速水奏「まばたき」 (32)
速水奏がクリスマスプレゼントをもらう話です。
ド短編、地の文
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肌寒さで目が覚めた。
青いカーテンを透かして、部屋中が淡いブルーに染まっている。
ベッドから起き上がると、壁に映った私の影まで、薄ぼんやり青かった。
朝だというのに、目覚まし時計は随分静かだった。
今日は機嫌が良いのだろうか、なんて、寝起きのふわついた気持ちで文字盤を眺める。
短針が真下を向いていて、私は目をこすった。
「なんだ、早く起きすぎたのね」
くあ、とあくびをして、寝癖のついた髪の毛をなで付けた。
息を吸えば、ひやりとした空気が肺に入る。
確かに冬の匂いがして、ここでようやく、毛布から抜け出す。
夜更かしは癖になっている。昨日だって夜遅くまで映画を観ていたから、なんとなく損をした気分だった。
ペタペタとフローリングを踏んで、洗面台、バスルームに向かう。
気だるさと一緒にルームウェアを一枚ずつ脱いで、シャワーを浴びたら、よそ向けの速水奏が出来上がっていく。
下着を着けているとき、否応無しに膨らんだ胸が目に入る。
周囲から大人っぽい、と言われたのはいつからだったろう。
大人っぽいと言われるのが普通になったのはいつだったろう。やわらかいそれを手のひらで支える。
結構重たくて、加えて言えば急に馬鹿馬鹿しくなって、すぐにブラを着けた。
なんとなく、普段は着ない、ニットのワンピースに袖を通した。
身体のラインが出にくい服を着るのは久しぶりだった。
肌寒いから、もう冬だから。
帽子も、ニット帽を被ってみた。
少し子どもっぽかっただろうか。
カジュアルすぎて、私のイメージとは合わなかったかも。
私のスケジュールを考えれば、事務所に行くにはかなり早い時間だった。
まぁ、大丈夫でしょう。朝は静かで、ちょうどいい。
どこもかしこものぼせ上がった人で溢れかえるのだろうから、今日一日で静かなのは朝だけに決まっている。
家を出るとき、私は玄関に小さなリースを飾り着けた。今日はクリスマスイヴだった。
◇
チカチカと眩しいはずのイルミネーションも、さすがに朝は大人しい。
クリスマスソングも聴こえないし、人通りも少なくて、どこかシンとしている。
大きなビルを見上げると、太陽も上っているというのにいくつか電気が点いていた。
やっぱり仕事をしているんだ。
やっと街は起き出したらしく、人はさざ波を作っていた。
それでも、午前七時の街は、いつもよりもずっと人が少ない。
クリスマスの本番は夜、ということだろう。かじかむ手のひらを合わせて、私は白い息をはいた。
十五階に、プロデューサーさんのデスクがある。
私はエレベーターに乗り込んで、いつもみたいに十五階のボタンを押す。
きっと今日も泊まっているに違いない。このシーズンはどうしても忙しくなる。
それも全部、今日のスケジュールを調整するためらしい。
夕方からは盛大なパーティーが開かれて、夜更けには大人組が、そのまま忘年会に雪崩れ込む。
小さな子も多いから、こういったイベントはとにかく楽しむんだ、とあの人は言っていた。
だからって、徹夜してまで派手にやるものではないと思うのだけれど。
どうせあの人、明日の朝まで飲まされるわけだし。
体がもたないんじゃないかって、本気で心配になる。
エレベーターの扉が開くと、急にジングルベルが聴こえた。
エントランスでは大きなクリスマスツリーが飾られている。
それを横目に、私はコーヒーを淹れに給湯室に向かった。
大きなクマを作ったプロデューサーさんに、ささやかなプレゼントをしようと思った。
メリークリスマス。
そう私が言うと、デスクに突っ伏した彼はビク、と体を揺らして、「寝てません!」と叫んだ。
「おはよう。まだ誰も来てないよ。ちひろさんも」
「えっ、あっ、そう。おはよう、やけに早くないか?」
「うきうきしちゃった。クリスマスイヴでしょう?」
「冗談? それ。プレゼントねだりに来たとか」
「今の私はプレゼントをあげる側なの」
ハッピークリスマス、と緑茶を差し出すと、彼は芝居がかった声で、わあい、と言った。
さっきまで居眠りをしていたからか、眼鏡がずり落ちている。
「いっそきちんと眠ったら?」
プロデューサーさんは緑茶を啜って、首を横に振った。「まだ寝れない」
「せっかくのクリスマスなのに、そんなに疲れた顔のサンタクロース、誰も喜ばないわよ」
「ああ、だからコーヒーじゃなくて緑茶なのか。奏の優しさが沁み渡るね」
それはどうも、と返事をした。「終わりそうなの」
「会社の仕事にはケリを付けてるんだ」
「ならどうして」
「大人は色々あるから」
私が「心配してる」と言ったら、彼は眼鏡をかけ直して、あとほんの少しだから、と答えた。
「奏は、今日は昼過ぎにラジオの公開録音、だっけ」
「そう、それだけ。一人でも大丈夫だよ」
「なら、三十分経ったら寝ることにする。それまで、この部屋から出ていってもらえるか」
「どうして?」
「とにかく、三十分経つまで、決して覗いてはいけませんよ」
鶴の恩返しかしら。
とにかく、私はデスクのある部屋から追い出されてしまった。
彼はきっちり三十分で部屋を出て、ふらふらとした足取りで仮眠室に向かった。
ベッドを前にして、彼は私に「そういえば、今日はとても可愛い格好をしてる」と言った。
いつもは着ないような、ゆったりしたワンピース。
「子どもっぽかったかしら」と私は言った。
似合わなかった?
「似合ってる。それでもいいんだよ、奏は」
ぱたり、と倒れた彼は、そのままぐうぐうと寝息を立て始めた。
◇
ラジオの公録から、その後のミニサイン会まで。
私用も含めて全部終わったころには、あたりはすっかり夜を迎えていた。
「今日はどう過ごすの」と随分誘いを受けたけれど、この後事務所でパーティーをするからと全部断った。
事務所に急いで戻ると、既にパーティーは始まっていて、どうやら私が最後だった。「ごめんなさい、遅れちゃって」
私がそう言うと、少し酔っ払った彼が手を上げて、全員揃ったな、と声を上げた。
「大人ども各位、プレゼントの用意はできたか」
やあやあと声が上がる。
他のプロデューサーたちも含めて、成人組はそれなりに出来上がっているらしい。
対して、子どもたちは目をキラキラさせて、プレゼントを楽しみにしている。
私もプレゼントをそれなりに用意していた。
小さなアクセサリや、小物ばかりだけれど。
みんなにプレゼントを配っている間、クリスマスについて考えていた。
サンタクロースを信じていたのはいつまでだっけ。クリスマスプレゼントを最後にもらったのはいつだっけ?
小さなころのことはまるで思い出せなくて、本当に私にも、こんなに目をキラキラさせていた頃があったのだろうか。
プロデューサーさんと目があった。
同じようにみんなにプレゼントを配っていた彼は、私を見て曖昧に笑っていた。
配り終わったころに、文香に話しかけられた。「今日は、こちら側だったんですね」
「文香もね。配ってたんでしょう、お手製の栞」
「ええ……まぁ。みなさん、喜んでくれました……しかし、奏さんは、まだ」
「配る側じゃなかったはずだって? かといって、貰う側でもないでしょう」
「周子さんは……ご自身のプロデューサーさんに、強請っていましたが……」
私はそれを聞いて、「ふふっ」と声を上げて笑った。「周子らしいわ」
「奏さんも、わがままを言っても良いのではないでしょうか……?」
「クリスマスに? そんなキャラじゃないもの」
「私のプレゼント、子ども向けばかりだけれど」
「良いのです……私も、少し子どもっぽいかもしれませんから」
こちらです、と文香が取り出したのは、小さなリボンが施された栞だった。
「かわいい栞ね」と言ったら、文香は「今日は、特別ですから」と答えた。
私からのプレゼントは、変哲も無い、ビーズのキーホルダー。
文香はそれを手にして、うれしいですねと柔らかく笑った。
「それでは……私はそろそろ帰ります……」
「明日も仕事?」
「はい、年末に向けて……」
そういえば、と文香は付け足した。「今日は、とても可愛らしい服装なのですね……」
「うん、少し子どもっぽかったかしら。似合ってない?」
「いえ、大変似合っています……だって、今日はクリスマスですから……」
「クリスマスって、そんなに特別なの」
「特別、だと思います……みなさん、幸せそうです」
文香はそう言って、事務所を後にした。
もう十時になろうとしていて、高校生以下は事務所を追い出されていく。大人たちはこのまま事務所の中で忘年会だろう。
私も、家に帰ろうか。
◇
外に出ると、朝と違ってイルミネーションがわらわらと瞬いていた。
手を繋いだカップルがとにかく多くて、帰り道が憂鬱になりそうだ。
かじかむ手のひらに、白い息を吹きかける。
街中幸せそうだった。
イルミネーションを背景に、若い男女が写真を撮っている。
プレゼントボックスを抱えた女の子が笑っている。
アンニュイな気分にもなる。私はあんな風に笑ったことがあった?
「おい、奏!」と、ビルの中から赤い顔をしたプロデューサーさんが飛び出してきた。
彼は息を切らしていた。
どうしたの、と聞く前に、ぎゅーっと抱きしめられる。
「ちょっとっ、お酒臭いんだけど!」
ハグされたまま自動ドアをくぐって、私は出てきたばかりの事務所ビルに戻っていく。
じたばた足掻いたけれど、それだけじゃまるで振りほどけなかった。
「奏ぇ、今日くらい甘えてくれよ」
「今甘えてるのはどっちっ」
抱かれている手をつねりあげると、彼はようやく手を離した。
そのまま思いっきり左頰をぶってやる。
彼はぶたれた頬をおさえて、そのまま瞬きをいくつかした。
「そこに直りなさい」
そういうと、彼は冷たいアスファルトの上に正座をする。「酔いは醒めたかしら」
「はい、もうすっかり。抱きしめちゃってすみません」
「時と場合を考えてよっ。ドキドキしたじゃない!」
「ドキドキ?」
「心臓に悪いって言ってるの!」
彼はすみません、とだけ言った。
大きなため息が出る。シュンとした姿はまるで小型犬だった。
「そういうキャラじゃないでしょ。いつもはもうちょっと、大人でしょ、貴方」
「そう、キャラだよ、そんなもの誰かに勝手に思わせていればいいんだ。気負う必要なんてない」
「突然どうしたの、それに……どういう意味?」
「奏のことだよ」
彼はすっくと立ち上がった。
肩を掴まれると、まだアルコールが香っていた。
「まだ、子どもでいたって良いんだぞ。奏は、誰かのために大人でいようとしてるだろう」
「それの、何が悪いっていうのよ」
「どうせいやでも大人になる。本当だぞ。十七歳なんて、瞬きを三回してる間にだって大人になっていくんだから」
「ごめんなさい、何を言ってるのかわからないの。貴方にはわがままも言うし、子どもっぽいところも見せてるじゃない」
違うんだ、違うんだよ、と彼は呻いた。
大人っぽい、は褒め言葉で、子どもっぽいはそうではない。
なら、私はみんなの期待通りに大人のフリをするだけだよ。
「だったら、なんで今日に限って、子どもっぽいなんて良いながらさ」
「はあ?」
「クリスマスに、子どものための日に。今日くらい子どもでいたいことを隠すなよ」
私はハッとして、ワンピースの袖を握った。
そんなつもりじゃないのに、きっと、そんなはずじゃない。
本当は羨ましかった、なんて気持ちをどうやって飲み込めば良い?
「そんな可愛い格好でさ、せっかくプレゼントだって用意してたのに、年少組にプレゼント渡したら帰ってるんだもんな」
みるみる顔が赤くなっていく。
揶揄うための子どもっぽいフリではなくて、私の子どもの部分がバレてしまったんだ。
しかも、酔っ払った、こんなに子どもっぽい人に!
「う、うるさいわよっ。なら、プレゼント強請ればいいのっ? それで満足!?」
赤くなっていく顔を見られるのが辛くて、私は彼の胸に顔を埋めた。
ああ、恥ずかしいったらない。
「ああ俺は満足だね! 奏だってきっと満足するぜ!」
周りに誰もいなくて助かった。
どうして恥ずかしいのだろう。こんなに子どもな私は、自分のキャラじゃないから?
「なら、プレゼントちょうだいよ」
それもあるけれど、自分へのクリスマスプレゼントが思っていたよりもずっと嬉しくて、幸せだったからかもしれない。
◇
朝が来た。
あの後家に帰って、クリスマスプレゼントを抱いて眠った。
こんなに子どもだって良いんだろう。クリスマスは、特別だから。
今日もシャワーを浴びて、いつものように、よそ行きの速水奏を作っていく。
今日はミモザ丈のスカートを履いて、ライダースジャケットを羽織る。
昨日と違う、フェミニンで大人な速水奏が出来上がる。
忘れないようにと、プロデューサーさんからのプレゼントも身につけた。
モノクロの、子どもっぽいミトンだった。
手作りだと彼は言った。
編み物なんてキャラじゃないと彼に言ったら、キャラじゃなくて良いんだよと、頬を掻いていた。
毛糸で丁寧に編まれたそれはとても暖かくて、愛おしい。
瞬きを三回する間にも、私は大人になっていく。
私は大人と子どもの間にいて、それなら、子どもっぽいミトンがお気に入りだって良いんだろう。
手招きをしている未来のせいで、今日も家を出る。
お わ り
今回のタイトルの元ネタはフジファブリックの「まばたき」という曲でした。
youtube→ https://youtu.be/sjJ5Bzl6PaE
追記:24日に上げたかったなぁ。
とてもよかった
おっつ
ちょうどプレゼント渡す時間だしもーまんたい
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