冷泉麻子「そど子卒業に際して」 (68)


 季節が冬に移り変わってから随分と経つが、寒さというのは肌に馴染むものではない。

 私は布団から出るのに、一苦労どころか二苦労も三苦労も重ねて、ようやく体を起こした。

 今日は沙織が起こしに来てくれなかったな、と他人のせいにしてみるが、彼女は生徒会の仕事で朝から忙しいと言っていたのをすぐに思い出す。
 そもそも彼女に責はなく、まぁ、悪いのは私だ。

「ぅあー……」

 寝ぼけ眼で服を着替えて、髪をヘアバンドでまとめて、家を出るのに起床から一時間もかけてしまった。
 また今日も遅刻である。

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「冷泉さんっ! これで連続遅刻記録56日目よっ!」

 気力を振り絞ってなんとか校門まで辿り着いてみれば、見慣れたおかっぱ頭に叱責される。
 すでに風紀委員は引退して、相談役だか特別顧問だかいう役職に収まっているというのに、ご苦労なことだ。

「はいはい、そど子……」

 すれ違いざま、呟くように返してやると、そど子は表情をさらに険しくした。

「『はい』は一回っ!」

 背中から聞こえる声を聞き流し、校舎へと入る。


「あ、麻子っ」

 下駄箱を抜けたところで沙織と鉢合わせた。

 右手にピンク色のノートを持っている。
 戦車データの記されているものでなく、生徒会用のものだ。
 ちょうど朝の業務を終えたところだったのだろう。

「もー、いい加減、一人で起きられるようにならなきゃ駄目っ! 冬の大会が終わってから遅刻続きでしょーっ?」

 私は「そうだな」と短く答え、

「沙織は生徒会の仕事か。今日は何をしていたんだ」

 追求を避けるべく、話題を逸らした。


「卒業式の準備っ! もう来週だからね」

「あぁ、いつの間にかそんな時期か。ご苦労」

「放課後は麻子も手伝ってねっ!」

「わかった」

 イベントごとは生徒会主導で盛大に。
 先代の角谷会長の始めた気風だが、五十鈴さんの代になってもそれは受け継がれている。
 関わりの深い三年生を見送る卒業式ともなれば、尚更だろう。
 沙織たちも大変だ。

 ――三年生、三年生か。

 例の元風紀委員長も、よくよく考えてみれば三年生だ。

 そうか。そど子も来週には大洗からいなくなるのか。


 初めは同学年と勘違いをしていた。

 身長も私と同じくらいだし、上級生らしき威厳もない。

 桜散る校門の前で生活指導をする影に、私は元気な一年生もいるものだと素朴な感想を抱いた。

 学年が違うと気付いたのは、再び春が近づき、彼女が『風紀委員長』と呼ばれるのを耳にしたからだ。
 それでなるほど最高学年になるのかと合点した。

 初めて彼女を目にしたのが大洗女子に入学して間もなくだったから、丸々一年も気付かなかったことになる。
 私もなかなかのものだ。

 本来であれば風紀委員長だとか園先輩だとか呼んでやるべきなのだろうが、その頃にはもう『そど子』という呼び名が私の中で定着していた。
 あえて改める気にもならなかった。


 付き合いのある三年生は何人かいるが、私と一番縁が深いのはやはりそど子だと思う。

 初対面の頃はまさかここまでの付き合いになるとは想像していなかったが、いつの間にやら。
 俗にいう腐れ縁という奴だ。

 なんだかんだ毎朝顔を合わせているし、戦車道の仲間でもある。
 雪の中、二人で偵察に赴いたのも懐かしい。

 長い付き合いだ。小言をぐちぐちと続けられた印象が強いしこちらから世話してやった覚えもあるが、まぁ世話にはなっている部分はある。
 餞別の一つくらいくれてやっても良いだろうと思う。

 ――しかし、如何せん、そど子が卒業するというのにどうもピンとこない。


「冷泉さんっ! これで連続遅刻記録57日目よっ!」

 昨日と比して、数字だけが一つ増えている。
 たったそれだけの違いで、変わらずそど子は校門前に立っている。

「む、冷泉さん? 返事くらいしたらどうなのっ?」

「そど子、お前は本当に卒業する気があるのか。留年でもするんじゃないか」

「しないわよ留年なんて! 馬鹿にしないでっ!」

「そうか。悪かった」

 このやり取りも普段と同じ。
 まるでいつまでもこの生活が続くんじゃないかと錯覚させられる。


「さあ、わかったら早く校舎に入るっ! 遅刻の時間がどんどん広がっていくわよ! ほら、一秒、二秒――」

「はいはい、そど子……」

 そど子の卒業後の進路を私は知らない。
 四月からそど子がどこへ行くのかを私は知らない。

 だから尚更、そど子の卒業を信じられないのだと思う。

「このまま風紀委員相談役として大洗に居座るつもりじゃないだろうな……」

 とか、そんな想像をしてしまうのも無理はないだろう。

 あまりに現実味がなくて、段々と餞別をやるのすら面倒になってくる。


「麻子~。卒業式の打ち合わせするから、麻子、カモさんチームのみんな呼んできて。あ、そど子先輩は駄目。在校生だけね」

 ぐうたら生徒会室のソファに寝そべっていたら、沙織にお使いを頼まれてしまった。

 仕方ない。「わかった」と返事をして起き上がる。

 そど子が別というのは、卒業式の出し物の話でもするのだろう。
 校内放送を使わないのも、卒業生には内緒で話を進めるためだ。

 校舎を出て、てくてく校庭の端へと向かう。


「金春さん」

「んー? あれ、どうしたの?」

 風紀委員の群れの中から、金春さんの姿を見つけ声をかける。

「卒業式の打ち合わせだ。生徒会室に来てほしい」

 金春さんは「おーけー」と頷くが、近くに相方である後藤さんの姿が見当たらない。

「後藤さんは?」

「あそこ」

 金春さんはそう言って、すっと腕を上げる。
 彼女の指さす先には、そど子に見守られながら、風紀委員の集団の前でわたわたと口を動かす後藤さんの姿があった。


「何をしてるんだ」

「風紀委員のみんなに指示を出してるの。ゴモヨ、風紀委員長だからね」

 あぁ、そうか、そど子はあくまで引退した身だからな。
 今は後藤さんが風紀委員長として指揮を執る立場なのだった。

「いまは席を外すのは難しいか」

「そだね。私一人でいい?」

「それでお願いする」

 金春さんと連れ立って、私は風紀委員の集会場を離れた。


 生徒会室へ向かう道中。

「金春さん。少し訊きたいことがある」

 そう切り出すと、金春さんは「なに?」と短く応えた。

 ふと思えば、金春さんと二人きりというのはこれが初めてのことだった。
 いつもはそど子や後藤さんが傍にいるからな。
 同学年の彼女らより、学年の違うそど子と話す機会の方が多いというのは、考えてみればおかしなものだ。

「そど子のことなんだが、風紀委員は、なにかあいつに餞別を用意しているのか」

「そりゃあね。卒業式の日に花束渡したりとか……いろいろ考えてるよ」

「ということは、やっぱりそど子は卒業するんだな」

「うん、するよ?」

 金春さんは『何をおかしなことを』とでも言いたげな表情で返す。


「しかし、あまり卒業する様子を見せないだろう」

「そうかな? きちんと引き継ぎとかしてくれてるよ」

 金春さんは平然と口にする。
 私にとっては驚愕の事実だ。

「引き継ぎ? そど子が?」

「うん。そど子はあの性格だし、面倒見いいからね。自分がいなくなっても風紀委員が回るように指導してくれてる」

 そう言って、金春さんは緩く口角を上げた。

 彼女の表情に嘘をついている様子はない。
 そもそも嘘をつく意味もない。

 私の知らないだけで、そど子は卒業の準備を進めていたのだ。

「あいつもやることはやっていたんだな」

「まあね。そりゃあ変なところも多いけど、尊敬できる先輩だと思うよ」


 確かに言われてみれば、そど子が後輩教育に勤しむ姿はありありと思い浮かんだ。

 引退する自覚がないのではないかと邪推してしまって、若干の申し訳なさを抱くが――、

「しかし、引退した身の割に、毎朝、先頭切って校門の前には立っているだろう。あれはなんだ」

「あー、あれ、ホントなんだろうね。ゴモヨとか私とか――他の風紀委員だけでやれる仕事なのに」

「金春さんにもわからないのか」

 一つ前へ進んだかと思ったのに、疑問が残ってしまった。
 せめて金春さんから疑問のヒントを得ようとしたのだが、そこで生徒会室へと到着、会話は打ち切りとなった。


「冷泉さんっ! これで連続遅刻記録58日目よっ! まったく、毎日きまって遅刻する生徒なんて貴女くらいなんだから!」

「そど子……」

 眠気で頭が回らないが、今日もまた朝からそど子の顔を眺めることになっているのは、私が遅刻したからだった。
 威勢良く甲高いそど子の声は、寝起きの脳みそにぐさぐさ突き刺さる。

「な、なによ、そんなにじっと見つめてっ」

「……眠い」

「し、知らないわよ、そんなこと! 早寝早起きは生活の基本よっ! ちゃんと起きなさい!」

 そど子の反応はもっともで、そりゃあそう返すしかないだろうと自分でも思う。
 けれど頭が回らないものは回らないのだから仕方がない。


「そど子、どうしてここにいるんだ」

 とりあえず脳裏に浮かんだ言葉をそのまま口にしてみる。
 昨日からずっと考えていたことだ。

「突然なによ。決まってるじゃない! 遅刻した生徒を取り締まるためよ!」

「取り締まりって、何をするんだ、具体的に」

「こうしてお説教して、二度と遅刻なんかしないようになってもらうの! 冷泉さん、そんなこともわかってなかったのっ?」


「……そど子に説教されたら遅刻しなくなるものなのか」

 失言だったらしく、私の言葉にそど子は「はあっ!?」と、より一層、語気を強めた。

「私が何のためにここまでやってると思ってるのっ!?」

 何のために……。

「それは自分で言っただろう。遅刻した生徒を取り締まるためなんじゃないのか」

 そこでそど子は、一瞬、口を噤んだ。
 しかしすぐに勢いを取り戻し叫ぶ。

「もう、いいから、校舎に入りなさいっ!」

 ……意味がわからない。
 が、まぁそど子の気が短いのは今に始まったことじゃないか。

 私は「はいはい」と大人しく従い、そど子の隣を横切る。

 そど子は私が通り過ぎると校門の扉を閉めた。
 その様子は、まるで私を待っていたかのようだった。

 ふらふらとした体を泥のように引きずり校舎の中へ。
 ホームルームの終了した教室へと入り、机へ倒れ込む。

 そしてやがてチャイムが鳴り、授業が始まった。

 寝ぼけていた私の脳みそもようやく覚醒し出して、そこでようやく、「あぁ」と勘付いた。
 そど子の言葉を整理してみればすぐにわかることだった。

『毎日遅刻する生徒なんて貴女くらい』

『遅刻した生徒を取り締まるために立ってる』

 そして、『何のためにここまでやってると思ってる』とまで言うのならば、答えは明白だ。

「なるほど、私か」

 まるで、ではない。
 そど子は、毎日、校門で私を待っていたのだ。


 そど子が私を待つ理由については察しがついた。

 お互い、腐れ縁だということは承知している。
 そんな腐れ縁の片割れが、この期に及んで(遅刻や欠席を帳消しにしてもらっておいて)遅刻を繰り返している現状を憂いているのだろう。
 卒業までに私を更生させようと意気込んでいるに違いない。

 わかってみれば単純な話だ。そど子なら、そうする。

 すぐに思い至らなかったのは、きっと私がどこか真剣味に欠けていたからだろう。


 そど子は卒業を自覚していた。
 わかっていないのは、私だけだった。

 そうやって気付いてしまうと、自分の中にぽうっと変わるものを感じた。
 これまでの自分の考えが恥ずかしくなってくる。

「……ありがたいことだな」

 そど子のことは、迷惑に思うことも多かった。
 毎日毎日口うるさく説教を受けていればうざったくもなる。

 けれど、おそらく私が曲がりなりにも大洗の生徒を続けられているのは――もちろん沙織やあんこうチームのみんなのおかげでもあるが、そど子の存在が大きな割合を占めている。


 性根のせいか体質のせいか。
 ……あるいは、小学生の頃に遭った、あの事故のせいか。

 ともかく私は布団の中を好み、過度な人付き合いを嫌い、ひどいサボり癖を持っている。

 そんな私が大洗女子へ毎朝登校するには、あれくらいしつこく説教を続けられる必要があったのだと思う。

 寝ぼけ頭も大概にしなければ。
『まぁ、世話になっている部分はある』なんてものではない。

 そど子には、返すべき恩が普通にあるだろう。


 ――しかし、しかしだ。

 恩を返すだのなんだのと直接そど子に言えば、あいつは「ようやく気付いたようね!」と調子に乗るだろう。

「……それはいやだ」

 私とそど子との関係で、今更そんな言葉を口にしたくない。
 恩義があるとかとは別の話だ。
 なんか、こう、あいつに負けた気分になる。

 いや、元より勝負なんてしてないんだが――私たちの口論を繰り返す間柄は、宿敵同士と呼べなくもない。
 だから、簡単に負けを認めてなるものか、と思ってしまう。

 うん。そうだ。
 野暮ったい言葉は重ねない。
 やはりあいつには門出の餞別をくれてやるくらいが丁度良い。


「しかし、問題は、何を用意するかということだな」

「冷泉殿、なにか言いました?」

「いや、なんでもない」

 忙しなく生徒会室を歩き回る秋山さんに、ふいに声をかけられた。
 これだけの作業を抱えていて他人に気を回せる余裕があるのは、彼女のすごいところだ。

 ――私もそろそろ手伝うか。

 考え事は小休止。
 秋山さんへ「何をすれば良い」と言葉を投げかけ、私は身を起こした。


「甘味が……甘味が足りない……」

 生徒会の仕事を手伝い早一時間。

 作業をしながらでも考え事はできるだろうと思っていたのだが、如何せん、脳みそに糖分のない状態では思考も鈍る。

 ケーキを食べに行きたいが、誘う相手はまだ生徒会の仕事の真っ最中だ。
「麻子、休憩してて良いよー」という言葉に甘えて暇をもらっている現状、これ以上、彼女に迷惑をかけるわけにもいかないだろう。

「ちょっと行ってくる……」

 そう言葉を残し、生徒会室を後にする。


 校舎を出て、学園艦の艦内を下り、船舶科の生徒とすれ違う。

 大洗のヨハネスブルグも初めは居心地が悪かったが、通い慣れた今となってはさほど気になるものでもない。
 ドラム缶を囲んでたむろする連中も、私を目に留めてもひらひらと手を振るだけだ。

「メロンソーダ」

 丸い押し戸を抜け『どん底』へ入ると同時に、そう注文する。
 カウンターの向こうからは「了解」と返事がかえり、私はその正面へ座った。

 店内には、サメさんチームの面々がいる他は、うさぎさんチームの一年生が何人かソファへ腰を下ろしていた。
「こんにちはー」と挨拶をされるので、「ああ」と言っておく。


 やがて目の前へメロンソーダが置かれ、すぐさまスプーンで天井に乗ったソフトクリームをすくった。

「ぉおお……」

 脳の血管に糖分が染み渡り、思考が活性化するのを感じる。

 やはり人間には糖分が必要だ。
 そして糖分の摂取元はケーキであるのがベストである(近頃はこのメロンソーダに浮気しているが)。

 黙々と口の中へソフトクリームを運び、半分だけ余らせてストローでかき混ぜる。
 緑と白が溶け合ったうっとりする液体を吸うと、口の中に痺れる甘みが広がった。


「本当においしそうに食べるね」

「だっておいしいからな」

 心なしか笑みを浮かべたように見えるカトラスへ、丁度良いので、さらに言葉を続ける。

「なあ、普通、卒業生への餞別には何を渡すものなんだ」

「……餞別?」

 カトラスは眉をひそめる。

「人それぞれだと思うけど」

「それでは参考にならない。もっと他にないのか」

「他、と言われてもね」


「なあに? 餞別ってえ、誰に渡すの」

 いやに嬉しそうな顔で、隣からラムが割り込んでくる。
 めんどくさい酔っ払いの登場だ。

「誰でもいいだろう。お前には関係ない」

 アルコールを飲んでいるわけでもなしに頬を赤らめる彼女は、私の言葉を耳にすると「うほっ」と目を丸くする。

「関係ないってこたあないでしょお。同じ戦車道の仲間なわけだし」

「なら訊くが、お前はどうするんだ」

「へえ? あたしい? そりゃあ桃さんに渡すさ」

「……無事に卒業できて良かった」

 ラムの言葉に、カトラスが付け加えるように呟く。

 まぁ、サメさんチームの連中は彼女に恩義があるとのことだし、想像通りの答えである。


「何を渡すんだ?」

「でっかい花束と写真立てえ。あたしは門出祝いなら大漁旗が良いって言ったんだけど、却下されちゃってさあ」

「桃さんは、船出じゃなくて下船だから」

 そういう問題でもないと思うが。

 しかし、花束と写真立てというのも、オーソドックスすぎてあまり参考にならないな。
 そど子には、もっと、こう、意表をつくような代物を用意したい気持ちもある。

「悩んでるの?」

「見ればわかるだろう」

「……もう少し、自分が感情表現苦手なこと自覚した方が良いと思うけど」

「うるさいな。余計なお世話だ」


 私が言うと、カトラスは呆れた様子で息を吐く。

「……まぁ、さっきも言った通り、こういうのは人それぞれ。しっかり自分の頭で考えな」

 そう言って、カトラスはワイングラスを磨く手を止め、こちらへ手を伸ばした。
 気付けば空になっていたメロンソーダのグラスが、カトラスの手で持ち上げられる。

「おかわりいる?」

 他人に頼らず、もっと糖分を取って考えろとでも言いたいのか。
 本当に、余計なお世話だ。

「――いらない。沙織に怒られるからな」

「なにそれ」

 少し腹が立って返してやると、カトラスはふっと笑い、隣のラムが「あっはっは」と快笑した。


 一緒に夕食を食べるため生徒会の面々(と西住さん)に合流すると、夜道を歩くなか、沙織がふいに言い放った。

「麻子、その顔、悩み事? 相談乗るよ?」

 私と長い付き合いだからか、他人の顔色を見るのに長けているからか。
 ともかく、沙織の目は一発で私の頭の中を見抜けるらしい。

「冷泉殿。どうしたんですか?」

「麻子さんが悩み事なんて珍しいですね」

「相談なら私たちも乗るよ」

 沙織に続けて、秋山さんが、五十鈴さんが西住さんが、やつきばやに言葉を繋ぐ。


 こう四方を囲まれては逃げ場もない。

 カトラスには「自分で考えろ」と言われたばかりだが、だからといって別に隠すようなことでもない。
 むしろ相談に乗ってくれるなら上等だろうと私は話を切り出した。

「実は、卒業生のなかに、恩を返すべき相手がいてな」

「そど子先輩?」

 即答だった。

「何故わかる」

「そりゃあ、麻子と一番仲良いのってそど子先輩だし」

「ぐぅ……っ」

 そうやって俯瞰的に言及されると、むずがゆくなってしまう。


「良いじゃないですか。恩があるなら返すべきです。素敵なことです」

「五十鈴殿の仰る通りですっ! なにも恥ずかしがることはありませんっ!」

 秋山さんの言葉に西住さんが頷く。

 彼女らの反応に私の顔はより一層熱くなった。
 恥ずかしさを押し殺すために言葉を返して誤魔化す。

「大層な恩があるわけでもない。ただ、腐れ縁だからな。何か餞別でもやった方が良いかと思っただけだ」

「え~? 麻子、だったらそんなに悩まなくない?」

「うぅう……」

 追求する沙織に、思わず口からうなり声が漏れる。


「まあまあ、それで冷泉殿。悩みというのは?」

「……餞別に、何をくれてやるか。それを悩んでいる」

 秋山さんのフォローに乗って低く返すと、西住さんが「麻子さんかわいい」と笑う。
 やめてくれ、本当に。

「ご自分の渡したいものを渡せば良いのでは?」

「そんな簡単に思いつくのなら、ここまで悩んでいない」

「そうそう。麻子、変なとこで不器用だから」

「うるさい」


「それでしたら、お相手の好みのものを選ぶしかありませんね」

「そど子の好みと言われてもな。あいつは風紀委員が趣味みたいなものだ。好物もあるにはあるが、即物的なものを渡すのは少し違う気がする」

 私が言うと、沙織が「あはは」と苦笑した。

「麻子、本格的にどん詰まってるね」

「だから言っただろう」

 悩みすぎな自覚はある。
 しかし、逃せば次はない機会だ。
 私の出来うる限りのものを渡さなければとも思う。
 きちんとしてやりたい。

「それでは、風紀にまつわるものをお渡しすれば良いのでは?」

「風紀にまつわるものって何だ」

 当然の疑問を口にしてやると、秋山さんは「なんでしょう?」と自分で言ったくせに首をかしげる。


「そど子先輩って言ったらあれだよね! 遅刻の取り締まり!」

「ですねっ! あ、そういえばもう風紀委員長は引退されてるはずなのに、未だに取り締まりを続けられてるのは、やっぱり趣味だからですかね?」

「あ、ほんとたしかに。麻子、なんでかわかる?」

 ……おそらく私のため、なんて言うのはさすがにおこがましいな。

「卒業までに少しでも大洗の風紀の乱れを正したいんだろう」

 そうやって、私は言葉を濁しつつ答えた。
 すると秋山さんが笑顔で返す。

「なるほど、でしたら大洗の風紀が完璧なら、そど子殿は心置きなく卒業できるというわけですねっ!」


「……ぉお」

 頭の中が、裏返ったような気がした。

 なんだ、そうか。それだけの話か。
 どうしてこれまで気付かなかったのか。

 そど子の心残りを取り除いてやる。
 それが私に出来る、最高の手向けなのだ。

「麻子? どうしたの?」

 いつの間にか、歩く足が止まっていた。

「……ありがとう、秋山さん。思いついた。もう大丈夫だ」

 私が言うと、秋山さんは「いえいえそんなっ」と照れ笑いを浮かべた。
 私が一日中考えていた問題を一瞬で解決してくれたのだ。謙遜することはない。


 そど子への餞別は決まった。

 これで、あいつはすっきりとした顔で、晴れ晴れしく大洗を去ることができるだろうか。

 別れがあるのは仕方ない。
 けれど、その別れが納得のいくものであってほしいものだと私は思う。

 心配事があるなら取り除いてやりたい。
 寂しさとか悲しさはあっても、不安とか後悔とか、そういうものとは無縁であってほしい。

 そど子には、そうして大洗を去ってほしいのだ。

 …………。

 ふいに胸の奥がざわついて、自分の気持ちを自覚する。

「ああ、なんだ」

 私も、そど子が大洗を去るのが、寂しいんだな。


「冷泉さんっ! これで連続遅刻記録59日目よっ!」

 そう言って喚くそど子の頬を、人差し指で突く。

 そど子は慌てた様子で私から距離をとった。

「な、何をするのよっ!?」

「いつかの仕返しだ」

 私の言葉に心当たりがあるのだろう、そど子は僅かに顔を赤くして「い、いまさら……っ!?」と当惑した。


 卒業式が明日に迫った、学校帰りの夜道。
 明日を素晴らしい一日にしようと意気込む沙織は、私の顔を見て言った。

「麻子。明日は、前みたいにみんなで起こしに行こうか?」

 沙織の言う『前みたいに』というのは、Ⅳ号戦車の空砲を目覚まし代わりにしていたあれのことだろう。
 さすがにそこまで世話になるわけにはいかないし、そもそも、それでは意味がないのだ。

「いや、自分で起きる」

 私が言うと、沙織は「えぇっ!?」と驚愕の表情を浮かべた。


 家に着いて早々、湯船に温めの湯をはる。
 明日の準備をした後で、体を沈め、一日の疲れが抜け落ちてゆくのを感じる。

 服を着て、歯を磨いて、すぐさま布団の中へ。

 大量の目覚まし時計を数分ごとにセットし、トドメにスマホの目覚ましもスヌーズ機能付きで設定。
 全て布団からは手の届かない位置に配置した。

 準備万端。さあ、就寝だ。


 木陰で眠る私の頬をつつくのは、おかっぱ頭の上級生だった。

 一体どうすれば冷泉さんに、学生らしい風紀に則った生活習慣を身につけさせることができるのかしら。

 なるほど、これは過去の記憶だ。
 かつてとまったく同じ台詞をそど子が口にしている。

 私が卒業するまでになんとかして生活習慣を――。

 そど子はこの頃から決意を胸に秘めていたらしい。

 過去の私は、そんなそど子の決意を無下にするかのように彼女をからかって話を終えたが、あの頃と今は違う。
 私の方にも、決意が芽生えているのだ。

 だからそど子、安心しろ。
 もう十分、私はお前のおかげで更生した。

 私が言うと、ぼやけた景色のなか、そど子が不思議そうな表情を浮かべるのが見えた。


 ――――じり、りりりりりりりりりりりりりり。

「……ぅ……」

 けたたましい目覚まし時計のハーモニーが部屋中に反響している。
 五月蠅くてかなわないが、私の目蓋はそれでも閉じようとしている。

 違う違う。寝ては駄目だ。
 今日から早起きさんに生まれ変わるのだ、私は。

 目蓋を気力でもって押し止め、全身へ力を込める。

 指先を震わし、なんとか床へ手のひらを押しつける。

「うぉおおーー……」

 なんとも情けない声が漏れたが、私は布団から身を起こすことに成功した。


 そのままの勢いで立ち上がり、ふらつく体を支え風呂場へと向かう。

 ざあざあと熱いシャワーを全身に浴び、制服へ着替えると、覚醒しない頭をどうにか使って湯を沸かす。
 そして部屋中で鳴り響いていた目覚まし時計を一つ一つ止め、湯で茶を煎れた。

 熱い茶をちびちび飲んで、カフェイン摂取。
 脳を活性化させる(コーヒーは苦いので無理だ)。

 スマホを見ると、沙織やあんこうチームのみんなから「起きてる?」とメッセージが飛んできていたので「おはよう」と送信。
 四人分の「おはよう」が返ってきた。


 髪型を整えて家を出ると、途中でコンビニに寄って朝食を購入する。

 熱いシャワーとカフェインの効果か、普段よりも幾分かすっきりした頭で、なんとか学校への道を歩く。

 一歩。二歩。三歩。

 校門前に立つそど子は、私の姿を認めると、「冷泉さんっ!?」と目を丸くして叫んだ。

「今日は卒業式だろう。遅刻の取り締まりなんかしてないで教室に戻れ、そど子」

「な、なんかって、わ、私は――」

「これで、取り締まりをする理由もなくなっただろう」


 時刻は、朝の七時。
 まだ登校している生徒も数少ない、そど子だって校門に立ち始めたくらいの時間帯だろうと思う。

 私がそんな時間に登校したのなんて、戦車道の朝練をしていた時くらいだ。
 あの時だって、あんこうチームのみんなの助けを借りていた。
 自分一人の力で登校したのはこれが初めてだ。

「り、理由? 理由ってなによ!」

「狼狽えているのが、その証拠だぞ、そど子」

 にやりと笑ってやると、一層、そど子は顔を赤くした。

 図星なのだろう。きっと私の選択は間違っていない。

 だからその顔へ向かって、私は言葉を届ける。


「そど子、卒業おめでとう」

「あ、ありがとう」

 そど子が言葉の勢いを落とし、素直に返事をする。
 私はそんな彼女へと言葉を続けた。

「証明した通り、私は、もう大丈夫だ。遅刻の取り締まりはいらない。そど子がいなくても、こうして、私はきちんと遅刻せずに登校できる」

 伝わっているのだろうか。

 これが、私なりの花束だ。
 物じゃなくて、言葉じゃなくて、行動で、私はそど子の卒業を祝う。

「だからそど子、心配なんてしなくて良い。安心して卒業してくれ」

 私が言葉を言い切ると、そど子は一瞬だけ表情を緩め、けれどすぐさま引き締めて口を開いた。


「……まだ、一回だけじゃない。ホントに大丈夫なの? 証明になんかなってない。信じられないわ」

「だったらどうする。明日も明後日もここに立ち続けるのか」

 意地悪く言ってやる。

「そ、そういうわけにはいかないけど――」

「それなら、一年後に確認しに来い」

「え?」

「成長した私を、確認しに来れば良いだろう。それで証明になる。私が卒業する頃には、さらに規則正しい生徒になっているつもりだ」


 そど子は「それは――」と少し言い淀んだ後で言葉を続けた。

「再会の約束ってこと?」

「まあ、そうとも言えるな」

「冷泉さん、どれだけひねくれてるの?」

「余計なお世話だ」

「……まったく」

 そう言って、毒が抜け落ちたようにそど子は笑った。

 生徒名簿の載ったボードを持った右手を、横へおろす。


「まぁ良いわ。わかった。大洗女子学園風紀委員特別顧問であるこの私が、責任を持って、確認しにきてあげる」

「ああ、頼む」

 そう言った後で、少し気恥ずかしくなって、私は「お土産はケーキでいい」と付け足す。

「まぁ良いわよ。それくらい」

 普段の彼女なら、「図々しいと思わないの、冷泉さんっ!」とか怒り出すところだろうに、いやに素直に言葉を返す。

 それが無性に寂しくて、私はすぐさまその場を離れたくなってしまった。

「……それじゃあ眠いので私は教室に行くぞ。またあとでな、そど子」

「ええ、そうね」


 重い足取りを一歩一歩進め、教室への道程をゆく。

 しかし、十数歩歩いたところで、後ろから「冷泉さん」と声がかかった。

「……私と同じ大学に来ないの?」

 ――――。

「私とお前では学力に差がありすぎるだろう」

 からかうような口調で言ってやると、背後からは「な、なによレマコのくせに!」と、罵倒にならない罵倒が放られた。

 足取りが、少し軽くなるのを感じた。


 卒業式は、滞りなく行われた。

 とはいえ、『滞りなく』なんて平凡な言葉で表せたのは、あくまで卒業式だけだ。
 生徒会主導の催しに関しては混沌ここに極まれりといった様相だった。

 我らが大洗女子学園戦車道履修者たちがまともな企画を立てるはずがない。
 元より頭のネジが一本抜けたような企画の数々に加え、本番ではハプニングの連続となった。


 サメさんチームの面々がプールに海賊船を浮かべた。

 アリクイさんチームは100インチの液晶ディスプレイでゲーム大会を開いた。

 ウサギさんチームの一年生らは、栄養科の力を借りて三メートル越えの特大ケーキを作った(倒壊した)。

 歴女の連中が手製の巨大大漁旗を振り回し、風に煽られて飛んでいった。

 自動車部のツチヤさんはチューニングしたレーシングカーで光の向こう側へ行った。

 バレー部は怒濤の宴会芸でみなを笑わせた(ネタにされた元広報殿は怒り心頭といった様子だった)。

 風紀委員たちは、揃って涙を流し、そど子へ花束を渡すと、千人前のとんかつときゅうりを振る舞った。


 締めは、大洗の全戦車による斉射となった。

 校庭に戦車を並べ、戦車道履修者の在校生がそれぞれの戦車に乗り込んだ。
 乗員をなくしたカメさんチームのヘッツァーには、西住さんと私の二人で乗った。

 五十鈴さんの号令と同時に、各車両が空砲を放つ。

 そうして、戦車道履修者だけではない、大洗女子を離れる全ての三年生の門出を祝った。


 大洗女子学園の一学年の数は三千人にも及ぶ。

 卒業式自体は科ごとに行われたが、催しの終わる頃には、ほとんどの生徒が校庭の周りへと集まってきていた。

 私にとってそど子がいるように、在校生もみな思い浮かぶ顔があるだろう。

 私たちの腐れ縁は私たちにとって特別なものだが、大勢の中に埋もれてしまえば平凡なものだ。

 しかしだからこそ、空砲の音が高らかに高らかに、全ての卒業生の元へ届けば良いと私は思った。


 やがて催しは終わって、けれど名残惜しさや冷めやらぬ興奮の残った生徒たちは、二次会へ三次会へと繰り出していった。

 別れは在校生と卒業生の間だけのものではない。
 例えば元生徒会の三人は、三人だけで思い出話に花を咲かせるのだと、いち早く大洗の校舎を去って行った。

 そど子も風紀委員の仲間に囲まれてどこかへ出かけていき、私は生徒会のみんなと催しの撤収作業だ。
 憧れの桃さんに袖にされたサメさんチームの手伝いもあって、作業は思いのほか早く終わった。

 その後は、やさぐれたサメさんチームに連れられて私たちは『どん底』へ。
 宴会は深夜まで続いた。


 卒業生の学園艦下船は、その翌日のことだった。
 眠気の残る頭をおして見送りに行くと、無数の卒業生の中に見慣れたおかっぱ頭が見つかった。

「そど子」

 振り返ったそど子は微笑み、短く別れの言葉を述べた。

「さよなら、冷泉さん」

「ああ、さよなら」


 私が答えると、そど子の姿はすぐに群衆の中へかき消えた。

 それがあまりにもあっけなくてしばし硬直していたのだが、ふいに寂しさにきゅうと心臓を撫でられた。

「さよなら」なんていう悲しい言葉を遣うのでなく「またな」と言っておけば良かったと少し後悔した。
 しかし、初めに「さよなら」という言葉を選んだのはそど子の方だ。
 責は向こうにある。

 こうなればこの文句は一年後に言ってやろうと決意し、私は群衆へ背を向けた。


 新学期。
 私は遅刻した。

 人間というのは一日二日で変わるものではない。
 むしろ卒業式の日だけでも自力で起きられた私はもっと褒められるべきだろうと思う。

 ふらつく足取りを一歩一歩進め、辿り着いた校門前にあったのは見慣れたおかっぱ頭――ではない。
 少し丈の長いそれは、そど子のものとは違う。

「れ、冷泉さんっ! 新学期早々、遅刻ですかっ!」

 叫んだのは、現風紀委員長である後藤さんだ。

 そど子にあった高圧さは彼女にはないが、それで別に構わないだろうと思う。
 後藤さんはそど子にはなれないのだし、そもそもそど子が優秀な風紀委員だったかというと疑いのもたれるところでもある。


「朝からご苦労……」

「ちゃんと記録しますからね! 遅刻ですからねっ!」

 喚く後藤さんを残して、私は校舎への道を行く。

 四月。季節は春。
 再会の約束まで、あと一年。

 そど子がいなくても、私にはあんこうチームのみんながいるし、他にも繋がりのある連中は残っている。

 一年は長いが、きっと楽しい一年になるだろうと思う。


 ただ待つだけが私じゃない。
 感傷にひたるなんてもったいない。

「だから、頑張るのは明日からで良い……」

 少しずつ少しずつ成長していこう。
 けっして言い訳なんかじゃないぞ。

 そうだ。なんなら成長なんてしなくても良いのだ。

 サボってサボってサボり続けて、一年後にそど子から「約束はどうなったの!?」なんて言われるのもそれはそれで面白い。

「ふふ」

 がみがみと怒るそど子の姿を想像すると、私の口からは自然と笑いが漏れた。

おわり。

いつも通り、読んでくれてる人いるのかわからなくて不安になりますが、読んでくれた方、ありがとうございました。

HTML化依頼出してきます。

乙!良かった。

乙 面白かったよ

おつ!

そどまこは良いモノだ

遅ればせながら今読んだ乙

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