ウサミン星人のいない地球は (47)

夢を見た。

一人の少女の夢だ。

少女が憧れたものはキラキラのステージ、オシャレな衣装、響く歌声、鳴り止まぬ歓声。

一目見た時から、少女はアイドルに憧れていた。

そんな少女の憧れが形となったのはつい最近のこと。

たまたま彼女を知ったアイドル事務所のプロデューサーが彼女をスカウトしたことで、彼女は念願のアイドルとしての一歩を踏み出した。

動き出した日常は目まぐるしく、しかしプロデューサーや事務所の仲間だけでなく、ファンからの手助けを受けながら彼女は日々を笑顔で過ごしていた。

それは本当に嬉しくて、楽しくて、どうしようもなく幸せな毎日で。

だから彼女は涙を流しながらこう言った。

「さようなら」

「え……」

その日プロデューサーはいつもより早く目を覚ました。

なぜ自分が泣いているのかはわからなかった。


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「不思議な夢、ですか?」

千川ちひろは事務所で仕事をしながら、プロデューサーと雑談に興じていた。

なんでもプロデューサーは不思議な夢を見たらしい。

「いや、不思議な夢を見た気がするってだけです。どんな夢だったかもまったくわからなくて」

「はあ」

夢を見た感覚はあるけど、内容を覚えていないというのはよくあることだ。

そういう日は朝からなんとももやもやした気分で過ごすはめになる。

ちひろの経験則からすると、一度忘れた夢を思い出すのは困難だ。

「そんな時は気分転換した方がいいですよ。リラックスして他のことをやっていたら、ふいに思い出したりするかもしれませんし」

「そう、ですよね」

ちひろのアドバイスにプロデューサーは歯切れの悪い返事を返す。

これは長引きそうだと思いつつも、ちひろは彼のためにお茶を淹れてあげようと給湯室に入り。

「……あら?」

妙な違和感を覚えた。

それは本当に些細で、今プロデューサーが抱えているものと大差ない感覚かもしれないが。

「私、最近プロデューサーさんにお茶淹れてましたっけ?」

昨日や一昨日の記憶を振り返っても、プロデューサーにお茶を淹れた覚えがない。

それだけでなく、自分のためにも淹れた記憶がない。

「アイドルの誰かが淹れてくれたんだったかしら?」

アイドルの中には気の利く子が多いため、誰かがちひろ達を労ってお茶を淹れてくれることは少なくない。

だからここ数日、ちひろにお茶を淹れた記憶がないことは何もおかしくない。

「誰が淹れてくれたのかを忘れてるのは問題ですよね」

しかし、人と関わる仕事柄、誰かから受けた恩は忘れないよう心掛けているちひろだ。

それなのに事務所の仲間からの親切を忘れるなんて。

いったい誰が?

その後プロデューサーにお茶を渡したちひろは、プロデューサーと同じようにもやもやした気持ちで自分の席に戻っていった。

島村卯月は渋谷凛、本田未央の二人と衣装部屋にいた。

今は次の仕事までの空き時間。

未央がちひろの私物であるコスプレ衣装がしまってあるクローゼットを見つけたので、三人で見ているところだ。

初めは諌めようとしていた凛も、今では一緒になってちひろの衣装を見て楽しんでいる。

「ナース服にお巡りさんの服、他にも色々。これって全部ちひろさんのコスプレ衣装なんですよね。すごいです」

「ここ事務所の衣装部屋なんだけどね」

目を輝かせる卯月に、凛は苦笑いしかできない。

そんな二人を横目に、未央はさらに面白いものはないかと漁っていく。

「プロデューサーもだけど、ちひろさんも意外と自由にやってるんだね」

「いいんじゃないですか。私、ちひろさんのそういうところ好きですよ」

「だよね。あ、くノ一の服もあるよ。しぶりん着てみる?」

「着ない。あと、流石に勝手に着るのは駄目でしょ」

もちろん未央もそこまで勝手をするつもりはない。

「はーい。でも本当になんでもあるね。セーラー服に軍服に、この魔女の服はハロウィン用かな?」

「こんなにたくさんいつ着るんだろ」

「それはしぶりん。もちろん夜に」

「未央」

「ごめんなさい」

凛が未央を睨んで黙らせた隣で、衣装を漁っていた卯月の手が止まった。

「……あれ?」

「どうかした卯月?」

「あ、いえ大したことじゃないんですけど。ただ、あの服がないなって」

「あの服って?」

こちらを窺う二人に、卯月は自分の中にある違和感を伝えた。

「メイド服がないんです。前にお仕事で着た時にプロデューサーさんが言ってたんですけど、コスプレの定番なんですよね?」

卯月の言葉を聞いた二人は顔を見合わせ、一緒になってクローゼットを探したが、卯月の言う通りちひろのコスプレ衣装の中にメイド服は一着もなかった。

「たまたまじゃない?」

「あ、それか自分の家に置いてあるのかもよ」

凛と未央はメイド服がないことに違和感はあまりないようだった。

「そうでしょうか」

二人の言葉に頷きながらも、卯月は違和感を拭えずにいた。

ちひろのメイド服がないことではない。

この事務所にメイド服がないことが、とても不自然に思えて仕方なかった。

片桐早苗と川島瑞樹は仕事後の集まりについて相談していた。

「瑞樹ちゃん、今夜どう?」

「いいわね。いつものお店にする?私は明日オフだから他の場所でもいいわよ」

「あら、だったら久しぶりに鍋やりましょうよ。あたしも明日オフだし」

まだ昼も食べていないうちから、二人の計画は練られていく。

「あ、でも二人で鍋は寂しいわよね」

「なら他にも明日オフの人に声かけましょうよ」

だが、順調だった議論は予想外な躓きをする。

「こんなもんでしょ。じゃあ今から適当に声かけるわよ。集合は直接瑞樹ちゃんちでいいわよね」

早苗の言葉を瑞樹は驚きとともに否定する。

「うち?私の家にみんなでつつける大きさの鍋ないわよ」

瑞樹は一人用の鍋しか持っていない。

なので瑞樹としては、てっきり早苗の家に集まるものとばかり思っていたのだが。

「え、そうなの?あたしの家にはそもそも鍋がないんだけど」

早苗も同様の理由で、瑞樹の家に集まるものとばかり思っていたらしい。

「どうする?どこかお店探す?」

「声かける中に大きな鍋を持ってる人がいればいいんだけど」

計画変更について話し合いながら、二人は言葉にせずとも同じ疑問を抱いていた。

自分たちは今まで鍋をする時に、誰の家に集まっていたのだったか。

その答えは誰にもわからなかった。

一ノ瀬志希は不思議な機械を片手に、事務所を探索していた。

見かけた二宮飛鳥が問いかける。

「天才娘。さっきから何をしているんだ。あとその機械はなんだ?」

飛鳥の疑問に志希は歩みを止めることなく返答する。

「これは部屋の匂い成分を調べる機械だよ。晶葉ちゃんに頼んで作ってもらったんだー」

予想外すぎる答えがきて、飛鳥はさらに混乱する。

「匂い成分を調べる機械なんて、キミには一番必要がない道具だろう?自慢の鼻で全部わかるくせに」

そう言われることもわかっていたようで、志希はにゃははと笑う。

「晶葉ちゃんも借りた時にビックリしてたよ。うん、実際この機械が教えてくれる匂い成分表とあたしの感覚は完全に一致したしー」

機械の分析と一致するというのは、本来異常なことだが、それが彼女だとわかっているので飛鳥は話を進める。

「それで?キミは自分の鼻が機械に劣らないと確かめたかったのか?それとも晶葉の技術がキミに劣らないのを知りたかったのかい?」

どちらかと言えば後者だろうか、と考える飛鳥だったが。

「んー、強いて言うなら前者?もしかしたらあたしの鼻がおかしくなったんじゃないかって思ってね」

「キミの鼻はもとからおかしいじゃないか。もっとも何をもって普通かそうでないかを定めるかは……なんだって!?」

あの一ノ瀬志希が自身の嗅覚の異常を疑っているという事態に、飛鳥はとっさの反応ができなかった。

そんな飛鳥を楽しげに眺めた後、志希はふとどこか遠くを見るような目になった。

「今朝事務所にきたら、知らない匂いだったんだよ」

知らない匂いがした、ではなく知らない匂いだったというのはつまり。

「事務所そのものの匂いが、知らない匂いになっていたということか?」

飛鳥の解釈に志希は頷きで応える。

「建物の匂いはそこで過ごす人達の生活が積み重なったものだから、昨日今日で変わるものじゃないんだよねー。それこそシュールストレミングみたいな強い臭いで塗りつぶすぐらいしないと」

そんなことをされたら、流石に飛鳥でも気付くだろう。

「うん。だから匂いが増えたんじゃなくて、減ったんじゃないかっていうー。でも昨日今日で建物に染み付いた匂いが消えるわけないし、あたしの鼻が特定の匂いを認識しなくなったのかもって思ったわけ」

でもわざわざ晶葉の機械を使っても、志希の嗅覚に異常は見られなかった。

「あたしの記憶が正しければ、昨日と今日で建物の匂い成分に大した違いはない。でも実際にあたしは嗅いだことのない匂いを感じててー」

すん、と鼻をならして志希は科学者らしくないが志希らしくもある考えを言った。

「まるでずっと事務所にいた誰かが、証拠も匂いも記憶も消し去っていなくなったみたいなんだよねー」

池袋晶葉は八神マキノのもとを訪れていた。

「貴女のデータを?」

「ああ。見せてほしい」

晶葉が要求したのは、マキノが集めているであろう事務所のメンバーに関するデータから自身のデータを見せてもらうこと。

「他人のならともかく、自分のデータを見たいと言ってくる人は珍しいわね。私のデータは日記帳じゃないのだけれど」

「もともと非合法に手に入れた私の情報だろう。なら自分で見るぐらい許可してもらいたいものだが?」

晶葉の言葉にマキノは少し考え、従うことにした。

他の人ならともかく、晶葉など特定のアイドルとは下手に敵対しない方が自分の趣味を続けるにあたって都合がいい。

「まあ、いいわ。それで、どのデータを知りたいの?」

「私がウサちゃんロボ、お月見ウサちゃんロボを作った時のデータを見たい。時期はお月見の頃だ」

「あら、その時期はまだ私はこの事務所にいなかったわよ」

「でもデータはあるんだろう?」

バレている、というよりも信頼されているといった口調にマキノは多少のやり辛さを感じながらも、笑みは崩さずにデバイスを操作する。

「ふふ、もちろん。ちょっと待ってね。……出たわ」

「ふむ。秋夜のお月見会。参加アイドルは古澤頼子、相葉夕美、そして池袋晶葉か。ライブの曲などその他の情報も私の記憶と同じだな。すまないが、ウサちゃんロボについての詳細なデータもあるだろうか」

晶葉はデータを見てもまだ何か納得がいっていないらしい。

「貴女に関するデータとして収集はしているわよ。……はい、これね」

開いたページにはウサちゃんロボの作成理由やスペックについて記されている。

「おい、設計図まで載ってるじゃないか」

「見えるところにデータがあったのよ」

得意げに笑うマキノに呆れながらも「悪用はするなよ」とだけ言って、晶葉はページを目で追う。

だがページの最後まで読み終えても晶葉の疑問は拭えていないらしい。

晶葉の疑問、それが何かマキノは知りたくなった。

「ウサちゃんロボで何か気になることがあるのかしら」

「ああ。さっきウサちゃんロボを見て疑問に思ったんだ。……何故私はウサちゃんロボを作ったのか」

晶葉の言葉に、マキノは開いたままのウサちゃんロボに関するページを指差す。

「何故って。ここに書いてある通り、ライブのバックダンサー役のためでしょう?今では他の機能も追加されてよく皆の手伝いをしているけど」

何を言っているんだ、と呆れるマキノに晶葉は首を振った。

「ああ、目的はそれで合ってる。問題はなぜ『お月見ウサちゃんロボ』なのかということだ」

「どういうこと?」

マキノの疑問に晶葉は言葉を探し、答える。

「何と言えばいいか。ウサちゃんロボのデザインが、私が作ったにしてはアイドルらしすぎるんだ。今の私ならともかく、当時のまだアイドルになったばかりの私に思いつくデザインではない」

言われてみれば、晶葉の作るロボはもっと機械チックな見た目をしている。

「そっちの方がカッコいいからな!」

晶葉の感性についてはノーコメントでマキノは思いつく理由を考える。

「当時の貴女が思いつかないなら、他の誰かから意見を取り入れたんじゃないかしら?」

「それも考えた。だが当時の私が自分のためのロボを作る際に、他の誰かに相談なんてしないはずなんだ。まだ自分で何でもできると思っていた時期だからな」

自分のためのロボについて、デザイン等の相談はしない当時の晶葉が作ったウサちゃんロボ。

しかしそのデザインは当時の晶葉が思いつくものではない。

「ならウサちゃんロボは貴女のためのロボじゃないのでは?他のアイドルだったり、もしくはイベントのために作成したとか」

「頼子のためにしては子供向けなデザインだし、夕美なら花モチーフぐらい入っているはずだ。ウサちゃんロボのデザインが似合うアイドルが、私を含めてあのイベントにはいない」

そういうものだろうか。

少なくとも晶葉がウサちゃんロボを抱えている姿は人気のようだったけれど、とマキノは思ったが今言うことではないと口には出さなかった。

代わりに晶葉が感情を抑える声で呟いた。

「……これは荒唐無稽な話で、こんなこと私が言っていいことかわからない話なんだが」

「もしかしたらあのイベントに、この事務所にはもう一人、誰かがいたのかもしれない。記録にも記憶にも残っていない誰かが。そして」

「その人は私にとって、まだ事務所に入ったばかりの私がロボを作ってあげるくらい大切な人だったかもしれないんだ」

前川みくと多田李衣菜はレッスンルームで新曲の練習をしていた。

だが歌を合わせている最中、李衣菜が急に歌うのをやめてしまった。

「李衣菜チャン。歌うのやめちゃうなんてどうしたにゃ?」

驚いたみくが聞くも、李衣菜の態度ははっきりしない。

「ごめん。でも、なんか」

「もしかしてどこか体調悪い?」

「ううん!そういうのじゃなくて!……ねえ、みくちゃん。この曲ってあたし達のための新曲なんだよね?」

「そうにゃ!みく達のために作られた今日届いたばかりの出来立てホヤホヤの新曲!もう、みく嬉しくて」

新曲が届いた時、「待ってたにゃ!」と喜ぶみくを「新曲の話なんてあったっけ?」と疑問を持ちながらも李衣菜は一緒に喜んでいた。

だから、李衣菜の次の言葉がみくには信じられなかった。

「……これ、本当にあたしが歌っていいのかな」

「何を言ってるにゃ!?」

せっかく届いた新曲が嬉しくないのだろうか。

まさかまたロックじゃないとかよくわからないことを言うつもりなのだろうか。

「そんなんじゃないよ!ただ、なんだろう。この曲、何度聴いてもあたしの曲って感じがしないというか……ロックじゃないっていうか……」

「やっぱりロックの話じゃない!」

「そ、そうだけどそうじゃないんだよ!この曲は本当はあたしじゃなくて、みくちゃんと他の誰かの曲な気がするの!」

「な……!?」

みくは反論しようとして、言葉に詰まった。

だってそれは、みくも曲を貰った時から。

「みくちゃんだって、本当は同じこと思ってるんじゃないの?」

「……っ!」

図星だった。

新曲を聴いて、歌詞を見たときからずっと思っていた違和感。

何かが違うと、心のどこかが必死に叫んでいる感覚。

でも、それは。

「ねえ、みくちゃ」

「休憩終わり。練習するよ李衣菜ちゃん」

「ちょっと!みくちゃ……」

李衣菜の抗議は、みくの横顔を見て止まってしまった。

「李衣菜ちゃんの言う通り、みくも少しおかしいなって思ってる。でも、それでもみく達は立ち止まっちゃダメなの」

新曲を貰った時から、ではなく今朝目覚めた時から、心のどこかが必死に何かを叫んでいる。

でも、それは立ち止まる理由にならない。

「立ち止まらないで、って誰かが言ってる気がするの」

依田芳乃は本日何人目かになる相談を受けていた。

「そっか。ごめんなよしのん。変なこと聞いて」

「よいのでしてー。力になれず申し訳なくー」

今話を聞いていた佐藤心もその一人だ。

「気にすんなって。今度スイーツおごってやるかんな」

「楽しみに待つとしましょう」

心が去った後、一息ついた芳乃に相談の様子を見ていたイヴ・サンタクロースが声をかける。

「今日は相談が多いですねー。それもみんな、同じ内容なんて」

イヴの言う通り、今日はいつもより芳乃に相談にくる人が多く、そして揃って「誰かわからないけれど、大切な人を探してほしい」まとめるとそんな内容の相談ばかりだった。

「わたくしも探し物や探し人なら力になれますが、何を探せばいいかわからなければなんとも。しかしこの依頼の数は尋常ではないのでして」

「不思議ですねー。ブリッツェンは何か心当たりある?」

「ブモ?」

「わからないかー」

急に話を振られたトナカイのブリッツェンも疑問符を浮かべている。

何らかの異常が起きているのは確かだが、はてどうしたものか。

悩む芳乃にまた新しい来客がやってきた。

「芳乃、いるか?」

来たのはプロデューサー、そして彼もまた他の皆と同じような表情をしている。

彼もまた大切な誰かを見失ったのだろうか。

「そなた?どうしましてー?」

「ああ、それがちょっと頼みが」

プロデューサーが悩みを言いかけた瞬間。

「ふぎゃー!ぷ、プロデューサーさーん!!」

別の部屋から、おそらく輿水幸子の叫び声が聞こえてきた。

また何かトラブルが発生したようだ。

ある意味日常とも言える声を聞いて、プロデューサーは「やれやれ」と軽く笑う。

「あー、やっぱ後でいいや。ちょっと行ってくる」

「ではまた後でー」

そしてプロデューサーは声の方へと向かっていった。

彼をとりまく日常は目まぐるしく、少ししたら彼は相談のことも忘れてしまうかもしれない。

彼だけではなく、他の皆も同様に。

「それもまた、悩みを解決する方法でしてー」

芳乃はお茶を一口飲んで、そう呟いた。

今朝から感じる妙な違和感を持て余している自分自身に言い聞かせるように。

何かが足りない。

その日目覚めた時から、誰かがそう感じていた。

もしかしたら地球にいる皆が。

でも何が足りないのか。

地球の誰もが、その疑問に答えることはできなかった。

彼女以外は。

『記憶・記録消去処理は完全に遂行されました。貴女がこの星にいた痕跡は無事に消去されました』

『お疲れ様でした。迎えの船が到着するまでお待ちください』

その日の早朝、安部菜々は自宅のアパートでウサミン式記録消去装置がその役目を正しく遂行したことを確認していた。

「消えちゃった……」

ウサミン星から辺境の惑星『地球』の調査に来ていた安部菜々が、数年ぶりにウサミン星から指令を受けたのはつい先日のこと。

『調査レポートを評価した結果、地球は技術的・資源的にもウサミン星の脅威となる可能性および利用価値は無しと議会は判断。よって調査任務を終了し、帰還されたし』

「こうなることはわかってたんですけどね」

地球と呼ばれるこの星がウサミン星にとって何の価値もないことは、菜々も初めて地球にきた時からわかっていた。

ウサミン星が他の星に求める物、それはすなわち宇宙戦争に役立つ技術と資源。

いまだ星の重力すら任意に操作する能力もない地球人なんて、ウサミン星からすれば塵芥のようなものだ。

資源的にも乏しく、ウサミン星の価値観からするとハズレもハズレ、大ハズレな星だ。

実際、菜々も初めはこんな未開な星への調査に行かされている現状に不満を抱き、はやくこんな任務終わらせようと淡々と仕事をこなしていた。

調査中、あるアイドルのライブを見るまでは。

キラキラのステージ、オシャレな衣装、響く歌声、鳴り止まぬ歓声。

すべてのウサミン星人が知らない、感情の力がそこには溢れていた。

初めて見たアイドルの衝撃はすさまじく、菜々はどうにかあの場に溢れていた力をウサミン星の目的に利用できないかと考える日々を過ごし、考えるうちにウサミン星とは関係なしにただアイドルになりたいと願うようになっていた。

それがどれだけ無意味なことかと理解はしていたのに。

それでも願わずにはいられなかった。

ウサミン式記録消去装置。

星の調査に向かうウサミン星人に配備される、ウサミン星の技術力の結晶である。

調査前にこの装置を起動させておき、調査終了時にボタンを押せば、その星から対象のウサミン星人がいたという記録がすべて消去される。

消去範囲はすさまじく、そこにウサミン星人がいたという証拠となる物品や文章、星に住むすべての生物の記憶がすべてなかったことになる。

抜けた部分の補完などは最小に抑えるため、情報に開いている穴から『何かがいた』という答えに辿り着く者が現れる可能性もゼロではないが、しかしそれだけだ。

ウサミン星へと辿り着くヒントがないのだから、そこから先に進みようがない。

その記録消去装置のボタンを押したが、昨晩のこと。

菜々が地球で過ごした時間は、たった一晩ですべて消えてしまった。

「わかってました。ナナがやってきたことは、波打つ海岸で砂のお城を作っていたようなものだって」

アイドルを知ってからは、調査レポートにアイドルについての記載をして、地球の価値を伝えようと努力はした。

しかし予想通り、ウサミン星には理解してもらえなかったようだ。

全力で挑んだライブの映像も、涙をこらえてレコーディングしたCDも、今ではもう地球には存在しない。

共に歩んだ仲間達、応援してくれたファン、スカウトしてくれた彼の中にも私はもう存在しない。

菜々の手で消してしまった。

「う……あ……」

気を抜くとまた零れそうになる涙を、菜々は必死に止める。

今日の夕方にはウサミン星から迎えの船が来る。

地球人と過度な接触をしない限り行動に制限はないので、残った時間は今までお世話になった場所を見て回ると決めていた。

せめて悔いを残さないように。

自分だけは自分がこの星にいたと忘れないために。

まずは自宅。

部屋を出て、今まで拠点としていたアパートを眺める。

入居当初は知らなかったけれど、どうやらこのアパートは地球人基準からしても古くてボロい場所だったらしい。

ウサミン星人の菜々からすれば地球の住居なんてどれも古くてボロいので大差なかったから、家賃で選んだだけだったのだけれど。

でもここの大家さんは一人暮らしをする菜々に随分と親切にしてくれた。

ペコリ、と頭を下げて菜々は次へ向かった。

次は事務所。

といっても、遠くから眺めるだけ。

本当はもう少しそばに行きたかったけど、誰かの顔を見たらきっとその場で菜々は泣いてしまう。

だから遠くから眺めるだけでいい。

「あ……」

駄目だ。

それでも目が潤んできたので、菜々は少し足早にその場を後にした。

初めてライブをした会場。

会場といっても、ショッピングモールの会場だけど菜々にとっては晴れの舞台だ。

今日はアイドルのライブはやっていないようで、地元特産品のフェアなどをやっている。

何かを買おうかと思って、買ったところで持って帰れないことを思い出してやめた。

今まわりを歩いているお客さんの中にも、あの日菜々のライブを見てくれた人がいるのだろうか。

誰にも気付かれないまま、菜々はまた次の場所へと足を運んだ。

サイン会の会場、テレビ局、撮影に使ったスタジオ。

他にも時間が許すかぎり見て回った。

そして最後に、菜々は始まりの場所にきた。

そこは菜々が一番長く、夢を抱く時間を過ごした場所。

あの人が夢へと踏み出す一歩をくれた場所。

安部菜々のなりたいアイドル像を形作った大切な場所。

かつて働いていたメイドカフェだ。

「よかった。今日は誰もいないみたいですね」

事前に調べた通り、今日は定休日で誰もいない。

ベテランの従業員しか知らない裏技で鍵を開けて、菜々は中に入る。

目に入るのは、メイドカフェ内にあるライブステージ。

思い出されるのは、いつかアイドルになるためとここで歌い続けた日々。

どうせ証拠は消えるのだからと、ウサミン星人の名前を出して続けたアイドル活動。

それが今になってこんなに大切になるなんて。

積み重ねた時間が、願いが叶った瞬間が、心に浮かぶ。

「もっと歌いたかったなあ……」

ぽつり、と零れた想いは。

「もっと踊りたかったし、もっとCDを出して……」

ぽつぽつと、雨音のように連なって。

「もっと綺麗な写真を撮ってもらって、もっとお仕事貰って……」

ついにずっと声には出さずにいた本音を引き出した。

「アイドルやめたくないよぉ……」

「だったらやめるな」

「えっ!?」

菜々は自分の嘆きに反応が返ってくるとは思っておらず、驚きとともに振り返った。

視線の先に立っていたのは、汗だくで怒った顔をしてる男性。

菜々をアイドルにしてくれた男性だった。

「ぷ、プロ……んん!」

思わず呼びかけそうになったのを、すんでのところで止めた。

彼が憶えているはずがない。

だから菜々は初対面の人に話しかけるように対応する。

「ど、どなたですか?今日はこのお店はお休みですけ」

「安部菜々のプロデューサーだ。それともウサミンと言ったほうがいいか」

「え……」

菜々はどっと汗をかくのを感じた。

バレてる。彼は間違いなく思い出している。

安部菜々を、ウサミンを、私を。

今目の前でありえないことが起きている。

まったく予想していない事態に、菜々は焦っていた。

なにより、彼が自分を思い出してくれたことが嬉しくてしょうがないのを抑えられない自分に焦っていた。

……嬉しい。

顔がにやけてしまう。

「おいこら、笑ってないで説明しろ。いったいどういうことなんだ。なんで皆が菜々のこと忘れてたんだ」

しかし反対に怒っているらしいプロデューサーの声で、菜々はそれどころじゃないと気付く。

「そ、そうですよ!なんで菜々のこと思い出してるんですか!?ウサミン式記録消去装置で地球上の生物の記憶を含めて、この世から菜々が地球にいた痕跡は消えたはずなのに!」

「ウサミン星の兵器えげつないな!?」

ウサミン星の技術力にドン引きするプロデューサー。

しかし「なるほど、そういうことか」と何かに納得した様子を見せた後に、怒り顔を一転、笑みに変えた。

「思い出させてくれた子がいたんだよ」

それは未開な地球人がウサミン星の技術力に一矢報いた勝利の笑みだった。

遡ること数時間。

朝から抱いていた違和感について芳乃について相談しようとしたプロデューサーが、幸子の叫び声を聞いて休憩室に向かった時のこと。

休憩室では異常事態が起きていた。

ガタガタと窓は揺れて、いたるところからパキパキとラップ音がしていて、机や椅子がふわふわと浮いている。

物音に気付いて集まっていた他のアイドル達も、一様にぽかんと口を開けて宙に浮いた机などを眺めていた。

「えぇー……」

明らかな心霊現象、もはやプロデューサーの手に負える事態ではない。

「あ、プロデューサーさん!やっと来たんですか!遅いですよ!あの子が暴れてるみたいなんです!はやくなんとかしてください!」

「無茶言うな!」

叫ぶ幸子に反論する。

「こんなのどうしろっていうんだ。こういうのは小梅に頼むやつだろ!」

「小梅さんは今日オフなんですよ!」

「じゃあ芳乃呼んでくるから!」

そう言って部屋を出ようとしたら「待って……」と聞いたことがない少女の声がした。

「…………」

部屋にいる全員がお互いの顔を見る。

そして互いに自分ではない、とジェスチャーした後で、またしても同じ声がした。

「ウサミンは……どこ……?」

「ウサミン?」

なんだろうそれは。

「ウサミン?」「ウサ、ミン?」「ウサミーン?」

他の皆も口々に「ウサミン」と呟く。

ウサミン。ウサミン。ウサミン。

何だろう、何かが引っかかる。

誰かの名前、だった気がする。

いや、こんな名前あるだろうか。

「ウサミン」

とても子供っぽい響きだ。

でもきっと中身は大人なんだと思う。

まわりを気遣うことができるような優しさがあって。

自分が不安な時でもきっと笑顔で。

少し無理しようとするから、俺はそれが心配で。

でもそんな彼女が大切で。

ふと、今朝見た夢が脳裏をよぎる。

『さようなら』

泣きながら別れを告げる彼女は。

「……菜々だ!」

なんてことだ。

あんな強烈なアイドルを忘れていたなんて。

俺が思い出したのと同様に、他の皆も思い出したらしい。

「菜々ちゃん」「ウサミン」「菜々チャン」

皆が菜々の事を呼ぶ。

どうして忘れていたのかはわからない。

けれどどうすればいいかはわかっていた。

夢の中、菜々は別れを告げていた。

だったら。

「菜々を探すぞ」

その場の全員が頷いた。

そして今、無事に菜々を見つけたプロデューサーは語る。

「それから皆で手分けして探してたんだ。芳乃に場所を聞いたら移動中みたいだったから、とりあえず菜々が行きそうな場所を手当たりしだいにな」

「そんな……」

ウサミン星の技術力がたった一人の幽霊によって破られた。

その事実は菜々にかなりの衝撃を与えていた。

「あらゆる生物の記憶から消えてこの世から痕跡を失くす、だっけ?すごい技術だけど、あの世の幽霊は盲点だったみたいだな」

プロデューサーが笑っているが、菜々は動揺を隠せない。

盲点、まさにその通りだ。

ウサミン星人は基本的に寿命はなく、死亡事故がない限り永遠を生きるので死ぬことがない。

そして星の技術発展のみを考えて生きるウサミン星人は、半ばで死んだところで未練を残すような強い感情を持ち合わせていない。

菜々が今のように感情を持つようになったのだって、地球にきてからだ。

さらに言えば、今まで調査してきた星にも幽霊なんてものはいなかった。

感情を持て余すほどに発散して生きる地球人が稀なのだ。

だから、ウサミン星には幽霊という概念が存在しない。

認識しようにも理解から不可能、幽霊とはまさしくウサミン星人にとって盲点と呼べる存在だった。

「それで、どうだ?」

プロデューサーが真面目な顔になる。

「どうだ、って?」

「地球人の記憶を消すのに失敗したウサミン星人は、このまま帰れるのか?」

「……っ!?」

それこそがプロデューサーにとって、菜々を知るすべての者にとって大事なことだった。

皆の記憶を消したのが菜々が地球から去るためならば、記憶消去に失敗した今なら菜々は地球に帰らないかもしれない。

そんなプロデューサーの期待を、菜々は悲しげに否定する。

「たぶん変わりません。たとえこのまま菜々がウサミン星に戻ったところで、菜々を覚えているのは事務所の皆だけ。仮に事務所がウサミン星について言いふらしたところで、ただの悪ふざけと思われるだけですから」

記録消去装置が破られたのは初めてなのでウサミン星がどう判断するかはわからないが、しかし帰還命令が撤回されることはないだろう。

もともとウサミン星人が痕跡を消すのは、ウサミン星人の存在がその星の技術や文化に影響を与えることを抑えるためだ。

今回のようにたった一つのアイドル事務所が菜々のことを覚えていた程度では、地球の文化に大した影響はない。

それこそ、不特定多数が菜々のことを思い出すようでないと帰還命令が取り消されることはないだろう。

「でも、皆がナナのことを思い出してくれて本当に嬉しいです」

大切な人達が自分のことを覚えていてくれる。

それだけで、そんな奇跡だけで、菜々はこれまでの時間が報われる思いだった。

これで心置きなくウサミン星に帰ることができる。

「今までありがとうございました」

だからこそ、菜々は心からの感謝を言葉にして伝えた。

きっかけを与えてくれたプロデューサーに、最大の感謝を込めて。

伝えたのだが。

「あ、ごめん。なんだって?」

「なんでこんな時にスマホ弄ってるんですかー!?」

プロデューサーはスマホを操作するのに夢中だった。

「信じられない。今すっごい感動的なシーンだったのに」

「シーンって。菜々もずいぶんアイドルに染まってるよな」

呆れて笑いながらも、プロデューサーはスマホの操作をやめない。

「悪いな。今ちょっと、菜々を探してる皆に見つけたことを知らせてたんだ」

「あ……」

そうだ、さっきプロデューサーは皆で手分けして探していたと言っていた。

ならこれから事務所の皆もここに来るのだろうか。

ウサミン星から迎えがくるまでまだ時間はある。

最後に皆にも別れを告げるべきだろう。

別れ、という単語にまた涙が出そうになり、しかし笑顔でいようと心に決めて皆の到着を待った。

程なくして、店の外から声が聞こえてくる。

しかし入ってきた人達を見て、菜々は「えっ?」と声が漏れた。

「菜々チャン!やっと見つけたにゃ!」

「菜々パイセン!探したぞ」

それは事務所のアイドル達。

だけではなかった。

「あ、菜々ちゃん!ほんとに店にいたんだ!」

「菜々ちゃんのステージだ!」

「ウサミーン!」

「菜々ちゃんのライブ楽しみ!」

それはアイドルの安部菜々を応援してくれたファン達。

こんなにこの店に人が入ったことがあっただろうか、というぐらいたくさんの人が次々とメイドカフェに入ってくる。

それもどうやら全員が菜々を目当てに来ているらしい。

「あ、あの!プロデューサーさん!?この人達はいったい!?」

問い詰めると、プロデューサーはすました顔でスマホの画面を見せてきた。

「言っただろ。皆で探したって」

スマホの画面には「ウサミンを探せ!ゲリラライブ開催!」の文字が表示されていた。

「俺達だけじゃ探せるか不安だったからな。ファンの皆にも探してもらうことにしたんだ。こうして『ウサミン』のことを伝えればファンも菜々のこと思い出すんじゃないかと思ったんだが、上手くいったみたいだな」

悪戯が成功した子供みたいに笑うプロデューサーに、菜々は驚くことしかできない。

「あ、ありえないですよ……!」

ありえない。

こんな簡単に記憶が戻るはずがない。

本来、幽霊という特殊な事情があったにせよ、『ウサミン』という単語を聞かされただけで記憶が戻るはずがないのだ。

一度消えた記憶はそんな簡単に戻るものではない。

同じ時間を過ごし苦楽を共にした事務所の皆が菜々のことを思い出したのだって、ドラマのような奇跡なのだ。

でも彼らは違う。

ファンの皆が安部菜々とした会話なんて握手会の数秒程度で、あちらは菜々のことを知っていても菜々は彼らの名前すら知らないのだ。

親密な関係とは、とても言えない。

「なのに、なんでナナのことを思い出せてるんですか……!?」

菜々の言葉にプロデューサーは「わからないのか?」とまるで子供に常識を教える大人のように菜々の疑問に答えた。

「菜々がアイドルだからだよ」

気分がいい時は安部菜々の曲を流す人がいた。

辛いことがあった時に安部菜々の姿を見て、また立ち上がれた人がいた。

毎週テレビで安部菜々のコーナーを見るのを楽しみにしている人がいた。

安部菜々のライブを見たのをきっかけにアイドルに憧れた人がいた。

「今ここにいる人達は大なり小なり、アイドル安部菜々の影響で人生が変わった人達だ」

「ファンにとってアイドルは人生の一部だからな。それをなかったことになんてできないさ」

きっかけさえあれば、もしかしたら無くても、彼らならすぐに菜々のことを思い出しただろう。

プロデューサーの言葉が、菜々には信じられなかった。

しかし目の前で菜々の名前を呼ぶ人達の存在が、それを真実だと告げている。

「……プロデューサーさん。アイドルってすごいんですね」

「なんだ、知らなかったのか?」

「はい。ウサミン星人にはまだまだ知らなくちゃいけないことが、いっぱいあるみたいです」

「そうか。だったら調査しないとな」

プロデューサーは笑った。

「そうですね」

菜々も笑った。

その日誰もが見たかったものがそこにはあった。

『ウサミン星より通信』

『昨日送られたレポートを確認』

『ウサミン式記録消去装置が通用しない星が存在したことを議会は重く受け止めている』

『また、再度記録消去処理を施しても無意味であることも理解。もはや地球の文化からウサミン星人の存在を抹消することは不可能と判断』

『議会は地球の特異性を認識し、評価を変更せざるを得なくなった』

『帰還命令は撤回。引き続き地球の調査任務を継続されたし』

『……』

『なおレポートと一緒に送られた「ゲリラライブ」の映像はウサミン星において多くの支持を得ている』

『他の映像も送られたし』

『……』

『応援している』

『通信終了』

夢を見た。

一人の少女の夢だ。

夢は今も続いている。

地球と共に。

おしまい!

やっぱりアイドルそれ自体をテーマにするのに
菜々さんは抜きん出てるな…

乙乙
こころが潤った

一生涯アイドルできるとか最高か
おつおつ

最後の応援しているでうるっときた
おつ


議会幹部A「乃々 いいよね」
幹部B「いい」

乙、涙腺刺激されっぱなしだった


うるうるしっぱなしだった

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