【モバマス】鷺沢文香「月の下の灰かぶり」 (39)
「..….ここ、ですか」
告げられた住所を宛にたどり着いた建物を前に、改めて地図の示す場所と相違ないか確かめます。
二度三度と見直し、ビルの名前を確認し、目印代わりにと聞いていたコンビニが寸分たがわず存在するに至っては認めざるを得ないでしょう。
すでに日も落ち、街灯が灯る時間ですが、煌々と照す月明かりに映し出されるその姿、
さながら伏魔殿と言った雰囲気を漂わせています。
『アイドルプロダクション』
いまだ自身の気持ちも定まらない内に、私はたどりその場所に辿り着いてしまったようです。
「アイドルに興味はありませんか」
叔父の経営する古本屋で店番をする私に、唐突に投げ掛けられた言葉。
青天の霹靂、正にそう呼ぶにふさわしいでしょう。何しろ自分がスカウトを受けているのだと理解するまで優に10分以上はかかったのですから。
混乱する私に対し幾重にも言葉が重ねられる内にどうやら目の前の人物が本当にアイドル事務所のプロデューサーであること、
本心から私をアイドルとしてスカウトしたいと言っていることに得心がいきました。
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...…結局、その時は一旦お引き取り願ったわけですが。
アイドルに興味があるかと問われれば、正直に言ってあまりなかったでしょう。
少なくとも、彼の言葉を耳にするまでは。
勧誘の言葉が何故か心に引っ掛かり、眼前に鎮座する古書を改めて確認したもののやはりアイドルに関連するものは皆無。
ふと気が付けば、今まで見向きもしなかった雑誌を書店で手に取り、テレビに写る少女達を横目で見るようになっていました。
雑誌やテレビの中できらびやかな衣装を着飾り微笑む少女たち。
確かに私の目にも魅力的に映ります。
埃を被る古書と戯れる私とは無縁の世界に他なりません。
本当にそうなのか。
少なくとも、彼に言葉をかけられた時点で縁は出来ているのではないか。
だとしても、それを私が実践することは、また別の話であるはず。
しかし、何かが変わり、物語が始まろうとしているのではないか。
閉店時間も近い古書店の中で、何時もの様に掃除を行いながらも、そんな考えが頭をよぎります。
……思考の堂々巡りを続ける私の目に、一冊の本のタイトルが入ってきました。
古びた、そして、どこでも見かけるごくありふれた、その童話……
気が付けば、返事がほしいと言われていた一週間が過ぎようとしていました――
――改めて目の前の建物を見上げます。
大都会のコンクリートジャングルにあっては決して目立つ存在ではない4階建てのビル。
自分はとんでもない間違いを犯そうとしているのではないか、
人前で歌ったり踊ったりできるはずがない、
そもそも私が抱いているのは未知のものに対する好奇心であって、なにも自分がアイドルになる必要は……
「お待ちしていましたよ、鷺沢さん」
……再び、その声が私を誘いにやってきました。
決心つかざる私の様子を見てとったか、せめて見学をと言う彼の言葉につられ、
ビルの中へと恐る恐る足を踏み入れます。
自分が状況に流されているという自覚はありますが、
それでも、1週間前に聞いた言葉に感じたものを確かめずにいられなかったのです。
幼い頃に初めて本を読んで以来幾度となく体験してきた、
そして最近ではほぼ味わうことのできないあの感覚。
未知のジャンルの書を手に取りページをめくるときの不思議な高揚感、
それが、この場所にあるのではないかと。
……それが、表向きの理由でしかないことは、他ならぬ私自身が一番理解しているのですが……
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……私の体からこれ程の汗が流れ出すのは一体いつ以来でしょう。
日頃の運動不足は無論承知していましたが、この1ヶ月弱、
アイドル候補生としての基礎レッスンに着いていくのがやっと……いえ、着いていけていないと言うのが実状です。
古書店と言うものは基本的に力仕事。
テレビの中で私よりずっと小柄な少女が踊っているのを見て、
あれくらいなら、などと考えた自分の浅はかさを叱ってやりたい気分です。
レッスン合間の休憩時間も、水分補給をするだけで精一杯。
一緒にレッスンを受けている4名のように雑談に花を咲かせる余裕など到底ありません。
皆さん、1~2ヶ月ほど先輩にあたるとはいえ、一応同期という扱いになっているようです。
軽く話をした程度ですが、4人とも経歴はバラバラ。
中には家族の反対を押しきって、家出同然で上京してきた人もいます。
本屋から一歩を踏み出すだけであれほど葛藤した私からは想像もつかない程の行動力には驚かされました。
...…実はこの話を聞くまで、私自身、実家に連絡を取っていなかったことを忘れていました。
叔父経由で話は通っていたので問題はなかったのですが。
兎にも角にも、まずは先を行く4人に追い付くこと、それが私の目標でしょう。
実際のところ、自分がこれほどすんなりとアイドル候補生という立場を受け入れていることに躊躇いを覚えますが、
歌や踊りで何かを表現する事に、どこか物語を綴る事との共通点を見いだしているのでしょうか。
……いえ、もっと単純に、今まで私が読んできた数多の物語の登場人物たち、
ただ想像の中でも自分を重ねていた存在に少しでも近付けることに喜びを感じているのかもしれません。
事務所に所属して1ヶ月、ようやくレッスン後に他の皆さんと言葉を交わす余裕が出来始めた頃、
レッスン場のドアを開いてプロデューサーさんが入ってきました。
……なんでしょうか、何度かあった差し入れの時とはずいぶん雰囲気が違います。
「レッスンが終わって直ぐに済まないんだが聞いてほしい」
妙に重々しく話を切り出した彼、プロデューサーさんの言葉に全員で耳を傾けます。
そして告げられる未来。
……私以外の4人をユニットとして、正式にデビューさせることが決定したのです。
それから3日程、頭の整理を仕切れないまま、私は同じレッスンを続けました。
私の方が1ヶ月以上レッスンを受けるのが遅かった、
いえ、そもそも、仮に同時に始めていたとしても、
歌も運動も経験のない私が出遅れるのは当然のこと。
そう理屈では理解していても焦りが出るのは止めようがなく、
つまらないミスを繰り返してはトレーナーさんに注意をされます。
それでも4日目となれば多少は落ち着きも取り戻し事務所に向かいます。
……或いは、取り戻したと、自分に言い聞かせることが出来るようになった、という方が正確かもしれませんが。
焦らず、冷静に。そう心の中で念じながら事務所のドアを開き、何時ものように皆さんと挨拶をしていると、奥の部屋からプロデューサーさんが出てきました。
……いえ、プロデューサーさんと、もう一人。
「今日揃いそうなメンバーは全員いるな。それじゃあ自己紹介を頼む」
そう言って隣に立つ少女を促します。
その少女は、1ヶ月程前の私よりはましでしょうが、緊張した面持ちで口を開きました。
「初めまして、藤原肇です。よろしくお願いします」
「……正直、これ程大変とは思いませんでした」
初日のレッスンを終えた藤原さんの声が聞こえてきました。
息も絶え絶え、と言った感じではありますが、どこか満足げにも見えます。
……どうやら私とは基礎体力にかなり差があるようです。
私など、最初の1週間は最後まで付いていくことが出来ず、途中でリタイアしていましたから。
「……私の初日の頃よりずっと良かったですよ」
「そう、ですか? 有難うございます。でも……山育ちで体力には結構自信があったんですが」
「……山育ち、ですか?」
外見からはあまりそうした雰囲気を感じていなかったので意外な言葉でした。
……もっとも私も出身は長野ですから山間で育ったと言えなくもないのですが。
しかし……改めて藤原さんと比較してみれば、今日まで私が行ってきた1ヶ月のレッスンが無駄ではなかったという事がよくわかります。
体力に自信がある、と口にする藤原さんよりも、明らかに私の方が余裕を持てているわけですから。
……藤原さんには少し悪い気もしますが、自信を取り戻せそうです。
「実は私は岡山の窯元の娘なんです。それで実家は山奥にあるんですよ」
「...…岡山というと...…確か、備前焼が有名でしたか」
「! 備前焼に興味があるんですか!?」
……すごい勢いで食いつかれました。
正直、うろ覚えの知識だったのですが。
その日、藤原さんとは事務所前で別れる事になりました。
昼夜の均衡が等しいこの季節とは言え、レッスン終了時刻は既に日も落ち落ちていますが――
「今日は満月でしたね」
「...…そうでしたね」
見上げれば夜空にくっきりと月が上がり、私たちや事務所を照らしています。
...…この光景、どこか見覚えがあるような。
ぼんやりと、記憶を手繰ろうとした処で藤原さんの言葉が続きました。
「月は満ち欠けを繰り返し……絶えず変化し続けます。ですが、それは同じ事を繰り返しているわけではありません。……天候や季節、そして見上げる人の心次第で千差万別の表情になります」
それは私には……全く思いもよらない考え方でした。
さながら、数多の書物の中にこそ存在する、登場人物が発する言葉に思えます。
「私もそんなアイドルになりたいです。見てくれる一人一人に、違った輝きを見せられるアイドルに」
「...…藤原さん」
「って、今日レッスンを始めたばかりの新人が言うことではないかもしれませんね」
そう言って恥ずかしそうに笑う彼女は私にはとても眩しく見えました。
……それこそ、空に輝く月にも劣らない程に。
「……藤原さんなら、きっとなれると思います」
「本当ですか! ありがとうございます。その…...」
「? どうかしましたか」
「私のことは名前で、肇と呼んでいただけませんか」
「……わかりました。...…それでは、私も名前で読んでください、肇さん」
「はい! 文香さん」
別れの挨拶を交わし、背を向けて去っていく肇さんを見ながら、無自覚の内に彼女から投げかけられた言葉に思いを巡らせます。
本当なら、もっと早くに気付くべき命題ではあったのでしょうが……
...…私は一体、どんなアイドルになりたいのでしょう。
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自身の成長を実感できたからでしょう、新たな問題を抱えながらもレッスンは順調に進みつつありました。
心にゆとりが生まれれば自然と行動にも表れるものだ、などと嘯きながら家を出る、ある週末のこと。
今日は事務所には午後から向かう予定ということもあり、午前中に少々離れた場所にある書店にへと向かうことにしました。
目指すべきアイドル像の指針となるものでも見つからないか、などと我ながら安直な考えではありますが、
私にとって何かを探すということはやはり本を通して行うものであるようです。
時間ぎりぎりまで行動しやすい事も計算して、事務所から数駅ほど離れた比較的大きな書店に入りました。
……スカウトの言葉を頂いて迷っていた私を進ませたあの本は、確認するまでもなくこの規模の書店なら置いてあるでしょう。
世界中の書店で扱っているほど有名な著作ではありますが、今現在私が抱えている問題には余り役に立ちそうにはありません。
それならばと、ファッション誌や流行系の雑誌を手に取って眺めてみますがやはりピンときません。
いっそあちらの、一世代前のアイドル全集などを読んでみましょうか――
「文香さん?」
と、雑誌を手に取った処で後ろから声をかけられました。
振り向けば、ここしばらくは一番顔を合わせているであろう少女がこちらを見つめています。
「奇遇ですね。こちらの本屋さんにはよく来るんですか?」
「……いえ、偶々時間が空いたもので、足を延ばしてみようかと」
「そうなんですか。ここお店は女子寮から出向ける範囲だと一番大きなお店なので、私は何度か来たことがあるんです」
なるほど、確かに方角的には事務所に向かっていたわけですからあり得る話でした。
手に持っている紙袋から見て、彼女は既に書籍を購入済みのようです。
「肇さんは何を買ったんですか?」
ふと好奇心から尋ねてみました。
以前なら自分から踏み込んで聞いたりはしなかったかもしれませんが、最近はこの位の世間話を出来る関係になっています。
と、肇さんは話題を振られて嬉しそうに袋から本を取り出し、私に見せてくれました。
『季刊 陶磁録』
「……」
「実はおじい……祖父の特集が組まれているんです。それで今回は急いで発売日に買おうと思って」
……つまり、普段も同じ雑誌を見かけたら購入しているということなのでしょうか。
勿論、肇さんの趣味をどうこうと思っているわけではありませんが、
アイドル候補生が陶磁器の雑誌を手にして微笑んでいる絵はなかなかシュールです。
「文香さんはその本を買うんですか?」
と、こちらも話を向けられました。
往年のアイドル全集、やはり何か違うという気もしますが他に候補もありません。
「何かの参考になれば……と思いまして」
「そうですか。……ところで文香さん、今日事務所には行かれますか」
「午後3時頃に来てほしいと連絡がありましたので……適当に、時間を潰してから向かおうかと」
「私と同じなんですね。それでは折角ですし、お昼をご一緒しませんか?」
ご本人の希望通りカフェに入ったにも拘らず何故か尻込みする肇さんを伴って、喫茶店でランチをいただきました。
一見複雑なようで、実際には普通にメニューから選べば良いだけなのですが……
ともあれ、午後のレッスンに向けて幾分多めの食事を取り、各々の戦利品を開いてみることにしました。
往年のアイドルとは、曰く
『北辰一刀流免許皆伝』
『吐息で花を咲かせる』
『戦車を乗り回す』
「…………肇さん、アイドルとは何でしょうか」
「……突然何を言い出すんですか」
……そもそもアイドルではない方の話が混ざっている気もしますが、いずれにせよこの本は明らかに参考にはなりません。
何かのジョーク本の類でしょう。
こんなアイドル、まさか実在しているわけがありません。
「この本のことは、脇に置きましょう。……そちらの特集はどんな内容でしたか?」
「こちらですか。……ええ、まあどうぞ」
……何故か歯切れの良くない肇さんから本を受け取ります。
そこには、特集の対象となっている、肇さんの御祖父さんであろう陶芸家についてと、
年代別の作風の変化などが詳しく写真付きで紹介されていました。
陶芸には疎い私にも視覚的な楽しさは十分に感じることが出来ます。
「おや? この写真に写っているのは……」
「うっ、気づきましたか」
一枚の写真、その隅に少女が写っています。
年は恐らく10歳前後でしょうか、その写真の中では飽くまで風景の一部でしかありませんが、
懸命に土を捏ねている顔は、目の前で困り顔をしている人物のそれに違いありません。
「確かに時々こういった取材は来ていましたが、まさか昔の自分が写っているとは……」
「とても、かわいらしいと思いますよ」
率直な感想を述べてみます。
「うぅ、やっぱり恥ずかしいです。……それに、ちょっと悔しくもありますね」
「悔しい、ですか?」
意外な言葉でした。
どちらかと言えば嬉しいという反応が返ってくるものと思っていたのですが。
「折角アイドルを目指すことになったわけですから、やっぱり雑誌には自分の力で載ってみたいです。それは、今の私とおじいちゃんとで比較しようなんて、馬鹿な考えなのは分かっていますけど」
成程、確かにそういう考え方もあるのかもしれません。
それにしても、「おじいちゃん」を何時もの様に言い直す余裕もない辺り、これは本気で悔しがっているのでしょう。
……やはり、肇さんには自身の目指すアイドル像というものがあるからこそ、なのでしょうか?
「あっ、文香さん、そろそろ事務所に向かった方がいい時間じゃないですか?」
「……そうですね。行きましょうか」
なんとなく、私と肇さんの違いが分かってきた気がします。
彼女はきっと、アイドルになる前から表現者だったのです。
手段は違えど、ずっと自分の持つイメージを表現することを繰り返してきた人です。
だから言葉を選ぶ必要もなく、思ったまま、感じたままを形にすることが出来るのでしょう。
同じことは私には出来ません。
ずっと本を読んできた、誰かが表現した結果だけを見てきた私には。
……では、私に出来る、私が目指すべきアイドルとはどんなものなのでしょう。
そんな事を考えながら、事務所のドアを開きました。
「あぁ、鷺沢さん、時間通り、っと、藤原さんもか」
「「おはようございます」」
同時に挨拶をする私たちを前に、プロデューサーさんは何故か満足気な顔をしています。
「二人一緒だったのか?」
「偶然ですけど本屋さんで会いまして。お昼もご一緒させていただきました」
「そうか。いや、今後のためにも良い事だな」
一体、この人は何を言っているのでしょう。
そう思い、肇さんと顔を見合わせました。
……が、肇さんの方は少し違う気がします。
「……ひょっとして、心当たりがありますか?」
「心当たりと言いますか…そうなら良いな、と思っているだけです」
「?」
どうも、私だけ取り残されているようです。
プロデューサーさんに促され、三人で会議室に入りました。
コホン、とわざとらしく咳払いをしてから、プロデューサーさんはいつかの様に重々しく口を開きます。
「さて、ようやく正式な決定となったわけだが、鷺沢さん、そして藤原さん。君たち二人でユニットデビューしてもらうことになった!」
私が、デビュー……?
隣の肇さんが上げる歓声を聞きながら、私の頭は不思議なほど思考を停止しています。
私がデビュー、アイドルとして……活動を開始する?
「あの、鷺沢さん?」
「文香さん、どうかしましたか?」
二人の声でようやく時間が動き出したようです。
「私が、デビューですか?」
「君と、藤原さんのユニットがデビューだ」
「……文香さん、私ではダメですか?」
そんな不安げな肇さんの表情を見て、唐突に罪悪感が浮かんできました。
「いえ、そんなことはありません。とても嬉しいです。ただ、本当に私で良いものかと……」
一体、二人の内どちらに対しての言葉なのか、自分でもよくわかりません。
確かに望んでいたことではあります。特に、一人取り残されたと感じたあの日以来は……
それでも、現にアイドルに対して悩みを抱えている私が、果たして前に進むことが出来るでしょうか。
「私は以前から文香さんと一緒に活動したいと思っていましたけど」
「そもそも俺は鷺沢さんのファン1号だからな。むしろこちらの都合で足踏みさせて申し訳ないと思っていたんだが」
……どうやら二人とも私の悩み自体を問題視していないようです。
「とにかくユニットでデビューとなるからには二人の合意が欲しいんだけど、いいのか?」
「私には全く異存はありません!」
即座に言い切り、真剣な面持ちでこちらを見つめる肇さん。その眼差しを裏切ることはできなそうです。
……いえ、むしろ自分にはない力強さに、私も惹かれているのでしょう。
「……私もです。よろしくお願いします、肇さん」
「そういえば、ユニット名はどうなるんですか?」
一しきりの騒ぎの後、肇さんからそんな問いが出てきました。
……確かに、ユニットである以上何かしらの名称は必要なはずです。
「あぁ、その件も含めて順を追って説明しよう」
続くプロデューサーさんの説明を要約するとこうなります。
・そもそも今回の新規プロジェクトはプロダクション次期主力アイドルユニットとして位置づけられている。
・先だって決定した四人ユニット(此方も名称は未定)と今回の二人、共に3か月後の大型ライブで正式発表される。
・それまでは顔見せや手伝いが中心だが、一度はミニライブを行う予定でいる。
・ユニット名は大型ライブに合わせて公開するので、その2週間前には決定する必要がある。
・ついでに、プロデューサーは二人の専属Pとして正式配属される。
「つまり、暫くは準備期間があるということですね」
「まあそういうことだ。とは言え、これからは普段のレッスン以外にも色々動いてもらうことになる。レッスンにしても、デビューに向けた本格的なプログラムが増えるしな」
「……望むところ、です」
事ここに至って今更尻込みもしていられません。
与えられたチャンスを逃さないためにも出来る限りのことをする所存です。
細かい打ち合わせを終え、今日のレッスンに入ろうという段になって、
肇さんから、プロデューサーさんに声がかかりました。
「ところでプロデューサーさん、正式に担当をしていただくことになったわけですし、この機会に名前で呼んでいただけませんか?」
「え?」
「そういえば……口調は砕けているのに、呼び方だけは堅いままですね」
「それはまぁスカウトマンとして鷺沢さんと話した時の名残というか、癖というか」
「折角こうして一緒にトップを目指すことになったわけですから、プロデューサーさんにもおじいちゃんから貰った大切な名で呼んで頂きたいんです」
ずい、と詰め寄りながら訴える肇さんは……これは絶対に譲らないでしょうね。
時々妙に押しが強くなる人ですし、プロデューサーさんの抵抗も長くは続かないでしょう。
……それに、私自身、名前で呼び合うようになってから彼女との距離が縮まったという実感もあります。
「分かった、分かったよ。……それじゃあ、肇」
「はい!」
「それと、えっと……」
「……はい。私も名前で呼んで欲しいです」
「……文香」
観念した表情から紡がれた私の名前。
ですが、その後直ぐに表れた何かを振り切った顔を見れば、この答えが間違っていなかったことは断言できます。
「兎も角、今日から俺が二人の正式なプロデューサーだ。3人4脚、トップアイドル目指して頑張っていこう!」
「「はい!」」
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実際、プロデューサーさんの宣言通り、それ以降の忙しさは今までの比ではありませんでした。
宣材写真の撮影に始まり、イベントでのチラシ配りやショップでのミニトーク、その他色々な方への顔見せなどを次々とこなしていく必要がありました。
エキストラとはいえテレビに映ると言われたときは心臓が凍り付かんばかりに緊張しながら、肇さんと励ましあって何とか乗り越えることが出来ました。
……もっとも実際に放送された映像では二人仲良く後頭部が見切れているだけ、という有様でしたが。
そして、レッスンも今までのものとは違うものが増えてきました。
体力面以上に技術的な内容が増え、さらに個人ではなくユニットでの動きを意識したものへと。
今はまだ仮編集の段階ですが、私たちのデビュー曲も少しずつ出来上がって来ていると伺いました。
以前は毎日のように顔を合わせていた4名と、極端に会う機会が少なくなったのも、この忙しさを考えれば当然でしょう。
あちらは私たちより早くスタートを切ったのですから、こちらも休んでいる暇はありません。
デビューライブという明確な目標を持ち、私も、肇さんも、そしてプロデューサーさんも、最高の成果を見せるべく努力をする、その事実に確かな充実感を覚えます。
ですが、やはり、私の中には何か欠けたものがあるのではないか、
そんな考えが拭えずにいることもまた、事実です。
今日はお菓子会社の合同イベントでのコンパニオンのお仕事です。
イベント内の小さなブースでの司会進行とは言え、本来デビュー前である私たちに取ってはかなり大きな仕事です。
今週末にはいよいよ私と肇さん二人のミニライブを控え、プロデューサーさんが最後の弾みとして用意してくれたお仕事、ということのようです。
……新人と伺っていましたが、ひょっとすると凄く優秀な方なのでしょうか?
紹介するお菓子の説明を聞き、簡単な打ち合わせを行います。
今回は先方から、率直な反応をお客さんに届けてくれればよい、
ただし、主力商品のキャンディに関してはクールな刺激が売りなのでその点は強調して欲しいとの依頼がありました。
私も肇さんも、トークはあまり得意とは言えませんが、
この種の、五感で感じたものをそのまま表現する事に関しては、肇さんの感性はとても頼りになります。
年長者としては些か不甲斐ないかもしれませんが、ここは素直に肇さんに筋立てをお願いするべきでしょうか。
そう思い、隣で試供品を手に取っている肇さんに目を向けると……
「ミントキャンディ……クールな食感……」
何やら酷く真剣な表情でキャンディを見つめていました。
「……あの、肇さん?」
「ミントの刺激……でもお仕事ですし……感想……とにかく試してみないと……」
「聞こえて……ませんね」
まるで親の仇と言わんばかりにミントキャンディを凝視しています。
そして、ゆっくりと包み紙を解き、抜き身(?)のキャンディと対峙すること数秒、一気にを口の中へ。
「…………辛いです」
「……苦手なんですか、ミント」
こくり、と若干涙目になりながら頷く肇さん。
そこまで苦手ならすぐに出すなり、そもそも舐めるだけで良かったのではとも思いますが、
多分意地でも食べきるつもりでしょう。そういう人です。
しかし、これは弱りました。まさかお菓子会社の主力製品の紹介を辛いの一言で済ませる訳にはいきません。
かと言って、この様子では肇さんにそれ以外のコメントを求めるのは酷でしょう。
それ以前に、完全に表情に出てしまっています。
つまり、このお菓子については私が私の言葉で感想を伝えなければならないということです。
勿論、今までの仕事でも私個人の感想を述べることはありました。
ですが、それらは飽くまで肇さんのフォローを期待できる状況での話です。
この件に関しては、肇さんが喋る必要がない、というくらい私が中心になってアピールする必要があります。
「その、済みません、文香さん」
「いえ……とにかく時間がありませんので話す内容を考えてみます」
口下手な私が即興で話をするのは現実的ではありません。
いくつかパターンを分けながら、紹介文を作っておかなければ……
「「「「お疲れ様でしたー」」」」
イベント終了後、関係者同士の挨拶が行われています。
今の私たちにとってはこうした場面での顔繫ぎが非常に重要、とはプロデューサーさんの言です。
まずは知ってもらうことが何よりも肝心ということですね。
「いやー、最初はちょっと地味かと思ったけど中々盛り上がって良かったよ。機会があればまたよろしく頼むよ」
「はい、その際はぜひお声がけください」
やや離れた場所でお菓子会社の方とプロデューサーさんが話をされています。
……どうやら今日の私たちは先方を満足させることが出来たようです。
「文香さん、今日はありがとうございました」
「そんな……お礼を言われるようなことでは……普段は私の方が肇さんに頼ってばかりですし……」
「そんなことないです。いつも支えてくれていて本当に感謝しているんです」
面と向かってそんなことを言われると流石に照れてしまいます。
実際、私がやったことは事前にいくつかの文章を作っただけで大したことではないのですが…
「それにしても、私は文香さんみたいに色々な言葉がすぐには思いつきません。やっぱり本を沢山読んでいるから知識量がすごいんですね」
「? そうでしょうか? 確かに本から得た知識はあると思いますが……言葉選び自体は、肇さんの方がずっと上手だと思いますけど」
「いや、今日の文香の進行や商品紹介は良かったぞ」
と、挨拶回りを終えたのでしょう、プロデューサーさんが話に加わってきました。
「文章を考えたりするのが得意なんじゃないか? 将来的にはそういう仕事も視野に入れても良いかもしれないな」
「文香さんなら本の帯に書いてあるコメントとかですか? きっと読みたくなると思います」
何故か私よりもお二人の方が盛り上がっていますが……
ですが、自分で何かを書く、ということは今まで考えたことがありませんでした。
ずっと本を読んでばかりだった私が書き手に回る……今一つ想像が付きません。
「……アイドルが書くとなると、エッセイのようなものでしょうか」
「まぁ本格的な書籍となるともっと名前を知られてないと無理だけどな。ネット上で自作の詩を発表したりするアイドルは結構いるぞ」
もしやる場合はちゃんと事務所チェックを通すように、と付け加えられました。
詩集などは普段は然程読んでいないのですが……果たして私に出来るものでしょうか。
……それと、個人的な気持ちとして、文章とはやはり紙から読むものだと思うのですが。
「っと、将来の話はこの位にして、今日は二人ともよく頑張ってくれたからな。週末のミニライブの壮行会も兼ねて打ち上げと行くか。何かリクエストはあるか?」
そう言って、スマートフォンで近場のお店を検索し始めたプロデューサーさんには……
この種類の拘りは、恐らく共感頂けないのでしょうね。
「私は特別にこれというものは……文香さんは何かありますか?」
「……では、焼き肉を」
「「えっ!?」」
「…………冗談です」
いえ、本当に冗談だったのですが……そこまで驚きますか。
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私と肇さん、二人の初ライブを二日後に控え、いよいよレッスンは最終調整の段階となりました。
流石にこの時期は体力的に追い込むようなレッスンは行わないのでその点では楽と言うこともできますが、
何しろ本当に自分がステージで歌う日が眼前に迫っている、その事実に、些か気持ちが浮ついているという自覚があります。
半分は自分自身の気を落ち着かせるため、ここ数日気になっていた件について肇さんに伺ってみることにしましょう。
「肇さん、少しご相談があるのですが」
「何ですか」
「ユニット名の事なのですが……」
「あっ、そう言えばすっかり後回しになっていましたね」
今回のミニライブではまだユニット名を決定しておく必要なない、とのことですが、
ユニットお披露目となるライブまで、既に1カ月を切っています。
そろそろ本格的に考えなければならない時期でしょう。
「文香さんには何か案があるんですか」
「それが……恥ずかしながら……」
話を切り出しておいて何ではありますが、どうも名づけというものには独特のセンスが必要な用で、どうにも私の手には余ります。
二人の共通点など探ってみましたが、今一つ繋がるものが見つかりませんでした。
「私も、完全に目の前のライブの事ばかり考えていたので、直ぐには浮かびませんね」
「そうですか……」
と、二人で話していたところ、プロデューサーさんが近づいてきました。
「二人とも今は休憩時間か?」
「はい。それで文香さんとユニット名について話し合っていたんですが……」
「あー、確かにそろそろ候補位はあった方がいいかもなぁ」
「中々これという名前が浮かばず困っていまして……プロデューサーさんは何か思いつきませんか」
「そりゃあ、いくつか腹案は温めてるけどな。俺としてはなるべく先入観なく二人の感性で決めてほしいと思ってるんだ」
一応、決まらなかった場合はプロデューサーさんの案を頂ける、ということですか。
そうであるなら、やはり肇さんの言う通り、今は明後日のライブに集中すべきですね。
「まあ考え方のヒントとしては、共通点やアイドルになった切っ掛け、後は一緒に体験した想い出なんかから連想するってのがあるな」
「アイドルになった切っ掛け、ですか。……私は子供の頃からアイドルには憧れがありましたから……祖父に後を継ぐように言われて、改めて将来について考えるようになったことが切っ掛けでしょうか」
「なるほど、つまりは反抗期」
「ちっ、違いますっ! ちゃんと家族は説得してきましたっ!」
「ははは、ごめんごめん。冗談だよ」
「もう……そう言えば、文香さんはどうしてアイドルになったんですか」
突然こちらに話を振られました。
……なぜアイドルになったか、と問われればスカウトを受けたから、となるわけですが……
「それは俺も一度聞いてみたかったな。最初にスカウトの話を聞いた時はそれ程乗り気には見えなかったと思うんだが、何か気持ちが変化するきっかけがあったのか?」
これは、言わないといけない流れでしょうか。
既に私は肇さんの事情を聞いているわけですし……
「その……笑わないでくださいね」
「勿論です」
肇さんのその言葉を受け、プロデューサーさんも頷くのを見て観念しました。
「……灰かぶり、です」
「灰かぶり? 何のことですか」
「……ひょっとして、シンデレラか?」
少しでもぼかそうとしたのですが、プロデューサーさんにはあっさりばれてしまいました。
「……スカウト期日に、本棚に置いてあったのが偶々目に留まって……それで、埃を被りながら掃除をしている時だったもので、余計に自分に重なる気が……」
かあっ、と顔が赤くなるのが自分でもわかります。
まさか、大学生にもなって「シンデレラに憧れてアイドルになった」などと口にすることになるとは……
「いや、まあ、ベタだな」
「……プロデューサーさん、反応薄いですね」
「肇も似たようなものじゃないか」
……なんだか、変な方向にがっかりされてりようなのですが……
恥ずかしがっている私が馬鹿みたいじゃないですか?
「私も結局は憧れて、が理由ですし……それに、私の場合、正真正銘の灰かぶりでしたから。窯で」
「そういえばそうだったな。……つまり、二人揃って灰かぶり姫、ユニット名はシンデレラガールズだな」
「「却下です」」
……何故かは分かりませんが、絶対に駄目だと思いました。
「……そう言えば、明後日のライブでは私たちは何と名乗れば良いのでしょうか」
考えてみれば今更過ぎる疑問ですが、この手の話題には未だ疎い私は、今日までこんなことにも思いつきませんでした。
我ながら、状況に対して思考が受け身になり過ぎているではないかと感じます。
「単純に、文香アンド肇、で良いだろう。どうせ今回だけなんだ」
成程、そこはシンプルで問題ないということですね。
しかし、少し気になる点が……
「肇アンド文香、の方が語呂が良くありませんか」
「私はどちらでも構いませんけど、でも……」
「仮の名前だし拘る必要もないが、普通はリーダーの名前を先にするだろうからなぁ」
「…………はい?」
……場に、微妙な空気が流れています。
無言のままプロデューサーさんと見つめ合うこと数秒、
隣で不思議そうな顔を浮かべる肇さんに向き直り、改めて確認します。
「……私が……リーダーなんですか」
「えっと……そうじゃないんですか?」
質問で返されてしまいました。
しかし、ということは、肇さんにとっても決定事項というわけではない、ということでしょう。
「私がリーダーという話は聞いていなかったのですが……」
「でも年齢的にも、事務所に入った順番から考えても、普通はそうなりませんか」
「それは……確かにそうかもしれませんが……」
確かに理屈としては分かります。
無論、肇さんも私にリーダーを押し付けようなどと考えているわけではなく、むしろ年長者である私を立てようという考えなのでしょう。
ですが、突然告げられた側としては平静でいられません。
「まあ、二人組ユニットだから無理に決める必要もないけどな。……おっと、本題を忘れてた」
「本題って、何かお話があるんですか」
「……」
あの……突然リーダーなどと爆弾発言をしておいて軽く流さないで欲しいのですが。
そんな私の思いを気にも留めず、プロデューサーさんと肇さんは早々に次の話題へと移ってしまうつもりのようです。
なんでしょうか、この一人だけ置いてけぼりになっている感は。
「ミニライブの後にしようかとも思ったんだが、折角だし景気づけにと考えてな」
そういってプロデューサーさんはプレイヤーを取り出しました。
さらにイヤホンの両端を私と肇さんにそれぞれ渡します。
「歌詞はまだだが、二人のデビュー曲が出来上がったんだ。聞いてみてくれ」
「本当ですか!」
歓喜の声を上げながら早速イヤホンを耳にする肇さん。
その様子を微笑ましく思いながら、私も耳を澄ませます。
……そして流れてくるメロディー。
「……素敵です。まるで夜空の様に澄んでいて、それでいて情熱的なものを感じます」
「……はい」
微かに体を揺らしながら感想を口にする肇さんに答えながら、ふと、頭の中に漠然とした歌詞が浮かんできました。
当然ながら、初めて聞いた曲に合わせて、精々単語がパッと想起されたというだけなのですが……
不思議な感覚です。浮かんでくる言葉が、少しずつ並び替わり繋がっていくような……
「どうやら気に入ってくれたみたいだな」
「はい。今から歌えるのが楽しみです。歌詞はいつ頃出来る予定なんですか」
「作詞家さん曰く、実際にはもうほとんど出来てるそうだ。明後日のミニライブを実際に見て最終稿を上げたいって話だ」
二人の会話を聞きながら、私の中で急速にある気持ちが膨らんできました。
メロディーに耳を傾けることで浮かんでくる、この言葉たちを一つの作品にできないか、と。
「……作詞、ですか」
「ひょっとして、興味があるのか」
無意識に出た声がプロデューサーさんに届いてしまったようです。
「……いえ、ふと考えただけで……」
……興味がない、とは言えないですね。
勿論、今回頂いた曲は今更無理として、いつか自分の曲に作詞が出来るなら……
ですが、正直に言って、先日の詩の話であれ、今回の作詞であれ、自分が一つの作品を作り上げる、ということが私に出来るとは思えないのです。
私が今まで読んできた数々の名著でさえ、時に多くの非難を浴びることがあります。
まして、私が作詞をして発表したとして、まともに評価されるようなものが出来るとは――
「やりたいから挑戦する、で良いと思います」
まるで、私が何を悩んでいるのか、全て分かっているかのように肇さんは言い切りました。
真っすぐな瞳を私に向けながら、肇さんが再び口を開きます。
「私も、初めて自分の作った器を発表した時は本当に怖かったです。なにしろ、おじいちゃんの作品の横に、何の説明もなしに置かれていたんですから」
……それは、素人から見ても随分と無茶をしますね。
肇さんの陶芸の腕前がどれ位なのかはよく分かりませんが、雑誌で特集を組まれるような高名な方といきなり並べられるとは……
「展示会に来られる方は子供の作ったものだ、などと考えてはくれませんし、発表している作品に対して年齢を言い訳にしても仕方がありません。何度かこっそり覗きに行っても私の器の前で立ち止まってくれる人は一人もいませんでした」
「……辛くはなかったんですか」
「勿論辛かったですし、悔しかったです。なので、次の日から猛特訓をしました。……要するに、おじいちゃんにまんまと乗せられたんですね、私」
恥ずかし気に笑いながら、当時の事を懐かしんでいる肇さん。
傍から聞いていると、結構酷い仕打ちという気もしますが、当人には恨む気持ちは全くないようです。
「多分おじいちゃんは、これで私が陶芸を嫌いになるならそれでも良いと考えていたんだと思います。一度試してみて駄目で、それで諦めるようなら、元々陶芸家は務まりません。何百回、何千回と試行錯誤を繰り返さなければ、良い器が出来るはずないんです」
「試行錯誤……ですか」
「どんな事であれ、まずはやってみなければ分からないはずです。土を捏ねる前から焼き上がりの心配をしても仕方がありません。きっとそれは、アイドルも同じ……作詞も同じです」
「…………」
「それに、聞いてみたいです、私。文香さんの作詞のした歌を聞いてみたいですし……歌ってみたいです」
「……そう、ですね。……いつか、私にもう少し自信が付いたら……」
流石に今突然やってみよう、と言えるほどの勇気はありませんが、
ここしばらく迷いを抱えていた私に、一つの光明が見えてきた気がします。
思えば、プロデューサーさんのスカウトを受け、アイドルをやってみようと思ったのも元々はちょっとした好奇心でした。
既にこうして一歩を踏み出しているのですから、二歩目を考えてみるのも悪くないでしょう。
「……有難うございます、肇さん。気持ちがすっきりしました」
「そんな、私なんかがつい偉そうなことを言ってしまって済みませんでした」
「いいえ、お陰で考えが纏まりそうです。それに……改めて明後日のライブに集中できそうです」
そう、作詞に挑戦するかどうかはいずれにせよ先の話です。
まずは目の前のミニライブを成功させることを優先させなければなりません。
「ああ。もし本気で作詞をやってみたいと思ったのならその時は俺に言ってくれればいい。今は目の前のことに向けて全力で挑戦してくれ」
「「はい!」」
プロデューサーさんの檄に応え、肇さんと顔を合わせました。
「改めて、よろしくお願いします、肇さん」
「はい。一緒に頑張りましょう、文香さん。いえ、リーダー!」
「……リーダーは無しでお願いします」
そこでプレッシャーをかけないでください。
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嵐が去った後の静けさ、とは正に今の状況に相応しい言葉です。
私と肇さんの、初めてのミニライブは、準備にかけた時間を思えばほんの一時の出来事でした。
わずかな時間で全てを出し切った、その興奮を抑えるためなのか、
夜の帳が下りたステージの上で肇さんと二人、お互い言葉もなく、人のいなくなった客席を見下ろしています。
「……終わっちゃいましたね」
「はい……」
スカウトを受けた日以来、テレビでそれとなく追いかけるようになったアイドル達の舞台と比べれば、遥かに小さな野外ステージ、比例するようにまばらだった観客。
その一方で、確かに聞こえてきた声援……
夢のような、と言うには現実的で……それでも、今まで経験したことのない充足感に頭が追い付いていないようです。
私も肇さんも、出来る限りのことをやって、きっとそれは今日のステージを見に来てくれた人たちには届いたのだと思います。
「……実は……何か所かステップを間違えました」
「私もです。……まだまだ、ですね。色々な意味で」
「はい。まだまだこれから、です」
そう言って二人で笑い合うことが出来る、その事を嬉しく思います。
偶然ユニットを組むことになった私たちですが、きっと先に進んでいくことが出来るはずです。
と、突然さぁっと周囲が明るくなりました。
「……月、ですね」
私の言葉につられたのか、肇さんが空を見上げました。
3分の1程が欠けた下弦の月が、雲の合間から顔をのぞかせています。
そう言えば――
「私たちが最初にあった日の月は満月でしたね」
「丁度私も思い出していました。……その時聞いた、肇さんの言葉も」
『見てくれる一人一人に、違った輝きを見せられるアイドルになりたい』
あの時の私には少し眩しすぎた言葉です。
ですが、今はその強い想いに、少しは応えられる自分になったと思います。
「うっ……まぁその言葉は忘れて頂いても構わないんですが……兎に角、事務所に入って初日が満月で、実はすごく感動していたんです。」
言った方は相変わらず恥ずかしがっているようですが。
……はて、事務所に入って初日……何か引っかかるような。
前もこんなことがあった気がしましたが……
「でも、あの日見た満月は確かに綺麗でしたけど、今日こうして見ている月の方がずっと胸に響くんです」
「……私にも、分かります」
「今日まで努力を重ねて、色々な経験をして、こうしてライブで声援をもらって、プロデューサーさんや……何より文香さんが隣にいてくれるからです、きっと。月が満ちていることよりも、私の心が満たされていることの方が、ずっと月を綺麗に見せてくれるんですね」
確かに、そうかもしれません。
あの日見た月と、今日の月。単純に見かけだけを比べれば、少なくとも一般論としては今日の方が劣るはずです。
ですが、こうして、見上げる側の気持ち次第で感じ方が全く異なってくるのだから……
「……あっ」
既視感の正体について、今更ながら思い至りました。
思い出してしまえば些細な話ですが、肇さんが事務所にやって来た一か月前、私が初めて事務所を訪れた日も丁度満月だったのです。
もっとも、その時の私には、事務所を妖しく照らす、恐ろしい存在としか感じられなかったのですが。
……本当に、見る側の気持ち次第で様変わりするものです。
「 どうかしましたか」
「……まるで漱石のようだな、と思いまして」
「漱石? 小説家の夏目漱石ですか?」
……事務所が怖かった、というのも気恥ずかしくつい話を逸らしてしまいましたが、どうやら肇さんはあの逸話についてご存じないようです。
元々、余り信憑性の高い話ではないのですが……説明した方が良いのでしょうか。
「……漱石が英語教師をしていた頃の話です。生徒に対して『 I love you 』を『あなたと居ると月が綺麗ですね』と訳して見せた、という……半ば都市伝説ですが」
「へぇー、ロマンチックですね」
「そうですね」
「…………」
「…………」
「……って、それじゃあ私が文香さんに告白したみたいじゃないですか!」
「まぁ、そうなりますね」
ぼんっ、という音が聞こえたと錯覚するほど、肇さんの顔が赤くなりました。
そもそも、最初に肇さんが言った台詞の時点で相当ロマンチックだったと思いますが、本人に自覚はないのでしょうか。
「おーい、そろそろ撤収する時間だから車に戻ってくれ」
此方に歩み寄ってくるプロデューサーさんの声が聞こえます。
傍まで来たところで様子に気付いて怪訝な表情を浮かべました。
「あれ、顔が赤いぞ肇。ひょっとして体調崩したか?」
「ちっ、違います。これは……その……」
「……実は、先ほど肇さんに告白をされまして」
「ちょっと文香さん!」
「……その、なんだ。アイドル倫理に反することはなるべく控えて欲しいんだが」
「反しません!」
……流石にからかいが過ぎました。
結局車に戻るまで、むくれて口を利いてくれませんでした。
「ははは、漱石のエピソードは結構有名だからな。下手をすると知ってて言ってるんだと勘違いされるぞ」
「……もう良いですけど、本当に恥ずかしかったんですよ」
「すみません、つい出来心で」
ハンドルを握るプロデューサーさんは、幸いこの逸話を知っていたようで誤解はすぐに解けました。
むしろ、こうした冗談が言えることを喜んでいる風ですらあります。
……私としては似合わないことをした、と反省することしきりなのですが。
「まあ、冗談を抜きにしても、ユニットを組む以上仲の良さは最重要だからな。それこそ俺は、仲人にでもなったつもりで二人を選んだよ」
「また仲人だなんて……確かに文香さんとユニットを組ませていただいたことは心から感謝していますけど」
「私も感謝しています」
こうして私たち二人が同じ場所でアイドルとして一歩を踏み出せたことは、間違いなくプロデューサーさんのおかげです。
本の世界に埋もれていた私を見つけ出し、肇さんと引き合わせてくれたのですから、仲人と言ってもそう違いはしないでしょう。
「……それに、仲人は必ずしも結婚の仲介人を指す言葉ではありませんから、一応間違ってはいませんよ」
「そうだったのか。結構、適当に言っただけなんだが」
そんな事ではないか、とは思っていましたが。
困った人です、と肇さんの方を振り向くと……何やら窓の外の月を見つめています。
「どうかしましたか、肇さん」
「あっ、いえ、大したことではないんです。ただ仲人の事を別の呼び方が有った気がしたんですけど思い出せなくて。月……なんとかだったと思ったんですけど」
「それなら、月下氷人、ではないですか」
「ああ、それです。すっきりしました。有難うございます」
微笑んだ肇さんは、しかし直ぐに真剣な表情で何やら考え込み始めました。
一体どうしたのでしょうか。
「……ユニット名に使えないかな、と思ったんですけど」
「月下氷人をか? ……悪くはないと思うが」
プロデューサーさんは可もなく不可もなし、といった反応です。或いは、意味が仲人というのが引っかかるのかもしれません。
ですが、以前言っていた通り私たち二人の感性に任せたいのでしょうか、
この話題には、余り積極的に口を出すつもりがないようです。
「私も良いと思いますが、そのままだと老人に由来する言葉ですし、少し捻って見るのも良いかもしれません」
「……捻る、ですか」
「丁度二人に共通の経験ですから、月下はそのままで……後ろの氷人を変えてみるのはどうでしょうか」
「なるほど、そうですね。二人の想い出と、後は……アイドルになった切っ掛け、でしたか」
プロデューサーさんから聞いたユニット名を考えるヒント。
共通点、思い出、切っ掛け……となると……ひょっとして、アレ、になるのでしょうか。
「シンデレラ、ですね」
「……やはりそこに行きつきますか」
私としては、多少の恥ずかしさが残る話なのですが……
この際です。名前の由来としては肇さんが中心と思い込むことにしましょう。
……少なくとも、対外的にはそれで充分説明が付きますので。
「月下氷人に組み込む以上、和名の”灰かぶり姫”から一文字貰う、というのが妥当でしょうか」
ここまで言った時点で、単純に思いつくのは二通りですが……アイドルのユニット名としては実質一つでしょう。
顔を見合わせると……どうやら肇さんも同じ考えのようですね。
口を揃え、私と肇さん、二人のユニットの名前を……
「「――月下氷姫」」
「……肇は眠ったのか」
「はい」
私の肩にもたれ掛かり、肇さんは静かな寝息を立てています。
その穏やかなリズムで、私も次第に眠りに誘われているようです。
「初ライブで疲れるのは当然だからな。……今日は二人とも本当によく頑張ったよ。良いステージだった」
「……プロデューサーさんが……支えてくれたから……こそ、です」
眠気で朦朧としている頭で、何とか受け答えをしています。
車と心拍、微かに伝わる二種類の振動が、不思議なほど心地を良くしてくれるようです。
「それが俺の役目だからな。二人の、月下氷姫のプロデューサーの」
「……名前……気に入っていただけましたか」
「ああ。普通の人からお姫様へ、良い名前じゃないか」
「それは……後付けのような……ものですが」
「それで良いんだよ、名前ってのは。使い続けることで色々な意味を持っていくんだ。……文香も辛いんだろう? 無理をしないでもう眠ってくれ」
「……そう……ですね。……お休み……なさい、プロデュー……サー……」
意識が闇へと沈んでいく間際、窓の外の光が一瞬視界に入りました。
見上げる度に形を変える、夜空の月。
そして、それ以上に多くの表情を見せてくる、私の横で眠っている少女。
これから彼女と重ねていくであろう経験と、
そこで私が得たものをいつか自分の言葉で作詞して、大勢の人に届けることが出来るなら――
――そんなアイドルに、私はなりたい。
了
以上です。
有難うございました。
乙乙
ユニット名に着目してるのいいなあ
フリスク側も読みたい
おつ
雰囲気がとてもきれい
乙!
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