・地の文あり
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「いやーそれにしてもこの間はびっくりしたよねー。特に華!」
「ええ……本当に驚きました」
「まさか五十鈴殿が角谷会長の後を継いでこの学園の最高司令官に就任されることになるとは! 私も友人として鼻が高いでありますっ」
「あの……司令官じゃなくて、生徒会長ですからね? それから優花里さんも副会長になるんですから、そんな人ごとみたいに……」
「あ! あうう……そうでした、忘れておりました……」
はしゃいでいた優花里が一転してしょぼんとなる様子にあははは、と明るい笑い声が響く。ここは昼休みの学生食堂の一角。つい数週間前までは封鎖の憂き目にあい人影も灯りも絶えていたとは想像もつかないほど、学園は完全にいつもの日常を取り戻していた。
「でも……何だか私だけ悪いみたい。みんな引継ぎで忙しそうなのに……」
「いいんですよ、みほさん」
おっとりと微笑む華には何だかすでに生徒会長の風格が出てきたように感じられるのは、みほの先入観のせいだろうか。
「そうだよそうだよ、会長も言ってたじゃん。みぽりんは戦車道の隊長に集中して!」
「不肖この秋山優花里、西住殿のお役に立てるならどんな雑用だろうとどんと来いでありますっ!」
「みんな……うんっ、ありがとう!」
ときには友人の好意に甘えるのも礼儀だとあのダージリンさんも言っていた。というか、細かいところは忘れたけどそういう趣旨の名言を教えてくれた。だからこころよくここは甘えてしまおう、と思うみほである。
「だいたいそれをいうなら麻子だって同じで……あれ、麻子は?」
「風紀委員に反省文を提出しなければならないそうで……終わってから来ると、ご連絡が」
「冷泉殿……この前遅刻が帳消しになったばかりなのに……」
「学校が再開されたと思ったらコレだもんねぇ。驚異の14日連続遅刻!」
あんこうチームが毎朝起こしに行きながらこのていたらくである。沙織が嘆くのも無理はない。
「あはは……あの、夏休みの後からいろいろあって大変だったし、麻子さんは本当に頑張ってくれたから……」
「まあ、それはそうなんだけどさ。ああ、去年は平和だったのになぁ。夏休みが終わったら普通に9月1日で始業式を迎えて……9月…1日……いち……に……ちッッ!?」
とりなそうとするみほになおも愚痴っていた沙織だが、不意にぎくんとなって座り直した。
「ちょ、ちょっとまって……今日は9月の……日だから……えっ? えっ……? うそ……そんな……!」
「あの……急にどうしたの、沙織さん?」
青くなって日付を指折り数え始める沙織に、残りの3人が首を傾げる。
「た、大変……どうしよ……マズイよぉこれ……!」
沙織はわなわなと唇をふるわせた。
「麻子の誕生日、完っ全に忘れてたぁ!」
「「えっ?」」
◇◇◇
「あの……いつなんですか? 麻子さんの誕生日って」
「9月……1日……」
「えええーっ!? もう2週間も過ぎておりますよぉ!」
「だってだって! 去年までだったら忘れっこなかったんだよ、いつも始業式の後にお祝いしてたんだもん。でも今年はほら……アレだったじゃん?」
「うん、そうだよね……」
夏休みが終わって二学期が始まるかと思いきや再度の廃校宣言、転校手続きに引っ越し、大学選抜チームとの戦い、それからまた引っ越し、その後は生徒会選挙……と、彼女たちにとっては実に、休む暇もない怒濤の数週間であった。
「だからといって、お友達の誕生日を忘れてしまっていいということにはならないのでは。知らなかった私たちにも責任はありますけれど……」
「うう……」
「冷泉殿は気づいていらっしゃらないのでしょうか?」
「うーん、どうだろ。麻子あんまりそういうの表に出さないからなあ」
「あの、そういえば思い出したんだけど」
みほはおずおずと手を挙げる。
「大洗に戻ってきたとき、麻子さんがお祖母さんからたくさんもらったって言ってみんなにおはぎをくれたことがあったよね? てっきり廃校回避のお祝いだと思ってたんだけど……あれってもしかして」
ごくり、と優花里が唾を飲み込む。
「お誕生日祝いだった可能性……ありますよね」
「えええーっっ! だったら絶対気づいてるってことじゃん! 私たちめっちゃくちゃ薄情な友達だって思われてるよぉ!」
沙織が半泣きになる。
「ど、どうしよう……!麻子さんが実は傷ついてたら……」
みほ自身はあまり友達と一緒に誕生日を祝ったことも祝われたこともないので、よく分からないが。この2週間、あのいつも通りの無表情の下に、寂しさを隠していたのだろうか? いつかの病室で見た孤独な背中を思い出し、みほの胸は不意に締め付けられる。
「あ、あの! 今からでも……!」
「私がどうかしたか」
「「ひぃっ!?」」
みほが思い切って言い出しかけた瞬間にいきなり当の本人に声を掛けられ、四人は一斉に椅子の上で飛び上がった。
「まっままま麻子!? びっくりするじゃんっいきなり現れたら!」
「私は普通に歩いてきただけだぞ。おまえらが話し込んでて気づかないのが悪いんだろ」
麻子は彼女のために空けてあったテーブルにトレイを置いて腰掛けた。
「わわわ私たちはですね、その、あのぅ! 決して冷泉殿の誕じょもごッ」
「ゆかりんストップ」
開口一番ボロを出しそうになる優花里の口に、とっさに沙織の皿にあった一口肉まんが押し込まれる。
「……みんな、なんか挙動不審だぞ」
「はうっ……」
麻子の何もかも見透かすような視線を向けられて、みほは言葉に詰まった。ここからどう言い訳してもバレてしまいそうだ。そこに横から助け船を出したのが、いち早く動揺から立ち直った華である。
「マカロンです」
「は?」
「食堂のメニューにもマカロンがあったらいいなって、みほさんがおっしゃっていたんです」
「……なるほど」
麻子さん。マカロン。ちょっと苦しいが語感は似ていないこともない。
「西住さんのマカロン好きは知ってるが、学食でまで食べたがってるとは思わなかった。……マカロンはないけど私のチーズケーキ食べるか。一口だけならいいぞ」
「だ、大丈夫ですから! 麻子さんが食べてください!」
ピンチを切り抜けたのはいいが、すごく食い意地が張ってると誤解された気がする。フォークで一口分のケーキを切り分けようとする麻子を止めながら真っ赤になるみほであった。
◇◇◇
放課後。
麻子が再び風紀委員に連行された(昼休みの反省文はまだ途中だったのに逃げ出してきていたらしい)のを幸い、麻子抜きの緊急会議を教室で開催する四人。
「このままスルーっていうわけには、いかないよねぇ」
「それでは麻子さんがかわいそうですよ」
「私もサプライズで誕生日お祝いしてもらった時、とってもうれしかったであります! ぜひやりましょうよぅ!」
「あの時のゆかりんは面白かったよねぇ」
おかしそうに沙織が笑う。
「みんなしてクラッカー鳴らしてケーキまで出てきてるのに、ゆかりんったら『……え? D-Dayのお祝いでありますか?』なんて言っちゃって」
「あああ……!もうそれは忘れてくださいよー!」
ちなみにノルマンディー上陸を記念日として祝う風習は、少なくとも日本にはない。
「では、今度の日曜日辺りはいかがでしょう」
「いいね! 善は急げだね!……さすがに月が変わっちゃうと今更感がすごいだろうしね……」
そう考えると、あまり時間的猶予はない。
「私ケーキ作る! 場所は……みぽりんの部屋でいい?」
「うんっ♪」
なんだかんだでみほの部屋に集合するパターンが一番多いあんこうチームである。これで日時と場所は決まった。残る問題は……
「プレゼントは、どうしましょうか」
「うむむ……麻子が喜びそうなのもの……」
一瞬思案するような沈黙が全員に落ち、
「ケーキ……?」
「ケーキでしょうか」
「ケーキかな……?」
「ケーキがいいと思います」
四人の声が同時にハモった。
「って、ケーキは私が作るって言ってんじゃんっ!」
沙織がびしっ!とみほにツッコミを入れる。
「な、何で私だけ……沙織さんもケーキって言ったのに」
「とにかく全員ケーキではさすがに芸が無さすぎだと思うであります」
「私はそれでもかまいませんけれど♡」
「華の希望を聞いてるわけじゃないからね? そんなに食べたら麻子がお[ピザ]になっちゃうよ。そうなったら朝起こすのがもっともっと大変だよ?」
「それは重大な問題だね……!」
優花里がⅣ号を操縦して起床ラッパを鳴らし、みほが周囲を警戒、華が二階の窓から寝起きの麻子をハッチ経由で積み込み、沙織が洗面用具や制服を持って追いかけるというのがここのところの大洗の名物登校風景である。麻子が[ピザ]ると輸送、もとい搬送に支障をきたす。
「では、他のものにしましょう。沙織さん、ケーキや甘いもの以外で麻子さんが喜びそうなものを教えてください」
「うん。えっと……あれ? ……えっと、えっと……そうだなあ……」
沙織は腕組みしながらうんうん唸り始めた。
「あの……武部殿?」
「まさか、ケーキ以外思い当たらないなんてことは……」
「うーん……それがねえ、案外……」
「ええと、去年まではどんなプレゼントをあげてたの?」
雲行きが怪しくなり、みほは何かヒントはないかと質問するが。
「大体おばぁの家で、私がケーキ持ってきておばぁがおはぎを……」
「やっぱり甘いものばかりであります!?」
「去年まではそれで良かったんだよ! でも今年はそういうわけにはいかないじゃん?」
麻子の友人が増えたこと自体は、間違いなく喜ばしいことなのだろう。だからこそ、その分プレゼントにも多少のバリエーションを付けなければ、やっぱり寂しい。麻子は文句を言ったりしないかもしれないけど、自分たちが寂しい。
贈り物を選ぶために悩む時間こそが贈り物なのだと、どこかの偉い人が言っていたとダージリンも言っていた。ここはちゃんと悩むべきときなのだろう。
「うーん……ケーキ以外のプレゼントか……」
「困ったね……」
「甘いものがダメとなると、塩辛いものとか酸っぱいものならいいでしょうか……」
「そうでありますねぇ……7TPか、ティーガーか……はたまたセンチュリオンか……タグチさんのとこにあるか、確認を……」
だが残念ながら、考える時間は長くは与えられなかった。
「こんなところで何をしている、おまえたちっ。放課後は引継をやるから来いと言ってあっただろう!」
「あ、河嶋先輩。申し訳ありません……!」
生徒会、もとい前生徒会三役の登場である。
「まあまあ桃ちゃん。じゃあみんな、行こっか」
「悪いね西住ちゃん。ちょっと3人借りてくよん」
「あっ……!」
思わず伸ばしかけた手を引っ込めるみほ。2学期になっても引き継ぎが終わっていない事自体が異例の遅さなのだ。生徒の管理だけではなく学園の運行全体を統括する生徒会の責任は重く、業務は幅広い。自分が足を引っ張るわけにはいかなかった。
「みぽりん!」
前生徒会に連行されながら、見送るみほに沙織が手を振る。
「日曜日までに自分のプレゼント何にするか決めといて! これ宿題ねっ。私たちも自分たちの分、考えておくから!」
「あ、は、はいっ。……って、ふぇぇぇーっっ!?」
◇◇◇
困ったことになった。
何しろ、友達の誕生日プレゼントなんて一度も選んだことがない。
よく考えてみると寂しい気もするが、目下の問題はそれじゃない。
「沙織さんたちに相談できると思ったのに……」
自室のカーペットに座り込み、みほはため息をつく。
思った通り引き継ぎの時間は長引いて、その後合流することはできなかった。日曜日まであまり日にちはないし、明日以降も彼女たちは拘束されるだろうから、せめて自分の分のプレゼントは自分で何とかするしかない。
一体どうしたものだろう?
みほは立てた膝に片頬を突いたまま、ベッドにおかれているボコぬいぐるみを取り上げる。手乗りのミニサイズで、腹に巻いた包帯に広がる血がちょっとリアルなところがお気に入りだ。中学に上がるときの誕生日にまほが贈ってくれた。
「私だったら、ボコで決まりなんだけどな……」
しかし残念ながら、麻子はさほどボコフリークというわけではない。頼めばボコミュージアムにもつきあってくれるだろうが、プレゼントしてもあまり喜んではもらえないのではないだろうか。
「考えてみれば、お姉ちゃんは楽だよね。私へのプレゼントは悩む必要ないんだから……あっ」
みほは顔を上げた。沙織たちに相談できないなら、姉に相談してみるという手があるではないか。
そうと決まれば電話だ。
「あ、お姉ちゃん? 今いい?」
『ああ、大丈夫だ。どうしたみほ、珍しいな』
「あのね、実は……」
友達の誕生日に贈るプレゼントで悩んでいるのだと説明する。
「何を贈ったら、喜んでもらえるのかな……私、自信なくて」
『なんだ、そんなことか』
小さく笑った電話越しの姉の声は、実に頼もしかった。
『何だっていい』
「え……?」
『みほからのプレゼントなら、何だって喜んでもらえるさ』
「そ、そうかな……?」
『私も、全て大切にとってあるぞ。実家の耐熱金庫に厳重に保管してある』
「へ?」
『四歳のときにもらった、アイスのはずれ棒。五歳のときにもらった、蝉の抜け殻。六歳のときのカブトムシの幼虫(のミイラ)。七歳のときのカマキリの卵……』
「ちょ、ちょっとまって」
混乱したみほは、まだまだ続きそうなまほのセリフを遮る。
「それ……なんのこと?」
『何って、誕生日のプレゼントだよ。みほが私にくれた』
「……」
全然覚えてない。あと、昆虫関係の割合高すぎである。
『とても嬉しかったな。今でも見返すだけで幸せになる』
字面だけだと皮肉のようにもとれるので補足すると、まほは全く他意なく本気も本気で言っている。
「あ、あはは……そっか、良かった」
『だから心配せず、おまえが良いと思ったものを贈ればいい。あ、ただカマキリの卵は中身がいなくなったのを確かめてから贈った方がいいぞ。あの時はお母様と菊代さんが半狂乱で』
「う、うんわかった! ありがとうお姉ちゃん!」
これ以上は聞いても嫌な思い出がよみがえるだけになりそうなので、あわてて切る。
もしかして、お姉ちゃんって……少し、私に甘いんじゃないかな? という疑いを抱きはじめるみほ。
みほには一般的な姉妹の基準がわからないので、単なる推測だが。少なくとも麻子さんは大量のカマキリの幼虫が自分の部屋の隙間という隙間に入り込む事態になっても笑って許してくれることはなさそうな気がするけどうん、もうやめよう。
自分に甘い人間を基準にするのは危険だと判断したみほは、それならばと対照的に厳しい人間に相談をもちかけることにする。
「あ、エリ……逸見さん? ちょっと聞きたいことがあるんだけど、私の友達に……」
と説明すると、
『はぁぁ!? あなた、1年ぶりに電話かけてきたと思ったらいきなり聞くことがそれなの!?』
「ご、ごめんなさい! ちょっと急いでて……」
案の定噛みつくような返事が戻ってきて、みほはスマホの前でペコペコと頭を下げる。
『へぇぇ……大洗の? あなたの”新しい””大事な”友達の? 誕生日を祝いたいからって、わざわざ私にまで頼ってきたわけね?』
「そ、そういうことになる……かな?」
『フンッ、ありがたいわね。”元”副隊長さまが、私の存在を完全に忘れてはいらっしゃらなかったなんて。仮にも長年の間寝食を共にした間柄だものね?』
「あの、逸見さん。お願いだからそれぐらいにして……相談に乗ってもらえないかな……」
『いいけど。一つその前に確かめたいことがあるの』
「え……確かめたいこと?」
『そう。あなた……そんなことを聞いてくるってことは当然、私の誕生日がいつだかも知ってるわけよね?』
「うぇっ……!?」
思わず言葉に詰まってしまったみほを薄情だと責めることは、どこの誰にもできないであろう。詳細な説明は省くが、現時点で逸見エリカの誕生日を把握している人間は世界のどこにも居ないのだから。
とはいえ、しばしば感情は理屈を上回る。
『あ、あなたねぇぇ……そんなことも知らない程度の相手に、”大事な”相談持ちかけてくるんじゃないわよッッ!』
固定電話だったら受話器を叩き割るぐらいの勢いで、電話が切られた。みほの鼓膜がびりびりと震える。
キーンという耳鳴りがようやくおさまってから、みほは再び考え込んだ。
エリカさんは厳しすぎて、そもそも情報を引き出すことすらできなかった。だったら、その中間ぐらいの人に相談するのはどうだろうか?
『ハーイ! 久しぶりね、ミホ! こんな遅くにどうしたの?』
ハイテンションで元気な声は、サンダース校の隊長ケイ。
『ふむふむ……バースデーね。それなら当然、サプライズパーティーで決まりよ! ナイトプールライブでDJがガンガンに回してる中で、ノンアルコールビールを浴びながら朝までダンスダンスダンス!』
「でぃ、DJに、ダンスですか……」
到底麻子や自分たちのテンションではついていけそうもないと思うみほである。
「あの、ところでサプライズ要素はどこに……?」
『Yes。この前のアリサの誕生日ではね、パーティーの途中で海賊が乱入してきて、学園艦の舷側で板渡りをさせようとするってサプライズをやったのよ。アリサったらすっかりサプライズに喜んじゃって、AEDのお世話になったぐらいだったわ!」
それは喜んだというより、死出への旅路を彷徨うところだったのでは……というのが一般的な感想であろうが、ケイお得意のジョークの可能性もありどこまでが本当かは不明である。
とにかく、参考にならないのは確かなので丁重にお礼を述べて通話を終わり、次の人へ。
『まず最初にこのバイカル湖より深い思慮を持つ私に相談するなんて、なかなか分かってるじゃないのミホーシャ!』
みほから電話が来てご機嫌な様子なのは、プラウダ校のカチューシャ。
腹芸が得意とはいえないみほではあるが、いえ最初じゃなくて4人目ですと軽率に口にしたりはしない程度の慎重さは持ち合わせていた。
『私の誕生日の過ごし方を教えてあげるわ。まず10時起床。なんといつもより3時間もお寝坊が許されているのよ!』
「いつもはけっこう朝早いんですね、カチューシャさん」
『続いて学園全体からの貢物を受け取って……』『いえ、貢物ではなく、同志たちからの好意による自主的な贈り物です』
ノンナが早速横から訂正する声も聞こえる。
『それからお昼はボルシチとブリャーニク、その後はお昼寝。起きたらシャルロートカとロシアンティーでお茶にして、またお昼寝。目が覚めたらビーフストロガノフとキシュカをバルチカで流し込んで、デザートは果物。そしたらお風呂に入って消灯よ。どう、参考になったでしょ?』
「あっ、はい……」
終始食っちゃ寝ばかりだということしかわからなかったが、もちろんそれも口には出さない。
『そのスケジュールはお誕生日の日だけの特別ですからね、カチューシャ。さあお風呂の時間ですよ』
『えええー、せっかくミホーシャと電話してるのにぃ……まあいいわ、それじゃねミホーシャ、ピロシキ―』
まあこの保護者がいれば、怠惰な生活でカチューシャが肥満問題に悩まされることはなさそうではある。
「こ、困りました……」
みほは悩んだ。ここまでそれなりの電話代と時間を費やしながら、有益なアドバイスが一つも得られていない。
人生における有益なアドバイスをしてくれそうな人として筆頭に思い浮かぶのは継続高校隊長のミカだが、そもそもミカは携帯電話というものを持っていない。継続の他の生徒が、「まースマホなんて拾ったとしてもすぐ売っちゃうからな~」と発言したという噂もあるが、さすがにデマであろうと信じたい。
「あっ、そうだ……!」
と、そこでミホは重要な人を忘れていたことに気づいた。他にちょっといい事っぽいことを言ってくれる人といえば、あの人しかいないではないか。
◇
『こんな言葉を知っていて? ”自分に欠けているものなど考えても、不幸になるだけ”』
「い、いえ。ダージリンさん」
『スタンダールの言葉よ。言い換えれば、人とは自分が持ち合わせているもので満足することができず、欠けているものをひたすら追い求める業を背負っているともいえるわ。……その方が一番欲しているものは、今その方に欠けているもの。そう考えることはできないかしら?』
◇
お礼を言って電話を切った後、ベッドに体を投げ出し、みほは目をつむる。
麻子さんに欠けているもの。麻子さんが一番欲しいと思っているもの。それって何だろう?
麻子さんって、そもそもどういう人? 学園主席で、戦車のマニュアルを一目読んだだけで操縦を理解しちゃうほどの天才少女。朝が弱くて、ケーキが好きで、いつも冷静で度胸も良くって……それで?
みほの脳裏に、再び病室での孤独そうな背中が浮かび上がる。お祖母さんが倒れたことを聞いた時の、常日頃から想像できないような慌てぶり。病院から帰るときの、不安げな寝顔。
「……」
みほは目を開け、身体を起こす。
これが答えかは、自分にもわからない。麻子さんが喜んでくれるかもわからない。でも……今私が、麻子さんにしてあげたいことは。少なくとも。
みほの手が小さく、きゅっと握られた。
◇◇◇
さて決行の日曜日当日。
「「麻子(麻子さん)(冷泉殿)、お誕生日おめでとう(ございます)っ!!」」
事前の打ち合わせ通りクラッカーが鳴らされ、入ってきた麻子に一斉にお祝いの言葉が投げかけられる。
「むっ……ぐっ……私をわざわざ朝の13時に叩き起こして連れてきたのは、こういうわけか……」
「普通13時は朝って言わないからね。せっかく麻子のためにお昼より後の集合にしてあげたのに」
三白眼で顔にかかったリボンを取り除けながら呻くような声をあげる麻子に、腰に手を当てた沙織があきれ顔で言う。
「……言っておくが、私の誕生日はもう2週間前に過ぎたぞ」
「うぐっ。そ、それはでありますねぇ、よんどころない事情がありまして……」
「ごめんなさい、麻子さん! お祝いするのが遅くなっちゃって……!」
「申し訳ありません、麻子さん……」
「いや、いいんだ。いろいろと忙しかったから、祝ってもらえなくても仕方がないと思っていた。だから、その……」
麻子は横を向いたまま、赤くなった頬をぽりぽりとかいた。
「ありがたいとは、思ってる。……その、まあ、なんだ。嬉しいぞ……」
「あれれー麻子もしかして照れてない?」
「一言多いぞ沙織!」
顔を覗き込まれ、まさに照れ隠しそのもので麻子が吠える。
「それよりケーキだ。ケーキを早く出してもらおうか」
「まったく風情がないなぁ。こういうのは先にプレゼント渡してからでしょ」
「プレゼントも……あるのか」
「当~然! はい私からはこれ」
沙織がラッピングされた箱を手渡す。
「麻子に似合いそうなポーチが売り切り70%オフで売ってたから買っちゃった」
「その……ありがとう」
「あっ冷泉殿、私からはコレですっ、戦車型目覚まし時計! アラームは8mm機関砲から128mm砲まで各種切り替え可能でありますっ。これで朝のお目覚めも爽快になること間違いなしですよ」
「ありがとう秋山さん。まあ既に実機で似たようなことをやられてる気もするが……」
しかもそれでも起きられていないが。
「私は何にするか、いろいろ悩んだんですけれど……結局これが一番実用性もあって良いのではないかと思いまして」
華が自信満々に出してきたのは学生食堂の食券20枚綴りである。
「ええー!? それ単に華が欲しいモノじゃないのぉ! そんなプレゼントしてるようじゃモテないよ!?」
「別にモテようという意図は全くないのですけれど」
「確かに実用性は満点だな……というか五十鈴さん、こんなに貰っていいのか」
1枚で学食の定食1回分だから、結構な額であろう。
「大丈夫です、生徒会長になったら経費で落としますから」
「あ、あのぅ、それは私費流用というのでは……」
「冗談です♪」
にっこりと言われ、ほっと胸を撫で下ろす次期副会長であった。
このやり取りの間、ずっと後ろで真っ赤になってぷるぷると震えていたのがみほである。
「ええと、あの……西住殿?」
沙織、優花里、華と来て、当然次はみほの番ということになる。ところがその手には、当然あるべきもの──手渡すべきプレゼントに相当するもの──が握られていない。
(あれ……もしかして用意してないのかな、みぽりん?)
(でも、すごく悩んでいらっしゃったみたいですし、お忘れになることはないのでは)
(あわわ……西住殿の分もご用意すべきだったでしょうか……!)
不安げに囁きかわす3人をよそに、ついに拳を握ったみほが決然と前に出る。
「ま……麻子さんっ!」
「お、おう?」
あまりの力の入りようにビクッとなる麻子。
「わ、私からのプレゼントは……これですッッ!」
ぎゅううう~っ。
「ふわっ……な、何だ!?」
進み出たみほは、真正面から思い切り、麻子に抱き付いていた。
突然の柔らかい感触に目を白黒させる麻子。
「わ、私いろいろ考えたんだけどなかなか麻子さんが喜んでくれるもの、思いつかなくて……それで、麻子さんが持ってないものは何かって考えたの。それで、」
「それで……?」
「わ、私が……麻子さんの、ママになりますっ!」
「……は?」
「……へ?」
その場にいたみほ以外の全員の目が点になる。
「ママ……?」
「はいっ。私、その、あんまり頼りにはならないかもしれないけど……麻子さんが困ったことがあったら、いつでも助けに行きます。寂しいときは、いつでも話し相手になります。辛いときには、いつでもこうやって抱きしめてあげます!……だからええと、その……」
あまりにも周りの反応が無いので、みほの言葉が尻すぼみになる。
やっぱりおかしかっただろうか? 私が変なこと言ったから、引かれてしまっているのだろうか? 麻子さんはこんなこと言われて、困ってる……?
「……そうか。私に両親がいないから……西住さんが代わりに家族になってくれるって、ことか」
そっと麻子の手が、みほの肩に添えられた。
「う、うん……パパになるのはさすがに難しいし……じゃなくて。ええと……迷惑だった、かな」
「いいや」
みほの頬に子猫のように顔を擦り付ける麻子の声は、少しだけ潤んでいた。
「うれしいよ。西住さんはずっと、私の憧れだったから」
「憧れ……?」
「強くて勇敢で、でも優しくて……私に無いもの、欠けているものをいっぱい持っていて……だからこそ、届かないと思ってたから」
「そんなこと。私こそ、いつも麻子さんには勇気をもらってたのに」
どんな窮地でくじけそうなときでも、私を信頼してくれた。どんな無茶なお願いでも、必ず叶えてくれた。そんな麻子さんが……自分に無いものを持っている麻子さんが、むしろ自分を支えてくれていたのだと、改めて思う。
お互いに欠けたものを埋め合わせるかのように、二人は強く抱きあう。
「ありがとう、西住さん。プレゼント、遠慮なく貰っておく」
耳元で囁くように言われ、みほは改めて口を開く。
「……お誕生日おめでとう、麻子さん……!」
みほが悩みに悩んだかいは、どうやらあったようだった。
「みほさんがお母さんなら、私たちはお姉さんになるんでしょうか?」
ころころと華が笑う。
「ええーっ、手がかかりそうな妹だなぁ……まあしょうがないか、やることあんまり変わらなそうだし」
沙織が肩を竦める。
「わ、私もお姉さんになってよろしいんでしょうか?」
「秋山さんは危なっかしい所があるし、むしろ妹って感じだな」
「えええ!? 私の方が誕生日先なのにでありますか?」
笑い声がどっと上がる。
「そうです、折角ですからちょっとケーキを食べたら、お祖母さまの所にみんなで持って伺いませんか?」
「あっそれいい! そうしようよ!」
「でも五十鈴殿が本気で食べたら、おばぁ殿への分が残らないのでは?」
「分かりました、前もって取り分けておきましょう。差し押さえ作戦です!」
「私、そんな信用ないですか……?」
むしろ華の胃袋に対する絶大な信頼ゆえといえるかもしれない。
◇◇◇
夕暮れの道を、麻子の祖母の家へと連れ立って向かう。
談笑しながら歩く優花里たちを横目に、みほの横についっと麻子が寄ってくる。
「ところで思ったんだが、さっきの言葉」
「何? 麻子さん」
「どっちかっていうとママうんぬんっていうより、プロポーズみたいじゃなかったか?」
「なっ!? えっ? ちがっ……私そそそんなつもりじゃ……!」
「……やっぱり西住さんはからかうと面白い」
「もうっ、麻子さんっ!」
みほの顔が真っ赤になったのは、別段夕日のせいではなさそうである。
「それからな、後もう一つ。今日のプレゼントって……永久に有効なのか? それとも1年で期限切れになるのか……?」
「えっと、そうだね……」
いつもの無表情の中に、ちょっとだけ期待と不安をにじませている麻子の質問に、みほは一瞬考えてから答える。
「更新制、にしましょう」
「更新制……?」
「はい。来年の誕生日も、そのまた次の誕生日も。こうやってみんなでお祝いして、そのたびに更新していくの。……どうかな?」
「ああ」
麻子は頷いた。
それはいい。
それは、すごくいい。
「約束だぞ」
「はい、約束です♪」
「ちょっとー、麻子もみぽりんも! 早くしないと暗くなっちゃうよ!」
前を行く沙織に急かされ、慌てて二人は足を速める。
「それにしても……西住さんがママということは、おばぁにとっては娘の出現か。しかも孫まで増えて……いきなりそんなことカミングアウトしたら心臓でポックリ逝くかもしれないなぁ、おばぁも」
「ふぇぇっ!? そっそれは困りますっ!」
じゃれあいながら道を行く少女たちは、親子というよりはやはり、仲の良い姉妹の様子であった。
◇◇◇
「こんな言葉を知ってる? ”互いに信じあう友こそ、人生において手に入れ得る最高最上の宝である”」
「い、いえ……初めて聞きました」
およそ名言と名の付くものについては全て目を通しているはずの記憶に照らしても思い出せず、オレンジペコは首を振った。
「そうでしょうね。だって今私が考えたんですもの」
「ダージリンさま……それはずるいです」
「別に構わないでしょう? 誰が言ったところで。だってそれこそが、この世界における普遍的真実なのだからっくちゅんっ!」
くしゃみをした拍子に、ダージリンの額から濡れタオルが滑り落ちる。
「ああもう、お熱があるんですからちゃんと休まないと……おしゃべりは風邪が治ってからにしてください」
「私の普遍的真実さんは厳しいわね」
氷水で絞りなおした濡れタオルをまた掛けてもらいながら、ダージリンは苦笑した。
「私の普遍的真実さまの体調が第一ですから」
「だったら、最後にもう一つだけ」
眠りに落ちていきながら、ダージリンは呟く。
この世の真実を知る者こそ、幸いなれ──
・間に合ったか微妙だけど終わりです
乙
よかった
乙でした!
乙
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