文學少女 (16)
空は仄かに白み始めていた。
手の動きを止めずに液晶の右下に映る数字を見ると、デジタル時計は午前四時を示していた。もう数時間もすれば、今日も快晴。きっと茹だるような暑さが襲ってくるだろう。
はぁ、と伸びをした後に、マグカップに入ったブラックコーヒーを口に運んだ。ペンで紙に綴っていたあの頃は飲めなかったのに、今となっては執筆のお供になっている。
喉を潤しながら並んだ文字を見ていると、当時の情景が浮かんでくる。
もう何年も書いてきた。それに、何遍も何遍も書き直した。それでも放り出す気になれなかったのは、きっとこの物語が私にとって特別だからだろう。
コーヒーで覚めた目を、何度か瞬きさせて気合を入れなおす。
もうすぐ迎える結末まで、私のこの生活リズムは変わらないだろう。それを思うと少し鬱屈した気持ちになるけど、一方で終わりを考えると少し寂しくもある。
それでも私は書かねばならない。それが私のすべきことだから。
コーヒーで覚めた頭で気持ちを奮い立たせて、再び画面に浮かぶ文字を紡ぎ始めた。
私と貴方の小説を。
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空は静かに夕暮れを迎えていた。
私がそれに気がついたのは、毎日午後六時に鳴る、下校を促すチャイムを耳にした時だった。
一日中窓際の席で小説を読み、読む本が無くなれば図書館に行くか、書店に行くか。これが私の高校生活におけるルーティンだ。今日もいつも通り、本を読み漁ってるうちに一日が終わったらしい。
読みかけの本に栞を挟み、鞄に仕舞うと席を立った。一緒に帰る友人などいるはずもなく、教室の戸締りをして生徒玄関へ向かう。
教室でお喋りをしていたらしい何人かの生徒や、文化部帰りの生徒の群れに紛れて、私は一人で階段を降りる。
決してそれが寂しいということではないけれど、少し彼らが羨ましくもある。真っ当に青春をしている気がして。
私の靴箱の戸を開けると、果たしてそこにはあるべき靴は無くなっていた。
憂鬱な気持ちにはなったけど、ショックを受けるということもなかった。
私が虐めというものを受けているということは、認めざるを得ない現実であるので。
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開き直って上履きのままで帰ろうかと思ったけれど、親が汗水流して稼いだお金で買って貰ったスニーカーを探さずに諦めるのは申し訳ない。
とは言え、こういう時にどこを探せば良いのだろうか。
思案して、とりあえず校舎裏のゴミ捨て場に行ってみることにした。ゴミ箱入りならそこにあるだろうし、校外であれば私には為す術もない。
上履きのままで玄関をくぐり、できるだけ汚れなさそうな場所を選んで校舎裏へ向かう。
体育会系の部活生の叫び声やボールを打つ音が聞こえてくる。
彼らみたいに、部活をするような社交性があれば、今頃靴を隠されるようなこともなかったんだろうな。
私が周囲から浮くようになったきっかけを思い出して少し悲しくなるけれど、また同じ状況を迎えたならば、私はきっと同じことをまた選ぶだろう。
沈んだ目でゴミ捨て場の方へ視線を送ると、男子生徒がいくつかのゴミ袋を放り投げていた。
私の足音でそれに気がついたのか、彼はこちらに視線を向けた。
見覚えのある顔をしていて、それで彼が同じクラスの子だということは分かった。他のクラスに知り合いがいるほど、私は交友範囲が広くない。
「お、こんばんは。こんな時間にどうした?」
それは貴方も同じでしょう、とは言わずに口の中で留めておいた。掃除時間はとっくに過ぎているし、彼が清掃活動に励むタイプだという記憶もなかったけど、今はそれどころではない。
「靴、探してて」
端的に伝えると、彼は「靴?」と復唱して私の足下を眺めた。ははぁ、と何か納得したように頷いて、今度はゴミ捨て場の戸の脇を指差した。
「綺麗だし破れてないし、何かおかしいなって」
指された方向に視線を送ると、そこには私の探していたものが置かれていた。
「さっき、これだけがゴミ袋の上にそのまま置かれてたからさ。とりあえず避けといたんだけど、合ってる?」
「合ってる、ありがとう。助かったわ」
感謝を告げながら、上履きを脱いで履き替えた。汚れたそれは、持って帰って洗うことにしよう。
私の言葉を耳にすると、彼は残ったゴミ袋を再度放り始めた。私も手伝おうと思ったけれど、非力なこの腕ではきっと足手まといにしかならないだろう。
全てのゴミ袋を放り投げると、彼は戸を閉めながら「それじゃ、帰ろうか」と言った。
一緒に帰ろう、という勧誘なのか独り言なのか。繰り返すと私にはそういう友人がいないから、判断することはできなかった。
「それって、一緒にってこと?」
地面に置いていたリュックを背負っている彼に問いかけると吹き出された。笑いを堪えるつもりもないらしく、口を開けて声を漏らしながら返事をくれた。
「そうそう、そりゃあそうだよ。独り言だと思った?」
「いや、私友達いないから。そういうの分からなくて……」
ひどく情けない発言だ。しかし、同じクラスであろう彼なら、きっと私がどういう立ち位置であるかも分かっているはずだ。
「そんじゃ、俺が君の友達ってことで」
「そんな簡単に?」
「友達って、こんな簡単になるものでしょうよ」
そう言って、彼は手を差し出した。吊られて私も手を差し出すと、軽く手を握られる。
彼の指は少し固くて、男子ってみんなこんな指先なのかなと少し違和感を覚えた。
「それじゃ、帰ろうか」
どうやら彼は切り替えが早いらしい。手を離されて、彼は校門に向かって歩き出した。
横を歩いていいのか悩んで少し後ろを歩いていたら「歩くの速いかな」と気を遣わせてしまった。
彼はお喋り好きらしく、道中で色々なことを話した。今日の授業はどうだった、掃除をさせられたのは授業中にお喋りしてた罰だった、とか。
私は喋ることに慣れていなくて、彼の言葉に相槌を打つことで精一杯だった。高校に入って、今日が一番人と会話をしている気がする。
「そういえば、いつも本を読んでるよね。どういうのが好きなの?」
そんな雑談の中、興味本位なのか彼が尋ねた。どういいの、という質問はまた漠然としていて何とも返し難い訊き方だ。
「太宰とか、井伏とか……分かるかな?」
「太宰って太宰治? 名前くらいは分かるけど、読んだことはないなぁ」
井伏に触れないあたり、やはり文学にはそう聡くないのだろう。
「そう、その太宰。こゝろとか、読んだことない?」
「あー、名前と『K』が出てくることくらいしか」
大体の高校生なら知っていそうな返事を聞き、推察は確信に変わった。
「文学部……ではなかったよね」
「そことの関わりは見学に行ったくらいかしら」
高校に入ってすぐに、文学部のドアを開いた。中学では見つからなかった友人が、ここでは見つかるかもしれないと。
果たしてそこにあったのは、文学部というよりはオタク文化研究会だった。
棚に並んでいたのは可愛らしい挿絵が入ったライトノベルに、最近話題のアニメのDVD。
井伏どころか、蜘蛛の糸も羅生門も城の崎も走れメロスも、そこにはなかった。
決して部員の彼らやそれらを否定するつもりはなく、私は落ち込んだ。少なくとも私が期待した文学部ではなかった。
入部の勧誘は強く受けたけれど、期待と現実のギャップが強すぎて私はそれを断った。結果、中学生活の延長みたいな現在がある。
「なるほど。本好きな人って何でも読んでると思ってたけど、そういうわけじゃないんだ?」
「いや、読むことは読むけど」
私だってライトノベルも読めばアニメも見る。ただ、そこにそれを求めていたわけではないというだけで。
まだ?
「へぇ。まあ、君がそう言うならそれはそういうことなんでしょう」
一人で納得して、彼はまた話題を変えた。
「それじゃ、おススメ教えてよ。俺も読んでみるから」
「本当に?」
彼が読書を好きでないことを察しているから、つい窺った返答になってしまった。コミュニケーション能力が人並みにあれば、適当に教えて終われただろうに。
「本当、本当。人がそこまで夢中になれるものって、よっぽどでしょう」
そう返されると、拒否することもできない。別に拒否するほどのものでもないんだけど。
それにしても、おすすめを聞かれて急に答えるのは難しい。彼という人となりを知っていれば、それに寄せた返答もできただろうけど、残念ながらそれはできない。
記憶の中の本の山を掻き分けて、たどりついたその名を私は呼んだ。
「斜陽」
「斜陽?」
鸚鵡のように、彼は私の言葉を繰り返した。
「太宰の、斜陽」
没落貴族の物語だ。彼の代表作であり、人生を投影させたとも思われる。
決して明るい物語ではないこの名を出してしまったのは、もしかしたら卑屈な気持ちが現れていたのかもしれない。
虐められ、靴を探し歩く、これから先楽しいことがあるのかも分からない私をそこに投影して。
「よし、分かった。読んでみる」
それが口だけでも事実でも、結果を知ることはないんだろうけど。
たまたま一緒に帰っているだけで、普段から話すわけではない彼に、感想を求めることなんて私にはできない。
しかし、意外にもその結果はすぐに知ることになる。
週末を挟んだ月曜日、彼から読書中の私に話しかけに来たからだ。
これにはクラス中の人間がひどく驚いていた。それもそうだろう、誰かが私に話しかけることなんて、よっぽどのことがなければ今までなかったのだ。
「斜陽、中々重たい話だねぇ、でも嫌いじゃなかった。最後の直治の遺書は胸に残ったよ」
「本当に読んだの?」
「読んだ読んだ。バンドの練習でなかなか時間がとれなかったけど、週末に一気に」
「バンド? あなたが?」
「うん、バンド。……そうか、あなたって、自己紹介してなかったよね。俺、石川」
よろしく、と言って石川くんは満面の作り笑顔を見せて来た。それが何だかおかしくて、私はプッと吹き出す。
まってます
「お、笑った」
「笑った?」
「うん、この間はそんな笑顔見られなかったから」
石川くんはそう言って、自分の顔を指差した。
「そうだった?」
「うん、無理に付き合わせたかなって思って反省してた」
「そんなことないよ。私、友達が好きないから……」
正確に言えば「いない」んだけど、そう言うのは少し恥ずかしかった。自分を着飾りたくて、ほんの少しの見栄を張る。
久しぶりの同級生との会話で、戸惑っていたから。今自然に笑顔が出たのは慣れたからなのか、それとも彼が律儀に斜陽を読んでくれたからなのか。
石川くんには不思議な魅力がある。まだ話すのも二回目なのに向こうがオープンに接してくれているから、私も変に緊張せずに済む。
「そうなん? 意外だね」
「やっぱり、本ばかり読んでるし、ほら、私、暗いから……」
「暗いかな? そんなことないと思うけど」
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