半年ぐらい前に
エリカ「友情は瞬間が咲かせる花であり、時間が実らせる果実である」
というほぼ同じタイトルで立てたSSに地の分を付けたのでもう一度やらせてください、オナシャス
SSWiki : http://ss.vip2ch.com/jmp/1474649271
『フラッグ車、行動不能! 優勝校は―—』
ドッと沸きあがる歓声。
吹き荒れる拍手の嵐。
押し寄せる仲間達の絶叫、涙、喜びの声。
私はキューポラから上半身だけを出してそれらを眺めながら、少しの間呆然としていたようだ。
車内の仲間に足を小突かれ、我に返った。
キューポラの縁に手をかけて車外へ這いずり出て、目の前で敵のフラッグ車を撃破したティーガーⅠへ向かって、全速力。
ティーガーⅡの上面装甲から飛び降り、着地の衝撃で転びそうになり、それでも踏みとどまって、地面を蹴る。
勢いそのままティーガーⅠの装甲に手をかけて駆け上り、たった今、そのキューポラから姿を現した上半身に、正面から抱きついた。
「やった……やったのね、私達……!」
「うん……うん! そうだよ、エリカさん! 私達の力で、優勝したんだよ!」
感極まっているのは向こうも同じ。
震えた声と共に、普段の姿からは考えられない程に、力強く抱き返される。
「長かったわね……これでやっと、アナタの汚名を晴らせたのね。これでもう、誰にもアナタを逃亡犯だとか、腰抜けなんて言わせずに済むわ。隊長さん」
「私の事なんかどうでもいいよ。でも、これで……お姉ちゃんに胸を張って、報告できる……かな?」
「ええ。西住隊……前隊長も、家元も、きっとアナタの事を認めてくれるわ。だから……私達の街へ。熊本へ。帰りましょう、みほ――」
「―—さん。エリカさん」
揺り動かされて、目を覚ました。
にじむ視界の中心に、ぼやっと癖毛の頭が見える。
「あ……小梅……?」
その輪郭には見覚えがある。
パチパチと数回瞬きをして、目を擦るとようやく世界から曇りガラスが外れてくれた。
「そうですよ。戸締りに来たら、エリカさんが眠っていたので。風邪をひきますよ」
「……そう。作戦を考えてたはずなんだけど……眠ってしまっていたのね、私」
ようやく意識がハッキリとしてきた。
同期、赤星小梅の微笑みに、気恥ずかしさを感じる。
誤魔化すように、椅子に座ったまま凝り固まった体を伸ばし、小さく呻いた。
「はい。根を詰めるのはいいですけど、体を休めることも忘れないでください。明日は大洗女子学園との練習試合なんですからね、逸見隊長」
「分かってるわよ……少し、うたた寝してしまっただけよ」
逸見隊長、という呼ばれ方にはまだ慣れない。
私にとって隊長とはやはり西住まほ前隊長であるし、自分がこのような立場になるなど、ほんの一年前には考えてもいなかった。
……そう、考えてもいなかった。
「それが問題なんです。あのエリカさんが戦車道の事を考えながら居眠りなんて考えられません。疲れがたまっているんです。最近、寝てないんじゃないですか?」
「毎日ベッドで戦車道の事を考えながら寝てるわよ」
僅かに責めるような色を滲ませる小梅の問いかけ。
フフッと笑みを浮かべ、再び誤魔化しにかかる。
「鈍いふりして話を逸らさない。どうなんですか?」
ツッコミ待ちのちょっとしたジョークに、冷静な返答が帰ってくると辛い。
慣れないことをするものではないわね。
思わず顔を覆う。
「……まぁ、しっかり寝てると言ったら嘘になるけど」
「じゃあ、早く帰って寝てください。 隊長になってから初めての試合ですから、緊張するのは分かりますけど。隊長が寝不足なんてなったら、勝負になりませんよ。大丈夫、あれから私達も練習を重ねました。軽くあしらわれたりはしないハズです」
明日は、私が隊長を務める黒森峰女学院と、あの子……強いて関係性を言葉にするならば、宿敵とでも言おうかしら。
西住みほが属する大洗女子学園との試合が行われる。
以前にあの子が黒森峰を訪れた際に、その姉であり、黒森峰女学園先代隊長であるまほさんの仲立ちを得て取り付けた練習試合だ。
西住前隊長が引退し、私へと隊長の座が受け継がれてから、初の実戦になる。
……宿敵。
そう捉えている相手、大洗女子学園隊長、西住みほには絶対に負ける訳にはいかない。
しかし、みほの実力を認めない訳にはいかない。
みほは昨年の第63回戦車道全国高校生大会において、全ての戦車道ファンの予想を裏切り、そのほとんどが年内に戦車道を始めた素人の仲間達を率いて優勝の栄冠を掴み取った、言われるところの『奇跡の隊長』である。
今では戦車道ファンは当然の事、戦車道に触れたことがない人々も名前は聞いたことある、などと言う、ちょっとした時の人。
……私は、去年の大会時点で、間違いなくあの子より劣っていた。
決して口にはしないが、私は自らと西住みほとの実力をそう感じている。
「……そう。そうね。いつまでも不安を感じていては、自分達の努力と技量を信じられていないということになってしまうわね」
しかし。
あれから、自らの過ちを考えた。
足りなかったものを補おうと、努力した。
それは私だけでなく、眼前で微笑む小梅、また他のチームメイトにおいても同じこと。
昨年は敗北を喫した相手であるが、今回は負けるつもりなど毛頭ない。
……強い言葉は、自らに言い聞かせているだけなのかもしれない。
胸の内で弱い自分の声が聞こえたが、それでも構わない。
名門黒森峰を率いる隊長としては、自己暗示をかけてでも常に自信を溢れさせていなければならないのだから。
「そうですよ、今度は勝ちます。みほさんにも負けません。だから……帰りましょう、エリカさん」
「ええ……ありがとう、小梅」
小梅が差し出した手を掴むと、優しく引かれたのでされるがままに立ち上がった。
机の上に散らばるシャーペン、消しゴム、思いつく限りの作戦が乱雑に書きなぐられたノートに気づき、少しだけ頬の紅潮を感じながら慌てて片付ける。
「ところで、エリカさん?」
「何よ?」
小梅の問いに、私は荷物を鞄の中に放り込みながら答える。
「とても素敵な寝顔をしていましたが、どんな夢を見ていたのですか?」
ピクッ、と。
作業中の手が震え、止まった。
「……アナタ、趣味悪いわよ」
「部屋に入ったらエリカさんの寝顔がこちらを向いていたんです」
目を片方だけ細めて小梅を睨むが、当の彼女は肩をすくめ、あっけらかんと言ってのける。
ハァ、と聞こえるように吐いた、大きな溜息一つ。
「ふん……最低の夢よ」
視線を再び散らかった机の上に戻しながら、吐き捨てる。
自分では特に気にしてはいないが、私はどうやら鋭くキツい顔つきをしているらしい。
明らかに機嫌悪そうに言葉を投げつけると大抵の相手はそこで会話を諦めるが、付き合いがそれなりに長い小梅は特に気にする様子は無かった。
「みほさんの夢?」
「なあっ!?」
突かれた確信。 知られたくない事実。
小梅はいともたやすくそれを見抜いて、私がゴミ箱に押し込んだものを引っ張り出してしまう。
「やっぱり。エリカさんがそんな風に言う時は、大体みほさんの事だもの」
「……そうかしら?」
「シラを切ってもダメです。エリカさん、キツいように見えて、悪口なんかは滅多に言わないし」
言われたくない言葉ばかりを突き立てられて、自分の唇が自然と尖っていくのが分かる。
私の身体は、私よりも私らしい性格をしているようだ。
「そんなことないわよ。私は」
「人より少しストイックで、厳しい性格をしているだけです」
「ちょっと!」
「褒めてるんですよ、これでも。エリカさんほど真っ直ぐ戦車道に打ち込むなんて、そうそう出来る事ではありませんから」
普段、小梅はこうもずけずけと私に言葉を並べたりはしない。
その姿に戸惑い、応えあぐねていると小梅は顔を伏せた。
「……ごめんなさい、私も慣れないことをしました。緊張をほぐす事にかけて、それこそみほさんの右に出る物はいませんね」
かぶりを振り、困ったような表情で顔を上げた小梅。
確かにその言葉のとおりかもしれない。
あの子は狙ってやっていた訳ではないだろうが。
……アナタの素直な言葉にあてられた訳ではないけれど。
言い訳を口にするのなら、私はこう言っただろう。
口にしないけど。
「……夢の話なんだけど」
「はい」
ポツリポツリと、唇が夢で見た景色を紡ぎはじめる。
どうして口に出そうと思ったのかは、自分でも分からない。
胸の中の苛立ちを吐き出したいだけ、きっとそうだ。
そうに決まっている。
夢の中で私が戦車道の試合をしていたこと。ティーガーⅡの車長であったこと。目の前で敵のフラッグ車をティーガーⅠが撃破したこと。そして……その車長が西住みほであったこと。
記憶から抜け落ちる前に、言葉にし終ることが出来た。
感極まって抱き合ったことまでは、ついに口にしなかったけど。
「……少し、辛いですね」
語り終えると、これまたポツリと小梅が言う。
「辛くなんか。ただ……ただ。どうしてあの子じゃなくて、私が隊長なんだろう、って。どうして、あの子がここにいないんだろう、って。思っちゃったわ。悔しいけど」
私は、西住みほのことを宿敵だと思っている。
最近はようやく心が平静を取り戻しつつあるが、みほの事ならば戦車道から好きな食べ物まで、全てを否定してやりたいと思っていた時期もある。
「……思い出しますね。一年生の頃」
「……ええ」
小梅は制服のポケットから自らの携帯電話を取り出した。
その行動の意図が、私には分かる。
彼女の携帯電話の待ち受け画面が、みほを加えた三人で撮った写真であることを知っているから。
……全ての始まりは、一年生。
入学してすぐに始まった戦車道の練習、その初回。
西住みほとの出会いから始まったのだ。
~~
「新入生諸君、黒森峰女学園へ、そして戦車道へようこそ。私は西住まほ、隊長を任せてもらっている」
緊張した面持ちの生徒達が一列、入学したての一年生達。私はその端で、表情を硬くしていた。
対して、向かい合う一列はみなリラックスした表情。
こちらは二年生、三年生の上級生たち。
西住まほ隊長はそれ2列に挟まれるように中心に立ち、硬い表情で一年生達を見やっていた。
「まずは、君達に自己紹介をして貰おうと思う。端の君から、始めてくれ」
促されたのは、私だ。
早まる心臓の鼓動に沈まれ静まれと念じながら一歩前に出る。
視線が我が身に集中する。
特別緊張しやすい性格ではないが……トップバッターと言うのは早鐘を打つ原因には十分だ。
「熊本県熊本市出身、逸見エリカです! よろしくお願いします!」
前後からまばらに拍手が飛ぶ。
「ああ、よろしく」
少しだけ和らいだ西住隊長の表情。
私は小さく息を吐き、一歩身を引いた。
「次!」
「はっはい!」
西住隊長の声に裏返った声を上げ、隣の少女が一歩前に進み出た。
「えと、熊本県熊本市出身……」
「一年生、声が小さいぞー!」
「もっとお腹の底から! 試合中でも響き渡るぐらいの声で!」
上級生からの声に、少女が怯えたように体を跳ねさせた。
決して大きい声ではなかったが、聞こえない程でもなかった。
黒森峰はやはり厳しい、と言うよりは意地が悪いのではないだろうか。
緊張しているのであろう、隣の少女に内心同情した。
「……そうだな。やり直し!」
「うっ……はっ、はい!」
西住隊長の言葉に、少女が更に言葉を詰まらせる。
僅かな静寂。
隣から、大きく息を吸う音が聞こえた。
「熊本県、熊本市出身、西住みほですっ! よっ、よろしく、お願いしますっ!」
西住みほ。
その名が響き渡った瞬間、周囲がざわつきだした。
噂はあった。今年の新入生に、西住隊長の妹がいると。
なので、ざわつきの理由は西住妹の存在ではない。
では何か。
「西住……ってことは」
「あの子が隊長の妹……」
「……似てないわね」
聞こえてきた言葉に、私も全く同じ気持ちであった。
西住みほの横顔を、あまり顔は動かさず、視線をやって見つめてみる。
驚くほどにその顔が似ていない。
西住隊長の吊り上った目尻と、寡黙故にあまり表情の浮かばない顔はともすればキツそうな印象を受ける。
対して、隣の西住みほ。
目は丸く幼さが残る。眉尻が下がりきった自信無さげなその表情、姿は西住隊長と血肉を分け合ったとは信じられない。
本当に似てないわね、と思ったところで、いや、と思い直す。
この頼りなさげな表情が悪いんじゃないかしら。
良く見ると西住隊長の面影を感じないこともない。髪型は似ている。
顔のパーツは似ていないかもしれないが、その顔の輪郭もよく似ている。
この違和感は、あの西住まほの妹と聞いて勝手に鉄の女を想像した私が原因であり、横の西住みほに非は全くない。
自分にそう言い聞かせ、視線を前に戻す。
頼りない、と感じた気持ちまでは否定しきれないけど。
「……まぁ、いいだろう。次!」
「はいっ! 赤星小梅です!」
何か言いたげな西住隊長は挨拶を進めるように促し、安堵の表情で西住みほは後ろに下がる。
視線を向けたままにしていると、ふとこちらを見た彼女と目が合って、困ったような笑みを見せた。
なんだか自分の内心を見透かされたような気がして、申し訳ないという気持ちを抱く。
心の中で自分と西住みほに言い訳をしていると新入生の挨拶は終わったようで、西住隊長は一歩前に進み出た。
「よし。一通り終わったな。では早速だが、君達には基礎体力をつけてもらう必要がある。学園艦を走って一周してきてもらおう」
隊長の言葉に、一年生達がざわめく。
向かい合う上級生たちはニコニコと笑っていた。やはり意地が悪い。
「学園艦を……!? どう少なく見積もっても、30キロは……」
誰もが抱いたその気持ちを思わず口に出したのは、私の隣の西住みほの隣の……赤星と言っただろうか。
周囲も戸惑いを隠せずにいるように見える。
「どうした! 準備を始めろ! 走る前と後にストレッチは怠るなよ!」
「「「はっはいっ!」」」
隊長の語気が強くなり、一年生達は慌てた様子で蜘蛛の子散らし。
さすが黒森峰女学園、初日から中々ハードね。
私は内心でこれから始まる練習に期待と不安を感じながら、ちらと横を見た。
「ふっ……ふっ……」
西住みほが、前後に大きく足を開いていた。
一瞬呆気にとられるが、すぐに準備体操であると気づく。
左右の足で交互に前方へと大きく踏み込み、戻し、股関節を動かしている。
彼女の額にじんわり滲む汗から、ストレッチの終盤に入っている様子が見て取れた。
行動が早い。
まさか、西住隊長の指示と同時にストレッチを始めたのだろうか。
中々肝が据わっている、やはり西住流は伊達ではないのかもしれない。
でも、体力なら私だって自信がある。
ボクササイズで毎日欠かさず体を動かしている。
……見せてもらおうじゃない、西住流のお手並みを。
評価を改めつつも、私は西住流と言う分かりやすい看板を持つ彼女に微かな対抗心が燃え始めているのを感じた。
~~
「はあ、はっ、はぁっ! も、もうだめぇ……」
私の耳に後方から届いた声。
赤星小梅で合っているのかしら。
これまで先頭の自分にぴったりとついてきていた彼女のペースが落ちていくのを、背中で感じた。
「はぁっ、はぁっ、はぁっ!」
その瞬間、私にもドンッと疲労が伸し掛かる。
ここまで先頭で、自分でもハイペースだと感じる速度で走り続けられたのは彼女への対抗心が燃料になっていたからに間違いない。
足が上がらなくなってきた。
走りきれる、だろうか。疑問が浮かぶ。
開け放しとなった口の端へと、額から流れ落ちた汗が伝う。体内に残された僅かな燃料が尽きかけ、視界が滲む。滲んだ視界が大きくぶれる。
「はっ、はっ」
その時、微かな風。
普段ならば感じることも無いような、微かな風。
しかしその風は、強烈に吹き荒んでいたかのような。
限界まで火照り、熱を持った私の身体に、そんな錯覚を覚えさせた。
「はっ、はっ、はっ、はっ」
西住、みほ。
憧れの西住まほ隊長の妹。
頼りなさそうにしか見えなかった、これまで全くその姿を感じなかった西住みほが、颯爽と私の脇をすり抜け先頭へと躍り出た。
速い。
速過ぎるわよ、この終盤で……!
でも。
歯を食いしばる。
よろめきかけた足を思いっきり地面に叩きつけ、踏みとどまる。
「負けない、わよぉっ!」
先頭を譲ったことが、闘争心の塊である私の心に火を点けた。
力一杯に爪先で地面を蹴りぬき、跳ぶような勢いで西住みほの横に並ぶ。
明らかな限界から速度を上げたことで、足が更に重くなる。心臓が裂けそうになる。
西住みほもその顔をこちらへ向け、驚きを隠しはしなかった。だが、その表情はすぐに顔の奥へと消えていき、代わりにふっと息を吐き、微笑んだ。
その瞬間、私は顔が真っ赤になり、熱が増すのを感じた。
まだまだ余裕たっぷりって訳ね、見せてくれるじゃない。
怒り、羞恥、悔しさ、対抗心、そのどれにも似ていて決して同じではない感情で胸と頭が一杯になる。
限界寸前の自分に対し、汗を流しながらも涼しげな西住みほに対して、闘志の炎が吹き上がり、嵐が起こる。
「本気、よ……ここからが、本気よおっ!」
絞り出した言葉に、西住みほは再び笑みで答える。
見る見るうちに増していく頬の熱を冷ます為に。
私は地面を強く蹴り続け、風を頬で流し続けた。
~~
「はあっ、はあっ、はあっ、はあっ……すー、はー……」
西住みほが膝に手を突き、荒れた呼吸を整えている。
「ぜっ、ぜっ、ぜっ、ぜえっ、ゲホッ、ゲホッ!」
対して私は体操着が汚れること、先輩に見られていることも分かっていながら地面に横たわっている。
見事な……見事な走りであったと認めざるを得ない。
ゴールのタイムにはそう大きな差は無かったが、走りきった後の自分と西住みほの姿を見れば、どちらに余裕が無かったのか一目瞭然。
完敗だ。
「はあっ、大丈夫、ですか、はあっ……」
激しくむせたことを気に留めてくれたのか、西住みほが額の汗をタオルで拭いながらこちらを見つめている。
「え、ええ……すー、はー、すー、はー、大丈夫よ。すー、はー、これぐらい、ね……」
もうこれ以上、情けない姿を見られたくはない。
私は一言一言をしっかりと発音できるように、深呼吸を交えながら答えた。
「そ、そうですか……すー……はー。それなら、よかった、です」
「そうよ、すー、はー。アナタ、大人しそうな顔して、中々やるわね。すーはー」
深呼吸を重ねて少しだけ余裕が生まれてきた。
まだ他に誰も帰ってきていないので、話し相手は西住みほしかいない。
気弱そうな顔に反した彼女の体力、脚力に素直な関心と興味が生まれている。
言葉を交わしておいて損は無いわね。
「ありがとう……お姉ちゃ、隊長と、毎朝ランニングしてたから、かな……逸見さん、ですよね。途中からペース上げてきて、追い付かれたときはビックリしました」
当然よ、体力には自信があるのだから……と言葉が口から出かかったが、自分の惨状を見ると絶対に口には出来なかった。
「すー……西住隊長と、はー……どれぐらい走るの?」
「大体10キロぐらい。休みの日はもっと増えるけど……」
「10キロ!? ゲホッ、ゴホッ!」
「だ、大丈夫ですか!?」
「え、えぇ……驚いて少しむせただけよ……」
差し伸べられた手を受け入れ、立ち上がる。
むせたせいでまた呼吸が荒れてしまった。
深呼吸。
西住みほは何が面白いのか、私の姿を見て小さく笑みを浮かべていた。
……ところで、この子、いつから呼吸が落ち着いていたのかしら。
~~
~~
(初めての練習試合……! ここでしっかりアピールしないと……!)
初めての実戦でパンターの車長を任されたという事実に、キューポラの縁を握る手に力がこもる。
『こちら偵察部隊、パンター1号車。M00670地点でフラッグ車を含む敵部隊を発見、全5両、フラッグ車を中心に一列縦隊で南西へ向けて進撃中です』
西住妹だ。
停車していることもあり、通信機から発せられる彼女の声はしっかりとこの耳に届いた。
『隊長車、了解。一号車、敵部隊から見てどの方向につけている?』
隊長はもちろん、西住まほ隊長だ。
『後方です』
『よし、一気に行く。ティーガー部隊をM00665地点へ移動させる。みほ、陽動を頼む。偵察部隊2号車、逸見もみほと合流しろ』
『了解』
「了解!」
~
「……2号車、到着したわ。1号車、聞こえる?」
キューポラから僅かに顔を出す。
前方には建造物の影に隠れるパンター一号車。
西住みほの言葉通りなら、この向こうに敵部隊が展開している。
『はい。これから私達で敵部隊を後方から攻撃、これは敵を怖気着かせない為にわざと外します。それから逃走するように見せかけて、敵部隊がこちらの主力部隊に側面を晒すようにおびき出します。敵部隊が追ってきたら、全速力で事前に連絡したルートに沿って移動してください。あと、敵が部隊を分散して挟み撃ちを狙ってくる可能性もあるので、敵の数には注意を払うようにお願いします』
すらすらと届く彼女の指示に、面食らってしまう。
「隊長は一気に、って言っていたからフラッグ車も連れていかないといけないわ。ついてくるかしら?」
『たぶん。敵戦車の性能はこちらより劣っているので、数で勝っている間に撃破したいはず。とは言えフラッグ車の護衛を捨てる訳にもいかないので、こちらが背中を向けて逃げれば全車両で追ってくると思います。特にパンターは、ティーガーよりは撃破しやすいですから』
「なるほどね。攻撃準備に入るわ」
『了解しました。それと、逸見さん。砲撃時は出来るだけ姿を晒して、砲撃後2秒ほど静止してから移動してください。その方が、偵察部隊が思わず攻撃してしまった感じが出て、こちらが焦っていると思わせれば追ってくる確率が上がります』
「……アナタ、あの短い指示でそこまで汲み取ったわけ?」
『えっ? 汲み取ったというか、何となく分かるというか……』
隊長の1の言葉で10を理解できる、というのは正直羨ましい。
私もそうなりたい。
「流石は妹、ってことなのかしら……まぁいいわ。攻撃の合図はそっちに任せる」
『了解。あまり砲撃を揃えては計画性が出るので、こちらの攻撃を合図に、攻撃してください。それでは姿を晒します!』
「了解!」
~
『黒森峰女学院の勝利!』
「やった! 私達の勝ちですね!」
「ええ、そうね! 私達の勝利よ!」
はしゃぐ赤星が掌を上げて向けて来たので、私も掌を出してぺちんとぶつけ合う。
「……ふぅ」
西住みほも流石に先輩達の列には混ざり難いのか、こちらに向かってくるがその表情は暗い。
「何よ、西住妹。せっかく勝ったんだから、もう少し明るい顔してもいいんじゃないの?」
「あっ、ううん、ごめんなさい。反省点を出しておこうと思って……」
困ったような笑みを浮かべての言葉に、ハッと気づかされる。
どんな時でも浮かれたりせず、上へ上へと進むために改善点を探す。
それが西住流の強さの理由、その一つか。
「こんなに早く気持ちを切り替えるなんて、西住さんは流石ですね……私も浮かれすぎない様にしないと……でも、整列ぐらいまでは喜んでもいいと思いますよ?」
……とはいえ、赤星の言うことも分かる。
「うん、そうだね。ありがとう、小梅さん」
折り合いのつけ方次第ね。
「お前達」
そんなことを考えていた私の背中に凛とした声が投げかけられる。
その声を聞き間違える訳はないが、まさかという思いと共に振り返る。
「たっ隊長!?」
「なっ何でしょうか!?」
背後に立っていたのは、西住隊長。
やはり勝利は隊長の心にも響くのか、その表情は普段よりやや柔らかい。
……が、例えその表情が普段通りであろうが満面の笑みであろうが、あの西住隊長が私達の許へやって来たというそれだけの事実が体を硬直させる。
「逸見、赤星。二人とも、黒森峰の生徒としては初めての試合だったが、どうだ? やっていけそうか?」
「はっはい! 伝統ある黒森峰女学院の戦車道チームの一員として試合に出場できて、感激です!」
「とても緊張しました……何とか無事に終わることが出来て、安心です」
背筋をピンと伸ばしたまま、私、赤星の順に応えると、西住隊長はフッと口から小さく息を吐いた。
笑った……?
「……そうか。お前達もこれで立派な私達の仲間だ。これからよろしく頼む」
「「はいっ!」」
私が、あの西住まほさんのチームメイトとして、認められた。
口元がムズムズして笑顔になりそうなところを必死に堪える。
この場に誰もいなかったら私は大きくガッツポーズを作って叫びながら走り回っているだろう。
「何か分からないことや相談があればいつでも聞いてくれ……それから、みほ」
「……はい」
西住隊長は大喜び小喜びの私達から、西住みほへと視線を移す。
2人のその表情が見えてしまった私は、気づいてしまった。
西住隊長の表情から、先程まで私達に向けてくださっていた暖かなものが消えている事に。
西住みほの表情が、まるで怯えているように暗く沈んでいることに。
「陽動の手腕は見事だった。が、ルート取りが甘かったな。回避行動をとりやすい道を通って来たようだが、もっと素早くおびき出せたはずだ。敵に考える時間を与えるとこちらの作戦を読まれる可能性は高くなる。忘れるな」
「……はい」
それだけ言うと西住隊長は踵を返して行ってしまった。
私は何もかけてあげる言葉が見つからず。
「……そんな世界の終りみたいな顔するんじゃないわよ。隊長は褒めてくれてもいたじゃない」
結局、視線を合わさずに無難な言葉を並べる事しかできない。
器用にすらすらと言葉を紡げない口と頭が憎たらしい。
「そうだよ。あれだけ指示を出せるんだもん、みほさんはすごいよ」
「うん……」
人当たりの良い笑みを浮かべてた赤星が甘い言葉で続くが、西住みほは俯き加減で両手を胸の前で組み、立ち尽くしたまま。
隊長の、私達と西住みほとの扱いの差で、彼女がこれまでどんな人生を送って来たのか、それが少しだけ垣間見えた。
それについて彼女自身はどう思っているのかも、その瞳を隠す首の角度から。
……私は彼女と親しい訳でもないし、西住隊長の許で、栄光ある黒森峰女学園で戦車道が出来ればそれでいい。
が。
はっきり言って、今の西住みほの姿は見ていられたもんじゃない。
気まずい。
「しっかりしなさいよ……戦車に乗ってる間はあんなにハキハキしているのに」
言ってやると、西住みほはビクッと体を一度、震わせた。
……言葉を間違ったらしい。
この頼りなく、ともすれば臆病な少女にとって、このニュアンスの言葉はさんざん言われてきた言葉であろう。
少し考えればわかることだった。
内心で自らに舌を打ちながら、次の言葉を探す。
本当に、戦車と載っている時とはまるで……いや、本当に別人なのかもしれない。
戦車に乗っている時は、西住流として生まれ、その教えを身に頭に刻み込んだ西住みほ。
そして戦車を降りた時の、この頼りない姿こそが本物の、西住みほ。
この臆病で素直な少女に掛けるべき言葉は……性に合わないが、素直な気持ちを言葉にしてあげるべきか。
「……そんなんで、将来どうするのよ」
「……将来?」
このワードも地雷かと思われたが、回避に成功したらしい。
「……まだ日は浅いけど、少しだけアナタの事が分かったわ。アナタは隊長の器になる持っている。その為の知恵と技量も。私達の代の隊長は、アナタで決まりよ」
「えぇ……えぇっ!?」
西住みほの能力は、ハッキリ言って抜けている。
同期の中、と言う話ではなく、この黒森峰女学園全体で見ても、実力は既に西住隊長に次ぐナンバー2だろう。
……こんな意欲のない子を相手に負けを認めるのは少し腹立たしいが、まずそれを認めなくては私自身の向上は無い。
負けを認めるのも戦車道……というやつね。
「で、でも……私は西住流に生まれたってだけで、お母さんやお姉ちゃんとは全然違って、ダメダメだし……」
「そんなに自分を卑下しない!」
「はっはい!?」
いくら励ましてあげてもこれではなんだか腹が立ってきたので、声が大きくなってしまった。
「アナタはそりゃ……隊長に比べれば頼りないけど。実力は……ちょっと劣るぐらいよ。経験を積めば、絶対に立派な黒森峰の隊長になれる。アナタにはその実力がある。私が保証するわ」
これは嘘偽りの無い評価だ。
もちろんこんなこっぱずかしい台詞を面と向かって言えるほど素直でも子供でも無いので、視線はどこか向こうの雄大な自然へと向けている。
「……逸見さん」
「それなら、副隊長はエリカさんですね」
「へっ? 私?」
黙って聞いていた赤星が思いもしないようなことを言うので、思わず間抜けな声をあげて彼女の方へ顔を向けてしまった。
「うん。優しいみほさんと、厳しいエリカさんでいいバランスです。二人で力を合わせれば、きっと西住隊長だって超えられます!」
そりゃ……今の所、同期では西住みほ以外に負ける気は無いけど。
「私が……副隊長……」
「私と、逸見さんが……」
思い浮かべる。
彼女と2人で頂点へと上り詰め、並んで喝采を受ける姿を。
何をするにも狼狽える彼女に悪態をつきながらせっつく私の姿を。
……それは、あまりにも自然に、鮮明なヴィジョンとして私の脳裏に浮かんで消えた。
「……まぁ、言った手前もあるし。もしもそういうことになったら、サポートしてあげるわよ」
決して悪く無い、とかそういうことを思ったわけではないけど……面倒ごとは隊長に押し付けて、後ろから後輩に向かってアレコレ言っている方が私らしいかもしれない。
他人に割く時間が少ないほど、自らのスキルアップに勤められるし。
「……ありがとう、逸見さん」
「なっ何に対するお礼よ! あくまでなったら、の話なんだから!」
微かに微笑む西住みほ。
まったく、能天気な子。
私が頭の中で何を考えているかなんて全く分かっていない。
……短い付き合いなので、当然のことだけど。
「うん、それでも、言いたかったから。ねぇ、逸見さん」
「……なによ」
「エリカさん、って呼んでもいい?」
身構えた方向とは全く別の場所から飛んできた言葉に、一瞬思考がフリーズする。
「……別に、いいけど。じゃあ私もアナタの事みほって呼ぶわよ」
「ヒューヒュー!」
赤星が口で、指笛のつもりなのか擬音を言葉にして囃し立ててくるので腹が立つ。
囃し立てるのが下手なのよ。
「何がヒューヒューよ! いつまでも西住妹は可哀想だし……かと言って西住だと隊長に失礼と言うか、いらぬ誤解を生みそうじゃない! 消去法よ、消去法!」
「素直じゃないんですから」
「うっさいわね!」
素直じゃないのは認めるけど。
「 ……はぁ、試合で緊張したし、大きな声出したしでお腹空いたわ。何か食べていきましょ……みほ。それから、小梅も」
「はい、エリカさん!」
西住みほの顔にパッと咲いた、笑み。
初めて見るその表情に、面食らう。
「私はオマケですか?」
「誘っただけありがたいと思いなさいよ!」
赤星が茶化してくれて良かった。
でないと、次の言葉が出てこなかったかもしれない。
~~
「……」
「就任おめでとう。副隊長さん」
「……うん。ありがとう、エリカさん」
誰もいない教室で一人、彼女は俯いていた。
みほが、西住隊長の指名で副隊長に決まってから、今日で一週間。
一年生ながら副隊長、と言うのは人数不足に陥っている高校でも無ければあまりない。
だが、特別驚くことでもない。
みほは西住流家元の娘で隊長とは視線を合わせるだけで考えを伝え合うことが出来る、右腕なんて表現を遥かに超えて正に半身。
その上本人の能力もずば抜けている。
だから、私にとっては少し……いやかなり羨ましいし対抗心が燃え上がりはするけれど、何も驚くことは無い。
「……元気ないわね。そんなんじゃ部隊の指揮に関わるわよ?」
「うん。分かってる、ちゃんとしよう、ちゃんとしようと思うんだけど……」
しかし、栄誉ある黒森峰女学園の副隊長の選ばれたというのに、みほの表情は暗い。
まぁ、小心者のみほには重荷でプレッシャーでしかないみたいね。
この子にはある程度の権限を与えた遊撃隊、もしくは陣頭指揮を執る小隊長として前線に立たせるというのが一番向いているような気がする。
……まぁ、秩序と規律を重んじる黒森峰では決してありえない事だけど。
「自信が無いわけ?」
「うん……私は一年生だし、黒森峰には実力も経験も上で、私より副隊長に向いてる先輩がたくさんいるから」
「……先輩達に、何か言われた?」
「ううん、直接は……あっ!」
パッと顔を上げたみほ。
……本当に、素直で嘘を吐けない子。
西住隊長の妹で、一年生のこの子が副隊長になったことを快く思わないやつも多い。
戦車の中、更衣室、果ては校舎の廊下、様々なところでみほの事を何も知らないやつらの耳障りな言葉を耳にしてしまう。
その中の何人かは仲間に引き込みたいのか、私にも同意を求めてきた。
そんなことだからアンタ達は副隊長に選ばれないんですよ、と言ってやったけど。
「裏で話しているのが聞こえたわけね。それか人づてか。どっちでもいいけど」
「ちっ、違うのエリカさん。全部、本当のことだから……」
胸に片手を当て、ばつが悪そうに視線を反らすみほ。
……イライラする。
何にそう感じさせられるのかは分からない。
みほの過剰な謙遜か。
それとも、彼女から自信やプライドと言った物を根っこから奪っていった何者かにか。
私はフゥと溜息一つ、そして彼女の両肩にぽんと手を乗せた。
ビクッとみほの身体が跳ね、顔の向きを更に逸らされる。
……誰よ、この子をここまで臆病にしたのは。
あの、とかえっと、とかいう言葉がみほの口から消え、私の顔を見据えるまでジィッと見つめる。
みほが控えめに、上目遣いで私の顔を見つめ返すまで3分ほどかかった。
「みほ。隊長、アナタのお姉さん、西住まほさんは、アナタが妹だからって贔屓するような人かしら?」
「……ううん。お姉ちゃんは、そんなことはしないと思う。じゃなくて、絶対しない。戦車道のことでは絶対に」
よかった。
流石に無いだろうけどそこを誤解されていては話が進まない。
「そうよ。信頼を感じることこそあるけど、隊長はアナタにとても厳しいわ。絶対に、贔屓なんかしない。アナタは純粋に能力で副隊長に選ばれたの。隊長にも、他の先輩も、私も持っていない、アナタだけが持っているものを評価されて、ね」
「私だけが持っているもの……お姉ちゃんにも、言われたけど……そんなの、本当に、あるのかな」
隊長と同じ目を持っていたことが少し嬉しいが、それは今どうでもいい。
今夜思い出して喜ぶことにする。
「あるのよ。自信を持ちなさい……と言っても難しいんでしょうね、アナタは。だから私が言ってあげる。みほ、アナタはとても優秀よ。隊長には全然似ていないけど、違うベクトルでとっても優秀。自分の事を信じられないなら、私の事を信じなさい」
この子は、自信というものが一切無い。
それをゼロから植え付けると言うのは無理がある。
誰かの口からはっきりと言ってあげるのがいいだろう。
私の言葉をそこまで真剣に受け取ってくれるかは、分からないけど。
「……はい! ありがとう、エリカさん!」
素直すぎる。
「……じゃあ、帰るわよ。外で待ってるから、支度して来なさい」
「うん!」
私自身が恥ずかしくなってしまったので、頬を冷やす時間が欲しい。
荷物を纏める彼女をそのままに、一足先に教室から出る。
「私の事を信じなさいとは、とっても強く出ましたね? エリカさん」
薄暗い廊下で、小梅が笑みを浮かべて立っていた。
「……聞いてたの?」
恥ずかしいことを言った自覚はある。
アレでは根拠のない自信を無駄に抱えただけのバカだ。
「そんなに嫌そうな顔をしないでください。みほさんの様子を不安に思ったのは私も一緒です。でも……エリカさんより良いことは言えないので、やめておきます」
「茶化さないで。アナタからも何か言っておきなさいよ」
自分の事から話題を反らしたい。
「真剣です。それとなく言ってはおきますけど……やっぱり、いいコンビですよ、みほさんとエリカさん」
「……茶化さないでよ」
「真剣ですよ」
何を言い返そうか悩んだ一瞬その瞬間に、教室の扉が開いた。
「お待たせ、エリカさん……あ、小梅さんも待っててくれたの?」
「ちょうどそこでそこでお会いしたんです。折角ですし、ご飯、行きましょうか」
「うん!」
……アンタも含めて、三人でいいトリオよ。
言い返す言葉が思い浮かんだタイミングが、少し遅かった。
~~
「残念ながら10連覇は逃してしまったが、記録はいつか止まるもの。そして、準優勝は立派な記録だ。みんな、胸を張れ」
~
大きく息を吸う。
吐く。
軽く握った拳を握り直し、ドアを三回叩いた。
暫く待って、反応が無いのでもう一度叩こうとしたその時。
「……エリカ、さん?」
ドアが開き、向こう側からパジャマ姿のみほの半身が姿を現した。
学校が終わってから来たので夕暮れ時ではあるのだが、中は薄暗い。
カーテンから何から閉め切っているのだろう。
「……そうよ。ずっと学校にも来ないから、わざわざ様子を見に来てあげたの」
「え、と……ありがとう、エリカさん。いらっしゃい」
招かれるままに室内へ、小さなクッションの上へと腰を下ろす。
ベッドの上に腰を下ろしたみほの顔をよく見ると青白く、目の下に大きく隈が出来ていた。
「……顔色、悪いわね」
「そう、かな」
「ええ。ご飯食べてるわけ?」
「あんまり。食欲なくて」
「でしょうね。でも、ダメよ。体壊すわよ」
「うん……」
全国高校生戦車道大会の閉幕から10日あまり。
つまり、私達がみほの所為で負けてから10日あまり。
「……久し振りね。少しは落ち着いた?」
「うん……小梅さんは?」
「アナタと同じ。あれからずっと学校休んでるわ」
私達が会うのは、あれから初めての事。。
みほはずっと学校に姿を見せず、それは戦車道でも同じ。
その判断は間違ってはいないでしょうね。
今学校に来たってロクなことにはならない。
「そっか……エリカさんは」
どこか虚ろな視線を宙に漂わせ、薄く笑むみほの姿は痛ましい。
「……何?」
「エリカさんは。責めないんだね、私の事」
「……終わったことをどうこう言っても仕方ないじゃない」
思うことが無い、なんてことは無い。
だが、終わったことを仕方ない、と思うのは本心だ。
「エリカさん。私、間違ってたのかな?」
「……分からないわよ。私にだって。でも、あそこで躊躇わず助けに向かったアナタは……とても、強いと思う」
「強くなんかないよっ! 私は……!」
みほの大好きな、ボロボロのくまのぬいぐるみが床にボンと投げつけられた。
終盤は、掠れ声。
消えて言った言葉を再び発することも無く、みほは俯いてしまった。
「……そう、ね。アレが正しかったんだと手っ取り早く証明するには……私達にはあと2年ある。その2年間、あの姿勢を貫いて見せなさいよ。それで優勝すれば、アナタが正しいってみんな認めるわ」
決して顔をこちらへ向けてくれない彼女の横に座る。
固いベッドだ。
「エリカさん、私はもう……」
声は掠れたまま。
私は、思い出すまいとしていた、西住隊長から告げられた事実を眼前につきつけられていた。
「…………みほ。戦車道をやめるって、本当なの?」
「うん」
「黒森峰から転校するって言うのも?」
「うん。大洗女子学園ってところに転校するの。関東だって。都会だよ」
「そう……そう、なのね」
「うん……」
ポスン、と。
背中からベッドに倒れ込む。
小さく、小さくしようと丸められたみほの背中ばかりが視界に入る。
「ようやく、みんなも落ち着いてきたわ。納得してきてる。もう誰も、アナタに文句も嫌味も言わないわ」
私がそう言うと、みほは今日初めて私の顔を見た。
立ち上がって体を反転させ、彼女はベッドの上に正座する。
「……ありがとう、エリカさん。お姉ちゃんに、聞いたよ。私達の為に、先輩達と喧嘩したって」
「…………気に食わない先輩だったのよ、元々。アナタを口実に突っかかっただけよ」
……隊長は口は堅い人だと思っていたが。
戦車に乗っておらず、かつ妹の前ではそうでもないのかしら。
私は右手の人差し指の絆創膏をさすりながら、耐えられず顔を逸らす。
「それでも。ありがとう、エリカさん」
正坐したまま、深々と頭を下げたみほ。
私は上半身を起こし、ええ、とだけ小さく答えた。
顔を軽く背けたまま、半ば横目で。
折り畳んだ上半身を起こしたばかりで、前髪を払うみほの顔を見る。
……少しだけ、笑っていた。
自虐的な物ではない、素の笑顔。
それを見て、僅かに肩が軽くなったような、そんな感覚が訪れる。
「でも……もう、決めたの。今までずっと、自分の中に違和感を持ちながら戦車道をしてた。でも、今回の試合で、お母さんと話をして……思ったの。やっぱり、違うよ、こんなの。勝利のためには犠牲を出してもいいなんて……戦車道って、おかしいよ」
その笑顔はすぐに消え、悲しげに変わる。
勝利を追及する黒森峰の戦いは、どこまでもこの子に合っていないとは思っていたが。
思っていたが。
「……みほらしいわね」
私はそう答えるのが精いっぱいだ。
「うん。だから、もう、戦車には乗らない。乗りたくない」
「そう……寂しく、なるわ。アナタ、戦車から降りて、何をするの?」
「分からない。ずっと戦車に乗っていたから。学校に行って、友達とお買い物したり、コンビニに行ってスイーツ食べたり……そんな、普通の生活……かな」
考える。
私の知らない誰かと、私の知らない制服を着て、町を歩くみほを。
それは……寂しい、のだろうか、悔しい、のだろうか。
自分の心に嘘を吐いても仕方がないので、この胸のざわつかせる感情に答えを出そうとするがいまいち自分でも分からない。
「なにそれ、今までの生活とは真逆じゃない……そもそも、アナタ、向こうで友達作れるわけ?」
だから結局、私はお得意の嫌味を言うしか無い訳で。
「だ、大丈夫だよ、たぶん……こうしてエリカさんとも友達になれたんだから」
この子に、嫌味はあまり通用しない。
久しぶりに会うので忘れてしまっていたのかしら。
「それも戦車道を通してじゃない」
「……ふふっ」
「……何よ?」
それは、何だか私の浅い心理なんてすべてを見透かされているかのような、自らに恥を感じてしまうような、いつものみほの笑みだった。
「否定、しないんだね。友達って」
「いっ……今更よ。それとも、私達は友達じゃないってわけ!?」
頭が熱を持つのを感じた。
私が咄嗟に放つ言葉はいつだって語気が強い。
「そんなことないよ。エリカさんは、大事なお友達だよ」
「……そう。その……何と言うか…………ありがとう」
恥ずかしくて顔なんか見てられない。
「ふふっ。ふふふっ」
「なっ何がおかしいのよーっ!?」
ああ……やっと、いつものみほと、いつもの私がここにいる。
それももう、最後なのかもしれないけれど。
~~
「……副隊長? 私が、ですか?」
「ああ」
「その……失礼ですが、どうして私……なのでしょう、か。他にも、適任な先輩方が……」
「……」
「あの、西住隊長」
「みほと……同じことを言うんだな。お前も」
「っ……」
「すまない、今のは忘れろ。今まで思えば、私は後進の育成に熱心ではなかった。特に、将来の隊長という点でな」
「…………妹さん、が。いたからですか?」
「ああ。その通りだ。みほなら、私とは違う新しい風を黒森峰に吹き込んでくれると思っていたのだが……すまない、これも忘れろ。今日はどうにも、口が過ぎる」
「いえ……心中、僅かながらですが、お察しします」
「ありがとう、話を戻す。いなくなった者を悔やんでも仕方ない。が、今から普通に教えたのでは時間が足りない。お前には副隊長と言う、私に近い立場から私を見て、隊長とはどんなものか学んでほしい。無論、私が教えるべきことは教える。西住流と共にな」
「私が、西住流を?」
「ああ。お前は私の後輩の中で最も西住流に近い感覚とセンスを持っている。私の西住流で作り上げた今の部隊を引き継いで、最もうまく運用できるのはお前だろう」
「……分かりました。逸見エリカ、副隊長として誠心誠意努力し、隊長の後を引き継いで見せます! ありがとうございます!」
「ああ……これからよろしく頼む。エリカ」
「……はい!」
~
「……また二年生が副隊長?」
「西住流ならまだ分かるけど、あの子はねぇ」
「あの子、西住妹と仲良かったじゃない。それで取り入ったんじゃないの?」
「…………ッ」
ギリッ、と噛みしめた奥歯の向こうで嫌な音がした。
格納庫の扉へ伸ばしかけた手はいつの間にか拳を痛いほどに握り締めている。
「……エリカさん、やっぱり、隊長に相談した方が」
その私の横で、小梅が眉尻を下げていた。
「いいえ……! これは、あの子、みほも通った道よ。この程度の事、はねのけて、笑って見せるぐらいじゃないと、黒森峰の隊長にはなれないっ……」
味方がいる、それだけで私には十分だ。
例えいなくても何も変わりはしないだろうが。
「小梅、このことは絶対に、誰にも言わないで。もちろん、隊長にもよ。私を信じて」
溜息一つ、深呼吸一つ。
意を決し、扉を開く。
「あらぁ、お疲れ様です先輩方。早く準備をしてください、練習が始まりますよぉ?」
「あら、逸見副隊長。もうそんな時間かしら。ふふふ……」
嫌いな奴と仲良くなんてする気は毛頭ない。
だから私は、とびっきりニヤついて言ってやるのだ。
挑発と、侮蔑を込めて。
~~
「こういう場合には以下の戦術が有効だ」
「……」
「エリカ」
「はっ!?」
ガクンと沈んだ頭を反動で跳ね上げる。
「す、すみません隊長! 申し訳ありません!」
椅子から立ち上がり、机に頭をぶつけんばかりに何度も頭を下げる。
練習が終われば、隊長とマンツーマンで座学。
西住隊長の目の前で無様な姿は晒せないと気を張り詰めていたのだが、糸が切れてしまっていたらしい。
情けないやら、申し訳ないやら、恥ずかしいやら恐ろしいやら。
「いや。開始から3時間経っている。熱が入って休憩を入れ損ねた私の落ち度だ。今日はここまでにしておこう……そもそも、通常練習の後に戦術を学ぶのはハードワークだったか。これからは少し、時間を減らそうか」
「いえ、大丈夫です。申し訳ありませんが、今のところをもう一度お願いできないでしょうか?」
「しかし……」
正直、ハードではあると思う。
西住隊長は自分が「出来る」人間であるが故に、下の人間の限界とか、些細なことで揺れる精神面の機微だとかに鈍感だ。
しかし。
「私は、まだまだ未熟です。隊長に、そして……あの子に近づく為には、僅かな時間も無駄に出来ません。お願いします!」
真っ直ぐ隊長を見据えて自分の気持ちをぶつけた後、もう一度深く頭を下げた。
当然、視界には机と床しかなく隊長の様子は伺えないが……フッ、と、小さく笑った声が聞こえたような……気がした。
「分かった。だが、次キリが良い所で休憩を入れよう。コーヒーでも用意する。異論はないな?」
「はい!」
西住まほ隊長は完璧であるが故に下々の心が分からない。
だが、優しい。
~~
「……エリカ。今日は飽くまでただの抽選だ。緊張するな」
「は、はい」
喧噪真っ只中。
ごった返す人の群れは熊本ではあまり見ない。
緊張の理由の一つにはなる。
今日は、全国高校生戦車道大会の抽選日。
再び黒森峰の名を天下に知らしめる為の戦い、それが今日から始まるのだ。
……まぁ試合はまだだけど、情報戦とかは始まるし。
「……あの、エリカさん。アレ、見ました?」
小梅がキョロキョロと当たりの様子を気にしながら、小さな声で、恐らく私に向けて言ってくる。
普段ならシャンとしなさいよ、と言ってやるところだが、小梅の言葉に心当たりはある。
「大洗女子学園のこと? あの子も災難ね。戦車道をやめるために戦車道が無い学校に転校したのに、その年に活動が復活するなんて」
「いえ、そうではなくて……そうですけど……」
「何よ、はっきりしないわねぇ」
俯いて何やらゴニョゴニョと赤星が言語にならない音を口から発している。
周囲がざわついているのもあって聞き取れない。
「噂をすればだな。次は大洗の抽選の様だ」
腕を組み、全く緊張を感じさせないあたり西住隊長は場馴れしている。
「はい、そのようですね。さて、隊長はどんな子かしら。まあ、復活したてのチームですし、さほど注意を払う必要は……」
「次の抽選にうつります。大洗女子学園、隊長、西住みほさん」
「はっはい!」
その声には、聴き覚えがあった。
「……みほ?」
隊長の言葉も耳に入らない。
ただ、口が少しだけ開いて、言葉が出てこない。
「赤星。言っていたのは、これか?」
「……はい。先ほど、お手洗いに行った際に見かけて……声はかけられませんでしたが」
「驚いたな。まだやっているとは、思わなかった」
「はい……エリカさん?」
どうして、そこに?
どうして、ここではなくそこにいるの?
「……どうして」
「えっ?」
「……やめるって言うから、何も言わずに送り出したのに。どうして、ウチじゃあないのよ……副隊長は、私なんかじゃあ……」
みほの代わりの副隊長を受けると決めたあの日、心の奥に封じ込めた黒い感情が溢れだす。
どうしてなのよ、続けるならどうしてウチじゃあダメなのよ。
私は、西住隊長の横に立っていられるような器の女じゃないのに。
「エリカさん……」
「エリカ。落ち着け」
「っ…………すみません。取り乱しました」
「謝らなくていい……エリカ、終わったらコーヒーでも飲みにいこう。付き合え」
「……はい」
~~
「へぇ……こんなお店があるんですね」
「ああ。噂に聞いていたので場所を調べておいたんだ」
ズドン、ズドンと砲撃音が飛び交っている。
戦車喫茶、というものがあると言ううわさは聞いたことがあったが、眉唾物だと思っていた。
まさか本当にあるとは。
「本格的ですね。さっきから主砲の音も聞こえますし……90式でしょうか」
「ほう。よく分かるな」
「えっ!?」
「戦車道のレギュレーション範囲内の戦車ならある程度分かるが……現代戦車の音も分かるとはな。流石エリカだ」
予想外の所で褒めて頂いて、思考が嬉しさのあまり変な方向へ振りきれそうだ。
「いえ、そんなっ…………」
今隊長の顔を見てしまっては何をするか自分でも分からない。
そそっと視線を明後日の方向に反らした、その時。
視界に映った。
見間違えるものか、あの両サイドがやけに長い独特のボブカット。
思わずその名を呼ぼうとして出てきた音を喉で堪える。
「……副隊長?」
「あ……」
こちらを向いた、その捨て犬の様な頼りない表情。
幾度となく見たものと相違ない。
「っ……いえ、元副隊長、でしたね」
「……お姉ちゃん」
この子……話しかけたのは私だというのに。
無視するなんて、いい度胸じゃない……!
「まだ戦車道をやっているとは思わなかった」
「お言葉ですが、あの試合の西住殿の判断は間違っていませんでした!」
席から立ち上がったモジャモジャが知りもせずにしゃしゃり出る。
「部外者は口を挟まないでほしいわね」
「……すみません」
そう、部外者に……私達のことを何も知らない部外者に、どうこう言われる筋合いはない。
あの試合の事で意見していいのは、私たちだけ。
その後、売り言葉に買い言葉でいろいろと言ってやった気がするがよく覚えていない。
……やめると言うから何も言わずに送り出したのに。
呑気にケーキなんか食べて、楽しそうに。
アナタの背中に追い付くために、捉える為に、私がどれだけ必死の思いをしているか知ってる?
そう、私達の許から逃げ出したかっただけなのね、アナタは。
私達を裏切ったのね、アナタは。
西住隊長の妹で、西住流家元の娘のアナタが、黒森峰の副隊長に、次期隊長に最もふさわしいアナタが。
そっちがそう出るんなら、こっちだって。
はっきりしていることは一つだけ。
あの子は、私達の敵。
私が欲しかったものを全部持っている癖にッ……隊長の横に並ぶべきなのは、私なんかじゃあなくてアナタなのにッ……どうして、ウチじゃあッ……!
「……リカ。エリカ」
「あっ……」
「コーヒー、ブラックだ……ここは私が持つ。気が済むまで飲め」
いつの間にか、私は席に着いていて、コーヒーカップが二つ、テーブルの上に並んでいた。
戦車道を辞めたはずの妹が、他校で隊長を務めていたというのにも関わらず、隊長は表情一つ崩していない。
私とは大違いだ。
やはり……ここには届かない。
「ありがとう、ございます……ですが、もたれるまで飲んでも、気は済まないかも、しれません」
「済むまで付き合ってやるさ……エリカ。お前は良くやっている。副隊長になってから、立派に成長した。お前は、私の西住流を継ぐに相応しい人間だ」
「ありがとう、ございます」
だが。
私は知っている。
隊長が本当に欲しかったのは自分の後継者ではなく、新しい風を吹き込んでくれるあの子だったということを。
……ふん、来るなら来なさい、裏切り者。
どうせなら決勝までくればいい。そうしたら、この手で必ず……!
~~
『大洗女子学園、八九式、ポルシェティーガー、行動不能!』
「突撃ッ! 中央広場へ急げ!」
「ポルシェティーガーが邪魔で通れません!」
「回収車、急いで!」
『『ゆっくりでいいよ~!』』
「くそっ!」
「副隊長、落ち着いてください。西住隊長とティーガーⅠがそう簡単に負けるはずが……」
「落ち着いていられるかッ! 相手は西住みほだぞッ! どこまで、どこまで私達の邪魔をすれば気が済むのよッ! あの子はあッ!」
~~
試合の決着がついてから、私は暫くの間、放心していた。
ふと、我に返った時。あの子は夕日を背景に、緋色の優勝旗を手にしていた。
それを見た瞬間、悔しくて、悔しくて、隊長と優勝することが出来なかったことが悲しくて。
涙が溢れそうになった。どうしてあの子に、という思いすらあった。
対してあの子の周りの、数にしてみれば決して多くはないあの子の仲間たちは皆笑っていた。皆が皆、満面の笑みだ。
あの子の周りは、笑顔に溢れていて。
みほも、笑っていた。
今まで見たことの無いような、私が見たことある、どこか困ったような笑みではない、快活な笑み。
その時私は、これまでついに口に出すことは出来なかった、どうして大洗なのよ、どうしてウチじゃあダメなのよ、という問の答えを得た……そんな、気がした。
「……おめでとう」
そう呟くと、肩の重さが、全身にずっと張りつめていた緊張感が消えたような気がして。
私は彼女達に背を向け、ジープの運転席に乗り込んだ。
~~
「エリカ。聖グロリアーナからのメッセージ、お前も聞いているな?」
格納庫の中で飛行船グラーフ・ツェッペリンを眺めていると、背後から隊長の声。
姿勢を整え、振り返る。
「はい。遠征の準備を進めるよう、指示してあります」
「早いな、流石だ」
隊長に褒められたことが嬉しくて仕方がない。
しかし、隊長はフッと顔から表情を消し、何もかもを見透かすような、あの子と同じ目を……そう、視線の鋭さは段違いであるにもかかわらず、あの
子と同じ目を私に向けた。
「エリカ、我々は大洗女子学園の為に戦う。これも戦車道だ。だから、黒森峰女学園を率いる物として戦えない者を連れて行く訳にはいかない。エリカ、お前は……みほの為に、戦えるか?」
「戦えます」
隊長が、私とみほの間柄をどこまで知っているのかはわからない。
だが、多少は今の私達の関係性を知っていて、それでいて気を遣ってくれている。
だが。私は行く。行きたい。行かなくてはならない。
「即答か」
「……大洗に負けてから。自分なりに色々と考えました。どうして、あの子は大洗で変われたのか。あの子が黒森峰を去る前に、何か出来ることは無かったのか」
「それで?」
隊長は壁に背を預け、腕を組み、そしてその全てを見透かすような瞳でジッと私を見つめている。
だから、この人には、この人にも、いつだって素直に思いの全てをぶつけるしかない。
「……あそこには、いい理解者がたくさんいたんだろうな、と。私はあの子の事を何も分かっていませんでした。自惚れですが、私がもう少しでもみほのことを理解できていたら……今でも、アナタの横にいたのではないかと。そう思います」
「自惚れだな」
「はい。自惚れ屋なんです、私。だから、今も自惚れています。今、私に出来る事。それは、あの子がやっと見つけた居場所、私がなることが出来なかった場所を、守る為に戦うことだと。それが、本当の友達になれなかった私がせめて、あの子の為にすべきことだと」
自惚れで、気が短くて、口を開けば嫌味節。
そんな私に出来るのは、これぐらいなものだ。
あの子には……あそこで、笑っていてほしい。
私には見せたことの無いあの笑みが、アナタにはとてもよく似合っているのだから。
「……幸せ者だな、みほは。遠く離れてもこんなに思ってくれる子がいるなんて。みほの姉として、そして、一人の先輩として。エリカ、お前に出会えてよかったと、心から思うよ」
「そんなっ、私なんて……その……ありがとう、ございます」
隊長はゆっくりとこちらに近寄ってくると、私の肩にぽんとその手を置いた。
「一人で背負うな、エリカ。私も同じだ、いなくなって初めて気づいたんだ。姉の私が、もっと分かってやれていたら……みほの優しさを戦車道には向いていないなどと思わず、もっと生かす方向に持っていけていたら……と、思うよ。似ているな、我々は」
「隊長……」
「だから、私は行く。罪滅ぼしのつもりではないが……みほが見つけた居場所を、守ってやる。それが、今の私達が唯一、みほの為に出来る事だろう。共に行こう、エリカ」
「はいっ!」
「ふっ……終わったら、謝らなくてはな」
やや、自虐的な笑み。
初めて見るタイプの笑みだ。
「……隊長、ちゃんと謝れるんですか?」
「当然だ。自らの非を認め、改めるのも戦車道だ。エリカこそ、ちゃんと謝れるのか?」
「……自信、ありません」
「ゆっくりでいい。時間がかかっても、ゆっくりわだかまりを解いて行けば、それで、な」
~~
「「「ありがとうございました!」」」
「こちらこそ、お礼を言わせて頂きたいです!」
大学選抜戦で勝利を掴み、大洗女子学園は廃校を免れた。
夕暮れの中、潮風に吹かれて西住姉妹の髪が揺れている。
私と小梅は少し離れたところから、隠れるようにしてそれを見つめている。
別に隠れるつもりは無いのだが……あの子のことだから、私達に気づいたら何かしらアクションをとってくるだろう。
今は、西住隊長と。
姉妹水入らずの時間を過ごして欲しかった。
小梅がエリカさんも行ってきたら、なんて言うのでこう答えてやると、意気地なし、となじられた。
なんでよ。
「何を喋っているんでしょうね。お二人は」
「……さぁ?」
小梅は笑みを浮かべている。
いや、この子が笑みを浮かべていないことなんてあまりないけれど。
いつも以上に、笑っている。
「笑ってます、二人とも。雪解けしたみたいですね」
「……そうね」
「エリカさんは?」
「……何よ?」
「エリカさんは、いつみほさんと仲直りするんですか?」
「……さぁね」
「だから行けばって言ったのに。後伸ばしは辛いだけですよ」
「姉妹水入らずの邪魔をするほど無粋じゃないわよ。それに、ロクに活躍もしてないのにどんな顔して行けっての?」
しつこい小梅に、私の言葉も荒くなる。
すると、小梅の顔がさっと曇った。
私の暴言なんていつもさらっと流すのに。
「エリカさんは相手の中隊長車を仕留めたじゃないですか。私は……」
この子のパンターは、一発も撃てずにカールの砲撃で。
「……悪かったわよ」
「私も、みほさんの為にもっと頑張りたかった……」
「……ごめんなさい」
それから隊長が戻ってくるまで、小梅の表情は曇っていた。
……ごめんなさい。
~~~
「……お久しぶりです。エリ……逸見さん」
「……ええ。今日はよろしくお願いするわ、西住隊長」
向かい合う、みほと私。
その後方には、それぞれのチームメイト。
いよいよ、大洗女子との練習試合の日がやってきた。
「それではこれより、黒森峰女学院対大洗女子学園の練習試合を行います。一同! 礼!」
「「よろしくお願いします!」」
みほは強い。
それはよく知っている。
だからこそ。
負けたくない。
~
『パンター2号車、撃破されました!』
「チッ! 結局はフラッグ車同士の一騎打ちか……!」
試合運びは五分と言ったところであった。
車輛の数はこちらが上回っているのに、である。
『エリカさん! パンター1号車、援護に向かいます!』
通信機から聞こえてくるのは、小梅の声。
「もう間に合わないっ、こっちで決着をつける……! アレ、やるわよ!」
「履帯飛びますけど、いいんですね!? 隊長!」
「構わないわ。どうせやることは同じよ!」
操縦手に指示を出す。
キューポラから身を乗り出す。
目の前にⅣ号。
そして向こうのキューポラから身を乗り出す、西住みほ。
「「パンツァー・フォー!」」
向かい合ったⅣ号とティーガーⅡが一斉に走り出す。互いに牽制一撃。命中無し。まだ前進。
ぶつかる、そのギリギリまで……!
「いけぇっ!」
車内に急激にかかる慣性。
キューポラの縁に叩きつけられるが、目を閉じる暇はない。
ティーガーⅡは半円を描く軌道で、履帯を横向きに滑る。
目で完全には追えていないが、Ⅳ号は逆方向に同じ動きをしていて、上から見れば合わせて円の軌道が出来上がっているはずだ。
「撃てッ!」
そう命じた瞬間の、轟音。
遅かったッ……!?
その次の瞬間には、ティーガーⅡの主砲が放たれる衝撃が、轟音が車内を揺らす。
……以降、揺れは無い。
Ⅳ号の射撃が、外れた?
あの砲手が、この距離で?
~
「やりましたね、エリカ隊長」
パンターから降りてきた小梅が駆け寄ってくる。
あの瞬間、ギリギリのタイミングで到着した小梅のパンターの砲撃がⅣ号に命中。
その衝撃がⅣ号の車体の向きをずらし、その砲撃が外れた、というのが事の顛末だ。
西住隊長との一騎打ちや大学選抜との試合を考えると、あの時IV号は装填はもちろん狙いもつけていただろう。
小梅の援護が無ければ、私が負けていた。
ティーガーにパンターを持ち出し、車輛数で上回っていたのにも関わらず。
私はまた、みほに勝てなかった。
「エリカさん?」
「えっ? あ、うん。そうね……」
小梅の言葉は上の空で聞き流していた。
若干の申し訳なさと共に曖昧な言葉で返す。
「そんなに気になるなら早く素直になったらいいのに」
本当に、しつこい子だ。
「誰があの子のことなんか」
「誰もみほさんののとだとは言っていませんよ?」
「……私もあの子としか言ってないわよ!」
「ふふっ」
「笑うな!」
最早ここまで来るとからかわれているんじゃないかという気になる。
腹立つ。
「あの、エ……逸見さん」
「うわあっ!?」
素っ頓狂な声を上げてしまった。
そのきっかけとなる背後からの思いがけない声の持ち主は、当然あの子だ。
私は視線を宙に漂わせながら、必死に頭を回転させ、文章を作り、そのまま言葉として発する。
「と、取り敢えず、前回の雪辱は晴らしたわ。次も負けないから。今回はありがとう、いい経験になったわ。それじゃ」
「えっ、あの……!」
彼女の姿をまともに見る覚悟は出来ていない。
今日まで打倒大洗を掲げ、戦車に集中して来たのだ。
「行くわよ!小梅!」
「エリカさん!」
「早くしなさい!」
私は完璧主義者でもある。
完全に覚悟を決めるまでは彼女に会いたくはない。
だって、みっともない姿を見せるに決まっている。
「……まったくもう。ごめんなさいみほさん。エリカさんのことは、もう少しだけ待ってあげてください」
「えと、それは、どういう……?」
「エリカさんもだいぶ捻くれてしまいましたから。だいぶ元に戻りましたが、完全に戻るには、もう少しだけ」
「聞こえてるわよっ!」
背後の小梅を怒鳴りつける。
「はいはい。申し訳ございません、逸見隊長。みほさん、それでは」
「あっ……小梅さん……!」
ぱたぱたと駆け足でやってきて、横に並んだ小梅。
丸聞こえで恥を欠かされたのだから嫌味の1つは言ってやらなきゃいけない。
「誰が捻くれてるのよ」
「エリカさんですよ」
「……戻ってなんかないわ。捻くれっぱなしよ」
「本当に、もう……この天邪鬼! いつまでも逃げているつもりですか!?」
「なっ……!?」
思わぬ言葉に、足が止まる。
いつも笑顔の小梅らしくない、腹の底からの声だった。
小梅は眉を吊り上げ、キッと私を真っ直ぐに見据えている。
「私は逃げてなんかない! 逃げたのはあの子よ! 私は逃げてなんか……!」
「本当に? みほさん、何か言おうとしていたじゃないですか! みほさん、たぶんエリカさんに嫌われてると思ってますよ。それでも、何か言おうとしていたんです! あの人見知りなみほさんがですよ!?」
「……」
返す言葉が、見つからなかった。
どう考えても、逃げているのは私だ。
それなのに、あれだこれだと言い訳して、みほを避けている。
あの子ともう一度言葉を交わしたいという気持ちは、確かにあるはずなのに。
「それでも、自分は逃げてないと言えますか?」
「私、わたしは……」
「……お腹が空きましたね。何か、食べていきましょう」
「……うん」
「いらっしゃいませー。お客様何名でしょうか?」
「2人で」
「かしこまりました。あちらのお席にどうぞ」
店員に示された席に向かう小梅の背中に続く。
「で、なんでここなのよ?」
戦車喫茶ルクエール。
以前、隊長と二人で訪れ……あの子と、最悪の形で再会した場所だ。
「疲れたら糖分と相場が決まっているじゃないですか」
「あんた、ここで私があの子に何言ったか知っててやってるでしょ。性格悪いわよ」
「今のエリカさん程ではありません」
「……そうね」
私が同意したのが意外だったのか、小梅はこちらを振り向いた。
早く進めと背中を軽く押す。
「それにしてもみぽりん、大丈夫かなー?」
「試合終わってから、元気無かったですものね。体の具合が悪かったのでしょつか?」
「西住殿の体に何かあっては一大事です! やはり後ほど、様子を伺いに行くべきではないでしょうか?」
「だがしかし、朝も試合中も普段通りだった。試合が終わって急にああなったんだから、大方また黒森峰の連中に何か言われたんじゃないか。そこの奴とかに」
「えっ? あーっ! 黒森峰の副隊ちょ……えっと、もう隊長なんだっけ。じゃなくて麻子! 失礼でしょ!」
示された席の、隣の席。
四人組に、見覚えがあった。
「……何も言ってないわよ。今回は」
「何も聞きませんでしたけどね」
耳が痛い。
「こんにちわ、逸見殿。先ほどは良い試合でした」
「いい試合……ね。そうなるのかしら……」
「……逸見殿、どうかされましたか?」
数でも質でも劣るチームでギリギリまで持ち込まれた時点で気持ちの上では惨敗だ。
でも、この子達にとってどんな試合でもきっと似たような状況だったのだろう。
「いいえ、何も。今日は練習試合を受けてくれてありがとう。私たちにとっても、またいい経験になったわ」
「黒森峰女学院の隊長にそう仰って頂けると、わたくし達の自信にも繋がります」
「……私がいると邪魔でしょう。席を変えてもらってくるわ」
「そんなこと!」
店員を探しに行こうと踵を返すと、腕を掴まれた。
「あ、あの、逸見さん。少し、私達とお話しませんか?」
私の腕に手を伸ばしたのは……あの時、私がみほに暴言を吐いた時に、もっとも噛み付いてきた明るい髪色の子だった。
「……私達と? アナタ達が?」
「はい。みぽりんが黒森峰にいた頃のこと、教えてもらいたいんです。私達、何も知らないから」
私に教えられることなんて何もないわ。
だって、私はあの子の事を何も知らなかったんだもの。
そう返そうとしたところで、先手を打たれた。
「では、変わりに私達に大洗でのみほさんのこと、教えて頂けませんか?」
小梅が私が口を開くよりも先に、彼女の横に座ってしまった。
「はい! こちらに来てからの西住殿のことでしたら、この不肖秋山におまかせください!」
「ちょっと小梅」
「先に言ったものの勝ち、ですよ。どうしてみほさんが変わったのか、エリカさんも知りたいでしょう?」
「……分かったわよ。少しだけ、お邪魔するわ」
まぁ、ある程度予想はついているけれど。
見るからに、人の良さそうな子達だ。
黒森峰にはあまりいないタイプ。
小梅ぐらいだろう。
「わっ、ありがとうございます! あ、私、大洗女子学園2年の武部沙織です。IV号の通信手やってます!」
「五十鈴華と申します。IV号の砲手を務めさせて頂いています」
「秋山優花里と申します! 搭乗車は同じくIV号戦車、装填手です!」
「……冷泉麻子。IV号の操縦手だ」
「IV号……ということは、あなた達がみほさん乗っている戦車の搭乗員ということですね。黒森峰女学院の赤星小梅です。さ、エリカさん」
「……黒森峰女学院2年、逸見エリカ。アナタ達も知っての通り、黒森峰の隊長でイヤな奴よ」
「エリカさん!」
こんな時でも口から出るのは嫌な言葉だ。
「そう、そのことなんです。私達にとって、逸見さんはちょうどこのお店でみぽりんのことを悪く言われただけだから、すごく嫌な人に見えたけど……そうとは思えなくて」
「何よ。私はアナタ達の隊長をあれだけ悪く言ったのよ? 一体何に見えたっていうのよ」
「逸見さん……もしかして、みぽりんと凄く仲が良かったんじゃないか、って」
「……は?」
明るいふわ髪の言葉に、私の思考含めて全ての動きが止まった。
「西住殿、前に黒森峰を訪問した後に言っていました。少しだけだけど、逸見殿とちゃんと話せたって。嬉しそうでした」
「今日の試合が決まってからも、みほさんはずっと言っていました。逸見さんにちゃんと謝りたいと」
「……あの子が? 私に?」
「ああ。あんなに怒らせてしまったと。私が傷つけてしまったからだと、言っていた。試合が終わったら謝りに行くと言っていたが……その反応だと、聞いていないようだな」
何を……何を謝ることがあるって言うのよ、アナタが。
謝らなきゃいけないのは、私なのに。
「エリカさん」
小梅が、私の名を呼ぶ。
だが、どんな表情であるのかは怖くて見ることが出来なかった。
背を丸め、両腕で頭を抱え込む。
「……分かってるわよ! 全部私が日和ったのが悪いのよ! 私がっ!」
「逸見さん!?」
「……本当に、あの子は。強いわね」
表面上は臆病なくせに芯で強いんだから、正反対の私からしてみれば眩しくて仕方がない。
顔を上げ、ソファに頭を投げだす。
天井でサーキュレーターがくるくる回っている。
「……はい。西住殿は、とても強いお方です。ですが」
「とてもお優しくて、だからこそ、人に頼ることを知らないんだと思います」
「私達の前でも弱音は吐かなかったし、表情にもあまり出さなかった。が、中では色々考えて、感じている人だ。西住さんは」
……そう。
それは、私も知っている。
あの子は……みほは、臆病で、優しくて、傷つきやすくて、その癖、自分からは誰にも頼ろうとはしない。
頼り方を知らない。
誰よりも、強い子だ。
溜息一つ、深呼吸一つ。
私はテーブルに片手を突いて立ち上がり、小梅の目を見た。
「小梅」
「はい、エリカさん。いってらっしゃい」
小梅は分かっています、とでも言いたげに、いつもの人当たりのいい笑顔を浮かべて頷いた。
……この子にまで見透かされている。
自分に嫌気を感じながら、大洗の子達に視線を向ける。
「ごめんなさい、急用が出来たわ。黒森峰でのあの子のことは、この赤星に聞いて頂戴」
「おう。早く行ってやれ。また傷つけたら許さんが」
「……ええ」
私は急いでその場を立ち去ろうとしたが……一度立ち止まって、彼女達に向き直った。
「ねぇ、アナタ達。私が言えた義理ではないけど、あの子のこと、よろしく頼むわよ。アナタ達の方が知ってるんでしょうけど、戦車を降りたら危なっかしい子だから」
「「「はい!」」」
「おう」
彼女たちのことは何も知らないが、いい子達なのだろう。
みほの心を開いたのだから。
喫茶店から出て、鞄から携帯電話を取り出す。
電話帳を開き、「西住みほ」まで画面を移動させる。
一年振りね……この番号にかけるのも。
後は、ボタンを一回押すだけ。
……押す、だけ。
手が震える。
あと一回が、押せない。
本当に臆病なのは、私だけ。
土壇場で日和ってあの子を傷つけて、今もボタン一つ押せやしない。
……あの子は精一杯の勇気を振り絞ったのに、私は……私はぁっ!
『はい! これからよろしくお願いします! エリカさん!
脳裏に浮かんだのは、あの子が初めて見せた笑顔。
謝らなくてはいけない。
この一年分。
いや、それ以上に。
指は震えたまま。
それでも良いから、動け。
渾身の力を込めて、ボタンを押した。
プルルルル……プルルルル……プルルルル……
コール音が三回、重なるごとに心臓が破裂しそうになっていく。
四回目の途中で、ガチャ、と音が鳴った。
『エリカ、さん?』
震えた、か細い声。
……また、傷つけてしまった。
謝らなくてはいけないことが一つ増えた。
「…………今から、会えないかしら。2人きりで。アナタに、言わなきゃいけないことがあるの」
(2人きりで、なら……その、ウチ……来る?)
何て言うから来たけども。
いつかと同じように、ベッドに二人並んで座る。
ちらり、と横目でを見る。
「……」
彼女の顔色は悪い。
去年の大会直後の様だ。
……それだけ、私が傷つけたということだ。
謝らなくてはいけない。
謝らなきゃ、謝らなきゃ、謝らなきゃ。
頭の中でそう自分に命令するが、文章が頭の中に生まれない。言葉が口から出てこない。
また、日和っている。
怯えている。
何に?
そんなの決まっている。
拒絶、されること。
私がこれまでしてきたことを思えば、何を言われても文句は言えないが。
それでも。
彼女に拒絶されたら、という可能性が恐ろしくて仕方ない。
私は本当に、臆病で、自分勝手な嫌な奴だ。
ぐぅ。
「……?」
その時、ぐぅ、と。
何かの音が聞こえた。
顔を上げる。
私達二人とも、ベッドの上で何も動いていない。
もう一度、ぐぅぅ、と。
今度は少しだけ長い。
「あっ……」
みほが、僅かに頬を赤らめる。
ああ……お腹の音か。
本当に、締まらないわね、アナタは。
自然と笑みが浮かぶ。
「ふふっ……お腹……空いたわね」
「あっ……そういえば、朝から何も食べてない、かも」
「アンタ、そのぐらいはっきり覚えておきなさいよ。っていうか駄目じゃない、試合の朝に何も食べないなんて」
「あはは……緊張しちゃって」
恥ずかしそうに、困ったように笑いながらお腹をさすっている。
「……私も、何も食べてないの」
「えっ?」
「察しが悪いわねぇ。何か食べに行きましょうって言ってるの。私、大洗には疎いんだから案内しなさいよ」
「あっ、はい! わ、分かりました! えっと、どこがいいかな……」
バカだ、私は。
こんなに優柔不断で、臆病な子が、裏切りなんて大それたこと出来る訳も無い。
そんなことも分からない程……私は、この子のことを知らなかったんだ。
「えっと、えーっと……逸見さんが好きそうな……」
「……アンタの一番好きなお店、教えなさいよ。甘い物ばっかりのお店でも、雰囲気が可愛らしいお店でも……今日は我慢するわ」
「えっ……いいの?」
心底意外そうな顔をされる。
自分ではそこまで我が強いとは思っていないんだけど。
「ええ。ここは大洗、アナタの街だもの。合わせてあげる」
「……ハンバーグが無くっても?」
彼女自身はいたって真剣に言っているようだが、言われる身としてはズッコケそうになる。
「確かに好きだけどっ! どこでもいいわよっ!」
「じゃあ……その」
「マカロン?」
「あっ……覚えてて、くれたんだ。私が好きなもの」
その言葉と共に、はにかんだ笑顔。
かぁっ、と頬に熱が生まれた。
その意味は分からない。
分からないフリを、自分にしている。
「……たまたまよ」
「だって、黒森峰にはそういうお店あんまりないし……覚えてて、くれたんだ」
彼女は小さく、しかし、今度は嬉しそうに笑う。
何だか無性に恥ずかしいような、照れくさいような気持ちになる。
そんな時、私は決まって語気が強くなるのだ。
「たっ、たまたまだって言ってるでしょっ! もう、どこでもいいから早く決めなさいよ、みほ!」
「あっ……!」
「あっ」
硬直。
言ってしまった。
みほ、と。
あれから、ずっと口には出していなかったのに。
「……」
「な、何よ……言いたいことがあるなら言いなさいよ……」
口を何度かパクパクと、何か言いたげに私をジッと見つめるみほ。
今すぐこの場から逃げ出したい気持ちになりながらも、当然そういう訳にはいかず私は視線を宙に彷徨わせることしかできない。
「……エリカさんっ!」
「きゃっ!?」
突如。
みほが身体ごと覆いかぶさってきた。
その細い腕が背中に回され、ぎゅうっと強く抱きしめられる。
パニック。
両手を思わず挙げてしまってどこにやればいいのか分からない。
「ちょ、ちょっと、何よ、どうしたのよ!」
「ごめんなさいっ!」
「……っ!?」
「私……私、戦車道を辞める為に大洗に来たのに、成り行きで戦車道をやることになってしまって……目の前の事にいっぱいいっぱいで、黒森峰のみんなに嘘をついて……裏切ってしまったなんて、全然気づいていなくて……あの日、戦車喫茶でエリカさんに会った時、私は、とんでもないことをしているんだって、気づいたの」
あぁ、やっぱり成り行きだったのね。
そうだろうとは思っていたけど……私も気が付くのが遅すぎた。
挙げっぱなしだった手をゆっくりと降ろし、彼女の背をぽんぽんと叩く、
「あの時は、言い過ぎたと思うわ。大洗で楽しそうにしているアナタを見て、つい……」
私の知らない笑顔を浮かべていたことへの、醜い嫉妬。
「いいの。当たり前の事だから……それからずっと、謝らなきゃ、謝らなきゃと思っていたけど……怖くて」
「悪かったわね。キツイ性格をしてて」
「違うの! ……違うの。エリカさんに謝って、何を言われても仕方ないって、分かってる……私がしたことは、許されるようなことじゃないって、分かってる、けど……それで、エリカさんに拒絶されることが、エリカさんに嫌いって言われるのが、怖くて……ごめんなさい。私、最後まで自分の事しか考えてなかった」
……同じ、だったんだ。
みほも、私と同じことを考えていたんだ。
気が付けば、頭で考えるよりも先に口が動いていた。
「そ……それは私も同じよ! ただアナタが悪いと決めつけて……そんな大それたこと出来るような子じゃないって、知ってたはずなのに。一年間も一緒にいた癖に、気づけなかった。私は結局、アナタの事を西住流の、隊長の妹としか見てなかったのよ……みほ。私、アナタの事、全然分かってなかった。アナタの事、何回も傷つけてしまった。ごめんなさい」
「そんな、エリカさんが謝ることなんて……」
あるのよ。
アナタは、優し過ぎる。
私はみほの肩に手を置いて、少しだけ推す。
ぐずぐずに歪んだ、みほの表情。
「聞いて、みほ。私は、アナタと……向き合いたいの。戦車道を通してじゃなくて、ただの………………その、友達……と、して」
「エリカ、さん」
「私達、もう一度、友達に……なれないかしら?」
「……なれるよ。だって、エリカさんは……黒森峰で最初に、友達になってくれた人だから!」
みほが、笑みを浮かべる。
初めて私に向けられた、みほ本来の、明るい笑顔。
その瞳から涙がこぼれ落ちていようと、その眩しさは失われたりなんかしない。
「……泣いてるわよ、アナタ」
「エリカさんだって」
言われて、みほの背中に触れていた手で自分の目元を拭うまで、気づいていなかった。
泣くのは……何年ぶりだろう。
「そうね、嬉しいのかしら……ありがとう、みほ。私、こんな性格だし、戦車道しかやってきてないから。まともに友達なんて出来なかった。だから……私にとって、アナタはとても大事な人よ」
「私も、エリカさんのこと、大好きです!」
「だいすッ!?」
再びぎゅっと抱きしめられながら、想像斜め上、いやド真ん中160キロストレート。
それは完全に、ワタシの剥き出しになった心の不意を突く言葉だった。
「はいっ! 大好きです!」
「ちょ、ちょっとやめてよ、恥ずかしい……! ご近所さんに聞こえるわよ!?」
テンパり過ぎて、いつもの皮肉も出てこない。
ただただ両手がせわしなく動き回り、考えたことがそのまま口から出ている。
「それでも、いいです。大好きです、エリカさん」
みほはそう言うと、私の身体に寄せていた顔を僅かに戻し、何か言いたげに私を見つめる。
……えっ、嘘でしょ?
求められている言葉が分からないほど、鈍くは無いけど。
逸見エリカを逸見エリカたらしめているプライドや自信が邪魔をして、すぐには言葉が出てこない。
みほはまだ、私をじっと見つめている。
私はあーとかうーとか唸りながら額をガリガリと掻き毟った。
「……あーもう、分かったわよ、言えばいいんでしょう言えば! 私もアンタのことが大好きよ! みほ!」
根負け。
……言ってしまった。
穴があったら入りたいし、水たまりがあれば潜りたい。
今なら穴に溶岩が溜まっていても飛び込むだろう。
アイム・ドント・バック、二度と帰って来たくは無い。
「……えへへ」
「笑ってんじゃないわよ」
とん、と両手でみほの身体を突き飛ばす。
恥ずかしいったらりゃしない。
「早く、何か食べに行くわよ!」
「はいっ!」
これ以上恥ずかしいことが起きる前に立ち上がり、みほに身支度するように促す。
「びっくりして涙も引っ込んじゃったじゃない……全くもう」
みほから見えない様に背を向け、私は目尻を拭った。
涙って、意外と冷たくは無いのね。
『フラッグ車、行動不能! 優勝は―—!』
ドッと沸きあがる歓声。
吹き荒れる拍手の嵐。
押し寄せる仲間達の絶叫、涙、喜びの声。
私はキューポラから上半身だけを出してそれらを眺めながら、少しの間呆然としていたようだ。
車内の仲間に足を小突かれ、我に返る。
キューポラの縁に手をかけて車外へ這いずり出て、目の前でフラッグ車を撃破したティーガーⅠへ向かって、全速力。
ティーガーⅡの上面装甲から飛び降り、着地の衝撃で転びそうになり、それでも踏みとどまって、地面を蹴る。
勢いそのままティーガーⅠの装甲に手をかけて駆け上り、たった今、そのキューポラから姿を現した上半身に、正面から抱きついた。
「やった……やったのね、私達……!」
「うん……うん! そうだよ、エリカさん! 私達の力で、優勝したんだよ!」
感極まっているのは向こうも同じ。
震えた声と共に、普段の姿からは考えられない程に、力強く抱き返される。
「長かったわね……これでやっと、アナタの汚名を晴らせたのね。これでもう、誰にもアナタを逃亡犯だとか、腰抜けなんて言わせずに済むわ。隊長さん。何と言ったって、アナタは大学生戦車道大会優勝校の、隊長なんですから」
「私の事なんかどうでもいいよ。でも、これで……お姉ちゃんに胸を張って、報告できる……かな?」
「ええ。西住隊……まほさんも、家元も、きっとアナタの事を認めてくれるわ。だから……私達の街へ。熊本へ。帰りましょう、みほ!」
「はい! エリカさん!」
その時、私は喜びが占める胸の中で、微かな既視感を感じた。
「やだもー、えりぽんってば大胆なんだからぁ」
「あ~! 逸見殿に先を越されました~!」
が、戦車の内部から搭乗者たちの冷やかすような声が聞こえてきて、そちらに意識が傾いた。
「うっさいわよ! 茶化さないで!」
私は急に気恥ずかしくなって、両腕をみほの背中からそっと離し、肩においてそっと押す。
「みほ、みんな見てるわよ……!」
「うん……でも、ごめんねエリカさん。もう少しだけ……」
「……しょうがないわねぇ」
再び、肩からみほの背中へと腕を回す。
ぎゅうっと、私の身体を抱く腕にも力が入る。
……この光景を、私は夢で見たことがある。
あの時は、悪夢だと評したような気もするけど。
今は、正反対の気持ちになっている。
これは、私がずっと待ち焦がれていた。
親友が見せてくれた、最高の夢なのだから。
―――友情は瞬間が咲かせる花であり、時間が実らせる果実である。
終わりです
読んでくださった方がおられましたらありがとうございます
乙乙
前も良かったけどさらに良い…
乙です
本当に面白かった!
乙です
仲直りしてからの展開も見てみたい
乙
待ってた
乙!
乙!
まさかこれのリメイク版が出てくるとは
乙
もう只々最高だった素晴らしかったしか言葉出てこないよコンチクショウ
乙!
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