高垣楓「あ、まぁ酒でも一杯!」 (83)
※ このssにはオリジナル設定やキャラ崩壊が含まれます。
===1「楓、酒との遭遇」
「これはお祝いのお酒だから、子供の楓でも飲めるんだぞ」
そう言って持っていたコップに並々と注がれた未知の液体は、
少々ドロリとしていたうえに、つんと強い香りを放っていて。
人生において、初めてお酒というものに触れた小学校の入学祝い。
憧れだった真っ赤でピカピカなランドセルと一緒に、
めでたいからと祖父が持って来たのが甘酒でした……それも、一升瓶に入った大きなやつを。
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「ねぇ、じぃじ」
「どうした、楓?」
「これ、腐ってる。変な匂いがするよ?」
幼子ゆえの、忌憚の無い意見です。
「いやいや、腐ってなんてあるもんか。甘酒っていうのは、こういう香りのする飲み物さ」
「やっ、楓、こんなの飲みたくない!」
言うが早いかコップを顔から遠ざけて、そのまま流し台へと駆けて行く私。
「ま、待ちなさい楓っ!」
祖父の止める声にも耳を貸さず、中身を全部捨ててしまいました。
幼子ゆえの、遠慮の無い行動です。
「だって、腐ってるんだもん!」
流し台に背を届かすために踏み台にした、乗るとぷぎゅぷぎゅ音が鳴る椅子の上。
空になったコップを持ったまま、両手を腰に当ててふんぞり返る私。
ですが、敵は私よりも一枚上手でした。
「ふっふっふ……しかしな、それでじぃじのお祝いから逃れたつもりか~?」
あろうことか、祖父は私に贈ったばかりの真っ赤なランドセルを小脇に抱え、不敵な笑みで私を見下ろしているではありませんか!
「じ、じぃじっ!?」
「甘い、甘いのぅ楓! まるでこの甘酒のように!」
そうして祖父が仁王立ちする後ろ、八畳間の居間に置かれたちゃぶ台の上には、既に甘酒で満たされたコップがずらり。
ランドセルを抱えた手とは反対の手に持った、甘酒の瓶を見せつけるようにして祖父が言います。
「楓よ! ランドセルを無事にプレゼントしてもらいたければ、じぃじの甘酒をキチンと味わい、ワシにお祝いをさせてみい!」
===
ちろりと唇から舌先をのぞかせて、私は甘酒の注がれたコップの一つを手に取りました。
顔に近づけると、やはりなんとも言えない匂いがして。
思わず顔をしかめると、出していた舌を引っ込めます。
「ほれ、ぐぐっと飲め飲め。遠慮はいらんぞ、まだまだたっぷりとあるからな」
祖父がそう言って甘酒の瓶を振る度に、中身がちゃぽちゃぽ音をたてて。
再びコップを持って駆けだそうにも、居間から台所へのルートは祖父によって完全に塞がれていました。
前に甘酒、後ろに祖父。
その道の先で待つ真っ赤なランドセルを迎えに行くためには、絶望的な状況でも前に進むしかありません。
そしてそんな私の決意を鈍らせる、甘酒の香りをどうしようかと考える。
こういのは、匂いを嗅いだらダメなんだ。
匂いを嗅がずに一気に飲めば……じぃじがよく飲む、青汁なんかと同じだ!
決心を固めた私は目をつぶって口からめいいっぱい息を吸い込むと、そのままの勢いでコップに口をつけ、
「ぷふぅっ!?」
盛大に、中身を吹き出しました。
今にして思えば、当然です。だって、息を限界まで吸ったまま、さらに飲み物を飲もうとしたんですから。
小さな子供にそんな状態でむせるなと言う方が、無茶な話です。
「だ、大丈夫か!? 楓!」
せき込む私の背中を、祖父が慌ててさすります。
「げほっ、けほっ! こほっ!」
「ほらっ、これを……!」
祖父から受け取ったコップの中身を、大急ぎであおる私。
瞬間、口の中に広がる甘味の暴力。
再び吹き出しそうになる口を慌てて押さえて涙目で祖父を見れば、
「どうだ、楓? 甘くって美味しいだろう」
その顔はまさにしてやったり、純粋な子供をからかう大人が見せるような、満面の笑顔でした。
それからというもの、祖父は何かあるとすぐ「お祝いだ」、「めでたいな」と言っては甘酒を私に振る舞いました。
最初のうちは嫌々付き合っていた私でしたが、
「楓は父ちゃんに似て、見てて気持ちが良い飲みっぷりだなぁ!」
なんて、甘酒を飲む私を見ながらニコニコと笑う祖父を見ていると、いちいち反抗する気も失せてしまって。
普段から祖父には、色々と迷惑をかけていた私でしたから。
彼が喜んでくれるなら、このぐらい、お付き合いしましょうという気持ちになっていたのです。
いつしか我が家でのお祝いの日には、甘酒で祝われる私と、
それを肴に日本酒を飲む祖父というのが定番の風景となっていたのでした。
===2「楓、上京す」
人の成長と時間の流れは速いもので、そうこうしているうちにどうにか私も高校を卒業し、大学に通うために上京することに。
勿論、お別れの日の夜は、甘酒で乾杯です。
「向こうについたら、連絡しますから」
「あぁ、気をつけてな」
翌日、駅まで見送りに来てくれた祖父。
その手には、小さなビニール袋が握られていて。
「それから、これも」
渡された袋の中には、パックに入った甘酒が一杯。
目を丸くした私に、祖父が笑いながら言います。
「人付き合いに困った時には、『あ、まぁ酒でも一杯!』飲みにけーしょんってな!」
「……ホント、お爺ちゃんったら」
気づけば私も、つられてくすくすと笑っていました。
くだらない洒落ではありますが、これからの生活に対する不安も、少しは軽くなった気がします。
ホームに、電車の発車を告げるベルが鳴り響きました。
私は電車に乗り込むと、祖父にぺこりとお辞儀をして。
「それじゃあ、行ってきますね」
そうして私を乗せた電車は新たな生活の場、まだ見ぬ土地へ向けて走り出したのです。
===
地元を出られるのなら、別に大学自体はどこでも良かったんですけど。
ほら、東京の人は、周囲の人間に無関心って言うじゃないですか。
それに、なるべくなら人の多い街……
それこそ、私のことを覆い隠してくれるほど沢山の人がいる場所に、行きたかったんですよね。
「……高垣、楓です……今日から、よろしくお願いします」
初めての一人暮らし。家事については、昔からやっていたので問題はなかったのですが。
私の頭を悩ませることになったのは、やっぱりお金に関してです。
いえ、日々の支払いが追いつかないわけじゃ、無いんですよ?
私個人の、蓄えは十分すぎる程にありましたし。
『あんなもん、別に小遣いだと思えばいい!』
そう言って祖父は電話口で笑っていましたけど、いい加減私も大人なんですから、
いつまでも心配をかけ続けるワケにはいきません。
これからのためにも、自分が使う分は、ちゃんと自分で稼がなくちゃ。
そう思って、アルバイトも始めてみたんです……でも。
「……三点で、七百六十五円になります」
「えっ、なに?」
「あ……で、ですから、三点で七百――」
「三点で、七百六十五円になります!」
私の声に被せるように、フォローに入った店長が金額を伝えます。すると目の前のお客さんが、
「あぁ、ったく、聞こえないんだよ」
吐き捨てるように言ってから、レジトレーの上にポケットから取り出した千円札を放り投げました。
「では、千円お預かりいたします」
お金を受け取った店長がお釣りを渡している間に、
私はレンジから出したお弁当と、カウンターの上の商品をビニール袋に詰めこんで。
「おいおいアンタ、何やってんだよ!?」
なのに、突然お客さんに怒鳴られて、袋の持ち手を持ったままキョトンとする私。
「は、はい? 何でしょうか……」
「アンタさ、フツーはチンした弁当と飲み物、一緒にするか? 飲みもんがぬるくなっちまうだろーがっ!」
威圧され、首をすくめて縮こまる。
「す……すみません、すぐに――」
「だから、聞こえねーんだよっ! ったく!」
店長が商品を詰めなおした袋を乱暴に受け取ると、怒ったままお店を出て行くお客さん。
レジを閉めた店長が、大きくため息をついて私に言います。
「高垣さんさぁ、ちょっと裏に来てくれる?」
その声は接客中とは打って変わって冷たいもので。
私は首をすくめたまま、小さく「はい」と返したのでした。
ちょっとポンコツな方の高垣さんか
===
「はぁ……またやっちゃった」
あかね色に染まる空の下、人気の無い公園で。
ベンチに座って肩を落とす私の上を、カラスがカァカァと鳴きながら飛んでいる。
沈んでいく夕陽は赤いのに、私の心はどんよりとブルー。
くるくると頭上を舞うカラスたちの鳴き声も、まるで不甲斐ない私を笑っているようです。
いつまでたっても慣れることのない、不快な鳴き声。都会には、奴らが多すぎます。
憂鬱な気分を晴らそうと、私は持っていたスーパーの袋をガサゴソとならしながら、中から缶に入ったお酒を取り出して。
カシュっと、プルタブの開く音。
それから、泡の弾ける音を聞きながら、ぐっと一口。
「…………ぷはぁっ!」
一気に半分ほど飲んでから、大きく息をつきました。まだ若い女が公園のベンチで一人酒。
こんな姿を、もしも誰かが見ていたらどう思うだろう。
失恋? お祝い? 憂さ晴らし? ……まぁ、なんでも、いいですけれど。
とにかく今飲んでいるこの一本が、私にとってのやけ酒であることだけは確かです。
……上京してからもう三年。
順調に行けば、大学生活も残りは僅か。なのに私は、未だに自分の進む道すら決められない始末。
でも、それも仕方がありませんね。
事実、どうにも私は働くということと、相性が悪いように思えましたから。
「気をつけてるつもり、なんだけどな」
言い訳をのせた呟きを、誰に聞かせるでもなく吐き出して。
思い返すのは、これまでに就いた様々なお仕事のこと。
コンビニ、スーパー、飲食店に雑貨屋の店員といった接客業をメインに、
珍しいところではイベントの売り子なんてのもあったっけ。
けれど、その全てを私は短期間でクビになっていました。酷い時には、一日と持たずに。
どうしてそんなにも首を切られるのかと聞かれれば、答えられる理由は一つ。
元々呑気な性格である私の要領が、人よりずっと悪いためです。
「要領は悪いのに、よう、料理はできるのな……うぅん、イマイチ」
思いついたことをすぐ口に出す、悪い癖。この癖のせいで、仕事中にも何度注意されたやら。
呆れたように笑い、両手で包んだ缶に視線を落としたその時でした。
「お仕事が続けられない本当の理由は、そうじゃないでしょう?」
一際高く鳴いたカラスの声がそう言ったように聞こえてしまい、私は思わず肩を震わせました。
伏せていた顔を上げれば、普段は鳩がたむろっているだろう公園の中の開けた場所に、いつの間にか幾羽ものカラスが舞い降りて。
その中の数羽が私に向かって、まるで責めるようにその瞳を向けているじゃないですか。
「貴女、また嘘をついている。心を欺く、嘘をついている」
「……私は、嘘なんてついてない」
「ほら、また嘘をついた。まるで息を吸って吐くように」
「嘘、じゃない……本当に、私は……私が……!」
「見られるのは嫌、聞かれるのも嫌。だったらどうして貴女は人と関わろうとするの?
一人きりの世界にこもれる、穴倉でするようなお仕事も、あると分かっているくせに」
「そ、それにだって、ちゃんと理由がありますっ!」
いつの間にか、群れの中でも一際大きな一匹と、私は見つめ合った状態で固まっていました。
そのカラスの眼が夕陽を反射し、まるで左右で違う色に見える瞳で私を刺します。
「それは、なに?」
「それは……その、理由は……」
辺りが、しんと静まり返りました。
世界に、私だけしかいないと錯覚してしまいそうな程、静かな瞬間。
そんな静かな世界の中で、私の言葉を聞いたカラスはくちばしをカチカチと鳴らして。、
「嘘つき」
気づいた時には、手に持っていた缶を群れに向かって投げつけた後でした。
放り投げた缶が鈍い音を立てて地面にぶつかると、ギャアギャアとやかましく、羽ばたきと共に空へ散っていくカラスたち。
そんなカラスを追うように見上げれば、燃えるように赤い空と、煙のように黒い雲。
そして、あの日と同じように、飛び回る無数の小さな影。
「嘘じゃ、ない。嘘じゃ……」
ぶつぶつと繰り返す呟き。強い自己嫌悪と、喪失感。
子供の頃から離れない、苦い記憶を思い出した私は、唇を噛みしめて。
それからぼぅっとしながらも、投げつけたお酒の缶を拾わなくちゃと、視線を公園に戻した時です。
「あっ」
思わず、小さな声をあげていました。
徐々に闇で埋められていく公園の中、先ほどまでカラスの群れがいた場所にまっすぐ立って、私を見ている大きな人影。
スーツを着た体はがっしりと。
暗がりの中でもハッキリと分かる、細く鋭い、睨み付けるような彼の眼は、見る者に無言のプレッシャーを感じさせ
……実際、彼に見据えられた私は動くことも出来ず、ただただそんな彼のことを見つめ返すばかり。
「あの、すみません」
その声は低く、重く。彼が一歩、私に近づきました。
「怖がらないで、落ち着いて聞いてください」
また一歩、二人の距離が縮み、暗がりから現れた彼の顔。いかつい顔が露わになります。
「いきなりなことで、大変驚かれるとは思いますが……」
三歩目、彼の手に握られていた空き缶の存在に、私はようやく気がつきました。
見間違うはずもない、あれはそう、ついさっき私が投げた……。
四歩。手を伸ばせば届きそうな程に近づいた二人の距離に、
私にはもう、この場から逃れるという選択肢が無いことを悟ります。
私の頭の中で、カラスの言っていた言葉。「穴倉にこもるお仕事」とやらがぼんやりと形になっていく。
工場だとかなんだとか、そういうお仕事のことだと思っていたけれど……
どうやらあれは目の前の彼のような人々のいる世界。いわゆる夜の――。
「少々、お時間を頂いてもよろしいでしょうか? 貴女に、お話したいことがありまして」
断れる雰囲気では、とてもじゃないけどありませんでした。
だって、私にそうお願いする彼の迫力もさることながら、その顔はまさに必死。
目尻には光る涙をためて、大の男の人が今にも泣き出しそうな顔をして、私のことを見ていたんですもの。
この人登場したらもう安心ですよ
TA・KE・U・CHI !!
===3「楓、とデクノボー」
風が、冷たくなっていました。
ベンチに座りなおした私の前に立つ彼が、一枚の名刺を取り出して、
「まずは、これを」
「あ、はい。ご丁寧に……どうも」
ぎこちない動作で手渡された名刺を受け取って、私は軽く頭を下げます。
飾り気のない、シンプルな名刺には彼の名前と、それから……。
「……芸能、プロダクション?」
それっていわゆる、芸人さんなんかがいる。アレのこと……ですよね?
「えぇ。自分は、そこでスカウトマンのようなこともやっておりまして」
「スカウト、ですか」
それは、余りにも突然の申し出で。
貰った名刺を手先でいじくりながら、私は急いで考えだします。
スカウト、すかうと、すかっと、うっと。
スカゥトを履いた女性を公園でスカウト……あ、いけない。今の私が履いてるのは、スカートじゃなくスラックス。
他には何か……そういえばスカウトって、英語での綴りはどう書くんだったかしら?
「……ダメ、思いつかない」
「はい?」
「あっ、いえっ……独り言、です」
不思議そうに聞き返されてしまったので、慌てて取り繕って下を向く。
……困った。これじゃあ、とてもじゃないけど「一芸」とは呼べません。
訪れる沈黙、それきり黙りこくる私たち。
すっかり陽の落ちてしまった公園を、冷たい風が吹き抜けます。
「……あの」
口を開いたのが同時なら、
「あぁ、いえ、そちらからどうぞ」
先に話すよう、相手に促したのもまた、同時でした。
二度目の沈黙。気まずい空気が濃くなります。
いつ、口を開こうか。また被ってしまうんじゃないかと心配して、互いに探りを入れるこの時間。
こういう時って、ホントに困っちゃいますよね。
まるで学校の授業中に先生から、「この問題の答えが分かる人?」と尋ねられた、誰も手をあげない教室の空気にそっくりです。
自分には答えが分かっているけど、他に誰も手をあげる人がいないから、
自分も一人だけで手をあげることをためらってしまう……分かりますかね?
……だからでしょうか。
私は視線を下に向けたまま、恐る恐るといった調子で、ゆっくりと片手をあげて。
「――は、はい!」
思わず、先生と呼びそうになったのは、内緒です。
「あの、どうして私を? 確かにお笑いは好きですけど、私自身は簡単な駄洒落ぐらいしか言えませんし」
「お、お笑いですか?」
「えぇ。なのに今だって、気の利いた洒落の一つも浮かばなくって……これじゃあとても、『一芸』なんて――」
「ちょ、ちょっと待って下さい!」
慌てた様子で、彼が私の言葉を遮りました。
「その、勘違いなさっているようですが、私は別にお笑い芸人を探しているわけではありません」
「えっ? で、でも……芸能プロダクションって、何か芸を持った方が入れる会社じゃないんですか?」
「……確かに、芸人さんを集めた事務所と言うのはありますが。
私が所属しているところは、どちらかというと俳優やモデルの方が中心です。
こうして貴女に声を掛けたのも、貴女ならモデルとして活躍できそうだと思ったからでして」
「モデル業……モデル、さん?」
思わずそう聞き返して顔を上げると、目の前の彼は困ったような、怒ったような顔で私のことを見下ろしていました。
その表情を見てようやく、私は自分が盛大な思い違いをしていたことに気づきます。
「あっ、あ、ご、ごめんなさい。私てっきり……」
まぁ、そうですよね。路上で芸人さんをスカウトするなんて話は、余り聞いたこともないですし。
こんな勘違いをしてしまったのも、私の中にある「芸能人」のイメージが、お笑いに傾き過ぎていたからかもしれません。
……と、とにかく、一瞬でも舞台に立って、漫談を披露する自分の姿を思い描いた、自分自身が恥ずかしい。
穴があったら入りたいとは、まさにこのこと。
どこからともなくスコップが取り出せるなら、いますぐ自前で穴を用意している気分。
「いえ。こちらこそ勘違いさせるようなことを……初めにちゃんと、説明をするべきでした」
でも、そんな私に気を使ってか。
そう言って彼は、まるで謝罪するように丁寧に頭を下げました。
「お恥ずかしい話なのですが、自分は口下手なものでして。
ようやくこちらの話を聞いて頂ける人と出会えたので、少々、気が急いてしまっていたようです」
モデルか…
楓さんは発達障害かわいい
===
その後、改めて受けた説明をまとめると、こんな風なお話になりました。
曰く、彼が勤めているプロダクションでは、雑誌や広告に出演するための新たなモデル候補を探していたこと。
曰く、朝から街を回って声掛けを続けていたが、どうにも上手くいかず、落ち込んでいたこと。
そうして何の収穫も無いまま、一日を終えそうになった彼は、最後にたまたま立ち寄ったこの公園で、私のことを見つけたこと。
「初対面の人間に言われても、胡散臭いと思われるだけかもしれません。
ですが、貴女には人を惹きつける魅力があると、一目見て感じたんです」
そう言う彼の口調は、真面目も真面目、大真面目なものでした。
でも、だからこそ気になってしまったんです。
先ほどから馬鹿に丁寧な、彼のその、真面目過ぎる「台詞回し」が。
「そういうのって、やっぱりマニュアルがあったりするんですか?
スカウトの時は、相手をおだてて、その気にさせなさい……なんて」
口から出た言葉は、自分でも思っていた以上に感情の無い、突き放すような声音で。
……彼が動揺したのは、顔を見なくたって分かりました。
だって、さっきまでは微動だにしてなかった彼の靴先が、今は僅かにその位置を変えています。
「私に人を惹きつける力なんて、ありませんよ。むしろ、私は昔から人を遠ざけてばかり……」
ぐっと、力の入った肩が強張ります。
私は視線を彼の足元から、膝の上で組んでいた自分の両手に移し、
「原因は、私。悪いのは、私なんです……周りと違う、私が悪い。皆に合わせられないのは、私の方なの……!」
固く握った手の中で、名刺がくしゃり、と音を立てて。
ハッと我に返った時には、遅すぎました。
窺うように相手の顔を見れば、彼もまた、困惑した顔で私のことを見下ろしていて。
だけど、それも当然ですよね。
会話の途中でいきなり、こんな……こんな……!
「で、ですから私にモデルなんてとても……ご、ごめんなさい!」
居心地の悪さにいてもたってもいられなくなった私は、そう言って勢いよくベンチから立ち上がると、
「これで、失礼します――きゃっ!」
「……危ないっ!」
駆けだそうとして、もつれた両足。
倒れそうになった私の腕を掴んでくれた彼と、振り向きざまに視線が合って。
「っ!」
動揺によって彼の手から力が抜けた、その一瞬をついて私は腕を振り払うと、急いでその場から走り去ったのです。
「ま、待って下さい! せめて連絡を――いつでも、待っていますからっ!」
助けてもらったお礼の言葉すら言えず。背中に投げかけられる彼の声から、ただ逃げるように、逃れるように。
===4「楓、追憶す」
――けれども、そうやって人の目からは逃げることができたとしても、世の中には逃れることのできないものがあるのです。
例え本人は忘れていても……それはいつか必ず、その人の前にやって来る。
忘れていた、目を逸らしていた時間が長ければ長いほど……
自分では、どうすることも出来ない程に膨れ上がった、大きな、大きな罪と罰が。
「そういえばさ、楓ちゃんって左右で目の色が違うんだよね」
好奇心溢れるといった表情で聞いて来たのは、当時小学生だった私と一緒のクラスだった女の子。
今となっては彼女の名前すら覚えてはいませんが、最初に声をかけてきた彼女にとって、
それは単なる興味本位から出た、何気ない一言だったのでしょう。
「あっ、ホントだ。なんだっけ、こういうの」
「アタシ知ってる! オッドアイって言うんでしょ? この前さ、テレビでやってるの見た!」
「……猫にもいるよね。楓ちゃんみたいに、おんなじ目の子」
けれどもその一言を発端にして、私は皆の注目を集めることになってしまいました。
休み時間の教室で、私の周りを囲むように集まったクラスメイトたちからの視線、視線、視線。
その中には、物珍しさからか女の子だけでなく、普段は話さないような男の子たちも混じっていて。
「実はさ、オレたちも気になってたんだよな。高垣の目のこと」
「そうそう! なんつーかさ、カッケーよな! アニメやゲームのキャラみたいでよー」
「分かるわかる、強い魔法使いとかさ……でもよ、なんで楓は目の色が違うんだ? 生まれつきってやつ?」
皆が一斉に、私の方を見つめます。
そのどれもが、好奇と羨望に満ちた眼差しで。
「ねぇねぇ、なんで楓は両方の目の色がちがってるの?」
「あれ? でもさ、小学校に入る前は両方とも一緒じゃなかった?」
「そーいえば、いつの間にか変わってたよな。俺幼稚園一緒だったけど、前は両方ともおんなじ色だったもん」
「えぇ! じゃあ、高垣は自分で目の色を変えたんだ!」
「どーやって? なぁなぁ、やり方あるんなら教えてくれよ。オレたちもさぁ」
「一度くらいなら……楓ちゃんみたいな目になってみたいよね」
次々と投げかけられる質問は、やがてどうすれば自分たちも同じような瞳になれるのかという話題に収束していって。
……大人になった今だからこそ、ますます実感しますけど、子供の頃ってホント、みんな呆れるぐらいに純粋ですよね。
歳を重ねるにつれて「あるはずもない」と考えだす、超能力や魔法といった非現実的な力。
怪談や占いのような信憑性の無いものだって、本気で信じられたのですから。
だから、幼い彼らがそうした発想。
自分も人とはちょっと違う、特別な見た目になれるなら……
そんな方法があるのなら、聞いてみたいと考えたのも、別に不思議ではありません。
右目は緑に、左目は青く。
生まれつきではない、後天性のオッドアイ。
どうして、私の瞳は左右で色が違うのか? それは鏡を見るたびに、自分でも不思議に思っていたことではありました。
小学校に入る直前に、亡くなったと聞かされていた両親とも違う、私の目。
けれどもその理由を尋ねると、祖父が悲しく、寂しい顔を見せるから……いつも私は、それ以上は何も聞けなくて。
だから皆からのその質問には、答えられるわけが無かったのです。
だって、私自身がその原因を、知らないんですもの。
「あ、あのね。私の目の色が違うのは、べつに何かをしたわけじゃなくて……」
けれどもその時、一人の少女が皆の会話に割って入りました。
「私、知ってるわよ。どうすれば高垣さんみたいに、アナタたちでも左右で目の色を変えられるか」
突然会話に参加したその少女の発言に、クラスの視線が私から彼女へと一斉に移動します。
「けど、余りおすすめはしないわ。成功するかどうかも分からないし、
だいいち失敗した時のことを考えると、それでもやりたがるのはただのバカね」
その子は、他の子たちよりも少し大人びた雰囲気を持った女の子。
私自身はそう関わりもありませんでしたが、その子は持ち前の正義感からか、
授業中にふざけている子を注意したり、いじめられている子を庇ったり……そんな真面目な子だったと記憶しています。
「はぁ? なんでいきなりバカなんて言われなきゃいけねーんだよ」
「それよりも、本当に目の色を変えるやり方を知ってるの? だったら、早く教えてよ!」
「そーだそーだ! もったいつけないで、早く言えよ! それとも、ホントはやり方なんて知らなくて――」
最後の男の子が言い終わらないうちに、彼女は近くにあった机を強く叩くと、彼の言葉を遮りました。
そして、苛立ちを抑えるように両腕を組んで、
「失礼ね! ちゃんとやり方は知ってるわよ! でも、この方法はとっても危ないし、
さっきも言ったけど、思ったとおりに目の色を変えられるかどうかなんて、そんなの決まってないんだから!」
その有無を言わせぬ迫力に、辺りの子たちが息をのんで、静まりました。
それから彼女はちらりと私の方を見てから――その眼差しが他の子たちとは違い、
憐れむ者を見るように見えたのが、私には妙に印象に残っています――周囲に言い聞かせるように説明を始めます。
「いいこと? 目の色を変えたいなら……簡単よ。自分で目を、傷つけるの。
刃物でも、指でも、何でも良いでしょうけど……とにかく、目の中にある色のついた部分をね」
そう言って彼女が、あっかんべーとするように、自分の目の下を人差し指で押さえました。
「だけど、きっと物凄く痛いでしょうね。それに、下手したら目が見えなくなっちゃうかもしれないわ。
……それでもアンタたち、やってみるつもりなの?」
……誰も、何も言いませんでした。
休み時間だというのに教室の中は静寂に包まれ、
誰も彼もが彼女の語ったその衝撃的な方法に、ショックを受けているようでした。
けれども、そのうち一人の男の子が不思議そうに首をかしげて口を開くと、
「……だったらさ、高垣は自分で目を傷つけたってワケか? その、片っぽの目の色を変えようとしてさ」
再び私に集まる、クラス中の視線。
しかし、今度そこにあったのは好奇でも羨望でもない……畏怖の感情。
理解しがたいものを見る目。恐ろしいものを見る目。そして……。
「あっぶねー……もうちょっとで俺、高垣の真似して自分の目を潰すとこだったぜ」
安堵のため息と共に吐き出された、その一言が引き金となりました。
「……ホントな、俺もカッコいいかなって思ったけどさ……目、見えなくなるのは困るもんな」
「そうだよね。それに、スッゴク痛いなら、わたしきっと耐えらんないよ」
「でも、楓ちゃんはその痛みに耐えたんでしょ? ……なんで?」
「バカ、そりゃお前……目の色を変えたかったからに決まってんだろ!」
「……上手くいけば、目立つもんね。なんていうか、人気者になれるっていうか、さ」
畏怖が、ざわめきに変わり、それも徐々に嫌悪へと変化していく。
思わぬ方向へと転がり始めた話題に、口々に好き勝手な意見を言い合いだしたクラスメイトたち。
波紋のように広がった喧騒をおさめようと、皆に目の色の変え方を教えた、あの少女が声を張り上げます。
「ちょ、ちょっと待ちなさいよアンタたち!
私はただやり方を教えただけで、高垣さんがそんなこと自分でやったなんて一言も――!」
……けれども、彼女はそこで言葉を詰まらせました。
その視線の先には、大粒の涙をぼろぼろとこぼしながら、泣きじゃくる私。
「……うっ、ひっ……ひぐっ、うぇ、ふぇぇ……!」
初めは自分でも、どうしてこんなに悲しく、涙が止まらないのか……その理由が分かりませんでした。
自分は、人の注目を集めるために目を傷つけるなんて馬鹿な真似はしない
――たったそれだけのことを、否定したかっただけなんです。
でも、そのことを否定しようにも私自身、どうしてみんなと違う瞳をしているのか……その理由を知らなくて。
みんなが話している中、必死になって思い出そうとして……すると、忘れていたはずの記憶。
今まで目を逸らして「無かったこと」にしてきた自分の過ちを、私はあっけなく思い出してしまったのでした。
目に走る痛み、轟音、フラッシュバックする数々の光景。もうもうとあがる煙に、滲んだ視界。
遠目に見える車の運転席には、変わり果てた父親の姿。そして、私の上に覆いかぶさったまま動かない母親。
辺りには黒い羽が舞い散り、空には無数の影が不気味な鳴き声を――。
「いや、いやあぁ……! いやあああぁぁぁぁっっ!!」
――それは、一種の記憶障害。
強烈なトラウマから自分の心を守るために、知らず知らずのうちに鍵をかけた記憶の扉。
けれども、その扉を開くための鍵は……オッドアイと言う名の、とても目立つ形で残っていて。
かけがえの無い人達を代償に得たこの異色の虹彩は、以後長きに渡って何年も、私の心に暗い影を落とすこととなるのです。
かわいそうに
うわぁ…
乙
説得力あるね
期待
本来いいものじゃないよなあ
意外な視点
新たな人との出会いがあるたびに、投げかけられるお決まりの台詞。
尋ねられるたび、窓や鏡に映った自分のこの目を見るたびに、思い出される辛い過去の記憶。
どこへいても休まることの無い。ちらちらと、まるで影のように付きまとって離れない。
それはまさに、終わることの無い罰です。
いつしか私は、普段の生活でも極力人を避けるように、陰に籠る生活を送るようになりました。
そしてそんな私の態度から、次第に周りの人間も私とは距離を置くようになり……後は、わざわざ語るまでもないでしょう?
人を恐れ、人と怖がる、内気な少女の完成です。
===5「楓、正直に生きる」
この歪な瞳。私を悩ますこの両目さえ無くなれば……また以前のように、笑える日が来るかもしれない。
潰れた片目。いいえ、何だったら両目だっていいんです!
……そんなことを考えて、深夜の自室で小さな鏡台を前に、刃物を握ったこともありました。
でも、ダメなんです。結局そんなことをしてみても、人々の詮索から完全に逃げられるわけじゃ、ありません。
だってそうでしょう?
パッと見では分かり辛い、オッドアイだけでもこの有様なんですから。
これが目を失ったりした日には、益々みんなどうしたのかと、興味を持たないわけがないじゃないですか。
「だったら……いっそ……!」
チキチキと、握られたカッターナイフが音をたて。
月明りに照らされたその切っ先が、鈍い光を反射します。
――鏡に映るもう一人の自分と向き合うと、私は彼女の首元に、その輝きを添えました。
冷やりとした感触が肌に触れているのを感じ、後はこのまま……この手に力を込めさえすれば。
「……でも、ホントに貴女はそれでいいのかしら」
思わず、息を飲みました。
カッターの刃先を首に当てたまま、私は金縛りにあったように固まって。
「お爺ちゃんは、当然悲しむでしょうね。息子夫婦だけじゃなく、今度は孫娘にまで死なれたら……」
闇の中、妖しく見つめるオッドアイ。
鏡の中の少女は、私と同じポーズをとったままで続けます。
「私は、別にどっちだって構わない。
貴女の代わりにその手を動かして、この部屋を真っ赤に染めてあげることだってわけないわ」
ちくりと、首筋に痛みが走り、
「どうする? ねぇ、どうする? 決めるのは貴女だけど、私だって手伝ってあげることぐらいはできるわよ?」
心なしか、彼女の口元は笑っているようにも見えました。
そして鏡の中の彼女の手が、私の意志とは無関係に動き始めます。
「い、嫌っ!!」
持っていたカッターを、反射的に部屋の暗がりへと投げ捨てる。
息が荒い。動悸がする。
わなわなと震える両手は、何を掴むことなく小さくさまよい。
「あ、あぅ……うぅ……」
触れた自身の両肩を、抱きしめるように強く、強く。
吐息を漏らしながら、涙ぐむ。
その視線の先には、鏡の中、「刃物を持ったまま」の少女の姿。
見間違いかと瞬きをして目を開くと、鏡の中に映っていたのは紛れもない自分の顔。
幻覚だったのか、それとも夢を見ていたのか……どちらにせよ、私が目をつむるその瞬間、確かに彼女は言ったのです。
「しょ、しょうじきに……なり……なよ?」
彼女の言った言葉を、自分も声に出して、復唱してみる。
だけど鏡の中の少女はもう、それきり何も応えてはくれませんでした。
乙
――でもね?
この一件のお陰で、私は変わることができたんです。
うぅん。正確に言えば、変わるための努力を始めたと言った方が、しっくりきそう。
いつまでも私がこのままじゃ、祖父だって悲しむでしょうし……なによりもまず、自分が辛くなるだけだから。
……彼女の手が動きだした時に、私は死にたいわけじゃないって気づいちゃったんだもの。
だったら、もっと前向きに……ちゃんと進んで行けるように、戦わなくちゃ。
例え人と目を合わすことが怖いからって、今までみたいに人を避けて生きるんじゃなく、
今までよりも積極的に、人と関わり合って生きて行こうって。
過去の自分と、これからの私のために。
===
雑踏、街を流れる人波の中で。私は急ぐように出していた足を止めると、その場でゆっくりと体を振り向けます。
使えないと罵られ、笑われ呆れられたって、それでも負けない気持ちで頑張っていた。
「そうだ、負けないんだ」
呟く。弱気になっていた心を、奮い立たせるように。
一人ぼっちの私の味方は、自分だけ。
最後の最後、土壇場でこの体を支えられるのは、自分自身しかいないのだから。
ドキドキする胸の鼓動。駆けだした体で感じる街の風。
人の流れに逆らいながら、元来た道を逆走していく。
今なら、まだ間に合うかもしれない……視界に、さっきまでいた公園が見えてきました。
心の中で願う。早く、もっと早く! 忘れてなんてない、今度こそ嘘じゃない。
だって私は、自分の気持ちに正直に生きるって決めたんですから!
「っ! あ、貴女は……!」
幸運なことに、彼はまだ公園に残っていました。
先ほどまで私が座っていたベンチに腰掛けて、驚きに丸くした目で私を見ます。
「……あ! あのっ、あのっ!!」
年甲斐も無く、青春する女学生みたいに全力で走って来たんですから。
ぜぇぜぇと肩で息をしながら、それでも私は一歩、大きく足を前に出して。
「さ、さっきは、ごめんなさい。実は私、貴方に聞かなきゃいけないことを思い出して……!」
二歩目は、少しふらつきながら。
「本当は、声をかけて頂けたのが嬉しかったんです。こ、こんな私を、必要だって、魅力的だって言ってもらえたの」
三歩目の足で、しっかりと地面を踏みしめて。
「で、でも……私は普通の人と比べて、浮いてる……変わってるところが、多いから」
息を整えながら、四歩目を。
ベンチに座ったままの彼の前に、私は仁王立ちするかのような勢いで立ち尽くし、
「私は、自分に自信が無いんです。人の目が怖くって、いつもおどおど陰に隠れて……
だけど、だけど本当は、そんな自分が堪らなく嫌で、どうにか変えられないかって無理やり人前に出るようにしてて」
驚いていた彼の表情が、徐々に真剣なものへと引き締まってゆく。
そして私も、この気持ちを伝えられるよう、自分の顔に表情をつけて。
「今日もまた、それで失敗して落ち込んで……そんな時、貴方に声をかけられた。
でも、貴方の態度が余りにもまっすぐだったから、怖くなって逃げ出してしまったんです」
「……それでも、貴女は戻って来た」
そう言って彼が、その真っすぐな視線で私の顔を見つめて来ましたから。
私もぐっと体に力を込めて、その視線を正面から受け止めます。
ここで目線は、逸らさない。
最後までちゃんと、相手を見て……自分がどう見られようが、どう思われようが気にしないというふうに。
……それに、もう大丈夫ですよ。そんなハラハラしたような顔をしなくても。今度こそ、私は決めて見せます!
「だって貴方に、教えて貰いたいことがありましたから。それで、あの、その話を聞くために――」
体だけじゃなく、ここで目にも、力を込める。
一瞬、ベンチに座る彼がたじろいだ気がして心配になったけど、
私は持っていた袋から、まだ開けてない缶を取り出して。
「まずは……駆けつけに一杯。それからお話も、いっぱい聞かせて頂きたいんです。
貴方のお誘いを受けたその先で、私がどんな風に変われるのかを」
少しだけ恥ずかし気な、ぎこちない笑顔で言いきった結果は凍りついたような静寂。
ベンチに座る彼は目をぱちくりとさせたままで固まって、視界の端に映るあの人は……あっ、今度は顔を押さえてがっくりしてる。
……あの反応ってことは私、もしかしてまた「やっちゃった」かしら。
「――いよぉっし、カットっ!!」
けれども、一瞬の間をおいて公園に響き渡る監督さんの声。
そしてそれを合図に、ざわざわと周りもざわめきだして。
すると遠くにいるあの人が、慌てて監督さんのところに駆けて行って……どうやら、今回はオーケーだったみたい。
ほっとした表情で胸を撫で下ろしている、プロデューサーの姿が見えます。
「いやぁそれにしても! 高垣さぁん……駆けつけ一杯でしたか? そのアドリブは反則ですよぉ~」
ベンチに座っていた、共演している俳優さんにそう声をかけられて振り向くと、
さっきまでの真面目な雰囲気から一転。彼は軽い口調で笑いながらそう言って、
「いきなり缶なんて取り出すから、こっちも呆気にとられちゃって。
なのに監督はオーケー……参ったなぁ、上手い返しを思いつく間も無かったや」
「……本当はあれ、三杯が正しいんです。でも思いついてからいざ袋の中を覗いてみたら、もう一本しか残っていなくって」
「それでも、さっすがは高垣さん。あんな突拍子もない演技でも、ちゃんと様になってるんだから。
どうです? この後、その演技のコツを共有するためにもホントに一杯、なんて」
ですが私は、飲みに誘ってくれた彼に向けて丁寧に頭を下げると、
「魅力的なお誘いですけど……ごめんなさい。今日はもう、先約があるんです」
すると彼は頭を掻きながら、「ありゃ、そりゃあ残念だ」と言いました。
折角誘ってもらったのに断るなんて、なんだか悪いことをしたような気にもなりますが……今回は少し、事情が、事情ですから。
あれ?
これいつから劇中劇?
えっドラマの撮影だったのかな
>>63からかな?
===
撮影も終わると、私はプロデューサーの運転する車に乗って帰路へ。
夜の街、色とりどりの光が流れて行く道に車を走らせながら、プロデューサーが言います。
「今日の撮影もまぁ、滞りなく終わって良かったですけど
……ほんと、貴女の行動は見てるこっちがハラハラします。心臓に悪いって言葉の意味、僕は改めて実感しましたね」
「すみません。自分では、そんなつもりはないんですけど……
どうも私は昔から、そういうところがあるみたいで」
「もしかして、僕じゃなくても言われてました?」
「はい。よく、言われてました」
私が微笑みながら答えると、彼はハンドルを握ったまま、小さく肩をすくめて。
「はぁ……ほんと、ずるいですよ。そんな無邪気に笑って返されちゃ、怒ろうにも怒れません」
「ふふっ。実は、それもいつも言われてました。
どうも私の傍にいてくれる人は、昔から優しい人ばかりで……ありがたいことです」
――そう。だからこそ自分が、彼女と比べてどれほど恵まれていたのかが、分かるわけでもあるのですが。
少しの沈黙。プロデューサーが「そうそう」と思い出したように、
「ところで、話は変わりますけど……今回のドラマ、実際に撮影が始まってみてどうです?
やっぱり辛いとか、やりにくいことがあるなら今からでも――」
「……大丈夫、ですよ。共演の皆さんも、スタッフさんも良い人ばかりですし。
なによりこれは、自分でやると決めたお仕事ですから」
ちょっとだけ、心配そうに聞いて来たプロデューサーを不安にさせないよう、私は努めて明るく返しました。
「けど、少し不思議な感覚ではありますね。
まさか、この眼がお仕事の役に立つ日が来るなんて……と、いった感じです」
「オッドアイの女性が主役の恋愛ドラマ。人とは違うための苦悩あり、葛藤あり……
ココだけの話、最初に上から打診された時には、楓さんに伝えるの、気が重かったんですよ」
「それは……どうしてです?」
「だって、僕は楓さんがその……その眼のせいでうちのモデル部門から追い出されたこととか、知ってましたから。
それに、ドラマの内容の方も結構……ほら」
言いにくそうに、言葉を濁すプロデューサー。
その理由はまぁ、分かりますけれど。
「……確かに、主役の過去は重たい設定でしたね。自分の両親と引き換えに手に入れた眼。
そこから来るトラウマと疎外感のせいで、彼女は人を怖がりながら生きることになる」
「でも、そこにたまたま彼女のことを理解してくれる男性が現れて――安い話だとは思いますけど、
やっぱり視聴者っていうのはこういう不幸な過去と、それを払拭してくれる運命の出会いみたいなのに憧れるものなんですかねぇ」
「あら、プロデューサーはこういうお話、お嫌いなんですか?
今はまだ辛くても、最後にはちゃんとハッピーエンドが待ってるんですよ?」
私が意外そうにそう聞くと、彼は「えぇ、まぁ」と曖昧に返事をして、
「そうは言ってもですね、道中が余り重たい話はちょっと……。
それにこのドラマの脚本家、当て書きで有名な人だって言うじゃないですか。
どうも話を聞いてると、初めから楓さんの主演の話は、半ば決定事項で進んでた企画みたいですし」
そうして、「納得いかないなぁ」と小さくぼやく。
「どちらにせよ僕としては、なんだか楓さんに暗いイメージをつけたがってる気がして、嫌なんですよ。
勝手に薄幸そうなイメージをつけて、貴女に影を落とそうとしてるみたいで」
「でも世間的には、女性は少しぐらい、影のある方が良いって言いますけど」
「それにだって、限度はあります! 大体ですね、今の楓さんはアイドルなんですから。
もしもこのドラマの役のせいで、そういった悪いイメージを今後も引きずることになりでもしたら――」
けれど私はそこで、「待って下さい」とプロデューサーの言葉を遮ります。
「確かに、イメージには悪いかもしれません。けど、ある意味では当たってるんです。
実際、私はこの眼のせいで学生時代は彼女みたいに周りから浮いていましたし……それが原因で、いじめられたりもしてました」
……女子の中では高めな身長に、自慢ではありませんがスタイルもそこそこ良くて。
それだけでも人の注目を集めるというのに、ダメ押しとばかりについてきた、このオッドアイ。
中学校に入った頃から、常に感じる男子の視線(気のせいかも知れませんが、時折、女の子から似たような視線を感じることも)
告白も、何度かされたことはありますし。
それが面白くない一部の女子グループからは、「目立ち過ぎ」だ「生意気」なんて、散々嫌がらせもされてきました。
その後も、私の行く先々で同じようなことの繰り返しで……
はっきりと言えば、私がモデル部門を飛び出してアイドルになったのも、似たような理由が原因です。
「だから、でしょうか。今回の役も、どこか他人事とは思えなくって。
きっかけとなった理由は違っても、他人の視線が気になって、それを怖がってしまうのは……彼女も私も、おんなじでしたから」
車内に、少々重苦しい空気が流れます。そうして車が交差点に差し掛かったところで、運悪く赤信号。
車を一旦止めてから、プロデューサーが沈黙を破るように口を開きました。
「でも……楓さんとドラマの中の彼女は、やっぱり根本的な部分で違いますよ。
彼女は誰かに支えられることで、ようやく前を向いていく人だけど、
楓さんは自分一人でも歩いて行ける、強い人じゃあないですか」
プロデューサーのその、まるで確かめるか、言い聞かせるような口ぶりに、私は少し意地悪な調子で聞き返します。
「本当に、そうでしょうか? 私、彼女を演じながら考えるんです。
もしかしたら、これは私にも起こり得たことなんじゃないかしら……なんてこと」
すると、プロデューサーは目を丸くして、
「それは、あのっ、楓さん自身も彼女みたいに、その眼に関してのトラウマを持ってるって話ですかっ!?」
「だったら、どうします? そういえばプロデューサーには、まだ私の眼の色が変わった理由をお話したこと、ありませんでしたね」
「……知りません。そもそも余り気にしてなかったというか、気にならなかったというか」
歯切れの悪い、彼の返事。私が「なぜです?」と尋ねると、
「さっきも言いましたけど、それは楓さんが自由過ぎるからですよ。真面目な現場でも飛び出す突拍子もない言動の数々……
見てるこっちはいつだって気が休まらない、ハラハラしっぱなしなんですから」
信号が、青に変わって。
プロデューサーがやれやれとため息をつきながら、車を発進させます。
「そんな状態ですから、僕にはどうして楓さんがオッドアイなのかって理由を、気にしてる余裕なんて無いですよ」
でも、そうしてため息をつくその顔は、なぜか楽し気。そして、
「……そんな貴方と出会えたから、私も、前向きなままでいられるの」
私が小さく呟いた、その言葉は紛れもない本心の塊で。
「なんです? 何か、言いました?」
「いいえ、何でもありません」
彼には、聞こえてなかったみたいですけど。
……この場合はむしろ、聞かれてなくて良かったと言うべきですね。
「そうですか? なら、いいですけど……あ、そろそろ着きますよ。降りる準備、しておいてくださいね」
執筆中止なの?
雑談スレに書くのもスレチかと思い、こちらへ。
この作品かは分かりませんが、一部の方に誤解を招くような表現で作品を書いてしまったようで、
この場を借りてお詫びいたします。本当に申し訳ありませんでした。
なんのことや?
続かないの?
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