高木社長「ねぇ、キミぃ…」 (157)

このSSはゲームや漫画、アニメの設定がごちゃ混ぜになってますのでご了承下さい

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00

 アイドル。この世知辛い世の中で生きる人々に希望を与え、なおかつ自分も希望を与えてもらえる存在。そんなアイドルが私は大好きだ。どれくらいかと言えば、自分で事務所を構える位には。

「ふぅ…」

 我が765プロダクションも気づけば大きくなったものだ。かつては雑居ビルの一室に事務所を構え、従業員も音無君と秋月君の二人だけだったというのに。まあそうは言っても移転した今もその二人にプロデューサーである彼を加えただけなのだけれど。

「社長、お疲れなんじゃないですか?」

「ははは、まだまだ大丈夫だよ。音無君」

 ちょうど書類の区切りがついたところで音無君からお茶を差し出された。たしかこれは萩原君が持ってきてくれたものだったか。

「今日は雪歩ちゃんが持ってきてくれた玉露を入れてみました。普段とは違いますけど…」

 それも彼女なりの気遣いだろう。細かなたころまで目が届く。世界中のどこを探しても彼女より素晴らしい事務員は居ないだろう。何せ私がそう思うのだから間違いない。そう、ティンときたのだ。

「…ありがとう」

 しかし、私はどうなのだろう。彼女たちの力を引き出せているだろうか。

「大丈夫ですか?なんだかぼーっとしているような気がしますけど…」

「はは…君には敵わないな、音無君…」

 アイドルのみんなと出会う前から一緒にいた彼女には隠し事は無理らしい。私は観念して懸念していたことを口にする。

「音無君は、ここで…765プロで本当に良かったかね?」

「え?」

 鳩が豆鉄砲とはこういう時に使うのだろうか。いまいち話の要領を得ていないであろう彼女に私は続ける。

「いや、君は有能だ。少人数しかアイドルがいないとはいえこの765プロの事務をほとんど一人でこなしてくれていることには感謝しかない」

 今更誤魔化しても仕方ない。少し照れる気持ちもあるが日頃の感謝とリスペクトを正直に言葉にした。

「けれど…いや、だからこそ思うのだ。君は…765プロで良かったのかと…」

「はぁ…」

 無理をさせている。彼女の有能さに頼り切りになってしまっている。せめてもと、昇給や人手を増やす話を持ちかけたこともある。そこまで余裕があるわけではなかったが、彼女には身銭を切ってもバチは当たらない。そう思って声をかけると彼女はいつもこう言っていた。

『そのお金をあの娘たちに回してあげてください』

『私なら大丈夫ですから』

 いつも、どんな時も彼女から返ってくるのはそんな言葉ととびきりの笑顔だった。

「思ったことはないのかい?ここよりも条件が良い場所に行きたいと…」

 アイドル事務所は他にも、いや、アイドル事務所じゃなくたって、彼女の能力ならばどこでも活躍できるだろう。きっと今よりも良い待遇で働ける。私と知り合ってしまったがために、私に情が湧いてしまったがために縛り付けてしまっているのではないか。そんな考えが浮かんだのは一度や二度ではない。

「ここより良い場所ってどこですか?」

「え?そりゃぁ、961プロとか、876とか…」

「社長、それ本気で言ってます?」

 久しく見ていなかった心底呆れたというような表情。黒井や石川ならば、彼女も知らぬ仲ではない。特に黒井は今でこそあんな態度を取っているけれど、私のことを抜きにすれば音無君をぞんざいには扱わないだろうというのに。

「いや、君に限ったことではないのだ…アイドルの諸君も、私が見つけてきた最高の原石だ…もしかしたら、こんなコネも金も無い私でなければ、もっともっと…」

 彼女たちの実力、才能は本物だ。そんなもの誰が見てもわかる。けれど私はどうだ。業界にほんの少し長く居ただけ。日高舞が引退し、表に立つ者も裏で支える者も多く辞めていったあのアイドル冬の時代に、しぶとく生き残っただけでしかない。こんな男の事務所で無ければ…彼女たちももっと…

「はぁ…そんなに言うなら聞いてくればいいじゃないですか」

「ん?どういうことだね?」

「だから!アイドルの娘たちにも聞いてみたらいいんですよ!765プロで良かったのかどうか!」

「君ぃ…それができれば…」

「できればもへったくれもないですよ!ほら!お仕事はできるところやっておきますから!聞いてきてください!」

「ちょ!?音無君!?」

01

 変なところですぐに行動に移せる実行力は母譲りだろうか。社長室から叩き出されながら、『全員に聞くまで戻ってきたらダメですよ』と言われ、あれよあれよと言う間に鍵までかけられてしまった。

「むぅ…困ったねぇ…」

 これではどちらが雇い主なのかわからない。そんなことを考えていると…

「あれ?社長?どうしたんですか?」

「おぉ、天海君」

 ちょうど事務所にやってきたばかりの天海君に声をかけられた。道中、バレてしまわないように変装しているのだろうか、トレードマークのリボンは帽子に隠れ、いつもはしていない眼鏡をかけているが彼女の魅力に変わりはない。

「いや、音無君に締め出されてしまってね…」

「えぇぇぇ!?ど、どういうことですか!?」

「いやいや、私が悪いんだ」

 トップアイドルと言われるようになって尚、こんなくたびれた中年に自然体で話しかけてくれる純真さが眩しい。そんな彼女だからこそ、やはり思う。

「時に天海君。君は…765プロに入って良かったと思えるかね?」

「はい?」

「いやだから…他のプロダクションならばよかったと…思ったことはないかい?」

 こんな状況ですら、トップアイドルになった彼女だ。きっと他の事務所ならば、日高舞など目ではない。

「えっと…他の事務所も何も、私765プロにしか受からなかったんですけど…」

「え?」

 てへへ、と言いながら頬をぽりぽりとかく天海君は恥ずかしそうに照れている。どうして?彼女ほどの逸材が何故…

「私、ダンスも歌も苦手だったから…スクールの成績も良くなかったんです…だからオーディションの時も目立つところにはいませんでした」

 そう語る彼女の目はどこか遠くを見つめているようだった。

「…社長だけでした。オーディションで他の子には目もくれず、端っこにいた私に『ティンときた!』って言ってくれたのは」

 私からすれば、彼女の他には居なかった。どんな状況でも希望を忘れずに前を向き続ける目をしていたのは彼女だけで、その目は今でも変わらない。

「だから、私にとっては765プロ以外なんて…考えられないんですよ」

 ニコッと笑った彼女の笑顔がその言葉が嘘ではないことを証明していた。

「そうか…ありがとう天海君」

「はい!社長」

「ん?どうしたんだい?」

「あの…ありがとうございます!」

「うむ…」

 そのお礼は何に対してだろうか。わからないまま、天海君は次の仕事へ向かって行った。

02

「~♪」

「む?この声は…」

「え?社長?」

「やっぱり君だったか、如月君」

 手持ち無沙汰になった私は、風に当たろうと屋上に向かった。そこで聞こえてきた美しい声の持ち主を間違えるはずがない。如月君だ。

「どうしたんですか?こんなところで…」

「いや、何、少し風に当たろうと思ってね…」

「そうなんですか…私も…少し練習の環境を変えたくて…」

 彼女の美しい声。これは誰の目から見ても、いや、誰の耳から聞いても明らかな才能だ。アイドルにして初めてオールドホイッスルに出演した。本場のアメリカでレコーディングもした。彼女ならば、どこでアイドルをしても、いや歌手でだってきっと成功しただろう。だからこそ、気になる。

「如月君、君は…他のプロダクションならばよかったと…思ったことはないかい?」

「はい?」

「いや、君はそもそも歌手志望だっただろう?私はアイドルのプロデュースしかできないから、君にもアイドルとしてデビューしてもらったが…」

 如月君が、アイドルの活動に気乗りしていなかったことは知っていた。それが原因で番組のスタッフや、プロデューサーの彼と衝突したということも。もしもアイドルではなく、最初から歌手としてデビューしていれば、そんなことも無かったのではないか。私は思ったことをそのまま伝えることにした。

「そう…ですね…確かにそうだったかもしれません…」

 如月君は私の話を聞いた後、考えながら絞り出すように返事をしてくれた。

「けれど、今の私があるのも765プロのおかげです」

 そう言った如月君の目はあの時とは違っていた。

「もう一度歌えたのも、過去を乗り越えられたのも…母と…和解できたのも、765プロのみんなと一緒だったから…みんなが支えてくれたから…そして、それに気づかせてくれたから…」

 話すことが得意では無い彼女。けれど、それでも必死に言葉をかけてくれる。まるで私に『伝えなければならない』と思っているかのように。

「だから、今度は私の番なんです…その…上手く言えないですけど…私はここを守りたい」

「如月君…」

「だから、私は…今はもう、ここ以外は考えられないですね」

「…っ」

 あぁ、彼女はこんな風に笑うのか。そんな風に笑える場所に私の事務所はなっていたのか。まだまだ自信とは言えないけれど、少し心は晴れた気がした。

「ありがとう、如月君」

「いえ、こちらこそありがとうございます」

 如月君も、天海君と同じように逆にお礼を返してくる。それが何に対してか聞き返す前に、彼女は自主練に戻ってしまった。私は大人しく室内に戻ることにした。

03

「う、うーん…むにゃむにゃ…」

「おや?ソファに誰かいるのかね?」

「ん?うーん…あ、社長…おはようなの…」

「あぁ、おはよう美希君」

 ふわぁ、と大きな欠伸をしてソファから起き上がったのは美希君だ。何かと一芸に秀でた者が集まるこの事務所で、『天才』と言えば彼女のことを指す。彼女も成功するべくして成功したと言えるだろう。

「時に美希君。少し、変なことを聞くようだがね…君は…他のプロダクションならばよかったと…思ったことはないかい?」

「うーん…無いよ?」

「ははは、そうか。即答とは嬉しい限りだね」

 彼女は迷うということをしない。それが彼女の天才たる所以なのだろうが。確かにこと彼女においては『辞めずに今ここにいる』ということが、765プロ以外考えていないということの証拠なのだろう。

「けれど、辞めたくなったことはあるんじゃないかね?」

「うーん、確かにそれはあるの」

 美希君は事務所随一の気分屋だ。今でこそプロ意識の高さも他のアイドルと変わりないが、最初の方は割と彼女に振り回されることも多かった。かくいう私も彼女のおにぎりを間違えて食べてしまい、辞める辞めないの大騒動を引き起こしてしまったことがある。

「でもね、それはアイドルそのものを辞めようとしただけなの。多分他の事務所にまで行って、美希アイドルやらないよ?」

「ほぅ、それはどうしてかな?」

 彼女の天才性は黒井好みだ。もしも961プロにいたらと思うと恐ろしい。

「だってここじゃないと楽しくないの」

 返ってきた答えは彼女らしく至極簡単な答えだった。

「君のスタイルなら、例えば黒井とも上手くやれるかもしれないよ?」

「冗談キツいの。ミキあそこには絶対行かないの」

 なんかジメジメしてそうだし。と彼女らしい表現の仕方をする。彼女にそう言われると、黒井がどこか湿っているように思えるから不思議なものだ。

「ミキね、大体のことはできるの」

 これが嫌味ではなく事実なのが彼女のすごいところだ。

「でもね、ここにはミキが敵わない人がたくさんいるの」

「そうかい?」

「歌は千早さんに敵わないし、ダンスは真くんや響に勝てないでしょ?うーん、おっぱいも自信あるけど貴音やあずさに勝てないの」

「ははは、そう言われたらそうかもしれないね」

 もしかすると、美希君にとって『誰かに勝てない』というのは貴重な経験なのかもしれない。

「番組の司会も春香みたいに上手くできないし、デコちゃんみたいにツッコミもできないの」

「…」

 水瀬君には黙っておこう。

「律子さんみたいに周りを見て動けないし、亜美真美みたいに面白いことも言えないの」

 いつもは『律子…さん』と言っているけれど、その実ちゃんと尊敬しているのはみんな知っている。水瀬君よりもよっぽどツンデレだ。

「雪歩みたいにお淑やかでも無いし、やよいみたいにお料理もできないの」

「ほう…」

 ちゃんと見てるじゃないか。

「だからね、みんなのいいところをいーっぱい見せてもらって、ミキはもっともっと輝くの」

 他の人の良いところまで自分のものにする。できると信じ、実際にできる。だから彼女は『天才』なのだ。

「社長、ありがとね」

「ん?何がだい?」

「zzz~」

「ちょ…君ぃ…」

 答えをもらう前に、美希君は夢の世界にもう一度旅立ってしまった。

「ふむ…しかし、こうしているとステージとは別人だね…」

 年相応の彼女の寝顔に少し安心する。けれど、年頃の女の子が寝ているところにこんな中年がいるのはいただけない。私は美希君に仮眠用の毛布をかけた後、別の部屋に移動することにした。

04

「あ、社長!おはようございます!」

「うむ、おはよう菊地君」

 部屋を出たところで菊地君に出会った。空手をやっていたという彼女の竹を割ったような性格はアイドルを通り越して人としての魅力だ。ランニングの途中に水を取りに来たらしく、非常にスポーティな格好をしている。

「どうしたんですか?こんなところで」

「いや、何、みんなに少し聞きたいことがあってね…」

「聞きたいこと?」

「菊地君、君は…他のプロダクションならばよかったと…思ったことはないかい?」

「うーん…ありませんね」

 彼女もまた即答だった。即断即決とは美希君とは違った意味で彼女らしい選択だ。

「どうしてか…なんて、聞いてもいいかな?」

「え?だって普通の事務所なら売れるかどうかもわからないアイドル候補生の父親の説得なんてしてくれないでしょ?」

「はは、そんなこともあったねぇ…」

 菊地君の父親は、彼女のアイドル活動に反対していた。そんな父親の説得に音無君と二人で出向いたのは今ではいい思い出だ。

「多分父さんが、紛いなりにもアイドル活動を許してくれてるのは、あの時社長が来てくれたからだと思うんです」

 菊地君の父親は、今でもそこまで彼女のアイドル活動に乗り気ではない。ことあるごとに彼女を空手の道に戻そうとしているということも彼女から聞いている。それでも、形だけでも許してくれたのは、あの時我々の熱意が伝わったからなのだろうか。

「だから僕決めたんです。社長みたいに、真っ直ぐ、心でアイドルをするって…」

「ははは…菊地君…」

 知らない間に、彼女はそんな風に思っていたのか。思っていてくれていたのか。

「だから…社長、僕はここ以外でアイドルなんてできません」

「…」

「社長!いつも、ありがとうございます!」

「…こちらこそ」

 私が返事をするかしないか、そんな僅かな間に菊地君は走り去っていってしまった。

05

「あれ?社長?」

「おぉ、萩原君」

 少し話疲れた私は、お茶を飲もうと給湯室に入ると萩原君がいつものようにみんなにお茶を入れていた。

「あ、社長もお茶飲みますか?」

「あぁ、いただこうかな」

 そう言って、手際よくもう一人分のお茶を用意する。こうして彼女がお茶を入れてくれるのは765プロでは見慣れた光景だ。彼女はオフィスに行き、音無君、律子君、そしてプロデューサーの彼の席にお茶を置いた後、私と共にソファに腰をかけた。

「はい、どうぞ」

「うむ、ありがとう」

「今日は玉露を入れてみたんですけど…」

「あぁ、美味しいよ…」

「ふふ、良かったぁ…」

 思えば音無君が入れてくれたお茶も彼女の持ってきてくれた玉露だった。私はそんなに、誰の目から見てもわかるくらい疲れた顔をしていたのだろうか。

「萩原君は、いいお嫁さんになるね」

「え、えぇ!?」

「はは、ごめんごめん。今はこういうのもセクハラになるんだったね…」

「い、いえ、そうじゃなくて、わ、私が男の人と結婚なんて…想像できなくて…」

「そうかい?」

 彼女が男性を苦手にしているのは知っている。むしろそれを克服するためにアイドルになったのだから。

「君はもう十分、強くなったと思うけれど」

「わ、私なんて、まだまだダメダメですぅ…」

「いやいや、君が強くなっていることはみんなわかっているよ」

 以前ほど男性を拒絶しなくなった。今こうして私と話ができているのが何よりの証拠だ。苦手だった犬もある程度克服した。最初は緊張で動けなかったライブでも、今ではしっかりアピールできる。この765プロで一番成長したのはもしかすると彼女なのかもしれない。しかし、そんな彼女の成長に私は応えられているのだろうか。

「萩原君…君は…他のプロダクションならばよかったと…思ったことはないかい?」

「え?うーん…無い…と思います」

 不安そうに、しかししっかりとした口調で答える彼女からは芯の強さがうかがえる。

「もちろん、辛いこともありましたけど…でも、いつだってみんなが励ましてくれて…」

「ほぅ…」

「私…ダメダメだから…できないことも多くて…今まで…学校なんかじゃ『ぶりっ子』とか『あざとい』とか言われたこともあったんです…」

 確かに彼女の可憐さは男性を惹きつける魅力だ。しかし、それは同時に同年代の女子からのやっかみも引きつけることになるのかもしれない。

「でも、765プロのみんなは違いました…そりゃあできないことで怒られることもあったけど、誰もバカにしたり、意地悪を言ったりしなかったから…」

 そこで言葉を区切った萩原君は、大きく息を吸い込んで、続ける。

「だ、だから私!765プロで良かったです!もう一度…いいえ、例え何度アイドルを始める前のあの瞬間に戻っても、私は765プロを選ぶと思います!」

 普段大声を出すことなんてそうそうない萩原君のその叫びは、私の心の深くに突き刺さった。

「…って、ごめんなさい!私ばっかり喋って…お茶も…ぬるくなっちゃいましたね…入れなおしてきます」

「…いいや、これをいただくよ」

「え?でも、これぬるくなって…」

「いいんだ」

 そう言って、私は湯呑みに入った玉露を一気に飲み干す。少しぬるくなっていたおかげで玉露の甘みをより一層感じることができた。

「うむ!美味しい!ありがとう、萩原君!」

「いえいえ、私の方こそありがとうございます」

 お茶のお礼をするのはこちらなのだが、またしても逆にお礼を言われてしまった。何に対するありがとうなのかを聞こうとしたが、それを聞く前に萩原君は私の湯呑みを片付けるために給湯室に下がってしまった。

06

「ただいま!スーパーアイドル伊織ちゃんのお帰りよ!」

「おぉ、水瀬君。おはよう」

「あら?社長しかいないの?…というか珍しいわね、社長がこんなところに座ってるなんて…」

 仕事終わりで事務所に戻ってきたのは水瀬君だ。今日も朝早くからラジオの収録があった。華々しい外見、言動とは裏腹にこうした地味でキツい仕事も地道にこなし、手を抜かないのが彼女の魅力だ。

「あぁ、萩原君から玉露をいただいていてね…」

「ふぅん、まっ、私はオレンジジュース派だけど…」

 そう言って彼女は冷蔵庫から、愛飲している果汁100%のオレンジジュースを取り出す。普段ならば、こんな少しの距離でさえプロデューサーの彼に取りに行かせる彼女だが、私と二人の時には自分で取りに行く。あれは彼に対する一種の愛情表現なのだろう。

「それに現場を離れて久しい身としては、こうしてアイドル諸君と交流を持つことで、初心を思い出しているのだよ」

「ふぅん…」

 私の話を水瀬君は、オレンジジュースのストローをいじりながら興味なさげに聞く。おっと、初心を思い出すと言った側からアイドルに気を使わせてしまったか。

「そういうのもいいけど、社長は765プロのトップなんだから。奥でドシッと構えていてもらわないと他の事務所に舐められるわよ?」

「ははは、これは手厳しいね…」

 彼女は水瀬財閥のお嬢様。兄二人が優秀で、自身は帝王学を学ばせてすらもらえなかったと言っているが、彼女の思考はまさしく王者のそれだ。そして、その思考を実現するだけの力はどれだけ泥に塗れようとも掴み取る。だからこそ思う。こんなコネも金も無い事務所でなければもっと早く…

「どうしたのよ、なんか元気無いじゃない」

「水瀬君…君は…他のプロダクションならばよかったと…思ったことはないかい?」

「はぁ?他って…例えば?」

「ほらうちには961プロや東豪寺プロのような資金もコネも無い。実家を見返すために成功するのなら、そちらの方が良かったのではないかと思うのだよ」

「…」

「いや、もちろん私としては君がここを選んでくれたことは素直に嬉しいよ。しかしだね、君の実力を考えると…それこそコネがあったというだけなら君の家が筆頭株主のこだまプロでも…」

「何言ってるの?」

「え?」

「私は実家を見返すためにアイドルになったのよ?それなのに実家の傘下の事務所に入るなんておかしいじゃない」

 確かに、彼女の性格を考えればそんなことを良しとはしないだろう。

「それに私はワガママなの。961プロ?嫌よあんな成金趣味の事務所。東豪寺?麗華に頭を下げるなんて死んでも嫌」

 真っ直ぐに私の目を見つめる。実は照れ屋な彼女とこうして目が合うことは珍しい。

「だから私はここがいいの。お金が無い?コネが無い?上等よ。全部私が作ってあげるわ」

 その力強い言葉で自らを奮い立たせる。嗚呼、この子はこうやって戦ってきたのか、十五年間ずっと。

「社長、こんなチンケなビルで満足しないでよね?いつか私が…あの時押しかけてきた小娘が、水瀬財閥だって持ってないような大きな事務所にしてあげるんだから」

 彼女が押しかけてきた時は面食らったものだ。私など父親の知り合いの中でも末端の末端。向こうからすれば胡散臭い業界人でしかなかっただろう。しかし、彼女はそんな薄い縁を伝って、握りしめてここまでやってきた。その意志の強さを美しいと思った。だからこそ、彼女をうちに入れたのだ。

「最後にこれだけは言っておくわ…ありがと…」

 そう言って彼女は逃げるように次の仕事に向かって行った。

07

「おはようございます~」

「おぉ、三浦君。おはよう」

 次に事務所にやってきたのは竜宮小町のメンバー、三浦君だった。

「なんだか凄い勢いで伊織ちゃんが走って行ったんですけど…」

「そうか、入れ違いだったか…ところで三浦君、君は今日オフではなかったかね?」

「えぇ、そうだったんですけど…近所のパン屋さんに行って帰ろうと思ったらいつの間にか…」

「あぁ…そ、そうだったのか…」

 売れっ子になっても方向音痴が治らないのは些か心配だけれども、不思議なことに(というよりプロデューサーの二人のおかげで)今まで大きな遅刻はしていないということだから地道に頑張っていく他無いのだろう。これでもパン屋にはたどり着けているのだから成長しているのだ。

「それならば送って行こう」

「えぇ…そんな、悪いですよ」

「何構わないよ。ちょうど暇していたところでね」

「そうなんですか?それじゃあ…」

 遠慮がちなところも奥ゆかしい。嫌味にならないところで受け入れてくれるのも枯れかけたおじさんであるところの私としては嬉しいことだ。

「それでそこのパン屋さんが少しおまけしてくれたんです」

「ほぅ、それは良かったね」

 車内では他愛のない話が弾む。本来ならば同年代の女性…うちで言えば律子君くらいと話をしたいところだろうが、そんなことは微塵も出さずにこんな中年の相手をしてくれている。全くできた子だ。

「ふぅ…」

「社長さん?どうかしましたか?」

「いや、少し考えごとがあってね」

「考えごと?」

「他の子たちにも聞いてるんだが…三浦君、君は…他のプロダクションならばよかったと…思ったことはないかい?」

「あら?私もしかしてクビになるんですか?」

 クスクスと笑いながら答える彼女に揶揄われるのは嫌な気はしない。

「いや、君程の逸材がこんな弱小事務所で燻っているのは申し訳なくてね…それに君の夢は『運命の人』を見つけることなんだろう?」

 アイドルにとってスキャンダルは厳禁だ。もしも彼女が運命の人を見つけたのなら、両手を挙げて喜びたいところだが、スポンサーや他の事務所との兼ね合いで円満に引退させてあげられるかもわからない。そんな世界に招いてしまったことも気がかりだった。

「うーん…そうですねぇ、でもね、社長さん。私、ここに入る前にバイトをクビになってるんです」

「ん?あ、あぁ…」

「運転免許も二年かけても取れませんでした。手早く、器用にするっていうのが苦手なんです」

「でもじっくり丁寧にできるのが君の素晴らしいところだと思うけれどね」

「ふふ、そうやって言ってくれるから、私はここにいるんですよ」

 そう言って彼女は美しく微笑んだ。

「普通の事務所じゃあ、タレントの送り迎えを社長が自らなんてしませんよ。そんな社長がいる事務所だから、765プロは温かいんです」

「…」

 私にとってはこんなこと普通のことだ。社長にとって、社員やアイドルは宝なのだから。それを上手く伝える方法を考えているうちに彼女は続ける。

「知ってますか?社長、私ね、今日みたいに間違えて事務所に来ることはあっても、事務所に行こうとして間違えることはないんですよ?」

「…ほう、それはまたどうしてかな?」

「私にもわかりません。でもね、もしかしたら、それは私があの場所に惹かれてるからかもしれない…って思うんです」

 少し乙女チック過ぎますかね?なんてハニカミながら話す彼女の美しさは言葉にできないほどだった。

「あら、もう着いちゃいましたね」

「お、ほ、本当だね」

 バックミラー越しに三浦君に見惚れているうちにどうやら車は彼女の家の前まで来ていたようだ。(事故が起きなくて本当に良かった)

「それじゃあ社長。私はここで…」

「うむ、しっかり休んでくれたまえ」

「ありがとうございました…そして、ありがとうございます」

 投げかけられた二つのお礼。一つは送迎についてだろう。もう一つは…それを確認する前に、後部座席のドアは閉められてしまった。

08

「うぎゃぁぁぁあ!?」

「ん?あれは?」

 三浦君を送った帰り道、道の真ん中で頭を抱えて叫んでいる我那覇君を見つけた。

「どうしたんだね?我那覇君」

「社長!?どうしてここに…ってそんな場合じゃないんだ!」

 いつも『完璧』『なんくるない』と自信満々の彼女だが、実はこんな風に取り乱すことは少なくない。こういう時はひとまず落ち着かせることが先決だ。

「まあ落ち着きたまえ。ほら、車に乗って」

「う、うん…」

 我那覇君を車に乗せて、ひとまず彼女の家に向かって走り出す。今日は彼女もオフだったはずだ。

「一体どうしたんだね?慌てふためいて…」

「それが…それが…ハム蔵が居なくなっちゃったんだ!」

「何だと!?」

 我那覇君はたくさんのペット(本人は家族と呼んでいる)と一緒に暮らしている。確かハム蔵君はその中でも特に一緒にいることの多いハムスターだったはずだ。

「それは心配だね…何か心当たりはないのかい?」

「それがないんだ…今日はみんなのご飯を買い溜めしに行く予定だったんだけど、その途中で居なくなっちゃって…最近は喧嘩もしてなかったのに…」

 動物と会話ができる我那覇君の家族たちは動物の割には皆賢い。中には常識では考えられないほど人間臭い行動をするような者もいる。(たしかハム蔵君は以前合宿をした際に温泉を楽しんでいたらしい)
 そんな賢い動物が行方不明になるのは確かに心配だろう。

ス-リルノナイアイナンテ-

「ん?」

「あ、自分だぞ…家から?ごめん、社長出てもいい?」

「あぁ、構わないよ」

 こんな場面でも、礼儀を忘れない。親御さんの丁寧な教育が垣間見える。けれど、我那覇君は確か沖縄から出てきて一人暮らしだったはず。その一人暮らしの家から電話…これはまた別の心配をしなければならないか…そんなことを考えていると…

『ヂュイ!』

「は、ハム蔵!?」

 なんと、電話の相手は話題のハム蔵だった。いやはや、まさか電話まで使えるとは思わなかった。

「どこに行ってたんだよ!自分心配してたんだぞ!」

『ヂュイヂュイ』

「え?財布…あ、確かに…忘れてる…」

『ヂュヂュイ』

「それを取りに帰ってくれてたの?」

『ヂュイ』

「そっか…でもそういう時は一言言ってよね!」

 相変わらず、彼女と動物たちの会話は面白い。友達のようできょうだいのようでもある。(この場合、姉弟なのか兄妹なのかは本人の名誉のために伏せておこう)
 溌剌とした性格に隠れているが、彼女の慈愛に満ちた心がそうさせるのだろう。

「ごめんね、社長…自分が財布忘れてたから…」

「ははは!なぁに、何の問題もない。ハム蔵君が無事で何よりだ」

 彼女にはこのまま家まで送って行くことを提案した。もう彼女の家は目の前だったから。

「何ならお店まで送ろう。あれだけの家族がいたらご飯の量も多くなってしまうだろう?」

「え?いいの!?」

 むしろ徒歩でどうするつもりだったのかと問えば、当たり前のように何往復もするつもりだったと言う。大人を頼ればいいと思うが、それが彼女なりの家族に対する責任なのだろう。

「だから休みの日じゃないと中々行けないんだー」

「ふぅん、なるほどねぇ」

 ハム蔵君と財布を連れて降りてきた彼女は付き物が取れたかのように普段の明るい調子を取り戻した。この笑顔を見られるだけで声をかけた甲斐があると、我ながら少々気持ちの悪いことを考えながら、店に向けて車を走らせる。

「あ、ごめん、自分ばっかり話しちゃって…社長は何か喋りたいことない?」

「そうだねぇ…我那覇君、君は…他のプロダクションならばよかったと…思ったことはないかい?」

 我那覇君から話を振られたので、彼女にも思い切って聞いてみることにした。すると…

「えぇぇぇえ!?ど、どうしたんだ!?ま、まさか、765プロ倒産するのか!?」

「え?」

「うぎゃぁぁぁあ!?そんなの困るぞ!?そんなに危なかったのか…いや、でも新しい事務所もできたばっかりで…はっ!?もしかしてその時のお金が足りなかったの!?」

 話がどんどん膨れ上がっていく。猪突猛進型の彼女はこういうことがままあるが…

「落ち着きたまえ。心配しなくても765プロは倒産しないよ」

「そうなの!?」

「あぁ、そうとも」

「良かった…じゃあなんであんなこと言ったの?」

「いや、だからね…」

 私は我那覇君にも、今までの子たちと同じように説明することにした。

「君たちはよく頑張ってくれた。それはもう雑居ビルの一室から始まった、金もコネもない事務所でトップアイドルになるほどに…」

「…」

 いつも賑やかな彼女が真剣な面持ちで私の話を聞いている。その状況にむず痒さを感じながらも私は続ける。

「けれど、他の事務所なら…もっと資金力もコネクションもある事務所ならば、君たちの魅力をもっと引き出せたんじゃないかと考えてしまってね…特に君と四条君は、961プロにも居たから…」

「…うん」

 我那覇君と四条君は961プロから訳あって移籍してきた。マスコミやネットを使って印象操作をする黒井のやり方は正しいとは思わないが、私と黒井、どちらが一般的なやり方かと言われれば黒井の方だ。

「ははは、黒井の事務所とは大違いだっただろう?すまなかったね…」

「ううん…いや、確かに違ったけど別に謝ることなんて何もないぞ」

「しかし…」

「自分ね…」

 静かに、しかし、はっきりと聞こえる口調で彼女は語り出した。

「自分ね、961プロに居た時は…デビューしてすぐに今と同じくらいの仕事があったし、練習の環境も確かに今と同じくらいいい環境でさせてもらってたぞ…」

 765プロは今でこそ売れているが、それこそ彼女たちが移籍してきた直後はボイトレも毎回はトレーナーを付けられなかった。そんな環境でも彼女たちが頑張ってくれたからこそ今がある。

「だけどね、全然楽しくなかった。『クールでいろ』『圧倒的な力でねじ伏せろ』そんなことばかり言われて、他のアイドルはみんな敵だって教えられたぞ…」

 それはそれで黒井の愛情なのだが、そこが上手く伝わらないのがアイツの不器用なところだ。

「だからね、春香に負けた時…びっくりしたんだ、『こんな世界もあるんだ』って…」

 その後、彼女たちは961プロダクションを解雇されうちにやってきた。

「それでダメ元で765プロに声をかけたんだ…まさか本当に移籍できるなんて思ってなかったけど…」

 我那覇君は移籍できたことや、天海君たちが何のわだかまりも無く受け入れてくれたことに衝撃を受けたそうだ。

「ははは、そんなにびっくりしたかね?」

「そりゃそうだぞ!普通そんなことあり得ないだろ?」

「そうかも…しれないねぇ…」

「自分、今の765プロが大好きなんだ。自分が自分でいられるから…前の事務所じゃあ貴音以外動物と話せるなんて言っても信じてくれなかったから…」

「いやいや、動物の言葉がわかるくらいで驚いてたらダメだろう。なんせ我々は人の心を動かさないといけないのだからね!」

「ふふ、何それ…本当に社長はお人好しだぞ…」

 お人好しなのは君の方だろう。という言葉は飲み込む。求められる期待を全て背負い込んで、全てを実現させようとするなんて君しかいない。

「でも、そんなお人好しの社長だからかな?765プロがこんな事務所になったのは…」

「そう…なのかな…」

「うん、多分きっとそうだぞ」

 なんだか納得されてしまったけれど、最後に一つだけ彼女に言っておくことがある。

「私はそこまでお人好しじゃないよ。君や…黒井に比べたらね」

「黒井社長が?でも、黒井社長は…」

「君がさっき言っただろう?『普通はあの状況で移籍なんてできない』って」

「だからそれは社長が…」

「あぁ、だけど、それだけじゃあ成立しないのがこの世界だ…それこそ、前の事務所の社長が頼みでもしない限りね…」

「!?」

 アイツはあれでちゃんと、愛がある人間なんだよ。と憎まれ役にしかなれない不器用な彼の代わりに嘯いてみる。

「そっか…そうだったんだ…ねえ、社長」

「ん?どうしたんだい?」

「ありがとね」

 そう言い残して、彼女は大量の動物たちのご飯を持って帰っていった。そのありがとうは私にか、それとも黒井にだろうか。

09

「うーん、ラーメンの並を一つ」

「あい!ラーメン並入りまぁす!」

 我那覇君を送り届けた後、私は昼食をとっていないことに気づき、近場のラーメン屋に入ることにした。思えば最近は社長室で出前を頼むことが増えた。プロデューサーをしていた当時はこんな風に出先で流し込む様に食べるのが常だったと思い返す。

「すいません、お客様」

「ん?どうしたのかな?」

「申し訳ありませんが相席よろしいでしょうか?」

 そうそう、この感じだ。少ない時間の中で食事を取らなければならないこの雰囲気を今の今まで忘れていた。

「すいません、高木殿」

「ぶふぉ!?」

 そんな懐かしい感覚も目の前に座った四条君に吹き飛ばされた。

「相席ありがとうございます」

「いや、君は…四条君は何を…」

「いえ、撮影の合間を縫って昼餉をと思いまして…」

「今日の仕事は確か…」

「らぁめんの食れぽでございます」

「そ、そうかね…」

 ラーメンの合間にラーメンを食べる。いや、彼女の好物だとは知っていたがそこまでだったとは…やはり四条君に関してはまだまだ知らないことが多い。

「申し訳ありません。まさか払っていただけるとは…」

「いやいや、ここは年長者に華を持たせてくれたまえよ」

 ラーメン屋から出て、ロケ現場に一緒に向かう。この際だ、予定には無かったがアイドル諸君の仕事を見ておくことも必要だろう。

「四条君は本当にラーメンが好きなんだね」

「そうですね、らぁめんとは奥深いものです。これほど食べてもまだ深淵には辿り着けません」

「なるほどね…」

 思えば私もまだ四条君のことはよくわかっていない。彼女は事務所のことをどう思っているのだろうか。

「時に四条君。君は…他のプロダクションならばよかったと…思ったことはないかい?」

「はて?他のぷろだくしょん…ですか?」

「あぁ、君は…765プロで良かったかな?」

 彼女もまた我那覇君と同じく961プロから移籍してきた。あのまま961プロに居たならば、今とは違う未来があっただろう。それがどうなるかはわからないが、今よりも良いものになっていた可能性も0ではない。

「愚問ですね。私は自分で選んでここに来ました。その選択に後悔などあろうはずがありません」

 そんなモヤモヤと悩む私の思考を両断するかのように四条君はそう断言する。

「それは、何故かな?」

 私にはわからなかった。四条君は他のアイドルの子たちと比べてもわからないことが多い。出身地はおろか、両親すらもわからない。だから、彼女がどうしてそう思ってくれているのか想像ができなかったのだ。

「高木殿は私が765ぷろに来て、初めて出演したてれび番組を覚えていますか?」

「え?」

 質問したのはこちらなのだが、彼女からも質問が返ってきた。

「えーっと…たしか…『ゲロゲロキッチン』だったかな?」

 あの時は音無君と一緒にリアルタイムで見ていたからよく覚えている。

「…私にはそれで十分なのです」

「ど、どういうことかな?」

「私は皆のように自分のことを話すのが得意ではありません。ですからどうしても、秘密にしていることが多くなっています」

 どういうことか、未だに見当がつかない私を他所に四条君は続ける。

「秘密とはすなわち壁。理解できないということは打ち解けられないということ…それは今までの人生の中で何度も経験してきたことです」

 なるほど、彼女の性格は有名になった今でこそ広く受け入れられているが、以前はそうではなかったのかもしれない。

「ですから、高木殿のように理解しようとしてくださる人は、私にとって必要不可欠な存在なのです」

「四条君…」

「『類は友を呼ぶ』と言います。社長の貴方がそういう人間で居てくれるからこそ、他の皆も私に対して優しく接してくれる…そんな765ぷろが私は大好きです」

「ははは、ありがとう。少し安心したよ」

「こちらこそ、ありがとうございます」

「そのありがとうは、何に対してのかな?」

 アイドル諸君に毎度の如く言われるお礼に対して、遂に私は理由を問うことができた。けれど…

「ふふふ、それは…とっぷしーくれっと…です」

 こう言われてしまっては更に問い返すことなんてできないではないか。

10

「ただいま」

「お帰りなさい…って社長?どうしてこんなところに?」

「いや、実は社長室に戻れない理由があってね…」

「はぁ…」

 事務所に戻ると、最初こそ律子君からどうしたのかを尋ねられたものの、答えにならない返事をすると、それ以上は追求してはこなかった。

「まぁ、こんな機会でもないとどんどん現場からは離れていってしまうしね。今日はアイドルのみんなともたくさん話をすることができた。実に有意義な一日だったよ」

「そうですか…まあよくわからないですけど、それなら良かったです」

 律子君はそう言いながら仕事を中断して、私のためにコーヒーを入れてくれた。思えば彼女からはお小言をもらうことも多々あるけれど、基本的には立ててもらっている。水瀬君とも似ているが、律子君の場合は体育会系的な目上を立てるという信念からの行動に思える。

「ところで律子君、君にも少し聞きたいんだが…」

「え?何をですか?」

 まあ私で答えられることならば…と謙遜まじりに返す彼女に、私は今日何度目かになるこの質問をぶつけた。

「律子君、君は…他のプロダクションならばよかったと…思ったことはないかい?」

「え?」

「だからその…765プロで良かったのかな…と思ってしまってね…」

 思えば彼女のことこそめちゃくちゃに振り回してしまった。最初は事務員志望だった彼女を無理やりアイドルにしたかと思えば、急遽プロデューサーにするために夢半ばで引退させてしまった。普通ならば恨まれていないはずがない。

「まあそりゃあ、最初はびっくりしましたよ?事務員志望だって言ったはずなのにいつの間にかアイドルになってて、気づいたらプロデューサーになってたんですから」

「うっ…」

 やはりそうか。こと彼女には刺されたとしても文句は言えないな。

「でも、そんな経験ここ以外のどこでできるんですか?」

「え?」

「どこの世界にも居ないですよ。アイドルやって、プロデューサーになって、その後自分のアイドル事務所を構える人なんて…だから私は、今の環境に感謝してるんですよ?」

「律子君…」

 一番振り回していたと思っていた。事務所存続のためにアイドルを引退した時には人知れず涙を流していたことも知っている。けれど、引退をさせた私が慰めることなどできなかった。そんな彼女が、今では売れっ子アイドルのプロデューサーだ。

「でもどうして私に?今日はアイドルのみんなとお話してたんですよね?」

「あぁ、そうだとも。私は『アイドル』の君に話を聞いたのさ」

「え?」

「何度も振り回してしまった私が言うのはおかしいと思うけれどね…私の中では君も『アイドル』なのだよ」

「社長…」

「今まで…すまなかったね…」

「…そんな言葉が聞きたいんじゃありません」

 こういう時、どういうべきかなんて亜美と真美でも知ってますよ。なんて手厳しい言葉をぶつけられる。いやはや、やっぱり私はまだまだ彼女に引き締めてもらわないとダメらしい。

「そうだね…律子君、ありがとう」

「こちらこそ、ありがとうございます」

 それでは次の仕事がありますので、と言葉少なに立ち上がり、社用車の鍵を持って外に出た彼女の耳はほんのり赤く染まっていた。

11.12

「「はろはろー!」」

「双海亜美!」

「双海真美!」

「「ただいま参上!」」

「ははは、相変わらず息ぴったりだねぇ」

 律子君が出て行ってからしばらくして、今度は亜美君と真美君がやってきた。いつも元気な二人には困らされることも多いが、その実、他人が本当に嫌がることはしない優しい二人だということは事務所の誰もが知っている。

「ところで君たちは二人とも休みだったはずでは?」

「そうなんだYO!」

「学校がお休みの日にオフもらってもすることないっしょ?」

「だから事務所に来たんだー」

「なるほどね…」

 三浦君にしてもそうだが、この子たちはそういえば休みの日でもよく事務所に来ているのを見かける気がする。

「でも今日は社長さんしかいないのか…」

「りっちゃんか兄ちゃんとゲームしようと思ったのに…」

 なるほど、確かに遊び相手を求めてやってきたらこんなくたびれたおじさんさんしかいなかったのでは期待外れもいいところだろう。(もっとも律子君に関しては、『仕事中!』と一括しそうな気もするが)

「それでは…私と一緒にするというのはどうかね?」

「え!?社長さんが!?」

「いいの!?」

 何、これもコミュニケーションの一つだ。最近のゲームはよくわからないが、インベーダーゲームはよく嗜んだものだ。

「ふふふ、手加減はしないよ?」

「うあうあー!?これは…」

「激闘の予感…」

 さあ、『765連射の順ちゃん』と呼ばれた私の実力を見せる時がやってきたようだ!

「うぅ…」

「社長…」

「酔っちゃったね…」

 甘く見ていた。最近のゲームの進歩を…グラフィックがインベーダーゲームの比ではない。リアルに近づいたあの画面でカメラが右に左に移動していく。亜美君や真美君にとっては日常でも、日頃パソコンでメールをチェックするくらいの私には非常にきついものがあった。端的に言えば酔ってしまったのだ。

「うっぷ…」

「ごめんね…まさかこうなるとは思わずに…」

「い、いや、悪いのは私…うっ…」

「うあうあー!?社長、大丈夫!?」

 全く情けない。孫ほどの歳の差がある子たちに介抱されることになるとは…

「ちょっとゲームは休憩しよっか」

「うん、りっちゃんがいたらそろそろ『あんたたち!ゲームのやりすぎは目に毒よ!』って言う頃だもんね」

 私に気を使ってかゲームの電源を切る二人。それにしても見事な物真似だ。声色だけでなく、口調、語尾の上がり下がりの癖まで完璧にコピーしている。全く器用なものだ。

「それじゃあお話でもする?」

「そだね、社長さん!お話しよ!」

「ふむ、お話ねぇ…」

 なるほど、ならばこの場で聞いてしまっても構わないだろうか。

「亜美君、真美君、少し聞きたいことがあるんだが…」

「ん?聞きたいこと?」

「ゲームの裏技とか?」

「いや、そうではなくてだね…二人は…君たちは…他のプロダクションならばよかったと…思ったことはないかい?」

「へ?」

「他のプロダクション?」

 いまいちピンと来ていない二人に、私は続ける。

「ほら、芸能事務所は他にもたくさんあるだろう?765プロ以外の事務所に入ろうと思ったことはないかな?」

「えー、そんなの…」

「今まで…」

「「考えたことが無かった…」」

「え?」

 本当に面食らったような表情に私も面食らう。可愛らしい二人はともかく、私はさぞかし滑稽な顔を晒していたことだろう。

「でも、よく考えても、ここ以外の事務所はあり得ないっしょー」

「そだねー、あり得ないねー」

 さっきまでぐるぐると色んな表情で思案していたというのに、本人たちはもう結論を出したようだ。

「何故か…は聞いてもいいかね?」

「だって他の事務所に行ったらみんながいないじゃん」

「そうだYO!はるるんも、りっちゃんも、ひびきんもみーんないなくなっちゃやだもん!」

「なるほどね…」

 実に彼女たちらしい答えだ。ムードメーカーとして集団を盛り上げようとするということは、その集団を愛しているからに他ならない。ストレートな愛情表現だ。

「まあピヨちゃんも兄ちゃんも社長さんもみーんな一緒に違う事務所になるんなら悪くないけどね!」

「…それって違う事務所って言えるの?」

「あり?」

 彼女たちらしい小気味良いテンポで繰り広げられる会話はとても面白い。流石我が事務所が誇るムードメーカーだ。

「そこに私も入れてくれるのかい?」

「当たり前っしょ?」

「社長が居ないと始まんないじゃん!」

「亜美君…真美君…お世辞でも嬉しいよ」

「うあうあー!?お世辞なんかじゃないYO!」

「そうだYO!社長が居なくてどうすんのさ?」

「亜美たち、黒ちゃんとかより社長さんがいいもん!」

「他のどの社長さんより、社長さんがいいもん!」

 どこか怒っているようにも見える二人の言葉は止まらない。

「社長、真美たちがお猿の着ぐるみ着て写真撮っても怒んなかったじゃん!」

「いや、もちろん怒られないことばっかりがいいってわけじゃないけど…」

「ほら、そこは兄ちゃんとりっちゃんがパパとママ的にダメなことはダメって言ってくれるし…」

「そ、そうそう!社長さんとピヨちゃんはおじいちゃんとおば…」

「亜美!それ以上は言っちゃダメ!」

「あうあうあー!?」

「ふふふ…」

 二人と話していると、どうしても楽しくなってしまう。彼女たちは天性のエンターテイナーだ。

「ありがとう、亜美君、真美君。とても元気になれたよ」

「へ?」

「う、うん…でも…」

「お礼を言うのは…亜美たちだね…」

「ん?」

「社長さん!いつもありがとう!」

「真美たち!社長さんも、765プロのみーんなも…」

「「大好きだよ!」」

「う、うむ…私も、大好きだ!」

 年甲斐もなく、恥ずかしい台詞を口にしてしまったような気もしたが、心の奥はポカポカと暖かくなっていった。

「亜美の方が好きー!」

「なんの!真美の方がもーっと好きだもんねー!」

「はぁ!?亜美の方がもっともっともーっと好きー!」

「だから、真美の方が…」

「ちょっ!?亜美君、真美君、喧嘩はやめた方が…」

 最後までしんみりとはいかないのが彼女たちらしい。

13

「ふぅ、なんだか慌ただしい一日だったねぇ…」

 思えばこんなに慌ただしい日々は久しぶりだ。それこそプロデューサーをしていた頃以来かもしれない。

「さて、もうそろそろ仕事をしていたメンバーは戻ってくるころか…よし、差し入れの一つでも買ってこようかな…」

 そう決意した私は夕方頃に近くのスーパーへと向かった。明日仕事の子たちも食べられるような…それこそみんながいつも食べているプリンでも買ってこよう。そう思っていたら…

「あれ?社長?」

「おや?やよい君?」

 夕飯の買い物に来ていたやよい君と出会った。

「驚いたなぁ、ここは君の家の近所のスーパーなのかい?」

「いえ、でもこのスーパーの方が近くのスーパーより安いんですー!」

「なるほど、やよい君はやりくり上手だね」

 仕事と学業を両立させ、その上家事までこなしているとは頭の下がる思いだ。私など、久しぶりにアイドルの皆と会話をしただけで目を回しているのだから。

「今日はもやし祭りなんです!社長もどうですか?」

「ははは、優しいねやよい君。しかし、私はまだ仕事が残っていてね…またの機会にお願いするよ」

「そうですか…」

 自分の食べる分が減ってしまうことも気にせずに、私を誘ってくれる優しさが彼女の魅力だと思う。けれど…

「やよい君、一つ、聞いてもいいかね?」

「え?はい、なんでしょう?」

「やよい君、君は…他のプロダクションならばよかったと…思ったことはないかい?」

「え?他のプロダクション…ですか?」

「ああ、そうだ。もしも、うちよりも資金力のある事務所ならば君にもっと給料を渡せたかもしれない…そうでなくてもコネクションがあれば一つの仕事の単価を上げることができるかもしれない…」

「しきんりょく…?こねくしょん…?」

「ま、まぁ、うち以外なら今と同じ仕事で、今以上のお金が手に入るかも知れないという話だよ」

「うーん…」

 少し難しい言葉を使ってしまったけれど、これは彼女にとっては切実な問題だ。何せ
彼女は家計の足しにするためにアイドル活動をしているのだから。

「うーん…でもやっぱり私は765プロがいいかなぁーって」

「む?そうなのかい?」

「はい!大切なのはお金だけじゃありませんから!」

「そうか、お金だけじゃない…か」

 彼女が言うと言葉に重みが出る。困窮した状況にあってもその言葉が出てくるのが彼女の精神の高潔さを表している。

「はい!私、社長が私がアイドルを続けることができるようにいっぱいいっぱい助けてくれてるの知ってますから!」

「私がかい?」

 プロデューサーの彼でもなく、律子君でもなく、私がしていることなど微々たることのはずだが…

「社長がお仕事の連絡が取れるように、社用の携帯電話を貸してくれたこと…私のCDを家族が聴けるようにデッキを買ってくれたこともありました」

「携帯電話は当然だし、CDデッキは私の家にあったお古だけれどね」

「それでも!社長のおかげで弟や妹に私の曲を聴かせてあげられたんです!」

 だから私は感謝してるんです。という彼女の目は力強かった。

「…ありがとう」

 自然と私の口からそんな言葉が溢れてきた。

「お礼を言うのは私の方です!社長!いつもありがとうございます!」

 自分でもどうしてお礼を言ったのか、上手く説明ができない。思えば、今までの子たちも同じような気持ちだったのだろうか。


「ん?」

「私、家こっちなんで…」

「お、そうだね。それじゃあまた明日…」

「サヨナラの前に…いつものアレ…やりましょう!」

「…うむ」

 私は実はあまりやったことは無かったのだけれど、いつも彼女と彼がしているのを思い出しながら…

「「ハイ、ターッチ!」」

 なるほど、みんながこぞってやりたがる理由がわかったかもしれない。

00

「…おかえりなさい。どうでした?社長」

「うむ、非常に有意義な時間だったよ」

 時計の針は17時を指していた。既に定時を過ぎている。一応音無君の勤務時間を考えても(残業が常になっているとはいえ)この時間までに終われて良かった。

「もう、そうじゃなくて…」

「うむ、わかっているよ…音無君」

「はい?」

「…ありがとう」

「…はい」

 ふふふ、と微笑む彼女がいつかの彼女と重なって見えた。

終わり

14

「おっと、そう言えば君には聞けていなかったね?」

「君!そう君だよ!まぁ、こっちへ来なさい」

「君は…765プロで良かったのかな?」

本当に終わり

乙!

なんか懐かしい感じがした
おつ!

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