アンパンマン「ばいきんまんはもういない」 (107)
いつかぼくは君に倒される日が来るのかな、とぼんやりと考えたことがある。
君はぼくを倒したがってるし、君はいつも一生懸命だし。
だから、こんな日が来るなんて、思いもしなかった。
ぼくが君を倒してしまう日が来るなんて。
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地の文で書いていきます。けっこうシリアスです。
「アンパンマン」
ぼくの部屋の扉がノックされたので、ぼくは音のする方へ歩いていった。
ドアを開けると、心配そうなメロンパンナちゃんが、ぼくの顔をのぞきこむ。
「ねぇ、アンパンマン……。今日もパトロールお休みする?」
「ううん、寝て起きたらスッキリしたんだ。
ぼくはもう大丈夫」
「そう……?」
あまり信じていないような笑顔で、メロンパンナちゃんは笑う。
ぼくもきっと似たような顔で笑った。
「そうだ!私も一緒についていこうか?」
「ううん、ぼく一人で大丈夫だよ」
「アンパンマン……」
まだ心配そうな顔をするメロンパンナちゃんの頭を撫でて、ぼくは部屋の外に出た。
昨日は部屋に閉じ籠りっきりだったから、一日ぶりのパン工場だ。
様子は普段と変わっているわけもなくて、ぼくは一瞬だけ期待してしまう。
なにもかも、一昨日までの日常と、変わりないんじゃないかと。
「アンパンマン……無理はしないでね?」
後ろからメロンパンナちゃんに声をかけられて、ぼくは、はっと目が覚める。
なにも奇跡のようなことは起きていないと、メロンパンナちゃんの顔から十分に読み取れてしまう。
もう、この世界に彼はいない。
「大丈夫だよ、ありがとね」
ぼくはもう一度笑って、パン工場の階段へと歩き出した。
一段一段下っていく足は、本当にぼくの足だろうか。
なぜかそんなことを考えた。
「アンパンマン!」
一階の工房までたどり着くと、バタコさんがこちらに走ってきて、ぼくに抱きついた。
戸惑うぼくの胸で、バタコさんは泣いている。
工房の奥のテーブルには、ジャムおじさんが腕を組んでいた。
ジャムおじさんの表情も、やはり辛そうだ。
なのにぼくは、二人の姿を見ても、そこまで動揺しなかった。
「アンパンマン、大丈夫かい?」
「はい、ぼくは大丈夫です」
「ダメよ!無理しちゃ!どうしてあなたはいつも……」
「バタコさん、ぼく、本当に大丈夫ですから」
「バタコ、離しておやり」
ジャムおじさんの悲しそうな声を聞いて、バタコさんは涙をこらえながら、ぼくから離れた。
シーンとした部屋に、バタコさんの苦しそうな呼吸の音だけが響く。
「アンパンマン、本当に行くのかい?」
「ええ」
「じゃあ、パトロール頼んだよ」
「はい」
ジャムおじさんは、いつもと同じ言葉をかけてくれて、ぼくはほっとした。
助けを呼ぶ人がいる限り、ぼくは行かなくてはいけない。
それがぼくの生きる理由だから。
「いってきます」
ぼくは外へとつながる扉へ、振り返らずに歩いた。
そして、ゆっくりとドアノブを回して、外に出る。
差し込んだ夏のお日さまは暑く、強い日差しに耐えられなくて、目が少しだけ痛くなった。
青々としげる草も、花壇に植えられたひまわりも、なに一つ変わってない。
変わってしまったのは、ぼくだけなのだろうか。
「困っている人を助けに行こう」
自分で確認するように呟いて、ぼくは空へと舞い上がった。
大きくもくもくとした雲は、真っ白に輝いている。
とても大きく聞こえるセミの声を聞きながら、ぼくは飛んだ。
セミの声に紛れて、助けを呼ぶ声を聞き逃さないよう、慎重に飛んだ。
空が真っ赤に染まるころ、ぼくはパン工場を目指して飛んでいた。
今日は不思議なことに、困っている人は一人もいなかった。
行く手の森は、夕日に照らされて濃く影を伸ばし、一足先に夜が訪れている。
そんな森の上を飛んでいるとき、ふと動くものが見えた気がした。
少しだけ胸騒ぎがして、ぼくはなにかが見えた方へ着地する。
「誰かいるんですかー?」
ぼくが声をかけると、森のしげみが揺れて、くまの男の子が現れた。
その顔は疲れきっていたけど、彼はぼくの顔を見て安心したのか、泣き出してしまった。
「アンパンマン……!」
「もう大丈夫だよ。迷子になっちゃったの?」
「うん……だから、ずっとアンパンマンのこと呼んでたんだよ!」
「えっ?」
「来てくれて良かった……!」
彼は大きな声で泣き出してしまった。
そんな男の子をなだめているぼくと、動揺しているぼくが二つにわかれてしまったような気がした。
ぼくはきっと彼に向かって笑っているのだろう。
でも、ぼくの頭の中は真っ白だった。
なぜ、助けを呼ぶ声が聞こえなかったのだろう?
今日も、本当はたくさんいたんじゃないだろうか。
みんながぼくを呼んでいるのに、ぼくは気がつかなかったんじゃないだろうか。
「アンパンマン、おなか空いたよ」
「じゃあ、これを食べて?」
上の空のぼくは、気がつくと頭をちぎって渡していた。
くまの男の子は嬉しそうに、あんパンを食べている。
でも、その姿はとても遠く感じた。
セミの声だけが、大きく頭の中を響き渡っていた。
パトロールを終えたぼくは、そーっとパン工場の扉を開いた。
もうジャムおじさん達は寝ているだろう。
そう思って音をたてないように開いたのに、ジャムおじさん達はぼくの帰りを待っていたようで、パン工場の中から大きな声が聞こえた。
「アンパンマン!」
イスに座っていたジャムおじさんとバタコさんが、ぼくの方へ駆け寄った。
チーズは待ちきれなかったらしく、テーブルにつっぷして寝息をたてている。
「こんな時間までなにをしてたんだい?」
ジャムおじさんが真剣な声でぼくに尋ねた。
その様子に、ちょっと気圧されながら、ぼくは答える。
「パトロールをしてました」
「本当なの?」
バタコさんはまた泣きそうな目でぼくを問い詰める。
でも、ぼくは本当に嘘はついていなかったので、バタコさんにうなずいた。
「本当です。パトロールが終わったか自信がなくて」
「どういうことか、聞いてもいいかい?」
「はい」
ぼくは呼吸を整えて、ジャムおじさんに答えた。
「聞こえなくなってしまったんです。助けを呼ぶ声が」
ジャムおじさん達は戸惑いを隠さなかった。
ぼくは淡々と、二人に話し続ける。
「今日一日飛んでみたけど、誰の声も聞こえなかったんです。
けど、森の上を飛んでいた時に見かけた男の子がいて、ぼくはその子の方へ飛んでいきました。
そうしたら、その子は迷子で、ずっとぼくのことを呼んでいたらしいんです。
だから、もしかしたら聞こえていないだけで、他にも困っている人がいたのかもしれないと思って」
「それで、困っている人は他にもいたのかい?」
「いえ……見つけられなかっただけかもしれませんけど」
ジャムおじさんは、気にすることはないよと、ぼくに笑った。
「実は、今日はメロンパンナちゃんにもパトロールをお願いしたんだよ。
だから、みんなが助けを呼ぶ前にメロンパンナちゃんが助けていたのかもしれないね」
「けど、森にいたあの子は」
「たまたま音が届かなくなる所にいたのかもしれない。
そう考えすぎてはダメだよ」
「はい」
ジャムおじさんが笑っているので、ぼくは納得した。
ジャムおじさんの言うことが間違っていたことは、今までなかったから。
けれど、ジャムおじさんはあとに続けた。
「でも、パトロールはやはり、もう少しお休みした方がいいんじゃないかな」
「ぼくは大丈夫です」
「そうだね。けれど、私たちが心配で、仕事が手につかなくなってしまうんだ。
私たちのために、休んでくれないかい?」
断ることも出来なくて、ぼくはうなずいた。
ジャムおじさんとバタコさんは、本当に安心したようで、少しだけ笑った。
「じゃあ今日はもう遅いから、ゆっくりおやすみ」
「はい、おやすみなさい」
ジャムおじさん達を残して、工房の階段を上り、ぼくは二階へたどり着いた。
自分の部屋の扉を開けると、窓際に花が揺れているのが見える。
花瓶に一輪だけ生けられた花は、きっとメロンパンナちゃんが置いていってくれたんだと思った。
白い花が月の光を吸い込んで、淡く光っている。
ふと、キレイなものは嫌いだと言っていた、彼の姿を思い出した。
「ばいきんまん……」
ぼくはあの戦いのあとから初めて、彼の名を呟いた。
そしてどうしようもないくらい、胸が苦しくなった。
なぜ、君はあのとき。
考えても分からなくて、泣くことも出来なくて、ぼくはベッドの上でぼんやりとした。
全て嘘なんじゃないんだろうかなんて、この期に及んでまだ思っていた。
ぼくはきっと、あの瞬間に正義の味方ではななくなったのだろう。
白み始めた空を見ながら、ぼくは思う。
正義の味方ではなくなったから、助けを呼ぶ声も聞こえないんだ。
これからもきっと、治る日はこない。
君が生き返ることがないのと、同じように。
あのとき、なぜ君はぼくをかばったんだろう。
ぼくは、あの瞬間を鮮明に思い出すことができた。
いつも通り、ばいきんまんがイタズラをして、ぼくが駆けつけて、アンパンチで彼を飛ばしたあとのこと。
お弁当が戻ってきて、子供達は笑いながらぼくにお礼を言った。
ぼくも笑って、別のところへパトロールへ向かった。
ここまでは特に変わったことはなく、ぼくは道をふさぐ大きな木を片付けたり、歩き疲れた人を送っていったり、忙しく飛び回っていた。
しかし、突然現れたメロンパンナちゃんが、焦った声でぼくを呼ぶ。
「アンパンマン、すぐにパン工場へ戻って!」
「なにがあったの?」
「ばいきんまんが大変なの!」
青ざめているメロンパンナちゃんと一緒に、ぼくは全速力でパン工場へ向かった。
ぐんぐんと近づいてくる工場の前の広場には、ドキンちゃんのUFOが停まっているのが見える。
ぼくは急いで扉の前に着地して、パン工場の中へと駆け込んだ。
「アンパンマン……!」
中には目を真っ赤に腫らして泣いているドキンちゃんがいた。
ぼくに助けを求めるような目は、いつもの強気な目とは対照的で、とんでもないことが起こってるんだと、改めて思った。
「なにがあったの?ドキンちゃん」
「ばいきんまんが……私をかばって……!」
ついに大声で泣き始めてしまったドキンちゃんは、途切れ途切れにぼくに話した。
ドキンちゃんがふざけてばいきんまんのメカをいじったこと。
それが原因で、メカが暴走し始めたこと。
メカに捕まったドキンちゃんを助けるために、ばいきんまんが操縦室に乗り込んだこと。
「でも……ばいきんまんは操縦室から出れなくなって……。
ホラーマンも今日はどこかに出かけてたし、私だけ逃げてきたの……!」
ぼくはジャムおじさん達と視線を合わせて、頷いた。
ばいきんまんを助けに行かなくちゃ。
「ドキンちゃん、話してくれてありがとう。
ぼくが助けに行くから大丈夫だよ」
「うん……!」
「アンパンマン、私も一緒に行く!」
「ううん、メロンパンナちゃんはパトロールを続けて?
こんなに暑いから、倒れちゃった人がたくさんいたんだ。
まだ、どこかで倒れてる人がいるかもしれないんだよ」
「……分かった。じゃあ、パトロールが終わったら向かうね!」
「うん、お願い」
ふと、ぼくの頭にカレーパンマンとしょくぱんまんの姿がよぎる。
彼らも居てくれたらどんなに心強いだろう。
でも、二人は遠くの島の学校に、カレーとしょくぱんを振る舞いに行っていた。
今から呼んでも、時間がかかってしまう。
「ぼく、行ってきます。ばいきんまんを助けに」
ジャムおじさん達は頷いて、あとからアンパンマン号で追い付いて来てくれると言った。
ぼくは煙突から飛び出し、出来る限りのスピードでバイキン城へ飛んだ。
辺りはだんだんと暗くなっていき、黒く厚い雲が空を覆い始める。
足下の花畑はごつごつとした岩場に変わり、湿気がまとわりつくようになった。
そして、ぼくは遠くのがけの上から、太く煙が上っているのを目にすることになる。
そのがけには、大きくそびえ立っていたはずのバイキン城が瓦礫の山になっていた。
崩れた城の中で、大きな黒い影が動き回っている。
「ばいきんまん!」
ぼくはもっとバイキン城に近づいて、彼の名を叫んだ。
すると、黒い影がぼくに気がついたようで、ゆっくりと振り返る。
闇をまとったように黒ずんだ影は、ばいきんまんが作ったメカだった。
メカの頭にくっついた大きな二本の触覚は、ダダンダンと似ている。
けれど、目の部分が赤く光り、邪悪な心に支配されているように見えた。
バイキンUFOに備え付けられているより大きなハサミが、両手の代わりにつけられていた。
「ばいきんまん!中にいるの!?」
ぼくがもう一度呼びかけると、メカの外についた大きな拡声器から、彼の声が聞こえた。
「アンパンマン!なにしに来たのだ!」
「ドキンちゃんから聞いたんだ。君が大変なことになってるって」
「おれさまは別に、助けて欲しくなんか」
その時、ばいきんまんの声を遮るように、メカが腕を大きく振った。
そしてぼくに狙いをつけて、ハサミを勢いよく閉じる。
すれすれの所でよけれたけど、いつものバイキンメカよりも圧倒的に速く、よけるだけでも大変だった。
その後も、右から左からハサミがぼくを襲い、彼がいるはずの操縦室へ辿り着くことができない。
「ばいきんまん!中はどうなってるの?」
「うるさい!ちょっと扉が歪んで開かないだけだし、ちょっと故障してるだけなのだ!」
「やっぱり外には出られないんだね!」
ハサミの刃が再びぼくを狙い定めて、アームがかすめるように後ろに伸びていく。
ぼくは両腕が同時に攻撃してくるのを待った。
腕が伸びきって元の位置に戻るまでには、少しだけ時間がかかる。
「いまだ!」
ぼくは二つのハサミをギリギリでよけて、一気にメカの本体へと向かった。
きっとばいきんまんはメカの頭の方に乗り込んでいるのだろう。
全力で飛んでいくと、チラッと扉のような切れ間が目に入った。
ぼくは夢中で扉の隙間に指をかける。
「ばいきんまん!」
「そこにいるのか!?」
やっぱりばいきんまんは中に居たようで、扉の向こうから彼の声が聞こえた。
ぼくは力いっぱい扉を引き剥がそうとしたが、金属がきしむ音がするだけで、扉はびくともしない。
「バカ!はやく逃げろ!」
「今助けるから……!」
ぼくは腕に力を込め続けて、なんとか扉を少しだけ歪ませた。
隙間からばいきんまんの姿が見える。
彼はそこら中を怪我していて、動くのも大変そうだった。
中の様子は思っていたより酷く、機械がめちゃくちゃに壊れている。
「あと少し……!」
ぼくは壁に足をかけ、全身に力を込めた。
扉は隙間を広げて、少しずつ剥がれていく。
しかし、いつの間にかハサミがぼくを見つけて、すぐ横にまで迫っていた。
ぼくは飛びのいたけど、一瞬だけ遅かった。
ハサミがぼくをはじいて、ぼくの体は宙に投げ出される。
そこにもう片腕のハサミが襲いかかってきた。
よけられない。
「アンパンマン!」
ぼくを呼ぶ声が拡声器から聞こえる。
ぼくは体を守るように、腕を前で組んだ。
それがなんの効果もないことを、ぼく自身が一番分かっている。
なのに、ハサミはぼくを切り裂かなかった。
「そんな……!」
辺りに金属が押し潰される、大きな音が響く。
組んだ腕の隙間から見えたのは、恐ろしい光景だった。
ぼくは空中で体勢を立て直し、バイキンメカの方へ近づく。
ぼくを襲おうとしたハサミは軌道をそれて、バイキンメカの体に突き刺さって止まっていた。
メカは地面に倒れて少しも動かずに、ビリビリと紫色の雷を纏っている。
「ばいきんまん!」
ぼくは青ざめながら、操縦室の方へ向かった。
操縦室は頭の方にあるので、ハサミが直接刺さっている訳じゃない。
けれど、衝撃は大きかっただろうし、ばいきんまんはきっと大怪我をしただろう。
「返事をして!ばいきんまん!」
ぼくは、さっきよりもさらに歪んだ扉に手をかけた。
しかし、メカ全体を覆った雷がぼくの腕を弾いてしまう。
メカの温度もものすごく高くなっているみたいだった。
このままじゃ、彼が死んでしまう。
「ばいきんまん!」
さっきから返ってこない返事を待ちながら、ぼくはもう一度扉に手をかけた。
扉の電流がバチバチと弾けて、ぼくの腕をしびれさせる。
どうしても力がうまく入らない。
それでも、彼に声をかけ続けると、中から物音が聞こえた気がした。
「ばいきんまん!聞こえる!?」
「うるさいのだ……」
うっとうしそうなか細い声が、確かに聞こえた。
けれど、扉の隙間は衝撃で塞がってしまい、中の様子は分からない。
はやく彼を助けなければ。
ぼくは扉を引っ張り続けていた。
なのに。
「もういい……」
ばいきんまんの声が再び聞こえた。
でもそれは聞き間違いだと思いたかった。
ぼくはさっきよりさらに青ざめて、扉を力一杯蹴る。
「ばいきんまん、しっかりして!ぼくが助けるから!」
ぼくは扉を何度も蹴った。
分厚い扉は少しずつ少しずつ歪んではいるものの、外れる様子はない。
繰り返している内に、足にも痛みが走るようになる。
それでもぼくは蹴った。
そして、やっと、中が見えるぐらいの隙間ができた。
「ばいきんま……」
中を覗き込んだぼくは言葉を失った。
いまだにぼくは、その様子を言葉にする勇気はない。
でもあえて言うなら、悪い夢をみているかのような、そんな光景だった。
「アンパンマン……ドキンちゃんは大丈夫だったか?」
「うん……」
「そうか……なら良かったのだ」
壁際に座り込んでいたばいきんまんは、肩で呼吸をしながら、床に落ちていたボロボロのリモコンを手に取った。
ぼくは声をかけられずに、その様子をただ見守った。
「アンパンマン、お前に頼みがある」
「なぁに……?」
「このメカを壊して欲しいのだ。今すぐに」
ぼくは驚いて首を横に振った。
「そんなこと出来ないよ!まずは君を助け出さなくちゃ!」
「このメカはすっごいメカなのだ。今までとは違う。
おれさまが直さなくても、勝手に修理を始めるんだぞ。
そうなったら、おれさまにはもう止められない」
「でも!」
「……きっと、こんなもの作ったから、バチが当たったのだ。
おれさまはお前とケンカしてるだけで楽しかったのにな」
ぼくはなにも答えられずに、ばいきんまんの顔を見た。
ばいきんまんは笑っている。
「お前が全力で相手してくれたから、おれさまも全力でいられた。
悔いはないのだ!」
「いやだよ……いやだ!」
ぼくは扉を再び蹴った。
けれどばいきんまんには届かない。
ぼくの声も、足も、彼のいる場所には届かなかった。
なんど蹴っても、扉は動かない。
「ばいきんまん!」
「お前が出来ないなら、おれさまがやるしかないな……」
すると、ばいきんまんは辛うじて残っていた、リモコンのレバーを動かした。
体に突き刺さっていない方のハサミが、ゆっくりと動き始める。
「やめるんだ!ばいきんまん!」
「その言葉も聞きあきたのだ」
ばいきんまんは笑ったまま言った。
その瞬間、アームが素早く動き、刃が風を切った。
ぼくは反射的に飛び出して、アームの動きを後ろから止める。
このまま引きちぎってしまおうと、ぼくは腕に力を込めた。
なのに、彼はぼくを呼んだ。
「アンパンマン!」
ふっと、声の方を見ると、メカから飛び出した小さな水鉄砲が見えた。
ばいきんまんの顔がくっついた水鉄砲は、よく見慣れたものだった。
そんな、と思う暇もなく、ぼくは顔に水をかけられる。
「油断したな、アンパンマン!そこがお前のダメなとこなのだ!」
ばいきんまんの元気な笑い声が響く。
そして、彼は最後に言った。
「おれさまはいつかお前を倒しに戻ってくる。それまで待ってろ、おじゃま虫!」
ぼくは必死にアームを押さえ続けた。
心の中で神様に助けを求めたほど、ぼくはなんとかしてアームを食い止めたかった。
けれど、ぼくの腕はどんどん力が抜けて、アームが滑り抜けていく。
どんなに指先に力を入れようとしても、どんなに腕を支えようとしても、体がうまく動かない。
もうだめだ、と思った。思ってしまった。
その瞬間、アームは指先から抜けて矢のように飛んでいった。
ハサミは真っ直ぐばいきんまんへと向かう。
そして、操縦室を貫いた。
「ばいきんまん……!」
それは一瞬の出来事だった。
操縦室を貫かれたメカは不規則に動きだし、地鳴りのような音をたてて爆発した。
爆風に吹き飛ばされたぼくは、がけの下へと放り出される。
顔が濡れて力が出ないぼくを、駆けつけたメロンパンナちゃんが、受け止めた。
「アンパンマン!大丈夫!?」
「メロンパンナちゃん……!ぼくを上に連れていって!」
ぼくは精一杯の声で、メロンパンナちゃんに頼んだ。
メロンパンナちゃんは驚きながらも、ぼくを抱えて飛んでくれた。
谷底から崖の上へと浮かんでいくと、だんだん炎の気配が近くなって、辺りが燃える音がする。
たどり着いたがけの上は、一面に黒い煙が広がって、どうなっているかはよく見えなかった。
「メロンパンナちゃんはここで待ってて!」
「あ、待って!」
ぼくはよろめきながら走った。
ばいきんまんがどこかに倒れているかもしれない。
彼の声を聞き逃さないよう、ぼくは必死に耳をすます。
真っ黒な煙の中を、メカが立っていた方向に突き進んだ。
けれど、ぼくが見つけられたのは、メカの残骸ばかりだった。
どれも原型を留めていなくて、ごうごうと燃え上がっている。
まるで地獄のような光景に、ぼくは立ち尽くした。
彼の声も、どこを歩いても聞こえてこない。
さっきまで、彼と話していたのに。
さっきまで、彼の動く姿を見ていたのに。
ばいきんまんはもうここにはいない。
「アンパンマン!」
はっと気がつくと、咳き込みながら追い付いてくるメロンパンナちゃんの姿が見えた。
メロンパンナちゃんも青ざめていて、ぼくにそっと問いかける。
「アンパンマン。ばいきんまんはどうしたの……?」
なんて答えたらいいか分からなかったのに、ぼくの口は勝手に呟いていた。
「助けられなかった……」
メロンパンナちゃんが驚いた顔でぼくを見る。
そして顔がだんだんと歪んでいき、涙があふれだしてきていた。
メロンパンナちゃんはぼくにしがみついて、泣き声をあげる。
「アンパンマン……!泣かないで……!」
メロンパンナちゃんはそんなことを言ったけど、ぼくはちっとも涙が流れてこなかった。
きっとなにが起きているのか、理解できていなかったんだと思う。
ぼくはメロンパンナちゃんの泣き声を遠くに感じていた。
全て、遠くの世界で起こっているような、現実じゃないみたいだった。
ぼくたちは遅れて飛んできたアンパンマン号に乗り込んだ。
中にはジャムおじさん達とドキンちゃんが乗っている。
窓の外に広がるバイキン城の残骸を見て、ドキンちゃんは青ざめていた。
なにも喋らないドキンちゃんに、ぼくは起こったことの全てを話した。
「ばいきんまんはぼくをかばったんだ……ごめんね」
ジャムおじさん達も固唾を飲んでぼくの話を聞いていた。
ドキンちゃんはぼくに首を振ってみせる。
「アンタが悪いわけじゃないわ。私が悪いのよ。私がばいきんまんのメカをいじったりしなければ……」
それ以上は言葉にならなかったみたいで、ドキンちゃんは開いた瞳から、大粒の涙をこぼした。
アンパンマン号の中はとても静かだ。
ドキンちゃんの泣き声すらも聞こえない。
「ジャムおじさん……なんとかできないんでしょうか」
ぼくは苦し紛れにジャムおじさんに聞いた。
しかし、明るい答えが返ってくるはずもなく、ぼくたちはさらにうつむいた。
「死んでしまったものを、生き返らせることはできないんだよ。
それが、世界の理だからね」
死んでしまった、と言う言葉は刃のように、ぼくに深く突き刺ささる。
ばいきんまんはもう、この世にはいない。
もう会うことも、話すことも、イタズラを止めることもできない。
そう思うと、胸にぽっかりと穴があいたようだった。
自分の頬を流れるはずの涙さえ、穴に吸い込まれてしまったみたいだ。
その後、パン工場に戻ったぼくは、再び笑えるようになるまで、一日だけお休みをもらった。
今日はドキンちゃんも泊まるらしいけど、ぼくはもうドキンちゃんとは言葉を交わさなかった。
貰った休みを全て使って、ぼくは一日中ベッドに横たわる。
時間は思ったより速く進み、頭が真っ白なまま、次の日を迎えた。
次の朝には、ドキンちゃんはすでに、ばいきんまんが建てた森の小屋の方に向かったらしく、パン工場にはいなかった。
ぼくも一日の内に落ち着いていて、メロンパンナちゃんが呼びに来ても、普通に振る舞えたと思う。
あまりにも落ち着きすぎていて、まるでなにもなかったかのようだった。
けれど、ぼくは助けを呼ぶ声が聞こえなくなっていた。
やっぱりぼくは、もうヒーローではなくなったのだろう。
あの瞬間に、彼を助けることを諦めたぼくが、人を助けようとするなんて、おかしい。
ぼくはもう、誰かを助けることはできない。
生きている理由さえ、ぼくは失ってしまった。
「アンパンマ~ン」
自分の部屋でそんなことを考えているとき、扉の外からぼくを呼ぶ声がした。
聞きなれた声はいつものように不思議な声色で、ぼくの名前を繰り返す。
「アンパンマン、いないんですか?ホラ~」
「待って、今開けるから」
扉を開いてみると、そこにはやっぱりホラーマンが立っていた。
彼はいつも通りの様子で、驚いたような顔をする。
「アンパンマン、ずっと起きてたんですか?」
「ああ、うん」
「でも助かりましたよ。こんな朝早くに来たかいがあったんですね~」
そう言われて、今がまだ夜と朝の中間だったことに気がつき、ぼくは今さら驚いた。
「どうしたの?なにか困ったことがあった?」
「困ったことがあったのはアンパンマンの方でしょうに。
大変でしたね、ばいきんまんのこと」
ぼくは言葉につまって、なにも答えられなかった。
けれどおかまないなしに、ホラーマンは話を続けた。
「アンパンマン、もしやり直せるとしたらどうします?」
「えっ?」
「全部チャラに出来る方法、もしかしたら私、知ってるかもしれないんですねホラ~」
「それって……どういうこと?」
ぼくは身を乗り出して、ホラーマンの話に耳をかたむけた。
そんなぼくをひょいとよけて、ホラーマンは部屋の中の木の椅子に座り込む。
「まぁ、立ち話もなんですし、アンパンマンも座ってくださいよ。
アンパンマンには見せたいものがあるんですホラー」
「う、うん」
ぼくは扉を閉めて、ベッドに座った。
ホラーマンは、座ったまま器用に椅子の角度を変えて、ぼくの方を見る。
「それで、これがアンパンマンに見せたいものなんですね~」
「……赤い石だね」
ホラーマンがどこからか取り出した石は、透明感がある赤い石だった。
赤というより紅といった方が近いかもしれない。
「この石がどうかしたの?」
「これはただの石じゃありません。
とってもホラーな石なんですホラー」
「ホラーな石?」
「はじまりの石というんですけどね。
これはこの世界が初めて出来た時から存在する石のかけらで、世界に異変が起きてると、赤く光るんですね~」
「そうなんだ……」
「あんまりよく分かってらっしゃらない?
私が言ってる異変というのは、ばいきんまんのことですよ?」
ホラーマンはひょうひょうとした様子で、ぼくに語る。
「最近どーもばいきんまんの様子がおかしくてですね~。
なんか妙にごっついメカなんか作っちゃって、没頭してるもんですから、あー変だなーと思ったんですよ。
それでこの石のことを思い出して、ちょっと確認しに行ったら、赤くなっちゃっててビックリしたんですね~。
しかもその間にバイキン城は無くなってるし、ドキンちゃんは塞ぎ混んでるでしょ?
あらまぁ、大変なことが起きてると思ったんですね」
「ずっとばいきんまんの様子がおかしかったの?」
「そうです、そうそう」
「でも、ぼくは分からなかった。ばいきんまんが普段と違っていたなんて……」
「はーい、反省タイムはあとでとりましょ。
アンパンマンには結論から話した方が良さそうですね~」
ホラーマンはやれやれといった感じで、ぼくの方を見て、はっきりと言った。
「いいですか?
もしかするとですよ、ばいきんまんを生き返らせることが出来るかもしれないんですね~」
ぼくは呼吸が止まりそうになるほど驚いた。
そして気がつくとホラーマンの腕を掴んで、彼を揺らしていた。
「ホラーマンは方法を知ってるの!?」
「あんまり大きな声を出さないで欲しいですね~。これはジャムおじさん達にも秘密なんですから」
「どうして?」
「ジャムおじさんは絶対に反対するからですね。これは、この世界の理に関わることなんですホラー」
「ことわり……?」
そういえば、アンパンマン号の中でも、ジャムおじさんがそんなことを言っていた。
ぼくは落ち着くように言われて、そっとホラーマンから手を離した。
ホラーマンは普段は見せないような真剣な顔で、ぼくに話し始める。
「いいですか?アンパンマン。この世界には決まりごとがあるんです。
ひとつは、人を生き返らせてはいけないということ。
それはわかりますね?」
「うん……というより、生き返らせる方法がないよね」
「そう思うでしょ?でも、今は続きを聞いて欲しいんですね~」
ホラーマンは人差し指と中指を立てて、ぼくの方に向けた。
「世界の理は二つあるんですね。もうひとつは誰も死んではいけないということ。
これはアンパンマンも知らないでしょ?」
「誰も死んではいけない?」
「ええ、そう決まっているんですね~。例外を除いてはですけどね」
「ねぇ、ホラーマン。君はどうしてそんなことを知ってるの?」
「それは、私がその例外だからですよ」
ホラーマンはなんでもないことのように、ぼくに言った。
「私、実は一回死んでるんですね~。怖いですね~ホラーですね~」
驚くぼくに、ホラーマンは懐かしむように笑った。
「生きていた頃の私と言えば、それはもうとてつもなくイケメンで、お城暮らしの王子さまでした。
かわいらしいお姫様との暮らしも、今では遠い日のことですよ」
「ホラーマンは王子さまだったの?」
「ええ。でも、お姫様を守るために死んでしまったんです。悲しいですね~」
「そうだったんだ……」
「けど、その時に神様に会ったんです。
神様は世界の決まりを教えてくれて、私をよみがえらせてくれたんですね~。
ちょっと、時間が経ってたもんで、骨だけになっちゃいましたけど」
ぼくはずっと驚きっぱなしで、ホラーマンの言っていることが本当かどうかも判断がつかなかった。
けれど、ぼくはホラーマンに尋ねた。
「じゃあ、ばいきんまんも生き返るってこと?」
「いやー、そこが問題なんですねぇ」
ホラーマンは少し言いづらそうに言った。
「私、甦ったとこまでは良かったんですけど、気がついた場所は私のいた世界じゃなくなってたんですよ」
「じゃあ、ホラーマンは他の世界の王子さまだったってこと?」
「そうです!その通り!どうやら、生き返らせてはいけないっていう理が邪魔しちゃったみたいなんですね~」
「それは辛いよね……」
ぼくがうつむくと、ホラーマンは気にしていないような声で笑った。
「いえいえ、今はドキンちゃんもいるし、私はハッピーなんですね。
ばいきんまんとの暮らしも楽しいし、過去のことは所詮、過去のことですホラー」
「そうなんだ。それなら良かった」
「でも、そのばいきんまんがこの世界に戻ってこれなくなるのは悲しくないですか?」
ぼくはドキッとして、胸が締め付けられるように痛んだ。
ばいきんまんと二度と会えないなんて、そんなことはどうしても考えられない。
「どうすれば、ばいきんまんをこの世界に甦らせられるの?」
「それはとても難しいですが、方法は分かってるんですね。
この世界の理を正しく戻せばいいんですホラー」
ホラーマンは人差し指を立てて、ぼくに笑った。
「この世界の決まりは、おんなじ神様が管理してるんで、きっと私がいた世界と同じはずですね。
けれど、ばいきんまんは死んでしまいました。
それはなにかの理由で、理が歪んでしまっているからなんです」
「どうすれば、元に戻せるの?」
「この世界の決まりごとは、この世界のどこかにある、理の本に記されているんですね~。
だから、それを見つけ出さないといけません。
見つければ、なにか分かるんじゃないかと思いますホラー」
けれど、それは過酷な旅だとホラーマンは言った。
「理の本は、この世界を司っている本ですから、簡単には手に入りません。
それでも探しに行きますか?」
ぼくはばいきんまんの顔を思い出し、迷わず頷いた。
「ぼく、行くよ。本を探しに」
「アンパンマンならそう言ってくれると思ってましたよ!
なら、早速行きましょ。みんなが起きる前に」
「……うん!」
ぼくはワラにもすがる思いで、ホラーマンと共に立ち上がった。
ばいきんまんがいない世界は寂しく苦しく、深い闇の中にいるように感じてしまう。
ずっと毎日のように顔をあわせていたのに、ぼくの日常は欠けてしまった。
イタズラには困ってしまうけど、絶対にぼくたちの世界に彼は必要だ。
そう決意したのに、ぼくたちの前には壁が立ち塞がった。
ジャムおじさんという大きな壁が、ぼくたちを待ち構えていた。
ホラーマンと一緒に部屋を出ようとした時、突然、ぼくの部屋の扉がノックされた。
こんな朝に人がやってくることはまず無くて、ホラーマンだけでも驚いていたのに、ぼくはますます驚いてしまう。
扉を開けたぼくは、扉を叩いた人物を見て、さらに緊張した。
廊下に立っていたのは、ジャムおじさんだった。
「アンパンマン、今の話は聞かせてもらったよ」
ジャムおじさんの優しげな声は、真剣な響きを含んでいる。
ぼくは思わず身構えた。
「ジャムおじさん、ぼくたち、ばいきんまんを生き返らせたいんです」
「分かっているよ。本当は私も反対なんてしたくはないんだけれどね。
だけど、その旅は許してあげられないんだよ」
「あー、でもですね~。ちょっと話を聞いてほしいんですが」
「申し訳ないけど、アンパンマンと話をさせてくれないかな」
聞いたことがないジャムおじさんの言葉に、ホラーマンも黙りこんでしまった。
ジャムおじさんは真っ直ぐぼくの目を見つめて言った。
「人の生き死にを、自分の思い通りにしようなんて、思ってはいけない。
それが出来るのは神様だけなんだよ。
よく考えてごらん。自分が本当にそんなことを望んでいるのか。
私たちに出来るのは死を悼み、それを乗り越えて、成長することではないのかと、私は思うよ」
ぼくはなにも言い返せなかった。
ジャムおじさんの言うことはいつも正しいし、ぼくでは想像もつかないほど、色々なことを知っている。
だから、ぼくは今までジャムおじさんに言い返そうなんて、思ったこともなかった。
そもそも、説得されたり怒られたことすらなかったから、ぼくはなんだか息苦しくて、今すぐに謝りたくなった。
なのに、一歩後ろから、不思議な調子の声が響く。
「思ってはいけないなんて、お堅いですね~」
ぼくは驚いてホラーマンの方を振り返った。
ホラーマンはいつものひょうひょうとした様子で、ジャムおじさんのことを見ている。
ぼくにはそれが信じられなかった。
「思い通りにしたいことなんて、この世にゴマンとあるでしょ?
私はドキンちゃんとハッピーラブラブしたいですし、アンパンマンはみんなを助けたい。
ジャムおじさんも美味しいパンを作って、みんなを笑顔にしたいんじゃないんですかね~」
「それとこれとは話が違うんだ」
「どう違うんです?」
ホラーマンは心の底から不思議そうに、ジャムおじさんに言った。
「もし、ドキンちゃんがしょくぱんまんとハッピーラブラブになったら、私はものすごく悲しいですね~。
とってもくらーいいじわるなホラーマンになってしまうかもしれませんよ。
アンパンマンも、もしみんなを助けられなくなったら、とっても辛いでしょ?
生きてる理由が分からなくなってしまったりするかもしれませんね~ホラー」
ぼくはぎゅっとこぶしを握った。
うつむくぼくを見て、ジャムおじさんは少しだけ戸惑っている。
ホラーマンはそれでも追及をやめなかった。
「それに、ジャムおじさんにも気持ちは分かるはずです。
もし、ある日突然パンを作れなくなってしまったら、とっても辛いはずですね~」
「パンを作れなくなったとしても、他のことをすればいいんじゃないかな。
どんな状況になっても、なにもできない人なんて存在しないはずだよ」
「なら、アンパンマンが死んでしまったとしたらどうなんでしょ。
代わりになるもので、心の穴を塞ぐことができますか?
生き返らせることを全く望まないと、言い切れるんですか?」
ジャムおじさんは困った顔をして、ぼくの顔を見た。
こんな表情を見るのは、初めてかもしれない。
「私は……」
そう言いかけて、ジャムおじさんは黙ってしまった。
どう声をかけたらいいか迷うぼくを、ホラーマンの肘がつつく。
ぼくは、やっと答えを決めた。
「ジャムおじさん。ぼくは絶対、ジャムおじさんの方が正しいと思います」
ジャムおじさんは驚いた表情でぼくを見た。
そんなジャムおじさんに、ぼくははっきりと告げた。
「それでもぼくは、もう一度ばいきんまんと会いたいんです。
いけないことかもしれないけど、変える方法があるなら、ぼくは運命を変えたい。
ジャムおじさんが、悲しんでもぼくは……ばいきんまんを生き返らせに行きます」
ジャムおじさんはすでに悲しそうな目でぼくを見た。
そんな目で見られると、胸が苦しくなってしまう。
ぼくは決意が揺らぎそうになるのを、繋ぎ止めようと頑張った。
「アンパンマン。理の本は、この世界にとって、一番重要な本なんだよ。
扱い方を少しでも間違えば、この世界は消えてしまう。
それでも、行くのかい?」
ぐらぐらと崩れていきそうな足場になんとか踏ん張って、ぼくは答えた。
「はい」
ジャムおじさんは、そうかい、と一言だけ言って、もうぼくたちを止めなかった。
そして、そのまま部屋を去っていこうとした。
ぼくは思わず、その後ろ姿を引き留めてしまう。
「ジャムおじさん」
するとジャムおじさんは落ち着きのある声で言った。
「ここからずっと北に飛んでみてごらん。
きっとなにかが見つかると思うよ」
そのままジャムおじさんは部屋を出ていって、自分の部屋に戻ったようだった。
静まり返ったぼくの部屋は、急にホラーマンの声で騒がしくなる。
「いやー、えらいっ。アンパンマンもやるときはやるんですね~すごいですね~。
ジャムおじさんも情報を教えてくれたし、ホントもう上出来ですホラー 」
「う、うん。ありがとう」
「では!早速北に向かって飛びましょ。善は急げですね~。
準備はオッケーですか?」
「……うん!」
ぼくたちは部屋から出て、一階への階段を下った。
すると、工房のテーブルには、いつの間にかぼくの顔が置かれていた。
パンがいっぱい詰まったバスケットも置かれている。
ぼくは胸が少しだけ痛くなって、胸をおさえながら呟いた。
「ありがとう、ジャムおじさん」
ぼくは顔を新しい顔に変えて、ホラーマンはバスケットを肩にかけて、外へと踏み出した。
外はすでに太陽がのぼり初め、まばゆい朝日が辺りを照らしている。
「行こう。理の本を探しに」
「はーい、わくわくしますね~!」
ぼくは背中にホラーマンを乗せて、空へ飛び立った。
しばらくここへは帰れないかもしれない。
なにも言わずに出てきたので、バタコさんやチーズやメロンパンナちゃんも悲しむかもしれない。
それでもぼくは行くと決めた。
その旅がどんなに辛いものとなろうとも……ぼくはもう振り返らなかった。
ジャムおじさんに教えてもらった通り、北に飛んで二時間ぐらいが経ったころ、代わり映えのしない景色にホラーマンが愚痴をこぼした。
「いや~、見事に海ばっかり。
本当に手がかりなんてあるんですかねぇ?」
「きっとジャムおじさんは嘘はついてないと思うけど……」
「でも、島もなーんにもないですよ」
確かにホラーマンの言うとおり、行く手に広がるのは海ばかりで、なにも見えてこなかった。
ジャムおじさんが言ったなにかと言うのは、海に沈んでいるんだろうか?
ガラス製のヘルメットも持ってくれば良かったと少しだけ悔やんだ。
「アンパンマン、なんか変なこと考えてません?」
「えっ?」
「海の底になにかが沈んでるんなら、ジャムおじさんがヘルメットも用意してくれたはずでしょ。
まさかそんないじわるはしないんじゃないんですかね~」
なぜか見抜かれてしまっていたので、ぼくは苦笑いをした。
確かに顔やパンを用意してくれたのに、ヘルメットだけ隠してしまうのはおかしい。
でも、それなら一体、手がかりはどこにあるんだろう。
見逃さないように水面を見て飛んでいたぼくに、ホラーマンが声をかけた。
「アンパンマン、前見てください!」
「えっ?」
ふっと顔をあげると、海に浮かぶ影が蜃気楼のように揺れていた。
最初はなにかの幻かと思ったけど、近づくにつれて、それは小さな島だと分かった。
ホラーマンは嬉しそうにしている。
「やっと到着なんですね~。きっとここに手がかりがあるんですね!」
「うん!」
ぼくは島にさらに近づいていき、ゆっくりと島の上を飛んだ。
空から見た島は、大半が森で覆われているようだけど、なにか様子がおかしい。
少しだけ警戒しながら、ぼくたちは木の隙間から島に着陸した。
ホラーマンを腕で支えて、背中からゆっくりおろす。
「あらまぁ、なんだかおかしなところですね~」
「うん……」
ぼくは空を覆う紫色の木の葉を見つめた。
木の幹もぐねぐねとうねって、普通の育ちかたをしているようには見えない。
地面に生える草まで紫色で、薄暗い森の中をこうもりが羽ばたいているようだった。
「不気味なところって、なんで落ち着くんでしょ。
こんなところでドキンちゃんとデート出来たら最高ですね~ホラー」
「そ、そう?」
ぼくはホラーマンの言っていることがちょっと分からなかったけど、深くはたずねなかった。
そして、ぼくたちは森の奥へと歩き出す。
茂みがガサガサと動くたびに少し驚いたけど、悪さをする動物はいなかった。
ほっとため息をつくぼくを見て、ホラーマンはからかうように笑う。
「あら?アンパンマンって、こういうところは怖かったりします?」
「うーん、ちょっと苦手かな……」
「だらしがないですね~。私はぜんぜん怖くないですよ?
おばけも怪物もみーんな友達ですから」
「そうなんだ。ホラーマンはすごいね」
「ええ、だから、もっとわたくしを頼ってもらってもいいんですよ」
ホラーマンはちょっとだけ誇らしげに言った。
けれど、前の方から足音が聞こえてくるのを聞いて、少し表情を変えた。
足音の主は二人のようだけど、会話する様子もなく、ぼくたちへと早足で迫る。
光がほとんど届かない森の奥はよく見えなくて、どんな人が近づいてくるのか分からなかった。
胸をはっていたホラーマンはぼくの後ろに隠れてしまい、ぼくたちは身構えて、音のする方を見つめていた。
「あ、アンパンマン、逃げないんですか?」
「えっと、どうしようか」
「わたしはアンパンマンだけが頼りなんですから、はやく決めてもらわないと!」
さっきと言っていることが変わっていて、ぼくは少し笑った。
それに、ホラーマンは慌てているけど、そんなに心配することはないんじゃないかと思う。
だって、聞こえてくる足音は、ぼくがよく知っている二人のものにそっくりだったから。
「あれ、アンパンマン?」
ついに姿が見えるくらいになった時、人影がぼくに声をかけた。
ホラーマンは怯えてぼくの背中にしがみついていたけど、その声を聞いてひょっこり顔を出す。
ぼくたちの前に現れたのは、カレーパンマンとしょくぱんまんだった。
しょくぱんまんが驚いたように、ぼくに声をかける。
「なにしてるんですか?こんなところで」
「あ、後ろにいるのホラーマンじゃねぇか!」
「なんですかもう、驚かさないで欲しいですね~」
「驚いたのは俺たちの方だぜ。一体なにしに来たんだよ?」
「あのね、ぼくたちジャムおじさんに教えてもらってここにきたんだけど」
「……ジャムおじさんに?」
二人は怪訝そうな顔をして、ホラーマンの方を見た。
「まぁ、アンパンマンはともかく、なんでお前までいるんだよ」
「なんてひどい。私だってちゃんとした理由があってここにいるんですね~」
「理由とはなんなんですか?」
しょくぱんまんがホラーマンではなく、ぼくの方を見て問いかけるので、ホラーマンはちょっといじけているみたいだ。
「ホラーマンは、ぼくのためについてきてくれているんだよ」
「アンパンマンのためにか?」
「そうなんですね~。わたくしピンチを救うヒーローなんですね~」
「この島に来なければいけないようなことが、なにかあったのですか?」
パン工場を離れている二人は、ばいきんまんに起こったことをまだ知らない。
ぼくは、あの日のことを簡単に説明した。
深く説明する勇気はまだなかった。
「まさかばいきんまんが……大変でしたね」
「まぁ……元気出せよ」
二人は落ち込むぼくを励ましてくれた。
一気にどんよりとする空気に、ホラーマンが割ってはいる。
「でもですね!この状況を変えられる方法を、私は知ってるんですホラー!」
「はぁ?どういうことだよ?」
「それは、かくかくしかじか」
手短に説明するホラーマンを、さっきよりもうさんくさそうに、二人は見ている。
「理の本~?そんな話聞いたこともねぇぞ」
「私も聞いた覚えはありませんね。なにか勘違いしてるんじゃないですか?」
「でも、ホラーマンが王子さまのころ、死んじゃったときに神様に聞いたんだって」
「アンパンマン……それ、本当に信じてるわけじゃありませんよね」
「で、でも、ジャムおじさんも本のこと知ってて、この島に手がかりがあるって教えてくれたんだよ」
ジャムおじさんと言った瞬間に二人は表情を変えて納得したようだった。
やっぱりジャムおじさんはすごいな、なんて思ってるぼくの横でホラーマンがプンプンしている。
「ジャムおじさんが言ったんなら本当なんだろうな」
「ええ、きっとそうですね」
「ホラー!この差は一体なんなんですかね!
わたくしそんなに信用されてないんですか?」
「まぁ、ほとんど信じられるところはねぇな」
「ホラー……」
「ホラーマン、ぼくは君のこと信じてるよ?」
「うっうっ、アンパンマンだけなんですね~。アンパンマンこそヒーローの鑑ですホラー」
「はいはい、いいからお前らもこっちに来いよ。手がかりを探してるんだろ?」
「二人はなにか知ってるの?」
「さぁ……どうなんでしょうね。でも、手がかりがあるとするなら、この先の学校にあると思いますよ」
そういえば二人は学校に給食を届けに行ったんだっけ、といまさら思い出した。
さっきの仕返しをするように、ホラーマンがいぶかしげに二人にたずねる。
「ホントにこんなところの先に、学校なんてあるんですかね~。怪しいですね~」
「ならお前はここに残ればいいだろ」
「そうですね。危ない動物もいないですし大丈夫でしょう」
「……もしかしてお二人ともわたくしのこと、お嫌い?」
ホラーマンのしょげる声を聞いて、カレーパンマンは困ったように笑いながら言った。
「好きとか嫌いとか、そういうことじゃねぇよ。
ただ、この島のことはあんまり知られたくねぇなって」
「ええ、アンパンマンにもずっと秘密にしてきましたからね」
「ぼくにも秘密に……?」
「ああ……まぁ、ちょっとばかしいわくつきな場所なんだ。
とにかく、俺たちについてこいよ」
カレーパンマンはそうぼくたちに促すと、しょくぱんまんと共に先頭を歩き出した。
ぼくはホラーマンと並んで、森の奥の方へと進んでいく。
あるところまで歩くと、枝のあちこちにランタンが吊るされるようになって、足元が見えるようになった。
さらにもうしばらく進むと、大きな広場に出た。
地面はレンガで覆われて、オレンジ色に光るランタンが乗った街灯が立ち、石の柱のような物が辺りに立てられていた。
空は相変わらず木の枝や葉っぱに覆われているので、明かりは街灯に頼っているようだ。
ぼくは石の柱について、二人にたずねた。
「ああ。あれは電柱って言うらしいぜ。あのコードを電気が通っていて、建物に送っているらしいんだ」
「そうなんだ。ぼく初めてみたよ」
「私達もここで初めて聞いたんですよ。他の場所では見たことがありませんね」
カレーパンマンとしょくぱんまんは説明しながら、さらに広場の先へと進んだ。
するとレンガでできた大きな建物の姿が、だんだんと見えてくるようになった。
「あそこが学校なんですかね?」
「ええ。子供たちも中にいますよ」
「本当にこんなところに子供がいるんだ……」
「そうだな……あんまりいい場所じゃあねぇな」
カレーパンマンとしょくぱんまんは、困ったように笑った。
「俺たちも最初は驚いたよな。ジャムおじさんに食ってかかったっけ」
「そうですね。こんなところに子供達を住まわせてるなんて、酷すぎると訴えましたよね」
「でも……あの子たちには、ここしか居場所がねぇからな」
それってどういうこと?とたずねる前に、突然ぼくは誰かに後ろからしがみつかれた。
腕の細さや、背の高さからいって、子供が抱きついてきたんだろうと、すぐに理解する。
こどもは嬉しそうな声で、ぼくに言った。
「お兄ちゃん、カレーパンマンとしょくぱんまんの仲間の、アンパンマンでしょ!」
ぼくは驚いて、こどもの方を見下ろした。
ぼくに抱きついているのは、人の姿をした男の子で、全身で喜んでいるのが伝わってくる。
「どうしてぼくがアンパンマンだって分かったの?」
「ぼく、カレーパンマンとしょくぱんまんから、いっぱい話を聞いたんだよ!
メロンパンナちゃんのことも、クリームパンダのことも、チーズのことも知ってるよ!」
男の子は得意気に笑って、ぼくから離れると、校舎の方へ走っていった。
隣から、私は無視なんですね~、と小さく聞こえたけど、ぼくたちはそれどころではなかった。
男の子が校舎に入ってすぐ、他の子達も呼ばれたようで、10人ぐらいのこどもたちが、ぼくたちの方へ走ってきていた。
みんな、輝くような笑顔だ。
「わー!本物のアンパンマンだ!」
「カレーパンマン!わたしアンパンマンと遊びたい!」
「しょくぱんまんも一緒に遊ぼ!」
「隣の骨みたいな人は誰?」
「ぼくお腹が空いたよー!」
こどもたちは、ぼくたちを囲んで大きな声ではしゃぎだした。
みんな見たこともないような服を着ていたし、こんな森の奥に住んでるけど、とても元気がよくて、街のこどもたちと少しも変わらなかった。
ぼくの隣で、興味をもってもらえたホラーマンも、満足そうにしている。
ぼくたちはそでやマントを引っ張られながら、呼ばれるがままに校舎の中へと向かった。
しょくぱんまんはこんな状況に慣れているらしく、こどもたちを落ち着かせて、校舎の奥へと歩いていった。
校舎の中は、写真やトロフィーが飾られていたり、赤い魚が大きな水槽を泳いでいたり、街の校舎とは全然違っていた。
「ねぇ、しょくぱんまんはどこに行ったの?」
「あいつなら、給食の準備に行ったんだよ。もうすぐお昼だからな」
カレーパンマンが指をさした方向には、時計のようなものがあった。
しかし、数字も針の形もめちゃくちゃで、正しい時を刻んでるようには見えない。
「あの時計って壊れてるんじゃないかな?」
「んー、まー、そうだな……。
ま、そんなことより、せっかく来たんだから遊ぼうぜ!
アンパンマンが遊んでくれたらみんな喜ぶぞ~」
こどもたちは、ぼくの方をキラキラとした瞳で見つめた。
断ろうと思うはずもなく、ぼくは頷いた。
その瞬間、こどもたちから歓声があがる。
「やったー!ねぇねぇ、なにして遊ぶ?」
「ぼく鬼ごっこがいい!」
「わたしはおままごとがいい~!」
「アンパンマンも空を飛べるの?」
「ぼくアンパンマンと飛んでみたい!」
「ちょっとちょっと待ってくださいよ~。わたくしと遊びたいお子さまはいないんですかホラー?」
「えー、骨みたいな人空飛べるのー?」
「わたしの名前はホラーマンです!空は飛べないけど、わたしだってすごいんですよ~。
いいですか?見ててくださいよ」
ホラーマンはどこからか、二本の骨を取り出して、紐で十字に縛ってみせた。
そして、それを勢いよく投げると、回転がかかった骨は、校舎の中を回って、ホラーマンの手元に戻ってくる。
それをパシっとキャッチして見せると、こどもたちは目を輝かせて、一斉に叫んだ。
「すごーい!!」
「そうでしょ、そうでしょ?これは骨ブーメランっていうんですよ!」
ホラーマンは誇らしげに胸を張り、一気にこどもたちの人気者になった。
「ぼくもそれ欲しい!」
「残念だけど、あげるわけにはいきません。これは大事なホラーマンの骨ですからね~ホラー」
「ケチ~!ずるーい!」
「ずるいっていうのはおかしいでしょうに。
でも、作り方は教えてあげますから、みんなで枝を拾いに行きましょ」
「やだ!骨がいい!」
「まぁまぁ、そうするとホラーマンがバラバラになっちゃうだろ?
そうしたらホラーマンは動けなくなっちまうんだから、勘弁してやろうぜ」
「えぇー」
頬を膨らませるこどもたちに、カレーパンマンとホラーマンは笑顔で言った。
「じゃあ、最初に枝を見つけた子には、特別にスペシャル枝ブーメランの作り方を教えてあげますホラー!」
「お!それは俺も欲しい~!俺が一番乗りだ!」
「あ、待って!ぼくが作る!」
「わたしも欲しい!」
「ぼくも!」
二人の声に誘導されるように、こどもたちは校庭へと駆け出していった。
ついに取り残されてしまったぼくは、廊下にぽつんと立っていた。
あの二人はものすごく、すごい。
「あれ?みんなはどうしたんですか?」
気がつくと廊下の向こうからしょくぱんまんが歩いてきていて、彼は不思議そうにぼくに声をかけた。
しょくぱんまんは大きな金属製の箱を手に持っていて、箱の中には出来立てのカレーが小さな器によそわれている。
「みんなは枝を拾いに行ったよ。枝ブーメランを作るんだって」
すると、しょくぱんまんはあきれたようにため息をついた。
「全く、もう給食は盛り付けるだけだって言っておいたのに、なにを考えてるんですかね、カレーパンマンは。
アンパンマン、悪いけどみんなを呼びに言ってください」
「うん、分かった」
ぼくは校庭の方へ走っていき、こどもたちに声をかけた。
「みんなー!給食が出来たみたいだよー!」
けれど、こどもたちはブーメランに夢中で、なかなか校舎に戻ろうとしなかった。
それどころか、ぼくの方が逆に誘われてしまう。
「ねぇねぇ、わたしが作ったブーメラン投げてみて!
すごいんだよ!」
「う、うん。分かった」
受け取ったブーメランを投げてみると、ブーメランはふらふらとよろめくように飛んで、落っこちそうになるギリギリでぼくの手元に戻ってきた。
その様子がとてもおかしかったからしく、女の子は楽しそうに笑っている。
「ね!すごく変でしょ?もっかいやって!」
「うん」
言われるがままに投げると、ブーメランはまたよろよろと飛んで、コツンと木の幹に当たり落っこちてしまった。
女の子はとても面白かったようで、また楽しそうに笑った。
「おっかしー!変なのー!」
「うん……楽しいね!」
ぼくは女の子と一緒にブーメランを拾いに行って、なんども投げた。
そうしていると、他の子達も寄ってきて、ブーメランをとっかえっこして欲しいと言われたりもした。
ぼくはみんなとブーメランを投げて、二個同時にキャッチしたり、ブーメランと一緒に飛んだり、気がつくといっぱい遊んで、たくさん笑っていた。
そんなぼくの背後に、突然影が忍び寄る。
「アンパンマン、なにしてるんです?」
「しょ、しょくぱんまん……」
しょくぱんまんはエプロン姿で、おたまを持ったままぼくに迫った。
「給食だから呼びに行ってって言ったじゃないですか……。
私ずっと待ってたんですよ!カレー冷めちゃうじゃないですか!」
ぼくは思わず後ずさりして、しょくぱんまんからちょっとずつ離れた。
そんなぼくの腕をとり、カレーパンマンがにやりと笑う。
「逃げるぞ!アンパンマン!」
カレーパンマンはぼくの腕を掴んだまま走り出した。
すると、こどもたちは一斉に顔を輝かせて、ぼくたちとおなじように、しょくぱんまんから逃げた。
おたまを振り上げながら追いかけてくるしょくぱんまんを、ホラーマンに抱えられて逃げてる子も、大笑いして見ている。
「待ちなさい!罰として、みんな残らず足をこちょこちょしますからね!」
「きゃー!」
「やべぇ!こっちくんな!」
「ホラー!こっちにも来ないで欲しいですねー!」
ぼくたちはしばらく追いかけっこを続けていた。
刻一刻と残りの時間はなくなっていくのに、そんなことにも気がつかずに、ぼくはずっと笑っていた。
こどもたちにも、ぼくたちと同じように明日が来るものだと、疑いもせず当たり前のように信じていた。
しょくぱんまんもぼくたちも走り疲れて、鬼ごっこが終わり、こどもたちは校舎の中の教室へと集まった。
机と椅子は街の学校とおなじように人数分あって、その上にはすでに給食が並べてある。
こどもたちはカレーに目を輝かせて、嬉しそうに食べ始めた。
「いっただきまーす!」
「おかわりもいっぱいあるからな。腹一杯食えよ!」
「おいしー!」
「食パンもおいしいね!」
「そうでしょう。食パンもおかわりできますよ!」
「やったー!」
「でもちょーっと冷めてますね~。わたくし、もっと温かいカレーをいただきたいんですが」
「……お前の分はなくてもいいんだぜ」
「ホラー!あのカレーのお兄ちゃん、酷いと思いません?」
「今のはホラーマンが悪いよー。ね!アンパンマン!」
「うん、ちゃんと謝った方がいいよ?」
「えぇー、そんな~」
すっかりこどもたちと打ち解けたぼくたちは、笑いながら話していた。
そんな中、しょくぱんまんがこどもたちに気がつかれないよう、カレーパンマンにそっと目配せをした。
「みんな、私たちちょっとだけ席を外しますね」
「えっ……帰っちゃうの?」
「ちげーよ。少しアンパンマンと話をするだけだから、ちゃんと給食食べて待ってろよ」
「ホラーマンは、こどもたちとお話しててあげてください」
「私は仲間外れなんですね~。ま、でも、こっちの方が楽しそうだから、いいでしょ」
寂しそうな顔をするこどもたちを置いて、ぼくたちは校舎の職員室へと向かった。
職員室の中は木の机や椅子が整理されて置いてあり、奥には立派な紫色の旗もかけられていた。
どれも、街の学校とは全然違う。
「ここは不思議なところだね」
「ああ、一見めちゃくちゃな場所だけど、こどもたちの居場所にはなってるな」
「居場所かぁ……。この島にはたぶん、こどもたちしかいないんだよね?
お父さんとお母さんはどこへ行ったの?」
「それは、話すと長くなりますね」
そう言って、しょくぱんまんはぼくに椅子を勧めてくれた。
ぼくたちは三人同時に座り込む。
そして、カレーパンマンが最初に話し出した。
「実はな、ここの子たちの親はいないんだ」
「それって、どういうこと?」
「きっと大昔にはいたんだと思うぜ。きっとこの世界ができるずっと前には、いたんだと思う」
「ずっと前に……」
「おそらく何百年も前のことでしょう。
あの子たちは、病気にかかっていたので、この島に来ることになったんです」
ぼくは恐ろしい考えが浮かんでしまい、そのまま二人にたずねた。
「もしかして……あの子たちは捨てられたの?」
「どうなんだろうな。俺たちには分からない」
いまいち理解していないぼくのために、カレーパンマンはさらに説明してくれた。
その声は、どこか切なそうだった。
「あの子たちをこの島に送ったのは、あの子たちを助けるためだったんだ。
この島は、前の世界の住人がやったのか、時間の進み方がめちゃくちゃでな。
あの子たちが全員眠ると、この島の時間だけ前の日に戻るんだよ」
「時間が……戻る?」
「ああ、だから1日たちゃあ、俺たちのことなんか、なーんにも覚えてねぇんだ。
そのことにあの子達が気づいてるかは分からねぇけどな」
「私たちは別の世界の住人なので、時間の影響は受けません。
ですが、毎日自己紹介をして、毎日親と離れたこどもたちを慰めるのは、なかなか大変でしたよ」
「そうだったんだ……」
「あの子達がかかった病は進行性で、太陽の下では一日も生きられない体になっちまっていた。
だから、日も差さないこんな島に、こどもたちを送ることにしたんだと思う。
一日でも長く生きて欲しくて、時間もめちゃくちゃにしたんじゃないかと、俺は思いたいよ」
「でも、あの子たちはもう、お父さんとお母さんには会えないんだよね?
それは……」
「アンパンマン」
しょくぱんまんが叱るように、ぼくの言葉を遮った。
「こどもたちは、こんな場所でも精一杯生きているんです。
私たちに出来ることは、あの子たちを笑わせてあげることだけですよ」
「うん……」
ぼくはジャムおじさんに説得されている時と、同じような気分になった。
きっとしょくぱんまんも、ジャムおじさんにそう言われて納得したのかもしれない。
落ち込むぼくを、カレーパンマンは明るい声で慰めてくれた。
「しょくぱんまんの言うとおり、俺たちの出来ることはあの子たちを笑わせることだけなんだ。
俺たちがいる間ぐらい、幸せな毎日を送らせてやりたいだろ?
だから、アンパンマンも協力してくれよな!」
「うん、分かった」
カレーパンマンもしょくぱんまんも、この島から帰る時がくる。
ぼくとホラーマンも、ばいきんまんを生き返らせる手がかりを探さなくちゃならない。
いずれ、この島はこどもたちだけになってしまうから、ぼくは笑おうと決めた。
そして、二人の言うとおり、こどもたちを笑わせようと決めた。
「ぼく、がんばるよ」
「そう言ってくれてよかったぜ。
でも、頑張るのは明日からだな」
「えっ?どうして?」
「もう、夜になってしまったからですよ」
その時、壁の上の方取り付けられたスピーカーから、鐘の音が響いた。
どうやらこれが夜を告げる合図だったようで、二人は憂鬱そうに目を開く。
「本当に時間の流れがめちゃくちゃですからね……。
もうあの子たちを寝かせなければいけません」
それはこどもたちから、今日の記憶を消すということだ。
でも、どうすることもできないぼくたちは、職員室を出て廊下を歩いた。
昼も夜も、森の中の校舎は日が差さないので、あまり変わったようには見えない。
しかし、窓の外を飛ぶこうもりの数は、少しだけ増えたようだった。
「おーい、みんなそろそろ寝ようぜ」
カレーパンマンはそう言いながら、こどもたちがいる教室の扉を開けた。
しかし、教室の中はすでに静まり返っていて、床に布団が敷き詰められている。
こどもたちも、ホラーマンまで、眠りについているようだった。
「こりゃ、たまけだぜ。みんなもう寝てんのか?」
「ホラーマンまで寝てるとは……この人は本当に自由な人ですね」
二人は呆れて、教室の扉を閉めた。
そして、二人で廊下を歩いて行ってしまう。
「ねぇ、二人はどうするの?」
「私たちも別の部屋で寝ますよ」
「こどもたちと一緒には寝ないの?」
「ええ……目を覚ましたあの子たちと会うには、ちょっと心構えがいるんです。
なんせ、全て忘れてしまっているわけですから……」
「最初は一緒に寝てたんだけどさ。起きた瞬間、ものすごく驚かれるから、なかなかな……」
「そうなんだ……」
「アンパンマンも私たちと寝ますか?」
しょくぱんまんの問いかけに、ぼくは首を横にふった。
「ううん、ぼくはあの子たちと寝るよ」
「そうか……じゃあ、おやすみ」
「おやすみなさい、アンパンマン」
「うん、おやすみ」
悲しげに去っていく二人の背中を見送って、ぼくは再び教室の扉の前に立った。
けれど、なかなか開ける決心がつかなくて、つい立ちつくしてしまう。
ぼくが知らない現実はあまりにも衝撃的で、辛いものだった。
それを、しょくぱんまんとカレーパンマンは、ぼくには隠していたと言った。
きっと、ぼくでは受け止めきれないから、みんなで隠していたのだろう。
もしかしたら、ぼくの知らないことはまだまだ沢山あるのかもしれない。
ぼくは、みんなを助けているつもりで、届いていない助けを呼ぶ声が、沢山あったのかもしれない。
「アンパンマン?」
「わっ!」
そんなことを考えている時、突然教室の扉が開いた。
そして、ホラーマンが顔を出して、ぼくをいぶかしげに見ている。
「そんなところでなにしてるんです?早く入って欲しいんですね~」
「あ、うん」
ぼくを教室に入れると、ホラーマンはキョロキョロと廊下を見回して、扉を閉めた。
中に入ったぼくは、こどもたちまで起きてるのを見て、驚いてしまう。
「みんな、寝てなかったの?」
「うん、寝たふりをしてたんだ」
こどもたちはみんな神妙な面持ちで、布団に座り込んでいた。
ホラーマンはぼくも布団の方に呼んで、座るように言った。
「アンパンマン。あなたはあの二人から、この子たちの話を聞いたんですね?」
「うん、そうだけど……」
「わたしは、この子たちから直接聞いたんですね。
この島とこの子たちの秘密を」
「みんな、時間が戻ってしまうこと分かってたの?」
「うん……夜に近づくと、だんだん今までのことを思い出すんだ。
これはきっと、森の奥にある理の石の力が弱まっているんだと思う」
「理の石?」
「うん。アンパンマン達の世界は、理を司るものは本の形をしているみたいだけど、ぼくたちの世界では石だったんだ」
こどもたちは大人びた声で、ぼくに話した。
「僕たちは理の石を守る守護者の家に産まれた。
けれど、あるとき守護者の家のこどもたちが、病気にかかって倒れ始めた。
今までそんなことはなかったのに、僕たちの代だけ、どんどん死んでいった。
きっと、僕たちの世界は終わりを迎えようとしていたんだと思う」
男の子たちも女の子たちも、みんな真剣な顔をしている。
彼らの話に疑う余地はなかった。
男の子の話に続けるように、女の子も話し出す。
「その時、私たちの親たちはやってはいけないことをしたの。
世界をなんとか守るために、私たちを病気が発症する前の幼い姿に戻し、私たちの時間を狂わせた。
そして、死んでしまわないように、この島に閉じ込めたわ。
でも、そこまでしても、世界が終わってしまうのを止められなかったようね」
女の子は悲しそうに笑ってぼくを見た。
きっと、前の世界にぼくたちのような人はいなかったのだろう。
ホラーマンも真剣な顔で、こどもたちの話を聞いている。
ぼくは、彼らについ聞いてしまった。
「君たちは、ぼくたちの世界に取り残されてしまったってこと?」
「うん……そうだよ」
別の男の子が、辛そうに目をふせる。
「こんな時間の檻に閉じ込めてまで、僕たちの親は世界を守りたかったみたいだね。
けど……僕たちが帰れる世界はもうなくなってしまったんだ」
みんなの話はあまりにも辛いもので、ぼくは胸が痛むのを感じた。
「……どうにかならないのかな」
呟いたぼくに、ホラーマンが答えた。
「こどもたちを救う方法が、実はあるんですね~。
それは、理の石をこの島から出せばいいんですホラー」
「理の石を?」
「うん。その理の石が、この島に呪いをかけているからね。
その石さえなくなってしまえば、僕たちはもとの世界に帰れるかもしれない」
「それなら、カレーパンマンたちにも協力してもらおうよ。
ぼく、二人を呼んでくるから」
立ち上がろうとしたぼくを、みんなは焦って引き留めた。
「待って、アンパンマン!僕たちはアンパンマンに頼みたいんだ」
「どうして?」
「それは……あの二人とお別れするのは辛いから。
二人が寝ている間に、僕たちはもとの世界に帰りたいんだよ」
「でも……」
「まぁ、アンパンマンがいれば、全部なんとかしてくれるんですね~。
こう見えて、彼はものすごく強いんですよ?」
ホラーマンが笑いながらぼくの方を見るので、ぼくは仕方なく頷いた。
本当にあの二人に内緒のまま、彼らをもとの世界へ返してしまっていいのだろうか。
悩むぼくに、こどもたちは理の石の場所を話した。
「ここからさらに北へ歩いた先に、祠があるの。
そこには理の石がまつられているから……お願いよ」
すがるような目をするこどもたちを、裏切ることは出来ない。
ぼくは立ちあがった。
「ぼく、行ってくるよ」
「ありがとう……!」
彼らは笑顔でぼくを見た。
けれど、その笑顔は寂しげで、ぼくは本当にこの選択が正しいのか迷ってしまう。
迷いながら学校の外に出て、祠へと向かった。
こどもたちもぼくと一緒に行きたいと言ったので、ぼくたちはカレーパンマンたちに気がつれないように、慎重に歩いた。
ホラーマンもついてきていて、彼は軽い調子でこどもたちと話している。
「君たち相当頭良さそうですけど、本当は何才なんですかね?」
「それは聞かないでよ。ちょっと恥ずかしいから」
「あー、昼間あんなに遊びましたもんね~。
これで100才越えてる!なーんて言われたら、どんな顔すればいいか分からないですホラー」
「100才は越えてないよ!」
こどもたちは楽しそうに笑った。
それを信じられない気持ちで聞いていると、ホラーマンがぼくに耳打ちする。
「笑いましょ、アンパンマン。
この子たちがここにいられるのも、あとわずかなんです。
わたしたちが笑わないで、誰が笑わせてあげられるんです?」
ぼくはびっくりしてホラーマンを見た。
けれど、ホラーマンはすでに笑っていて、またこどもたちを笑わせている。
なぜこんなことが出来るんだろう?
ぼくとホラーマンの違いはなんなのか、ぼくにはまだ分からなかった。
戸惑うぼくに、こどもたちが声をかける。
「そう言えば、アンパンマンって、カレーパンマン達みたいに、あんパンを配ってたりするの?」
「うん」
「もしかして、今も持ってる?」
「うん、あるよ」
「じゃあ、私ちょっと食べてみたいな」
女の子はぼくに気をつかってくれたようで、ぼくに微笑みかけた。
ぼくは慌てて、頭をちぎって女の子に手渡した。
その様子を見て、こどもたちが少しどよめく。
「アンパンマン、痛くないの?」
「うん、パンで出来てるから痛くないんだ」
「そうなんだ……すごいね」
「これ、食べていいのかな?」
「どうぞ。ジャムおじさんが作ったパンだから美味しいよ」
「いただきます……」
こどもたちが見守る中で、女の子はあんパンをちょっと食べた。
次の瞬間、女の子は顔を輝かせる。
「おいしい……おいしいよ、これ!」
「ホントに!?僕にもわけて!」
「私にも!」
女の子が少しずつちぎって渡していき、こどもたちはみんなであんパンを食べた。
すると、みんなが輝くように笑い、あんパンを褒め始める。
「こんなにおいしいパンは、初めて食べたよ!」
「本当においしいね!とってもあまくておいしい!」
「それに、なんだか胸が温かくなって、優しい気持ちになるね」
「ジャムおじさんが作ったパンはすごいからね。
ジャムおじさんが一生懸命作ったパンは、みんなを笑顔に出来るんだよ」
「いえ、それだけではないですホラー」
ホラーマンが僕の方を向いて言った。
「この笑顔はアンパンマンが、自分の顔を渡したから産まれたものなんですね~。
こどもたちが子供のように笑えるのは、アンパンマンのおかげなんですよ?」
こどもたちもぼくを見て頷くので、ぼくは少し顔が熱くなった。
今までもぼくが顔をあげるとみんな喜んでくれたけど、それはジャムおじさんを褒めているんだと思って、そう思うとぼくは嬉しかった。
なのに、そんなことを言われるなんて思わなくて、ぼくはぎこちなくこどもたちに答える。
「ぼくはそんなにすごくないよ……」
「ううん、アンパンマンはすごいよ。ありがとう、アンパンマン」
「僕たち元気出たよ!」
「わたくしと話している時より、みなさん良い笑顔なんですね~。
ちょっと嫉妬しちゃいますよ?」
「うん……」
ぼくは赤くなった顔を隠すように頬をかいた。
まだ、ぼくはみんなに気を使ってもらっているのかもしれない。
そうだとすると申し訳ないけど、でもやっぱり嬉しかった。
今までも、ぼくがみんなに感謝されていたのだろうか。
なんて思うと、もっと照れてしまうので、ぼくは考えるのをやめることにした。
そして、もうしばらく歩いていくと、後ろから声が聞こえた。
「アンパンマン、あれが祠だよ」
後ろを歩いていた男の子が指差した方向には、確かに小さな木造の建物があった。
石で出来た土台には紫色の苔が生え、紫色のつたも絡まっている。
ぼくたちはつたをよけて、建物の扉を開けた。
立て付けの悪い木のドアは、きしみながら大きな音をたてる。
「あの台座の上にあるのが、理の石だよ!」
こどもたちの言うとおり、暗い六角型の室内に、石の台座が見えた。
台座の上には、上質な布でできたクッションがあり、そのさらに上に石は置いてあった。
理の石と呼ばれているそれは、真っ黒で少し光沢がある。
「アンパンマン、あれをどこかへ捨ててきて欲しいんだ。
お願いできる?」
「うん、任せて」
ぼくは石の方に手をのばし、石を台座から外した。
すると、その瞬間に石は緑色に光りだした。
ぼくとホラーマンは驚いたけど、こどもたちまで驚いているみたいだった。
「そんな!まだ石に力が残っていたなんて……」
石はぼくの手の中で光り続ける。
その光りはなにかを呼ぶように、強く輝いていた。
そして、地面が大きく揺れだし、なにかが天井を突き破って、ぼくたちの前に現れた。
「きゃー!!」
こどもたちの叫び声が響く。
バラバラと降り注ぐ木片からこどもたちを守りながら、ぼくは音のする方を見た。
すると、そこには理の石と同じ石で出来た魔神が、ぼくたちを睨み付けて立っていた。
目は赤く光り、手には石の剣を持っている。
瞳の赤い光りは、あのバイキンロボを思い出させた。
ぼくは一瞬、彼の声も思い出してしまった。
「アンパンマン!なにしてるんですか!」
はっと気がつくと、ホラーマンはこどもたちを連れて祠から逃げ出していた。
ぼくも後に続こうとしたけど、魔神の剣が振り下ろされて、出口が崩れて塞がれてしまう。
天井の穴から逃げようとしても、大きな魔神の体に阻まれて、飛んでいくことは出来なかった。
どうやら戦うしかないみたいだ。
「アンパーンチ!」
パンチが当たると、魔神は少しふらついた。
かなり重たい体だから、横倒してしまえば立ち上がるには時間がかかるかもしれない。
ぼくは祠の中を回って、スピードをつけて足を魔神に打ち付けた。
「アンキーック!」
しかし、魔神がもう片方の腕に持っていた、石の盾に阻まれてしまう。
ぼくはすかさず体勢を立て直して、魔神の剣から逃げる。
魔神を転ばせるには、顔に衝撃を与えるしかなさそうだ。
動きは遅いし、盾と剣を引き付けられれば、飛んで顔をパンチすることは出来るはず。
ぼくは斬りつけてきた剣をよけて、分厚い壁のような盾もよけて、魔神へと近づいた。
あと少しでパンチが当たる。
そう思ったのに、魔神は突然ぼくの方を向いた。
そして、瞳を怪しく光らせて不気味な笑みを浮かべる。
ぼくはとっさに魔神から離れた。
するとぼくの居たところを赤い光線が走り、祠の床や壁を真っ二つに切り裂いた。
それに驚いている暇はなく、魔神は目から光線を出し続ける。
「これじゃあ、みんなも危ない……!」
ぼくはみんなが逃げていった、扉があった方とは反対側に立ち、魔神を引き付けた。
魔神は口元に笑みを浮かべて、目から光線を出している。
木の板が光線でどんどん切り裂かれ、衝撃で宙を舞った。
すると、やっと通れるぐらいの穴が出来て、ぼくはそこから飛び出した。
「やった、これで……」
このまま、石を海に捨ててきてしまおう。
そう思ったのに、ぼくの考えは甘かった。
崩れた祠の方から、こどもたちの悲鳴があがった。
「助けて!アンパンマン!」
その声は確かにぼくの耳に聞こえた。
ぼくは全速力で飛んで、こどもたちと魔神の間に入り込む。
そして、ぼくは魔神の剣をこどもに届く前に受け止めた。
「アンパンマン!」
恐ろしいものを見たような声が響いたけど、ぼくはまだ真っ二つにはされていなかった。
なんとか両手で剣をはさみ、こどもたちから遠ざけようとする。
けれど腕に力が入らず、段々と刃がぼくに近づいてきていた。
それは、あのときアームを止められなかったさまとよく似ていて、ぼくは胸が苦しくなった。
ぼくは、またみんなを守れないのだろうか。
「ひえ~!後先考えずに顔をあげたりするからこうなるんですね!
このままじゃあ、負けちゃいますよホラー!」
「アンパンマンは顔をあげると弱くなるの?」
「そうなんですね~。なのにあのお方はいつも顔をあげちゃうんです。
お腹が空いている人や、元気がない人を見かけると、どうしても放っておけないんでしょうね~」
「そうなんだ……」
ホラーマンとこどもたちの話し声が聞こえると、突然ぼくのズボンのポケットが光りだした。
それは、さっきとっさに理の石をしまった方のポケットで、どんどん輝きが強くなる。
耳をすますと、ホラーマンが慌てている声が聞こえた。
「どどど、どうしたんですか!?みんな光っちゃってるんですね~!ホラーですね~!」
「私たちは石の守護者だから、理の石の力を使えるの」
「僕たちがみんなで力を合わせれば、少しだけ時間を操ることが出来るんだ」
こどもたちの声に答えるように、理の石は輝きを増して辺りが見えなくなるくらい、強く光った。
魔神は押し斬ろうとしていた剣と、盾を離して、眩しそうに手で目を覆っている。
緑色の光りはぼくの頭に集まって、ハープのような高い音色を響かせた。
その瞬間、ぼくの顔は焼きたてのあんパンに戻っていた。
「アンパンマン、頼んだよ!」
「うん!」
緑色の光りはいくつかの光の球になってぼくの周りを回り、ぼくの手のひらに集まった。
ぼくはそれを握りしめて、魔神の方へ向かう。
そして、光りを纏った腕に力を込めて、思いっきり拳を打ち付けた。
「アンパーンチ!!」
ぼくの腕は魔神の体に大きな穴を空けて、突き抜けた。
すると、魔神の体はガラガラと崩れ始め、地面に落ちた瞬間に光の粒になり、頭上に広がった木の葉に吸い込まれていった。
光の泡が立ち上るように、魔神の姿は消えた。
なのに。
「みんな!どうしたの!?」
ぼくはこどもたちの方へと駆け寄った。
みんなは地面に倒れて、ぐったりとしている。
意識があまりはっきりしていないようで、眠そうな目でぼくを見た。
「ごめんね、アンパンマン……僕たち、あんな魔神がいるなんて知らなかったんだ……」
「それはもう大丈夫だよ。みんなのおかげで倒せたから。
だからしっかりして!」
「ごめんね……この姿だと力が足りなくて、石の力を使うとすぐ眠くなっちゃうんだ……」
「眠いだけなんだね?どこか怪我したわけじゃないんだね?」
「うん……だけど……」
その時、ぼくたちの前にカレーパンマン達が現れた 。
「アンパンマン!こんなところでなにしてるんだ!」
「こどもたちになにをしたんです!」
二人は怒りながら、ぼくの方へ近づいた。
事情を説明しようとするぼくを遮って、こどもたちは一生懸命声を出す。
「アンパンマン……!はやく理の石を捨ててきて……!
僕たちが眠ると、またこの島は元通りになってしまう……!」
「理の石……?あの祠にあった石のことか!」
「アンパンマン、それを返して下さい。こどもたちを死なせたくはないでしょう?」
「その石が無くなると、この島は消えちまうんだ!
こどもたちも消えてなくなるんだぞ!
それでもいいのか!?」
「そんな……この石さえなければ、こどもたちは元の世界に帰れるんじゃ……」
「アンパンマン、わたしたちはちょっとだけ嘘をついていたんですホラー。
本当はカレーパンマンの言っていることの方が正しいんです」
「じゃ、じゃあ、一体どうしたらいいの?」
「アンパンマン、お願いだからその石を捨ててきて……!
消えてしまったとしても、僕たちはもう、こんな島に閉じ込められていたくない……。
運命から逃げ続けたくないんだ……!」
こどもたちの必死の説得と、カレーパンマン達の声が、全てぼくに集中した。
ぼくは石を握ったまま、すごく迷った。
こどもたちを消してしまうの嫌だ。そんなことはしたくない。
けれど、こどもたちはとても辛そうだ。
ぼくはものすごく迷った。
そして、あのときのことを思い出した。
あのとき、ばいきんまんもメカを壊してくれと、ぼくに頼んだんだ。
「アンパンマン!はやく石をこっちに!」
「アンパンマン……!」
きっと、ぼくがメカを壊すより、自分で壊してしまう方が辛かっただろう。
もしかしたら今も、こどもたちを救う方法は、石を捨ててくることなのかもしれない。
家族にも会えないで、終わらない夜を繰り返させるのは、その方がずっと酷いことかもしれない。
ぼくは、そのことから逃げていただけかもしれない。
「ごめんね、カレーパンマン、しょくぱんまん。
ぼくは……」
それ以上は言葉に出来ずに、ぼくは空を覆う木の葉や枝を突き破って、外へ飛んだ。
島は来たときと変わらない姿をしている。
この島はぼくが腕を振っただけで消えてしまうだろう。
そう思うと、大きな恐怖を感じてしまう。
けれど、思いをぐっと飲み込んで、ぼくは理の石を握り、大きく腕を振った。
カレーパンマンとしょくぱんまんがぼくに追い付いたころには、理の石は大きな放物線を描き、海に吸い込まれていた。
その瞬間、島が大きく揺れ始め、崖に大きな波が打ち付けられる。
「アンパンマン……なんてことを!」
島の方からも、こどもたちの悲鳴が聞こえた。
ぼくの判断は間違っていたのだろうか。
ぼくは一目散にこどもたちの方に飛んで、こどもたちの頭をかばって、ぎゅっと抱き締めた。
ホラーマンも、こどもたちを出来るだけかばおうとしている体勢だった。
誰かこどもたちを助けてください。
それが叶うならぼくは。
しかし、ふいに揺れは収まって、波の音も静かになる。
そして、ぼくたちに光が降り注いだ。
「これは……!」
はっと見上げたぼくの頭上で、紫色の木の葉が光の粒になり、空へと吸い込まれていくのが見えた。
地面も同じように緑色の粒になって、消えていく。
木の葉の隙間からは太陽がのぞき、ぼくたちは太陽の光に包まれていた。
こどもたちから、驚きの声と、喜びの歓声があがる。
「太陽の光を浴びてるのに、苦しくない!」
「時間が元に戻ったはずなのに、体がすごく軽いわ!」
「なんだか空も飛べそうだね!」
すると、本当にこどもたちの体は光と共に浮かび上がり、地面から少しずつ離れていった。
このままこどもたちは死んでしまうのだろうか。
もう、こどもたちに会うことも話すことも出来ない。
遊ぶことも笑った顔を見ることも出来ない。
そう思うと、喪失感が胸を締め上げた。
思わず、行かないで、と口からこぼしそうになった。
けれど、雲の上から羽の生えた人達が島に舞い降りたので、そんな言葉もどこかへ消えてしまった。
「……お母さん……!」
「お父さん!」
こどもたちが口々に叫ぶと、羽が生えた人達は、キラキラと輝きを纏いながら、こどもたちに微笑みかける。
「ずっと、あなたたちを助けられなくてごめんなさい。
私たちはずっと、あなたたちを待ってたわ。
一緒に帰りましょう」
羽の生えた女性が笑うと、こどもたちの背中からも光がのびて、一対の羽になった。
こどもたちは不器用に羽を動かして、もっと高く空をのぼっていく。
そして、さらに舞い上がったこどもたちを抱き締めて、大人の天使たちは涙をにじませた。
「お父さんはずっと一緒だ。
もう、お前を離さないよ」
「お父さん……僕……」
「私たちは、あなたたちを病気から助けたかったの。
でも、それが逆にあなたたちを苦しませることになっちゃったね。
ごめんね……!」
大人の天使たちがついに涙をこぼすと、一人のこどもが泣き声をあげた。
すると、泣き声がだんだん合唱のように増えていき、何重にも重なった。
泣いているのはこどもたちだけでなく、彼らの親たちも泣いているようだった。
天使たちの目から溢れ出した涙は、光る粒へと変わる。
そして、光の粒は雨のように島へ降り注ぎ、島を溶かしていった。
それは、長くかけられた呪いが解かれていくような、そんな光景だった。
「アンパンマン!」
ぼくは頭上から呼ばれて、声の方を見上げた。
「ありがとう、お父さんとお母さんは僕たちを嫌ってなかった!
本当はずっと怖かったんだ……。
でも、アンパンマンのおかげで、お母さんたちと会えたよ!
……本当にありがとう!」
「アンパンマン。子供達を救ってくれてありがとうね。
私たちはあなたの旅を応援します」
「ここから西に飛んでみなさい。きっと、君の求めるものがあるはずだよ」
「ありがとう、アンパンマン。
カレーパンマンとしょくぱんまんも、給食美味しかったよ!」
「みんな遊んでくれて、とっても楽しかった!ありがとう!」
ありがとう、ありがとうと声が重なって、その声を最後に、こどもたちは両親と一緒に、光になって消えた。
残っていた島も、植物も、校舎もどんどん消えていく。
その中心で、ぼくはホラーマンの声を聞いた。
「なにぼーっとしてるんですか!島が消えちゃうんですよ!?」
「えっ?」
「ほら、どんどん消えてますよ!早く飛んでください!
海を漂うのは嫌なんですね~!」
「あ、うん。そうだね」
ぼくは慌ててホラーマンを乗せて、空に舞い上がった。
空はいつものように明るく、真っ白な雲が浮かんでいる。
そこには、もうあのこどもたちの姿はなくて、足下の島も間もなく消えてしまった。
辺りは嘘のような静けさが立ち込める。
「もう……みんなはいないんだね」
ふっと呟いたぼくの前に、カレーパンマンとしょくぱんまんが飛んできた。
二人は気まずそうな顔をして、ぼくに頭を下げる。
「ど、どうしたの?」
「ごめん!アンパンマンが正しかったんだな。
俺たちはなにも分かってなかったよ」
「ええ……私たちの判断は、あの子達を苦しめていたようですね。
私たちだけでは、あの子達を救うことは出来なかった……」
「二人とも……」
うつむく二人に、ぼくはさっきの声を思い出して言った。
「こどもたちは、二人の給食が美味しかったって言ってたよ。
遊んでくれてとっても楽しかったとも言ってた。
だから、ぼくたちはあの子達を苦しめてはいないんじゃないかな。
きっと無駄な時間なんてなかったんだと思うよ」
「でも……」
「ぼくね、カレーパンマンとホラーマンを見て、すごいなって思ったんだ。
二人が声をかけると、こどもたちがものすごく楽しそうにしてたから、羨ましかった。
しょくぱんまんもお玉を持ってるのに、ぼくたちを追いかけたりして、ぼくまで楽しかったよ。
三人ともすごいなって、本当に思ったんだ」
「アンパンマン……。
でも私たちは、あなたに全てを押し付けてしまったんですよ。
つらい判断だったでしょう……」
ぼくはしょくぱんまんに笑って、自分にも言い聞かせるように言った。
「きっと誰かがやらなきゃいけないことだったんだよ」
ぼくはさらに、思っていたことを素直に話した。
「それに、しょくぱんまんとカレーパンマンは、すごく頑張ったよ。
ぼくはあの子達に忘れられる前にお別れしたけど、二人は何度も忘れられてしまったんだよね。
その度に何度も自己紹介から初めて、それでもこどもたちを笑わせようとしたんだよね。
それって、すごく大変なことだと思う。
ぼくだったら頑張っても、二人のようには出来ないかもしれない」
「アンパンマン……!」
カレーパンマンはぼくにしがみついた。
ホラーマンを背中に抱えているので、ちょっと体勢を崩したけど、ぼくはカレーパンマンを受け止めた。
カレーパンマンは少し肩を震わせながら言った。
「ありがとう……!」
しょくぱんまんも顔を手で覆っている。
ぼくは空いた手の方で、カレーパンマンを抱き締めた。
少し冷たい朝の空気をまといながら、太陽が静かに輝いていた。
ぼくたちは、また海の上を飛んでいた。
相変わらず続く同じ景色にため息をつきながら、ホラーマンがぼやく。
「まさか、みんな天使になるとは思いませんでしたね~。
あんな羽が生えちゃって、空飛んじゃうんですから」
「みんなとっても綺麗だったよね。
……でも、ぼくはあれが正しかったのか、分からないんだ」
「アンパンマンは正しいことをしたでしょうに。
みんなあんなに笑顔だったのに、なーにを疑ってるんですかね」
「疑ってるわけじゃないけど……」
「それより、酷いと思いません!?
みんなカレーパンマンやしょくぱんまんにもお礼を言ってたのに、わたくしにはなにも言わずに消えてしまったんですよ?」
ぼくはこどもたちの声を思い出して、苦笑いしながら答えた。
「でも、遊んでくれてありがとうって言ってたよ?」
「それはそうですけど……なーんかわたくしの扱いが適当というか雑というか。
わたしってみなさんに愛されるキャラクターだと思ってたんですけどね~」
「ぼくはホラーマンのこと、本当にすごいと思ったよ。
どうしてこどもたちを笑わせられるんだろう、ぼくに足りないものってなんだろうって、すごく思ったもの」
「あら、そうなんですか~?それは照れますね~。
ゆでダコみたいなホラーマンになっちゃいますね~」
そんなことを言いながら、ホラーマンは本当に照れているようで、ぼくはちょっと笑った。
でも、ホラーマンをすごいと思ったのは嘘じゃない。
こどもたちは彼らと遊ぶと、本当に楽しそうにしていた。
カレーパンマンとしょくぱんまんも、こどもたちと遊ぶのがうまかった。
「あの二人……大丈夫かな」
「二人って、カレーパンマンとしょくぱんまんのことですか?」
「うん……」
ぼくは別れ際の二人の姿を思い出していた。
あのあと、二人は落ち着いたみたいだったけど、元気が出るはずもなく、頼りなくパン工場へと帰ろうとしていた。
だから、ぼくは二人を引き留めた。
「二人ともちょっと待って」
「どうしたんですか?」
不思議そうな顔をする二人に、ぼくは顔をちぎってみせる。
「あ、アンパンマン?」
「二人ともこれを食べて?きっと元気が出るよ」
「で、でも、本当にいいのか?」
「うん」
戸惑う二人に、ぼくはあんパンを手渡した。
複雑そうに、二人は手の中のあんパンを見つめている。
「まさかこんな日が来るとは思ってもいなかったです」
「そりゃー、うまいだろうけどさ……。なんか変な感じだな」
「うん、ぼくもちょっとどうしようか迷った。
でも、二人には少しでも元気になって欲しいから」
「そうか……じゃあ、もらうぜ」
「……いただきます」
二人は恐る恐るといった感じで、あんパンを口に運んだ。
そして一口ほおばると、驚いたようにぼくを見た。
「おいしいですね……!こんなにおいしいとは思いませんでした!」
「なんだろうな、他のジャムおじさんのパンも食べたことあるけど、アンパンマンの顔がダントツでうまいぜ!」
「そうですね……なんだかほっとする味で……」
すると、しょくぱんまんの瞳から涙がこぼれ落ちた。
「お、おい、泣くなよ」
「すいません、なんだか安心してしまって……」
しょくぱんまんは慌てて涙をぬぐっていたけど、止まる気配はなかった。
ぽろぽろと涙がこぼれていって、しょくぱんまんは苦しそうに泣いた。
それを見て、カレーパンマンまで泣き出してしまう。
「なんだよ……なんでこんなに胸が温かくなるんだ……」
「二人とも大丈夫?」
ぼくは焦って、二人にたずねた。
カレーパンマンもしょくぱんまんも、笑っているのに涙を拭い続けていた。
ホラーマンがそんな二人を見て、にやにやと笑い始める。
「ずいぶんと泣き虫なヒーローたちですね~。
これはホラーマンの心のメモリーに、大事に記憶しときましょ」
「やめろ!すぐ消しやがれ!」
「どうやらホラーマンも泣きたいようですね……」
「ホラー!なんでそうなるんですか!」
ホラーマンが頭を抱えて絶叫するのを見て、カレーパンマンとしょくぱんまんは吹き出した。
そして、二人は大きな声で笑って、笑いながら泣いている。
その姿は、溜まっていたものを全て吐き出しているように見えた。
そして、笑いと涙が収まって、二人は少しだけスッキリした顔になる。
「ありがとな、アンパンマン。ちょっと落ち着いたぜ」
「私も、どんな顔でパン工場に戻ろうか悩んでたので、助かりました」
「ううん、ぼくじゃなくてホラーマンのおかげだよ」
「え?ホラーマンがなにかしましたか?」
「ホラー!ひどいですねー!」
二人はまた笑って、それも落ち着くとぼくたちにたずねた。
「そんで、二人はこれからどうすんだよ。
まだばいきんまんを生き返らせる旅を続けるのか?」
「うん……天使さんたちも西へ向かうといいって教えてくれたから、向かってみようと思う」
「その背中の人も一緒ですか?」
「わたくしの名前はホラーマンです!
わたしだって当然行くんですね~。なんせドキンちゃんの笑顔を取り戻すためですから!」
「ばいきんまんのためじゃないんですね……」
「ま、なんにせよ応援してるぜ!がんばれよ!」
「うん、ありがとう。カレーパンマン達も気をつけて帰ってね」
「おう!」
「では、また」
二人が飛び立っていくのを、ぼくたちは手を振って見送った。
その時のことをホラーマンも思い出していたようで、彼は心配いらないと言った。
「二人ならきっと、乗り越えて行くでしょうね。
あの二人の時間はちゃんと動いているんですから。
どんな辛いことも、時間をかければきっと乗り越えられるはずなんですね~」
「……うん」
ぼくはホラーマンの言葉に頷いた。
けれど同時に、心に浮かび上がる思いもあった。
どんなことでも、必ず乗り越えられる日が来るのなら、ぼくはばいきんまんがいない日常も、乗り越えるべきなんじゃないだろうか。
生き返らせるなんて、大それたことは考えるべきじゃないんじゃないか……。
「アンパンマン、また変なこと考えてますね?」
「えぇっ?」
「悩むのは天使さんに言われたところへついてからにしましょ。
じゃないと、背中の乗り心地がよくないんですね~」
「そうなの?」
「ええ、ゆらゆら揺れて酔っちゃいますよホラー」
「そうだったの……ごめんね」
「ほら、もう、暗い声はやめて欲しいんですね~
ただでさえ、また顔をあげちゃって、よろよろ状態なんですから。
気をつけてくれないと、顔が汚れる事態に陥ってしまうんですね~」
「それはやめて欲しいなぁ」
ぼくはホラーマンのおかげで、笑いながら空を飛んでいた。
軽妙な調子で話し続けるホラーマンは、掴み所がなくて不思議な感じがする。
彼の声を聞いてると、ちょっとだけ不安が和らいでいくみたいだった。
そんなぼくたちは、しばらく飛んでいると、ある雲を見つけた。
「あれ……おかしくないですかね?」
「うん……おかしいよね……」
ぼくたちの頭上にぽっかりと浮かんだ雲は、綺麗な円の形になっていた。
偶然できた雲にしては綺麗な形過ぎて、ぼくたちは戸惑った。
「怪しいですね~ホラーですね~。
きっと、あの上になにかあるんでしょうね」
「そうだね……行ってみようか」
「ええ、わたくしどこまでも着いていきますよ!
海に置き去りにされたら困りますからね~」
「置き去りになんかしないよ。
よし、行ってみよう!」
ぼくたちはあの真ん丸の雲に向かって、ぐーんと飛び上がった。
近づいていくとやっぱり怪しくて、まるで雲を寄せ集めて固めたみたいに見えた。
そしてぼくたちは問題の雲よりも高く飛び、雲の上を見た。
すると、驚いたことに、雲の上には真っ白なお城が建っていた。
「ホラー!これは驚きですね!
お城が建ってますよ!」
「うん……!誰のお城なんだろう」
「ちょっと声かけるの怖いですね~。
ジャックと豆の木みたいに、巨人が出てくるかもしれませんよ?」
「でも、ここに手がかりがあるなら行かなくちゃ」
ぼくは嫌がるホラーマンをなだめながら、お城の扉に近づいた。
両開きの扉は大きくなめらかで白く、見たこともない素材で出来ていた。
けれど、ぼくたちの目線の高さぐらいに、金色のノッカーがついていて、ぼくはそれに手をかけた。
「本当に大丈夫なんですかね?なんか出てきても、ホラーマンは戦えませんよ?」
「大丈夫だよ。ぼくが絶対守るから」
ぼくは当たり前のように自分の口から出た言葉に驚いた。
こんな言葉はばいきんまんがいなくなってから、ずっと言えなくなっていたのに。
ぼくはもしかして、なにかが変わったのだろうか?
びっくりしていたぼくは、呼吸を整えて、ノッカーで扉を打った。
軽く打ったのに、ゴンゴンと音が扉中を響いたので、ぼくたちは慌てた。
「アンパンマン……なにもあんなに強く叩かなくても……」
「そ、そんなに強く叩いてないんだけど……」
言い訳をしていると、二枚の扉はゆっくりと開き始めた。
動いただけで大きな音をたてる扉は、なにか大変なものが出てくる予感をさせる。
中にいるのが本当に巨人だったらどうしよう。
わけを話したら分かってくれるだろうか。
そんなことを考えながら緊張していたぼくは、中に立っていた人の姿を見て驚いた。
その姿は想像したよりはるかに小さく、ぼくたちに襲いかかろうともしていなくて、ばいきん仙人そっくりに見えた。
「あら?ばいきん仙人様?」
「おや、これは珍しい客が来たわい」
ぼくが見た人は本当にばいきん仙人だったみたいで、ぼくはまたびっくりしてしまった。
ばいきん仙人はぼくたちに中に入るように促した。
まだドキドキしているぼくは、どうでもいいことを言ってしまう。
「あの……扉すごい音たててごめんなさい」
「いやー?あれはワシが魔法をかけたんじゃよ。
ああでもしないと、気づかんからの」
「耳が遠くなったんですか?お年寄りは大変ですね~」
「ふん、お主に言われたくはないわい」
ばいきん仙人は、白い小さな雲に乗っていて、そのまま城の中を移動した。
ぼくたちはそのあとについて中へ入ったけど、中もやっぱりすごかった。
正面の白い大きな階段には金の飾りがついていて、なめらかな曲線を描いている。
高い天井にはシャンデリアがぶら下がっているし、床には赤いじゅうたんがしかれている。
ホラーマンはその様子を見て、からかうように言った。
「こんなに立派なお城なのに、家具が全然ないですホラー。
なんだかもったいないですね~」
「ここは別荘なんじゃよ。普段はなかなか来んからガラガラなんじゃ」
ばいきん仙人はなんとも思っていないようで、ぼくたちを奥の部屋に通した。
部屋の中には大きなテーブルが置いてあって、真ん中にはレースのテーブルクロスがひかれていた。
ぼくたちはばいきん仙人が座ったそばの椅子に腰かける。
ぼくたちがなにか言う前に、ばいきん仙人が話し出した。
「さて、お前さんらが探してるのは理の本なんじゃろ?」
「は、はい!なぜ知ってるんですか?」
「ワシをみくびるでない。このぐらいとっくにお見通しじゃ。
そして、この本を使ってなにをしたいのかもな」
なんとばいきん仙人は分厚い本を取り出して、無造作にテーブルの上に置いた。
この古びた本が、理の本なんだろうか。
簡単に手の届く範囲にあるのが信じられなくて、ぼくはばいきん仙人の顔を見た。
ばいきん仙人は、めんどくさそうな顔をして、理の本を指先でいじっている。
この本さえあれば、ばいきんまんは生き返るんだろう。
説明はいらないみたいなので、ぼくはばいきん仙人に頼み込んだ。
「ぼくたちにその本を貸して貰えませんか」
「まぁ、それはいいんじゃよ?お主なら使い方もわからんじゃろうし、貸すだけならぜーんぜん構わん。
けど、それじゃあお主は不満なんじゃろうな」
「私たちはばいきんまんを生き返らせに来たんですね~。
それが叶わないなら、そんな本なんの価値もないですホラー」
「ほう、価値がないか」
「もったいつけないで方法を教えて下さいよ。
どうすればいいんですかね?」
「その前に聞かなきゃいけないことがあるんじゃ。
アンパンマン、この世界の異変、すなわちばいきんまんが死んだのは、なにが原因か分かるか?」
「それは……理が歪んでしまったからだと聞きました」
「まー、あってるの。じゃあ、なぜ理が歪んだか、その原因は分かるかな?」
「それは……分かりません」
「本当に分からないのか?ならお前には生き返らせるのは無理じゃな。
帰るがいい」
「そんな!」
ぼくは思わず立ち上がったが、ばいきん仙人は表情を変えなかった。
ここまで来たのに、諦めなければいけないなんて、考えられない。
けれど、ぼくではばいきん仙人の質問に答えられないだろう。
立ち上がったものの、どうしたらいいのか分からなくて、ぼくは立ち尽くしていた。
そんなぼくの隣で、ホラーマンがひょうひょうとした声を出す。
「あらー、仙人のくせにずいぶんといじわるなんですね~。
いやですね~、悪ですね~」
「そんなに言うなら、お主がアンパンマンに教えてやればいいじゃろ。
それが出来るならな」
「あらまぁ、方法は知ってるくせに、どこまで引っ張るつもりなんです?
この城には過去に戻れる部屋があるんでしょ?」
「過去に戻れる……!?」
「はぁ……ったく」
ばいきん仙人は大きなため息をついて、恨めしそうにぼくを見た。
その視線の意味は分からなかったけど、ぼくはまっすぐ見返した。
「ぼくにその部屋の場所を教えて下さい。
ぼくはそこに行かないといけないんです」
「あーあ、ほんとうにめんどくさいやつじゃのう。
あの部屋なら二階の突き当たりじゃ。
さっさと行け」
「……ありがとうございます!」
ぼくは礼をして、階段へと走った。
そんな僕を追いかけるように、声が部屋から響く。
「なぜ、あいつに肩入れするんですか。本当に悪趣味な方ですね」
その言葉の意味を考えるより、ぼくは部屋を探すことに夢中だった。
玄関の正面の階段を駆け上がり、右と左をせわしなく見回す。
ドアはたくさんあったけど、左の廊下の突き当たりには、一際目立つ金で縁取られた扉があった。
ぼくは一目散に、その扉へ向かった。
「はやく……はやく、ばいきんまんを助けないと!」
突き当たりにたどり着いて、ぼくは勢いよくドアを開けた。
すると、部屋の中央に透明な渦が出来ていて、その渦の中にばいきんまんの姿が見えた。
そして、崩れたばいきん城と、おおきなバイキンメカと、その周りを飛んでいるぼくの姿が見える。
映像の中のぼくはばいきんまんに叫んでいた。
「やめるんだ!ばいきんまん!」
ぼくはその声を聞いて確信した。
これはばいきんまんが死んでしまう直前の映像だ。
きっとこの渦の中に飛び込めば、あの時に戻れるのだろう。
渦の回りは雷が走っていていて、バチバチと弾けて唸りをあげる。
けれど、ぼくは迷わずに飛び込んだ。
ぼくは今度こそ彼を助けなければならない。
絶対に失敗はできない、そう決意を固めた。
そして次の瞬間、ぼくの目の前には、あの日のバイキンメカが立っていた。
「やめるんだ!ばいきんまん!」
ぼくは自分で叫んだところで、夢から覚めたようにはっと気がついた。
あのときと少しも変わらず、ばいきんまんは笑いながら答える。
「その言葉も聞きあきたのだ」
するとすぐにハサミがついたアームが勢いよく動きだし、ばいきんまんの前に迫った。
このままじゃ、また繰り返してしまう。
なにをしようとしても、間に合う選択肢はほとんどない。
ぼくがとっさにとった行動は、とても分かりやすい物だった。
「…………アンパンマン!!」
彼の絶叫が響く。
ぼくは一瞬で体のバランスを崩して地面に落ちていった。
彼を助けられたのか、そんなことも分からないままぼくの意識は真っ暗な闇に沈んでいった。
気がついた時には、ぼくは真っ暗闇の中にいた。
一つだけ光を放っているのは、床に置かれた水晶玉だけで、そこにはなにかの映像が映されているみたいだった。
映像に合わせて、音も水晶玉から響いており、ぼくはそれを拾い上げて、中をのぞきこんだ。
水晶玉には泣いているメロンパンナちゃんが映し出されていた。
「メロンパンナちゃん……」
思わず呟いたけど、ぼくの声は向こうには届いていないようだ。
号泣し続けるメロンパンナちゃんを、ぼくは慰めることもできない。
声が届いたとしても、なぜ泣いているのか分からなかったから、なんて声をかけたらいいのか分からなかった。
それでも見ていると、メロンパンナちゃんの頭を撫でる人があらわれた。
白い覆面をしているその人は、メロンパンナちゃんのお姉さんの、ロールパンナちゃんだった。
「メロンパンナ……もう泣くな。
泣いても戻っては来ないんだぞ」
「でも……こんなの嫌だよ……!
どうしてアンパンマンが……!」
「あいつは正しいことをしようとしたんだ。
無責任なやつだけどな」
「そんな……そんな言い方……!」
メロンパンナちゃんは言い返そうとして、さらに泣き出してしまった。
ロールパンナちゃんは、その頭をそっと撫でている。
でも、無責任なやつってどういうことだろう?
ぼくは、そのまま映像をじっと見つめていた。
すると、今度はカレーパンマンとしょくぱんまんが映った。
「あいつって本当にバカだよな……。
本当に……。
ここに居たらぶん殴ってやるのに……!」
「あなたこそバカですね。
もう私たちにはなにも出来ないんですよ。
どうしようもないんです」
「なんでそんな風に言えるんだよ!悲しくないのかよ……悔しくないのかよ!」
「悔しいですよ」
すると、しょくぱんまんは見たことがないような、鋭い目付きをした。
カレーパンマンはその顔を見て、さらに拳を握りしめる。
「そうだよな……悪ぃ」
「いいえ……いいんですよ」
ぼくは背筋に寒気を感じていた。
ぼくは一体なにを見ているのだろう?
この映像がなんなのか、ぼくには全く分からない。
混乱しているぼくを気にもとめず、水晶玉はバタコさんやチーズを映した。
クリームパンダちゃんも居るようで、三人はパン工場の工房で、ずっとうつむいている。
三人ともなにも話さないまま、映像が切り替わった。
すると、今度映ったのはジャムおじさんだった。
ジャムおじさんはいつもと変わらない様子で、なにかの応対に追われているようだった。
けれど、その目の下にはうっすらクマが見える。
よく見ると、前よりちょっと痩せているようだった。
映像はさらに続き、全ての来客がなくなってもジャムおじさんを映し続ける。
ジャムおじさんは、パン工場の三人や、外にいたカレーパンマン達やメロンパンナちゃんにも声をかけて、励まして回っていた。
そして、一人でパン工場の中を片付けて、一人でなにかの準備をしていた。
もうそんな状況にも慣れてしまったのかのような、孤独な動きだった。
そして、ジャムおじさんは外が暗くなっていることをみんなに告げて、ベッドで寝るように促した。
衰弱しきっているバタコさんとメロンパンナちゃんの肩を支えて、なにか言い争いをしているカレーパンマン達の仲裁をして、クリームパンダちゃんとチーズは一緒に寝るように勧めていた。
やっとみんなはそれぞれの部屋に行き、ジャムおじさんは一人で大きなため息をつく。
するとジャムおじさんも立ち上がり、工房の電気を消した。
階段の方に歩いているので、二階の自分の部屋に向かうのだろう。
そう思った。
「……あれ?」
ジャムおじさんはなぜか自分の部屋より手前で立ち止まった。
その部屋を、ぼくはよく知っている。
「……ぼくの部屋だ」
ジャムおじさんはなにかを考えているようで、ずっと扉の前で立ち止まっていた。
けれど、やっと決心がついたと言うように、ゆっくりとぼくの部屋の扉を開ける。
どこかおぼつかない足取りで、ぼくのベッドの前まで来た。
そして、突然泣き崩れた。
「そんな……?」
ぼくは状況が理解できずに戸惑った。
そもそもジャムおじさんが泣いているところなんて、ほとんど見たことがない。
しかも、ぼくのベッドに突っ伏して泣いているところなんて、見たことがあるはずがなかった。
これは夢かなにかを見てるのだろうか。
しかし、ぼくはジャムおじさんの声を聞いて、やっと気がついた。
「なんで死んでしまったんだ……!」
死んでしまった。ぼくは死んでしまったんだ。
「お前が死ぬことはなかったのに……!」
ぼくは、はっと呼吸が止まった。
ジャムおじさんが泣いていていて、ぼくは死んでいて、ぼくはばいきんまんを庇っていて。
だとすると、ジャムおじさんの言葉の意味は分かる。
ぼくは恐ろしくなって、水晶玉を落としてしまった。
そんな水晶玉から、まだ声が響いた。
それは別の人の声だった。
「まだ動いちゃダメよ!ばいきんまん!」
これはドキンちゃんの声だ。
それに答えるように、か細い声が響く。
「あいつは……あいつはどこだ……?」
「……ばいきんまんも分かってるでしょ。
もうどこにもいないのよ」
「なんで……あいつが……」
ばいきんまんは大きく咳き込みながら、苦しそうな声で言った。
「あいつが死ぬことはなかったのに……」
ぼくは手に大量に汗をかいていた。
どういうことなんだろう、これは。
なんでこんなに恐ろしいことになってるんだろう。
ぼくがなにをしたっていうんだ。
なにか間違ったことをしたっていうのか?
ぼくは水晶玉を遠くへ投げて、耳をふさいだ。
そして、暗闇で一人しゃがみこんだ。
ぼくにはもう、なにも出来なかった。
「ホラー、大惨事ですねー」
耳を塞いでるのに声がはっきりと聞こえて、ぼくはビクッと肩を震わせた。
恐る恐る声の方を見上げると、なぜかスポットライトに照らされたホラーマンがいた。
彼はいつの間にかあった木の椅子に座って、器用に座ったままぼくの方へ向きを変える。
「一つ、おとぎ話をしてあげましょう。
とっても悲しい物語です」
ホラーマンは優しげに笑いながら、子供に話すように穏やかに話した。
「あるところに、パンの顔を持った少年がいました。
その少年は愛に溢れた少年で、一見この世界の理を破っているようには見えませんでした。
しかし、本当は少年の存在は大きな矛盾を抱えていたのです。
みんなに沢山の愛を与えることが出来るのに、愛の受け取り方をしらなかったのです。
それどころか、少年は自分が愛されていると思えたこともありませんでした」
ホラーマンはぼくの方を見て、優しく笑った。
「誰の話か分かりますね?アンパンマン」
「うん……ぼくの話だ」
もういまさら隠している必要もないので、ぼくはホラーマンに打ち明けてしまった。
なぜだろう、ホラーマンならちゃんと聞いてくれると思った。
「アンパンマンは愛されている自信がなくて、愛を与えることが愛されることに繋がると考えました。
けれど、与える愛が大きすぎたのです。
彼の中に順位はありません。
こどもも大人も仲間も花も空も虫も、ジャムおじさんでさえ、その枠に入れてしまうのでした」
「ぼくは……どうしても自信が持てなかったんだ。
小さい頃はそんなことはなかった。
けど……いつからか、ぼくは役に立たないと人に喜ばれない気がして、誰かを助けないと見てさえももらえない気がした。
なんでかぼくには分からないんだ……」
「それは、あなたが誰も信じていないからです。
そして一番信じていないのは、自分のことでしょう」
ぼくは頷いた。
けれど、ホラーマンは笑って水晶玉を指差した。
「その水晶玉にはなにが見えましたか?」
「みんなが落ち込んだり怒ったりしていて……まるで世界の終わりみたいだった」
「そうです。よく分かりましたね。
こうして理が歪んだ世界は滅ぶはずだったんです。
あなたの死をきっかけに」
ホラーマンは真剣な顔でぼくを見た。
その顔はホラーマンじゃないような顔で、ぼくはちょっと後ずさった。
「どういうこと……?君はホラーマンじゃないの?」
「気づくのが遅すぎますね。
君は理想的なヒーローだった。
理を破りさえしなければ」
「理を破るってどういうこと……?
理は生き返ってはいけないってことと、死んではいけないってことなんだよね?」
「本当はあなたには言っていない、もう一つの理があったのです。
それは、この世界は愛に溢れていなくてはいけないということ」
ぼくは驚いて、ホラーマンみたいな人を見た。
ホラーマンそっくりな人は、ぼくの横を通って、水晶玉を拾い上げる。
「しかし、この包帯だらけの彼が、世界を救ってしまった。
本当はあなたはバイキンメカの暴走で死んでしまうはずだったんです。
そして、世界が終わるはずだったのに、彼は精一杯抗った。
そして、なんとあなたを助けしまった。
どうしてだか分かりますか?」
答えないぼくに、ホラーマンみたいな人は、はっきりと言った。
「あなたのことが大好きだからですよ。
彼は絶対にあなたの命を奪いたくはなかった。
そして世界まで救ってしまった」
「そんな……ぼくのことが大好きだったなんて……」
「信じられませんか?パン工場のみんなの姿を見ても、分からないのですか?
悲しんでいたり、怒っていたりしたのは、なせだか本当に分からないんですか?」
「ぼくは……」
「ジャムおじさんの涙は、嘘だったと思ってるんですか?」
ぼくはその言葉に凍りついた。
しょくぱんまんが怒ったのも、カレーパンマンが怒ったのも、メロンパンナちゃんが泣いたのも、僕を愛していたからだとしたら。
バタコさんもクリームパンダちゃんもチーズも、なにも喋らなかったのは、僕を愛していたからだとしたら。
ジャムおじさんが泣き崩れたのは、僕を愛していたからだとしたら。
「……ぼくはなんてことをしてしまったんだろう」
ロールパンナちゃんの、無責任という声が頭の中に響いた。
ぼくはやっと取り返しのつかないことをしたと分かり、ぼんやりと立ち尽くした。
犠牲なっていい命なんて、一つも無かったんだ。
「アンパンマン、あなたはあの島のこどもたちを助けました。
だから、もう一度だけチャンスをあげましょう」
ホラーマンみたいな人はぼくを見て、慈愛に満ちた笑みを浮かべた。
「あなたは、もしやり直せるとしたら、どうしたいですか?」
ぼくは迷わず、彼に告げた。
「ぼくは絶対ばいきんまんを助けたい……。
でも、ぼくも絶対死にたくない」
彼は微笑んでぼくの頭を撫でた。
「それが正解ですよ。アンパンマン」
すると、いつの間にか彼が手にしていた本が光だした。
その光は暖かくて、ぼくはだんだんと眠くなってしまう。
遠のいていく意識のなかで、優しそうな声が響いていた。
「これで理の歪みは直りました。
あなたとあの島以外の、全ての時間は戻ります。
あなたがもう理から外れないように、私は祈ってますよ」
ぼくは、その声を聞いたのを最後に、意識を手放した。
「アンパンマン!」
はっと気がつくと、ぼくは木陰に寝かされていた。
そばにはメロンパンナちゃんが座って、心配そうにぼくを見ている。
「大丈夫?アンパンマン」
「うーん……ぼくどうしちゃったのかな……」
「たぶん暑さで倒れちゃったんじゃないかって、ヤギおじさんが言ってた。
だから、体を冷やしてたんだけど……」
「そう、ありがとう……」
ぼくはゆっくり体を起こした。
そんなぼくをメロンパンナちゃんは心配そうに見ている。
「あんまり無理はしないでね?
でも……なんかドキンちゃんがアンパンマンを呼んでたんだけど」
「えっ、なんで?」
「バイキンメカが暴走しちゃったから、気が向いたらばいきんまんを助けに行ってやって、だって」
その瞬間、ぼくは回路が繋がるように、全てを思い出した。
ばいきんまんのメカが暴走し、ドキンちゃんがパン工場へ助けを求めに来たこと。
けれど、ばいきんまんが死んでしまったこと。
ばいきんまんを助けるために旅に出て、島のこどもたちを助けて、ばいきん仙人の城に行ったこと。
そして、僕は。
「どうする?アンパンマン。助けにいく?」
「うん……!メロンパンナちゃんもついてきてくれる?」
「それはいいけど……」
「じゃあ今すぐ行こう!」
「あ、待って!アンパンマン!」
ぼくはメロンパンナちゃんが追い付けないくらい、全速力でバイキン城に向かった。
あの時と同じ道を辿って、ぼくはだんだんとバイキン城へ近づいていく。
地面を覆っていた花畑は岩場に変わり、夏の太陽は厚い雲に遮られるようになった。
なにもかも、あの時と同じだ。
ぼくは胸が嫌な音で鳴るのを聞かないようにしていた。
そうして数分も経たない内に、高い崖の上から白い煙が上がっているのが見ることになる。
バイキン城はまだ屋根に穴が空いただけで、原型をたもっていた。
「アンパンマン!ねぇ、どうしたの?」
「はやくばいきんまんを助けないと!手遅れになる前に!」
「え~?そんなに大変なことは起こってないと思うけど……」
ぶつぶつ呟いているメロンパンナちゃんと一緒に、ぼくは天井の穴から、バイキン城へ飛び込んだ。
すると、バイキンメカが白い煙を吹いて、おかしな動きをしている。
床の方では、ホラーマンがあっちにこっちに、意味のない動きをしていた。
「あ、アンパンマンにメロンパンナちゃん!来てくれたんですね~。助かりますね~」
「ホラーマン!ばいきんまんは中にいるんですね!?」
「え、ええ、まぁそうですけど」
「ばいきんまん!」
ぼくはホラーマンが話し終える前に、操縦室への扉を見つけて、思いっきり蹴破った。
中にいたばいきんまんは大きな叫び声をあげる。
「ぐわー!!」
「どうしたの!?ばいきんまん、大丈夫!?」
「お……お前が蹴った扉が……」
見るとばいきんまんの頭には大きなたんこぶがあった。
ぼくは青ざめて、ばいきんまんを抱えたまま、大急ぎで床の方へ飛んだ。
そして、呆然としているホラーマンに彼を預ける。
「ホラーマン、彼を頼みます。
ぼくはあのメカと決着をつけないといけないから……!」
「は、はひ?お前、あのメカを壊すつもりなのか?」
「あのメカは二度と使えなくなるようにしないと……!」
「やめろ!あれにはやっと開発した、超強力水鉄砲が!」
「アンパーンチ!!」
やめろー!という叫び声を聞きながら、ぼくはバイキンメカを力一杯殴った。
すると、バイキンメカはさらにバイキン城に穴を開けて、空の彼方へと飛び、星になる。
口を大きく開けて、立ち尽くしていたばいきんまんの方に、ぼくは駆け寄った。
「ばいきんまん、どこも痛いところはない!?大丈夫!?」
「な、なにすんだ!やめろ!触るな!」
「よかった……生きてる……!」
ぼくは思わずばいきんまんを抱き締めた。
「ギャーッ!!ホラーマン、はやく助けるのだ!」
「ばいきんまん、ごめんね……本当にごめんね……!ぼくも君のこと大好きだよ」
「な、な、なにを言ってるのだ!?ホラーマン、はやく助けろ!」
「やだなぁ~、ばいきんまん。アンパンマンとそういう関係なら、先に言っておいて下さいよ」
「本当になにを言ってるのだ!!」
混乱するばいきんまんを残して、ぼくはメロンパンナちゃんの方にも駆け寄った。
明らかに警戒している彼女も、ぎゅっと抱き締める。
メロンパンナちゃんは驚いて戸惑っていた。
「あ、アンパンマン?どうしちゃったの?」
「ありがとう、メロンパンナちゃん。
ぼく、メロンパンナちゃんのこと愛してるよ」
「えぇー!!」
メロンパンナちゃんは、もっと驚いてぼくの頭を触った。
どうやら熱を測っているらしいけど、ぼくに熱はない。
ぼくは近寄ってきたホラーマンに聞いた。
「いや~、三角関係なんですねぇ~。
熱いですね~、ドロドロですね~、ホラーですね~」
「ホラーマン、本当にありがとうございました。
ホラーマンって神様だったんですか?」
「ホ、ホラー?」
すると、ホラーマンはおっほんと咳をして、胸を張ってぼくを見た。
「ええ、実はホラー・ヒルデ・シュンビルマンという神様なんですね~。
おっほん」
「バカみたいな嘘つくな!!」
ばいきんまんが大きなトンカチでホラーマンを殴ると、ホラーマンは叫び声と共に、バラバラになった。
「ホラー!酷いんですねー!
私じゃなくて、変なこと言うアンパンマンが悪いんでしょうに!
私じゃなくて、アンパンマンを叩いて下さいよ!」
「確かにそうなのだ!アンパンマン覚悟!」
「きゃー!」
メロンパンナちゃんはぼくにしがみついて叫んだ。
しかし、近寄ってきたばいきんまんは、トンカチを振り上げたまま固まっている。
そして、ぼくの顔を見てしどもどろに話した。
「お、おま、泣いてるのか!?」
「え、あれ、ぼく泣いてた……?」
「アンパンマン……本当になにかあったの?」
ぼくは慌てて涙を拭ったけど、涙は全然止まる気配がなかった。
泣きたい気分じゃないのに、どうしても収まらない。
「本当に大丈夫なんだけど、なんでかな?こんなに嬉しいのになんで……」
「アンパンマン……」
そんなぼくの様子を見て、突然メロンパンナちゃんは、キッとばいきんまんを睨み付けた。
「ばいきんまん……アンパンマンになにしたの!」
「は、はひ!?」
「なんでアンパンマンが泣いてるの!?絶対許さないんだから!」
「お、おれさま、なんにもしてないのだ!濡れ衣なのだ!」
しかし、メロンパンナちゃんは本当に怒ってしまって、ばいきんまんにメロメロパンチを打った。
ばいきんまんはギリギリのところで逃げ回っている。
「ホラーマン!ばいきんUFOは!」
「あれは修理中ですよ。さっきアンパンマンにコテンパンにやられたばかりでしょ?」
「他になんかメカは!」
「あったけど、アンパンマンが空の彼方へ飛ばしてしまったんですね~」
「くそ~!」
ばいきんまんはなんとかメロンパンナちゃんの追跡をかわして逃げ回っていた。
ぼくはその様子がおかしくて、つい笑ってしまう。
自分でも泣いてるのか笑ってるのか分からなくて、両方なんだなと思った。
「コラー!アンパンマン!笑ってないでこいつをなんとかしろ!」
「いやぁ~、恐ろしいですね~。修羅場ですね~!
こういうのワクワクしますね、ドキンちゃん!」
「なんでメロンパンナとばいきんまんが修羅場なのよ」
「二人でアンパンマンを取り合ってるんですホラー」
「はぁ?」
いつの間にか戻ってきていたドキンちゃんは呆れてどこかへ行ってしまった。
それからも、メロンパンナちゃんとばいきんまんのおいかけっこは続いていた。
なぜかホラーマンが給水ポイントを設置したり、ゴールテープを引っ張ったり、変な形で参加しながら、三人はずっと走り回っていた。
ぼくはそれを見て、ずっと笑っていた。
笑いたい気持ちも、涙もなかなか枯れることはなく、ぼくはずっと泣き笑いをしていた。
おいかけっこがついに終わって、ばいきんまんがメロメロになった後のこと。
ぼくとメロンパンナちゃんはパン工場へ向かって飛んでいた。
空はすでに夕焼けに染まって、雲も赤く輝いている。
そんな空にみとれながら飛んでいると、メロンパンナちゃんが心配そうにぼくに聞いた。
「ねぇ、アンパンマン……どうしてぼーっとしてるの?」
「空が綺麗だなぁって思って。ぼく、こんなに綺麗な空見たことないよ」
「そうかなぁ。私はいつもとおんなじだと思うんだけどな」
「うん……今までもぼくが気がつかなかっただけで、空はいつも綺麗だったのかもね」
「アンパンマン……」
メロンパンナちゃんは、はっとした顔になり、ぼくから目をそらした。
「メロンパンナちゃん、どうしたの?」
「う、ううん、なんでもない……」
そのあとも、パン工場へ着くまでメロンパンナちゃんは、ちらっとぼくを見ては目をそらした。
話しかけても目を合わせてくれなくて、ぼくは不安になる。
「ねぇ、ぼくメロンパンナちゃんを怒らせちゃった?」
「ううん!全然違うわ!ほら、パン工場へついたから、早く中へ入ろう」
メロンパンナちゃんは相当慌てて、ぼくを残してパン工場へと駆け込んだ。
ぼくはわけも分からず、そのあとをついていくように、パン工場の扉を開ける。
すると、カレーパンマンとしょくぱんまんが入り口のところに立っていた。
「カレーパンマン……!しょくぱんまん……!」
「アンパンマン、やっと帰ってきたのか。お前大丈夫だったのか?」
「突然倒れたって聞いたんで、私たちパン工場に来たんですけど……」
ぼくはなにも言えずに、二人に抱きついた。
二人はぼくを見てとても驚いている。
「アンパンマン?一体どうしたんだよ?」
「なにかあったんですか?」
すると、奥からクリームパンダちゃんがやって来て、ぼくの背中にしがみついた。
「アンパンマン!ぼくたちも心配だったよー!」
「アンアーン!」
チーズも、クリームパンダちゃんと一緒にぼくにしがみついている。
その体温が温かくて、ぼくはまた泣き出してしまった。
「おいおい、なんだよ!なんで泣くんだよ!」
「……もしかして、ばいきんまんになにかされたんですか?」
「えー!?ばいきんまんがアンパンマンを泣かせたの!?」
「グルルル……ウーッワン!」
心配してくれるみんなに、ぼくは首を横に振って、かすれてしまった声で言った。
「ぼく、みんなのこと愛してる。愛してくれてありがとう……!」
「は……はぁー!?」
カレーパンマンが一際大きな声をあげて、ぼくを見た。
クリームパンダちゃんも、チーズも顔を真っ赤にしてぼくを見ている。
しょくぱんまんだけは平気な顔していた。
「アンパンマン、あなたもついに愛を叫べるようになったのですね。
さぁ、私と一緒に歌いましょう。愛の歌を!」
しょくぱんまんが決めポーズを作った時には、すでにぼくはそこにいなかった。
ぼくは、ジャムおじさんとバタコさんの方に近づいた。
「どうしたんだい?アンパンマン……」
「ジャムおじさん……バタコさん……」
ぼくは二人にも抱きついて、泣き崩れてしまう。
「ごめんなさい……二人を疑って……!
ぼくはこんなに愛されていたのに……全然分かってなかった……!」
「アンパンマン……」
二人は少し戸惑っていたけど、すぐにぼくをぎゅっと抱き締めてくれた。
柔らかい服や肌が温かくて、それに包まれているぼくは幸せ者だと思う。
ぼくはずっとそのままでいたかったけど、急にぼくの後ろで叫び声が聞こえた。
「なんで誰も教えてくれないの!?」
これはメロンパンナちゃんの声だ。
ぼくたちは驚いて、一斉に彼女の方を見る。
メロンパンナちゃんは目に大粒の涙を溜めて、ぼくに言った。
「アンパンマン……なにかの病気なんでしょ……?
だからみんなで集まったのよね?
みんなは知ってたんだよね!」
メロンパンナちゃんは、わーっと泣き出してしまった。
パン工場の中は騒然となって、みんながぼくのことを見る。
ぼくは慌てて、手を振った。
「ち、違うよ?ぼくは病気にはなってないよ」
「じゃあ、なんで倒れたんですか?おかしいですよね」
「それは……」
「さっきあんなにこっぱずかしいこと言ったのに、倒れた理由は言えねーのかよ。
おかしいぜ!」
「アンパンマン病気なの!?そんなのやだよー!」
「アンアーン!?」
「アンパンマン……本当なの?病気って……!」
「バタコさん、違います。ぼく本当に病気じゃないんです」
「じゃあ、なにがあったのか、話してくれるかい?」
ジャムおじさんの一言に、パン工場はぼくの次の言葉を待って、シーンと静まり返った。
ぼくはゆっくり呼吸を整えて、みんなに話した。
「信じてもらえるか分からないんですけど……ぼく、旅をしてたんです。
ばいきんまんを生き返らせるために」
ざわつくパン工場の中で、ジャムおじさんだけは静かに聞いてくれた。
ぼくは、さらに時間をさかのぼって、みんなに話し始める。
「坂道でヤギおじさんの荷車を押して、ヤギおじさんを見送ったぐらいの時です。
メロンパンナちゃんがぼくのところへ飛んできて……」
ぼくは静かに話し続けた。
すると、パン工場も水を打ったように静かになり、みんながぼくの話に聞き入っていた。
ぼくは一生懸命に話した。
ぼくが間違いに気がついて、愛に気がつくまでの話を。
ぼくが話し終えると、全部聞いてくれたみんなはぐったりしていた。
クリームパンダちゃんとメロンパンナちゃんとチーズは、かなりショックだったみたいで、手を繋いで階段に座っていた。
カレーパンマンとしょくぱんまんは、自分達の名前も出たので、バツが悪そうにしている。
バタコさんとジャムおじさんは、深く考えているようだった。
「それは夢とは違うのかしら……。とっても現実味のある夢だったとか……」
「恐らく違うだろうね。
アンパンマンの言った、理の本というのは、実際に存在するものなんだよ」
「マジかよ……じゃあ、アンパンマンは知らないところで世界を救ってたってのか?」
「しかも、私たちも、その不気味な島に行ってたってことですよね……恐ろしい」
「でも、二人はその島に行ったことはないんだよね?」
「あったりまえだ!北に飛んだって、なんにもないし、一周して戻ってきちまうだけだよ」
「ずいぶんと怖い体験をしたんですね。泣きたくなる気持ちも分かりますよ」
ぼくは話しながら椅子に座っていて、じっと床を見つめていた。
ぼくのせいで、この世界は一度滅んでしまいそうになっていた。
謝っても、許されることではない。
なのに。
「アンパンマン、すまなかったね」
はっと顔をあげると、ジャムおじさんが優しく微笑んでいた。
バタコさんも隣で、穏やかに笑っている。
「ごめんなさい、あなたがそんなに思い悩んでいたなんて、思わなかった。
私たちはもうずっと、ちゃんと思いを伝えてなかったかもしれないわね」
「そんな……ぼくが悪いんです。ぼくが誰のことも信用せず、自分も信用しなかったから……」
「良いとか悪いとかじゃないんだよ。私たちはお互いに、本音を言い合うべきだったんだ。
私たちは家族なのだから」
ジャムおじさんは、神様のように微笑んで、ぼくの手を握った。
「私はお前のことを愛してるよ。アンパンマン」
手が塞がったぼくは、ぬぐうことも出来ないまま、ぼろぼろと涙をこぼした。
けれど、ぼくはぬぐいたいとも思わなかった。
この涙は生まれてきてから今までで、一番幸せな嬉し涙だから。
さらに、ジャムおじさんとぼくの手の上に、バタコさんの手も重なった。
「私もよ、アンパンマン。私たちのところを選んで産まれてきてくれてありがとう。
あなたのこと、愛してるわ」
ぼくは今見てるものが夢なんじゃないだろうかと思った。
本当は全て夢で、明日になれば重苦しい気分で目覚めるぼくがいるのかもしれない。
そのぼくは勝手に周りを信用しないで、勝手にひねくれていたぼくだ。
そして、自分がひねくれているということまで、気づかないように目をそらし続けてきていた、自分なんだろう。
ぼくは怖い。
全てが泡のように消えてしまい、空っぽな心で生き続ける毎日が。
「アンパンマン、つらいのかい?」
「はい……これが全て夢だったら……ぼくは……」
すると、ぼくの声を聞いて表情を変えたクリームパンダちゃんが、ぼくの手の上に自分の手を重ねた。
「これは夢なんかじゃないよ!ぼくたちはみんなアンパンマンのことが大好きだもん!
ぼくだって、アンパンマンのこと、あ、あ、あいひてるもん!」
真っ赤になっていたクリームパンダちゃんは、さらに赤くなって、顔が全部真っ赤っかだった。
しかもセリフを噛んでしまったので、逃げ出して隠れようか、ふんばろうか悩んでいるみたいだ。
けれど、クリームパンダちゃんは、ぼくの手を離さなかった。
みんなの手は温かくて、なんてほっとするんだろう。
ずっと痛み続けていた心に、明かりが灯ったように、少しずつ胸が温かくなっていく。
すると、チーズもぼくの手に手を重ねて、胸を張った。
「アンアーン、アンアアン」
「ふふっ、チーズったら、アンパンマンは泣き虫だから、守ってあげるですって」
ぼくはそっとチーズに頬をよせた。
するとチーズはペロッとぼくの涙をなめた。
ぼくは嬉しくて、つい笑ってしまう。
これでも、もう十分くらい幸せだったのに、ぼくの手には、さらに三人分の手のひらが重なった。
「まー、なんて言うかさ。あんまこっぱずかしいことは言えないけど、俺もお前のこと大事だからさ。
なんかあったら守ってやるよ」
「カレーパンマンが守る側ですか?逆になるのがオチだと思いますけど」
「なんだと!お前はそんなこと言うんだから、よっぽど素晴らしいことが言えるんだろうな」
「ええ、もちろん。
おお、あんパンの甘い香りを纏い、人々を救うヒーローよ。
あなたの心はしょくぱんより美しく、あなたの顔はしょくぱんより甘い」
「なんだよ、しょくぱんより甘いって!当たり前だろ!あんパンなんだから!」
「いーえー、あなたのへなちょこな宣言よりはマシなはずです」
「なんだとー!」
「なんですか!」
「二人ともケンカしないで!私だってアンパンマンに言いたいことがあるんだから」
「ああ、ごめんごめん」
ケンカを止めたメロンパンナちゃんは、ぼくの顔を見て申し訳なさそうに笑った。
「ごめんね、アンパンマン。今日のアンパンマン、ばいきんまんにまで抱きつくから、ビックリしちゃって。
なんかの病気で具合が悪いから、不安でみんなに抱きつくのかと思ったの」
「ちょっと待てよ、ばいきんまんに抱きついたのか!?」
「もう、カレーパンマンは静かにしててっ。
私が話してるのっ」
「あー、ごめん」
「それでね、アンパンマン……。
私のこと愛してくれてるって言ったけど、私はまだよく分からない。
お姉ちゃんのことも、アンパンマンのことも同じくらい好きで、とっても大好きって思うけど、それだけじゃないんだよね」
メロンパンナちゃんはにこっと笑って、ぼくの顔を見た。
「私ね、アンパンマンってやっぱりすごいと思う。
今までみんなにいっぱい愛をあげてきて、でも自分は辛かったのに、それでもいっぱいあげてきて。
だから、アンパンマンにはもっとワガママ言ってほしいの!
私いっぱい頑張って、アンパンマンの願いをいっぱい叶えてあげたい。
そう思ったの。それが愛なのか分からないけど、私は出来るだけ頑張るから!」
メロンパンナちゃんの話を聞いて、みんなはうんうんと頷いた。
「お前のわけわかんないポエムより、メロンパンナちゃんの話の方が全然ぐっとくるな」
「残念ですが、今回だけはあなたの言うとおりです。
メロンパンナちゃんは、将来立派な大人になるでしょうね」
「そうかな。もしなれるんなら、ロールパンナおねえちゃんや、アンパンマンみたいになりたいの!」
「メロンパンナちゃん……ありがとう!」
ぼくは、ぼくの手の上に乗った重みや、温かさがとても尊いものに感じた。
これは夢じゃない。ぼくは一人じゃないんだ。
やっとそう思えてきた時に、パン工場のドアがノックされる。
すると、ぼくたちは急に恥ずかしくなって、笑いあって手をほどいた。
メロンパンナちゃんが真っ先に、扉の方へ向かい、ドアを開く。
すると、メロンパンナちゃんは嬉しそうに歓声をあげた。
「アンパンマン!」
メロンパンナちゃんは花束を見せて、ぼくに笑った。
「お姉ちゃんも来たよ!」
ノックの音だけを残し、そっと壁に立て掛けられてたのは真っ白な花の花束だった。
ぼくはあの時、ぼくの部屋の中で揺れていた花を思い出す。
そして、僕はきっととびきりの笑顔で笑った。
「みんな、ありがとう。ぼくの家族でいてくれて」
あったりまえだと誰かが笑う。
当然じゃないですかと誰かが怒る。
こちらこそありがとうと、誰かが返してくれる。
ぼくの視界はまた滲んでいて、その姿はよく見えなかった。
でも、ぼくはこの日のことを、一生忘れない。
例え、世界が本当に滅ぶときがきても、ぼくは今日を思い出すだろう。
そして、家族を守るために、街のみんなや、世界中のみんなを守るために、ぼくは戦っているんだと思う。
ぼくを愛してくれる人のために、その人たちを守りたいと思う自分のために、ぼくは戦おう。
それがぼくの生きている理由だから。
ぼくは今ならそう思うことができた。
終わり
読んでくれた人いたか分からないけど……ここまで読んでいただきありがとうございました!
前回書いたSSは失敗してしまったので、今回は頑張りたかったのですが、無駄に壮大になってしまいました。
今までにも色々書いてきたので、下のも読んで頂けると嬉しいです。
三代目「ナルトはお前に任せる」
サスケ「なんで俺を連れ戻しやがった……!」
勇者「ゴキブリ勇者」
これからしばらくSSをあげることは出来ないのですが、なんとか一本仕上げられてよかったです。
本当にありがとうございました!
アンアンアンパンマン、優しい君は。いけ、皆の夢守る為。
ホラーマンなら有り得る、乙!
いい話だった
乙
乙
アンパンマン嫌いじゃないが敵一人に対し複数人でフルボッコ見るとどっちが悪だよと切なくなる
乙。面白かった
本編のばいきんまんも素直になれればなぁ…w
くっそチビッ子向けのアニメからくっそ壮大な話でびびった
乙
>>95
そうでもしないと止められないからだろ
アニメや映画を深く見れば分かるがアンパンマン達が総出でかかって止めないと
大量殺人や町全体が更地になるような事もしでかしてるぞ
ばいきんまん自身も説得に応じないし自業自得
乙
めちゃくちゃ壮大だった
アンパンマンSSは割りと傑作率高い
ばいきんまんは、悪の化身というか、悪の美学に基づいて行動しているから、大人になってから改めて見るとすごい深い話です。
何度も、ばいきんまんはイイことをしていますが、それをバレてはいけないですし(変装)悪さをしていると勘違いされたところで、喜々として自分の悪さにつなげます。
反面教師という、世界にとっての必要悪であり、絶対悪。それがばいきんまんなのです。
>>97
たしかに子供向けアニメかもしれんが大人向けの絵本ではあるぞ
すげー面白かった
乙乙
ばいきんまん自体はあまり自分から動かないぞ
どきんちゃんが好きでどきんちゃんのワガママを聞いてるだけ
むしろばいきんまんはアンパンマンとかが無駄に掛かってこなきゃただのバイキンの王でいた
つか映画とアニメ(テレビ)は作品つか時空が違うからそれぞれ名前が同じなだけの違うキャラ
これはどんなアニメでもそうで同じにするのはおかしい
アニメはアニメ、映画は映画と別物、常識だろ
そりゃドキンの我儘を聞くこともあるけど、何か面白いことないかなと言いながらUFOで飛び回って他の奴らに迷惑かけてるのはばいきんまんだろ
他にもお腹空いたと言いながら食べ物キャラを自分から襲ったりもする
アンパンマンは突っかかるんじゃなくて虐められてるキャラを助けるために食い止めに来てるだけだろ
自分からばいきんまんに突っかかってることなんてない。
それにばいきんまんの一番の目的はアンパンマンを倒すことでイタズラだの世界征服は二の字
むしろばいきんまんがアンパンマンに突っかかってるじゃん
ロールパンナを洗脳する時も突っかかって来るのはばいきんまんの方だし
アンパンマンはあくまでもばいきんまんに虐められてるキャラを守るために飛んでくるだけ
アンパンマン達が映画とアニメで別人なのはその通りだが、どちらにせよ周りに迷惑かけてるのは事実だろ
それにどんなアニメでも映画とは別設定なんてことはないはずだが
レス見てたらうずいてきたので、こっそり書きます。
絵本見たらばいきんまんがアンパンマンの誕生日お祝いしてたよ。
普段から、アンパンマンはばいきんまんとも仲良くなりたいんだろうし、ばいきんまんは取り返しがつくレベルで暴れてるんだろうし。
だから、どっちが悪いとかなさそうな気がする。
お互いがいるから楽しいって、お互いに思えたらいいけど、アンパンマンはそれに気づいてなくて、ばいきんまんはちょっと大人だから、気づいてそう。
とか思いながら書きました。それだけ。
マジレス長文ニキ湧きすぎ
でも子供向けの作品って単純なようでとても深いよね
見入ってしまいましたとても面白かったです
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