このssは以下の要素を含みます
・地の文
・ほどほどにシリアス
・デレステコミュに触れた内容
以上、別段問題ないという方は是非ともお楽しみください
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――たぶん私は、神様に祈ってはいけないんだと思います。
それは何ヶ月か前より景色が少し寂しくなって、時折吹く風が涼しくも肌寒くも感じられる、そんな季節のこと。
前の事務所から移籍して少し経ち、新しい事務所での最初のお仕事が近づいていた私の中にあるのは、どうしようもない不安だった。
いくつもの事務所にお世話になってきて、その度に初仕事を越えてきたけど、いつだってそれは消えてくれない。
もう既に、何度も移籍を重ねてきた。
そんなの普通じゃない、なんて当然なこと、今更思い返すことじゃないのに。
頭に浮かんでしまう。たくさんのアクシデント、不幸な巡り合わせ、そんな理不尽に対して怒る人、悲しむ人。
私はどうしようもなく、そういう不幸を引き寄せてしまうらしかった。
怖かった。これ以上は後がないような気がして、それなのにステージが台無しになるような不幸が訪れてしまうんじゃないかと思うと。
怖くて、怖くて。だからどんな些細な願掛けでも、それに縋りたかった。
それで私は神様にお祈りなんてしている。作法なんて知らないけど、ただただ必死に。
事務所の寮の近くにある教会に通い始めて、多分1週間くらいは経っていると思う。
何日か通っていると、教会というのは余り人が多く訪れる場所じゃなくて、まして何日も続けて来ている人は私以外に見当たらないことがわかった。
だから、不思議に思われたのかもしれない。
「こんにちは。何か、深刻なお悩みがあるのですか?」
「えっ……?」
言葉をかけてくれた人はまさしく修道女、シスターさんと呼ぶのにふさわしい女性だった。
日本人離れした色素の薄い金髪に、慈愛に満ちた優しい笑顔。
見ているだけで心が安らぐような、清らかできれいな人だ、と。その容姿と立ち振る舞いだけで、そんな風に感じた。
「……すみません、どこか変でしたか?あの、お祈りのしかたとか、よく分からなくて……」
「いえ、そのようなことはありません。ただ、ここ最近よくいらっしゃるようでしたから」
やっぱり目立っていたらしかった。
私が有名なアイドルなら、こんなことできなかったんだろうな、と。そんなことを考えてしまって、ちょっと気落ちする。完全な自爆だった。
「あの……差し支えなければ、お話を聞かせていただけませんか?」
「え、でも……ぜんぜん面白い話なんかじゃ、ないです」
「いいんですよ。話すだけでも気が楽になる、ということはよくあります。そうしてあなたが抱えているものが少しでも軽くなるのなら、それは私たちにとっても幸せですわ」
そう言って、シスターさんは私の隣に座る。
聞いてくれるという姿勢がちょっと嬉しくて、何から話したものかと言葉を探していく。
……うん、唐突な出だしになるけど、でも多分この言葉からが一番いい。
「私、アイドルなんです。駆け出しの」
「まあ、どうりで……」
「……?」
シスターさんはほんの一瞬だけ目を見開くと、すぐにその笑みを深める。
何か得心したらしい彼女の様子に、私の方が首をかしげてしまった。
「とても可憐で、華があると感じたものですから。アイドルであるなら、納得です」
「ぅ、あ、ありがとうございます。話……続けますね。お仕事が貰えて、本番ももうすぐなんです。でも……」
普段なら不安なんて、考えても口に出しても重くのしかかる一方だったのに、どうしてだろう?
この人の前だと、話した分だけ楽になるような気がした。
不幸を引き寄せるような体質、仕事への不安、アイドルへの憧れ。
つい色んなことを話してしまう。だって、つながりなんてない話題のどれもを優しい笑顔で受け止めるように聞いてくれるんだ。
そんな風に話を聞いてもらう経験なんて、ほとんどなかった。
「ふぅ……ちょっと、話しすぎちゃいました」
話し疲れて、ようやく一息。どれくらいの時間が経ったのかなと辺りを見回したけど、時計はどこだろう?
携帯電話……は、ちょっと取り出しにくい。
「えっと、今、何時くらいですか?」
「ああ、そういえばここには時計を置いていませんでしたね。ええと……」
シスターさんは修道服から銀の時計を取り出す。
腕時計じゃなくて、懐中時計。初めて見たけど、確かにイメージにはぴったりでよく似合っていた。
「18時30分、ですわね」
「えっ、もうそんな時間……!?」
教会を訪れたのは5時過ぎくらいだったはず。15分くらいは一人でお祈りをしていたと思うから、それでもなんと1時間以上も私は1人で話していたらしい。
これがもしトーク系のお仕事なら大活躍だ。そんな風に饒舌になれたことなんて一度もないのに。
それよりも今の時間の方が問題で、この季節だと外はもうかなり暗くなっているはずだった。
門限は大丈夫だろうけど、私くらいの女の子が出歩いていたらあんまりいい顔をされない時間帯だと思う。
「す、すみません。私、そろそろ帰らないと……!」
「ええ、その方がよいでしょう。周りにお気をつけて」
「はいっ。今日は本当にありがとうございました。いろいろ聞いてもらえて、嬉しかったです」
深く、しっかりとお辞儀する。こんな簡単な挨拶で済ませてしまうことが申し訳ないくらい、私の心は軽くなっていた。
「いえ、私がしたことなどほんの些細なものです。……ああ、それと。よろしければ、お名前を聞かせていただけないでしょうか」
「名前……?……あっ!す、すみません私、名乗りもしないで……白菊ほたると申しますっ」
これだけ長い間話をしていて、名前一つ伝えていなかったことに赤面しつつ、慌てて受け答え。
落ち着きのない自己紹介も、シスターさんはしっかりと受け止めるように頷いて。
「白菊ほたるさん……ええ、覚えましたわ。私も名乗らなければ、ですね。私はクラリス。……ふふっ、あなたが立派なアイドルになったとき……いつか自慢させていただきますね。こうしてお話をさせていただいたことを」
初めて見る、ちょっと悪戯っぽい笑顔でそんな風に言うのだ。
だから。
「この場所に来て、本当によかったと思ってます。……私、頑張りますから。だから、クラリスさんもほんのちょっぴりでいいので、応援してくれると嬉しいです」
私の最後の言葉も、きっと笑顔で言えたと信じている。
そうして迎えたお仕事がどうなったのか、そんなことすぐに頭から吹っ飛んでしまった。
だって、それを伝えようとして教会を訪れた私が見たのは。
閉じられた門と「この教会は経営難のため暫くの間閉鎖いたします」という、無機質な張り紙。そして。
全く見覚えのない、教会の壁の大きなひびだったのだから。
まぶたを開く。
「ぁ……れ…………」
視界が揺れる。ゆらゆら。頭がぼーっとして、うまく働いてくれない。
うれしいことが、そしてひどくかなしいことがあった気がする。こすった目元は濡れていて、ちょっとだけ腫れぼったい。
少しずつ覚醒していく意識はようやくそれを夢だと認識して、私は現実を取り戻す。
「夢……あ、そっか、私……」
そうして次は、取り戻した現実の重たさを思い出した。
ーー疫病神、何度もそう言われた。
思えば、そう呼ばれないほうが不思議だった。
だって私はずっと周りの人を不幸にしてきたんだから。
色んな人を不幸にしながら、でも諦めることなんてできなくて。
アイドルを目指して頑張ってきた、その果てはこの通り。
共演者になるはずだった子から拒まれて、番組の収録はおじゃん。
辛気くさいと言われもした。バーターだったから仕方ないけど、私ひとりじゃ番組にならないって。
それをきっかけに私の居場所はまたしてもなくなって、もう拾ってくれる人はいない。
アイドルじゃなくなったただの不幸な女の子が、公園のベンチでめそめそと泣いているだけだった。
湿っぽい空気は、雨の多い今の季節にこそふさわしい。
でもどうして、今になってあんな夢を見たんだろう。
あの時のお仕事がそんなに印象に残っていたのか。
……ああ、うん。そんなはずない。
あの教会で感じた救われたような気持ちが、忘れられないから。多分今も求めてるから。
そして、それよりももっと、申し訳ないんだ。
あの教会まで私の不幸に巻き込んでしまったことが。
結局シスターさんの期待に応えられないまま、こんな場所でこんな風にしていることが。
あ、だめだ。泣き疲れて寝ちゃったはずなのに、また涙が溢れそう。
「っ、ぐすっ……」
「どうか、いたしましたか?」
「……ぇ…………?」
かけられた声に、顔を上げる。
すぐ目の前。柔和な表情の男性が、かがみこんで私を見ていた。
きちんとした身なりと仕草は、それでいて緊張感を与えない。
不思議な雰囲気の人だった。だからか、何も考えずに応じてしまう。
「ちょっとだけ、つらいことがあって」
「収録でのことですか?」
「え、どうして……それを?」
「その時、近くにいたものですから。ああ、私はこういうものです」
渡された名刺には、知っている名前のプロダクションと、プロデューサーという身分が記されていた。
それはもう私には天の上の存在で、触れられない場所。
それなら、そんな人の心の片隅に、白菊ほたるというアイドルになりたかった少女の物語を置いてもらえるだけでも、幸せなのかもしれない。
「……違うんです。収録のときもつらかったけど、本当につらいのは。私、アイドルじゃなくなっちゃいました」
「おや……。それは、どうして?」
目を閉じて薄く笑う。こうやって表情を作らないと、すぐに泣いてしまいそうで。
「私、疫病神なんです。関わった人とか場所を不幸にしちゃう呪われた子。私がいたプロダクション、倒産しました。これで3度目だなんて、信じられますか?」
「今回はお仕事を貰えて、それも一つだけじゃなくて、いくつも。凄いチャンスでした。……でも、でも、そこまででした」
男の人は、神妙な表情で耳を傾けている。
ほとんど初対面の相手のこんな話もちゃんと聞いてくれる。……その姿が、誰かと重なった。
だから、話を続ける。
「私がいると、行く先々で不幸とかアクシデントがおきて……それで一緒に仕事したくないって思われたみたいです。はい、それがこの前の収録でした」
「改めて実感しちゃいました。私なんかじゃ、みんなを幸せにするアイドルにはなれっこないんだ、って」
「そんなことはありません」
不意に返ってきた言葉。欲しかったけど、欲しくない。
もう、諦めなきゃ。ずっとそう思っているのに、未練がましく決心は鈍るばかり。
「そんなこと、あります。だって私は人を幸せにできない、むしろ逆なんです。だからアイドルになる資格なんて、あるはずありません」
自分で拒んでおきながら、その言葉が胸に刺さってじくじくと痛む。
なんで、よりにもよってアイドル事務所のプロデューサーさんにこんなことを言っているんだろう、そんな言葉も頭に浮かんで。
「アイドルになりたくはありませんか」
その一言に揺さぶられる。それでも、どんどんと私は頑なになってしまう。
「っ……なりたい、なりたくないじゃなくて、なれないんです!なっていいはずが、ないんです……」
「誰かに幸せを届けたいと、幸せになりたいと、そう、願っているのでしょう?」
「やめてっ……ください………。私、私は……」
「資格なんて、それだけで十分です。あなたはアイドルになれる」
「でも……!」
「ん……そうですね。……言葉が違いました」
私がどうしたいのか、何を伝えたいのか、自分でもわからないのに。
彼は何か納得したように頷くと、改めて私に向き直り片方の手を差し出す。
「私に、あなたをアイドルとしてプロデュースさせてください」
「……!」
「私があなたをアイドルにします。だから、共に目指してみませんか?」
俯いていた顔を上げる。
それは……それは、私が知らない言葉で、だからこそ気づいたんだ。
私はアイドルになりたい。だけど私のその気持ちだけじゃ、アイドルにはなれなかった。
私は1人だと思っていたから。いや、事実独りだったのかもしれない。
アイドルは私の想いと、アイドルの私を求める誰かの想いで出来上がるものなんだ、って。そんな、今更な気づき。
じゃあ、背中を押してくれる言葉は、差し伸べられた手は、つまり。
この手を掴めば、私はアイドルになれるのかな。
……なりたい。可哀想な女の子で終わりたくなんてない。
おそるおそる、手を伸ばす。
「お願い、します……。私を、アイドルにしてくださいっ……!」
触れた手は優しくも力強く、私を引っ張り上げてくれる予感を感じさせた。
――アイドルになりませんか。あなたの歌声はたくさんの人の心に届く。この教会を救うことにも、繋がることでしょう。
その言葉を聞いたときに、ことのほかあっさりと受け入れたいと願うことができたのは。
――私、頑張りますから。だから、クラリスさんもほんのちょっぴりでいいので、応援してくれると嬉しいです。
困ったように下がった眉と、可愛らしい笑顔が素敵な女の子のことを覚えていたからでしょう。
さて、教会という場所は少しずつ、人々の中で価値を失っていました。
この国では宗教的なものが強く重視されることは少ないですから、小さな教会など尚更です。
そんな中でどうにかやっていきながらも、終わりのときは近づいていました。
そうして、施設の老朽化もあったのでしょう、不幸な事故によってとうとう教会の門戸を開き続けることは難しくなってしまいます。
どうにかして教会を再建するための資金を集めなければならなかった私に、手を差し伸べてくれたのがプロデューサー様でした。
そしてこれはスカウトを受けてしばらくしてから知ったことなのですが。
どうやらプロデューサー様が私のような人間を不意にスカウトして来ることは、それほど珍しくはないらしいのです。
「あ、お帰りなさいプロデューサーさん!……と、スカウトですね。それじゃ、お話もあるでしょうしお茶淹れてきますっ」
事務員さんのそんな声が聞こえてきたのでこっそりと簡易キッチンに先回り。
お茶汲みなら他の仕事が残っている事務員さんよりも、手が空いている私の方が適任でしょうから。
「お茶の用意でしたら、私に任せていただけないでしょうか」
「あ、それじゃあお願いしちゃいます!それと、できれば私の分も淹れてくれると嬉しいなー……なんて」
「ええ、もちろん。それでは、4人分ですね」
「やったー、クラリスさんが淹れる紅茶は美味しいですからねぇ。あ、私ミルクティーが良いです。お砂糖たっぷりで!」
ぱたぱたと上機嫌で走っていく事務員さんを見送って、ポットやマットを取り出します。
この事務所はどなたの趣味なのか、かなりしっかりした道具が揃っているので気合が入ってしまいますね。
……と、いうのも、どうやらこの事務所には紅茶好きの方がやけに多いようで。
私もその1人であるというわけでした。
さて、ミルクティー向きの茶葉も残っていたので、それを使うことにしましょう。
紅茶の淹れ方にはゴールデンルールと呼ばれるものがあります。
全てを厳密に遵守する必要はありませんが、それを意識して淹れれば相応に美味しい紅茶が仕上がりますね。
そうやって淹れた紅茶と、角砂糖と蜂蜜に、忘れてはいけないたっぷりのミルク。
それらをトレーに乗せて、それでは、私たちと共に歩むことになるかもしれない子のお顔を見に行きましょうか。
ミルクティー、お口に合うと良いのですが。
「皆様、紅茶をご用意いたしましたので是非お召し上がりください。お砂糖などはお好みで調節していただければ、と」
「え…………クラリス、さん……?」
「えっ……?」
おや、まあ……。
これは、どういったお導きでしょうか。
「ん……知り合いでしたか、クラリス?」
「ええ。……私がここに来る前に、一度だけお会いしたことが。お久しぶりです、白菊ほたるさん」
「あ…………」
プロデューサー様は、私にとってのアイドルの象徴と言える女の子をスカウトしていたようでした。
しかし、彼女の様子は、異様の一言に尽きたのです。
目を見開き、唇を震わせ、その視線の先には……私が。
それが何かよくない感情を示すものであることは、簡単に伝わってきます。
困惑。それを隠して誤魔化すように、私は紅茶を皆様に配ろうとしました。しかし。
「どうぞ、ほたるさんの分も……」
「すいません、少しだけお手洗いにっ……!」
ほたるさんは言葉とともに部屋を出て行ってしまいます。まるで、私を避けるようにして。
咄嗟に手を伸ばして、しかし彼女に届かせるよりも、迷いの方が先行して。
中途半端に伸ばそうとした腕をただ見つめるだけに終わってしまいました。
「……私も、少し席を外しますね」
私は今、この場にいない方がよいのでしょう。
どうしてほたるさんがあのような反応を返したのか、ほとんどわからないままでしたが、それだけはすぐに判断できました。
自分の紅茶にミルクを注ぎ入れ、はちみつをスプーン一杯。
それをかき混ぜれば鮮やかな赤は優しい亜麻色に、濃く入れたので少し苦みと渋みの強い味は口当たりが良く飲みやすいものに変わっていきます。
カップを持って席を離れようとしたとき、ほたるさんの紅茶はその水面が赤いままであることが、ひどく心を乱しました。
彼女からの拒絶は、今この場所にいる私を根底から揺るがすものでした。
どうして、と。疑問ばかりが頭に残り続けます。
だって、あの時見た笑顔はとても素敵で、希望を感じさせて、満たされていて。
こんなにも苦い再開とは、結びついてくれないのですから。
私が席を外した後、どのようなやりとりが行われたのか、詳しくは存じません。
私が知るのは、最終的にほたるさんはこの事務所に所属することを決めた、ということだけでした。
喜ぶべきことなのだと思います。
もしも私の存在が彼女の可能性を潰すようなことになってしまっては、悔やんでも悔やみきれないでしょうから。
しかしそれは、私とほたるさんがまた再び顔を合わせるということも意味していて。
あの時のようなやり取りを繰り返すことを想像すると、息が詰まる感覚に襲われます。
「……あら?」
ふわりと漂うすっきりとした紅茶の香り。
これは……ダージリンでしょうか。
見れば事務員さんがティーカップをふたつトレーに乗せて、こちらに向かってきていました。
「どうぞ。クラリスさん、考え事ですか?」
「ありがとうございます。わかってしまうもの、ですか?」
遠回しな肯定、しかし質問に質問を返した私にも事務員さんは気にした様子はなく。
「普段と比べてちょっとシリアスな雰囲気かなー、とは」
「そうでしたか……ええ、確かに少し悩み事はあります」
「ふむふむ……でしたら、私がお話を聞きましょう!こう見えて相談役には自信があります」
事務員さんは胸を張って得意げですが、相談役は企業などの役職を指す言葉だったような。
いえ、ありがたい申し出に対して水を差してしまうのもあまり良いことではありませんね。
「では、お願い致します。お時間の方は大丈夫ですか?」
「作業続きで目が疲れちゃったので、休憩中なのです。リフレッシュには紅茶が一番!」
これは、もしかしたらこの紅茶も私のためなのかもしれませんね。
ちょっとしたワンポイントが可愛らしいティーカップをゆっくりと持ち上げ、熱さに気をつけながら一口。
……美味しい。
適度な渋みと香りを感じさせつつ、しかしすっきりとした味わいで飲みやすく。
茶葉が上質なものであることは確かですが、事務員さんも紅茶を淹れるのがとてもお上手です。
ともすれば、私よりもずっと。
「とても美味しいですわ」
「お褒めいただき光栄ですっ。誰かのために淹れられた紅茶は、すごく美味しいですよね」
「はい、私もそう思います。……さて、そろそろ本題に入りましょうか」
「とと、そうでした」
こつん、と自分の頭をこづきながら着席した事務員さんは、ふっと真剣な表情に。
私も少しだけ姿勢を正して、言葉を探し始めました。
「事務員さんも、先日の白菊ほたるさんとのことはご存知でしたよね」
頷いて続きを促す事務員さん。私もまた言葉を続けていきます。
「あの時も少し触れましたが、ほたるさんとは以前に一度だけ面識がありました。まずは、その時のことをお話しします」
なるべく客観的に、事実と言えそうなことに絞って語りました。
私の視点だけでは見えなかったものを、事務員さんに見てもらいたかったのです。
ただ、別れ際に、ここに来て良かったと言ってくれたこと、とても素敵な笑顔であったことは伝えたいと願ってしまいました。
それ故に、私は今困惑を抱えているのですから。
「これくらいでしょうか。次にほたるさんと出会ったのが、先日になります」
「なるほどー……。確かに、びっくりしちゃいますよね」
事務員さんはむむ、と唸ります。
少しだけ冷めた、それでもまだ飲みやすいと称することのできる温度の紅茶に口をつけて、彼女の言葉を待ちました。
「えっと、クラリスさん。ほたるさんはお仕事がどうなったか伝えには来なかったんですか?」
「ああ……小さな事故で協会の閉鎖が予定より早まっていたので、機会を失ってしまったのかもしれません」
「……ん、そこです。ほたるちゃん、不幸を近づけてしまう、と言っていたじゃないですか。教会のことも気にしてたんじゃ……」
「それは、確かに……」
「それに、それにですよ?ほたるちゃん、ここにやってきたってことはやっぱり、前の事務所……」
「……!」
そんな、当然のことをすら、私は失念していたなんて。
失念……いえ、違います。
忘れていたわけではなく、私はただ、それを想像することすらできていなかったのです。
ほたるさんがここにスカウトされてきた、その前提にあるべき出来事。
それはつまり、彼女は元々の居場所を失ったということで。
もしかすると、あの時彼女が話していたお仕事が上手くいかなかったのではないか。
そんな可能性も頭に浮かびます。
そうであるなら、私はなんと浅はかなのでしょうか。
彼女の不安を和らげてあげられたというだけで、彼女のその後を勝手に決めつけていたのですから。
「私が言ったことも、ただの想像です。なので、本当にそうかなんてわかりません」
「はい。わかっています。……だから、決めました」
事務員さんは何を、とは問いません。
ただ、そうですかと頷き、紅茶に口をつけ。
お砂糖忘れてた……とひどく残念そうな表情を見せていました。
ほたるさんと教会で話した日。
それ以降に彼女の教会や私に対する印象が大きく変わっていたとして、それは何の不思議もなかったのです。
……確かめたい、と。そう願いました。
直接伝えなければ、私は彼女を誤解したままだから。
彼女に近づきたい、私の想いに嘘はありません。理由はそれで十分でしょう。
私は、一つの提案をプロデューサー様に持ちかけるべく、事務員さんにお礼を言って席を立ちました。
「ほたる、この事務所での初仕事が決まりました」
新しい事務所に所属することが決まって、寮の引越しだとか、そういったいろんな手続きも落ち着いて数日。
安堵と小さな不安を運ぶ知らせが、プロデューサーさんの口から届いてきた。
お洒落で、よく紅茶の上品な香りを感じるこの事務所に恐縮することも少なくなったし、ちょうどいいタイミングなのかな。
「どんなお仕事ですか?私、精一杯やらせて頂きます!」
「ええ、それでは順を追って説明しましょう。まず、あるアイドルとユニットを組んでの仕事になります」
「はい。えっ……と、ユニットですか?バーターとかじゃなくて」
「ユニットで間違いありません。2人ユニットで、ミニステージでのパフォーマンスをお願いします」
それは初仕事にしては余りにも破格だった。
先輩のアイドルのアシストじゃなくて同じ高さで、しかもステージだなんて。
「私には荷が重く……ないですか?」
「何事も挑戦。それにあなた1人が背負うものでもありませんよ」
「そう、ですね。じゃあ、私がどんな人とユニットを組むことになるのか、教えて頂けると嬉しいです」
共演者、という言葉は私にとって少し怖くもある。
以前のことがトラウマ……とまではいかなくても、やっぱり胸を締め付ける感情は消えないから。
だから、うまくやっていける人がいいとか、私はあんまり映えない方だから華のある人なのかな、とか。
そんなことを想像していた。
「ああ、あなたも知っている人、と言ってしまえばそれはもう答えですね。今日はまだこの場所に来ていませんが……」
ぎゅうう、と。大切な場所が強く強く握られたように痛む。
心当たりなんて1人しかなかった。
この事務所で今まであの人以外の誰にも出会っていないとか、そういうわけではないけど。
私が明確に知っている人は、たったひとりだけ。
でも、認めたくない気持ちがあって。
「っ……それ、は」
「ええ。これは、クラリスからの申し出でもあります」
クラリス、さんが……?
それは不思議な感覚だった。
納得しているような、信じられないような、信じたくないような。
浮かぶのは、クラリスさんの表情。
優しげに、そして悲しげに。
ぐるぐると回って、最後に、見たことのない表情が想起されて、恐ろしくなって。
「ごめんなさいっ……それ、だけは。どうか、別の方とのユニットに…………!」
差し伸べられたはずの手を、払いのけた。
だけど、それでも。
「それを望むのであれば、クラリスにも、あなたの口から直接伝えてください」
「ぅ…………」
「伝えた通り、これはクラリスの希望です。あなたがそれを望まない理由を、誰よりも聞くべきは彼女なんです」
「………………わかりました」
自分だけ楽な方に逃げることは、もうできないみたいだった。
「お話であれば、教会に致しませんか」
クラリスさんの最初の言葉から、激昂しそうになった。
「っ……どうして、ですか」
歯を食いしばって耐える。アイドルのする表情じゃないなんて、わかってた。
クラリスさんの言葉に悪意がないのはわかるし、ぐるぐると渦巻く気持ちだって、私が勝手に抑えきれなくなっているだけのもの。
だけど!それでも私はもう二度と、あの教会で、クラリスさんと話しちゃいけないんだ。
もう、次は……何が起こるかわからないから。
「初めて会った場所で、初めて会った時と同じようにお話したかったものですから」
クラリスさんは何も気にしていないかのようにそう言う。
同じ理由で、反対の結論。その致命的な齟齬が、ただただ嫌で仕方がなかった。
「教会の壁にできてたひび、なにか事故があったんですよね。……クラリスさんはっ!それと私が全く関係ないと、本気で思っているんですか!?」
叩きつけるような疑問は、もはや叫びと変わりないものだった。
それでもクラリスさんは動じない。
頭がくらくらした。
もし平然と肯定が返ってきてしまったら、きっとクラリスさんと向き合っていられなくなる。
私は自分が不幸を呼ぶことを、まるで世界の真実であるかのように感じているのだと、今更のように気づいた。
「考えたことがないと言えば、嘘になります」
「なら、どうしてそんなことを言えるんですか……?教会はっ、クラリスさんにとって大切な場所でしょう!?私が来たら、また不幸になるかもしれないんですよ!」
「それでも」
必死で投げつける言葉は、たったの4文字で引っ込んでしまう。
「私は、あの場所であなたに伝えたい言葉があります。それ以上の理由が、今はどこにもありません」
静かで、緩やかで。なのにどうして、こんなにも力強いんだろう?
……ああ、私は今、怯えて言い訳を続けているだけなんだ。
だから、こんなに簡単に。拒絶したい気持ちを信じきれなくなってる。
私の不幸を認めていながら、そんなことはどうでもいいのだと真っ直ぐに言われた心地がして。
簡単に揺らいでしまった。
クラリスさんが伝えたいという言葉を、聞かせて欲しいと思ってしまった。
「……どうか私に、信じさせて、ください」
たぶん私は、神様に祈ってはいけないのだと思う。
だけど、目の前にいるシスターさんに願うことくらいは、許してください。
「着きましたね。まだ閉鎖中ではありますが、許可を頂いて鍵はお借りしています」
閉ざされた門を開きながら、クラリスさんはそう言う。
「あ、壁……直ったんですね」
最後に訪れたのももうしばらく前のことだから、おかしな話ではないのだけど。
無性に安心して、少し怖くなった。
閉鎖されたとはいえ、辺りに植えられた植物はきちんと手入れされていて、この場所は生きているのだと感じる。
私たちはゆっくりと歩みを進め、礼拝堂の扉を開いた。
「ここが、私たちが出会った場所でしたね」
「……はい」
こんなに、厳かな空気だったっけ。
何度も訪れたはずなのに、初めて来た場所のようだった。
どうしてだろう、とふと思う。
あのときは、教会の空気を感じるほどの余裕もなかったのかもしれない。
私にとって、この場所が重い意味を持つようになったからかもしれない。
ふわふわといくつも浮かぶ可能性は、どれもちょっとずつ正しくて、どれもちょっとずつまちがっている気がした。
「そう、ほたるさんはいつも、この席に座っていましたね」
右から二番目の列の、前からみっつめ。
私が覚えていないことも、クラリスさんは覚えていた。
半年ほど前の1週間、毎日のように座っていた席に腰掛ける。
クラリスさんもまた、あの時のように私の隣に。
それだけで、空気の張り詰めた感じがなくなって、小さく息を飲んだ。
「……改めて、聞かせて頂けますか。私と距離を置こうとする理由」
柔らかい声。ずるいと思った。
クラリスさんは、こんなにもたやすく、私の言葉をひっぱり出してしまう。
伝えたくなかった筈の言葉が、いつしか聞いてほしい言葉になっている。
……信じて、しまう。
「じゃあ、まずは。あのときお話ししたお仕事のことから伝えさせてください」
前置き。これがあの時の続きかやり直しであるなら、まず最初に伝えたい言葉だった。
「お仕事、大成功でした。今までにないってくらいにうまくいって、不幸な出来事もまるでなくて」
あの時、これをちゃんと伝えることができたなら、何かが変わっていたのかな。
考えても、わからない。
「でも、それを伝えることはできなくて、不幸をこの場所に押し付けたような気持ちになって」
「お仕事も、ずっと上手くいくことなんてなかった。……最後には、事務所も倒産しちゃいました」
唇を噛む。
ここから先を吐露していいのか、迷ってしまう。
だって、言葉にしてしまったら、隠そうと決めた時に願ったことは、きっと叶わないから。
……ううん、もう、捨てなきゃいけないんだ。
ゆっくりと、長く息を吐いて、全部吐き出そう。
「先に進むことができないまま、ふり出しだけを繰り返してる私を、クラリスさんにだけは、見て欲しくなかった……!」
「いつか有名になったとき。ありがとう、って伝えたかった……!なのに、なのにっ……こんなにすぐに、私はクラリスさんに出会っちゃった……。あなたの前では、アイドルの白菊ほたるでいたかったのに!」
そう、だってもう出会ってしまった。知られてしまった。
だからそれはとっくに叶わない願い。
だったら、ぶつけてしまえ。
「不幸だって、怖いです。すごく、すごく……。でも、自分に降りかかるだけならよかった!何より私は、大切な人が、クラリスさんが離れていくのが、怖かったっ……!」
「気づいたんです。私がアイドルでいられるのは……アイドルの私を、望んでくれる人がいるからだって。クラリスさんのっ……おかげ、だって……!」
自分が何を言ってるのかもはっきりしなくて。でもきっとこれは偽りのない本心で。
綺麗じゃないこんな心も、受け入れてほしいと願ってしまう。
嗚咽に飲み込まれて、もう意味のある言葉が生まれない。
言いたいことは、まだあるはずなのに。大きすぎる感情がそれを許してくれない。
背中に触れる、暖かく柔らかい感触。
クラリスさんの手が、ぽんぽん、とたたいて、ゆるやかに背中を撫でる。
ただただ優しく。だから、もう、駄目だった。
「ぐすっ、ぅ……あ、あぁあ…………!」
うずくまるようにして泣きじゃくる。
なんにも抑えきれなかった。
涙も、声も、隠そうとしていた気持ちも全部。
だけど、受け止めてくれる人がいたから。
だから、それでいいと思った。
心を埋めていた重荷をひとつひとつ下ろしていって、軽くなったけど、中身が足りなくなってしまったそれを。
もっと素敵に満たしてくれる言葉を求めて、クラリスさんをじっと見つめる。
ふわりと立ち上がる動作。その姿が、また過去と重なる。
吸い込まれるように見とれてしまって、鈴のような声がすっと入ってくる。
「この教会は、本来ならもう取り壊されているはずでした」
「え……」
「訪れる人も少なく、経営がうまくいっていなかったのです。私もただ、諦めるしかありませんでした」
そんな、でも、この場所は今も確かに。
こぼれるような私の言葉に、クラリスさんは。
「この場所を訪れてくれたあなたが、どれだけのものを私たちに与えてくれたか、ご存知ですか?」
ふるふると首を横に振る。
私はきっと貰うばかりだと思っていたから。
だから、私があげられたものなんて、見当もつかなかった。
だけどクラリスさんは、何かを大切に抱くような、本当に素敵な笑顔でそれを私に告げる。
「ほたるさんは、私にこの場所を守る力をくれました」
「あなたの感謝に、どれほど救われたことでしょう。ここに来てよかったという言葉に、どれほど励まされたことでしょう」
「この場所が誰かを笑顔にできるのだと、ここに在ってよいのだと気づけたとき、どれほど嬉しかったことでしょう……!」
「いつかまたこの場所で。それを夢見て歩く力を貰いました」
それは私の願いとよく似ていて。
私たちはお互いによく似た未来を求めて、あの人の手を取ったんだ。
「あなたは、私にとってこれ以上なく輝いた存在でした。皆に笑顔を、希望を、幸せを与えるのがアイドルであるならば」
「私にとって最高のアイドルは、いつだってほたるさんただひとりです」
視界が白く広がる。
頭を通り過ぎるのは、私の原点。たくさんの人の顔。
私の笑顔を見て、喜んでくれる人たち。
――いつか自慢させていただきますね
そうだ、そうだった。……そうだったんだよ。
――私があなたをアイドルにします
そう言ってくれる、応援してくれる人がいるから、私はずっと頑張ろうって思えてきた。
だって、不幸なんかより、幸せを見つけたいから。
顔を上げて、ぐるりと私の周りを、この教会を瞳に焼きつける。
クラリスさん、礼拝堂の綺麗なステンドグラス。ここからは見えないけど、外にはいくつもの建物と、整えられた木々。
クラリスさんが、私と出会って守ろうとした場所。そこは、ただただ素敵に思えて。
ああ、やっぱり。もうぼやけてなにも見えなくなっちゃった。
だって、嬉しい。嬉しくて嬉しくて嬉しくてどうしようもない。
こんなにも素敵な場所を守る力を、私はあげることができたんだ、って。そう思ったら、やっと私を信じられた。
不幸だって乗り越えられるって、やっと思えたから、だから。
「私、頑張ります……!クラリス、さんの……この場所のっ、ぜんぶのためにっ!!」
「……では、行きましょう。共に手を携えて」
差し伸べられた手を、今度は並んで歩くために。
「なんだか、帰ってきたような気持ちです」
「ええ……私もですわ」
「私、嬉しいです。私たちが始まった場所で輝けることが。この場所が、たくさんの人に包まれることが」
「ここまで頑張ってきた甲斐がありました。プロデューサー様の計らいにも、感謝しなくてはいけませんね」
「はい。……と、時間みたいですね」
「それでは、参りましょうか」
その言葉を合図にしたように、二人はゆっくりと向かい合う。
それは、いつか願った言葉。
――ありがとう
おしまい
ここまでお読みいただきありがとうございました。少しでも楽しんでいただけていれば幸いです。
デレステにおけるクラリスとほたるのメモリアル1は似ている部分があるんじゃないか、みたいなことを考えて書き始めた記憶があります。
このコミュとこのコミュのP、性格が似てるな、と感じたりしたところから、アイドルたちの新たな組み合わせが生まれ出てもいいのかもしれません。
乙
面白かった
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