二宮飛鳥「さあ――」 (46)

二宮飛鳥ちゃんの一人称SSです。

SSWiki : http://ss.vip2ch.com/jmp/1460813859

世界は広い……らしい。
広くて大きくて、数え切れないほどの魅力にあふれている……らしい。

らしい、というのは、ボク自身はそれを実感していないから。
何もせずとも流れゆく日々。何かしたところで、何かが変わるとも思えない日々。
よどんだ人混みを見つめていると、息が詰まるような錯覚に襲われる。

灰色とまでは言わないけれど、ボクの周囲のセカイは、彩にあふれているとは言えない。
あるいは、このセカイを見つめるボクの瞳がくすんでいるのか。もしかしたら、両方なのかもしれない。

なんにせよ、ボクは刺激を、変化を求めている。
家族や友人は心優しいが、ボクの叫びを本当の意味で理解ってはくれていない。子どもの戯言だと、そう高を括っている。

だから、時々自分は孤独だと思う。
だから、周囲のセカイに反発する。お気に入りのエクステは、ファッションの一種であると同時に、抵抗を示すささやかな武器でもある。
だから――



「アイドルに、興味はありませんか」


彼との出会いは、ボクにとってまさしく幸運だった。

アイドルのプロデューサーと名乗ったその男は、ボクの言葉を笑わなかった。ただ頷き、肯定し、ボクにアイドルという新たなセカイを提示したのだ。
それは、ボクが初めて経験する感覚。

……あぁ。彼はきっと、ボクの同類で、そして理解者だ。


あえて大仰な言葉を選ぶなら、運命や天啓といったところだろうか。

「キミの言う新たなセカイに、興味が湧いた」

諸々の説明を続ける彼の言葉を遮り、右手を静かに差し出す。
細かな言葉よりも、確かに欲しいものがある。
そんなボクの意図を理解したのか、彼はすぐに、差し出されたボクの手を優しくつかんだ。
この手が、ボクを刺激的な非日常へ導いてくれると期待しよう。

「さあ、往こうか」

そう言って、ボクは足取り軽く一歩を踏み出す。
……まあ、これからボクらはアイドルプロダクションの事務所に向かうわけであって、そこへの道案内を行うのは彼なんだけどね。





「ねえ、プロデューサー」

「うん?」

「ここにいる自分自身が、ある日突然他人に置き換えられたとして……セカイに変化はあると思うかい」

「……つまり、自分の立ち位置を他の誰かが担当したとしたら、どうなるかっていうことか」

「そうだね。キミならすぐに理解してくれると思ったよ」

プロデューサーが淹れてくれたコーヒーを一口すすり……すぐに砂糖を数杯追加する。
アイドルデビューはまだ先のことだが、ここの事務所の雰囲気には少しずつ慣れてきた。

「そうだなぁ。なんにも違いが起きないとしたら、それはちょっと寂しいな」

「あぁ。だからボクは、その『違い』がなんなのか、はっきり説明できるようになりたいのさ」

他人と異なる自分。周囲と異なる形で、確かに存在している自分。
それを証明したいと、強く思う。

「アイドルになれば、見えてくるものもきっとある。俺はそう信じている」

「フフ……そうか。それは、楽しみだな」

同類である彼を前にすると、柄にもなく饒舌になってしまう。けど、悪い気はしない。
そんな彼が見せるアイドルのセカイ……果たしてそれは、ボクにどんな変化をもたらすのか。
なにか、得られるものがあることを祈ろう。






「……はぁ」

息をしてみて、自分の呼吸音が普段と違うことに気づく。
どうにも小刻みに震えていて……ありていにいえば、緊張しているようだった。

「テレビで見るアイドルは、これよりずっと大きな会場で歌っていたんだ」

「そうだな」

首から下に視線を落とすと、黒の衣装に身を包んだ自分の姿が目に映る。
これが、ボクのアイドルとしての初めての姿。いくつも身体に巻かれたベルトは、拘束のメタファーだろうか。だとしたら、やはりプロデューサーのセンスはボク好みだ。

「これからボクが上がるステージは、テレビで見たものよりもずっと小さい。なのに、ボクはどうしようもなく緊張している。こんな経験、初めてだ」

舞台裏からステージに出れば、見知らぬ観客の視線に晒されることになる。ボクというただの一個人に、いやおうなく注目が集まる……今更だけど、それは異常なことではないかと感じる。

「よかったじゃないか」

「え?」

よかった? なにが?
プロデューサーの言葉に、首をかしげることしかできない。

「非日常を、刺激的な経験を求めていたんだろう? 初めて体験する緊張感なんて、まさしく飛鳥が探していたものの一例だ」

「………」

ふむ。
言われてみれば、その通り、かも。
この吐き気を催す緊張感を、刺激へのヨロコビに昇華しろ……キミはそう言いたいのかい。

「ふふっ。やっぱりキミは、変わっている……理解っているね」

彼とボクには、間違いなく通じ合うモノがある。ともすれば、ボク以上にボクを理解しているのではないだろうか。

「さあ、そろそろ出番だ」

「あぁ。行ってくるよ」

プロデューサーの笑顔を背に受けて、舞台へと歩を進める。
……初陣だ。ボクはボクを証明しよう。
一般的に見れば少なく、けれどボクにとっては確かに多いギャラリー。その存在を視界に入れながら、ボクは持てる想いのありったけを込めて……ボクのために用意された、歌を叫んだ。

初めてのライブを終えて、ボクは何をするでもなく夕焼け空を眺めている。

「お疲れさま」

「………あぁ」

楽屋に戻って、プロデューサーのねぎらいの言葉に生返事をしたきり、ずっと固まっている。自分でも、いつまでこうしているんだろうって思わなくもない。

「……もう少し」

もう少し、このままでいさせて。

隣で見守ってくれている彼にそう頼むと、気さくな笑顔が返事としてかえってきた。
ありがとう、と伝えて、もう一度窓から見える夕陽に目を向ける。

「………」

プロデューサーは何も言わない。きっと、ボクの感情の整理が終わるまでいつまでも待つつもりだろう。
上の空の人間に何を言っても、言葉が意味をなさないことを理解しているんだと思う。
……ありがたい。おかげで、自分のペースで言葉を紡ぐことができる。

「正直。ライブの途中から、何を見たのか、何を聞いたのか、何を感じたのか……よく、覚えていないんだ」

ただ、必死だった。
繰り返したレッスンはすべて過程に過ぎず、この瞬間のためだったのだと。
歌って、踊って、ボクなりにボクを出し切らなければならない。その先に、何か見えるものがはずだと信じて……ただ、叫び続けていた。

「何か、得られたものはあったか?」

「……どうだろう。理解らない」

けれど――

「でも、こんなにも胸が熱いのは、初めてだ」

「……そうか」

胎動。
変化の胎動が、確かにこの胸に根付いている。そんな気がする。

「この心の疼きの正体を、ボクはいつの日か知ることができるだろうか」

窓の外から視線を外し、隣の彼へと目を向ける。
ボクの理解者であるところの彼から、答えを聞きたい。そう感じたから。

「できるさ、きっと」

「……だと、いいね」

見つけよう。答えを。
ひそかな誓いを立てながら、ボクはおもむろに立ち上がる。

「さあ、往こうか」

帰ろう、ボクらの事務所へ。
これから待っている未知のセカイに想いを馳せながら、晴れやかな気分でつぶやいた。





――物語はとんとん拍子に進まないことを、当時のボクは知らないでいたのだ。
ご都合主義な物語は陳腐だと感じるくせに、自分の人生にはそれを適用しない――それが、二宮飛鳥という人間の愚かさだった。

「………」

月日は流れ、ボクがアイドルとしてステージに上がってから三ヶ月が経とうとしていた。
デビュー以来仕事も増え、レッスン以外にも忙しい日々が続いている。
写真撮影などは正直気恥ずかしさもあったけれど、様々な衣服に身を包むことは悪い気分じゃなかった。

そして、ライブも何度か行った。
あの時感じた光のカケラ。その残滓を握りしめ、ボクは舞台の上で己を叫ぶ。
それを繰り返すうちに、自分自身が磨かれ、新たな景色がこの目に映りだす。
そんな希望を胸に、歌い続けた。

「……見えない」

希望とは、叶った瞬間から現実へと姿を変える。
だから、ボクがいまだに希望という単語を口にしている時点で、それが叶っていないことの証明でもある。
……希望の光は、ボクの眼にいまだ映らないまま。初めてのライブの時に感じた熱量は、数を重ねるごとに、淡くぬるいものへと変わっていった。
ステージに慣れてくれば、より多くのモノが見えると思っていたのに、実際はその逆だった。

――アイドルって、こんなモノなのか?

胸に生まれた疑念は、結果にも如実に表れていて。

「プロデューサー。ボクのアイドルとしての実力、同じくらいのタイミングでデビューした子達より劣っているんだろう」

「……実力が劣っているとは思わない。ただ」

「ただ、人気はその通りになっている。数字がすべてだとはボクも思わないけれど、このセカイにおいて重要な要素であることもまた事実だ」

「ごめん。俺のプロデュースが、ほかのプロデューサーに負けているから」

頭を下げるプロデューサーだが、きっと他の子に負けているのはボク自身だ。

べつに、よその連中に勝ちたくてアイドルをやっているわけじゃない。けれどこういった状況では、そういった数字も気にしなってしまうのだった。
数えるほどしか会話した記憶もないけれど、彼女らは心の底からアイドルに夢中なのだろう。袋小路のボクとは違う。

「……どうしたらいいんだろうね」

弱音を吐くつもりはなかったのに、気づけばプロデューサーに頼るような言葉が口をついて出ていた。
彼なら答えを教えてくれると、無意識のうちにそう感じたからだろうか。

「………」

「……プロデューサー?」

申し訳なさそうな顔をしていた彼の表情が、一転して引き締まる。
なにか、大事な話をするつもりなのか。

「今まで飛鳥のステージを見てきて、気づいたことがひとつある。そろそろライブにも慣れてきた頃だろうから、言っておこうと思う」

「……それは、なに?」

「ファンの人達とのコミュニケーションについてだ」


「ファンの?」

アイドルにとって、ファンはなにより大切なもの。それは何度も教わったことだし、ボクだって意識はしていたはず。
ボクの歌声がファンに届き、ファンは歓声や拍手を浴びせてくれる。その関係性は、悪くないものだと感じている。

「ないがしろにしているつもりはないよ」

「ああ。それは俺もわかっている。飛鳥は俺の言うことをちゃんと聞いてくれているから」

いい子だよ、と付け加えるプロデューサー。……少し、むずがゆい。

「でも」

首をかしげ、彼は腕を組んでうなり始める。どう言葉をつづけるべきか悩んでいるのかもしれない。

「どうにも、ライブ中のファンとの呼吸があまり合っていないように見える」

「ファンとの、呼吸?」

「うん。最初は、パフォーマンスにいっぱいいっぱいで、観客を気にする余裕がないのかと思っていたんだ。だから俺も、負担になると考えてはっきりとは言わなかった」

プロデューサーの発言を聞いて、ボクは今までのステージでの光景を思い返す。
彼の言う通り、はじめは歌とダンスで手一杯で、ギャラリーを気にかけるだけの力も心も残っていなかった。
けれど、少しずつそれも改善されていき、直近のライブではファンを見るだけの余力もそれなりにはあった。ライブの感触そのものは別として、ライブに慣れていることは確かだ。

「飛鳥とファンの間の微妙なズレが、ライブでいまいち乗り切れない理由なのかもしれない」

「……つまり。ボクのライブは、独りよがりだと?」

「そこまで言うつもりはない」

「ということは、その要素が少しは存在する……違うかい」

ボクの指摘に対し、プロデューサーは困ったような顔になる。やはり、そういうことらしい。

「独りよがり、か……」

もともと、他人とコミュニケーションをとるのは得意じゃない。もし得意なら、ボクはこんなにひねくれた性格に育ってはいないだろう。
そんなボクという人間が、そう簡単にファンと心を通わせるなんて……考えてみれば、無理な話じゃないか。

「そんなに落ち込む必要はないよ。まだ始まったばかりなんだし、少しずつ前に進んでいけば」

「………」

「……飛鳥?」

かといって、ボクは他人への安易な迎合は望まない。誰かに合わせて踊る人生は、嫌だ。
日常というしがらみから抜け出したくてアイドルになったのに、またそのしがらみに縛られる……そんなのは御免被る。

迎合することなく、他人と呼吸を合わせる。……そんな器用なこと、ボクに可能なのかな。

「やはりボクは、アイドルには向いていないのかもしれない」

「………」

「キミだって理解るだろう。いや、キミだからこそ理解るはずだ。ボクにはきっと、アイドルとしてやっていくうえで重要なモノが欠けている。そして、それを得るには困難が伴う」

スカウトしてくれたキミの期待に、応えられるのか。
もともとたいしてなかった自信が、今は本当に空っぽに思える。

「………」

参ったな。普段抑えているぶん、こうなると弱い自分が止まらなくなる。
プロデューサーは先ほどから黙って聞いているけれど、失望させてしまったかな。

「飛鳥。まず最初に、キミにはっきり言っておくことがある」

「……なんだい」

おもむろに口を開き、彼はボクの眼をしっかりと見据えたまま。

「……俺は、君の理解者なんかじゃないよ」

………

え?

「俺は――」


「プロデューサーさん。今、よろしいですか」

その言葉の続きを遮るように、ノックとともに聞こえてくる女性の声。
プロデューサーがどうぞと返事をすると、入ってきたのはアシスタントの千川ちひろさんだった。

「急なお願いで申し訳ないんですけど、少し手伝っていただきたいことが……」

「わかりました。飛鳥、少し待っていてくれないか」

「………あぁ」

そのまま、部屋を出ていくプロデューサーと千川さん。

「………」

残されたボクは……約束を破り、ドアを開けて廊下へと足を進めるのだった。

たどり着いたのは、事務所の屋上。
空はほんのりと赤く染まり始め、風も徐々に冷たいものへと変わっていく時間帯。
ボク以外は誰もいない空間で、ぼんやりと虚空を眺め続ける。

「………」

どれくらいこうしていただろう。時間の流れも曖昧だ。
頭の中を支配しているのは、先ほどのプロデューサーが言いかけた言葉の意味。

――俺は、君の理解者なんかじゃないよ。

「愛想を尽かされた、ということか」

あれだけネガティブな姿を晒してしまったばかりだ。プロデューサーがアイドルとしてのボクを見限っても不思議じゃない。

「……はは」

どうして笑えるのかさっぱり理解できないけれど、ボクの口からは乾いた笑みがこぼれだしていた。

……あぁ、バカだな。本当にバカだ。

あふれ出るモノをせき止めるためにも、いつもの調子で気取った言葉を用意しなければ。

「きっとボクは、愚かにも空を目指した飛べない鳥。さしづめ――」

「ペンギンですか?」

「………」

振り返ると、千川さんが柔和な笑顔でそこに立っていた。
独り言に返事が来たのと、その返事がまったくもって雰囲気にそぐわないものだったから……なんというか、ボクの極まっていた感情の勢いは完全に削がれてしまった。


「ペンギンでは、ないと思う」

「じゃあ、ダチョウ?」

「……ペンギンでいい」

彼女と会話をしたことは、ほとんどないけれど。
今この時をもって、天然系だという印象が根付いた。

数分後。

「なるほど。プロデューサーさんがそんなことを」

気づけばボクは、千川さんに事情を話してしまっていた。
普段は簡単に自分の事情を語ることなんてしないのに……よほど精神が参っているのか、あるいは眼前の彼女に奇怪な能力があるのか。
……どちらでもいいか、今は。

「プロデューサーはまだ、忙しい?」

「ええ。私じゃお手伝いできないことなので、代わりに飛鳥ちゃんの様子を見に来たんです。部屋にいなかったから探しましたよ?」

「………」

ニコニコと笑いながら答える千川さん。
対してボクは、プロデューサーに待っていてくれと頼まれた手前、きまりが悪い。

「俺は理解者なんかじゃない、ですか。前に悩んでいた通りですね」

「悩んでいた?」

彼女は、プロデューサーの言葉について心当たりがあるのか?
手すりから両手を離して、思わず隣の千川さんのほうへ向き直る。
そんなボクの反応が必死に見えたのか、彼女は小さく微笑んだ。

「私はプロデューサーさんじゃないから、全部を話せるわけではありません。でも、あの人の代役でここに来た以上、話せるだけは話してあげる義務と権利があります」

御託はいいから、早く聞かせてほしい。
……いつも自分が回りくどい言葉遣いをしているくせに、まったくもって都合のいいことを考えてしまっていた。

「プロデューサーさん、前に私にこう言っていたんです。飛鳥は俺を信じすぎているって」

「信じ、すぎている?」

「会ってそれほど時間も経っていないのに、すごく期待されているって言っていました。うれしいことだけど、同時に、あの子の理想の存在でいるためにも頑張らないとって」

……頑張る? いったい、なにを。

「知っていますか? プロデューサーさん、『中二病』について毎日熱心に勉強しているんですよ」

「え……」

「他にも、毎日の飛鳥ちゃんとの会話で、印象に残ったところはひとつひとつメモに残したり。それを家に帰ってからまとめて、飛鳥ちゃんが何を考えているのか、何を求めているのかを見つけようとしているんです」

……そんなこと、初耳だった。
彼は、初めて会った時からボクの同類で、だから自然と言葉も通じるんだって……そう、思い込んでいた。

「理解者なんかじゃないっていうのは、きっと『まだまだ飛鳥のことを勉強不足だー』って意味なんでしょうね」

「どうして……どうしてプロデューサーは、そこまでしてボクのことを」

「そんなの、決まっているじゃないですか」

人差し指をぴんと立てて、ウインクを飛ばす千川さん。

「あの人が、あなたのプロデューサーだからですよ」

「………!」

「飛鳥ちゃんの知らないプロデューサーさんの姿、きっとまだまだたくさんあります。よーく見てあげてくださいね」

そう言って、彼女はくるりと回れ右をする。

「プロデューサーさん、まだ時間がかかると思います。暗くならないうちに帰りましょうね」

「………」

「では、私はこれで」

コツコツとヒールの音が鳴り響き……やがて、風の音だけが聞こえるようになる。

「……見る、か」

見ているつもりだった。最近では、間違いなく親と同じくらい会話を重ねて、そのぶん顔や身振り手振りを視界に捉えていたのだから。

でも、本当にボクは『見ていた』のだろうか?
勝手に彼を同類だと認識して、あまつさえ自分の理解者だと舞い上がって……勝手な解釈を信じ込んで、彼の本当の姿を見ようとしていなかったんじゃないか?

「ボクが見ていたのは……」

ひとつの過ちに気づくと、まるでドミノ倒しのようにすべてが壊れていく。
きっと、ファンのことも、ボクは――

――か。あすか。


「………」

「飛鳥」

「え?」

はっと気がつくと、いつの間にか辺りはすっかり暗くなっていた。
隣を見ると、プロデューサーが心配そうにボクの顔をのぞき込んでいる。

「大丈夫か? 顔、辛そうだぞ」

「……あぁ。少し……いや、かなり考え事をしていたようだ」

「こんな時間になるまでか。ちひろさんに聞いたけど、夕方にもここにいたんだろう? 今までずっと立ちっぱなしだったんじゃ」

千川さんには、暗くならないうちに帰れと言われたんだったな。……部屋で待っていてくれと言われて待たず、帰れと言われて帰らず。今日は本当に、人の言いつけを破ってばかりだ。

「こういう抵抗がしたいわけじゃ、ないんだけどな……」

「飛鳥……?」

「ボクはね、プロデューサー。他の誰でもない自分が欲しいんだ」

今日はもう、とことん悪い子になってしまおうか。
仕事を終えて疲れているであろうプロデューサーに、長話に付き合ってほしい……だからボクは、了承を得ないままに勝手に口を動かし始めた。

「他人と違う自分でありたい。確かな自分らしさが欲しい……でも、今のボクにはまだ、自分らしさがなんなのかが理解らない」

だから、まだ見ぬ景色に、セカイに焦がれる。未知のモノが、未知のセカイが、ボクにボクらしさを与えてくれるかもしれないから。

「当然、アイドルはボクにとって未知のモノだった。ボクはキミの示した道に期待したから、キミの手を取った。そのつもりだった」

「……つもり、だった?」

繰り返すプロデューサーに、ボクは小さくうなずくことで返事をする。
……申し訳なさで、まともに彼の顔を見ることができなかった。

「新たなセカイに憧れながら、同時にボクは怖がっていたんだ。未知の光景、未知の人間に対して、自分をさらけ出すことを」

自分に自信がないんだ。確たる自分を持てないから、ちゃんと向き合えないんだ。

「プロデューサーはきっと、ボクを信じてプロデュースしてくれていたんだろう?」

「ああ、もちろん」

「……けど、ボクは信じてすらいなかった。ボクが信じていたのはキミじゃなくて、キミを通して見ていた『都合のいい理解者』だ」

ぎゅっと、つかんでいた手すりを強く握りしめる。
愚かな自分への行き場のない感情を、どうにか抑え込む。

「向き合うのが怖いから、ボクの勝手な認識を押し付けたんだ。キミにだけじゃない、ファンの人達にも同じことをしていた。ライブで彼らとうまくかみ合わなかったのは、そのせいだろう」

見ているようで、その実まったく見ていなかった。
新たなセカイへ足を踏み出したはずなのに、結局のところ、ボクは。

「ボクは……自分だけのセカイに、閉じこもっていた」

あぁ……まったく、すべてに納得がいった。
こんなことで、変われるはずがないじゃないか。変わろうとすらしていなかったのだから。

「……ごめん」

最後に出てきた言葉は、プロデューサーへの謝罪だった。
大きく、大きくため息をついて……それきりボクは、何も言えなくなる。

「………」

彼はボクが語り終えてからも、ずっと向こうの景色を眺めたままだった。
何を考えているのだろう。ボクを軽蔑しただろうか。……想像するのが、とても怖い。

「飛鳥」

「は、はい」

いきなり呼びかけられたから、思わず声が裏返ってしまった。

「これ。読んでみてくれ」

突然差し出されたのは、何枚かの紙。
文字がぎっしりと書かれていて……すぐに、それがボク宛ての手紙だと気づいた。

「ファンレターだ」

「………」

――必死に歌う感じが出ているのがすごく好きです。

――あなたのセカイを、もっと我々に見せてください。

――頑張れ。


どれもこれも、アイドル二宮飛鳥を見て、そしてそれを応援しようとメッセージを送ってくれたものだった。
ボクは彼らのことをちゃんと見てもいなかったのに、この人達は、そんなボクを……。

くしゃり、と、手紙の端がしわになる音が聞こえる。

「その人達の気持ちに、応えたいと思う?」

「………」

こくり。
プロデューサーの問いに、首を縦に振る。

「でも、ボクには」

「できるさ」

そこでボクは、初めて彼の顔をまともに見た。
月明かりに照らされたプロデューサーは……ボクを見て、微笑みを浮かべていた。

「誰かに自分の認識を押し付けること。それはみんなが多かれ少なかれやっていることだ。もちろん、俺だって」

膝を折り曲げて、目線をボクと合わせるプロデューサー。そこには、ボクへの軽蔑なんて微塵も感じられなくて。

「飛鳥はそれに気づけて、しかもこのままじゃいけないって思えている。それはすごいことだし、だから俺は『君ならできる』って信じられる」

ただ、ボクを優しく見守るような目つきが、そこにはあった。

「まずは、もう一度俺の手を取るところから始めてくれないか? 飛鳥の言う都合のいい理解者じゃなくて、俺の手を」

差し出される右手。距離としてはすぐそこなのに、どこまでも遠くにあるように見える。

「………」

何度も何度も拳を握ったり開いたり。ボクが迷っている間も、彼の右手は変わらずそこにある。

「………!」

ゆっくり。ゆっくり。
本当にゆっくりと、ボクの右手がそこへ向かって伸びていく。

「……プロデューサー」

「なんだ?」

「ボクはこれから、何度も迷うだろうし、そのたび間違いも犯す。それでもキミは……」

「大丈夫だよ」

最後まで言い切る前に、ボクの不安をかき消すように彼が口を開いた。

「そのために俺がいる。プロデューサーってそういうものなんだぞ」

「……そうなの?」

「ああ。飛鳥流に言うなら……相棒ってところじゃないか?」

……相棒、か。

「俺はまだ、君の理解者にはなれていない。でもいつかはそうなりたいと思っているし、そのための努力もする。だから、信じてほしい」

………

伸ばした手が、プロデューサーの右手を確かにつかんだ。
大人の男性らしく、ボクよりもずっと大きな手。ボクは、今度こそこの手を信じると決めた。

「………」

ボクの手が届いたことを確認したプロデューサーは、ニコリとボクに笑いかけて。

「さあ、いこうか」

そのまま、屋上の出口へとおもむろに歩き始めた。

「もう暗いし、寮まで送るよ」

「……ありがとう」

事務所を出て、帰り道を二人で歩く。
月の明かりが、なんとなく暖かく感じられる。そんな気分だった。

「………」

「どうかしたのか。俺の顔に何かついてる?」

先ほどからじっとプロデューサーの顔を見つめていたから、さすがに不審に思われたようだ。

「いや……結構、ヒゲが濃いと思ってね」

「ああ……そうなんだよ。だからこうやってちゃんと剃っても、ちょっと青くなっちゃうんだよなあ」

体質だし困ったもんだ、と嘆くプロデューサー。
彼がヒゲの濃さに悩んでいるなんて、初めて知った。

「今になって、ようやく気づいたよ。これまでのボクが、いかにキミのことを見ていなかったのか」

これからは、ちゃんと見るから……だから。

「ボクも、キミの相棒になれるよう頑張る。約束する……ボクは、キミのプロデュースするアイドルだから」

ボクなりに精一杯の笑顔を作って、プロデューサーに笑いかけてみる。
そうしたら、彼もうれしそうに笑ってくれた。

「俺も、たくさんの飛鳥を見つけられるように頑張るよ」

あれから幾星霜――とまではいかないけれど、駆け抜けるような日々をいくらか過ごした。

Pの担当アイドルもボク以外にたくさん増えて、忙しい毎日を送っている。なんとかなっているのは、雑用を押しつけられるちひろさんとボクのおかげらしい。


「よーし☆ 三人での初のステージ、スウィーティーに決めちゃおうぜ♪」

「なんでハートさんが仕切ってるのよ」

「いいだろ別に♪ テンション上がればなんでもいいって☆ ほら、梨沙ちゃんもレッツスウィーティー☆」

「……今さらだけど、この人とユニット組んで大丈夫かしら」

控室で出番を待っているさなか、相方の的場梨沙と佐藤心さんがちょうどいい具合に騒いでくれている。本番前に静かすぎると、余計な緊張まで背負うことになってしまいかねないから。

「ボクも今更ながら言わせてもらうけど。凹凸激しいユニットを作ったね、キミも」

「嫌だったか?」

「いいや。彼女らと共鳴しあうことで、また新たなモノも見えてくるだろう」

当然不安はあるけれど、楽しみや期待が高まっていた。

「……ははっ。頼もしくなったな、飛鳥も」

「だからといって離れたりしないでくれよ。ボクの翼は、キミと二人で羽ばたかせるものだ」

「心配しなくても大丈夫だ。当分は君達の担当を外れたりなんてしないよ」

「ならいいさ。頼んだよ、相棒」

「こっちこそな。相棒さん」

いつかは離れる時が来るのだろうけど……その時までに、ボクはもっと強くなろう。

「さ。三人とも、そろそろ移動するから」

――ステージに上がると、相変わらずの刺激的な歓声がボクらを包み込む。
この異様な高揚感は、何度経験しても慣れない。慣れないからこそ、面白い。

冒頭のあいさつを述べながら、観客の様子に目をやる。
……そこの最前列の三人は、ここ最近ずっと来てくれているな、とか。あそこの人は来るたびに席が前に近づいているな、とか。

『ファン』とひとくくりに捉えるのではなく、ひとりひとりを見ていくこと。最初はなかなか余裕もなく難しかったけれど、今ではお手の物だ。

……こうしていると、求めていた光がよりはっきりと見えてくる気がする。

「………」

両隣の梨沙と心さんにアイコンタクトをとり、タイミングを合わせる。

結局のところ、人ひとりにできることはたかが知れている。ボクがあがいたところで、その事実は変えようがない。

――だから、共鳴しよう。

ステージの上の仲間とともに。観客席のファンとともに。

全てを理解りあえなくとも、歌を届けることはできる。歓声を浴びることはできる。
その瞬間、ボクらは確かにつながって、つながった数だけセカイも広がる。

――だから、響かせよう。

翼を広げ、未知なるセカイへ羽ばたこう。
ステージの主役は、ボク達だ。

「さあ」

恐れることはない。ボクには、真に理解『しあえる』頼もしい相棒がいる。
だから――



「――往こうか」



おしまい


チョンマス~

おわりです。お付き合いいただきありがとうございます。

シンデレラガールズ総選挙の季節がやってきました。というかもうすぐ中間発表です。間に合ってよかった。

二宮飛鳥。弱気で、思い込みが激しくて、痛いところもあります。
しかし、かわいらしく、かっこよく、一生懸命で、なにより魅力的なアイドルです。
よろしくお願いします。


いつも書いてるシリーズ(世界観同一)
的場梨沙「裸足の飛鳥とサインとお月さま」(的場梨沙「裸足の飛鳥とサインとお月さま」 - SSまとめ速報
(http://ex14.vip2ch.com/test/read.cgi/news4ssnip/1460223574/))

おっつおっつ

SURFACEをちょっと期待した

良かったよー

凄く良かった
一人で舞い上がって一人で落ち込んじゃうあたり、感受性豊かな飛鳥らしい

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