃん、一回落ち着こう。それしかないんだよ、生きるには」
「イヤ……なんでみんなそんな事が言えるの?自分が人を殺すんだよ?そして自分が殺されるかもしれないんだよ?もう既に死んだ人もいるんだよ!」
宇津木は席を倒し、自動的に立った。説得をかける澤や山郷の顔を、恐れとともにせわしなく見回す。
「……仕方ないんだよ。そうせざるを得ないんだ……」
「イヤ、そんなのイヤ。いやあぁぁぁ!」
縛りを引きちぎった人形は、全力で5人に背を向けた。ただこの集団、大洗女子学園戦車道から離れる方へ。
「あっ……待って!」
「ど、どうしよう……梓!」
「……え、えっと、佳莉奈とあやは優季をすぐに追いかけて!」
「あいあいあーい!」
阪口と大野はすぐに宇津木を追いかけ始めるが、半分野生を解放しているその背中を捕らえるのは厳しい。
「私が報告に行くから、あゆみと沙希は戦車の準備を」
「戦車を?戦車で追うの?」
「確かに危険かもしれないけど、もし追いつけなかった時のために。速度はそっちの方が出せるから」
「……分かった」
美しき星空よ 波打つ大地よ
荘厳な山々よ 叡智を与えよ
おおサンダース おおサンダース
我らの学園よ
同胞らとの幸福よ 海へと広がれ
サンダース大学校歌『美しきサンダース』より
今日はここまでです
0時くらいからやります
~
私たちが避けようのないものに文句をつけ、反抗してみたところで、避けようのないもの自体を変えることはできない。だが、自分自身を変えることはできる。
デール=カーネギー
~
「河嶋隊長!西住副隊長!」
先程まで神妙なる雰囲気に包まれていた場に、それを打ち壊して澤さんが突入してきた
「澤、どうした?」
「優季が……優季が……」
「優季?宇津木がどうかしたか?」
「だ、脱走しました!」
ふむ、脱走か。まぁ一人くらいは出るかと思ったが。誰だって好き好んで戦闘に身を投じるわけがない。仮にそれしか手段がなくとも
「な、なんだと!」
「今佳利奈とあやが追いかけてますが、結構優季が走るのが早くて……」
「と、とにかく連れ戻せ!サンダースに捕まったりしたら面倒だ!」
「その為にも戦車を使わせてください!」
「あ、ああ」
「……お待ちください」
私は丸太を枕にしたまま割り込んだ
「どうした、西住。無理はしなくても……」
「宇津木さん、どちらに逃げましたか?」
「えっと……こっちです」
澤さんは森の奥、サンダース陣地の逆側を指差した
「……そちらですか。だとしたらサンダースの捕虜となる可能性はほぼない。それに情報漏洩のリスクもない。澤さん、車輌の使用は認めません。阪口さんをすぐに呼び戻してください」
「お、おい、西住……」
「宇津木さんの喪失は……サンダースの再攻勢へM3が即応出来ないことと比較すれば、決して得にはなりません」
「に、西住副隊長!優季を見捨てろと!」
「……大野さんによる追跡は認めます。装填手の負担を考えれば、砲は一門でも何とかなりますから……ただし操縦手である阪口さんが使えないのはリスクが大き過ぎます」
「……そうだな。目下の敵であるサンダースを無視する訳にもいかない。阪口は連れ戻せ。その為に他の車輌の装填手に応援を頼むのは認めよう。それまでに捕まえられればそれで良し。ダメなら……」
「……はい。ではそのように」
その後優花里さんやカエサルさんも交えて宇津木さんらの追跡が行われた。だがかなり遠くに行ったらしく、そもそも追いかけている阪口さんの発見にさえ手間取っていた。
「西住、宇津木を見つけるつもりはあるか?」
見守ってくれていた沙織さんが、私が調子が良くなってきたのを見てトイレに行った間、河嶋隊長が近づいてきて尋ねた
「さて、どうでしょうね」
まだ試合は続いているが、向こうが攻めてこない限り停戦は継続される。サンダースの救護者テントへ一つの足音が近づけていた。入り口の幕をかき上げてテントに入る
「あ!た、隊長!」
入り口近くにいた頭を負傷した患者は身を起こそうとする
「起きなくていいわ、そのままそのまま。ケガは大丈夫?」
その者を制止させ、にこやかな顔をして問いかける
「ハイ」
「危険な任務をよくこなしてくれたわ。きみ、この者は?」
「頭の傷も浅いので明日には戻れるかと思います」
「本当ですか!」
救護担当の者が手に持つ紙を読むと、その者は再び起き上がろうとしたので、これまた制した
その後も一人一人ベッドの元までより声をかけていく。彼らは戦った。敵を倒すべく前に進んだ。命令に従って。私には過ぎたる部下たちよ、感謝しなければならない
「自分は足をやられましたが、一刻も早く治して舞台に復帰したいです」
「あなたは英雄よ。早い復帰を期待するけど、無理はしないで」
彼女は乗っていた車輌が撃破され、脱出した拍子に戦車から落ちて足を負傷した。だがそのまま這って陣地まで戻ってきた、まさに英雄だ。手を握ってその活躍と生存に敬意を表する
ふと一番奥のベッドを見ると、そこにいた者は身を起こしてベッドに座り、何かずっと、誰かを相手にすることなく話している
「彼女はどうしたの?ケガはしていないようだけど」
「ストレスによる戦闘神経症です。ずっとこの調子で食事にも手をつけません」
戦闘神経症?戦場へ赴く意志を持ちながら怪我をして行けない者がいるというのに?
アリサなんてこの環境に即座に適応し、敵に対して攻撃することを躊躇わなかった。殺した後も、攻撃の手を緩めなかった。
そんな人材は亡くなったのに、なんでこんな役立たないのが生きているの!
「おい!」
足を一歩踏み出し、左手のストレートをその者の右頬にめり込ませる。その行為を気付かぬうちに行なっていた。殴られた者は勢いの余りテントを支える鉄骨に頭を強くぶつける。だが左手を使ったことからみて、私にも微弱な良心は残っていたのだろう。だがそれに私の動きを止める程の力はない
「この臆病者がッ!鬱のフリをしていれば任務を逃れられるとでも思っているの!仲間は貴女の代わりに戦って傷ついて、死んでいってるのよ!恥ずかしいとは思わないの!」
泣き腫らした目を持つその者の襟首をつかんで、もう一発拳を喰らわせる。
我々が戦うのは大洗だけではない。プラウダ、そして怨敵黒森峰と戦わねばならない。そして勝たねばならない。
これからも戦いが続くというのに、こんな者のためにベッドを分け与えていては、他の者の士気にも影響する。
こいつの代わりは、我が校にはいる
「今すぐ部隊に戻りなさい!戻らないと、次出撃する際スチュアートに括り付けて先頭を進ませてやるわ!それさえもいやなら……」
「ケイ隊長!おやめください!」
救護担当の者がケイを止めようと両肩の下から腕を入れてくる。そこそこ力はあるようで、なかなか振りほどけない。この野郎邪魔するんじゃない!せめてもう1発は
「戦えないなら戦える奴の弾除けになって役に立ちなさい!」
「えっとー、あの、ケイ隊長」
しかしふと聞こえた声で少し落ち着きを取り戻し、掴もうとしていた手を緩める。背後にいる救護担当のさらに背後、そこに通信担当の者が息を切らして立っていた
「どうしたの?」
「こちらでしたか。本校より通信が入っています。校長からです」
「アイクから?分かったすぐ行くわ」
こんな時に何かあるのだろうか。単に激励かその類だろう、そう思っていた
??「棄権?」
無線室にて耳に入ってきた言葉を疑ってかかった。しかし2回問い直しても、帰ってきたのは同じ言葉だ。何を言っている?まだ始まったばかりじゃないか!
「冗談じゃないです!少しくらいの犠牲が何だっていうんです!今日は大事をとって後退しましたが、相手にも損害を与えていますし、こちらの補充はもう終わっています!
私に任せて戦って貰えれば、この戦い必ずサンダースを優勝させてみせます!」
怒りの余りヘルメットを叩きつける
「いや、あなたがGOとさえ言ってくれれば、こんな大会のトーナメントに合わせてグダグダ戦う必要すらない!直ちに航空部と連絡を取り、プラウダは兎も角、黒森峰は直に乗り込んで学校ごと壊滅させてみせます!
それでこの血なまぐさい学園都市と戦車道、そして我が校の恥辱の歴史も終わりです!それが貴方の目的だったはずです!違いますかアイク?」
「……」
しばし無線の向こうから声はしない。私はあなたの目的のために奮闘した。何故それを捨てなきゃいけないのか!
「……私は黒森峰を倒せとだけ言ったはずだ。お前はそれに違反した。よってケイ、お前をサンダース戦車隊隊長から解任する。
あと私は戦争する気はない。後継はナオミだ。彼女をここに呼び出せ。以上」
もう無線の向こうからはなにも聞こえなかった。そのまま受話器を元に戻し、何も言わなかった、否、言えなかった
テントから出るとその前で一人待機している者がいた
「隊長、出撃準備整いました」
「結構!次の指示が下りるまで待機せよ。あと、ナオミをすぐにこっちに呼び出してちょうだい!」
にこやかな顔で敬礼を返す
「イエスマム!」
その者がその場を去ると、陣地とは逆方向にゆっくり歩き出した
何を間違えたのか。このまま棄権したら、アリサが、先に亡くなった仲間の死に一体何の意味があるのか
近くの丸太に腰掛けて、頭を抱えた。無駄死にを命じたのは、私だ。ならば彼女らが死んだのは、私のせいなのではないか
「ケイ」
そうして悶々としているうちに、ナオミは背後にいた
「呼び出されたはいいが、こんな所で何をしている?もう準備は整ったと報告を受けてないのか?」
「……ナオミ、無線室に行きなさい。アイクが貴女に直々に話したいことがあるそうよ」
「……わかった」
踵を返してナオミは私がさっきくぐったばかりのテントの入り口を通り抜ける。その背中に強さ、何かは分からないが揺らがぬ強さを感じ取れたのは、数少ない救いなのかもしれない
大洗側は次の策を考えていた。こちらは4輌撃破したが、残りは車輌、乗員の質を考慮すれば相手が上回るだろう。今後も進むためには、出来るだけ車輌も温存させねばならない。
私は結局あの後30分近く立ち上がれなかった。立ち上がろうとしても足元がおぼつかないのだ。沙織さんや華さんに見守られつつ、指示のみを出して回復を待っていた
「……問題はサンダースがいつ動くかだな」
河嶋さんが頭をひねる
「でも敵が動く前に出ると確実に煙で発見されるでありますよ」
「……向こうはもう擱座した車輌の補充を終えているでしょう。そうなってしまっては、こちらから攻勢をかけるのは得策ではありません。少なくとも今ではありません。
ここは車輌の確認や補充に専念して、タイミングを待ちましょう」
「そうは言うがな、西住。物資に余裕があるのは向こうだ。長期戦になるとこちらが不利。ならばこっちから仕掛けるべきじゃないか?」
「……遭遇戦で双方同程度の損害が出ることだけは、避けなければなりません。ですが先程のような奇襲は、再びは通用しないでしょう」
すると近くにいた審判がトランシーバーを手に取り、口元に寄せていた。何かブツブツ話している。それが終わるとホイッスルを口に咥えた。そのあと鳴った音に釣られ、皆が注目する
「サンダース大学付属高等学校、途中棄権!よって大洗女子学園高等学校の勝利!」
「か……勝ったのか?」
急の出来事に頭が混乱する。皆もそうだし、私もだ。サンダースが何をしたかったのか見当もつかない
「おめでとうございます。2回戦進出です。そしてもう一件報告があります。宇津木優季さん、KIA扱いです」
「……はい」
第74回戦車道大会公式記録
◯大洗女子学園高等学校vsXサンダース大学付属高等学校
被害 大洗1輌 サンダース4輌
サンダース大学付属高校途中棄権
大洗女子学園高等学校 犠牲者
宇津木優季
サンダース 銃殺 試合会場からの脱走を目論み、警告を無視した為射殺 KIA
「……勝ったんだね」
地平線に沈もうとする太陽を望みながら沙織さんが言う。背後ではヘリが飛ぶ轟音が時たまする
「うん……」
「そうですね……」
実感が薄いというのもあるが、何か落ち着かない。もしかしたら澤さんが離れた場所で涙を流しているのも影響しているかもしれない。夕日が明るさを失い、次の試合会場への移動に向けてトラックに戦車が載せられ、カバーが掛けられる。
闇に落ちる空を各々が各々それぞれの思いで見ている。その空の星を数え始めた頃、静粛な空気を破るように声が掛かる。声の主は河嶋さんだ
「どうしましたか?」
「いや、ただ手紙を預かっただけだ。冷泉、お前宛だ」
右手に持っていたごく普通の手紙を麻子さんに手渡す。河嶋さんから渡されたハサミで封筒の封を切り、三つ折りの紙を開く。
彼女が開かれた紙を見ていた時間はとても短かった。すぐに手を離すと、手紙は左右に揺れながら空中に身を委ねる
「麻子、どうしたの?」
沙織さんが声をかけ、肩を叩く。かつて手紙に向けていた視線の向きから変化はない
「……なんでもない」
「なんでもないわけないじゃん!なんなのよ!」
「冷泉さん、話してください」
沙織さんと華さんがそれぞれマコさんの肩を握り揺さぶる
「……おばあが倒れた」
「……えっ?」
「冷泉殿のお婆様が倒れられたのでありますか!一大事であります。一刻も早く病院に向かいませんと!」
「といっても……親族の方は?」
「……麻子が小学生の時に両親が交通事故で亡くなったの。だからおばあちゃんが唯一の肉親」
最悪な環境で悪い話を聞いたものだ。なんとかしたくなるじゃないか
麻子さんが会いに行ける策を必死に考えようとした。僅かな可能性でも探そうとした。しかしどう考えてもその壁を乗り越えるのは無理だった
「……西住さん、銃はあるか?」
「……へっ?えーと……」
「まさか麻子……」
「会いに行く」
麻子さんの視野は大きく狭まっていた。答える前に麻子さんは陣地に走り、すぐにIV号の中にあったトンプソンを持ってきた。そして4人の前を通って走り去ろうとした
何も出来なかった
そうはさせまいと沙織さんが麻子さんの腰にしがみつく
「麻子!死んじゃうからやめて!」
「行かせろ!行かなきゃおばぁに怒られる!」
「自衛隊に包囲されているんだよ!戦っても勝てないって!」
「行かねば……」
「こんなところで死んだ方がおばあちゃん怒るよ!やめて、麻子!」
「……西住さん、空から脱出できるか?」
麻子さんは力を弱める。体重を乗せていた沙織さんが思わずずり落ちる。とりあえず怪我はしてなさそうだ
「えっ?……どこで手に入るか分からないし、もし手に入ったとしても自衛隊の戦車に撃墜される、と思う。
自衛隊基地から脱出しようとしたら撃墜にかかるだろうから、操縦する人が相当腕が良く無いと脱出は無理。いや、良くても無理かもしれない」
顎に手をかけて答えた。子供と大人、部活とプロでは勝てるはずもない
「……そうか……」
「残念だけど…大会が終わってから行くしか無いです」
首を振る。友人の唯一の家族の一大事、それにそうとしか答えられない自分にほぞを噛んだ
「……そうか。わかった」
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麻子さんの手からトンプソンが落ち、取っ手から落ちて銃身が石にぶつかる。甲高いその音を聞いたその時、あの日の記憶が蘇る。あの、私の根底を定めた日が。思わずしゃがみ込み目を瞑り耳を塞ぎ震える
「みほさん?」
「西住殿!」
震えが止まらない。空気の冷たさがあの時の背筋が縮み上がる感覚を助長する。恐怖だろうか、何かが身体を凍結させようとしていた
目が、見えた。あの時の、あの、目が。逸れることなく、ただ私の目のみに狙いを定めている。恨みか、怒りか、それとも他の何か、私の知り得ない何かか
「いや……見ないで!見ないで!」
「に、西住殿?」
「ゆかりん!取り敢えずみんなみぽりんを見ないで!全員、すぐに!」
皆すぐに沙織さんの柄にない必死な声での指示に従った
「みぽりん、大丈夫だよ。誰も見てないよ。私も」
「いやぁ……」
「大丈夫、大丈夫……」
下を向いたまま、沙織さんはそっと背中に触れる。それが相手の背中だと分かったことが、体の震えを治めるのに役立ったようだ
「ふー……ふー……」
「西住殿、今のは」
「……やめておけ。西住さんのトラウマはあれだけじゃ無いはずだ。我々が知る必要も無い。西住さん、分かった。待つしかない」
麻子さんは幾分落ち着きを取り戻したようだ。良かった。この操縦手の欠落は致命的すぎる
「だ、大丈夫?みぽりん?」
「沙織さん……ごめん、ありがとう」
「いいよ、何があったかわからないけどみぽりんは絶対に私達の友達だから。絶対逃げないから」
少し荒れた息と肩を抑え、沙織さんの手を掴みゆっくり立ち上がる。友達、私にはいま心からの仲間がいる。私を信じてくれる人達がいる
「……本当だよね」
「もちろん」
「もし……もしも……」
「西住殿、これ以上お話しされる必要はありません。何があっても私達は西住殿を信じてついていくであります!」
優花里さんが胸を張る。
何があっても……ねぇ……
「信じて……いいよね」
「当たり前だ。私は生きておばぁに会わないといけない。その為にはお前さんの指示が欠かせない。頼む。私を生き残らせてくれ。その為に生きてくれ」
その深い一礼は周囲に神妙な雰囲気をもたらす。話せぬ疑いを抱えていた私も、黙って首を縦に振る他になかった
また、言えなかった……
まだ、私は逃げている……
許されざるべき、ことから……
広報部からの報告
内容
サンダース大学の動向
同校からの連絡によると
「隊長を解任し、棄権しよう」
と
「サンダースの思わぬ損害」
において選択をしたとのことです
今日はここまでです。これ、読んでくださっている方いるんですかね?
そろそろ始めます
次の章、アンツィオ編です
~
「日本で一番権力のある高校生は?」
「安斎千代美だろう、アンツィオの」
日本政府高官の発言
~
アンツィオ学園都市、この学園都市は栃木県旧下都賀郡石橋町、国分寺町、河内郡南河内町を管轄下に入れており、北関東自動車道が東西に横たわり、東北本線が南北を縦断している。
イタリア風の楽観的な校風が特徴で、その廉価と質の高さを両立した食事と、安定した勉学の為の治安のみを求める校風が、のちの独裁政権成立に一役買ったと言われる。
人口は約7万人。アンツィオ高校学園艦の陸上移設時に移設先として要望を受け、宇都宮への利便性などが評価されて決定したとされている。
しかし石橋、国分寺、南河内の3町で進められていた合併協議に、移設を命じられたものの他都市との交渉が難航していたアンツィオ学園都市が便乗した、というのが実態である
しかしこれが仇となる。観光施設を含む多くの海上施設を内陸に輸送する際に多くの費用と時間を取られた上、それに手間取っている間にバブル景気が到来。地価が高騰し施設用の土地買収に苦労した。さらに廉価な食事の提供の為の補助金が財政改革を妨げ続けた
「アンツィオの触れてはならぬもの。それはこれだけ飯の金」
という言葉が政治の世界で流れているのは、それだけ補助金の切れ目が縁の切れ目であることを示している。
その広大な敷地、そして東京のベッドタウンとしての南部の発展とは裏腹に、アンツィオ学園都市は財政難に長年苦しむ羽目となる
12月3日夕刻、岩手県陸前高田市郊外、アンツィオ高校陣地
以前の軟式戦車道大会は陸上自衛隊船岡駐屯地にて行われていたが、東日本大震災の復興支援の一面もあり、昨年からここで行われることが決まった
「……明日か、カルパッチョ」
その中央にある本部テントの中で、私は背もたれに深く寄りかかる。プラスチック製の安物の椅子だ。受け止めてくれる柔らかさはない
「そうですね。総帥。早いものです」
副隊長の2年生カルパッチョは落ち着いて答えた。背筋はピンと張り、膝の上の手は握り締めている。
事情は聞いたが、そりゃ身体も強張るわ
「姐さん、飯できましたよ」
カルパッチョが深く息を吐くと同時に、奥からもう1人の副隊長ペパロニが自作の料理を持って出てきた。アンツィオのノリを具現化したような人間が、今日ばかりはおとなしいから不気味だ
「姐さんはカルパッチョ、カルパッチョはラザニアでいいな」
「ペパロニ、貴方のは?」
カルパッチョが辺りを見回す。皿は2枚しかない
「あたしのはナポリタン多めに作ったんで、みんなと分けてきます」
「そうか、行ってこい」
「それじゃ」
ペパロニは鍋2つを持って歩いて行った。部屋には静寂が戻るし、空腹感もそれほどでもないが、食わざるを得ない
「いただきます」
無言で皿のものをつまむ
「……どう出ますかね、大洗は」
数口食べたカルパッチョが口を拭きながら言ってきた
「あの西住みほのことだから、仲間を思って受け入れるよう言うだろうな」
「西住みほの身柄引き渡しを条件に降伏すれば、その他の者は解放する、ですか。これで食いついてくるか……本当に解放するのですか?」
「もちろんだ。嘘はつかない。西住みほは転校したばかりだから、もし人柱にしても、他の者を人柱にするよりは大洗との関係が大幅に悪化することは防げる、というのが一つ。もう一つは、ここでの損害は避けられるなら避けたい。次に注力したいからだな。
が、もしそれでも受け入れなかったら……やるしかない。
そうしなければあんな有利な条件で協定を結んでくれた黒森峰に申し訳ない。あの裏切り者西住みほを潰さねば……」
元々私は現在大洗でのうのうと生きている西住みほを快く思っていなかった。
その理由として大きかったのは、12月の軟式戦車道大会決勝、そこでフラッグ車の車長のみほが職務を放棄して、川に落ちた仲間の救出に向かったこと
仲間を大切にする所は共感する。しかし何故それを自分で行ったのか理解し難かった。それは他の者に任せ、自分はその場から離れず堂々と指揮すべきだったのだ。
今までの歴史でもトップの逃亡により総崩れになった戦いは数知れない。それは遥か古代のアレクサンドロスの時代から示されている事実だ
同じ西住の教えを学ぶ者で、いつも学園から結果を求められてきた私にとって、勝ちを捨てることとわかりきっていることを行うとは許せなかった
さらに追い討ちをかけたのが今年7月の硬式大会である。尊敬する彼女の姉、まほを助けられずに黒森峰から逃げたばかりか、逃げた先で戦車道大会に出場し、降伏することなく戦おうとしているのだ
許し難かった。生きているだけならともかく、戦車道をやって反逆しているとは
「総帥、ペパロニに今夜それぞれの好きな物を作らせたのって……」
カルパッチョが完食した皿を置く
「言いたくないが……最期の晩餐かもしれないからな」
しかしトップたるもの、威勢の良いことばかりも言ってられない
1回戦の損害が1輌だった大洗に対し、アンツィオはマジノ女学院と対戦し、敵のセモべンテ殲滅作戦によってセモべンテ4輌、カルロベローチェ1輌を失っていた。ただでさえ少ない火力が大きく減ったのだ。その不足は誰が見ても明らかだ。
敵には高火力のポルシェティーガー、III突、IV号、ヘッツァーが残っている。更に姉ほどではないが高い指揮能力を持つ西住みほもいる。IV号と張り合えるのがP401輌しかない我々だ。まともに戦えば勝ち目はない
かといって向こうが降伏して車輌を鹵獲しても、こちらで使える車輌が無いのが泣き所だ。こちとら最近中戦車導入したばかりだからな。重戦車、または追加の中戦車を使える人材がおらん
西住みほと戦うとなれば、まともに戦うわけにはいかなくなる
私も最後の一切れを口に入れてナイフとフォークを置くと、口元を拭って鞭を手に席を立った
「総帥、如何なさいました?」
「少し外の風を、な」
テントの幕を払い、空を眺める。星々の細やかな輝きが天球に散らばり、満月に近い月が周りの星々を包み込む。
少し漫然とその光に目をとらわれていたが、まもなく風に乗って音が流れ始めるのを感じた。音源は少し離れた場所、アンツィオの部下たちが戦車と共にいる辺りだ
♪ドゥーチェ! ドゥーチェ! 我らの長
ドゥーチェ! ドゥーチェ! 偉大なる者
貴女が望めば この身を捧げん
戦車の上におはす おおドゥーチェ!
♪必ず幸福をもたらす 我らがこの地に
勉学と自由を以って 手の鞭の導き
芯にあるはローマ魂 永遠の帝国
我らが平穏である為に 彼女を支えん
♪ドゥーチェ! ドゥーチェ! 崇高なる者
ドゥーチェ! ドゥーチェ!心の炎
アンツィオの者らよ 高らかに歌おう
空が奏でるごとく おおドゥーチェ!
♪ドゥーチェ!ドゥーチェ!未来を護らん
ドゥーチェ! ドゥーチェ! 皆のドゥーチェ!
明日を行く若獅子 今ぞ猛る時
アンツィオよ永遠に おおドゥーチェ!
♪日本人よかく呼べよ おおドゥーチェ!
私の歌だ。何種もの声が重なり合ってハーモニーを奏でている
「ドゥーチェ賛歌、ですか。何度聞いても陽気な良い歌ですね」
「ははっ、陽気っちゃ陽気だが、良い歌かは別だと思うね」
何が偉大なる者か、何が崇高なる者か。私は今仲間の命を守ることではなく、学園の名誉を如何に守ることを第一に考えているではないか
だがこれを覆す訳にはいかない。私が愛し、十役会議の仲間が愛し、黒服党の者が愛し、守っていかんとするこの学園が永遠たる為には、撤退せず進撃を続ける他ないのだ。そうしなければ、我々はプラウダに呑まれる。断固独立を維持する意思は見せねばならない
進撃するにはこちらの団結心を活用し、戦い尽くすための策が必要になる。そうなると、あれしかない
「カルパッチョ、一つ策がある。しかし余り使いたくはないが、使わざるを得ん」
「総帥、それは……」
???その1時間前。大洗女子学園陣地
「河嶋隊長、西住副隊長。アンツィオからの使者が来ています」
東富士から尻が痛くなるようなオンボロの列車で到着し、車輌の状態を確認していた河嶋さんと私の所に澤さんがやってきた
「アンツィオから?降伏か?」
何だろうか。降伏ではないのは間違いない。西住の教えを受けた人なら、まず選ばない道だ
「まあいい、通せ。席と茶を用意してくれ。私達もすぐ行く」
「分かりました。もう1人お呼びして欲しい方がいるそうなのでその方も呼びます」
澤さんはそのまま走り去った
「そのもう1人って……誰だ?」
「誰でしょう」
私にも分からない
暫く歩いた先で、本部のテントの幕が上げる
「済まない、遅くなった。私が隊長の河嶋、こちらが副隊長の西住だ」
河嶋さんが詫びを言って席に着く。私も頭を下げそれに続く。澤さんが2人に追加で茶を出す
「澤、もう1人は?」
「もうすぐかと……」
「私はアンツィオ高校戦車部副隊長の落合陽菜美と言います。よろしくお願いします」
落合さんが一礼すると、外から走ってくる音が近づく。そして勢いよくカエサルさんが入って来た。落ち着きが欲しいね。一応ここは司令本部みたいなものなんだから
「ひなちゃん!」
「たかちゃん!無事て良かった!」
2人は抱きついた。その一瞬の有り難みを互いの身に焼き付けようとしていた。2人の関係はそれを見れば誰でも分かった。
さっきは落ち着けなんて考えて悪かった。どちらも戦車道やりながらの交友か。素晴らしいね
「あの、女同士の友情も良いんだが本題に入ってくれないか?あまり待たされるのは好きじゃないんだ」
それがあまりに長いので河嶋さんがしびれを切らした。急にしおらしくなってカエサルさんがテントから出る。久しぶりらしいし、別に良いんじゃないかね。口出さないけど
「すみません。こちらが我々の総帥からの書状です」
落合さんが2人の前に紙を差し出した。河嶋さんが受け取り、三つ折りのそれを開く。私はそれを横から覗く。一言一句、僅かな欺瞞も暴いてやろう、との意思が河嶋さんの目から溢れ出てる
「……到底受け入れられん。帰れ」
欺瞞はないようだが、畳むこともなく河嶋さんは落合さんの前にその書状を突き返す。
待て待て。仮にも講和の使者としてきている人間に対して、そう無礼を働く訳にはいかないだろう。
戦う前だ。文面を見るに、向こうが敵と見ている人間は限られている。だが戦いとなってしまっては、残りの者も敵とみなされてしまう。徒らに命を捨てる道を選ぶ必要はない
そしてその道には私の決断が必要であるが、それは結構あっさりと自分の中で固まった。以前なら絶対選ばない道だったんだけどな
「ま、待ってください!」
「なんだ西住?まさか降伏する気なのか?秋山も言っていただろう。戦って勝つしかない、と」
「いえ、まず他の人と相談してから決めた方が……」
「相談するまでもない。我々には勝たなければならない理由がある」
「これは皆さんの生死に関わる問題です。我々だけで決めてはいけません」
「しかしだな……」
無言で河嶋さんの目を見つめる
「……分かった。そこまで言うなら相談しよう。済まない、返事は今日中には返すが先になる。書状はこちらで預かり、決まり次第こちらから使者を送るから、ここは帰ってくれ」
「分かりました。失礼致します」
落合さんは席を立ち、手を重ねて一礼すると平然と去った
「……といっても、これを受け入れたら西住、お前の命は……場合によっては皆殺しかもしれんぞ」
河嶋さんが書状を二本指で挟んで振る。だが私は知っている。あの人は真面目だ
「……安斎さんはそんな人じゃありません。嘘をつくような人では。皆殺し、だけは避けられるでしょう」
「会ったことあるのか?」
「今年の春の西住流の合宿に参加していました。たった数週間の間でしたが、それでも彼女は多くの面識を持ち、そしてその相手のほとんどから好印象を得ていました。かく言う自分もその1人です」
全く照れ臭い話だ。だが人を惹きつけ仲間を集めその仲間と協力する点において、彼女ほどの力を持つ人間は見たことがない
「……まあいい。それは後だ。確かに会長には目を通してもらわなければならん。澤、この後車長全員集めてくれ」
「分かりました」
10分後、そのテントにはすべての車長と生徒会の者が一堂に会していた
「各車輌の状態は?」
「全車良好です。明日の試合は問題ないかと思います」
ナカジマさんが他の自動車部員からの書類を確認する
「それは何より。他に誰か報告はあるか?」
「私から良い?」
小山さんが身を乗り出しながら手を挙げた
「大会本部を通じて食事の手配が済みました。全員に完全に分けて2日分はあります」
「……長期戦にはならないだろうな。相手がアンツィオだし。良くなってはいるらしいが、予算に余裕はあるまい」
「なら100%提供します」
「いや、いざという時もある。80%くらいに抑えておいた方がいいんじゃないか」
エルヴィンさんが決定直前に割って入った
「腹が減っては戦はできぬ、と言うじゃないですか」
「それにみんなそんなに食べないだろう……こんな環境じゃな」
「無くなるように与えるべきじゃないよ。ま、残しても食べられるかは分からないけどね」
「……だな。柚子ちゃん、8割で頼む」
「分かった。桃ちゃんがそう言うなら」
「桃ちゃん言うな。取り敢えず話はこんなものか。じゃあ本題に入ろう。今回集まってもらったのはこのような書状がアンツィオから渡されたからだ」
前略 大洗女子学園
我々アンツィオ高校はこの度の戦車道大会にて不運にも貴校と対戦することとなりました。我々も不要な犠牲は求めません。
我々は貴校の副隊長西住みほの身柄をこちらに引き渡し、我が校に降伏するならば車輌、所持品含めて全員即時に解放することを約束致します。
仮に我らと戦って価値を得たとしても、勝ち上がった貴校と次に当たるであろうプラウダ高校には圧倒的な物量差があります。降伏することを勧告致します。
敬具
「……降伏しろと」
エルヴィンさんがまじまじと書状を見る。他の車長の人たちもそれに続く
「まあそういうことだ。私はするべきではないと思うが」
話を切り出すのはこの時をおいて他になし。
私が真に過去と決別出来るチャンスが
「……私はするべきだと思います」
大きく息を吸ってから、一息に言い切った
「ほう……それはどうしてさ?」
「安斎さんは嘘をつく人じゃありません。あの人は今年の西住流の合宿に参加していたのですが、あの人と合同チームを組んだ人達は皆こう言っていました。嘘をつかず信頼でき、仲間思いの優しい人だと。そう言ったかつての仲間を、私は信じたいんです」
「しかしそうだとしてもお前の身は危いぞ。文面は身柄の引き渡しだけだが、西住流を信じ、黒森峰と結んだ安斎のことだ。西住流を破門されたお前を殺すことで、黒森峰からの信頼を得ようとするかもしれない」
「それでもいいです。皆が無事解放されれば……」
「そーいえば、チョビ子ってアンツィオで味方と敵の差別化政策取ってたよね。確か左派の下野市民同盟とか抑圧してたと思うけど」
会長さんは干し芋を一枚つまみながら口を挟む。てか、あのペースで食べててまだ残りがあるのか。何袋あるんだい
「はい、会長。我々は確実に差別される側かと。安斎が仲間思いであることが裏目にでるとも考えられます。アンツィオは今年黒森峰から5億円もの資金援助を受けています。相当な恩義を感じているでしょう。それに我々は勝たなければ……」
「でも……これが最後のチャンスなんです!プラウダや黒森峰に降伏したら確実に殺されます!でも今ならまだ大丈夫です。なんなら私が直接安斎さんと交渉しに行ってもいいです。皆さんを確実に解放させます。
勝つよりも大事なことがあります!皆さんも思っているはずです。"生きて帰りたい"、って!そしてみんなは学園生活を平和に全うして欲しいんです!
私はこの学校に来て、学校も戦車道も大好きになりました。今ならその気持ちが残っています!その気持ちのまま自分の戦車道を終えたいんです!」
こんな全力で主張したのは、ここじゃ初めてか。人生で2度も首を切られる覚悟で話す人間は私が最後であって欲しいが
その場の者は黙り込む
"生きて帰りたい"
その思いを持っていない者は誰一人いないに違いない
またあんこう鍋を作って食べたい
生徒会の職務を全うしたい
みんなともっと長く過ごしたい
歴史資料をもっと見たい
風紀委員の仲間とまた会いたい
みんなとゲームしたい
雨の中車を乗り回したい
どん底で一杯飲みたい
そして何より、また戦車道がしたい
しかしそれらは私が、下手したら死んでまでも生き残る価値のあるものなのか、そんなことわかるはずがないのだろう。
私にも分からない。皆が助かるを免罪符に死のうとしている我儘に過ぎないのだから
黙り込む中で一人震えていた、河嶋さんはその場で震えていた
「学園生活を全う?……西住、お前は何をいっているんだ!優勝出来なかったら、我が校は……我が校は廃校になるんだぞ!」
目線を真っ直ぐ私の方に定め、机を叩き声を張り上げた
「えっ?は、廃校!」
おいちょっと待て。廃校は想定してたけれど、優勝出来なかったらとは聞いてないぞ!正直軟式でベスト4行けば良いだろうと踏んでいたし、その為の練習を組んできた。
黒森峰、プラウダ、サンダース、聖グロのいずれか一つを倒せるのと、全て倒さなければならないのとでは訳が違う。おまけにこれは硬式戦だ。戦力は試合ごとに減る
「ごめん……騙すつもりはなかったの……」
小山さんは肩をすくめ、目線をそらす
「会長さん……」
目線はゆっくりと会長さんに向かう。僅かな夢を賭けて。が、返されたのはただ黒い目だった
「河嶋の言う通りだ。この戦車道大会で負けたら、我が校は廃校になる」
広報部からの報告
内容
アンツィオ学園の動向
同校からの連絡によると
「西住みほの身柄を条件に降伏を勧告しよう」
と
「戦車道大会2回戦の行く末」
において選択をしたとのことです
今日はここまでです
2300からでお願います
始めます
国家の指導者たる者は、必要に迫られてやむを得ず行ったことでも、自ら進んで選択した結果であるかのように思わせることが重要である。
マキャヴェリ
2012年1月、東京 虎ノ門 文部科学省 学園艦教育局
「廃校!」
新たな生徒会を立ち上げたばかりの角谷らに告げられたのはその重い事実だった。
「ええ、学園艦そのものを将来的に全廃する一環です。学園艦は維持費も運営費もかかりますし、それに加え昨年あった東日本大震災に伴う福島第一原発の事故で原子力は危険であるという概念が国民にあります。福島第一よりも大きい原子力エンジンを搭載する学園艦が廃止されるのは当然の流れです。
さらに最近は大洗港が津波による土砂で埋まり、港湾に停泊もできないそうではないですか。母港に停泊も出来ないのにその名を借り続けるのは如何なものかと」
「でも、学園艦が無くなっても学園都市そのものまで無くなるのは……」
平然と書類の文言を連ねる担当官に河嶋が反論する
「都市をまとめて移す費用を考えれば、都市そのものを廃止にして、学生を周辺都市に振り分ける方が早いのです。
昔は戦車道が盛んだったそうですが、最近実績があるならともかく、ここ20年まともに実績のなく、生徒数も減少している学園を残す必要はありません。むしろ今まで残っていたのが奇跡です」
「実績ね……」
担当官のその一言が心に引っかかる
「……じゃあ、戦車道やろっか!」
角谷は腕を組みながら左右に座る2人に語りかける
「ええっ!」
「せ、戦車道ですか!」
左右の2人は驚きを隠さない。それもそのはず。戦車道は莫大な予算がかかるうえ、ここ十数年ベスト4クラスは固定されているからだ
仮に全国大会に行ったとしても1勝できれば御の字だと2人は知っていた。しかしそれだけでは済まず、続けて発された角谷の言葉に耳を何度も疑った
「まさか優勝校を廃校にしたりはしないよねー」
膝に手を乗せ担当官に詰め寄る角谷が口にした言葉は一度は絶望させるには十分だった。この人は、戦車道で優勝する気だ。なんてものに学園の運命を託してしまったのだ、と
そしてこの軽い感じの一言から大洗の戦車道は始まった
「……学園が無くなったら……私達は何の為にここまでやってきたんだ?学園の仲間を失ってまで私達は何も変えられないのか!バレー部の奴らに私達は何て言えばいいんだ!」
河嶋さんが立ち上がり両手の拳で机を叩く。そして叩いた後も拳は強く机に押し付けられている
……あまり言いたくはないが、リターンを待ち過ぎると投資の意味がなくなる。仮に大洗が存続しても、その先の運営には困難が待ち受けているだろう
だがそれを理解してもらうのは厳しい。その先は彼女らの関知するところではないのだから。ここは申し訳ないが、彼女らを利用し、夢を語るか
「……彼女らもこれ以上犠牲を出すことを求めてないと思います。学園がなくなるとしても、無益な争いはやめるべきです。
学園都市の希望が血で解決される時代には終わりが来ます!ここで手を引くべきです!」
「そんな時代がいつ来る!少なくとも今ではない。お前には分からないだろうが、我々はこの大洗女子学園を、この学園都市を愛してる!心から!バレー部を借りて欺瞞を語るな!
それに生徒会はこの学園都市を守れる限りの手段を使って守る義務がある!その道が唯一存在するのはこの戦車道大会だけだ!」
「その道を唯一にしたのはあなた方でしょう!サンダースに対し、こちらが優勢にて棄権させるだけでも十分過ぎる結果です!
ここから先プラウダ、黒森峰と戦って勝利を期待するより、棄権する方がよっぽどまともな考えです」
「そもそもこちらが条件を提示してしまっているんだ。それをこっちから覆して、要求が認められる訳がない。
やるしかないんだ!この何年も受け継がれた伝統ある学園を、そう簡単に無に帰してはいけないんだ!願いは無条件で叶うものじゃない!」
「学生を死なせるのが学園都市を司る生徒会の取るべき道なのですか!寧ろ学生の能力を将来に活かすのが本来の道ではないのですか!」
「それはそうだ。だからその道をこの先使う何万、何十万という生徒の為に大洗女子学園を残すのが一番の役目だ!」
「少子化で生徒数の減少が明らかな中で、そんな顔の見えない存在に拘り続けた結果が、学園都市間の現状ではないですか!
何が伝統です!だいたいが戦後から、良くて100年の歴史があるかないかの学園都市が、易々と伝統を名乗るものじゃありません!」
「馬鹿が!これまで生きてきた人が生み出してきたものが伝統だ!そしてその最たるものは学園、そして学園都市だ!
貴様は政治というものを、選挙で選ばれた人間による政治を分かっていない!」
「ええそうですとも。政治なんて分かりたくもありません。仮にその嫌な話をするなら、今回の行動は同じく選挙で選ばれている議会の承認を受けているんですか?
何れにせよ、生徒たちが将来学園の外でいろんな人、いろんな集団に出会うチャンスを、将来に活かせる有用な頭脳を費やしてまで、守るべきものではないでしょう!」
「いいや、守るべきだ。それだけではなく生徒たちが生きる為にも、心の故郷として、帰属意識の対象とする場として、学園は残さねばならん」
「そんな対象は国にでも預けときゃいいんです!」
「その国が我が校の廃校を決定してるじゃないか!」
「私自身前の学園を離れて、この新世界を見つけました。学園が仮になくなったとしても、新たな学園に行くのは悪ではないはずです!大洗に拘る必要はありません」
「西住ちゃん」
2人の論争を聞いていた会長さんが身を背もたれから起こし、真っ直ぐ目を見つめてくる。纏う雰囲気は以前感じたことがあるものだった
「生き残った者はどうなる?」
「えっ?」
「西住ちゃんが今までにどんな経験をしてきたかは知ってる。それから逃げたくなるのも分からなくはない。
でもこの降伏案を受け入れて、西住ちゃんが殺されたら、他の人はどうなると思う?」
知らないわけがない
「それは西住ちゃんが一番よく分かっていると思う。その後悔に一生苛まれることになるのさ、下手したら死ぬよりも辛いくらい。
"本当に西住ちゃんを死なせてまで生きてていいのか"ってね」
頭の中で何人もの顔が浮かんでは消えていく。そして会長さんの出してきた問いは、私の胸の中でいつでも渦巻いていたもの
「西住ちゃんは黒森峰の時のそれに今も苦しんでいると思う。私達は最初バレー部がやられた時は不謹慎だけど
"自分じゃなくてよかった"
と思えた。それは自分自身もそうなりえたからさ。
しかし今回は違う。私はアンツィオ、もしくは黒森峰が西住ちゃんを結果的に殺すと思っている。恐らく九死一生位、もっと悪いレートかもしれないわけさ。しかもそれを他人が変わることはできない。
それを送り出してしまったら皆が平穏を取り戻したあと、平穏であればあるほど苦しめられるのさ。自分の決断と責任に、死ぬまで。西住ちゃんが死ねばそれでおしまい、なんて単純な人間はいないよ。
これ以上一生苦しめられる人を増やしたくはないんだ。頼む」
この人は分かっている。私の意見が我儘に、逃避に過ぎないことに。確かに助かっても生きている間苦しみは取れるまい。
しかし生きる事はそんな絶望ばかりではないはずだ。そしてこの中で一番絶望を知り、人生の楽しみ方を最も知らないのは、紛れもなく自分だ
「……これが本当に最後ですよ!ここで勝ったとして次のプラウダと黒森峰はやすやすと勝てる相手ではありません!勝ったとしても必ず犠牲が出ます!戦いたくないならば言ってください!皆さん!」
「……戦うべきだ」
エルヴィンさんが組んでいた腕を解く
「今回サンダース側でも我々の手による死傷者が出ている。我々がこのまま降伏したら彼らもまた何の為に死に、傷ついたんだ?私達は何の為に殺したんだ?何の為にあの森の中から砲弾を放ったんだ?
戦いたくないのは事実だが、それが苦しみを生むならば悔いなく戦うべきだろう」
無くしたものは取り戻せない。しかしこれからなくなるものは守れる。だが……
「西住さん、貴女を死なせたくはない。この蛮行についてこの中で一番知っているのは貴女だ。貴女には生きてこれを辞めさせるという仕事がある。それを任せたい」
周りの者の一部はエルヴィンさんに同調するそぶりを見せる
「あたしらが知っているのは噂だ。経験しているのは確かに副隊長だけだ。その経験を伝える、それを名分にするなら、副隊長以外の適任者はいないね」
「西住副隊長だけが死ぬなんて……嫌だ」
「でも……」
反論できなかった。皆の為に、という事が皆を苦しめることになる。
それは良いとしても、自分には生きねばならない理由がある。生きてやらねばならない、他の人には出来ないことがある
私の理論は崩れた。そしてそのことを脳内で反芻し続けていた
「戦う、という事にしたいが。異論は?」
誰も話さない。生き残っても生きるのが苦、誰もそうなりたくはなかっただろうな。ならば……とは考えて欲しくないのが本音だが、人の思考には干渉できん。そして私にも、無理だ
「……ではこの降伏案を破棄する」
「それとさ、」
会長さんは再び背もたれに寄りかかり、干し芋を口に含む。まだあるか
「隊長西住ちゃんにしない?」
「えっ?私が?」
いきなり言われた一言に動揺する。ちょい待て、約束が違う。いやそういうよは良くても、どういうことだ?
「だってさ、この大会はじまってから西住ちゃんがほぼ取り仕切っているじゃん。硬式について一番詳しいのも西住ちゃんだし、実態と名前合わせない?」
まぁ確かにそうかもしれんが……
「会長、私は……」
「かーしまは副隊長として西住ちゃんしっかり支えてもらうよ」
その場から大きな拍手が聞こえる
「えっ、えっ?えっ!ちょっと……」
「別に西住ちゃんは今まで通りのことやってくれればいいから!他はみんながやるから」
そうではないのだ。拍手が続く中で、言葉をまとめた
「……でも今まで河嶋先輩が隊長として統率してくださいました。お陰で私も策のみを安心して講じることができてきました。それを取って代わる資格は私にはありません。
しかもそもそも戦車道を始めたのは生徒会の方々です。その方々が主導すべきです」
「……だよねー。分かった、すまない。これまで通り行こう」
ありゃ、向こうは珍しく簡単に引き下がった。そうだ。これでいい
「これ以外に話し合うことはないな。作戦は明日にする。松本、鈴木を呼んできてくれ」
河嶋さんが人差し指を右に振る
「えっ?カエサルですか?」
「そうだ。あいつが使者として一番妥当だ。アンツィオの副隊長と仲が良いようだからな。話もしやすいだろう」
「了解しました」
車長たちは全員そのテントから各々の行くべき場へと立ち去った。私と河嶋さんを除いて
「……すまんな、西住」
「いいえ、いいんです、河嶋先輩。あれは嫌なことから死んで逃れたい、という私の我儘に過ぎない事。それを会長さんに気づかれた時点で、私に反論の術はありません」
「あれは……真意か?」
「なんのことですか?」
「私が隊長として統率できて、それを取って変わる資格は自分にはないって……」
いつもの様子とは裏腹に椅子に座ったまま身を前に倒す
「本当です。嘘なんて……」
「分かっているんだ、自分には隊長なんて向いてないと。聖グロリアーナの時も焦って闇雲な指示しか出せない有様だし、マジノの時なんか完敗だ。この大会もほぼお前に頼りきっている。隊長として面目ない。しかもお前には勇気がある」
「えっ?」
「みんなが助かるからって自らの身を投げ出すなんてことできる奴そうそういないぞ。私にはそんなことできない。お前も私と姉さんと比べたらとても頼りになるとは言えんだろう。そういうことだ」
河嶋さんは身を前にしたまま首を振る。これが彼女の本来の姿なのかもしれない
「……それは違います!河嶋先輩は本当に隊長に相応しい方です!」
「……どうしてここまで聞いてそんなことが言える」
「人の上に立つ人に必要なのは支える人だけ、麻子さんから副隊長になって自信がなかった時そう言われたんです。もし必要ならば、私が支える人になります。
みんなが先輩を批判するならその批判は私が受けます。どうか、私たちを優勝へ導いてください」
「……それならお前が隊長で我々は批判とかを受ければいいんじゃないか?いや、生徒会として寧ろそっちに回るべきじゃないのか?」
腕を組んでこちらを向く河嶋さんに、うつむいたまま首を左右に振る。そうではない。私には出来ないのだ。私の本質として不可能なのだ
「私が持って無くてリーダーに必要なもの、それは疚しくないこと」
人から後ろ指を指され得る人間に、人は従わない。別に清廉潔白であれ、とまでは言わないが、疚しいところは少ない方がいい
「私はどうやってもそうなれないのです」
暫く私の顔を眺めた河嶋さんは、少し仕方なさそうに口を開いた
「……分かった。私がやるしかないようだな。どこまでできるかわからないがやれることはやろう。西住、サポート頼んだぞ」
河嶋さんは身を起こし立ち上がる。少し吹っ切れたみたいだな。良い顔だ
「……はい」
「隊長、カエサルを連れてきました」
私の絞り出した返事と同時に、エルヴィンさんがカエサルさんを連れてテントに入ってきた
「私に何か?」
「これからアンツィオへの手紙を書くから、それを渡しに行ってもらいたい。アンツィオの副隊長と友人であるお前が妥当だ」
「1人ですか?」
「敵の使者も1人だった。こちらが多く送る必要はない」
「分かりました。手紙の用意ができたら呼んでください」
カエサルさんとエルヴィンさんは身を倒すと、そのまま外に行った
「……紙と封筒ってあるか?」
「紙とシャーペンなら有りますが?」
「ボールペンか筆ペンは?」
「……ちょっと今手元に無いですね」
「じゃあ仕方ない。それでいいか」
河嶋さんは丁寧な字で私の渡した紙に返事を書いた。一文字毎に想いを込めるかのようにゆっくりと、丁寧に文字を刻む
「これでよろしく」
「分かりました。行ってきます」
カエサルさんは外へ走り去り、エルヴィンさんは帽子を取り一礼すると幕を払っていった。彼女には不憫な思いをさせるが、こうなってしまった以上仕方ない
「ところで西住、次の試合の作戦は考えているか?」
「最初の配置が山がちな会場でこちらが標高が下という不利な状況なので、取り敢えず上を目指します。地理的に沿岸部では上から狙われやすいため、そちらに行くべきではありません」
「でも敵は前回のマジノ戦でセモべンテ4輌を失っていると聞いている。戦力で言えばこちらが圧倒的に有利じゃないか?」
「アンツィオの特徴は、カリスマのあるアンチョビさんに率いられている生徒たちの士気と、ノリと勢いです。それに乗せられたらこちらにも被害が出ます。でもそのくらいの戦力差があるならば、敵の取る策は一つだけでしょう」
「なんだ?」
「それは……」
~
広報部からの報告
内容
大洗女子学園の動向
同校からの連絡によると
「西住を殺させはせぬ!徹底抗戦すべし!」
を
「アンツィオの降伏勧告」
において選択をしたとのことです
~
今日はここまでです
もう直ぐ始めます
~
これ善は、その善なる限り、知らるるとともに愛を燃やし、かつその含む善の多きに従いて、愛また大いなるによる。
ダンテ 『神曲』
~
「対戦車戦だ」
「た、対戦車戦ですか?」
カルパッチョは驚きを隠さない。だろうな。私が取る手段としては前例から外れている
「戦力で相手が勝っているならその戦力をいかに少ない戦力で削ぐか、それが重要だ。そうなると成功すれば戦車1輌、失敗しても味方1人ですむこの策が妥当だ。
ただでさえ敵のどの車輌の車体を抜けないカルロベローチェを6輌も出さなくてはいけないんだ。他に手はない。まともに戦っても負ける」
「でも……その策は危険が付き物です。みんながやってくれるか……この場において叛逆されるのは危険でしょうし……」
「私が皆に頭を下げる。そこまで士気も落ちてないようだしな。我々の目的は勝てばそれでいいが、それよりいかに西住みほを地獄におくるか、そこに主眼を置きたい」
「その為にみんな戦うでしょうか?直接的な恨みを持つ人間はいないでしょうし……」
「西住みほが天に召されれば大洗の命令系統は混乱する。そうさせるのが我々が生き残る唯一の手だ。そう説明する」
「なるほど……」
「それに必要なものは黒森峰に頼んだ。あと例のものは?」
「あれですか?あれなら今夜中にこっちに着くようですよ。」
「予定より遅れたが、それさえあれば勝ち目はある。西住みほの乗るのはIV号だ。それさえ撃破できれば……」
外から金属がぶつかり合う音がする
「姐さん、ぺパロニです」
「入れ」
「姐さん達、少しナポリタン残りあるんすけどいります?案外みんな食わなくて。特にアンチョビ姐さんとかカルパッチョだけっすよね」
2つの鍋が机の上に乗る。生憎これ以上食っては胃に来そうだ。ストレスかね
「いや……いい」
「私も……」
2人が首を振るとペパロニは鍋をまた持って裏へと引いた。
「今日は早く休もう。明日全力を尽くせずに死ぬ訳にはいかない」
「分かりました」
「あ、そういえばさっき大洗からの使者が戦車置き場に来ていましたよ」
何最後に滅茶苦茶重要なことを言ってんだお前ぇ!真っ先に言うべきだろうが!素早く席から立ち上がり、机に鞭を叩けつける
「本当か!何故それをすぐ言わないんだ!すぐに呼んでこい!」
「すんません。了解っす」
ペパロニは鍋を置いたまま駆け出した
「はぁ……」
「まぁ、ペパロニらしいじゃないですか」
「いやまぁ、そうなんだけどさ……」
?すぐにそのテントにカエサルなる使者がやって来た。机の上には勝手にペパロニが用意したナポリタンが置かれている。お前もうそれ冷めつつあるじゃないか
「失礼します。大洗女子学園の鈴木貴子と言います」
「たかちゃん!ようこそ!」
「ひなちゃん」
「私はアンツィオ高校戦車道部の隊長の安斎だ。アンチョビのほうがいい」
「ではアンチョビさん、こちらが大洗からの手紙です」
物分かりがよくて助かる。そしてこちらもそうであることを願い、三つ折りにされた紙を受け取り、ゆっくりと開いた
???拝啓 アンツィオ高校戦車道部
???大洗女子学園は貴校からの提案を感謝しますが、その内容は我が校には受け入れられないものでございます。
西住みほを貴校及び黒森峰女学院に殺させてまで、残りの者が生き残ることはいたしません。その生き残る可能性についても、貴校を信頼することはできません。
我々は目的の達成の為に不本意ながら砲火を交えるしか道はございません。
大洗女子学園戦車道隊長 河嶋桃
???敬具
紙の左右を握りつぶす。怒りのあまり言葉も出ない。その場にいた私を含む3人は視線をその紙に向け動こうとしない。
予想外だ。まだ返事をはぐらかすとか、さらなる交渉を要求する、なら話として分かる。
だが何故そこまで西住みほを守ろうとするのか。自分の命を捨てることになるのに。
紙を完全に握りつぶし、無造作に投げ捨てた。命を捨てる愚か者たちに、情けはいらぬ
「随分酷い感謝の言葉だな。ならばこちらも砲火を返すことにする!まずこの者を捕らえなさい!見せしめとする!」
「えっ?何?」
「お待ちください!」
激昂する私をカルパッチョが抑える。
何故だ。敵となった以上、それを減らし、戦意を揺らがせるのは損ではないはず
「止めるな、カルパッチョ!」
「落ち着いてください、ドゥーチェ!まだ試合は開始していないのでこの者は捕虜にはできません。下手なことをすると戦車道連盟規約違反となるかもしれません。
そうなったらどうにも……ここは一旦我々の反応を伝えさせるのがよろしいかと」
「だったらこの者をみすみすかえせというのか??少なくともただで返せるほどお人好しじゃないぞ!」
「自分達が死んでまでも西住みほを守ろうとする者達です。脅しは通じません。西住みほのみを対象にするなら他を気にしない精神を見せるべきです」
なるほど、激昂して気でも違っていたのか。こういう時にいるカルパッチョは本当にありがたい
「……そうか、解放しよう。だけどもこのことは伝えておきなさい!この判断は間違いなく後悔を生むと!」
「は、はいっ!」
カエサルなる女は少し腰が抜けかかっていた。まぁこれだけやれば十分か。
……彼女、カルパッチョの知り合いか。最後の別れくらいはさせてやるか
「カルパッチョ、送って行きなさい。怒ったらお腹空いた。これ頂くよ、ペパロニ」
「どうぞ!」
少し乱暴に机の上のパスタを手に取る。アンツィオにいる限り許される行為ではないが、この時くらいは許してもらおう。これから火起こしなぞ勘弁つかまつる
「たかちゃん、行こう」
カルパッチョが使者の手を優しく握り、使者はその手を支えに立ち上がった
「ありがとう」
「顔も見たくない!とっとと行きなさい!」
2度ほど右手を振るとフォークとナポリタンの皿を持って裏に下がった。怒りはここでは向こうに本気と見せる為に演じよう
しかしここで我々と戦うことを選ぶとは……向こうが棄権しているとはいえ、実質的に既にサンダースに勝っているんだ。まさかこれからプラウダに降伏する気じゃあるまいし、黒森峰なら尚更だ
ということは……裏があるな
「そうか、対戦車戦か……」
「故宮の得意技です」
河嶋さんも私もそれぞれ腕を組んでいる
「いきなり爆弾を取りつけられてドカン、ということか。対策を取りようがないな」
「場所さえ分かれば怖くはありませんが、足下を車長が注意するくらいしか……黒森峰の時も故宮戦は被害がそれなりに出ましたし」
「取り敢えず明日全車長にそのことを伝えよう。対策はその後だ……西住」
「な、なんですか?」
いつも少し低めの鋭い声を出す河嶋さんだが、さらに低い声で話しかける
「すまないが、少し昔話を聴いてくれるか?」
河嶋さんが身を前に軽く倒し、両肘と両膝をつけ、手を組む
「ええ、私が相手でよろしければ」
「むしろお前じゃなきゃいけないな。私がお前の来る前、自衛隊の方から指揮を習ったことは聞いているな」
「ええ、会長さんから伺いました」
「なぜ私が、というのは知らないか」
「ええ。しかし戦車道が生徒会の主導で行われている以上、そこから隊長が輩出されるのは自然かと」
「まぁそれはそうなんだがな、私は志願して隊長になったんだ」
「志願して……」
隊長に志願……それは並大抵なことではないだろう。先程会長さんが簡単に引き下がったのはそのせいもあるやもしれん
「私は高校からの編入生なんだ。中学はお前なら知っているだろう。青師団学園だ」
「青師団ですか。硬式参加校のひとつですね」
「ああ、あとはお前、私の家についても知らないか。私の家は今は8人家族。私の下に妹4人、弟1人だ。みんな今でもやんちゃ盛りなんだよな」
すげぇ大家族。羨ましくもあるが、めっちゃ大変そうでもある
「だがな、私もかつては『妹』だったんだ」
「ということは……お兄様かお姉様がいらっしゃったと」
「姉だ。私が未だに自分でもわかるほど泣き虫で頼りなくて、それでいて見てくれだけは良さげに見せようとするのは、私がまだまだ妹気質が抜けてないから、なんだろうな。
本当に頼りになる姉だった。私が何かやらかしたら一緒に謝りに行ってくれた。一回教会の壁画に傷付けた時は、神父様に一緒に土下座してくれたな……
昔からバカだった私の勉強だって見てくれた。時々親には内緒でお菓子をもらう時は、本当に嬉しかったな……」
河嶋さんが目元を拭う。いつもの先輩気質の姿は見る影もない。本当に大切な方だったことが見て取れる
「で、そのお姉様は……」
「死んだよ。3年前のプラウダ戦で」
プラウダ……
「姉は、私たちの学費の助けになるから、と中学から軍属目指して戦車道を始めていたんだ。大学に行く気もなかっただろうな。そして優秀だった姉は2年生から選抜メンバーに選ばれるようになった。そして、
『私らは心配ないさ』
そう言い残して硬式戦に向かっていった
しかしな……乱戦になって側面から砲弾を喰らい、即死だったそうだ。車輌も炎上したらしく、帰ってきたのは右腕だけさ。顔もなければ、肘から上さえ焼け焦げてしまっていた。だがな、その手の爪に大会前に着けた付け爪が付いていたんだ
それだけなら良かったかもしれない。でもそれは私がその年の誕生日プレゼントでお揃いであげたものだったんだ
葬儀に行った私の目に映ったそれはもう死ぬまで忘れる事ができない。私の未来を、姉が目の前で見せている気がした。その後の話が全く耳に入らないし、何が起こったか記憶が曖昧だ
だが一つ確かなのは、その日の夜家も捨て、店も捨てて、家族総出で駅で列車を捕まえて遠くに逃げたことだ。姉からそうするよう言われた気がしたんだ。周参見の学園都市から出来るだけ遠く、遠く。家族皆、それしか考えられなかった
その時母のお腹の中には今の私の一番下の妹がいたんだが、こっちに来てから出産になった。しかしな、ストレスからかとんでもない難産で、お陰でそれ以来、母は身体を壊してばっかりだ
それからなんとか親の理解を得て大洗の試験に合格して、私は青師団とともに戦車道と縁を切った、はずだった」
河嶋さんは頭を抱える
「……河嶋先輩……」
「翌年、翌々年の大会で、戦車道に携わっていた私の同級生は殆ど死んだ。中には戦車道に関わっていなかったのに、勇敢にも青師団の内戦に義勇兵として加わった奴もいる。どっちの側にもな。そして……死んだ奴もいる
ただでさえきな臭かったんだ、私は逃げて良かった、となんとか自分を納得させようとした。そしてそれを忘れようと、高1から生徒会活動に全力で参加した」
「……だったら戦車道の導入に賛成したのは……」
「それは軟式だと仰ったのと、角谷会長を信じたからだ。あの人は素晴らしい方だ。人を纏める天才だ
それと私はここに来て変わったんだ。自信を持てるようになったんだ。そうしてくれた学校に恩を返すのは当然じゃないか!会長と柚ちゃんがいたから、ここまでトラウマに縛られる事なくこれたんだ!」
河嶋さんの興奮の余り、机が反動で浮くほど強く叩かれる。何も言葉を返せずにいた
「……すまない。この話をしたのはお前が初めてだったものだから。お前なら理解してくれると思ってな。
実はお前をうちに呼ぶよう進言したのは私なんだ。無理にでも加えよう、というとこまで含めてな。だから恨むなら私を恨むといい
今回の降伏に反対したのも、学校の廃校阻止も出来ないのに自分の判断で来てもらって、自分の判断で自分の代わりに死ぬ、という完全に自分の所為で亡くなった人の死体を見たくなかった
あとは……私はかつて、故郷を捨てた。また自分が関われる中で故郷を無くしたく……なかったんだ……母はあの身体だ。次また引っ越して健康になれるとは思えない
ははっ、こんな時に自分の事しか考えていないなんて、隊長失格だな、全く」
背もたれに寄りかかり、河嶋さんは自嘲する。彼女が失格なら、私は何か。無期限謹慎あたりか
「いいえ、私はここに呼んでくださったおかげで、真の仲間を見つけたんです。こちらが感謝したいくらいです。ありがとうございます」
「それなら一つ言っておこう。先んじて死んで喜ぶ奴はここにはいない、とな。いないはずだ
明日は試合だ。早く休まないとな。すまないが作戦は頼んだ。私は絡まない方がいい気がする」
申し訳なさそうに立ち上がった河嶋さんがテントから出るのを目で追うと、地図の数カ所に印をつけ、宿舎に戻った
宿舎に着いた後も地図と格闘した。殺すにはもったいない、優しさと強さを兼ね備えた人を倒すための策を立てるため
申し訳なさはある。だがそれよりも生きねば
~
広報部からの報告
内容
アンツィオ学園の動向
同校からの連絡によると
「よろしい、ならば『死合』をしようか。裏切り者に死を!」
を
「大洗、勧告を拒絶」
において選択をしたとのことです
~
今日はここまでです
やっていきますよー
~
歴史や伝統は金銭で贖えるような薄っぺらい物ではないのだぞっ!?
「テルマエ・ロマエ」より
~
新しい朝が来た。しかしそれは希望あるものではない。早朝からアンツィオ高校の陣で隊長、副隊長ら3人は今後の対応を話し合っていた
「カルパッチョ、黒森峰に頼んだ物は届いているか?」
鞭を机に軽く打ち付けながら声をかける
「ええ、箱にぎっしり。よくもこれだけ用意出来るものだとおもいますよ。あと学園からの荷物も準備を整えさせているところです」
「姐さん、あれなんなんですか?危険物ってあるんすけど?」
「危険物だ、後はお楽しみ」
何かを察知したのか、ペパロニはそれに触れることなく、距離をとっていた。こいつはおっちょこちょいだから、これくらいの方がいい。
それより、そろそろ試合の時は近づいている。心苦しいが、伝えておきたいことがある。単に私だけで抱える勇気が無いだけなのだが
「……皆を集める前に、お前ら2人に話しておきたいことがある」
「何っすか、ドゥーチェ」
「……はい」
カルパッチョは何か察してるようだな。私は一度テントの外に出て、他の皆が戦車の確認をしている音を聞き取り、周りを見渡してから戻ってくる
「ここから先は本当にここの3人だけの話だ。特にペパロニ、話すなよ」
「話しませんよ、ドゥーチェがそこまで言うことを」
ことを」
「……ならいいか、時間もないし。率直に言おう。これからアンツィオは崩壊する。それを我々は止めることは出来ない」
「アンツィオは崩壊するって……馬鹿なことを言わないで欲しいっす、ドゥーチェ!みんなこの学園が好きじゃないっすか!」
ペパロニからしたら信じたくないことだろうな。私だって気づいた時は発狂しそうになったんだから。机に手をつきながら身を乗り出してくる
「……学園主任の……紅戸さんですか」
流石だな。カルパッチョ
「そう。私というストッパーが切れてからは、都市運営の主導権は一気に向こうに傾くだろうな。そしてそれを止めうる人材は、ペパロニとカルパッチョ、お前らだけだった」
「それは……私たちが戦車道の副隊長だから、ですか」
「まぁそうだ。確かに私の後継者と名乗るに一番相応しい存在だろうな。が、それだけじゃない。
人脈が広く、人当たりも良いペパロニと、実務を確実に素早くこなし、真面目なカルパッチョ。2人が手を組めば私も超えるドゥーチェになったはずさ」
「ウチらがドゥーチェを超えるドゥーチェっすか……想像出来ないっすね」
「ですが……」
「そう。この大会に参加してしまった以上、最早生き残るのは不可能に近い。ひとえに私の能力不足だ。すまない」
「……黒森峰を通じて、脱出を融通してもらうのは……協定から考えて問題ないはずです」
一度は考えたことだ。だがよく考えずとも不可能だ
「無理だな。そしてその無理な理由が、私たちが居なくなったらアンツィオが崩壊する一つの理由だ」
「そういえば、何でアンツィオが崩壊、なんてことになるんっすか。紅戸さんがドゥーチェがやってたことも含めて、全部決めるようになるだけなんじゃないっすか?」
「その紅戸の野郎が問題なんだよなぁ。が、お前にどう説明したものか……そうだ、トロッコの問題を例に使おう」
近場にあったナイフの束から4本掴み、机の上に角度が120、60、60、120度に近くなるように並べる
「トロッコ問題というのは、線路の片方に5人、もう片方に1人縛り付けられているところに暴走トロッコが突っ込んでくる。レバーを引けば1人轢かれるが、引かないと5人轢かれる、ってやつだな。自分で手を下すか、を問う質問だ。
この問題だとレバーに触らない、という選択肢があるが、政治をするものにレバーに触れないという選択肢はない。そして今回このアンツィオという3本のレールには、左から順に7人、2人、5人が縛り付けられている。少なくとも私にはそう見える」
トロッコの線路は上からだと飛行機のように見える。その先頭の方から3つのトロッコの経路を指で示しながら説明を続ける
「誰がそんなことをするんっすか」
「いいから黙って聞け。去年まではレバーは左に引かれていた。アメリカからの経済不況も合わさって、経済は破滅的だった」
「ま、そのお陰で私は300万リラのジョークが使えるんっすけどね」
「お前も皮肉なんて言えるんだな」
「へへ、照れるっすよ~」
あんまり褒めてはないんだがなぁ
「それを何とか真ん中まで持ってきた。その際に紅戸と私は協力したわけだが、その後紅戸はレバーを右にもっと引こうとした。
あいつには右のレールに人の姿は見えてない。いや、人の姿には見えてないらしい。そして私はなんとかそうさせないようにしてきた」
「ですが、ドゥーチェも私たちもいなくなってしまうと……」
「レバーは振り切れるな。そして5人は死ぬ。学園都市の混乱は免れない。奴らは東北を手に入れている。その境に近い栃木での隙を見逃してくれるプラウダではないだろう」
「……どうなっちまうんっすか?」
「良くてテロの続発、一番可能性があるのは内戦に勝利しての現政権の存続、悪くて政権転覆して親プラウダ政権の誕生」
2人ともその悲惨な光景を想像して言葉も出ないようだ。たたみかけるようで悪いし、何より私が口にしたくない言葉だが、さらに続けさせてもらう
「……黒森峰は、もうウチと手を切りたがっているのかもしれん。だから自衛隊の中に黒森峰に近い奴がいても、脱出の手引きをしてくれる可能性はほぼ無い」
「……その心は」
「この大会の実行委員長があいつだった。つまり黒森峰は今回大会が硬式になることを知っていた。なのに我々に一言も知らせがなかった。我々の戦力の殆どが戦車道と黒服隊であることを知っているにも関わらず、だ」
「ですがプラウダに対し、直近で対峙している我が校を見捨ててしまうと、黒森峰は他校の信用を失ってしまうのでは?」
「……昨年の青師団の件もあるし、何よりアメリカからの経済不況の影響がないはずがない。もう下手に介入したくないのかもな。あの危険物も手切れ金代わりかもしれん」
「……黒森峰が硬式大会にすることを止めなかったのは……」
「恐らくだが、合法的に自分たちの面目を潰したカチューシャを殺す機会を作る為だろう。黒森峰の隊長代行だったかな、を務めてる逸見も優秀な奴だったしな。可能性はあるだろう。
暗殺を仕掛けても成功確率は高くないだろうし、仮に成功しても黒森峰に真っ先に疑いがかかる。戦車道はまたとない機会のはずだ。
そして向こうからすれば、アンツィオとの協定は私個人との協定のつもりだったのかもしれん。そう考えれば、私が辞めるか死ねば協定の意味が無くなる。5億をドブに捨てるとは、私たちには考えも寄らない手よ」
「黒森峰の名に劣らぬ真っ黒な外交ですね」
「外交なんてやったもん勝ちだからな。そしてバックに付いていた黒森峰がウチから手を引くと……」
「左派がプラウダの支援を受けて蜂起、と」
「そ。紅戸次第じゃ民主系も怪しいな。だから内戦が一番可能性があるわけさ。そこまで来れば聖グロが介入するかもしれないけど、期待は出来ない」
答えはない。戦火に呑まれる校舎。砲弾を撃ち込まれるスペイン階段。それに何も出来ない自分。私も2人がいなければ思いっきり地団駄を踏んだだろうし、喚きもしたに違いない
「……一回な、お前ら2人だけ大洗に降伏させようか、とも考えたんだ。大洗が負ければ、ルール上解放される。だが私には、2人なしで大洗に勝つ方法は思いつけない。
何より仮に解放されても、私を守れずに勝手に降伏した者呼ばわりされ、政治の表舞台には立てない。そうなれば結末は変わらない」
「でしょうね、ドゥーチェがその選択をなさらないのですから」
「残念ながら……我々はここにいるしか無いんだ」
「……ドゥーチェ、何があろうと、私は最期までドゥーチェと共にある所存です」
「も、勿論私もっす!」
俯き気味に、だが気力で首を持ち上げて、顔で分かってしまうのに、こちらに訴えかけてくる。生きたいなら、私なんかを見捨てることも可能だったというのに
「そんなに悲しそうな顔をするな、2人とも。それを打破する道は、全くないわけじゃないんだから。大洗を、プラウダを殲滅する。我らの手で。そうすれば黒森峰とは何とかしてみせよう」
「……ですね」
「もし必要なら、私は2人の盾となってでも守ってみせる。お前らは私より遥かに重要な命だ」
「……勿体無いお言葉」
「そんな訳ないっす!必ずやドゥーチェも、私たちも生きながら、アンツィオの階段に、店に、戻って来ましょう!」
「……そうだな!またペパロニの鉄板ナポリタンでも食うか!」
「ええ!」
気持ちが高まる中、腕時計を確認する
「っと、そろそろ時間が近いな。よし、2人は皆をP40の前に集合させてくれ。私は話が終わったら作戦会議をここでするから、その準備をする」
「はいっ!」
「了解っす!」
ペパロニとカルパッチョはテントから左右に分かれ走り去った。ナイフを元に戻して静寂に少し身を預ける
「ふぅ……西住みほ……戦いの時だな
と、まずい、カールが乱れてる」
近くの鏡の前で顔の両脇に垂れ下がっている長いカールの乱れを正す。身嗜みもドゥーチェの職務の一つ。人前に出るときは派手な格好をして、ダサい感じを排除する。この髪型にしたのも、眼鏡をコンタクトにしたのもその為だ
「よぉし、こんなものか。それにしても西住みほ、か。
確かに貴女は害だ。西住流にとっても、黒森峰にとっても、そしてそれらを手を結ぶアンツィオにとっても。が、決して悪ではなかった。
あの時友を助けに行ったこと、勝利の放棄故に西住流にとって許されぬこと。理解は出来ないが、共感はする。一回合宿であった時も、特に悪印象はない」
鏡の向こうにいるのは安斎千代美
「もし私たちに背負うものがなければ、友だったかもしれないな」
その独り言を聞くものはない
暫くのち、P40の上に乗った私の周りを、アンツィオ高校戦車道部の隊員が囲んだ。深く息を吸い込んだ
「アンツィオ学園戦車道隊員にしてアンツィオ黒服党黒服隊隊員である諸君!よく聞いてくれ!
いいか!今回は西住流の逆賊西住みほとそれを守ろうとする者を、アンツィオの名において叩き潰すための試合だ!
西住みほは西住流を破門にされただけでなく、我々の盟友黒森峰を叩くため戦車道大会に参加しているのだ!挙げ句の果てに西住みほの身柄と引き換えに自由の身を約束しても徹底抗戦を選択した!大洗の馬鹿どもは何としても西住みほを生存させたいようだ!」
誇張はしているが、事実だ。だから私が叩き潰そうと想う心は変わらない
「ならば我々の不滅の槍をもって、奴らを撃滅するほかない!西住みほさえ殺せば、大洗にまともに指揮を取れる奴はいない!
降伏なぞしよう者は、西住みほに逆らった事を理由に大洗に皆殺しにされるだろう!総員総力を挙げて戦ってくれ!」
「ドゥーチェ!ドゥーチェ!ドゥーチェ!」
ここでトーンを落とす。完璧な人間にトップは務まらない
「と、まぁここまで格好付けたことを言った訳だが、この中には絶対に生き残りたい、と思う者もいるだろう。そう思うこと自体を否定することは出来ない。
それに大洗と戦う理由に私の西住流における個人的感情が絡んでない、と言えば嘘になる。だから今この場で大洗に降伏したい、と思う者がいても構わない。今ならまだ許されるだろう。逆に試合が始まれば、我々は絶対に許されまい。
ここから去っても私は非難しない。残る者が非難することも許さない。そうしたい者はいないか?」
戦車から降りて、一人一人の顔を眺めながら戦車の周りを回る。だが皆私の顔をはっきりと見つめ返し、動こうとする者はいない
「……いないのか」
「ドゥーチェ!」
集団から一人、私の名を叫ぶ者がいた
「アマレット……」
「こんな時に何言い出すんっすか!我々は黒服隊員!その青年団の一員として、ドゥーチェを守る為に、アンツィオを守る為に戦うって誓ってるじゃないですか!」
「いや……そうだが……な」
「そうですよ!ドゥーチェは戦いなさるおつもりなのでしょう!だったら逃げるなんて出来るわけないじゃないですか!」
「ジェラート……」
「そうだ!ここにはドゥーチェを地獄に送りながら、のうのうと天国に行こうとする者なんていやしませんよ!地獄の果てまでお伴します、ドゥーチェ!」
「パネトーネ……」
「ドゥーチェ!ドゥーチェ!ドゥーチェ!」
再びの連呼が周囲を包む。それに何も出来なかった私は、何らかの合図があったのかそれがサッと静寂に帰した時も、ただ狼狽えるだけだった
♪母よ涙は無しで 子は強者だから
流れる声の清らかさ、姿川の如くなり。声の主を確認すると、カルパッチョだった
♪都市の友よ 悲しむなかれ ここには敗北はない
次は男体山の如く荘厳なる歌声。ペパロニのものだ
この歌はアンツィオ黒服隊青年団歌。ここの皆がくまなく知っている歌だ
♪進め部隊よ 黒き炎 我らの存在 示す紋章
その声に周りの皆も揃って歌い始め、私の四方八方から取り巻こうとする。歌いながら胸元の紋章の形のバッチを、指で挟んで皆掲げている
♪平原を進み 学園を守れ 機関銃と青春を手に!
彼らは本当に、一人残らずやる気だ。大洗が敵であるからではなく、私を守る為
一番のみで歌声は止まった。再び戦車の上に乗り、こちらを向く皆の視線を見渡す
「大馬鹿者がっ!」
叫んだ時に、自分の頬を涙が伝わっていたのを知った
「お前らは本っ当に馬鹿ばかりだ!飯の時間になれば話も聞かずに食堂に直行!節約したおやつ代は練習後のパーティーで吹っ飛ぶ!その練習も指示通りのことも出来ない時さえある!
何とか十役会議を説得して予算を持ってきても、車輌の増強には回しきれなかった!やっと手に入った中戦車がP40だ!本っ当にどうしようもないよ、お前ら!」
鼻水までもか。私の顔にはティッシュが即刻必要だな。だがそんな事を気にする時ではない
「だがな!私はそんなお前らと戦車道ができ、同じ時を過ごしたことを後悔したことはない!一度たりともない!断言する!
楽しかった!お前らと過ごした全ての時が!喧嘩をしようと、気分が落ち込んでも、試合で勝てなくても、側にいたお前らは最高の仲間だった!
だからここで私が死んだとしても、後悔はない!お前らと過ごせた記憶を共有出来ている限り!そしてそのお前らと最期を迎えられたら、私は幸せな人間に違いない!」
袖で顔に付く全ての液体を一気に拭ってしまった。ははは、汚い、みっともない
「しかし!私はタダでこの命をくれてやるつもりはない!皆の命もくれてやるつもりもない!大洗の、プラウダの全ての命と引き換えでなければ渡せるものではないことを、奴らに教育してやれ!」
「おぉっー!」
「自由万歳!平等万歳!学生万歳!労働者万歳!雇用者万歳!それらを守る兵士万歳!
諸君!Vittoria(勝利を)!」
私は高く右手とその手にある鞭を掲げた
~
十役会議
安斎千代美が設立したアンツィオ学園中学、高等学校の行政機関。生徒会から政策決定権を委譲して設立された。特徴は右派アンツィオ黒服党から中道左派栃木市民生活会までを抱き込んでおり、その上で黒服党が過半数を確保していないことにある。議長は安斎千代美で、同数の場合は最終決定をするが、それ以外は過半数の賛成で決定される
高校編入であるため立場が盤石ではない安斎千代美にとって、自らの権力の安定性を保つ重要な組織となった
~
ここまでです
そろそろ始めます
~
1952年、第12回全国高等学校生戦車道大会が開催された。その後自動判定装置、炭素繊維による内面保護の強化、貫通性のより少ない砲弾の開発により、安全性が強化された戦車道として軟式戦車道が登場。当初は連盟非公認でありながらも発展を続けていき、1971年に連盟も軟式大会を公認した。
対して実弾を使い死傷者の出る硬式戦車道は脱退校が相次ぎ、1958年の硬式第18回大会は32校いた参加校が、1984年の硬式第44回大会はたったの13校という有様であった。これは硬式戦車道に参加していた湾岸ジュリアナ高校(現在は廃校)が連盟に対する強い発言権を用い、数で勝るものが有利となるようにルール改定を行ったのが理由の一つと言われている。
山鹿 涼『日本の学園都市』
~
作戦概要を知らせた後の大洗のテントの中は、重い雰囲気に包まれていた。足元を注意する、そうしなければ死ぬ。視界の狭い戦車にとってそれがいかに難しいことか皆理解しているだろう
「それが対戦車戦の脅威です。一箇所に固まって餌食になるのは避けたいのですが」
「だったら拡散するのがいいのか?」
「いいえ、それでは各個撃破の対象になります。2つ位に別れたいです、が」
「どう割れるか、か」
「……だったら、対戦車戦陣地のありそうな方に機銃のある戦車を回した方がいいんじゃないか?」
エルヴィンさんが頭の上のゴーグルを調整する
「歩兵を一掃するなら砲弾より機銃の方がいい。まさかトーチカ作ってるわけじゃあるまいし、塹壕程度ならどんな砲火力でも怖くはないしな」
「そうなると機銃があるのはIII突と以外か。だったら対戦車戦やりそうな方にM3、B1bis、ポルシェティーガーを回せばいいんじゃない?」
会長さんが干し芋を一枚つまみながら頭をこちらへ回す
「といいますと?」
「M3は背があるし、ポルシェティーガーは底を一番抜かれにくい。そして別れた後の戦力比を考えるとB1bisを送るのがいいんじゃないかい?ポルシェティーガーの足に合わせれば敵を捜しやすいっしょ。どっちにP40がいてもIV号、ヘッツァー、III突がいれば対応可能でしょ」
背があれば上から塹壕などを見つけやすいし、アハトアハトさえあれば予め破壊できる。榴弾砲があるB1bisがあるのも良いな。良い編成だ。
しかし本当にマークIVが使いづらい。機銃が5つと多いのは良いのだが、トロい。時速10km出せないとかどんだけよ
「成る程、そうですね。でしたらその手でいきましょう。問題はマークIVなんですが……そちらに回します?」
「それで良いんじゃないか?ゆっくり進むべきは対戦車戦する方だろうし」
「あたいらもそれで構わないよ。というよりあたいらの踏破能力じゃ急な方は登れないよ」
お銀さんの同意を得られたなら良いか
「ではそのようにお願いします」
「ところで西住、敵はどこに来るかわかるか?」
「こちらをご覧ください」
机に地図を広げる。そこには昨日の試行錯誤の跡が残っている
「昨日考えて出た答えは、敵陣地を西に迂回する道か、ここから敵陣地を直接狙うこの道の途中のどちらかです。私はこっちの西の道だと思います」
「というと?」
「こちらの方が坂が急です。敵はこちらなら高低差を利用して戦力を集中すれば、直にぶつかっても勝てると思うのではないか、と」
「そうか。初動で地形ではこちらが大きく不利か」
「ええ、出来るだけ同等に戦える一本西に南北に走るこの道までいかに早くたどり着くか、それが重要です。
ですがその前に交通の要衝であるこの交差点に行きましょう。その地点を保持しつつ、偵察を出して相手の配置を確認します。
行くのは4人、迂回する道と直接狙える道を両方調べてください。場所がわかったらそこをできるだけ避けて通ります」
「了解」
全員が返事した後、車輌整備の確認に散っていった。空は青く澄んでいる、怖いほど
対戦車戦、もしあの目標を本当に達成せねばならない時、これも選択肢として上がってくるのだろう
午前11時、陸前高田のリアス式海岸の一角でホイッスルが鳴る。互いの学園を背負った戦いの始まりだ
「偵察の人たちは指示した方に向かってください。マークIVは後方の警戒を」
「はいよ」
坂を登り始めたIV号から通達された命令に合わせて2人組が2つ、正面の道には優花里さんとカエサルさん、右脇の道には山郷さんとスズキさんが、それぞれトンプソンM1を装備して向かう
「西住殿、行ってまいります」
「敵の配置の情報を取るのが目的です。敵に会ったら戦わずに引いてきてください。見つからないことと、生きて帰ることを最優先にお願いします」
「了解しました」
「分かった」
「分かってる!」
偵察が出発した後、件の交差点に到達したこちら側は、周囲を警戒しつつ車輌を予定の進路に向けられるよう振り分ける。
向こうは奇襲を狙って来るだろう。現在ここに集中している以上、それを封じるには周囲全面を警戒させるのが最善だ
「各車の車長は耳を澄ませて、私たち以外のエンジン音がしたらすぐに報告を。車輌の砲塔は外側に向けてください」
「西住ちゃん、頭出してるけど大丈夫なのかい?狙撃とかしてくるかもしれないよ」
「その危険性は薄いでしょう。アンツィオ黒服隊の主要装備はライフル。自動小銃には慣れてないでしょうから、というのが一つ
もう一つは、徒歩で敵陣地からここに来るのは試合開始後の時間から考えて不可能だからです」
「なるほどね。じゃあ時間が経ったら頭を仕舞ってくれるわけだ。こちらは西住ちゃんに死なれたら困るからね」
「ははは、でしたら時期に甘えることにしましょう」
双眼鏡を眺めながら周囲を見渡しつつ、耳の音を全て判別しながら時は過ぎる。車内に戻り水を一杯口に含んでいると、正面を向いていた麻子さんの声が車内に響いた
「西住さん、怪我人だ!」
「怪我人!」
先に敵がいるのか!すぐに頭を出して様子を見ると、優花里さんが肩にカエサルさんの腕を背負ってこちらに駆けて来ていた
「優花里さん!」
「西住殿、負傷者です!カエサル殿が肩を撃たれました!」
負傷したのはカエサルさんのようだ。すぐに車輌を降りて傷口を確認する。機銃弾で右肩の上部の皮の一部を吹っ飛ばされたようだ。骨には到達しておらず、大事ないだろう
カンだけれど、症例のなかでは遥かにマシな方だ
「……骨までは届いてないみたいなので、布を巻いて止血してください。敵はいたようですが、何処に?」
「この道の半分少し手前程、約1km先です。セモベンテ2輌、カルロベローチェ1輌が道の脇の森の中で待機中!」
その対応に追われている間に山郷さん達が合流した。こちらは怪我などは追ってないようだ
「山郷さんのほうは?」
「こちらはP40が1輌、セモベンテ1輌が道の脇で待っていました」
「……主力を分割して森で待機?」
顎に手をかける。敵の方が戦車の性能が明らかに劣るのだから、分散して各個撃破されるのは愚の骨頂。防御有利でもないのだから、リー将軍でさえやらないぞ
「我々を二手に分けさせる気ですかね?西住殿。だとしたら何のために……」
「ちょっとグデーリアン、痛い」
「我慢するであります」
カエサルさんが肩に視線を向けて顔をしかめるが、優花里さんら顔色変えず肩に巻いた布を締める。こういうのが後々効いてくるからな。彼女は装填手だから、肩に痛みがあると務めさせ続けるのは厳しい
「優花里さん、消毒は?」
「手持ちで何とかしました」
何持って来ているのか、とも思ったが、軟式の試合でも怪我する可能性はあるからな。救急箱はあっても不思議じゃない。それがそこまで大きくないカバンからパッと出てきたことは驚きだが
「まずはまだ発見できてないカルロベローチェの動向を警戒します。カバさんチームはエルヴィンさんが装填手を代行してください」
「Ich verstehe(了解です)」
「3式、B1bis、ポルシェティーガーは完全に右側に集まってください。出発して相手がボーとしている間に各個撃破します」
相手の策に乗せられているかも、とも考えたが、ここらに集中されているのを発見され、こちらの砲を向けられぬうちに狙い打たれるのも良くない。動こう
「了解しました」
全方位への警戒を少し緩めて、方面別に分かれるように車輌が進む。
その配置換えが終わろうとしていた時、背後からエンジン音がする。それらは時間と比例して大きくなる。大洗の車輌は全てここにある。とすると……
「突っ込めー!」
一際目立つ声が予感を的中させた
カルロベローチェ5輌が前進してくる。交差点に向かう道まで、カルロベローチェの快速性を生かして裏に回り込んだのか。しかもこのタイミング、最適だ
全車が大洗の車輌に向けて機関銃を撃ち始める。車輌を撃ち抜くことはないのはありがたいが、急に車内に来襲する金属音は大洗の隊員を怯ませる
「きゃあぁぁ」
「て、敵襲だ!」
「相手は何処を撃っても抜けます。落ち着いて狙ってください!」
指示が飛ばすが、皆は焦り対応が満足に取れない。背後から来た為に砲塔の回転に時間がかかる。その間にありったけの銃弾を浴びる
カルロベローチェはその間にこちらの車輌に近づき、体当たりまでも行う。その体当たりの餌食にIII突がなったようだ
「こちらカバ!体当たりで履帯をやられた!」
「今は危険です!車輌は抜かれませんので、その場で待機してください!」
「り、了解!」
IV号が砲塔が回転し、華さんが引き金を引く。それがカルロベローチェ1輌を捉える。カルロベローチェは吹っ飛び、半回転して地面に横たわる
カルロベローチェ4輌は指揮車輌らしきものを先頭に、バックしながら機関銃を撃ちまくってくる
こちらの場所はばれた。だが向こうの待ち伏せ地点を、少なくとも右の道では把握している。左ではばれているから移動させているだろうが、まだ対応は可能
「右の道へ行きます」
「ぶっつぶせー!」
「ぶっころせー!」
命令を出す前に、車輌に体当たりされて怒ったウサギさんチームがカルロベローチェを追って右の道へ進む。
待て待てそんなに飛ばすな。後ろが追いつかないじゃないか
「あっ……ちょっと……仕方ありません。カモさん、レオポンさん、サメさん。右の道へ行ったウサギさんを追ってください」
「わかりました」
「Aye,Aye. 」
B1bisが先に、ポルシェティーガーがその後に、後尾にマークIVが続いて道を行く
「カルロベローチェの全車輌の場所を把握したので、カバさんチームは待機して履帯の修理を。あんこうとカメさん、アリクイさんは正面の道を登り、主力のセモベンテとP40を狙います。あんこうに続いてください」
「了解!」
IV号が発進し、それに続くようにヘッツァー、3式が坂を登る。ここは獣道を少し平らにしただけの道であり、石でがたつき揺れる。坂もさらに急になり、うまくスピードが出せない
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???ウサギさんチームは砲塔をカルロベローチェの方に向け、37ミリを撃ち続ける。それに続くカモさんチームも75ミリを吹かせ、撃破しようとする。レオポンチームとサメさんチームは坂を登るのがやっとで追いついていない
ペパロニ率いるカルロベローチェ部隊はその軽快さを使い巧みに砲弾を避けるが、飛び交うなかで当たることは避けられない。1輌、また1輌と砲弾に当たっていく。残りは2輌、ひたすら機関銃を撃ち続けている。撃ち抜けるわけもない、と知りながら
「あと2輌だよ!梓!」
「どんどん撃って!もっと飛ばして!佳利奈ちゃん!」
「あいあーい!」
ウサギさんチームの者は前の試合でほとんど活躍できなかった分、車輌を撃破したことで興奮している
「あの……」
澤は車輌の者を抑えようとするが、高揚する4人相手に1人ではどうにもならない。阪口はアクセルをさらに踏み込む。次に大野が撃った37ミリはペパロニのカルロベローチェを撃ち抜いたように見えた。車輌はバランスを崩し、煙を上げたまま木に激突した
それに気を良くしたウサギさんチームの者は、最後の1輌を仕留めようと躍起になる
「沙希ちゃん、何か言った?」
何かを聞いた気がした大野が37ミリを装填する丸山に問うが、丸山はすぐに75ミリの装填に移り何も答えない。山郷に一声かけるが、どうも彼女ですら何も分かってないらしい。気のせいかと再び照準器を目に当てた
最後の1輌のカルロベローチェは少々上下に揺れたあと、機関銃を撃ち続けながら後退する。ウサギさんチームはその場所に突撃した
すると床の下から音がする。重い金属のドアが閉まり、鍵がかかったような音だ。澤はその音を合図に作戦会議の文言をこねくり回し、全てを悟った
「脱出して!」
そう叫ぶと自身もそばにあったトンプソンを掴み、キューポラから身を出して脱出する。山郷が右横から、阪口が正面から脱出する。澤と山郷は近くの森の中に逃げ込む。その後すぐにM3は底を文字通りぶち抜かれた
車輌に空いている穴の全てから煙が登る。阪口は足が爆風に巻き込まれ、前に飛ばされる。なんとか立ち上がろうとしたその時、前方で急停止したカルロベローチェが大量の機銃弾をばら撒く
大量の弾丸を浴びた阪口の身体は赤い水滴と共に半回転して宙を舞った。その後猛スピードでカルロベローチェは後退していく
M3から他に外に出てくると、阪口を気にかけて声を掛ける者はいなかった
「森にいるぞ!」
「殺せ!」
爆発から離れていたアンツィオの隊員は、その影響の終焉とともに行動を開始する。澤はとっさに近くの木の裏に隠れたが、山郷は間に合わなかった。機銃弾による犠牲者6人目が、澤の隣に誕生した
第74回戦車道大会公式記録
大洗女子学園高等学校犠牲者
大野 あや
アンツィオ 爆殺 死体損壊激しく致命傷は不明 即死
丸山 沙希
アンツィオ 爆殺 死体損壊激しく致命傷は不明 即死
阪口 佳利奈
アンツィオ 銃殺 銃撃による失血ショック死 即死 多数の銃痕有り
山郷 あゆみ
アンツィオ 銃殺 銃撃による失血ショック死 即死 多数の銃痕有り
その様子を見たカモさんチームの面々は驚きを隠さない。すぐ近くでM3がいきなり爆発したのだから。操縦手も思わず手を離していた
「あ、あれが対戦車戦……」
車長の園が呆然としたあと口から搾り出す
「……パ、パゾ美!前の地面に向かって撃ちなさい!このまま進んだらB1bisも爆発してしまうわよ!」
自分で言った言葉にハッとした園が砲手に指示を出す。それに砲手のパゾ美も頭を動かし始める
「そ、そうだね。ソド子」
「榴弾でいいよね、装填よし!」
「照準よし!行くわよ!」
轟音とともに砲弾が煙の登るM3の左側に着弾し、辺りに砂が撒き散らされる。砂に混じって上半身を出していたアンツィオの戦車部員の肉片と血しぶきが撒き散らされる。太い木の背後だったお陰か、榴弾の破片の一部が澤の腕を傷つけただけで済んだが、その傷を気にする余裕は無かった
「……くそっ、まだまだっ……」
土煙の登る塹壕から血を流し、トンプソンを持ちながら外に出ようとするアンツィオの戦車部員がいたのだ
「うわあぁぁぁ!」
澤は大声で叫びながら木の脇から飛び出し、無我夢中でその者を狙った。5発ほどを外した後、残りの弾の一部がその隊員を撃ち抜いた
だがその部員ははるかに優秀だった。叫び声を聞きつけて即座に銃を向けると、澤が5発外している間に放った一発が、確実にその眉間を撃ち抜いていたのだ。こうしてこの塹壕周辺から生存者は消えた
第74回戦車道大会公式記録
大洗女子学園高等学校犠牲者
澤 梓
アンツィオ 銃殺 頭部狙撃による脳死 額に銃痕あり
~
ブラッドウォール・バレンタインデー
安斎政権成立後にアンツィオ学園都市にて行われたマフィア掃討作戦。
それまでアンツィオは観光地である表通りの裏でマフィアが縄張りを張っていた。主な収入は屋台のみかじめ料や窃盗、一部では人身売買の形跡もある。一方で風紀委員会とは賄賂や接待等で対応し、完全な鎮圧を回避していた。みかじめ料の徴収などは屋台統制の一環とされたが、マフィア間の抗争などはアンツィオの治安を悪化させている要因とされていた。
1月に成立した安斎政権は直ちにこれにメスを入れ、風紀委員会によるガサ入りの不徹底さを非難し、黒服隊単独での鎮圧を決定。マフィアに投降するよう警告するも、これを受け入れるマフィアがなかったため、翌月のバレンタインデーに黒服隊を全面動員。カルロベローチェや自動小銃も利用した掃討作戦を行った。正式名称は『モーリプラン』
この結果マフィア側は計200人以上の死傷者を出し、捕縛された者に対しても拷問したり、逃亡を図ったマフィアの大物が拷問により得た情報を用いて捕縛され、続々銃殺刑に処されるなどして壊滅した。この時路地裏が地面はおろか壁まで赤く染まったことから、この呼び名が付いたとされる。
マフィアが回収していたみかじめ料はアンツィオ学園生徒会が徴収することになり、財政好転の転機となった。これは治安回復にも繋がり市民の支持を獲得し、安斎政権、黒服党政権の安定化にも貢献した
~
これまでに出てきたアンツィオの歌
http://sp.nicovideo.jp/watch/sm33536631
今日はここまでです
そろそろやります
~
失ったものを数えるな。残ったものを数えよ
ベニート=ムッソリーニ
~
「ソド子!銃声がするよ!まだ居るみたい!」
「だったらもう1発打ち込みなさい!向こうはこっちに向かっては来ていないんでしょ!」
「り、了解!」
その後に再び放たれた1発は、轟音とともにその塹壕の再利用を不可能にした
B1bisは速度を再び上げて前進し、アンツィオの作ったと思われる塹壕を確認する。本当に確認するか後藤と金春は尋ねたが、園は確認は必要だ、と譲らなかった。
数名の死体が分断されて散乱するのみで、もうこちらに銃を向ける者はいない。だが念には念を、と手持ちのトンプソンM1を底にばら撒かずにはいられなかった
壁に寄りかかって息絶えていたものも、ずるずると塹壕の壁の土を巻き込みながら、目をその壁に向けつつ底に横たわる。少し離れた場所に点在するかつての仲間より、その遺体から目が外せない。
共に降りた後藤と金春は、近くの林の中で吐瀉物を土の上に降り注がせている。園も吐き気を覚えたが、落ちていたM1を回収させると、後続を待たず追撃するよう指示した
私たちはただ職務を全うしただけ。M3は副隊長の指示に従わなかった為にこうなった。だがこの前進が規定事項だった以上、誰かはこうなる運命だったのかもしれない
坂を登り始めて間も無く、坂を下りてきたカルロベローチェを容赦なく撃ち抜く
「どうしてここまで1輌で降りてきたのでしょうか?」
華さんが尋ねてきた。自分から吶喊して死ぬ奴の気など、分からない
「なんででしょう?」
「西住殿、そろそろ敵が待っていたところであります。警戒を」
「分かりました。各車左に注意を払ってください」
少し速度を落とし、道なりに行く
「ここであります」
なるほど確かに森の木々に隠れているセモベンテがいる。華さんに照準を付けさせ、私の合図とともにIV号の砲弾は当たった、はずだ
しかし当たった後のセモベンテの反応は、撃破というより砕け散った、という表現がぴったりだった
「偽物!」
騙された。手前に待ち伏せしていたから対戦車戦をしないと思ったが、大きな間違いだった。もう1輌も同様だった。
流石はアンチョビさん、一筋縄ではいかないか。これはこっちも少しは覚悟しなくちゃなぁ
それにしてもよくあんな板用意したものだ。対サンダースを想定して用意していたのかもしれん
坂の上の自陣で待機する私のもとに無線が繋がる。カルロベローチェ部隊の1輌からだ
「隊長、報告します!こちら私の車輌以外、ペパロニ副隊長車も含め撃破されました!対戦車戦用の塹壕も破壊されましたが、塹壕でM3の撃破に成功しました!」
内容の理解をしてからも暫く表情を動かせなかった。その後今日2度目の涙が頬を伝う
忠臣ペパロニは死に、危険を顧みず対戦車戦用の塹壕に入ってくれた者も無残にやられた。しかもそれで撃破できたのはM3のみ、戦力が削れたとは言えない。その死の価値は途方もなく軽くなってしまいそうか
しかしまた汚らしく涙を拭いて前を向く。そして、キューポラから上半身を出して鞭を大きく振りかぶる
まだそれを断定する時ではない。ここには我々の火力のほぼ全て、P40とセモベンテ3輌が残っている
そして正面から砲声。おそらく75ミリ長砲身だ。そして既に三突を足止め、となれば、残るはヘッツァーかIV号。どちらも相手の中枢が乗る車輌だ
「さぁ諸君!我らも動く時が来た!全車前進!敵を撃破せよ!」
交差点に置いた見張りからIII突の履帯破壊と敵が二手に分かれたことを聞いていた。目当てのIV号が正面に来ることも。ならば狙うはただ一つ
「対戦車戦に向かった者らは確実に戦果を挙げた!我らも続く時だ!こちらの方が高台だ!多少射程外でも狙えるから撃ちまくれ!正面にはIV号がいる!敵の心臓たるIV号を撃破し、我らに勝利を!」
「総帥万歳!」
砲火力はこちらに集結済み。ポルシェティーガーが来る前に各個撃破したい。その為にはすぐ正面に来るIV号、ヘッツァー、3式を素早く叩き潰すしかない。P40が1輌とセモベンテ3輌に下山を命令した
「M3が撃破されたわ。その代わり敵の塹壕のようなものは破壊済みよ。あとカルロベローチェは追加で3輌撃破」
沙織さんが園さんから報告を慌てた声で伝えてくる。こちらがこの状況である以上覚悟はしていたが、やはりか。車輌と人員は失ったが、決して最悪の事態ではない
「……作戦通りともに西の道に向かってください。こちらはこちらで対処します」
「分かったわ。まだ1輌残っているから、追撃しておくわね」
「了解しました」
報告を受けた直後、近くに砲弾が着弾する。その数、4発
幸い全弾外れたが、キューポラから身を出すとかなり離れた場所にセモベンテとP40が見える
向こうに対戦車陣地を作ってあるなら、こちらには砲火力。見事に嵌められた
だがその火力を合わせてもこちらが上。あまりやりたくない戦いだが、やるしかない
「道の先正面に敵発見!各車砲撃開始!早期に撃破してください!」
正面に向けている砲から大洗側も応戦し、砲撃戦が始まる。どちらも距離を詰めようと前進するため、走行間射撃となりなかなか当たらない。
3式が幸先よくセモベンテ1輌を撃破するが、P40の撃った弾がヘッツァーの側面をかする。貫通しなかったものの、左側がへこむ
「あとともに3輌……落ち着いて狙ってください!砲手と操縦手は連絡を密に!」
「西住ちゃん!私とかーしま替わるね」
とうとう相互に狙われる状況になって、河嶋さんが砲手から解任されたようだ。会長さんの射撃技術が如何程かは存じないが、命中率は上がるのだろう
それにしても向こうの射撃頻度が低い。確かにカルロベローチェが射撃しながら走行していたから、こちらから人員を対戦車戦に割いたのだろう。そうしたら真っ先に割り当てられるのは装填手
先程変わった会長さんが操作する砲が、とあるセモベンテを狙う。狙いは確かにその車輌に向いていたのだが、なんとP40が無理やり射線上に割り込み、自ら白旗の台座となった
安斎さん、貴女も西住を犯して死ぬことになるか。いや、もしくはこれも勝ちのための一手なのか?
「P40、撃破。会長さん、ありがとうございます」
だがそんなことを考える時でもない。淡々と戦果を述べる。それを話し考えている間にIV号が一旦止まり、華さんが別のセモベンテ1輌を狙い撃った
「残り1輌です。落ち着いて狙いましょう」
3式が外したものの、向こうから反撃は来ない。その間にヘッツァーの再度の砲撃が最後のセモベンテに命中した。今度からは会長さんに砲手をどんどん努めてもらおう。
向こうの砲撃が少なかったことと、会長さんの技術が思った以上に高かったお陰で、奇跡的に被害なしでこの場を乗り切った
流石の私も、座席で大きく息を吐く。彼女はそれを許したくなるほど手強かった
「敵計4輌撃破確認。このまま山を登ります。前進してください」
坂をさらに進むと、敵戦車の残骸が道を塞ぎつつあった。IV号を先頭に、その隙間を押し開けて進む。最早使い物にならないP40の中など、覗く気にもならない。焦げ臭い匂いしかないだろう
だが最後に撃破したセモベンテも煙は登っていたが、人がいるような匂いがしない。だが車輌が撃破されている以上人員がいようと使うことは出来ないため、試合はもうすぐ終わるはず
それ故に気にしないでいようとしたら、終わりを示す無線が園さんから入った
「こちらカルロベローチェ撃破よ!これでこっちにはカルロベローチェはもういないはずだわ」
森から笛の音が鳴り渡る
「アンツィオ学園高等学校全車輌走行不能。よって大洗女子学園高等学校の勝利!」
車輌を止めさせてキューポラから身を乗り出し、再度深く息を吐き出した
勝てた。生き残る希望とともに死ぬまでの時間が、また少し増幅された。この時間を私は何に使えるのか
第74回戦車道大会公式記録
◯大洗女子学園高等学校vsXアンツィオ高等学校
被害 大洗1輌 アンツィオ10輌
アンツィオ高等学校全車輌走行不能
試合が終わったからといって時間が空くわけではない。残存車輌の整備、補給を進め、次の会場までの移動準備を整えなくてはならない。次を不安に思う者も多いはずだが、誰も何も言わずすべきことをしている
ここに一人でもウサギさんチームの人がいたら状況は変わるのかもしれないが、この状態でそれを気にする人は見受けられない
「ヘッツァーの装甲、大丈夫そうですか?」
「一応穴とかは空いてないけど、削れてはいるね。出来れば追加装甲とかでカバーしたいところだけど……」
「ルール上実際に付けられていた追加装甲なら可能かもしれませんが……」
「費用的に無理だね」
「しかしヘッツァーの火力は捨てがたいのは事実。他に使える車輌もありませんし、そのまま使ってください」
「分かった」
ヘッツァーの傷はあまり深くはないようだ。バランスが少し崩れるかもしれないが、このまま運用を続けることが可能だろう。その傷に触れて確かめていると、背後からこちらに近づく人がいるようだ
昨日は寝落ちしてすまんやで、2140から始めます
「西住殿!」
「どうしました、優花里さん」
振り返った優花里さんは少し急ぎ目に来たらしい
「連盟の方がいらっしゃっているであります。なにやら捕虜の扱いに関する事らしいです」
「捕虜?この殲滅戦の状況で、ですか?」
「はい」
戦車を撃破されて中の人が生き残ることは滅多にない。私はその例外を体験したことはあるが。まぁ確かにその前例がある以上、可能性はあると言わざるを得ない
「では河嶋さんも呼んでください。2人で話しを伺います。確かテントの方にいらしたはずです」
「了解であります!」
彼女は私の指示した方へ去っていった
「西住ちゃん、私は行かなくていいのかい?外交は門外漢なんだろう?」
「解放を軸に考えればよろしいでしょう?今後を考えれば。それくらいは分かります」
「そうだね。それが分かってるならいいや。まぁ問題は今後があるかなんだけどね」
「……じゃ、行きますね」
私たちの陣地の入り口、試合会場への連絡口のところに、審判に連れられた5人のアンツィオの者らがいた。1人は腕を怪我をしているらしく、青い顔をしてその部分を抑え、隣の者が軽い口調なれどもそれを気に掛けている
またその5人のうち1人は、降伏勧告の使者として訪れた人だった
「装備品は既にこちらで回収済みです。それでは、扱いはそちらに任せます」
「ありがとうございます」
5人とも手を結わえられているわけでもない。こちらは一応支給された拳銃を用意しているが、向ける気はない
「……とりあえず全員こっちへ来い」
雨が降りそうなわけではないが、入り口で対応するのも何だろう、とのことらしい。河嶋さんは近くにあったテントの所へ誘導しようとする。
その時、振り返ろうとした私たちの前で、使者だった、確か落合とかいったか、女が、膝を地面につけ、地面にその綺麗な部類に入るであろう顔を擦り付けていた。五体投地か何かかい
「必要とあらば私の命は差し出します!ど、どうか残りの仲間の命だけは……」
「お、おい、カルパッチョ!」
「貴女がたの仲間を殺して負けておきながら誠に図々しいことですが、どうか彼女らの命だけは……」
命乞いか。そしてここに捕虜がいることと、あそこで匂いがしない方角があったこと
「……あなた、セモベンテに乗ってましたか?」
「……はい、それが……」
やはりか。で、確か戦車道で副隊長に就くほど安斎さんに近しい人物。なるほど
「立ちなさい」
できるだけ低い声で鋭く、そう伝える。聴きながら私自身こんな声が出るのか、との驚きを隠していた
「はい?」
「立ちなさい、と言ったのです。貴女がたの身柄が私たちに委ねられていることはご存知ですよね?」
「……はい」
膝の土を払ってから彼女は直立の姿勢に戻る。その姿勢が整った時、私は彼女の襟首を掴み上げ、まだ土の残る額にぶつからんばかりに自分の額を寄せた
「……」
目線をずっと合わせたまま動かさない。彼女の方は何をされたか分かってないようだ
「お、おい西住、何を……」
「ここは私に」
河嶋さんには悪いが、ここは私と彼女が話す場となった
「……まず交渉の仕方として、こっちの手札を読む前に自分の手札を曝け出すのは阿呆のやることです。副隊長の貴女の命、その札を使うのはすぐではないはず。違いますか?」
「……いえ、ここは交渉の場ではありません。懇願の場です。そもそも貴女がたと私たちが対等に話せるはずがないのですから」
「では何故そもそも貴女は自分の命を手札に使うのか、答えて差し上げましょう。安斎さん、いえアンチョビさんの方が宜しいでしょうか、その方を死なせておきながら、自分だけ生きて帰る訳にはいかない、などと考えているのでは?」
足がしっかりついてないせいか、一際大きな振動が腕を通じて伝わってくる。図星か
「そんな事を考えている人間を殺す価値はこちらにはありません。少なくともそれを対価に全員解放など問題外です。貴女が実質この捕虜の集団を束ねていると考えて、選択肢という温情を与えましょう
一つはこのままこちらは何もせず全員解放する。もう一つは全員殺さない程度まで痛めつけた上で身包み剥いで解放する、です
どちらにしますか?」
「……前者を」
「宜しいですね?」
「……はい」
私は手をパッと離した。向こうは少しバランスを崩したらしく、少しよろめいた
「に、西住、全員解放は構わないが、ただで、というのは仮にもM3を失ったこちらの心情に沿わないんじゃないか?」
「ふーむ、そうですか。ではこの中でアンツィオで屋台をやってたりする方はいらっしゃいますか?」
「わ、私!私やってるっす!」
「私もやってます!」
2名が手を挙げた
「そうですか、それは素晴らしい。では貴女がたが今夜の夕飯を作ってください。怪我している方はこちらで最低限の治療をしましょう。夕飯が美味かったら解放しますよ
そちらの方、どうも骨折なさっているようですから、添え木を都合しましょう
河嶋隊長、これで宜しいですか?」
「あ、ああ。飯が美味くなるなら、悪い話ではないな」
「ではそのように」
その日の夕飯はイタリアン風味の格段に美味いものだった。これまで会長さんや沙織さんの作ったおかずや、優花里さんの飯盒で炊いたご飯が不味かったわけでは決してないが、金を取れるレベルになるとやはり違う
戦場でパスタを茹でた話は嘘だと聞いたことがあるが、美味い飯が士気に関わるものだということは確かだ。その点黒森峰はパンとザワークラウトとかだからなぁ。良くてソーセージ
その後彼女らには一応の手当てをして解放した。かといって帰って無事でいられるかはわからない
~
広報部より報告
大洗女子学園の動向
同校からの連絡によると
「飯ぐらいはたかってもいいだろう?」
を
「アンツィオ戦勝利!」
において選択をしたとのことです。
~
アンツィオ編、終わり!
2050からやります
~
戦いにおいて最も重要なのは最後の戦いに勝つことである
トルストイ
~
その部屋からは時たま紙をめくる音のみが聞こえるだけだった。その静寂の中にドアをノックする音を響かせる
「失礼致します、同志カチューシャ。ノンナです」
「いいわよ。入りなさい」
ドアを開け、資料とポットをそれぞれの手に持って入る。だが同志カチューシャに会うには、荷物を検査機に通しながら防弾ガラスに囲まれた金属探知機の下を通らねばならない。無論問題なし
カーペットのひかれた大きな部屋にある、背の高めの椅子に座っているのは、金髪の高校生とは思えないほど小さいお方、彼女は小さいが分厚めの冊子と向き合っている
「同志カチューシャ、次の会議の資料と、粛清者のリストを持ってまいりました」
冊子に赤い栞を挟み机に置き無言で受け取ると、私の持っていた書類に目を通す
「今回の粛清者は……ハマナ ジュン、工業科の生徒ね」
「この者は外部生として注意対象ではありましたが、頻繁に地域外に出ている形跡があり、政治委員による尾行の結果スパイだと判断しました」
「なるほどね。校内の内通者は遠慮無く殺ってしまいなさい。どこの?」
「黒森峰のようです」
「そう、懲りない奴らね」
同志カチューシャは無造作に書類を机に投げる
「民族主義者、水平派らもここ数ヶ月は大きな動きはありませんが、黒森峰に動きがある以上油断は禁物です
ところで同志カチューシャ、ロシアンティーのお代わりはいかがですか?」
「頼むわ、ノンナ。で、次の会議の内容は何?」
「今年度の農業、林業関連の結果予想と、それに伴う来年度の計画調整とのことです」
「私には分からないことね」
「そうですね。基本は農産部に方針に任せましょう」
「それだけ?」
「あとは同志カチューシャの印が必要な書類がいくつかございます」
「後で目を通しておくわ。置いといて」
同志カチューシャは頭の後ろで手を組み背もたれに身を委ねる。机のカップにポットを上げながら湯気の立ち上る紅茶を注ぎ、林檎ジャムの皿を脇に置く
「同志カチューシャ、先ほどお読みになっていた本は?」
机に置かれた本の表紙を覗く。そのタイトルは『ロシア語基本単語集』であった
「いつでも能力向上を怠らない様、流石です。私も見習わなくては」
「し、しょうがないじゃない!流石に会議のたびにロシア語が出来ないのをからかわれたら、ちょっとは仕返ししたくなるでしょ!」
かわいい。偉大なる方だが、身体と一部に潜む相応の性格。ここが人々を惹きつける所以の一つかもしれない
「ロシア語も文学に、また我々プラウダに於いては重要な役割を担っております。学ぶのは損ではないかと」
「そうよね。学校の勉強も戦車道も勿論だけど、他のことも積極的に取り組んでこそのプラウダの学生よね」
「脳みその凝り固まった黒森峰には出来ない芸当です」
「それにしても最近の政府は大変そうね。もう誰が大臣か、どころか誰がどの政党に居るか分かったもんじゃないわ」
「終わりが近いということでしょう。もうじきに衆議院を解散するのでは?そこまで追い詰められているといっても過言ではないでしょう」
「実に素晴らしいことね。我がプラウダにとって」
「全くです。野党とは外務局が話を進めていると聞きます。政府との関係もマシになってくるでしょう」
「あ、そうそう。先日のパキスタンでの襲撃の件、反応はどう?」
「早めに手を打ったのが功を奏しました。特にアメリカより早く非難できたことは外交上もプラスでしょう。」
「でしょうね。米露関係が最悪な今なら尚更ね。流石は同志ベルドフ」
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情報局長であるその名を聞いて、我々に関係する重要な案件をうっかり忘れてしまっていたことを思い出した。全く、同志カチューシャの側近として恥じるべき行為だ
「ああそうでした。申し遅れましたが、同志ベルドフが興味深い事実をを手にしたそうです」
ファイルの中にしまっていた紙を開く
「なによ」
「西住流の関係者が秘密裏に12月の軟式大会を硬式にするように動き出したそうです」
「ほんと!」
嬉々とした顔で肘掛に両手を乗せ身を乗り出しなさる
「嬉しそうでいらっしゃいますね」
「あたりまえじゃない!1年に2回も黒森峰を屠れるなんて!次も勝ってやるわ!」
盛り上がる同志カチューシャの背後から、不意にノックの音が響く。この部屋に軽快に訪れることの出来る者は限られている。目星は付けているが、確認は取る
「どなたですか?」
「こちらソホフです、同志ノンナ。同志ジュコフスキーから同志カチューシャへのお手紙を預かっております。それをお渡しに参りました」
外から男にしては少し高めの声がする
「お入りなさい、同志ソホフ」
「失礼します」
ドアが音を立てて開く。男は検査機に手紙を乗せた。ベルトコンベアが無害を示す電子音を伴って、私の下に到達する
「ご苦労様です」
一礼し、敬礼ののち空いていたドアから出て行った
「ジューおじさんから?なにかしら?」
同志カチューシャは私の手を通じて受け取ったその手紙を雑に開く
「なになに?明日食事に行きませんか、ですって?これは……店に入る為のカードかしら?どうしておじさんが直接伝えてくれないのかしら?」
「でもここ、プラウダの外れの店ですが、地域有数の名店として有名ですよ。そして恐らく、ただのお誘いではないと思います」
首を捻りなさる
「さっきの話についてだと……」
「そうだとしても、私たちは黒森峰に勝てば、そしてさらに向こうの精鋭の人員をすり潰せばいいんじゃないの?」
「いえ、同志ジュコフスキーはそれ以上のことを考えておられると思いますよ。そして彼が動くなら、彼より上も……」
「それ以上も……分かったわ、この話を受けるわ。ノンナ、あなたも来なさい!」
「喜んでご同行致します」
先程より深く礼をした。同志カチューシャは椅子から飛び降りると、鼻歌を歌いながら明日の服を決めるため部屋を出て行った
机の上の空になったカップに紅茶を注ぎながら、冷たい秋の風の流れる窓の外を眺める。窓の外に生えた木の枝で、ギリギリしがみついた枯れ葉が揺れている。あの日も、そんな感じだった
2005年冬、12月。プラウダ学園地域サウスツガル部キヅクリ分部タテオカ。外には前日の雪が積もっていたが、空は曇りだった
寒い風が吹く中、祖母、父、母、妹は人民委員、通称NKVDに捕まった。人民委員は反地域組織とされていたパン=スラブ、排日主義を主張するプラウダ=スラブ連合という急進的団体を弾圧していた。父はその団体の幹部だった
朝食を摂っていた時に急に押しかけてきた者達を前に、家族はなすすべなく捕まっていった。私は少し部屋から出ていたので、素早く物置に隠れた。父にもしものことがあったら隠れて、落ち着いたら逃げろというように教えられていたのだ
父らは手を縛られ、妹はウサギの人形を抱え、泣いたまま集落の近くの壁の前まで連れて行かれた。北部NKVD隊長のウラジーミル=イワノフが手元で書類を開いた
「ニコライ=ノヴィコフ及びその家族を地域への裏切り行為による反逆罪を持って逮捕し、奪還危険性に伴う特別令状に基づき、銃殺刑とする」
その言葉の後に銃を構えていたNKVD隊員らによる銃声が周囲に響く。その近くで隊長の娘のエカチェリーナ、イワノワ、愛称カチューシャが暇潰しに父から貰ったピロシキを頬張って見届けていたそうだ
「もう1人娘がいるはずだ。探せ」
白い息を吐きつつウラジーミルが辺りを見渡しているとき、カチューシャはピロシキを食べ終わり、近くの物置の扉を蹴り開ける。扉は鈍い音を出して開く
「うわ、汚ったない。農民ってよくこんな所に住めるわね」
物置の中の戸のハシゴの裏で、黒くボサボサした長髪を気にする余裕もなく、私はただ静かに体育座りをしていた。この距離では逃げようとする音すら命取りだ。見つけられない奇跡を祈っていたが届かず、私を見つけた彼女は指についたパンくずを舐めとる
「お前の家族は悪い人たちだからパーパが殺しちゃったわ。お前も一緒に死にたい?」
首を左右に振る。そんなの私には関係ないことだ
「ふーん、そうねえ……お前が今ここでカチューシャに忠誠を誓うなら、パーパに殺さないよう頼んであげる」
真っ直ぐ彼女の目を見つめる。大きなあくびを一つして続けた
「早く決めなさい。カチューシャは気が短いんだから」
何かを感じた。その時は分からなかった。しかし生きる為にそうせざるを得ないなら、そうするしかなかった。首肯した
「お前、名前は?」
「ノンナ」
これが、初めて同志カチューシャに出会った日。その日以来私はカチューシャ様のもとに厄介になり、カチューシャ様とこのプラウダ学園地域の為に働いてきた
初め生きる為の手段として彼女を見ていたことは否定しない。だが結構すぐのことだったと思う、彼女の強さと深さを感じ、心の底から忠誠を誓うようになっていた。幼そうな外見の殻の中にある清濁併せ持つ強さ、それに呑み込まれた
彼女が戦車部に入れば進言をして、トップに立っていただくために功績を挙げられるようにした
軟式大会にて黒森峰のフラッグ車を撃破なさり優勝に導いた人気で学園第一書記に就任なされば、私は学園第二書記に就任し学園内の彼女への権力集中を進めた
政治委員を各クラスに設置し、革命精神が1人1人に根付くようにし、カチューシャ独裁体制の構築に向け尽力した
彼女は戦車部隊長に就き、私は副隊長兼参謀総長に就いた。戦術などを彼女の為に必死に学び実戦で生かした
地域の裏切り者という恥辱を背負わされた私が、ついにここまで来た。今や誰一人私を犯罪者の娘という者はいない
私は名誉を取り戻した。地域に役立ち、周りから賞賛され、敬愛を受けている。これからもっと彼女の為に働き、党青年団の最高実力者、ひいてはプラウダ書記長になって頂くのが私の夢
私は彼女を支えるとともに、過去の消去もやった。その為にNKVDの者に身を売ったこともある。純潔など彼女のためなら喜んで捨てる。全ては彼女の為なのだ。もし彼女の命令ならば、火の中に飛び込むことだって躊躇いはしない
翌日、プラウダ学園都市プラウダ学園高等部校舎裏口。まだ季節としては秋だが、肌寒い風が冬の訪れが近いことを思わせる
「ノンナ、行くわよ」
「はい」
周囲には警備の者が拳銃に指を掛けて警戒態勢を取っている。その正面にあるのは、要人用の車。彼女がプラウダを左右する存在である証左である
乗り込んでからは運転手が勝手に向かうべき店へと導いてくれる。学園はプラウダ市のタモギ地区及びミヤガワ地区、トリタニ川と大河イワキの狭間にある。向かう店はジュウサン湖東岸を通った先のイマイズミ地区にある。距離にして6km強、車だと15分ほどだ。公共交通もそこそこ充実しているため、市街地中心部では目立った渋滞はない
彼女とは車内でこれといった話はしない。要件に関してはこちらの予想に過ぎない以上、ここでの合意が意味を成すわけがない。何より、彼女は今も真剣に書物と相対しているのだ。邪魔せねばならぬ道理はない
広大な学園の敷地の東側を駆け抜け、線路沿いに北上していく。コンクリートの単調な林を抜けると、港湾施設群が姿を見せてきた。漁港、イマイズミである
汽水湖であるジュウサン湖の西部、日本海と面する場所に軍民両用のプラウダ港があるが、それとは別に湖内の海産物を取り扱う漁港がここなのだ。市内で特別発展しているわけではないが、夕飯目当ての客が魚屋の前に列をなしている
その賑わいを流し見ていると、車は速度を落とし始め、まもなくある店の前で停車した
数段の段差を登り、木のドアを開けると穏やかな鈴の音が来客を祝福する
「いらっしゃいませ」
にこやかに頭を下げる店員に手紙に入っていたカードを見せる
「ありがとうございます。お仲間の方ならこちらでお待ちです」
時間より前だが、先客がいるようだ。手で先導する店員の先にあるのはドアがついた個室だった。店員がノックしたあとドアノブを捻る
「どうぞ」
店員に案内され2人は部屋に入り、店員に上着を預ける。代わりの番号札を受け取り、正面を向く
「ようこそ!カチューシャ、ノンナ。今日はよくきたな!」
席の向こうに座るのは頭をスキンヘッドにした中年の男だ。にこやかに右手を挙げる。細い体に見えて引き締まっている様子が袖などから垣間見える
彼の名はゲラシム=ジュコフスキー、現在プラウダ人民労農防衛隊、通称プラウダ赤軍少将にして参謀総長を務める男である。つい最近まで対日防衛戦略を練っていたはずの男である
「こちらこそ、本日はありがとうございます。同志ジュコフスキー」
「ありがとね、ジューおじさん」
丁寧に礼をする私に対し、関係の深いカチューシャはくだけた挨拶で済ませる。親が古くからの付き合いだそうだ。私も何度かお会いしたことがあるが、この軽い感じがどうも慣れない。別にプラウダの中で特段悪い人間ではないのだが
「ところで、他のお2人は?」
机の上に用意された紙のマットは5枚。今この場にいるのは3人だけだ
「ああ、それならもうすぐこちらに来るそうだ。場所は決めてないから好きな場所に座りなさい」
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そう言われ、入り口近くの席に並んで座る。最近の学園での活動などのたわいもない話から、3人の会話は始まった。そんな会話を進めてしばらくした後、ドアからノックが聞こえ、さっきの店員が扉を開ける
「こちらです。それではごゆっくりお楽しみください」
その案内の元、2人の男が入って軽く挨拶する。1人は丸メガネをかけた背のあまり高くない男、もう1人は鼻の下にちょび髭をつけた日本人だ。丸メガネの男は知っているが、日本人の方の顔は初めて見る
「どうもお久しぶりです、同志ジュコフスキー、ノンナ、カチューシャ。ベルドフです」
丸メガネの男が会釈する。猫背であるためか実際より背が小さく見える。本来は隣の同志ジュコフスキーと大差ないはずなんだが
「こんばんは、同志ジュコフスキー。初めまして、同志ノンナ、カチューシャ。私はついこの前同志モソロフから外務局局長を引き継ぎました松岡と申します。以後お見知りおきを」
席を立ったジュコフスキーと握手した後松岡は私たちの方に向き直り、深々と礼をする
「ようこそベルドフ!マツオカ!今日は君らがいないと回らないからね!頼んだよ!」
食前にビールを一杯頼んだジュコフスキーは少しテンションが高い。席に座ろうとする松岡の肩をジュコフスキーは引き寄せる
「ベルドフは2人も知っていると思うが、マツオカは初めてだろう。紹介しよう。彼はマツオカヒロシだ。モソロフはロシアとの関係強化をやってくれたが、マツオカなしに中国との関係改善はなかっただろうな!まあこいつは信用して構わんよ。私が保証する」
「同志ジュコフスキー、紹介はこれくらいで。せっかくのここでの食事ですし、乾杯しましょうよ」
嫌がるそぶりは微塵も見せず、マツオカと紹介された男は同志ジュコフスキーの肩を叩き返して応じる。よっぽど近い関係なのだろう。だが私が知らないとなると、裏方寄りか在中の者か
「それもそうだな。乾杯といこうか。君達はジュースを頼みなさい。今日は君達2人の分は私が払おう。遠慮なく食べなさい」
「いいの?ジューおじさん!ありがとう!」
「……それでは、ご馳走になります」
少々考えたが、ここは乗ることにした。別に貸しになるほどのことでもないし、それでこちらに強要されるようなこともない。そして私自身、十分な手持ちがない
「私らはワインですな、というか乾杯の前に飲まないでくださいよ、同志ジュコフスキー」
同志ベルドフが苦笑する
「全くですなぁ、ハハハ。同志ジュコフスキーの飲みっぷりは昔から変わりませんな」
同志マツオカは余裕を持って笑う。下手したらかつての同僚辺りなのだろうか。年も近そうだし
「度数5のビールなんて酒に入らんわ。君らが決めてくれ。どれにするかね」
「まあ最初ですし魚中心ですから白でしょうな。マジノ系のもあるのですか……うーん、テーレ・デ・シュッドウがいいのでは?これはサワークリームが合うみたいですね」
「いいだろう。それでいこう。君達は決まったかね?」
「私はグレープフルーツジュースお願い!」
「私はオレンジジュースをお願いします」
「よしわかった。早速頼もう」
机のボタンを同志ジュコフスキーの岩のように太い人差し指が押す。耳あたりのいい軽快な音楽が店員を連れてくる。店員はそれぞれの飲み物と、追加の大きめのサラダの注文を聞いて去っていった。すぐに飲み物が出され、ジュコフスキーのテイスティングののち、3人の大人のグラスの3割くらいのところまでワインが注がれる。ワインとやらは美味いのだろうか。この歳だからよく分からない
「よし、それではプラウダのさらなる栄光と繁栄のために、
ザ ナーシュ フストレーチュ トースト!(我々の出会いを祝って、乾杯!)」
「トースト!」
前に掲げられた白い飲料の群れに、微かに心動かされた。良い予感なのか悪い予感なのかは分からない。ただ願うのはこの白きものがより遠くにあることだ
「ところでジューおじさん。こちらの方々を含めて私達を呼んだのは何故?まさか食事だけに誘ったわけではないわよね?」
「勿論、しかも君ら2人が要となる話をするためさ」
そう言い、同志ジュコフスキーは皆にある提案をした。それは確かに同志カチューシャが、いや「戦車道」そのものが要となるものだった
酒が回った彼らが、同志カチューシャのロシア語を冷やかすのは、予想よりもかなり遅い時間になってからだった
広報部より報告
内容
プラウダ学園の動向
同校からの連絡によると
「実に素晴らしいことだ」
を
「軟式大会、硬式化の予兆」
において選択したとのことです
ここまでです
2130からやりますよ
12月4日 岩手県陸前高田市郊外
第74回戦車道大会第2回戦会場
私達は観客席にいた。毎年の軟式大会は多くの観客がいるが、今回はちらほら見えるのみだ。こんな血みどろの試合を間近で見たい奴はそんなにいないということだろう
「問題は……プラウダに勝てるのか?」
河嶋さんが片眼鏡を調整する。そう、その通りだ。敵は日本の中で断トツの面積と人口を持つ学園都市、いや地域。そこに挑むのは人口は20分の1以下の弱小学園都市、戦車は寄せ集めの7輌、そう疑うのが自然だろう
「西住ちゃん、どうよ」
会長さんが私に話を振ってきた。だが前の試合での話を知り、他の人の話に耳を傾けた結果として、答えは一つしかない
「大変厳しいと思います。でも最善は尽くします。次の戦いは少しの油断や迷いが命取りになります。皆さんも私から出る指示をよく聞いて躊躇せず動いてください」
返事は無い。白けたような雰囲気が辺りを包む
「え……あれっ?」
「でも、1年生とバレー部ってその指示に従ってやられたのよね。あの立場に選ばれてたのが私たちなら、私たちが死んでたわ。あの塹壕の傍にいたのは、私たちだったかもしれない」
後ろで手を組みながら口を挟んだのはゴモヨさんだ。ももがーさんも同調するようにこちらの目を見る。疑心か
これはあれだな。美味いもん食ったせいで余裕ができて、その余裕で変なことを考えてしまっているんだな。全く厄介な
「な、何を言っているでありますか!西住殿の指揮があればこそこうしてサンダースとアンツィオに勝利出来たであります!」
優花里さんが力を込めて反論を述べる。味方がいるだけでも有難い
「そ、そうだ!ねぇ、こっちにも戦車有るんだから、自衛隊の一点に集中したりして包囲を突破して逃げるっていう」
「ムリ」
沙織さんが言い終わる前に、優花里さんとエルヴィンさんによって希望は打ち砕かれる。当たり前だ
「第3世代MBT相手なんてたとえ1輌でも無理だ」
「武部殿、自衛隊はムチャクチャ強いのであります」
「沙織さんは逃げることばかり考えてらっしゃるのですね」
後ろの華さんも思わず苦笑いする。にらみ合っていた米ソの40年間を舐めない方がいい。その支援を受けた日本も。T-54/55の1輌くらいならなんとかなるかもしれないが、流石に10式はどうあがいても無理だ。行進間射撃し放題とかどうやって勝てと
「案外もう西住殿は次に誰を犠牲にするか決めているかもしれんぜよ」
「その指標が何かは計りようがないが、能力、車輌、そしてその場の状況。それ次第ではある意味で死を命じられるやもしれん」
「ちょ……何を言い出すでありますか!」
普段は仲の良いカバさんチームと優花里の間にまで険悪な空気が流れる。まずいな
「やめろ、こんな時に仲間割れなんて最悪だ。今は非常時なんだぞ!旅先はいつもの2倍我慢しろって言うだろ!他に誰か指揮できる奴がいるって言うのか!」
河嶋さんが何時もより冷静に擁護してくださる。この語気の強さは、この時は役立つといいなぁ
「そ、そうだ!西住さんを生かしてこの蛮行を伝える、そう決めただろ!」
「誰も従わないとは言ってませんよ。ワケも分からず死にたく無いって言ってるんです!せめてそう動く理由を教えてください!西住さんを生かすとしても、その為の囮として死ね、というのには納得出来ません!」
そう上手くはいかないか。私に出来るのは不安げな顔をしながら話に耳を傾けるのみだ。誰を犠牲にするか考えている、というのも巡り巡っては全くの嘘にはならない。ここは身を引いて落ち着きつつ、用事を済ませよう
「会長、少し1人になって作戦を考えてきます」
「ん……ああ、余り気にしなくていいよ」
背を向けて去ろうとする肩に会長は手をかけてくださる。内容自体は気になることじゃない。だがこれで団結が崩れてしまうのだけは避けたい
「西住殿、自分も行くであります」
優花里さんが後を追いかけてきた。必要ないが、拒絶するほどでもあるまい
同日、第2回戦会場、黒森峰女学園陣地
此処には一時の平穏が訪れていた。2回戦の相手の継続高校は合意通り開始直後に降伏。もともと同盟関係にあったこともあり、決勝戦参加を条件に隊長の下平美香以下全員解放した。もう車輌の輸送準備は完了し、出発までも時間がある
隊員たちは休息を楽しんでいた。隊長の逸見エリカも同様だ。彼女は負傷者用のテントにいた
「はい、お口開けて。隊長の好きなジャガイモとソーセージのスープですよ」
口は開かない。エリカは少し無理やり口にスープを流し込むが、それは喉に送られることなく口から溢れる
「ダメですよ、しっかり食べないと。お身体も回復しません」
しかし反応はない。ただ焦点の合わない目を見せるのみだ
「ほら、こんなにこぼして……」
布巾を取り出したエリカは口の周りを拭く。表情は優れない。この方の回復を何度神に祈ったことか。されどこの方の目に光が灯ることはない
「エリカ隊長。あの、大洗の西住……副隊長が……」
テントの外から聞こえた見張りの声でエリカは口から布巾を外した
隊員の一人は私の顔に驚きつつも、話がしたいと告げると身体検査した上で案内してくれた。優花里さんは3歩後ろで待機させている
「これはこれは元SS12部隊副隊長、黒森峰で辞めた戦車道をまた始められたそうで、今更何の御用で?」
テントの幕を開けたエリカさんは嫌味たっぷりに声を掛ける。まぁその通りなんだが
「エリカさん、お姉ちゃんの具合はどうでしょうか」
「良いワケないでしょう!」
テントの鉄柱に怒りをぶつけた。だろうな、としか答えられん
「なんでアンタの方は平気なのよ。大人しそうに見えて腹じゃ何考えているのかわかったもんじゃない。
言っとくけどもう黒森峰じゃないアンタとはもう会わせないからね。隊長をこんな目に遭わせたプラウダを私は絶対に許さない」
彼女と私の間に黒森峰SS歩兵部隊の歩哨がKar98kのボルトを操作しながら入ってきた。その不穏な空気に優花里さんは思わず数歩下がったようだが、私からすれば慣れたもの。意識的に背を向けてその場を立ち去ろうとした
「待ちなさい。次のプラウダ戦、どうするつもりなのよ」
「……姉になら相談したかったのですが、硬式戦の経験が少ない貴女に話しても……」
彼女のの目は目尻が切れんとばかりに見開かれた。歩みを進め始めた私の肩は、その直後にとても強い力で掴まれた
「西住みほ、私を怒らせないでちょうだい」
誰が怒らせた。単にあなたが怒っているだけだろう。昔から挑発には弱いよな。
もう1本の腕の指先がテントの中に案内する。どうやら話をする気はあるようだ
暫くしてテントから出た。エリカさんに一礼すると、さっさと背を向けて立ち去った。これで良い
その晩、岩手の南から北へと戦車の乗る車輌は動き出した。その車内で、使用できる銃がトンプソンM1からモシンナガンM1891/30となる事が発表された
翌朝、そこは雪国だった
旭川で付け替えられたDD51に牽引された客車1輌、貨車7輌の編成は、石北の大地を警笛を鳴らしながら東へ駆け抜ける。周りは雪景色となった牧場とその奥に山地が連なっている
客車に寝台などない。大洗の予算では旧式の座席車を借りるのが精一杯だった。硬い椅子が深い眠りを阻害する。はっと目を覚ました時、周りの者はまだ寝ていたり、話していたり、ただ外を眺めていたり、生徒会の者は大富豪をやっている。丁度会長さんが革命を起こして、河嶋さんの手札に終止符を打ったようだ
身体にはまだ怠さが残っているが、ここで二度寝してもそれが増すのみだろう。静かだ。聞こえるのは牛の鳴き声の輪唱と少しの人の話し声、それと時たまするカードが叩きつけられるものだけだ
何もないので外の景色を漫然と見ていくことにした。話すことはないし、ここにも戦車道連盟の関係者がいる。ライフルの件やそもそものこの大会の様子から考えて、双方ともに連盟と繋がっている。私の不用意な一言が向こうに漏れるとも限らないのだ
牛が何匹視界の中を通ったか数えるのも面倒になった頃、その徒然なる時は1つの発砲音で阻害された
「ひっ!」
隣にいた優花里さんが竦みあがる。銃弾は右に広がる農場の1番奥にいた牛の胴を見事に撃ち抜いたらしく、横にバタンと倒れ、周りの牛が散り散りになっていた。銃声の元はアリクイさんチームだ。窓は少し開かれ、ねこにゃーの持つモシン、ナガンが煙を昇らせる
「おー、さすがねこにゃー。キルデス80%は伊達じゃないなり」
「芋スナキャンプ野郎と罵られても全くブレない不動心!」
ももがーさんとぴよたんさんが口々に褒める。ねこにゃーさんは反応する事なく黙々と薬莢を排出する。ふむ、距離は540m、揺れる車輌の中から当てるとは、なかなかの技術だな
「な、何をしているでありますか!牛は農家の大事な財産でありますよ!」
優花里さんは後ろを向き注意するが、ねこにゃーさんはただじっと外の次の目標に狙いを定め、他の2人は気怠げにこちらを向いた
「うるさいなり、ウチら明日死ぬかもしれないんだから少しくらい羽目外してもいいなり」
「てゆーか、秋山さん副隊長どころか車長でも何でもないのに仕切りすぎっちゃ」
「あ、いえ、そんなつもりじゃ……」
優花里さんは押し黙るしかできなかった
「に、西住殿!幾ら何でも食べるわけでもないのに人の牛を撃つなんてあんまりであります!注意をなさってください!」
「これから見たこともない人を撃つのにですか?」
「え……」
「照準はあっているようですので、弾の無駄はしないように」
少し大きめの声でそう通告すると、力の抜けて背もたれに寄りかかった彼女を見て再び外を向いた。先ほどの牛は最早視界の彼方である。その後銃声はなかったが、何か不穏な空気は終わる気配が無かった
いや情報をくれたことは認めつつ、これ以上撃たないようにとは注意したと思うんだけどなぁ
列車は湧別川を南に見つつ、遠軽駅で折り返し、遠軽の貨物ターミナルに入線する。すでに時間は昼になっており、寒空の下で戦車を降ろす作業が終わり次第、連盟に指定された旅館「ヒマワリ」に向かった
部屋は中部屋の和室2つだ。旅館での夕食が部屋に運ばれたが、私と優花里さんとその他の者の間には深い溝が横たわっていた。そして若干優花里さんとの距離も離れている気がした
プラウダ戦に向けてこの状況を改善させたいが、生憎私はこういう時、戦車で前進することで無理にでも付いて来させる方法しか出来ないし、それでは上手くいかないだろう
そして皮肉にも夕飯が美味い。熊筍ご飯とか初めて食べたが、その他も含め美味い。これでは皆の心の余裕は増すばかりだ。その不安に呼応するように外には雪が舞い始めていた
~
『プラウダ学園地域は人民の平等を求める。この平等は地域の民の機会の均等であり、存在条件の公平性である。この維持の為資産、人種、言語、宗教、思想などによって一部の人間のみが不当に機会の利を得ようと動くことをプラウダは許さず、如何なる手を使ってでもこれらを認めない』
プラウダ学園地域憲章より
~
プラウダ学園地域の前身プラウダ自治会は第一次世界大戦後のロシア内戦から逃れた元富裕層のロシア人たちを主体として設立された。日本がソヴィエトと国交を結ぶ際に権限が縮小されたが、それ以外は特に抑圧を受けず、戦後には第一次学園艦計画の中で学園都市化がなされた
しかしロシア内戦を逃れた富裕層とソヴィエト5カ年計画実行中後の困窮を逃れ加わった農民層との間には意識的に隔絶があり、それがプラウダ革命、共産党政権設立へと繋がっていく。そしてスターリン批判を行ったソヴィエトとの関係強化に動き出すのである
ここまでです
普通に忘れてたぞ……
1時からやります
~
現実と理論が一致しないなら、現実を変えよ
ヨシフ=スターリン
~
私と優花里さんは他の者たちより早く布団につき、明かりを消した。その中で2人はすぐに眠りに落ちる。暫くして襖の間から一筋の光が部屋に差し込んだ。若干覚醒したが、眠くてそれが何か細かく見ようとする気力は湧かない
「さて……と、コラーッ!起きろー!」
布団が剥がされる。周りの者の手は私たちの浴衣に手を伸ばす
「ふぇ?な、何でありますか?」
「て、敵襲?」
何事だ!寝ぼけた頭での考えが及ばぬ間に浴衣が剥がれると次に帯に触手が及ぶ
「脱がせろー!」
「えっ、ちょっ、ちょっと……」
抵抗する間も無く下着2枚の姿にされる。叩き起こされてから30秒もなく行われた出来事に、理解と行動が追いつく訳がない。布団をひっくり返され壁際に転がる
「コラーッ、西住!秋山!偉そーにすんな!お前達だけで戦ってんじゃねーんだぞ!」
「そうだそうだ!」
「ミリオタがなんぼのもんじゃ!」
「命懸けで戦っているのはウチらだ。それを無碍にしやがって!謝れ!」
枕や座布団が2人目掛けて宙を舞う
「そ、そんな、誤解です!私達は……」
待て待て何を考えている。手を顔の前に翳しつつ声を掛けるが反論など聞く人はいない。しかしほんの一瞬だけ会長さんの顔が真顔に戻った気がした。それが正確だかどうかは、これによって導かれる結果次第だ
「踊れ!辛気臭い顔ばっかしやがって、芸でもやってウチらを笑わせろ!あんこう踊りやれ!」
会長さんの顔は最早完全にノリに乗っている顔である。それをきっかけに辺りから4拍子の踊れコールが巻き起こる。ふむ、拒否は無理か。優花里さんがこちらを見つめてくるが、数の合わさった人の勢いはどうしようもない
undefined
~あああんあん、あああんあん~
右手を掲げ屁っ放り腰をしている動作からこの踊りは始まる。それが左右頻繁に入れ替わるのだから動作的にはかなりきつい
~あったまのあっかりはあーいのあかしーもっやしってこっがしってゆーらゆら~
振りは足を上げてその下で手を叩くというさらに激しいものになる。そのせいか声が小さくなってゆく
「もっと元気よく!」
「腹から声を出して歌え!」
次々と指示が飛び出る。目のピントが狂う。どこを見ているのか自分でも分からない。それだけ恥ずかしく忙しいのだ
「レイプ目キター!」
「効いてる効いてる!」
不気味な盛り上がりがその部屋を包む。各所から笑い声が上がり、写真を撮るものまでいる。会長さんも笑いながら何枚も干し芋を口に頬張る。
その盛り上がりはあんこう踊りフルコーラスが終わっても止む気配は無かった。疲れた。恥ずかしいけど、それ以上に疲れた
「よーし、次はなんだ!」
「はいはーい!ゆかりんがいっつもみぽりんと一緒にいるのは、別に偉そうにしたいわけじゃなくてみぽりんと一緒にいたいからなんでーす!」
「あらあら」
「じゃあお前らチューしろ」
「えっ?」
「キスするんだよ」
何が面白いのだろうか。男と女のキスは実に悍ましいものだったが、女同士ならそうはならないのか。そういうものでもないだろう
「キース!キース!」
「秋山ー、西住のこと好きなんだろぉ、やっちゃえー!」
「西住さんも受け入れろー!」
「あくしろよー!」
だが会長さんが生んだ流れは皆の同調で変えられないものとなってしまっている
「優花里さん、仕方ありません。やりましょう」
「ええっ!」
「この場を壊さないうちに、早く」
それでも躊躇うそぶりを見せた。やむを得まい。この場を壊し、その切れ端が先鋭化する方が怖い。ある意味でまとまっているこの集団を破壊するのは危険だ。仕方ない
無理矢理に熱い相手の方を抱き寄せて、唇同士をぶつけた。互いの鼻息が当たり合う
「ヒャッハー!キスしたぞ!」
「お互い真っ赤じゃないか!」
私も真っ赤なんだろうな。流石に下着姿で女子とキスしたらそうもなるか。収容所の男とキスするよりは遥かにマシだしな
荒れる息と共に相手を引き離したあと、どこからか油性ペンを持ち出した者らが2人を床に押さえつけ、それぞれの腹に『ダメ隊長』と『飼い犬』と書いた。そしてその姿を見ながら指差して笑い合う。飼い犬……の顔は真っ赤に染めあがっている。うん、まぁ犬だな
なされた姿は四つん這いではなく腹を見せ屈服した犬、だった
その場の盛り上がりが少し治まってくると、身を起こして壁側に寄り顔を伏せて座り込む。それから目を逸らした会長さんの口が開かれた
「さーて西住ちゃんもケツまくったことだし、明日のプラウダ戦は誰が指揮をとる?」
「誰って……」
「会長じゃないんですか?」
「ムリムリ、ただの生徒会に戦車戦の指揮なんて出来る訳ないし」
確かに会長さんには不可能だ。だがこのうねりを引き出したのが会長さんなら……嘗て見た形になる
「じゃあ、他に誰が……」
全軍突撃、神出鬼没、車長狙撃、案を出す者続々と現れるが、直ちに全て却下されてゆく。生死が掛かっているのだ。生半可な案を飲めるはずがない。遂には案を出す者はいなくなった。話す者もいなくなった。ただ無言で隣の顔を覗き合う
「ちょ……ちょっとやり過ぎちゃったかな……」
肩に浴衣が掛けられた。隣の人と同時に
「ごめんね、2人とも。私達ちょっとイライラしてて」
「気を悪くしないで……」
「やっぱり西住さんしかいないよ」
下手に出て謝罪の意を表そうとする者が話しかけてくる。なるほど、こういう道に持ち込むか。会長さんの顔を再び眺めると、ただ見つめ返してくる
「いえ、とんでもないです。明日は一兵卒として皆さんの指示に従います」
「まあまあ、そう言わず機嫌直して……」
「しゃーないね。ウチらもこんだけのことやったんだし、ケジメだけはちゃんとつけようか」
会長さんが頭を掻きながらその場をまとめ、皆が私たちの前にずらりと並ぶ。よく見ると結構な人数がこの騒動に関わっていたようだ
「西住さん、秋山さん、ごめんなさい。どうか今までのことは水に流して、明日もどうか指揮を執ってください」
歪んだ布団の上で多くの者の最敬礼が成す様子に圧倒され、私にできたのはただ頷くことだけだった
「終わったか」
皆がまだ直ってない中で、視線の先、皆の背後である襖の裏に人がいる。河嶋さんだ
「西住と秋山以外は話すことがある。全員隣に来い」
「面白そうなことから私たちを省かないでくれよ。海賊では裏切りは即斬首なんだよ、ここは海賊じゃないけどね」
お銀さんがその背後から顔を出し、左手の人差し指で組んだ腕の右肘をせわしなく叩く
「まてかーしま。今回のことは私が主導したことだ。私の謝罪がこれだけで済むわけがない。ここに残るよ」
顔は前に向けたまま会長さんが話す
「……分かりました。他の者は早くしろ!」
動かない他の者に痺れを切らした河嶋さんが入り口近くの壁を叩く。それに加えてサメさんチームの面々が皆の背後から突入し、ラムさんに瓶でケツを引っ叩かれたりフリントさんの金切り声を耳元で聞かされたりして、会長さん以外は部屋を連れ出されていった。ムラカミさん強いな。女子とはいえ二人を担ぎ上げてったぞ
部屋には私と優花里さん、会長さん、そして荒れた布団に散らばった枕や座布団が残される。会長は私達の方に座ったまま腕を使ってすり寄ってきた
無言で会長さんを見定める。考えの7割ほどは纏まっているが、残りを詰められない程度にはまだ少し茫然としている。そのまま寄るかと思いきや、こちらにさっと背を向けた
「……トイレ行って来るからその間に服着てくれない?私らが脱がして申し訳ないんだけど……」
優花里さんと互いに顔を見合わせる。下着に浴衣の袖も通さずただ羽織っている現状を向こうは十分に認識していなかったのか、思わず赤面していた。視線を逸らし、2人はいそいそと浴衣の帯を締めた。布団が乱雑になっているのが気に食わなかったが、戻す気力と時間はなかった
ちょうど浴衣を着終わったころ、水の流れる音と共に手を拭きながら会長が戻ってくる。会長はハンカチをしまうと正面に正座した。その纏う重い雰囲気が2人の背筋を伸ばさせる
「……今回、西住ちゃんを副隊長から降ろそうと西住ちゃんを辱めることを主導した。今考えれば本当に馬鹿らしいことをしたと思っている。秋山ちゃんも本当に申し訳ない」
会長さんが頭を床につけんばかりに深く下げる。 顔の下で重ねているその手に触れた
「顔を上げてください」
この結果となった以上、そしてあの時そのように発言した以上、私の予想は正しかった
「むしろありがとうございます」
「えっ?」
「……なんだ、バレちゃってたか」
会長さんは頭を上げ、後頭部を掻く。優花里さんはまだ状況が理解出来ていないようだがその様子に気づかうことなく話を続ける
「黒森峰でも昔同じようなことがありましたから」
「しかも他所でとはいえ二番煎じか……マイッタね……」
「えっ?えっ!えっ……と」
さらに混乱が加速している
「えっと……申し訳ないのですが、どういうことでありますか?私よく分かっていないのでありますが……」
優花里さんが会話の隙間から加わる
「つまり、会長さんは大洗を纏めるためにこんな事をやったっていうこと」
「そーそー。あの状態のままプラウダと戦っても負けるだけだからさ」
つまり私を辱めた後、その後任となる指揮官が大洗にいないことを分からせ、皆が私についていくようにする、ということだ。この人は仲間を纏めて戦う方向に導いたのみならず、その主導が私であると認めさせた。私には出来ない、彼女だから打てる手だ
「でも秋山ちゃんは本当に巻き込んじゃったんだ。申し訳ない」
今度は優花里さんの方を向いて頭を床につける
「い、いえ。大洗の優勝のために必要ならば喜んで受け入れるであります!」
会長さんはもう一度謝罪の言葉を述べると顔を戻した。二重窓の外の黒い幕に散らばる斑点を眺める
「雪、強くなってきましたね」
風の音が暖房のついた部屋でも寒さを感じさせる
「これでも明日、やるんだよね」
「やると思うでありますよ。『どんな環境でも戦いは起こりうる。』それが戦車道の試合のモットーの1つですから」
3人は黙って外を眺め続けた。敵は15輌、我々は7輌。しかもこの寒さは北の学園たるプラウダに有利だ。勝つことの厳しさが底から染み渡っていく
「~?~?」
静かになったことで外から河嶋さんの怒鳴り声が聞こえる
「かーしま、やってるねぇ。サメさんチームも付けたし、大丈夫でしょ」
会長さんは姿勢と顔を軽く崩し、後ろに反り腕で支える
「かーしまもあそこまでやってくれてるしさ、どんな策でも出してよ。やってみせるからさ」
そう、私の指示を聞いて動いてくれる。それが分かるだけでもいい。あとは私の脳味噌が何とかすればいいのだ
「分かりました。やれるだけのことはやりましょう。ゼロじゃありませんから」
「よし、頼んだ!」
会長さんは両膝を叩くと、体を捩って立ち上がる
「かーしま止めてくる。ごめんね。じゃ」
そのまま襖を開けて部屋に戻っていった
「西住殿、何か飲み物買ってきましょうか?」
背中を見送った優花里さんが立ち上がりながら口元に手を寄せ、空想のコップを握る
「ありがとう、優花里さん」
だが残念ながら下のフロント近くの売り場は営業を停止しており、2人は部屋の水をそれぞれコップに汲んだ
「はぁ~」
揃ってそう言葉が漏れた。コップの水は2人の中に染み渡る。布団を正そうとしたが、気がつけば隣の怒鳴り声が止み、長針が短針を抜いていた。嵐は止みそうにない。
広報部より報告
内容
大洗女子学園の動向
同校からの連絡によると
「やはり指揮するのは西住しかいない」
を
「内部の不信感」
において選択したとのことです。
ここまで
2230からやります
~
プラウダ学園地域が2009年に提唱した『融和人民戦線理論』は、日本各地に影響を与えた。マジノ女学院、青師団学園などにおける融和主義左派政権の成立のみならず、太平洋岸などへの影響力拡大を語る上でも東日本大震災と並んで考慮せねばならない。そしてそのターゲットはやはり校忰主義の総本山、黒森峰女学園であった。
山鹿涼『日本の学園都市』
~
バスで自陣の近くに着いた者たちは、皆足首までしっかり埋まる雪の中に踏み出した。小さな町の中心部にある2階建ての白い壁の建物が大洗女子学園の陣地である
周りは今年降り続いた雪がしっかり層を重ね、近くの木の幹には1メートル位の高さまで雪が付いている。今は雪がしんしんと降っているが、時折凄まじい吹雪が建物を襲う
「ちょっと……何よこれ。寒いなんてレベルじゃない……」
「顔が……痛いです」
沙織さんと華さんが震える。彼女らはもちろん上下ヒートテックに上にはフリース、コートも着て厚手のスボンとセーターも着て、さらに毛糸のパンツも履いているのに、それをも突破する寒気が襲いかかる。息を吐いても口の中の時点から白くなっている気がする
7時、遠軽町生田原八重、東側の摺鉢山から西側に広がる麓に笛の音がこだました
「ただ今より準決勝第1試合、大洗女子学園対プラウダ高校の試合を開始します!」
審判の高らかな合図とは裏腹に皆の士気は上がらない
「開始と言われても……どうにもならないよな、コレ」
それが総意だった。外は完全に吹雪いている。遥か先はおろか、小さな町の外れの木さえ見えない。寒い
「これは、海ノ口城の戦いだ……」
「いや、桜田門外の変ぜよ……」
「第2次ポエニ戦争のアルプス越えだろ……」
「冬戦争のスオムッサルミの戦いだ……」
「それだ……といいがな」
カバさんチームが口々に言い合っているが、寒いせいか口調が暗い。全く、私たちの空気まで凍えちゃどうにもならんぞ
「優花里さん、気温は?」
フードを外し耳を気にせず建物内を歩き回る。優花里さんが建物の温度計に駆け寄った。水銀はここでも凍らないらしい
「マイナス32度であります」
道央に近いこの町は1年の温度差が激しいが、そんなこの町でもこの気温は珍しいらしい。昨今の異常気象のせいだろうか。しかし不安の原因はそんなものではない
「エンジンはかかりそうですか?」
「ダメです。セルが回らずオイルも凍っています。動きそうにないですね」
自動車部の面々がIV号の上で答えた。だろうな。こんな環境で満足に動ける戦車なんて、ロシアかカナダかスウェーデンくらいでしかそもそも設計されないだろう。そしてロシア人はそんな事より量産性を重視する
「焼きレンガで暖め続けてください」
建物唯一の暖炉にはまきとレンガがくべられ続ける。その外側にフードを被った人々が半円状に並ぶ。時々その遠近を巡って争いが起こっているようだが、時々交代することで決着したようだ
「なんだあんたら、そんな寒いのか?」
「それにハイ以外の返事ができると思う?」
ちょっとその集団から外れていたサメさんチームが沙織さんの後ろから声をかけた。かといって彼女らも防寒装備万全に見えるわけだが
「そうか、じゃあこれやるよ」
お銀さんが手に持っていた紙コップを沙織さんに渡した。何事かと周囲の視線も億劫そうなれど彼女らに向けられる。どうやら中には液体が入っているようだ。一口飲んで口をコップから離し、代わりに手を寄せた
「ゴホッ……な……何よこれ!えっ?辛い!ほんっとに辛い!」
「そらそうだ。ハバネロクラブだし」
「え?何ですかそれは?」
「……激辛ラム酒……多分ノンアル」
激辛、か。ラム酒とはここの様子にはまた似合わなそうなものを
「多分って……」
「どっちにしても体の中から熱くなるから変わらないさ」
「いや、そういうことじゃなくて……みぽりん、一応確かめた方が……」
何でこっちに振ってくるんだ
「つーか向こうのプラウダとかいう奴らだってこの天気でタダで居られる訳がない。奴らロシア人が多いらしいし、ウォッカでも呑んでんじゃないか?」
「かもしれませんね。まぁ、飲みたかったら自己責任で」
「あのう、私、一口頂いてもよろしいでしょうか?」
今度は華さんがそれを要求した。確かにこの人なら何杯でもいけそう。仮に酒でも
「あ、そこの人のを貰いな」
「華あげるこれ……確かにあったまるけど口の中が……」
まぁ話しづらくなるのが難点だが、作戦に文句付ける口が開いたりするよりかはマシだ。どんどん他の人にもあげるといい
「……身体の中からポカポカします」
「だろぉ。他にいる奴いるかい?」
私はこれから脳みそをフル回転させねばならないので、この時ばかりは酒に頼る訳にはいかない。その可能性があるなら触れぬが吉だ
「西住」
「河嶋隊長。この先の動きですか?」
「そうだ。こちらが動けないのは見ての通りだが、向こうが動いてくる可能性はあるのか?」
「流石にこの状態ではプラウダも動けないでしょう。人海戦術で何とか動かせるようにしたとしても、こちらを圧倒出来るほどの大軍ではないはずです。数でこちらに勝る中、わざわざその優位を削ってはこないでしょう。こちらも天候と気温が回復するまで待ちましょう」
「いきなり膠着状態か……」
「ですが装備がモシンナガンになった以上、狙撃などにも警戒が必要ですし、集中砲撃で遠距離からこの建物の破壊を狙う可能性もあります。とりあえず偵察隊を出しましょう」
暫くして計4人による2つの部隊が組織された。第1隊は優花里さんとエルヴィンさん、第2隊は園さんとお銀さんだ。単純に隊長車かつ人数不足気味であるカメさん、車輌回復の主力たるレオポン、そして防衛用のスナイパーを含みこちらも人数不足気味のアリクイさんを除く各車輌から一人ずつ選抜した形だ
園さんが一度お銀さんと組むのを拒否しようとしたが、河嶋さんの指示もあり何とかのんでもらった
第1隊は西の方を経由し北へ、第2隊は東の方を経由して北へ向かうことになった。優花里さんは出発前にヘルメットの中に布切れを詰められるだけ詰める
「何やってんのよ。ぼろ切れなんて詰めて汚いわね。お銀さん、さっさと出発よ」
「分かった分かった」
「全く何でこんな人たちと行かなきゃいけないのよ……」
お銀さんはフードの上からヘルメットという一見不思議な格好で園さんに続き建物を後にした。流石にいつもの帽子は外したらしい
「こちらも行くぞ、グデーリアン!」
「了解であります!」
その後にモシン、ナガンを装備した優花里さんとエルヴィンさんも建物から北に向かった
~ゆきーのしんぐんこーおりをふんでー どーれがかわやらみちさえしれずー~
外の吹雪はさらに激しさを増している。歌の途中で息を吸おうとした時に喉が固まるような感覚を覚える。優花里はそこで歌うのを止め、胸元から小型の簡易温度計を取り出す。気温はマイナス37度、なんと先ほどよりさらに気温が低下したのだ。下手に立ち止まったりしたら、その場で血液が凍ってしまいそうだ
「グデーリアン、離れるな!」
エルヴィンの声で優花里は距離ができてることに気づき、胸元に温度計を戻すと、足で雪を掻き分けながら近づいた。そのまま並んで歩み続けるが、周りの景色は至って単調、白一色だ。たまに視界に入る枝しかない木が無ければ、本当に道さえ知れないだろう
「……しょうがない、引き返そう、グデーリアン!一面真っ白で敵も何もない。逆にこのまま行くと迷ってしまうぞ」
その時、優花里は見た。絶対に味方ではない姿を
「え、エルヴィン殿、あれっ?T34とスキー兵、プラウダの攻撃部隊であります!」
彼女の指差した先には2輌の戦車とその周りに棒のように立つものの群れがあった。2人は素早く近場の稜線の裏に隠れて伏せる。優花里はさっと双眼鏡を構えた
「まさかこの天候で……早く戻って報告を!」
立ち上がり背を向け引き返そうとする優花里の肩をエルヴィンが押し留める
「待てグデーリアン、様子がおかしい」
遠目でだが確かにそれらには妙な違和感があった。2人はゆっくりと稜線の裏から出て、腰で雪を掻き分けて道を作りながら近づく。その違和感は近づいていく中で明らかになった
もう彼らは動いていない。動く気配もない。戦車の履帯はほぼ雪で埋まり、砲身にもかなり雪が積もっている。周りの人だったものも腰まで雪に埋まり頭の上にも積もっている様子から、ここに来たのはだいぶ前だとわかる
「これは……」
「おそらく迂回か奇襲のための部隊だろう。プラウダ兵ですらこの寒波には耐えられなかったんだな。よかったと言うべきか、気の毒と言うべきか……」
2人は無言のまま、出来るだけ彼らの目を見ないようにしつつモシンナガンの弾を遺体から少々拝借し、腰でできた道がかき消されないうちにその場を離れた
願っていた音が聞こえる
「動いた!西住さん、IV号の砲塔周りは溶けたようです」
IV号の砲塔はモーター音を立てながら反時計回りに回転を始める。だが一度緩んだからとこちらも気を緩める訳にはいかない
「はい、再び凍らせないように暖め続けてください。それと他の車輌も引き続きお願いします」
「了解しました。次はヘッツァーとIII突の復旧を急ぎます」
「はいよ、焼きレンガ。ほんっとあっついからね」
フリントさんが焼きレンガを持ちながらIV号に近づき、車輌の上にいるホシノさん渡そうと手を伸ばす
その時、紙にパチンコが当たるような音がし、レンガは地面に向けて放物線を描き、角の一つが砕かれた。それに続きフリントさんが銀髪を引き連れて、手をつくこともなくうつ伏せに倒れる。長身の頂点にあたる頭から真紅の霧が舞う
受け取ろうとした、ホシノ
物音を聞き振り返る、皆
須臾、時が止まる
音と様子、そして変更された装備。導かれる答えはただ一つ。止まったままでは次が来る
「スナイパー!」
その声でスイッチが入ったかのごとく皆は伏せる。地面にばら撒かれた干し芋に会長さんが目もくれないほど
窓際に駆け寄って伏せ、胸元を探る。確かアレがあるはず。フリントさんはまだ息が有り、頭から流血しながら呻き声を出す
「……うっ……」
「フリント!まだ生きてる!早く、早く手当てを!せめて壁側に寄せるぞ!」
「よせ、危ない!」
ムラカミさんが立ち、フリントさんの元に駆け寄る。河嶋さんの言葉も耳に入らない。あった。止めても無理だし、間に合わないだろう。淡々と取り出した手鏡を外に向ける。
銃声は冷酷だった。彼女の大きく鍛え上げられた肉体でさえ、小さな鉛玉を食い止めるには余りにも無力であった
少し時間が経つと、ムラカミさんの左手はフリントさんの頭を水源とする血の池の中に浮かんでいた。もう呻き声はない
第74回戦車道大会公式記録
大洗女子学園犠牲者
石引 雄香
プラウダ 銃殺 頭頂部の破壊に伴う失血死 銃撃後1~2分ほど意識があったと思われる
村上 景子
プラウダ 銃殺 頭部左側部から右側部にかけて貫通による脳死 即死
「猫田さん、こちらへ」
「はい」
彼女らの命は、逆にこれ以上の損害を防ぎうる情報をくれた。これを価値あるものにするためには、彼女が必要だ。仮に仮想の中だとしても、どう動くべきか理解している。それだけでもプラスに働く
猫田さんが窓際を這って近づいてきた。彼女をさらに近づけさせ、手鏡を通して外を見せる
「この奥の建物の3階、右から2番目の窓です。2階から狙えますか?」
「ボクが?」
「動いている列車からの牛よりは動きませんよ?向こうもこちらにスナイパーがいるとは想定してないでしょうし」
「……やってみる。ボクはこれくらいしか取り柄がないから」
這って戻った猫田さんはモシンナガンのボルトを操作し、動作を確認する
「動きますね」
「それは大丈夫そう。あの、西住さんってゲームの成績だからって馬鹿にしないんだね」
「キルレシオ4の立ち回りなんて私には到底無理ですから」
「おい、西住……何を」
「動かないでください!もう向こうはリロードを終えているはずです。2発連続で当てていることから、向こうは相当の手練れでしょう。身体を出したら、死にます!」
その言葉に返事せず、ねこにゃーは身を低くして出発する。木製の階段を駆け上り、階段の手すりの終わりから素早く1番近い窓の窓枠に張り付く。ゲームをやる時の何時ものルートだ、ミスりはしない
そして先ほど西住さんに指摘された建物の窓には、言われた通りそれらしきものがあった。こちらはスコープに目を寄せて、窓際に膝を立てる。捉えた
その敵を確認する。敵の銃は1階の方を向き、まだ新たな尸を産もうとしている。こちらに注意は向いていない。このまま銃の引き金を引けば、敵は死ぬだろう
だがその敵が一瞬くしゃみをした。そして鼻を拭おうとする。それは画面の光の集まりではない。人であった。ねこにゃーの頭の中を想像が駆け巡る
どこの誰か知らないけど、私のこの指でこの人の人生が終わる。家族や親戚はさぞ悲しむんだろうな。兄弟はいるんだろうか。現実で脳漿が飛び散るところなんて見たくないな。
邪推に自分が囚われていると感じ、目を閉じてそれを振り払おうとする。何時ものゲームの感覚で淡々とヘッドショットをとればいい。向こうだってこっちを殺す気で来ているのだから躊躇う必要はない
そう信じて目元に力を込めた
眼を見開いた先に見えたのは棒ではない、点だ。敵が点を持っていた。仇となった
「あっ……」
その点が自分のスコープの照準と合わさった時、みほらのいた下の階には先程と同じ銃声が響いた。銃弾はスコープごと彼女の目と脳を撃ち抜き、辺りには脳漿が飛び散った
皮肉にも彼女が先ほど敵の姿を借りて想像した様を自分で体現したのである
第74回戦車道大会公式記録
大洗女子学園犠牲者
猫田 鳴海
プラウダ 銃殺 右目から頭部右後部にかけて貫通による脳死 即死
~
カチューシャ独裁体制
2011年度硬式戦車道大会における黒森峰女学園撃破の作戦を提示し、それを実行したエカチェリーナ=イワノワは、その年末の共産党青年団長選挙に出馬。黒森峰への反感を吸収して当選を果たした。また彼女が率いる政党『勇気ある民』は、翌年の高校共産党大会選挙で単独過半数を確保。そのまま学生防衛委任法によって党大会の権限を共産党青年団執行部が一年に限り継承し、黒森峰打倒を名目に独裁体制を樹立させたのである
~
ここまでです
2050くらいから始めますが奇跡的に見ていらっしゃったらご覧ください
~
絶望のなかにも焼けつくように強烈な快感があるものだ。ことに自分の進退きわまったみじめな境遇を痛切に意識するときなどはなおさらである。
ドストエフスキー
~
「華さん!直ぐにIV号に乗ってください!」
銃声は同じ。上からは倒れる音。しくじったか
だがこの鉛玉を封じる手は尽きたわけではない。時を移さず命令を出す。華さんはIV号に飛び乗り、横のハッチから身を捻り込ませた。次に向こうが撃った弾は、短時間で狙いを定めることは出来なかったようで、ハッチから右にずれた所に当たった。流石にIV号なら銃弾で抜かれたりなんかはしない
「華さん!榴弾で!」
「はい!」
車中にはツチヤさんが隠れていたはず。装填を手伝えば、時間はそうかからないはずだ
砲塔が右に回転を始めた。だが問題は目標を華さんに見せねばならない。2人の遺体の位置なども合わせれば、どの窓を経由して来たかは分かるだろうが、その何処からかは説明できない以上、光源を直接見なければわからない
近くの布を持って宙に投げる。布は弾に命中され地面に叩きつけられたあと、寂しく銃声が響く
「みほさん、場所分かりました。ライフルの弾の速さは?」
「850!」
「距離は600……撃てます!」
「撃てッ!」
合図を向こうが確認していたかは分からない。ただ建物を揺らさんばかりの砲撃は、確実にその砲身によって行われた。そして放物線を描いた砲弾は、私が鏡ごしに指差していた建物を見事に捉えた
流石は華さん。腕前は超一流だ。この寒さで砲身が歪んでいたら、それを考慮する必要もあったというのに
こちらが使ったのは榴弾。建物は階層ごと吹っ飛ばされている。仮に逃げようとしていても、巻き込まれていないはずがない。そしてこの寒空の下動けない人間を助ける暇人はそうはいまい
キューポラから華さんが頭を出す
「みほさん、もう1発撃ちますか?」
「いえ、十分です。榴弾であれだけ被害があれば大丈夫でしょう。直前にこちらに1発撃ってますし」
華さんは力が抜けたのかするすると自動的に車内に戻った。周りのものにも今ここを生き延びれた、そのことに安堵の表情が浮かんでいる
「これで……大丈夫……なの?」
「……恐らく。仮に2人以上いたとしても、榴弾に巻き込まれているでしょう。プラウダがいかに人を抱えてようと、狙撃ができる人材はそんなに数はいないと思いますし
一度警戒は解きますが、再び銃撃等があったら先ほど同様すぐに物陰に隠れてください。
では先ほどの作業を再開します」
ゆっくりと立ち上がった人々によって、暖炉の中で加熱に加熱を重ねられたレンガが再び戦車の上に乗せられ始める。予想通りさらなる狙撃要員は確保できていないようで、建物の中は暫くは安全そうだとの見解で一致していた
建物にあった黒い布を持ってゴモヨさんとパゾ美さんは2階の、河嶋先輩と小山さんは1階の遺体を回収する。だが遺体は視界から隠せたとしても、血痕だけは冬の池のように氷を張りそうになったまま残されている
ラムさんがムラカミさんとフリントさんの遺体を抱き寄せながら号泣していた。カトラスさんも彼女の方を握り無表情を貫こうとしつつも、涙と口元の震えまでも抑えられるわけではなさそうだ。だが遺体はそれに何か返事をするわけじゃない
彼女らを作業に連れ戻すことを名目に近づいていった河嶋さんも、結局は涙を流す3人目となった。もともと彼女らは河嶋さんに助けられたという話だったし、河嶋さんにも彼女らに対して強い思いがあったのだろう
私も彼女らの死によぎるものがないわけじゃない。あの『どん底』での一瞬の安らぎを忘れたわけじゃない。しかしそれが本当に一瞬であり、すぐに彼女らを作業に引き戻そうとした辺り、私の心はどんどん人から遠ざかっている
包まれたものは入り口に並べられる。黒い、川だ。流れない、川だ
「西住ちゃん」
皆の警戒がかなり緩んで来た頃、入り口の方を向いていた会長さんが声をかけてきた。暖炉の前で立ち上がり、服の埃を払う
「秋山ちゃん達が帰ってきたよ」
「本当ですか」
優花里さんとエルヴィンさんは建物の前の雪の山から飛び降りて入ってくる。体調に大きな変化はなさそうだ
「不肖秋山優花里、ただ今帰還致しました!」
優花里さんは力強く敬礼を決める。本当に問題なさそうだ
「敵の様子は?」
「ここから北に1.5キロほどの所で歩兵と戦車を含む敵迂回部隊を発見しましたが、全員凍死しているのを確認致しました。他に動きはないであります」
「それは直接確認しましたか?」
「勿論だ。あの様子を見るに今日は攻めよせてこないかと」
「分かりました。ありがとうございます」
不気味だが、向こうから今日攻めよせてくる可能性が一つ潰れただけでも大きい
「戦車は何輌ありましたか?」
「1輌だけでした」
1輌だけ……
「それにしても、こちらは……」
優花里さんの手は黒い袋の並びに向けられる
「狙撃を喰らいました。やはりモシンナガンに変えたのは、こうして抵抗させずに叩くためだったようです。が、華さんが榴弾でなんとかしてくださいました」
「……変じゃないか?」
エルヴィンさんが話の中で首を傾げた
「……と言いますと?」
「プラウダだって上限は15輌のはず。確かにこちらに対して数が多いのは事実だが、それでも車輌や人員を見捨てたりするものか?数があるなら、一斉に投入して完全な数的優位の下で倒すのが筋だろう」
「……確かに向こうの攻撃がちまちましたものばかりであります。それどころか我々が発見した部隊は攻撃さえ出来ていません。
こちらの精神を削るのには効果があるかもしれませんが、それに見合う損失かというと微妙でしょうな」
「……プラウダならスパイの排除などを名目にやりそうなので何とも言えませんね……」
「そうですか……」
「ですが今後の判断材料にはなります。ありがとうございました」
表向きはそう言ってごまかしたが、それでも何か裏があるのか疑わざるにはいられない。杞憂だと願いつつ、恐怖を覚える予想もする必要があった
「そど子殿とお銀殿はまだでありますか?」
「あっちはちょっと奥まで行っているのかもしれんな。そど子さん目が良いって話だったし」
その後、ただ時は進み続けた。話すこともなく皆車輌と暖炉の前を往復する。IV号以外の車輌の砲塔、エンジンも動き始める。優花里さん達が帰ってから暫くした後、入り口の方から何かが倒れる音がした。入り口には倒されているものはあるが、倒れるものは本来ない
見ると、そこに居たのは白いコートを頭まで着てうつ伏せに倒れているものだった。ヘルメットがコートより上にある
「お銀さん!」
「……西住……隊長、すまない。園さんが……」
「園さんがどうしたのですか!誰か、暖炉の前まで運ぶのを手伝ってください!」
仲間の危機の前に思わず叫ぶ。生きている限り価値はある
「親分!大丈夫すか!」
「お銀!」
生き残った他の2人もすぐさま駆け寄ってくる。カトラスさんは柄になく表情に焦りをさらけ出している
暖炉の前に寝かせたが、唇は紫に変わり、それ以外は蒼白
「乾いている服をたくさんお願いします!あとはすぐに焼きレンガを!それと桶か何かに雪をお願いします!」
「な、何する気だい?」
「一部は服の中に仕込んで、残りはぬるま湯を作ります!凍傷を引き起こしている可能性もありますから!少し熱めのお風呂くらいのものを!」
服は濡れているもののうち無理なく脱がせられる部分は取り、他は残す。こんなに寒い中とはいえ無理に剥がして怪我させては感染症になる可能性もある。だがすでに事態は相当悪いも思われる。特に足が
「園さんは……死んだ」
「そう……ですか」
言葉は絶え絶えだ。まぁ、片方がこうなっていてまだ戻らないもう片方がこれより状態が良いとは考えづらかったし、重大な驚きではなかった
「急に立ち止まって頭を抱えたから……何事か……って思って背負って連れてこうとしてたら……急に……背中の方から……パキッて……何かが割れる音がして……喉から漏れ出るような呻き声が……」
「……そしたら死んでいた、と」
頭蓋骨損傷あたりか……死体がないから断定はできないが
「……そうらしい。人って……ああやって死ぬんだな……私は……ああはなりたくない」
何故か彼女の顔には笑みが見える
「とりあえず服をかけとくぞ!」
「ジッパーで開けるものをどんどんお願いします!2枚か3枚入れたところで、焼く時間が短めのレンガを入れます!」
「服は溶けないかい?」
「それは大丈夫なようにします。あとは乾いた布で包んだものを4つほど、末端を温めます!」
「……に、西住隊長……」
背後にて彼女の靴を脱がせていたらしいラムさんが体の芯が震えるような声を届けてきた。彼女の手にある靴には側面に大きく傷が付いており、傷からラムさんの服を見せる
「ケガ……」
「帰りにな……まだ園さんが死んでいると知らなくて……背負って歩いていた時に……な、雪の下に埋まっていたらしい木の枝を……思いっきり踏んでしまってな……
底は抜けないと思っていたが……まさか側面がガリッと削れちまうとはね……」
まずい。彼女の足は靴下同様赤く染まって膨れ上がっていた。おまけに傷のある一部は少し黒ずんでもきている
明らかに凍傷だ。医学の知識は私にはないが、これくらいは予想がつく
「……さっきまでは……疼くような感じがしていたんだが……もう……痛いだけ……だ……」
それもかなりの重症だと思われるが……果たしてぬるま湯につけて効くものか……
「に、西住さん!親分は大丈夫なんですか!」
「……麻子さん、会長さん、ちょっとよろしいですか?」
人の力を借りよう
「どうした?こっちの作業中断していいのかい?」
「……お銀さんの症状、私だけは判断がつきません。手伝いをお願いします」
「……分かった」
「まぁ、私に分かるかは分からないけどな。私は医者じゃないし」
そうだ。これもある意味逃げだ。彼女らとの合同の判断、という名目で最悪のケースの責任を分け合おうとする手段に過ぎない
麻子さんと会長さんはラムさんが抱えていた左足の外側の傷をじっと眺めていた。時々小言で話しているのは、こちらには聞こえない
「西住殿!ぬるま湯はこのくらいでいいでありますか?」
優花里さんが桶らしきものに湯気の立つお湯を張って持ってきた。さわるとまだ夏の水風呂もどきくらいでしかない。ここまで寒い環境に居続けると、温度感覚も狂うものなのかもしれない
「まだです。もう一個焼きレンガを投入してください!あとはこちらにもってくるときも一つ持ってくるように!この天気じゃすぐに冷めます!」
「了解です!」
すぐに立ち去った優花里さんに気を払う余裕はない。お銀さんの顔を覗き込む。息も浅い
「……西住さん……」
「はい」
「ムラカミと……フリントは……」
「……あちらに」
嘘をつく必要は感じられなかった。黒い袋が3つ。そのうち2つだと指でさっと示す
「……そうか。だよなぁ、こんな寒空の下に偵察か出撃以外で外出する奴はいないよなぁ……」
「ライフルで狙撃されました。私の警戒と管理不足です。お仲間を……申し訳ありません」
「……管理してたら、止められたのかい?」
「私には……そうは見えないけどね……装備も変わってたし……こちらには……手も足も出ない話さ……こんなことは言いたくないし……実際に手足が伸びるわけじゃない……がね」
心なしか顔が赤くなっているように見える
優花里さんやラムさん、カトラスさんらにより作業が進められる中、会長さんと麻子さんが私を指で外に出るように示した。ついでに河嶋隊長も呼んでいる。私の予想はほぼ当たっていたらしい
外で麻子さんは深く一つ呼吸してから口を開いた
「……あれは……どうにもならない可能性が高いだろう。少なくともここでは」
「……私もそう思う。傷が一部壊死しているよ、あれは」
「え、壊死……」
「……そうですか」
色がおかしいかったからそうもなるか
「もし滅菌された場所や治療道具があれば、切除したりしてなんとかなるかも知れないが、ここにはどちらもないな。
秋山さんのかばんの中身を使ってもいいが、包帯はほぼ使い切ってしまっているそうだ。傷を十分に塞げない。仮にあっても凍傷の傷相手に足りるかは分からんが。
傷のあたりは下手に温めて血流を良くしたりすれば、体力の消耗も考えれば破傷風クラスでも命に関わるぞ」
「外に出ている間はあの寒さだったからまだ大丈夫だったのかもしれないけど、ここは少しは暖かいからねぇ。あの進行度じゃあ細菌やウイルスに感染するのは時間の問題だ、と思うよ。温めたらなおさら」
「そして現状の彼女では感染したら最後、助かるとは思えないですね」
「に、西住。何とかならないのか……人数が少ない私たちからしたら、一人でも減るのは厳しいだろ?」
「……そうなると案は3つ
一つは彼女だけプラウダに降伏させる
もう一つはそれでも何とかアルコールで殺菌したりして時間を稼ぐ
最後は……」
「ここで……楽にする、か」
「はい、そうなります。この戦いはこの天候だと長期化する可能性があります。このまま彼女を苦しませ続けるよりは……」
「……な、何を言ってる、西住」
「それにこのまま病気にかかられると、それがチーム内に広がる恐れもあります。
一人でも厳しいのです。それ以上各車輌の人数が減る、少なくとも戦車に乗れなくなると……厳しくなります」
「まぁ、先日の西住ちゃんの話を聞く限り1番最初はナシ。生徒会長としては最後の手は取らせたくないけどね……教育的に」
「今更それを言いますか?」
「……まぁ、味方に直接手を下すならね」
「で、2番目が可能か……という話か……」
ここでどうこうなる話ではないと思うが、それでも4人で頭を付き合わせなくてはならない
だが全員が一斉に頭を振り上げる時が来た。天をも突かんとする断末魔が同時に彼らの耳を訪れたのである
「ああああああああ!がああああああ!」
「お、親分……」
「い……いッ!」
「が、我慢して……お銀」
「そ……から……足を……足を抜い……れぇ……頼む……」
ケフッ
「し、しかし温めないことには……」
「がっ……」
壁の向こう、入り口を超えて響くお銀さんの絶叫であった
「……2番目……」
「……厳しそうだな」
「うん……この様子だと……ね」
「……おい、西住」
3人が一定の方向性で一致を見出そうとしていた時、河嶋さんが3人の間に割り込むように入った。そして私と至近で目を合わせ、両肩を掴んだ
「西住、頼む!殺すのは……殺すのだけはやめてくれ!あいつは……あいつがいないと……船の底は再び血と暴力の連鎖が続く場になってしまう!学園に……学園艦に、そんな場所を残したく……ない!
絶対に生かして帰せとは言わない!だが助かるかもしれないのに殺す、それだけはやめてくれぇ!」
「……どういうことです?」
会長さんの方へ視線を逸らすと、会長さんは頭を掻きながら気怠そうに話した
「いやー実はね、数年前まであの船の中って今以上に治安悪かったのさ。西住ちゃんは『どん底』行ったんだろ?そんなことをするなんて考え付かない程度にはね
外の人が下手に入ったら帰ってこれないのは当たり前。ひいては船の中でも担当部署や居住地域ごとに縄張りをはって、僅かな独自収入を巡って抗争続き。生徒会からの命令どころか、場合によっちゃ同じ船舶科の指示さえ聞きやしない。そんなとこだったのさ
そこをせめて学園艦の中だけでも安定させたい。人の血を流させたくない、って調停に入ったのがかーしまだったのさ。お陰で生徒会での仕事は私や小山とかに回されてばっかりだったけどね
結果的に彼女らを戦車道に取り込んだのはかーしまなのさ。だから特別な思い入れがあるんだよ」
「姉は……抗争の中で死んでいった……この大洗で、少なくとも内部で、二度とそんなこと……させたくないんだ!何とかならないのか!」
「……本人に事情を伝えましょう。それでも助かることを望むなら、最善を尽くします」
「……かーしま、気持ちは分かるがそれが筋だ」
「はい……」
会長さんに肩を掴まれた河嶋さんはやっと私の肩から手を外した
一時的に人払いをして、小さな声で事情は伝えた。その返事はあまりに単純で、的確だった
「……そうか……やってくれ、西住さん」
「……おい、お銀!お前、死ぬ気なのか!」
「桃さん……自分の身体って……本当に自分で分かるものなんですわ……恐らく……ここで生かしてもらっても……先は……」
僅かに動く右手を胸の上へ移した。これでも本当に一苦労なようだ
「お銀!生きるって言ってくれ!ムラカミもフリントに加えて……お前も目の前で喪うなんて……」
土煙の残る建物の床の上に、河嶋隊長の額
「……ははっ……やっぱ桃さんは……私らみたいな人間に……優しいや……優しすぎる……」
一度顔を背けて咳をした。それでさえ彼女の力を奪っているのが、苦悶の表情から察された
「生きたいと……思っても……もう……寒気に当てられた体が……言うことを……きかないんだ……
桃さん……今まで……沢山の……我儘を……聞いてくれて……ありがとう……貴女は……そのままで……いて欲しい……」
彼女の片手にしがみつく人から、声とも分からぬ咽び泣きが発せられる
「……西住ちゃん……」
「……足の傷は既に感染症にかかりやすくなっています。少なくとも今夜外に出ることは出来ません
そしてその凍傷の治療はここでは不可能です。他の皆のためにも、その決定をしてくださったことを感謝します」
「身体って……あったまるの……早いんだな……あったまったら……きっと……痛みが……やって……くる……
痛みが……想像もつかない痛みが……怖い……怖い……だから……その前に……」
「……分かりました。その意思を尊重しましょう。私が執行します。会長さん、河嶋さん、よろしいですか?」
「……許可するよ。生徒を無為に苦しませるよりは……ね」
会長さんの吐き出し尽くすような返事の一方、河嶋さんは未だ躊躇いを隠さない。麻子さんの方に向くと、面倒そうな顔をして一声付け加えた
「……彼女を守る術は他にないぞ」
「……そうか。お銀……」
「……大丈夫だから……」
何とか首を回し地面に近い顔に寄せる様は、人から見たら痛々しいったらありゃしない
「……西住……」
「はい」
「お銀を……頼む……」
「ありがとうございます。あ、皆さんに伝えます?」
「……いや、やる前に話が下手に広がっては面倒だ。ラムちゃんとカトラスちゃんだけ呼ぼう。流石に伝えないのは可愛そうだ」
「お任せします」
ここには麻子さん含めて3人だけが残った
「……ははは……あいつらにまた会ったら……生きたくなっちまう……とは思わない……のかい?」
「痛みは人間の苦痛の根源。それから逃れようとすることは、何があっても揺らぎませんよ」
「……そうか……そうだ……ひとつ……いいかい?」
「はい?」
「私の服の……胸ポケットの……中に……パイプが……」
「……失礼します」
幾層にもなった服を掻き分け、彼女が初めに着ていた服に辿り着く。そこには透明な袋に入ったパイプが、少し歪んだ形で入っていた
「……歪んでますね」
「……そうだろうなぁ……真ん中の辺りを……持って……口元へ……」
「はい」
袋の周りは溶けたパイプが張り付きかけていたが、それを注意深く外してゆっくり口元へ寄せると、口をかすかに開いてそれを受け止めた
「ふぅ……」
「船舶科の帽子はいかがします?」
「……それはいいかな」
ゆっくり、小さく左右に首が振れた
「親分!」
「ど、どういうことなの!」
生き残っている2人が必死の形相で詰め寄る
「……そのままさ……このままじゃ……みんなに……迷惑かけるだけ……」
「じ、冗談……だよね?」
「冗談で……こんなこと……言えるか?」
私が無言で自身の拳銃に球が込められているか確認している様をちらりと見て、2人とも口を閉じた
「……なぁに……向こうには……そこの2人がいるんだ……怖くは……ない……」
そう言いつつも手先が震えるのはこの寒さのせい、ということにした
「何か他に言い残しておきたいことは?」
「……勝て……プラウダにも……黒森峰にも……大洗女子学園は……残すんだ……絶対に……船底を……守るために……
ラム……カトラス……お前らに……会えたことを……忘れはしない……私の元にくるの……暫くの……楽しみに……させてくれよ……
この身体じゃ……暫く……酒は……必要なさそうだ……ま……向こうで……楽しめるかは……分からないけどね……
西住さん……これでいい」
私は側にあった、冷たくなりつつある桶の水で手を濯ぎ、素早くハンカチで拭った。そのまま手に取った銃を両手で構え、彼女の頭へ向ける
肩から腕、そして照星から先は確実に照準を定めていた
「……ははっ……こんなちっぽけな……もので……本当に……死んでしまうとはね……」
彼女と目が合った。いや、正面から私が構えているのだから、合うのは普通だ
だがその時、手から力を抜こうとする外圧が、背中全体を駆け巡った。思わず銃口を下げる。違う。彼女は受け入れている。そして私に委ねている。あの時とは違う。違うんだ
「……西住ちゃん?なんなら」
「いえ、私がやります」
この苦を生涯の中で味わうのは、私だけでいい
「お銀さん、目を閉じて頂けますか?」
「……お安い……御用さ」
よし、黒い焦点は消えた。これで撃てる。
一呼吸置いてから両手で彼女の正面、脳味噌を確実に1発で貫けるように構えた
「……結局……役立てなかったなぁ……」
最期の言葉は聞かなかったことにした
この銃にはサイレンサーなんて高性能なものは付いてない。すぐに周りの者に結果は知れ渡った
第74回戦車道大会公式記録
大洗女子学園犠牲者
園 みどり子
プラウダ 凍死 頭蓋骨破損による脳損傷
栗下 良華
プラウダ 銃殺 頭部前方から後方への貫通による脳死 即死
こちらに来る者の大半は目の前の光景に気づくや否やすぐに目を逸らしてしまう。話し掛けてくるものはない
銃を足元にそっと置き、両手を合わせる。ただ感謝を込めて。第三者を介在させる必要もない
「……彼女の意志は尊重されました。先程のお二方と同様、包んで並べてあげましょう。
同時にラムさん、カトラスさんを他車輌へ振り分けます。人数的に運用不可能なマークIVは放棄します」
残ったのは操縦手と砲手か……専門職すぎて車輌を放棄させると使いづらいな……仕方ない
「ラムさんはアリクイさんチームの通信手、装填手を。カトラスさんはカモさんチームの37ミリの砲手と通信手をお願いします。
流石に弾は使えないので、明日以降実戦でのカンの把握をお願いします。メインは75ミリの方で」
おかっぱの2人を見やったが、どうやら2人をターゲットにした話だと気付いてないらしい
「金春さん、後藤さん、よろしいですか?」
「……は、はいっ!」
よし、言質取った。船底の人たちと組みたくないなんて言わせる気は無い
誰も何も言わない。会長さんら決定を受け入れた人たちは事情を理解してくださっているからだが、他の人も同様なのだろうか
お銀さんの遺体は私と会長さん、河嶋さんの3人で黒い布に包み、ムラカミさんの脇に加えられた
夜を迎えた。夜襲への警戒も兼ねて、交代で休息をとることにした。建物の中には雪がしんしんと降る音と、暖炉の上のやかんが煙を蒸す音、そしてその暖炉の火が跳ねる音のみがこだます。やかんの注ぎ口から直に煙が登っているように見える
起きているものは暖炉の周りに群がる。短期的なスパンで起床と就寝を、座りながらにして繰り返している。外はもう吹雪こうとはしていなかった
明日、緩む
広報部より報告
内容
大洗女子学園の動向
同校からの報告によると
「彼女の望むことを」
を
「勇敢な斥候の重傷」
に対し選択したとのことです
今日はここまでです
しばらく新疆に行ってて何もできんですまんやで
お詫びに今日中にプラウダ編終わらすやで
~
弁護士はね、ピンチのとき程ふてぶてしく笑うものよ
「逆転裁判」より
~
12月7日、プラウダ学園地域遠軽部生田原分部水穂 プラウダ高校陣地
昨日とはうって変わった快晴の空に、鋭く靴が差し込もうとして押し返される
「よし!よく凍っているわ。1日無駄にしたけど、これで戦車は十分に機動出来るわね」
同志カチューシャは凍った地面を何度も蹴る。やっとのことで氷は割れ、鈍い音に変わる。そのまま踏み潰された氷はパリパリとヒビを辺りに走らせた。
確かに夜は冷えた。お陰で氷は固く、履帯で踏み固めながら走る程度は可能だ
「はい」
「ノンナ、クラーラとニーナの部隊は?」
「無事昨日朝向こうを出港しています」
「そう。今我が校に動ける戦車は何輌あるかしら?」
「はい。呼び寄せた分を含めると、331輌中現在240輌が稼働可能です」
「全部集めなさい。1輌残らず」
「は?」
予想外の指示に思わず変な返事が漏れ出る
「大洗なんて黒森峰の前座にすぎない。一瞬で方をつけるわ。その為にも圧倒的な数をそろえなさい。地域の力の差を見せつけるためにね」
「しかし、準決勝は15輌までもいうルールですし、少し離れた場所に予備として待機させている車輌もあります。それらを試合開始までに呼び寄せて稼働させられるか」
「ノンナ!」
同志カチューシャは私なんかの言い分を叫んで無理やり止める
「忘れたの?戦車道は強豪校の都合自体がルール!そして圧倒的、徹底的な殲滅戦こそがこのカチューシャの戦い方なのよ。すぐに乗員をかき集めて出発させなさい!練度は問わないわ!」
「し、承知しました」
そう指示されたのならば致し方ない。現地に来ていたプラウダの高校生のほぼ全てを、脅し気味にかき集めさせた戦車の中に押し込むことになった。中には戦車の中に入ったこともない人間さえいたが、気にしないでおく
そう、次に向けてこちらが本気で黒森峰を潰す気であることを示すまたとない機会だ
試合開始のホイッスルの直前に到着した戦車のエンジンが温まるのを確認してから、一面に広がる大平原の中、彼女率いるプラウダ高校戦車道部隊240輌は悠々と南進を開始した
「ノンナ、話はついてるわね?」
「はい。あのクソ野郎さえ通さなければ問題ないようでした。条件こそ出されましたが、連盟はこの件には介入しません。それにあちらも『時』に向けて動き出す模様です」
「でしょうね。連盟だって国の意向には逆らえないでしょうし、この運営が逼迫してるのも誰より知ってるしね。だとしたら今ならギリギリこちらに乗るはずよ」
「流石は同志カチューシャ。しかしあの国の意向に乗っかるのが納得いきませんがね」
「ノンナ、学園地域の利のためよ」
「分かっています」
♪Blossoming beautifully apple trees
A dense fog over the river
IS2から上半身を出した私は、黒い長髪の隙間を流れる大いなる風を感じながら、『同志カチューシャ』の冒頭を奏で始めた
♪Young Катюша go beyond the ground
which is fruited and majestic
♪Young Катюша go beyond the ground
as a leader of the common students
それにT34/85に乗る同志カチューシャが丸いキューポラを真ん中から開き続く。堂々と、正面から突き当たる風と巻き上げられた雪なぞ、我らの声さえ阻めない
♪The grandeur of Mt. Iwaki
The vast extent of sea in Tsugaru
♪Young Катюша fact powerful enemies
as far as she is still there
♪Young Катюша fact powerful enemies
like a fort of equality and free
♪Thousands of motivated workers
The young people who have great hopes
♪Young Катюша has a noble spirit
to which she succeeds once comrades
♪Young Катюша has a noble spirit
May Pravda last forever
歌が進むに連れて車長が次々と歌に加わり、最後の繰り返しが終わる頃には240人の雪上大合唱祭と化していた
?「大軍じゃ分かりません!数えなさい。何輌ですかッ!」
無線機の前で語気を強める様に、建物内に緊張が走る。この緊張は程よいを通り過ぎているぞクソッタレが
「申し訳ありません。雪煙で全体がよく見えませんが、200輌から300輌であります!」
ここから少し西にある高台から優花里さんが報告してくる。その声も無線越しであることを考慮しても余りに震えており、途切れ途切れだ。嘘をつくとも思えない
そのうえ外の天気は快晴。雪煙で見えない部分があったとしても概算から大きく外れるとも思えない。今日動くとは分かっていたが、この数は予想をはるかに上回っている
「西住ちゃん、どうする?」
「みぽりん!」
「西住さん!」
視線を下に向け、頭の中で必死に駒を動かす。この大軍と戦わない……という道は、ないな。そしてここに立て籠もるのはない。ここを要塞とするには立地も悪く、時間もない。だとすると手早く要塞となる地に移動するほかなし
考えをまとめると、無線機を置いていた机に地図を広げる
「ここはすぐに包囲されるので放棄しましょう。地形的に有利な背後の高台に移動して迎え撃ちます。これだけの戦力差なら相手も小細工はしてこないと思います」
「え……相手がルール無視してるの?」
「……足して割って250。これでプラウダの全力じゃないんだよなぁ……」
「……少なく見積もっても200輌対6輌って……少しくらい地形が有利でもどうにもならないよな……」
理解不足なものも、その裏をも理解している者も緊張の面持ちの中で、河嶋隊長が口にする。小山さんの顔も恐怖か怒りかその他の感情が混ざり合うものとなる
「ジャッジ!抗議します。準決勝は15輌とルールに記されています。これは明らかに反則です。直ちに試合を中断してプラウダに警告してください!」
いつもおっとりした感じの小山さんが手にあるルールブックを叩き、ロから堰を切ったように言葉を溢れさせる。しかし審判は小山さんから目線を逸らし、微動だにしない
向こうについた、か。こちらは見捨てられたかな?そりゃそうだ。プラウダと大洗じゃどっちの話に乗ったほうが得かは一目瞭然
「やだもー。何なのよこの人達!無茶苦茶じゃない。一体どうなってるの!」
簡単だ。強いやつの尻馬に乗る。弱きものの摂理だ
しかしこのムードじゃいかんな。どうにかして場を上昇傾向にしないと。確証はないが言ってしまうか
「み、皆さん、落ち着いて元気出してください。まだ私に奥の手があります!やられると決まった訳じゃありません!」
「そ、そうか、西住!まだ望みはあるんだな!」
「兎に角高台に移動します。エンジンをかけてください!」
私の一単語を信頼してくれたのか、陽気気味な顔を連れて皆は自分の車輌に向かう。無線機を通じて、優花里さんとエルヴィンさんにも急いで戻る様に指示した
さて、こういう時は悪いパターンも想定しなくてはならない。それでトントン……いやそれはきついか、でもそれくらいにはしておきたいなぁ
エンジンのかかった車輌たちは建物を出て1列になって高台に向かう
「西住ちゃん」
最後尾から2番目になるIV号のキューポラから身を出すと、会長さんが私の左手と肩を握りながら声をかけてきた
「本当は、奥の手なんてないんだろ。だってウチは……」
いきなりなにを言ってくるんだ。学園都市の主人がそんな弱気でいいのか?
「会長さん……ここの近くの紋別学園都市はプラウダの同盟校。それどころか東北海道の学園都市の殆どがプラウダの同盟校です。その地縁もありますので……ただ……」
エンジン始動の報告をしようとしていた優花里さんが横のハッチから不安げな顔で見つめてくる
「私が今まで一度でも会長に嘘をついた事がありますか?」
嘘だ。私はこれまでは勿論、今も重大で、重要な秘密をひた隠しにしている。しかしそんな私の言葉でも何か伝わることがあったのか、傍の優花里さんは詰まった嗚咽を漏らす。会長さんも目元を手袋で拭う
「ははは……まったく……みんな我慢しているってのに、つまんない事聞いちゃって……生徒会長失格だな……」
優花里さんに少し待つよう伝えた後、正面を向き直る
「よっしゃ、任せた!頼むぜ、参謀!」
その直後、背中が力強く叩かれた。そのまま彼女はIV号から飛び降り、河嶋さんの背中を経由して自分達のヘッツァーに乗り込んでいった
何だったのか、今のは
一瞬あっけにとられたが、気にする暇はない。今この時も刻一刻とプラウダの大軍は我らを食らいつくさんと向かってきている。一息吐いて移動を開始させた。それに殿としてヘッツァーが続く
建物の入り口には3つの黒い仲間の遺体が取り残されていた。それらが帰りを待っているのか、向こうで待っているのか、それは誰にもわからなかった
その間にもプラウダ戦車道部隊は南進を続けていた。シベリアの雪上を移動するトナカイの群れの如く
「ノンナ!」
「はい」
並んで走行するT34/85の車長である同志が声を掛けてきた
「やはりあそこの高台に登っているわね」
「ええ。西住流、お前は間違っていない。我々が15輌であれば、な」
一度視線を彼女から山裾へ向ける
「こういう時は相手に見つかったら終わりなのよね。ま、でもそう動く他ないんでしょうけど。で、前衛は彼奴らにしてあるわよね?」
「勿論です。後ろに下がろうとしたら前を撃って良いと精鋭には伝達済みです」
「そう。あ、そうだ。ノンナ、一度列を離れて静止射撃していいわ。あそこに榴弾一発行けるかしら?」
「あそこですか……撃ってもいいですけど、距離3000はありますから、ほば当たりませんよ。そもそもIS2は装填弾薬28発しかありませんし」
「6輌を潰すのに、28発も必要なの?ノンナ
それにこの数よ。当たらなくてもいいわ、脅しくらいにはなるでしょう。プラウダに堂々と対抗することの愚かさを奴らに思い知らせてやりなさい」
「……分かりました」
IS2は群れから右に外れる。ある程度進んだところで静止し、照準器に氷の如く冷酷な目を当てる。脳の中で激しい数字の変換が行われる。この砲身の歪みを考慮すれば、狙いは定まったはずだ
それが終わった時、私の指はトリガーを引いていた。十秒ほど宙を駆け抜けた榴弾は大洗の戦車隊を確実に狙っていた
~
プラウダ学園地域がプラウダ学園都市であった頃、人口的に勝る学園艦出身のロシア人と、経済力に勝る津軽地域の日本人の調和が図られた。その結果が公用語を日本語、ロシア語のどちらにもせず、英語とすることだった。
プラウダ学園は小学校は共通語各言語に応じて建設されているが、中学校以降は各分校及び本校の英語教育に集約され、高校、大学はプラウダ学園都市にさらに集約される。
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わたくしたちは この海をひらき 原子の火を育て 水と緑を愛する 健康で明るい 大洗の町民です
1.めぐまれた自然をまもり 美しいまちにしましょう。
1.教養を深め 文化の高いまちにしましょう。
1.仕事にはげみ 活力のある豊かなまちにしましょう。
1.きまりを守り 住みよいまちにしましょう。
1.思いやりの心で 楽しいまちにしましょう。
『大洗町民憲章』
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先頭からIII突、B1bis、ポルシェティーガー、3式、IV号、ヘッツァーが高台の稜線の裏側を目指して上昇していた。不意に聞こえる風を切る音、そしてその弾はヘッツァーの近くに着弾した。凄まじい爆風が辺りの雪を吹き飛ばす。ヘッツァーが爆風でかなりずれる
「カメさんチーム!大丈夫ですか?」
揺れが収まる前に、西住ちゃんからの無線が聞こえてくる
「小山、かーしま、無事かぁ?」
「は、はい……頭ぶつけましたが……すごい揺れでしたね……」
かーしまは無事。小山もこっちを向いてきた
「ん……なんとか3人とも無事だよ」
「よかった……ではそのまま上に登っってください」
「了解」
しかしヘッツァーは上には登れなかった
「あれっ?あれっ!」
小山がレバーを引くが車輌は右に回転を始める。前に進まない
「履帯外れたね、こりゃ。元が38tだし、38tは外れやすいからね……」
「カメさんチーム?」
西住ちゃんがIV号を止めさせ、キューポラから身を乗り出しているんだろう。枠に当たったような音が混じる
さて、履帯が外れたとなると、留まるか直すかしかない。だが私たちの後ろには高々と上がる雪煙が控えている。外で悠長に直す時間はどう考えてもない
車輌の放棄。それはない。この75ミリをプラウダに向けない。それは大洗の放棄と同義である
ここからは動けない。されど攻撃するしかない。そしてかーしまに砲は預けられない
母ちゃんごめんよ。ここで私の道は決まってしまったよ。ここで勝てば、西住ちゃんは決勝で勝ってくれる。そして、私は西住ちゃんの言葉を信じる
「ごめん、履帯が外れた。敵はすぐ近くに来ている。西住ちゃん達は早く上に登って!」
「えっ、でも……」
「早く!全滅する訳には行かない!奥の手をやるんだろ!」
返事はない。だがここで躊躇うのは無駄だ
「会長、距離2800です」
あと、何分あるのか。恐らく数分が命の中でここで立ち止まるのは、大洗の命を削るだけだ
「もう時間がない!わたしらはここで出来るだけ敵を食い止める!早く!」
「でも……そうしたら……」
「生とか死とか議論している暇はないんだ!君が気にやむ必要はない!私の判断だ!行ってくれ!」
私の目的、その為にここで私の命は必要となる。無為に死ぬ気は無い。そう考え待つことしばらく、やっと返事が返ってきた
「本当に……良いんですか?」
「ああ、構わない!私らが弾を引きつける!その間に前衛から削ってって!」
断言した。後顧の憂いも残して欲しくない。また少し、間が開いた
「…………上に登れる車輌は皆稜線に移動します」
「よし、よく言った西住ちゃん」
深く息を吐いた。これで一つはよし。あともう一つ。大洗に必要な人材は私の隣で震えながら待機している。無線は後で必要だ。一度外して、その人物の肩を左手で掴んだ
「かーしま!お前は脱出しろ!この坂を登ってどっかの車輌に入れてもらえ!」
「……はっ?し、しかし、会長と柚ちゃんが残るなら私も大洗女子学園の一員として、ここに残らせてください!」
そう言うだろうと思ったわ。船舶科の人たちを、特にお銀ちゃんを死なせた、とかでも考えているんだろうか
「馬鹿者!」
「確かに私は馬鹿です!しかし転校後トラウマに囚われないようにしてくださった大恩がある方を見捨てられるほどの大馬鹿ではありません!」
かーしまは手を握り締め、歯を食いしばり、黒光りする眼光を向けるこりゃー、めんどいね
「そうじゃない!隊長がそう簡単に果てるとか言うんじゃない!リーダーというのはな、そう簡単にいなくなって良いもんじゃないんだ!」
「そうしたら会長こそ我らの大洗からいなくなっていい方ではありません!」
「違う!戦車道のリーダーはお前だ、かーしま。この大会、うちらが優勝し、西住ちゃんに優勝旗持たせるまで、お前は死んではいけない!私は学園を残すための道はつけた!達成するのはかーしまだ!頼む!早くここから去ってくれ!」
私が死んでも、勝てば大洗は残る。されどかーしま無しに大洗戦車道は今年を乗り切れない。西住ちゃんとの両輪こそが大洗戦車道を成り立たせているのだから
「……駄目です……」
「我々生徒会は優勝させ、学園を残す為にやってきたんだ。誰かが決勝まで見届けない訳にはいかない!
西住ちゃんは優秀だ!だが彼女だけで優勝出来るわけじゃない!この凸凹な面子を纏めきれるお前がいたからこそ、ここまで来れたんだ!
西住ちゃんの心を真に支えられるのは戦車道で大事な人の死を経験したお前だけだ!だから頼む!時間がない!」
かーしまの頬を一筋の涙がつたう。決心が……ついたか?
「でも……柚ちゃん……は?」
「私は…さっきの爆発で足を痛めちゃったみたい。多分稜線の上まで雪の上を歩けないと思う」
小山は右足に手をかけながら呟く
「……かーしま、早く行け!」
かーしまはその場に棒立ちし続ける。駄目か。ならば仕方ない。どうせ死ぬ身だ
「どうしても行かないと言うのなら……」
胸元から九四式拳銃を取り出し、スライドを動かす。そしてそれの銃口を右のこめかみに当てる。これくらい怖くはない
「なっ!」
「会長!」
2人は驚きを隠さない
「私はこれの引き金を引かなければならない。1分時間をやる」
誰も動こうとしない。沈黙が車内を包む。その制限があと半分となった頃、やっとかーしまの口が開いた
「い、今まで……今まで本当にありがとうございました!私は必ずや大洗女子学園の存続をこの目で見届けます!」
吐き出すように叫ぶと深く一礼し、振り向くことなく外に飛び出していった。目で追う必要はない。
深く息を吐いてからこめかみから銃口を離し、銃を胸元に戻す。この命をプラウダと戦わずして散らす、それは有り得ないからな。
さて、では旅路に付き合ってもらう人を呼び出すか。そこにいる、ってことはその気なんだろうし、何よりプラウダに対しより多くの砲弾を撃ち込むには、いてくれた方がありがたい
「小山!こっちで装填やって!」
「私は足を怪我」
「嘘だろ?じゃなかったら怪我した足でアクセル踏めるものか」
「……やはりばれてましたか」
当たり前だろう。かーしまはあの頭にさらに混乱が追加されていたのか?
「なぜ残った?これは半ば私の勝手だ。生きたいなら脱出してもいいんだぞ?」
「……話し相手がいなかったら会長、暇すぎて冥土の干し芋。食べ尽くしてしまうでしょう?話し相手くらいにはなりますよ」
なかなかギザなことを言う
面白い。そこまでしてこんな私に付いてくるならば、優雅なツアープランナーになってやろう。砲弾まみれだけどな!
「フッ、よし頼んだ!片方だけで向きの変更頼む!」
「はいっ!」
「左右角は多分これで足りる!距離、もうすぐ1500!いくよ!」
「はいっ!」
小山が操縦席にてヘッツァーを緩やかに回転させる。その間に最期の挨拶をすべく、無線をIV号に繋げる
他の5輌は稜線の裏までたどり着いた。車体の向きをプラウダの戦車道部隊の方に向ける
「凄い……雪煙で向こうがほとんど見えない。まるで津波ぞな……何あれ!あんなのアリなり!」
ももがーさんが三式車内の不安を伝えてくる。ところがどっこい、審判が止めてないからアリなんだな、これが。死の接近。そう言っている間も雪煙は刻一刻と大洗側に近づく
「射撃開始の指示は出しません。各砲手当たると思ったら近い順にどんどん撃ってください」
そう、敵は幾度となく黒森峰に挑み続けた強豪。全力で、しかもこの数でぶつかってくる。恐らく捨て駒も混じっているだろう
つまりそれらが捨て駒である限り、局所的に損害を与える戦法は全く通用せず、本体含め全滅並みの大損害を与えないと引くことはしない。それに敵の車輌はT34/85が大半。外見から本隊を見分けるのは至難の技だ
今の敵までの距離は2000、もうすぐだろう
ゴマ粒から山椒の粒くらいになってきた頃、ヘッツァーの最初の1発が命中したらしく、敵の砲撃の対象は他の車輌から距離にして200メートル前方にあるヘッツァーに絞られるていた。何発もの砲撃の中ヘッツァーは確実に1輌ずつ仕留めていた
「カメさん以外の各車輌に通達。砲撃の合図は出しません。撃てると判断したら、各車砲撃を開始してください」
流石だな。相手が当てるのが下手か、走行間射撃のせいか。それらもあるが、何より会長さんが確実に当て続けているのは事実
「西住ちゃん」
「会長さん!大丈夫ですか!」
急な無線の繋がりが、敵車輌に向けられた集中を途切れさせる
「何とかね。敵が走行間射撃で助かってるよ」
話しながら狙いを定めた会長さんは砲弾を放ち続けているらしい
「でも、敵が近づいてきてる。そろそろダメっぽいね」
「そんな……」
彼女を次に持ち越す術がないことは分かりきっている。そして向こうはやる気だ。だがこの高潔でも清純でもないが最強の人物を救う手立てはないか、一瞬その思考が身体中を駆け巡る
「西住ちゃん」
「えっ?はい……」
その超特急を止めたのは、当人であった
「かーしまを逃したから、よろしく。そして私らをここまで連れてきてくれて、ありがとね」
今まで聞いたことのない、先ほどと似た声なのだが、意思、逆にこの先の全てを任せるという強引な委任が込められていた。少なくとも私が一瞬弁当に戸惑うほど
「……か、会長、こちらこそ……」
もう無線の向こうから音はしない。完全に、ヘッツァーは関係を断ち切ったのだ。これで一本の木綿クズほどの望みも消えた
「みぽりん……」
心配そうに沙織さんがこちらを見る。ためらいはあった。だが、合理的判断を下すのに3秒以上の時間はいらない
「華さん、撃てたら構わず撃ってください。優花里さん、装填早めにお願いします。数から見て、100は撃破しないと相手は引かないと思います」
「了解しました!」
「ひ、100……?え、そんなに……」
「いくらプラウダといえど、あの数全てに精鋭を乗せられるほど練度は高くありません。逆にそれだけ練度が高い人材揃いなら、黒森峰に9連敗もしないでしょう
かなりの割合で補欠や下級生、場合によってはそれ以外が乗っていると思われます。プラウダからしたら、ある程度の損害は許容範囲でしょう
しかしこちらは向こうが補欠だろうと精鋭だろうと、撃ち抜かれたら終いです。だから精鋭にダメージを与えるまで削っていくしかないんです」
「な、なるほど……」
「幸い立地的な優位は取れました。やれない訳ではないはずです。華さん、距離そろそろだと思うけど、どう?」
「はい、まもなく1500。撃ちます!」
砲尾から煙が立ち、優花里さんが次弾を素早く込める
「止まった!命中だよ!」
「次を。撃ち続けてください」
その砲撃を合図に稜線の上の全車輌が砲撃を開始する。やはり練度は低いらしく、前方に砲弾が落ちたことに驚いたのか急停車し、車輌同士がぶつかる様さえ見える
煙があちこちから上がり始めた。白いものも多いが、灰色や黒っぽいものもある。その下では何人か、私の知らない人間が死んでいる。だがそれを気にする人は、最早大洗チームにはいない。対してこちらは前方のヘッツァー含め損害なし
だが向こうにまだ200輌近く戦車が残っていることは事実。この戦場の未来は見通せない
会長さんの話で伺っていた河嶋隊長もなんとか稜線にたどり着き、倒れ込んだ姿でIV号の下にいた
「河嶋先輩!」
「……西住……か、会長が」
「レオポンチームに加わってください!通信手をお願いします!」
乗員数を満たしていないのはこれだけだ
「……分かった」
河嶋隊長は話を遮ったことには反応せず、背を向けてポルシェティーガーの方に向かう。きっとこの戦場で最も生き残り得る車輌だ
「レオポンチーム!河嶋隊長を車内に入れてあげてください!」
「分かりました!」
「全車、砲撃を続けてください!先ほどよりも接近してきています!」
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「……奇跡だね。小山」
「……はい」
敵先頭部隊、1200を切らんとする。この時もヘッツァーの砲はまだ弾を撃てる状態だった。近くに着弾したり車輌をかすったりする弾はあったが、致命的な命中弾はまだ無い
「敵10輌を斃さざれば死せども死せず、と思ってやってきたけど、まさかここまで大丈夫とはね」
また1発、敵車輌の側面に食らわせてやった
「小山さ、今ならあの時の西住ちゃんの気持ち分かる気がするわ」
「何時のですか?」
話しながらも小山は淡々と75ミリ砲弾を装填する。そして直ぐに私も狙いを定めはじめる
「おっと」
しかしその間にも辺りにはあらゆる砲弾が着弾し、衝撃波を撒き散らす。全く、また少し調整が必要だ
「アンツィオの前の、西住ちゃんが自分の身はどうなっても良いから降伏した方が良いって言った時さ
あの案は呑んだら間違いなく西住ちゃんはアンツィオか黒森峰に殺されてた。まさに十死零生だね。それだけの怨恨を抱えている。きっと私たちが知りようもないほどの
それでもそれで良い、みんなが助かればいい、って西住ちゃんは言った。あれに今の我々は似ているだろ」
「なるほど、不安とか、ですか?」
「違うね、むしろ開放感っていうか興味というか、面白い感覚だね、今まで味わったことのない」
再び砲身を凄まじい振動が襲う。着弾もその後近くにあった
「おお。今のは近いね」
「本当に落ち着いてらっしゃいますね」
「昔の哲学者が人間の行動は全て死の恐怖を紛らわすため、って言ったらしいし、多分それが関係しているんじゃないかな?知らないけど」
小山が弾の後ろを拳で押し込む
「なるほど。天国への興味、といったところですか」
「はは、知らないって言ったじゃないか。あ、ちょっと右で」
それを再び放つ。やはり車輌が少し傾いていたのか、それとも歪んだのか。弾は狙った車輌のとなりの車輌の装甲に弾かれた
「くそっ」
「ま、そんな時もありますよ。次です次」
「その次があるとは……」
離れた所に着弾する砲弾のなす揺れだけが、ここには伝わる
「……ありそうだね」
「でしょう?」
次は当てた。その次も当てる余裕があったから、砲塔との隙間にねじりこませてやった。
私たちはまだ生きている。そして死に様を決められる
「小山」
「はい」
「私は、大洗だと思うんだ」
「大洗、ですか……ま、そこまでの干し芋好き、得意料理はあんこう鍋。大洗生まれで大洗女子学園に在学、おまけにそこの生徒会長となれば、大洗そのものと呼ばれても問題ないでしょうね」
「……だから、私は大洗の一員として、悔いなく死にたい」
「と、なりますと……如何なさいます?」
なんだ。ここでできる、大洗の一員と示せる証。誰も知り得ない、ただこの場の2人だけが相互に知る、微かな存在証明
あるものが、不意に頭をよぎった
「……校歌を……私らの大洗女子学園の校歌を歌って……生きていたい」
「校歌ですか。歌い終われませんよ?」
「構わない」
他に思いつかないのだ
「それじゃ、一緒に歌いましょう。私も大洗の一人として死ぬのなら本望です」
「じゃ、歌える限り歌おっか。次撃ったら始めよう」
「安全装置よし!」
「このまま歌いながら装填よろしくね!」
その次の弾は破壊された敵戦車に阻まれたが、合図になることは変わらない
♪長峯の丘に 立ち返り
茂る木々ある 古墳に至る
春のつつじに 並ぶ松
平穏大洋 眺めたり
ああ 我ら ここに集いし
若葉の都 大洗女子学園
♪涸沼の川の 水清く
昇る海流 抗い進まん
磯浜陣屋の 大筒を
向けし相手の 手を取らん
ああ 我ら 望み果てなし
睦て励まん 大洗女子学園
♪原子の母たる 科学都市
ここを離るを 怯むことなし
学の独立 その維持に
あるは学徒の 奮闘ぞ
ああ 我ら 明日を創らん
大洗女子学園 我らが母校
「まさか歌い終われるとはね……」
こちらも歌っている間数発放ったが、余程相手が下手なのかなんなのか
「良かったじゃないですか。これで真に大洗女子学園に魂もろとも染まっていると示せたのですから
しかし……流石にそろそろ時間のようですね、会長。バレー部、うさぎさんチーム、猫田さん、園さん、フリントさん、ムラカミさん、お銀さん……みんなと磯前神社で会えますよね?」
引き金を思い切り引く。小山はもう装填しようとしない
「敵距離1000。来るね、そろそろ。大丈夫、きっと会えるさ。後は任せた、先に待ってるよ、みんな。我らの母校、大洗女子学園よ永遠なれ」
戦車を跨げば稜線のある方に視線を向けた時、無慈悲にも削れていたヘッツァーの左側面を85ミリ徹甲弾が撃ち抜いた。爆煙をあげて周りの雪を溶かし続ける車輌から出るものは居なかった
第74回戦車道大会公式記録
大洗女子学園犠牲者
角谷 杏
プラウダ 砲撃死 死体損壊が激しく致命傷は不明 即死
小山 柚子
プラウダ 砲撃死 死体損壊が激しく致命傷は不明 即死
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大洗女子学園学園艦は茨城県東茨城郡大洗町の飛び地の扱いである。実際に大洗町役場の出張所も設置されている。しかし学生自治の観点から、統治は大洗女子学園生徒会を主体に行われている。その上で財政状況に大洗町が介入することで、一応の支配関係が構築されている
だからこそ大洗町にとっても、学園都市の廃止は人口流出による税収の大幅減を招きかねない非常事態なのである
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再開します
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信ずる理由があるから信じているのではなくて、信じたいから信じているのだ
二葉亭四迷
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「ヘッツァー撃破!」
プラウダの主力が待ち望んだ報告が耳に入った
「やっとですか……」
「ノンナ副隊長、こちらも既に30輌近く損害が……」
「ですが残骸に身を一部隠しているせいか、損害が出る速度は落ちています。あとは主力が地道に沈めるのみです。IV号とポルシェティーガー、三式に攻撃を集中させなさい」
そう、実際2校の先頭同士の距離はもう1200メートルを切ろうとしている。しかも前方にいるのは、補欠やその他かき集めた者たちを含む余り上手くない者や、戦車道に所属していてもスパイの疑いがある者を集めた部隊、やられて当然だ。損害は損害だが、目的を達する支障となる程ではない
大洗が前に気を取られて対応しているうちに、後続の精鋭部隊の射程にさえ入れば、大洗の戦車は鉄くずと化す。そして数輌の損害が出さえすれば、向こうの戦力はガタ落ちだ
古今東西30倍をひっくり返して勝った戦いは指で数えるほどしかない。勝てる、今回は指に入らない。私を含め、プラウダ戦車道の幹部層はそう信じていた
それが目の前の精鋭の車輌の砲塔が、いきなりいくつも宙を舞うのを目にしたときの驚きは、想像を絶するものだった。何発もの砲弾による揺れで思わずバランスを崩す
その原因を察するのは非常に容易だった
アハトアハト
一撃でプラウダ戦車を穿つ威力、それと発砲音、どちらもこの仮説を証明するに足るものだった。そして向きと数からして、大洗の部隊ではない
「副隊長!右です!右の尾根から撃たれています!」
「何だ!」
右の物見窓から双眼鏡で眺めた先にあったのは、こちらから台形に見える戦車の群れ、それと茶色
「くっ……」
予想は無慈悲にも当たっていた、思わず拳を握り締める。奴らが、悪魔が、鬼畜生がやってきた
「黒森峰……」
ドイツ戦車の殻を纏った奴らの群れだった
「馬鹿な!黒森峰が……何故!」
理解が出来なかった。何故西住流を破門された西住みほと黒森峰が協力するのだ。黒森峰からすれば西住流の敵だからさっさと死んでもらうのが吉なはずだ
仮に我々を倒すために同盟しようとしても、決勝の方が継続など戦力的に大洗よりかマシな味方が参戦するはずだ。わざわざ今、ここで、我々を倒さねばならない理屈はない
だがまずは、同志カチューシャに、同志に確認を取らねば……
「無線を……無線をすぐに繋げなさい!」
カチューシャはその身に反して大きな決断を迫られた。尾根の様子を見るに、黒森峰は多くても20輌、大洗を倒せば試合には勝てるが、決勝で黒森峰と戦う為の戦力が削がれる。敵は既に我らの精鋭を射程に入れている。このまま大洗に勝利しても損害は計り知れない
ならば今の数的優位をもって、戦力的に上である黒森峰を殲滅し、その後右の尾根から大洗側へ進撃し、両方潰すのが得策。大洗だけなら、精鋭が削られてもその時点での残存部隊でも勝てる
被害は大きくなるが、黒森峰の重戦車部隊に横っ腹を見せ続けるよりは、大洗に見せた方がマシ。砲と車輌の質が違う
そして精鋭を削られた上で主力の残る黒森峰と戦っても……勝てぬ。そしてそれは私には許されない。勝利を、悪魔たる黒森峰からの勝利を、学園は求めている
カチューシャは手元の2本の旗を掴み、キューポラの外に飛び出す。車内の者からの呼び止めも気にしない
「全車右旋回!尾根の敵を撃破せよ!」
旗は黒森峰の方を向いていた。勝ちにより近いのは、どう考えてもこちらである
「突っ込め!ファシスト共を皆殺しにするのよ!狼共の血で尾根を真っ赤に染め上げてやりなさい!」
「ウラー!」
撃たれたことによる混乱はそこまで重症ではない。プラウダの車輌は次々に右に周り、黒森峰への砲撃を開始した。宿敵の壊滅を目指して
???黒森峰の試合はこのプラウダ対大洗戦が終わった後である。逸見エリカ率いる部隊はこの戦いで大洗を勝たせなければならなかった
決勝に大洗を連れてこい、それが学園長からの指示だった。その意味は勿論理解している。しかし彼女がここに来た理由はそれだけではなかった
「全車砲撃開始、左が精鋭よ!1号車から12号車までは左を、それ以外は右を潰しなさい!下手に車輌を見せるんじゃないわよ!」
「ヤボール!」
黒森峰の最強選抜部隊の88ミリが、一斉にプラウダ戦車隊を攻撃した。再び砲塔がいくつか空を舞う
「馬鹿ね、あんたら舐めすぎなのよ、あいつを。仮にも1年で栄光の黒森峰女学園SS装甲部隊の副隊長を務めたのよ。あの女が簡単に勝負を捨てる訳ないじゃない。ま、それでウチを頼ろうとするところが甘いわよね
でも条件は合った。動かない理はないわ。たとえあいつが学園の裏切り者だとしてもね!
腐った建物から来た劣等学校が調子に乗りやがって!お前らが隊長や黒森峰隊員にした仕打ちは10倍どころか兆倍にして返してやるからね!
敵の砲撃に怯むな!イワン共に確実に1輌ずつ地獄を見せてやりなさい!」
「に、西住さん……敵車輌が……」
左側面から当面の味方が現れてからしばらく、敵車輌が一斉に横っ腹を見せ始めた。まさに、まさにプラウダはデスバレー行きのレールに跨ってくれたのだ
「……敵部隊左へターンします!チャンスです!撃ち続けてください!」
叫ぶ。この奇跡が何分続くかわからない。今この隙を逃せばこの距離では勝ち目はない。エリカさんは来てくれた。熊本が私を求めているのだ。ここで負けるわけにはいかない
こちら唯一のアハトアハトも、突撃砲も、日本の中戦車も、フランスのエースも、そして私の乗る歩兵の母も、皆ロシアの量産車をまともな反撃なく潰していた
しかしそうしている間に、視界に収めていたIS2が砲塔から火を吹いた
「撃て!撃ちながら進め!撃ち負けるなッ!」
同志カチューシャは正面へと旗をふりかざす。私からの通信なぞ気にも止めてないようだ。丘を登り尾根を目指しながらプラウダの戦車は砲撃を行う
だが元から向こうが高台にいて、劣悪な照準器の上この凸凹地面。こちらの砲弾はなかなか向こうに到達しない。尾根の上で口角が上がるクソよりも下賤な女の様が、消そうとしても浮かび上がる
そしてその現実を示すかのように、プラウダの部隊は前進を阻まれ、悪戯に被害を生んでいる。それも先程みたく補欠やかき集めではない。精鋭が含まれている。如何に同志カチューシャが歯をくいしばろうと、状況は変わらない
私の乗るIS2も、いくら射撃の腕が良くとも残弾を考えると、そうバカスカ撃てる状態ではない。先頭にいた部隊は敵を減らせていない。後方にいた精鋭が敵に数発命中させているものの、撃破しているのはたった3輌だけだ。こちらはもう残り半分を切りつつある。通常の部隊なら壊滅状態だ。だが同志は進軍を止めようとはしない
これが本来の目的ではないはず。しかし今の同志は聞かない。ならば行動で、それに必要なことを示し、勝ちに近づく
「止まれ」
操縦手に声をかける
「はっ?しかし……」
「止まって正面の大洗を狙う」
「は、はぁ……」
言われた通り操縦手は車輌を止め、狙いを定め始める。距離は若干伸びて1500、狙える
「あーんもう、命中しているのに中々止まらないっちゃ!」
3式の照準器を覗きながらぴよたんが愚痴る
「ぴよたん変わるなり!私にも狙わせるっぞな!」
ももがーは2つ上の先輩に普通にタメ口である。しかしぴよたんもそれに反論する気配はない。75ミリ砲弾を装填し終わると紐を掴む
「はいよ、お二人さん。次の弾ね」
手の空いたももがーの手にラムから砲弾
「助かるなり!」
「なに、こんぐらいいいってことよ。あれから特に通信はないから、遠慮なく撃っていこうや」
「そうっちゃ!早く次次っ!今度こそは撃破してやるゥ!」
その時、IS2がその飛び出た砲身から122ミリ徹甲弾を発射させた。ティーガーの正面装甲をぶち抜く弾である。正面から食らった3式は、まさしく砕けるという語が適当な様子で撃破された。砲塔は車体から分離され炎をあげていた
第74回戦車道大会公式記録
大洗女子学園犠牲者
小鳥遊 一恵
プラウダ 砲撃死 死体損壊が激しく致命傷は不明 即死
桃川 郷子
プラウダ 砲撃死 死体損壊が激しく致命傷は不明 即死
西島 とうみ
プラウダ 砲撃死 死体損壊が激しく致命傷は不明 即死
「3式撃破確認!」
「200m移動後また撃つ。装填せよ」
「はっ!」
これで大洗はこちらの主力、最精鋭に捉えられ始めたと理解したはずだ。ヘッツァーは囮だろう。前衛との練度の差をあの西住みほが理解できぬはずはない
そして彼女の正面ではプラウダという現在の敵と、黒森峰という将来の敵が戦力を削り合っている。このままガチンコで戦わせ続けるのが、彼女が優勝するための最善策。そしてそれは彼女らが参加した目的の達成に必要なこと
ようは生き残れば良いのだ。それも戦力を残しつつ
これらの情報を組み合わせれば、撤退を彼女は選ぶはず。そしてそれはこちらにとっても側面からの砲撃を避けられる。戦力を同志の命ずる黒森峰に終結させることができる
同志の命令は変えられない。そして確かに同志の決定にも一理ある
装填と移動の完了まで少々時間があったため、後ろの物見窓から双眼鏡で外を眺める。やはり損害は大きく、煙をあげるプラウダの戦車達が視界の多くを占めた。そこから運良く生き残った者たちが車輌から這い出し、戦線を離れる
そこから先の彼女達の運命を、私は見てしまった。言葉を出すための声帯をその光景が固定した
会場の後方に1台のトラックと3人の男が見えた。恐らく同志が話を付けて呼んだNKVDの奴らだろう。一番厚手のコートを着た1人は立ったまま動かず、1人はPM1910重機関銃の後ろで膝をつき、残り1人は銃身に雪を突っ込み続けている
絶えず弾丸が発射され、逃げようとする者らを躊躇なく襲う。足、腿、背中、腹、胸、首、頭を撃ちぬき続け、地面に倒れた者はそのまま重機関銃の的と化す。地面は白から服の黒と隙間の紅に変わってゆく
同志は敗者に、脱走者に、彼女にとっての叛逆者に、死を命じているのだ
ただじっと人が止まっていくのを見続け、気がつくとキューポラから身を乗り出していた
「副隊長!外は危険です!」
車内の者が止めるが気にもとめず、車輌から飛び降り、煙にむせながら水の混じった雪原を一直線に駆けていた。時々足元を取られるが、転ぶわけにはいかない。こうしている間にも、人材が、プラウダの未来が……
「同志カチューシャ!」
目標はT34/85だ。キューポラから身を乗り出し旗で指示を出し続ける彼女に向け駆け寄り、背後から車輌に登る。相互の砲弾が風を切る
「おやめください。十字砲火の中突撃を強行しても無駄です!今すぐ停戦をッ!それか撤退をッ!」
旗を持つ人の両肩を掴む。しかし彼女の眼光は黒森峰を見据えている
「うるさい!」
振り向きざまの拳をぶつけられる。背後に弾き飛ばされる。戦車の排気口からの熱とかすかな痛みを背中に感じつつ、ただ次の言葉を聞くしかなかった
「突っ込みなさい!後退する者は地域の裏切り者よ。その場で射殺する!前進しなさい!戦車がやられたらモシンナガンを持って!それさえもない奴は、黒森峰の戦車に近づいて車長を殴り殺しなさい!」
左手の旗は正面に向けられていた。そうしている間にも1輌、また1輌とアハトアハトの餌食となるし、機銃の的も増えていく。その一言が私を本当に人にしてしまったのかもしれない
人として、ではない部分もある。ここにある人は、ここでさえなければ黒森峰のクソを殺せる者たちなのだ。そしてそれに必要な団結をみだりに崩した存在ではない。それを……それを自分たちで……
トカレフTT-33、私のポケットに入っていたそれ。弾薬は僅かなれど、最悪の事態、そして接近戦での防衛に備えて持っていた、本来は使わない方がいい代物。だがやむを得ない。この結果私が死のうとも、黒森峰を倒す助けになれば
それを、私は彼女の後頭部に当てた。接触させたのは、その銃口
「なんの真似よ、ノンナ」
「お願いします、同志カチューシャ……どうか……どうか命令を……同志ジュコフスキーの仰ったことをお忘れですか!」
本来の目的。これまで幾十年に渡り溜まりに溜まった恨みの全てを清算するために、私はこれを取ろう
「バカ者が、戦場でメソメソ泣いちゃって。ノンナ、お前も焼きが回ったわね」
自分でも気づかぬ間に大粒の涙が?を伝う暇もなく零れ落ちていた。全く彼女のその通りである。今の私の顔にはブの字も存在しない
顔は向けてこないが、いつもより低い声とその発言に鋭い視線の様なものを感じる。本気だ。信念とも言って良い
「カチューシャの命令は絶対よ!撤回はないわ!最後の1人まで突っ込ませなさい!生徒なんていくらでも補充できるわ!最大の、最強の学園の特権よ!
ここから生きて戻るのはカチューシャとノンナの2人だけでいい。ただし、戻ったらカチューシャに銃口を向けたペナルティは受けてもらうわよ。
分かったら残りもさっさと突っ込ませなさい。黒森峰を少しでも傷つけてやるわ。いや、距離さえ詰めてしまえば、勝てる!」
返事はしない。無言の涙が頬を駆け抜ける。彼女は何もせずその場に直立する
彼女は逃げも隠れもしない。その精神力はさすが皆の上に立つもの。されど、私は
「とっととやりな」
指が、動いた
先ほどまでの砲撃に比べ今回は接射だ。外しはしない
軽い爆発音が、周りのもの全ての耳を突いた。薬莢がエンジン上部を跳ねまわり、止まる。眼前に広がったのは、前に倒れ顔から血の池に突っ込まれた彼女の後頭部と背中、だった
ただそれを視界に収めるが、それさえ瞬く間に歪んでいく。車内の者は背後にいた人間が突然絶命したことに愕然となっている
これは、我らがプラウダの為……プラウダが永遠に続く繁栄の道を進む為
その死を確認すると、素早く振り返った
「ジャッジ?」
「試合終了!」
その合図がかけられたのはホイッスルの音と同時だった
「プラウダ高校の試合放棄により終了します!よって準決勝第1試合、大洗女子学園の勝利です!」
審判の声がこの土地に一時の平和をもたらそうとする。丘の下では煙が山の様に立ち昇り、全て風で南へ流されている
終わった、ようだ
ついさっきまで逡巡を繰り返していた私の頭は、叫びながら抱きついてくる優花里さんに何も反応出来ないほどに急停止を喰らっていた
「西住どのぉぉぉ!」
「……また、勝ったの?」
「嘘……」
優花里さんを除く皆も同様。だが少しの間を置いて、このささやかな肉の丘を包み込む叫び声が広がっていた。僅かな損害はもはや頭には残っていないらしい
プラウダに、勝った。これが今年の夏、そして去年の冬に聞けていれば……
いや、これ以上はよそう
「戦闘行為停止!」
「両校直ちに戦闘行為を停止してください!」
あちこちから笛の音と審判による声が響く。私のもつ力は、もう使い終わった。頭をだらんと反らせた彼女をキューポラがら引っ張り出して抱え、車輌の後部に立つ。視線の先は丘の上だ
西住みほ。こうなってしまった今、同志ジュコフスキーの提案を実施する為に彼女は必須の存在となってしまった
ふと、戦車の残骸を通り過ぎた丘の上と視線が合った気がしたが、丘の上から視線を外して車輌から飛び降りた
私は、同志をこの手で殺した。それだけだ。
地元生まれの、といっても津軽がプラウダとなる前の時代のことではあるが、作家がこんな言葉を用いていたな
『恥の多い生涯を送って来ました』
文学はロシアが至高、日本の言文一致などロシアの受け売り、だとは思っているが、これは強く印象に残っている
別に私がその主みたく心が安定しない奴だ、というわけじゃない。むしろ彼女に、学園に捧げてきた思いは変わらないし、きっとこのまま変わらないだろう。いや、逆に『学園に心を捧げてきた私』というものを信じたいだけなのかもしれない
実際、私の歴史は恥辱にまみれている。父を、母を、妹を、家族皆を殺した奴の娘に取り入って出世し、その過去を封じ込める為に、好きでもなんでもないNKVDの奴らに、下着を馬鹿にされながら何回も犯された。そしてまた、人生は最悪の恥とともにフィナーレを迎える
「……結局、裏切り者の子は、裏切り者。同志カチューシャ、貴女は私を信頼しすぎました」
プラウダの主力の残りがいた所の一角から聞こえたのは、静寂を破る銃声だった
「発砲はやめなさい!試合は終わりました!」
審判の1人が大声で注意する。近くのものは互いに見渡すが、返事はない。その音源たるモノに答えられるはずがない。自分の車輌の転輪に寄りかかるカチューシャとその足元でこめかみに引き金を引いたノンナしかいなかったのだから
第74回戦車道大会公式記録
プラウダ高校犠牲者
エカチェリーナ ウラジーミロヴナ イワノワ
大洗 銃殺 脳後部から額にかけて貫通による脳死 即死 ノンナ ニコラエヴナ ノヴィコヴァの持つ銃により射殺
ノンナ ニコラエヴナ ノヴィコヴァ
大洗 銃殺 右側頭部から左側頭部にかけて貫通による脳死 即死 自殺と思われる
◯大洗女子学園高等学校vsXプラウダ高等学校
被害 大洗3輌 プラウダ153輌
(大洗側同盟 黒森峰4輌)
プラウダ高校の試合放棄
試合中一度治っていた雪は、今再びしんしんと舞い始めた。私たちの所に1台の車輌が向かってくる。それは前で止まり、黒森峰の生徒が降りてくる。懐かしい。私も良く知っている顔だ
「失礼します。黒森峰女学園戦車道選抜部隊副隊長の小島と申します」
彼女、小島さんは頭を下げる。所属こそ違ったが、礼儀正しかったという記憶は間違ってなかったらしい
「大洗女子学園戦車道隊長の河嶋だ」
「副隊長の西住です。お久しぶりです、小島さん」
それと共に大洗側の2人があいさつし、たまたま周りにいた者も会釈する
「大洗の皆様、決勝進出おめでとうございます。逸見隊長から決勝はお互い全力を尽くしましょうとの伝言を預かっております」
雪がますますちらついてくる。次、ね……ま、礼儀正しさには礼儀で応じよう
「ありがとうございます。黒森峰の皆さんの同盟あればこそです」
嘘ではない。いや、これが勝利の根幹であるのは事実
「なお、プラウダの捕虜はこちらで引き取りますので、了解を得るように言われました」
「お断りします」
「は?」
はっきりと言ったその言葉に小島さんは思わず耳を疑ったらしい。だろうな
「捕虜の権利を持っているのはあくまで勝利校である大洗です。申し訳ありませんが黒森峰には引き渡しません」
「……それは今回の400人近い捕虜数と捕虜の管理費用が全てそちら持ちであるというのを理解なさっている上で、ですか?」
「勿論です」
彼女の言うことは正しい。大量のプラウダ捕虜に食わせる飯に必要な金があるなら、とっとと押し付けて戦車を補強した方がいい。そう考えるのも当然だろう
だが私には出来ない。現実を知る者として、それは許さない
小島さんはじっと見つめてくる。その意思は曲がらない、と分かったらしく、少し首を回し、視線を隊長の河嶋に移そうとする
「今大会に関する決定については西住に一任してある。西住がそう言うなら、引き渡しはしない」
「しかしですね……」
「2度は言わない」
「……分かりました。失礼します」
小島さんは仕方なさそうに頭を下げ、背を向けて車輌に乗って帰って行く。その場にいたあんこうチームのみんなと河嶋隊長の視線はその背中をじっと追っていた。やがてそれも雪原の奥の谷間に消えていった
「西住殿、どうしたでありますか?捕虜を取っても我々はどうしようもないでありますよ」
右脇から優花里さんが側に出てきた
「黒森峰の第2試合はこれからなのにもう決勝の挨拶とはすごい自信だな
しかしお前を信用して受け入れたはいいが、どうする気だ?向こうが求めるなら、今回の援軍の件を考えて、乗っても良かった気がするが
信用するから、その理由だけは隠し事なく教えてくれないか?それが……生き残るのに必要かもしれん」
信用。確かに重要だ。止むに止まれぬ理由でまとまらざるを得ないチームが勝てるほど、黒森峰の団結は甘くない
前に一度似たようなことを話したからか、果ては私がかつての私に戻りきってしまったからか、前みたいに倒れたりするようなことはなさそうだった
それに私だけ腰掛けるのも、皆に雪の上で座布団もなく座らせるのも、どちらも気が引ける
「皆さんすいません、ワガママ言って……まだ話してませんでしたね。私が黒森峰を去り、戦車道を辞めた、いえ、辞めようとした理由……」
「聞いたぞ?プラウダに虐待されたからじゃないのか?」
河嶋隊長の指摘に笑顔を見せようとした。しかし記憶が口角を上げるのを邪魔する
「いえ……確かにそれは辛かったんですが、自分のせいじゃない辛さです。苦痛で泣いても、終わればまた明るい気持ちにもなれます」
周りは少し近くの者の顔をのぞいていた。前に話を聞いているだけに、これまた飲み込める話ではないのかもしれないが、事実だ
「それよりも耐えがたい、日が昇るように何時までも思い起こされ続くもの」
華さんの顔に水滴が見える。雪が溶けたものでは無いようだ。きっと勘の良さを備え付けているのだろう。華道とはそういうものなのか?
「私が戦車道を辞めた本当の理由は……」
優花里さんが吐く息も白く染まる。周りを漂う霧の中から、私はまた嫌なことを引きずり出す。流石に本能が、足を震えさせ止めようとしてくる。五感も次第にあの場へ引き戻される
が、話さない意味はない。戦いの意味の一部はここにあり、1番長く生きるのは私ではないのかもしれないのだから
アインザッツグルッペン(特別行動部隊)
私は見てしまったんです
黒森峰が戦車道大会に君臨していた9年間敗退した相手校に対して行っていたことを
私が加害者だったということを
あの悲劇と匂いを知ってしまったんです
広報部より報告
プラウダ学園の動向
内容
同校からの連絡によると
「指導者の死をもって終焉としよう」
を
「準決勝の大損害」
において選択したとのことです
大洗校歌
もうすぐ始めますよー
~
最後まで生き残る者は抵抗力の強い人間であるから、彼らに対しては『相応の対応』が必要になる。
ラインハルト ハイドリヒ
~
宿舎から10分走った所、有刺鉄線で囲われた禍々しい所でバスは止まり、歩哨のいる門の前で降ろされました。そこは肉が腐った、思わず眩むような臭いが立ち込めていて、咳き込みながら持っていたハンカチで口を塞ぎました。それでも臭いは抑えきれません
すると門から男が出てきました。その男こそ今回の戦車道大会の実行委員長の北野です。教官とかと似た服を着ていますから、普通に見ればただのおじさんです。周りの臭いとハエと異様な雰囲気さえなければ
「こちらは特別行動部隊施設所長の北野氏だ。全員、敬礼!」
教員の号令とともに私たちは右腕を空に伸ばしました。出来ればその手は鼻や口をふさぐのに使いたかったんですが
「ようこそいらっしゃいました。黒森峰女学園の偉大なる戦車道隊員の皆さん。所長の北野です。皆さんほど華々しくなくとも我々もプラウダソヴィエトの絶滅という目標に向け日々努力しています。今日はその成果をしっかりご覧になってください」
私の他にも何人かが鼻や口を塞いでいました。目もそれを拒否するらしく、涙が止まらない人もいました。それを見た北野が急に笑いだしました
「到着する前から匂っていたでしょう。こればかりは防ぎようがないので。なに嗅覚はすぐに麻痺します。我々はここで飯すら食ってますからな
あまり私の後ろから離れないでください。ここも広いですからな。それに迷われたりしたら、私の責任問題じゃすまないもんでね。未来を絶たれるのはプラウダの野郎だけで十分です。では行きましょう」
北野はゆっくり背を向け歩き出そうとしていました。教官が私達を並ばせ、語りました
「いいか、これから見ることは一般生徒や父兄も知らないことだ。だが我が校の未来を背負うお前達はこれらの意味を理解しなければならない」
「はい!」
舗装は特になく、建物の周りを含めて土は丸出し。入り口の近くは僅かな警備がいるのみ。逆にその手薄さが不気味でした。ですがその奥へと進まざるを得なかったのです
歩いているとある人から水溜りに踏み入れるような音がしました。その人が足を確認すると靴から赤い液体が垂れていました。その足元の赤い流れの源は死体が積み重ねられた所の血の池でした
「ああ、埋めるのが間に合いませんでな、置き場所が無いんですわ。試合があるといっつもこうです。ま、この先もちょくちょくあるんで、滑らんように気いつけてください。特に内臓は滑りますからな」
建物の脇の血の池と反対側に視線を移すと、縦縞の作業服を着せられたプラウダ生が、リアカーで運ばれた味方の死体を深く広い穴を掘って埋めていました
「……それにしてもいつ来ても強烈な臭いだな。目にまで染みる」
教官は目を軽く抑えていました
「埋めた死体が腐ってガスが発生するんですよ。やる時はいっつもこんなんですわ。こんな場所だから換気もクソもありませんしな」
淡々とその光景を前に2人は話します。血を踏んだものは壁際に走って行き嘔吐を繰り返し、姉も吐き気を催したようで口を抑えていました。そしてその吐瀉物も、別の流れとして血に合わさって、穴の中へと流れていきました
ふと、その穴を掘り死体を埋めるプラウダ生を監視していた者がポケットから酒瓶を取り出し、それをラッパ飲みします。一気にある程度飲んだあと、大きく息を吐きます。ビンの様子を見るに、その中身は容易に推察できました
「勤務中に酒を許可してるのか?」
「はい、ここの環境は最悪ですが、酒だけは自由に飲めるようになっています。ま、プラウダの奴らからかっぱらったウオッカが真っ先にはけますな」
北野自身もポケットから水筒を取り出し、キャップを外し、乾杯するように教官のほうに上げます
「酒を飲まない奴はすぐにノイローゼで頭がおかしくなってしまってしまうんですわ。教官さん、あなたも別で酒を用意しますから一杯どうです?」
教官は手のひらを其奴の顔に寄せ、生徒の前だから、と断っていました
すると私達の前を縦縞の作業服を着た女子がすぐそばを死体を大量に載せたリアカーを引いて通り過ぎていきます。その顔をつい最近見たことがありました
「お姉ちゃん、あの娘……私達に投降したプラウダの戦車兵です」
姉はその光景から目を背けていました。その姉の袖を軽く掴み、少々無理にこちらに注意を惹かせます
「いや……全く記憶にないがそうなのか?」
「はい、間違いありません。人の顔や名前はよく覚えているんです」
「そうか……」
そのリアカーは掘られた穴の前へ運ばれて行きました
次に北野に案内されたのは1階建てらしいのですが、そうは思えないほどとても高く広い建物でした。そこの扉が縦縞の作業服を着た人に閉じられ鍵がかけられると、轟音がなりました。飛行機のエンジンのような音です。それをすぐ近くで聞いているような感じです
暫くただその音を聞いた後、鉄の扉が重い音を立てて開き、中から人が大勢倒れこんできました。何重にも重なり、喋ることはありません。北野からそこから出てくる煙は吸わないようにと言われました
日が傾いてきた頃、作業服を脱がされたさっきの女子が穴の中に他の数人の者とともに立たされ、間も無く数発の銃声がそちらに向けられます
「こうして朝会場近くの仮置き場から移送され1日働かせた者は夕方に処理し、翌日朝にまた作業員を選びます。これを期間中に数度繰り返して、全員処分します。その間飯らしき飯は用意してません。ま、最後に処分する奴は大概爪や唇がひでぇことになってますな。場合によっちゃ歯型があることすら……」
「食事も寝床も必要なしか。効率のいいことだ」
「恐縮です。住処は移動用の貨物車ですしな。ところでお連れの隊員の方達はいかがなさいました?」
北野は辺りを見回します。
「向こうで泣いている」
「しょうがありませんな。ここを訪れた者は男だろうと女だろうと初日はああなります。ま、慣れですな、慣れ」
建物の裏でみな座ったり壁に顔を伏せたり立ったまま涙を流し続けました。私と姉はお互い強く抱きしめ合い、姉は声を堪えつつ、私はその胸に顔を埋め、号泣しました。醜聞もなにもありませんでした
教官は顔の歪みに歪んだ私たちの前で以上のことを説明として加えると、私たちに試合に臨む精神力が足りない、と叱責して帰りのバスに押し込みました
次の日、12月8日の朝
遠軽町 大洗女子学園陣地 捕虜収容所
河嶋が南京錠に鍵を挿し込む。そのまま高い金網でできた扉を、ギイと力を込めて押し開く
「よーし、出ていいぞ、みんな。我が校は諸君らを解放する。学校なり家なり、好きな場所に帰るがいい」
体育座りのまま俯く者たちに告げる。するとその前にガタイの良い2人の女が近づき、立ち塞がる
「むっ?」
「大洗ッ!汚い手を使って同志カチューシャを死に追いやったお前達をこんな事で許すと思っているのか!お前らの温情など断固拒否する!」
カチューシャの忠臣、政治委員である。彼らもきっと戦車に乗せられて、たまたま生き残ったのだろう
「ああそうかい。私も言われたから開けに来ただけだ。居たけりゃいつまでもここに居ろ。だが帰る金をやるんだから、ここでは飯はやらんぞ」
「黙れ!政治委員!」
後ろの隊員が立ち上がり、叫ぶ
「出してくれるんだ!余計な事言うな!」
「大洗に感謝します!」
「さあ、出よう出よう!」
「帰ろう、プラウダへ!」
騒ぎはますます大きくなる。後ろへ、そしてまたその後ろへ。その立ち上がりの波が数百人程度に波及するまで、時間はかからなかった。なにせここにいても飯も何も出ないのである。もう命の危険はない。帰ったほうが何倍もマシだ
「な、何だと、貴様ら……」
「スパシーバ」
「スパシーバ大洗」
そう言って河嶋の開けた扉から、礼を述べつつ次々とプラウダ隊員が外に出る。前に出ていた2人は止めようとするも、その流れは止められるものではない
やがてその2人も喰いかかろうとするかのような河嶋の覇気の前に、舌を鳴らして引き下がるしかなかった
「何か……釈然とせんな」
広がる無人の捕虜収容所を見渡す。先ほどまでの喧騒はすでになく、仕事と呼べるものはここを明け渡した上で、学園にある資産を元手に帰宅資金を用意し、彼らに渡すのみだ
「まあよろしいではないですか。西住副隊長たってのお願いですし、何よりカネはかけたくないでしょう?」
共に来ていたエルヴィンが帽子を整える
「まぁな……しかし、これを見る限り、あのカチューシャ独裁政権も終わりか……」
「元々黒森峰打倒を目指していましたから、こうなってしまった以上仕方ないのではないですか?」
「それもそうか。そうなると……このままプラウダと黒森峰の対立は続くわけか……果たしてこの先、生き残っても学園はどうなるんだろうな」
「……恩は売ったとはいえ、親プラウダで立ち回るのは無理そうですね。ま、勝ってから考えましょう。いよいよ次は決勝ですしね」
「……ああ、そうだな」
会長なら……と考えようとしてやめた。しばらく涙は必要ない
12月8日の昼に出た列車は、丸2日かけて旧熊本県嘉島町にある黒森峰女学園に向かう。決勝戦会場は黒森峰女学園の南東の森林地帯と高台である。黒森峰が相手を呼んで試合を行うときは決まってここだった。地形や風の通りなど、状況は今でも詳細に思い起こせる
本州を日本海側と瀬戸内沿岸を通って縦断し、関門トンネルを越えて熊本から豊肥本線に直通し、水前寺から黒森峰支線に入る。健軍本町、秋津を通過し、到着するのは黒森峰駅貨物ターミナル。やはり戦車の積み下ろしがある為、旅客ホームに入れないのだ
ホームがないため乗降口には梯子が取り付けられ、それを降りて久々にこの地を踏んだ
「ここが……黒森峰。西住殿の生まれ故郷。立ち並ぶレンガの建物。戦車マガジンで何度も見た通りであります」
「んー。やっと着いたのね。しっかし、ホント長かったぁ~」
感動し辺りを見回す優花里さんの傍で沙織さんが大きくのびをした。そんなご立派なモンでもないぞ。ただ玄関だけは立派にする貧乏人だ。それにレンガだって外観だけだ。中や裏にゃ大概鉄骨が通ってる
暫くして河嶋隊長と小山さんからの指示で戦車を降ろす作業が始まった。とはいえ軽く戦車の確認を取った上で、連盟から指定された場所まで移動させるだけだ。あとはここで車輌内部の確認、弾薬の補充などが済まされ、明日の戦線に投入される
あとは乗員に関して一つ動きがあった。やはり風紀委員と船舶科の息が合わないらしく、カトラスさんと河嶋隊長の入れ替えを要求してきた。あの時返事したからそのまま押し切ろうとも思ったが、河嶋隊長が足並みが揃わなくなるのは良くない、と交代に応じたため、止む無く私も認めた。交代させたんだから、明日活躍しろよ
その日の夜、泊まった建物は欧米調の立派なものだったが、部屋は全員同じ和室の大部屋である。17人が布団を並べる。因みに隣とさらに隣の大部屋2つも空き部屋だが、使いようがない。この部屋1つでも空きスペースがかなりあるし、わざわざ離れ離れになる理由もない
夕飯はそこそこまともな代物が出た。一応プラウダ潰しに協力した縁もあるのだろう。腹にも溜まったし、何よりそこそこ美味かった。珍しい
で、夜寝ることになったのだが、あの乗り心地の悪い車輌も戦車より遥かにマシと思えばなんとかなるもので、車内で爆睡を続けていた私にはあまり眠気は残っていなかった。ま、それ以外に寝る気がしなかったし、眠れなかったというのもあるが
さて、隣の優花里さんであるが、こちらも私と同じく眠れないらしい。列車のなかで私ほど眠れていたようには見えなかったが、それでも眠れないのだろうか
目を開けたまま天井を暫く見上げていたあと、ごそごそと布団を抜け出して自分のカバンをさっと漁り、紙とペンと厚めの本を取り出して、その本を下敷きがわりに何かを書き始めた
何行か書き続けたのち、その内容が不満だったのか、その紙を置いて枕に頭を突っ込んだまま悶えている。厨二病か
以上、小動物優花里さんの観察日記でした
もはや可愛いは通り過ぎている気がする。出会った日に殺しかけようとした時の姿はもうない。ぬひひ、このまま眺めていても良いのだが、そのまま気怠げに天井を眺め始めたので、今度は私から動いてこの可愛いさを堪能することにする
「優花里さん……」
彼女の右から声をかける
「は?あ……すみません。音しましたか?」
「いえ……あの、そちらの布団に行ってもいいですか?」
「ええ!……あ……も、もちろんであります!」
急に言われたことに驚きはあったようだが、すぐに紙と本を枕元に置いて布団を捲り上げてくれた。そうすると隣からのそのそと入っていく
近い。近い。本当に近い。同じ布団に入った2人が顔を見合わせているのだから当然といえば当然だ
「フフ」
この時はまだ私の方が余裕があると思っていたし、どう見ても向こうは慌てていた。だがゆでダコの触手が手に触れた時、私の手が細かく震えていたことに気づいた。向こうの表情は驚き。ホントに分かりやすくて助かる
何故か。戦場、敵、そしてそれが示す運命
この震えの原因は一つしかない
そうか。私は分かってしまっているのだ。そこにいたが故に
「みっともないでしょう?私……死にたくない。明日の試合が怖くて、手が……震えてしまうんです」
「そ、そんなの当然です!誰だって死ぬのは怖いであります!」
思わず半身を跳ね上げる。そうだよな。だが私がその感情を持っていること、それが何よりも恐ろしいのだ
「だから、こうして人の近くにいれば、治って眠れるかなって」
その隠匿に比べりゃ、このぐらいの嘘は遥かにマシな代物だろう
見合わせたまま視線をそらそうとはしない。気をそらそうと辺りに耳を傾けようとすると、周りから小さいが淫猥な声がする。場所は一ヶ所からだけではない。彼女の顔が赤い理由も、一部はそこにあるだろう
「えっ……と、西住殿が近づいてらっしゃるのは……周りの事が少し……関係しているのでありますか?」
しっかし久々だなぁ、この環境。私は混じる気は無いが
「周り?ああ、この声のことですか。それなら関係無いです。もう慣れましたから」
「へっ?」
「どうやら人間命の危険を感じると、そうしたくなるらしいです。黒森峰の時も硬式の試合前の夜毎回聞かされましたから」
「……なんかイメージ崩れるであります……」
「やっぱり黒森峰の者でも人間なんです。当たり前ですけれど……」
基本戦車道を見るとしたら、テレビか雑誌かあたりだろう。そこにあるのは、戦車道の中でもかろうじてまともな部分だけ。最早それは『戦車道』ではない
天井を眺める。天井にはうっすらと木の黒い年輪が流れる
「そういえば、先ほどまでは何を?」
「は……えっと、その……私も眠れないのです。だから遺書でも残そうかと思ったんですけど、明日は生き残りたいですし……」
遺書ね。確かに普通の両親とかには伝えたいこともあるだろう。特に学園艦在住だしな。私の親にか……呪いのメールでいいな。マナーモードを突破して、深夜3時頃に鳴らしてやる
「なるほど。では私も眠れませんし、この騒音に耳を傾け続けるのもなんなので、何か話しません?眠れないといって天井の筋を数えるようなことはしたくないので。でも迷惑だったら……」
「いえ、私も眠れなくて……遺書に書く様なことばかり頭に浮かぶので、お話したいであります。といっても私が話すことは浮かばないので、西住殿からどうぞ」
「……2つ話したいことがあるのですが、どっちからがいいですか?」
「何でありますか?」
「ただ私が話したいことと、勝った時のために知っておいてもらいたいことです」
「では話したいことの方からお願いします」
「……分かりました」
そう切り出したものの、このことを話して大丈夫なのか。これは前の話とはレベルが違う。彼女らにとっての私の存在、その根底をひっくり返しかねないことだ
「……これから何を言っても、信じてくださいますか?」
「えっ……は、はい。この状況で嘘をつかれるとも思えませんし……前の話も本当でしょうから……」
「そこじゃありません。私を、です」
「西住殿を?」
「はい」
「も、もちろんであります!西住殿は仲間であり、かけがえのない友人であり、尊敬すべき方であります!信じるに決まってます!」
「そうですか……」
話そうか迷ったが、次の試合だけはまともではない。この、この事実を知っている人間を私以外に作っておくべきだ。それが私に物語を吐き出させた
黒森峰女学園 学園歌 「緑川の護り」
その叫びは高揚か 黎明の炎のように
緑 緑川よ 川と共に進もう
愛する母校よ 永遠に安泰であれ
緑の護りは盤石なるぞ
火の国にそびえる 乙女の園よ
胸は打ち震え 光り輝く瞳
黒森峰の女子は 篤実で堂々と
偉大な母校よ 永遠に堅実であれ
緑の護りは盤石なるぞ
清正公の意思継ぐ 乙女の園よ
先達の見る下 天の貴女を仰ぎ
固き意志持ちて 黒き森を抜けん
希望たる母校よ 永遠に昌盛であれ
緑の護りは盤石なるぞ
御阿蘇の威光有る 乙女の園よ
血流は輝き 強くある拳は
腕と共にありて 敵の撃を塞ぐ
美しい母校よ 永遠に実着であれ
緑の護りは盤石なるぞ
清流の下にある 乙女の園よ
何事あろうと この地は渡さじ
黒森峰の民は 英雄の血脈ぞ
精強なる母校よ 永遠に明哲であれ
緑の護りは盤石なるぞ
豊穣の地にある 乙女の園よ
宣誓は響き渡り 旗は翻る
緑 緑川よ 護り人は我ぞ
毅然たる母校よ 永遠に隆盛であれ
緑の護りは盤石なるぞ
黒森峰女学園 我らの誇り
黒森峰女学園の中心部は南を緑川と吉野山、北から西を加勢川、東を船野山、飯田山、白旗山に囲まれた、天然の要害の中にある
南西の県立宇城学園を実質的に支配下に収め、その管轄地域内の三角を海軍の拠点としている
ちなみにこの校歌について、『校歌は大講堂以外では歌わない』という話が、黒森峰内部では流れている
26時間寝台列車は普通に辛かったので今日はここまでです
荒らし速報
ID: +vAJUinAO、ID: XxAEAIo80、ID:vuMJPVEE0、ID: Ao8Lv9x9O、ID: cJcQzrkpo 、ID: 6ra6liDjO
ID: 89tlEEMSo
以上のIDが他スレにて悪質な荒らし行為をしている事が確認されました。
これ等のIDは荒らし目的のクソ安価を出しますのでご注意ください。
もう直ぐ始めます
~
私はあなたに助言する。友よ、人を懲らしめたいという強い衝動を持つ者を信用するな!
ニーチェ
~
「私は……人殺しです」
「へっ?えっ……と」
「私は、この手で人の命を止めたのです」
右手を布団から出して上に掲げ、それを見つめる。この手が、この手がやったのだ
「お、お言葉ですが、今ここにいるものは、酷い話ですが、みなサンダース、アンツィオ、プラウダの犠牲があって生きております。それは特に西住殿だけが気にする事ではないのでは?」
それではない
「……あ、もしかしてお銀さんのことを……あれはやむを得ませんでした。あの傷と衰弱ではとても……そして彼女がそれを受け入れたんです。気にし過ぎることは……」
何とか私をフォローしようとしているらしいが、残念だったな
「どちらもハズレです。悩める要因がそれだったら、私の心労は数百倍軽くなったはずです
皆さんは戦車道のルールに則り犠牲を生んでいます。私は戦車道のルールの下ではなく、自衛の為でもなく、相手のことを思ったわけでもなく、ただ自分の保身の為に人の命を奪ったのです」
「……どういうことでありますか?」
「……私が黒森峰のSS装甲師団にいたことはご存知ですよね」
「はい。SS12部隊副隊長だったこ」
「いえ、それだけでいいんです。SS装甲師団には戦車道大会に参加する以外にも役割があります
それは学園の防衛、および治安維持。それが実行されたのが、昨年の黒森峰の等良政権への反乱の鎮圧です」
「え……そんな事を高校生に!あれは防衛隊主導かと思ってましたが……」
「デモ隊や武装した部隊に戦車で突撃するのです。それが学園の敵を壊滅させる最も早く効果的だと、姉は……単調な声でそれを命じていました
機銃の音、榴弾の音、全てが命を奪う為に響いていました。私は耳を塞ぎました。無線が、それも大音量で入ってくることを心底期待していました。履帯で人が踏みつぶされる音、身体が砲弾で砕け散る音なんて聞きたく無かった……」
今でも思い起こせば吐き気をもたらすものだ。されど……これまた事実にして、伝えておきたいことなのだ
「ですが当時の私は西住の者として、頭を出したまま外を見なければなりませんでした。知ってますか?人間の身体って思ったより弾が貫通しないので、大量の弾丸をくらうとまずは身体が吹っ飛ばされるんですよ?ま、流石に上半身丸ごと消し飛ぶほどじゃないですけど
そして榴弾になると、本当に腕や脚だけが宙を舞ったりするんです。骨と血肉を丸出しにしたままね
来年高3になれば私が隊長となり、もし反乱が起きれば私が鎮圧を指揮することになります。平然とした顔でこなせる姉と違い、私には出来る気がしなかった。それから逃げたかったのも、私が大洗に来た理由の一つです」
「なんということを……」
「ですが、それもまだマシです。攻撃しなければ自分も死ぬ、と自分自身を説得できましたから……本当に自分が許せなくなるのは、自分が死ぬ可能性の直接的な原因ではない人を殺した、あの時です」
あれは私が高校に入って、装甲師団に入団してから直ぐのことでした。黒森峰では師団に入った者は必ず最初の1年間、処刑人の任に付くか歩兵として一定期間任に付くことになっていました。配属先によって異なりますが、SSだと4ヶ月くらい、でしたね
何でかって?硬式戦に赴いたり、さっきみたいに反乱を鎮圧する時、躊躇わないように、すなわち人を殺す経験を作っておくためです。名目上は防衛時の歩兵協調の訓練や学園への忠誠心云々でしたが
私が選んだのは、処刑人になることでした。そもそも私が一年生の時点でSSでも精鋭部隊に配属されてしまったので、歩兵訓練に回す時間がなかったのもありますし、勿論反乱や学園における重大犯罪などが無ければ何もしなくて良い、ということもありました
しかし残念ながら、その時先ほどとは別件の反乱の計画をしていた者が捕らえられ、銃殺刑になることが決まりました。その処刑人に私が決まったのです。外から見てそういうのは苦手だと即座に分かったのでしょう。やらせなければならない、と。私に拒否権などありませんでした
実施が決まっても、私には何もできませんでした。無論その者との面会などはできませんでしたし、そうなれば心の準備も何もありません。が、私がここにいるためにはやらねばならないのだ、とは理解していました
処刑当日、目の前の者はコンクリートの床の上で口を塞がれ、手足を縛られて転がっていました。周りには姉を含む他の隊員が立っていました。きっと私の醜態を見届ける気だったのでしょうね。床の上の者が暴れれば直ぐに近くの者が殴って黙らせます
私の手には処刑用のモーゼルC96が握られていました。本来は拳銃の中でも遠距離向きなものなのですが、国内でも日中戦争での将校の捕獲品として辛うじて残っていたため、黒森峰でもステータスシンボルとして使われていました
心臓が激しく鼓動し、手は汗で銃を滑って落としそうなほど濡れていました。元から重かった、というのもありますが
「みほ、早く撃て」
足は震え、顔は硬直し、口は手とは逆にたった一滴の水分も含んでいませんでした
「撃たないと周りの者がこいつが暴れる毎に抑えているんだ」
脳の半分は認めていました。しかし残りの脳の半分と身体が撃つことに抗っていました
「その者たちの苦労も考えろ」
目の前の者が再び暴れ出し、他の隊員が顔面を何度も殴って鎮めます
「お前は、自分の意思で人を撃つことを決めたんだ。撃たなければならないんだ」
そう、それを自分の意思で決めたこと。歩兵ではなく処刑人になること、それを決めたのが私であることが重く心にのしかかります。そしてここにいるためには、撃たなければならないことも
「どうした。こいつは黒森峰の敵なんだ。撃つんだ。お前は学園長に忠誠を誓ったんじゃないのか」
目の前の者は反抗する力を失ったのか、唸りながら涙を流します。撃ったらどうなるとかは考えられませんでした。ただ引くか引かないか、それだけが頭の中で揉めていました
「その指を、引け、引くんだ、早く。お前が黒森峰SS装甲師団の者ならば」
この揉めごとの決着はなかなか着きません。頭の混乱が内臓にまで及ぶような感覚に襲われます。胃が裂けるのでは、と本気で思いましたよ、あの時は
「お前がどうしても撃たないなら……仕方ない」
左側頭部に金属らしきものが当たるのを感じました
「お前を反乱罪で処刑するしかない」
「ちょ、ちょっと!副隊長!」
横にいたのは、こちらに別のモーゼルC96の銃口を向けた姉の姿でした。親指でハンマーを固定します。口調、顔いずれもいつもと変わりませんでした。向けた相手は家族ではなかったみたいです
「流石に後継ではないとはいえ西住の娘さんですし、学園長や隊長の許可を得たほうが……」
「必要ない。反乱罪であることはお前達が証言してくれるしな。みほが殺さないなら、こいつは私が殺す」
恐怖とともに少しの油断が生じます。姉が西住の血を引く私を本当に殺すわけがない、そう高を括っていました。相変わらず手は汗で濡れ、足は震えています
その時でした。首の後ろを一筋の風が吹き抜けます。後ろの髪の数本が自分ではなくなります。耳元では鼓膜がちぎれんばかりの音が轟きます。壁には弾丸がめり込み、その周辺も放射状にひび割れていました
恐る恐る左を見ると、高く挙げられた姉の銃からは縦に煙が登っています
「まさか撃たないとでも思っていたのか?お前が黒森峰、ひいては西住流の敵となるなら、遠慮なく頭に撃ち込むぞ」
恐怖で支配され、声帯は固定されました。考える余裕は全くありませんでした
「さあ、やれ」
姉は次弾発射の用意を終えて冷酷に言い放ちます。私はハンマーを移動させましたが、手の震えで狙いが定まりません
すると姉は部下2人に指示をして、床にいた者の肩を掬い上げて、頭が銃口に当たるようにさせます。目の前の者はあと数分もないことに気づいたのか号泣し、口を塞がれていても分かる程大きく嗚咽を繰り返しています。その目は路上に捨てられた猫が助けを求めるようでした
「さあ、早く。なんなら私がこいつを撃った上で、お前を銃床で殴り殺すか?確かに反逆者に銃弾を捧げる価値もなさそうだしな」
姉が銃口で左側頭部を突きます。次はありません。生きることが、全てでした
私は大きく息を吐いたあと、目を瞑り指に大きく力を込めました。先程と同じ大きな音がして、私の指には温かい液体がかかります。その者の背中側には、放射線状に広がるヒビの入ったコンクリートの壁がありました
涙を流さなくなったその者は肩を離され、力なく顔からコンクリートの床に倒されました。私の手はその時が限界でした。手を滑らせて床に落ちるモーゼルの音は私の耳に焼き付いています
「よくやった」
「西住みほ伍長、万歳」
姉が銃を降ろし、左手で肩をたたきます。周りの者も右手を掲げて敬礼します
「これでお前は本当に我々の一員となったのだ。ただ銃は手放すなよ。暴発されたら厄介だ」
その時から、私は命のやり取りの場でも冷静になれるようになってしまったのです。そう、これよりはマシだ、と
無言で言うことを聞き続けてくれた。口を挟むのは野暮だと思ったのか
「これが、私です。これでも、私を友達と思ってくれますか?人と付き合う時、あなたはその人が殺人者であると考えますか?
考えないでしょう。自分と同じく、真っ当に生きてきているはずだ。そう思うのが普通ですし、そうするのが信頼の基本です。が……私はそうではない
このことを伏せ続けてきた以上、この先も私の友であれ、とまでは言いません。しかし明日だけでも結構です。私を信じてくださいませんか?そして……どちらかが生き残ったら、この話を、伝えてください」
どちらも生き残る。不可能ではないかもしれないし、そうあって欲しいが、現実はそうはいかない。普通に考えればどっちも死んでいる可能性が最も高いのだ
さてこの話を聞いてどう動く。装填手、その身の上である彼女に伝えたのも、最悪の事態も想定しているからだ。もしそうなったら、損害は大きいが
「私は……」
さぁ、話せ。結果を受け入れる用意はできている
「……私は、申し訳ないですが、西住殿に恐怖を感じました。サンダース戦の時、バレー部チームがやられても、動じた素振りを見せずに、むしろ笑顔で指示を出すその様子が、たとえ仲間が死のうとも、淡々と指示を出す様子が、不気味でした。きっと私が死んだとしても、そう対応なさると思います。それは正しいのです。分かっているのですが、その気持ちを、私は否定できません」
あり?私サンダース戦でそんなにサイコパスじみたことやったっけ……
まぁいいや。確かに後半はその通り……かもしれない。状況によるかな
「それでも、それは9月から育んだ友情全てを否定する理由としては不十分であります。例え西住殿が殺人者であっても、我々との友情を信じられないとしても、私は西住殿を友達と思いますし、戦車道の選手として尊敬しますし、大洗の仲間の一人としてついてまいりたい
確かに3ヶ月という期間は短いかもしれません。しかし時間というものはそこまで重要でありますか?ひと時とはいえ、心を通わず時間を得られたら、それは友情であり、決して消えぬと思います。そして幸いにも、それは一度のみではありませんでした」
友情、ねぇ。ついこの前までそれを否定するようにされてきた、というのに、今はその言葉を聞いて、言いようのない安心に包まれている
「育んだ友情……」
「ええ、それは簡単には崩れません。以前がどうであれ、今の西住殿は我々の友達であります」
先ほどと距離は同じ。されど顔から赤みは抜け、真剣な眼差しのみがこちらに突き刺さる。そうか……彼女に話したのは正解だな
「やっと……果実が実りましたか……」
向こうはこの言葉に納得いかないようだが、自分で納得しているから問題ない
純粋な、果実が実った。今まで花が咲いたことはあった。しかし実る前に相手が亡くなったり、花を咲かせた目的が西住流に対するもので純粋でなかったりと様々だった。全く運がなく、境遇が最悪だ。自分への後ろめたさもあり、実らせることを躊躇っていたのかもしれない
大きく深呼吸した
「……今の話を聞いてそれ程言ってくれるなら、信じるしかない……ね」
「ありがとうごさいます」
「だったら、その友情が長く続くよう頑張りましょう」
「そうでありますね……」
長く続く。それは明日までかもしれない
「それにしても、どうして西住殿のお姉さまは妹に銃を突きつけるなんて事ができたのでしょう?私に兄弟はいませんが、父や母に銃を向けるなんて考えただけで……」
「……一度だけ、聞いた事があります。本当に撃つ気だったか、と。姉は頷き、
『どうして人を無慈悲に撃つなんて事が出来るの?』
と私が聞くと、暫く考えて言いました
『私が西住流そのものだからだ』
と。ですが私はそうはなれませんでした」
人を躊躇なく殺すのが西住流。それは硬式戦車道という環境と絶対勝利という条件を同時に満たすために、最もやり易い手法。そしてその為には、人間を壊さねばならぬ
姉は病院のお世話になる前に、すでに壊れていたのだろう
「ところで、もう一つのお話というのは何でありますか?」
優花里さんが次の話を振ってきた。ありがたい。精神的交流を図れた以上あまり用はない。そもそもどちらも好んで使いたい話題じゃないんだから
「もう一つは、生き残ったあとにあることです。生き残った後、私達は亡くなった方の親御さんに会わなくてはなりません。そこであるのは、親御さんからの追求です。生き残ったら避けられません」
「……でも、我々にはどうしようもないでありますよ」
「そうです。もうどうもできないのです。しかし向こうは大事な家族を失ったのです。どうしてあなたが生きていて、娘が死んだのだ、と思う気持ちは止められないのです。たとえそれが運に左右されるものだとしても」
「……大事な人を失う……でありますか」
「そうです。それも自分の腹を痛めて産んだ子を
私も去年の大会の後、多くの親御さんに会いました。姉は植物状態だった為、私が公式記録や見た情報を元に報告しました
とはいえ文字では不十分な上、私も全てを見たわけじゃありません。特に収容所に入れられてからは、同じ奴らに嬲られた集団を語るだけで精一杯でした
そんな不完全な情報でしたから、親御さんの一部は『報告なんて聞きたくない!』と叫んだり、人によっては私に掴みかかってくる人もいました。そういう人はSS歩兵師団の人に有無を言わせず連れ出されていきました。わめきながら肩を掴まれて連れ出される姿は、どんどん私の中に蓄積されました」
「……そう言いたくなるのもわかる気がするであります」
そうだろう。特に親に手紙を残したいと思わせる親なら、親からの愛情も相当だろうし
「もしかしたら明日私が死んで優花里さんが生き残るかもしれません。そういう事もあるのだと知っておいてください」
「……分かりました」
「……明日は、勝てたとしても被害が確実に出ます」
これだけは、避けられない
「できるだけ出ない様に考えていますが、この戦力差だけはどうにも出来ません」
「それは……敵は20輌の精鋭、こちらは質は悪くはないとはいえ4輌。しかも敵にはティーガIIなどがいますから」
「作戦にも、残念ながら運が混じります。それのせいで皆が死ぬのが怖いのです」
「どんな作戦であっても私は西住殿についていくであります」
「……それが、怖いのです。皆が私を信じているからこそ……」
「かといっても命令を守らない方がいいわけではないでしょう」
「そうなんですけど……」
疲れた。この話はせねばならないとは思っていたが、やはり精神的な疲労が肉体に添加されてのしかかってきた。電車での眠りは浅いものだったのかもしれん
その返事を考える体力は、眠りに落ちる前に尽きてしまった
小さな地震の様な揺れでホシノは目を覚ました。折角眠ってたのに。イラつきながら身を起こすとそのせいか隣のナカジマも起きる
「ごめん、起こした?」
「いや、この揺れと声が……」
「ああ……」
周りには3つ程の山があるそれは上下に揺れ、吉原を歩けば聞こえそうな音が中から響く
「な、なんだ……おかしな連中だとは思っていたがここまでとは……マトモなのは自動車部だけか」
ホシノは山脈を眺めたあと、周りを確認する。近くのスズキとツチヤは熟睡中だ。ある意味安心した
「軍隊に同性愛は付き物らしいよ」
ナカジマも乾いた笑いを浮かべるしかなかった
「ほんと……戦車道って軍隊だよなぁ」
~
防衛隊と親衛隊
黒森峰女学園には2つの軍事組織がある。学園都市防衛隊と学園長親衛隊である。これら2つは成立経緯が異なり、防衛隊は学園艦時代の船舶科を、親衛隊は学園艦時代の治安維持隊をルーツとしており、地位的には親衛隊が優位とされている
親衛隊が外部派兵と監視、防衛隊が防衛即応と役割がわけられているが、昨今はその境目が薄れつつある。それぞれ歩兵、砲兵、戦車各師団が所属している。この師団は各兵種の総合的呼称であり、他の組織のものとは異なる
西住姉妹がいたのは親衛隊戦車師団学生大隊第4中隊第12小隊。大隊長が隊長を兼任する形をとる精鋭である
~
昨日はできなくてすみません
2315からやります
~
黒森峰女学園は学園都市の戦争がなんたるか、を真っ先に把握していた。それは高い士気と精鋭化、そして軍需物資の十分な備蓄である、と。
学園都市間の戦争はその都市の規模から、必然的に短期戦となった。すなわち長期戦にするメリットが双方なかったのである。だからこそいかに集中的に勝利を収めるのかが戦局を左右することとなった。
山鹿涼『日本の学園都市』 より
~
天気は……どんよりとした曇り。遂に当日だ。風は大きくなく、湿度も高くない。そして6時10分に起きた私は、窓の外の様子からそれを冷静に察知できている。隣の人もすぐに寝ていたらしく、まだ起きる気配はない
ゆっくりと布団から這い出て一度大きく伸びをしたあと、部屋の外の洗面台で顔を洗いにいく。まだ起きている人はいない。皆の寝顔はまだ生きてそこにある
冷たい水を顔に浴びせ、部屋に戻って寝間着から着替えている間に、ちらほらと目覚める人が現れた。その中で何故かパイタッチを狙ってきたマゾに対しては、お望み通り張り手を一発。やはり煩いな、これは。そしてそこまで嫌そうでもないところを見ると、やはり本物らしい
ま、周囲には引かれているぞ
部屋の中央にテーブルが置かれ、大皿の上には17個の黒パンのサンドイッチがある。ラップで包まれており、こぼれにくくなっているが、1個当たりはそこまで大きくない。それを1人を除いて食べ終えると、皆自分の支度に戻る。私もぱっぱと済ませ、水を一杯飲み干すと、やるべきことを脳内でまとめ始める
次の試合は圧倒的不利だ。車輌数とその質のみならず、会場が黒森峰学園都市内部に存在しており、黒森峰の戦車道や戦車師団が日常的に使っている演習場である、という点も勘案しなくてはならない
土地に関してはむしろ向こうに利がある。会場内の散開、奇襲狙いほど阿呆な手はないだろう
だから勝つためには3つの奇跡が必要だ。私のみみっちい外交知識もフル動員して概要は作ってある。だが一つ一つも奇跡な上、それを確実に起こさねばならない。殆どの人間がこの案を見ても、負けるしかないじゃん、と答えるだろう
私もである
逆に、これが1番勝ち目のある策、というのが大洗の哀しいところだ
6時50分、出発予定時刻10分前。その1人を布団から引っぺがそうと沙織さんが奮闘する
「麻子起きて!あと10分でみんな出発しちゃうよ!」
「人間が7時に起きれるか…….」
沙織さんが布団を引っ張るが、麻子さんはがっちりと角を抑えている。答えられるなら起きてほしいものだが
「何言ってんのよ!起きなきゃ試合出来ないんだよ!着替えても無いし朝ご飯も食べて無いんでしょう!お腹減っても知らないよ!」
「それも今朝2時まで叩き起こしていた張本人が何を言う……」
「麻子夜型なんだからいいでしょう!それはそれ、これはこれ、早く起きて!私だってそうなんだから!」
「沙織がこっち来たんだろ…それに5時間睡眠で人間が起きれるか……無理だ。出来るわけがない」
沙織さんはかなり苦戦している。華さんが一瞬スカートを留める手を止めた
さて、起きろ
カバンのチャックを閉じて麻子さんの正面に向かう。正面に腰をおろすと、枕の前で思いっきりと部屋の空気が震えるほど手を叩いた
「麻子さん!来てください!今日の作戦に、勝つ為に麻子さんは欠かせないのです!」
手を合わせたまま深く頭を下げる。彼女が欠かせないのは事実だ、というよりこの場にいる人間すべての参加は必須事項だ
麻子さんがようやく動き、むくりと顔を上げた
「どうか……」
「わかった」
そう言うが早いか、すぐ様ゆっくりながら布団から身を起こし、机の上のサンドイッチを手早く食べ、先程からは想像できないくらいの速さでテキパキと着替え始めた
「なんで私がやってこんなに起きなくて、みぽりんが声かけるとすぐ起きるのよー」
「西住さんには恩義がある」
「私にはないの!」
「ない。最悪でも西住さんには及ばない」
「もー!」
沙織さんが口を尖らせる。そんなもんかぁ
「沙織さん、支度は終わってらっしゃいますの?」
「あ、そうだ!やらないと!」
沙織さんは自分の荷物の方へ戻った。他にこれなさそうな人もいない。あとは現場に突入するのみだ
皆の支度が終わり、窓の外を眺めたり床に横たわってくつろいでいた頃、予定時刻丁度に扉が開く
「大洗女子学園の皆さん、時間です。出発してください」
係の者の案内のもと、移動用のバスまで行く。入り口を出ると、上からゆっくりと落ちてきている物がある。白いが、雪ではない。雪にしてはあまりにも大きすぎる
「ビラだ」
「あれ……黒森峰?」
「フォッケ、アハゲリス……間違いありません、黒森峰です」
それぞれ近くのビラを手に取る。空中のものを捕まえる者もいれば落ちたものを拾う者もいる。私も適当に捕まえた。
「何これ、アルファベットに点々が付いてる」
「ドイツ語だな。英訳も書いてある」
「日本語で書けばいいのに……」
麻子さんは少しその英文を眺め、スラスラと訳し始めた。流石だな。私も意味はないと予測しつつも、文面には一応目を通す
「大洗女子学園の皆さん。我が校は皆さんに投降を勧告します。試合だからとはいえ、我々はいたずらに犠牲者を出すことを望みません。戦闘を放棄して投降した者には危害を加えません。私物は没収せず、友人達と同室にて収監し、その後はただちに全員解放し帰宅させることを約束します、かな」
フン、自分の顔を鏡で見ながらそれをしゃべってみやがれ
「えっ、それって!」
「戦わなくても降伏すれば無事帰れるの!」
一部の者の顔が変わる。アホか、私の話を聞いてなかっ……たか。だが私に従ってきた者たちだ。何をするか……予想できるだろう
「くさいな」
左衛門佐さんが首をひねる。ま、武田を知ってりゃこれくらいの罠は分かるか
「うむ、これは敵の某略。相手の士気を鈍らせる常套手段。今まで捕虜を殺しまくっておいてどの口が言うんだ!」
「甘く見るなよ、黒森峰!」
河嶋隊長が縦にビラを引き裂き、その音で皆の少し浮かれた感情は突き崩された
よかったよかった。本当に離脱だけは避けてほしいもんだったし
バスに乗り、都市の南西の郊外にある会場、前線へ向かう
黒森峰学園都市 ライヒ病院
学園の施設の集中する中心部、フリードリヒ地区にある、都市のみならず県内でもトップを争う総合病院である。だがこの病院といえど、どうも出来ない患者もいる
その病室の一番奥、若干隔離されているのかとも思える位置に、その人の病室はある
「それでは、そろそろ出発します」
席を立ち、靴の踵同士を当てて鳴らし、右手をまっすぐ掲げる。誰もが同等の仕草を返すべき敬礼だ
しかしベッドの上の者から返事は無い。ただ点滴の管によって生かされたものとなっており、その目には一切の光が差し込まない
西住まほ、黒森峰と提携する西住流の家元後継者にして、『本当の』黒森峰女学園選抜戦車隊隊長。私なんて……到底かなわない方
「プラウダに奪われた優勝杯、必ず取り戻して参ります」
最後に一礼して、病室の外に出る。外には緊張の面持ちで一列に隊員が並んでいる。ドアは空気圧が抜ける音をさせて閉じた
「逸見隊長代行。西住隊長の容態は……」
そう、私は代行。その呼び名が、懐旧の情にかられていることをひしひしと伝えてくる。先頭にいる者が尋ねてくるが、表情からもう読まれているだろう
「ダメだ、完全に昏睡状態だ。話すこともできない。出場は無理だ。残念だが選手登録は抹消しよう」
奥歯を噛み締める。周りの者の表情は変わらず緊張の面持ちだ
隊長はただ隊長であるだけではない。西住の正嫡、それはあいつに対抗するに余りある名声であった
「そんな……」
「決勝でも西住隊長の指揮がないなんて……」
それがないのである。この不安は私では止められない
「相手は部隊戦術なら姉をも上回るとさえ言われるあのみほ元副隊長」
冷や汗を流しながら顔を見合わせ続ける
「硬式の実績は相手の隊長が明らかに格上 上……」
「クッ!」
流石に聞き流せず、その者を睨みつけようとした。しかしすぐに思い直す。あいつと私では格が遥かに違う。それは確かだ
出場した試合はあいつが1年生から合計7試合、私はこの大会が硬式初出場で、出場した試合は準決勝の参戦を含めて3回、そのうち1回がほとんど戦闘なく飛行機で逃亡しやがった知波単戦であるため、実質2回である
いや、そのうち1度もヨーグルトが協定通り降伏し、こちらも捕らえておく意味もないので解放した。彼らの捕虜の中にはグロリアーナもいたが、上から彼らも解放するように言われ、あの紅茶中毒患者どもを解放するのは若干癪だが解放した
つまり実戦経験1回、あの大洗への参戦のみだ。そしてここにいる者の多くも、経験は同様である
「エリカさんの指揮で西住流に勝てるの……」
しかも黒森峰は7月の大会、プラウダ戦で硬式経験者を失いつつある。その為今回の試合に参加する者には初出場の者が多い。数や火力で学園は勝っても、殺られたら自分達は終わり。その恐怖を揉み消せていない者たちばかりなのだ
その点では今回の大洗にさえ劣るやもしれない
?一列に不安が連なる。緊張の面持ちどころではなく悲愴感で溢れている。しかし1人だけそうでない者がいる。赤星小梅だ
中学の頃から精鋭に所属した学年でも有数の実力者であり、あいつ以外に昨年の軟式大会の選抜戦車隊の車長に選ばれた唯一の人物である。そう、本来であれば私の学年であいつの補佐をするべきだったのは、その時予備車輌車長だった私ではなく彼女なのだ
ではなぜ私か。一つは精鋭が虐殺されたこと。これにより一つ上の世代で隊長を務められる人がいなくなったから。もう一つは彼女、小梅が黒森峰での軟式での10連覇を妨げたもう1人、とされているからだ
彼女の乗った偵察用のIII号が、豪雨でぬかるんだ道が崩れたために川に落ちた。そこで後続にいたフラッグ車の車長だったあいつが、助けるために車輌を放棄して川に飛び込んだのである
無論頭のなくなった戦車に何もできはしない。フラッグ車は撃破され、黒森峰は忘れることのできない敗北を喫したのである
あいつの行動のみならず、川に落ちた際の対応が遅れた彼女もまた批判の対象となった。そして今年は基本精鋭部隊からは外れていたし、昇進もなされなかった
そして夏の硬式戦で階級が軍曹以上の方々が殆ど死亡。あいつもいなくなった結果、当時伍長だった私が二階級特進で曹長になり、代行を務めるに至ったわけである
逆に言えば、私を代行にしたり彼女を出して文句が出ないほどに、今の黒森峰選抜戦車隊は人材が逼迫しているのだ
何もできないでいた。この場の雰囲気を正す手段など、いや手段の問題ではないな。私自身が力不足なのだ
その中で焦燥が渦巻いていた中で、急に彼女が首を左右に回した後、靴の裏で3度床を叩いた
♪オブ シュトゥーム オーダ シュナイツ
Ob's st?rmt oder schneit
(嵐の時も雪の時も)
♪オブ ディ ゾーンネ ウーンス ラハト
Ob die Sonne uns lacht
(太陽が照る時も)
再び靴の裏で2度床を蹴る。いきなり歌い出したことに周りの者は茫然とする。私もだ
だがこの歌はよく知っている
♪ディア ダーク グリューエン ハイス
Der Tag gl?hend hei?
(灼熱の昼であろうと)
♪オーダ アーイスカールディ ナハト
Oder eiskalt die Nacht
(極寒の夜であろうと)
隣の者が歌に加わったのを皮切りにその隣、その隣と歌を歌い始め、リズムに合わせ床を叩く
♪ベジュ タウ ジン ディゲ ジヒター
Bestaubt sind die Gesichter
(顔が埃にまみれようとも)
そうだ、我々は引いてはいけないのだ。学園都市のため、学園長のため、戦車道のため、黒森峰のため、そしてここにいる全ての者のために、引いてはいけないのだ。それがすべきこと。私が弱気になんてなってはいけない
♪ドッホ フロー イスト ウン ザ ジーン
Doch froh ist unser Sinn
(高らかなる我らの士気)
♪イスト ウン ザ ジーン
Ist unser Sinn
(我らの士気)
歌に加わる。自らの決意を自分自身に浸透させようと下腹部に力を込める。すべての者が歌う、この士気よ
そしてこれを彼女が歌い始めたのだ。あいつにあの時救われた彼女が
♪エス ブラースト ウーンザ パンツァー
Es braust unser Panzer
(我らが戦車は突き進む)
♪イム シュトゥーム ヴィーン ダヒーン
Im Sturmwind dahin
(戦いの嵐の中へ)
やっとここのベービたちも、戦いの嵐の中に身を投じることを決めた。礼は後だ。今は病院の看護師に謝罪して、向かうのだ
黒森峰学園都市コットブス地区 試合会場外の一角
「ダージリン様、そろそろ始まりますね」
「ええ。それにしても今日の紅茶、貴女が淹れたにしては少し濃いですわね」
「すみません」
ペコは顔を伏せる
「いえ、いいですわ。大方私達がここにいていいものかと考えていたのでしょう?」
「……はい」
「こんな言葉をご存知?
All is fair in love and war.
イギリス人は恋愛と戦争では手段を選ばない」
「正直今一番聞きたくなかったです。私達、ヨーグルトに降伏し、彼らが黒森峰に降伏することで全員解放してもらったのですから」
「良いじゃない。私たちは生きているんですよ?」
「でもそれは犠牲の上です。BC自由の離反組を……倒していますし、そして今目の前ではあの時好敵手として戦った大洗が殲滅されんとしている……」
「全く、同じチームくらい方針を一致させておいてほしいものですわ。あそこを支援するサンダースの気が知れない」
「何か……申し訳ないんです。その人たちの命の上に、のうのうと生きていることが」
「人は生きていなければ何も出来ませんわ。アンチョビさんも死んでしまっては何もできませんもの。一方で我が校は犠牲者をあまり出さずに済み、その上安泰ですわ」
「安泰ですか?戦車の数を元に戻すことに予算を取られるうえに、それをしたらしたで黒森峰に目をつけられて面倒だと思いますけど。プラウダのカチューシャさんも……」
「関東情勢はこの大会で変わりますし、その黒森峰も今まで、そしてこれから力を削られようとしているではないですか」
「へっ?」
「ペコさん、貴女には聞えませんか?熊と象の足音が」
「熊と……象?」
「今後はその間を取り持つことに尽力すればいい、それこそが我が校の安泰の道とお上は思うかもしれませんが……ふふ」
ペコは首を傾げる。その時、2人の後ろからローズヒップがダージリンのもとにきた
「あらローズヒップさん、どうしました?」
「GI6から情報です。上層部から得たため、信頼性は高いとのことですわ」
「ありがとう。それとオレンジヴァールとの交渉は?」
「なんとか纏まりそうらしいですわ」
「素晴らしい報告をありがとう。そう言われてこそ、あの小煩い3会派のお姉さま方を説得した甲斐があるものです」
「あとお二方も現在こちらに向かってらっしゃいますわ」
「そう。風邪をひいてないといいけど。場合によっては途中の学園都市に連絡して食事と飲料の手配を。もちろん温かいもので」
「もっちろんですわ」
ダージリンは手紙をローズヒップから受け取ると、すぐに開く。と思ったらすぐに確認を終え元に戻した
「どうしました?」
「象の足音はやはり本物のようですわ。ウチのGI6相手にこれほどのプランを伏せ続けてきたとは、流石は彼らといったところでしょうか
そういえばそろそろ試合が始まりますわね。果たしてみほさんはどんな戦いを見せてくださるのでしょう。あの時みたいにハラハラさせてくださるといいわね。楽しみです」
「え、ええ。そうですね……」
決勝戦 黒森峰側陣地 7時40分
「全車輌エンジン入ったか?」
「まだ13号車が終わってません」
「遅いわよ、早くしなさい!」
「すみません」
「エンジン始動終わった車輌の者はこちらに集まりなさい」
遅い。あと30分もないのだ。脇にいた小島さんがそれを抑えにきた
「焦りは敗北に繋がりますよ。エリカ隊長。まだすぐに試合が始まるわけじゃないんですから」
「小島曹長……」
「その呼び方はやめてくださいよ。今は貴女が隊長なのですから」
こんな試合の前なのに、笑顔とまではいかないが、緊張が見えない
「いやしかし、貴女は夏のほぼ唯一の生存者です。尊敬しないわけには……」
「はっはっは。同じ曹長とはいえ、貴女は親衛隊、私は防衛隊です。顎で使ってくださって構いません。私にあるのは実に残酷な経験だけ。精鋭を指揮をすることはできませんからね」
冗談をよく言うものだ。防衛隊の軍曹であった際に乗員の一人として夏を生き延び、そして普通に一段階昇進して防衛隊の学生大隊長を務めているのが彼女だ。人を纏められぬはずはない
「普通に考えれば勝ち目しかありませんが……相手があのみほさんですからねぇ。しかも母校の運命が背景にあるとなれば……一応の士気もありそうですね」
全く、国も面倒なことをしてくれるものだ
「きっと何か手を打ってきますが……それは読めませんね。援軍の可能性は相当低いと思われますし」
「ま、プラウダとサンダースを共に敵に回していますしね。他は……」
「ウチらの相手になりそうなところだと、聖グロもないでしょうね……でも戦いを挑んできているところを見ると、やはり何かしら期待があるのかもしれないわね」
「みほさんにですか?」
背後からもう一人の声。歌の始まりの声だ
「小梅……」
「期待があるなら丸ごと押し潰すのみ。その力を我々は持ってます。私も黒森峰の人間ですし、敵と害を倒すことに躊躇いはありません」
「そうよね……さきほどはありがとう。あの時の歌が無かったら、統制も何も無かったし、私は何も……」
「いえ、あれが私の役目です。試合に集中しましょう」
ただ静かにそう返事してきた。私と小島さんの間から、遥か先を見据えるような目をして。きっと答えても、話は聞いていない
「そうね……」
「13号車、エンジン始動しました」
やっとか。時間が残っているのは幸いだ
「全員集まりなさい」
車長を先頭にその後ろに乗員が整列する。ティーガーIが1輌、ティーガー2が2輌、ヤークトティーガーが1輌、エレファントが1輌、マウスが1輌にパンターが7輌、ランクが4輌、III号が3輌。車輌総計20輌。決勝に参戦可能な戦車数の最大だ
視界には合計96人の隊員が並ぶ。その命が私の指揮に掛かっている。だが見せるわけにはいかない。その不安を唾と共に飲み込むと一息つき、口を開いた
「私達はこれから戦わなくてはならないわ。その相手はつい半年前まで共に戦い、勝利と敗北を分かち合ってきた仲間よ
されど彼女は西住流を破門され、黒森峰から追放された。しかしその力は大洗で、この大会で何倍にも膨れ上がったわ。残念なことにね
大洗は今年度限りでの廃校、学園都市の廃止を通告され、それの撤回という微かな希望に戦車道を結びつけ、それにしがみついてきているのよ。そしてこの様な状況の中でも、仲間達と彼女自身の愚かさ故に戦い続けているわ
しかし!我々黒森峰は戦車道の絶対王者よ!撃ては必中、守りは固く、進む姿に乱れなし、鉄の心、鋼の掟、それらを我々は持ち続け、それを我々の中で膨らませているわ。たとえ何が相手だとしても我々は戦い、勝たなければならない!
??大洗女子学園を粉砕しなさい!敵4輌全車撃破し、1人でも多く生き残るわよ!生き残り、この戦いを次に伝えていくことが、学園長への最大の忠誠と思いなさい!」
「ヤヴォール!」
その返事をしない者はいなかった。油断はない。皆あいつを知っているから。だからこそ、私たちは勝てる
時を待つ。始まりの笛を。燃料の浪費はこれ以上必要ない。あとはすぐに、手早く、この場で倒す!
~
広報部より報告
黒森峰女学園の動向
同校からの連絡によりますと
「即刻叩け」
を
「西住と戦う決勝戦」
において選択をしたとのことです。
~
ここまでです
2045から始めます
~
大洗女子学園戦車道チーム、最後の戦い
彼女たちは何を求めて戦うのか
~
2012年12月11日火曜日 午前8時 黒森峰学園
都市南東部、ブレスラウ地区の高台で審判の右手が挙がる。最後の戦いの始まりを告げる笛の音色は単調だった。たったこれだけで、何人もの命を吹き飛ばすゲームが幕を開けるのだ
「全車反転!あんこうに続いてください」
大洗戦車隊は続々と会場中央に背を向ける。運はそちらにしか微笑んでいない。ここは会場の西側。黒森峰がこちらに向かってくるまで、思っているほど時間はないはずだ
なにせ戦力差がこれだ。わざわざ中央の森林地帯でこちらが出てくるのを待つ必要はない。さっさと距離を詰めて撃破、黒森峰らしい、かつ手間かからないいい手だ。私がその場で指揮を取っていてもきっとそうするだろう。躊躇う理由がないからだ
そしてその時、相手は私たちの行き先を知るだろう。だから急ぐのだ。作戦も移動中に伝えて間に合うだろう
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「……に、西住。正気か?」
「はい。私は至って正気です」
無線越しで初めて作戦を伝えられた各車長の中で、一番早く言い返したのは河嶋隊長である。そういうのももっともな作戦だ。正気と答えたが、勝ちに囚われまともではないのかもしれん
「……しかし、本当に可能なのですか?私にはとてもそうは思えません」
その次はエルヴィンさん。確かにスターリングラードと維持とどっちが難しいか、となればどっこいどっこいだろうな
「……なんとも言えません。しかし会場内で戦うよりかはまだ勝ち目が見えます。会場内は向こうも知り尽くしてますし、何より黒森峰の戦術に合うよう平地を軸に設計された敷地です。ここでの勝ち目はありません
それよりは向こうも慣れない黒森峰市街地を戦場にするべきかと」
「万一脱出出来たとしても、自衛隊に追撃されるということは無いのか?戦車の質、練度共にどう考えても勝ち目はないだろう。秋山と松本も言っていたが……」
「いえ。硬式戦での暗黙の了解として、もし包囲網を突破したら会場を脱出したチームが行き着く先まで拡大する、というものがあります」
「無茶苦茶だな。日本全国どこでもありじゃないか」
「全くそうだとは思いますが、ずっと走っていると燃料切れを起こして動けなくなるので、一応範囲は制御可能、というところではないでしょうか。今回はこれに賭けます。私自身、本当に見るのは初めてですけれど」
「宇津木さんの件を忘れたわけじゃありませんが……西住隊長がそこまで言うなら、やってみましょう」
「……そうだな。それをやめさせたところで、私たちがどうこう出来るものでもない。西住、任せた」
「行きましょう、西住さん」
「分かりました。全車引き続きあんこうに一列でついて来てください」
元々陣地はかなり西寄りにある。目標を見つけるのにさほど時間は必要としなかった
草原を駆けていくと、さきの会場あちこちに見えるのは自衛隊の戦車。それも最新の10式が混じっている。黒森峰の戦車と見比べても、はるかにゴツい
それは大洗チームが近づけば近づくほど大きくなる。そしてついに段差に関わらず履帯の全容が確認できるほどまで近づいた
「……撃たれたら、発射光の後に移動を。それより前だと追尾されます。避けても無理だとは思いますが……信じましょう」
「何をだ?」
「さぁ?」
大洗の戦車隊には前進を継続させた
「……距離、1100です」
「に、西住殿。正面の戦車を……」
優花里さんが横のハッチから顔を出して指差す先の戦車の上に、人が立っている。格好からして自衛官だ
「……大洗女子学園の諸君、警告します。すぐに引き返し、試合に戻りなさい」
拡声器でも使っているのか、声ははっきり聞こえる
「ね、ねぇ、みぽりん。大丈夫なの?注意受けてるよ!」
「多分」
「多分って……」
長々と話を聞ける余裕はない。光があるかないか……私だって死にたくないのだ
「引き返しなさい」
構わず前進する
「西住……」
「私たちには、前進以外の選択肢はありません。躊躇ったら黒森峰に追いつかれます。各車、車間距離を開けていってください」
砲塔の一つが、ゆっくりとこちらを向いた。狙っているのは、間違いなくIV号である
「麻子さん、向きを変える時間はありません。戦車のどれかから光が見えたら急停車を。それで……少しはなんとかなるかも……」
「横には避けないのか?」
「そんな時間はありません。まぁ、この方法も何度も使えるわけじゃないんですが。麻子さん以外はどこかに捕まっておいてください。止まって砲弾が落ちたらすごく揺れますから」
「う、うん……」
距離700。敵車輌のうち1輌発砲。タイミングはバラバラだったが、後ろの方からも忙しない金属音がした。無論足元からも。キューポラの枠に捕まっていた私の上半身も思わず前に揺り動かされる。
放たれた弾は右側にそこそこ大きくて逸れ、地面を丸ごと吹き飛ばしていった。そして勢いのままにそれを広げていた。平原の中に一瞬にして窪地が生まれたのである
「ひっ……」
「流石は120ミリ滑腔砲……威力も段違いであります……」
ビビる仲間はともかく、私はある一つの予感を確信に変えつつあった。可能性は増した
「各車、砲弾装填」
「お、おい……大丈夫なのか?」
「やるしかありません。安全装置も外してください」
「……はい」
近くのだ。何としても近づくのだ
「華さん。さっき撃った1輌の履帯に照準を。走行間で難しいとは思いますが、狙いはずらさないで」
「はい」
向こうだって実際に狙われるのは慣れていないはず。いざという時はただ走っているだけではないと見せねばならない
「あの、みほさん。砲塔と車輌の隙間にしますか?」
「いえ、履帯にします。彼らは戦車道の参加者ではありませんから。もともと脅しが通じる力量差ではありませんし」
距離400。だが恐らくこの距離でも私たちのチンケな砲では傷さえつけられないだろう。車輌を揺らすので精一杯だ
向こうの車輌の鼻先全てに焦点を当てつつ、耳の情報を一時遮断する
再び、今度は別の車輌が火を吹いた。それは右前方から左側へIV号の正面を素通りし、同様のくぼみを形成した
「うおっ!」
「きゃっ!」
履帯が浮きそうな揺れが車内を支配する。こんな時期だというのに、手袋もまともにしていない手は汗で滑りそうである
「に、西住さん……撃たれたら教えてくれ!流石に今のは心臓に悪すぎる!」
「……あ、自衛隊はわざと外しています。そのまま前進を!」
正直私にとっても心臓に悪い。が……本題は彼らの上官が現状を踏まえどのような判断を下すか、だ。どうする。近づいてから一斉射撃して殺すか、それとも生かすか。生かされてもそれが何時間伸びるかだけかもしれないが、ないよりマシだと信じよう
「このまま最初に撃った車輌の右脇を通過します!各車速度を上げて通過してください!砲撃はしなくてけっこうです!」
ここから先はお上のみぞ知る
「ここまで来たら狙われたらおしまいです。できるだけここにいる時間を短く済ませましょう」
正面の最初に発砲した車輌の車長の顔も認識できるようになっていた。ただ正面のIV号を、場合によっては私をどうするつもりか、判断材料は増えたかに思えたが、無表情のそれは何も伝えてこなかった
僅かな揺れさえも大きな変化として足元から伝わってくる。凛々しく見える顔が益々大きくなる
残り200。腕を振り上げた彼女の手が降ろされると共に、さらに多くの砲弾が周囲にばら撒かれ始めた。流石の私も頭を出していたら怪我どころでは済まない程である
「麻子さん、前進継続!止まらないで!下手にスピード落としたら、死にます!」
「……冗談も大概にして欲しいな……」
「他の車輌も止まらないで!車間維持!これを各車輌に厳重に通達!」
「そ、それどころじゃないよぉ……」
弾はことごとく外れる。むしろ私たちの行き先を、二本の線のような砲弾の跡の隙間が指し示している。しゃがんでないと、何かに掴まっていても重心ごと体が車内を駆け巡りそうになる。最早こちらも砲撃どころではない
まもなく間を抜けようとした時、ぱたりと砲撃が止んだ。絶え間無く上がっていた土煙が舞い落ちて、視界に久々の灰色が浮かび上がる。上に乗った土ごとキューポラを押し上げると、左側で先ほどの人が表情はそのまま敬礼しているのが、まだ微かにある空飛ぶ砂つぶの向こうに見えた。右手を掲げるものではない。肘を張った敬礼
どこの誰だか知らないが私もさらに身を乗り出し、僅かな間だったが目を合わせたまま同じ姿勢をとり、脇を駆け抜けていった。その後に他の車輌も続いてくる
ここに一つ目の奇跡は達成された。自衛隊包囲網の突破である。全車輌土埃を浴びまくったのを除けば損害なく脱出できた。
「……に、西住……」
「はい、これで最初の難関はクリアです。全車輌前進継続。コットブス地区方面の市街地へ向かいます」
一方で砲撃音からこちらに逃げているのはバレたはず。本格的に時間が限られてきている
「敵もすぐにこちらに来ます。急ぎましょう」
「分かりました!」
「しかし……本当に成功するとはな……」
「10式なら我々を撃破することは、自動追尾機能を考えれば造作もないはず。しかし威嚇してくるだけで撃破はしなかった……ということは、誰かが大洗の勝利を、生存を望んでいるかもしれない、ということです」
「ウチの勝利をですか?いったい誰が?サンダースもプラウダも敵に回してるんだぞ?私たちは」
「分かりません。ですが、誰かが味方だってだけで、少し気分はマシになりません?」
私直属の黒森峰の先発隊が、森を突破して大洗がいた場所に突入する。しかしそこにもう大洗の姿はない。森から来たから、森の中にはいないと思われる
「大洗は?」
「それが……履帯の跡を見るに、緑川の方に向かった模様です」
「はぁ?そっちは会場外でしょ?どうなってんのよ……でもそっちの方に行って、まだ試合が終わっていないことをみると……」
「自衛隊の包囲網の前で止まっているか、それともまだ会場内にいるか……まさか」
「分からないけど合流は待たずに取り敢えず追うわよ。ここはいくら相手がウチの元副隊長だとしても、他の人間からすれば走り慣れない場所。奇襲はないわ
でも時間を稼がれると罠を仕掛けてくるかもしれないから、先を急ぐわよ」
その時であった。確かに先ほど聞いた緑川の方向から、断続的に砲声が鳴り響いた。黒森峰の精鋭はここにいるか森を迂回しているし、何よりこの時間で音のする方まで行けるはずがない
「砲声?」
「ここで演習なんて今日ありましたっけ?まさか試合の日に?」
「……いや、これは黒森峰のじゃないわね。何かしら……」
「……10式、自衛隊の砲声……」
「えっ?本当に?」
「間違いありません。前に研修で自衛隊の演習を見学した際に近くで聞きましたから」
「となると、大洗は本当に自衛隊に突っ込んだのでは……」
「まさか。あんなオンボロ戦車たちが自衛隊を突破出来る訳ないじゃない」
「ですよね……」
戦わずして勝てる。それならそれでいい。プラウダを負かして優勝。それでこの学園の恥辱は一応の終焉を見せる。私のような才のない人間には丁度いい貢献方法なのかもしれない。通信手も何かが気になるのか、音のする方を注視しているが、どうも何もあるまい
砲手や装填手との話を済ませ、全車に指示を出そうとした時、通信手がそれを止めた
「エリカ隊長……ルフトバッフェから……」
しかもやけに震えた声である。別に戦場の雰囲気に当てられた訳ではないだろう。今までも一緒にいた者だ
「何よ。試合中にわざわざルフトバッフェからなんて」
「それが……」
「早くしなさい」
「……大洗が自衛隊の包囲網を突破、した模様です」
「……え?」
「その後は市街地南東部へと進んでいるようです……」
「……本当に?」
「ええ、ルフトバッフェが唯一のフオッケアハゲリスを出して空から確認したそうですから、間違いないかと」
「……どうやって……いや、今はそんな時じゃないわね」
「会場外に出て我らも誘引し、指導による引き分け狙いでしょうか?」
装填手が上を向いてきて尋ねる
「まさか、そこまで鈍ってはいないでしょう。それにそんなのをウチが認めるはずないわ
いずれにせよこちらの優位は揺らがない。小島さんの迂回部隊の到着を待って追うわよ。向こうが突破しているなら、こちらも出来るはずよ。ただし2000メートル以上の距離を維持しなさい」
「ヤヴォール!」
彼女らの右側から森林を迂回したヤークトパンター、ヤークトティーガー、エレファント、マウスなどを含む重戦車部隊が合流し、市街地方面へ出発した
「……なるほど、話は分かりました」
ヤークトパンターにつなげた無線にて、小島さんは冷静に返してきた
「小島さん、あまり驚かれないのですね」
「砲声の数です」
「数?」
「こちらが戦ってないとなれば、あの数はあまりにも多すぎました。たった数輌の旧式戦車を止めるには」
「……なるほど。だとしたら、自衛隊はなぜ突破を許したのかしら。意図的じゃなきゃできないでしょうに」
「そこまでは流石に。何か裏はあると思いますが……」
「なるほど、ありがとうございます」
そこで一度無線を切り、小梅に同じことを尋ねた。少し唸ってから返事が来た
「……エリカさん。恐らく……」
「小梅、どうしたの?」
「学園が依頼したのかも……」
「学園が?なんでよ。会場内の方が勝ちやすいことは知ってるでしょ?」
「はい、乗員、車輌ともに質的には圧勝しています。だからこそ会場外でもこちらが十分勝てると考えているのでは?」
「だからってなんで会場外でやるのよ、面倒じゃない」
「……恐らく、学園が『勝ち以上のもの』を求めているからではないかと」
「勝ち以上のもの?圧倒的な勝利じゃなくて?」
「戦力差的に圧倒的な勝利は当然と考えられているでしょう。それを市民のより近くで見せることを考えているのかと……というより大会実行委員長があの人である以上、自衛隊とのツテがあるのはウチぐらいでは?」
「ま、確かに今の状況でプラウダやグロリアーナが自衛隊を動かせるわけもないしね。
しかし市民の前で……黒森峰戦車道の威信を示すのかしら。確かに昨今の大会では負け続き。いくら反乱は抑えているとはいえ、市民にも不安があるはずよね
より近くで裏切り者相手に圧倒的勝利。なるほど、あり得そうね。人気取りに使われるのは癪だけど」
「第一戦車科には市民の金も使われてますからね。相応の安心感を返さねばならないでしょう」
「……それもそうね」
戦車道は学園の駒。私はその駒は指せない。それを思い知らされた
~
広報部より報告
黒森峰女学園の動向
同校からの連絡によりますと
「追撃せよ。西住に逃げるという道はなし」
を
「大洗曰く逃げるは恥だが役に立つ」
において選択したとのことです
~
ここまでです
2245から始めます
~
幼児を抱いた母親ほど、見る目に清らかなものはなく、多くの子に囲まれた母親ほど、敬愛を感じさせるものはない。
ゲーテ
~
大洗戦車隊は北西の方にある市街地に向かい、草地の丘陵を越えて行く。しかし後ろのポルシェティーガーが他の3輌に比べ大きく遅れを取っている。元からそこまでスピードを重視している車輌ではないが、坂道でもないのに遅れが大きすぎる
「沙織さん、ポルシェティーガーが遅れているようです。何が起きたのか聞いてみてください」
「分かった。こちらあんこう、レオポンさんチーム、異常ありませんか?」
返事がない。しかし後ろにいるポルシェティーガーは停止はしてない。暫くして、やっと無線が繋がったらしい
「え?ナカジマ、さん?」
沙織さんの口調が少し変わった
「あ、カトラスさんかぁ……そっかそっか、入れ替わってたんだっけ。ところでナカジマさんに繋いでもらっていい?」
あの人そんなに声大きくないと思うけど、こういう時はきちんと話してくれるようだ
「エンジン修理中、って何があったんですか!」
とすこし安心しつつあった私の耳には、叫び声に近いものが入り込んできた。向こうの説明はそこそこ長く、沙織さんの微かな返事を挟んで、車内を緊張とエンジン音のみが包み込む
「止まるって……」
止まる?何が……
考える間も無く、ただでさえ蒸す車内なのに、さらに粘着質な汗がどんどん顔と背中を伝っていく
「と、とにかくみぽりんに繋ぐよ!」
沙織さんはすぐさまこちらに無線を繋げてきた。話し方と漏れた言葉から、尋常じゃない事態が予想される。尋常じゃない、それがどのようなことかは、いくつか候補が挙げられるが、どれか
「み、みぽりん!大変!レオポンさんチームエンジン止まりそうだって!」
すぐにヘッドホンに手を当てる。それか。だが焦ってばかりもいられない。まずはただ真摯に現実を受け止めねばならない
「レオポンさんチーム、現状は」
「はい。恐らくプラウダ戦の環境が主要因かと思われる空冷エンジンの出力低下が発生しています。現状可能な修繕も行いましたが、効果ありません。あと15分すればエンジンが停止するのは間違いないです」
確かにポルシェティーガーのエンジンは元から強くない。彼女らの技術をもってしてもどうにもならないとなれば、如何なる人間にも何もできないだろう。だがこの損失は余りにも大きすぎる。車輌、人員ともに
「……どうにも、なりませんか?」
「どうにもなりません。本来ならエンジンごと取り替えないといけない故障です。こちらはツチヤとフリントさんを脱出させます。他はこの88ミリを有効活用する為残ります。できれば2人を回収してください」
「2人だけですか……もう1人これませんか?戦車はともかく、人は来れるのでは……」
「行きません。西住さん、学園を残してください!なに、ここで20輌全部撃破して戻ってくるから心配しないで!」
……説得をかけるのも無理だな。それに彼女らの言うことにも筋がないわけじゃない。黒森峰と正面切って戦える唯一の車輌。足止めには十分すぎるし、数だって削れるかもしれない。そして稼げる時間はこちらの味方だ。その分準備できる
「……よろしくお願いします……おふたりには川を渡って市街地へと向かうように伝えてください」
長時間会話用のスイッチを切る。そうは分かっていても、額から鼻に向けてさらに大量の汗が流れる
「どーする、戻ってツチヤさんとかを回収するか?」
そうしたいのは山々だが、それを許せる時間と余裕がない
「いえ……黒森峰の射程に入ってしまいます。回収は……リスクが大きすぎます。2人とはあとあと合流できることを期待します」
嘘だ。いくら戦車とはいえ、走ってくるものを待って拾えるはずがない。可能性になってもらうか
「どうした、西住。ポルシェティーガーに何かあったのか?」
河嶋さんが無線を繋げる
「……エンジン不調によりこちらに来れないそうです」
「こっから88ミリが抜けるのか……」
向こうの河嶋さんは溜息を深く吐きながらもやけに冷静だ。普段の彼女なら泣き喚くだろう。しかし頼って呼ぶ人がいない、それが彼女を隊長たらしめていた
そして彼女の発言もまた事実だ。黒森峰に容易に損害を与えられるアハトアハトが欠ける。今後の戦略にも影響するのは間違いなかった
レオポンさんチームの車内で2人声を上げる者がいた
「どういうことですか!私だけ脱出する?先輩方も脱出しましょう!」
「……自分から死ににいくのは……良くない」
ツチヤが操縦席からナカジマに向かって叫ぶ。もう一人脱出を命じられたカトラスさんもいつになく低い声で、小さいとはいえ抗議の意思を示す
ナカジマは少しの間、返事を躊躇った
「……ツチヤ、お前に2つの命令をする。聞いてもらいたい。ひとつはこの車輌をエンジンが止まる前に敵の方に向けろ。もうひとつはお前は脱出しろ、そして生き延びろ!」
「何故です!何故先輩方はここに残るんですか!死にたいのですか!」
「我々はここで黒森峰を1輌でも多く減らす!そして、大洗を優勝に貢献するんだ!ここでこのレオポンを放棄して逃亡したり降伏なんかしたら今まで死んだ者たちに顔向けできない!
このレオポンが動かないとしても、88ミリは役に立つはずだ!いや、役立てなくちゃいけない!」
「……だからって、なんで脱出するのが私なんですか!」
「お前が死んだら、誰が自動車部を残すんだ!他の者は生き残って学校が勝っても3月で引退だ。そして春までに新入部員が来るとも思えない
西住さんは必ず来年も学園を存続させてくれる!その時にお前が来年も自動車部をやってもらう為に生き伸びろ!生きるべきは……若い奴だ
黒森峰が迫っている。時間が無い!」
「……たった一年の差じゃないですか……先輩方に夢はないのですか!それをここで犠牲に出来るのですか!」
「お前は……12月14日を迎えずに死ねるのか?11月23日に行ったのがお前の最後のドリキンで良いのか!この中で一番叶えやすい夢を持っているのはお前だ。生きて、生きて生き延びて、絶対叶えろ!」
「……私だけレオポンチームとしての本分を捨てろとは、酷いわがままもあるんですね」
ツチヤは悪態を吐きつつも、奥歯を噛みゆっくりと、されど確実に車輌を逆方面に向け始める
「……さて、カトラスさん。ツチヤを助けてやってくれ。こう見えてコイツはかなりの寂しがり屋でな、誰かが見守ってやんないと残るウチらも不安でしょうがない。それにもう……ここに通信手は必要ない」
「……そして、このチームの勝手は、このチームの人にしか分からない、と?」
「ああそうだ。それにお銀さんから言いつけられたこともあるんだろう?私たちは艦の上の人間だから、底のことはよく知らないさ。でもそれを真に伝えられるのは、貴女しかいないんじゃないかい?」
「……大したことは……それにあの場には西住さんや桃さんも……」
「ならあの2人を助けるために動いてくれ。私たちの、これまで戦った人たちも含めて、その意味を示すために」
小規模の半径を使って描かれた半円にて、重戦車はしっかりと黒森峰の想定を捉える位置で停止した
「……無駄にはしたくないだろう」
「……わかった」
「そう言ってくれると助かる」
視線を外し、目を細めながらそうこぼすと、レバーから手を外した人を見定めた
「さあ、ツチヤ。これがお前のレオポンへの最後の奉公だ。トンプソンはくれてやるよ。自動車部を、大洗を頼んだよ」
ツチヤはトンプソンM1を掴み、無言で振り返ることなくキューポラから身を乗り出した。それに続く形でカトラスも外に出る
「……ありがとうございました」
そう言い残して機関部の上に降り立ち、先輩たちの背後に向け走り出した。そしてポルシェ101/1は共にその最期の力を出し切って、2度と動かぬ塊となった
「さて、大変なモンを背負わせちまったね。なら先輩として不甲斐ない様を見せる訳にはいかないね」
ヘッドホンを外し、咽頭マイクも外したナカジマが袖を捲り上げながら砲塔から降りる
「よかったじゃないか、ナカジマ」
「なにが、ホシノ?こんな時に」
「地球最後の日が来るなら、その前に雨の日に出かけたいと前に言ってただろう?」
「そうだけど、今日は曇りでしょ?かといって雨が降る感じでもないし」
「いや、砲弾の雨の中だ」
「生憎それは理想じゃないな……」
「まあ、私もオーナーにはなれなかったけど、このレオポンがここまで走ってくれたからな、満足か」
車輌を撫でるスズキの肩をナカジマが叩く
「なに言ってんの2人とも、シケた顔しちゃって。私達はここで黒森峰戦車隊20輌を撃破するんだよ!」
「……そうだな、やるだけやるか!」
ホシノも照準器に向き直る。ナカジマとスズキも88ミリ砲弾の装填に移る。黒森峰の戦車群のエンジン音が遠くから聞こえる。しかも徐々に大きくなる
「ここから先は行かせないよー」
だがそこに鉄壁が立ち塞がる
パンツァーカイルの行き先は黒森峰市街地だ。しかしその途中に最主力を、しかも単独で平原に配置するなど誰が考えようか。真っ先に稜線を越えようとしたティーガーIIを大きな揺れが襲う
正面から撃ち抜かれはしなかったが部隊に動揺が走る。目の前にあったのはポルシェティーガー、大洗唯一のアハトアハト装備車輌だ
「て、敵襲です!車輌は……ぽ、ポルシェティーガー!」
「ポルシェティーガー?な、何故あんな隠れるところも何もない場所にいるのよ?とにかく早く撃破しなさい!各車輌稜線に展開!砲撃開始!」
しかし次弾装填前にポルシェティーガーの砲身は火を噴き、パンター1輌を撃ち抜く
「距離は600!早く撃ちなさい!」
エリカは指示を出すが、やはり今までの者達と比べて装填速度が劣る。装填し終わった車輌は次々と砲弾を撃ち込もうとするが、命中率は芳しくない。正面に3発ほど命中するが、戦果は履帯を破損させ、右側面のライオンのマークを削れたくらいだ
ポルシェティーガーからの次の弾はランク、その次は別のパンターと、黒森峰からの砲撃を喰らいながらも頭を出した奴から的確に仕留めていく
「何やってるのよ!失敗兵器相手に!」
キューポラから身を乗り出そうとするが、部下に服の裾を抑えられる。しかし一部が両翼から稜線を一斉に超えて展開し側面を殴れるようになると、向こうの車輌も揺れるのか狙いが緩んできた。被害はあったが、このまま敵最主力相手に勝てるのは確実だった
黒森峰重戦車の砲弾を立て続けに喰らっているポルシェティーガー車内も、貫通弾こそないもののただではすんでいない。衝撃で車内を振り回され、身体のあちこちをぶつけている。ホシノは特に隣の砲身などに頭を打ちつけて出血している
「ホシノ、大丈夫か?」
ナカジマが砲弾を押し込む
「……ふぅ……これは……やばいかも……」
次に放たれた砲弾はティーガーIの足元に外れる。頭から垂れた血は顎からスカートへと垂れる
「くそッ」
「スズキ!次弾装填!」
車輌だけでなくあちこち痛む身体までも酷使して砲弾を撃つ
「慌てず、急いで、正確に……な」
「……ああ」
その直後、正面に砲弾が命中したらしく、凄まじい振動が車輌を襲う。車内で砲弾を抱えていたスズキが壁に打ち付けられる
「がはっ!」
2つの鉄にサンドイッチされたスズキの身体から何かが折れる音が聞こえ、砲弾を離して床に倒れた。
「スズキ、大丈夫か!」
「おぐ……あ……」
胸と腹の間辺りを手で抑え、息荒く突っ伏す。肋骨が数本いってしまったようで、辺りの器材を掴んで痛みをこらえている
「……ナカジマ、次弾装填……頼む」
ホシノはさらに頭を打ち付けたようで、出血量が増している
「……くっ」
スズキの落とした砲弾を2本の腕で拾い上げ、足元に力を込めながら砲身に押し込む
「……く、らえ……」
意識は朦朧としかけている。トリガーに指を掛けたホシノは今使える全精神力をその狙いに定め、全体力を砲弾の発射に使う。思いを込めた砲撃はエリカ車の履帯を破壊する。転輪も外れた様だ
?しかし、総計10発以上攻撃を受けた装甲はもう限界だった。エレファント重駆逐戦車の128ミリ砲に堪えるには。左側面より機関部まで到達した砲弾によって燃料に引火したらしく、大きな爆発とともにポルシェティーガーとレオポンチームはその働きを終えた。その残滓の爆風の残る中で、前方部から伸びた白旗が、僅かにその裾をあげていた
黒森峰側は隊長車が2度も砲撃を受けたことに少々混乱を見せている。だが無事だ。別にこの隙を突いて逆襲してくるとは思えない
「履帯、転輪破壊されました!」
仮にしてきたとしても、ティーガーの系譜以外ならこの部隊でも十分勝てる。一応その対応はしておくか
「急いで修理しなさい!他の車輌はブレスラウ地区の緑川沿いの高台の上まで移動!敵の行動を補足しなさい!
これで敵の主力は撃破できたわ!こいつさえ撃破すれば、ティーガーや他の重駆逐戦車を易々と撃破できる車輌は大洗にはない!構わず進みなさい!」
「や、ヤヴォール!」
素早い指示が功を奏したのか、被害はあったものの悲観的なムードは落ち着いた。しかしまた敵もよくこんな役目をやろうとしたものだ。私たちみたいに経験を積まされている訳でもなく、たった2週間前までは普通の女子だったというのに
かくいう私も、学園のためと思えばこうして試合に躊躇いなく出ているし、砲撃を命じている。何も変わらないのかもしれない
第74回戦車道大会公式記録
大洗女子学園犠牲者
中島 悟子
黒森峰 砲撃死 死体損壊が激しく死因は不明 即死
鈴木 久里
黒森峰 砲撃死 死体損壊が激しく死因は不明 即死
星野 義美
黒森峰 砲撃死 死体損壊が激しく死因は不明 即死
~
広報部より報告
大洗女子学園の動向
同校からの連絡によると
「子を産みてしんがりを努めよう」
を
「陸上の動かぬ船」
において選択したとのことです
~
今日はここまでです
2040から始めます
~
女とは生産力であり、継承の種だ。だからこそこちらの女を餌にしても女を釣り出すのだ。そして断て。それが命だ。
黒森峰女学園の内部文書
~
「そのまま進んで、次の角を左折してください」
エンジン音を立てながら市街地を進む。街中には既に事情は伝えてあるようで、街中には人は見当たらない。既に避難済みのようだ。ありがたい
御船川の森崎橋は破壊したし、レオポンさんの存在もありこれで時間は稼げた。SS歩兵師団などが来なければ……まぁ流石に本格的な投入は避けてくるだろうな。学園の対面的に考えて、ウチ相手に使ってくるとは思えん
だが時間だけだ。結局数的劣勢は揺らがないし、火力不足も変わらない。おまけにその過程で最大火力、最大装甲を持つ車輌を失ったのだ。皆も不安に思うはずだろう。それに今すぐにそれを解消することもできない
私には奇跡を願いつつ、その奇跡を活かす最善の手を打ち続けるしかない。ある一つのことを犠牲にして
「200メートル先右側が黒森峰の物資倉庫です。警備が2名しかいません。沙織さん、威嚇して追い払ってください」
戦車の上で道案内しながら向かわせたのは、黒森峰の各地に設置された物資倉庫の一つである。かといって戦車の砲弾とかが置いてあるわけではない。目的は別のものだ
「お願い!逃げて!」
沙織さんの僅かな願いとともに車内に薬莢が吐かれる。警備の2名は抵抗もなくその場から走り去った。恐らく防衛隊だろう。士気も低いし
「麻子さん止まらないで!シャッターごと突き破ってください!」
「了解」
麻子さんの操縦は全く狂うことなくそのままシャッターを押し潰し、IV号は倉庫の中に突っ込んだ。車内が大きく揺れる。だがそんな揺れでも、先ほどよりはマシだ。枠に掴まっていれば耐えられる。そのまま前方の空間を確認した上で前に進ませる
その穴に続いてIII突、B1bisと他車輌が入ってきたことを確認し、咽頭マイクに指を再び当てた
「あんこう、カバさんの人は一回集まってください」
キューポラから出て地面に飛び降りる。ぞろぞろと中から出てきたあんこうチームとカバさんチームを前に、倉庫の少し奥の方にあった一つの縦長のケースを開いた。流石は軍事バカ学園。自分たちがそうしているから、そうされた時の対策もしてやがるのだ
中には互い違いにあるものが入れられている。薄茶色のラグビーボールみたいな形の頭に同じ色の棒が組み合わさった代物、パンツァーファウストだ
「使い方を説明します」
その一つを手に取る。砲弾に比べればマシだが、鉄パイプが付いてるだけあってそこそこ重量がある
「パンツァーファウストか」
「エルヴィンさんなら使い方ご存知じゃありませんか?」
「いや、流石に本物を見るのは初めてだ」
以前の私の部屋にはコイツのレプリカが置いてあったな。確か親からの貰い物だった気がする
「じゃ、一応使い方を。基本的にこれは先の丸い部分を敵戦車に向けて放ち、これを撃破します。その為にはここの安全装置を外し、その先にあるこの穴を、弾の頂点とともに照準を合わせます
撃つ時の姿勢は大きく二つ。脇に抱えるか、肩に載せるか、です。何れにせよ発射時に後方に爆風が出るため、後ろに敵以外の人がいないことを確認してください。また胸元で狙いを定めるのもやめてください。死にます。そしたらここのレバーを押して発射します
これは使い捨てです。使い終わったら棒は放棄して、自身の車輌に戻ってくるなり、今回みたいに倉庫を襲ってもう一本手に入れるなりしてください。きっとここはすぐに代わりの兵が駐屯するでしょうから。まぁそれを倒すのもアリ、ですが」
「こんなのに戦車を倒せる威力があるの?」
「なにを仰いますか!これは独ソ末期戦におけるソ連戦車の一番の天敵でありますぞ!」
沙織さんの訝しげな目に対し、優花里さんが必死に声を張る
「誤射でとはいえヤークトティーガーを撃破したこともある、という話も聞いたことあるな。少なくともポルシェティーガーが抜けてしまった以上、重装甲の駆逐戦車とかを撃破できるのはこれくらいしかあるまい」
「へぇ……」
たしかに戦車より遥かに小さいこんなものが戦車を仕留められることに違和感を覚えるのも仕方ない。自分たちが戦車に乗って戦ってきた意味も薄れるだろう。が、現にこれより小さいであろうものにウサギさんチームは殺られているわけだ
「運用に関してですが、射程が短いため基本は隠れながら接近し、撃った後は当たろうと外れようと即座に離脱してください
説明は以上です。カモさんチームは砲が2つあるのでそのままで。あんこうとカバさんは操縦手と砲手だけ残って、他の人はこれで戦います」
「でもそうするとウチの車輌、車長とリーダー両方失うぜよ。流石にそれはまずいんじゃないぜよ?」
おりょうさんが腕を組みながら言う。確かに一理ある。どちらかならともかく、どちらもは流石に統率的にまずい
「あっ……」
「取り敢えず砲手の左衛門佐は外さないとすると……」
「私がやろうか?操縦」
エルヴィンが声をかける。この人操縦出来たっけ?
「おりょうほどではないが、1度冷泉さんに聞いたことがある」
「でも、それだけで動かせるものでは……特にIII突は砲身の自由が利きにくいですし」
「隠れればいいぜよ。余り動かなければ弊害にはならんぜよ。それに隠れるのはIII突の得意技ぜよ」
「じゃあIII突に残るのは私と左衛門佐、行くのはカエサルとおりょうでいいか?」
「御意」
「了解ぜよ」
「バベーネ(了解)」
そうして担当が決まった。天才肌の麻子さんの指導というのもあり不安ではあるが、彼女たちが納得しているならそれでいい気もする。決まった後そこから少し離れた所にある箱に目をつけた。中身を見ると、予想通りの代物である
「みぽりん、何やっているの?」
「10、11、12。よし、人数分はある」
「何がですか?」
「痛み止め」
皆の頭にクエスチョンマークが浮かんだところで、一人一つずつ小さな縦長の箱を配っていった
「これが痛み止めなのか?西住」
皆が中を見ると注射が入っている
「注射?」
「はい、これは……モルヒネです」
「モルヒネ??」
「麻薬じゃないですか??どうしてこんなものを??」
思わず沙織さんが投げ捨てようとしたのを、割れる前にキャッチすることができた
「とと……えっと、これは……安楽死用です。これからの作戦は危険で、かつ負傷する可能性があります。自分が大怪我をして死を悟るまで追い詰められた時は、それを打って痛みを和らげてください」
無言。分かってはいるが、分かりたくはないだろう
「……結構効くらしいですよ。でもその代わり、使うのは本当に死を悟った時だけにしてください!一人でも多く帰って来ましょう。それが、勝利への道です」
言葉の最後が弱々しくなってしまうな
「分かりました……」
「私たちの戦場はここです。皆さんも各地に散って、迎え撃つ準備をしてください。敵を発見次第、私が信号弾を放ちます。あ、因みにここから欲しい武器があったら持っていってください」
「はい」
皆詳しそうな優花里さんやエルヴィンの話も聞きつつ、適当に自動小銃や爆弾などを見繕っていく。仮に死にたくなくとも、武器が多いなら越したことはないことは理解しているのだろう。それか本能か
私はパンツァーファウストと追加で手榴弾のみにしておく。身軽な方が動きやすく逃げやすいし、銃は持ち替えても弾が得られなかったら意味がない。弾も持ちすぎたら動き辛いしな
そして暫くしてここからかなりの人と車輌が散っていった。そしてこの時より私は殆どの責任を投げ捨てた。このチームの人の命を出来るだけ守るという
車輌から離れた人をコントロールすることは難しい。何より私もその一人だ。勝つために。そうお題目を立てて、私はまた逃げているのかもしれない。そしてその結果、皆この敵の本拠地で命を燃やし切るのだろうか
そうはありたくない。可能性は増やしたい。だからこそ、やるだけやらせてみよう
「華さん、麻子さん。ちょっと残って頂けますか?」
黒森峰学園都市郊外 ブレスラウ地区
目下には黒森峰学園都市の主要部が一面に広がっている。周りに視界の邪魔になる物は無い。ここなら敵が攻撃を仕掛けてきても、すぐに分かるし対応できる
そしてこっちから攻撃を仕掛けなければ敵はこっちに来るしかない。エンジンを切っても問題ない。むしろ掛けていて燃料切れにでもなったら洒落にもならない。だが暫くは来ないだろう。それが分かっている者たちによる穏やかな空気が高台に漂う
「飲む?」
あるパンターに乗る者が同乗者にペットボトルを渡す。この者たちは初参戦だ
「ありがと、このまま戦わず判定勝ちなら良いのにね」
受け取ろうとした時、ティーガー2の上で双眼鏡を構えていた私がこちらを向いたことに気づいたようだ
「あ……すみません、隊長」
試合前に言われたことを思い出したらしい。確かに大洗を全滅させろ、と言ったのは私だ。仮にこれまでの大会の最中だったなら、こんな発言など許されなかったに違いない。すぐに隊長の拳が彼女たちのほおを襲ったであろ打つ
しかし私は違う。口元を緩ませ、その者を安心させようとする
「いや、お前の言う通り、これは硬式戦、会場の外に出ている奴らが反則負けで誰も死なずに優勝できるなら、それが一番いい」
それが黒森峰や西住流の方針に反していることなど分かりきっている。そうでもなければ決勝に大洗は来ていないだろう
「なんなら自衛隊が片付けてくれれば楽だったんだけどねぇ」
しかし『非常時に最上の策を取れる人間』、それが出来る人間を真っ先に殺し、人の命を部品にする硬式戦車道を快く思えなかった。その者という損害は二度と取り戻せないというのに。きっといつか、この戦いもなくなるといいのだが、私がそれを差配できるような立場になるには、まずここで勝つしかない
「ただ、こちらから入っていかないとしても、奴らがどこに潜むのかは知っておく必要があるわ。そこでルフトバッフェの出番よ。奴らに対空兵器は無いから、空から全ての動きは筒抜けよ。流石に攻撃はさせないけどね。下手な恩は与えないに限るわ」
「ルフトバッフェと言えば、朝出撃がありましたけど、何なんですかね?」
「サンダースか何かが来てスクランブルかしら?全く最近そういうの増えたわね。どーせ攻撃する気なんてないのに
まあ今回のために一機だけ貸してくれたんだから、今は試合に集中するわよ」
「は、はい」
左側前方から2つのローターが回る機体が飛んでくる。先ほどまでは偵察などをこなしていた黒森峰のフォッケ、アハゲリスFa223だ。とりあえず今後の動きさえ読めれば、あの3輌などどうにでもできる
しかしそれは構えていた双眼鏡の向こうでいきなり砕け散った。驚きで双眼鏡を目から外した後、丘の上を悲しく爆発音の波が過ぎる
「え……何?事故?」
「ま、まさか……せ、戦車砲で……飛行機を撃った?」
小島さんも小梅も、この様子には驚きを隠さない。戦車砲なんかで撃墜するのを見るのは初めてだ。そもそも戦車は上を撃つのにあまり向いていない
「ど、どうやって……」
「……ま、まだ優勢は変わらないわ。こちらに来るまで砲をあちらに向けさせたまま待機していなさい」
「……は、はい」
兎に角これでもうフォッケ、アハゲリスはない。敵情は探りにくくなった
まずいな。先ほどのしんがりを含め、段々と向こうの、いやあいつの雰囲気が呑まれている。栄光ある黒森峰の者の士気はそう簡単に落ちないとは思うが、どうにかならないものか
黒森峰学園都市中心部 ライヒ病院
「砲声……?」
白衣の看護婦が東向きの窓のカーテンをめくる。空には依然として雲が張っている
「そう言えば今日は郊外で戦車道の試合がやってましたね」
と分かれば良くあることである。別に気にすることではない
カーテンを元に戻すと、反応が返ってこないのが分かりきってる話しかける。だがこうして話している言葉も患者の耳からは入っていく。そうした刺激がこの人の脳を再び活性化させるかもしれないのだ
そして詳しいことはわからないが、それが学園に必要なこと、らしい
「確かケーブルテレビで中継もやってますよ。西住さんのお仲間も戦ってるんですよね。一緒に応援しましょう」
まず電動ベッドを動かし患者の上半身を起こす。ワゴンに手をかけながら机の上のリモコンを手に取ると、電源を入れ、慣れた操作でチャンネルを黒森峰ケーブルテレビに合わせる。患者が元気な時にやっていたことを、ここではしょっちゅう流しているから
『戦車道をこよなく愛する皆さんこんにちは。ヨーゼフ加ヶ丘です。黒森峰中央放送より、黒森峰演習場にて行われている全国高校戦車道大会の様子をお伝えいたします
試合は膠着状態に入っていますねぇ。黒森峰戦車道選抜部隊は市街地を見下ろす見晴らしの良い丘に停止したままです。選手たちは落ち着いた様子を見せています
大洗は苦しいですね。これでは側面も背後も取れません。南山さん、どう思われますか』
『そうですねぇ。両サイドも的確に塞いでますね。このままいくかもしれません』
だがここでの解説はいつも学園に有利な情報だけを伝えてきている。永らくここに身を置くうちに、そこに関しては割り切れるようになっていた
だが彼女らが今の私たちの生活を守っている。それもまた周知の出来事だった
ただ光を得た時に画面に映っていたのは、キューポラから身を乗り出すエリカと彼女の乗るティーガーII、そして一面に広がる木のない平原。緩やかに動き始めた脳が、画面のわずかな情報から状況を把握しようとし始める。
そしてかすかに残るかつての記憶、それを交えて導いたのはある戦場。それもかなり危ういもの
「……だ」
閉じていた口が粘着力を取り払い、自力で動き出す
「ダメだ……エリカ……」
彼女がアップになった画面に手が伸びる。時間はかなり経っているらしい。手を伸ばしていくのも一苦労だ
「離れるんだ……そこを……」
だがそれでも、漏れ出る言葉を止めようとは思えない
「誰か……エリカに伝えろ、アイツは……アイツはまだ、硬式戦の経験が……」
鴻門の会の樊?の如く目頭、目尻が引き裂かれんばかりに見開いた目は画面に狙いを定める。筋力が大幅に減退した腹筋、背筋を酷使し更に、更に前に手を伸ばす
「先生!西住さんが!」
看護婦はワゴンにストッパーを掛けるのも忘れて扉を叩き開けて一目散に部屋を飛び出す。だが、それよりも重大な問題がある
「……アイツは……アイツはまだ……硬式戦を、黒森峰を分かってないんだ……」
当面準備の進行に滞りはない。黒森峰の目は華さんが神業とも思える狙撃で潰したし、黒森峰が山から降りてくるようにも見えない。いやさ、やれるならと思ったけどさ、本当に空に飛んでるヘリを放物線を描く砲弾で撃ち落とすとか、マジでやれるとか誰も思わんでしょ。けしかけた私がいうのもなんだけど
狙撃を成功させた時、華さんの心の中では何か踏ん切りがついたような顔をしていたが、その心で破門も乗り越えていくのだろうか
それを戦車の上で見届けたのち、私は優花里さんと沙織さんと共に、ある建物の一室を蹴り開けて潜んでいる。やはり集団的に避難が行われているらしい。無断立ち入りのお詫びは生き残ったらするかもしれないな。生き残ったら
ここの下には御船からブレスラウ地区を経由してフリードリヒ地区へと続く主要道が通っており、その直線の先を眺めれば黒森峰の主力が山の上に収まっているのが確認できる
「西住殿」
優花里さんがその建物の一室で話しかけてきた
「はい」
窓の外を向いていたが、声を聞いて後ろを見る。2人はそれぞれパンツァーファウストを握り、顔には汗が浮かべる。気温は9度、遠軽より気温はかなり上とはいえ、息も白く変わる。その汗が塩気のある汗か、冷や汗か、脂汗か、そんなのは分からない
「本当にまだ、我々に勝ち目はあるのでしょうか?」
「そ、そうだよ。まだ強い車輌が沢山いるんでしょう?ティーガーとか」
優花里さんの癖っ毛の内向きロールの度合いや沙織さんの髪の外向き度合いがいつもより高い気がする
後ろに向けていた視線を、外の道とガラス窓が幾つも並ぶ向かいの建物に戻す。その窓もいくつかは水泡がまとわり付き、中は見えない
勝ち目?そんなことは分からない。私にできるのは勝つために最善を尽くすだけ
「分かりません。ただ、黒森峰はルール違反を犯しました。ルールを破った者は負けなければいけないと思います」
「ルール違反?え、黒森峰が?」
「黒森峰が何かやったでありますか?どちらかと言うと会場外に出たウチや、準決勝のプラウダの方が」
「いえ……この大会のルールじゃなくて……戦車道のルールですらなく……」
外に現在は変化はない。それでも警戒を怠らない。敵は黒森峰、そしてここは敵地ど真ん中である
「人道に対する罪、人類へのルール違反を黒森峰は犯して来たんです」
その警戒を区切り、目線を優花里さんの方に向ける。口は少々緩ませようとしたが、それができたかは知らない。二人は言葉を飲み込めていないらしい。まぁそうだろう。この目で現実を知るのはこの中では私だけだ
黒森峰の歩んだ道は、敵としたものの未来を潰して潰して潰し続けることだった。その結果、自分たちの未来が潰れそうになるとも知らず。国の前に学園だった愚かな者たちの、崩壊の足音、それが来ていると信じた
「一つだけ確実なことがあります。黒森峰が再び戦車道に君臨することを、誰も望んでいないということです」
黒森峰は既にサンダース、プラウダという二強を敵に回している。私としてはそこにつけ込む機会を狙うしかない。その奇跡が再び私に微笑まんことを
~
与党日本民主党は55年体制における保守合同ののち、連立の如何はあれども、ほぼ一貫して政権与党の座を占めていた。1985年以降、学園艦の原子力エンジンの老朽化により、内需拡大の名の下進められた学園艦移設計画によって誕生した地上の学園都市は、その以前と変わらず日本民主党の大きな支持母体であった。(但し日本教職員連盟などの内部組織はその限りではない)。何より地方では都市そのものが一つの選挙区であることもあったため、日本民主党としては繋ぎ止めておきたい母体だった。実際に政府は学園都市の自治に表立って介入するのを避け続けた
かのプラウダでさえ積極的にではなかったが、その関与があるのは青森県の選出議員のほぼ全てが日本民主党の公認候補である点からも明らかだろう
政府は学園都市の自治を保証する代わりに、学園都市は政権を支持する。この相互利益のある関係は2009年まで安定していた
~
忘れてたけど今日はここまでです
また日曜日
~
永遠の平和など夢にすぎない。しかも決して美しくない夢である。戦争とは神の世界秩序の一環である。戦争においてこそ人間の最も高貴な美徳、勇気、自己否定、命をかける義務心や犠牲心が育まれる。もし戦争がなかったら世界は唯物主義の中で腐敗していくであろう
大モルトケ
~
どんよりとしていた雲に隙間が見える
「日が差してきたわね。天気も回復しそう」
手をかざし日光を遮りつつ天使の階段を眺める。やっとか。こんな天気じゃこちらの士気にも暗い影を落としかねなかったし、このぐらいがちょうどいい。しかし奴らも動かんな。流石に圧倒的な火力の前に死ぬ気はないらしい
だが動かなくてどうする?敵地の真ん中だ。補給だってまともにできやしない。食事も、水も、燃料も、寝床も、こちらには与えられる。此方が求めれば存分にだ
だがお前らはどうだ?刻一刻と減る燃料に奪った飯と水と寝床。仮にもついこの前まで普通の乙女だった者たちにその罪悪感を上乗せする。お前は大丈夫だろうが、他の者たちは果たしていつまでまともでいられるかな?
「ねえ、何か音がしない?」
少し気分良く伸びをしている合間に、近くにいた者が辺りを見回す。確かに私にもハエが飛び回るような音が耳に入るが、この周りに虫はいない。それが天使の階段の入り口に向くと、そこにいたのは黒い点の集まりだった
「あれ……飛行機だ」
「凄い数」
その点は近づくと横に広がる。この世にあんな遠くであれだけの大きさに見えるものは、しかもあれだけの数が揃うのはいくつかしかない
「ルフトバッフェの帰還?それとも誰か偵察の増援頼んだ?ちょっと本部に問い合わせてみなさい」
「隊長??」
近くにいて双眼鏡で空を眺めていた者が急に絶叫する。目は見開かれ、周りにツバが飛ぶのも気にする様子もない
「何よ?確認取れたの?」
「P47!サンダースのヤークトボンバーです!」
「なっ!」
素早く双眼鏡を構える。遠くに見える機体の中で一番手前の一番大きな機体の側面にあったのは、小さく見える青い星
間違いなくサンダースだ。そしてスクランブルした機体は帰ってきていない
だとしたら目標は……我々。それを妨げるもの、なし
「そ、総員緊急乗車!エンジン始動!回避急げ!大至急隠れなさい!」
ティーガーIIのキューポラに滑り込む。伝えるべきことは山ほどある。対空避難なんてどうやるか知らないが、とりあえず見られなければいいとは知っている
「ど、どこへ……」
しかしここは木一本もない平原、隠れる場所なぞある訳ない。更に今は冬、エンジンが温まり移動を開始できるまで少なくとも20分はかかる。あと15分もすれば爆撃が開始されるだろう
くそっ、しかも後方もしばらく平地。あのポルシェティーガーを撃破した場所も平地だ。つまり身を隠せる一番近くの場所は、ところどころにあるポツンと立つ木か、市街地か。
どちらにいくか。答えは一つしかない
そう、一つしかない
「兎に角市街地に急ぎなさい!温まりが微妙でもいいから!動けたらどんどん動きなさい!」
「に、西住殿!黒森峰のいるあたりに爆撃がッ!」
窓の外から丘を眺めていた優花里さんが声をあげる
「機体は?」
「えっと……恐らくP47、ですな。この辺りで、となればやはりサンダースでしょう」
「ふむ、サンダースが来ましたか。そうですか……サンダースが」
言葉を口から零すと座り込みを深くし、顔の汗を拭う
「良かった……なんとか時間を引き伸ばせば、終了までにきっと何か動きがあると思っていました」
「え、みぽりん知ってたの?」
「に、西住殿はこの事態を読んでいらっしゃったのですか?」
2つ目の奇跡が叶った。これが勝利には欠かせない
「まさか。運ですよ、運」
「……先ほどの自衛隊の件といい、西住殿は豪運をお持ちですな」
本当だな
「え、じゃあ本当に勝てるかもしれないの?」
「さぁ、そこまでは……」
「あれ、外から何か音が……」
上空から鋭く風を切る音がする。優花里さんが窓に這い寄って身を乗り出す。空には何十本もの煙の筋が縦に登る。灰色の空でもよく見える、さらに灰色の筋
「えっ?こ、これは」
その音が気持ちの良いもののはずがない。あの森を焼き払い、黒森峰のかつての同胞を死なせた音だ。だがこれまた幸運の証であるのだから、なんとも反応し難い。できることは一つだけ
「優花里さん、危ない!」
「うわっ」
窓際にいた優花里さんの服の首元と沙織さんの袖を引き寄せ、その手を握る。二人とも驚いたようだが、とにかくそばに座ってくれた。三人の手が多層的に組み合わさり、この冬に貴重な熱をもたらす
「さあ、一緒に信じましょう」
「えっ?」
「この建物に砲弾が命中しないことを」
黒森峰学園都市南部 ドレスデン地区
ここには大量の学生が集まっていた。ちゃんと15歳から18歳までの高校生である。高校戦車道大会の要綱に違反する部分はない
だが彼らは黒森峰の者たちではない。いやむしろ、彼らを憎んで憎んで憎み続けている者たちである
「撃て撃て、撃ちまくれ!ファシストの街を火の海と化し灰になるまで焼き尽くせ!今こそ虐殺された生徒や父兄の恨みを晴らし、同志カチューシャの仇を討つ時だ!」
プラウダ防衛隊学園駐屯部隊隊長という長い肩書きを引きさげたソホフ=コーネフが、軍服に身を包み、入ってくる情報を捌きつつ、命令を出す。プラウダ本土から用意した30輌のカチューシャが、大量の煙を吐きながらその名の者の恨みを晴らすが如く黒森峰学園都市を襲う
「向きは大丈夫か、セルゲイ」
「全て黒森峰学園都市中心部及び南部を狙っています」
テントの出口に向けて双眼鏡を向けつつ、参謀のセルゲイに確認を繰り返す
「連盟に確認は?」
「問題ありません。学園側が厳重に手配済みだそうで」
「そうか。突撃部隊の攻撃準備は」
「問題ありません。指示一つで黒森峰を粉砕出来ます!」
セルゲイは拳を胸元で振り上げる。こちらはソホフより声が低い。この場にいるとそう思うかもしれないが、軍楽隊にいた時はテナーのセカンドだった
「しかし……本隊はともかく奴ら、本当に大丈夫なのか?そもそも軍属ですからないし、命令云々ではないかもしれんが……」
「今のところは大人しくしてますな、今のところは。まぁ、餌には食いついてますよ」
「だろうな。まぁ、同志カチューシャの指示だ。お隠れになっているとしても、逆らうわけにはいかんしな」
「今後を考えますと、それが宜しいかと」
「狙撃隊は?」
「ヴァレリーに無線を」
セルゲイが呼ぶと、別の者が無線機を持ってくる。それのダイヤルを素早く合わせ、声を掛ける。ケータイが使えないとこういうのが厄介だ
「こちらソホフ、どんくらい済んだか、ヴァレリー」
「……もういない。橋は確保できた」
帰ってくるのは暗く小さな声だ。なにか前髪で顔が隠れている姿を想像させる
「……風がなさ過ぎて面白くない。スコープで真ん中にやって当たるとかつまらんこと限りない」
「流石言うことが違うな。それじゃ確認の為一人残って、他はこっちに帰って来てくれ」
「……ダー。俺が残る。時が来たら教えろ」
「分かった。全く、お前は敬語が使えないのかい」
「狙撃の腕で勝ってから言え」
「お前に勝てる奴がおるか!」
そう言うと無線機を元に戻した。配下の者は素早くそれを持って戻って行く
「……ヴァレリーには軽いんですね」
セルゲイが少し気分悪そうに言う
「彼奴の腕は信頼できるけどな、彼奴の性格的にあれくらいで付き合わんともたん。ありゃあ現場向きだ。下士官が精一杯だろうよ」
「でしょうな。ま、技術が一級品だからこれからも重宝されるでしょうがね」
「しかし……いいものだな」
「この光景がですか?まぁ、間違いないでしょうな。全ての恨みごと燃え尽きて仕舞えばいいのですが」
二人揃ってトーンを落として笑い合う
「隊長」
「どうした?」
先程の配下の者が落ち着いた様子でソホフを呼びに来た
「同志クラーラから無線です。無線所へ」
「同志クラーラからか」
「時の確認ですかな?」
「だろうな。分かった。今行く」
構えていた双眼鏡から目を外し、それをポケットに入れて布で囲まれた無線所へ向かう
入り口の布を払うと、大きな機械が机を占拠している。無線士から手渡されたマイクを受け取る
「こちらソホフ。如何なさいましたか、プラウダ戦車隊常務監督官様?」
「作戦開始時刻に関してです。あと、その呼び方お辞めになって頂けますか。今はプラウダ戦車隊臨時隊長です」
「では臨時隊長、開始時刻は、確か向こうが10分後をめどに引き上げ、我々が15分後には撃ち終わるので、20分後でお願いします。我々も其方に敵の目が向いたあと全軍で向かいます。学園の為に偉大なる戦果を!」
「それでは同志マリア、ヨシコ、アレクサンドラ、リツにもその様に伝えておきますわ。それにしても……貴方がたまで出てくるとは、もはやこれは戦車道と言えるのでしょうか?」
「我々は武装偵察隊ですから、ルール的には問題はありません。それにこれはほぼ戦争と言って差し支えないと思います。憎っくき黒森峰を殲滅する、ね
しっかし、日本語まで流暢な同志クラーラにはかないませんな。私どうも日本語の発音は苦手なもので。伝達、よろしくお願いします」
「プラウダ、ウラー!」
「プラウダ、ウラー!」
無線に向かって敬礼すると、またマイクを掛け口に掛ける。その下に一人、布越しに頭だけさしてくる者がいた
「隊長、そろそろカチューシャが無くなります」
「次は122ミリカノン砲用意!構わず全弾市街中心部に撃ちこめ!3分以内にだ!」
「ダー!」
「5号車、応答ありません!」
「8号車、エンジンに被弾で走行不能!脱出します!」
悲惨だ。辺りは投下された爆弾による煙が立ち登り、さらに新たな爆弾が次々と黒森峰選抜戦車隊を襲う。何とか走らせ市街地に急行しているが、そこに向かっている間にも一輌、また一輌と餌食になってゆく
「ぎゃぁぁ!」
先程脱出した8号車の者たちに機銃掃射が縦一列に攻めかかり一人その餌食になる。しかし私の車輌も、他の車輌とその乗員を気にするほどの余裕はない
「後ろに付かれたわ!ターンして回避!御船川は空気抜きコックを閉じた後、上流部から突っ込みなさい!そんなに深くないからこれでいけるはずよ!頑張って!市街はもうすぐだから!」
操縦手は左右に車輌を振らせる。顎の下から垂れる汗を拭う気も起こらない
「とにかく逃げなさい!くそっ、サンダースの航空隊がここにいるのに、ルフトバッフェは何をやっているの!」
黒森峰戦車隊は出発前に5輌、川までの移動中に4輌、川縁や川の中で2輌の戦車がそれぞれ走行不能となった。そして私の頭の中では悪魔に近い顔をしたあいつが口角を上げて語りかけてくる
ようこそ、私のいる場所へ
そうせざるを得ないとはいえ、まんまと乗せられていることは分かっている。仮にこれすらも予測していた、いや計画に組み込んでいたのなら、とんだ化け物だ。黒森峰のために、奴だけは殺さねばならない。たとえ私の命が引き換えだとしても
黒森峰戦車隊が市街地に入った頃を皮切りにサンダース航空隊は長崎の方を目指して撤退を開始し始めた。音が遠くなる。やっと……当面の危機は去った
しかしサンダースめ。直接ウチの戦車隊を攻撃するとは、何を考えている。いくら戦車道の枠内とはいえ、こちらを完全に敵に回すことは避けられない。だが協定のおかげで海軍力で黒森峰は優位にある。上陸はできまい。対立に意味はないはずだ
何を考えている?
黒森峰学園都市コットブス地区 試合会場外の一角
「まさかサンダースが介入するなんて……あそこは反硬式で対外不干渉を主張していませんでしたか?ダージリン様」
黒森峰市街地から縦に太く登る煙を眺めながらオレンジペコは話しかける。ダージリンはこんな状況でもその煙をも添えて優雅に紅茶を嗜んでいる
「大概お題目は何かを隠す蓋でしかありません。それに言ったでしょう、熊と象が来ると。これで黒森峰は最悪でも戦車道の覇者に返り咲くのは難しくなりましたわね」
「それは此れ程の被害を受けたら仕方ないでしょう。市街地中心部も被害を受けているようですし、都市の復旧と機甲師団の復活を両方できる力はさすがの黒森峰にもありませんでしょうから」
ダージリンは紅茶を更に一口飲む
「それにしてもみほさんは凄いわね。今までの敵を友達にしてしまうなんて」
「友達とは違うと思います、ダージリン様」
「変わりませんわ。みほさんを、みほさんの奮闘を信じているからこそ、熊と象は此処に来ているのですから」
「……あの、そう言えば熊は分かりますけど、なんでサンダースが象なんですか?」
ダージリンは紅茶を飲もうとした手を止める。そしてすぐにほおを緩め直す
「あらペコ、ご存知ありませんの?現在のサンダースの学園長の愛善はサンダース共和党出身ですわよ。貴女はどうやら世界史の他に日本の学園都市の政治体系についても学んだ方が良さそうですわね」
すぐにカップを空にした
何とか川を渡り、市街地に入った時、市街地はすでに窓が割れ、火の手が上がり、廃墟と化した建物の群れだった。市街地の状況に思わず絶句するほかない
サンダース航空隊は戦車隊だけでなく市街地南部も縦横無尽に焼き払う。最早黒森峰学園都市南部は復旧に数年かかるだろう、と思える、いやそう予測できるくらいの被害を受けていた
「7号車応答ありません。8号車応答ありません。10号車応答ありません。11号車……」
先程から通信手が伝えてくるのは、応答なしの無限ループだけ。聞き飽きてはならないものだと分かっていても、流石に聞き飽きる
「もういいわ。誰が残ってるか、応答した車長名を言いなさい」
「赤星、小島、国末、江賀、宮内です」
幸いティーガーIIは共に生き残った様だ。あとはヤークトパンターとパンター2輌、そしてティーガーI。頼れる人間が残ったのは幸いだが、駆逐戦車はほぼ壊滅した
まずいな。火力は落ちたし、本格的に黒森峰の各車輌には恐怖と不安が山積し、溢れようとし始めている
「これは……いくら硬式戦とはいえ市街まで攻撃するとは異常よ」
火事が頻発しているように見受けられるが、響くサイレンは軍事目的の訓練でしか聞いたことのないもののみ。住民の避難は住んでいるようだが、そうだとしても火が消えたら即座にゴーストタウンと化す気配を醸し出している
そんな煙の街の中に直立する審判は、無表情で2本の旗を共に下げている。ただ己がそうあるべき姿を示し、職務を遂行している
「試合は、まだ継続しているようね」
残念なのはこの爆撃で大洗が全滅しなかったことだ。せっかくこんなところにやって来やがったのだから、巻き込まれて仕舞えば楽だったのに
「エリカ隊長、無線です。学園からです」
「誰から?」
通信手からの報告を聞いて、すぐに無線を繋ぐ
「逸見くん、こちら狩出だ」
「か、狩出教官。如何なさいましたか?」
何故、学園ナンバー3、学園教育統括部長のここまでの方が私に……
「ふふ、私だったことが驚きかね?まあ細々したことはいい。其方に偵察部隊としてSS歩兵師団から3個小隊を送った。無線機と拳銃しか持たせてないが、使ってくれ
学園長からはこのような形をとってでも大洗をできるだけ早く撃滅するように、との指示が出た。これを完遂するように」
「……はっ!学園長から直々にお言葉を賜るなど、この上なき名誉!選抜戦車隊隊長として間違いなく成し遂げます!」
「そうか、それはなによりだ。私からは一つ、早く戦車道を終わらせろ。ハイルフューラー(学園長万歳)」
「ハイルフューラー!」
無線を切らせる。間を置かずに今度は各車輌全てに繋げさせた
「諸君」
一度息を吸い、深く吐き出した
「私は途方も無い犠牲を出した黒森峰女学園戦車隊隊長としてここにいるわ。きっと歴代でも最大クラスね。殲滅戦っていう条件が付いても
でも試合は終わってない。旗は両手とも上がった状態ではないわ。だから戦わなきゃいけない。今回の被害について悩むのも恨むのも……後にしなさい
先程狩出学園教育統括部長殿より連絡があり、学園長直々にお言葉を賜ったわ
『一刻も早く大洗を撃滅せよ』とね
その上この状況を考慮なさり、偵察員としてSS歩兵師団より小隊を投入して頂いたわ。ここまで学園長直々に御配慮頂いた上でその命を満たせぬとあらば、これは戦車道末代までの恥よ!
だからこそ……ここで叩き潰すのよ、大洗を、西住みほを。あの女は厄介。生かしておけば黒森峰に100年の災いをもたらすわ。だから……必ず殺しなさい。戦車ごとでも、一人だけでもいいから
総員前進。ルール通り大洗を殲滅せよ!」
~
黒森峰女学園学園長賛歌
『神よ我らの総統を祝福せよ』
黒森峰 黒森峰よ 日本の学園を統率せよ
気高く賢人たる 総統を我らは敬愛す
犬伏から田代まで 杉堂から寒野まで
神よ総統を祝福せよ 我らの良き総統等良を
神よ総統を祝福せよ 黒森峰の名と共に
整然と行進し 勝利と実りを輝かそう
総統は我らに恵みを与え 幸運へと導かれん
輝く草原と緑の山は 淑女を育て給う
神よ総統を護り給え 我らの良き総統等良を
神よ総統を護り給え 黒森峰の名と共に
正義と堅実と忠誠を 母なる黒森峰の為に
その手を我らは掲げ 姉妹の如く協力す
この大地と我らの博愛 繁栄の証であれ
神よ総統と共にあれ 我らの良き総統等良を
神よ総統と共にあれ 黒森峰の名と共に
神よ総統を祝福せよ 我らの良き総統等良を
神よ総統を祝福せよ 黒森峰の名と共に
~
今日はここまでです
2050から始めます
~
怪しいところは、弾丸をぶちこめ
エルヴィン・ロンメル
~
路地の隙間からドイツ戦車が通り過ぎるのが見える。あの後一個後ろの建物に場所を移しておいてよかった。先ほどの建物、近くに砲弾が当たったのか瓦礫が落ちてきていたし
「来ました。5輌……6輌です。ティーガーIIやパンターはいますが、マウスやヤークトティーガーなどは見当たりませんね……
黒森峰は3分の1以下に減っています。奥の通りに2輌向かいます。優花里さんと沙織さんは例のポイントに移動してください」
双眼鏡で一輌一輌確認しながら優花里さんと沙織さんに指示を出す。減ったか。予想の範疇内で減ったな。もっと減ってくれればそれはそれで楽だが、その分学園からの支援がプラスされそうだしな……こんなものか
「はい。西住殿、御武運を!」
「みぽりん、気をつけてね!」
二人はそれを聞き、パンツァーファウストと幾らかの荷物を抱えて部屋から走って出ていった
さて、動く時か。この戦いのために皆が奮闘してくれることを期待しよう。自動小銃を肩にかけ、倉庫から持ってきた小さな拳銃に少し大きめの弾を装填し、空に打ち上げる。軽い音とともに、弾の周囲に煙が撒き散らされる
信号弾白。黒森峰来襲の合図だ。そしてそれを確認し、私もすぐに建物の闇に消える
黒森峰残り6輌、それは優花里に勝利への希望を抱かせるには十分だ。20輌と比べれば数はかなりマシ。さらにマウスなどの重戦車もかなり減っている
損害比率で言えばこちらが圧倒的に優位。さらにはパンツァーファウストのお陰で敵の装甲の硬い車輌だって撃破できる
その期待感に少し気分が昂った状態で、沙織と別れ言われた地点の建物の扉を開こうとする。するとその扉は触れる前にすっと奥に開いた。自動ではなかったが
「あ」
「あ」
開いた入り口の向こうにいたのは黒森峰の服を着た者。その者と同じような表情で同じ言葉を同時に発していた。二人の目はあったまま動かない。銃を構えようとも思ったが、身体がそうしたがらない
無言の空白が少しの時間を吸収すると、優花里は半身になり、右腕を入り口とは逆に向ける。流石によく知らぬ人間を直接、即座に殺す勇気はなかった
「あ……ど、どうぞであります」
「ああ、すみません」
目立った混乱もなくその者は一礼し、背中に無線機を背負って、長いアンテナを空に伸ばした状態で前を通っていった。その人に背を向けて続いてくぐろうとすると、たどたどしく後ろから声が掛かる
「あの……パンツァーファウストなんて使うんですか?」
「そちらは無線機でこちらの居場所を教えるのでありますか?」
不気味だと言わんばかりの様子で話し掛けたその者に、すました顔で返す。この場が真に『なんでもあり』だと知っているならば、この質問は愚問だ。殺すのは早い。されど音で気づかれ、建物ごと崩されては助かるとは思えない
何よりこの服はSS。彼女は歩兵師団の可能性が高い。タイマンでこちらから仕掛けても負けるかもしれない
再び目線を合わせたが、先程より遥かに短い時間で、走って各々の行くべき場所に向かった。次にまた出会わないことを願いつつ
そしてその後建物のドアを隣も含めていくつか蹴破ってから、窓際であたりをさっと確認し終えた時、いつのまにか自分が殺さない理由を考えていることに気づいた
「エリカ隊長、SS歩兵師団第4部隊第2小隊の者より無線です」
「分かったわ」
通信手がこちらに話を振ってきた。件の歩兵師団の者たちだろう
「こちら戦車道選抜隊長代行、逸見曹長」
「こちらSS歩兵師団の観測隊の吉崎軍曹です。本日は……」
「吉崎軍曹、挨拶はいらないわ。情報を持ってきなさい」
下手な話をする時間はない。情報面で優位に立ち、出来るだけ早く叩く
「は、では早速。大洗のIV号がそちらの前から500メートルの所を通過しています。あと戦車猟兵が各地で数名確認されています。注意してください」
「了解。情報に感謝するわ」
戦車猟兵。全く、厄介なものを投入してきたわね。ちっこいけど盾はない。けどこの場では建物そのものが盾になり得る
「そちらでも可能なら掃討をお願いできるかしら?」
「……まぁ、ここは戦車道の会場外ですから、連盟への説明は可能だと聞いています。しかし偵察を主眼においているため、身軽であるためにそんなに武装していないことをご理解お願いします」
「……まぁ、しょうがないわね。よろしく頼むわ」
外からの無線を切り、各車の車長に繋ぎ直す
「各車に通達する。敵には戦車猟兵が確認されているわ。見つけ次第躊躇なく機銃で蹂躙しなさい。その躊躇が死に繋がるわ。それとIV号が近くに確認されたわ。西住みほも近くにいる可能性が高いから、各車注意を怠らないように!」
「ヤヴォール!」
その返事の強さに少し安心したが、先ほどの一つの言葉が私の心に突き刺さる
戦車道の会場外だから、直接関係しない者たちもいて問題ない
そういうことだろう
何故だ。なんで言葉の前置きなんかに引っかかる。大した意味はあるまいに
「どうなさいました?」
言われるまで装填手がこちらを見ていたことにも気づかなかった
「何でもないわ。ただ……そうね。この戦いの先を見据えたかっただけよ」
適当にそう返した
次の通信まで余分な時間はなかった
「IV号発見!前を横切り左へ向かっています!側面が……」
発見した国末の乗るパンターの砲身が、大洗IV号を狙うべく砲塔を回転させ始める
「待ちなさい!砲塔で追わないで!」
叫んで後輩を制止させる。とりあえずすぐに停止してくれて助かった。士気は高いが、冷静さも一応は持ち合わせている
西住みほほどの女がそんな容易に姿を見せるはずがない。彼女たちは先に着いている。この地形を利用して待ち伏せなどをしているのが普通だろう
「敵はこちらの側面を取りたいはず。誘導だとすると……おそらく二時方向の路地に待ち伏せがいるはずよ。宮内、回り込んで確認してくれる?」
「ヤヴォール」
狙おうとしていパンターの後ろを左へ曲がり、土煙を上げて言われた方向に進む
「私は万一気づかれて脱出しようとしていた際に備え宮内の救援に向かう!他車輌は周囲を警戒しつつ先程のIV号を追撃用意。三突が近くにいる可能性もあるし、場合によっては宮内と包囲殲滅してやるわ」
「ヤヴォール!」
そして周囲を見渡しながら速度を落として進んでいると、結果はすぐについてきた
「2時方向の裏にB1bis発見!」
「報告する間があったら撃ちなさい!」
すぐにイヤホンを外し、砲声を確認。確かに言われた通りの場所にいたらしい
私たちの車輌がその場所に近づいた時に見えたのは、燃え盛る敵車輌だけだった。嘘偽りはない
「B1bis撃破炎上!キューポラから1人脱出して隠れていますが、もう一発撃ちますか?」
「いや、炎上している車輌にいたなら、まともに動けるはずがないわ。戦車猟兵を呼び寄せたら面倒だし
何も持っていないようなら放っておき、戦車の撃破を優先しなさい。ルール上それで構わないしね。よくやったわ、宮内」
B1bisはいつまでも火までも吹いて、轟々と燃え盛っていた
第74回戦車道大会公式記録
大洗女子学園犠牲者
後藤 モヨ子
黒森峰 砲撃死 死体損壊が激しく死因は不明 即死
金春 希美
黒森峰 砲撃死 死体損壊が激しく死因は不明 即死
「宮内は私とともに、一本奥の路地からこちらに近づいてきているであろうIV号を探索し、追跡しなさい!」
「ヤヴォール!」
宮内の乗るパンターは道から段差を降り、枝を踏み折って、先を行こうとする
その時、二本の白い筋がそのパンターを狙った。その内一つが見事にパンターの左側面に命中する。命中されたパンターは爆風を受け、みるみる炎に包まれる。
「宮内!」
叫んでも何も変わらない。猟兵がいたか!
「やった!カエサルの一発当たったぜよ!」
「賽は投げられた!」
炎の音に混じって声がしたが、きっと即座にその場を離れているだろう。装備は……パンツァーファウストか……
「クッ!」
一瞬の油断だろうか、その時を確実に狙われた。目の前で撃破された事に焦っているのが、心臓の鼓動を通して体を揺らす
「エリカさん……追跡しますか?」
「……ねぇ、パンツァーファウストって何本も持ち歩けるものかしら?」
「いえ。そこそこ重量ありますし、それはないかと……」
「なら車輌の撃破を優先するわ。IV号の後を追いなさい
各車ともに連携を密に!敵は残り2輌、5対2よ!猟兵に気をつけなさい!数はそんなにいないだろうから、機銃の残弾は考えなくていいわ!」
咽頭マイクを掴んで叫んだ。どこだ。猟兵はあと何人いる?
道の角で通りの向こうを伺っていた。特に異変はない。いや。異変はあるが敵ではない
「ねえゆかりん戻らない?あそこにいれば敵来ないみたいだし……」
一緒にいる武部殿が不安げな顔で尋ねてくる
「試合自体は全車輌撃破されたら負けですし、ここは黒森峰学園都市のど真ん中。見つかって最後に殺られるだけであります。味方が残っていて少しでも勝ち目がある内に合流しないといけません」
路上とその周りを再度確認する。燻る煙の臭いを払いつつ、銃の引き金に指をかけておく。もし居たら引けるのか、それは別の問題だ
「それに敵は偵察を投入しています。こちらが不利なのは火を見るより明らかであります。急がなければ」
「て、偵察ってしていいの?」
「偵察行為そのものは禁止されておりません。ただ、さっき会った人は大丈夫でしたが他の偵察の人が武装している可能性があります。黒森峰ならやりかねません
どうやらここにはいないみたいでありますな。行きましょう」
先に道へと飛び出すと、慌てて武部殿も続く
市街地に着いてから不思議に思っていたが、この付近、いや市街地のあちこちに、簡易的ながら塹壕のようなものが張り巡らされている。何かの準備かと思われたが、ちょうどいいので気にせず身を隠しながら移動するのに使った。しかし地上に比べて足場が安定しておらず、後ろの武部殿が時折つまづく
近くに爆撃に巻き込まれたのだろうか、足の関節が変な形に曲がった審判の遺体が転がっている。審判の立場を侵す行為が咎められるスポーツなど、寡聞にして知らない
これが本当に試合なのか、それともほかの何か……自分が好きな戦車を生み出した戦争、というものなのか
「ひいぃ、もうイケメンもお金持ちもいりません。生きてお家に帰してください……」
目に涙を浮かべながらついてくる。生きて帰るために死の危険に身を晒す、皮肉な環境に私たちはいる。その比較対象は兎も角
?
?
コンビニがあった。今はもう運営能力はない。ただ店内に突っ込んだIII突の75ミリ長砲身が、その先にある交差点を指向している
「そうだ、よーしそのまま出てこい」
ティーガーIIの砲身と足元の一部が二枚の鏡を経てエルヴィンの視界に入る
「何を躊躇している。さっさと出て来い。横っ腹にタングステンを撃ち込んでやる」
砲隊鏡から額からの汗を止めずに?に流しつつ、手でそれを動かぬよう握りしめてその時を待つ
「もうちょっとだ……完全に出てくれさえすれば……」
しかしその見えた砲身が見える範囲は、急に短くなってしまった
「あ、クソ!下がりやがった」
しかしその下がったあとの車輌は凄まじかった。まず左に45度超信地旋回し、少し進んだ先で今度は右に90度超信地旋回したのだ。足回りの負担は尋常じゃないだろうが、そこから角にあった建物に身を擦り付けるようにして側面を守りつつ角を曲がり、やっと右折した
その機動はまさに見事。敵であるエルヴィンたちも何もできずに見とれているくらいであった
「……チッ!」
「エルヴィン、気付かれたのか!」
驚くのも無理はない。向こうからこちらは見えてない筈なのだから。だがこちらに砲塔を向け、近づいてきている。なら答えは一つ
「構うもんか、ゼロ距離だ!撃て左衛門佐!」
距離は短い。200メートルもあるかないかだ。左衛門佐が引き金を引くと、車輌は反動で大きく下がろうとし、店内から煙が吐き出される。それだけでなくIII突は砲が低位置にあるため、砲撃により地上から土煙が舞い上がる
「当たった!」
「殺ったか!」
「分からん!」
敵は弾とともに土煙の向こうに消えた
「もう1発、照準そのまま撃てッ!」
「定めなき浮世にて候へば、一発先は知らざる事に候!」
左衛門佐はエルヴィンによる装填が確認され次第、即座に引き金を引いた。轟音と共に車内に薬莢が排出される
「次ッ!殺るまで何発でもだ!」
エルヴィンは75ミリ砲弾を掴み、その後ろを拳で砲尾に押し込む
「3発目!」
車内の揺れで頭に載せた帽子とゴーグルがずれるが、大した事ではない。次の砲弾を装填する
「4発目!」
地面を這うように行く砲弾は土を巻き上げる。エルヴィンは次の5発目の装填に移ろうとする。しかし敵は土煙を掻き分け、やっと彼女らの目の前に姿を見せた
茫然とするしかなかった。今まで何事もなかったかの如く、堂々と彼女ら目指して前進していた。車輌正面には四つの凹みというか擦り傷というか、がついているだけである。何度も砲隊鏡を眺めるが、変わらない
「やっぱり、キングタイガーはモノが違う」
不思議と口角が上がる。しかしその逆説的に至福の時間は長くは残されていなかった
間も無くティーガー2の砲身がIII突をゼロ距離で狙う。今までの音よりはるかに大きく、低い音が響く
正面右側に垂直に命中した88ミリを止められる筈がない。寧ろ後ろのガソリンエンジンまで撃ち抜かれたのだろうか、コンビニは一瞬の内に炎に包まれ、III突と共に丸ごと焼き尽くした
そのコンビニ跡前を左折し、ティーガーIIは悠々とその重い車輌を走らせていった
第74回戦車道大会公式記録
大洗女子学園犠牲者
松本 里子
黒森峰 砲撃死 死体損壊が激しく死因は不明 即死
杉山 清美
黒森峰 砲撃死 死体損壊が激しく死因は不明 即死
アパートのある一室で、息の音を聞いた。少し先のドアの向こうだ。そこだけ扉が開いている。背中には機械。そのせいで見えないが、恐らく親衛隊かね
ふむ、偵察か。流石にかつてのお上はこのまま犠牲がむやみに増えるのを良しとしなかったらしい。が、一方で目立った武装は見当たらない。つまり補助はするが直接戦うのは戦車隊、そう考えているのだろう。この者をどうするか、その答えは一つだ。もう二度と報告させないようにする
しかしそうしようにも方法がいくつかある。情報を聞き出すか一撃か。銃だって拳銃と自動小銃の二つ。長々と迷う暇はない。一撃で、かつ的確に。となると、やはり拳銃で接近して後頭部から一発、だな。あの時から試合が変わって球も補充されてるし
ゆっくりと扉に近づく。耳にイヤホンをつけているせいもあり、背後からそっと覗いても気づいている様子はない。親衛隊にしてはえらく不用心だな。もしかして新入りの系統かな?そうだとしてもやらねばならないのは変わらない
彼女が左を偵察した時を狙う。その時一番私から視野が離れる
右……真ん中……
左っ!
荷物を捨て、三歩!振り返ってきた敵を顔を見る間も作らずに、機械ごと背中から押し倒す。重心を肩の上に移し、銃の発射準備
「な……誰……!」
警戒してなかった敵が悪い。それとも我々が猟兵を展開していることを知らなかったのだろうか。なら知らないほうが悪い
しかしいざ銃を突きつけてみると、私の身体を何かが押し留める。連絡されるのは都合が悪い。それは分かっている。仮にされたりしたら、私の命の危機だ
なぜ撃てぬ。こいつは敵だ。このような服をしているからこそ
「ぐ……お、大洗?れ、連絡を……」
首をひねって服の裾の色を見られたようだ
うなじから前頭葉にかけて一発。銃口を押し付けて引き金を引く。やはり何度も思うが、命と引き換えにしては指への圧力は軽い
あの時のような骸の頭が、血の海を成して浮かんでいた。だが見続けられるほど悠長にはしていられない。流石に銃声を鳴らしてしまった以上ここにはいられない。仕方ない、次の候補に場所を移すか
頭の切り替えは久し振りに恐ろしいほど早くできた。できてしまった
こちらの建物には幸いにして偵察は投入されていなかった。ここは戦車が両側と幅をとって走行できる道の一つ。猟兵の存在は外の音から気づかれているはず。と、なるとこのような道を選択するだろう。さらに警戒しやすくするため速度も落ちる
そしてやはり予想は当たる。音と窓枠の振動がそれを知らせるのだ。窓際で数を数えていた。幸いにして周囲に誰かがいる気配もないので、暫くはこの音だけに集中できる
「70……60……」
外から戦車のエンジンが回る音がする。手にはしっかりとパンツァーファウストがある。それも窓枠の外に現れないよう警戒する
「50……40メートル!」
その音が自分の右側に壁にほぼ垂直に届いていると判断した。すぐに立ち上がり、立てておいた照準器の穴から確実に狙いを定め、前の車輌に向けて引き金を引いた
発射された弾は爆炎と鳴動と共に敵の左側面に命中した。炎の音と共にヤークトパンターはみるみる燃え盛る。人が生きているとは思えない
それを確認すると、急いでその場を去った。攻撃は自分の居場所を教える事と同義だ。それを示すように階段を駆け下りる際、先ほどの場所は砲撃で破壊され、耳元を小さな瓦礫と爆風が駆け抜けた
ヤークトパンター。防衛隊の車輌で唯一の重駆逐戦車。他にも重戦車の類も親衛隊所属である。つまりこの車輌は防衛隊の中で特別な存在
これに乗っていた人を私は知っている。だが戦車の壁があるだけで、これだけ躊躇いをなくせるのか
第74回戦車道大会公式記録
黒森峰女学園犠牲者
小島 エミ
大洗 砲撃死 死体損壊が激しく死因は不明 即死
~
日本では戦後すぐに生産力の増強を傾斜生産方式のもと進めるとともに、復興に伴う需要がひと段落した際を見据え、新たな計画を打ち出した。学園艦計画である
これは先の大戦が国際的孤立が要因にある、との考えも踏まえ、当時は特に海外旅行が貴重であったことから、国際文化交流の窓口としての役割も兼ねられることがあった。これが今日の一部の学園都市にて外国各国文化を持っている理由としてある
しかし結果的にこれはなされなかった。復興信用金庫によるインフレとその是正のためのGHQによる経済安定九原則、ドッジ=ラインによる不況。そしてなによりそのようなことを実現する経済的余力がなかったのである
これの実施計画の本格的進行には、朝鮮戦争による特需景気とサンフランシスコ平和条約による日本の独立をまたねばならない
~
今日はここまでです
2250からやります
~
ドイツ陸軍暗黒の日
エーリヒ・ルーデンドルフ
アミアンの戦いを受けた発言
~
「最後の一輌、IV号発見しました!5番通り52番地のビル陰に潜んでいます!進行方向は南!6番通りに向かう道から挟み撃ちにできます!」
話は入ってきた。黒森峰にとってもかけがえのない人だったと思うし、私が指揮する上で支えになる方の一人だった
「……報告に感謝する」
しかし悲しむ時間など無い。仮に悲しんでいたとしても、何やってんですか、と笑い飛ばされそうなのもあるが。すぐに観測隊からの報告が入る。大洗はこれ一輌のみ。これさえ潰せば、勝ちだ
「よし、四輌全車で包囲するわ!国末と江賀は5番通りから、小梅は私と合流して6番通りに向かう。IV号を確実に仕留めなさい!」
「ヤヴォール!」
三輌の車長からのはっきりとした返事を確認し、車輌を進める。そして合流した小梅車に先行させ、6番通りに向かう
その時私の頭は、一時的にそのIV号で支配された。だからこそ考慮すべき存在が頭から欠けていた。ティーガーIIが悠然と走り、それの交尾がとある路地裏の前を過ぎた時、道の真ん中に飛び出した者らがいた
「来た!」
彼女らの手には、パンツァーファウストらしくはない何かが握られている。駆け足でティーガーIIの後ろに回り込む
「見た!」
右腕の動きが若干ぎこちないが、そんな事は気にせず、ただ目標に走り寄っている
「勝ったッ??」
それを合図に二つの吸着地雷をティーガーIIの背面に重い金属音と共にくっつけ、紐を引く。そしてその勢いのまま走り去ろうとした
「は、早く!早く撃ちなさい!」
「は、はい!」
通信手が7.92ミリ機銃で二人を狙う。銃弾を食らった彼女らは焼いたゴマの如く跳ね回り、地面に斃れた
だが判断は遅れていた。すぐ後に小梅のティーガーIIの背後は大きな爆発音と共に吹っ飛ばされた。車輌からは火の手が上がり、黒い煙を登らせる
「……念のためもう少し撃っておきますか?」
「轢きなさい。息の根を止めるなら」
操縦手にそう指示したところ、流石に嫌悪感があるらしく、若干怯えた目でこちらを見てきた
「しかし、履帯に肉片が挟まると……」
「戦車道は人を苦しめるためにあるわけじゃないわ。早めに、そして確実にとどめを刺すのも礼儀よ」
「……はっ」
車輌は二つの血しぶきの集団を作った上で小梅のティーガーIIの脇を通り、隣り合った状態で一回車輌を止めさせる
「小梅、乗員は無事?」
「何とか」
戦車の上で炎に消火器を向ける小梅が答える。幸いエンジン部のみの損傷で、車内そのものには影響なさそうだ
「ご苦労だったわ。後は我々に任せて脱出しなさい。この先の行動は任せるわ」
「はい。エリカさんたちも健闘を祈ります」
走り去った後ろには赤い線が一本に纏まってついてきている。その奥、起点には履帯に捻り潰された二人の残忍な死体しか残っていなかった
私は正しい
第74回戦車道大会公式記録
大洗女子学園犠牲者
鈴木 貴子
黒森峰 銃殺 履帯に轢かれた跡あり 死体損壊激しく致命傷は不明 即死
野上 武子
黒森峰 銃殺 履帯に轢かれた跡あり 死体損壊激しく致命傷は不明 即死
私がそれを見つけた時、IV号は道の片側に身を寄せ、敵が来るのを待っていた。ここに来たのは先ほどの場所にはもういられないということと、敵がこちらに誘き出される可能性が高い、というものだ
かといってパンツァーファウストがあるわけでもないし、他に直接装甲に風穴を開けてやれる兵器も持ち合わせていない。なら車長の頭でも狙ってやろうか、とささやかな期待を寄せていた。今ある唯一の銃、Stg44の銃身を強めに握り直す
それにしても……砲声、ロケット砲、サンダースとプラウダの参戦、これらが指すのは何か。まだ確証は持てないが、予想はできる。ではその状況下で我々の勝利に必要なのは何か。こちらの残り車輌はあって2輌。場合によってはこの1輌だけ、かもしれぬ。いや、戦力差的にその方が考えやすい
相手は何輌だ?5輌以下ではある。そうなると他の人の活躍を考えても……3から5輌かな。数の差、質の差は……未だ圧倒的か。やはり猟兵によって敵の数を減らしていくしかない
そして近くの廃墟と化した建物の陰に潜んでいた時、奥から戦車の履帯の音。IV号は動いていない。となると……やはり、パンター。おまけにキューポラから頭を出していない。これじゃ車長を撃てないじゃないか。お前らは生真面目に頭を出してりゃ良かったんだが
そして偵察はやはり仕事をしていたらしい。ギリギリからわざわざ側面を晒さぬよう出てきて、正面を完全にこちらに向けつつ進んできている
IV号が足元に狙いを定める。放たれた弾は履帯ではなくその少し上の履帯のカバーに当たり、弾かれる。それで前のめりになった的車輌から撃たれた弾もまた、IV号の足元にめり込んだ。土砂がこちらにも降りかかる
下がるIV号をパンターは追撃しようとする。そしてその車輌が十字路を超えて更にIV号と私に迫ろうとする
その時、視界の右側から二本の筋がパンター目指して流れた。その内一本がパンターの側面に当たり、黒い煙が砲塔から砲身までまとわりついた
「おっ」
顔を出し左に向けると、破壊され中が見える建物の一番上で、愉快げに手を振っている人を視認できる。茶髪ロングである
「沙織さん……」
その隣に棒を構えたままの優花里さんを認めたのとほぼ同じくして、IV号はさらに素早く車輌を後退させ始めた。パンターは車輌丸ごと燃え続け、音と煙をあたりに撒き散らしている
だが動かない。彼女らは私を見つけたらしく、何を言っているのか、どんな表情をしているのかは分からないが、身ぶりを交え何かを伝えようとしている。しかしそんなことする暇はない。もう既に彼女らの立ち位置はバレているし、そして今まさに撃破した戦車の裏から、ティーガーIが砲塔をそちらに向けたまま接近しているのだ
このまま彼女たちを失うのは今後の戦略的に損失が大きい。いや、それ以上に私が、私が彼女らを失いたくない
逃げろ!その場を離れろ!早く……持ち物なんざ捨ててどこかに行け!
今から近づいても間に合わない。せめて逃がそう。我を忘れんばかりに声を届けようとした。しかしそれは燃え盛るパンターの音と先程から増してきた他の場所からの砲撃音に邪魔される。死んでもなお邪魔するかこのやろう!
そして最早逃げる時間もなくなり、間も無くその砲塔のアハトアハトが建物の最上階狙って砲弾を撃ち込んだ。その建物の吹っ飛ばされる様子からは思わず目を逸らした
後に残るは、崩れる瓦礫の音と煙の増加。そして戦車は隅にいた私の前を気づくことなく通り過ぎていった
そして次の角を戦車が曲がると、やっと私はその建物から向こう側へと飛び出せた
「……そう。国末のことは残念だけど、猟兵が狩れたなら良しよ。6番通りの裏に回り込みなさい。私たちが勝つわ」
「ヤ、ヤボール」
残りは二輌。本当に数は減りに減ってしまった。だが相手はあと一輌。これだけだ。これさえ倒せば……終わる。早く……早く終わらせなくては
「あの、逸見曹長……先程からここ以外でも戦闘が勃発しているような音がしているのですが……宜しいのですか?」
「今は試合に集中しなさい。話によるとここら辺よね。警戒は緩めないでいなさい。小隊からの続報は?」
「今はまだ……」
「早くさせなさ……ん?」
正面の先で何かが動いた。いや、出てきた。あちこちから黒く上がる煙、破壊されたコンクリートやレンガの建物、その中に確実に混じっていて実に、本当に素晴らしいものがいた。殺れる、そう確信した
??「ようやく見つけたわ。最後の一匹よ」
待ち侘びたその時に少し胸が高ぶる
「では、終わらせましょう」
そのティーガーIIのアハトアハトに砲撃を命じた。この試合を終わらす為
向かい合ったティーガーII。砲塔はこちら。こちらは停止状態。絶望以外の何を捉えればいいのだろう。絶望の一部を一瞬で払い、とっさに麻子は両方のレバーをそれぞれ逆に力を入れて動かし、時計回りに超信地旋回を開始させた。足回りへの被害など考える暇は無かった
しかしそれは命中を避けるものでは無かった。ティーガーIIから撃たれた88ミリ砲弾はIV号の砲塔右後部に命中した。麻子は反動で運転機器に額を強く打ち付け、背中にも大きな痛みを感じた
頭を打ち付けたせいか少しばかり気を失っていたが、間も無く全身を痛みに襲われながら、何とか運転機器から頭を放す
「ううっ……背中をハンマーでぶん殴られたみたいだ……」
何が起きたかは分かっている。痛みが特に強い背中に手を当てると、生暖かい液体が手に着く。戻してみると右手の平全体は完全に、一部の隙間もなく紅に染まっていた。有能なだけに麻子は分かってしまった
焦げ臭い匂いがする。自分でさえこれなのだ。背後が怖い
恐る恐る後ろを振り向くと、空が見える。青い。しかし、赤い
「五十鈴……さん……」
もう砲手五十鈴華の顔は写真か想像でしか見ることはできない。もう、砲手席に腰掛けたその身体は目も、鼻も、口も、耳も、長い髪も有していない。両手を降ろした手と胴と足だけがそこにはあった
「クッ」
涙を堪えつつレバーに力を入れて、再び車輌を前に動かした。幸い、動きからしてエンジンに大きな支障は無いらしい
逃げなきゃ。とにかく、ここから。私たちは黒森峰には屈しない。西住さんを生かそうとする限り。表情も声もないが、きっと五十鈴さんも同調してくれるだろう
外では何かが起こっている。エンジン音に混じって続く砲撃の音。何だ。何が起こっている。そして、何ができる?
「命中!」
「よし!ジャッジのコールは!」
車内で思わず叫んだ。しかし外から笛の鳴る音はない。IV号には小さいが火の手が上がっている。タダではすんでいないだろう。だったらまだ中で生きているのか?
「完全な撃破が必要なようね。もう一度よく狙って、止めを刺しなさい」
「大洗IV号、後退していきます!」
前を見ると確かにIV号は遠ざかっている。それなりの速度も出ているようだ
「クソッ、動けるの?追いなさい!江賀にも連絡!挟み撃ちにして確実に倒すわよ!」
「ヤボール!」
しかしその動きは一つの声で制止を迎えることになった
「エリカ隊長!学園より緊急無電です!繋ぎます!」
車輌を発進させる前に邪魔が入る。あと一歩のところなのにタイミングが悪すぎる。だが学園からの命令だ。取り敢えず出発を中止し、無線を繋がせる
「こちら逸見です」
「こちら狩出だ」
「き、教官……どうなさいましたか。もう直ぐ大洗は倒せますが……」
少し、ヘッドホンは音を伝えてこなかった。そしてやっと聞こえた言葉は、実に感情のない声にのせられていた
「……学園都市フリードリヒ地区にプラウダの大部隊が迫っている。各部隊現在の戦況を省みず、これの防戦に参加せよ」
「なっ!」
馬鹿な!ここで、だと……
考えも纏まらぬうちから反駁を始める
「お待ちください、教官!大洗は現在中破車輌が一輌だけです。それを撃破すれば試合は終了します!戦闘行為は禁止され、宣戦布告によるものでないならプラウダの侵攻は止まるはずです!宣戦布告されたものなら防衛隊青年大隊が対応できるはず!大洗を撃破する余裕はあります!
いずれにせよこちらの勝利は目前です!あと5分ください。確実に大洗を撃破します!」
「早急に来い。そっちには今何輌いるんだ?」
「ティーガーI、ティーガーIIがそれぞれ一輌のみです。そちらに一輌だけならまだしも、両方送るなんて出来ません!」
先ほどまではすぐに返答があったのに、今度はやけに時間が空いた
「……教官?」
「貴様何をやっている??残り二輌だと??我が校の栄光ある戦車隊を壊滅させられただと??今年あれの回復に我々はどれ程の予算をかけたのか、そしてこれまでそれを守るために何人の命が散っていったのか、貴様には分からんのか??」
「しかし空爆と猟兵相手では……」
「言い訳なんぞ聞きたくない??兎に角、貴様らもこちらに来い??」
いつもは落ち着いている教官らしくないほどの罵声が、私の耳と心臓に突き刺さる
「……誠に申し訳ございません」
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「……すまない、取り乱してしまったな。兎に角、現在SS装甲師団学生大隊、学園都市防衛隊学生大隊を攻め込んできたプラウダに対して送ったが、最早一部を除き壊滅、突破されている。空爆とプラウダのミサイルで結構やられたからな、数が足らん
学園長の命令で非軍属も使ってはいるが、正直使い物にならん。ただ敵の戦車を前に死んでいくだけだ
それに都市防衛の為のアハトアハト高射砲団も空爆で壊滅状態だ。ルフトバッフェもサンダースの連合航空隊に有明海で縛り付けられている。撤退中の敵爆撃機の追撃すらできん」
ルフトバッフェが来れなかったのはそのせいか……あの拝金主義の軍団ふぜいが……
「現在は学園に残ったSS歩兵師団の一部が学園と学園官邸周辺で辛うじて防衛しているに過ぎない。士気も下がる一方だ
その為に君達が防衛に参加するということが必要なのだ。士気を上げ、プラウダに一矢報いる為にも」
「しかし学生大隊しか出してないのならば宣戦布告はされてないと愚考します。ならば大洗を撃破すれば、試合は……」
「逸見君、確かにプラウダとサンダース、ポンプルは戦車道大会における大洗の同盟としてこの戦いに参加している。しかしそれは名目だ。プラウダ外務局とサンダース校外交流担当課から、降伏に応じない時は試合終了次第宣戦すると通告を受けている
全く敵ながらよくやってくれるわ。こちらは学生部隊のみなら数で勝る二校には太刀打ちできん。君たちがその状況なら尚更な
情報によると緑川河口周辺にサンダースの戦車部隊が上陸しているらしい。宇土も向こうに寝返った。奴らは確実に黒森峰を崩壊させるつもりだ」
黒森峰の……崩壊。私の愛する学園の
その言葉はこの先の私の口をしばらく封じられるほどの重りだった
「試合が終わったら、二校の侵攻に歯止めが効かなくなる。つまり大洗を生かして試合はできるだけ抵抗した上で、プラウダに黒森峰中心部を陥落させた時に終わらせる。ルールに戦闘体制の崩壊を勝利条件とすると決められているからな
サンダースには空以外参戦させん。それが学園都市の被害を最小にしつつ有利に講和を結ぶ道だ。講和さえなれば、あとはやりようだ。相手が二人もいるしな
とにかく、これは学園長命令でもある。もう一度言う。各部隊戦況を省みず防戦に参加せよ」
返事を聞くこと無く無線は切られた。急に告げられた事実。もう、学園は負けるしかないのか……こんなに離れた場所で、大洗なんて雑魚軍団に梃子摺りに梃子摺った挙句
私があっという間に大洗を殲滅していれば!あの極寒の戦場でプラウダの停戦なんざ無視して殲滅していれば!いや、そもそも私が、私がもっと強かったら……
椅子の座面を拳で殴り、歯の噛み合う限り全てに力を込める
「……学園長より命令。追撃は中止よ。学園官邸に向かいなさい。江賀にも同様の連絡を。IV号は捨て置きなさい」
照準器の向こうからすでにIV号は消えていた
~
広報部より報告
黒森峰女学園の動向
同校からの連絡によりますと
「全てを賭して最後まで」
を
「プラウダの猛攻」
において選択したとのことです
~
今日もここまで
もうすぐ始めます
~
馬鹿にも様々な種類の馬鹿があって、利口なのも馬鹿のうちのあまり感心しない一種であるようです
トーマス・マン
~
建物の瓦礫の中に踏み込んで行く。ここで偵察に見つかった時など脳みそから抜け落ちていた
「優花里さん、沙織さん!」
建物の中ほどに撃ち込まれた砲弾は建物を足元から完全に崩壊させていた。未だバランスを崩し、崩れる瓦礫の音が聞こえる。埃が舞い、熱気は私の息から白を奪う
すぐに一人を見つけた。完全にコンクリートの大きな塊の下敷きとなり、辺りに血飛沫をばら撒いて、手足の先だけを覗かせている。最早生死を問うまでもない。その様子に今まで幾つも死体を見てきた私も、思わず顔をしかめ目をそらす
そして、もう一人も土煙の向こうにいた。幸いコンクリートの下敷きとはなってないが、埃が体に敷き積もり、腹の辺りからの出血が凄まじい
「優花里さん!」
優花里さんに瓦礫に気をつけながら近づく。声をかけるが、返事はない。この出血、そして内臓が見え隠れするほどの腹部の大きな傷。こう判断するに時間は必要ない。もう、助からない
「しっかりしなさい。大丈夫ですか!モルヒネは??渡したモルヒネはどこですか??」
だがそれでも処置は行う。偵察に見つかってもそれはその時。今は、少しでも長くこの人を生かす道を……
裂けた腹に見えかけた臓物を戻し、服の上から素早く持っていた白い布を巻き付け縛る。服の左上のポケットに入っていたモルヒネ注射のケースを見つけ、右の二の腕上方に袖をまくり上げてから打つ
優花里さんは先ほどから返事がわりの呻き声をあげるようになったが、とにかく体外への出血はそれなりに抑えられたはずだ。ただ体内に溜まっていくだけだが。こればっかりは血管を結んで止めるなりしなければ、止めようがない。つまりいろいろやったが外見がまともになっただけだ
??一通りの処置が終わると、優花里さんを仰向けにして外に目と耳を転じる。試合が行われているにしては多すぎる砲声、銃撃音。北西の学園都市中心部から爆撃後より多く登る煙。そして双眼鏡で道の隙間を見た時に遠くに見えたT34/85。それで現状を決定する情報は揃った
「……プラウダの本格参戦……いつの間にか、試合の目的が黒森峰を倒すことに変わっているようです」
双眼鏡を下ろして優花里さんの足元に膝をつく
「優花里さん……私は行かなくてはなりません。このままプラウダが黒森峰を攻め落としたら、決勝の最大の勲章者は彼らだ、という印象を与えてしまいます。皆が命を懸けた成果をプラウダが持っていくのは、何としても避けなくてはなりません。我々の勝利のために」
優花里さんは最期まで生き続けようと、肺だけで懸命に深呼吸を続けている。意識ははっきりしているようだ
「……フフ……凄いですな……」
しかし、大丈夫な訳では全くもってない。声も力無い
「ここまで絶望的な状況でも……勝利のみを見据えておられる……い……今も……実に頼もしい西住殿ですね……」
やっと、優花里さんが声を絞り出す。弱い。血が、傷が、そして辛うじて作り出した微笑みがジリジリと最後の力を削ぎ落としていっている
「頼もしいだなんて……臆病なだけです。臆病だからバカにならないと動けないんです」
なぜ私は今こうして『西住』であろうとしているのか。あの憎むほど嫌っていた西住の道に沿うように
簡単だ
「バカだから、こうして目の前で、私を支えてくれた友達が次々死んでいるのに、まだ試合のことを考えているんです。どうすれば勝てるのか、ただそれだけを考えてしまうんです」
吐く息が白く変わる。優花里さんの先程の笑いも消える
「小さい頃からお母さんに戦車道をやらされている内に自分が極力傷つかないコツを覚えました。意味を考えない、何も想像しない、バカになってやるべきことをただやる、やり続ける……とにかく楽になりたかったんです」
空には何本も煙が消えてゆく。上着の上の幾つかのボタンを外し、左胸の方をシャツにする。そこにそっと指を触れる
「私のここには爆弾が埋まっているんですよ。バカになった報いです。嫌な事はすぐに押し込んで蓋をして、もう見るのも怖くて開けられない爆弾です。もし破裂してしまったら……私にもわかりません」
全く恐ろしい想定だ。胸元から指を外し、二本の腕を力無く降ろし、首を振る
「頼もしいどころか自分の記憶から逃げ続けている、臆病なだけの人間です」
シャツの上に上着を戻すと、片手の指でさっさとボタンをはめる
シャツの上に上着を戻すと、片手の指でさっさとボタンをはめる
「さあ、私の最後のつまらない話はおしまいです。何ができるか分かりませんが、私も出発します」
ここまで来たら、この偽りを貫き通すしかない。彼女に対応する時間がない
優花里さんの手元に金属の塊と布を置く
「信号弾と白旗です。近くに人が来たらこれで助けを呼んでください」
荷物を纏めようとすると、目の先にあるものが目に入った。鼻のフレームが思い切りひしゃげた眼鏡だ。レンズも辛うじてフレームにくっついているという感じだ
死体をどうにもできない以上、数少ない遺品になる。それを手に取り、ポケットにしまおうとすると、連鎖的に重い金属音が耳に入る。見ると優花里さんの手元に置いていた信号弾用の銃が、少し離れた場所に移動している
「こんなものに……用はないであります……自分も……一緒に行きます」
深呼吸の合間に口を開いてきた
「行くって……無理です!動けるわけないじゃないですか!」
しかしその通りなのだ。腹筋繊維を一本残らず引き千切られた彼女は、上半身を起こす事も出来ない。動く、ましてやここから移動するなんて出来るはずがない。ここから彼女を移動させるとなると……手段はただ一つ
「大丈夫であります……お腹の痛みは感じなくなりました。連れて行ってください……お願いです……優勝のために……と死んだみんなのためにも……西住殿と一緒に……大洗の優勝を見届けるのであります……」
腕を伸ばし、涙を流して優花里さんは懇願してくる。どうする。そもそも彼女は置いて行くつもりだったし、彼女を運ぶ時間は今後のプランにとっては支障だ。だが……私にとって彼女は何であったか……
こう言えるほど効いてしまうモルヒネを少し厄介に思ったが、少し迷ったのち友としてその懇願に応える事にした。こうすれば賢くなれるのか、バカだから分からない
優花里さんを腕を引っ張り上げて背負うと、若干でも瓦礫で塞がった道を選んで進む。まだ偵察はいる可能性が高い。そしてその時、今の私は戦えない
時折更に建物が崩れる音と、遠くから銃撃音、砲撃音を耳にしつつ、ある場所を目指す
「西住殿……やっと、遺書に書くような事以外にお話ししたい事が浮かんだので……今度は自分の話をしてもいいですか?」
「どうぞ」
この段階になって呼吸もある程度落ち着いてきたようだ。ある程度、でありまだ荒いが。死に目まで気を紛らわせるのに付き合おう
「酷い大会になってしまったけど、一つだけ良かった事があります……」
耳元に息がかかる
「ずっと……お母さんの言葉が、怖かったんです
『あなたが戦争で遊ぶのは、何も知らないからよ!本物の戦争を経験したお年寄りや、戦争で亡くなった方と遺族に、失礼だと思わないんですか!あなただって、実際に自分が撃たれたら、そんなの大嫌いになるに決まっています!』
って」
だろうな。私だって初めて会ったあの場で殴りかかろうかと思ったのだ。日常的に出会っていたら、キレていてもおかしくない。まぁ幸いそうはならなかったわけだが
「悔しかったけど、もしかしたら、そうなのかなと思って……言い返せませんでした。でも……こうなった今でも、ティーガーとパンター、7TPは、カッコよくて、好きであります」
だが、これが彼女なのだ。戦争を嫌っているかとその道具が好きか。それを別個に捉えている。そしてどれだけそれを取り巻く環境が悪化しても、芯は揺らがない。率直に言って羨ましい。いや、それができても楽しくない私にしたら単なる僻みか
「やっと、自信を持って、言えたのであります……」
荒れる呼吸の中、その合間を縫うように一言ずつ伝えてくる
「家に帰ったら……作りかけだったティーガーI……黒森峰西住みほ仕様を完成させなきゃ……」
何か息を吐き切るようにゆっくりだが一気に言う。家に帰ったら、か……自分のことはよく分かっているはず。だからこそ、私はその話に乗り続ける
「あはは……そんなのがあるんですか。どのくらいの大きさなんですか?」
二歩進む。返事はない。背中が少し軽くなった気がする。少し歩調を落として二歩さらに進む。それでも返事はない。先ほどまでは少し待てば呼吸の中から返事があったというのに。背中から振動と温かみが薄くなる
更に歩調を落としてゆっくりとレンガの上を二歩進み終わった時、ただ流れ出る涙を堪えようと歯を食いしばっていた。しかしそれでも止める事は叶わず、目は水源となり続けた
人が死んでいて、そのために私が泣いている。あの時以来、か。だがあの時のように残忍さが極限を突破しているわけじゃない。だけど涙は止まらない
「トモダチ……」
きっと答えはそこだろう
どこだろう、ここは
なんだか、あたたかい
まわりが、しろい
かべが、みえない
おかしいな、わたしはさむいふゆのまちにいたはずなんだけど
「麻子……麻子や……」
だれかの、よぶこえ
いつも、きいていたこえ
「おばぁ……」
なぜ、おばぁがここにいるの
すがたを、みまちがえるはずがない
かくじつに、おばぁだ
ここは、どこ
どこだ
「病気……病院はいいの?」
「いいもんかね。だからここにいるんだろう」
よくないから、ここにいる?
「全くおまえの親もそうだが、おまえもそんな若くしてこんなとこに来て。親不孝者が」
ああそうか
??ここは……
『麻子さん、麻子さん!』
そとから、こえがする
これも、いつもきいていたこえ
なんども、なんどもよんでる
「ホラ、お友達が呼んでなさる。川を渡るまでにまだ時間があるから最後の奉公をしてきな」
優花里さんの遺体を背負ったまま、道中たまたまIV号を発見した。そのことは非常に幸運だったが、IV号はいつも見慣れた姿とはかけ離れたものだった。辛うじて黒森峰の追撃を逃れたのであろう。砲塔には大きな穴が開き、車輌は傷だらけだ。シンボルのアンコウのマークもかなり傷が入っている。しかもそれが路上のど真ん中で停車している
中にはまだ生きている人が、仲間がいるのか。背負ったまま駆け足で近づく
車体の上に登り、エンジンの上に一旦優花里さんを腰掛けさせ、その穴から車内を覗く。その中も、これまでの練習で見慣れた姿ではなかった。車内には血痕が一面に散らばり、砲手席にいなければ華さんとは分からない遺体、その奥に操縦席の計器に身体を預けた麻子さんがいる。二人ともピクリとも動かない
「麻子さん生きてますか!麻子さん!」
そのうち生きている可能性がある方に向け、声を張り上げる。何度かそれを繰り返し半ば諦めかけていたところで呼びかけが通じたのか、計器から頭を少し浮かせた麻子さんが、額から太い血の筋を作りながらこちらを振り向く。戦車服の背中の部分は大きく黒ずんでいる。私の袖とは色が完全に別物だ
出血多量。背中と頭を足せば、相当量になるだろう
「ああ……お婆ぁ、なるほどね」
「凄い出血です。傷を見せてください!」
そう呼びかけながら、優花里さんの遺体を穴の周りの棘で傷つけないように注意して運び込むことに腐心している時点で、優先云々の問題でないことを私は示してしまっている。そしておそらく、その通りだ。
「いや……いい、モルヒネを打ってる。それより……行き先を言ってくれ」
予想通りの反応をして麻子さんは身を更に起こし、息を吸い込み椅子を調整して両手で操縦桿を強く、力強く握る
「早く……命の保っている内に。その為に戻ってきたんだ……」
その言葉には有無を言わさない迫力と鋭さを持ち合わせていた。だがそれよりもある言葉が私をその場に留めさせる
戻ってきた。一体どこから?この出血じゃこの車内からは動けないはずだ。ましてやさっきのさっきまで気絶していたのだぞ?
暫く答えられずにいたが、向かうべき、実行すべき事を思い出す
「市街の中心……黒森峰女学園官邸までお願いします。」
「了解……」
IV号は土煙を上げ、未だに順調なエンジン音を立てながら走り始めた。車内の私たちは無言で各々の作業をこなしている
麻子さんは操縦桿を握り、物見窓から前を注視しながら車輌をまっすぐ前に進める。目も霞んでゆくだろうに、その中でよくできるものだ
一方私は車内に置いてあった布で華さんを包んで、それを椅子の後ろで縛る。友人として死者にできる最低限のはなむけだ
「西住さん……」
視線は前に残しながら、麻子さんが話しを振ってきた
「どうしました?」
「撃たれたあと……黒森峰の追撃が、全く無かった……何が、起こってるんだ?あなたの予想でいい……教えて、くれないか……」
追撃がなかった、か。新たな情報にして、予想を補完するに十分なものだ
「どうやらプラウダがこの試合に参戦しているようです。こちら側で」
「ようです……ってことは、こちらに連絡も無しにか……」
「プラウダの真の目的は、おそらく黒森峰を崩壊させることでしょう。黒森峰もこれだけ損傷させたIV号を追撃させず、試合に出場しているメンバーまで呼び戻しているとなると、相当まずい状況だと思います」
「では……何故あなたはこれからわざわざそこに行くんだ?」
「大洗を、真に優勝させる為です」
「……出来るのか?この状況で……無線も繋がらんし……カバさんもやられたと見るべきだろうし……」
「分かりません。ですが、みんなの死を無駄にしないためにも、やれるだけのことはやります」
「……分かった。だが……済まない……そろそろ私の気力が、限界に近づいているようだ……」
限界か……仕方ない。これだけ出血していながらここまで意識を保ってこれただけでも十分だ
「……分かりました。では、車庫みたいなところがあればそこに隠してください。これが撃破されたらおそらく負けです」
「了解……」
再び何も話さなくなり、近くの車庫にIV号を見事ワンテイクで入れた。やりきって安心したらしく、操縦桿から手を離し背もたれに身を委ね、息を吐く
「麻子さん……すみません」
「……どうした?」
言葉が溢れた。あの時心から頼まれたこと、それを裏切る結果を残さねばならない
「おばあちゃんのお見舞い、行けなくなっちゃって……」
「……いや、構わない……もう、会えたから……」
「えっ?」
理解が追いついていない。しかしその事を気にせず、麻子さんは話を続ける
「……西住さん……あなたはあの世とか……神とか、を信じるか……」
急になんだろうか。あの世とか、神か……
顎に手をかけて少し考えるが、麻子さんには時間がない事を思い出す。すぐに返すしかない
「……私は、信じていません。というより、信じたくありません。だって神様がいるのなら、私にこんなに過酷な運命を着せるはずがないと思います。もしあの世があったら、私の立てた作戦のせいで死んだ皆さんに申し訳なくて、顔向けできません」
私は生き残ってしまう。この試合のみならず、これまでのみんなの命全てを踏み台にして。そんな人間が天国なんてものに行けるはずがない。なら、そんなもの無い。勝手な理由で唯物論者になってしまった方が楽だ。実に無責任なバカだな
呼吸は落ち着いているが、背中の染みは大きくなり、額の赤い筋は変わらず流れる。麻子さんは自分の身を更に背もたれに委ねる
「……残念だったな」
自嘲しようか、としたところで、麻子さんが力なく口角を上げた
「へっ?」
「あの世は……あるぞ。私は……そこでお婆ぁに会ってきた……みんなに、顔向け出来ないなら……出来るまで、こっちに……絶対……来るな……よ」
私の方に顔を向けた麻子さんは、さらに悪戯っぽく微笑んだ。それに返事をする間も無く、崩れるようにそのまま腕を垂らして、首が座らなくなった赤ん坊のような姿になってしまった
「麻子さん!」
車長席から降りて彼女の元に向かう。しかし、その呼びかけにも、揺さぶりにも答えは、反応は無かった。もう一度彼女の名前を叫んで揺さぶるが、ただ首が振り子となっている、という結果しかやってこなかった
肩を掴んだ両手をそっと離して、まずは彼女を姿勢よく座り直らせる。隣の通信手の席に無線の計器に近い場所に、優花里さんの近くで拾った壊れたメガネを置いた
そして自分の居るべき場所に戻り、トンプソンの紐を肩に掛ける。それが終わると、ぐるりと車内を見回した
「麻子さん……華さん……優花里さん……沙織さん……」
一人一人の姿を見据えつつ、名前を呼んでいく。だがもちろん私の独り言になってしまう。一人、いや二人に関しては見える姿は想像でしかないのだ
「みんな、つい最近までごく普通の女の子だったのに、ここまでよく頑張ってくれました……黒森峰のSSにも劣らない素晴らしいチームでした」
ある持ち物を追加したのちにキューポラから身を出して、車輌から飛び降りて走り出す。
ありがとう、あんこうチーム。私が戦車道をやってきた中で、いやそれだけじゃなくても、本当に……ただ、最高だった
第74回戦車道大会公式記録
大洗女子学園犠牲者
武部 沙織
黒森峰 砲撃死 砲撃による建物崩壊による圧死 即死
五十鈴 華
黒森峰 砲撃死 頭部損傷による脳死 即死
秋山 優花里
黒森峰 砲撃死 腹部損失による失血死 負傷後10分ほど生存していたと思われる
冷泉 麻子
黒森峰 砲撃死 背部、損傷による失血死 負傷後30分ほど生存していたと思われる
~
広報部より報告
大洗女子学園の動向
同校からの連絡によりますと、
「実に最高のチームであった」
を
「あんこう『チーム』の解散」
において選択したとのことです
~
ここまでです
~
力によって支えられた政権は、その力の反逆を何より恐れる。だが力による支えのない政権は、そもそもが非常に不安定である。
山鹿涼 『日本の学園都市』より
~
私とカトラスさんはレオポンから走りに走ってブレスラウ地区を過ぎて、森崎橋より上流の橋を隙をついて渡って向こう岸に着いた。あの場に残っていても何もできない。その悔しさは癒えるはずがない。が、生きなければならないのも確かだった
「こ、ここまで来たね」
荒れた息を整えながら、同行人に声を掛ける
「……ここからどうするの?」
「いや……特に何も」
ただ背中を押されるままに飛び出し、自動車部を任されただけだ
「……黒森峰が追ってきているのは確か。早くここからは離れたほうがいい」
「……そうだね」
レオポンから持ってきたトンプソンM1を携え、さらに奥、黒森峰の市街に向かう。幸い東の隅っこの地域ならここからでもさほど遠くないらしい
「武器持ってて大丈夫かな?」
「……流石に置いていった……いや、持っていこう」
私が持っていた銃に手を乗せて細目を上手に見つめてくる。確かにこの先は敵地。持っておくに越したことはない
幸いその不安は全く必要ないものだった。代わりに市街地は非常に不気味だった
「誰も……いないのかな?」
「……車もない。人もいない……誰もいなくなった街、だね」
文字通り誰もいないのである。よって武器を持ちながら少し歩いていても、誰にも何も言われることはない
日は登っているから、窓から電気の光が見えないのはわかる。だがそれでいて、あたりに走る車も人すらも見かけないのだ。自分たちが話すのさえはばかられるような異様な雰囲気が支配していた
「ここだけなのかな?」
「……さぁ」
市街の中から少し外側に出ようとした時、視界の奥、東の方に何か見える。稜線にこそ隠れていたが、そこにあったのは数多くの戦車だった
「自衛隊かな?」
「……分からない」
とりあえず身を伏せてみる。自衛隊なら包囲網から脱出している時点で大丈夫云々は聞いたが、やっておくに越したことはない
しかしよくよく見てみると、色が皆均一で濃緑だ。自衛隊の戦車は春に教官が来た際に一度見たが、迷彩色だったはず
「……何処の?」
その戦車の感じをかつて見た事があった
「もしかして……プラウダ?」
あの色、そして一部の車輌が大きく砲身を前につき出している。間違いない。あの雪山で見続けていた車輌だ
「……でも、なんでこんな所に……今回の試合、プラウダは参加していないはず……」
「まさか、同盟?」
あの黒森峰が我々にしてくれた事を、プラウダが我々にしようと考えているのか?
ここで一つの考えが浮かぶ。もしプラウダが我々に味方して同盟しているなら、そこに行けば助けてくれるかもしれない。生き延びるのが先輩たちからの指示だった。その指示を最優先するなら、そうするのが妥当かもしれない
しかし、現在プラウダが我々に味方しているのかも分からないし、更に今他の皆は命を、学園の存続を懸けて戦っている。私だけが悠々と生き残るわけにはいかない
それだけではない。私が生き残っても、試合に負けて学園が廃校になってはあの場に残った先輩に申し訳ない。だったら、私が出来ることをして大洗を優勝させる手助けをするしかない
「……どうする?」
「プラウダが味方かどうか断定できないですし、大洗が優勝しなきゃ意味ないです。ここは市街地に行きましょう」
「……分かった」
頃合いを見計らって戦車隊に背を向け、市街地に戻るべく西に向かった。その間に先ほど駆けていった丘の上に、多くの茶色の戦車が布陣していた
「……黒森峰」
それが何を意味するか、実に容易だ
「先輩方は……負けた……」
そう言葉を発した途端、不意に涙がどんどん流れ始めた
「先輩……」
「……幸いこの辺りに黒森峰の人はいないみたいだ。少しくらい大丈夫」
彼女は肩に手を置いた。実に、温かい
だがその温かさがさらに涙を生じさせる。地面に膝と頭を落とし、やりようのない慟哭を地面にぶつけ続けた
だがこうしてばかりもいられない。ある程度流した後は、意地でもって無理やり泣き止んだ
「……もういいのか?」
「はい」
目元を袖で拭ってただ前を向き、先輩方の願いを叶えるべく進むしかない
道は真っ直ぐに中心部に向け伸びている。相変わらず通行人はいない。ここを今車で走ったら、とてもスピードが出せそうだ、とか考えつつ街に入る
しかしカトラスさんがあるものに気づいたのか、建物の隙間に身を寄せるようジェスチャーする。指示されるままにちらりと覗いてみると、その先にいたのは黒い服を着た人達、黒森峰の者だ。手には何か持っている
一本裏の道に入り、その場所に近づいていく。確認すると、黒森峰のものはマシンガンを手に警戒をしている。彼らが守っている場所には『黒森峰女学園学園都市防衛隊武器庫』と薄れた日本語で書かれている。濃く書かれた点のついたアルファベットは読めない。きっとドイツ語か何かだろう
「……武器庫……だね」
「どうやり過ごそうかな……」
「……ツチヤさんの先輩方の願い、叶える気はある?」
小さいがやけに低めの、よく耳に通る声で、カトラスさんが話し始めた。
「そりゃ……もちろん」
「……なら、黒森峰の戦車を潰すのが手っ取り早い。戦車に抵抗するためにも、さらに武器がいる。そして、今すぐにそれを手に入れられるのは、ここ。黒森峰の武器庫ならきっと何かあるはず」
「なっ……」
「……違う?」
武器を……手に入れる?ここで?
「い、いや……」
「……じゃあ、そのトンプソンで戦車倒せる?」
銃を見つめ直す。無理だ。元は機関銃を防ぎながら前進するために作られたのが戦車。こんな自動小銃じゃ弾かれるのがオチ
「……それに、攻撃できても死んだら意味ない。なら、強力な武装で一撃で倒した方がいい」
「じゃ、じゃあ、この武器庫を……」
「……あの門番たちを倒して手に入れる」
倒す……って
「……それが一番早い。他の武器庫が見つかる、または見つかっても警備が緩め、という保証はないし……むしろここでモタモタしている方が見つかるリスクは高い」
どうしてだ。どうして人を殺そうって話をしているのに、ここまで平然と話せるんだ
「……今までと変わらない。戦車の大砲か……そのトンプソンと続く対戦車兵器ってだけ」
「なんで……なんでそんな簡単に……」
「……それに関して答える暇はないね。行くかい?行かないかい?このままじゃジリ貧だけど」
どうする。彼女の言っていることは正しい。全くその通りだ。だが……だがここで……
「……まさかここの武器を話し合いで貰えるなんて考えちゃいないよね?」
いや、私のためじゃない。この戦いは先輩がたの、自動車部の、そして学園のための戦いだ。そのためだ、そのためなのだ……
「……分かりました。行きます」
「……そう……ツチヤさんが行く?なんなら」
「いえ、私が」
手に持ったトンプソンを眺める。使い方ならアンツィオ戦の時に偵察の為に持って行ったスズキ先輩から聞いた。マガジンポーチにも四つのバイオプラスチックでできたマガジンが入っている
だがここにいるということは、この二人は試合に無関係の者たちだ。ここで殺すのは自身の防衛のためではない。自分の優勝したい、学園を残したいという欲により起こす行動だ
幸いだったのはこの葛藤の間、全くもって武器庫前の二人が私たちの存在に気付かなかったことだろう
ここで戦って勝てば、学園艦に住む三万人の人が都市を離れて路頭に迷わずに済む。優勝するなら、ここの二人の損はそれに勝る。自動車部も残る。そう自分に言い聞かせて、覚悟を決めた
マガジンを込めてあることを確認し、引き金に指をかけ、その二人が此方に姿を現すのを待つ。弾は20発、これで倒せなかったら死ぬしかない。時は来た。見回る二人が一緒にこっちの方に姿を見せた
「……行くか?」
「はい」
息を吐き、トンプソンを構えて建物の裏から飛び出した。二人に走り寄りながら引き金を引く
乱れる球の一つが一人目に命中、当たったところが幸い首から上で、猛烈に血を吹いて奥側に倒れる
もう一人がこちらに気づきMP40/Iを向けるが、引き金の指を固定したまま素早く銃を左に向け、腹部と胸部を狙う。彼女も前のめりに倒れたことを確認し、弾切れを示す音を鳴らし続けた状態で、やっと指を引き金から離した
「……終わった、みたいだね」
「はぁ……はぁ……」
死んだ、らしい
「……じゃ、音もしただろうし、早めに済まそう。二人が死んでるか確認して」
「いや……死体をさらに傷つける真似は……」
「……生きてて撃たれても知らないよ。それに私が巻き込まれちゃたまらない」
またしても真っ当な事を言われてしまった。だが血を垂れ流すこれら二つのものに触れたくはない。弾倉を入れ替えて倒した頭に銃口を向け、一瞬躊躇ったが、彼女の視線があることに気づいて、二人に一発ずつ銃弾を撃ち込んだ
「……私が開ける方法探すから、少し休んでて」
「あ……はい」
こみあがる吐き気に考える力を奪われて、言われるままに武器庫の脇の壁に背中を預け、腰を下ろした。銃も一度手元から離す
そのシャッターは閉じている。鍵穴とかはない。シャッターの上の赤いランプの灯った装置などから察するに、遠隔スイッチとかがあるらしい。生憎トンプソンと弾は共用できないようで、私が右脇に朝食を垂れ流す近くで、カトラスさんが不満げに弾の予備を投げ捨てていた
少しして片方の死体のポケットからボタンのついた機械を見つけ、それを持ってシャッターの前で上に向けてスイッチを押した。するとシャッターは重い音を出しながら、徐々に上へと開いた
「……おー、ビンゴ」
「入ってみますか」
「……そうだね」
かなり力を入れて立ち上がって合流する。薄暗い中に入ると、縦長のケース、整頓された自動小銃など、よく分からないものを含めたくさんのものが並んでいる
「どれがその対戦車兵器、ってやつなんですかね?」
「……わかんない。流石にそんな知識ないし」
「ないのにここをこじ開けたんですか?」
「……いや、こんだけ戦車揃えている学校なら、対策として持ってるはず」
「対策って……何のですか?」
「……他所からの防衛と……恐らく、戦車道の反乱」
「反……乱?」
自分が持つ戦車道のイメージからは、なかなか想像がつかない。反旗を翻して何になるというのだろう
「……戦車道が反乱起こしたら、戦車以外で止めるしかない。そうなると……そういうのが必要になるよ
さ、それより片っ端から箱を開けてみよう。あったら教えてくれ」
私の疑問が完全に解消される前に、彼女は手を鳴らして箱の山へと歩みを進めた
爆発物もあるだろうから、扱いには気をつけつつ箱を開けて、中身を確認してゆく。奥まったところにあったその中の一つのプラスチックケースを開けると、ある物が入っていた
四角錐型の物の先に紐がついている。底を近くにあった鉄のケースに近づけると、重いドアに鍵が掛かるような音がしてガッチリとくっ付いてしまった。引っ張ってもずらそうとしても外せなくなったので、仕方なくそのままにする
「……何かあったのかい?」
「入っていたケースには……Bombeと書いてあるから、爆弾かな?」
「……磁石が付いてるみたいだね。戦車の車体にも取り付けられるかもしれない」
「でも、これで戦車の車体なんて破壊できるのかな……」
「……流石に車体にくっつけるだけの爆弾なんて脅しにしかならないし……なんかしら効果はあると思う。使い方さえ間違ってなければ」
「それじゃ、持っていきますか?」
「……そうだね。他に簡単に使えそうなものは見当たらないし、のんびりするわけにもいかない……行こうか」
奥にあったカバンを手に取り、お互い二つずつその爆弾を入れてから、その場を立ち去ろうとした。しかしそのまま立ち去れるほど、私は気丈な人間じゃない
「……早く行こう。ここを爆破するのは面倒そうだし」
「少し待ってください」
もう先ほどの死体は、血を流し切って外気に触れ続けて冷たくなっている。その二人を倉庫側に寄せると、手をヘソの上で重ね合わせる形で仰向けに並べた。それぞれ結構重かったが、日頃思い部品を持ち歩いていたのが功を奏したようだ
カトラスさんはただ何も言わずにその様子を眺め、待ってくれていた
彼女らは、死んだ。試合で生きるか死ぬか、それを賭ける場所にいなかったにもかかわらず
その二人を前にして手を合わせる。だが心の中でも謝罪の言葉はない。私は……私は間違っていない。彼女らは必要な犠牲だと断言してしまおうとするからだ
「……行こうか」
「はい」
しばらくして手を下ろすと、背後の声が私の気持ちを途切らせようとしてきた。行為自体はやめたし、カバンを背負い直してその場を去った。だがこの記憶だけは棘のように頭の奥まで貫き通し、切り替えを許さなかった
今度は境界付近で折り返すことなく、市街の奥へと進んでいく。道中道の隙間に身を潜めながらあてもなく進んでいくが、奥まで行っても人がいない
「本当に……誰もいない」
「……避難したのかもしれないね。西住副隊長が市街地を戦場にするって言ってたから」
しかし奥に進むと、あるものが増えていた。南北に進む道の一部の地面に敷かれていたであろうコンクリートが剥がされ、そこそこ深めの溝が横たわっているのである
「……何なんだ、この溝は?……排水用にしてはやけに雑な作りだね」
カトラスさんが呟くが、返事をするための頭が働かない。安全以外にはあの事しか考えられないのだ。だがしばらくして、やっと次の議題が来た。遠くから音が聞こえるのだ
「これは……エンジン音、ですね」
「……戦車が近くにいるかもしれない」
「一旦待ちましょうか」
この音でやっと棘は抜けた。隙間から少し身を出して辺りを見回すが、道中にそれらしきものはない
「……遠いね」
「幸いこの辺りじゃ無いようです」
しかもエンジン音といっても戦車とは音が大きく違う。なんの音が考えていたその時、遠くで何発もの爆発音が耳を襲った
「なっ!」
「……爆発?どこから……」
「こっちみたいです」
生憎ここから煙のもとは見えないが、場所をずらして低い建物の上を通して見ると、丘のある南東の方から煙が上がっている。それは何度も何度も繰り返された
飛行機だ。煙の上で旋回している小さなもの、どこの何かは分からないが、これが煙の原因であり黒森峰の戦車隊を攻撃している、というのは現地に行かなくても検討がつく
それだけで驚くのは早かった。今度は南西の方から白い筋が、市街地の中心部の方に向けて何本も通っている。幸いこちらを向いてはいないようだ。そしてそれは中心部の地面に向けて吸い込まれていった
「く、黒森峰が……大洗以外から攻撃されてる……」
こんな装備が大洗にあるはずがない。あってもこんなところに持ってこれるはずがない
「……そうみたい……だね」
こちらに有利となる出来事である、というのは明らかだった
「……まずは様子見だね」
喜ぶわけにはいかなかった。先程のエンジン音が此方に向けて近づいてきたのだ。爆弾らしきものが街に投下され、煙を何箇所も登らせている。しかも飛行機の群れはこちらに近づいてきている。ここにいれば爆撃に巻き込まれることは容易に想像できた
「……こっちに来てるね」
「ど、どうしたら……どこか隠れられる場所は……」
周囲を見渡すが、件の溝以外特に隠れられそうなところはない。それに溝とはいえ上はガラ空き。上から降ってくる爆弾には対抗できない
一方のカトラスさんは近くの家の中を窓の外から見ていた。そしてカバンから先ほどの爆弾の一つを取り出すと、その根元を握って窓を叩き割った
「ちょ……ちょっと、何やってるんですか!人の家ですよ!」
「……ここに避難する」
「で、でも……」
「……たとえ不法侵入でも、爆撃に巻き込まれて死ぬよりマシ……緊急避難、緊急避難」
割った窓に手を入れ鍵を開けると、素早く窓を開き、窓枠に足を掛けていた
「……早く。ここは地下室があるから、外の溝よりはまとも」
確かにそうだ。さっきから彼女の話に乗っかってばかりだが、それで助かるのならそうするしかない。私も窓から室内に入っていた
地下室への木の扉が床にあるのを見つけ、すぐに身を滑り込ませる。中にある階段を降り、階段の途中で段を椅子代わりにして腰を下ろす。まもなく近くにも爆撃が開始されたようで、爆発音だけでなく振動も地下室に伝わってきた
「……やっぱり爆撃みたいだ」
それにしても、本当につい最近まで戦争関連の云々なんて、自分にとって紙の向こうの話でしかなかった。だが今、私はそのものではないが、現場にいる。少し安全なところとはいえ
そしてその安全のために、私は……
だめだ。考えれば考えるほど、変な思考に染まっていきそうだ
「そうだ……カトラスさん、一つ伺ってもいいですか?」
「……どうしたんだい?」
「武器庫の時とか……今回の侵入の時とか、何でそんなに平然と出来るんですか?」
それが正しいのはわかる。だが道徳の壁を思いっきり壊してそれができるかは、また別だろう
「……さぁね。強いて言うなら……環境?」
「環境、ですか……そうなると、船底の、でしょうか?」
「……まぁ、そうなるね」
「私自身そこら辺知識が曖昧なのですが、ただこれをやり過ごすのもなんですし、少し教えてくださいますか?」
床、といっても頭の上にあるが、を指し示しながら話を切り出すと、カトラスさんは表情を変えなかったものの、頭を指で掻きながら呟いた
「……あんまり面白くないよ?」
「構いません。無言よりは遥かにマシでしょうから」
「……違いないね」
話を整理するように上を眺めていた
「……それじゃあそうだね……学園艦の底の方、上じゃ大洗のヨハネスブルグと呼んでるって話だけど……ま、桃さんがなんとかしてくださっおかげで今はマシだけど、昔はほんとそのままだったね。ほんと数年前までは」
「数年前、までですか」
「……そ。甲板とか艦内港湾に直結する出入り口、つまり地上からの物資の供給口をどこの派閥が抑えるか……それの大半を掌握しさえあれば、底をほぼ差配することができる。そしてその供給口を守る、または奪うために、各派閥は資金源を狙い続けたのさ」
「派閥なんてものが……あったんですか」
「……あった、じゃないな。実は今もある。桃さんの調停のお陰で、当面の衝突は回避されているけどね……そして、基本底に収入源はない。そりゃもともと船舶科自体が労働と引き換えに学費を免除されてる人たちの集まりだからね。実家の送金なんてあったとしても大した額じゃない。船舶科の中にゃ勉強と勤務をして、バイトまでしてる奴もいる」
「寝る時間あるんですかそれ……」
「……そういう奴の中にゃ立って寝る術を習得している奴もいるさ。もっとも……勤務中バレたらタダじゃすまないが
……ま、それはいいとして、つまり底は金がなくて逆に、いやだからこそ金が欲しく堪らない場所なのさ」
「なるほど……」
自分も放課後はかなりの時間を自動車部に割いていると思うが、実にそれは幸せだったのかもしれない
「……そして、私の仕事は知ってるか?」
「確か……バーの店員さん、でしたっけ?」
「……そうだ。そして、ノンアルが基本とはいえ、飲食で利益率の高い飲み物の販売が軸だ。ま、値段はある程度は安いがね
……で、アルコールとか糖度の高いものは基本そんなに腐ったりするもんじゃない。つまり廃棄分もそんなにない……要するに、私の店はドル箱ってわけだ」
彼女の話は分かりやすかった。機械の部品が噛み合うように、実に論理的だった
「……話が早いのは、こういう時はいいのか知らないけど……まぁ、当たりだろうね。私の店は、金を求める派閥対立の立派な舞台だった」
やはり……そして、元々の疑問の解決になる鍵も、きっとここにある
「……一応お銀のいた派閥は主要派閥だったし、地上の出入口をいくつも抑える力もあった……そして私はそこにみかじめ料を納める存在だった
……だがね、他所がウチを襲うことは時々あった。そして大概はウチの派閥の主力、ムラカミとかがいない時をよく狙ってたね……そうなると派閥の助けが来るまで、基本一人で、いても味方かもわからない客と防衛だ
カネだけは盗まれてはいけない……それだけは厳命されてたからね……空き瓶とかモップとか、まさに手当たり次第さ。敵も数いたからね……割っては戦うの繰り返しさ。考える暇なんてありゃしなかった」
かなり壮絶な世界だったのだろう
「……床にはよく破片が散らばっていたよ……一度だけチャカ持ってきた奴もいたし……」
「チャカ?」
「……拳銃さ。ま、流石に地上に連れていかれたけど」
どれだけ世紀末だったんだ?ここまでとは……平穏な甲板からは想像もつかない世界だ
「……私の前に店をやっていた人は、腕を殴られて破片で神経やられてシェイカー振れなくなって辞めたし……私だってココなんかには傷がある……」
彼女は冬服の袖を捲り上げて、肘のは近くの傷を見せてくれた。長さは3センチほど、だが周囲にも若干赤みが残っている
「……治療ったってあんなとこじゃ縫い合わせるだけだからね。酒を麻酔がわりに」
「お酒を……ですか?」
「……そう。度数高めの酒をイッキして、さらに鍋越しに頭を鈍器で叩いて気絶させて、その間に縫う……痛いよ、その時よりあれはあとあと……
ま、私は数針だったからマシな方さ……ヤバイやつだと途中で眼を覚ますから、そしたらまたイッキさせんのさ……」
「はぁ……」
あまりの想像の範囲外の出来事続きに、気の抜けた返事しか返せなくなっていた
「……さて、だいたいこんなもんかね。こんな世界にいたら、冷酷にやるやり方も覚えるってものさ
……でも……お銀が……お銀が死んじゃった時は……流石に……」
そのまま頭を抱えて前に体を倒した。そのまま嗚咽が混じり始める。きっと……死ぬ事態はそうそうなかったのだろう。流石に労働者でもある彼女らを見捨てるのは惜しいはず
「……そうですか……」
「だからこそ」
嗚咽を振り払い、いつになくはっきりとした口調で、私が伸ばそうとした腕を止めた
「私は勝ちたい。いや、大洗を勝たせたい。それが……お銀が望んだことだから」
その視線は私の方にはない。正面のコンクリートの壁だけを見ている
「……貴女は、勝ちたい?」
「生き残るには……勝つしかない、のですかね?」
「……そうだね。ここは黒森峰の都市の中だし……こちらが負けたら、どうなるかは分からない」
「なら、勝ちます」
「……それが聞けてよかった」
ある程度続いた爆撃が終わってから1分くらい過ぎた後、周りを警戒しながら地下室から顔を出した。家は爆撃によって大きな損害は出なかったらしく、普通に開けたままにしていた窓から外に出る事ができた
「……音はしてたけど、直接はされなかったのかね?」
「しかし地下に閉じ込められるよりはいいですよね」
お邪魔した家に一礼して外に出ると、外は崩れた建物で溢れ、そこからは赤い火の手が上がり煙を登らせる。戦争ドキュメンタリーでよく見る廃墟となった街のシーンが、眼前に広がっていた。本当に私たちがいた家は幸運を持っていたらしい
「……これって、なんだったっけ?」
「たしか……戦車道の試合、だった……気がします」
「……でもここは戦場だね」
「ですね……」
とにかく音の鳴る方へ向けて歩き始めた。ここでの爆撃はもう終わったようだが、中心部からはまだ爆発音が聞こえる。それも外に出てから2分もしない内に収まっていた
「どこでやってるんですかね?」
「……南東部の何処かだとは思うけど……とにかく歩き回るしかないね」
そうはいっても辺りからの炎の音が、その音探しを妨げる。塹壕を超えたり、塹壕経由で移動したり、警戒しつつも動き続けた。しかしその音は見つからない
再び建物の隙間に身を寄せる。水を飲もうとしたら、何も持っていないことに気づいた
「ありゃ……」
「……まぁ、水無しでも一息つけるさ」
「それにしても……見つかりませんね」
「……この都市も相当広いんだろうね……いうほど建物も高くないみたいだし、人口もウチより遥かに多いって聞いたよ」
「はぇー」
今度は辺りから小さく戦車の履帯の鳴らす音がした。これが一方向ならよかったが、それはあちこちから、本当に四方八方から聞こえたのだ
さらに砲撃が再開されたのか、その音もする
「これじゃ……どこでやってるか分からない……どうしたら……」
だが待っている間に状況は変わった。一際目立った音が迫ってきていたのだ
場所は中心部の方からだ
「黒森峰……ですかね?」
「……他にいないんじゃないかい?」
「プラウダじゃなければ、ですが」
身を伏せたまま顔を覗かせると向こうにいたのは丘の上に見えたあの車輌に似た車輌が幾つか見える。しかしあの丘の上の車輌より小さいように感じる
IV号だ。あれは黒森峰だ。もしかしたら黒森峰の試合に出ている部隊への援軍かもしれない。そうでなくとも倒すべきものだ
手に握られた四角錐型のものに水滴が付く。近づいてくる中で分かったが、黒い服を着た黒森峰の者は西住副隊長がいつもやっているようにキューポラから身を出している。もしかしたら、トンプソンで狙える、かもしれない。それならこの四角錐型の爆弾みたいに近づかなくてもいい
「あれ……狙いますか?」
「……狙ってもいいけど、どうする?この爆弾使う?」
「先頭の車長を撃てれば隊列は混乱します。勝負は相手が車載機関銃でこちらを撃つまでのわずかな時間ですが」
「……やろうか。今度は私が行こう」
「えっ」
「……さっきやらせて、今回も行かないわけにはいかないだろ
それに、私の名は『生しらす丼のカトラス』
足がはやいことから付けられた名前さ」
気づいたら手からトンプソンは奪い取られていた
「……援軍だったらこっちに利するだろうしね」
トンプソンのマガジンを抜き、マガジンポーチから新たなマガジンを取り出して装填する。引き金に指をかけ、戦車をできるだけ引き付けている
口が渇く。先程の2人を狙う時より鼓動は激しい気がした。私がやろうとしているわけじゃないのに
30……20……15……。距離は近づいた。敵はこちらには気づいていない。今なら奇襲が成功するはず
その距離3メートル。迷わず建物の隙間から飛び出していった。銃をキューポラの上の方に向けて連射する。音からして最初の3発ほどはキューポラに当たったようだがその後は当たったらしく、素早く隙間に戻ってきた。敵車輌は機関銃を準備する間も無く、横を通り過ぎていく
「後続がいる。逃げるよ」
「は、はい!」
言われるままに狭い中を頑張って走って行く。後ろの車輌が機関銃をこちらに向けたようだが、コンクリートの壁2枚挟んだこちらまでは流石に貫通しない。何とかして私たちは隙間を通って隣の通りまで出る事ができた
成功だ。これで敵の隊列位は崩せただろう
「や、やりましたね」
「……逃げるよ。追ってきてる」
「えっ……」
興奮していたのか、そう言われるまで背後から足音の群れが鳴っていたことには気づかなかった
「……まずいね」
「このまま振り切れますかね?」
「……土地勘は向こうにあるし、数だってある。これは……足だけだね、頼れるの」
「なに、私だって走ることにかけてなら、負ける気はありませんよ?」
「……車で、だろう?」
「うっ……」
「……まぁ、行こう」
確かに彼女の足は速かった。脚力も一応の自信はあるが、それをも上回る勢いでカーブと直進を繰り返す。それに続こうと必死でいるうちに、いつの間にか沢山の声は遠くに消えていた
「ふぅ……」
水はないがまた一息つく
「これから……どうしますかね」
「……まだこの爆弾が残っている……どこかで使っちゃったほうがいい」
そうなると他の部隊を探すしかない。結果的に再び黒森峰の選抜隊を探すこととなった。だが戦闘は本当にあちこちで起こっているらしく、音では分かりようがない。時にはプラウダらしき戦車と出くわすこともあった。
そして休憩もとりつつうろつくことしばらく、目当ての車輌を見つけた
「……ティーガーI……」
「ですね……」
これが選抜隊かは分からない。が……私たちが戦っていた選抜隊にはティーガーIはいた。頭は出しているが、再び同じ手が通じるほど甘くはないだろう
「……やろうか」
「はい」
話し合うまでもなく、2人同時に行くことが決まっていた
「……機銃が通り過ぎるまで待つよ」
「分かってます」
先ほどの攻撃で機銃の威力を目の当たりにしている。避けようとするのは当然だった。それぞれ一個ずつ握りしめて、その時を息を潜めて待つ
いや、潜めようと奥に来すぎていた。そして何より……
その道幅は、先ほどより少し広かった
カトラスさんが先に飛び出した。私も続いて飛び出していく。目当ての車輌目指して
しかしその時すでに、顔を上げると車長は自動小銃、自分たちと同じトンプソンの銃口をこちらに向けていた
そして私だけそれに気づいてしまったのだ
先んじていたカトラスさんが蜂の巣にされるのに、時間はかからなかった。
一瞬だった。一瞬だけ全面開放的な路上で私は固まった。直後に隙間に戻ろうとしたその時を、相手車長は逃してくれなかった。銃弾は左足首、左太腿と右脇腹を狙った。体の三箇所に鈍痛が走り、隙間に飛び込んで倒れこむ。しかし黒森峰側も追撃を諦めたのか、そのまま郊外の方に向かっていった
意識は保っていた。しかしその意識が痛みを感じさせ苦しめる。左足に力が入らないような状況でなんとか立ち上がり、片足歩きで壁に手をかけながら隙間を逆側に抜けた。出血が激しいのか、意識が薄れていき、地面に倒れこんだ
「流石に……無茶だったか……な……カトラスさん」
彼女に対してはこう思うだけが精一杯。這ったまま腰に四角錐型の爆弾を乗せ、一本奥の広い道に出た。通ってきたときは気にも留めなかったが、道にはフォルクスワーゲンが一輌停車していた
とにかく座る場所を求めて、血の跡を後ろに残しながら近づいた。災害時の車の扱いを心得ているのか、はたまたただ急いで逃げただけなのか、扉が開いている。運転席から何とか右足で椅子まで移動し、背もたれに身を預ける
座って落ち着くと、服に染み付き、今この時も広がってゆく血の跡、痛み、そして先輩方への申し訳なさ。それらのせいからか、顔に涙を浮かんでいた
左足からの出血は益々増している。とりあえず持っていたタオルで股のところを縛ってみたが、それでもこの出血が続くようではもう命は長くないだろう。つまり先輩からの願いを達することは不可能になってしまったということだ
ならばどうする?私はこの時間、どうすればいい?
その時腰の四角錐型の爆弾が脇から顔を出しているのが目に付いた。それと車の引き出しから偶々見つけた車の鍵
それらを見た時、頭にある計画が浮かんだ。それを実行すると後戻りはできない。しかし左足からの出血を見て、心を決めた。涙なんか引っ込んだ。この残されたわずかな命を懸けて、黒森峰に一矢報いると
それが大洗の優勝に貢献するかはわからない。しかしそれに近づくと信じた。右足にはかろうじて力が入ることを確認して、鍵を差し込みエンジンを入れる。エンジンは適宜整備されているらしく、かかりがいい
「いい人に持ってもらったね……」
アクセルを踏み込む。左足は使わない。ガソリンもそれなりに入っている。道を曲がって戦車が通った道にドリフトをかけながら戻る
「燃えるねぇ~……」
薄れようとする意識を抑えながら、戦闘しているらしい道の先に進んでいく
「死んだら怒られるだろうなぁ……」
道が真っ直ぐなお陰でスピードはみるみる上がり、見つけた黒森峰の戦車隊にも接近してしまった。だが前からひっきりなしに砲声がするお陰からか、こちらには気が付いてないようだ
この通りにいるのは三輌だけらしい。もう距離は50メートルもない。そろそろだ。アクセルを一層強く踏み込み、四角錐型の爆弾の紐を引く。猛スピードで鉄の重そうな戦車たちはこちらに迫ってくる
先輩方、申し訳ないですけど、今からそちらに行きます
開けておいた窓から力を振り絞って片手で爆弾を外に出す。アクセルからは絶対に足が上がらないよう、残された力を振り絞る
第74回戦車道大会公式記録
大洗女子学園犠牲者
加藤 清羅
黒森峰 銃殺 死体損壊が激しく致命傷は不明 即死
土屋 圭
黒森峰 死体損壊が激しく致命傷は不明 即死
~
黒森峰女学園
明治期に創設されたプロテスタント団体の熊本バンド。その参加者であった横崎経峰が立ち上げた熊本独語学校がルーツとされる。戦後第一次学園艦計画の中で熊本港を母港とした学園艦の建造が開始され、1959年に学園艦として開校した。その後第一次学園艦移設計画によって、1985年に熊本県嘉島町に移設開校。その後も九州の有力な学園都市として存在している
~
2100からやります
私たちは真の若き日々の物語を誇りに思い、栄光ある日々を決して忘れないだろう
ティーガーIIを学園都市中心部の学園官邸を目指して進ませていた。しかし現状既にプラウダ学園装甲部隊が中心部に迫り、取り囲んでいるようだ。私の気づかぬ間にここまでことが進んでいたとは……
「ここも封鎖されているわ。前方からT34/85が二輌、JS2が一輌出でくるわよ!」
何れにせよ照準器の向こうでは、道路上の三輌の戦車がこちらに砲身を向け待ち構えている。ここが今まで見かけた中で一番突破が用意、というわけではないが、このまま突破しなければ側面を晒すことになる。いくらティーガーIIでも側面を狙われるのは厳しい
「ティーガーIIを正面から止められると思っているの!なめないでほしいわね、イワン共??」
だが正面からの撃ち合いなら決して負けない。装填してあった砲弾をJS2に撃ち込む。砲身から煙が吹き出し、こちらに流れてくる。近距離ならば地獄に送れる。まず一輌
しかし次弾装填までに煙の向こうが光り、T34から正面に砲撃を食らう。正面から撃ち抜かれるほどヤワではないが、車内を激しい揺れが襲い、頭の上のキューポラが煩く騒ぐ
「ぐっ……」
砲手は落ち着いて砲弾の装填が確認されると、T34に撃ち込む。車内に煙と薬莢が排出される。正面から狙われたT34はキューポラから炎をあげ、車体のあちこちからそれ以上の煙を噴出させる
「命中!2輌目撃破。T34後退していきます!」
「よし、包囲に穴が空いたわね」
道は開けた。あとは進むのみ。前進し学園官邸に急行するよう指示しようとした時、操縦手から焦る口調で報告が入る
「くっ……隊長、ミッションに異常発生です!ギアが入りません!」
足元からは必死に動かそうとすることによる歯車の噛み合わない嫌な音がする
ギアが入らない。即ちこの戦車は動かない
「江賀に無線を」
「はっ……」
ただ路上で無言で待つ時間が、かなり長く感じられた
「こちら江賀。隊長代行、如何なさいましたか?」
「無事?」
「は、はい。猟兵が二人ほど来ましたが撃退済みです。他には特に……」
「なら、どこかに隠れなさい。やり過ごすのよ。それが最後の命令」
「はっ……最後?」
無線は言うだけ言って無理やり切った。さぁ、数多の者を切り捨てるだけ切り捨ててここまで来た。あとはそのまま行くのみ、か
「……もういいわ……ここまでね」
「は?隊長代行?」
船形帽をとってからヘッドホンを外す
「最早、この試合も、学園も負けね。ここから先は私一人で行くわ」
不安げに見つめてくる砲手の視線を無視して淡々と咽頭マイクを取り、トンプソンを持ってマガジンポーチを腰に結びつけ、キューポラを開いて荷物を先、続いて身を放り出す
「エリカ隊長代行!」
外に完全に出た私を追って、砲手がキューポラから身を乗り出す
「最後の命令よ。貴女達は車輌を爆破して、江賀のティーガーIと合流して隠れて時間を稼ぎなさい。とにかく試合終了まで戦わないでいなさい」
車輌を降りて素早く中心部を目指して駆けて行った。背後から隊長代行、隊長代行と呼びかける声がするが、耳に入れることは無かった
私はついに代行としての役目も放棄したのだ。そんな肩書きで呼ばれる資格はない。聞かないふりをし続けたまま、音はやがて本当に聞こえなくなった
まだ時たま空の低い位置に飛行機雲の親戚が見える。近くの家は燃え盛り、破壊された煉瓦や木片が所を問わず地を覆っている。白い煙はあちこちから上がり、空に昇る
中心部に近づいてもその光景が変わらず続く中、一人先を急いでいた。煉瓦を踏みしめ、時折近くの壁の跡に身を潜める
中心部に近づくにつれて、落ちている死体の数が増える。それも軍属ではない。防衛隊やSSの制服ではなく、本来の黒森峰の制服を着て、パンツァーファウストや銃を近くに落として瓦礫に埋もれている者が明らかに多い。
人によっては胸のあたりが真っ黒に焼け焦げたまま、パンツァーファウストの棒を握りしめている。初歩的な使い方のミス。それすらも分かっていない人間を、学園は前線に送り込んでいる
これが意味する所は、そのような手段を取らざるを得ないほど戦局がよろしくないというものだった。宣戦布告されていない故に、昨日まで銃の撃ち方さえ知らぬ者を送り込まねばならないほど数が足りないのだ
落ちていた銃は流石に使えない。弾の規格も今のものとは合わない。使われていないパンツァーファウストなら何とか使えるが、流石にこれを持ち運んで行動するのは目立ちすぎる
仕方なくいざという時に備えマガジンをいくつか拾っただけで、残りは捨て置いていった
先を急ごうとした時、金切り声に近い叫び声が耳に入った。建物の窓越しに身を潜めつつそちらを向くと、少し離れた路上で黒森峰の女子二人が、プラウダの数名の兵に追われ、服をひん剥かれようとしていた
すぐに捕まり、一人は銃の柄で殴り倒され血痕を拡散させ、地面に伏した。もう一人は向こうの趣味にあったのか、地面の上で襲われていた
その光景はあまりにもおぞまかった。目も銃も向けることなど出来なかった
本来ならここで全員奴らを撃ち殺して然るべきだったろう。たとえあの中の一人を巻き込んでしまったとしても。冷静に考えていたらそうなっていた
だが実に恥ずかしいことに、私は駆け出してしまった。ただ一瞬でも早くこの野生の狂乱から逃げ出したかった
一方でこれで確信できたこともあった。やはり、プラウダはゴキブリ以下だ。蔑むべき存在なのだ、と。それさえなかったら、殺すことにためらいはなかった、と断言できる
その後の移動でも弾の使用は必要最低限を心がけた。防戦に加われという指示ならば、その為に弾薬は残しといたほうがいいし、当面は生きねばならない
万が一発見されて戦わねばならないときは、SSになってすぐに従軍した反乱を思い出す。こう見えてもその戦いで反乱部隊の一つを殲滅し、学園長から直々に勲章を授かったこともあるのだ。プラウダの糞野郎なんかに負けはしない
鉄の心、動じることなく頭を狙う
数人の頭を弾数発で破壊したころ、学園の防衛ラインらしきものが見えた。といっても塹壕の前に土嚢をいくつか積み、機銃を出し自動小銃を準備した防衛隊が頭だけ見える程度のものだが。見えるだけでも転がっている死体が多い。敵のも、味方のも
正面から行っては間違われ可能性がある。流石に味方に撃ち殺されるなどというヘマはしたくない
裏から塹壕に近づき、建物の横から帽子を出して振った。向こうが確認しているかはわからないが、撃っては来ないが、ちらりと見るとMG42はこちらに向いている。続いてある声をかけた
「Ein Wald(森)!」
少し間が空いたが、返事はしてくれた
「Meer(海)!」
互いにそう言う人間だとは確認は取れたはず。されどまだ弱い
「武装SS装甲師団曹長、逸見エリカよ!そこを通しなさい!」
「こ、これはSSの戦車道部隊の指揮官の方でしたか。失礼を」
姿を出し塹壕へ走り、滑り込んだ。そこへ部隊長らしき娘が近づく
「逸見曹長、申し訳ありません。プラウダ兵の一部が黒森峰の服を奪っているという話があったもので……」
「伍長、それより現状を」
名前が分からずとも階級で呼べるのは、こういう時は正直楽だ
「我が部隊を含め、この防衛戦はプラウダの歩兵による第一波を辛うじて撃退しましたようですが……すぐに第二波が来るでしょうね」
「……その時守れるかしら?」
「第一波の時の犠牲は多かったですが、守ってみせます……やれる限りは。そう命令を受けていますから。軍人ならばそれに従い、全力を尽くすのみです」
銃の作動を確認しながら、口角を上げて応じる
「そう……これ、途中の死体から拾ってきた弾。足しになるかもわかないけど、よかったら使ってちょうだい」
「は、あ、ありがとうございます!」
「私は学園長に報告して来るから、ここは任せるわ」
「はっ!」
綺麗な敬礼だ。右手がすっと、まっすぐに伸びている。塹壕を飛び出し、真っ直ぐ中心部の方へ進む。その中で、背後から一層大きな声が響いた
「ジーク、ハイル??」
もう厳しいだろう。さっきは歩兵主体だったようだが、きっと次は戦車隊が来る。あの塹壕では耐えられまい。士気はありそうなのが救いか
時間がない
つい今も一発着弾したここに到着した。道中稼働中のこちらの戦車は見当たらなかった。
フリードリヒ地区ブランデンブルク地域にある学園官邸。その象徴である入り口の上の鷲の紋章は足元や翼が欠け落ちており、柱の下がえぐれ、壁も傷だらけである。辺りの窓は破れていないものを探すほうが難しい
学園都市ではなく、学園そのものの喪失。最早話だけだと信じたかった現実は、私の正面に堂々と広がっていた
その柱の下に腰を下ろし息を落ち付けようとしたところ、地面の一部が開き、地下から人の顔が覗いた
「オイ、生徒か??こっちだ!」
姿からして防衛隊だろうか
「急げ!早く!」
近くまでプラウダ本隊は迫ってはいないらしいが、急かされたのもあって呼びかけに応え、案内の者に従い穴に入った。階段を一歩ずつ下り、白熱電灯のぼんやりした光に照らされた廊下を銃片手に進む
地上からも地下からも唸り声が絶え間なく耳に入る。そこは地上で軍服が汚れに汚れた私でさえ、いるのが申し訳なくなるような場所だった
♪掲げよ!
廊下の両脇は頭、首、腕、胴、足、その何処かは確実に包帯を巻いている人間がずらりと並んでいた。中央にあるのは私ともう一人が並んで歩くのがやっとなスペースのみ
♪神聖なる旗を
SS、防衛隊、一般生徒問わずほとんどの者は体育座りでおり、横になれるのはさらに酷そうなほんの一部だけである
♪親衛隊は
それらを数名の血まみれのエプロンを身につけた女性が対処していた。もっともテープや包帯、それすらもない時はカーテンの切れ端を巻いた後はほっとかれたが。その方々を避けつつ、コンクリートに囲まれた空間を進む
♪堂々と前進す
処置を受けた生徒の一部はそのボロボロの身にも関わらず、入り口の防衛隊の者に銃を握りながら、外に出してくれと必死で乞う。そして一部は、そのまま地下から飛び出して行く。行ったもののどれほどがまともに帰ってこれるだろうか
♪反逆者の前に倒れし戦友の
戦闘以外でなら高校生以外の関与も認められる。そう、ケガ人の励ましのために小学生が歌うのは別に戦車道連盟規約には反しない
♪御霊とともにいざ行かん
助けるべきか、手伝うべきか。一瞬頭をよぎったが、無視して先を急ぐ。これが終わった後私は再びあのゴキブリ以下共を一匹でも多くこの地から駆除しなければならないのだ
♪反逆者の前に倒れし戦
地下は大きく揺さぶられ、叫び声により歌も中断される。近くに着弾したようだ。私もその拍子に右側の壁にそのひたいを打ち付けてしまった
みんな続けて!……
♪御霊とともにいざ行かん
額を壁から外した後も、少しの間嫌な揺れが頭を包んでいた。足で捻り潰したくなる奴らを思い浮かべつつ、壁を殴った
「プラウダめ……」
髪は爆風でボサボサになり、膝を擦りむき、息も大きく荒れている。廊下に靴の踵の音を響かせながら学園長のいる所に向かった。とはいえど単に廊下の奥だ。ここの防空壕はそこまで大規模ではない
その入り口には門番替わりのSSが二人席に着いている
「SS装甲師団選抜隊隊長代行、逸見エリカ。学園長に戦況の報告に参りました」
「生徒手帳の提示を。あと荷物と武器はこちらでお預かりします。それの照合と案件の確認をしますので、しばらくお待ちください」
机を置いただけの受付で係りの者が、手元の書類をそのまま読むような対応をする。上からは砲声が下まで響き、壁は崩れて欠片がパラパラと落ちてくる。それどころではない、というのが分からないのか
「私よ!試合中の戦車選抜隊隊長代行、逸見エリカよ!学園長命令で前線から急いで敵包囲網を突破してきたわ!すぐに学園長やSS総司令官殿に報告に行かねばならないの!
それにね、SSの癖にあの廊下の様を、怪我人すら参戦している様子を間近で知りながら、椅子の上でのうのうとしてるとは、何様のつもり!」
余りに高飛車な態度だったので腹が立ち、思わず反駁する
「生徒手帳の提示を」
「くそったれ!勝手にしなさい!」
しかし受付の者の対応は変わらない。荷物を置くと受付の机の上に黒森峰の印の付いた生徒手帳を叩きつける。許可が出るとそのままズカズカと奥に入っていった
「待つことすらできんとは……全く、これだから戦車関連しか能がない奴は……」
今日何度めかの背後の声は気にする余裕がなかった
中に入ると、廊下が人で封じられている。その奥から怒鳴り声が聞こえてくる。学園長のものだ
「奴らがここまでやるつもりだと誰一人報告してこなかった!海軍のみならず、SSまでもが私を欺きおって!職員、軍人、その全ての裏切りでこの戦いは負けるのだ!臆病者揃いが!
職員共、防衛隊共、SS共は殆どが卑劣で忠誠心のない、卑怯者の塊、蛆虫以下の連中だ!
奴らは黒森峰の者たちの中のカスだ!栄誉なぞない!
この学園卒を立派な学歴だと偉ぶっているが一体全体何を学んできた!お上品なテーブルマナーに、外見は立派な宗教作法だけか!
私ももっと早く偉ぶっている奴らを皆殺しにするべきだった!私は最初の最初から裏切られていたのだ!
これは黒森峰の民全てへの重大な裏切りだ!裏切りものは皆報いを受けるだろう!奴らの血によってな!」
人の群れに近づくにつれ、怒鳴り声が大きくなる。群れの中には涙を流す女性を他の女性が慰めている。他の人は無言で、棒が立っているようだ。ただ茫然と棒の追加の一本となっていた
気がつくと棒はぞろぞろと動き出し、私が入ってきたドアの方に向かい、消えていった
部屋からはシルクハットを頭にはめようとしている初老の男が、彼らとは逆の方に向かおうとしていた。その男、等良学園長閣下に走り寄り、跪く
「閣下!」
「ん?君は……」
「待て!貴様、この方を誰だと」
ボディーガードらしき男が詰め寄ってくるが、帽子をはめた学園長閣下がそれを杖を持っていない方の手で制した
「まぁ待て待て……そうだ。選抜隊隊長代行の逸見くん、だったな」
「は、はい!」
私の顔を覚えていてくださるとは……なんという光栄か
「戦況のご報告に……参りました」
「そうか……」
「プラウダは既にフリードリヒ地区ノイケルン地域の防衛線に到達。そこの兵の士気こそ高いもの、敵の第一次攻勢による被害も大きく、次の攻勢での突破は避けられません。そこから先は……この学園官邸までは大きな障害は……ありません」
頷きながら次を促してくださる
「……はっ。我が……我が黒森峰戦車道選抜隊は私の乗るティーガーIIを含め……19輌が戦闘不能。唯一の残存車輌であるティーガーIには、狩出教官の指示のもと隠れて時間を稼ぐように命じてあります。その上、現状西住みほを殺した、との報告もありません。おそらくまだ生きているかと
申し訳ありません。試合に敗れ……プラウダの侵入を防ぎきれませんでした……」
意味がないのは分かっていても頭をも地面に擦り付けようかとしたその時、右肩を何かがそっと触れた
「ここの床は綺麗じゃない。とりあえず立ちたまえ」
「はっ……」
学園長閣下の手であった。そのままゆっくりと引き上げてくださった。学園長の背はあまり高くなく、私でさえ少し顔を上げてしまえば目線が合ってしまう
沈痛な面持ちが、そこにあった
「詳細な報告をありがとう……君の健闘及び職務遂行には感謝するが……黒森峰はもう終わりだ
北部で日村君のSS歩兵1個大隊が、北東部で久手君の防衛隊装甲第2部隊が、南西部で高鳥君のSS装甲第9部隊などがそれぞれのなんとか敵を食い止めているが、他の戦線は君が見てきたようにもう崩壊している。外はあの有様だ
今ならまだ戦線が構築できている北から逃げられる。健軍町の方に逃げなさい」
肩に置いたまま、しっかり目を合わせて、私に、私なんかに伝えてくださる
「しかし……私は試合に負けた上、命令すら実行出来ず、さらに部隊のものを纏めて救援に向かわせることすらできなかった黒森峰稀代の愚将です。そのようなお言葉を受けるほどのことは……」
「今日の事態を招いたのは君のせいじゃない。これまでの私の行いのせいだ。気に病むことじゃない。君はその厳しい枠内で、最大限のことをしてくれた。これは、私がどうにかしなければならない問題だった」
肩から手を離して背を向けなさる。先程の茫然とした感覚を身体に残しながら、目線を学園長閣下の方に向け続ける
「私は……黒森峰と学園長に忠誠を誓いました」
「脱出しなさい」
だから……と続けようとした私の言葉は遮られる。ドアノブに手を掛け首だけをこちらに向ける
「君には本当に申し訳ないことをした。だがそれでも私に忠誠を誓ってくれてるのなら、この老いぼれの最後の命令を聞いてくれないか
命をムダにすることはない。君みたいな勇気ある人間は生きるべきだ」
持っていたドアノブを捻って、階段の下へと学園長閣下は消えていった
目的地に着く前にトンプソンの弾が切れ、近くに投げ捨てて中に入る。入り口の扉はかなり砕け散っていたが、幸いここはまだ占拠されてはいないようだ。しかし煙はあちこちから登っていて、窓ガラスはどれも割れて破片が散っている
「早く避難しろ!プラウダがすぐそこまで来ている!」
「避難するって言ったって……どこへ?」
「そんなもん、プラウダのいない場所だろ!」
中は慌ただしい人の流れがあった。床に無造作に散らばったカルテの紙。それが風に流され、一部は窓の外に飛ばされていく
ライヒ病院の中を、それらを踏もうとも流れに逆らい、看護婦にぶつかろうともある場所を目指す
もう避難されているかもしれない。だとしたら次にその場所に向かうだけだ
階段を登り、さらに奥に向かう事しばらく、ある部屋の前に着いた。ドアを三度ノックし、空気圧がかかる音をさせて扉を開ける
「失礼します」
「……その声は、エリカか」
声、それはその部屋に住まうただ一人のものであるのはすぐにわかった
「た、隊長!意識が……」
その部屋に入り、奥のベッド近くのカーテンを払い除けると、そこにはしっかりと私の目を見据える隊長が横たわっていた。敬礼してベッドの傍の丸椅子に腰を下ろす
周りはシーツも敷かれていないベッドが散乱している。ベッドの上の人物からのそれ以上の返事はない。膝の上に手を置き、指を手の中に折り込む
「エリカ、お前が……ここに来たか」
話は向こうから始められた
「隊長……申し訳ありません。隊長から預かった多くの部下を死なせたうえ、大洗に勝つことが出来ませんでした……」
外から絶え間なく続く砲声。隊長ほどの人物が放っておかれている現実。ベッドの上であっても、状況は十分予測できる
「そうか……」
隊長はそうとだけ答えなさった。そのまま少し間を置いて、隊長がこちらに顔を向けられた
「エリカ」
「は、はい」
呼びかけられたが、少しの間言葉は続かなかった
「……お前には済まないことをした、ようだな」
「は……い、いえ、寧ろ代行としての」
「その代行として必要なことを……私はお前に伝えられなかった」
また遠く、どこかに視線を移しなさる
「やはりみほと赤星のあの件は重すぎたようだな……あれに対し私は十分な手を打てなかった。お前にも十分な知識、経験を積ませられなかった
そしてなにより勝たねばならない硬式戦で負けた。天下の愚将だよ、私は。西住の恥さ」
「そんな……ことは……」
自嘲する隊長への返答に窮していると、窓の外から金属がひん曲げられ、倒される音が私たちの耳に入ってきた
「きゃあああ!」
「プラウダだ!」
「プラウダの戦車が入って来た!」
「逃げろ、逃げろォーッ!」
どうやらプラウダの戦車がここまで来たようだ。ここまで、か
覚悟を決めきる前に服の袖に力がかかる。目を開き顔を上げると、袖は隊長の弱々しい右手に掴まれていた
「エリカ……私は西住流のためになるなら、自らの欲求を抑えて生きてきた……後継に相応しくあるように、な」
「……はい」
「だが、そんな私だが絶対的な欲求が……一つある……プラウダに捕まるのはもう二度と嫌だ。それだけは嫌だ……頼む……覚悟はできている」
目尻には涙の粒が乗っかっている
「お前にしか、頼めない……」
顔には力ない微笑みが浮かんでいた
奥歯を食いしばり、掴まれた手に視線を集中させる。顔には季節に合わない汗が増し、自分の指の全てを内側に向け膝に、掌に食い込ませた
最早、どうにもならない。この場に他に人はいない。私が、私が、やることができる
違う、違うぞ!やらねばならない、のだ
顔を上げることなく席を立ち、部屋を出て近くの薬品室に向かう。棚の扉を開き中のいらない薬品の瓶を床にぶちまけながら、目当ての効果のあるものを探す。酸があったらしく靴から滲み出て指先に痛みを与えるが、気にはならない
目当てのものを見つけると、棚にあった紙コップにそれを移し、それを近くに転がっていたトレイに乗せて病室に戻った
「……隊長、お持ちしました」
「ありがとう……自分で飲もう」
震える右腕をこちらに伸ばしなさる。が、その手はひどく震えており、握る力もあるかわからない
「いえ、お手を煩わせる訳にはいきません。私が……」
「そうか……では、頼む」
あっさりと手は引かれた。紙コップを手にした。トレイを置き、隊長の顔へと近づけていく
「苦いかな?」
「わ、分かりません」
軽く微笑まれると、少しだけ首を上げなさった。それを支える形で左手を入れて、さらに口元に紙コップを近づける。それが今にも飲まれようとした時、思わず顔を背けた
病室のトレイの上には水滴の付いたカップと、その近くにある溢れた液体があった。窓の外からの砲声と共に、僅かながら理解できぬ叫び声と階段を駆け上がる音が聞こえてくる
手がかじかむ。そういえば、今日は冬の一日だった。これまでそれに気づかないほど血が沸き立ち過ぎていたのか……
膝に両肘をつき手の中に少し強めに息を吹き込んだ後、丸椅子から立ちご尊顔に布団の縁をそっと持って顔に被せる
神よ感謝します。私とこの御方に尊厳を守る時間が残されていることを。私は残念ながら、その時渡し守カロンに背中を突かれることになるでしょう
ベッドの脇に直立して、自分の胸元から生徒手帳を半分抜いて戻す。そのあと2挺持っていた拳銃のうち九四式拳銃を床に投げ捨て、もう一つのワルサーP38を取り出し、スライドを二本の指で挟んで開いて中の弾を確かめる
中にはしっかり9ミリパラペラム弾が入っている。これはSS装甲師団に入って歩兵として反乱鎮圧に参加してからの愛銃だ。私の兵士としての証でもある。壊れているはずはない
私は最期に偉大なる学園長のご命令に逆らうことになってしまいました。私の忠誠とは、分からなくなってしまいました
スライドを元に戻し、左手で持って口元に持ってくる。右手は右斜め上に伸ばす
引き金に指をかけ、銃口を口に入れる
されども、願わくはこの御方が天の国に導かれ、黒森峰女学園に永遠の栄光があらんことを!
靴の踵同士を叩き、めいいっぱい響かせる
「ハイルフューラー??」
生者がただ一人の空間にそう叫ぶと、銃声が病室を包んだ。背後の壁に放射状に飛散する血痕。そして縦に流れる血の筋の下には崩れ落ちた逸見エリカが遺された
第74回戦車道大会公式記録
黒森峰女学園犠牲者
逸見 エリカ
大洗 銃殺 口内から後頭部にかけて貫通 自分の銃の使用による自殺と思われる 即死
一般被害者一覧
西住 まほ
ライヒ病院にて死亡。青酸カリを飲んだ跡があり、自殺と思われる
~
広報部より報告
黒森峰女学園の動向
同校からの連絡によりますと、
「死出の旅路を共にしよう」
を
「忠誠か、尊崇か」
において選択したとのことです
~
今日はここまで
最後ナリ
2155からの予定ナリ
黒森峰女学園
ドイツ風の荘厳華麗な塔が並ぶここも、ミサイルと砲撃と爆撃で火の手が上がり、崩壊状態だった。鞄と追加品、そしてトンプソンを抱えて建物に入り、階段を駆け上る。その階段さえ途中でコンクリートを剥き出しにしていた
内部構造も防衛対策も分かっている。目的地への最適なルートを選ぶなど造作もない
ここの中にはすでにプラウダが突入しているようだ。ドアが破壊され、中は赤々しいもので占められている。教室の窓も散々だ。だが感情を呼び起こす暇は、私にはないらしい
前方にある次の階段の下では、二人のプラウダ兵が身を潜めている
「ここが先頭ですか?」
「ああ、だが階段上の突き当たりにMG42が粘ってやがる」
モシンナガンを持った一人が答える。ここから先に進むしかないな
「分かりました!」
「あ、オイ危ないぞ。工兵を待て!」
その者たちの制止を振り切り、階段を駆け上がる
「今の……大洗か?今は味方だったか?」
「確か……そうだか」
「というより……大洗に歩兵なんていたか?」
「さあ……」
上った先にはプラウダ兵の死体が一個転がっていた。確かに何箇所も銃弾が貫通した跡がある。傷の規模などやその位置、さらに壁の弾痕も見るに、なるほど機関銃が設置されているというのは間違いないらしい
壁側に寄り、来る途中の黒森峰SSの死体の近くに転がっていた鞄から、その死体のものらしき制服を引っ張り出し、袖を通す。背中に縦に一本縫い目がないから、防衛隊でないかはすぐに分かる。階級章がないがこんな事態だ。ある程度はごまかせるだろう
「ベルク(山)!」
通しながら叫んだ。積まれた土嚢と机の向こうでMG42を構えていた者たちは一瞬混乱したのか、待ち構えたまま動かない
「フルス(川)!」
だがしばらくして合言葉が帰ってきた。舟型帽を急いではめる
「SS装甲師団第12部隊の西住です!所属を名乗りなさい!」
「……はっ!我々は黒森峰防衛隊歩兵第3部隊の者です!」
その返事を聞くと壁から身を出し土嚢の方へ駆け足で近づいていく。辞めた話は広がってない、というのは事実だったか。それとも姉の方と思われたか?
「何をやっているんです!もう黒森峰は敗れました。こんな所を守っても意味はありません。ただ殺されるだけです。すぐに武器を捨てて投降しなさい!」
二人の階級は兵と上等兵、そして私はSS。なら、命令できるはず
「しかし、学園長からの死守命令が……」
「援軍なしの死守命令なんて死も同然です。守っても無駄です。投降しなさい!」
二人は暫く考えた後、土嚢から身を出して両手を挙げて階段を降りていった
さて、障害は消えた。彼女らと逆方向に向かい、素早く黒森峰の制服を脱ぎ捨てる。これは仮に過ぎない
もう一個階段を上がり、割れて破片が辺りに飛び散った窓から屋上に出る。床のタイルはそのほとんどがひび割れ、爆撃を食らって破壊された建物の瓦礫があちこちに散らばっている
脱ぎながら肩にかけていた追加品を外す。追加品である縦長のケースから二本の棒を取り出し、片方の先をもう片方の根元に捻ってはめ込む
左手で軽い方を回しながら、背後を確認してみた。黒いヘルメットをかぶり、息が荒れている女性が、膝に手をついている。彼女の胸にはJUDGEと書かれ三日月型の茶色の板をぶら下げている。状況は私の都合の良い方に傾いている。本当に根底さえ無視すれば、運の良い日だこと
はめ終わって一本の完成した棒を握る力を少し強めた。そして、一度先を見据える
屋上を囲む小さい塔の一つに足を掛け、手で体を引き上げつつ次の場所を探して足を乗せていく。高く、より高くへ
塔に空いている穴にその根元を差し込み、棒の先に付いた布をばっと広げた
その布に描かれていたのは青い「大」に、その中央に被さるようにある「洗」
そう、黒森峰女学園校舎に掲げられたのはプラウダの赤い旗ではなく、サンダースの白地に青い星の旗でもなく、伸び伸びとした感じを強調する大洗女子学園の校章そのものだった
手元のトンプソンを素早くフルオートに切り替える
「黒森峰女学園はーッ??大洗女子学園が占領したッ!」
塔の上で叫びながら、的も無き空にトンプソンのマガジン一個分を撒き散らす。反動と重力に耐えながら撃ち終わった後、宙にトンプソンを投げ捨てた
ここは黒森峰の本陣。そして私は非武装だ。これで終わらないなら、死ぬのみ、か
「……はい、確認しました……では……に則り……でよろしいですね……分かりました」
後ろの審判が無線で誰かと連絡を取っている。疲れもあり、塔の台座に背中を委ねる。無線のイヤホンから指を離した審判は、こちらの方にゆっくり近づいてきた
「おめでとうございます」
次からの審判の叫び声は、意識を失う最中のことで、記憶が曖昧だった
~
「もうすぐこの戦争も終わるな」
「戦争が終わるとどうなる?」
「知らんのか?」
「戦争がはじまる」
~
寧ろ、死んでない方が不思議だ。拾った細めの鉄パイプを支えに、何とか路地裏を動いていた
「はぁ……はぁ……ガハッ!」
B1bisの中で飛び回った破片は、しっかりと右胸脇を貫通していた。その為か血の混じった痰を時折吐き出さざるを得なくなる。満身創痍という言葉は、きっとこの私を指すのだろう
右胸脇貫通による肺の損傷、火傷、左足骨折、肋骨骨折、頭部負傷、結構な出血、その他切り傷、擦り傷多数。単体では簡単に死なない怪我を幾つも受けていた。動き続けた。目的地はない。止まった時が、死ぬ時だと思った
もうモルヒネは打った。痛みは殆ど無いが、それで苦しさと動き辛さから開放される訳ではない。右胸脇から聞こえる空気の抜けるような音が不快で仕方ない。しかし、まだ試合は終わってない。これは生徒会が始めた戦い。見届けることのできる人は自分だけだ。それが、先立った会長とのヘッツァーで交わした約束である
「……どうなっている……戦況は……ゲホッ、ゴホゴホゴホッ!」
余りに激しい咳に思わず体が前に倒れこむ。腕が支えきれなくなり、うつ伏せに地面に突っ込む。今まで肺の中に血が溜まっていたらしい。喉はもう逆流する血を抑える力も残っていなかった
むせながら口から血が溢れ出てくる。何度も出てくる血。それがみるみる大地に消えてゆく様に覚悟を決めた
残念だが、もう、限界だ。もう立ち上がる力はない。致し方ない
取り敢えず仰向けになり、そこから腕の力を振り絞って上半身を壁に寄りかからせる。食道に残った血が未だに痰に混じって出てくるが、幾分楽になった。頭から流れる血が顎からズタボロのスカートの上に垂れる
落ち着いてみると激しい砲撃戦が起きているようだ。残り二輌が戦っているにしては多い。まあ、そんな事は大洗が勝てばどうでもいい。大洗が勝てば、大洗が残れば
しかしもう自分に大洗の為に戦える力はない。結果を見届けたいところだが、このまま死を待つよりは早くこの苦しみから逃れたい
やっぱり私は自分の事ばかり考えているな。会長や西住なんかの代わりにはなり得ないんだなり
右手でポケットから九四式拳銃を取り出し、スライドを引く
私は、隊長だったのだろうか……やれる事はやったのか?西住は最大限サポートしてくれた。それに応える事はできたのか
「……そんなのは、後の人の評価に任せるか……ゴホッ……
お姉ちゃん、まさかこんなに早く、そちらに向かうとは思っていませんでした……まさか私が戦車道で死ぬとは……想像……できましたか?」
右のこめかみに銃口を当てる。引き金に指をかけ、今にも引こうとする
「大洗女子ば」
(いやー、姉を尊敬し続ける後輩か、いいもんだね)
「??」
聞いた事ある声に思わず銃口を外し周りを見渡すが、その声の主がここにいるはずがない
「会長……」
馬鹿な、会長と柚ちゃんは、あの時ヘッツァーに残って……
「これは、夢……?それとも、走馬灯か何か……?」
(かーしま、元気にしてたか?)
これは途絶えない。幻聴?
だが会長から声を掛けられて答えないわけにもいくまい
「……会長、これを見てもそう思えますか?」
(だよねぇー)
返事が……あった……
「会長……こっちの……」
(言っていることは聞こえているよ。その様子だとこっちの声もきこえてるみたいだね)
けらけら笑う声、間違いない。会長のもの
「……これは……何ですか?ゴホ、ガハッ!」
(夢さ、かーしまの)
「夢……ですか、ならば早く覚めてそちらに……」
再びこめかみに銃口を当てる。夢なら……苦しみつつ見る夢なら……
(待て待て、あと五分生きてみる気はないか?夢を見ている間も時は流れるんだ)
「……五分で一体何があると言うんですか?ゴホゴホゴホッ」
痰が……多い
(何かあるかも知れないよー)
「何ですかその曖昧な答えは……もはやこの出血にこの怪我です……長くはないでしょう。それなら……この苦しみから逃れたいのです。死なせてください」
(だったらわざわざそれを自分で縮める必要もないだろう。かーしまには試合の結果を聞いてもらわなくちゃいけないんだから)
「しかし……それがあるまで生き続けられるとも思えませんし……」
(んじゃ、断言する。このままかーしまが死ぬまでに、何かが起こる!)
はっきりとした声だった。周りに聞こえてない。黒森峰の者が来ないのが不思議に思えるほどに
会長がそこまで断言なさる。信じない、という理屈は私にはない
undefined
「……会長がそこまで仰るんですから何かあるのでしょう……ですが、このまま死を待つのはしんどいので、少し話をしませんか?」
(いいよー)
「今まで……色々有りましたね。ゴホッ」
記憶を辿る力はまだあるらしい
(あったねー)
「私が……高校で転校してきた時、始業式の日に話しかけてくれましたよね……」
(あー、あれね。生徒会、ウチらの代が少なかったからね。仕事増やす気だったし、とにかく人手人手だったね)
「でも、そのお陰で……私は、恐怖を……あの、右腕の映像を……生徒会活動やっている時だけでも忘れられました……ゴホゴホ……本当にありがとうございます……」
(いやねー。そんな大したことはしてない気がするけどね)
「いえ……私にとっては……感謝しても仕切れないです……ハロウィンパーティー……覚えてらっしゃいます?」
(ああ、私が魔女になったやつね。かーしまはカボチャ被ってたっけ。あれ……なんて言ったっけ?)
「確か……ジャックオランタン……だったと思います……ガハッ!」
落ち着いたと思ったら、またこれだ。どうにもならないんだな、本当に
(他には……生徒会で海行った時とかは覚えてるか?)
「覚えてます……泥ンコ大会やって……プロレスだっていきなり……会長が言って、私が思いっきり……海老反り食らいましたね……」
(それとかでっかい水鉄砲持ってきて撃ちまくってたねー)
「そして……今年に入っていきなり国から今年で廃校だって……言われて……ゴホッ。私が……やっと、青師団でのことを……話して……話すことができて」
(あの話された時は驚いたね。戦車道の現実なんて噂くらいしか聞いたことなかったし。容易く戦車道やるって言ったこと軽く後悔したよ)
「軽くなんですね……ゴホゴホッ」
そうだ。この人は学園の未来を、何千人もの未来を背負っていたのだ。私一人の過去なんて……些細だ
「で、私が隊長になって、戦車探して……右も左もわからない状況で……練習はじめて……マジノに完敗して……」
(まああれは……ねぇ。しょうがないさ)
「西住を転校させて…戦車道やらせて……さらに頼んで副隊長にして……」
(まあ、西住ちゃんも結果的に飲んでくれたけどねぇ、あの時のせいで嫌われても仕方なかったと思うよ。必要だったとはいえ
……でも楽しかった。勝利目指して練習して上手くなって、聖グロ相手にあれだけ接戦に持ち込めて……みんな頑張って……)
「本当に楽しかったですね……」
(あの頃は……)
走馬灯の如き思い出とともに、無言の時間が路地裏を流れる。気がつくと、先程まであった会長の存在は、ここから完全に無くなっていた
「あれ……会長?」
そろそろ五分経ったということだろうか?右脇腹を見ると、もう元の群青色の戦車服の色は見えない。また一口血痰が吐き出される。意識も朦朧としてきた。腕を上げる力もない。鉛玉を撃ち込まずともいいだろう
砲撃音、銃撃音、火災の音、全て続いている。ぼやけていく視界の中、二つの瞳を閉じようとした時、遠くから単調な甲高い音が響いてくるのが耳に入った。私の脳味噌の最後の力を引き出す
「試合終了ーーッ??」
血が抜けて軽くなった首を、少しだけ空へ向けた
「第74回戦車道全国高校生大会優勝は大洗女子学園??」
大きな音量で街中にアナウンスが響き渡る
「戦闘行為を停止せよ!全部隊直ちに戦闘行為を停止せよ!」
大洗が……優勝。勝った……のか。そうか、ゆうしょうしたのか……これで……あんしん……して……
第74回戦車道大会公式記録
大洗女子学園犠牲者
河嶋 桃
黒森峰 頭部、右脇腹負傷などによる失血死 負傷後1時間強ほど生存した跡あり
地上に降り、校舎の正門の前に身一つで歩いてきた。大きな門の上には黒森峰の印である白丸の中の黒十字が乗っかっている。その背後からは何箇所からも灰色の煙が空高く登っている
間も無くその印は髪を揺らすほどの風と轟音とともに爆破され、砕け散った。赤く燃えて周りより黒い煙を上げる。その煙を眺めていると、心の中にあった黒森峰での僅かな良い思い出も空に立ち昇ってゆく気がした
姉と触らせて貰った優勝トロフィー。小学校の時に母と共に会った優しい教官。SSの厳しい練習後に同じ釜の飯を食べた、今は亡き仲間達。それが浮かんでは消えてゆく
消えてゆく
勝ったが、勝ってしまったし、勝てなかった。ここから先戦うとしても、それは真の『西住』ではない。それを得るために、私は何を費やしてきたのか
これが最善の道、利益を最大化する道だとはよく理解している。博打を3度も当ててやっと手に入れた利益だ。そうするしかなかったのだ
だが……余りにも、余りにも全てを破壊してしまった。全てを
その煙を眺めていたが、しばらくして門に背を向けた
泣いた。我慢のがの字もない程大声で泣いた。ボコられグマのボコはどれ程叩かれ負けても応援で再びやってやると言って立ち上がる。しかしもう私に届く応援を出来る人はいないだろう。何より自分自身が出来ないのだから
辺りではプラウダの戦車が何輌も止まっており、その周りからはアコーディオンを奏でる音、コサックダンスのリズムをとる者など、プラウダ側の歓喜が膨らんでいた
「Волк умер! Волк умер!
(狼死んだ!狼死んだ!)」
その近くには黒森峰の制服を着て銃を携えて死んでいる者達
ただ、前に歩みを進めた。行き先があるわけじゃないのに
第74回戦車道大会公式記録
◯大洗女子学園vsX黒森峰女学園
被害 大洗3輌 黒森峰132輌
????????????????????《航空機 21機》
(大洗側同盟 プラウダ学園 64輌
?????????????????????サンダース大付属 なし
????????????????????《航空機 17機》
?????????????????????ポンプル学院 10輌)
黒森峰戦闘体制崩壊と判断
ここまでになります。今後については別のところでやろうかなと考えてます。ありがとうございました
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