初めて彼女のことを知ったのは一〇年前……彼女が一二歳の頃でした。
色んな新人アイドルが出演していたイベントで、どこか不安げに、端の方に立っていた女の子……それが彼女、白菊ほたるを初めて見た瞬間です。
彼女に対する第一印象は「辛気臭い。幸が薄そう」などという失礼極まりないものでした。
しかし、実際、あの頃の彼女はただ見ているだけで気分が落ち込んでくるような女の子ではありました。
顔はかわいいしパフォーマンスも悪くない。そのはずなのに、どうしてかまったく惹かれない。
何故か。それは彼女に笑顔がなく、愛嬌がないからでした。彼女より容姿も技術も明らかに劣っているアイドルたちは笑顔と愛嬌をせいいっぱい振りまいているのに、彼女にはそれがなかった。明らかに悪目立ちしていました。
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観客の中に知り合いがいたので、僕は彼女のことについて尋ねました。彼女のことを知っているか、と。すると彼は彼女について、色んなことを……『噂』のようなものも教えてくれました。
曰く、彼女は『不幸』だと。実力がないことはないのに、いつもいつも彼女は不幸にさらされる。所属していた事務所が倒産したことは何回あったか。事務所を移籍したことが何回あったか。それだけではなく、日常でも不幸にさらされているらしい。
だからあんなに辛気臭い顔をしているのか、と思いました。そして同時に、どうしてまだアイドルを続けているのだろうか、と思いました。そんな暗い顔をして、いるだけで空気を重くして……正直に言いますと、その頃の僕は『早くアイドルをやめればいいのに』とすら思っていました。きっとアイドルには向いていない。疫病神とすら呼ばれているのだから、こんな世界からは今すぐ手を引くべきだ、と。何より、僕が応援していたアイドルが彼女の不幸に『巻き込まれる』のが嫌だった、ということもありました。
しかし、彼女がアイドルを辞めることはありませんでした。僕が知ってからも、彼女は事務所を移籍することがありました。何度事務所を移籍しても、彼女はアイドルを続けていました。彼女を見るたびに僕は「またあの子がいる」と思っていました。「まだ辞めていないのか」と。
……その頃でしょうか。僕は自分が彼女に注目していることに気づきました。彼女から目が離せない。イベントなどでも些細な不幸にさらされて、また暗い顔をして……でもアイドルを続けている。そんな彼女から、目が離せなくなっていました。
いつからか、僕は彼女を応援するようになっていました。自らの不幸に立ち向かい、あきらめず、アイドルとして活動する彼女を応援するようになっていました。
「どんなに不幸でも、ファンの人を、幸せにしたい。だから、そのために、トップアイドルになりたいんです」
これを聞いたのはいつだったでしょうか。何かのイベントだったかと思います。その時の会場の反応は苦笑でした。嘲笑とも言えるかもしれません。お前なんかがトップアイドルになれるわけがない……観客の、いえ、イベントの司会者、他の出演者、そのほとんどがそう思っていたでしょう。
でも、彼女は――いつもは自信なさげにしている彼女が、暗い彼女が、そう言った時だけは、まっすぐに前を見ていました。強く、強く、まっすぐに。……きっと、この時だったのだと思います。僕が、彼女のファンになったのは。
それから時が経ち、彼女は今の事務所に移籍しました。その事務所は所属しているアイドルがどんどん人気になっている途中の、まさしく『波に乗っている』事務所でした。その事務所のアイドルのファンで、彼女を知る者の中には『やめてくれ』と言う者もいました。自分の応援しているアイドルに彼女の『不幸』が伝染しないか、と恐れていたのでしょう。
僕が思っているのは逆でした。彼女の不幸が伝染するのではなく、あの事務所の『幸福』が彼女に伝染しないか、と。今度こそ、彼女が幸せになってくれることを願いました。
その結果は……みなさんご存知の通りです。今の事務所でも、彼女の不幸体質がなくなったわけではありませんでした。しかし、彼女の担当プロデューサーの力もあって……いつものように、彼女は自らの不幸と戦って、戦って、戦って……白菊ほたるは、人気のあるアイドルになっていきました。
彼女にとって、今の事務所に、担当プロデューサーに出会ったことがいちばんの幸運だったのでしょう。思えば、今までの事務所は事務所からして悪かったのです。ライブ衣装はほとんど私服。いくら新人アイドルにしたって、ひどい扱いであった、と思います。そう思えば、彼女が所属していた事務所が毎回のように倒産していたのは彼女のせいではなく、その事務所自体の問題だったのでしょう。彼女の『不幸』が伝染したのではなく、単に彼女が『不幸にも』そんな事務所にばかり所属することになっていた、と。……もちろん、彼女自身に問題がなかったか、と言えば、そうは思いません。あの頃の彼女は暗く、華がなく、辛気臭かった。その経歴からすればおかしくもないのでしょうが、そういった彼女の態度も一因であった、ということは否定できないでしょう。
……失礼、少し話が脱線しました。今の事務所に所属してからの話に戻りましょう。
今の事務所に所属してから、彼女は変わりました。少しずつ、少しずつ……変わった環境に合わせて、彼女も変わっていきました。
先程も言いましたが、不幸がなかったわけではありません。しかし、彼女はその不幸に立ち向かい、その不幸と戦って……時には、その不幸を利用すらしていましたね。そんなことすらもできるようになった彼女は、どんどん幸せになっていきました。
ずっとずっと応援してきたアイドルです。僕はとても嬉しかったし、感謝していました。彼女の所属する事務所に、彼女を担当するプロデューサーに。いくつもの不幸と戦って、戦って、戦って……最後には幸せを掴む。その物語に、感動していました。
彼女の幸せが嬉しかった。ファンなのだから、そう思うのは当然ですよね。……あるいは、今思えば、これはただの自己暗示だったのかもしれませんが、実際どうだったのかはわかりません。ただ、彼女の幸せをよろこぶべきだと思っていたことは確かです。これからも彼女のことを応援し続けようと。彼女がトップアイドルになるまで……彼女がアイドルを引退するまで、ずっと、ずっと、彼女のことを応援しようと。そう思っていましたし、今でもそう思っています。その思いに関しては、今も変わりません。
彼女はよく笑うようになりました。同じ事務所のアイドルの友人もできて、ユニットの仲間もできたようで……彼女は幸せそうでした。それからも彼女は着実に人気を伸ばしていって……昔、不幸と呼ばれた彼女は、間違いなく、幸せなアイドルになっていました。
そうして数年が経って……彼女が二〇歳の頃。
彼女と彼女の担当プロデューサーの結婚が発表されました。
謝罪の言葉、それでも結婚したいという言葉、自分を幸せにしてくれた人とどうしても一緒になりたいという言葉、それからまた謝罪の言葉。
そんな会見が開かれました。前々から噂されていることではあったのでショックはそれほど大きいものではなく、ファンの間でも「祝福してあげよう」という声が多かったと思われます。
しかし、そんなファンばかりだったわけではありません。過激なファンもいました。僕がどちらだったかは……その時点では、僕は祝福する側の人間でした。こういう時に祝福することが良いファンなのだと思っていたのです。実際、祝福するべきなのでしょう。自分が応援していたアイドルです。幸せになってほしいと願っていたアイドルです。そんな彼女の幸せをよろこばないなんて、それはもうファン失格ではないか。
……そう思っていました。そう思うべきだと思っていました。でも、それでも、僕はショックを受けていました。数日間、何も手につかなくて、食事も砂を食べているようにしか感じられませんでした。会社は休み、最低限の生命活動だけをしていました。テレビをつけると彼女の話題でもちきりでした。テレビを消しました。僕の部屋は彼女のポスターやCD、DVD、雑誌、写真集……そんなものでいっぱいでした。それを見ているだけで、胸が強く締め付けられて……でも、捨ててはいけない、と思いました。捨てたくない、と思いました。
いつの間にか、僕にとって、白菊ほたるというアイドルは人生の一部になっていました。人生の大きな一部を占める存在になっていました。日々は彼女を応援するためにあって、生活を彼女に捧げていました。それを数年も続けて……今更、変えることなんてできませんでした。
結婚しても彼女はアイドルを続けていました。ファンに謝罪しながらも、それでもまだ続けたいと言う彼女はいつも通りの彼女で、僕の好きな、僕がファンになった彼女の姿でした。
彼女との握手会がありました。何か危険があるかもしれないということで万全の警備がありました。そんな警備が必要ならやらなければいい、とは彼女は思っていないようでした。これがせめてもの誠意になるならば、と彼女は握手会を行っていました。
僕はそれに行きました。ファンですから。握手の際、僕は笑顔で彼女と話していました。これからもずっと応援しています。今は色々言われていると思いますが、それでも、僕はあなたを応援します。そんな話をしたと思います。
その時は本当にそう思っていました。そう思うべきだと思っていたから。でも、握手を終えて、剥がされて……その時、ふと頭に彼女と彼女のプロデューサーが幸せそうに微笑んでいる姿がよぎるのです。
ああ、僕はこの短時間しか彼女の手に触れられないのに、きっと彼女のプロデューサーはどれだけでも彼女の手に触れられているのだろうな。いや、それだけじゃない。結婚しているんだ。なら、そういうこともしているだろう。彼女の手は彼女の夫にどれだけ触れたのだろう。彼女の身体は彼女の夫の手にどれだけ触れられたのだろう。
そんなことを考えると強い吐き気を覚えました。そんなことを考えている自分にも吐き気を覚えました。彼女と恋愛関係になりたいわけじゃなかった。そんなことは思っていないつもりだった。でも、どうしてか、苦しかった。つらかった。結婚しないでほしかった。誰かのものにならないでほしかった。誰のものにもならないでほしかった。一人の女の子ではなく、少女ではなく、いつまでも『アイドル』でいてほしかった……。
そもそも、結婚するにしても、恋愛するにしても、それをバラさないでほしかった。いつまでも隠していてほしかった。少なくともアイドルを続ける限りは僕を騙していてほしかった。罪悪感を抱えていても、僕に嘘をついていてほしかった。誠意なんていらないから、残酷な現実なんて見せないで、優しい嘘をつき続けていてほしかった。
幸せに、ならないでいてほしかった。
その瞬間でした。僕は『今の白菊ほたる』にそれほど魅力を感じていないということに気づきました。
今の彼女のことを考えていても僕は苦しいばかりでした。でも、僕の人生において、彼女は既に欠かせない存在でした。
なら、どうすればいいのか。僕は考えました。彼女のことを好きになりたいと思いました。また彼女を応援したいと思いました。また彼女が幸せになれるよう応援できるような……。
僕がいちばん最初に彼女のファンになったのは、彼女が自らの不幸に立ち向かう姿を見たからでした。
僕は思いました。そうだ、なら、彼女をもう一度不幸にすれば、また僕が大好きな彼女が戻ってくるはずだ、と。そこからまた幸せになるために努力する彼女の姿を見ることができたなら、僕はまた、彼女のファンになれる。僕の人生が取り戻せる。そう思いました。
彼女が不幸になるためにはどうすればいいのだろう。僕は次にそう考え始めました。彼女は今の事務所に移籍してからどんどん幸せになっていった。事務所をつぶす? それは僕個人の力でどうにかなる問題ではない。なら、それ以外に彼女が幸せになったきっかけとは?
答えは一つでした。彼女の担当プロデューサー。彼女の夫。
彼を殺せば彼女は不幸になる。僕はそう思いました。
……白菊ほたるさん。あなたは今、不幸ですか?
最愛の夫を、最も信頼していたプロデューサーを失ったのです。きっと、不幸なことでしょう。
そんなあなたに、彼が最後に遺した言葉を送ります。
「ほたる。どうか、幸せに」
これが彼の遺言です。あなたは本当に愛されていたのですね。死の間際、とぎれとぎれにそう言った彼の言葉には、僕も心打たれました。
白菊ほたるさん。僕も彼と同じ気持ちです。
どうか、自殺なんてせず、あきらめず、絶望せず、こんな不幸に負けることなく、生きて下さい。
この不幸に立ち向かって、幸せになるために生きて下さい。
それがあなたの夫の願いであり、僕の願いです。
あなたが幸せを、心から願っております。
……以上です。
終
おつ
Pをコロコロするって事務所潰すより難易度高そうだがな…
ナイフで刺せばお終いやろ会社潰すなんて相当の財力や権力がなきゃ一個人では成し遂げられないしな
乙
結婚あるいは交際を発表した結果
Pが自分のファンに殺されても
なおアイドル続けられそうな子って思い描き難いかな…
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