【モバマスSS】時には、プリンの話を (32)
※ このssにはオリジナル設定やキャラ崩壊が含まれます。
===【始まりの、真っ赤な果実】
城の中は酷く陰気で、重苦しい雰囲気に満たされており、
切り払えども薙ぎ払えども、次々と行く手に現れる無数の魔物との戦いに終わりはないようだった。
要所要所に設置された燭台の、頼りなげな炎を揺らす蝋が空気を淀ませ、
奥に進むたびに強くなる、かび臭さと腐臭の混じった酷い臭いも鼻をつく。
死霊の棲み家と恐れられるこの古城に足を踏み入れてから、どのぐらいの時間が経っただろう?
いつ襲われるか分からない緊張感から流れでた汗が一筋、少女の額から鼻筋にかけてつうっと落ちる。
僅かな光源を頼りに石造りの廊下を進み、曲がり角の暗がりに足を置いた瞬間だった。
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迂闊にも足を踏み入れた、床に描かれた魔法陣が赤黒い光を放ったかと思えば、
目の前の闇がぐらりと歪み、何も無い空間から無数の腕が現れる。
それは冥界より死者を呼び寄せる、簡易な召喚魔法の一種。
とはいえ、生贄も詠唱も無いちゃちな造りの魔法陣では、せいぜい低級なゾンビやグールを数体出現させるのが限界なのだが。
「きゃあぁぁぁぁぁっ!!」
目を閉じ、悲鳴を上げ、少女が手にしていた大鎌で、狭間より這い出た魔物の体を勢いよく薙ぎ払えば、
「ひっ!!」
今度は閉じていた瞼を開いたことで、辺り一面に腹の中身をぶちまけた、
血まみれの惨状を目の当たりにして短い、切るような悲鳴を上げた。
できることならば、今すぐにでも気を失ってしまいたい――少女、銀蝕の乙女は城に入る前に言われた言葉を思い出す。
『いつものように、君の心に防壁を作らせてもらうよ……嫌がったって駄目さ。
これも観測者としてのボクの役割であり、使命だからね』
そうだった。
あの厄介な観測者の「呪い」のせいで、自分はどれだけ恐怖を感じようとも、失神することすら叶わぬ身体。
おっかなびっくりといった足取りで、床にまき散らされたアレやソレを踏まないようにして先へと進む。
何を隠そうこの少女、銀蝕の乙女はこういった陰惨で血なまぐさい物。ホラーやグロテスクの類が大いに苦手なのである。
「うぅ……もう、お家帰りたいぃ……」
思わず弱気な呟きが漏れるが、その願いが到底認められないであろうことは、彼女自身が知っていた。
しかしながら罪を犯して堕天の身になったとはいえ、その償いのためにどうしてこんな怖い目に合わねばならぬのか。
人々を苦しめる邪悪な者たちを退治するという名目で、
毎度のように精神防壁までかけられてから大嫌いな禍々しい混沌の中に放り込まれる、自分の身にもなってみろというのだ。
===
心の中で神々に対する不平不満を呟きながら廊下を進み、古めかしい扉を抜けた先にあったのは、巨大なダンスホールであった。
踊りを踊る人々の姿を模した立像が不気味に立ならぶホールの奥には、
楽団が演奏に使う舞台と、その上に置かれた場違いな玉座。
気味悪がりながらも物言わぬ立像の群れを抜け、玉座に近づいた銀蝕の乙女が口を開く。
「漆黒の闇を払い、今こそ対峙の時。死霊巣くう陰鬱なる古城の主、死界の探究者よっ!」
自らの心を奮い立たせるようにそう言って、乙女は威勢よく玉座に向けて指をさした。
すると玉座に腰かけていた少女……魔術師のようなローブを纏い、
フードで顔を隠した少女が傍らに立て掛けていた杖を手にとって立ち上がり、
「は、初めまして……銀蝕の」
挨拶をして、カツッ、コツッ、と杖の先をその場に打ちつけながら話しだす。
「……皆に手伝ってもらった歓迎は……よ、喜んでもらえたみたい、だね? た……楽しかっ……た?」
「戯言を……それが悠久の地の眷属による出迎えのことならば、答えは否!」
「そ、そう、かな……? ……素敵な悲鳴が、いっぱい聞こえたのにな……」
「い、言うなっ! 死界の探究者よ……貴様の悪趣味な児戯ももはやこれまでっ!!」
フードを被った少女に向けて銀蝕の乙女はにべもなくそう言い放つと、目にもとまらぬ速さでその身を宙へと弾かせた。
一閃、振り下ろされた鎌の切っ先がフードの少女の体を捉え、
肩から腰にかけて切り開かれた傷口が辺りに鮮血をほとばしらせる。
「あ……」
何が起きたのか把握できていないといった表情で、少女がその場に仰向けで倒れた。
いつだってこの瞬間は、気分の良いものではない……が、相手だって「人間」ではないのだ。
見た目の幼さや愛らしさに惑わされてしまえば、危険なのはむしろこちらの方。躊躇などしていられない。
そうしてそのまま止めを刺すために、乙女が一歩、倒れた少女へ近づいた時だった。
「せ、せっかち、なんだね……で、でも、そういうのも、嫌いじゃ……ないよ?」
むくりと、倒れていた少女の上半身が起き上がった。
そうして彼女が握っていた杖の先を再度床へと叩きつけと、乙女の足元、舞台の床の溝に沿って真っ赤な海が溢れ出す。
「しまったっ!?」
迂闊――彼女は先ほどから、既に詠唱を始めていたのだ。
呪文を用いず、一定のリズムと音を使った原始的な詠唱術。
舞台の上にはあらかじめ魔法陣が描かれ、贄となったのは彼女自身の血。
そしてそれをまき散らしたのは、他ならぬ自分自身。
気づいた時にはもう遅い、舞台の上から溢れ落ちた血の海は今やホール中に広がり、
その「命の水」とでもいうべき液体に触れた立像たちが、早くもカタカタとその身を震わせ始めているところであった。
「えへ……う、上手くいって、良かった」
杖を支えにして立ち上がったフードの少女が、乙女に向かって不気味に微笑む。
「ぶ、舞踏会の……始まり……始まり……」
突然、乙女は強い力で足首を掴まれ、その場にがくりと膝をついた。
振り返ると、背後では息を吹き返した立像の群れ。
乙女の足首を掴んでいたのも、その内の一体だ。
「は、離してっ!!」
慌てて鎌を振るうが、石で作られた立像たちに対し、刃物での攻撃は効果が薄い。
あたふたと武器を振り回している間に一体、また一体と立像たちが乙女にとりつき、その体の自由を奪ってゆく。
「い、いい……眺め、だね」
床に押さえつけられた乙女を見下ろして、その傍に立つフードの少女。
「……これ、なぁんだ」
「そ、それはっ!」
拘束された乙女の鼻先に、フードの少女がどこからか取り出した、銀色に輝くゴブレットを近づける。
だが、中に満たされていたのは液体ではなく、滑らかな表面とみずみずしいまでの弾力を持った物体で、
「万能の霊薬! 凝固されしエリクサー……!」
「ふふっ……貴女は……こ、これを取り返しに、来たんでしょう? ……でも」
フードの少女がゴブレットを持つ手とは反対の手に持った、鈍く光を反射する、一本のスプーンを乙女の瞳に映し出す。
そうして少女のくすくすという笑い声を聞いた、乙女の顔から血の気が引いた。
「き、貴様はっ、まさかっ! ……むぐっ!」
「……味が無いと、や、やっぱり……美味しくない……かな?」
少女は持っていたスプーンを使って自らの傷口から血を掬い取ると、
そのドロリとした赤いソースをゴブレットの中身にふりかけた。
「き、きっと……美味しい、よ? ……私のトモダチの子も、よく、飲んでるし……」
ゴブレットの中身が、ぷるるんとスプーンの上に乗せられる。
拒もうにも、立像たちの手によって乙女の可愛らしい口は、既にだらしなく開かれた後だった。
「……これで……私たちも、と、トモダチ……だね」
にこりと微笑む、フードの少女。
近づいてくるスプーンを睨み付けながら乙女は必死に抵抗するが、拘束された体はピクリとも動かせない。
「ひゃ、ひゃめへぇぇぇぇっ!!」
少々乱暴な手つきでスプーンを口腔へとねじ込まれ、苦しさから体を捻る乙女。
上品な甘みととろけるような触感が、舌の上を刺激する。
そうしてのど元を過ぎる頃に遅れて感じるのは、甘さを引き締める少しの酸味。
この味はそう、真夏の太陽をイメージさせる真っ赤な果実――。
===
「と……とまひょ?」
呟きながら目を開けた乙女――神崎蘭子は、自らの置かれた状況をすぐには理解できなかった。
うだるような暑さの寮の部屋。寝汗によって額に張り付いた前髪。
二段ベットの下に転がる自分の口に、夢の中同様スプーンをねじ込んでいる人物と視線が合わさる。
「あ、おはようございます。蘭子ちゃん」
それは魔物でも、立像でも、フードの少女でもない人物。
一ヶ月程前に突然事務所へ押しかけて来て、そのまま寮に転がり込んできた女性。
蘭子と同じ部屋で生活するルームメイト、佐久間まゆが微笑みながら、夢から覚めたばかりの蘭子の顔を覗き込んでいた。
ここまで。
期待
===
「あのぅ、蘭子ちゃん……怒ってます?」
部屋に置かれたテーブルの横、正座したまゆが、おずおずといった様子で蘭子にそうたずねると、
彼女は寝汗で張り付いたパジャマを肌から引き離しながら、いつもよりも少し強い口調で言葉を返した。
「我が眠りをかように妨げるなどと……お陰で、魔力が安定せぬわ」(当然です。寝起きも最悪だし……うぅ、まだ眠い)
「ごめんなさい。実は、お弁当に使うソースを作ってたんですけど。上手くできているか自信がなくて」
まゆが手に持っていた真っ赤な液体(無論、血液ではない)の入った小皿を見せて説明をする。
蘭子がそちらに目をやれば、確かにテーブルの上には大量のおかずが盛られた大皿が、
三段重ねの重箱と一緒に置かれているではないか。
とはいえ、それ自体はまゆと同室になってからというもの、すっか見慣れた朝の風景と言えるものだった。
実を言えばこのまゆという少女、事務所に来てからほぼ毎日、
朝早くから台所に立っては担当のプロデューサーの為に愛妻弁当ならぬアイドル弁当を作っているのである。
そしてお弁当箱に入りきらなかった分の食材が、同室のよしみと言うべきか、
蘭子の朝食として食卓に並ぶこともままあることだった。
「ほら、最近は暑さも本格的になってきたでしょう?
だから食欲が無くても大丈夫なように、爽やかな料理を用意しようって思ったんです」
そう言って「うふふ」と可愛らしく笑う彼女であったが、蘭子にとっては笑いごとではない。
「はやる気持ちを抑えられなくて、手近な人に味見をしてもらいたくなっちゃったんです」とはまゆの弁だが、このような体験
――要するに、寝ている最中に口の中へ異物を入れられて起こされる体験だ――を蘭子が経験するのは、これで三度目。
一度目はにんにくたっぷりのハンバーグ、二度目は山芋を使った煮物、そして三度目が今回のトマトソース。
「ただのトマトソースじゃありません。普通よりも玉ネギの量も増やしたまゆ特製、オニオントマトソースですよぉ」
指折り数えながらこれまでの罪を数える蘭子に、まゆが人差し指を立てて訂正を入れる。
「ほ、本質は其処で無い! 深紅の絆を見る者よ、我に二度も悠久の花園を見せようと言うのか!?」
(も、問題はそこじゃありません! まゆさんは、二回も私にお花畑を見せるつもりなんですか!?)
そう、蘭子が顔を真っ赤にして言うように、前回の煮物は特に酷かった。
寝ている最中に放り込まれた山芋の塊が運悪く、彼女の気道を完全に塞いだことで、
危うく蘭子は夢を見ながら、永遠の眠りにつくところだったのである。
だがしかし、恋に恋する乙女はそんな彼女の言葉などどこ吹く風。
「だから今回は、喉を詰めないように固形物じゃなくて液体を。お味の方はいかがでした?」
きらきらと瞳を輝かせながら、今か今かと味の感想を求めるまゆの姿も、
最早すっかりお馴染みの光景になった気さえしてくるのだから頭が痛い。
「ねぇ、どうです? 美味しかった? それともイマイチ?
私としてはちょっと酸っぱくなりすぎたかなって思ったけれど、その方が味が誤魔化せ――隠し味が、引き立つかなって」
両手を合わせ、うっとりとした表情で語るまゆ。
きっと彼女の頭の中では、お弁当を食べたプロデューサーに褒められる空想、いや、妄想なんかが広がっている最中なのだろう。
そんなまゆの姿を見て、また彼女の「悪い癖」が始まったのかと肩を落とした蘭子であったが、
ある一点、妙な違和感を感じて、彼女はおやっと眉をひそめた。
そして次の瞬間、違和感の正体に気づいてしまった蘭子の喉に、猛烈な吐き気がこみ上げる。
「……どうしました、蘭子ちゃん。顔色が悪いですよぉ?」
咄嗟にうつむき、強く口を噛みしめることでその感覚をやり過ごした蘭子だったが、
そんな自分のことを心配そうに覗き込む、まゆの顔と視線が合った。
そうして違和感の元、彼女の口元に添えられた左手の小指に巻かれた、真新しい絆創膏も目に入る。
風通しの悪い部屋で流すこの汗は、暑さによるものかそれとも……。
「あ、あの、まゆさん? ……その小指の怪我は、どうしたんですか?」
蘭子は、自分の口調が素の状態に戻っていることを自覚しながらも、まゆに恐る恐るそうたずねた。
きっと、恐らく、いや、多分。いくら彼女が「変わってる」とはいえ、
先ほど自分の脳裏に浮かんだイメージのようなことは、いくらなんでもしてないハズだ。
……と、言うよりも、するハズがないだろうと笑顔で否定して貰いたかった。
するとまゆは、恥ずかしそうに顔を赤らめて、
「これは、その、料理してる時に包丁で切っちゃって……ホント、ドジですよねぇ?」
そう言って、笑ったのだ。ただし、蘭子が望んでいたような、爽やかな笑顔ではなく、
「うふふ……恥ずかしいな♪」
恍惚といっていい表情、思い切り含みのある怪しい笑顔。
そんなまゆの笑顔を見た瞬間、蘭子は胸の奥から沸き上がる感情に任せるまま、
眼前のまゆの顔に向け、盛大に胃の中身をぶちまけた。
蘭子語辞典が欲しいと思う今日この頃。ここまで。
otu
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大きくあけ放たれた窓からそよそよと風が吹き込むと、レースのカーテンが柔らかな日差しを纏ってゆらゆら揺れて。
小鳥たちの楽し気なさえずりに混じって、遠くからセミの鳴き声も聞こえて来る。
まさに、夏の訪れを感じる爽やかな朝。
新田美波は寮のリビングルームに置かれたソファーに腰かけて、事務所に提出する「報告書」の作成を行っていた。
本来ならばこうした事務作業は、いち入寮者である美波の仕事ではないのだが……
彼女はぶつぶつと呟きながらボールペンを片手に記憶をたどり、最近起きたトラブルとその顛末を日報用の書類に書き記していく。
「えっと、業者さんから貰った見積もりの金額がこれで……それから、新しく来る子の部屋割りも……あっ」
気がつけば報告用の枠内はみっちりと文字で埋め尽くされ、それでもなお書き記さねばならぬ問題は山積みで。
「また……一枚に収めきれなかったな」
美波は一旦ペンを置くと、用意しておいた冷たい麦茶に口をつけてほぅっと一息。
視線をテーブル上の書類から、窓の外の景色へと移した。
窓から眺める外の天気は良く晴れていて、「洗濯物が良く乾きそうだ」と考え出している自分に気づき、
麦茶のコップを手に持ったままくすりと苦笑いを浮かべる。
人生は、何事も経験だと言うが――それにしても、まさか自分が「寮長代理」なんてポストを任されることになるなんて。
『後任が決まるまでの僅かな間、代理として皆をまとめてくれるだけでいい! 頼りになるのは君だけなんだ!』
そう言って事務所の社長に泣きながら頭を下げられた時は、驚きの余りつい引き受けてしまったが……
あれからというもの、一向に後任がやって来る気配も無く、なし崩し的に美波が、管理人としての業務を行う始末。
不思議に思った美波がワケを調べれば、なんとこの女子寮、寮管理人たちの間では通称「人転がし寮」なんて呼ばれ、
関わりあいになりなくない寮ナンバーワンとして恐れられていると言うではないか。
曰く、一日に一度は爆発音が鳴り響き、気づけば部屋の扉を超えて菌類による浸食が行われ、
週に八度は真夜中の大宴会が開かれて、いつの間にやら業務用のアイスの冷蔵庫が設置され、
調理の手伝いをしてくれる少女たちによって
毎日のように和食、洋食(パン)、中華の三大勢力による熾烈なシェア争いが繰り広げられる。
他にも夜な夜な冷蔵庫の油揚げが紛失するという謎の怪現象の存在に、
どれほど安全対策に力を入れても小さな事故に見舞われる少女の責任問題に怯え、
庭では雨の日も風の日もラブ&ピースが歌われて、
時折それに耳にした者の心を浄化するような素敵なコーラスがつくこともあるという。
そしてなにより恐ろしいのが、憔悴しきった管理人が寮を去る日には必ず、彼らが眼鏡をかけて出て行くこと……
それまで一切眼鏡を使っていなかった、別に視力が悪いわけでもない人まで必ず、だ。
ハッキリと言って魔境。生半可な覚悟では、三日と持たず逃げ出したくなるほどトラブルだらけの寮であり、
そのため管理人がころころ変わるので、とうとうついたあだ名が「人転がし寮」。
美波自身、この事実を知ったときには狼狽えた。
なぜなら美波にとってそれら数々の出来事は既に、
「日常におけるちょっとしたこと」程度の認識になってしまっていたからだ。
(私はこの環境に慣れてしまったことで、いつの間にか世間の感覚から大幅にズレていたんだ……)
悩む美波であったが、そこは彼女持ち前の責任感が背中を押した。他に代わりがいないのならば、私がやらず、誰がやる。
この女子寮唯一の良心、そしてストッパーとして、この問題児だらけの住人達をまとめなければ……!
結局、こうした紆余曲折を経て美波は学業と仕事の傍ら、寮長代理業務もこなすこととなったのだ。
とはいえ、事務所の方も美波に全ての仕事を任せたわけではない。
一人では大変だろうと、何人かの候補をサポート役として指名したのだが――。
「ハーイ、彼女! こっち向いて~☆」
パシャリと音がして、外の景色を眺めていた美波の姿がフラッシュの光に包まれた。
そうして二度、三度とシャッターを切る音が続き、美波の座っていたソファーの隣に、
一人の少女がぼふんと音を立てて腰を下ろす。
「わぉ! なぁんて素敵な美波ちゃんの写真……アタシって実は、アイドル以外にもカメラマンの才能があったんだ!」
そう言ってスマートフォン片手に笑うのは、
意外にも責任感はあるという理由から、彼女のサポート役に指名された宮本フレデリカ。
気まぐれな猫のように落ち着きのない彼女はスマホをしまうと、今度は両手の親指と人差し指を使い、
写真の構図を決めるようなポーズを取って立ち上がった。
「はーいそれじゃあ、次はこっちに目線ちょーだい? そうそうそんな感じ……って」
片目をつぶり、両手で作ったのぞき窓の中に美優の顔を捉えたフレデリカの言葉が詰まる。
それもそのはず、のぞき窓の向こう側にある美波の表情は憂いを帯びており、
何とも言えない悲し気な表情でフレデリカを見つめていたのだ。
「……フレデリカちゃんは、いつも楽しそうでいいなぁ」
ポツリと呟くように漏らされた一言を聞き、フレデリカの頭の中で、エマージェンシーのアラームが鳴り始める。
「悩みだって、ないんだろうなぁ。私と一緒に、寮のこと任されたっていうのに。
お手伝いしてくれる他の人たちに比べて、見るたびいつも遊んでる気がするんだもの」
「い、いやいやいや。そんなことないよー? 実を言うとアタシも、現在進行形で厄介な問題に頭を悩ましてるし……」
「へぇ、そうだったんだ。じゃあ今は、どんなことで悩んでるのかな?」
美波の発した一言が余りにも冷たいものだったので、フレデリカの背筋にゾクリとした緊張が走った。
かといって、こうして美波に厄介な絡まれ方をしていることが悩みだとは、本人に対して口が裂けても言えず。
流石は水も滴る良い女……もとい、水着が似合うアイドルランキング上位入賞者。
夏だというのに触れる者全てを涼やかな気持ちにさせるのもお手の物かー、
などとフレデリカの中に住む、脳内チビデリカたちが騒ぎ出したのを必死に押さえつけながら、
フレデリカはこの場を切り抜けるための悩みごとを記憶の中からほじくり出す。
「えっと、寮の花壇、最近お花が元気ないよねー、とか」
「それはもう、夕美ちゃんが対処済み。なんでも酔った友紀さんと楓さんが、花壇の土にお酒を振りかけてたんだとか……他には?」
「ほ、他っ!? だ、だったらあれ! 夜な夜な寮の廊下を徘徊する謎の生物の噂!
目撃者の話では、その生き物はやさぐれた目をしてたとかなんとか」
「それももう、解決済みです。都ちゃんから上がって来た報告書によれば、穂乃香ちゃんが最近買った
『ぴにゃこら太着ぐるみパジャマ』を着て歩いていただけだったそうじゃないですか……他には?」
「ま、まだ聞くの!?」
「当然です! 寮長代理としてこの際、及ばずながらも美波、フレデリカちゃんのお悩みをズバッと解決する心意気ですから!」
そう言って美波は天使のように微笑むと、
「と、いうわけで……フレデリカちゃん。他には? 他には?」
妙に迫力のあるオーラを放ちながら迫って来るのである。
フレデリカはそんな美波から距離を取りながら、必死に何か問題があったかを思い出そうとしてみたが、
「小さな悩みはポイしちゃう。おっきな悩みは他人とシェアシェア」が表向きの彼女のスタンス。
そうそう口に出せる些細な悩みなど覚えているはずも無く。
「そ、そうだ! この前のお風呂のトラブル! あれって結局どうするのかなって――」
その時、朝の静寂を破る、乙女の悲鳴が寮の中に響き渡った。
余りに突然の出来事だったため、一瞬ポカンとしてしまった美波とフレデリカの二人であったが、
その後に再び響いた悲鳴を聞いて、美波が慌ててソファーから立ち上がる。
「……タイミングばっちりだね! これが今の、あたしの悩み!」
そうして両手をパンと鳴らして高らかに言うフレデリカの発言に、
美波は駆けだそうと踏み出した足を思わず止めると、頭を抱えてため息をついたのだった。
ここまで。
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