曜「梨子ちゃん、怒るわけないよ」 (165)

過去ss:甘くてとろける百合バス、魔王♀「食べちゃうぞー」


梨子「曜ちゃん、怒らないで聞いてね」の続き
ようりこがただただめんどくさいだけの続編です
思いつきのまま進みます


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「よ、う、ちゃ、ん、が――」

私は、海水で重くなった砂に描いた文字を読み上げる。
と、やや大きな波が近づいてきたことに気付かず、

「あ、梨子ちゃん!」

「え?」

足元から膝くらいまで、思いっきり潮水を浴びた。

「きゃあ?!」

「大丈夫!?」

「……」

靴の中が、びしょびしょだ。
しかも、先ほど砂に書いた告白用のカンペも綺麗に洗い流されてしまった。

「た、大変、ちょっと待ってタオル貸すから!」

ついてない。
曜ちゃんが自分のタオルを私に差し出した。
汗の匂い。曜ちゃんの匂いに自然と呼吸が浅くなった。

「えっと、それで梨子ちゃん何て?」

「いいの……日が悪かったみたい」

海のばかやろう。

きたか

タオルで軽く足を拭いて、曜ちゃんに返す。

「また、今度言うから」

「分かった」

曜ちゃんが申し訳なさそうに受け取った。
勢いがないと、やっぱり告白は難しい。

「梨子ちゃん、気遣ってくれようとしたんでしょ」

曜ちゃんが言った。
全く、そんなつもりはなかった。
むしろ、曜ちゃんの傷に塩を塗るくらいのことをしようとしていたんだけど。
私が返答できない内に、曜ちゃんは自己解決してしまう。

「ありがと」

「や、その」

プルルル――。
着信が鳴った。

「あ」

曜ちゃんのカバンの中からだった。

「……うそ」

曜ちゃんがスマホを取り出して固まっている。

「どうしたの?」

「パパからだ。で、出ていい?」

「いいに決まってる」

確か、夏休みとか年に数回しか帰れないって言ってたんだっけ。
電話に出た曜ちゃんの声は、1トーン上がっていた。
家族との会話は、人を少し幼く見せる。
千歌ちゃんもそうだった。曜ちゃんも例外ではなかった。
というより、一層甘えん坊に見える。
そんな一面を見れたことは心なしか嬉しい。

数分後、しかし、表情は一変した。
電話を終え、

「……同級生のお葬式だって」

と呟いた。

「そう……」

曜ちゃんは、まるで自分の事のように辛い表情でスマホをしまう。
明日、曜ちゃんの家で弔いの同窓会を開くのだと、軽く説明してくれた。
同級生、友だちの死。
まだ、私には馴染みのないワード。


『曜さーん、梨子さーん!』

一年生の声が聞こえた。

『そろそろ、帰りましょー!』

私達は振り向いた。
手を振っている。

「梨子ちゃん、そのまま帰るのはマズいし、いったん家来なよ」

私は自分の姿を見下ろした。
断る理由がなかったので、お願いします、と頭を下げた。

ここまで。また明日。

期待

眠すぎるのでまた明日

休むだけだよほんのちょっとね
眠すぎるならしかたない

物置から出てきた曜ちゃんの姿を見れば、何があったのかおおよそ察してしまってそうだけど、
デリケートなことだし、本人が言わないことを聞けないしね。本人もだけど、周囲も大変そう

善子ちゃんらと別れ、妖怪のような音を立てて私は曜ちゃんの隣を歩いていた。

「なんかさ、おもらししたみたい」

と、曜ちゃん。

「サイッテー……」

小学生か。
濡れた足を曜ちゃんのふくらはぎにすり寄せる。

「つめたっ、ちょ、やめてよっ」

逃げる曜ちゃんの後を追いかける。

「道連れよ」

「よ、妖怪おもらし梨子ちゃん……が追いかけて来るッ」

さらに聞き捨てならないことを言いながら、曜ちゃんは歩道を蛇行して私から逃げていく。

「ふふふふふ……」

「ひえ」

怯える曜ちゃんに加虐心がそそられてしまうのだけど、彼女は全く気付いていない。
結局、曜ちゃんの家まで10分くらい走って帰ってしまった。

「つ、疲れたわ」

「大丈夫?」

ほとんど平常運転な呼吸の曜ちゃんが憎らしい。



玄関でちょっと待たされて、足元にタオルを敷かれた。

「はい、ここに上がって。靴下脱いで」

「ごめんね、ありがとう」

と、片足で立とうとしたらふらついた。とっさに曜ちゃんの肩を掴む。
重心は定まらず、

「あ」

そのまま、視界が斜めに傾いて、曜ちゃんを押すようにして、

「わああ!?」

「きゃあ?!」

二人で床に倒れた。

「もお、何やってるのさ、あははは!! さっきから、梨子ちゃん、大丈夫っ……あはは!! 病み上がりで走ったりするからっ……ぷはは!!」

下敷きになった曜ちゃんが大笑いする。
私は曜ちゃんから体を離しながら、口を尖らせた。

「そんなに笑うことないじゃない!」

「だって、今日、梨子ちゃん、ついてなさすぎじゃん! あははは!!!」

それは、思った。

「もー、やだー! 曜ちゃんのせいだからね!」

「なんでさっ!」

「曜ちゃんが、めんどくさいから悪いのよっ!」

「ええっ、どういう意味っ?!」

思いっきり笑われたせいか、私はどこか吹っ切れたように言い放つ。

「うじうじうじうじして、その癖何にも言ってくれないから、私、最近睡眠不足なのよ!」

「そ、それと、梨子ちゃんの睡眠とどう関係が……ッ」

「察して」

「無理だよ!」

「……もう!」

私が睨むと、曜ちゃんの眉毛が下がった。

「あなたたち、玄関先で何遊んでるの?」

「「あ」」

曜ちゃんのお母さんが、洗濯物を運びながら私達を見下ろしていた。

曜ちゃんのお母さんにお風呂に入るよう勧められ、曜ちゃんのTシャツとジーンズを貸してもらった。
洗面所の前で髪を一つにまとめていると、なぜかそっとこちらを覗いていたおばさんが、

「いいわね。髪の長い子って。女の子って感じで」

「あ、あの」

「うちの子、お父さんのせいで男っぽい格好ばかりするのよ。髪も伸ばさないし」

「すごく似合ってますよ」

鏡越しに微笑む。

「そうなのよねえ」

ため息。

「あ、でも、曜ちゃんはすごく女の子ですよ」

「え、何々何かエピソードあるの?」

「ちょっと二人とも!」

曜ちゃんが慌てて会話を止めに来た。

「私のいない所で何してるのさ!」

「まあ、怖い」

おばさんがパタパタとキッチンの方へ避難していく。

「全く、もう。梨子ちゃん、何も言ってないよね?」

「言ってない、言ってない」

「お、梨子ちゃんってそういう格好もいいね」

「そうでもあるかな」

曜ちゃんに褒められると、余計に嬉しい。
つい、鼻が高くなる。

「服ね、今、洗ってるから」

と、親指で洗濯機を指す。
自分の服を洗ってもらうのは、ちょっと気恥ずかしい。

「それまで、くつろいでって」

「うん」

リビングのソファーに二人で腰掛ける。
おばさんが紅茶を淹れてくれて、頂きものらしいクッキーを並べてくれた。
夕方のニュースを時代劇に切り替えて、紅茶をすすった。

「梨子ちゃんから、家のシャンプーの匂いがする」

曜ちゃんが私の髪に鼻を近づける。

「それは、そうでしょうね」

近い、近い。

「いい匂い」

「それは、つまり、曜ちゃんもいい匂いってことね?」

「ん? ああ、確かに」

「でも、曜ちゃんの匂い私好きよ」

「私の匂いって、汗臭いと思うんだけど」

「全然、曜ちゃん汗の匂いしないし……というか、お花みたいな匂いだし……うん」

曜ちゃんが訝しげにこちらを見やる。

「梨子ちゃん、変態?」

身を守るように、自分の体を抱きしめる。

「ち、違います」

「変態でもさ、梨子ちゃんみたいな美人はね、許されちゃうんだよ。ずるいよねえ。私もし男の子だったら、変態でも梨子ちゃんに告白してたね」

「一言余計よ」

おもらしとか変態とか言いたい放題言ってくれちゃって。ちょっと傷つくんだから。
曜ちゃんの口にクッキーを押し込んだ。

「んぐっ」

テレビの方では、主人公のお侍さんが敵の忍者をバッタバッタと切り倒していた。
私も、今、曜ちゃんを切り倒してしまいたい気分だった。
なにより、余計な一言を反芻する。
男の子だったらって、なんなのよ。

「私は、美人だけど、好きになるのに性別は関係ないと思う」

「あ、そこは否定しない」

「せっかく褒められてるんだもん」

「梨子ちゃんって、カッコいいよね」

「もっと言ってくれていいよ」

曜ちゃんが言ってくれると、ちょっとした優越感で心地よい。

お醤油の煮だった匂いがした。

「ねえ、梨子ちゃんは、お夕飯食べて行くの?」

キッチンからおばさんが言った。
曜ちゃんと顔を見合わせる。

「梨子ちゃんがいいなら」

曜ちゃんがにこっと笑う。

「そうね……」

私こそ、曜ちゃんがいいなら。

「でも、明日お父さん帰ってくるんでしょ? 色々準備とかあるんじゃ」

「大丈夫、大丈夫! お帰りー! って言って、ギューっと抱きしめておしまいだから」

曜ちゃんのことだから、もっと甘えてそうな気もする。
それより、曜ちゃんのお父さん、羨ましい。
帰って来る度、曜ちゃんの愛らしい笑顔で抱き着かれるんだろうから。
私、次生まれてくるなら、曜ちゃんのお父さんでもいいかも。いや、よくないかな。

「じゃあ、よろしくお願いします」

「わーい」

キッチンからもわーいと聞こえた。
二人が可愛くて、口元が緩んだ。

「ところで、梨子ちゃん、お刺身食べれる? お隣の奥さんに頂いちゃったんだけど」

「私は、大丈夫です。好きですよ」

「え、じゃあ、私今晩何食べるの?」

曜ちゃんが首を傾げる。

「ふふっ」

おばさんが鼻で笑っていた。

私も家に連絡した。
夕飯ができるまで、曜ちゃんの部屋でアルバムを見させてもらうことになった。

「これが、小学生の時だねえ」

曜ちゃんと千歌ちゃんが水着で写っていた。

「二人とも可愛い。あ、この千歌ちゃん歯が抜けてる……」

「間抜けな顔してるよね。でも、全力で笑顔なのが、また……」

アルバムを一枚めくると、全裸姿の幼稚園児くらいの時の曜ちゃんがたくさん出て来た。
家の庭に置いた簡易プールでアヒルのおもちゃを持って突っ立っている写真や、お尻を向けている写真などなど。

「わ、わ、わっ」

手ですぐに隠された。

「見・せ・て」

曜ちゃんの腕を無理やり引っ張る。

「だ・め」

拮抗していたけど、私の体力が限界だった。
しょうがないので、曜ちゃんの脇腹に手をいれる。

「見せてくれてもいいじゃない」

曜ちゃんの体が捻じれて、手が写真から離れた。

「やっ……やめっ……あははっ」

私の手から逃れるために、転がって移動していく。
やり返そうと、かまえるのだけど、何かに気が付いて手を降ろした。

「反撃しないの?」

「だって、梨子ちゃん怪我してるじゃん」

「見ちゃうよ?」

「好きにしてください」

一緒に見るのは恥ずかしいのか、背を向けていた。

一通り見終わった頃に、夕飯も出来上がって、準備を手伝った。
曜ちゃんに用意されていたのはハンバーグで、明らかに嬉しそうな顔は写真に納めてもいいくらいだった。
お刺身も美味しくて、頬が落ちそうになるくらい。
そこには、普通の食卓が広がっていた。

それは、恐らく意図的なことだったと思う。
私がいるから、明るく振舞っていたというのは多少あったはずで。
夕飯後に、曜ちゃんがお手洗いで席を外した時、

「今日は、あの子自然に笑ってた。ありがとう」

と、言ってくれた。

前まで、私の中で、曜ちゃんは追いかける存在だった。
掴みどころのない、海原のような人だった。
その笑顔が欲しくて、たまらなかった。
私に触れて欲しくて、私の事を考えて欲しくて。
私の事を好きになって欲しかったし、千歌ちゃんの事ばかりになるのも嫌だった。
止めどなく溢れる欲望があった。
今は、どうだろう。
事件のせいもある。
関わったことで、曜ちゃんに寄せていた気持ちが、以前とは異なってきていて、それをはっきりと感じ取れるようになっていた。
壊してしまわないように、悲しませないように、笑わせてあげたくなる。
私は、曜ちゃんの支えになりたい。
強がってばかりのあの子の本音を聞いてしまったあの時から、それはきっと芽生えていたように思う。

「泊まっていきなよ」

と、曜ちゃんが提案した頃には、最後のバスがぎりぎり間に合うくらいの時刻だった。
時計を見て、私は首を振った。

「ううん、泊まりたいけど、今日は止めておく」

「そう?」

曜ちゃんは引き止めはしなかった。

「明日の宿題、家に置きっぱなしだしね」

「だよね、残念」

「服、ありがとう。夕飯も、毎日でも食べたいくらいですって、言っておいてくれる?」

「喜ぶよ」

曜ちゃんは、じゃあ、送って行くね、と言ってバス停まで着いてきてくれた。
バスに乗り込んで、姿が見えなくなるまで、曜ちゃんはずっと手を振っていた。
どんな気持ちだったんだろう。

好きな人を振った女と一緒にいるって。
自分のせいで怪我をした人間と一緒にいるって。
それが、大切な友人だとして。

曜ちゃん。
ねえ。
どんな気持ちで、泊まっていきなよ、なんて言ったの?
私にはできない。
それだけ、私に執着がないってこと?
それとも自分の心にたくさん傷を刻んでいた?

音楽プレーヤーを取り出して、イヤホンを耳に挿した。
先ほどまでの賑やかな食卓を思い出すと、一人で聞くには、少し寂しい。
誰か、側にいて一緒に聞いて欲しくなる。
曜ちゃんも、そんな気持ちだったのかな。
それが、私だとしても――?

ここまで。
続きは夜か、また明日。

いいですわ~

あくあく

ごめん
今日も無理なので明日また

家の近くのバス停へ降りた頃には、夜空に星がはっきりと輝いていた。
肌寒い夜風に二の腕をさする。

「あれ……」

桟橋の所に、人影。

「千歌ちゃん?」

月明かりにうっすらと寝間着姿の少女の姿が照らし出されている。
あんな所で何をしているんだろう。
不思議に思い、声をかけようとした所で、千歌ちゃんは走り出した。
海の方に向かって。

「え……え、うそ」

私は、まさかと思いつつも、急いで千歌ちゃんを追いかけた。
前にもこんな事があったような。
混乱する頭で、もう一度千歌ちゃんの名前を呼んだ。

「千歌ちゃん!!!!」

一瞬だけ振り返ったような気がした。
それも、本当に一瞬で、彼女はすぐに真っ暗な海の中に飛び込んでいった。

桟橋のギリギリまで来て、海の中に沈んだ千歌ちゃんを探す。

「千歌ちゃん!?」

千歌ちゃんの飛び込んだ所に波紋が広がっていた。
彼女は、落ち込んだりすると、海の中に潜る癖がある。
前に、ラブライブの得票数が0だった時もそうだった。
だから、今回もそうなんだ。
何がそうさせた?
誰がそうさせた?

私だ。

「ごめ……」

謝罪の言葉は途切れてしまう。

「千歌ちゃん……」

右手を揺らぐ海面に伸ばした。
海中から、見えているんだろうか。
このまま、落ちて、服のまま泳げる自信はあまりない。
それでも、このまま待っても、窓越しに二人で指先を触れ合わせた時のようにはいかない。

千歌ちゃんは謝って欲しいのかな。
違うよね。
辛い気持ちに、整理がついてないんだよね。
分かるよ。
私には同情する資格なんてないけど。
千歌ちゃんのために、何かしてあげることはできないけど。
一人、辛さを抑え込むあなたは、本当にすごい。

「千歌ちゃんは、すごい……」

海に語る。

「好きだって認めることもすごいし、それをちゃんと言葉にして伝えることができるのもすごいし……羨ましいよ。でも、そうやって、抱え込んでね、私に何も言ってくれなくなるのは……いやだな。私の事、曜ちゃんの事、周りの事、傷つけないようにって思って、何も言わなくなっちゃうところは……嫌いよ。千歌ちゃん、私に嫌われたいの?」

そう言えば、千歌ちゃんが潜ってからもう1分以上は経っているのでは。

「ちゃんと、言って。自分のこと押し込めないで……千歌ちゃん」

さすがに焦ってきて、こうなったらと、足先から海に入ろうとした瞬間、

水面に水泡が浮かんで来た。

「ぷはっ!」

「千歌ちゃん!」

潮吹きするクジラみたいに飛び上がって来た千歌ちゃんが盛大に息を吸い込んだ。

「あれ、やっぱり梨子ちゃんだ」

千歌ちゃんが目を細める。
額に張り付いた髪をかき上げた。

「また、服のまま飛び込んで……怒られても知らないからね」

「今日も海が綺麗! と思ったらつい」

「つい、でそんな事するの千歌ちゃんくらいよ」

「そうなの?」

照れくさそうに、下を向く。

「ほら、上がって。家に帰ろう?」

腕を伸ばす。

「もお、梨子ちゃんには面目ないというか、変な所ばっかり見られちゃうなあ~」

「そうね」

「まいっちゃうよぉ」

「それはお互い様だと思う。私も、一回飛び込もうとして、道連れにしちゃったし」

「そう言えば、そんなこともあったっけ」

数回頷く。
千歌ちゃんは、なかなか手を掴んでくれない。

「それから、転校して、家が隣同士になってかなり驚いちゃった」

「うんうん! 音ノ木坂から来たってだけでも、なんだってー!? ってなったのにね!」

両手を広げ、大げさに驚く。
千歌ちゃんの両手から、雫が落ちていく。

「梨子ちゃんはさ大人っぽいと思ってたら、意外とあわてん坊で時々奇想天外でビックリする事、しちゃうんだよね」

「……千歌ちゃんはね、純粋で真っ直ぐ。見たまんま。先の事なんて考えずに閃いたらぐいぐい飛び込んじゃう」

海の中で、私の言葉は届いていたのかな。

「千歌ね、似てるなって思った。梨子ちゃんが前に病院で言ってくれた気持ち、すっごくよく分かったんだ! 私も、一緒に頑張れる人だって思ったし、探していた誰かに出会えたって思えたんだよ!」

やや興奮気味に、千歌ちゃんは言った。

「ありがとう……」

私は小さく微笑んだ。

「それから、曜ちゃんは、背中を押すのが上手。色々器用にこなせて周りとすぐに馴染んじゃう……でも、八方美人な所もあるの。何でもできて誰にでも優しいなんて、ずるいよね。でも、私、ずっと曜ちゃんみたいになりたいって思ってて。曜ちゃんみたいに、何かに打ち込んで夢中に目標を追いかけたい。でも、私には難しかった。好奇心も人並みだし、勉強もそんなにだし、自慢できること何にもないし……」

「そんなことない」

彼女は首を振った。

「そんなことあるの。それでね、ずっと曜ちゃんに申し訳ないなって思ってた。曜ちゃんが部活やイベントに誘ってくれても、私、自分の気持ちが分からなくて断ってばかりで。そのうち、千歌ね、曜ちゃんに嫌われるだろうなって思ってたし、実際、曜ちゃんはきっと呆れてたと思う。普通は嫌だって文句ばーっかり言ってるくせに、何にも自分からしようとしなかったから」

千歌ちゃんからこんな風に曜ちゃんのことを語るのを聞いたのは、これが初めてだった。
私は一言も聞き漏らさない様に、千歌ちゃんを見た。

「曜ちゃんの側にいると、自分が惨めになった時もあった。お母さんもお姉ちゃんも友達も、気が付けば曜ちゃんと私を比較してて、みんな悪気はないんだろうけど、それがずっとずっと小さい頃から続いてた……そうなると、今度はね、私自身が曜ちゃんといるのが辛くなった」

千歌ちゃんは右手で自分の胸の真ん中辺りを掴んだ。
濡れた服を力いっぱい握りこんでいた。
しわの寄った服が、彼女の切なさを表しているようだった。

「曜ちゃんと友だちで誇らしい自分と、情けない自分がいて……今もね、よく分かんない」

「そう……」

強い感情が、身動きを取りづらくさせる。

「私が梨子ちゃんに付き合おうって言った時、梨子ちゃんが言ってたよね。私の事を見てくれてる人がいるって。曜ちゃんの事だって、すぐに分かってたんだけどね、ごめんね、私は梨子ちゃんが思ってるような純粋な子じゃないよ。曜ちゃんを引き合いに出されて、正直、あの時、辛かった」

そんな風に、思っていたなんて。
私は、けれど、かける言葉が浮かばない。

「それもあって、無理やり梨子ちゃんに一ヶ月だけでって頼んで……最低だね」

「ううん、私だって……答えられない気持ちに、ただ自分が傷づきたくなくて、いいよって言ってしまったもの」

勝ち負けの話じゃないし、頭ではそういうことじゃないと分かっていても、梨子ちゃんが曜ちゃんを
好きというのは、千歌ちゃんにとっては辛いことかもね。親友だけど、幼い頃からコンプレックスを
抱いていた相手なわけだし。頭で分かっていても、心は簡単に割り切れない

「……うん、付き合って、浮かない顔をする梨子ちゃんを見てたらなんとなく分かってたよ。最初は、やっぱり、女の子だからダメなのかなって思った……でも、梨子ちゃんはそうじゃないって言うし……それで、曜ちゃんのこと妙に気にするし……ただ、はっきり分かったのはあの時だったけど……私、最低だ……これなら、普通で良かった。最初っから、欲張らずに、普通で良かったんだ……」

さらに、強く胸の辺りを握りしめた。

「あー……曜ちゃんめ、ずるいぞー!!!! こんちくしょー!!!!」

満天に愚痴をとどろかす。

「梨子ちゃんに選ばれて、うらやましーよー!!!!」

「や、やだ……千歌ちゃん」

「でも、でも、でも、でも! それでも……」

と、深呼吸。

「あのね、やっぱり、梨子ちゃんが好き、好きだよ! 私、まだ好きでいていいかなぁ?」

これは、二度目の告白。
救われたいがための、我がままだ。

私の耳から入り込んだ無数の感情が、体中を揺さぶっていた。
どうして、この子の言葉は、いつもこんなに一生懸命なんだろう。
一言一言が、まるで生きているみたいで。
おかしい話だけど、やっぱり、私は、千歌ちゃんに引き寄せられてしまうのだ。
言葉一つ間違えれば、すぐにでも崩れてしまいそうなのに。
でも、離れたくない。それだけは確かだった。
そうして、私も千歌ちゃんも、どちらとも言ってくれない、誰かに、苦しくなっている。

「それは……千歌ちゃんの自由よ」

私は言った。

「梨子ちゃん、ありがとう」

漸く、千歌ちゃんは私の手を掴んでくれた。
こんなに、長く海水に浸かって。
また、風邪を引いてしまうんじゃないの。
ふやけた彼女を抱き寄せる。

これが千歌ちゃんじゃなければ、私は、当の昔に逃げ去っていた。
千歌ちゃんの輝き。それは、勇気。
小さな体から放たれる勇気が、私を奮い立たせるの。
行動を起こさせるの。

だから、私は二人の少女を離したくない。
誰かに罵られようとも。
私が、離したくないの。

いったんここまで
数時間後にまた

>>30
習慣化した感情は改善するのが難しいですよね

次から、曜ちゃん視点です

ただいまー。
階下で聞こえてきたパパの声に、眺めていたアルバムを閉じて、私は飛び上がった。

「おかえりー!」

階段を駆け下りる。

「こらー、静かに降りなさい」

まだ、姿の見えないパパに怒られた。

「はーい」

今度は音を立てないように素早く降りた。
トランクを床に置いて、両手を広げるパパが視界に飛び込んでくる。
私は、思いっきりジャンプして飛びついた。

「おおっ!? ちょっと重たくなったな」

私を抱きあげながら、パパが言った。
相変わらず凄い力持ち。

「それ、年頃の子に言う言葉じゃないよ!」

「すまんすまん! あれ、ママは?」

「ゴミ出しだよ」

しばらく抱き着いていたけど、さすがに疲れたのか下ろされた。
パパのトランクを持ち上げる。

「スーツ、リビングにかけてあるよ。これ、持って行っておくから着替えなよ」

「ああ、曜」

「何?」

「少し、大人っぽくなったな」

私は立ち止まる。

「そうかな」

「前回は、ラブライブの話しとか、聞いて聞いてー! ってうるさかっただろ」

「えー、そうだっけ」

「そうだった、そうだった。しかも、制服の話を延々と地獄のようにされてさ」

「地獄~?」

「おっと」

「いいから、時間ないんだから、早く着替えなよ!」

「はいはい」

話したいことはたくさんある。
全部聞いて欲しい。
ただ、今日はきっとパパの方がそんな気持ちを抱いているような気がするから。
私はいつもより大人しくいたいと思う。

「お、今日の朝ごはん、いつもより豪華だな……もぐもぐ」

戻ってくると、つまみ食いしているのを発見。

「私が作ったんだよ。もお、行儀悪い」

「おお腕を上げたな」

「でしょでしょ~」

サバの味噌煮を突きながら、ミニトマトを放り込んでいるパパに、本当に味わっているか疑問に思いながら、私は親指を立てた。

「パパ、帰ってきた?」

ママがスリッパの音を立てて、嬉しそうに言った。
パパがママに私のように飛びついたけれど、

「もお、遅い! 告別式10時からでしょ? 色々準備あるし、移動もしなくちゃいけないんだから、さっさとする!」

「す、すみません」

「曜も学校、遅刻するわよ!」

「ヨ、ヨーソロー!」

パパと二人でママに敬礼して、家族の再会の喜びも短く、私はバス停に向かった。 

「よーちゃーん! 早くー!」

バスが止まっていて、千歌ちゃんと梨子ちゃんが身を乗り出してこちらに手を振っていた。
猛ダッシュして、バスに乗り込んだ。

「はあっ、間に合った」

「お父さん帰って来たんだよね?」

千歌ちゃんが言った。

「そうそう」

「曜ちゃんのお父さん、見てみたいな」

梨子ちゃんが、千歌ちゃんの向こう側から言った。

「そっかぁ、梨子ちゃん会ったことないよね。私、写真がスマホにあるよ」

千歌ちゃんがゴソゴソとポケットからスマホを取り出す。

「え、なんで持ってるの」

私は身構えた。

「前に帰ってきた時に、二人でヨーソロしてるの可愛かったから撮ったの」

真顔で千歌ちゃんが説明する。

「うんん?!」

「ほら」

そして、私の許可など関係なしに梨子ちゃんに見せた。

「か、可愛い」

梨子ちゃんは、目を細め凝視している。

「ちょ、ちょっとどんな写真なの!?」

千歌ちゃんからスマホを奪おうと試みるも、

「へっへーん、内緒ー」

「千歌ちゃーんっ」

今日の千歌ちゃん、なんか小悪魔だな。

「梨子ちゃん、送ろうか?」

「あ、はい」

と、取引が行われる始末。

「こ、こらこら。それなら、二人も可愛い写真見せてよー」

「え、千歌別に曜ちゃんみたいに可愛くないもん」

「ええっ?」

なぜか、逆切れされた。

「私も、自撮りする趣味ないから」

まるで、私が自撮りしたみたいに言わないでよ!

「むむむ?」

二人がニヤニヤしている。
私は口をタコのように尖らせた。

「ごめんごめん、曜ちゃん。拗ねないで」

千歌ちゃんが私の頭を撫でる。

「からかってごめんね。はい、アメ」

梨子ちゃんから、棒付きのペロペロキャンディーを渡される。

「うきー! 私は、ルビィちゃんかーい!」

「わー、曜ちゃんが猿化したー」

「ほーら、餌よー」

学校に着くまで、不本意ながらもそんなノリが続いたのだった。

それは、とてもありがたかった。
あの日から、どうしても学校に行く度に、肺が圧迫されるような緊張を感じていたから。
特に、教室に入るとダメだった。怪我について心配してくれる同級生もまだいて、それが私の心を波立たせた。

「曜ちゃん、おはよー」

すぐ近くの席の子達が声をかけてくれる。

「うん、おはよう……」

語尾が下がってしまう。
たぶん、気が付かれている。

「あー、この間の練習見に行ったよー。千歌ちゃんがこけて転がってる所見ちゃった!」

「えー! なんて最悪のタイミングに……!」

笑いが起きる。

「曜ちゃんは、やっぱ上手いよね。なんか切れが違うって言うか。あと、生徒会長もキレッキレでびっくりした! 確か、日本舞踊みたいなのやってるんだっけ? すごいギャップで、ちょっと感動しちゃったー」

「確かにー」

「梨子ちゃん、次のイベント出れないんだよね。早く良くなるといいね」

「ええ」

口々に感想や励ましをくれる。

「みんな、ありがとうねっ」

千歌ちゃんが目元をうるうるさせていた。

「やだー、この子泣きそうだよ」

「千歌ちゃんも色々大変だよね。頑張ってね」

昼休み。
千歌ちゃんが梨子ちゃんに宿題を教えてもらっている間に、私はお手洗いに向かった。
なんだか、別れたって聞いたのに、元通りになってる。
むしろ、前よりも垢抜けた感じ。なんだろ。
でも、二人の仲が悪くならなくて良かった。それだけは、本当。
あのまま、いつまでもあんな感じで続いていって欲しいな。

「曜ちゃん、待って!」

「梨子ちゃん、あれ?」

「千歌ちゃん、意外と大丈夫って言ってたから」

「おー、成長してるでありますな」

「これで、ちゃんと家でやってきてたら言うことないんだけど」

「だねえ」

廊下を横ぎろうとしたところで、同級生の声が聞こえた。

「ねえ、聞いた? 曜ちゃんの噂」

「なに?」

「1年生にボコられたって」

「え、なにそれ」

「なんかさ、曜ちゃんに僻みのある子がいて、それでカッとなってやっちゃったみたい」

「じゃあ、頭に怪我してたのって、それ関係?」

「みたいだよ」

どうして、それを知っているの。
でも、ここで飛び出るわけにもいかない。

「でもさ、曜ちゃん、ちょっと自慢気というか、アピール多いよね。なんだろ? できる女みたいなさ」

「あー確かにね。あの、ヨーソローって何? って思う時あるもん。流行らせたいのかなって」

「流行らねえよって?」

「それそれー」

「あんだけ何でも器用にされるとさ、そりゃ引け目感じるよね。後輩が襲っちゃう気持ちは分かりたくないけどさー」

「私、小学校一緒だったんだけど、千歌ちゃんから聞いたことあるよ。なんでもできるから疲れる? みたいなさ」

「それ、分かる。優しいから余計傷つくんだよね、こっちとしては」

「凡人は凡人のプライドがあるよねー。分かるー」

私は引き返そうと梨子ちゃんの腕を引っ張った。
しかし、梨子ちゃんは逆方向に行こうとして、私を睨んだ。
睨んでもしょうがないのに。
私は無言で首を振った。
そのうち、彼女達が先にその場を離れていった。

ちょっとここまで
また1時間後くらいに

「行くよ、梨子ちゃん」

「待って、追いかけないの?!」

「なんで」

お手洗いの方に進む。

「だって、あんな事言われて……」

「事実だから」

「え」

「ごめん、言ってなくて。梨子ちゃんと千歌ちゃんに、伝えてなかったけど、私、後輩に暴行を受けたんだ。理由は、さっきの子達が言ってた通りだよ。私、きっとお節介が過ぎたんだね。あはは……ヘラヘラ笑って、愛想振りまいたせいだよ」

「違うでしょ……そういう事じゃ」

「初めてじゃないし、気にしないで」

そうだ。
人は勝手に期待して、勝ってに羨望して、勝手に裏切っていく。
お手洗いの前で振り返る。梨子ちゃんを見た。

「そんな目で、見ないでよ。梨子ちゃん」

いくら褒めてくれても、仲良くしてくれても、そういったことは昔からあった。
千歌ちゃんは、どうだろう。小学生の頃の事なんて、引き合いに出されても困るよ。
本当か嘘かなんて気にしたくもない。

「頑張って上に行こうとしたら、あれくらい普通にあるんだよ。勝負の世界は、もっと厳しいしさ。みんなプライドだけは一人前だもん。私だって同じだよ。嫉妬もすれば悪口も言うよ。梨子ちゃんだって、そうでしょ? ピアノのコンクールは、みんながみんな、一緒に頑張ろうって、そんな千歌ちゃんみたいな事言わないよね? 個人競技は、自分との戦いなんて言うけど、結局、大会はみんなの中の一位を決めるものだから、切っても切り離せないし。周囲の期待はやっぱり数字に集中するし。結果を出せば、誰かを蹴落とすことに繋がる。頑張れば、誰かを傷つける。そういうものだよ」

「でも、誰も誰かを蹴落とそうと思って、頑張ってる訳じゃない」

梨子ちゃんが言った。
そうだ。その通りだ。
だから、現実は理不尽だよね。

「間違ってない。梨子ちゃんの言ってること、正しい」

「だから、あなたは怒っていいのよ」

「大丈夫。心配しないで。それより、黙ってて本当に……」

「何が大丈夫なの? 心配するな? バカにしてるの!?」

梨子ちゃんが、私の肩を抑える。
背中を軽く壁に打ち付けた。




「梨子ちゃん、前に言ったよね。その怪我は自分のものだって。なら、私も同じだよ。今のは私の問題だから、梨子ちゃんが気にする必要なんてない。私、何かおかしなこと言ってるかな?」

小さな頃から一緒にいたわけじゃないから。
同級生や千歌ちゃんのように、私の事、よく知らないから。
梨子ちゃんには、これ以上知って欲しくない。

「うん、言ってる。言ってるよ、曜ちゃん」

「……梨子ちゃん」

「私はこの怪我を引きずらない。その自信があるから言ったの」

真っ直ぐに、射抜くような瞳。
切れ長の目。
やめてよ。
私に、何かを期待しないで。

「確かに、今の曜ちゃんに憧れを抱いてる部分はある。だから、私は、曜ちゃんが全く泳げなくなって、お裁縫もできなくなって、人の悪口ばっかり言うダメな子になったら、怒ったり失望したりすると思うよ。それでも、離れたりしない。曜ちゃんとずっと一緒にいるよ。だって、私、曜ちゃんが好きだから、一緒にいるんだもん。私が一番怖いのはね、曜ちゃんに嫌われないかってことだけだよ」

チャイムが、廊下に鳴り響いた。

「お手洗い行けなかったね」

梨子ちゃんが、私から離れていく。
私の頭を撫でようとしたけど、私の顔を見て、途中で止めた。

「戻ろうか」



曜ちゃん…

触れずに離れていった手が、どうしても気になってしまって。
梨子ちゃんの背中側の制服の裾をつかんだ。
いけないと分かっていた。
だって、千歌ちゃんがいるのに。
私が甘えていい人じゃないんだよ。

「梨子ちゃん……今の信じていいの」

「信じる信じないは曜ちゃんの好きにして」

私こそ、梨子ちゃんに何を期待しようとしているの。

「信じたい……私、梨子ちゃんを信じたいよ」

ダメだよ。
優しい人が、自分にだけ優しいなんて、そんな都合の良い事ないもん。

「曜ちゃんが信じてくれるなら、約束するね」

梨子ちゃんの手が、私の頭に触れた。
彼女の笑顔が、目の前にあった。

「あなたから離れない」

「……あ」

「早く、戻ろう」

手を引っ張られて。
駆け足で、教室へ急いだ。
千歌ちゃん。
千歌ちゃんが、梨子ちゃんを好きになった気持ちがなんとなく分かったよ――。

夜になった。
家では、同級生の死を悼む会のはずが、飲めや歌えやのどんちゃん騒ぎ。
酔っ払いはこれだから困る。

「曜~!? 曜~?! どこ行った~?!」

「うっせえな、近所迷惑だろっ」

「あなたたちが煩いから、ベランダに行きましたよ」

「なにい……」

「娘にふられてやんのー」

「だっははは!」

「よーちゃーん……ぐすん」

「ぐすんて、男がやっても可愛くねえなあ!」

パパ、何やってんのさ。
カッコいい姿が一辺、カッコ悪いったらない。

ああ、なんだかんだ言って、私もパパに何かを期待してる。
それが裏切られたら、がっかりするんだ。

「私は……」

ベランダに顎を乗せた。

「ただ、がっかりされたくなかっただけなんだ……」

と、急に電話が鳴った。
千歌ちゃんだった。

『曜ちゃん、今から出れる?! ホタル、見に行こうよ!!』

「え、ホタル?」

『そう! みとねえが連れてってくれるから行こう! って、ダメかなぁ』

その誘いが嬉しくないわけがなく、

「い、行く!」

『あ、梨子ちゃんには言ってないから、内緒だよ!』

「え、あ、うん!」

二人でなんて。
なんで。
分からない。
とにかく準備だ。

『もう、そっち向かってるからあと5分くらいで着くよ~あはははっ』

あっけらかんとした千歌ちゃんの笑い声がした。

酔っ払いの間をかいくぐって、みとねえの車に飛び込んだ。

「あれ、曜ちゃんなんだかお酒臭くない?」

「え、うそ」

助手席にいた千歌ちゃんに言われて、服の匂いを嗅いだ。

「こらー、未成年は飲酒禁止だぞー」

みとねえがからかう。

「ち、違うって、きっとパパ達の宴会の残り香だよ」

「今日、曜ちゃんのお父さんの同級生のお葬式だったんだって」

「え、そうだったの」

「それで、夜は同窓会というか、バカ騒ぎというか……」

「そっか、まあ、飲んでないとやってられないってやつなのかもね」

みとねえはそう言ったけれど、私にはまだよく分からない。

友だちが遠い存在になるのは嫌だな。
千歌ちゃんだったら、うわあ、考えたくもない。
私より先に死なないで欲しい。

「曜ちゃん、私より先に死なないでね」

千歌ちゃんが言った。

「今、私も同じこと考えてた」

「仲が良いことで。それよりも先に、就職とか結婚とかで、離れ離れになるのよ~。生活に追われて、段々と疎遠になっていくのさ~。次に会う頃には、しわくちゃの白髪ばあさんよ~」

みとねえがこぶしを効かせて歌い始める。

「何の歌?」

千歌ちゃんが聞いた。

「今、作った」

「ぶち壊しだよみとねえ」

「あっはっは!」

車内にみとねえのお下品な笑いが響いた。

※アニメ11話以降からの超時空パラレルワールドなので季節合わせてません。脳内補完してください

公園はすでにけっこうな来客数だった。
沼津の広域公園のホタルまつりで、前にも何度か千歌ちゃんと行ったことがあった。

「じゃ、1時間後に車に集合ね」

「はーい」

「え」

「暗いから、こけないようにねー」

「分かってるよー」

みとねえがサクサクと、進んでいく。

「一緒に行くんじゃ……」

千歌ちゃんに尋ねる。

「ううん、曜ちゃんと二人で回りたいって伝えてたから」

な、なんですと。

「行こー!」

「よーそ……おー!」

顔が熱くなっていくのが分かった。
私は照れていた。
千歌ちゃんの言葉に照れて、状況に照れて。
照れくさくて、千歌ちゃんの顔が見れなかった。

「あっちの水はあーまいよー」

小声で楽しそうに歌う千歌ちゃん。
私もそれに合わせて鼻歌を重ねた。

「あ、曜ちゃん! 発見!」

「今年は、けっこう多いね」

数匹程がかたまって点滅していた。

「やっぱり、イルミネーションとかとは違う温かさを感じるよ~」

「千歌ちゃん、上見なよ」

「うん?」

「星の光とホタルの光が混ざって、めっちゃロマンチック」

空に伸びる木々の周りを浮遊している。
光が波のように連なっていく様は、とても幻想的で。

「すごいね~」

首が痛いほど、千歌ちゃんと眺めた。
ホタル達は、まるで星になっていくようだった。

ピロリン、と千歌ちゃんのスマホからSNSの受信音が聞こえた。

「あ、梨子ちゃんだ」

「……え」

ふいに現実に引き戻された。
罪悪感が、湧いてくる。

「な、なんて」

「今、電話できる? って」

何を話すつもりなの。
梨子ちゃんから、私には電話なんてないのに。

「今、ホタル、見に来てるからごめんねっと」

千歌ちゃんは素早く、指を滑らせた。
スマホのライトは明るく、ホタル達の灯りをかき消してしまっていた。
千歌ちゃんもそれに気付いたようで、

「あ、誰と? ってきた。曜ちゃんと、だよっと」

それだけ打って、ポケットにスマホを仕舞う。
その後、3件くらい受信音が聞こえたけど、彼女は気にせずに観察路を進んでいく。
千歌ちゃんは、結構、怖いもの知らずだと思う。

私は私で、どこかほっとしている所もあって。
デートって言うよりも、二人で悪だくみしている感の方が強い。

「曜ちゃん、見てー、手に乗って来た!」

スローモーションで、千歌ちゃんが腕を上げる。
淡いレモン色の光が千歌ちゃんの肌をまあるく照らしていた。

「千歌ちゃんの手は、甘いのかな」

「あー、分かる。みかんの食べ過ぎってことだね」

「そのせいだ、きっと」

「なんだか、やばい病気みたい」

「病気ではないけど」

二人で、小さな命を見つめた。

「ちょっと、梨子ちゃんみたい」

私が言った。

「どの辺?」

千歌ちゃんが好きな所とか。

「うっかり人間様の手に止まっちゃう所かな」

「そうだね~、うっかり八兵衛な所あるね」

千歌ちゃんも頷く。

「そうそう、うっかりスクールアイドルすることになって」

私が言うと、

「うっかり、作曲をすることになって」

千歌ちゃんも続く。

「うっかり、ラブライブを目指すことに」

ホタルが漸く気づいたのか、慌てたように林へ戻っていく。
ピアノのコンクールも、もう一度挑戦することになって。

「梨子ちゃんさ、変わったね。きっと、千歌ちゃんがいたからだ」

「ううん、梨子ちゃんはきっかけが無かっただけだよ。千歌は偶然きっかけになれたんだよ。もしかしたら、それは曜ちゃんだったかもしれないもん」

「そう、なのかな」

「ずーっとこの夏が続けばいいのになあ~」

「青春っぽい、それ」

「みーんな、変わらず、ずっとこのままがいいなあ~」

「そうだね、千歌ちゃん」

変わりたい。
そう言っていた彼女が、そんな事を言っている。
それは、幸せな事だと思った。
千歌ちゃん自身が、今、そう思ってくれているなら、どんなに嬉しいことだろう。

「ただね曜ちゃん、そんな時でも前に進まなくっちゃならないみたい」

「……梨子ちゃんから、何か聞いたの?」

「え、何を?」

千歌ちゃんがキョトンとする。

「何も、聞いてないの?」

「そ、そんなこと言われても、何の事?」

強い口調になってしまった。反省。

「ごめん」

これ、もしかして千歌ちゃんの特攻?
もしや、さっきの電話が――。

「曜ちゃん?」

「あ、なんでもない」

「そう、でね、ここいらでハッキリさせよう! 曜ちゃん! 私に何か言いたいことない!?」

また、ずいぶんと正面から。

「ない」

私ははっきりと、言った。

「あるね!」

千歌ちゃんは、全く聞いてなかったのか、そう言った。

「ち、千歌ちゃん?」

「はい、テイクツー」

「テイクツーって」

「ないなら、私から言うね……私は、今、曜ちゃんの事が羨ましい! すっごくすっごく羨ましい! できるものなら、私は曜ちゃんになりたい! でも、無理だ、だって、私は千歌だもん。千歌は曜ちゃんにはなれません……だから、私は曜ちゃんを乗り越えて、立派な高海千歌になるよ! だから、曜ちゃんも、私を乗り越えて、立派な渡辺曜になって!」

「ま、また訳の分からない事を」

「ほんとに? 分からないの、曜ちゃん?」

千歌ちゃんが言った。
彼女は、詰まる所何も知らない。
なのに、全てを見透かすような目をする。
こらえて、曜ちゃん。
千歌ちゃんは、何も考えちゃいないよ。
野生の勘ってやつだ。
いつもそうだ。
彼女の勘は当たる。

そして、何があっても受け止める気でいる。
ダメだ。この気持ちは、墓場まで持っていくんだ。

「曜ちゃん、ここ最近ずっともやもやしてる。私が放っておくと思ったの? 残念、放っておきません!」

「めんどくさい彼女みたいな事言って……」

嬉しいんだ。
嬉しくてたまらない。
この場だけの愛情だとしても。
それにすがってしまいたい。

「彼女? ノンノン、私は曜ちゃんの隣に立つ女、高海千歌よ」

何言ってるの。
もう、バカらしくて。

「千歌ちゃん……あははっ、もお、やだっ……あはははっ!!」

バカらしくてアホらしくて、涙が出てきた。
コンタクトがずれて、目の前がぼやけた。
余計に涙があふれた。
千歌ちゃんは、でも、慰めようとはしないんだ。
参るよ。
やんなるよ。

「うん、ごめんねっ……千歌ちゃん」

「おっす」

可愛い千歌ちゃんはもういない。
とっくの昔にいなかった。私がずっと幼い頃の事を夢見てて。
私は、千歌ちゃんの理想を、私が勝手に描いていたその理想を守りたいだけだったんだ。
私が思っている以上に、私は随分と子どもだった。
そして、千歌ちゃんは先に進んでいた。
私達は、もう別々の道を歩いていたのに――。

「っひ……千歌ちゃん、あのね、ずっとね……親友でいてください」

「それだけ?」

「っ……うん」

「えー、そんなの叶うも同然じゃんか」

千歌ちゃんが、私をぎゅっと抱きしめてくれた。
この気持ちは確かに本気だった。
幼い私が大事にしていた、宝物だったよ。

翌日。
梨子ちゃんが怒っていた。

「昨日、二人でホタル見に行ってたって聞きましたけど」

「「はい……」」

私と千歌ちゃんの反省するような声が重なった。

今日はここまで。

※どうでもいい考察
千歌ちゃんと梨子ちゃんは明確な恋心でしたが、曜ちゃんはそれとは違う所に落ちました。
彼女の場合、周りからもてはやされてしまったゆえ、挫折を味わわなかった幼心からの、ヒーロー意識みたいなものがあったのではと思います。

たくさん更新来てた。千歌ちゃんすごい強い子だ

異性の幼馴染カップルでも、とくに燃えるような恋愛はしなくても、そばにいるのが当然みたいな関係から
そのまま結婚までいく人達もいるそうだし、恋愛感情の線引きとか定義って難しそうだね

それが恋かどうか、人の解釈次第よなぁ...
本人が良ければそれでいい

>>60
人に依存したり執着したり、好意や興味を抱いたり、というのが全て恋愛ではなくて、似たような意味なのに複雑ですよね

>>61
恋になると成就を求めてしまうものですが、成就を求めないものはゴールがないのでただ苦しいだけではあります

梨子ちゃんに、二人でこっそり行ったのは許せない、と言われた。
しかも、既読スルーするし、と頬を膨らませていた。
で、ホタルを見に行こうと思ったら、お祭りがもう終わっていたのであった。
怒った梨子ちゃんを慰めるために、仕方なく、その日の帰り道に熱帯魚店にアクアリウムを見に行った。

「可愛い子達がいっぱいいるから、どうかこれで矛を治めてつかさい」

千歌ちゃんが道案内のため先頭を歩きながら言った。

「グッピーとかいるの?」

「いるよ。凄く可愛いよ。ね、千歌ちゃん」

「うんうん」

「そう……」

梨子ちゃんがちょっとだけ食いついてきた。

「ふーん……」

小さい頃、パパに何度か連れていってもらったっけ。
ちょっと仄暗くて。美しく彩られた蛍光灯が印象的だった。
一人になりたい時とかは、何もせず、ただ泳ぐ魚達を見てるだけで落ち着くんだよね。

「はーい、着きました」

熱帯魚店の看板は、けっこう錆びれていた。
歳月を感じて、物悲しい。

「こんにちはー」

手動でガラス張りの引き戸を開ける。
先客が二人。40代くらいの女性と、私達と同じ歳くらいの男の子。
どこかで見たことがある気がした。
虚ろ気な瞳が、どこか危なっかしい。

「……アクア」

男の子がこちらをふり返り、聞こえるか聞こえないかの声量で呟いた。

「渡辺さんの所の、曜ちゃん?」

女性の方は、はっきりと私を見て言った。

「あ、はい、そうですけど」

誰?

力尽きました
寝ます
また明日


追いついた
すごく好きです

高校、中学、小学校。
記憶をたどるけど覚えがない。
何も言えずにいると、

「昨日お葬式があった人の元妻って説明なら分かる?」

ややあって、私は無言で頷いた。

「渡辺君とは同級生なの。来るつもりはなかったんだけど、息子がどうしても会いたいって言うから」

と、なぜか梨子ちゃんに視線を向ける。
当の梨子ちゃんは、人見知りが発動したのか、少し顔が強張っているように見えた。

「会いたいって……?」

男の子の方を見やる。

「あ、桜内さんのファンなんです」

先ほどの虚ろな感じが消えていた。
どこにでもいる普通の男子高校生。

「本当は渡辺君に頼む予定だったんだけど、ここで会えるとはね」

男の子は、ぐいっと前に出てきて、梨子ちゃんの手を掴んだ。

「めっちゃ好きで、何ていうか、会えてすっごく嬉しいというか……」

「え、え、あ、の」

梨子ちゃんの動揺が目に見えて分かった。
ちょっと気やすく握りすぎじゃないかな?

「見ず知らずの僕にこんなこと言われても困ると思うんですけど、すごくへこんでた時とか、梨子ちゃんが踊ってるとことか見て、元気もらってました」

待って。
いきなり、梨子ちゃん呼びに変わったよ?
ていうか、梨子ちゃん、ちょっと嬉しそうじゃない?

>>66
ありがと

「ちょっと、千歌ちゃん」

と、千歌ちゃんの反応を覗う。

「いいなあ」

「はい?」

水槽の前で指をくるくる回していて、こっちの話を聞いていない。

「いいなあ、私もファン欲しい」

ええっ、なんでやねん。
梨子ちゃんがピンチだよ?
なにいじけてるのさ。

「よ、曜ちゃんっ」

梨子ちゃんが情けない声で私を呼ぶ。
その場から一歩も動かずに、顔だけを忙しなく動かした後、私は梨子ちゃんの体を引き寄せた。

「この子、人見知りなんだ、ごめんねっ!」

所在無げに男の子の手が宙に浮かぶ。

「あ、いえ。すみません」

愛想よく笑って、頭まで下げる。

「元気出ました」

梨子ちゃんは緊張しつつも、それは良かったです、とスクールアイドルらしい笑顔を返していた。

「ねえ、曜ちゃん。もし良かったら学校まで案内してもらえないかしら。図図しいのは承知なんだけど」

今度は母親が頭を下げた。
そんな風に頼まれたら、むげにできない。

「い、いい?」

千歌ちゃんと梨子ちゃんも頷いていた。

どうやら、元々は私のパパに頼んで、高校を訪れる予定だったらしい。
観光してもらえるのは、正直、地元を好きになってくれる人が増えるようで嬉しい部分もあった。
それは、千歌ちゃんも同じで、前を歩く梨子ちゃんと男の子を見ながら話していた。

「スクールアイドル、沼津にもあるなんて知らなかったわ」

二人は東京から来たそうだ。
千歌ちゃんが食いついたけど、

「私はそういう事詳しくないの。息子がハマってて、何年も会わなかったけど元旦那が急に亡くなった報せ聞いて、息子のショックも大きかったんだけどね、沼津って聞いてちょっとあの子元気になったのよ。仕事もしないろくでもない男だったけど、あんなんでも父親だったってことね……ああ、ごめんなさい。こんな話しちゃって」

だから、最初見た時あんなに影を背負っていたのか、と思い返す。
それに、梨子ちゃんと話している時、別人みたいに喜んでいたのも頷ける。

「男の子って単純だからね、可愛い子に笑ってもらえただけでも、案外頑張れたりするのよ」

母親自身もきっと、私たちには理解できない大人の事情を抱えていたのだと思う。
千歌ちゃんにも私にも、まだ、それは分かんない。
ただ、どうにもできない事がこの世界にはある。
それ以外の、どうにかできる部分を一生懸命繋いで前を向くことも時には必要で。
そうして進むことで、今まで見えていなかった希望への軌跡、あるいは、それに似たものに繋がっていくのかもしれない。
千歌ちゃんが母親の手を取った。
母親が驚く。

「私達、そんなに凄いスクールアイドルじゃないんですけど……、でも、みんなを笑顔にして輝かせたいなって思ってて、沼津の人達の温かさとかも知って欲しいなって。私達がラブライブを目指していることが、誰かを元気にしているのを聞いて、今、とってもとっても嬉しいです! きっと、梨子ちゃんも同じだと思いますよ!」


一呼吸おいて、

「グループがたくさんあるんですよ。みんなそれぞれに輝きたい理由があって、精一杯努力してて、必死に追いかけてて、だから、私はスクールアイドルが好きなんだって、思うんです!」

「そう……あの子、何も教えてくれないから聞けて良かった。きっと、そんな気持ちがあの子に届いてるのね」

母親が小さく笑った。

「ごめんなさい。ちょっと、バカにしてた所があったの。女の子の追っかけなんてって。改めないとね……反省するわ」

色々な物語があるんだ。
でも、それを知らなければ、存在しないのと一緒で。
私達は、どれだけの事に気付けるのかな。

学校に着いて、中には入れないから、そのまま正門で見学してもらった。
二人は、近所で何か食べてから帰るということで、私達は別れの挨拶をした。
バスの中で、千歌ちゃんが梨子ちゃんにどんな話をしたのか聞いていた。

「特に、その、当たり障りのない事よ。好きな曲とか、東京の話しとか」

「ふーん、つまんなーい、ねえ、曜ちゃん」

「そうだねえ」

「二人だって、急に知らない男の子となんて、会話が弾まないでしょ」

そうかな。
その割には、けっこう盛り上がっていたように思う。
梨子ちゃんって、最初は警戒するけど、すぐに慣れるし。
だいたい、あっちは元々梨子ちゃん推しなんだから、もっと警戒して喋っても良かったんじゃないかな。

「曜ちゃん、さっきから何か静かじゃない?」

千歌ちゃんが言った。

「え、そう? お腹空いたからかな」

梨子ちゃんが笑う。

「もー、千歌ちゃんみたいな事言って」

「梨子ちゃん、ひどくない?」

「そう?」

私は、二人のやり取りに笑いながら、胸の内のしこりを感じていた。
分からない、なんだろう。嫌な気持ちだ。

「曜ちゃん、梨子ちゃんがー」

千歌ちゃんがすがるように私に抱き着いてくる。

「あ、千歌ちゃんってば、すぐ曜ちゃんに頼るんだから」

梨子ちゃんが私の横から身を乗り出して、千歌ちゃんを引っぺがした。

「やーん」

と、千歌ちゃんが変な声を出す。

「あはは、梨子ちゃんも、頼っていいんだよー」

拗ねた顔の梨子ちゃんの肩を冗談っぽく抱く。
この間、家でお風呂に入った時とは、また違う香りがした。
あたり前だ。
あたり前のことなのに、どうしてか吸い込んだ空気が重い。

「そんな事言われたら、甘えちゃうよ?」

少しすり寄って、梨子ちゃんがしがみつく。
やや顔を上げる。私と目が合う。
急に、手が汗ばんできたのを感じた。
耐えれなくて、

「ヨーソロー!」

と立ち上がった。

「ど、どーした、曜ちゃん!?」

あまりにも不自然過ぎた。

「な、なんでもないであります」

ビックリしている二人に、私は笑って誤魔化すのだった。

家に帰ると、昨日のどんちゃん騒ぎが嘘のようだった。
明日の早朝には仕事に戻るパパがリビングで、くつろいでいる。
私は鞄をソファの横に置いて、パパの隣に座った。

「うおっ、お帰り」

「ただいま……」

「なんだ、静かだな」

「うん」

好きなバラエティ番組が流れていた。
でも、あんまり耳に入ってこない。

「そう言えば、今日、私のこと知ってる人が話しかけてきて、息子さんと二人で東京から来たって」

「あー、連絡もらったよ。悪いなお接待させて」

「大丈夫だよ、ちょっとでも元気になってもらえたなら良かったし」

「梨子ちゃん、迷惑してなかったか?」

「まんざらでもない感じだった」

「へえ、梨子ちゃん美人だし、モテるだろうに」

パパの言葉に、梨子ちゃんと男の子が話していた風景が蘇る。

「そうだね、優しいし」

スマホが軽快な受信音を鳴らした。
画面に、梨子ちゃんからのメッセージが表示されていた。

『今日、様子変だったから……もしかして、この間、お昼休みで聞いた話しの事かなって』

『私、千歌ちゃんに言ってないよ。私の早とちりだったらごめん』

そんな風に、疑ってはいないよ。
気を遣わせてごめんね。

曜ちゃんどんどん梨子ちゃんの事意識してきてますね~

なんて返そうか。
悩んではみた。
でも、何も浮かばない。

「パパ、娘のスマホ覗かないで」

「ぎくっ」

横目でこっそり見ようとしているのがバレバレ。

「親子の間でもプライバシーだよ」

「会わない間に、親子の壁が……」

「まったく」

「あのな……曜、溜め込んでないか?」

パパの大きな手が、頭の上に置かれた。
わしわしとかき混ぜられる。

「……」

そうだと、思う。

「お前は、忍耐力があるし、なんでも最初に自分で解決しようとする。だから、解決できない問題にぶち当たった時、苦しいはずなんだ。それが当然だ。今回の事も、これからも、一人では難しい壁にぶち当たってそれでも舵を切ってかないといけない……航路はいずれ見えるだろう、ただ、自分の船の舵を人の様子を伺ってぐにゃぐにゃ変えてると、後悔しかないぞ」

「ギャグ……?」

「こら、人が真剣に話してるのに」

「わ、ごめんね」

「溜め込んだり、悩むのが悪いって言ってるんじゃない。精神的に不衛生になるまではさすがにやばいが、お前にとって大切なものが増えた証拠だ。パパはちょっと嬉しいよ」



パパはそう言ってくれた。
でも、私は、まだそんな風に大人にはなれなかった。
次の日になって、全力で寂しそうにするパパを見送って、学校へ向かった。
その日は、早く起きたので、一本早いバスで学校へ向かった。
千歌ちゃんと梨子ちゃんと私の3人のグループのSNSにメッセージを残した。

結局、梨子ちゃんに返信してないな。
千歌ちゃんと話して、梨子ちゃんと話して。
どこかで一区切りがついたと思っていた。

教室に着くと、案の定誰もいなかった。
なんとなく一人になりたかった。
千歌ちゃんと夢中になりたい。そうだね。
みんなで楽しくしたい。うん、そう。

世界中の人と仲良くできるなんて思っていない。
良い人は好かれるし、悪者は嫌われる。
悪者から好かれたい人はあまりいないだろう。
だから、ある一定層には受け入れられないようにできてるんだと思う。

はあ。
何、変な事考えてるんだろう。
図書館。
図書館に行こう。
カバンを掴む。
誰もいない校舎を、歩く。

図書館は開いていたけれど、図書委員はいなかった。
そう言えば、3人で花丸ちゃんとルビィちゃんを勧誘しに押しかけたっけ。
つい、この間のことのようだ。
私は方向転換した。
思い出に浸りたくて、他の場所も回って行った。
理事長室の前に来た時に、校舎の窓から生徒達が入って来るのが見えた。
もう、こんな時間。
窓枠に肘を置く。

「……黄昏てるわね、曜」

「げ、鞠莉ちゃん」

「げってなあに~?」

鞠莉ちゃんが私の頬を両脇から引っ張る。

「いひゃ、いひゃあいっ」

手を離して、同じような姿勢でたたずんだ。
しばらくすると、鞠莉ちゃんが言った。

「曜、一人になりたいんでしょ」

「……うん……あ、その、えと」

「いいわよ。理事長権限をここで使う時が来た」

「うん?」

「みんなには内緒よ?」

と、封筒を鞄から取り出して私に渡した。

「なにこれ?」

私は中身を確認する。
切符?

「浜松の児童自立支援施設までの電車とか新幹線の切符と、地図」

「なんで、そんな」

「あなたに暴行を加えた子の転校先ね」

体が強張った。
忘れていたのに。
思い出さないようにしていたのに。

「行くも行かないも、曜が決めることだけど、渡しておくわ」

「こんなことしていいの?」

「理事長権限って言ったでしょ」

心臓が波打つ。
そこに一人で行って、何ができる。
蘇えってきたのは、恐怖だった。
それから――、梨子ちゃんの痛がる表情。


あの時、梨子ちゃん死んじゃうかと思った。

「曜……?」

「あ、今日、平日だよ?」

「ええ!」

「鞠莉ちゃん……」

私が迷っている間に、チャイムが鳴った。
鞠莉ちゃんが慌てて、駆け出す。

「バーイ!」

バーイって。

「どうしろって言うのさ……」

まだ、生徒達が登校しているから、今なら紛れて外に出れる。
算段をつけた頃には、私の足は玄関へ向かっていた。

何を考えているんだろう。
鞠梨ちゃん、前にも、こんなことあったっけ。
何がしたいんだろう、私は。
情けない。
自分の感情が分からない。
パパ、どこに行けばいいのか分からないと、ずっと、舵をきれないよ。
だから、こうやって流されて行くしかないのかな。

沼津駅から三島駅に降りて、そこからは新幹線。
名古屋行きに乗っていけば、浜松。
飛び込みの大会で、学校を休むことはあった。
今回は、完全に私利私欲で。

スマホにはどんどんメッセージが溜まっていってる。
全部は見てない。
行った所で、何が分かる?
みんなに心配をかけてまで、行くべき場所?

やることのない新幹線の中で、梨子ちゃんへの返事を打っては消し、打っては消し。

『曜ちゃんが信じてくれるなら、約束するね』

『あなたから、離れない』

どうして、あんなこと言わせちゃったんだ。
踏み行って欲しくないのに。
それに、千歌ちゃんが見てる前で、あんな。
同情?
私の事は気にせずに、好きにしてよ。

髪をぐしゃりとかき混ぜた。
梨子ちゃんの事を、気にしたくない。
自分の足場が不安定になる。
上を向いているのか、下を向いているのか混乱する。
イライラしている。
そんな感情を誰かにぶつけたくないよ。

次から、梨子ちゃん視点です

曜ちゃんに既読スルーされた。
そう言えば、千歌ちゃんにもこの間された。
嫌われてるのかな。涙目になりそう。
と、思ったら、千歌ちゃんの送ったメッセージすら曜ちゃんは見ていないようだった。
誰が送ったかは分かるはずだけど。

朝のHRで先生から、曜ちゃんは風邪だという説明を受けた。
おかしい。だって、先に行くって言っていたのに。
どういうことなの。
一人で、どこに行ったのよ。

「曜ちゃん、どうしたんだろ」

さすがに千歌ちゃんも不安そうだ。
思い当たることがたくさんあり過ぎて、私も頭を抱えた。
AqoursのグループSNSで聞いてみても誰も知らないようだった。

1限目が始まる前に、鞠莉ちゃんが教室にやってきた。
私と千歌ちゃんを理事長室に呼んだ。
それから、今朝の曜ちゃんとのやり取りを聞かされた。

「そっか、私、てっきり……身投げでも」

と、私が呟くと、千歌ちゃんが噴き出した。

「ええ!? やめてよ、梨子ちゃんってば!」

背中を思いっきり叩かれる。痛い。

「追いかける?」

鞠莉ちゃんが封筒を一つ目の前に掲げた。

「二人で?」

私と千歌ちゃんは顔を見合わせた。
それはもしそうするなら、千歌ちゃんと一緒だけど。
でも、学校を休むとなると、いいのかどうかという所になる。
けれど、予想外の答えが千歌ちゃんの口から飛び出した。

「ううん、私は行かないよ。梨子ちゃん、追いかけてあげて。お願い」

「え、千歌ちゃん」

「ちかっちは、それでいいの?」

「うん」

千歌ちゃんが大きく頷いた。

「オー、じゃあ、後は梨子しだいね」

「待って待って、千歌ちゃん?」

「梨子ちゃん、お願いします」

と、頭を下げてキッパリと言うのだ。
それには鞠莉ちゃんでさえも、やや驚いていた。

千歌ちゃんに、何か言わないとと思った。
でも、それって私が千歌ちゃんを傷つけたくないから言いたい言葉で。
それを覚悟して言っているであろう千歌ちゃんに、言うべき言葉ではなかった。

「分かった」

私は一つ返事で、封筒を受け取った。

「行ってくるね」

千歌ちゃんが腕を突き出して拳を掲げる。

「気をつけてね」

「うん」

私は軽く拳を合わせた。

「じゃあ、秘密の裏口にご招待~」

鞠莉ちゃん、ありがとう。
千歌ちゃんが背中を押してくれたから、前に進もう。
私は理事長室を後にした。

誤:アニメ準拠で、梨子の鞠莉への呼び方ちゃんじゃなくてさんだった。脳内変換お願いします

曜ちゃんに、会いたい。
一人で行ってしまう彼女。
そうして、いつも一人で傷ついて帰ってくる人だから。
彼女の側にいたいと思う。

鞠莉さんからもらった地図と切符を使って、新幹線に乗り込んだ。
通勤ラッシュも過ぎ、人はまばらだった。
窓際の席に座る。
裏口から出る時に、鞠莉ちゃんが言っていた言葉が脳裏に蘇る。

『曜は、けっこう子どもよ。壁にぶつかったら、一歩引いて逃げてしまう。で、無かったことにしようとするのね』

うん、そうね。

『ちかっちは、それに気づかない。ううん、気づけない。それが当たり前だったから』

そうかもね。

『でも、外から来た梨子には分かる。大丈夫、上手くいくわ』

鞠莉さんは、少しだけ私たちの知らない曜ちゃんの感情を知っていて。
私を励ましてくれた。

でも、さすがにこれはやり過ぎかな。
曜ちゃんに会えるか分からないし。
連絡しても返ってこないのにね。
呆れられるかも。

「ふふ……」

曜ちゃんの困った顔が目に浮かんだ。
そんなに強くないくせに、無理しちゃって。
ああ、でもこれもいわゆるお節介。
呆れるのを通り越して、迷惑に思われたらどうしよう。
しばらく避けられるかな。
今度は溜息が漏れた。

海沿いの線路を駆け抜けていく。
どこに向かうことなく、満ちたり引いたり。
それに心を奪われる。
気になるの。
何を考えているのか、とか。
どうやったら、笑ってくれるのか、とか。

ずっとピアノばかりで、世間のことにも疎かったの。
でも、なぜかあなたのことだけは、何でも知っておきたいよ。
ねえ、曜ちゃん。
怒っているなら怒っていると言って。
どうして返事をくれないの。
私、何かしたなら謝るから。
お願いよ、曜ちゃん。

浜松で降りて、もらった地図を確認した。次は、バスに乗らないと。
途中、曜ちゃんっぽい服装の人がいて、よく考えたら制服だから違うかと思い直した。
似ている人がいると、少しどきりとしてしまう。
そもそも、先に出たのだから、いるわけもないのだけれど。

沼津よりもビルや人が多い。
制服のせいかな。こちらをちらちらと見る人もいる。
早い所、曜ちゃんを見つけないと、補導されたら面倒ね。

医科大学行きのバスを探して乗り込んだ。
知らない土地でも、曜ちゃんが同じように向かったのだと思うとあまり不安はなかった。

「あずきもちみなみ……?」

降りたバス停の名前。
美味しそうね。
バス停で、もう一人、おばあさんが降りて来て。
一緒の方向に歩き始めた。
同じ信号で止まって同じ路地を進み、同じ商店街を歩いていく。
見たこともない風景に忙しく目を動かしていたら、いつの間にか、おばあさんの隣に並んでいた。
進む速さを変えることもないかと思い知らぬ顔をしていたら、

「あなた、どこから来たの?」

と柔らかい表情で尋ねられた。
人見知りが発動したので、少し面食らって、一回深呼吸をしてから、

「ぬ、沼津です」

「そお、それは遠い所御苦労様」

にこりと笑う。
反射的に、私も微笑み返した。
きっと、私がキョロキョロしていたので、気遣って話しかけてくれたのかも。

「私もね、ちょっと遠くから来たの」

「そうなんですか」

「孫にね、会いに来たの」

「お孫さんに……」

「この先の施設に居るんだけど、前はあなたと同じ沼津の高校だったのよ」

小さいリュックを背負っていた。
それをポンポンと叩く。

「ちらし寿司が好きでね、いっつも美味しそうに食べてくれるの」

しわを寄せて、嬉しそうに話す。
この先にある施設で、高校生なら、もしかしたらこのおばあさんのお孫さんも、何か問題を起こしたのかもしれない。

でも、憶測で疑うのはダメね。やめよう。

「今は、それが一番の楽しみよ」

おばあさんはリュックを背負い直した。

「じゃあね。気をつけて」

そして、とある更生施設へと入って行った。

「あ」

私は、そこで立ち止まった。

「ここだ……」

地図をもう一度確認する。
曜ちゃんは見当たらない。
窓は半分以上カーテンが閉まっていた。
あの後輩、どんな顔だったかな。
怒りに任せて飛び出したから、あんまり覚えていない。
関係者以外立ち入り禁止、と書かれた札を見やる。
入るに入れない。
ウロウロしていたら、変質者と間違われるかも。
監視カメラが設置されていて、もう少し離れようとした所、

「曜ちゃん……」

施設の玄関から曜ちゃんが出てくるのが見えた。

俯きながら出て来た曜ちゃんが、驚いていた。

「梨子ちゃん……?!」

「よ、ヨーソロー」

「ヨーソロって……なんでいるの!?」

なんでって、どう言えばいいのかな。

「ほ、ほら、曜ちゃんが私のメッセージ無視するし、先に行くって言ったのにいないから、ね?」

「それは、悪かったけど、そんな事で……え、というか、どうしてここが分かったの、あ……鞠莉ちゃん、だね?」

百面相しながら、曜ちゃんが自己完結していく。

「うん」

私もぎこちなく微笑む。
ポケットから、鞠莉さんの地図を取り出してみせた。

「……平気なの?」

曜ちゃんが言った。

「私が? どうして」

「だって、自分を刺した相手がいるんだよ。恐ろしくないの」

曜ちゃんは、私が今にも発狂してしまうんじゃないかって思ってるのか、慎重に聞いてきた。

「大丈夫、曜ちゃんがいるもの」

「そ、それ、答えに、なってない」

「曜ちゃんは、会えた?」

私の質問に、嫌な顔一つ見せず、曜ちゃんは首を振った。

「ううん、会いたくないって。ただの旅行に終わっちゃったよ。あははっ」

「そっか」

「私、ただ、会ってね……仲直りしようって思っただけだったんだ。また、水泳始めて欲しいなって。でも、そんな事言われても困っちゃうよね。だから、会えなくて正解だった。でも、私のせいで、将来の色々な事を奪ってしまったなって……」

曜ちゃん、前に私に言った事と逆の事言ってる。
私は反論したかったけれど、曜ちゃんの言葉に耳を傾ける。

「色々、言われるの、覚悟してたつもりだったんだよ。なのに、いざ、会えないって分かったら、私……ホッとしてるんだ」

曜ちゃんは目元を腕で隠した。

「色々な大会に出て、たくさんの人の悔しさを目の当たりにして、哀しんでる姿を見たのに、私……やっぱりそれを正面から受け取るのが怖かったんだ。誰かを傷つけるのが嫌だなんて、思ってたのに……傷ついた人を受け止めるのが怖かったんだ……会えないってホッとした自分が、本当に嫌だよ……っ」

震える声に、私も鼻の奥がつんとした。

「曜ちゃん、誰でもそうよ。曜ちゃんだけじゃない……怖いものよ」

私は曜ちゃんを抱きしめようと肩に手を置いた。
けれど、曜ちゃんはそれを拒否した。

「私に優しくしないでっ……」

混乱しているのが分かった。
ずっと堰き止めていた感情が溢れ出てきたのだ。
不謹慎だったけれど、私にはそれが本当に愛おしかった。

「私はね、あの後輩はやってはいけない事をしたと思ってる。だから、私はあの子の事を好きになれない。許す許さない以前にね。でも、それでもあの子はちゃんと、きっと別の誰かに愛されてる。曜ちゃんが悩まなくても、あの子はきっと誰かに愛されてる」

私の話しも聞きたくないのか、逃げようとする曜ちゃん。
ほんと、聞きたくないことは聞かないなんて。
幼稚なんだから。
私は、曜ちゃんの腕を掴んだ。しっかりと。

「あのね、曜ちゃんは……悩むのが苦手なだけなの。脳筋なの。そこの所、分かってる? 悩むのが得意な人はね、悩み過ぎないの」

そう、千歌ちゃんみたいにね。

「のう、きんじゃっ……ないもんっ」

鼻水ずるずる言わせながら、曜ちゃんが言った。

「要するに、思い通りにならないと気が済まないのよ。でも、それを言わないからイライラするし、モヤモヤする」

そして、図星を突かれるのが嫌なの。
曜ちゃんはいやいやするように、私から離れようとする。

「梨子ちゃんの言ってることっ……分かったから、離してよっ」




「分かってる人は、そんな表情しないもの」

曜ちゃんの方が力がある。
だから、私から離れようと思えばすぐにでもできたはず。
だったら、彼女が意図してることは――。

「離れないって、言ったじゃない。私、曜ちゃんがどんな人でも、離れないって」

もう一度、彼女を抱きしめた。

「黙って、行かないで。私にだって、甘えていいんだよ」

「分かった風な事……ッひ……言わないで」

背中をポンポンと叩いてあやす。

「うん、ごめんね」

「もおっ……私の中に、入ってこないで……っ」

ちょっとよく分からない。

「うーん、いや」

「ひっ……――」

「そんなに泣かないでよ、曜ちゃん」

私を拒絶しながら、ボロボロ涙を流す。
いつの間にか、母親にしがみつく幼い子どものように、私を抱きしめ返していて。

ふと、施設の中だという事に気が付く。職員につまみだされる前に、スマホで公園を探して、曜ちゃんを誘導した。
ベンチに座らせて、ずっと隣で背中を撫でた。
早く泣き止んで欲しい。でも、しばらくこうしておきたい。
なんて、そんな事を考えていた。

「曜ちゃん、ねえ、曜ちゃん」

「……っ」

「お腹空かない?」

曜ちゃんの嗚咽が止まる。

「んっ……空いたっ」

濁声で、言った。

「よし、サンドイッチでも食べましょう」

「ハンバーグ……」

「サンドイッチ」

「ハンバーグ」

数分そんなやり取りが続いたのだった。
結局、間をとったのかよく分からないけれど、牛丼チェーンに行くことになった。

「曜ちゃん、それ特大盛りでしょ? 食べれるの?」

「食べるの」

言葉遣いが幼稚園児みたいになってるので、笑ってしまった。
目の前には曜ちゃんの胃袋3つ分くらいの牛丼。
やけ食いというやつかな。

「そっかー」

忙しく口を動かし始める。
店員さんも最初、オーダーを聞き返していた。
女子高校生が頼むものではないのね。

「ご飯つぶ、ほっぺについてる」

「え」

「ここ」

取ってあげると、

「あむ……」

曜ちゃんが私の指に食らいついた。

「よ、曜ちゃん」

私は固まった。
曜ちゃんは、暫くして理性が蘇ったのか、頬を赤くしていた。

「ご、ごめん」

「いいの……」

犬みたいだった。
可愛い。

「あの、なに?」

じっと見てしまったせいで、曜ちゃんが不思議がった。

「美味しそうに食べるなって思って。今度、ハンバーグ作ったら食べる?」

軽く、言ってみる。

「食べる……」

頷いた。

「私のハンバーグ、凄く美味しいの。もう、他の食べれなくなるよ」

「そうなったら、いっつも梨子ちゃんの家に行かないといけないね」

「いいよ、来て」

笑いかける。
曜ちゃんが目をそらす。
嫌だったのかな、と思った矢先、

「行く……」

と再び牛丼をかき込み始めた。

牛丼屋を出て、駅に向かった。
曜ちゃんはほとんど喋らなかった。
気まずいのだと思う。私も、多少それはあった。
でも、触れていないと、もう、落ち着かない。
私は曜ちゃんの手を握った。
曜ちゃんの顔は見なかった。
ややあって、彼女も恐る恐る握り返してきた。

二人でちゃんと出かけたいな。
そう思った。
いつになるだろうか。
少し冷たい曜ちゃんの細い指に指を絡めた。
こうした方が、しっかり繋げるから。

「梨子ちゃん……あの」

「うん」

「私、さっき酷い事言った……ごめん」

「いつの事?」

「だから、その」

言い難そうにしていた。
私は意地悪なので、曜ちゃんが言うのを待った。
曜ちゃんは、自己嫌悪の真っ最中だろう。
そういう性格なんだ。
でも、表では飄々としてしまう。

言い終えた曜ちゃんの顔を盗み見た。
泣いたせいで鼻と目が赤い。

「そんな事、どうでもいいの」

私は曜ちゃんの懺悔を一蹴した。

「私のメッセージ、無視したのが一番許せない」

「ああっ」

「忘れてたのね?」

思いっきり手のひらを握りしめた。

「あいたたたっ!?」

「私の恨み思い知った?」

「り、梨子ちゃん……重たい彼女みたいだよ」

「悪い? 私、めんどくさいのよ」

曜ちゃんが噴き出す。

「知ってたよ」

「肩、貸して」

「え?」

返事を待たずに、腕に巻き付きながら、頭を置く。

「あの、ちょっと、恥ずかしいんだけども」

「罪は償ってくれないと」

「これが?」

「うん」

私だって恥ずかしかった。
でも、曜ちゃんを困らせてやりたかった。

「歩きずらいよ~」

前から歩いて来る人がいない数分だけ、私達はそうやって歩いた。

沼津に戻って、千歌ちゃんと鞠莉さんに曜ちゃんを確保したことを伝えた。
その日は教室には戻らずに、裏口から入って保健室に向かった。

「不良だ」

曜ちゃんが言った。

「そうね」

ベッドに腰掛け、カーテンを閉めた。
光が遮られると、途端に眠たくなった。
小さな欠伸が出る。

「疲れたよね、ちょっと寝なよ」

「曜ちゃんこそ」

「……」

「……」

アイコンタクトで頷き合う。
スカートだけ皺にならないように脱いで、ベッドの中に潜った。

「みんな、授業聞いてるのに、悪い奴」

曜ちゃんが小さく笑う。

「ほんとよ」

しばらく天井を眺めていた。
つまらない。すぐに寂しくなって、曜ちゃんの方を向いた。

「どうしたの?」

曜ちゃんも、こちらに向き直る。

「うん……」

顔が熱いなあ。

「梨子ちゃん?」

名前を呼ばれるのが嬉しい。

「曜ちゃん」

「なあに?」

「呼んでみただけ」

「なんですと……」

口を尖らせる。

「えへへ……」

曜ちゃんが鼻息を漏らす。
呆れたかな。

「梨子ちゃん」

「なに?」

「呼んでみただけ」

にやっと口角を上げた。

「真似したのね」

「仕返しとも言う」

どうしよう。
どうしようもなく、やっぱり、好き。
曜ちゃんが、好き。

(かわいい)

『私の中に入って来ないで』

あなたに開けられた小さな穴が痛いよ。

「……梨子ちゃん」

「もう、また?」

さっきの続きかと思った。
曜ちゃんが、私の胸の辺りに頭を寄せた。
私はとっさの事で、体が石のようになった。
羽みたいに軽そうな曜ちゃんの髪があごに当たる。

「甘えちゃダメだって……分かってるんだ」

曜ちゃんは、胸元にすり寄るように頭を小さく振った。
う、動かないで。

「信じれば信じる程、私……梨子ちゃんに頼っちゃうよ」

そうやって曖昧な気持ちを伝えるのね。
私の気も知らないで。それは、友情として?

「言うほど、曜ちゃんは、頼ってないから」

「そうかなあ」

「それに、どうしてダメなの?」

「千歌ちゃん……困るから」

呆れた。
まだ、気にしてる。
千歌ちゃんめ。羨ましい。



いっそ、ここで言ってしまおうか。
曜ちゃんが一人で行ったと聞いた時、思い詰め過ぎて、どこかの橋からでも飛び降りるんじゃないかって思った。
そしたら、曜ちゃんにすごく会いたくなって、抱きしめたくなって、ちゃんと言わないとって思った。

だって、もしかしたら唐突に別れが来てしまうかもしれない。
あの時感じた後悔が、私を後押しする。

「曜ちゃん……私、曜ちゃんが」

部屋の空気をばっさりと切り裂く、保健室の扉を開ける音が聞こえた。

「ハロー、二人とも、寝てるのー?」

鞠莉ちゃんだった。

いったんここまで。
続きは、数時間後かまた明日の夜です。

乙です
人同士が分かり合える、想いが通じ合うって本当に難しいですね…


千歌ちゃんいい子だなぁ

>>103
全て本音ではあるのに、意図している所を汲み取ることは本当に難しいですよね。
同じ場所にいて会話していても、互いにやや異なる方向性と結論をもっているのだと書きながら思います。
この二人、かなりめんどくさいです。

>>104
千歌ちゃんは、カッコいいなと思ってます

どうしよう。寝たふりする?
曜ちゃんに聞きたいのに、私の胸の所から顔を上げてくれない。
このままでもいいのだけど。
鞠莉さんの足音が、足元まで聞こえてきた。
私は、目を閉じた。
シャーっとカーテンが開けられた。

「オーゥ、スリーピングビューティ」

鞠莉ちゃんは言って、またカーテンを閉めた。
良かった。気づかれなかった。

「寝坊しないようね」

部屋を出る時に、そう言い残していく。
狸寝入り、バレてたみたい。

「ふー……」

曜ちゃんはびくともしてない。

「ねえ、曜ちゃん、もしかして甘えてる所見られたくないの?」

「……うん」

「私なんて、至近距離の特等席よ」

そう言うと、曜ちゃんはゆっくりと顔を離して、両手で顔を覆った。
今さらだよ。

「梨子ちゃん、何を言いかけたの」

手の隙間から声が聞こえた。

「あ……うん」

いつも、邪魔が入る。
邪魔って言ったら、申し訳ないけど。
でも、言えなくて、良かったなって思ってる私もいる。
今の状態を変えたくないのね。
曜ちゃんは、深入りすれば逃げるかもしれない。
好きだなんて、伝えてしまえば、私ともう話すらしてくれないんじゃないの、なんて。

「言いたくなったら言いなよ」

曜ちゃんが私の手を握ってくれる。
焦ることはないのに。
気持ちだけは、いつでも先走っている。

「……どうしたの? もしかして、私が怒りそうな事?」

「えっと、うん……」

「怒るわけないよ。安心して」

私は、曜ちゃんが欲しいだけなの。
それを伝えたいだけ。
きっと、あなたは怒らない。
でも、傷つけたらどうしよう。
ピアノみたいに、失ってから、またもう一度取り戻せるとは限らない。
ああ、私、なんでこんな簡単に告白しようなんて思えたんだろう。
前よりも、もっと曜ちゃんに近づきたいと感じてる。

『私の中に入って来ないで』

けれど、穴が、まだ塞がっていないの。
その穴はあなたにしか塞げない。
でも、あなたの中に、私が入る余地はあるのかな。

週末がやってきた。ラブライブに向けて、もっと経験を積まないといけない。気持ちを切り替えた日曜日。
その日は、地元のコンサートホールでイベントを行った。
私は出られないから、客席からみんなを見守っていた。
歌詞はけっこうギリギリまでかかってしまったけど、イベントは無事終わったので胸を撫で下ろした。
来場者は学校でやった時よりも増えていたのは嬉しかった。
半分以上は身内だったけれど。

「あれ」

この間来ていた男子高校生と、みんなの元へ向かう途中の廊下でばったり出くわした。

「こんにちは。今回は出なかったんだね」

「怪我してて、それで」

「そうなんだ」

心配そうに眉根を寄せた。

「怪我って言っても、もう治ってるんだけど用心してなの」

「そっか、良かった。あの、この後時間ある? 良ければ一緒にお昼でもどう?」

「え、あの……」

困った。
と、遠くに曜ちゃんを発見した。
助かった。曜ちゃんが呼んでくれると思ったのに、彼女はふいと顔をそらした。
え、何、今の。

気付かなかった?
そんな事はなかったと思う。
目、合ったよね。

「あの、梨子ちゃん?」

「ごめんなさい、そういうのはお断りしてるから」

「あ、だよね……じゃ、せめて連絡先を」

「急いでるの、じゃあね」

彼の横を急いで通りすぎる。
悪い事をしたかな。
でも、今は、曜ちゃんの方が大事。
更衣室の前に曜ちゃんがいた。

「もお、どうして声かけてくれなかったの」

「良い雰囲気だったし、邪魔したら、悪いかなって」

「まさか、曜ちゃん、目悪い」

「目は、悪い方だよ」

「そのせいよ。私、あの子に興味ないもの」

「そうなんだ……」

曜ちゃん、私、離れないって言ったのに。
特別な意味として捉えてはくれないのね。

「おーい、二人とも帰るよー」

千歌ちゃんが呼んでいる。

「あー、はーい!」

曜ちゃんが手を振った。

「帰ろっか」

「ええ」

手を掴もうとしたら、

「今、汗臭いから」

と断られた。
そんなの、気にしないのに。
というか、曜ちゃんの匂いなら、別に、なんでも好き。
危ない、かも。

「曜ちゃん」

「んー」

タオルで汗を拭きながら、歩き出す。

「今日、家に行ってもいい?」

曜ちゃんが肩越しに振り返る。

「え、私が行くよ」

「いいの、私が行きたいのよ。ダメ?」

「大丈夫だけど」

帰る手間の事とか考えてくれたんだろうけど、
私の家の隣が千歌ちゃん家なの、忘れてないかな。
意識してるのは私だけ、ってことなのかもね。

「今日、ママいないから、夕飯食べに行こうと思ってて……」

「ああ、じゃあ、ハンバーグ作りに行ってもいい?」

曜ちゃんの目が輝く。

「え、ホント! わーい!」

なんだか、ハンバーグで釣ったみたい。
結果オーライか。

今日はここまで。
また、明日の夜に

おつ
楽しみにしてます
でもハンバーグで笑う

乙です
そういえばこの梨子ちゃんは匂いフェチだった
後輩ちゃんも、この後絡むにしろ絡まないにしろ、良い方向に向かうといいな

おつおつです

続きこないな…

今日は無理なので、明日の夕方くらいにまた

待ってます!

夕方。買い物を済ませて、曜ちゃん家に向かった。
インターホンを押す前に、ごくりと喉を鳴らす。
曜ちゃん以外誰もいないって、緊張する。

「ふっ……」

怖気づいているの?
桜内梨子ともあろう者が?
まあ、こうなるとは思っていたわ。

そうだ。
先にSNSで知らせよう。
ピロリロン。
と、気の抜けたメロディが背後から聞こえた。

「わっ!」

曜ちゃんだ。

「わ……あっ、びっくりした……」

「全然してないよね?」

「だって」

音が先に聞こえてたし。

「まあ、いいや。入って、入って」

「お邪魔します~」

曜ちゃん家は冷房が効いていて涼しかった。
入っていた力がちょっと抜ける。

「お腹空いた?」

曜ちゃんに聞いた。

「うん」

頷いて、お腹をさする。

「さっきからお腹の悲鳴がやばいであります」

「それは、大変ね」

「そっ、さーて、私は何を手伝おうか」

曜ちゃんが腕をまくる。

「あ、ごめんね。手伝う事ないの」

ごそごそと、袋から具材を並べていく。

「ええっ」

「曜ちゃん、そこに座ってテレビ見てて。道具の場所分からなかったら聞くね」

「梨子ちゃん、そんな」

「いいから。私が作ってあげたいの」

「う~、じゃあお言葉に甘えるよ?」

「どうぞ、どうぞ」

だって、陽ちゃんと至近距離で料理なんて、集中できないに決まってる。

曜ちゃんがソファに腰を降ろしたのを見届けて、ミンチ肉に下ごしらえを施していると、

「梨子ちゃんて、東京で男の子にモテてたでしょ」

曜ちゃんが言った。

「そんなこと、ないよ」

「だってたまに、どんな男も瞬殺よっ、みたいな顔してる」

「どんな顔よ」

それ、たぶん、曜ちゃんと二人っきりの時だけ。

「私にはできないけどさ」

チャンネルを無造作に変える。

「この間、私がコンサートホールで話しかけた時の、一瞬の顔とか……あ、梨子ちゃん女の子だなって」

「それは……」

順序が逆。
話しかけられたから、なのに。

「曜ちゃんがいたからよ?」

曜ちゃんの中の私の印象に、もしかして東京ギャルみたいなものがあるの?
まずい。払拭しないと。

「……早く曜ちゃんにお疲れ様って言ってあげたくて、そしたら目の前にいたから嬉しくなったの」

恥ずかしい事を言っている自覚はあった。
耳が熱い。
返答がないので、振り返る。
曜ちゃんがこっちを向いて、目が合って、

「ありがと……」

ゆっくり俯いていた。

何かしら。曜ちゃん、最近あまり目を合わせてくれない。
私は少し気まずさを感じながら、

「そ、そう言えば、疲れてない?」

はっとしたように、曜ちゃんは顔を上げた。

「任せて! 全然大丈夫!」

「すごいっ、脳筋」

「また、脳筋って言ったね!? もう、関係ないよね?! 言いたいだけだよね?!」

ソファーで地団駄を踏んでいる。
可愛い。
笑ったら、頬を膨らませていた。
それから1時間くらいして、机には出来立てのハンバーグが二つ並んだ。
曜ちゃんがそわそわしていて。
その光景を動画でも写真でもいいから収めて、部屋にでも飾りたかった。
実際、写真はスマホに4枚程、曜ちゃんを中心に撮影した。
最後の1枚は、二人で。
待ち受けにしようか迷ったけど、さすがに気持ち悪いと思われたら嫌なのでやめた。

いただきます、の合図で曜ちゃんがハンバーグめがけて箸をつける。
自信はあった。マズいなんて言ったら、曜ちゃんを張り倒そう。
と、強気の姿勢はなんの意味もなく、曜ちゃんの口の中に入って行く瞬間は、
ああ、曜ちゃんの好みの味じゃなかったら、などと弱気になっていた。

でも、それは全て杞憂に終わった。

「おいしー!! めっちゃおいしー!! これ、やばい!!」

全身で感想を表現する曜ちゃん。
私は迷うことなく、その姿を写メってしまったのだった。

良いぞ

その後、曜ちゃんに褒められて天狗になった私は、さらに、家から持たされたある物を机に置いた。

「なにそれ?」

白い液体の入った瓶。
それを、手に持ちつつ、曜ちゃんが首を傾げる。

「甘酒。おばあちゃんの家から送られてきたの。美容にいいからって」

「梨子ちゃんは、もう飲む必要ないでしょ」

そうからかいながら、席を立ってグラスを二つ持ってきてくれた。

「甘酒って、でもお酒じゃない?」

「大丈夫、全然酔わないよ。お正月とかに飲まない?」

「うん」

「じゃあ、味見くらいでやめておこうか。また、大人になってからね」

残念。喜ぶ姿が見たかったけど、これは失敗。

「……そう言われると」

「そう言われると?」

「飲まないわけにはいきませんなあ」

そんなつもりはこれっぽちもなかったのに、なぜか曜ちゃんは闘志を燃やしていた。

「えっと、無理しないでね?」

曜ちゃんが瓶の蓋に手をかける。
聞いちゃいない。

どろっとした甘酒を互いのグラスに注ぐ。

「なんだろ、発酵してるぜって匂い」

曜ちゃんが鼻を揺らす。
そのまんまね。

「じゃあ、お疲れ様で、乾杯」

私が言うと、

「乾杯」

と曜ちゃんも慌ててグラスを掲げた。
ガラスの重なり合う音。
毒見をするような曜ちゃんを盗み見ながら、一口飲み干す。
口どけが良くて、美味しい。

「どう?」

「ん……ごく、おいひい」

ちびちびと飲んでいる。

「でしょ? 温めて飲んだ方が美味しいんだけどね」

「そうなの? じゃあ、温めるよ」

立ち上がって、陶器のコップにも甘酒を注ぐ。
気に入ってもらえて良かった。

最初の方は、お喋りしながらテレビのバラエティ番組にツッコミを入れながら、楽しく飲んでいた。
だんだんと体の方が熱くなっていって、

「梨子ちゃん、ちょっと頬っぺたがポカポカしてきた」

「ちょっと赤いかも。曜ちゃん、もう止めといた方がいいよ」

「でも……」

と、またちびちび飲み出す。

「ダーメ」

「梨子ちゃ~ん」

「はい、お茶」

甘酒のせいか、少し甘えん坊な曜ちゃんを垣間見れた。
暫くして、もう酔いも覚めたかなと思った頃に、お手洗いで抜けてまた戻ってくると、瓶の中に半分程残っていた甘酒が無くなっていた。
曜ちゃんが背中を向けて、ぐびぐびと飲んでいた。

「もお、曜ちゃんってば」

呼んでも振り返らない。
おかしいと思って、正面に回る。
飲んでいたグラスを取り上げた。

「弱いみたいだから、もうダメってば」

「へーき、へーき」

どこがかしら。

「洗面所で、自分の顔見てきたらいいよ」

「はーい」

とたた、と走っていく曜ちゃん。
足どりはしっかりしているようだけど。
部屋の奥から、まっかっか! と叫ぶ声が聞こえたので、私は頭を抱えた。

そして、戻って来ない。
私も洗面所に向かった。

「曜ちゃん?」

洗面台に突っ伏している。

「だ、大丈夫?」

「へーき、へーき」

「もう、それは信用しないからね。立てる?」

「うん……」

立ったとたん。顔から私の体に倒れ込む。
なんとか支えるけど、曜ちゃんが、

「梨子ちゃん、胸、ふかふかするー」

っと呟いたので、羞恥から突き飛ばしてしまった。

「いだあっ」

背中から思いっきりぶつかってしまう。

「ご、ごめんなさいっ」

腕で胸を庇いながら謝った。

「酷い……よ」

背中を擦りながら、私の腕を掴んで引き寄せる。

ゆっくりと顔が近づてきて、彼女の吐息が私の首筋にかかった。

「……よ、よ、よ」

言葉が出ない。

「うんん……」

背筋が震えた。
曜ちゃんに抱きしめられている。
保健室の時よりも、彼女の体温をしっかりと感じていた。

「梨子ちゃん……」

舌たらずに呼ばれる。
これは、お酒のせい。お酒のせい。お酒のせい。

「曜ちゃん、お水飲もう? ね?」

「どうして、梨子ちゃん、そんなに優しいの……」

「急に、何?」

魂が半分抜けた体を引きずって、キッチンへ向かわせる。

「同情……なの? 同情するなら、金をくれ……」

家なき子?

「同情なんかじゃないもの」

筋肉のせいかな。
曜ちゃんの体、見かけよりも重たい。

「同情は平等よ……でも、この気持ちは平等じゃないから」

「へへへ……意味分からないヨーソロ」

「分からない、か……」

そうね。
曜ちゃんにとって私は、親しい友人の一人なんだもの。

「ごめん、梨子ちゃん」

「え」

「悲しい顔、してる……」

酔っていた方が、鼻が利くのかもね。

「曜ちゃんのせい」

「そっか……ごめん」

「……」

やっと、リビングにたどり着き、ソファに寝転がらせる。
私の体を一向に離そうとしないので、無理やり引っぺがした。
バカ力め。
力尽きたのか、曜ちゃんの瞼は落ちていた。

「悲しい顔してるのは、どっちよ」

隣に座って、髪を撫でた。

首が後ろに反り返って危なっかしい。
頭を太ももの上にそっと寝かせた。

「んにゃ……ハンバーグ、も一個」

「まだ食べるの?」

応答が無い。
寝言みたい。

「やっぱり、今日は疲れてたんでしょ……」

だから、こんなに酔いが回ったんだ。
曜ちゃんの大丈夫程、疑うべきものは無かったのに。

「無理して、合わせるから……」

頬に触れると、指すぐに熱が伝わってきた。

「へへへ……」

寝てる時の方が楽しそうなのね。ちょっと、気に食わない。
でも、曜ちゃんの顔がとても穏やかで。
まるで、私は彼女の揺りかご。
もし、そうなら、いいけど。

「梨子ちゃん……」

下を向くと、うっすらと目を開けていた。

「なあに?」

「私、めんどくさいよね……疲れるよね」

「ううん」

「こんな迷惑な人間、いなかった、そうじゃない?」

もし、いたら、私はきっと、あなたを好きになってなかったかもね。

「そうねえ。曜ちゃんみたいな人、一人で十分」

この気持ちは、一人で十分よ。

「……やっぱり」

ああ、落ち込んだ。

「私に嫌われるのは嫌?」

そうなら嬉しい。

「……やだよ」

「そう、ありがとう」

「誰かに……」

曜ちゃんが私の手を掴んだ。

「とられるのも……嫌みたい」

私も曜ちゃんの手を掴み直す。
それは、どういう意味なの。

「ほら、迷惑だ」

「誰も、言ってないじゃない」

もっと、言葉をお願い。
そんなのじゃ物足りない。
確信できない。

「だって、梨子ちゃんは……東京の人で、いつまでも沼津にずっといるって訳じゃない。そばにいる、なんて……簡単に約束しちゃダメだよ」

「どうして? 私は沼津にずっといるんじゃなくて、曜ちゃんとずっと一緒にいたいのよ。それに、簡単に言ったつもりもない」

イライラしてきた。
この分からず屋。
私だって、どうやったら一緒にいれるのか考えてるのに。
考えても考えても、いつも自信はない。
先のこと?
不安しかないよ。
それでも、一緒にいたいの。

「だから、それが……ダメって」

「何がダメなの」

私じゃダメなら、はっきり言って欲しい。
千歌ちゃんじゃないとダメだったなら、そう言って。

「梨子ちゃんが気に入った人じゃないと」

ぐだぐだと曜ちゃんは言う。
たぶん、曜ちゃんの頭の中は迷路になってるんだ。
今は何を話しても、迷うだけかも。
私はため息をついて、小さく笑った。

「……曜ちゃんも見つかるといいわね」

次から曜ちゃん視点です

期待

目が覚めたら、自分の部屋にいた。
不思議な事じゃないんだけど、寝返りを打つと何かにぶつかったから、ぎょっとした。
梨子ちゃん?
深夜2時。
私は一体、いつベッドに入ったんだろう。
梨子ちゃんは、どうして一緒に寝てるんだろう。

しばらく、梨子ちゃんの寝顔を見て、思い返す。
徐々に、記憶が戻って来る。
戻らなくてもいい記憶と一緒に。

「ひ……」

叫びそうになって、口を抑えた。
やらかした。
思いっきり、やらかしたぞ、渡辺曜。
梨子ちゃんの膝枕を受けていた自分が、嘘のようだ。
静かに深く、枕を頭に打ち付けた。

「あ……」

甘酒のせいかな。
香りが漂っている。
美味しくて、ついつい飲み過ぎて。

よし、お風呂、入ろう。
明日、学校あるから、梨子ちゃんもお風呂入りたかっただろうに。
もぞもぞと動くと、お腹に何かが――梨子ちゃんの腕が巻き付いてきた。

「わっ」

「どこ、行くの」

背中のすぐ後ろで声が聞こえた。

「ご、ごめんね……私、梨子ちゃんにとんだ事故を」

「どこ行くのって聞いてるのよ」

恐い。

「お、お風呂に」

「一人で?」

「は、はい」

「私も入りたい」

「でも、狭いよ?」

「いいの。このまま寝るのは、イヤ」

ごもっとも。

「んー、じゃあ私後で入るから」

「さっきまで酔ってたのに、ダメよ。一緒に入ろう?」

「一緒にって」

ウエストがきゅっと締まる。

「お願い……」

お願いって。

ママはまだ帰ってきていなかった。
私と梨子ちゃんは脱衣所で、背中合わせに服を脱いだ。
前側はタオルで隠していたけど、それ以外の露出した肌が色っぽくて、本当に同い年かと疑ってしまう。

「曜ちゃん、そんなに見られると恥ずかしい……」

「え、ごめん」

見過ぎてた。
急ぎ足でお風呂場の扉を開けて、一歩踏み出す。
と、足元が滑った。

「曜ちゃんっ」

梨子ちゃんに抱き止められる。

「バカ、心臓止まるかと思ったでしょ」

「う……すみません」

後頭部に生の乳が当たっていた。
女の子同士でも、それは、かなり心拍数が上がる訳で。
触れ合っている肌と肌の感触が、柔らかくて。

ふと落とした視線の先に、彼女の脇腹の痛々しい傷跡があった。

「そこ、お湯つけても大丈夫なの?」

「ええ、もう塞がってるから」

シャワーを捻って、互いに掛け合った。
そう言えば、小さい頃、千歌ちゃん家の温泉で、よくやったな。
今はしなくなったけど。みと姉とかとも入ったりして。

無邪気だったな。

「頭洗ってあげるよ、梨子ちゃん」

「じゃあ、お願い」

「お湯熱くない?」

「ちょうどいいよ」

背中側からゆっくりと、髪の毛にシャワーを当てていく。
千歌ちゃんの事、意識し始めて急に恥ずかしくなったっけ。

「シャンプーつけるね」

「はーい」

泡立てて、髪を痛めないように洗ってやる。
背中に落ちていく泡。

『曜ちゃん! くすぐったいよー!』

『千歌ちゃん、我慢しなー』

『まだー?』

『もう少しだよ』

幼い頃に見た、あの子の背中。
いつも、そばにいてくれた。
言葉さえいらなかった。

「梨子ちゃん、かゆい所ない?」

「うん」

「洗い流しますぞ」

「お願いします」


でも、本当は違った。
言葉が必要だった。
千歌ちゃんにではなく、私に。

『曜ちゃん、すごーい! 千歌にはできないよ』

『千歌ちゃん、見ててね!』


『やりたいこと、まだ見つからなくて……』

『そっか。見つかったら最初に教えてね。応援するよ』


『スクールアイドル、やりたい!』

『水泳部と掛け持ちだけど、私も入るよ!』


『立派な高海千歌になるから、曜ちゃんも――』

『うん――』

腕に、梨子ちゃんの手が触れていた。

「曜ちゃん」

「あ、コンディショナーつけるね」

「うん」

私が笑うと、梨子ちゃんもつられたのか微笑み返す。
なんてことない仕草なのに、どうして――。

『そばに――』

千歌ちゃんが飛び出す時、私も一緒にいたいと思ったんだ。
そのままずっと一緒に。
一人じゃ、心細いだろうって、危ないだろうって、決めつけてさ。

悪い奴だったんだ。
千歌ちゃんが輝くのを誰よりも後押ししてるフリをしていただけだ。
親友のフリをしていただけだ。
その方が、近づけたから。
手に入らないと分かったら途端に臆病になってしまう。

「曜ちゃん、交替しよっか」

「じゃあ、頼みます」

「大丈夫? まだ、ぼーっとしてるみたい」

「うん、そうみたい」

「私に、もたれてていいよ?」

背中に、梨子ちゃんのお腹が当たった。
どきりとした。
でも、甘えたかった。

「そうするね」

こんな悪い奴でも、優しい人は現れるんだね。

「曜ちゃん、目、閉じないと……」

「わっと」

「お客さん、力加減どうです?」

「良い感じですな」

「そうでしょう」

「なんじゃそりゃ」

目を閉じて、いっそう感じる。
その声音の優しさ、心地良さ。

「曜ちゃん、髪短いから洗うのラクでいいな」

「乾くのも早いよ。2分くらい」

「早すぎる……」

シャワーがかけられる。
その後、体は各々で洗って、湯船に浸かった。
不思議と、入る時より気持ちが落ち着いていた。
正面に体育座りする梨子ちゃん。
眠そうな顔。
洗い流されたものがあったのかも。

『顔色を窺ってばかりいると――』

『大切なものが増えたんだ――』

一緒にいてくれると嬉しい。
手を握られると、恥ずかしくなる。
でも、繋いでると安心する。

「曜ちゃん、手出して」

「はい?」

水音が跳ねた。
梨子ちゃんの腕が伸びて、私の指の隙間に彼女の指が収まっていく。

「して欲しそうだったから」

梨子ちゃんが、目を細めた。
そうだ。
増えたんだ。
私の大切な人が。
信じても、離れていくかもしれない。
そう思うと、怖くなる。
だから、それ以上が分からない。
想像すらできない。
この気持ちは――。

みんなで楽しくするフリを止めよう。
私の中に、一人占めしたい醜い自分がいることを認めてあげないと。
この気持ちは――。

この気持ちを表わすとしたら――。

「梨子ちゃん」

湯船が揺れる。
彼女の瞳から、目が離せない。
つい先ほど、眠りについたと思っていた心臓が蘇えり脈打ち出す。

「曜ちゃん……?」

水気を帯び、色艶の増した、唇。
近づきたくなる。
片手を、浴槽の縁に面したタイルに当て、膝を少し立てる。
梨子ちゃんは、でも逃げようとしない。
頭の中は、触れたい、それだけだ。
触れて、
もっと繋がりたい。

互いの吐息がかかった。


ガチャン。
玄関の鍵が開く音。
ガサガサとナイロンの袋がこすれ合う。
音が近づいてきて、

「あれ、曜ちゃん、こんな時間にお風呂?」

お風呂場のガラス戸越しに、ママの影が映った。

「あ……う、うん」

「早く寝るのよ」

「は、はーい」

無理矢理明るく返事をした。
その後は、梨子ちゃんの顔を見ることができなかった。

今日はここまで
また明日以降で

あぁ…
もどかしい…
だがそれがいい…

キマさない

お風呂から出て、心ここにあらずな状態で、ろくに体も拭かないまま寝巻に着替えた。
梨子ちゃんをベッドに案内して、床で寝ようとしたら、無理やりベッドに引っ張られてしまった。
しょうがないから、その時は梨子ちゃんの隣に潜った。
電気を消して、目をつむる。
喋らなければ、ただ静かで。
梨子ちゃんの呼吸が気になってしまって。
しばらくして、梨子ちゃんが寝付いた頃に、私はタオルケットを一枚お腹にかけて床で眠ったのだった。

そんな状態も相まって、私は翌日、見事に風邪を引いていた。

「……ッ」

目覚めた時に、喉が痛くて声が出なかった。
とにかく体が寒くて、節々が痛みを訴えていた。
心配する梨子ちゃんをなんとか学校に送り出し、今、一人、ベッドに横たわっている。

SNSに、千歌ちゃんからスタンプとお見舞いの言葉が来ていた。
返す気力も無く、スマホを床にそっと置く。

風邪なんか引くの、久しぶり。
体調管理には気をつけてたつもりだったのに。
一瞬の油断とやらが、命取りってやつだ。

喉の奥は焼けるように熱い。
夏なのに全身は寒くて寒くて、暖房の温度を上げても治まらない。
寝ようにも寝れるわけもなく。
昨日まですぐ隣にいた梨子ちゃんの残像が目の前にちらついていた。

梨子ちゃん。
想像の中で、彼女は笑っている。
こちらに手を伸ばして、頬を撫でてくれるのだ。
指を絡めるように手を握ってくれて。

現実は、違う。また、困らせた。気を遣わせた。
横を向く。
少しだけしわになったシーツ。
くぼんだ部分が、そこにいた証拠。

「こほッ……」

昨日、私は――何をしようとした。
甘酒のせい。
そう言ってしまうのは簡単だけど。
それで片づけてしまって、本当にいいのかな。
なんて、不誠実。

そうだ。
私は、千歌ちゃんをとられたくなかっただけだったのに。
いつの間に、梨子ちゃんにすり替わってしまったんだろう。
まるで、代わりを求めたみたい。
恐ろしい。
自分が。

目の前にあった、
光る太陽も、
その輝きへ羽ばたいた鳥も、
手に入れることなんてできない。
ずっと下の方で、見上げているだけ。
変わらない事を望んでいた。
変わらなくてもいい。
そうだよ。
変わらなくてもいい。
飛び立つ鳥を捕まえることなんてできない。
私は地上で精一杯の事をすればいい。
私の舞台はそこなんだから。

光る太陽も、
その輝きへ羽ばたいた鳥も、
繋ぎ止めちゃいけない。
自由なんだから。
地上にある、重たい鎖の事を知られちゃダメなんだ。

寝苦しいながらも、私は少しだけ眠った。
何度か起きて、水を飲んだ。
昼時になり、お腹も空かず、飲むタイプのゼリーをすすり、また横になった。
締め切ったカーテンから、茜色の西日が射しこんだ頃、もう一度目が覚めた。

「曜ちゃん、起きた?」

「梨子ちゃん……」

喉はだいぶマシになっていた。

「寝ぼけてる。千歌だよ」

「ち、か、ちゃん」

だるい体を起こす。

「いいよ、寝てなよ。声、ちょっとハスキーだね」

押し戻される。

「来てくれたの……」

「元気そうだったら、一緒にみかん食べようと思って」

千歌ちゃんがみかんを二個取り出して、自分の頬っぺたにくっつける。
可愛らしい。

「ありがとう……でも、まだお腹空かなくて」

「だよね~、早く元気になるように、これ持ってきた」

CDプレーヤー。
どこかで見たことある。
そうだ、梨子ちゃんの。

ようそろ…

「もう、使わないからあげるよって」

中には白いCDが入っていた。
題名が書いてある。

『光る海』

梨子ちゃんの字。

「曜ちゃんと顔合わせずらいって、今日はこれ代わりに渡してって言われたんだけど、何かやらかした?」

「あ……う、うん」

なんて説明すれば。

「?」

千歌ちゃんが首を傾げる。
でも、あまり追及はしてこなかった。

「曜ちゃんに言ってなかったことがあってね……」

と言葉尻を濁しながら、イヤホンを私の両耳にはめ込んだ。
再生ボタンを押す。

「あれ、これって……昨日のイベントの」

すぐに思い当たって、耳を傾ける。

「うん」

コンサートホールで踊った曲とはかなり違う。
包まれるような、優しい曲調に変わっていて。
バスで聞いた時とも違う。
歌詞もついてない。

「それ、原曲なの。イベントで使ったのはそれを編曲したんだって」

「へえ……?」

片方を外して、千歌ちゃんを仰ぎ見た。

「お見舞いが曲だなんて、梨子ちゃんらしいや」

「うん……」

千歌ちゃんが、頬っぺたを自分の手で引っ張った。

「ち、千歌ちゃん?」

私はびっくりした。
伸びた皮膚が、びたんと戻る。
どうしたの。
千歌ちゃんが私の両手を握る。

「この曲さ、梨子ちゃんが曜ちゃんを想って、曜ちゃんのために作った曲なの」

吸い込んだ息に、むせそうになった。

「え」

「私にだけ教えてくれたの。『光る海』は、曜ちゃんのことだって」

千歌ちゃんが優しく微笑む。

「ど、うして」

かすれた声が、千歌ちゃんに問いかけた。

「最初から、梨子ちゃんは曜ちゃんを見てたんだよ?」

「まさか……」

「梨子ちゃんは、曜ちゃんを待ってるよ」

千歌ちゃんの手が離れていく。
私の体は相変わらずだるくて、
千歌ちゃんが突き出した拳の意味もすぐには分からなくて、

「行かなくていいの?」

そうやって、

「曜ちゃん、ちゃんと言わないと伝わらないんだから」

残酷な台詞を吐いた。

「言うって、別に、私は……」

千歌ちゃん、そんなこと言わないで。
ずっと友達でいるから。
3人で。

「逃げるの?」

そういうことじゃ――。
カラカラとかすかにCDが回っていて。
もうすぐ、曲が終わりに近づいていた。
片方だけ挿していたイヤホンから、声が聞こえた。

『曜ちゃん、怒らないで聞いてね……』

なに。

『私、曜ちゃんが好きだよ』

夏の雲のように、
私の中に立ち上がっていく感情。
CDは数秒後に、止まった。

「逃げるの? 逃げないの? どっち」

千歌ちゃんが、言った。

―――それから。


靴はサンダルで、
乗り物は自転車で、
私は全速前進で、
学校に向かった。

彼女は、学校にいた。
夕焼けの中、音楽室で、一人ピアノを弾いていた。
息を整える。

「梨子ちゃん」

「よ、曜ちゃん……ッ?!……って、風邪は大丈夫?!」

「うん」

「ど、どうしてここに」

「CD、聞いたからっ」

梨子ちゃんは、頷いた。
信じられないという顔で。

「へ、変なもの贈りつけて……ごめんねっ、あの」

「そんなことないよ」

慌てる梨子ちゃんが、私の心を揺さぶる。

「梨子ちゃん、怒るわけないよ」

走って駆け寄って、椅子から立ち上がった梨子ちゃんに抱き着いた。

「よ、曜ちゃん」

「捕まえた……」

「え、ええっ」

認めないとか、諦めようとか、
そんなこと関係なくて。
そんなことは全く意味はなくて。
この気持ちは――止まらないんだ。
私の幼さや我がままさえも通り越していく。

「私も、君が好き」





おわり

こんなめんどくさいのに付き合ってくれてありがとうございました。

乙です
千歌ちゃんが格好良くてでも可哀想すぎて辛い…
梨子ちゃんも曜ちゃんも千歌ちゃんもみんな幸せになってほしいって思うのは贅沢かもしれないけど…


面白かった
ようちかりこの三角関係が好き

おつ良かった
2年組のドロドロ好き


もう1度前作からゆっくり読み直したくなったわ

1です。終わったスレなので読んでる方いるかわかりませんが、読んで下さってありがとうございます

どうでもいい補足:千歌ちゃんは、ラブライブへの情熱が強くて(むしろ恋人はラブライブ)、恋愛感情を育む余裕はあまりなく、ちょっとミーハーな所がありました。梨子ちゃんは、曜ちゃんのハンカチをまだ返していません。

乙でした。前作今作ともすごく良かったです。個人的に曜ちゃんは2年組の中で恋愛面で一番未成熟
(部活に熱中してきた子にありがち)なイメージなので、自分の気持ちに困惑してうじうじしたりだとか、
鞠莉ちゃんの助言の内容に共感して読めた

>>164
ありがとうございます
大きな挫折を味わったことがなさそうな曜ちゃんは、失敗や恥を知らない純粋さがありそうです。また、それにどう対処していいか分からないし、
考え込んだら考え込んだで、アニメを見る限り、明後日の方向に想像を膨らませる所があって、直感を好み思慮することがめんどくさそうなイメージがあります。

自分を選ばなかった千歌ちゃんに対して自信を砕かれた所もあり、砕かれたかっこいい自分とそれを保とうとする気持ちの折り合いをつけれず、
めんどくさくなって、とりあえずみんな幸せならいいじゃん、と短絡的な発想になって、でも、それが許されない状況に追い込まれ、
今回のssのようにうじうじ曜ちゃんになってしまいましたが、うじうじする曜ちゃんを励ます鞠莉と千歌と梨子が好きです

曜ちゃんは恋愛に関して、「好き」という言葉を使うか分からなかったですが、
梨子ちゃんによって恋愛を学び、子どもながらに「好き」を使い分けることができました。

以上、チラ裏でした。

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