海未「武道場の一匹狼」 (47)
ラブライブ!ss
ファンタジーな世界観
地の文
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むかしむかしの物語。
ある森の近くの村にリックという名の少年がお母さんとふたりでくらしていました。
リックはらんぼうな少年で、小さな生き物をいじめるのが大好きでした。
ある日、リックは村のはずれでオオカミの子どもが弱っているのを見つけました。
そして、いつものように木の枝でオオカミの子どもをつついていじめました。
しかし、このオオカミはただのオオカミではなく、まほうの力を持ったオオカミだったのです。
オオカミの子どもはさいごの力をふりしぼってリックに呪いのまほうをかけました。
たちまちリックの姿はオオカミに変えられてしまいました。
「反省するまで元の姿にはもどしてあげないよ!」
オオカミから注意を受けたリックでしたが、反省するどころか手に入れたするどいキバとツメをつかってあちこちであばれ回りました。
きょうぼうなオオカミのうわさはたちまち広まり、村では兵隊さんがみはりについて、リックは食べ物を手に入れることがむずかしくなりました。
あるまっくらな夜の日、おなかを空かせてフラフラになったリックの前に一人の村人が通りかかりました。
リックはがまんできずにその村人におそいかかりました。
しばらくたって村人はピクリとも動かなくなりました。
リックが大きな口で村人にかぶりつこうとしたその時、雲が晴れて大きな満月が村人の顔をてらしました。
それはリックが世界でたった一人あいしていたお母さんでした。
リックはとてもふかく後悔して月に向かって大きな声でなきました。
反省したリックは元の人間の姿にもどることができました。
しかし、満月の夜になるとそのときのことを思い出して、オオカミの姿になってとおい空に向かってなきました。
村の人はそれを見て「オオカミ少年ウルフリック」と呼ぶようになりました。
今でも満月の夜になると森の中からオオカミ少年のなきごえがきこえてくるかもしれません。
【魔法使い童話 オオカミ少年ウルフリックより】
穂乃果「おーい、海未ちゃん! 一緒に帰ろう!」
海未「穂乃果、ことり。すみませんが、今日は武道場に寄っていこうと思いまして」
ことり「あー、例の同好会? 最近なんだか張り切ってるね」
海未「はい。伝統あるクラブなので出来るだけ多くの人に知ってもらえるように努力しているのですが……」
穂乃果「やっぱり部員集まらないの?」
海未「ええ。でも、何かきっといい方法があるはずです」
ことり「あんまり無理しちゃダメだからね?」
穂乃果「海未ちゃん、ファイトだよ!」
音ノ木坂魔法学校。数百年前に魔法教育を専門に設立された伝統ある学校。
その校舎から最も遠く離れた片隅にひっそりとたたずむのが、私の所属する『剣術同好会』の拠点である武道場です。
此の同好会にはかねてより抱える大きな問題があります。
それというのも、先ほどの穂乃果たちとの話にもあった部員不足の件です。
現在の部員は一人。そう、私園田海未だけなのです。
海未「今日も一日よろしくお願いします」
今日も正面の壁に掛けられた掛け軸に一人で礼をします。
礼に始まり、礼に終わる。武道の基本です。
海未「さて、昨日は手書きの勧誘のビラ配りをしましたが、今日は何をしましょうかね」
魔法文化が著しく発展した現代、古典的な戦闘技術である武道への関心は弱まるばかり。
昨日のビラ配りでも受け取ってくれたのは指で数えられる程の人数だけでした。
今時護身術として売り込もうにも、みんなは口を揃えて「魔法があるから」と言います。
そういえば、穂乃果とことりが所属しているのも魔法芸術部でしたね。
どこへ行っても何をやっても第一声には魔法、魔法――。
海未「はぁ……たまには気分転換に裏山で素振りでもしますか」
私は愛刀『静波』を腰に携えて外へと繰り出しました。
海未「ああ、やっぱり山は最高ですね! 自然のエネルギーに満ちていて、心が洗われるようです」
瞳を閉じ、静かに呼吸をしていると、自分の精神が森羅万象のひとつとして世界に溶け込んでいくのがわかります。
研ぎ澄まされた感覚は万物の気を捉え、視ることなくしてその構造を理解する。
中でも魔法による空間の揺らぎは一際大きく、その流れを読み、躱し、接近し、相手を斬る。
これが退魔剣術園田流の真骨頂。そうです、護身術に魔法などもはや時代遅れ。温故知新。今こそ武の源流に立ち返り、新たな技術として昇華させれば――。
海未「――っ!!」バッ
気配。
近い。少なくとも十数メートルまで接近を許してしまいました。
私としたことが考え事に耽るあまり……不覚です。
海未「どなたですか? 近くにいるのはわかっています。姿をみせたらどうですか?」
返事はありません。
額にじんわりと汗が浮かぶ。
刀を構えた手先がわずかに震え、剣先が揺らぐ。
いけませんね。動揺は空気を伝播し相手に伝わる。
己の判断を鈍らせるだけでなく、相手に好機を与えてしまう。
海未「そちらが動かぬというなら私の方から行きますよ?」
気付かれずに近づかれた時は少々焦りましたが、どうやら相手は素人のようですね。
そこの木の陰。気配が駄々漏れです。
海未「さあ、観念しなさい! 大人しく頭の後ろに手を回して、それから――」
勢いよく木の裏側に回り込んで宣言したら、そこにいたのは――
「くぅ~ん」
海未「こ、子犬?」
海未「ふっ……はっ!」ブンッブンッ
「……」ジー
海未「……」ブンッブンッ
「……」ジー
海未「あ、あの……先ほども言いましたが、私は餌なんか持っていないのですよ? ですので、そんな物欲しそうな顔で見つめられても困るのですが……」
捨て犬でしょうか。泥で薄汚れた白い毛並みの子犬は、私が小一時間素振りをする様子をじっと見つめていました。
弱りましたね。私はこういった小動物のような類がどうも苦手で……。だって、何を考えているのかよくわからないでしょう?
海未「さて、私はもう帰りますが……あなたも元気で頑張ってくださいね? それでは、ごきげんよう」
いつもの半分も素振りをしていませんでしたが、渋々切り上げ帰路に着きます。
なんとなく子犬に気を取られてしまい集中できませんでしたので。三十六計逃げるに如かず、です。
海未「……」テクテク
「……」トコトコ
海未「……」テクテク
「……」トコトコ
海未「……」クルリ
「はっはっ」フリフリ
海未「あの……どうして着いてくるのでしょう? あなたの家はこの広大な山林でしょう?」
「……?」フリフリ
……はぁ。私はさっきから何を犬相手に真剣に語りかけているのでしょう。
私の言葉がわかるはずないですよね。これだから私は動物が苦手なのです。
海未「とにかく! あなたはもう私に着いてきてはいけません。いいですね?」
「くぅ~ん」
海未「良い返事です。ではでは!」テクテク
「……」トコトコ
海未「……だから、何でですかっ!?」バッ
「……」トコトコトコ
海未「着いてきてはいけないと言っているではないですか!」テクテクテクテク
「……」トコトコトコトコ
海未「言っておきますが、武道場に戻っても食べ物はありませんからね! それにあったとしてもあなたにはあげません!」タッタッタッ
「……」タッタッタッ
海未「もう、何を言っても無駄のようですね。いいでしょう。ついて来られるものならついて来なさい。ただし、子犬相手だろうと容赦はしませんよ?」ダッダッダッ
「オン!」ダッダッダッ
「ハッハッハッ」
海未「はぁ……はぁ……結局撒くことは出来ませんでした……。想像以上にしぶといのですね」
「オン!」
海未「で、す、が! あいにく神聖な修練場に動物を入れることは出来ません。それに何が狙いかはわかりませんが、あなたはやはり山に帰るべきです。わかってください」
「……」シュン
海未「……っ! そ、そんな目をしてもダメです! 私はまだ練習がありますので……それでは今度こそさようなら!」ピシャリ
武道場の扉を閉めると、得も言えぬ背徳感に襲われました。
私は何も悪くないのに……一体なぜ。
私は稽古用の重たい木刀を取り出すと、無心でそれを振り続けました。
不器用な私には迷いを断ち切る術はそれしかなかったのです。
どれくらいの時間が経ったでしょう。
いつの間にか降り出した雨が瓦屋根を叩き、湿った空気が辺りに充満していました。
日はすっかり落ち、雨雲のせいで月明かりさえ差し込まない武道場はほとんど暗闇に近い状態でした。
道着と袴は汗で体に張り付き、頬を伝って流れ落ちた汗は床に小さな水たまりを作っていました。
海未「ふぅ……少し夢中になりすぎましたね」
時計は八時を回っていたので慌てて支度を整えて出口を開けると――
「……くぅ~ん」
海未「あなたは……」
先の子犬がずぶ濡れになって扉の前に座っていました。
小さな体は小刻みに震え、今もなお打ち付ける雨はそれを押しつぶしてしまいそうで。
私は思わず子犬を胸に抱きかかえると、武道場の中へと連れて行きました。
海未「大丈夫ですか? もう寒くないですか?」
「おん!」
子犬は桶に張ったお湯の中で元気よく返事をしました。
優しく手で洗ってやると汚れはすっかりと落ちて、見違えるような白銀のつややかな体毛が姿を現しました。
海未「立派な毛並みですね。せっかく美しく生まれたのなら清潔さを保たなければ勿体ないですよ」
「きゅ~ん」
湯浴みを終え、柔らかいタオルに包んでやると子犬は気持ちよさそうに丸くなりました。
海未「ふふ、可愛いものですね」ナデナデ
「……」グゥー
海未「お腹を空かせているのですね。少し待っていてください」
海未「さっきは食べ物などないと言いましたが……あれは嘘です。実は少しだけお弁当の残りがあるんです。こんなものしかありませんが、よかったらどうぞ」
「はっはっ」ガツガツガツ
海未「よほどお腹が空いていたのですね。かわいそうに。ですが……私の家ではあなたの面倒を見てやることはできないのです。うちの家系はそういったことには特に厳しいので。……ごめんなさい」
「……」ガフガフ
海未「……」
雨足は一向に弱まる気配を見せず、相変わらず屋根を打ち続けていました。
海未「今晩はここに泊まるといいでしょう。どうせ私以外に人なんて来ませんし。ですが、本当に今晩だけですからね? 明日になったらちゃんと元の山に帰るのですよ?」
「わふ」
海未「……」
一抹の不安を胸にその日は、子犬を一匹残し武道場を後にしました。
翌朝武道場の鍵を開けると子犬は姿を消していました。
穂乃果「あ、海未ちゃん! 今から帰るとこ?」
海未「ええ、そうですよ」
穂乃果「やったー! それじゃあ久しぶりに一緒に帰ろっか」
海未「はい、私も今日は同好会の活動を休もうと思うので」
穂乃果「ほんと? それじゃあ、クレープ食べに行こうよ! 昨日ことりちゃんと見つけたお店がすっごくメニュー多くてね。全部制覇するには海未ちゃんの協力がなんとしても……」
ことり「穂乃果ちゃーん!」
穂乃果「あ、ことりちゃんだ! ねえねえ、ことりちゃんも一緒にクレープ食べに行こうよ。昨日のとこ!」
ことり「もう、穂乃果ちゃん忘れちゃったの? 今日は週に一回の魔芸部のミーティングの日だよ」
穂乃果「ミーティング? ……あー!! いけない! すっかり忘れてた……」
海未「もう、穂乃果はしっかりしてください」
穂乃果「面目ない……。あ、でも海未ちゃんクレープ……」
海未「クレープよりミーティングでしょう? あなたは時期キャプテンとして期待されていると聞きましたよ。私との約束なら大丈夫ですから。みんなのところへ行ってあげてください」
穂乃果「ごめんね、海未ちゃん」
ことり「穂乃果ちゃん、早くー! みんな待ってるよー!」
穂乃果「わかった! それじゃあ、海未ちゃん。また今度絶対行こうね!」
ことり「海未ちゃんごめんね。穂乃果ちゃん借りてくからね~」
海未「ええ、しっかり躾けてやってください」
穂乃果「穂乃果は犬じゃないもん!」
ふふ、犬ですか。穂乃果が犬だとしたらなんとも手のかかるペットになりそうですね。
二人の幼馴染の背中を見送ると、なんとなく胸にポッカリと穴が開いたような気持ちになりました。
海未「……武道場に行きますか」
今日は休みにしようと思ったのですが、やることもなくなってしまいましたからね。
暑さの残る初秋の昼下がり。少しだけ涼しげな空気を肌で感じながら、私はいつもの場所へと向かいました。
海未「昨日の子犬は無事に住処に戻ることが出来たでしょうか」
今日はなぜだかあの子犬のことが気になってしまい、授業にもあまり集中できませんでした。
全く、昨日から振り回されっぱなしですね。なのに、なんでしょう。この胸のモヤモヤは――。
武道場の扉を開けて中に入ると、道場の真ん中にはあの子犬がいました。
「おん!」
海未「!! あなた、今朝いなくなったのもそうでしたが、一体どうやって……?」
その後少し調べてみると、老朽化が進んだ壁の一部にわずかに穴が開いているのを見つけました。
海未「古い建物ですからね。今度修理の申請をださなければいけませんね」
「くぅーん……」
海未「そんな顔しないでください……。おや、あなた何か布のようなものを咥えていますね」
海未「これは……わたしの手拭い? あ、そういえば昨日、裏山に練習に行ったときにうっかり忘れてきたような。わざわざ届けに来てくれたんですか?」
「おん!!」
海未「ありがとうございます。なかなか利口な子犬のようですね。そうだ、実は今朝あげようと思って魚肉ソーセージを持って来たんですよ。お礼として、受け取ってくださいね」
「おん!」
海未「……お座り!」
「?」
海未「ま、まあ、わかりませんよね……。何となく言ってみただけです」
「……」チョコン
海未「! そ、そう! それです! それがお座りです! さあ、いい子ですね~。たーんとお食べ」
「♪」ガフガフ
海未「うふふ♪」ナデナデ
海未「……やっぱり捨て犬のようですね。野犬ならこんなに人間に懐かないでしょうし。こんなに小さな体では一人で生きていくのは難しいでしょうね」
「……」モグモグ
うちが無理でも、この武道場でなら――
海未「……あなたが大きくなるまでですよ?」
「? おん!」
海未「不思議な子ですね。本当に私の言葉が分かっているような。そうだ、しばらく面倒を見るのなら名前を付けてやらねばなりませんね。何がいいでしょう?」
シロ、では普通すぎますかね。私はこう言ったネーミングセンスはあまりなくて、昔よく子供ながらに穂乃果やことりが可愛らしい名前をぬいぐるみに付けていたのに感心したものです。
私ですか? ……イルカのぬいぐるみに『とのさま』と名付けたのですがいかがでしょうか。そんなに悪くはないですよね? 可愛くはないですが。
海未「おや? そういえばいつの間にか子犬の姿が見えませんね。……って、危ないですよ!」
「?」ビクッ
子犬は床に置いてあった刀の臭いを嗅いでいました。
海未「鞘に納まっているとはいえ、これは真剣です。あなたを傷つけるものなんですよ? 危険についても躾をしないといけませんね」
私の愛刀『静波』。園田家では古くからの伝統に習い十五の誕生日に成人の儀を執り行うのです。
この刀はその時に父から頂いたものです。剣のように真っ直ぐで芯の強い人間になれ、という思いが込められているそうです。
海未「剣……あなたの名前は『剣(つるぎ)』です!」
またしても可愛らしい名前とはいきませんでしたが、でもいい名前でしょう?
海未「さあ、剣。こっちにいらっしゃい!」
剣「おん!」
穂乃果「はぁー……やっとお昼だよー」
ことり「穂乃果ちゃんは今日もぐっすり眠っていただけのような……」
穂乃果「あ、あれは目を閉じて少し休憩してただけだよ!」
海未「それを眠っているというのですよ」
穂乃果「むむぅ……ま、そんなことよりご飯食べようよ」
海未「すいませんが、今日は一人でいただきますね」
ことり「えぇ、またぁ? ここんとこずっとだよ?」
穂乃果「たまには一緒に食べようよー」
海未「でも、お昼の間にやっておきたいことがありますので。しばらくの間はごめんなさい」
海未「剣、いますか?」
剣「おん!」
海未「お待たせしました。お昼にしましょうか」
朝、昼、放課後。私が彼女の親として接してやれる時間は一日の中でもかなり限られています。
仮とはいえ親となるわけですから、最低限の努めは果たさなくては。今のところ私にできる限界はたかが知れていますが。
そうそう、もう一つ分かったことがあります。それは剣はどうやら雌であるということ。
図書室の蔵書で犬の雌雄識別方法について調べて分かりました。
海未「お座り」
剣「……」チョコン
海未「お手」
剣「……」サッ
海未「待て」
剣「……」ピタッ
海未「よし!」
剣「ぱくっ」ガツガツ
海未「ふふ、いい子ですね~♪」ナデナデ
剣はとても利口で、一週間も経たないうちに簡単な命令をこなすようになりました。
これなら少々複雑な芸でも仕込み甲斐があるというものです。
海未「剣、あなたはずっと独りで寂しくありませんでしたか?」
剣「おん?」
海未「え、私ですか? そうですね、部員が増えてくれればいいんですが、なかなか上手くいかないものですね。そういう意味では私もあなたも独りぼっちかもしれませんね」
剣「おん……」
海未「でも、今はあなたがいてくれますからね。私は寂しくありませんよ? それに、あなたにも私がいます」
剣「おん♪」スリスリ
海未「きゃっ! もう、くすぐったいですよ」
剣「くぅ~ん♪」スリスリ
海未「ふふ、よしよし。食べ終わったら少しだけ遊びましょうね」
海未「少し遅くなってしまいました」
穂乃果「あ、海未ちゃん! 何やってたのさー! もう、授業始まっちゃうよ?」
ことり「海未ちゃんが時間ぎりぎりなんて珍しいね」
海未「すみません、少し用事が長引いてしまって」
穂乃果「そっか、体調が悪いとかじゃなくてよかったよ」
海未「心配掛けてしまいましたね。私なら大丈夫ですよ」
ことり「さ、午後の授業も頑張ろうね」
穂乃果「何の授業だっけ?」
ことり「呪文学だよ」
穂乃果「ひぇ~……なんてこった。穂乃果苦手なんだよね。だって、教科書読んでると眠くなってくるんだもん。まるで呪文でも読んでるみたいで……」
海未「呪文学ですからね。当然です」
穂乃果「はっ!? もしかして、誰かが朗読中に紛れて穂乃果に催眠呪文を掛けているんじゃ……」
ことり「羊が一匹、羊が二匹……」
穂乃果「あぁっ、なんだか瞼が急に重たく……」
海未「そんな呪文はありません!」
ことほの「てへへ」
先生「はーい、それでは授業始めますよー。今日は教科書の74ページからですね。熱系呪文の特殊構文についてです。対象がモノではなく人になる時に一部の動詞・形容詞が変格活用して――」
「おん!」
海未「!?」
突然教室に響く動物の鳴き声。私のよく知るその声は、私の机の横に掛けられたスクールバッグの中から発せられました。
「おん?」
「なに今の?」
ざわめく教室。唯一心当たりのある私の頬を冷や汗がつぅっと流れます。
穂乃果「なんか海未ちゃんの方から聞こえたような」
ことり「私もそんな気が」
穂乃果、ことり! 私を裏切るのですか!? 絶体絶命です。
先生「園田さん、どうかしたの?」
海未「え、えっと……」
海未「お、おん! おほん! ……失礼しました。少し咳き込んでしまっただけです。授業を止めてしまって申し訳ありませんでした」
先生「……」
少し無理があったでしょうか?
先生「そう、つらかったら遠慮なく言ってくださいね?」
海未「はい、お気遣いありがとうございます」
ことり「海未ちゃん、大丈夫? 保健室連れて行こうか?」
海未「だ、大丈夫ですよ! それほど酷くないので」
ことり「そう? あんまり無理しないでね」
ぎこちない笑顔でなんとか返事を返しますが、内心はこの窮地をどう乗り切るか焦燥にかられます。
いつ再び鳴き出すかはわかりません。しかし、幸いにも上手く誤魔化すことができたので最悪同じ方法で何とかこの時間を切り抜ければ次の休み時間には――
「くぅ~ん」
海未「」
「「くぅ~ん!?」」ガタガタ
海未「く、くぅ~ん! いたた! やっぱりお腹が痛いです! 先生、保健室に行ってきます!」ダッ
ことり「あ、海未ちゃん!」
穂乃果「海未ちゃん、どうしちゃったんだろう……?」
ことり「なんか変な声出してたよね……。なぜかカバンまで持って行っちゃったし……」
穂乃果「?」
海未「はぁ……はぁ……やっぱりあなたでしたか」
剣「おん!」
海未「もう、勝手にカバンの中に忍び込んだりして。めっ!ですよ?」
剣「くぅーん……」
海未「あ……ちょっときつく言いすぎました……。剣はきっと寂しかったんですよね? 今回のことは寂しい思いをさせてしまっている私の責任でもありますから」
剣「くぅーん」ペロペロ
海未「ふふ、もう可愛いですね♪」ギュッ
海未「それにしても初めて仮病を使って授業をサボってしまいました。今からでも戻るべきでしょうか」
剣「♪」ペロペロ
海未「……たまにくらいならいいですよね? さ、剣。せっかくなので軽く散歩でもしましょうね」
剣「おん!」
少しずつ色付き始めた山の景色を眺めながら歩いていると、時間の流れがいつもよりずっとゆっくりに感じられました。
でも、こうしてみんなが授業をうけている中こっそり抜け出すのは何だかちょっぴりドキドキしてしまいますね。
不良少女? これでも普段は清く正しい大和撫子で通っているんですよ?
……本当に今日だけなんですからね!
海未「剣、今日は山で練習しますよ。山頂アタックです!」
剣「がうっ!」
それからしばらくして、少し成長した剣を連れて最近はよく山に向かうようになりました。
山の厳しい地形は私自身の鍛錬にもなりますが、同時に剣を元の住処に帰してやるための立派な教育でもあるのです。
海未「このきのこは食べられますが、こっちのはダメです。幻覚作用のある毒キノコです」
剣「クンクン……がう!」
海未「どちらもコナラという木の根元によく生えるみたいですよ。付近に落ちているどんぐりが目印です。犬にどんぐりは与えて良いのでしょうか?」
剣「ぼりぼり」
海未「あぁ!? だ、大丈夫なのですか?」
剣「がう」
海未「良かった……。どんぐりはこの季節なら比較的入手しやすい貴重な栄養源ですね」
本で得た知識だけではわからないこともたくさんありました。自然の中では日々新しい発見の連続です。
海未「さあ、剣。この木の棒を拾ってくるのですよ? いきますよ……それっ!」
剣「がうっ」タッタッタッ
海未「よしよし、いい子です♪ ご褒美のソーセージですよ」
剣「ハグハグ♪」
剣の好物は魚肉ソーセージです。私が初めてあげたときにすっかり気に入ってしまったみたいです。
躾をするときにご褒美として携帯するようにしています。
その成果もあって今ではこんなこともできるようになりました。
海未「剣? どこへ行きました?」ヒュイ
剣「!! ガウガウ!」
海未「おや、そんなところに居たんですね。私は今からここで素振りの稽古をしますので、あまり遠くでなければ自由にしていていいですよ。私がまた合図したら戻ってくるのですよ?」
剣「ばうっ!」
ふふ、どうですか。見事なものでしょう?
実は前々から指笛で動物を呼ぶという仕草に憧れていたんです。……だって何だかかっこよくないですか?
こんな感じで私と剣との絆は深まっていき、パートナーとも呼べる関係を築いていったのです。
海未「ふっ……せいっ! やぁっ!」ブンッ
剣「……」ブンッブンッ
海未「おや、剣。棒切れを咥えて振ったりして、もしかして私の真似ですか?」
剣「がう!」ブンッ
海未「ふふ、気を付けて遊ぶのですよ」
剣「がう!」ブンッブンッ
海未「ふっ……はっ!」ブンッブンッ
剣「……」ブンッブンッ
海未「ふっ!」ブンッブンッ
剣「……」ブンッブンッ
海未「……」チラッ
剣「……」ブンッブンッ
海未「剣先が少し高いです。そこはこう構えて、上から下に……こうです」ブンッ
剣「がう」ブンッ
海未「そうです」
剣「がう!」ブンッブンッ
海未「ふっ……ふっ!」ブンッ
剣「……」ブンッブンッ
海未「……」ブンッブンッ
剣「……」ブンッブンッ
海未「あ、そこはですね……」
何とも奇妙な絆です。
海未「目標までの距離は20mってところですね。風下に回り込んでもう少し近づきましょう」
剣「……」コクン
剣の成長には目を見張るものがありました。それは身体的にも精神的なものにしてもです。
秋が深まる頃には体長は中型から大型犬の成犬ほどにもなり、私の言葉による指示だけで的確な反応を示すようになりました。
今、私たちの目線の先に居るのは来る冬に備え丸々と太った一羽の野兎。初めての狩りです。
海未「距離17m。さあ、私の助けはここまでです。後はあなたのタイミングで獲物を仕留めなさい」
剣は態勢を低く構えて慎重に対象へと近づいていきます。その距離は既に10m程度。そこでじっと息を潜めて機会を待ちます。
生物には全て一定のリズムの呼吸が存在します。それを感じ取ることで、己の気配を殺したり、相手の反応が鈍るタイミングなどを知ることが出来るのです。
剣「……」
野兎「……」キョロキョロ
野兎「……♪」ムシャムシャ
剣「……」
野兎「……っ!!」
勝負は一瞬でした。
海未「つるぎ~!」
剣「バウ!」
海未「凄いです! タイミングも止めの指し方まで完璧でした!」ナデナデ
剣「くぅ~ん♪」ゴロゴロ
見事に野兎を仕留めて見せた剣は私に思い切り飛びついてきました。
立派に成長しましたが、こういうところは相変わらず甘えん坊なんですね。
ですが、そろそろ受け止めるのが大変になってきましたね……。嬉しい悲鳴というやつです。
海未「さて、剣。狩りについて最後の教えです。それは、命に感謝することです。私も剣もそしてこの野兎も等しく命を授かった存在です。そして、その命を奪って頂くという行為は相手の命に対して責任を負うということです。わかりますね?」
剣「がう」
海未「むやみやたらな殺生は許されません。必要な時に必要な分だけ頂く。それがこの世界に生きる者の掟です」
その後、黙祷を捧げて兎を頂きました。
剣は兎の肉を余すところなく平らげました。しっかりと私の言葉を理解してくれたのでしょう。
彼女はもう一人前です。
そして、私は決心したのです。
剣を元の自然へと返すことを。
海未「56、57、58」ブンブン
剣「……」ブンブン
決心はしたもののいざ言いだそうとするとなかなか言い辛いものです。
犬に対して何を躊躇うのかと笑う人もいるかもしれませんが、剣には感情や思考能力はもちろん思想すら芽生えているようです。
ですので、私にとって剣は人と接するのと大差なく、むしろ時には人以上に繊細な一面も持ち合わせている何か神聖なもののように感じられました。
海未「99、100……。今日の稽古はここまでにしましょう」
剣「がお」
結局今日も言えませんでした。
海未「はぁ……私はどうしたいのでしょう」
そうひとりごちて吐いたため息は白い靄となって夜の闇の中に溶けていきました。
季節はいつの間にか冬へと移り変わっていました。
「う~みっ♪」
海未「ひやぁ!?」ビクッ
「ふふ、考え事? 普段ならこ~んな簡単な悪戯には引っかからないのに♪」
海未「もう、絵里でしたか……」
ふいに首元に感じた冷たい感触は絵里の冷え切った手でした。
海未「もしかして、ずっとここで待っていたんですか?」
絵里「ん、大した時間じゃないわよ」
海未「嘘です。こんなに冷たくして……」ボゥ
私は絵里の両手をそっと包むと、魔法の光で温めてあげました。
絵里「あら、ありがとう。でもね、手を冷やしていたのは悪戯するためわざとなのよ? おかげで海未ちゃんの可愛い反応見られちゃった♪」
海未「もう! 温めはなしです! ていうか、そんな無理しなくても冷気の魔法でなんとでもなるじゃないですか」
絵里「それじゃあ意味ないの。せっかく冬が来たんだから」
海未「絵里は冬が好きなのですね」
絵里「まあね」
私が突き放した手を自分で温めながら絵里が返します。
柔らかい色の魔法の光。しばらくの間、二人は黙ってそれを見つめていました。
海未「絵里、何か話があってきたのではないですか?」
絵里「……うーん、まあね」
海未「……」
なんだか歯切れが悪いですね。口を一文字に結び、目の焦点は合っているようでどこか遠くを見ている。
私はこの顔を知っている。最近鏡を覗き込むたびに映るのはこの表情でしたから。
海未「躊躇い、ですか」
絵里「……海未にはわかっちゃうか」
海未「たまたまです」
絵里「つれないなぁ」
一瞬、絵里の手の中の光が揺らぎました。
なんでしょう。胸騒ぎがします。
良くない報せの前触れのような。
海未「……話してください」
翌日
海未「56、57、58……」ブンッブンッ
剣「……」ブンッブンッ
いつもの日課の素振りに身が入りません。
昨晩、絵里に言われた言葉が片時も頭から離れません。
海未『武道場が……取り壊し、ですか?』
絵里『ええ、薬学の授業で扱うマンドレイクを栽培するらしいんだけど、校舎から離れた栽培所を立てられる場所がここしかないみたいで……』
海未『で、ですが! 武道場は非常に歴史のある建物で、剣術同好会だって長年の伝統を後世に伝えるために活動を行ってきました! それを無くすなんて……納得いきません!』
絵里『無くすとは言ってないわ。武道場は古くなっているみたいだったから、これを機に新しいものを建てるそうよ。同好会もそこで活動すればいいじゃない。……本当は学校側はたった一人の部員のために建て替えなんてって渋っていたけど、私が色々と頼み込んだのよ?』
海未『……』
絵里『海未……わかってちょうだい。あなたがここを大切に思っているのは知っているけれど、あなたや私だけじゃ学校の動向までは変えられない』
海未『そんな……』
海未「70、71……」ピタ
剣「がう?」
海未「剣、大事な話があります。刀を納めてください」
海未「そこに座ってください」
剣「……」スッ
私が剣と対面で正座すると、ちょうど目線の高さが同じくらいになりました。
気付いたのですが、剣はどうやら山犬ではなく狼の分類に近いようです。
小さい頃の可愛らしい顔立ちから勇ましく端正な顔立ちへと成長した姿は以前とは比べ物にならないほど頼もしいものですね。
私は柔らかく微笑むと、剣の前に一振りの小太刀を差し出しました。
海未「剣、あなたは大変立派に成長しました。武道の稽古にもよく励み、もう一人前として十分やっていけるでしょう。これはあなたの師である私からのささやかな贈り物です」
剣はいつものように、ばうっと短く吠えると鞘からそっと刀身を引き抜いて夕陽に翳します。
海未「どうですか、美しい刃文でしょう? 直刃というんですよ。私の愛刀の静波は湾れ刃といって、まるでその名の通り静かに波が寄せるみたいでしょう? あなたの刀にも名前を付けてあげなければなりませんね」
ふむ、としばしの思惟に耽ります。
キラキラと橙色の光を反射する刀身。それは穏やかに静かに佇む水面を連想させました。
海未「夕凪。夕方に海の波がピタリと止み、静寂に包まれる時間。この刀にぴったりだと思いませんか?」
剣「ばう!」
海未「ふふ、気に入ってくれたみたいでよかったです。さて、それでは園田流最後の教えです。いいですか? 刀を抜いていいのは『何かを守る時』だけです」
剣「ばう?」
海未「え、何を守るかって? 園田流は基本的には自分の身を守るための護身術ですが、そうですね……。あなたの大切な何かが傷つきそうなとき、そんな時ですかね」
剣「……」
海未「そんなに難しく考えなくても大丈夫ですよ。その時が来ればきっと体の方が勝手に動いてしまう。大切なものとはそういうものです」
剣「ばう……」
海未「大切なもの。まあ、例えば剣なら大好物のソーセージとかではないですか?」
剣「ば、ばうぅ!」
海未「きゃっ! あはは、もう冗談ですよ。くすくす」
夕陽の中で追いかけっこをする犬と少女。
これが花畑で少女が白いワンピースでも着ていれば少しは見栄えするのでしょうが、あいにく武道場で稽古着では台無しですよね……。
海未「わっ! もう降参です!」
剣「くぅ~ん」ペロペロ
海未「ふふ、もう、師匠を押し倒したりなんかして……。覚悟はできているのですか?」
剣「がぅ……!」
海未「そ~れ、わしわし~♪」ワシャワシャ
剣「!?」
海未「ふふふ、まだまだですね」ワシワシ
剣「きゅぅ……」
海未「……」ギュッ
剣「……?」
海未「……」グスン
剣「ばう?」
海未「すいません、剣。そのまま聞いてください。あなたは今日をもって園田流の免許皆伝となりました。一人前になったからにはここにいることは許されません。……つまり、あなたは今日限りで元の山に、自然に帰らなければならないのです」
剣「きゅ~ん?」
海未「ダメですよ、甘えては。あなたはこれから先、誰にも甘えることなく一匹で生きていかなければならないのですから」
剣「ばぅ……」
海未「寂しい、ですか? 大丈夫ですよ。山に行けばきっとほかの仲間にもすぐに会えますよ。そう、本当の仲間と……」
剣「ぅぅぅ……」
海未「剣……わかってください」
剣「くぅ~ん……」ペロペロ
海未「……」
剣の気持ちは痛いほどわかります。体は立派に成長したとはいえ、精神的にはまだまだ幼い子供のようでしたから。
ですが、親とは時として子に厳しくしなけらばならないものなのです。
海未「……剣、もしあなたがここを出ていく気がないようなら」
抱き着いていた剣をそっと解放すると、私は静波を抜き放ちました。
海未「力尽くでその気にさせてあげましょう」
子供を『守る』とはそういうことなのでしょう。
園田流の剣術では自らの気をコントロールすることで、相手の心の隙を突くことができます。
それは主に感情を殺し、殺気を漏らすことないゼロの状態からの瞬間的な爆発によって為される業です。
私がはじめ刀を剣に向かって構えると、剣は酷く怯えた様子を見せました。
つまり、私がこの時纏っていた気は普段の無とは真逆の一糸纏わぬ純粋で暴力的な敵対心に過ぎなかったのです。
剣「ぐるるるる……」
海未「剣、私は本気ですよ」
剣「……」
しばらくの間、お互い睨み合ったままピクリとも動きませんでした。
剣は今まで親身に接してくれていた私が突然自分に刃を向けた意味を全く理解できないといった表情でした。
そして、私が頑として剣に向ける敵意が弱まることがないのを悟ると、とても哀しそうな顔をして夕凪を咥え去っていきました。
海未「はぁ……はぁ……」
剣が去ったのを見届けると、私はその場にぺたんと腰を落としました。
胸の奥が張り裂けそうになって、熱い涙がぼろぼろと頬を伝って床に溢れます。
海未「あ、雪……」
今年初めての雪が窓の外を飾っています。
裸足の足の裏がジンジン痛みます。
胸の奥もジンジン痛みます。
冬の厳しい寒さが私の心臓を凍らせてしまったようでした。
それから一月ほどが経ちました。
剣の姿はあの日以来一度も目にしていません。
穂乃果「海未ちゃーん、今日の放課後ひまー?」
海未「ええ、特に予定はありませんよ」
穂乃果「ほんと!? じゃあ、ことりちゃんと三人で新しくできた喫茶店に行ってみようよ!」
海未「またですか? ここのところ毎日のようにどこかに寄り道してますが」
ことり「最近は海未ちゃんがよく付き合ってくれるのが嬉しいんだもん♪ やっぱり三人が一番だね~」
穂乃果「だよねっ! さあさあ、海未ちゃん。れっつらごー!」
海未「わわっ、押さないでください~!」
先生「お前らー寄り道も程々にな。最近は物騒な噂も聞くからな」
穂乃果「はーい! 気を付けまーす!」
海未「ことり、物騒な噂とはなんですか?」
ことり「んー、なんかね、学校の敷地内で切り裂き魔が出ているって噂なんだ。体を刃物のようなもので切られたって」
穂乃果「そうそう、怖いよねー。夜闇に紛れて……ズバッて!」
海未「なるほど、そんな噂があったんですね。全然知りませんでした」
ことり「そうなの? 生徒の間では結構な噂になってるよ」
穂乃果「海未ちゃんってば噂話だとか流行とかに疎いんだから」
海未「そういうのは苦手なんです! 第一、根も葉もない噂話なんて信用できません!」
ことり「え~今回のは結構面白いんだよ。例えば、その切り裂き魔の正体がオオカミ人間なんじゃないかってこととか」
海未「オオカミ人間、ですって?」
ことり「うん。なんでも襲われた人はみんなオオカミが唸るような低い声を聞いたとか」
穂乃果「満月の夜に大きな耳の生えた女の子を見たって人もいるんだよ!」
海未「オオカミ……」
その言葉に何故だか妙な胸騒ぎのようなものを感じてしまいました。
翌日・図書室
海未「えーと、ア行は、と……」
翌日の放課後、穂乃果とことりの強引な誘いを何とか断って図書室へ足を運びました。
昨日、引っかかったワード。オオカミ人間について調べるためです。
海未「あ、ありました。オオカミと森林の生態学。オオカミと花畑。オオカミ印の魔道具カタログ3016。……オオカミ少年ウルフリック?」
本棚から取り出した本の表紙には満月を背景に獣の耳を生やした少年のシルエットが描かれていました。
魔法使い童話。どうやら児童書のようです。こんなものまで蔵書されているなんて、さすがは音ノ木坂の図書室ですね。
凛「あ、海未ちゃんが図書室にいるにゃ」
海未「おや、凛ではないですか。今日もお手伝いですか?」
凛「ううん。凛も何か読もうかなって思って、面白そうな本を探していたところだよ」
海未「凛が本を? 漫画ではなくて?」
凛「あー海未ちゃんひどいにゃー! 凛だって本くらい読むよ! だてに司書さんのお手伝いをしてないんだからね!」
海未「す、すみません。でも、凛が読書ですか。どういった本を読むのですか?」
凛「えっとねー、この前読んだのは、猫ちゃん探偵24時でしょ。それから犬でもわかる猫の気持ち。あとねー、猫の手お掃除術入門編と応用編」
海未「猫の本ばかりですね」
凛「それと科学使いバニー・ポーカーと鉄の鳥」
海未「あ、そのシリーズ私も読んでますよ」
凛「おお、こんな身近にもバニラ―がいたなんて驚きだよ!」
海未「新作の頭脳の箱は読みましたか? もしまだならお貸ししますが」
凛「ほんと!? まだ新作は図書室には置いてないみたいだったから助かるよ」
海未「ええ、それでは今度持ってきますね」
凛「ありがとう! ぜひお願いするにゃ! あ、よかったら凛のおすすめの小説もいくつか持ってくるね」
海未「ありがとうございます。ふふ、まさか凛と本の貸し借りができるなんて思いもしませんでした」
凛「これからは文学少女凛ちゃんで売り込んでいくからよろしくね! そういえば、海未ちゃんはどんなご用で図書室に来たの?」
海未「あ、それはですね……」
凛「ん? 海未ちゃんが持っているその本……オオカミ少年ウルフリックだ! うわーなつかしー!」
海未「凛はこの本を知っているのですか?」
凛「うん、ちっちゃい頃によくお母さんに読んでもらったんだ。有名な魔法使い童話のひとつだけど、海未ちゃん知らないの?」
海未「え、ええ。恥ずかしながら……。その、どんな内容なんですか?」
凛「うーん……簡単に説明すると、乱暴者の男の子がオオカミになる呪いをかけられてお母さんを殺しちゃって後悔する話」
海未「なんですか、それは。とても子供向けの話とは思えませんが……」
凛「こういう童話ってたまに怖いお話あるんだよね……。凛が最初に読んだ絵本ではお母さんは月の光を浴びて生き返っていたし、子供向けの本では表現が優しくなっているんじゃないかな?」
海未「そうですよね。そんな話を夜寝る前に聞かされたら眠れなくなりそうです」
凛「まったくにゃ。でも、このオオカミ少年ウルフリックにはもっと過激な原作があって、その中だと最後には精神を病んだ男の子が狼の群れを率いて故郷の村を滅ぼしちゃうんだ」
海未「え、それが落ちなんですか? あまりにも残酷すぎませんかね」
凛「確かに変な終わり方だよね。救いがまったくないし。こんな話聞いちゃったらちっちゃい子なんてオオカミ人間がおっかなくて溜まらなくなるよね」
海未「そうですね……。実は私が今日図書室を訪れたのはそのオオカミ人間について調べるためだったんです」
凛「そうだったんだ。もしかして海未ちゃんもあの噂を聞いて?」
海未「ええ、そんなところです」
凛「ふふ、結構ミーハーなんだね。でも、残念。みーんなその噂に興味津々みたいでオオカミ人間の本はここには全然残ってないにゃ」
海未「なんと……それは残念です」
凛「あ、でもね。ここには残ってないだけで、もう一つの図書室にはあるかもしれないにゃ」
海未「もう一つの図書室?」
凛「うん、旧図書室だよ!」
微睡から目を覚ますと、私は薄暗く埃っぽい空間で本の山に囲まれていました。
旧図書室。それは先ほどの新図書室の司書である黒いケットシーの記憶の中にあります。
ここに来る方法はいたって単純。図書室で寝ることです。
正確にはケットシーの記憶の中に自分の意識をリンクさせるのだとか、まあ詳しい話は置いておきましょう。
海未「さて、この中から探さないといけないのですね……」
凛「蔵書数は2億7013万3112冊だってさ」
海未「凄いです。奥の棚が霞んで見えます」
凛「流石に凛たちだけで目的の本を探すのは無理だよ。黒猫さーん、検索お願いするにゃ」
「にゃー」
海未「検索ワードは『オオカミ人間』『人狼』『ウェアウルフ』で、お願いします」
「にゃぁ~」
凛「ヒット件数5098冊だって」
海未「多いですね。もう少し絞らなければ……」
凛「何かキーワードを追加する?」
海未「そうですね、では『事件』を加えてください」
「にゃん」
凛「8冊だって」
海未「それくらいなら全部調べられそうですね」
凛「それじゃあ、黒猫さんお願いにゃ」
「にゃ……おーん!!」シュバ
海未「気のせいでしょうか。司書さんにカラスの様な翼が生えて飛び立ったように見えたのですが」
凛「この空間は黒猫さんの夢の中みたいなものだから基本的に何でもやりたい放題なんだよ」
海未「ならば、瞬時にこの場に本を出すこともできたのでは? あんな回りくどい手段を取らなくても」
凛「海未ちゃんは細かいにゃ。ほら、もう戻ってきたよ。早速作業にとりかかるにゃ」
海未「凛、この本はどうすればよいのでしょうか? なにやら鎖と鍵でガチガチに固められているのですが」
凛「あー閲覧制限のかかった本だね。しかもレベル3。ちょっと貸して」
どこで習ったのでしょう。凛は私が聞き覚えのない単語がいくつも混じった難解な呪文を唱えて本にかけられた鍵をすべて外してしまいました。
海未「あの……これって大丈夫なのですか?」
凛「大丈夫。凛も共犯だから」
海未「全然大丈夫じゃなさそうですね? しかも主犯は私ですか!?」
凛「そんなに心配なら読まなきゃいいにゃ。本を閉じたままにしとけばすぐにまた鍵がかかるからさ」
海未「……」
そう言われたものの、本の魔力というものでしょうか。
私の中の好奇心の杯はあっという間に溢れてしまい、気付くと私はページをめくっていました。
『とある事件と人狼の誕生』
2588年。カナダ、マニトバ州北部の農村にて。
貧しい家庭で育ったリック少年。過疎化が進んだ農村には子供はほとんどおらず、ある日森で出会った魔狼の子供を遊び相手にし始めた。
次第に狼と心を通わすようになった少年は、人間によって住処を奪われた自然動物たちにひどく傷心した。
やがて、少年は狼として生きることを決意。魔狼の呪いによって狼へと姿を変えた。
狼となった少年はもっとも身近にいた母親を殺害後、半獣半人の人狼となり森へ逃亡。
翌年、故郷の農村を数十体の人狼の群れが襲い、村人は奇跡的に一命を取り留めた一名を残し全滅。
人狼の群れは少年が野生の狼との交配により作られたコミュニティーだと考えられる。
以降、コミュニティーは分裂を繰り返して世界中へと散らばっていった。
人狼の家系図は人狼同士あるいは人狼対狼により形成されるため、近年はその見掛は狼へと収束しつつある。
彼らは時として人並み以上の高い知能と魔力を有し、人に付け入る隙を窺っているため一級指定危険生物に登録されている。
事実は小説よりも奇なり。
そして、事実とは時に知らない方が幸せなこともあるものです。
童話の原作となった事件の真相に私は胸の内側にべったりと墨を塗られたような気分になりました。
海未「凛、もう……いいです」
凛「レベル3はちょっぴり刺激が強かったみたいだね」
海未「……凛はよくこのようなものを?」
凛「うーん、たまーにかな? どうしても知りたいことだけ。でも事実は事実としてちゃんと受け入れるようにしてるんだ。慣れるのに時間はかかったけど」
海未「凛は強いのですね。私なんかよりよっぽど」
凛「そんなことはないよ。凛知ってるよ、海未ちゃんには凛が持っていない強さがあるって」
凛に礼を言って家に帰ると、その日は軽い頭痛に見舞われすぐに床に就きました。
そして夢を見ました。
夢の中で私は何かと闘っていました。それは斬っても斬っても何度も立ち上がり、しかもその度に数を増やすのでした。
それを何とか凌ぎ切り、やがて夜が明けて日があたりを照らすと、そこには夥しい数の獣の屍の山が築かれていました。
生きるとは何かを犠牲にすること。それに気づいたとき空から神が現れ、私の体は槍に貫かれました。
私もまた生かすための犠牲となったのです。
穂乃果「海未ちゃん、大丈夫? 体調悪そう……」
海未「ちょっと嫌な夢をみまして……」
穂乃果「へぇーどんな夢だったの?」
海未「なんというか……説明し辛いのですが、すこぶる奇妙な夢でした」
ことり「あー……。夢ってたまに普段の自分が絶対に考えそうもないようなことが起きるよね」
穂乃果「ねーなんなんだろうね、あれ。理解不能系のがくると、ちょっと自分が怖くなるよね」
海未「穂乃果もそのような夢をみたりするのですか?」
穂乃果「うん。一番衝撃的だったのは、そうだなぁ……ドーナツって穴が開いてるじゃん? あの穴にひたすらミートボールを詰める仕事をしているの」
穂乃果「でも詰めても詰めても埋まらなくってね……そしたら、社長に謝りにいかないといけないんだ。それが嫌で嫌で仕方なくって、半べそをかいていたら目が覚めたんだ」
ことり「それは謎だね……」
海未「潜在意識でそんなことを自分は考えているのかと思うとちょっと不安になりますよね……」
穂乃果「うーん、でも実際には意味なんてまったくないわけだし、海未ちゃんもあんまり深く考えない方がいいかもよ?」
海未「そうかもしれませんね。ありがとうございます。少し気が楽になりました」
穂乃果「どういたしまして! 海未ちゃんが元気になってよかった!」
ことり「あ! 絵里ちゃんからメールだ」
穂乃果「穂乃果のとこにも」
海未「μ's全員に送られているみたいですね」
ことり「放課後全員部室に集合、だって」
穂乃果「うわぁ……虫の知らせってやつじゃない、これ」
海未「……せめて悪い知らせでないことを祈りましょう」
絵里「さて、みんな集まったみたいね」
にこ「で、今度はなんなの?」
μ'sは9人のメンバーで構成されたグループで各方面から寄せられた様々な依頼を承っています。
定期ミーティング以外でこうして全員が集められるのは決まって厄介な依頼が届いたことを意味していました。
絵里「最近噂になっている切り裂き魔の話はみんな知っているわよね?」
凛「オオカミ人間のだね! 昨晩、凛たちのクラスの子が被害にあったんだって」
真姫「武道場の近くだったらしいわね。そのせいで武道場取り壊しの業者の視察が延期になったみたい」
海未「武道場の……」
絵里「真姫」
真姫「あっ、ご、ごめんなさい。そんなつもりじゃなくって……」
海未「いえ、気にしなくていいんです。もう覚悟はできていますから」
絵里「それで、ついに学校から私たちに依頼ってわけよ。依頼内容は切り裂き魔の身柄拘束よ」
にこ「はぁ……嫌な予感が的中。信頼されているからなんだろうけれど最近こういうの多くない?」
絵里「危険なのは承知よ。受けるかどうかは話し合いで決めましょう」
ことり「切り裂き魔かぁ……。このまま放置しておくのも危ないよね」
穂乃果「穂乃果達に何とかできるかな?」
希「相手の力量が計れないのがちょっとなぁ……」
切り裂き魔の正体に心当たりがある私にはどうするべきかわかりませんでした。
私の考えが正しければ犯人は十中八九、剣でしょう。
しかし、剣の身柄を確保して受け渡すことになったら、彼女は一体どんな仕打ちを受けるでしょう。
人狼は一級指定危険生物。最悪の場合は……。
海未「……」
穂乃果「海未ちゃん、どうしたの? 顔が怖いよ……」
海未「あ、すいません……。少し考え事を」
絵里「海未は? あなたは今回の依頼、受けるべきだと思う?」
海未「……」
剣と過ごした日々のことを振り返ります。
短い間でしたが、彼女は私に安らぎを与えてくれました。
たくさんのことを教え、たくさんのことを教わりました。
彼女のために私がするべきことは――
海未「……受けましょう。受けるべきです」
穂乃果「夜の学校かぁ。いかにも何か出そうな雰囲気だね」
ことり「海未ちゃん、あまり無理しないでね?」
その日の晩、早速私たちは3つの組に分かれて学校の敷地内を見回りすることになりました。
私たちの組が担当するのは校舎の北側。武道場周辺でした。
海未「……今日は満月ですね」
穂乃果「切り裂き魔の正体が本当にオオカミ人間だったらどうしよっか?」
ことり「んー、海未ちゃんに守ってもらう♪」
穂乃果「海未ちゃんいざという時には頼んだよ!」
海未「ええ、ことりと穂乃果は下がっていてください」
ことり「……」
穂乃果「……」
この問題は親である私の責任です。
なんとしても私が剣を止めなければ。
穂乃果「あ、武道場が見えてきたよ」
ことり「昨日はこの辺りに切り裂き魔が現れたんだよね」
海未「……」
感覚を研ぎ澄まして周囲の気配を探ります。
いる。
少し懐かしい気配に内心浮足立つのも束の間、自分の推測が間違っていたらどんなによかったかと――。
穂乃果「痕跡があるかもしれないね。手分けして探そう」
海未「何かあったらすぐに呼んでくださいね」
穂乃果とことりと分かれて周辺の捜索にあたります。
チャンスがあるとしたら今しかないでしょう。
一対一で片を付けます。
ヒュイ、と小さく指笛を鳴らす。
サッと風が走り抜けると、次の瞬間には武道場の瓦屋根の上、音もなく現れた大狼が月光に照らされた白銀の鬣をたなびかせこちらを見下ろしているのでした。
海未「ごきげんよう」
剣は腰に携えた「夕凪」を鞘から抜きました。
月明かりを浴びた刀身が一筋、夜闇に真っ白な線を引きます。
海未「刀を納めなさい。それを抜いていいのは何かを守る時だけだと教えたはずです」
剣「ガルルルル……」
海未「武道場を守るため? なら安心してください。私はただ話し合いに来ただけですから」
海未「校舎を騒がせる切り裂き魔の正体はあなたですね? 随分と手荒な手段でここを守ろうとしたみたいですが、あなたのエゴに多くの人が迷惑しているんです」
剣「……」
海未「昨晩も一人斬ったそうですね。おかげで業者の方の作業スケジュールが押してしまったみたいです」
剣「グルル?」
海未「なんの業者か、ですって? ……解体業者ですよ。武道場は取り壊すんです。そして、新しくきれいなものに――」
剣「バァウ!!」ビュオッ
海未「!!」
剣の高速の一閃を目と鼻の先で躱します。
海未「これは仕方のないことなんです! わかってください!」
剣「ガウッ! ガウゥ!!」ブンッブンッ
続けざまに下段から上段に逆袈裟に一閃、切り返してもう一閃。
海未「私だって嫌ですよ! 武道場がなくなってしまうなんて! ここは私にとっても大切な場所なんです!」
海未「本当に大人は自分勝手ですよね? 一方的に武道場の取り壊しを決めてしまって……挙句の果てにそれを守ろうとしたあなたの身柄の拘束まで私に言いつけるなんて」
海未「この世界は理不尽なことばかりです……。生まれて間もなく親に見捨てられたり、身に覚えのない罪で住む場所を追われたり、ようやく拾われたと思えばまた追い出されて……」
海未「どうすればよいのかわからなかったんですよね? 守るべきものは全部ここにあったのに……」
縦横無尽に降り注ぐ刃の雨をひらりひらりと掻い潜り、必死に言葉を投げかけます。
剣「ガァウ!!」ブンッ
海未「ふふ、当たらないでしょう? 当然です、あなたに技を教えたのは誰だと思っているんですか。全く……師匠に向けて刃を振るうなんて困った一番弟子ですね」
剣「ガルルル?」ブンッ
海未「なぜ、刀を抜かないか、ですか。そうですね……」
海未「私はあなたの母親だからです」
剣「……」ピタッ
海未「母親は子供を守るべき存在だからです。子供に向けて刀を抜くはずないでしょう」
剣「……ガウ」
海未「そうですよ。あなたの師匠でもありますし、友でありパートナーでもあるんです。私だけはいつでも剣の味方です」
剣「……」
海未「バカですね……そんなの当たり前じゃないですか」
剣「クゥーン……」
海未「いいですか? あなたはもう一人前なんです。私はあなたの母親ですが、子供は大人になったら親から離れて暮らさなくてはならないのです」
海未「その間は少しだけ一人になりますが……きっと新しい大切な仲間が見つかるはずです」
剣と別れるのは寂しいことですが、彼女のためにも私たちのためにもそれが一番いいに違いありません。
思い出の場所は無くなっても、思い出そのものはずっと心の中に――
穂乃果「海未ちゃん、危なーい!!」
海未「穂乃果!?」
数十メートル離れた木陰の中から姿を現した穂乃果は巨大な火球を剣に向かって放ちました。
剣の死角から放たれた火球でしたが、彼女は後ろに目がついているように軽々とそれを回避しました。
的を外した火球は勢いそのままに武道場の壁の一部を抉り取りました。
ことり「穂乃果ちゃん、やり過ぎだよぉ……」
穂乃果「あわわ……でもでも海未ちゃんのピンチを救ったよ!」
穂乃果「あなたが切り裂き魔の犯人だったんだね!」
剣「グルルルル……!!」
武道場を傷つけられたことに剣は激しい怒りを顕わに体中の毛を逆立て、低く唸り声をあげています。
もしかして、穂乃果のことを解体業者と勘違いを……?
海未「剣、待てッ! 穂乃果はあなたを傷つけようとしたわけじゃ……」
剣「ガァウ!!」バッ
穂乃果「わわっ! く、くるよ、ことりちゃん!」
ことり「うん! 任せて!」シュバババ
複数の鋭い風の刃、かまいたち。不可視のそれらを全て回避することは至難の業です。
しかし、園田流の体術を習得した剣はマナの流れを正確に読み取り軽々と躱していきます。
ことり「あ、当たらない!? なんで!?」シュバババ
穂乃果「来ないでよぉ!」ボボボボ
穂乃果の放つ炎の飛礫の弾幕すらも掻い潜り、剣は穂乃果達との距離を詰めていきます。
剣「ガウウウ!!」
穂乃果「うわぁぁ!?」
ことり「穂乃果ちゃん!!」
海未「危ないッ!!」
ザシュッ!!
ポタリ、と鮮血が地面に滴る。
剣が穂乃果を斬り付けるより僅かに速く、私の「静波」が剣の脇腹を切り裂いた。
剣の美しい白銀の毛皮は赤く染まり、彼女はぐったりと地に膝をつきました。
海未「はぁ……はぁ……」
剣「フ―……フー……」
海未「あなたは……ここに居てはいけません。これからは山の奥深くで静かに暮らしなさい。そして、二度とここに戻ってきてはいけません」
私は剣の黒い瞳をしっかりと見据えてそう言いました。
しばらくの間私たちはじっと見つめ合いました。
剣「ウォ――……ン」
剣は一声、月に向かって吠えると、暗闇の中へと姿を消しました。
ことり「穂乃果ちゃん、危なかったね」
穂乃果「ああ、あれ? フェイントだよ。あの狼がもっと近づいたところでおっきいのをぶつけてやろうと思ってたんだ」
ことり「えぇー! そうだったの?」
穂乃果「そうだよ! それなのに海未ちゃんったら早とちりしちゃってさ。依頼は切り裂き魔の拘束だったのに取り逃がしちゃったじゃん」ブー
ことり「まあまあ、海未ちゃんは穂乃果ちゃんのことが心配だったんだよ。ね?」
海未「……」ガクリ
ことり「海未ちゃん!?」
穂乃果「大丈夫!?」
本当は全部わかっていました。
弾幕に集中させて後ろ手に強大なマナを練る穂乃果の巧妙な誘い。
それに気づかずにうかつに飛び掛かろうとしていた剣。
こうするしかなかったのです。
海未「……ぅぅ」グスン
ことり「海未ちゃん……泣いてるの?」
許してください、剣。
こんな不器用な方法でしかあなたを守ることができなかった、私のことを。
その三日後に武道場は取り壊されました。
穂乃果「あ~、もう無理ぃ……。腕が上がんないよぉ」
ことり「うぅ……ことりももう限界です……」
海未「おやおや、まだ素振りは半分も終わってませんよ?」
穂乃果「えぇー! まだそんなに!?」
新設された武道場で私と穂乃果とことりは素振りの稽古をしています。
ふふ、見事に新入部員を獲得してやりましたよ!
なんでも先日の私の剣裁きを目の当たりにして武道に関心を持ったのだとか。
ことり「海未ちゃんはいつもこんなに大変な練習をしてたんだね」
海未「そんなに大変でしょうか? 剣は割に軽々とこなしていましたが」
穂乃果「剣? 誰それ?」
海未「え!? あ、いえ……。あなたたちの姉弟子ですよ」
穂乃果「ふぅーん、穂乃果達の前にも部員さんがいたんだね」
ことり「ねえ、どんな子だったの?」
海未「そうですね……甘えん坊で人懐こくて寂しがり屋で……。私の大切な可愛い一番弟子でした」
穂乃果「ふふ、海未ちゃん嬉しそう。本当にいい人だったんだね!」
ことり「なんだかちょっと嫉妬しちゃうなぁ。私たちの知らない海未ちゃんを知ってると思うと」
冬の厳しい寒さも和らぎ、山には生命の春が訪れた頃でしょう。
彼女は元気でやっているでしょうか?
海未「さあ、休憩は終わりです。素振りの続きをやりましょう!」
穂乃果「えぇーもう夕方だよー?」
海未「来る四月には新入部員を迎えねばなりません。穂乃果とことりには姉弟子として恥ずかしくないだけの技術を身に付けてもらいますよ!」
ことり「でもでも四月まではまだ半月あるよ?」
海未「ローマは一日にして成らず。園田流剣術を会得するためには日々の地道な努力を無くしてありえません」
穂乃果「うえーん! 海未ちゃんの鬼師匠!」
ウォー……ン
どこか遠くの山から狼の遠吠えが聞こえました。
しばらくしてビュウと突風が吹き、窓ガラスをガタガタと震わせました。
ことり「春一番かな?」
穂乃果「毎年海未ちゃんの誕生日を迎えるといよいよ春って感じだよね」
海未「……少し外の様子を見てきます。二人は素振りの続きをしていてください」
ことほの「はぁ~い……」
武道場の引き戸を開け辺りを見回しますが誰もいません。
海未「気のせいでしょうか?」
ふと、足元に目をやると可愛らしい青色の花が一束。
海未「やはり……。ワスレナグサ、ですか。花言葉は確か『真実の愛』と『私を忘れないでください』」
海未「今日は私の誕生日でしたね。覚えていてくれたのですね」
山の稜線に沈みかけの太陽。夕凪の時刻。
海未「忘れるはずないじゃないですか」
「海未ちゃーん! 何かあったのー?」
「振り方をちょっと見て欲しいなぁ」
海未「はーい! 今行きまーす!」
剣、私はもうひとりではありません。
あなたのことがただただ気掛かりです。
毎日訪れるこの武道場には、今でもあなたの気配と勿忘草の香りだけが残っている気がして深呼吸する度にとても懐かしい気持ちに包まれるものです。
人はいさ 心も知らず ふるさとは 花ぞ昔の 香ににほひける
完
読んでくれた方ありがとうございます
一年位前に書いたのと同じ世界観です
穂乃果「屋上の星花火」
穂乃果「屋上の星花火」 - SSまとめ速報
(http://ex14.vip2ch.com/test/read.cgi/news4ssnip/1455637910/)
いいね
おもしろかった
過去作結構あるのね読んでみよう
過去作全部読んだ
面白かった!
>>43
これすごくすき
このSSまとめへのコメント
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