一ノ瀬志希「アイロニカル エトランゼ」 (44)
ある晴れた日のこと。
海外への遠征が決まった。キミはそう言った。
なんと三週間後にはNYに行くことになっているらしい。
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柚「狩らせてもらうよ。キサマのぴにゃンバーズ!」
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◇
『世間では一ノ瀬志希とShiki Ichinoseについての認識が随分と違っている。』
そんな話題で盛り上がってから数日ほどしか経っていない気がする。
「ティンときた」のだろうか?ここ数日いい匂いがしていると思ったらそういうことだったのか。
こうなった時のキミは行動が早い。そして大胆不敵だ。
前からそういう傾向があったらしいがより顕著になっているとのこと。
担当アイドルの影響なのでは?という声もあるらしい。良い傾向である。
渡された資料を見る。
企画名:未定
ロケ地は何処かで見たことがある化学プラントだった。
―――ここで製造されている薬の中に、あたしの研究成果であるものが混ざっているのを思い出す。
このプラントについてキミに教えた覚えはない。たった今思い出すまで忘却の彼方にあった場所を伝える手段など存在しない。
よくも見つけ出し、あまつさえ撮影に使う許可まで取ってくるとは。
思わずキミの顔を見る。
悪戯に成功した子供みたいな目をしている。少し癪に障る。
あたしがキョーミを示さずに失踪するとか考えなかったのだろうか?
いつか落とし前として実験台になってもらおう。
そう心に誓い資料を読み進める。
コンセプト:この巨大なオブジェクトを現在の一ノ瀬志希で染め上げる
なるほど、ギフテッドなジーニアスをクレイジーなケミカルアイドルで上書きするのならこれ以上の舞台はない。
更に資料を読み進める。
プラントでこんな撮影をして問題ないのかと囁く声が聞こえる。
―――海の向こうのあたしは早熟な科学者だ。未だに叡智の扉の向こう側にある命を救う一滴を此方に持ってこられる存在。金の卵を産む雌鶏といった認識だろう。
資料も残りわずかというところまで読み進めた。
幸運なことに撮影に使っても問題ない場所があったようだ。
―――そんな存在がアイドルに変貌していた。それを知った時、あっちのヒトはどんな顔をするのだろう ?
資料を読み終えた。
必要な情報はすべて記憶した。
―――事実を受け入れずになかったことにするのだろうか?才能が埋もれたと嘆くのだろうか?神から与えられた賜物を無駄にするのかと憤慨するのだろうか?
顔をあげてキミを見る。
―――そして、そんなヒトたちがアイドルであるあたしの魅力にヤラレテしまったその瞬間、果たしてどんな表情を浮かべるのだろうか!
◇
「企画名、何かいいもの思いついた?」
そう尋ねてキミの眼を見る。
好奇心に輝くあたしの眼が映っているキミの瞳。
理性という分厚い覆いの向こう側から見え隠れする本能の光。
微かに見えるだけなのに心をかき乱される強い光。
見たい、知りたい、確かめたい、暴きだしたい。
その光はキミの奥底に秘められたそんな衝動を雄弁に物語っていた。
―――キミは隠し通せていると思っているかもしれないが、あたしの前には丸裸も同然だ。
その種の感情との付き合い方はあたしの方が何枚も上手なのだから。
「困ったことにまだ思いついてないんだ。」
キミが応える。
―――キミが今現在の一ノ瀬志希から導き出した仮説を検証したい。
甘美なる衝動が内から湧き上がる。
星と夕が混じりあう黄昏時、命を救う化学物質たちの揺籃、アイドルに変態したあたし。
絶好の観察条件、最高の実験機材、キミが丹念に育て上げた被験体 (モルモット)。
事前検証なし、一度きりの大実験だ。何が起こるかわからない。
キミの 仮説 (企画書)通りになるかもしれない。
何かトラブルが起きるかもしれない。
あたしの予測を超えた何かが起こるかもしれない。
「全然困ってる顔に見えないなー。目が笑っているよ?」
―――望むところだ。
「あっ、志希ちゃん良い名前思いついた! これなんてどうかな?」
―――神とやらが下さった賜物 (ギフト)、その総てを以てこの実験を成功させよう。
何かが起こればそれを元手に更に良い結果に繋げてみせよう。
仮説から外れてしまったらその先にある真の結果をもぎ取ってみせよう。
常に変わり続ける最善手を手繰り寄せ、極上の実験結果を掴み取ってみせよう。
その瞬間、この世界に姿を現す一ノ瀬志希はどのような存在なのだろう?
ソレを映すキミの眼はどんな色で彩られているのだろう?
その時のキミは、どのような香りをはなつのだろう?
知りたい。観測したい。記憶したい。
「アイロニカル エトランゼ」
最高潮に加速したニューロンネットワークが導き出した結論を、この壮大なる大実験に相応しい名前をこの世に解き放った。
◇
キミの瞳孔が開くのがよく見える。
こんな間近で「ティンときた」瞬間を見たのは初めてかもしれない。
「あの国であたしはギフテッドとして教育を受け、心赴くままに実験をして生きていた。」
元々、こういう時のキミはイイ性格をしていた。
好き好んであたしみたいな難物をプロデュースするような人だから当然かもしれない。
それにしても更に磨きがかかったなと思う。
あたしによる継続的実験の成果かな? そうだったら嬉しいな。
「その対価として、人類の英知を少し先取りして社会に還元していた。」
本気で物事に打ち込む人が好き。そういう人は大抵良い匂いがする。
その中でも自分の内から湧き上がる想いに身を焦がすタイプは刺激的な匂いがする。
そんな人の心が剥き出しになるとき、その瞬間に放たれる香りには中毒性がある。
「キミが調べたとおり、この化学プラントはそういうところ。」
理性をも焼き尽くしてしまいそうな昂ぶりを生じさせる危険な香り。まさに劇薬だ。
「そんな場所を今のあたしで塗りつぶす。」
「キミとみんなという触媒を以て不可逆的に変質してしまったあたしが、あの国に現存するギフテッドガールを塗りつぶす!」
「アイドルという異邦人になってしまったあたしが!化学の申し子だったあたしを塗りつぶす!」
そんなことに気付いたのは―――
「キミが思い浮かべたその光景、サイコーに皮肉だよね!」
―――現在進行形でその香りを生成しているキミのせいだ。
◇
更に数日後、NYに向かうまで2週間と少しほど。
キミは更にいい匂いをはなちながらロケの準備に奔走している。
その刺激が燃料になっているのか、あたしにしては珍しくレッスンに励んでいる。
もし匂いがなかったとしても今回のレッスンは熱が入っていたのかもしれない。
実験のために最高のコンディションの被検体を用意するのは当たり前の話なのだ。
そこに妥協の二文字が存在する余地などありはしない。
『あたしとプロデューサーはねー。お互いが、被験者で実験者』
キミは自分がどれだけトンデモないことをしたのか自覚しているのだろうか。
いつからか、何をするにしても冷静に結果を観察するだけの自分がいた。
自分の心の安全圏から外の刺激を味わうだけ。
結果を理解し、行く末を見通して終わり。ただそれだけのルーチンワーク。
そんな単体で完成していたジーニアスは劇的な変貌を遂げてしまった。
独りで良いのだというあたしの結論を、ニンゲンとニンゲンが双方向でぶつかるときに発生するプラスの刺激で掻き消したのはキミだ。
それまでのエライヒトが口にしていた耳障りのイイ言葉など霞んでしまう大きな衝撃。
その刺激はあたしの中の幾万の思案を圧倒的速さで抜き去り、前頭前野の最も深いところに突き刺さったのだ。
その刺激は冷めた自分を揺るがして安全圏の外側に引きずり出して余りある力があった。
キミはあたしという有機体から、いとも容易く予想もつかない何かを取り出してしまう。
一体どんな視点、発想があれば成せる業なのだろう?
あたしに与えられたギフトをもってしても未だに解明できない難問である。
プロデューサーとはそういう存在だ。キミはそう言った。
可能性を見出してしまったら止まれない業深き生物。それが自分なのだと。
そんなキミで良かった。
このあたしを熱するには少しばかり過激な火力で丁度いいのだから。
◇
慌ただしい準備期間中、思い出したことがある。
あの国で賜物 (ギフト)を与えるとされている存在は、人が罪を犯すと罰として別の場所に移すことがあるらしい。
自分を振り返らせ悔い改めを促すという意図があるのだとか。
今の自分は化学への情熱を取り去られて、自分の生まれた国に戻されている身と表することもできる。
もしかしたら大いなる存在とやらがこの状況を作っているのかもしれない。
万一その通りならば願わずにいられないことがある。
『どうか、まだ許さないでください。私からこの罰を取り上げないでください。』
あたしにとってこの罰は暖かすぎる。
この暖かさに慣れすぎてしまった。
もし許されたとしたら、この罰が終わってしまったら自分はどうなってしまうのだろう。
そう考えると祈らずにいられなくなる。
しかし、そんなことを祈ったところで素直に聞いてくれる存在とは思えない。
故に、更なる罪を積み重ねにいこう。
与えられた賜物を無駄遣いしにいこう。
そうすれば怒って罰の期間を延長してくれるかもしれない。
さあ、かつて慣れ親しんだ国を異邦の民として征服しにいこう。
あの国に残る残照を塗りつぶしにいこう。
命を救う叡智を探求するShiki Ichinoseを、あのプラントの一番高いところから蹴り落しにいこう。
まだ終わってないケミカリストの物語を最高に皮肉な結末で締めくくりにいこう。
もう戻らないその存在に引導を渡しにいこう。
◇
さあ、キミが描く景色を見にいこう。
◇
天気予報によると、ロケ期間中のNYは快晴らしい。資料にそう書かれていた。
良いことだ。
終
以上です、ありがとうございました
志希について色々思いを巡らせていたら
アイロニカル・エトランゼの前にこんなエピソードがあった気がしたので文字にしてみました
ご存知の通り、テンションが振り切ってる志希を
予報外れの雨の匂いが襲うことになりますが大丈夫です
多分
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