彼女の目の前で、少女が血を流して倒れている。
暖かそうなコートに身を包んだ彼女が、氷の棘に身を貫かれて。真っ赤な血を流している。
「マシュ」と彼女は呟いた。
とっさに出た一言に、けれど少女は反応を返せない。
返るはずもない。
最早彼女は死に絶えている。
生命活動は停止し、その魂は消失した。
繋ぎ止めた命は完全に潰え、その笑顔が彼女に向けられることは二度となくなった。
──それが、最後だった。
彼女の、藤丸立香の、ではなく。
この大地に生きる、全ての命の最後だった。
異聞帯という潰えた世界全てが、本当の意味で終わりを迎える始まりの瞬間だった。
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「……ゴル、ゴーン」
彼女のそばにあった機械が駆動を始める。
立香のか細い魔翌力回路が悲鳴をあげ、命をすり減らして魔翌力を生み出す。
記録された霊基パターンが読み込まれ、求めに応じてその存在を引きずり出していく。
それは魔獣の母であった。
それは討たれるべき悪であった。
それはヒトに復讐を誓った女神であった。
それは、けれど、今この瞬間確かに立香にとっての福音たり得る存在だった。
「くく、ふはははは……! 久しいなマスター! ああ、すべてわかっている。その目は同じだ、憎いのだろう、許せないのだろう? だから、私を呼んだのだろう!」
ゴルゴーンはその巨体を揺らして笑う。
自らを再び呼び出したこの愚か者は、けれど今初めて、自分と同じ存在になり果てたのだと。
当然だ。全く持って当然にすぎる。
この女は善である。ごく当たり前の善性を常にもち続けた奇特すぎる存在である。
その善の象徴を、心を通わせた無二の友を、目の前でこうも易々と殺されて、正気でいられるはずがない。
これはあの終極特異点のときとは違う。少女の死はなにも残さず、何を託すこともなく、ただ断絶した。
それは、それは、あまりに惨く、残酷で。
「それでマスター、立香よ。お前を苦しめるあの女を丸のみにするか? それとも側の男を溶かし殺してやろうか? 今のお前にならどんな言葉でも従ってやろう」
奇妙な共感と、同情と、安堵を含んだ言葉だった。
悲しいのだろう。苦しいのだろう。それを理解しているからこそ、ゴルゴーンはこのマスターに対してささやかな親近感を抱いていた。
けれど。彼女はその程度では止まらない。
「溶かして。魔力がいるの。貴女の宝具なら、この大地の命すべて、溶かして魔力に変えられるでしょう」
その淡々とした言葉に、ゴルゴーンは笑みを浮かべる前に冷や汗をかきそうになる。
これは、一足とびに踏み抜けてしまったものだ。
復讐ではない。いや、あるいは復讐の側面もあるのかもしれないが、ともかく一番大きな感情はそれではない。
というか、感情らしきものが、あまりに稀薄だった。
それは必要なものを集める「作業」。
そのために、彼女は手段を選ぶという行為をしなくなった。
「……ああ、いいだろう。お前がそう言うのなら」
今の彼女に不用意なことは言えない。ゴルゴーンはそう判断した。
七つの特異点と多くの異常地帯を駆け抜けた彼女は、けれどその善性によって己を律していた。
力に溺れず、他者に気遣い、ただ生きるために全力で走り続けてきた。
それが、その善性を捨ててしまったら。
最早それは災害ですらない。そういう認識すら、彼女には追い付かない。
「礼呪をもって命ずる。宝具でこの大地を溶かせ、ゴルゴーン」
彼女の言葉と魔力にしたがい、ゴルゴーンの魔力が高まっていく。
「まずい、アイツまさかヤガ達を──!」
男がなにか言おうとしたが、もう彼女は止まらない。
「重ねて礼呪をもって命ずる。宝具ですべての命を魔力に変えて」
「アナスタシア、あいつを止め」
「重ねて礼呪をもって命ずる。宝具を使い続けろ、ゴルゴーン!」
三画分の魔力に後押しされ、ゴルゴーンの宝具がロシア全土へと広がっていく。
逃げ場などない。隠れる場所もない。
すべての命はつゆと消え、魔力へと変わっていく。
だが別に構わないだろう。
──あなたたち、どうせ死んでたんだから。
すさまじい量の魔力が集積され、それはゴルゴーンの蛇が立香に噛みつくことで彼女へと返還されていく。
その魔力量はサーヴァントをいくら呼んでも呼び足りないほど。不完全なヤガという獣がいきるのに必要なエネルギーを賄えている今のロシアは、魔力の宝物庫に等しい。
「なんて、ことを……!ヤガどころか、木々も、魔獣も、なにもかも溶かしてるのか!こんなことを、よくも……!」
「え?だって、あなたたちもやったでしょう?」
歯噛みする男を、立香は不思議そうに見つめ、
「カルデアの人たちを殺したでしょう」
微笑んだ。
「普通に生きていた人たちを殺したでしょう」
微笑んでいる。
「私の友達を殺したでしょう」
微笑んでいる。
「私の家族だって、あの神様とやらに殺されたんでしょう?」
微笑んでいる。
微笑んでいる。笑みが崩れない。仮面のような笑みがじっと男を、カドックをせせら笑う。
「無為に、無駄に、ごみ掃除でもするみたいに。舞台を箒ではいて清めるみたいにして」
魔力がバチバチと彼女の皮膚から弾けて飛ぶ。血が流れても、立香は笑みを崩さない。
「だから同じことをするの。もちろん無駄になんて使わない、この魔力でまずはこの異聞帯を消滅させる」
淡々と、彼女はこれからの予定を諳じる。
カルデア唯一のマスターは、最早ヒトの軛を越えようとしていた。
しかし、これは憎しみによるものではない。
彼女は「世界を救おうとしている」のだから。
「異聞帯を溶かして、その魔力でさらに多くのサーヴァントを呼び出して。最後はあの神様とやらを殺して、それを使って世界をもとに戻す」
「……不可能だ。あれは、僕らが勝てるものじゃない。あれは──」
その言葉に、カドックが言おうとしたなにかに、立香の表情がはじめて崩れた。
笑みから、怒りに変わった。
「だから諦めて降伏したの」
「っ、そうじゃない!」
「じゃあ何で世界を滅ぼした相手に従ってるの。違うと思うなら反抗すればいい、無理だとわかってても立ち向かうべきだった」
「それは」
「お前の親玉が殺し尽くした68億の命の前で胸を張ってそれを言える? 勝てそうになかったので皆が死ぬのを黙って見過ごして、皆の死体の上に新しい国を作りますって」
彼女は、この期に及んで怒っていた。目の前の男の不甲斐なさに。自分はどうしようもなくたって立ち向かったのにと。
それは全うなものだ。必死で積み上げたものをすべて崩した相手に恭順を示したのが、よりによって本来自分の代わりにそれを積み上げるべき人間だったのだから。
「でも、いいよ。それも全部私たちが終わらせる。私たちが救うから、あなたはそこで見ていてね」
「黙れ、僕は!」
「来て、皆」
彼女が魔力を注ぎながらそうささやくと、カドックの声がかき消されるほどの騒音が機械から駆動する。
呼び出されるのは悪であるものたち。
殺すことを厭わない、英雄であるが悪であると定義付けられたものたち。
それが、次々に大地に降りたつ。
その筆頭は、旗を掲げた黒い聖女だった。
「はっ、来てやったわよマスター。……ひどい顔ね」
「まあ、大変だったからね。それじゃあ、皆よろしく」
ジャンヌオルタに声をかけると、それぞれがなすべきことを成すべく方々に散っていく。
僅かに残った溶け落ちていない命を魔力に変えるために。
反抗などするべくもない。呼ばれる段階で、サーヴァントたちは立香のしようとしていることを理解し、了承しているのだから。
これは人理を救う旅。存在するだけで世界を害する存在を排除し、それすらも礎として人理を取り戻すのだ。
大量のサーヴァントを呼び出した為、すさまじい魔力負荷によって立香の体には気が狂うほどの激痛が走り続けていたが、それも立香にとっては嬉しいものだった。
痛みは生きている象徴だ。それがやっと理解できそうだった。
「マスター、次はどうする?何を殺してやろうか」
「皇帝を使おう。確か一番強いんだっけ、あれを使って──」
──ティアマトを呼ぼう。
その言葉に、ゴルゴーンは今度こそ止まった。
ティアマト、回帰の人類悪。生ある限り死の存在しない絶対存在。ゴルゴーンがかつて名乗ったもの。
存在は消えたがデータはある。霊基は観測と戦闘により記録されている。
この女は、もう善悪の領域を逸脱している。
ヒトを救うためならば、息絶え絶えの幼子であっても容赦なく殺すだろう。
彼女の善性の象徴はもういないのだから。
「てぃあ、まと?大地の母を、全ての命の始まりを呼ぶ? お前、自分が何をいってるかわかって」
「あとは、そうだなぁ……聖杯がまだ残ってたよね。あれ使ってティアマトの霊基再臨しようか。ダヴィンチちゃん、準備しててね」
カドックの声を無視して、立香は笑う。
これならなんとかなる。次の異聞帯がどんなものかはわからないが、異聞帯ひとつを燃料にして次の異聞帯を破壊するのだから、大地を飲み込む彼女の力は十分有用に使える。それくらいならなんとかなる筈だと。
通信の向こうでダヴィンチもひきつった顔になっていたが、もう立香は止まる気などなかった。
だって、もう心の底から守りたかったものは失われた。
最初に奪ったのは向こうなのだから、最大限に利用して世界を取り戻すのに最早良心の呵責など感じない。
その時、彼女に手の甲が熱に襲われた。
なにかと見れば、そこにあったのは礼呪の跡。
──ではない。
「ああ……、そっか……」
それは、獣の刻印であった。
七つの星が満たされた、人類を愛するがゆえにそれを害するすべてを滅ぼし尽くさんとする人類愛。
平凡なりし人類諸兄の代表者。唯一残った人類の救世主。
今の彼女は全ての人類悪を統べる者。その手の中にかつて打ち倒した人類悪の記録があるのなら、それを元に呼び出すことすら、今の彼女は可能とする。
「じゃあ、名乗り直した方がいいかな」
「何を、いってる。なんだ、お前、その魔力は……!?」
彼女がそっと手の甲を見せ。
そして、口を開いた。
「人類悪、藤丸立香。クラスはビースト。人類を『救済』するために、あなた達を皆殺します。よろしくね」
ずるり、と彼女の頭の両側から小さな角がせりだしてくる。
人理を救った平凡なるものなど偽りの姿。
その正体は楔を失い姿を見せてしまった、ヒトを救うという善意の権化。
汎人類史を、美しき人理を救い上げる。その決意をもって、彼女のクラスは決定された。
『救済』の獣、人理の救済者。いずれ打ち倒されるべき悪。顕現していた七匹目の獣。
ビーストⅦ、藤丸立香。
これこそ、もっとも触れるべきでなかった獣である。
「さあ、人理救済【グランドオーダー】を始めましょう」
自らの善性の象徴をそっと抱き上げ、彼女は慈しみに満ちた穏やかな笑みでそう言った。
終わりです
乙
まぁクリプターがやってる事って結局こういう事だよなぁ
面白かった
乙
>>7
礼呪
とても面白かった
乙乙
もしかしてバッドエンド合同の奴?
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