キスショット「これも、また、戯言か」 (284)
戯言シリーズと物語シリーズをクロスさせるssです
よかったら見ていってください
祝(?)戯言アニメ化!
五年前? はて? なんのことです?
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戯言×傷物語 アタシハプロフェッショナル
アウトオブアウトサイダー
×××××ヴァンプ 欠 陥 吸 血 鬼 の戯言
登場人物紹介
戦場ヶ原ひたぎ (せんじょうがはら・ひたぎ)――――――――????
八九寺真宵 (はちくじ・まよい)―――――――――――――????
神原駿河 (かんばる・するが)―――――――――――――????
千石撫子 (せんごく・なでこ) ―――――――――――――????
羽川翼 (はねかわ・つばさ)――――――――――――――????
キスショット・アセロラオリオン・ハートアンダーブレード ―――吸血鬼。
(きすしょっと・あせろらおりおん・はーとあんだーぶれーど)
阿良々木火憐 (あららぎ・かれん)――――――――――――????
阿良々木月火 (あららぎ・つきひ)――――――――――――????
老倉育 (おいくら・そだち)―――――――――――――――????
ドラマツルギー (どらまつるぎー)―――――――ヴァンパイアハンター。
エピソード (えぴそーど)―――――――――――ヴァンパイアハンター。
ギロチンカッター (ぎろちんかったー)―――――ヴァンパイアハンター。
忍野メメ (おしの・めめ)―――――――――――――――バランサー。
忍野忍 (おしの・しのぶ)――――――――――――――――????
忍野扇 (おしの・おうぎ)――――――――――――――――????
貝木泥舟 (かいき・でいしゅう)――――――――――――――????
影縫余弦 (かげぬい・よづる)――――――――――――――????
斧乃木余接 (おののき・よつぎ)―――――――――――――????
臥煙伊豆湖 (がえん・いずこ)――――――――――――――????
死屍累生死郎 (ししるい・せいしろう)―――――――――――????
沼地蝋花 (ぬまち・ろうか)―――――――――――――――????
デストピア・ヴィルトゥオーゾ・スーサイドマスター ――――――????
(ですとぴあ・う゛ぃるとぅおーぞ・すーさいどますたー)
阿良々木暦 (あららぎ・こよみ)―――――――――――――――天才。
井伊遥菜 (いい・はるかな)―――――――――――――――――妹。
玖渚友 (くなぎさ・とも)――――――――――――――――死線の蒼。
想影真心 (おもかげ・まごころ)―――――――――――――橙なる種。
西東天 (さいとう・たかし)――――――――――――――――????
哀川潤 (あいかわ・じゅん)―――――――――――――――????
零崎人識 (ぜろざき・ひとしき)―――――――――――――????
阿良々木伊荷親 (あららぎ・いにちか)――――――――――戯言遣い。
人間は二度生まれる。――ルソー
入れ替わろう。と、そのとき彼は言った。
別にそれは特段おかしなことではなかった。彼は研究熱心なのか、時折ぼくと実験を代
わってほしいと言ってくるのだ。別にこの日が特別だったわけではない、いつもどおり。
ただの日常。
異常が日常であるぼくらにとっては、これが普通であり、また普遍であった。
しかし、このときぼくは気付かなければならなかったのだと思う。いつもの彼とこの日
の彼との違いに。
この日の彼はやけに食い下がってきた。どうしてもこの実験だけは僕が参加したいのだ
と、それと……そう、これが最後だから、と。
このとき彼は何を思ったのか、ERプログラムの中途脱退の要請をしていたのだ。こんな
に研究熱心なのにどうしてやめてしまうのかが、ぼくにはまったくわからなかった。
そうだ、あんなにも研究を楽しんでいた奴が、そんな『つまらなくなったから』なんて、
普通の言い訳をするはずがないのに。
あんな異常なやつが、普通のことを言う訳がないのに。
結局、ぼくはその「実験中に入れ替わる」という交渉に応じた。
応じて――しまった。
無論このことについてぼくが責任を感じなくてはならないような要素はどこにもない。
彼が選択したこと、彼の責任だ。自業自得。彼のおかげでぼくが助かった。というのもま
た、あの事件の側面であるので、このような言い方は冷たいと思われるかもしれないが、
しかし、ぼくはこの事件で何もしなかったのだし、何もする余地がなかったのだからその
反応はお門違いというやつだ。だから、ぼくは彼に対して何も思う必要はないし、何も語
る必要はないし、何もする必要はないし、何も後悔する必要もない。
だけど。
いや、だけれども。
ぼくは彼について何か思ってやりたいし、何か語ってやりたいし、何かしてやりたいし、
何より――
何より――後悔している。
彼と代わったことを。
彼と替わったことを。
彼に実験内容を知らせてしまったことを。
だから、僕は、彼に哀悼の意を捧げる。彼の代わりに生きる。彼を――
彼を、忘れない。
000
ぼくが生きているうちに、続きが見れてよかったよ。
001
キスショット・アセロラオリオン・ハートアンダーブレードのことを、僕は語らなけれ
ばならないらしいが、しかし、僕は今この時点でまったくもってやる気がない。彼女につ
いてはもう完全に終わった話である。正直いまさら話したところでもうどうしようもない
くらいに終わっている。
こんな話よりも、僕が細かい箇所を忘れないうちに、文化祭直前に起きた、あの忌まわ
しい事件について早急に語らなければならないと思っているのだが、彼女はそれを許して
くれなかった。
そもそも本来は語る必要もないどころか、この吸血鬼にまつわる話は、僕と愛すべき委
員長の撮っておき。二人互いに胸の奥にしまいこまなくてはならない、なるべく語っては
ならない話なのである。
また、こんな話を話したところでまったく面白くもなんともない。この話は、山も落ち
も意味もない話なのだ。この話をすることによって、一部の人が僕のことをかわいそうな
悲劇の主人公として見てくれるのかもしれないが、しかし、残念ながら物語の主人公は僕
ではないし、今回の僕はどちらかというと、「最悪の共犯者」でしかない上に、僕はかわ
いそうとは思われたくない。僕には何のメリットもないのではあるが、しかし、僕はこの
場で吸血鬼にまつわる話を、
詳しく、詳しく、詳しく、詳しく、詳しく、話さなければならないらしい。
間違いがあったら死ぬくらいの覚悟で。
誇張があったら殺されるくらいの決心で。
この、吸血鬼に勝るとも劣らない三白眼で、刺すように睨み付けてくる赤色に話さなけ
ればならない。
さてと、では、前置きとして三つ話さなければならないことがある。
ひとつは期間。
この事件は、三月二十六日から四月七日までの間続いた。この間、事件後僕が通うこと
となる私立直江津高校は、春休みを迎えていた。僕があの大統合全一学研究所から離れ、
三ヶ月ほどたったあたりから、彼の実家に厄介になり私立直江津高校に編入する少し前か
ら始まった物語。いや、もうこの時点では手続きが終わっているのだから、編入した直後
ということになるのだろうか?まあ、そんな曖昧な時期の話だと思ってくれればいい。
ひとつは内容。
僕はこの事件を機に、キスショット・アセロラオリオン・ハートアンダーブレードに出
会ったことをきっかけに、怪異という存在を知ることになった。
怪異。
化物。
人外者。
カタツムリ
それはたとえば、蟹の神様であったり、 蝸牛の迷子であったり、願いを叶える猿の左
手だったり、蛇の使いであったり、ストレスの猫であったり、高熱を呼び起こす蜂であっ
カマキリ
たり、寿命まで死なぬ不死鳥であったり、暴力的な蟷螂であったり、
そして――妖艶な吸血鬼であったりする。
そういったモノ。人ならざるモノがいることを、僕が知ってしまった話である。
そして、最後に、結末。
今のうちに言っておくと、この物語に結末なんてものはない。
この物語は、結びもしなければ、末があるわけでもなく、次回へと続く。
全てが全て何も起こらずに終わっていく。
二人の死にぞこないは死にぞこなったまま。
人々の警戒は解かれぬまま。
勧誘は失敗し、復讐は遂げられずに、成果も上がらなかった。
そんな物語。
事件前と事件後では、あまり大きな変化はなかった。
まるで何かの変化を嫌う大きな力が働いているかのように。
この物語はわずかな変化の物語。
人でなしが人でなくなり、人になろうとする物語。
人に代わろうとし、人に替わろうとする物語。
そんな戯言。
再三言うが、この物語に面白みなど皆無である。
それでもいいならば、
それでも聞きたいという物好きな人であるのならば、
どうか、適当に聞き流して欲しい。
これはぼくが、人へと至る物語。
002
三月二十五日。土曜日。
ぼくは彼の自転車で、これから通うこととなるであろう私立直江津高等学校へと来てい
た。彼の自転車は生意気にもママチャリとマウンテンバイクの二台があり、どうせなら、
アメリカで散々自慢していたマウンテンバイクに乗ってやろうかとも思ったのだが、しか
し、彼のその並々ならぬ愛情を鑑みるに傷の一つでもつけようものならば、ぼくはたちま
ち呪い殺されてしまうだろうという結論に達し、ぼくは仕方なくママチャリを使用し学校
へと来ていた。それほどつらい道程ではなかったはずなのだが、日本に帰ってきてから鍛
錬を怠っていた所為か、ぼくは体力を相当量使ってしまっていた。
「あれからそろそろ三ヶ月か……」
あっという間に過ぎ去っていってしまった気がするが、それが長い期間であったことは、
体が覚えているらしい。いや、忘れてしまっているのか。ともかく、ぼくの体力は全盛期
とは比べ物にならないほどに落ちていた。
そういや、道場にも行ってなかったな。ぼくは、今度火憐ちゃんが行っているという道
場でも見学して見ようかななどと思いながら自転車を反転させて家の方へと向けた。
――と、そのとき――ぼくは校門から出てきた女の子に気付いた。
とても、かわいい女の子だった。
その女の子は両手を頭の後ろに回して―― 一瞬、何をしているのかと思ったが、どうやら
三つ編みの位置を調整しているらしい。長めの髪を、彼女は後ろで一本の三つ編みにまと
めているのだ。三つ編み自体が最近は珍しいのだが、その上で彼女は前髪を一直線に揃え
ている。
制服姿。
まったく改造していない、膝下十センチのスカート。
黒いスカーフ。
ブラウスの上に、校則指定のスクールセーター。
同じく校則指定の白い靴下にスクールシューズ。
いかにも優等生といった風情である。
世界委員長コンテストというものが開催されているのであれば、小学生のころから王者
であり続けているだろう。それくらいに規則正しく、折り目正しい立ち居振る舞いだった。
おそらく、彼好みの女の子。
校門から出てきたところを見ると、家に帰るところなのだろうか?彼女は三つ編みを修
正しつつ、ぼくの方へと向かってくる。まあ、ぼくの主観的にそう見えるだけなのであっ
て、決してぼくに向かってきているわけではないのだけれど、しかし、そう思わせるよう
な求心力が彼女にはあった。
というか、早い話がぼくは彼女に見蕩れてしまったのだ。ただ純粋に美しい彼女に――
魅了されて――いた。
だから、だからぼくはその後、何の前触れもなく吹いた一陣の風に対応することができ
なかった。いや、まあ、そうでなくともぼくに正しい対応ができたかどうかは、その状況
になってみないとわからないが。
「あ」
と、ぼくは思わず、声を漏らしてしまった。
突然の風が、彼女のやや長めの、膝下十センチのプリーツスカートの前面が、思い切り
めくってしまったのだ。
普通ならば、彼女はすぐに、反射神経でそれを押さえ込んだはずだろう――しかしタイ
ミングの悪いことに、そのとき彼女の両手は頭の後ろに回され、三つ編みの位置を直すと
いう複雑な作業をしている最中である。ぼくの立ち位置から見れば、まるで後頭部で手を
組んで、あたかも軽く気取ったポーズをとっているかのようにも見えてしまう、そんな姿
勢になっていた。
そんな状態でスカートがめくれたのだ。
中身は丸見えとなった。
いや、こういう場合は、そっと目をそらすのが女子に対するマナーだということくらい、
勿論わかっているのだが。
しかし、このときぼくは完全に視点を彼女に固定していたのだ。
風が吹くまでもなく、強く彼女に惹きつけられていた。
だから、ぼくがあまりにも鮮明に彼女の下着を見てしまったのは仕方のないことだと思う。
思って欲しい。
そんなぼくに対して、彼女は、身じろぎ一つしなかった。
あっけにとられてしまったのだろう。
彼女は後頭部で手を組むという、まるでぼくに自慢の下着を見せ付けているかのような
ポーズのまま、スカートがめくれあがるに任せ、表情までも固まったままだった。
一瞬の出来事であった。
スカートが重力により元の位置に戻る。
彼女は、あっけにとられた表情のままで――ぼくの方を見ていた。
凝視していた。
「……えっと」
うわあ。
なんというか……やってしまった……。
入る前から何やってるんだ、ぼくは。
後輩ならばまだいいが、同学年だった場合、非常に気まずいこととなる。
同じクラスになどなってしまったらぼくはどうすればいいのだろうか?
そんなあまりにもできすぎた状況なんて戯言にもならないのだけれど。
「…………なんというか…………ごめん」
とりあえず謝罪の言葉を口にする。
人間、自分に予期せぬ事態が起こってしまったとき、まず出てくるのは謝罪の言葉であ
ることが一番多いらしい。
ぼくの本能もまだ捨てたものではなさそうだと思いつつ、女の子の反応をうかがったが、
彼女はぼくの言葉に対して何の反応もせずにじっとぼくを凝視してくる。
そして、数秒の後、
「…………えっへへ」
と、彼女は何を思ったのか、ぼくにはにかんで見せた。
まあ、確かに、こんな状況、見られた側は笑うしかないのかもしれない。
三つ編みの調整が終わったのか、彼女は両手を下ろして、スカートの前面をぱたぱたと
はたいた。
「なんて言うか、さ」
と、彼女は言いながら、ぼくの方へと近づいてきた。
四、いや、三歩ほどの距離まで詰めてくる。
なんだろう……なんとなく追い込まれているような気がする。
「見られたくないものを隠すにしては、スカートって、どう考えてもセキュリティ低いよ
ね。やっぱり、スパッツっていうファイアウォールが必要なのかな?」
…………えっと……ファイアウォールって何だったっけか?
うーん……あ、思い出した。
なんか玖渚のやつが言ってたような気がする。
ウィルスバスターのちょっと高機能のやつだっけ?
「……ってぼくはウィルスかよ」
初対面だというのに、あんまりな話だ。
まあ、確かに、ぼくの周囲では常に事件が起きていたような気もするけれど、というか、
ぼくが起こしたものも多くあった気もするけれど。
でも、だからといって、
「その表現は、戯言が過ぎるな」
「うん? 戯言?」
「えっ……ああ、うん……いや、なんでもない。ただの独り言だよ」
「……ふーん」
……ぼくにしては珍しくありのままのことを話したはずなのに、なぜか彼女の反応はあ
まり芳しくなかった。
「えっと、じゃあ、まあ、ぼくはこれで」
ぼくは逃げるように、というか、逃げるために、自転車にまたがり、家へと帰ろうとする。
が、しかし、
「あ、待ってよ。阿良々木くん」
と、呼び止められた。
「え?」
……どういうことだ?
この女の子とぼく、会ったことあったっけ?
いや、そんなことはありえない。ぼくはこの高校には、手続きと編入試験を受けるため
にしか来たことがない。ここの生徒とは一切関わり合いはないのだ。ならば、
ならば、なぜこの子がぼくのことを知っている?
ぼくはそれと気取られぬように自然に身構える。三ヶ月でもう追っ手が来るとは……ま
あ、ここまで何事もなかったことのほうが不自然っちゃあ不自然だ。やつらも勉強以外の
ことに頭を回せはするだろうし。ぼくはなんとなく持ち出していたナイフの位置を確認しな
がら、彼女に聞く。右のポケット、よし。いつでも取り出せる。
「……どうして、きみはぼくの名前を知っているのかな?」
「え? ああ、ごめんごめん。急に呼ばれてびっくりしたよね。うん。いやさ、阿良々木く
んって、実は、もう、かなりの有名人なんだよね」
「…………」
…………は?
「阿良々木くんは知らないかもしれないけれど、この私立直江津高校ってさ、創立以来編
入生をとったことがないんだよ。しかもその編入試験、先生たちが張り切りすぎちゃって
アメリカのERプログラムレベルの問題になっちゃってたから、阿良々木くん以外編入試験
に受かった人はいなかったんだって。だから、阿良々木くんは唯一の優秀な編入生として
かなり先生から期待されちゃっているんだよね」
「…………」
……また、ピンポイントなレベル設定にされたものだ。
どおりで問題形式が似ているわけだ。
もう少しレベルが高く、あるいは低く設定されていたのなら、ぼくは編入できなかった
かもしれない。
「いや、でも、だからといってきみがぼくの名前を知っている理由にはならないと思うの
だけれども」
「あっはー、そうだね。うーん、じゃあ、それは秘密ってことで」
「いや……そんなことで済まされる問題じゃないと思うんだけれども……」
この子、何者なんだ?
最悪の場合、死活問題に関わる。
まあ、別に死んでしまったところで構わないのだけれど。
「いいか。まあ、戯言ってことで」
「ん? さっきもそれ、使ってたよね。口癖?」
ツッコミを入れられた。ぼくは、「口癖でもあり、処世術でもあるんだよ」などと、適当
なことを言っておく。
しかし、処世術か……。
自分で言っておいてなんだが、おかしな響きだ。
戯言を使ったからといって、物事が潤滑に進むわけではないのに……。
よりこじれさせることのほうが多いっていうのに。
本当に、笑わせる。
「ところで、きみの名前は?」
この女の子が追っ手であるにしろないにしろ、もう少し、踏み込んだ調査をしておくべ
きだ、とぼくは判断した。編入先での評価は個人的には気になるところだ。変な期待はされ
たくないので、この子づてに下げてもらいたいどころだった。
「私は、羽川翼。阿良々木くんと同じ、私立直江津高校の三年生です」
「羽川……翼ちゃん、か。いい名前だね」
ふむ、この名前からは、偽名であるかどうかの判断はつかないな。言い慣れてる感じが
するし、実名である可能性のほうが、わずかに高いといったところか。
「そんな阿良々木くんじゃないんだから、偽名なんて使わないよ」
「…………」
全部ばれていた。
疑っていたことも、偽名を使っていたことも。
「偽名? なんだいそれは? 最近の流行語ってやつ? ぼく疎いんだよなー、そういうの」
悪足掻きだと自分でもわかってはいたがとぼけてみることにした。やはりというかなん
というか翼ちゃんには通じなかったようで
「違います」
と、即答されてしまった。
しかし、こうなってきたら後には引けない。
「あーっ、えっとじゃ、ネットスラングか。そういう系の言葉って通じなかったりしたら
まずいからやめといたほうがいいよ。『いてえw』とか『これだから○○クラは』とか言
われちゃうよ」
「それを聞く限りでは阿良々木くんもけっこう詳しいと思うのだけれど」
あう。
うーん……友の所為でこういう言葉覚えちゃったんだよな……パソコンとかそういうの、
ぼく自身は割りと苦手なのだけれど……。
どうしようかな……どうすれば翼ちゃんを騙せるだろう……。
「別にいいじゃないか。自分の名前なんて他人と区別するためだけのものだろう?ようは
記号みたいなものさ」
ぼくは諦めて開き直ることにした。
なにが悪いとでも言いたげに。
何もかも悪いぼくが。
そんなぼくに対して翼ちゃんは「そこで開き直りますか」と言って、
「まあ、いっか。うん、そういう考え方もまたありかもね」
と、ぼくの戯言を肯定した。
ぼくの戯言を肯定した!?
「同意しちゃうんだ……」
「がっかりしちゃうんだ……」
「自分で言ったのにな」と、言って、翼ちゃんは楽しそうに笑った。
うーん……追っ手じゃあないのか? いや、まだよくわからない。探りは入れられると
ころまで入れておけ。って言われたような気もするし。あとなんだか打ち負かされてばかり
の気もするし、もう少し、彼女と話をしたほうがいいかもしれない。
「翼ちゃんは、何をしているの? これから帰るところ?」
当たり障りのないところから会話を始める。
どうにかして、情報を探り出さねば……。
「んーと、これから図書館に向かおうと思っているの」
「へえ……ここら辺に図書館なんてあったんだ」
「うん、日曜日は休館日だから、今日中に行っておかないとって思って」
「ふうん」
「阿良々木くんこそ、何をしていたの?」
「ああ、いや、ちょっと、登校経路の確認をしていたんだよ。ちょっと覚えられなくってさ」
「へえ、自転車通学なんだ……家はどこら辺なの?」
「ええと……」
ぼくは最近覚えたばかりの住所を言う。
「ああ、それなら、ちょっとわかりづらいかもね」
「ああ。もう今日だけで家と学校を七往復半しているんだけれど、まるっきりわからないんだ」
「さすがに、それはないと思うけれど……」
と、翼ちゃんは苦笑いした。
…………って、あれ?
なんか、流れ流れて、気軽に住所とかしゃべらなかったか?
探りに行って何をしゃべってるんだぼくは。
「ところで、阿良々木くん」
今度は翼ちゃんから、会話を切り出してくる。
ふむ、先ほどはぼくのほうから仕掛けていって返り討ちにされてしまったので(けっして
自爆などではない)、ここはあえて彼女の話に乗るというのもありだろう。ぼくは翼ちゃ
んからどのようなことを言われても対応できるように対策を練って、その先を待つ。
が、翼ちゃんは、
「阿良々木くんは、吸血鬼って信じる?」
と、ぼくの予想の斜め上を突っ切っていくような質問を投げつけてきた。
あまりの突拍子のなさに、反応が遅れる。
「……………………………………………………吸血鬼が、どうかしたの?」
ぼくは無理やり声を絞り出した。
……………………何を言い出すんだ?この子。
まさか、不思議キャラ路線の子なのか? なぜぼくの周りにはどこかおかしい人か性格の
悪い人しか現れないのだろう。類友ってやつなのだろうか?
いや、もしかしたら前者なのではなく、後者。ぼくの返答を見て試しているのかもしれ
ない。そうだとすると、翼ちゃん。なかなかに強かな子だ。
「いや、最近ね、ちょっとした噂になってるんだけど。今、この町に吸血鬼がいるって。
だから夜とか、一人で出歩いちゃ駄目だって」
「へえ…………曖昧な……信憑性のない噂だね」
ぼくは少し迷ったけれど、正直な感想を言うことにした。
嘘ばかり言うぼくだからこそ、正直なことを言うのが最も効果的だろうとの判断だ。
「何でこんな場所に吸血鬼がいるんだろう。吸血鬼って海外の妖怪じゃないか」
「妖怪とは、ちょっと違うと思うけれど……」
「それに、吸血鬼が相手だって言うんだったら、一人で出歩こうが十人で連れ立って歩こうが、
どっちみち結果は変わらないと思うけれどね」
「それはそうね」
あはは、と翼ちゃんは快活に笑った。
……なんだ? この普通の反応……。追っ手じゃないのか? いや、待てよ。普通の子が
ぼくの前に現れるわけがない。いったい、何者なんだ? この子は……。
「けど、色々と目撃証言もあるのよ」
「目撃証言……ねえ」
妖しいものだし、怪しいものだ。
よく目で見たものしか信じないなんてことを言う人がいるけれど、目で見たもの。そち
らのほうがよっぽど信じられないのではないだろうか? 人間が見聞きできる情報には限
りがあるし、何より、その情報全てに「こうあったらいいのに」などの、自身の願望という
補正がかかっている。観察者によっては、その現象にまるで違う意味をもたらすことがあ
るのだ。
つまりは、人なんていつでも信用できないってことだ。
他人だろうが。
自分だろうが。
「あのー、阿良々木くん? 人の話聞いてる?」
「え? あ、ああ、聞いてる聞いてる。聞くに聞いてるよ」
「本当に聞いてるの? もう」
はあー、と。翼ちゃんはわざとらしくため息を吐いた。
「女子の間では――うちの学校の女子だけじゃなくて、この辺の学校に通っている女子の
間では――有名な話。て言うか、女の子の間だけではやってる噂なんだけど」
「女の子だけの噂って……何? その吸血鬼。口笛吹きながらワイヤで戦ったりするの?」
そういえばあれにもでてたな。まじめそうな眼鏡のキャラ。
「いや、そんなんじゃないよ。金髪の、すごく綺麗な女の人で――背筋が凍るくらい、冷
たい眼をした吸血鬼なんだってさ」
「曖昧な出所なのに、ディテールはえらく具体的だね。しかし、何だってその女性が吸血
鬼だって断定できるの? 金髪だから珍しいってだけなんじゃないの?」
ここら辺の地域では、一切髪の毛を染めたり、ピアスをあけたりする流行がないようで、
ぼくはここ三ヶ月そういった人を見ていない。
まあ、向こうの状況がおかしかったのかもしれないが(いやはや、自由の国は侮れない)。
「でも」
翼ちゃんは言う。
「街灯に照らされて、金髪は眩しいくらいだったのに――影がなかったんだって」
「……へえ」
確かに、そういえばどこかで聞いたことがある気がする。
太陽を嫌う吸血鬼には、影ができない。
「でもなあ、夜のことだし……見間違いだったんじゃないの? 影なんて、場所によっては
まったくできないこともあるじゃないか」
大体――街灯なんていかにもな舞台装置がある時点で、嘘っぽい。
「まあね」
と、ぼくが無粋なことを言っても、翼ちゃんは別に気分を害することもなく、そんな風
に同意を示した。
彼女はどうやら、話し上手だし、聞き上手でもあるようだ。
「うん、馬鹿馬鹿しい噂だと、私も思う。けど、その噂のお陰で女の子が夜とかに一人で
出歩かなくなるって言うのは、治安的にはいい話だよね」
「まあ、そうだね」
なんだか児童向けの童話みたいな話だけれど。
「でも、私はね」
声のトーンを若干落として言う翼ちゃん。
「吸血鬼がいるなら、会ってみたいって思うのよ」
「…………」
やはり、ぼくは試されているのだろう。そうだ、そうに違いない。こんなまじめそうな
子が不思議系路線だなんてぼくはごめんだ。そんな運命ならいますぐ乗り換えたい。
「えーっと………………………なんで? 血を吸われて、殺されちゃうんだよ?」
「まあ、殺されるのはやだけどさ。そうだね、会ってみたいっていうのは違うかも。でも、
そういう――人よりも上位の存在、みたいなのがいたらいいなって」
「人より上位って、神様とか?」
人より上ってことは、人よりずるがしこく卑劣で愚鈍な最低のやつか、人より華々しく
真面目で鋭敏な最高のやつなのだろう。
つまり、どっちにしろ嫌なやつってことだ。
「あはは。確かにそう見る人もいるかもしれないけどね」
捻じ曲がりきったぼくの見解を聞いても、翼ちゃんは笑いながら言った。
本当にいい子だ。いや、いい子なのかもしれない、だ。思い出せ。今まで何百回だまさ
れたかを。思い出せ。今まで何千回だましたかを。
「いけない、いけない。阿良々木くん、意外と話しやすい人なんだね。なんだか口が滑っ
て、ちょっとわけのわからないことを言っちゃったような気がするよ」
「いや、そんなことはないと思うけど……」
というか、意外と、とはなんだ。意外と、とは。
「…………」
うーん……どうだろ。
正直翼ちゃんの得体は知れないが、この子の場合、話せば話すほど得体の知れなさが
浮かび上がってくるので、これ以上の詮索は禁物かもしれない。
入学前からぼくの評価がわかったのだから、これはこれでよしとして切り上げるとしよう。
「じゃあまた、春休み明けにあったらよろしく」
なんて言って、ぼくは翼ちゃんと別れようとした。が
「あ……阿良々木くん!」
と、強く引きとめられた。裾が伸びてはいけないので、元の位置にまで戻る。
なんだ? とうとう本性を現したのか? 最初から怪しいと思っていたんだ。と、ぼくは
できそこないの探偵みたいなことを思いながら再度臨戦態勢に入る。
しかし、翼ちゃんは再度ぼくの予想を見事なまでに突っ切ってくれるのだった。
「メ……メアド教えてくんない?」
まだ書き溜めあるけど思った以上に投下するのに時間かかるので今はここまでで。
続きは明日起きてからにでも
たんおつ
すでに面白い
乙
スレタイ見てまさかと思ったらマジであのシリーズか
前書いたものについてはどうしようか悩み中です。
かなり設定に齟齬があるし「あれは僕の黒歴史」にしてもいいのだけれど
でも書き直して上げ直すのもなあというところ。
再開します。
003
そんな翼ちゃんの頼みを断った日の夜。
真夜中。
日付は変わり、三月二十六日。
直江津高校は今日から春休みなのだそうだが、ぼくが正式な生徒になるのは四月からで
あるので、関係ないといえば関係ない話ではある。
ぼくはすっかり真っ暗になった町の中を、徒歩で移動していた。
昼間のように、自転車を使ったほうが効率がよいのはわかっているのだが、しかし、彼
には二人の洞察力の優れた妹がいるので、なくなっていては不自然に思われてしまう自転
車を使用することはできないのであった。どうしてもこのことは彼の家族には知られては
ならないのである。
無論、性の捌け口を探すために大型書店に出向いているのではない。昼間女子のパンツ
を見てしまったくらいでこのような行為に出るような人間なんて普通いないだろう。ぼく
はそんな性欲の塊のような男子高校生(予定)ではない。自分と同年代の女子の下着を見
たくらいでは興奮などしないのだ。それくらいの訓練はちゃんとしてきたはずである。
では、なぜぼくがこのような行動に出たかというと、それは今日の翼ちゃんとの遭遇から
ある可能性が浮上してきたからだ。
それは、もう既にぼくに追っ手が差し向けられているかもしれないという可能性。今
までぼくは散々情報を操作し続けてはいたのだが、いかんせんそんなぼく個人でできる隠
蔽工作など、たかが知れている。おそらく、友の技術の一割でも、才能の一割でも所有し
ているやつならば、簡単に丸裸にできるだろう、その程度のものなのだ。
隠蔽工作にはやれるだけのことはやったはずなので、これ以上強化のしようはない。だ
から、今ぼくが行うべきことは、防御策、隠遁などではない。
むしろその逆、討って出ることだ。
先手必勝とは言うが、今回ぼくは勝つために行動しているわけではないので、まだ何者
かわかっていない翼ちゃんを相手に戦う気はぼくにはない。では、ぼくはなぜ彼の家族に
隠してでも、こんな時間に外を出歩いているのだろうか?
誰を相手にしようというのだろうか?
そう、それは、今この町に来ているという珍しいもの。
人間の上位存在である、吸血鬼。
影も残さないような、そんな人物。
実際のところ、そんなモノがいるわけがない。
では、なぜそのような噂が発生してしまったのだろうか?
いや、それよりも先に、なぜ金髪の女性がこんな町に意味もなくふらふらっと滞在して
いるのかという理由のほうを考えてみよう。
観光か? しかし、彼の両親には悪いが、この町には特にこれといった珍しいものは
何もない。
いや、「田舎には、なにもないがあるんじゃないかな」などという戯言を信じて観光に
来たという可能性もないではないが、そんな人間は漫画やアニメの中だけで十分である。
実際にいるわけがない。
現実にいるわけがない。
じゃあ、その女性がなにをしにここへ来たのか? その理由で次に考えられるのは――
「やっぱり、ぼくの『処理』をしに来たってところだよな……」
いや、ほかにも色々な理由があるだろう。
その金髪はただ染めただけで、もともとこの町の人間であるとか、その女性の夫の実家
がこのあたりで、子供を連れて遊びに来ただけであるとか。
いや、もっともっと些細な理由だったり、もしくは、それがここである理由などまった
くないのかもしれない。
しかし、ぼくはその女性を警戒しないわけにはいかないのだった。
・ ・
吸血鬼だなんて、荒唐無稽な噂が立ってしまっていて、しかもその上その噂がこのぼく
・ ・ ・ ・ ・ ・ ・
の元にまで届くような女性。
そんな怪しい人物、見逃すわけにはいかない。
そう思い、ぼくは探索を続けていたのだが…………
「……いないな……そんなやつ」
もう家を出発してから二時間は経過しているが、辺りがどんどん暗くなるだけで、一向
にそのような人物を見かけない。
というか、人っ子一人見かけない。
どうやらこの町の人の朝は早いようだ。路地裏でたむろっているような、いわゆる不良
さえもいない。
このようでは、この町に街灯は必要なさそうである。
「って街灯?」
・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・
そうだ、ちょっと待て。なぜ真夜中に家を出たのに、それからどんどん暗くなっていく
・ ・
んだ?明らかに、闇に近づいているんだ?
ぼくは真っ暗な空を、真っ黒な空を見上げた。
果たして――街灯はあった。その全てが、消されている状態で。
「……停電か?」
なんとも大規模なものだ。今日は月が出ていないから、こうなってしまうと、本当に真
っ暗になってしまう。通行人がぼくだけで本当によかった。
……あれ? 待てよ? 月、隠れてたっけ?
そういえば、だんだん暗くなっていったような気もするし、これまでの間に分厚い雲に
覆われてしまったのだろう。そう、たまたま今、月が隠れているだけだ。
考えてみれば、そんなこと考える必要もないことだった。
「まあ、人間が人生で本当に考える必要があることなんて、一つか二つくらいしかないの
だろうけど」
そんな戯言を呟いているうちに、後ろからぼくを刺してくる光に気づいた。エンジン音が
聞こえないので車ではなさそうだし、どうやら街灯が点いているようだ。停電ではなかった
――いや、でも、そもそもこの光はもともと点いていたっけか?
点いて――いなかったんじゃないか?
なぜそんなことすら覚えていないんだこいつは。
さっき通ったばかりだろ?
ぼくはそこで光のほうへと――よせばいいのに――振り向いた。
その光は――ただの一本の街灯によるものだった。
一本の街灯。
たった一本だけ点いている滑稽ともいえる街灯。
しかし、ぼくはその街灯を見ても何一つ思うことはなかった。思う余地など、ぼくには
与えられてはいなかった。
この辺りで唯一点灯していた街灯の下。
その街灯に照らされて――『彼女』は、いた。
そこに、存在していた。
「――っ!」
「おい……そこの、うぬ」
この田舎町にはとても似合わない金髪。
整った顔立ち――冷たい眼。
シックなドレスを身にまとっている――そのドレスもまた、この田舎町には不似合いだ。
いや、しかし、不似合いの意味合いが、そのドレスの場合だけは違う。
そのドレス――元はさぞかし立派な、格調高い服だったのだろうけれど、今はもう、
まるで見る影もない。
チ ギ
引き千切れ。
破れに破れて。
ぼろぼろの布切れのような有様だ。
ゾウキン
雑巾のほうがまだしも立派じゃないのか、というような――逆に言えば、そんな状態に
ニジ
なりながらも、元の高級さが滲み出るほどのドレスだということなのかもしれない。
ワシ
「儂を……助けさせてやる」
視力二・〇。いくら暗かったからといって、彼女に気づかないはずがない。いや、こん
なスポットライトのように彼女を街灯は照らしている。そんな状況で――果たしてぼくは
彼女に気づかなかったというのか?
それは――いくらなんでもありえない。
ならば、ならばこう考えるべきなのではないだろうか?
・ ・ ・
彼女は、ぼくが通り過ぎたその後――直後に現れたのではないだろうか、と。
「……とんだ戯言だ」
「なにを言っておるんじゃ? うぬは。聞こえんのか……。儂を助けさせてやると、そう
言うておるのじゃ」
と、『彼女』は――ぼくを睨みつける。
その鋭くも冷たい視線にぼくは身のすくむような思いをするが――しかし、ここでそこ
まで怯えることはなかったのかもしれない。
『彼女』は疲労困憊の体を呈していた。
街灯に背を預け。
アスファルトの地面に座り込んでいた。
いや、へたり込んでいるとでもいうのがより正確だろう。
それに、たとえそうでなくとも『彼女』には、睨みつける以外の手出しをぼくにはできな
かった。
『彼女』には、出すための手がなかった。
右腕は肘の辺りから。
左腕は肩の付け根から。
・ ・ ・ ・ ・ ・ ・
それぞれ――切り落とされていた。
「…………」
それだけでは――ない。
下半身もまた、同じような状態だった。
右脚は膝のあたりから。
左脚は太ももの付け根から。
・ ・ ・ ・ ・
それぞれ――切断されている。
どの切断面も悲惨な状態であった。いや、右脚だけは、鋭利な刃物で切断されたのか、
他の部位――右腕、左腕、左脚よりも切断面がはっきりしている。逆に言えば、その三つ
の傷口は引き千切られたかのように見え、えげつなく、また、痛々しかった。
「……ふうん」
腕時計を盗み見るように確認する。
時刻は丑三つ時。
一つしか点いてない街灯。
四肢を失っている美しい女性。
そしてぼく。
あまりに――できすぎている。
なんだ、この状況。悪い夢でも見てるんじゃなかろうか。
「えーっと……とりあえず……救急車でも呼びます?」
もう手遅れかもしれないけれど。
いや、まだ間に合うのか?
しゃべるほどには元気があるみたいだし――
と、そこまで考えたところで。
「きゅうきゅうしゃ……そんなものはいらんわ」
『彼女』は。
そんな四肢切断の状態にありながら、それでも意識を失わず、強い口調で――古臭い口
調で、ぼくにそう語りかけてきた。
・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・
「じゃから……、うぬの血をよこせ」
「…………は?」
ぼくは意味がわからずに、そう聞き返してしまった。大人の女性に対して無礼にもほど
があるとは思うが、おそらく誰だってこのような状況であれば、こういう風な反応しかと
れまい。
自分の許容量を超えることを言われれば、このような反応しかできまい。
「血? 血って……ゆ、輸血するってことですか?」
「違うわっ! 間抜けっ!」
怒られた……ものすごい剣幕で怒られた。
じゃあ、他にどういう意味があるって言うんだろうか。
「我が名は、我が名はキスショット・アセロラオリオン・ハートアンダーブレード……
鉄血にして熱血にして冷血の――吸血鬼じゃ」
「………………………この非常時に、あなた、なにを言ってるんですか?」
そう言いながらも、ぼくはあることを思い出していた。
そう、それは昼ごろ、翼ちゃんと交わした会話。
――女子の間では有名な話――夜―― 一人で出歩いちゃ駄目――金髪の、すごく
綺麗な女の人――背筋が凍るくらい、冷たい眼――街灯に照らされて、金髪は眩しい
くらいだったのに――影がなかった――
目の前の『彼女』を見る。
周囲の街灯が全て消えている中、唯一、点灯している街灯の下にいる『彼女』は、まる
で舞台の上で華やかなスポットライトを浴びているようだったが――そして、その街灯に
照らされた彼女の金髪は、本当に眼もくらむほどだったが――しかし。
本当に。
『彼女』には影がなかった。
「…………」
絶句。
「え……そんな……あれ、何かの冗談ですよね?」
嘘だ虚言だ戯言だ。
こんなことあるわけがない。
こんな現実あるわけがない。
こんな戯言あるわけがない!
「信じられないというのか? しかし、信じるしかないぞ。うぬだって本当はわかっている
はずじゃ。眼をそらすな。目の前の現象を見よ。目の前の現実を――見よ」
と、『彼女』は言った。
ぼろぼろの衣服で、四肢を失った状態で、それでも高飛車に構えて――言った。
よく見れば、開いた唇の内には――鋭い二本の牙が見える。
鋭い――牙が。
「……吸血鬼、ってのは」
ぼくは息を呑んで、現象を呑んで、『彼女』に訊いた。
「不死身なんじゃ――ないんですか?」
「血を失い過ぎた。もはや再生もできぬ、変形もできぬ。このままでは――死んでしまう」
「じゃから」と――彼女は続ける。
「うぬの血を、我が肉として呑み込んでやる。とるに足らん人間ごときが――我が血肉と
なれることを光栄に思え」
「…………」
…………。
まるでわけがわからない。
一体、なにが起きているんだ?
どうして、ぼくの前にいきなり吸血鬼が現れて――いきなり死にかけているんだ?
ここにいてはいけないはずのぼくの前に、存在してはいけないはずの吸血鬼がいる。
死ぬべきであるぼくが生きていて、不死身であるはずの吸血鬼が死にかけている。
「お……おい」
ヒソ
と。動揺のまま、口も利けずにいるぼくに、『彼女』は眉を顰めたようだった。
いや、それは苦痛で顰めたのかもしれない。
何せ『彼女』は手足を全て喪失しているのだ。
「ど……どうしたのじゃ。儂を助けられるのじゃぞ。こんな栄誉が、他にあると思うのか。
何をする必要もない――儂に首を差し出せば、後は全部、儂がやる」
「……血……血って、そんな……ど――どれくらい、いるんですか?」
シノ
「……とりあえず、うぬ一人分もらえれば、急場は凌げる」
「そうですか、ぼく一人分ですか。なるほどそれはよかった――ってそれじゃぼく死んじゃ
うじゃないですかっ!」
動転のあまり戯言遣い、生まれて初めてのノリ突っ込みだった。
そしてこれを生涯最後にする気はない。
「なに言ってんですか。いやですよ、そんなの」
「いや……なのか?」
カシ
彼女は、わからないといった風に首を傾げた。
本当に、わからないといった風に。
ボケてるんじゃなく――大マジに。
そういう意味では場違いなツッコミだった。
・ ・
これはぼくに助けを求めているのではなかった。
ぼくを捕食して、自力で生きようとしているだけなのだ。
人よりも上位の存在。
取るに足りない――人間ごとき。
「おいおい、ふざけておる場合じゃないぞ。早く血を寄越せ。なにをとろとろしておるの
じゃ、こののろまが」
「…………」
……ぼくのほうがおかしいのか?
・ ・
ぼくがこれに血をやることこそが当然なのか?
でも、そんな、そんなの……
「ふざけているわけじゃありませんよ……なんでそんな、あなたに血をあげなければなら
ないんですか」
たしかにぼくは死にたがりの戯言遣いで。
生きていたってどうしようもない欠陥製品だけれど。
でも、だからと言ってむざむざ殺されたくはない。
こんなやつに、殺されたくはない。
「そんな、う……嘘じゃろう?」
その途端。
彼女の眼が――とても、弱々しいものとなった。
先ほどまでの冷たさが、それこそ嘘のように。
「助けて……くれんのか?」
「…………」
ドレスはぼろぼろ。
腕も脚も無残に引き千切られ。
ぼく以外には猫一匹といないであろう、草木も眠る丑三つ時の田舎町。
・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・
ぼくが見殺せば――もう助かる見込みはない。
「い……嫌だよお」
それまでの古風な言葉遣いも崩れ――彼女は髪の色と同じ、金色の瞳から――
ぼろぼろと、大粒の涙を零し始めた。
子供のように。
泣きじゃくり始めたのだ。
「嫌だ、嫌だ、嫌だよお……、死にたくない、死にたくない、死にたくない、死にたくな
いよお! 助けて、助けて、助けて! お願い、お願いします、助けてくれたら、助けて
くれたら何でも言うことききますからあ!」
痛いほどに――彼女は叫ぶ。
臆面もなく。
最早、僕のことなど目に入らないように。我を失って――泣き叫ぶ。
泣き喚く。
「死ぬのやだ、死ぬのやだ、消えたくない、なくなりたくない! やだよお! 誰か、誰か、
誰か、誰かあ――」
吸血鬼を助ける奴なんて。
いるわけがない。
というか、ぼくが助ける奴なんて、いない。
友達でさえ壊したり、殺してしまう、こんなぼくに助けられる奴なんていない。
そもそも誰かを助けたいとも思わない。
ぼくは、救えない奴なのだ。
いくらぼくが死にたがりだからといって、こんなところでこんなのに殺されるなどまっ
ぴらごめんだ。
「うわああああん」
流す涙が――血の赤に変わり始めた。
真っ赤な、真っ赤な、
赤い――鮮血。
血の涙。
「ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんな
さい、ごめんなさい、ごめんなさい……」
ついに、彼女の言葉は懇願のそれから謝罪のそれへと変わってしまった。
一体、何に謝っているのだろう。
一体、誰に謝っているのだろう。
それは、おそらく――この世界に。
生まれて、すみません。
「ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんな
さい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい……」
彼女は泣き叫ぶ。泣き叫び続ける。されど人は来ない。目の前にいるぼくは彼女を
助けない。彼女は助からない。それにたとえ誰かが来ても、その人は彼女を助けない。
そういう運命だったとでも言うべきなのだろうか?
彼女が死ぬことは必然だとでも言うのだろうか?
彼女は死ななければならなかったのだろうか?
ぼくには、わからない。
ぼくは彼女に背を向けて、彼女を見捨てることにした。
見殺すことにした。
ぼくがこれ以上いたところでどうにもならないし、どうしようもない。
まったく、時間を無駄にしてしまった。
そうだ、これからどうなったって、誰が来たって、彼女は死ぬしか――。
「……いや、一つだけ道はあるかな」
一つだけというか、一人だけ。
彼女を助けるような男が――助けそうな、助けてしまいそうな男が、一人だけ。
自分の命を顧みないバカに、一人だけ心当たりがあった。
「……………………」
もし、もしもだ。
もしもの戯言。
・ ・
もし、ぼくがここにいるのではなく、彼がここにいたとしたら、彼はどうしただろうか?
・
いや、これはもしもと言うよりは、本来ならば、だ。あんな大事件が起こらないで、彼
・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・
がこの故郷に帰っていたとしたら――
……あいつも、ぼくほどではないが、よく事件に巻き込まれたり、事件を巻き起こした
りしたものだ。
おそらく、きっと、ぼくのように、彼もこの吸血鬼に出会っただろう。
そのとき、そいつは――この吸血鬼を前にして、一体どうするだろう。
きっと、あいつは――たらたら文句を言って――仕方なさそうに――嫌々――うんざり
しながら――心底鬱陶しそうに――どうしようもなさそうに。
この吸血鬼を、助けてしまうのだろう。
だとしたら、ここで彼女を見捨てる行為は、見殺す行為は、彼女をぼくが直接殺すこと
と等しい。
ぼくの代わりに彼が死んだ所為で、彼女まで死んでしまうのだから。
「………………………」
めちゃくちゃな理屈だ。
前提からして間違えてる。
ありえない方程式。
けれど、それに気づいてしまった以上、たとえ戯言と分かっていても。考えないわけに
はいかない。
「……………………」
人が死ぬところは何度も見てきた。
だから、彼女が死んだところで、気にするようなぼくではない。
けれど、人の命を直接に奪うのは、ぼくが直接の原因になってしまうのは、
そんな、そんなのは……嫌だ。
「……………………ふう」
……なにをやっているのだろう、ぼくは。
なにを、迷っていたのだろう。
そもそもこんなこと考えるまでもない。死ねるチャンスじゃないか。戯言もいいところだ。
上位存在――嫌なやつなどではなかった――むしろ、その溢れる高貴は、そう、美しい
じゃないか。
こんな存在を助けられるというのは、命を与えられるというのは、意味のある死ともいえる。
普段生き死にに意味など見出す必要もないと思っているぼくだけれど、でも、あいつには、
これからもみっともなく生きるよりは、生き恥をさらし続けるよりは、
この死に方は、きっと、あいつに胸を張って言える。
「はあ」とぼくは溜息を吐いた。自然にそれは出てきた。こんなやつ助けたところでどうにも
ならないが、助けなかったところで何も変わらない。ぼくの命が――失われるだけだ――
終わるだけだ――どう転んだところで、何も変わらないのは彼女の運命などではなく、ぼくの
命運だったか。
どこにいようとも、死ぬ運命。
まったく、なんて、なんて戯言。
ぼくは、振り返って彼女に近づき、謝罪を続ける彼女の前に座り込み、首を差し出した。
「えっ?」
「……」
「どういうこと?」
……なんだこいつ……鈍いというかなんというか……死にそうだってのに……まったく。
「ほら、吸ってください」
「えっ? えぇ!」
「何驚いてんですか。ぼくらはあなたの食糧なんでしょう? 喰われて当然、吸血鬼様には
命を献上しなきゃならないんでしょう?」
「で、でも……」
ああ、ったく。なんだよこいつ。
「……はやく食べないと、ぼく、逃げますよ?」
「あっ、食べる! 食べます! 食べさせていただきます!」
「……本当に吸血鬼かよ」
「えっ、あっ、えとっ……ごめんなさい」
「……はやくしないと死んじゃうんじゃなかったんですか? ほら、はやく」
「は……はい…………あの……………………その………………………………ありがとう」
彼女は、ぼくの首に牙を突き立てた。
目を瞑ってはいなかったはずなのに、ぼくの視界は一瞬で真っ暗闇になる。
そして、闇の中から出てきたのは、今まで会った人達。
父、母、姉、祖父、祖母、そして――妹。
飛行機同士の衝突事故。ありえない事故。
玖渚との出会い、直さんに霞丘さん。
アメリカで会ったクラスメイト達、心視先生、面影真心。
そして――あいつ、阿良々木暦。
あいつが爆ぜる。
日本に戻ってきた。
あいつのご両親、二人の妹、火憐ちゃんと月火ちゃん。
校門の前で会った生徒、羽川翼。
そして、吸血鬼の彼女。確か、キスショット・アセロラオリオン・サータアンダギーだ
っけ?
ああ、まったく、こんなにも多くの人を思い出してしまった。
うっかり死ぬのが嫌になるところだった。
でも、ぎりぎりでとどまった。
いや、嫌になったところで、もうどうしようもないのか。それでもやっぱり、それほど
いやじゃないけど。
戯言まみれのこの人生も、ようやくこれで終わりだ。
これで、これでようやくぼく、は、し、ねる、ん――だ。
004
人間以外の動植物が、考えて行動しているか、理性を持っているかどうかについての議
論は、生物学者に任せることにして。
今回はその逆。人間が本当に考えて行動しているか、理性を持っているかどうかについ
て考えてみよう。
人間は考えながら生きていると言えるかどうか、これはおそらくイエスだ。
人が考えなしに生きていけるわけがない。
じゃあまったく考えないで、もしくは、逆に常に考えながら生きている人間がいるだろうか?
答えはもちろんノーだ。両方とも機械にしかおそらくできないだろう。
お次は理性について考えてみよう。
これも先程の回答と同じだ。人は本能のままに行動することもあれば、自分に枷をする
ことだってある。
この二つから、ぼくが何を言いたいかというと、人間と他の動物との間に明確な差異が
あるとすれば、それは、自らバランスをとろうと試みているかどうかだと思う。
いや、ぼくは生物学にそこまで精通してるわけじゃないので、もしかしたら動物の中に
も必死にバランスをとっているものもいるかもしれないが、そこは問題ではない。
ここで問題なのは、人間が意識的にせよ、無意識的にせよ、バランスをとろうとしてい
ることだ。
バランスをとろうとして、失敗していることだ。
人間以外の動物は、どんなことであれ、失敗はイーコールで死につながるが、人間は
失敗したところで死なない。ほとんどの場合終わらない。
今生きている動物のほとんどが失敗をしていない中で、人間だけが、全種が全種、全
員が全員失敗をしている。
生き恥を晒し続けているのは人間だけなのだ。
この主張に対して、「どんなに失敗しても生き続けることができる人間は、やはり他の
動物よりも優れている」と、人間主義者は述べるかもしれないが、ぼくはこうも思う。
恥じながら生きるくらいなら、死んだほうがマシなのではないか。
致命傷を負った時点で、死ぬべきではないのか、と。
「んっ――ぅんー……」
ぼくが目を覚ますと、そこは見知らぬ天井だった。
いや、天井が見えた、だ。暗い室内なのになぜか日中と同じように、いや、むしろそれ
以上によく見える。
…………夢、だったのかな?
いや、これは、この天井は、彼の部屋の天井ではない。
見知らぬ天井なのだから彼の部屋ではないことは、わかっていたのだが、いや、待て、
落ち着けぼく。
落ち着いて、考えよう。
寝ぼけた頭を起動させる。誤作動がないよう、ゆっくり時間を掛けて。
現状の整理。どうやら知らない場所で仰向けに、漢字の『大』のような形に寝ていたら
しい。以上。
「――なにひとつわかってねえ」
………………ここはどこだろうか?
彼の部屋ではない、また、阿良々木家の他の部屋というのもないだろう。
ぼくの眼前に広がるのは、ところどころ罅の入った、蔦が這っている、今にも壊れてし
まいそうな、天井だった。
いや、天井といっていいのかどうかも怪しい。雨が降れば雨漏りは必須だろうし、台風
なんかが過ぎた日には、倒壊は必然だろう。
どうやら、建設されてから相当の年数が経っているらしいことはわかった。
しかし、なぜ、こんな場所にぼくが……。
「……うだうだ考えてても仕方ないよな」
とりあえず、まずは起きないと……。
「起きm」
途端、強烈な痛みと、なんともいえぬ鉄の味を感じた。
……痛い……噛んでしまった。口の中を切ってしまったようだ。結構派手に切ってしま
ったみたいで、血の味がする。いや、まてよ、『おきます』切るほど噛むような音か? い
や、そもそも切ってなかったのか。どこからも血は出ていない。おかしいなあ。血の味は
するのに。痛みもさっきまではあったはずなのだけれど……。口の中を舌で確認してみる。
あれ、ぼくの犬歯ってこんなに長かったっけ? これじゃ歯というよりは牙だ。噛むのも納
得だ。いや、噛んでなかったんだっけ? しかし、血の味はする。痛みもあった。二つとも
幻覚だったのだろうか? どちらにしろ、牙は問題だな。この長さでは、しゃべるたびに血
を流してしまう。まあ、今までだってしゃべるたびに血は流れていたんだけど。口は災い
の素。しかし、牙、か。牙といえばやっぱり、犬とか蛇とか、虎とか――
「――吸血鬼」
…………。
……馬鹿馬鹿しい。まったく、こんなの――冗談もいいとこだ。
そもそもぼくは、ただ起きようとしたんじゃなかったのではないだろうか? 当初の目
的を忘れてしまった。いつもどおりに。
とにかく、ぼくは左手をついて身体を起こそうとするが――
「って、あれ?」
どうも右腕が動かない。いや、動かすことはできるのだが、動かそうとするたびに何と
も言えない感覚が生じる。今まで気付かなかったが、どうやら、右腕が痺れていたようだ。
しかし、気付かないほどに身体が痺れるって起きることなんだな……。
ん? 待てよ? なんで腕が痺れるんだ? 仰向けに、大の字に寝ていたはずなのに……。
ぼくは首だけで右を向く。
そこには――幼い金髪の少女がいた。
目も眩むような、美しい金髪の女の子だ。
とても気持ち良さそうに、すうすうと息をしながら寝ている。
かわいいなあ――じゃなくて。
まずいまずいまずいまずいまずいまずいまずいまずいまずいまずいまずいまずいまずい
まずいまずいまずいまずいまずいまずいまずいまずいまずいまずいまずいまずいまずいま
ずい!!!
ぼくの中で最大クラスに大音量で警報が鳴っている!
落ち着け! 落ち着いて考えるんだ!
素数はたしか、1、3、5、6、8、2、13、25、16……だめだ! とても張り合わない。れ、
冷静に、冷静に、冷蔵庫、いや、冷凍庫になるんだぼく! と、とりあえずは、現状の整理だ。
二度目の現状整理。5W1H。
ぼくと見知らぬ幼女が、知らない場所(おそらくは廃墟)で、(やはりおそらくは)深夜に、
なぜか、二人で寝ていた。
どのようにしてかはわからない。
考えられる客観的な可能性としては、
未成年略取。
未成年の誘拐!
拉致、監禁!
何より女の子というのが致命的!
まったく、なんて冗談だ。畜生!
「………………………」
ぼくの脳はK点を越えてしまったようで、もうそこから先は一切何も考えることができな
かった。ぼくはいつしか、考えるのをやめた。いや、いつも何も考えていないような気が
するけれど。
考えられなければどうすべきか。
行動に移すべきである。
「うん、ひとまず逃げよう」
ぼくは、少女のことなど考えもせず、腕を無理やりに、彼女の頭の下から引き抜き、一
目散にその部屋から出て行く。
こういうことにはかかわらないのが一番。このときのぼくではこれ以外の行動は考えら
れなかった。
…………いやいや、他にももっと違う道があっただろうに。
ロリコン
ぼくがそのような「少女性愛者」でないことは、ぼくにはわかっていたはずなのに、ぼ
くにこの状況がわからないのであれば、少女の方は知っているのかもしれないのに。
あの少女が――先の吸血鬼にとても似ていることに気がついていれば、このようなこ
とにはならなかったのに。
ぼくは廊下を駆け、階段を駆け下りる。いや、転がり落ちるといったほうがより正確か
もしれない。ぼくは全身を打ちつけながら階段を転がる。ぼくと少女が寝ていたのは二
階だったらしく、踊り場からすぐに出口が見えた。一階は二階よりも少し明るい。さっき
まで、とんでもない暗闇の中にいたので、少し眩しくも感じた。どうやら深夜という予測
は間違っていたらしく、外では太陽が照っているみたいだ。眩しく、とは言ったものの、
北側に面しているのか、室内はただ、二階よりは明るいというだけで、普通の人ならば
目が慣れるまで時間がかかりそうな程度には暗い場所であった。
そう、そろそろ気づいてもよさそうなものなのに、自身が既に、普通の人間の状態では
ないことに、気づくべきなのに。
・ ・ ・ ・ ・ ・
全力で建物の外へと出た。太陽の下へと飛び出した。その瞬間に――ぼくの全身が
・ ・ ・ ・ ・ ・
燃え上がった。
「はっ、はあああっ!?」
何が、何が起きている!?
走っている最中のこと、対応しきれなかったぼくは、無様にも肩から転がった。ついで
に火も消えてくれないだろうかと思ったが、そんな生易しいものではなかったらしく、ぼ
くを包む業火は止む気配がない。
髪が燃え、皮膚がただれ、肉が焦がされ、骨が焼かれる。全身が炎に犯され、神経
がこれでもかというほど、脳に信号を送ってくる。
燃えている。燃えている。燃えている。燃えている。燃えている。燃えている。赤々と
燃えている。メラメラと燃えている。全てが燃えている。全てが燃えていく。燃え盛り、
燃え尽きていく。
死ぬのか――ぼくは、また、死ぬのか……。
また? 死ぬのは初めてだろ? 何で、ナンデ?
「たわけっ!」
と、建物の方から幼い声がした。
首の筋肉はまだ焼き切れていないらしく、ぼくは首を建物へと向けることに成功する。
燃え上がり、水分の蒸発しきった眼でみると、そこにいたのは――先ほどぼくの腕の中
で寝ていた、かわいらしい金髪の女の子だった。
「さっさとこっちに戻ってくるんじゃ!」
と、彼女は少女にあるまじき権高な目つきで、ぼくを怒鳴った。
どうやら、全身の痛覚神経は焼き切れてしまったようで、そのころには幸い、痛みをほ
ぼ感じてはいなかった。ぼくは、肉の落ちた所為で二本の杖のようになってしまった両膝
を必死に動かし、両手首をついて、建物のほうへと戻った。
建物の中、陽の当たらない影の中に入ると、まるで全てが嘘だったかのように、『なかっ
たこと』になったかのように、ぼくの体を包む業火は消え去った。服も全て元通り――いや、
上着の至る所に、泥が付着していたし、足が焼けただれた影響で脱げた靴は、今も建物の
外に放置されたままであるが――とにかく、元通り。燃えていたのはぼくの肉体のみで、
服には火が回らなかったということだろう。
人体の自然発火現象も相当の驚きだが、その炎が服にまで回らなかったこと、また、そ
の炎が一瞬で消え、ぼくの肉体に後遺症等を残さず一瞬で回復してしまったことの前では、
自然発火現象のことなどなんてことはない。レーザーやらプラズマやらの解釈はあるし、
それに関する論文や、実験はむこうで見ている。
しかし、それ以外は説明がつけられない。そこらで買った服が耐火服であるわけがない
し、瞬時の消火、回復は、きっと誰にも説明がつけられないと思う。
超常現象。
吸血鬼。
まさか……いや……そんな……。
「全く。いきなり太陽の下に出る馬鹿がどこにおるのじゃ――ちょっと眼を離しておる隙に、
勝手な真似をしおって。自殺志願か、うぬは。並の吸血鬼なら一瞬で蒸発しておったぞ。
日のある内は二度と外に出るでない。なまじ不死力があるだけに、焼かれ、回復し、焼か
れ、回復し――の、永遠の繰り返しじゃ。回復力が尽きるのが先か太陽が沈むのが先か
――いずれにせよ、生き地獄を味わうことになる。まあ、不死の吸血鬼を生きておるのだ
と定義すればじゃがのう――――――――――――――――――――――――――――
って、うぬ、おい、聞いているのか?」
「…………」
「聞こえておるんじゃろ? なあ、おい」
「…………」
「まさか、うぬ! しゃべれんのか!? そんな、まさか失敗して……」
「…………」
「ああ……そんな、そんなっ!」
「…………」
「…………うっ」
と、そこで、少女はこちらにも伝わってきそうなくらい寂しそうに、目に涙を溜めた。
「泣いちゃ駄目だ。泣いちゃ駄目だ」という、心の声まで聞こえてきそうなほどに、必死に
歯を食いしばり、小さな手をぎゅっと握り締めて、それでもやっぱりこらえきれないのか、
少し顔を俯ける。
ああ、もう、可愛いなあ。
「心配しなくても聞こえてるよ。大丈夫。大丈夫」
と、ぼくは彼女の頭を撫でた。
「…………それならすぐに返事してよ」
言って、彼女はぼくの腰に抱きついた。
「いろいろ理解が追いつかなかったんだよ、ごめんね」と言って、ぼくも彼女を抱きし
める。
小さい、ふわふわとした体躯。さらさらと美しい金髪。今は見えないが、威圧感のある、
少女に似つかわしくない、鋭く、冷たい目。そんな少女によく似合う、これまた、かわい
らしいドレス。そして、しゃべるたびに覗く白い牙。
これら全てに、見覚えがある。
「すると、きみは――その、昨日の吸血鬼ってことでいいのかな?」
と、尋ねると、彼女はそれで我を取り戻したのか。慌てて、ぼくを軽く突き飛ばし、少し
距離をとると、思い切り高飛車な態度で、胸を張り、
「う、うううう、うむ。い、いかにも、わしゅ、儂は、キスショット・アセロラオリオン・ハート
アンダーブレードじゃ」
と、名乗りを上げた。
…………かわいい。ものすごくかわいい。
これ以上にかわいい生物はいないと断言できるくらいにかわいい。
ぼくに弱いところを見せたくないのだろうか、彼女はぼくに尊大な態度をとって見せた
が、見せようとしたが、その試みは明らかに失敗だった。
台詞噛んでるし。
顔真っ赤だし。
「け、眷属を造るのは四百年ぶり二回目じゃったが、まあその回復力を見る限りにおいて、
うまくいったようじゃな。暴走する様子もなさそうじゃ。なかなか眼を覚まさんから心配したぞ」
「心配してくれたんだ。ありがとう」
「………………」
カアァっと音が聞こえるんじゃないかってくらいに、少女は顔を更に真っ赤にさせる。
「ところで、眷属って何?」
「その、なんというか、しもべ、従者みたいな感じじゃ」
「ま、まあ、かぞ――という意味もあるかの……」と、少女はごにょごにょと答えた。
従者、か。それはつまり――
「つまり、ぼくも吸血鬼になったってことか」
それほど詳しいわけではないが、というか、あまり知らないのだが、確か、吸血鬼の血
を浴びると、ゾンビになるんだったっけ?
それの応用で、吸血鬼を作りだしたってことか?
「そう。うぬは眷属、吸血鬼となったのじゃ。さて、従僕よ」
彼女は笑った。
今までの子どもじみた言動が嘘だったかのように。
顔はまだちょっと赤かったけれども、それでもやっぱり別人のように。
凄惨に、笑った。
「ようこそ、夜の世界へ」
…………結局、ぼくは、人生を終えることは叶わなかったというわけだ。
・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・
いや、人間をやめた、やめさせられたのだから、「人」生は終わったのかも知れないが。
「……ちょっと、質問いいかな?」
「うん? なんじゃ。何でも言うてみい」
「えっと、その……ここは、どこだろう?」
さして気にしていることではないのだけれど、まずは、牽制。軽いジャブのような形で、
質問をしてみた。
「何でも」と言っているのだ。
二つ目、三つ目の質問は可能だろう。
まずは当たり障りのないところからだ。
「確か、『塾』とか言うものらしいぞ――数年前に潰れたようじゃが。今はただの廃墟じゃ。
身を潜めるのには便利じゃな」
「身を潜める……?」
……えっと……なんで?
今がまだ、太陽が出ている時間帯だから、ということだろうか?
「ふむ。まあ、確かに今、儂が行動を起こせないのは、太陽が出ているから、というのも
あるのじゃが、しかしそれ以上に大きな理由として、やつらから、身を隠さなくてはなら
ない、というのがあるのじゃ」
「『やつら』?」
「ああ。この儂から四肢を奪い取っていった、忌々しきヴァンパイアハンターどもじゃ」
「そうだ、それについても聞きたかったんだ。あの時、ぼくがきみと会った時、きみ、
その、五体満足じゃなかったじゃないか」
それが今は腕があり、脚があり――
「胸がない」
「今なんか失礼なことをつぶやいたじゃろ!? おい!!」
「かわいくなったね。って言っただけなんだけどな」
「むう……絶対嘘じゃろ、それ」
しかしキスショットは「まあよいわ」と、それ以上追及することはしてこなかった。
上位存在。意外とチョロいなあ。
「儂がこのような姿でいるのは、端的に言って力が足りていないからなのじゃ。力が、
血が不足しておる」
「あれ? でも、あの時はぼくの血があれば助かるって」
いや、違う。たしかあの時、キスショットは、「急場は凌げる」と、そう言っていたの
だっけか?
「そうじゃ。これは文字通りにその場しのぎ。ただ死なぬための策。形だけは取り繕って
おるが、この腕も、脚も、中身はまるでスカスカじゃ。吸血鬼としての力は発揮できぬ。
不死身性は大分失われておるし、不便極まりないわ。まあ、当面はこれで大丈夫じゃし、
そこまで気にすることはないよ」
死なぬだけマシじゃ。と、キスショットは自身に言い聞かせるようように言った。
そう、結果的に、彼女は死ななかった。
一安心。
ぼくなんかの血では人一人分にすらならなかったのではないか、と、少し心配でもあった
のだ。ひとまず助かったというのなら、ぼくが死んだ甲斐もあったというもの。
そう思うことに、しておこう。
さて、次の質問は……。
もう少し、様子を見るか。
「じゃあ、また質問。キスショットの趣味は?」
「いやいやいやいや待て待て待て待て」
キスショットは頭を抱えながら手を前に出す。なんだろう? 聞いてはいけないことだっ
たのだろうか?
「うん。一つずつツッコミを入れていくか。おい、うぬよ。儂の趣味を聞いていったい
どうするのじゃ?」
「いや? べつにどうも? とりあえず聞いてみただけで全然興味ないし」
「じゃよなあ! 他人に興味なさそうな顔しとるもん!」
「うん、よく言われる」
そしてその通り興味はない。
ぼく自身あまり趣味はないので聞いたところで「へえそうなんですね」としか言えない。
「じゃあなぜそんな質問をこの状況下でするのじゃ?」
「いや、とりあえず相手が話しやすそうなところからやってこうかなって。コミュニケーションの
基本だろ。相手を調子に乗らせて話しやすくするのは」
「今ものすごくディスコミュニケーションな響きの単語が飛び出したような気がするのじゃが
……うううううう…………なんじゃ? うぬは女子を驚かせて楽しむ趣味でもあるのか?」
「失敬な。女子に限らないし、また、驚かせるだけでなく怒らせたり動揺させたりするのも
好きだ」
「最低の男じゃああ!!」
うなるように叫び、キスショットは剣呑な目で睨みつけてくる。おお、怖い怖い。
「で、キスショット、ぼくは、吸血鬼になったんだよね」
「こら、待てと言ったろうに。勝手に話を進めようとするな! まだ先の質問、言いたいこと
は残っとるぞ! おいうぬ! そのキスショット呼ばわりはなんじゃ!」
「ん? あれ? まずかった?」
そちらは想定外だ。向こうではむしろファーストネーム呼びの方が自然だったのだけれど。
「うーん、ダメかな? ぶっちゃけ、アセロラオリオンもハートアンダーブレードも呼びづらい
んだけど」
「人の大事な名を呼びづらいとかいうでないわ!」
マジギレだ。かわいい。……じゃなくて、ちょっとやりすぎたかもしれない。
「ごめんごめん。キスショットがダメなら…………そうだな、キースとかどうかな?」
「馴れ馴れしいという話なのになぜさらに砕ける!?」
があーっと、頭を抱え、獣のように吠えるキスショットだった。
「はああああ……もう、なんじゃ、うぬ、救いようのないあほじゃな。ほんと」
「わかってもらえてうれしいよ」
「……………………うぬには命を助けられた。無様をさらす儂を、うぬは救ってくれた。
じゃから、生まれたての吸血鬼などという低位のうぬが、儂に対等に口を利くことも、
儂をキスショット呼ばわりするのも許そうと思う」
「本来なら口もきいてもらえないのかぼくは……」
「そうじゃぞ。生まれて五百年の儂とうぬではまるで位が違うのじゃ。ましてや吸血関係、
つまりは主従関係にあるのじゃから、本来というのであれば、うぬは絶対服従。儂の意見
をただ聞き動くだけの奴隷じゃ。しかし、さすがにそこまでするのは勘弁してやろう。うぬ
の意見も、うぬの意思も尊重してやる。じゃがな、儂とうぬは上下関係にある、それだけは
はっきりしておかねばな」
ふうむ。吸血鬼世界というのは意外に体育会系らしい。となると、なにやら連帯感を強める
ための儀式めいたものがこれから行われるのだろうか? たしか聞いた話によると、ある中学
の野球部では女子から制服を借りて初回の練習をするとか。そういう、恥ずかしい思いを皆
で共有することが大切とかなんとか。
「ふふ、察しがよいな。優秀な従僕を持てて、儂はうれしい。ま、よい主人にはよい従僕が
つくものじゃから、当然と言えば当然のことなのじゃが」
キスショットは愉快そうに笑う。
「はあ、で、いったい何をさせようってんですか? キース様」
「砕けておるのか畏まっておるのか……ああ、もうキスショットでいいわ」
「で、キスショット。ぼくはいったい何をすればいいのかな?」
「うむ。まずは服従の証として儂の頭を撫でてみよ!」
彼女は威張って言った。
…………いや、それ、普通に女の子をかわいがっているだけになるのでは?
というツッコミを抑え、言われたとおりに頭を撫で。
柔らかい。美しくさらさらの髪は、量があるのに、指が滑るようだ。
「あいつの髪とは大違いだ」と、思わずつぶやく。
風呂ギライだったからな。あいつ。
髪を撫でる。慈しむように、いたわるように。あまりの心地よさに、ぼくが撫でているのか。
髪がぼくの指を吸い込んでいるのか。指と髪との境界がわからなくなってしまいそうだ。
一体感。かわいがるのではなく、かわいがらせてもらう。至福の奉仕。なるほど。これは
主従の証たり得るだろう。ぼくは夢中になって髪を撫で続ける。
「ふっ。よかろう」
「…………」
「もうよいて」
「……………………」
「よいと言っておるだろうが!」
蹴られた。
スカスカ、と彼女は自身を指して言っていたが、それでもぼくを軽く吹き飛ばす程度には
まだまだ力は健在らしく、あわれ戯言遣いはそのまま玄関の外まで吹っ飛び、ふたたび
陽光にさらされることになるのだった。
「あちちちちち! あついあついあつい!」
「なにがあわれ、じゃ。この、髪フェチの変態が!」
さっさと戻ってこい。と、キスショットは冷たく言う。
ひどいなあ。そもそも撫でろといったのは向こうだというのに。ぼくは必死に転がりながら
屋内へ逃げ、不平を口にする。
「儂がやれ、と言ったらやり、やめろと言ったらやめろ。まったく、まだわかってない
ようじゃなこいつ…………」
やれやれ、と肩を竦めるキスショット。
「仕方ないのう。これはより上位の服従の証を見せてもらおうか」
かかかか。と、悪魔超人じみた笑いをするキスショット。うわあ、こんな笑い方する
やつ本当にいるのか……。すげえ、本家より悪そうな笑みだ。
「はあ、次はなに?」
「より上位の服従の証、それはな」
勿体ぶった風に、彼女は告げる。
「胸を、撫でる」と。
胸を――撫でる――。
むねを――――――ナデル――――――?
「は? え? はあ?」
「ん? わからんのか? 儂の、この胸を、撫でろと言っとるんじゃ」
「…………いや」
いやいやいやいやいやいやいやいや、待て待て待て待て待て待て待て待て。
え? いや、いいのか? ダメだろう。絵面的に。
「『いや』って、い、嫌、なのか……?」
軽く涙目になるキスショット。
「嫌ではないんだけど、その、なんというか」
劇場化できなくなってしまう。
大手を振って街を歩けない身分になってしまう(元からだけど)。
ああ、でも、やるしかないのか? 彼女の涙腺は決壊寸前だ。
幼女を幾度も泣かせた男になるのか、幼女に手を出した男になるのか。
主人の言いつけを守るべきか、破るべきか。
戯言遣い、決断の時であった。
そんな風に優柔不断なぼくが選択を迷っていると――
「うう……儂に服従を誓うのが、そんなに嫌なのか? それとも、儂のこの胸に触れるのが、
嫌なのか?」
あ、まずい、もうタイムリミット。ぼくは、ぼくは――
「いや、幼女の胸に触れるとかマジでムリっす。勘弁してください」
「うっ、うぅ、うわあああああん!!!」
泣いた。キスショットは、大粒の涙を流し、叫んだ。
「冗談!」
泣き出した彼女を見るにたえかね、ぼくは一瞬で態度を改める。
「戯言! 嘘! これぞ本場のアメリカンジョーク!」
「…………ほんとう?」
「本当も本当! 今までのは全部演技! 本当はもう服従したくてたまらないし胸にも触り
続けていたかった!」
「それ、ほんとうじゃな?」
「うんうんうんうん」、ぼくはヘッドバンキングで必死に彼女にこたえる。
「じゃあ、『どうかぼくに、そのおっぱいをモミモミさせてください、お願いします』って言って」
「どうかぼくに、そのおっぱいをモミモミさせてください! お願いします!」
「……『キスショットのおっぱいを揉ませていただけるなんてとても光栄です』」
「キスショットのおっぱいを揉ませていただけるなんてとても光栄です!」
「『キスショットのおっぱいを揉むためだけにぼくは生きてきたようなものです』」
「キスショットのおっぱいを揉むためだけにこの戯言遣いは生きてきたようなものです!」
「おいおい、何の感情も持てなさそうな瞳をしておるくせに、結構変態なのじゃな。うぬ」
ロリコン
「はいっ、ぼくは変態です! ごめんなさい!」
「謝らんでもよいわ。この儂の魅力に当てられてしまうのは、仕方のないことじゃからな」
かかかかっ。と、キスショットは笑い、両手を頭の後ろに当て、しなを作り、誘うように
胸を突き出す。
「さっ、よいぞ」
「……………………」
は、ハメられたあああーーーー!!!
ちょっと面白い流れになったのでついノってしまった――――!!!
これ、マジでやる流れだよな? ああ、迷いに迷って、結局泣かせた挙句に手を出すことに
なるなんて…………。
「…………えい」
恐る恐る、触れてみる。
「ひゃっ!」
「ごめんなさい!」一気に手を引っ込める。
「いや、ちょっとくすぐったかっただけじゃ。よい、続けよ」
「あ、は、はい」
やれと言ったら、やり、やめろと言ったら、やめろ。だったか?
落ち着け。おちつけえ、戯言遣い。
なでる。なでる。なdるなでるなdrなでr。
「うるさいぞ。はやくせい」
「は、はい」
いつの間に声に出してしまったのだろうか? 恥ずかしい。動揺をさらすなど。
覚悟を決め、手を伸ばす。布越しでも、柔らかさを感じる。これは、脂肪がついていると
いうよりは、子ども特有の肌自体の柔らかさ。胸、といっても、腕やほっぺたが柔らかい
ようなもので、それは性的な感触ではない。まだ全体的に未熟な、そういう欲求には大抵
なりえないような肢体。そうだ、気にするな。これはただの儀式。頭を撫でるのと何ら
変わらない「んっふ、あぁ」
「変な声あげてんじゃねえ!」
思わず突き飛ばすぼく。
色々限界だった。これ以上は>>2にR-18注意と書かなくてはならなくなってしまう。
「いやあもうこんなの読もうと思ってる時点で成人済みじゃろ。完結から十年半じゃぞ」
というわけで続行じゃ。胸を張って、彼女は言い放つ。え? まだこの件続けなきゃ
いけないの?
「ああ、続けなきゃ、イケない」
「知るか。一人でやっとれ」
人をおもちゃにするんじゃありません。
「はいはいもうぼくの負けだよ。完全敗北。もうきみには敵わないと悟ったさ。一生の
服従を誓うよ。キスショット」
「ええー? 本当にござるかぁ?」
「…………」
ちょっとこの吸血鬼、俗世に毒されすぎではなかろうか?
「まあよいか。かか。うぬ、存外に初心なのじゃな」
キスショットはにやにやと楽しそうに笑う。
くう……どうやら攻める側になると彼女も強いみたいだ(二人とも守りが甘いのかも
しれないが)。
ええと、なんだっけ? 今、どうゆう状況だっけ?
「お色気パートじゃろ?」
「そんなものはない。このシリーズにはない。いらない。求められてない」
「そこまで拒否することもないじゃろ……」と、拗ねるように言うキスショットだった。
と言ってもまじでこの方向は求められてない気がするのでやめ。
「はい、次の質問いくよ。ぼくは吸血鬼になったんだよね?」
「おいおい…………まだ信じられんというのか? 先ほどあれだけ派手に炎上したという
のに」
「いや、その点についてはもう理解しているよ。自分がもう異形な者に変わってしまった。
それはもう受け入れた。で、次はなんでぼくが吸血鬼になったかってこと」
「ん?」
「どうして、ぼくを吸血鬼にしたのかってことさ。ぼくの血を吸いつくして、それでおしまいで
よかったじゃないか。それをわざわざ生き返らせて、二人で隠れられるような場所を探して、
めんどうだっただろう?」
そう、ただの食料にそこまでしてやる義理はない。ならば、彼女には何らかの算段があ
るはずだ。ぼくという人間を利用して、キスショットは何を企んでいるのか? ぼくに何をさ
せようというのか。ぼくに何を求めているのか。
なんて、少々身構えていたのだが、それはどうやらぼくの穿った考えのようだったらしく
「……別に、したくてしたわけではない。吸血鬼に血を吸われれば、例外なく誰もが吸血
鬼と化す。それだけのことじゃ」
と、何でもないことのように言った。
「そっか……」
疑り深い自己を恥じる。利用されたり利用したり利用したり利用したり利用したりした
所為か、どうにも人間不信になっているようだった(どうかんがえても自業自得)。
「まあ、それは儂にとっては都合のよいことよ。何故じゃかわかるか?」
キスショットは、勿体つけるように間を置いて、高慢な口調で言う。
凄惨な笑みもつけて、意地の悪そうに嗤う。
…………………………前言撤回。やっぱりぼくを利用する気はありありのようだ。
「うぬには、やってもらわなければならぬことがあるからじゃ」
「やってもらわなければならないこと?」
「そうじゃ。うぬ一人の血では、ここまでしか身体を回復できんかった――今の儂は、フル
・ ・ ・
パワーからは程遠い。じゃからこの先は、うぬに動いてもらわぬといかん」
「この先……」
「然り。先の先まで読んで行動する。それがこの儂、鉄血にして熱血にして冷血の吸血鬼、
キスショット・アセロラオリオン・ハートアンダーブレードじゃからの」
どやあ、と擬音が聞こえてきそうなほどの表情を浮かべる。
……つっこまない、つっこまないぞ。もう。
「ぼくに何を――」
ぼくに何をさせる気なのか。
思わず、そう訊いてしまうところだったが、しかし、それでは話が逸れそうなので――
いや、キスショットがぼくにさせたいこと、というのも本筋なのだろうけれど――その前に、
どうしてもぼくには訊いておかなければならないことがあった。
ここらが頃合いだろう。
一番訊きたいことを――確認しなければならないことを――訊く。
「キスショット……ぼくは」
彼女を見据え、覚悟を決めて、ぼくは問う。
・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・
「ぼくは――人間に戻れるのか?」
「ふむ」
特にリアクションは取らず。「やはり――そうじゃろうなあ」なんて、キスショットは
言った。強いて言うなら、少し寂しそうにしたくらいだった。
てっきり、怒ったり、不思議がったり、理解不能な目で見られるのではないかと、そんな
反応をされるのではないかと、少し身構えたのだけれど――。
「うぬがそう言う気持ちはわかるしのう?」
「え? わかるの?」
上位存在。
口調から、態度から、人間のことは完全に見下しているとわかる。
てっきり、吸血鬼に、従僕になれたことを誇りに思え、とか言われると思っていた。
「儂も神にならんかと誘われたことがあったが、その時は断ったからのう」
「……またスケールのでかい話だね」
「昔の話じゃ」
ともかく、とキスショットは話を戻す。
「人間に戻りたい――と言うより、元のままでありたいと思ううぬの気持ちはわかるのじゃ。
そう言い出すと思っておったわ。『ようこそ、夜の世界へ』と言ったものの、うぬがその
ままでいたがるとは思っておらんかったよ」
「そうか――それで、結局どうなの? ぼくは――」
「……戻れるよ」
キスショットは、少し声を低くして、言った。
射貫くような、権高な視線で、ぼくを見つめる。
「戻れる。保証するよ。儂の名にかけての」
「…………」
その冷たい声は、どこか悲しみをはらんでいるようにも思えた。
「勿論……従僕よ。そのためには、ちょっとばかり儂の言うことを聞いてもらわねばならぬ
のじゃがな。従僕たるうぬに命令を下すに遠慮する必要などないのじゃが―― 一応、
命令ではなく脅迫と言うことにしておいてやろう。人間に戻りたくば――儂に従え、とな」
そしてやはり――彼女は、凄惨に笑った。
まだ書き溜めあるのですが疲れてしまったので今回はここまでで。
スレタイを「キスショット「うぬには人間をやめてもらうぞ!戯言遣いぃぃーー!!」」にしてもよかったかなと思いました。(戯言)
原作より戯言使いの口調性格がマイルドなのは暦が原因か、なるほどな
戯言が完全にラノベ界の古典みたいな存在になってからアニメ化とかびっくりだよね
今の哀川さんって忍より強いよな
ミステリとはなんだったのか
西尾本人が自分の世界観では最強は暦、理由は愛される能力が一番強いからとか言ってるから
潤さんが忍より強いかは超疑問
なぜ今日なのか……
昨日の5月13日金曜日にあげろよ!
お、五月十三日金曜日やん。それまでに傷の鉄血編書いたろ
↓
戯言アニメ化オエーゲロゲロ(その後寝込む)
で、復活して書き終わったら日付過ぎてました。
ショックで総白髪になることは本当はないと聞きますが、その日から生えるということはあるんだなと身をもって実感したり。
そんなわけで、書き溜めはこれから投下する鉄血編までです。それからはのんびり進行していきますたぶんきっとおそらくは
005
三月二十八日。夜の街をぼくは徘徊していた。そろそろ春が近づいているはずなのだが、
気温は少し肌寒く、先ほど作ってもらったパーカーを着て、街の状態を確認していく。
徘徊、といっても別に若くしてボケたわけではなく(そのはずだ)、勿論、ちゃんと目的が
あってのことだ。できることならもっと早く行動を起こしたかったのだが、現在ぼくは陽の光
を浴びれば炎上する身。これではちょっとした買い物もできやしないし、また、相手を迎え
撃つに当たって、できるならば万全の状態で望みたいというのもあって――夜。つまりは吸
血鬼の時間となるまで、待つ必要があった。
そう、迎え撃つこと。キスショットを襲ったヴァンパイアハンター三人を倒すことが、
この徘徊の目的であった。
「しかし――ギャグパートの次はバトルパートか」
そこらに気を配りながら、ぼくはキスショットとの会話を思い出す。
ドラマツルギー。
エピソード。
ギロチンカッター。
それが、キスショットから身体の部品を奪った三人の名。三人のヴァンパイアハンター。
ドラマツルギーという男は彼女の右脚を。
エピソードという男は彼女の左脚を。
ギロチンカッターという男は彼女の両腕を。
それぞれ、奪っていったらしい。
彼女の四肢が失われていたのは、彼女が死にかけていたのは、その三人の所為であるよう
だった。
不死身の吸血鬼を殺す、三人の狩人。
どうして彼女がこのような憂き目にあってしまっているのかと言うと「特に理由はない
よ」とのことだった。
「儂は吸血鬼じゃ。うぬら――いや、うぬはもう違うが――人間どもで言うところの化け物
じゃ」
化け物は――退治されて当たり前じゃ。なんでもないかのように、キスショットは言う。
「それで、退治されて、今に至ると」
「たわけたことをぬかすな、まだされてはおらん。ただ、手足を奪われたのは痛いな。
回復力もほとんど残っておらんし――今のこの状態では、戦いようもない。このままでは、
手足を取り戻すことは叶わんじゃろな」
「手足を――取り戻す?」
「ああ、奪われた手足を、取り戻す。そうすれば元の、完全な状態に戻れるはずじゃ。
うぬを人間に戻すためには、儂はフルパワーの状態に戻る必要がある」
「そっか」
ちょっと、安心。
ぼく一人の血では足りない。ならばもっと多くの人間の血を吸う必要があると、その
ためにぼくが必要になるのだと、そういう話の流れになるのかと思ったが、そういうわけ
ではないようだ。
ん? でも待てよ。それではぼくがこれからやることは――
・ ・ ・ ・ ・
「察しがよいな。かか。そう、だから、うぬがその三名と渡り合って――儂の手足を取り
戻してきてくれればよいのじゃ」
「はあ」
よいのじゃって……簡単に言ってくれるよな。
「でもさ、その三人、いわゆるプロフェッショナルなんだろ? そんなの、吸血鬼なりたての、
本来ならきみとは口も利かせてもらえないようなぼくが、戦ってたちうちできるような相
手じゃないだろ?」
最悪、というか、十中八九ぼくが退治されて、無様に死んで、それで終わりなのでは
ないだろうか?
「卑屈じゃのう……その心配はないよ。うぬは今や、この鉄血にして熱血にして冷血の吸
血鬼、怪異の王とまで呼ばれた吸血鬼、キスショット・アセロラオリオン・ハートアンダー
ブレードの眷属。そんなヴァンパイアハンターどもなど、敵ではないわ」
「…………」
いや、その、キスショット・アセロラオリオン・ハートアンダーブレードその人が退治
されかけたんだけど……。
「三人がかりじゃったから不覚を取っただけじゃ。侮っておった――完全に油断しておった。
あの程度の連中、三人まとめて相手にしても問題ないと思ったんじゃがのう」
…………まあ、慢心せずしてなにが王か。と、かの英雄王も言っていたしな……うん。
「ひとりずつを相手にする限りにおいて、その三人はうぬの敵ではないわ。はっきり言って、
楽な仕事じゃ。その程度のことで人間に戻れるのじゃとしたら、安いもんじゃろう」
うーん…………そんな簡単にいくものだろうか?
「まあいいや。で、その三人は今どこに?」
「わからん」
「……………………」
ほんとうに、大丈夫だろうか?
「余計な心配は無用で不要じゃ。適当に外を歩いておれば向こうの方から見つけてくれるわ――
向こうは吸血鬼退治の専門家じゃぞ。吸血鬼を見つけるくらいのことはお手のものじゃわい」
「生まれたての吸血鬼でも?」
「うむ。ここでおとなしくしておる分には問題はないじゃろうが、吸血鬼としての力が
活発になる夜、外を出歩けば――奴らは光に群がる羽虫のごとく、うぬに寄ってくるに
違いないわ」
くくく、と。
キスショットは、嫌な感じの笑い声を漏らしていた。
まあ、こちらから探さなくていいというのは助かる……土地勘も人脈もないぼくには、
どこに潜んでるか言われてもわからなかった可能性もあるし。
それから、家に電話を入れ、しばらく帰れない旨を伝えようと携帯を開くと――
「うわあ…………」
ディスプレイには、三月二十八日、午後五時二十七分。不在着信三百八十二件、とあった。
たしか、ぼくがこっそり家を出たのが三月二十六日。二日間の無断外泊は相当に彼の
家族を心配させてしまったらしい。警察沙汰にはしてくれてないと思いたいが…………。
「…………」
申し訳なさを覚えながら、ぼくは覚悟を決めて、電話を掛ける。
一コールもしないうちに、「もしもし!? 阿良々木ですけど!!!」と、電話に出て
くれたのは、彼の妹さん。阿良々木家長女、阿良々木火憐ちゃんだった。
「あの、その、ぼくだけど」
おそるおそる、ぼくは声を出す。
「お兄さん!? その声お兄さんだよね!!!! はああああ、よかった~!!! 生きてた~!!!
ううう、ぐすっ、ううううううう……今までなにじてたんだよお兄さんよおおおお……
月火ちゃんと二人、ずっと心配してたんだぞ……なんで何も言わずにどっかいいっちゃう
うんだよおおお。う、ううううううううぅっぅううぅう……」
「……はい、ごめんなさい」
泣きじゃくる火憐ちゃんに思わず謝罪する。
しかし、生死の心配までされていたとは……結構大ごとになっているようだった。いや、
実際一度死んでしまったのだけれど。
「だって……お兄さん。いつもふらふらっと死んじゃいそうな感じしてるんだもん……」
『ふらふらっと』『死んじゃいそう』合わさることのなさそうな形容だが、まあぼくを
指して言うには正しい言葉だった。
「で、お兄さん、いつ帰ってくるんだ? パパもママも心配してるぜー。今日連絡なかった
ら町をあげて捜索しようかって今朝話してたぜー」
気持ちの切り替えが早い火憐ちゃんは、そんな風にさらっととんでもない情報をくれた。
「いや、それだけは頼むからやめてほしい」
即座に本気で断る。マジで困る。
「さすがにお兄さんの事情も分かってるから、本気で言ってるわけじゃない……はず」
肝心なところで曖昧だった。まあ、たしかにあの人たちが本気でぼくを探そうとしたら、
もう見つかっているだろうから、本気で言ってるんじゃあないだろう。今のところは、まだ。
ぼくは「いつ帰れるかはわからないけど、とりあえず、指名手配はやめてくれ……」と返す。
「いつ帰れるかわからないって!?」
「ああ、いいや、大丈夫。大丈夫なんだ。ほんとに」
「本当か? ファイアーシスターズはいついつでも誰かの助けになるぜ! お兄さんの助け
になって見せるぜ!」
「大丈夫。ほんと、間に合ってますんで」
「えー、遠慮しないでよー」
「今、ぼくは、なんというか、その、えーと」
なんて言えば、火憐ちゃんは納得してくれるだろうか? 武闘家な彼女なら……。
「そうだ、火憐ちゃん、今ぼくは確かに大変な事態に巻き込まれている」
「おお、なら――」
「けれど、これはぼく一人の戦い、ぼく一人で立ち向かわなきゃならない案件なんだ!」
「お兄さん、一人の戦い!?」
「ああ、これは言うなれば、挑戦。自分との戦い。誰かの手を借りてはならない、ぼく
自身が乗り越えていかなきゃいけない戦いなんだ!!」
「…………」
「か、火憐ちゃん?」さすがに騙せなかったか? と不安になるぼくだったがそれは杞憂
だったらしく、ひとしきり溜めたその後に火憐ちゃんは「うおおおおおおおーーー!!!!」
とぼくの鼓膜を電話越しに破壊するような雄叫びを上げた。
「お兄さんそんな熱い展開を迎えていたのか!! そいつはもううちに連絡入れられなくて
も仕方ないな!! いや、ほんと、むしろごめんなさい! もうしつこく電話かけたり、無
用な心配はしないぜ! この阿良々木火憐! お兄さんの帰りを一人座してお待ちしており
ますぜ!!!!!」
興奮しすぎて口調がめちゃくちゃな火憐ちゃんだった。あと一人座さないでほかのみん
なにも伝えてほしい。
「あの、火憐ちゃん?」
「ああ、時間取らせて悪かったなお兄さん! じゃあな! 健闘をお祈り申し上げます!」
「それじゃあ面接落ちたみたいじゃん……」
ぼくのツッコミは果たして聞こえたのか。言い終わるかどうかというタイミングで火憐ちゃ
んは電話を切ってしまった。
「…………まいったな。結局、火憐ちゃん一人納得させて終わってしまった」
ご両親や月火ちゃんにも説明……してくれないだろうな……よしんばしたとしても、あの
テンションでは要領を得ない説明になるだろう。さっきの電話からすぐに連絡なんてして、
出たのが火憐ちゃんだったら怒られそうだし、困ったなあ。
と、途方に暮れていたぼくの気持ちを察するかのように電話が鳴った。
「もしもし、お兄さん?」
と、やんわりとした声をくれたのは阿良々木家次女。阿良々木月火ちゃんだった。
「あ、あのね、月火ちゃん。えっと」
「ああ、大丈夫ですよー。火憐ちゃんの隣で全部聞いてたんで。あ、その火憐ちゃんはお
兄さんからの連絡で安心してもう寝ちゃったんで、この会話を聞かれる心配はないですよ。
それと、パパとママには『お兄さんは自分探しの旅に出た』って、伝えておきますから」
「…………ありがとう」
手際が良すぎる……やはりあいつの妹さんと言うべきか。
「いえいえ、これくらい、礼には及びません。……ところで、お兄さん、いつ帰ってこれるか
わからない、とのことですけど、本当に何の目処も立ってないんですか?」
「ん? えーと、そうだね。早く終わらせる努力はするつもりだけど、せっかくがんばって
入れてもらったんだし、高校が始まるまでには帰りたいかな」
「ですか」
「ですです」
「じゃあ、お兄さん、直江津高校の始業式の日、四月八日になったら、私たち、緊急事態
ってことでお兄さんを探すから」
「…………え?」
「私たちのネットワークを駆使して、町の女子中学生総出で探すから」
「いやほんとそういうのマジでやめてって」
この子の場合、おそらく冗談では済まされない。
「そういうわけだから、私たちに首を突っ込まれたくなかったら、早く帰ってきてくださいね」
私たちは――お兄さんを助けたくって、お兄さんの力になりたくって――しょうがない
んだから。と言って、月火ちゃんは電話を切った。
…………助けになりたくて、仕方ない、か。
「やっぱり兄妹だよなあ、ほんと」
そんな楽しい頼もしい会話が終わり、することがなくなってしまったぼくたちは、夜に
なるのを待った。もう春も近いというのに肌寒くなって来たので、キスショットにパーカ
ーを仕立ててもらって(吸血鬼は簡単な物なら創造できるらしい。便利だ)、それから
夜の街に繰り出して、今に至る。回想終了。
さて、現状を振り返ったところで。ぼくの胸に残る感情は、ただ一つ、不安だけだった。
「そんなうまくいくかねえ」
なんだか乗せられてしまったような気がする。
まあ流されに流されるのはいつもの通りなのだけれど。
その結果、いつものパターンで悲惨な結末を迎えるのは今回も避けたい(一応毎回
避けたいとは思っている)。
「ぼくの人生何事か上手くいったことなんて、一度もないのだけれどなあ」
なんて戯言めいた愚痴をぼやきつつぼんやり歩いていると、三叉路に差し掛かった。
分岐点、選択肢。
右に行くか左に行くかなんて、サイコロ転がすようなものだから、適当に行ってしまって
いいのだが、なぜか気になって、立ち止まってしまう。
なんとなく、、嫌な予感がする。ここの選択いかんによっては、ぼくの生死が分かれる。
そんな気配がした。
右と左、なんの推理の余地もない、理不尽な選択に迷って、いや、迷おうとして、気づく。
右の道に、男が立っていた。
筋骨隆々。身長はおそらく二メートル超え。無造作に伸ばした長い髪をカチューシャで
かきあげ、両手に大剣を、いや、両手を大剣に、している。あれは人間ではない。化物。
怪物の類だ。あれは、そう、たしか、
「ドラマツルギー……!」
キスショットの言っていた特徴と一致する。やつこそが、キスショットの右脚を奪った
ヴァンパイアハンター。たしかに、向こうの方から見つけてくれたみたいだ。
「なんだか展開が早い気がするけれど」
さて、あの大剣、どうしたものか――と、ぼくは楽観的に構えてしまった。つい先程、
人生上手くいったことがないと、自戒したところなのに--
「--!!!?」
強烈な、殺気。視線の先に、右の道にドラマツルギーがいるのを瞬間忘れるほどの、
強い殺気に、ぼくは左の道を向いて、いや、向かされてしまった。
細身の、金髪の男。白い学生服。その痩躯でどのようにして持っているのか。ぼくの体
積の何倍も、体重の何乗もあろうかという十字架を軽々と担ぎ、小動物なら殺せてしまう
のではと思えるほどの鋭い三白眼を持つ男。キスショットの左脚を奪った、その異様な武
器を扱う様は、たしかに怪物の類。
「……エピソード」
思わず、歯噛みする。
くそ、なんてザマだ。もう少し考えを巡らせるべきだった。キスショットが三人がかりで
・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・
は倒されるが一人一人ならば楽勝という相手。ならば、その三人が単独行動をするはずが
・ ・ ・ ・ ・ ・
ない。となると--
「やっぱり、そうなりますよね……」
振り返るまでもなく、わかる。後ろから、近づいてくる、アスファルトを踏む音。三人目
の人物。それでも、どうしようもないことをわかっていながら、振り向いて、確認をする。
やはり、そこには一人、男が立っていた。金髪で、開いているのだか開いてないのだか
わからない細い目。神父風のローブを身に纏っている。徒手空拳。武器らしい武器は持ち
合わせていない。先程の二人とは違い、化物ではない。ただの、人間。しかし、油断はで
きない。どころか、一番に警戒すべきだろう。なぜならその人間は、人間でありながら、
キスショットの両腕を奪っていったのだから、そう、その男は
「ギロチンカッター……」
三叉路のそれぞれの道の先に、三人のヴァンパイアハンター。
一人ずつならば勝てる相手が、言い換えれば一人ずつでなくては勝てない相手が、三人
揃っていた。
「どうしたもんかなあ。これ」
「どうしたもんかなあ。これ」
逃げ道を探そうとして、絶望する。道は狭い。誰かの間をくぐり抜けて脱出。なんてこと
はできないだろう。一番確率があるように見えるのは、後方。徒手空拳のように見える
ギロチンカッターだが、しかし、実力はおそらくこの三人の中でトップ。また、徒手空拳だ
からと言って得物を持っていない、というわけではないのかもしれない(キスショットも
その攻撃方法は『わからなかった』と言っていた)。全てにおいて、この男は未知数。突
破口にはなりえない。右の道。ドラマツルギーはその巨体が、左の道のエピソードはその
十字架が邪魔している。逃れる手立てが、無い。
先ほど道の選択に迷った僕だが、選択、というのであれば、こんなところで立ち止まる
というのが最大の選択ミスだった。
警鐘が鳴るのが、遅すぎた。
小賢しく考えてみたが、どうしようもない。まな板の上の鯉。蛇に睨まれた蛙。バトルパー
トというよりは虐殺パート。
じりじりと距離を詰め、ぼくの素手での攻撃が届かないギリギリのラインまで来て、三人
は止まった。
「あー? んんだよ。超ウケる」
最初に口を開いたのは、巨大な十字架を肩に載せた――エピソードだった。
「ハートアンダーブレードじゃねーじゃねーか――誰だこいつは?」
「■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■」
エピソードのその言葉に、ぼくを無視して返すのは、筋骨隆々の男――ドラマツルギー
だった。厳格な、いかにもいかめしい口調だったようだが、しかし、その言葉をぼくは聞き
ER3
取ることができなかった。向こうで聞いたような気もするけれど、いまや英語だって怪しい
ぼくには、聞き取りようがなかった。
「いけませんよ、ドラマツルギーさん」
ぼくの背後で神父風の男――ギロチンカッターは穏やかな口ぶりで言う。
「現地の言葉は現地の言葉で。基本です――まあしかし、確かにあなたの言うう通りでしょ
う、ドラマツルギーさん。おそらくは、いえ間違いなく、この少年、ハートアンダーブレ
ードさんの眷属なのでしょうね――」
「マジかよ……」
不機嫌そうに――エピソードが呟く。
「あの吸血鬼は眷属を作らないのが主義なんじゃねえのか?」
「昔、一人だけ造ったとも聞いていますがね」
「■■■……、大方、私達に追い詰められ……、やむをえず、手足代わりになる部下を造っ
たということだろう」
ドラマツルギーが、今度は日本語で言った。てっきりパワーキャラかと思ったが……、
なかなか鋭いところをついてきた。というか正解だった。
「ってえことは何かい?」
エピソードが、薄ら笑いを浮かべたままで言った。
「存在力を失って、非常に探しにくくなっているハートアンダーブレードの行方は、このガキの身体に訊けばわかるってことかい?」
「そういうことになりますね」
「この少年を退治すれば、その褒賞はハートアンダーブレードとは別にもらえるのだろうな」
「ふむ。とすると、どうしますか? エピソードくんの言う通り、この少年からハートアン
ダーブレードさんの行方を聞き出そうと言うのなら、ちょっとばかり手間をかけなければ
なりませんが」
「俺に任せろや。言い出しっぺだしなあ――後遺症が残らない程度に殺してやるよ」
「いや、私がやろう――そういう仕事に一番向いているのがこの私だ。吸血鬼と一番わか
りあえるのは、この私だ」
「別に僕がやってもいいんですけれどねえ――お二人だってお疲れでしょう」
どんどん、ぼく抜きで話が進んでいく。しかも、かなりまずい方向に。
いや、ほんと、人を目の前にしながら殺す算段を立てないでほしい。
これ以上黙ってるわけにはいかないと考えたぼくは、
「あのー、ちょっと待ってくれませんか?」
おそるおそる、切り出した。
「とりあえず、話し合いませんか? ほら、お互い話せないってわけじゃないんですし。
知性ある物同士、交渉ってやつをですね」
「……」「……」「……」
無視。完全にぼくが滑っているかのようになってしまう。
しかしここで黙ってては殺されるのは明瞭。ここはとにかく場を保たせるしかない。
「やあ、ほら、みなさんも無駄な戦いは避けたいでしょう? いやまあぼくみたいなのを殺
すのは、あなたがたプロにとっちゃ赤子のクビをヒネるどころか、アリを踏みつぶすような
楽勝のお仕事なはずですけれど、でもそれだからと言って、無駄な労力、エネルギーの
消費は避けたいはずだ。逃げるアリを追いかけて潰すのなんて腹が立って仕方ないはず。
ならば、ここはお互いに話し合っていい着地点を見つけようじゃあないですか」
「つまり……」
ギロチンカッターが口を開く。よし、ひとまずはこちらの言葉を聞いてくれた。と内心安
心しかけていたのだが、
「つまり、あなたは無駄な抵抗をしないで、ハートアンダーブレードさんの居場所を吐いて、
簡単に殺されてくれる、ということですか?」
などと、実につれない返事をギロチンカッターはするのだった。
いやいや。
いやいやいやいや。
「……どうしてそういう結論になるんですかね? キスショットの居場所を話して、それで
ぼくを見逃してくれるって話しならまだしも」
「それは無理だな」
今度はエピソードが話す。
「ドラマツルギーの旦那はビジネスとしての吸血鬼狩りらしいが、俺達は、エピソードと
ギロチンカッターは、吸血鬼を憎んでいる。その存在が許せない。早い話が、お前はここ
に、いちゃいけないんだよ。吸血鬼。だから、ハートアンダーブレードの居場所を教えて
もらったところでお前を、吸血鬼を、俺は見逃すわけにはいかねえよ」
言って、エピソードは、その巨大な十字架を構える。エピソードとギロチンカッターには、
どうあってもぼくを見逃す気は無いらしい。ならば、あと、話が通じそうなのは。
「いやいやいやいやいやいやいやいや。まっ、待ってください。えーと、その、ドラマツルギ
ーさん、ですよね? そう、あなた、あなたはどう思ってるですか? ビジネスマンとして、
一流の狩人として、生まれたばかりの吸血鬼を相手取るというのは、あなたの心情として
はどうなんですか?」
獅子は兎を狩るのにも全力を出す、というが、そもそも絶対的な強者である獅子が兎に
手を出すというのは、同じ土俵に立つというのは、獅子にとっても屈辱なはずだ。なるべく
ならば戦いにすらなりたくないに違いない。誇り高きビジネスマンであるのならばこんな
戦いには参加しないのではなんて考えていたのだがドラマツルギーは「どうも、ビジネス
マンというのを貴様は履き違えているようだな」と、むしろ心外であるように言って、大剣の
両手を構える。
「私はビジネスマンだ。プロフェッショナルだ。ゆえに、仕事は選ばない。依頼を受けた
以上、兎だろうが産まれたての吸血鬼だろうが、私は全力を持って相手をしよう」
「…………かっけえ」
敵ながら、思わず感心してしまう。
「はあ、仕方ないか」
諦めも肝心だ。
戯言遣いの悪運も所詮ここまでか。
「わかりました。言いますよ。生きることを諦めます。キスショットの居場所を言います
から拷問とかはなしでサクッと殺しちゃってください」
ギロチンカッターの方を向いて、両手を挙げて降参の意思を示す。キスショットが勝て
なかったやつらに、(自称)怪異の王と呼ばれる吸血鬼が勝てなかった相手に、ぼくごと
きが適うわけもない。色々言ってみたけど、どうやらここまでのようだった。まあ、人生何
事も諦めが肝心ってことで。
「懸命な判断です」
ギロチンカッターは、薄く笑う。本当にこちらを褒めるような、気持ちの良い笑顔だった。
「大変な目に遭われましたね。平和な生活から突然に吸血鬼などという化け物にされてし
まった。怪物にされてしまった。精神が侵されても、仕方の無いことと言えるでしょう。
ですが、あなたは人のままであった。ハートアンダーブレードさんに吸血鬼にされようとも、
戦わずに死のうという、他人を襲わずに死のうというその判断、その心は人間であり続けた。
すばらしい。そんなあなたは、敬意を持って、せめて楽に、痛みを伴わいように死なせて
あげましょう」
「…………」
心は人のまま、か。
笑わせる。
この身はもとより、こんなにも心ないというのに。
ぼくは適当な方を指さし、適当に説明をする。というか、説明しようにも、実は自分の位
置も分からないのだ。ぼんやり街を徘徊しているうちに、ぼくはすっかり迷子になっていた。
もし一人ずつを相手にし、無事キスショットの部品を手に入れたとして、おそらくはあの
廃墟にたどり着けず、部品とともに日光に焼かれていただろう。つまりは、土台、無理な話
だったのだ。期待させちゃったことだけは、少し申し訳ないけれども、でも、そんな期待な
んて勝手にかけられても困る。
「丁寧な説明、ありがとうございました。それでは」三人は、同時に足を踏み出そうと
する。
「あなたが人間である間に殺して差し上げましょう」
人間である間、か。
果たして、ぼくは人間として生きていた。と、本当にそう言えるのだろうか?
「最期に、一つ、聞いてもらってもいいですか?」
「どうぞ、なんなりと」ギロチンカッターは促す。
「私も聖職者ですからね。どんな言葉も、聞きましょう」
そいつはありがたい。ぼくの戯言に、取り合ってくれるなんて。
「ギロチンカッターさん、あなた、さきほど、吸血鬼は許されざる存在だ、と仰っていま
したね」
「ええ。彼らは許されません。人を襲い、悪逆をなす。そしてなにより--」
我々の教義に、反する存在だ。と、ギロチンカッターは言う。
「なるほど。それがあなたの信仰ですか。ならば、ギロチンカッターさん」
ほか二人の反応も伺いながら、ぼくは言う。
「生まれてから一度もその存在を認めてもらえなかった人間は、果たして人間である
と言えるのでしょうかね?」
わずかに、エピソードが反応したような気配が、右後方からした。
「……そんなことは、ありえません。人間である以上、生まれながらに神はあなたを
祝福している。あなたは、その存在を許されていましたよ」
「ああ、いえ、ぼくのことじゃないんです。知り合いにそういうのがいまして……まあ、
あまり深く考えなくていいですよ」
――ただの戯言ですからね。
狙いは、右後方、来た時から見て左側の道。さきほど反応を見せたエピソードだ。蹴り
砕いたアスファルトは、礫となってエピソードを襲いかかる。と言っても、これでダメージを
与えようというわけではない。相手はヴァンパイアハンター。こんな攻撃通用するはずも
ないだろう。砂かけくらいでしかないかもしれない。しかし、それでもよかった。ただ、この場
さえ凌げれば、目をくらまし、虚を突いた一瞬、その脇を通って逃げれる隙さえ作れれば、
それでいい。それでよかったのだが--
「……あーあ」
振り返り、エピソードの方へ走ろうとして、やめる。夜目が効く吸血鬼の眼で、ぼくは
それが無駄なあがきに終わった様を見ることとなった。
蹴り砕いたアスファルトは、エピソードに礫となって降りかかる前に、粉と化し、霧散した。
本当に、ただの砂かけ、いや、届くまでに霧散したのだから、それ以下の行動だ。
エピソードが十字架で振り払ったというわけでもない。単純な話、ぼくがアスファルトを
蹴る力が強すぎたというだけだった。ただ、ぼくが力加減を見誤っただけ、戯言遣いに吸
血鬼の力は身に余っただけだ。ただそれだけの話。ぼくにふさわしい間抜けなラスト。
一瞬、三人は驚いたようであったが、その次の一瞬には回復し、ぼくのほうへと襲い掛かる。
正面からはギロチンカッターが、左後方からは両手を振りかぶったドラマツルギーが、右後方
からは十字架を突き出したエピソードが、同時に襲いかかる。完全な同時ではない。が、完全
でないからこそ、それは完璧と言えるコンビネーションだった。このまま行けば真っ先に襲いか
かるのはドラマツルギーだ。その両腕はぼくの頭部を狙っている。これを避けるにはしゃがむか、
上体を逸らすか、逃げるしか方法は無い。しかし、避けたところで間髪入れずにエピソードの十
字架が貫くだろう。避けた直後の、バランスが不安定な状態では、あの十字架を、ぼくはモロに
喰らうハメになるはずだ。ならば正面に逃げるしかないのだが、その先にはギロチンカッターが
いる。この速さでは、ちょうどぼくが一歩踏み込んだ瞬間にやつの間合いに入ることになる。暗
器の類であれば踏み込めもせずに殺される可能性だって高い。絶体絶命、というか絶対絶命。
もはや死以外の未来は見えなかった。
ああ、ほんとう、こんなことになるのなら、期待なんて持たせるんじゃなかったなあ。
と、おそらく今頃はあの廃墟の中、ぼくの帰りを今か今かと待っている彼女を思いながら、
ぼくは自身の死を受け入れ、動きを止めた。襲いかかる死に、身を任せることにした。
さようなら世界。
ばいばい今生。
来世なんて、そんな地獄がありませんように。
――しかし、そんなぼくの覚悟とは裏腹に、ぼくは助かった。ドラマツルギーの両腕が
ぼくを斬ろうと、エピソードの十字架がぼくを貫こうと、ギロチンカッターがぼくを滅しよう
としたその瞬間、そこに、突然に男が現れた。
吸血鬼の眼のぼくにもわからない、意識の隙を突いたかの様にそれは突然にぼくの
目の前に現れた。
四人目の男。
その男は、ドラマツルギーの大剣を二本、右手の人差し指と中指、薬指と小指で、それ
ぞれ白刃取りし。エピソードの巨大な十字架を、右足の裏で受け止め。ギロチンカッター
の俊敏な動きを、左手を突き出すことで、触れることなく制する。
そんな離れ業を見せつけた男は、人間かどうかも疑わしい動きを見せた男は、ただ「はっ
はー」と、お気楽に笑って言う。
「こおんな住宅街のど真ん中でさあ……剣振り回して十字架叩きつけて物騒なこと言って、
本当、きみ達は元気いいなあ--」
楽しそうに言うそいつは、それはお前のことなんじゃないか? とツッコミたくなるようなことを、
続けた。
「--何かいいことでもあったのかい?」
006
忍野メメ。
サイケデリックな水色のアロハ服を着た、その怪し過ぎる男は、ぼくを助けたおっさんは、
そう名乗った。
全くふざけた名前だが、こちらは助けられた身。ここでツッコミを入れられるほどに、
ぼくの面の皮は厚くなかった。
「えっと……忍野、さん。ありがとうございます――助かりました」
ちょっと迷ったけど、ここはひとまず、礼を言うことにした。
いくらなんでも、あのタイミングで、あの助けかた。十中八九、何か裏がある。ぼくを何かに
利用する気満々としか考えられないが、まあ、なんというか、やはり人として、形だけでも礼
は言っておくべきなのだろうと思った。
もう人間でもないけど、それでも、人として。
しかし、そんなぼくの思いとは裏腹に忍野は「礼なんていいよ。きみが一人で助かっ
ただけさ、阿良々木くん」なんて、とぼけた口調であっさりと言うのだった。
あっさり、と言うなら、あの三人のヴァンパイアハンターも随分とあっさりとしたもの
だった――最初の攻撃を忍野に邪魔された途端に、三人とも来た道を素早く戻ってい
ったのだ。
「…………」
ともかく――本人は否定しているが――ぼくはこの男に助けられた、と言えるだろう。
あれから特に殺気を感じない。ヴァンパイアハンターから襲われる気配はないと言える。
ということは、今ぼくが真っ先に気を配らなければいけないのはこの男、忍野メメという
ことになるのだろう。
ヴァンパイアハンターからの襲撃の次は、この男がいったい何者なのか。敵か、味方か。
その判定をしなければならないらしかった。
「それにしても阿良々木伊荷親ね――ふーん」
「…………なにか?」
「いや、べつに、僕からは何も言えないなって、ただそれだけのこと」
「…………」
「そう警戒するなよ、阿良々木くん。そんな死んだようなドロッとした目で見られたくは
ないなあ」
警戒というか、まあ、どちらかと言えば、心外なんだけど……。
どうも受けが悪いな、この名前。
「大爆笑カレー」にでも変えた方がよいだろうか? まだぎりぎり登校前だし、ご両親に
申告すればなんとかなるか?
「まあ、とりあえず帰ろうぜ、阿良々木くん」
言って忍野はアロハ服の胸ポケットから煙草を取り出し、口にくわえる。くわえて――
そのままだった。火は点けないらしい。ならなぜくわえた、と、ツッコみたい気持ちを
抑えて、ぼくは先ほどの言葉への疑問をぶつけた。
「あの、帰ろうって、いったいどこに?」
家に招待までされる謂れはない。
まさかぼくを助けたのはただ連れ込むためじゃないだろうな、とにわかに恐怖を感じ始
めたが「いやいや、へんな思い込みはよしてくれ。随分と元気いいなあ。なにかいいこと
でもあったのかい?」と、否定してきた。
「きみが帰るところと言ったら、今はあの学習塾後の廃墟しかないだろう」
「――!?」
ぼくの驚きには目もくれず、忍野は当然のようにぼくの先を行く。ぼくは慌てて「ちょっ
と待ってください!」と声をかけた。
「いったいぜんたい、どうしてあなたが、そんなことを――」
「ん? そりゃ知ってるよ――何せ、あの子にあの場所を教えたのは僕なんだからね」
とんでもないことをさらりと言う忍野。
「ああ、いえ、たしかに彼女があんな場所を知っていたなんてのはおかしいとは思ってい
たのですけれど、でも」
あれ? つまりは、
「ということは、あなたはキスショットを知っているってことですか?」
「…………?」
そこで、忍野はぼくの質問ではなく、ぼくの言葉に疑問を抱いたかのように、怪訝そうに
した。
「……ええと、なにか?」
「ああ、いや――キスショット、て呼ぶんだね」
「は、はい。なにかおかしなことでも?」
「まあ、そうだね。それに眷属にしたっていうなら、それでも不思議じゃないのかな――
普通の吸血鬼ならともかく、彼女……ハートアンダーブレードは伝説の吸血鬼だもんな。
怪異殺し――鉄血にして熱血にして冷血の吸血鬼――」
「……吸血鬼ってことも知ってるんですね」
当たり前と言えば、当たり前の話か。あの三人の、二人の怪物と、怪物以上の人間一人の、
三人の攻撃を同時に防いで見せたあの芸当、ただものではない。というか、人間かどうかも
わからない。
「…………」
……やはり、一度、はっきりと聞いておくべきか。
「その、忍野さん……あなたはいったい……何者なんですか?」
「僕かい? いや、べつに、僕はただの通りすがりのおっさんさ」
肩を竦め、すかした感じに忍野は言った。
「今日だってそうだし――こないだだって、ハートアンダーブレードがきみを引きずって
困っているところに通りすがっただけ。安心しなよ。僕は吸血鬼退治の専門家とかじゃない」
「……………………」
・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・
「素人じゃあないけどね――僕の専門はもっと広い。手広くやらせてもらっているのさ。
まあ、自己紹介は後でさせてもらうよ。だから、とりあえずあそこに戻ろうよ、阿良々木くん」
正直言ったところ、こんな男を、信用するなんて、できるわけがなかった。敵か味方か、
全く判別はつかない、けれど、それでも、今はこの男の言うことを聞くしかない。とそれ
だけは明確に分かった。
現実的な問題として、あの廃墟にたどり着けないし。
そういうわけで、ぼくは忍野に連れていかれて、学習塾跡へと戻ることとなった(帰り道
がわからないことがバレたときはちょっと呆れられた)。
その後てきとうに話をしながら、一時間ほどで到着。中に這入り、二階へ帰り着くと、
キスショットは喜色満面、待ちかねたと言わんばかりに「おお! 帰ったか!」と、ぼくを
出迎えてくれた。というか、抱き着かれた。とりあえず服従の証である頭を撫でながら、
どう言い訳をしたものかと、ぼくは考える。
「……あのさ、イチャイチャするのは構わないんだけど、ハートアンダーブレード、せめて
僕もいることに気づいてくれないかい?」
苦笑して、忍野は軽く抗議する。
「……? うぬは……見覚えはあるな?」
「酷いなあ。その程度の認識かよ……この秘密基地を教えてやったのは僕じゃないか。
ハートアンダーブレード――怪異殺しちゃん」
「ああ……そうか。あのときの」
キスショットは思い出したように言った(というか本当に今まさに思い出したのだろう)。
「それで?」
キスショットは本当に忍野のことをどうでもよいと思っているのか、忍野との会話を早々に
打ち切り(ひでえ)、ぼくに話を振ってきた。期待を込めた目で、つぶれそうなほどの信頼を
込められて。
「とりあえず、落ち着いて聞いてくれない?」
現物として手足がない以上、口八丁手八丁でごまかせるはずもないので、しかたなくぼくは
正直に事の顛末を話した。
ぼくの話を聞いてキスショットは「ふむう」と、怒るでもなく落胆するでもなく、ただうなった。
「どんだけ儂を沸点の低い女だと思っとるんじゃうぬは」
ぺし、と軽くチョップを入れてくるキスショット。昼間ふっ飛ばしたこともあり、かなり手加減
してくれているのだろうそれは、蚊も殺せないようなチョップだ。
「にしても、弱ったのう……あの三人、未だつるんでおるのか。儂をここまで追い詰めたのだ。
あとはバラけて自由競争をしておるものとばかり思っておったんじゃがのう」
「ああ、一応、考えてはいたんだね」
「本当にうぬは……まあよい。後でわからせてやる。ともかく、やつらは徹底的に儂をつぶ
すつもりのようじゃな――ねちっこいにもほどがあるわい。大体、これほどダメージを与え
れば、もう十分じゃろうに」
愚痴るように言うキスショット。まあ、こうやって仲間(眷属だっけか?)を増やしてしまって
いるのだから、敵の慎重さも仕方ないことなのだとは思うが。
「褒賞がどうとか言ってたね。チームを組んだ中で、早い者勝ちの競争中って感じだった」
「む。ああ、そうか……現代はそうじゃったの。なるほど。世知辛いことよな」
「現代って――」
ああ、そうか。キスショットも五百年を生きた吸血鬼。このような事態も経験済みと言うわ
けか。
「ここまで弱らされたのは初めてじゃがの――というか、退治、などというものがすでに
久しい……儂に挑もうなどと言う輩は久しぶりじゃった。むむむ。しかし、どうもボケて
いていかんな。時差ボケかのう」
「時差ボケって……」
そういう意味で使う言葉じゃないだろうに。
「ああ。そうだ――そういえばキスショット、どうしてきみはこんな田舎町に来てるんだ?」
そうだ。時差ボケと言えばそもそもキスショットはこの町の人間ではない。最近のうわさ、
だったはずだ。そもそも吸血鬼は西洋の妖怪、正しい意味で、キスショットは時差ボケ中
なのかもしれない。
キスショットがわざわざこの町に来た理由、すこし、興味がわいた。
しかし、ぼくのその期待は思い切り空振りだったみたいで、キスショットはあっさりと
「ん? 観光じゃよ」と何でもないことのように言った。
「富士山とか金閣寺とか見たくての」
いや、さすがに嘘だろ。ここ、富士山や金閣寺どころかなにもないし。
「戯言って血液感染とかするのかなあ」
不安になってきた。もちろん戯言だけど。
「とにかく――このままでは勝ちようがない。まずは一人ずつに分散することじゃが……」
キスショットは、言いよどむ。言いたいことはわかっているので、引き継ごう。
「それは、まず無理だろうね」
一人ならば、楽な仕事。こちらがそう判断するということは向こうもそう判断すること
だろう。あの三人はもう絶対に単独行動は行わないだろうと断言できる。ぼくという眷属を
知ってしまった以上、むしろ今までよりもかたくなにチームであろうとするだろう。
そして、さらに問題なのは――
「これ、うかうかしてられないよね。キスショットが生きていることが知れた以上、あの
三人はここを、ぼくらの隠れ家を探そうと――」
「それについては問題ないよ」
と。
いきなり忍野が口を挟んできた。
見れば、いつの間にか机を集めてベッドを作っていたらしく、そのうえで寝転んでいる。
いやいくらなんでも自由すぎだろ…………。
「ここには、きみたちが眠っている間に、こっそりと結界を張っておいてあげたからさ」
「結界……?」
そういえば、さっきもそんなことを言っていた。
「……シャボンバリアーみたいなもんですか?」
「なぜシャボンを付けた」
この学習塾跡を真っ黒に感光したらきみら死んじゃうでしょ、とは忍野からのツッコミ。
「とにかく、シャレにならないくらい土地勘があるならともかく、異邦人である連中には、
ここを突き止められっこないよ――」
「……忍野さん」
アラワ
ぼくは警戒心を 露に、言う。
「あなた、いったいどういうつもりなんですか?」
「どういうつもりって?」
へらへら笑いながら、忍野は応える。
「理由がわからない。って、言ってんですよ。キスショット――ぼくたちを助ける理由が
あなたにはありません。いったい、何を企んでるんです?」
「企んでる――なんて悪者みたいに言ってくれるなよ。酷いことを言うなあ――全く」
くわえ煙草をポケットに戻し、忍野は言う。
「さっきも言ったけど――僕は別にきみ達を助けているつもりはないよ。きみが言ったよう
にそんな理由はないし、また、必要もない」
「じゃあ、いったいなにを――」
「僕はね。バランスを取っているんだよ。言うなら、それが僕の仕事なのさ」
結局言ってることはわからないが、どうやらこれこそが忍野の本心、であるようだった。
「こちらとあちらの橋渡し、とは言え、さすがに吸血鬼ってのはいささか厄介かもねえ――
あちらの存在としても、ちょっと強大過ぎる。まして怪異殺しと来てるんだもんな。さっき
からの阿良々木くんの口振りだとさあ、まるであの三人が三人がかりでその子を襲った
ことを卑怯みたいに言ってるけれど、そんなことは全然ないよ。その子――そのハートアン
ダーブレードは、それに値するだけの存在さ」
「そう褒められると照れるのう」
キスショットは、言いながら無い胸を張る。
「……うぬにはまた服従の証を示してもらうべきかのう」
「訂正。ちょっと柔らかい胸を張る」
「うむ。よい」
「僕がいない間に二人はどこまで進んでいたんだい?」
へらへらと、忍野は訊いてくる。
「そ、そんなことより――自己紹介」
「ん?」
「さっき言っていたでしょう、自己紹介は着いてからにするって。あの問いに答えてもらっ
ていません」
こいつはいったい――何者なのか。
それをぼくたちは、未だ把握していない。
「そうだね。うん、阿良々木くんの嗜好についても気になるところだけど、まずはその話を
続けることにしようか」
「…………」
何やら変なことを言っているが、気にせず、忍野の言葉を待つ。
「忍野メメ。住所不定の自由人さ――まあ、妖怪変化のオーソリティだと思ってくれりゃ
いい。あの三人とは違って、退治ってのはあんまり得意じゃないけどね」
得意じゃ、ない。
「もう少しありていに言うと、好きじゃないんだよ」
「でも、専門なんじゃ――」
「専門は、だからバランスを取ること。中立の立ち位置で、ネゴシエーションすること。
まあ強いて言うなら交渉人だよ」
交渉?
こちらとあちらの――橋渡し、か。
こちらとはどこで、あちらとはどちらか?
ぼくは、いったいどちらに属しているのか
「なんて戯言」
「ん?」
「気にしないで、続けてください。人間と化物の橋渡し。それがあなたの仕事、なんですよね?」
「ああ。化物。いいね。僕は怪異と呼んでいるが」
「怪異」
「そしてその子は怪異殺しと呼ばれている――どういうことか、わかるだろ? 怪異から
エナジードレインできる、珍しいタイプの吸血鬼だ。まあ、だからこそ有名な子なんだよね――」
「好きで有名になったわけではないわい」
今度は、キスショットは拗ねたように言った。
……本当に、五百歳、なんだよな?
精神年齢が肉体年齢に引っ張られたりとか、なんかそういう理屈なのだろうか?
「知ったようなことを言うなよ――小僧」
忍野を小僧呼ばわりするキスショット。実年齢的にはおかしくないのだが、やはり見た目
的には不自然である。まあ、自然不自然で言ったら、キスショットその眼つきは不自然極
まりない鋭さなのだけれど。
しかし忍野は小僧呼ばわりも気にせず「その通りだね、ハートアンダーブレード」とや
はり軽薄に言うのだった。
「噂で判断しちゃあいけないね――相手が人であれ、人でないものであれ。けどまあ、さっ
きのきみ達の話し合いを何となく聞かせてもらっていたけれど、結構大変な事態になっちゃっ
てるみたいじゃない。まさかこんなややこしいことが起こるとはね」
「ややこしくなどない。至極簡単じゃ」
「長命の吸血鬼のスパンで見れば、そうなんだろうけどねえ――僕ら人間としては困った
もんだよ。なあ、戯言遣い」
「え」
忍野は、当たり前のように――ぼくを人間扱いした。
人である頃から、化物とは言わないまでも、腫れ物扱い位はされていた、このぼくを、
この戯言遣いを指して、人間側だと―そう言った。
「…………」
「ん? どうしたんだい、反応が悪いね――阿良々木くん、きみは人間に戻りたいんだろう?
違ったっけ?」
「ああ、その、はい」
・ ・
「人間であろうというものは、人間だよ。たしかに例外はいくつかあるが。きみはそれじゃない」
忍野はそう言って――今度はキスショットを見た。
流し目である。
「それに――僕は気に入ったよ、ハートアンダーブレード。眷属とした阿良々木くんを、
ちゃんと人間に戻してあげようという、きみの心意気がね」
「ふん」
今回は明らかに褒められたっぽいのだが、キスショットは不機嫌そうに応えた。
「交渉人だか何だか知らぬが――余計なことを言うでないぞ。小僧。儂は昔からでしゃばり
が嫌いでのう」
「でしゃばり? とんでもない、それは僕からはもっとも縁遠い言葉だよ。むしろ引っ込み
思案の部類でね。まあいいさ。でしゃばるつもりはないけれど――」
忍野メメは――寝ころんだままで言う。
「――何なら、僕が間に立ってあげてもいいよ」
「あ――間に立つって」
寝転がっているのに、なんてツッコミはいれない。
こちらとあちらの橋渡し。
つまりは、あの三人と、ぼく達の間?
「他にないだろ」
当然のように、忍野は言う。
「本当はさ――この学習塾跡を紹介してあげ、そして結界を張ってあげただけでも十分かな
って思うけれど、まあこれも何かの縁だろう」
「……助けてくれる、ってことですか?」
「助けない。力を貸すだけ」
忍野は言った。
「今のままじゃ、やっぱりちょっとバランスが悪いような気もするからね――これじゃあ
いじめみたいなもんだ。さっきも言ったけど、僕は連中がやるような『退治』ってのは、
あんまり好きじゃないし――」
「じゃあ、あなたは――ぼく達の味方、ということでいいんですね」
「違うって。味方でもないし、敵でもない」
中立だよ。と、忍野は念押しするように言う。
「間に立つ――って言ったろ? つまり、中に立つってことだ。そこから先はきみ達次第
だね。実際に動くのは僕じゃない。渦中の者は、あくまでも自らの手で火中の栗を拾う
必要があるのさ――僕は原因にも結果にも関与しない。精々、経緯を調整するだけさ」
「…………」
判断に困ったぼくは、キスショットの様子をうかがう。キスショットも、そんな忍野の
態度に困惑している風だった。
飄々としたままで、仕切ろうとする、忍野の態度に。
「ああ、でも勿論、僕も仕事だからタダってわけにはいかないよ。何せ旅から旅の放浪者
だからね。路銀は大切なのさ。そうだな――二百万円くらいでどう?」
「に、にひゃく!?」
驚いて声を上げたぼくに対し、忍野は冷静だった。
「あるとき払いの催促なしだ。それくらいは要求しないと――それはそれでバランスが取れ
ないものでね」
「……はあ」
二百万円、か。
これはこの際払えるかどうかは問題ではない。どうせ死んだら払うことはなくなるのだし、
無事生き延びても、それくらいの額は、まあ、がんばればなんとかなるはずだ。
問題はそう、結局こいつと出会った時から何も変わっていない。
この男を、
忍野メメを、
信じるか、どうか。
「……具体的なプランを聞こうかの」
キスショットは、そんな風に切り込む。
「交渉と言っても、容易ではあるまい――あの三人を説得することなどできぬぞ。中立と
言う以上は、貴様が儂の手足を取り返してくれるというわけではないのじゃろう?」
「さすがにそこまではね――でしゃばり過ぎだよ。プランも、まだあんまり考えてない」
拍子抜けするようなことを言う忍野だった。
けれど、ここまで大見得切って見せたのだ。この手の仕事は、慣れているのだろう。
それは余裕と見て取れなくもなかった。
「僕にできることは、頭を下げてお願いするだけさ。誠意を込めてね――お願いできない
のなら危険思想に手を出すしかないけれど、幸い、言葉が通じるのならゲームができる」
「ゲーム……じゃと?」
「ただ、まずはあの三人をバラかすのが先だろうね。一人一人を相手取る分には問題な
い――ってのが、ハートアンダーブレード、きみの読みなんだろう? なら、それを実現さ
せようじゃないか」
当然、と忍野は続ける。
「きみ達にはある程度の……相応のリスクを冒してもらうことになるけれど――そこはどう
か呑み込んでおいてくれ」
「いや、それは端からそのつもりじゃ。覚悟は決めておる――儂は勿論、従僕もの」
応える、キスショット。
…………いや、まあ、とっくに覚悟は決めていたのだから、べつにいいんだけどね。
「しかしのう、小僧よ、あの三人とどうやって交渉するのじゃ?」
「だから、頭を下げてお願いするんだよ――まあ、話せばわかりそうな連中だったしね」
話せば、わかる、か。
吸血鬼のぼくには難しいが、人間同士、敵対する者同士でなければ、たしかに交渉の余
地はあるのかもしれない。やつらは、ぼくの言を、無碍にはしてきたが、理解してなかった
わけではないのだから。
「詳しくは企業秘密だけど……フィールドは僕が整えてあげよう。そして阿良々木くんが、
彼らからハートアンダーブレードの手足を取り戻す。無事に両腕両足を取り戻せば――
ハートアンダーブレードはパワーを回復できて、そうすれば阿良々木くんは無事に人間に
戻れるというわけだ」
「取り戻す――ね」
やっぱりというかなんというか、難しいところは、直接的なところは、ぼくが担当する
ことになるようだった。
ドラマツルギー、エピソード、ギロチンカッター。
大剣二本に、十字架に、そして得体の知れない謎の男。
キスショットはやたらにぼくに期待をかけてくるが、実際のところ、たとえ一対一だった
ところで、ぼくが三人のうちの誰か一人にも勝てるヴィジョンなんて、まるで思い浮かばな
いのだけれど――
「でも、やるしかないんだよなあ」
勝てない相手に、勝つ算段を。
そう考えれば、今回もまた、と言う感じだ。いつも通りの平常運転。吸血鬼になった程度
ではぼくの状況は大して変わらないらしい。
「おい、従僕」
キスショットが――ぼくに言った。
「なんだい? キスショット」
「儂は人間の貨幣は用意できん――二百万円という借金がどの程度の物なのかもよくわか
らんが、その金額をうぬは背負うことができるか?」
「……額は、まあ、問題ない」
だから、あとは、結局。
信じるか、否か。
「心配するな。この小僧のスキルは本物じゃ――ここを教えられたとか、うぬが救われた
とか、そういうことを度外視してもな。いかに弱体化しても、それくらいのことは今の儂
でもわかる」
「でも、だからと言って、信じていいものか――」
「敵ではないよ。あの三人の攻撃を受け止めたのじゃろう? それほどの実力者ならば、
クビ
本気を出せば、今すぐこの場で儂らを縊り殺すことくらい容易じゃろうて」
「……それも、そうか」
通りすがりの、おっさん。怪し過ぎる、アロハ服。その口調は誠実と言うよりかはこちら
寄り、詐欺師とか、戯言遣いとか、そう言うのに近い。
でも、敵ではないというのなら騙されたところで、問題はない。ここは、騙されたと思っ
て、
というやつで行こう。
「いやそれ十中八九騙されるやつじゃろ……無駄なフラグを立てるでないわ」
そんなキスショットのツッコミを聞き流して、ぼくは「お願いします」と、忍野さんに頭を
下げた。
「ある時払いの催促なし、保証人も担保も金利もなし。死後遺族に請求はいかないのでしたよね?」
「いやそこまでは言ってないのだけれど、まあ、それでいいか――まいどあり~なんつって」
忍野は的外れなくらい気楽そうな調子で言った。
「ぼくも今日から、ここで寝泊まりすることにするから。よろしくね。というか、もともと僕は、この町に来
て以来、この場所には目をつけていたんだよね。義を見てせざるは勇無きなりと、ハートアンダーブレ
ードに譲ったけれど、やっぱこの町にここ以上の廃墟はなかったや。とりあえず、どうする? 明日か
らの前途に対して気合を入れるために、円陣でも組んでみよっか」
寝転がったまま、最高に気合のない姿勢でそんなことを言う忍野。勿論、ぼくもキスショットも、そんな
言葉に乗っかったりはしなかった。
時刻はまたも零時を過ぎ、日付は三月二十九日へと変わっている。
明日といえば――既に今日は明日なのであった。
鉄血編――了。
そんなわけでひとまず書き溜め分は終わり。
あとはちまちま一章ずつ更新していけたらいいなと思います(願望)
熱血編、どうなるんですかね。
せめて四回見に行って飽きない程度のクォリティであってほしいです。
おつおつ
前作教えてほしー
はぁああああん?
続きはまだかいな
>>1です。気がつけば一月経ってしまいましたね。ごめんなさい。
このペースで書き直すなんて無理だと悟ったので前に書いたもののリンク貼っておきます。
ひたぎ「これも、また、戯言よね」
ただ書いているうちに設定が変わってるところもあるので(実は最初は居候じゃなくて一人暮らしの設定だったり)そこら辺は目をつぶっていただきたいです。私の目も潰したいですはい。
ほしゅ
た
ほ
か
007
「ところで、『柔よく剛を制す』という言葉がぼくの国にあるんだけど、知ってる?」
「いや、『ぼくの国に』って、お前と僕は同郷だろうが」
「で、知ってる?」
「……知ってるよ。だいたい小学生くらいには習う、簡単なことわざだ。日本人で知らない
やつは、まあ、いないだろうよ。で、唐突にどうしたんだよ。またぞろ僕を馬鹿にしようっ
て魂胆か?」
「よせよ。その言い方だと普段からぼくがきみをバカにしているみたいじゃないか。ぼくの
イメージを害するな」
「基本的にお前の存在は害だろうが……僕も人のことは言えないけど……いや、罵り合いは
もうやめよう。なんだか悲しくなってきた。うん。で、またどうしたんだ?」
「いやさ、このことわざ、どうにもおかしいと思わないか?」
「? いや、特に変なところもないだろう。まさにその通りだと思うぜ? ドラゴンボールとか
でも言ってたじゃないか。パワーだけ膨らましても勝てないってさ」
exactly
「その通り。たしかに力だけでは勝つことは出来ない。ただ、じゃあ技だけなら勝てるかと
言ったら、そういうものでもないだろ? たとえば、お前と真心が戦ったとする」
「嫌な『たとえば』だな。たぶん僕、肉片も残らないぜ?」
「さすがに真心もそれくらいは手加減してくれるだろ……とにかく、頭の良いお前と、圧倒
的な力を持った真心、どっちが勝つかと言ったら、そりゃあ真心だろ?」
「いや、そりゃあそうなんだが、だからと言って技術は大切だろ。というか真心は規格外だろ。
あいつは力もそうだが技術もある」
「そう、そこなんだ。真心は力も技術もある。ぼくらが策を練ろうとかないっこない。で、
問題はさ、真心は規格外と言ったが、じゃあこれは真心にだけ言えることなのか?」
「……いや、そうだな。真心だけってわけでもないか。力あるやつは大抵、力の出し方、使
い方を知っている。つまりは技術を持っているってことだ」
「それに経験もある。そこまでの強さにたどり着くまでにおよそ数え切れないほどの鍛錬や
戦闘を繰り広げてきたことを考えると、力の無いものが使ってくるような策なんて、そいつ
の中ではもう対処法が確立されているだろうさ」
「柔よく剛を制すと言うよりは剛は柔を兼ねるって感じか……しかし、あれだな」
「ん?」
「夢も希望もない話だなって思って。ようは、強い者に弱い者は勝てないってことだろ?
これ」
「まあでも当然のことなんじゃないのか? 熱心に自分を磨き続けてきた強者からしたら、
弱者のその場限りの小賢しい思いつきに負けるなんて、それこそ報われない話だ」
「じゃあ、僕ら弱者は、強者ともし相対することになったら、どうするべきなんだ?」
「そりゃあもう勝負しないことだね。とにかく戦ってはいけない。誤魔化すとか、説得する
とか降参するとか、その場から逃げるとか」
「戯言を使う、か。じゃあもし言葉が通じず、逃げ道がなかったら? 諦めて死ねってか?」
「そうだな。……強いフリをするしかないんじゃないか? で、相手が降りるのを待つ」
「……いや、ポーカーかなにかやってるんじゃないんだからさ」
彼は苦笑した。
その後人生とポーカーの違いについてとか、トランプが作られた経緯についてとか色々話した
けど、まあここから先は今回の話には関わらないので割愛して。
唐突な回想になんの意味があったかというと、これが今回のぼくの基本方針である。
強いフリをする。
退治できなさそうに見せかけて、相手に降りてもらうのを待つ。
殺し合い、というのならこんな案は通らない。馬鹿な男二人の机上の空論。それこそポーカー
くらいでしか通用しそうにない策だ。
しかし、この状況では効果はあるだろうと思う。こちらは必死の命の取り合いではあるが、向こ
うからしてみれば、これはゲームのようなものなのだから。
「話はついたよ」
交渉から帰ってきた忍野は、なんでもないことのように、仕事が成功したことを告げた。「庭先で
猫が寝てたよ」くらいな気軽さでの報告に、拍子抜けというか、身構えていた分脱力したというか
なんというか……。
「日付は明日。三月三十一日。時刻は深夜。場所は阿良々木くんがこれから通うらしい、
私立直江津高校に決まった」
「……」
「ルール説明に移ろう。ルールは単純。戦って、勝った方が報酬を得る。きみが勝った場合は
ハートアンダーブレードの手足の場所を彼らから聞き出せ、奴らが勝った場合は、きみは
この場所を教える。あとはまあ、基本的に何でもありだ」
「……」
「初戦の相手はドラマツルギーだってさ。次はだれになるかはわからないけど、連戦にはならない。
日を改めての対戦となるからそこは安心していいよ……ところで、さっきから黙りこくっちゃってるけど、
なにか不満かい?」
「いえ、この街で、化け物同士が戦えるくらい広くて、ぼくが場所を知ってるのはそこくらい
しかない。そこはベストな場所です……加えて、相手から場所を聞き出すというルール
ならば殺される心配はなく、戦闘に不慣れな一般人のぼくへのハンディキャップとなる。
考え得る限り、最高の条件です」
「にしては、かなり不満そうな顔をしているけど?」
「…………ただ」
あまりにも、できすぎだ。
ここまでとんとん拍子で話が運ぶと、むしろ不安になってしまう……。
「ほんと心配性だね、きみは。ネガティブというかなんというか。せっかく梶裕貴みたいな
いい声してるんだから自信をもったらいいのに」
「いや、声質と性分とに何の関係が……」
というか個人名を出すんじゃない。もし発売までに変わってしまったり、そもそも間違って
いたらどうするんだ。
「そんときはそんときさ。声優の変更ってのは結構あることだからね。体調の問題だったり、
ドラマCDかゲームかアニメかVOMICかで変わってくる場合もあるし」
最後のをなぜか強調する忍野。気にしないことにしよう。
「しかし、まさかこんなに早く交渉が終わるとは思ってもいませんでした」
場合によっては戦闘に入る前に直江津高校始業、つまり月火ちゃんのタイムリミットを
迎えるのではないかと思い、どうにか丸め込めないかと言い訳を考えていたのだが、無駄に
終わったみたいだ。いや、実践に移すことがなくてよかった。あいつの妹を騙すのは心苦しいし。
「まあ、ちょっとカッコつけてみたけれど、正直言うと結構大変だったんだけどね。特に
ギロチンカッター。最終的に全部片付くって言ってんだからそこまで目くじら立てること――」
「……?」
全部、片付く?
「――失言。まあ、でもどうせ阿良々木くんだしすぐ忘れるか。大丈夫大丈夫」
「いや、そういうこと言われるとなんか気になるんですが……」
これ、何かの伏線なのか?
「その時になれば気づくさ。別に覚えている必要はない。というか深く考えない方がいいよ。
考えすぎて鈍れば、きみか僕がギロチンカッターに殺されることになってしまう」
「だから、言われると余計気になってしまうんですが……」
ぼくはわかるけど、忍野が?
そんな色々気になることを言ってくる忍野に振り回され、会話後もなんだか気になってしまい、
答えが出るはずもないのに忍野の言葉の真意を考えていると、あっという間に時間は経ち、
丸一日が経過。三月三十一日となっていた。
……あえて無駄に意味深なことを言い考えさせることで、戦闘前に不安になったり、緊張するのを
防いでくれたのだと思おう。結局ドラマツルギーへの対策は何も思い浮かんでないけれど、
あれこれ下手に考えてしまうよりはいいんだろう。そうだ。これから戦うのだ。精神は落ち着けておかねば。
「そう苛立つでないわ。まったく、我が従僕がそのような移ろいやすいメンタルでは困るぞ」
いや、ほんと、オコッテナイデスヨ?
「というか、キスショットだっていつも怒ってるじゃないか」
「たわけ。儂が怒ったことなどこの五百年で一度もないわ」
…………また堂々とした嘘を吐くなこいつは。
「嘘の吐き方でうぬになにがしか言われとうないんじゃが……」
キスショットのボヤキは無視して、戦いに意識を向ける。向けよう。向けないと。
基本方針を思い出す。
まっとうに戦って勝てないのなら、
相手をおりさせろ。
こちらが強者だと、
信じ込ませるのだ。
「――ふう」
時刻を確認。午後十時。
まだ、時間はあるな。
「ドラマツルギー、か」
あの三人の中では、一番の巨漢。両手を大剣へと変える、同属殺しの吸血鬼――。
「いや、さっそく基本方針が利かなそうな相手じゃん……」
まず体格からして違うもんなあ……。同属だしびびらせるもなにもない。
それにあの冷静な態度。真面目そうだから揺さぶれば騙すことはできそうだが、揺れるのか?
あの人。あの鬼。
今一度ルールを考えてみる。
殺してしまうと、相手の隠し場所、隠れ場所がわからない。よって殺害は禁止。
ぼくではあの三人を殺せるとは思えない。つまりは、向こうは手加減した状態で、こちらは
文字通りの死に物狂いで戦いに臨める。
プロのヴァンパイアハンター相手に、なりたての弱っちい吸血鬼。
すこしでも知っている場所に、そして大きなハンディキャップ。
忍野は本当に、最高のルールを敷いてくれたと思う。
そこまでのお膳立てがあってもまだ、ぼくがドラマツルギーと五分とはとても思えないんだけど……。
「なあ、キスショット、その、勝つためのアドバイスとか、そういうのないの?」
軽く投げやりに質問する。なんとなく、どんな答えが返ってくるかわかる。そう、こいつは
きっと――
「アドバイス……といってものう……戦うじゃろ? 勝つじゃろ? 終わりじゃろ」
「……うん、まあ、そんなこったろうと思った」
やっぱりというかなんというか、キスショットはぼくが負けるなどと微塵にも思ってないらしかった。
「いくらなんでも買いかぶりすぎだろうが……」
どうすれば他者にそこまで信頼を寄せられるのだろうか。
戦い方の前にそれを教わった方がいいかもしれない。
「むう。まだわかってないようじゃな。うぬは」
憶えの悪い従僕に腹を立てたのか、キスショットはほほを膨らませながら言って、
ぼくの手を取り、それを自身の胸へと当てた。
またかよ。
「あの、キスショット様? もうそれは勘弁を――」
「うぬは」キスショットが、ぼくの言を遮るように、言う。
「うぬは、儂の眷属じゃ。この、鉄血にして熱血にして冷血の吸血鬼、キスショット・アセ
ロラオリオン・ハートアンダーブレードの眷属じゃ。うぬが負けるわけなどない。うぬが
勝てぬ相手などいない。うぬが諦めることはない。」
キスショットは、強い口調で続ける。
「うぬが自信をもてぬというのなら、儂を信じよ。儂は、儂自身の吸血鬼としての力を信じ
ておる。うぬを見定めたこの眼を信じておる。じゃから、うぬも信じろ。眷属として、従僕として、
主を信じろ」
「…………」
他者への信頼、ではない。
絶対の自信。
五百年生きた伝説の吸血鬼の、確固たる自己。
なるほど。たしかにアドバイスなんて必要ない。ぼくが悩む必要はない。
これは、キスショットの戦いなのだ。ぼくは、ただそれを為すだけの力。道具。
文字通りの、手足。
そう思うと、ほんの少しだけど、気楽になった。
「…………死にかけてボロボロ泣いてたくせに」
「うん? 何か言ったかのう?」
キスショットがぼくの腕を動かす。やめろ。それじゃあぼくの手の動きを抑えてるかの
ようじゃないか。絵面が大変よろしくない。
キスショットの手を振り払い、立ち上がる。
まだ時間はあるけど、これ以上セクハラされてはかなわない。
「確認するぞ。うぬがやることは?」
「戦うだろ? 勝つだろ? それで終わりだ」
「上出来」
かかっ、とキスショットは笑った。
教室を出ようとして、「行ってらっしゃい」と、声が聞こえた。
ああ、そう言えば、眷属は、家族みたいなものなのだっけ?
「行ってきます」と、ぼくは答える。
「ただいま」と言えたらいいなと、らしくもなく、そんなことを思った。
今夜はここまでです。
保守してくださった方々、本当にありがとうございます(2ヶ月は覚えてたけど1ヶ月は完全に忘れてました)。
更新来てたのか。乙
乙!
自覚はないけど地力で上回ってる相手に戯言をどう使うか……
保守
>>1です。ちょっと展開に悩んでしまったせいでなかなか書くことができなくなってしまっていました。
生きてます。続き書く気はあります。ごめんなさい。
生存報告乙
映画か
ほしゅ
008
教室を出ようとしたその瞬間「あ、おい、ちょっと待て」と、キスショットがぼくを引き止める。
「アドバイス、そういえば一つだけあったわ」
「ええ…………」
あんないろいろカッコいいこと言ってたのに……。
完全に戦いに行く気でいたのに……。
章ももうまたいだというのに…………。
「まあ大丈夫じゃろうとは思うんじゃが、念のためにと思ってな。まあまあ聞いていけ」
「はあ。で、アドバイスって何?」
あんなに言っていたキスショットが、わざわざ言ってくるようなこととは?
「いや、本当に大したことではないのじゃ。ドラマツルギーは立場的にそんな戦法は取らん
じゃろうし、まあ、そのような状況になることもないじゃろう」
買いかぶり、ではなかった。キスショットがそう言うのだ。キスショットの力を普通に
使えば、そうなることはないのだろう。
「で、その戦法というやつは?」
「簡単なことじゃよ。血を吸われぬことじゃ。吸血鬼が吸血鬼に血を吸われると、存在その
ものを絞りつくされてしまうからのう」
「…………」
「…………」
「……え? 終わり?」
「うん、終わり。これだけ」
「ええええ……………………」
なんだそのアドバイスは……血を吸われるまで接近を許した時点でもうほぼ負けなんじゃないか?
こんなことのために章を締めた余韻を台無しにされたのか……。
「いや、うぬの中で章を締めるのどれだけ大事なんじゃ……」
「そりゃ四ヶ月も空いちゃったわけだしね……後付けで設定足されても……」
「大丈夫じゃ。この部分は実は五ヶ月前には終わっとる」
「なお悪いわ」
そんなぐだぐだした空気で教室を出て、階段を下り、廃墟を出て、忍野にもらった地図を
見ながら歩き――
ぼくは、私立直江津高校へとたどり着いた。
「…………」
時刻は十一時半。
ちょっと早めに出てきたつもりだったのだが、それでも遅かったらしい。グラウンドにはすでに、
二メートルを超すであろう大男、ドラマツルギーが待ち受けていた。
腕を組んで仁王立ち。両の腕は通常の、つまりは普通の人間の状態である(一対一の近接戦闘に
際しては、大剣を振るうより人間の腕あるほうがやりやすいのだろうか)。その様はまるでなにかの
像のように厳かな雰囲気すら感ぜられる佇まいで、すこし、たじろぐ。
「……どうも、待たせてしまったみたいですね。いや申し訳ない」
「……■■■■……いや、かまわん。お前も時間より早く来たのだ。気にすることはない」
初デートかよ。
と、突っ込む気を抑えて、「ところで、戦いを始める前に確認しときたいことがあるのですが、
よろしいですか?」と、努めて冷静に、余裕があるように話しかける。
ゲーム
ドラマツルギーからしてみれば、ぼくは吸血鬼に成りたての一般人。狩りにちょうどいい玩具だ。
初対面で命乞いをし、嘘の場所を教え、砂かけをしてくるような卑怯者だ。軽々しく縊り殺せるものと
思っていることだろう。
その隙を狙うことも考えたが、ドラマツルギーは名の知れた、いわゆる歴戦の戦士というやつらしい。
そんな相手に、ぼくごときがかなうべくもない。たとえ隙を突こうとも返り討ちにあうだけだ。
であるのならば、ここは逆、ドラマツルギーの戦士の勘、というのを利用するべきだろう。
楽勝であるはずの対戦相手が、弱小であるはずの対戦相手が、まるで対等の存在であるかのように
話しかけてくる。これをドラマツルギーはどうみるか。
きっと、ドラマツルギーは不思議に思い、想像する。ぼくになにか奥の手があるだろうと、
勝つ手段を、持ち合わせているのだろうと。
そこまで思考を持っていければあとは簡単だ。ほんの少し意表を突くような行動を、いくつか
取ればいい。そうすれば、あとは勝手にありもしない「本命の策」に溺れ、先に降参をされるだろう。
最初に考えた通りの勝ちパターンだ。
後の問題は、ドラマツルギーの意表を突く行動を思いつくだけ。この時間でできるだけ
ドラマツルギーの行動や言動、性格を探っていけるといいのだけれど……。まずはこれに、
応じてくれるかどうか。
はてさてドラマツルギーはぼくの要望に「いいだろう。こちらからも尋ねたいことがあるのでな」と
応じた。ふむ。応じるか。少なくとも未だ対話の余地はあるらしい。
「ぼくが勝ったら――あなたはキスショットの右脚を返してくれる、でいいんですよね?」
自信たっぷりに、ぼくは問う。ぼくが勝つのが前提であるかのように。ドラマツルギーが
負けるのは必定であるかのように。
「……………………」と、ドラマツルギーは押し黙る。これは効いている……んだよな?
ドラマツルギーは、じっと、ぼくを見る。訝しみ、不思議なものを見たように、ぼくを観察する。
…………なんだろう? 期待したような反応とは違うもののような気がする。そう、ただ、
「何を言ってるんだこいつは?」といった視線だ。
「あの、ドラマツルギーさん?」
「――ああ、いや、すまない……その、なんだ。ハートアンダーブレードの眷属よ。お前は、
ハートアンダーブレードをキスショット呼ばわりしているのだな?」
「はあ。そうですけど」
なんだ? そんな珍しいことなのか? 吸血鬼界隈はどうにも面倒そうだ。
「界隈がどうとかそういう問題ではないのだが……まあ、ハートアンダーブレードがそれを
良しとしているということは、情報の信憑性が高まるので助かるのだが」
「?」
「いや、いい。質問に、というか、確認に答えよう。そうだ、私に勝てたらハートアンダーブレードの
右脚を返そう。私が勝てば、お前がハートアンダーブレードの居場所を教えてくれると誓うのであればな」
「……ええ、誓いましょう。ぼくが負けたらハートアンダーブレードの居場所を教えます」
ぼくは真剣であるかのように応える。笑ってしまいそうだったが、なんとかこらえて。
まったく、このぼくが「誓う」などと、滑稽なことこの上ない。戯言ここに極まれり、だ。
「さて、今度は私の話を聞いてもらおうか」
ドラマツルギーは、言う。さて、ぼくに対しての話、というのはなんだろう? キスショットに
ついてのことだろうか……。はたまた対戦前にぼくの動揺を誘う作戦か……。いや、本来格上である
ドラマツルギーがそれをする必要はないし、これは素直にそのまま聞いておくべきか?
「まず、私はお前を退治しに来たわけではない」
「…………後者だと?」
「ん?」
「いえ、なんでも……あの、退治しに来たわけじゃないって、どういうことですか?
この前はいきなり襲い掛かってきたというのに」
ドラマツルギーは、ぼくを揺さぶって何を仕掛けようといている? いや、違う。仕掛ける
必要はないはずなのだ。ドラマツルギーは圧倒的に格上なのだから。
「退治しに来たわけじゃない……私はお前を勧誘したいと思っているのだ」
「勧誘……」
そうだ、本来なら必要のない呼びかけ。対話。つまり、この時点でぼくはすでに最初の目的を
完遂しているということか? すでにドラマツルギーは、ぼくを警戒する相手である。策を
弄す必要のある相手だと。
「私のことはある程度ハートアンダーブレードから聞いているのだろう? 私たちは、吸血鬼で
ありながら吸血鬼退治を生業としている」
「それでぼくも、というわけですか」
これは……少々まずいかもしれない。ドラマツルギーが、ぼくのなにを警戒しているのか
わからない以上、戦闘中にドラマツルギーの意表を突けたところで、その驚きや、畏怖と
いったものは薄れる。それどころか、その警戒点から外れた行動をとってしまえば、失望されかねない。
やはり遅るるに足らない相手だと、そう判ぜられかねない。そうなってしまえば、詰みだ。
正気を取り戻したドラマツルギーに勝つ方法はなくなるだろう。
「ああ、初対面で襲い掛かったのはエピソードとギロチンカッターがいたからな。あの二人の前で
このような誘いをかけるわけにはいかなかったのだ。あの二人は私怨や心情があるからな。
しかし、私からすれば、キスショット・アセロラオリオン・ハートアンダーブレードの眷属、
・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・
いや、お前は稀有な存在だ――殺すに惜しい。主人からの支配も薄いようであるし、仲間になるのには相応しい」
「まあ、わかりました」
ここが正念場かもしれない。ここだ。この受け答えを間違えることがそのまま生死を分ける。
そう思いぼくはどう返答すべきか困っていたが、ドラマツルギーは「いや、お前はわかっていない」
と、話をつづけた。
「お前はわかっていない……ハートアンダーブレードの眷属であること、それ以上に、お前には価値がある」
「はあ」
「生きづらいと、感じたことはないか? 」
「はあ?」
なんだ? いきなり人生相談タイムなんですか?
「そりゃあ、すこしは感じてますけど」
「いや、嘘だな。お前は、はっきりと『人間社会』で生きづらさを感じていたはずだ」
「あの……急に言われても困るんですけど」
ドラマツルギー、だよな? ギロチンカッターじゃなくて。たまに言い間違えそうになるけど。
まさか戦士と宗教家を間違えるはずがないとは思いたい。信じてるぞぼくの記憶力。
「真面目に聞いてくれ。お前は人間社会に適応できていなかったはずだ。なぜなら、お前は
本質的に人間からは遠い存在だからだ」
「……………………」
「お前は人間の中でも、異端で、異質で、異才で、異彩で、異常で、異能な、異な存在だ。
・ ・ ・ ・
もはやその在り方は生まれついての鬼に近い。生来の鬼、天性の鬼だ。文字通り根っからの人でなし。
そもそも人間であったことすら間違いみたいなものだ。お前は、常軌を逸している。
お前には、化け物としての才能がある」
「…………ひどいことを言うんですね」
「だが事実だろう? 思い当たることがあるはずだ」
「人でなし!」散々言われた言葉だ。「化け物!」シャワーより浴びたかもしれない。
合点がいく。納得がいってしまう。そもそも人間であったことすら間違い。
「私には今五十三人の同胞がいる。そして、組織のナンバーワンがこの私だ。しかし、もし、
お前が入れば、いずれはお前が組織のナンバーワンとなるだろう。今はまだ成り立てだが、
身体の使い方に慣れればお前が最強になるはずだ。いや、組織どころではない。お前は最強の
吸血鬼となる。場合によっては最強の怪異に、果てはあの人類最強にまで届くかもしれない」
ドラマツルギーは言う。……なんだか順番おかしくないか?
純粋にぼくを勧誘してるのか、それとも、動揺を誘っているのか……わからない。ただ、
どちらにせよ言えることは、ドラマツルギーはこれを本気で言っているようだった。
最強……か。
いろいろ言われたが、ただ一つそれについては言えることがある。
そんなものに、興味はない。
「……買いかぶり、ですよ。ぼくはそこまで大した人間じゃありません。吸血鬼としてだって、
きっと最弱です」
気にするな、何を言われても。たとえ図星でも。
これは戦いだ。いや、戦いはこれからだ、か? とにかく、平常心を保て。この勧誘は、
この交渉は、きっとこの後の戦いを決定づける。ならば慎重に応えなくては。
「それで、ぼくがこの勧誘に応じれば、キスショットの右脚は返してもらえると、
そういう話ですか? これは」
もし戦わないで済むというのなら、それで済む話だ。ここで乗っておいて、あとで適当に
抜け出せばいい。もしくはぼくの不甲斐なさにドラマツルギー自身がぼくをクビにするかも。
しかし、そんなぼくの甘い考えは通じなかった。というか、そもそもぼくらの間に相互理解なんて
ものはなかったのかもしれない。ドラマツルギーは「違うな」と言った。
「お前が仲間になったのならば、ハートアンダーブレードを殺すことが、お前の最初の仕事となるだろう」
「却下だ」
珍しく、考える前に言葉は出てきた。
「ぼくはキスショットを戻して人間に戻る。吸血鬼の仲間になんてなるか」
「…………そうか」
こうして、交渉は決裂した。ドラマツルギーからの印象は悪くなっただろうし、こうなると、
ぼくの強弱に関わらず、ドラマツルギーは本気でぼくを倒そうとするだろう。仲間にならないのだし、
殺す気で来られるかもしれない。いや、殺されてはキスショットの居場所がわからないのだから、
ぼくが降参するまで拷問され続けるのだろうか? どちらにせよ、これでぼくの勝ちの目はほとんど潰れた。
詰んだかもしれない。
でも、ぼくに後悔はなかった。むしろなぜか、妙にすがすがしささえ感じた。
「惜しいな」とドラマツルギーはつぶやいて肩、首、そして腕を回す。準備運動――――
つまりは、本気ということだ。
「ですか。ぼくはまったくそうは思いませんね」
ぼくも応じて構える。左足を軸に両腕を前に出す、いわゆる、ファイティングポーズ。
まずは観察。ぼくがドラマツルギーと正面から打ち合って勝てるとは思わない。様子見。
見ることが第一だ。そして、繰り出される攻撃を、避ける、受け流す、カウンターを入れる、
どれを選択するにせよ、もっとも動きやすい、フットワークの軽い構えはおそらくこれだろう。
動体視力はそれなりにある。むこうで散々訓練してきた。それに加えて今は吸血鬼の状態。
それにドラマツルギーは筋肉質。それほど機敏に動けるとは思えない。きっと、その動きを
捉えることはできる。
――などと、考えた自分が甘かった。
「は?」
思わず声が出る。ドラマツルギーは、その巨体に似合わない俊敏な動きで、一足でぼくに詰め寄った。
吸血鬼の目によって、その動きは捉えることはできたが、しかし、これは捉えるべきで
なかったかもしれない。
ドラマツルギーは、まるでその肉体がただ目の前の相手を殴るためだけに存在しているかのような、
そんな動きをした。流動する筋肉。美しさすら感じられる軌道、それがただそうであるかのように、
脚が動き、腕は流れ、そして衝撃が炸裂する。
こんなの、見えたところで意味はない、ただ、こちらとあちらの戦力差を思い知らされるだけだった。
こんなもの――見てから人間が反応できるわけがない!
ドラマツルギーの右の拳は、ぼくの頭を吹き飛ばした。
一瞬、視界が暗転する。その後、ぼくが見たのは星だった。視界いっぱいに広がる夜空。
(ぼくは倒れている?)久しぶりに見た気がするそれらはただひたすらに美しかった。
なぜぼくはドラマツルギーに殴られたはずなのに、こうしてどこに傷を負うこともなく
グラウンドに倒れているのだろう? 深夜にグラウンドに倒れている、ということは別に
夢オチでもなんでもなく、勝負は行われたはずだ。つまり……殴られて気絶して、勝負は
ついてしまったのか? あれだけかっこつけて、五ヶ月引っ張ってワンパンKO?
そりゃいくらなんでも……と、そこまで考えたところで。
上から、殺気が、降って、思、考より先、に身体が動、く。
「くっ!」
左腕に全力をかけ、全身を飛ばすように地面をうつ。しかしそれでも遅かったらしく、
ドラマツルギーの左拳がぼくの手の甲をかすった結果――ぼくの左手首から先は、弾け飛んだ。
ごがぐが、と音が聞こえた気がした。それはぼくが左手でグラウンドを砕いた時の音なのか、
ドラマツルギーがぼくの左手を破砕した時の音なのか、はたまた幻聴か。
考えたところで、遅れて、熾烈な痛みが脳に伝達される。
「……っがあああああああああああああああああ!!!!!!!!」
いたいいたいいたいいたいいたい! ずきんずきんと、左手が痛み、機能の欠損を、
生命の危機を、脳が叫ぶ。
「う、お、あ」
勢いをそのままにグラウンドを無様に転がるぼくの思考は、ただただ一つのことだけを訴える。
ぼくは死ぬ。
殺される。
勝てない。
戦いにすらならない。
ぼくでは、ドラマツルギーには、勝てない。
唐突に、ぼくの回転は止まる。何か施設の柱にでも引っかかったのか?と、そちらを向くと、
回転を妨げたその正体は、はたしてドラマツルギーの丸太のように太い右脚であった。
ああ、そりゃあ、回転するよりも走るほうがはるかに速いよな。
死ぬ。
ギロチンカッターが脚を振り上げる。
死が目の前にある。
せめてもの抵抗に、とぼくは両腕を顔の前で交差させ、防御の姿勢をとる。だが、ぼくは
知っている。この程度ではあの脚は止められるはずがない。最後のあがき、といってもそれは
諦めを過分に含んだものだった。
ああ、今度こそ終わった。
吸血鬼の力で強化された目が、ドラマツルギーが脚を振り下ろす様を見届ける。今度こそ、
ぼくは殺されるのだ。
その瞬間、ぼくは気づいた。
ぼくの左手が、再生していた。
「!?」
一瞬の両腕の激痛。そしてまた一瞬の暗転。
二度目の暗転の後、今度の景色は、夜空と、ドラマツルギーの右脚だった。
「!!」
ようやく、理解する。
最初に頭を殴られたとき、ぼくは気絶していたわけではない。夢オチでも何でもない。
本当に、ぼくの頭は吹き飛ばされたのだ。
そして、その後、再生した。
吸血鬼としての――――再生力。
そうだ、突然のことで混乱していたが、以前にもあったのだ。最初も最初、吸血鬼として
目覚めたその日、ぼくは日光に焼かれ、焼けただれ、そこから再生した。
ならば、そう、ならば。
いくら傷ついても構わないというのであれば。
ドラマツルギーに勝つ手段はある?
「!」
ドラマツルギーは左脚でぼくを蹴り、身体を宙に浮かした。十メートルほど、ぼくは吹っ飛ぶ。
「どうした? ハートアンダーブレードの眷属よ。降参するというのであれば、応じるが?」
蹴られた瞬間激痛が走った。地面に着弾するとき、全身を擦りむいた。けれどもう痛みはない。
ドラマツルギー相手には、手段を仄めかすだけでよいと考えていた。というか、
それしかないと思っていた。たとえどんな手段を用いたところで、返り討ちにあうだけだと。
けれど、今前提条件は崩れた。そうだ。すばやく再生するというのなら、一瞬で回復する
というのなら、どれだけ返り討ちにあおうが問題はない!
「……降参なんて、しませんよ」
ぼくは、立ち上がり、ドラマツルギーをじっと見る。
構えは取らない。カウンターは無理だ。あの攻撃速度では対応できない。ならばぼくに
できることはといえば、ドラマツルギーの攻撃を全力でかわすことだけだった。
「そうか」とつぶやき、ドラマツルギーはまた右の拳でぼくをぶち抜きにかかる。
よけるよけるよけるよけるよけるよけるよけるよけるよけるよける――――!
全神経を集中させて、ぼくはドラマツルギーの右の拳を、左に避けることに成功した。
その拳はあまりの速さに風すら発生させ軽くよろけそうになったが、なんとか持ちこたえる。
左に避けたことで、ドラマツルギーの脇ががら空き。この体勢では、ぼくへの攻撃は右腕に
よるひじ打ちしかない。ならば、ぼくが狙うは脇腹だ。
「はっ!」
ひじが当たらないよう、ぼくは右の拳を突くようにドラマツルギーの脇腹に入れる。避けながら
なので姿勢は悪いし、元の利き手の左手でもない、そのうえまるで腰の入ってない反撃であったが、
今はぼくも吸血鬼だ。これでもある程度のダメージは見込めるだろう。
しかし、そんなぼくの一撃はドラマツルギーに当たることはなかった。
ぼくの脇腹への攻撃を、拳を打った後の無防備な状態で振るわれる反撃を、ドラマツルギーは
無理やりにかわした。
「ふっ!」
今度ははっきりと「ゴキコキゴキガキッ」と音がした。無理な体勢でぼくの拳を避けるために、
ドラマツルギーは筋肉を無理やりに伸ばし、腹を無理やりに変形させ、ぼくの拳を避けた。
「んなっ!?」
瞬間あっけにとられる。目の前で、人間が軟体動物のように上半身を九十度、いや、
百三十五度は傾けたのだ。しかも、横向きに。完全に予想の範囲外の動きにぼくは戸惑い、
一瞬動けなくなる。そして、ドラマツルギーには、一瞬あればぼくへの反撃には十分であった。
無理な体勢のまま、ドラマツルギーはぼくの右腕へと、自身の右腕を振るう。
その体勢では先ほどのぼく以上に力が出ないはずなのに、ドラマツルギーは、ぼくの右腕を飛ばした。
今までよりも鋭い痛みが右腕から送られてくる。
「ぐ、あああああああ!!!」
鮮烈な痛み。今まで生きてきた中で一二を争うほどのその鋭い痛みが、ぼくを一瞬襲い、
そして右腕が回復する。
「っはあ、っはあ」
そこまでくるとぼくは状況を冷静に判断できるようになっていた。ドラマツルギーが
横に傾けていた身体を起こす。元の構えに戻ったドラマツルギーの身体は、その両腕は、
先ほどまでとは大きく変質していた。
両腕が、大剣に変化している。
波打つ大剣、フランベルジュ。
吸血鬼としての――――変身能力!!
「……そういえば、そんなのもありましたね」
ドラマツルギーはまだ全然全力ではなかったらしい。勧誘する都合上、武器を相手に
見せないために腕をそのままにしていただけということか。
「ああ、くそ」
見たところその大剣は、人間の腕だった状態の時よりも長い……先ほどよりもリーチは
長くなっている。ドラマツルギーは大男だ。通常の腕の時点ですでに不利であったのに、
さらにそれ以上長くなるだなんて……。しかも西洋剣、両刃であるということは単純に
どう振っても切れるということだ。拳は突き出す威力は高くても振った際の威力は落ちる。
まあ、ドラマツルギーほどの怪力であればラリアットでもぼくの首は飛びそうだが。
ともかく、武器が腕から剣に変わったことは、更にぼくの勝ちの目が潰されたということになる。
もう降参して助かるなら降参したい。
「でも、なあ」
人間に戻れないから、人外として暮らす。
人間に馴染めないから、人外として暮らす。
それは、ただの逃げだ。諦めだ。
もう、逃げたくない。今まで逃げてばかりの人生だけど。それでも、それだからこそ、
逃げられない。
だって、逃げたところで、結局そこでもぼくの扱いは、生き方は変わらないのだと、もう
知ってしまっているから。
人外になり果てたところで、ぼくが仲間を作れるはずがないのだから。
ぼくが誰かと、良好な関係を築けるわけがないのだから。
どこに行っても、どこまでも孤独。
そんなものを味わいながら、生き長らえたくはない。
「やるしかないよな」
ドラマツルギーを、もう一度見据える。
やはり、何度見ても勝ち目はなさそうに見えるけど、それでも。
ドラマツルギーが、飛び込んでくる。右の大剣がぼくの左肩から右脇腹にかけて裂こうとする。
ぼくは、それを後ろに二歩下がってぎりぎりでかわす。続いて左の大剣を身体の中心を
突きさすように前に出す。そんなことをすれば折れてしまいそうなものだが、元はドラマツルギーの
身体だ。たやすくぼくの身体に穴をあけるだろう。食らうわけにはいかない。今度はそれを右にかわす。
それを見て、ドラマツルギーは左腕の軌道を変え、水平に振るうようにしてきた。ぼくはそれを
かがんで避ける。ドラマツルギーはその勢いをそのままに回転するように右腕を振るう。
かかんだ体勢のぼくは飛んで――ダメだ! 空中に逃げてはその後の連撃をまともに食らう!
ここはおとなしく斬られる以外の道はない!
「くっ」
覚悟を決める。被害を最小限に食い止めるため腰を曲げたまま、足だけをまっすぐにする。
斬られるのは太ももから下だけだ。
ぶちぶちっ、と筋肉と血管が斬られる音が聞こえた気がした。
「~~!」
覚悟を決めていたためか、先ほど右腕を切られた時よりは痛くない。ならばこのままドラマツルギーに
攻撃を加えようと意識を切り替える。両腕で逆立ち状態で着地し、そのまま再生した足で
蹴りを食らわせる――と、そこまで考えたところで。
――――背中が――――――――ぶるり――――――――――――――――ふるえた。
「うおおおおおおおお!?」
ぼくは逆立ち状態の腕で全力でグラウンドをはじき、後方に飛ぶ。飛ぶといってもあまり
高く飛びすぎると追撃を食らう恐れがあるので、地面からの角度は十五度といったところだ。
そしてまたそのまま無様に後ろに転がっていく。
転がりながらぼくが見た光景は、ドラマツルギーの右脚が、ぼくが逆立ちしていたあたりで
空を切るさまだった。
思わず、ゾッとする――不意打ちであんな蹴りをかまされて、まともに食らっていたら、
ぼくの身体はどうなっていたことか。いや、ぼくの身体はどうでもいい。問題は逆立ち状態で、
何が起きているのかわからない状態で不意打ちの蹴りを食らったら、はたしてその時、ぼくは
・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・
意識を保てていただろうか?
また、どこか甘く考えていた。何回死んでも、最終的にドラマツルギーを倒せればそれでいいと。
敗北条件を見誤っていた。
そう、ぼくは死なない。だから、致命傷を食らうことは問題ではない。ここまでは正しい。
じゃあぼくの敗北条件は、降参しないことだけなのかといえば、それは違う。ぼくの現在の
・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・
敗北条件は戦闘中に気絶しないこと、または、ドラマツルギーにつかまって、追い込まれて、
・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・
降参するまでなにもできずに殺され続ける状況に追い込まれること。
そうすると、そうなると……。
「このままでは、やっぱり勝てないか」
相手のリーチを、自分の不利をそのままにしたままでは、勝てない。
どうしても、今、この戦力差を埋める方法を思いつかなくては……。
ふたたび、いや、もう何度目か、ドラマツルギーが突っ込んでくる。避けながら、食らい
ながらでもいい、考えろ。
ぼくを斬ろうとする右腕をかわす。なにかないか。ぼくの首を刈ろうとする左腕をよける。
絶望的なリーチ差を覆すなにか。右腕がぼくの左腕を切り落とす。近づく手段、またはより
遠くで戦う手段が欲しい。左腕を囮に繰り出される右脚を食らう。大剣に対抗する手段は。
……一つ、見つけた。
できるのか? いや、やるしかない。
ぼくは一気に後ろに下がり、そして構える。最初の構え、ファイティングポーズ。
「む?」とドラマツルギーが反応する。
「ほう。逃げてばかりでつまらぬ男だと思っていたが、とうとう覚悟を決めたか」
「ええ。覚悟を決めました。今の状況を見つめました。こうなれば、真っ向勝負しかないですよね」
そうだ。相手は吸血鬼だ。両腕を、そのまま剣にしてしまうような、埒外の存在だ。
そして、ぼくも吸血鬼。斬られても斬られても復活するような、そんな規格外。
「ならば、あなたにできてぼくにできない道理はない」
イメージする。ぼくの両腕は剣だ。ぼくの両腕は剣になる。いや、違う。元からぼくの
腕は剣だった。ぼくの両腕は剣。剣。剣。剣。剣剣剣剣剣けんけんけんけんけんけん――――。
「……ふぅ」
ぼくの両腕は、剣となった。長い、ドラマツルギーとの身長差、体格差をも凌駕しうる長い西洋剣。
そうだ。ぼくは、化け物。
この程度、できて当たり前になってしまったんだ。
そんなぼくの姿を見て「ほう、さすが、呑み込みが早い」と、ドラマツルギーは笑った。
「ずいぶんとまた余裕ですね。リーチ差はこれでなくなったというのに」
「ああ、たしかにそうだ。これでお前と私の条件は五分となった。いや、お前の得物のほうが長いか?」
それでも、ドラマツルギーは笑っている。
「……いやいや、馬鹿にしているわけではない。本当に、その速さで変身能力を身に着けるとは、
驚嘆に値する。やはり、私の見立て通り、お前は吸血鬼としては天才的だ。だが……」
と、ドラマツルギーは笑みを消して、真剣なまなざしでこちらを見る。
「お前がナンバーワンになるのはいずれ、私を超えるまでになるのはまだずっと先だ。
その程度で、私に勝てるなどと甘い考えを持たれるのは、不快だな」
ぎろり、とより強い殺意がその目に宿る。
ひるむな。恐れるな。今はぼくが有利なのだ。
「はっ!」
声を上げ、ぼくはドラマツルギーへ剣が届く間合いまで一気に詰め寄り、右腕の大剣を振り下ろす。
戦いが始まって、初めてぼくから仕掛ける攻撃、それを、ドラマツルギーの大剣は真っ向から受けた。
そして――ぼくの右腕はガラスのように音を立てて崩れた。
「!!!!!!」
「やはり、な」
ドラマツルギーがぼくへと近づいてくる。斬られる前に左腕の剣を振り、ドラマツルギーに
カウンターを決める。決めようと思った。
「え?」
ぼくの左腕は、ドラマツルギーを斬れずに空を切る。それもそのはず、ぼくの左腕は、そもそも
ドラマツルギーに届いてなかった。ぼくの左腕はリーチを失っていた。
・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・
ぼくの左腕は、元の人間の形に戻っていた。
「くっ!」
・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・
「やはり、まだまだ人間であるころの意識が抜けてないな。私も元は人間だったからわかるよ」
言って、ドラマツルギーはぼくに斬りかかる。
「自分が化け物である現実など、ふつうはそうそう認められないものだ」
ドラマツルギーの両腕は、強固な二本の大剣はぼくを×の字に切り裂いた。
「ぐっ、うっ」
もちろん、すぐさま再生する。ぼくの身体から肩が生え腕が生え頭が生える。
元の人間の形に、生え変わる。
「うっ、うっ、うううううう」
覚悟したつもりだった。
捨てきったと思い込めてると勘違いした。
それでも、ぼくは人間であると、自己の認識を変えられないというのか?
「うううううううううううう」
今度こそ、もう本当にダメだと思った。無理だ。これが通じなければ、ぼくに勝ち目はない。
ドラマツルギー以上のリーチを、ぼくは作り出せない。
「どうした? ハートアンダーブレードの眷属よ。今度こそ手詰まりか?」
ドラマツルギーが、問う。
バケモノ
「諦めろ。お前はまだまだ化け物に成り切れない、中途半端な存在だ。 私 の真似事はまだ
できはしない」
そうだ。ぼくはドラマツルギーのように考えられない。割り切れない。自分が化け物であると、
認めたくない。今までだって何度も何度も言われてきたけど、自分でもどうかと思うような
人間性をしているけれど、でも、認めたくない。
だって――
自分で認めてしまったら――
本当に化け物になってしまいそうで――
「認めろ。お前は化け物なのだ。人間にはもう戻れない。だから、お前の選択肢は二つに一つだ」
ドラマツルギーは言う。
「選ぶがいい。ハートアンダーブレードの眷属よ。これが最後の選択だ。あの女と心中するか。
われらの仲間となり化け物として暮らすか」
化け物として生きるか……化け物として死ぬか。
その二択しか本当にないのか?
ぼくは、人間にはもう戻れない?
いや……ドラマツルギーからしてみれば、ぼくはもともと人間ですらないのか……。
…………ん? ドラマツルギーからすれば?
そうだ。ずっと図星を突かれていたからその気になっていたけど、全部、ドラマツルギーが
勝手に言っているだけじゃないか。この勝負を化け物対化け物の構図にしているのは……
ドラマツルギーのほうだ。そして、ドラマツルギーはずっと優位に立っている。それはそうだ。
ドラマツルギーが始めたことなのだから。
「やはり、後者か」
これは、ドラマツルギーの揺さぶりだ。化け物対化け物ではぼくに勝ち目はないという、
ただ当たり前のことを勝手に主張してるだけに過ぎない。
むしろ、勝てる勝負だというのに、ドラマツルギーの態度は先ほどから不自然だ。
本当に仲間にしたいというなら、有無を言わさず決着をつけて、キスショットを殺してから
仲間に引き入れてもいい。
そして、先ほどからの提案、降参の促し。ドラマツルギーは勝負を焦っている?
ドラマツルギーはぼくを倒す手段がないということじゃないのか?
そして、化け物にぼくが成りきれないというのなら……。
ぼくが自分をまだ人間と認識しているのであれば……。
ならば。
まだ、ぼくに勝ち目はある。
「……………………決めました」
「ほう、答えを聞こうか」
「ぼくは決めました。あなたを倒して、人間に戻ります」
「……そうか。心中する道を選んだか」
とどめを刺さんとばかりに、ドラマツルギーは、構える。右腕を前に出し、左腕はやや水平気味。
おそらくは右腕を斜めに、左腕を水平に薙ぐように斬りかかってくるだろう。おそらく四回目で
逃げ場をなくされてまた斬られる。そしてその後の状況も悪い。それでは、またぼくに勝ち目はない。
まずは、有利な場作りだ。
「あ、すいません。間違えました」
「おい」と、気が抜けたように、ドラマツルギーは言う。
「いえ、そこまで違いはありませんよ。誤解されかねない言い方だったな、と」
「……」
「ぼくは、人間です。まだ、化け物にはなってない」
宣言して、ぼくはドラマツルギーに背を向けて、走ってその場を逃げ出した。
「くっ! この期に及んで逃げるか!」
という声を背中で浴びた。足音から察するにドラマツルギーも、全力で追いかけてくる。
巨体のわりにすばやいが、ぼくもまた吸血鬼の力のおかげでそれなりに足の速い状態だ。
足音からの体感になるが、ほぼ同速だろうと思う。
ドラマツルギーとのリーチ差をなくす。相手より遠い間合いからの攻撃は不可能。
ならば、剣を振るう前に、ドラマツルギーが剣を振るえない距離まで接近できれば、
脚を振るえない距離まで肉薄できる、それだけの速度が持てれば、ぼくに勝機はある。
その速度には、互いが全力疾走したくらいの速さが欲しい。つまり、この速さを維持したまま、
ドラマツルギーの元へと突っ込めればいけるはずだ。
この速度を維持したまま、方向転換。学校のグラウンドであるならば、きっとそれはある。
あたりを見回し、そして見つける。
「あった! 鉄棒!」
さいわい、鉄棒の持ち手はぼくの身長よりも高い位置にある。であれば、あそこを支点に
回転ができる!
ぐるり、と、グルッピーのように回転し、ぼくはドラマツルギーの元へと特攻を仕掛ける。
が。
「あ」
思ったより、ドラマツルギーとの距離は離れていた。距離にして三十メートルほど。
ドラマツルギーの足音が一定に聞こえてきたのでせいぜい十メートルくらい後ろだと思っていたが、
吸血鬼の力によりぼくの耳は強化されていた。遠くの音でさえもしっかりと拾えるようになって
しまっていたのだ。
ドラマツルギーが、走りながら右腕を振りかぶる。そりゃそうだ。三十メートルも先で回転する
動きが見えたら、あらかじめ剣を置くようにぼくを斬ることはできる!
どうする、速度を落とすか?
いや、このままでも行ける。
ぼくは人間なのだから。
「うおおおおおおおお」
恐怖を押さえ、そのまま走り続ける。ドラマツルギーは首を切り落とすつもりのようだ。
問題は、ない。
ドラマツルギーの右腕、フランベルジュの間合いに、全力で入った。
水平に振るわれた右腕が、ぼくの首を切り落とす。
問題はない。
ぼくは、人間なのだから。
「ぬう!! う、うおおおおお!?」
ドラマツルギーが、ぼくの狙いに気づく。
ドラマツルギーにはねられたぼくの首は、首だけになったぼくは、勢いそのままにまっすぐ飛び、そして。
ドラマツルギーの首へとかみついた。
「おおおおおおお!?」
吸血鬼は吸血鬼に血を吸われてはならない。存在そのものが絞りつくされてしまうから。と、
キスショットは言っていた。
そうだ、ぼくにとって弱点となりうるのであれば、それがドラマツルギーに通じない道理はない。
ぼくは、首だけになって、血を吸う。ドラマツルギーを吸いつくそうとする。
「な、な、なななななな」
ドラマツルギーがうろたえる。いつまでも、吸い付いて離れないぼくに驚き、そして。
「ちっ」
一瞬の暗転の後、ぼくはグラウンドに倒れていた。もう、タイムリミットであるらしい。
ドラマツルギーはというと、両腕の大剣を人間状態のそれに戻し、首元を押さえ、
その場に座り込んでいた。
ぼくは立ち上がり、反撃を恐れ距離をとる。
おそらく、この手は二度目は通じない。もう一度、ドラマツルギーに近づくための方策を考えなくては。
と、考えたところで気づく。ドラマツルギーは、青ざめた顔でぼくを見ていた。座ったまま、動かないで、
いや、動けないでいる。血を吸ったことによる影響だろうか? ならば今は好機か?
「お、 お前! それは! 今のは、なんだ!」
ドラマツルギーは、座り込んだまま叫ぶ。信じられない、と言った感じだ。
「吸血鬼が吸血鬼に血を吸われると、存在ごと吸い取られるんですよね。キスショットが言ってました。
まあ、キスショットはあなたにされないように気を付けろ、とアドバイスをくれたんですけどね」
「っ! つまり、ハートアンダーブレードの案ではなく! お前が企み、実行したというのか!」
「ええ、まあ」
「お前、人間に戻りたかったのではないのか!?」
ドラマツルギーが、叫ぶ。
「吸血鬼などやめて人間に戻りたかったのではないのか! それが血を吸うなどと!
何のためらいもなく他人を食おうとするなどと!」
「……だから、言ってるじゃないですか。人間に戻りたいんじゃなくて、ぼくはまだ人間なんですよ」
「は?」
「人間だから、使えるものは吸血鬼の力だろうが何だろうが使います。生きるために精一杯のことを
します。殺されそうになったら、なりふり構わず戦います」
後半は適当なことを言ったけど、まあ、だいたいそんな感じだった。
「人間であるために……人間以外の力を使う? それは……そんなの、矛盾だ」
「ええ。よく言われます」
でも、人間てそんなもんじゃないですか?
「……………………………………そうか」
ドラマツルギーは立ち上がった。さて、この後はどうすべきか……。
と、身構えていると、ドラマツルギーは「いや、もういい」と、短く言った。
「え?」
「私の負けだ。と言いたいんだ。もうお前に、勝てる気がしなくなってしまった。お前は、
私ごときの手では負えない」
「え? いや、あの……」
「それとも、こう言えば満足か? 降参だ。二度と手は出さん。命だけは助けてくれ――と」
ドラマツルギーは両腕を上げ、にこりともせずに言った。
「え、えっと……」と、ぼくが困惑しているとドラマツルギーは説明をしだした。
「正直なところ、もともと、地力ではお前のほうが強いのだ。それでも実戦経験の差でまだ私が
勝てると思っていたが、まさかここまで色々されるとはな」
「……」
「変身能力に、不死身性を生かした接近。このままでは、戦ってるうちに本気になりそうに、
殺してしまいそうになる」
「あ、やっぱりまだ本気ではなかったんですね」
「ああ……だが、どうかな。最初から本気でやっていたところで、どう転んだかわからん。
それこそ、逆に私が殺されていたかもしれない」
「……買いかぶりすぎですよ」
「そんなことはないと思うがな」
バケモノ
「お前は否定したが、やはり私は、お前はこちら側だと思うよ」と、ドラマツルギーはつぶやいた。
「……キスショットの右脚。返してくれるんですよね」
「ああ。今はある場所に隠して保管してあるが――すぐにでも、あの軽薄な男に渡しておく。
それでいいんだろう?」
「ええ」
「では、示談成立だ」
「ところで」とドラマツルギーはぼくに訊ねてきた。
「最後、私が首をはねたとき、お前の首がしばらく回復せず、私にかみついてきたのは、
あれはどういう理屈だ?」
「ああ、いや、あれは簡単なことですよ。ぼくは化け物に成りきれてない、だからドラマツルギーさんの
ように腕を完全に変質できないんですよね」
「ああ」
「だから、ぼくにとってなじみ深いものになら変身できるんじゃないかと思いまして、
・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・
人間になることならできるんじゃないか、と思ったんです。ほら、人間なら、首をはねられても
回復なんてしないでしょ?」
「……そもそも」と、ドラマツルギーは呆れたように言う。
「そもそも、人間は首をはねられたら死ぬし、ましてやかみついて血を吸うなんてできはしないだろうに」
「ええ、ですからこれも矛盾ですね」
「……そうだな」
ドラマツルギーは納得してくれたようだった。
「ハートアンダーブレードの眷属よ」
・ ・ ・ ・ ・ ・
言いながら、彼の姿がかすみ始める。
目の錯覚かと思ったがそういうわけではなく、ドラマツルギーの身体は、夜の闇に溶け始めていた。
変身能力。
曰く、吸血鬼は身体を霧に変化できる。
「最後にもう一度だけ確認させてくれ。お前は、人間に戻るのだよな?」
「ええ。ぼくは人間ですからね」
ドラマツルギーは完全に姿を消したが、声だけはグラウンドにまだ響く。
「それを聞いて、安心した」
闇の中から聞こえる声は、最後に自分の意見を曲げた。
「お前は、もう、我々吸血鬼としても困る存在になってきたからな。早く人間に戻ってくれ」
「………………」
もう、気配すらしない。最後に捨て台詞をはいて、同族殺しの吸血鬼は、ヴァンパイアハンターの
プロフェッショナルは、夜の闇に消えていった。いや、あれは彼なりの激励だったのかもしれない。
そう思うほうが精神衛生上いい。
「はあ、まさか初デートで、告白もしてないのに振られるとはな」
ふざけて言ってみた。
虚しいだけだった。
「さて、グラウンドがだいぶへこんでしまったけど、これ、どうすりゃいいんだろな……」
忍野が勝手にやってくれないだろうか。いや、それでオプション料金とか取られても
やだしなあ……なんて考えたところで、気づく。
校舎の陰から、視線を感じた。
ドラマツルギーがまだ何か言うことでもあるのか。はたまた残りの二人のどちらかか、
審判役として忍野が実はいたということなのか、いろいろ考えながら、その陰に隠れているのが
だれなのか校舎の陰がより見えるよう、回り込んで、歩く。
無言でこちらを見つめる瞳。
それは、女子生徒だった。三つ編みのおさげを一つ、後ろで結わえている。眼鏡をかけて、
いかにも委員長、という感じを全身から醸し出すその少女に、ぼくは見覚えがあった。
「えっと、たしか、は、はね、はね――」
思い出した。羽川翼ちゃんだ。
今回はここまでです。今度こそ続きは間開けないようにしたいです
保守
またクソ懐かしいものが……
乙
>>1です。生きてます。まだ書けてません。間あけないようにしたいといいながらこの体たらくです。ごめんなさい
ほしゅ
いーちゃんにももう子供がいるんだぜ…読んだときほんわかした気分になったけど、冷静に考えたらどんな子に育つんだよ…
待ってる
ほし
♥
ほし
ほ
待っとるで
待っとるで
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