夏の日 (24)
とある夏の日だった。
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僕は、歩いていた。
大学の夏休み、特にすることもなく田舎の真夏の中を歩いていた。
ここがどこなのか正確には分からなかったが、僕には見当がついていた。
いつも乗る電車を、いつもの駅で降りない。
ただそれだけのことをしただけで、僕の目の前には大きな世界が広がった。
見たこともない山々の風景と、虫たちの鼓動。
間違いなく、僕は僕が望む夏の日の光景の中にいた。
はい
カーブミラーが太陽の光を反射して僕の目を突く。
空を見上げると真っ白な入道雲が山のきわに広がっていた。
夕方にはにわか雨がくるだろうか?そんな事を考えていた。
ジワジワと蝉の声が辺り一帯を包み込む。
少しめまいがした。いけないいけない、熱中症になってしまう。
僕は急いで古ぼけた灰色のリュックから生ぬるいポカリを取り出す。
ベタベタとした蓋を回し、飲み干す。
美味い。夏だ。
蝉の声が僕を包む。
一面、青々とした草とキラキラと踊る花しかない。
遠くには見えるのは山と入道雲で、車の一つも通らない。
一応道路は舗装されてはいるが、自動車の類が通る気配はからっきしない。
路端から所々草が顔を出す道を歩いていると、遠くに鳥居が見えた。
蜃気楼に揺れる視線の彼方に、赤く寂れた鳥居が見えた。
近づいて行くと、確かに赤い鳥居がはっきりと見えてくる。
暑さにやられた幻覚ではなかったようだ。
ふと、キーンという爽やかな金属音が響いた。
そして声高に叫ぶような歓声も聞こえた。
野球をしているんだろうか。近所のちび達が。
そう思うとワクワクして、少し足早になった。
きっとそこには、僕の見てみたい「夏」の光景があるのだろうから。
鳥居をくぐって階段を登ると、すぐそこが境内だった。
そして、境内の裏側には、大きなグラウンドが広がっていた。
「なんだ、ここは」
少し高所に広がるそのグラウンドは、見晴らしがよく、遠くの市街地が見渡せる。
青いキャンバスに悠々と浮かぶ真っ白な雲も、ここからならつかめそうだ。
グラウンドの端のほうで少年が9人ほど、ぱたぱたと駆け回っている。
今のアウト、アウトだろ、と必死に叫び、笑い転げる少年たち。
少年時代の夏を、二度と戻れない夏を、彼は生きているんだ。
そう思って、少しうらやましくも嬉しかった。
そんな事をぼんやりと考えていると、足元にボールが転がってきた。
「あ、ボールとってー!」
遠くから少年の声がした。どうやら誰かがホームランをかましてこちらまでボールが来たようだ。
「はいよー」
僕は力を入れてボールを投げ返した。
「ナイスピッチ!」
少年の一人はそう言ってにこっと笑った。
また別の少年が叫ぶ。
「兄ちゃんさー!高校生ー?」
「いや、大学生だよー」
「今人が9人しかいなくてさー。暇なら一緒にやらないー?」
「え、いいのー?それなら混ぜてよー」
「キィィン」
気持ちのいい金属音が広いグラウンドにこだまする。
「すげ、ホームランだ」
「うわ、兄ちゃん本気出し過ぎだよー」
「あはは、ごめんごめん」
少年たちに混ざってベースボールに必死になった。
必死に遊び、必死に汗を流し、必死に楽しんだ。
「次はカーブで決めてやる」
黒い野球帽をかぶった色黒の少年が僕に白球を突き出す。
そして無邪気に笑う。
「お前カーブなんか投げれられないじゃん」
「うるさい、習得したんだ」
他の子に茶々を入れられ、地団駄を踏む。
ああ、僕にも、こんな少年の日々があった。
ほう
ふと、一人の少年がグラウンドの端の金網の出口に向かって走りだした。
錆びきったその金網の扉を開けると、「ギィィ…」というなんとも鈍い音が鳴る。
「俺スプライト買うー!」
「わ、ずりーぞー俺もジュース買うー」
「よっしゃじゃあ休憩ね、ハーフタイムだ!」
そう言うと、少年たちは一目散にグラウンドの端に向かって駈け出した。
風が吹いて、砂埃が巻いた。
砂煙の中に少年達は消えてゆく。
この、感覚は、なんだろう。
いつか、どこかで…。
「何やってんだよー、兄ちゃんも一緒に来ないのかー?」
「早くしないと置いてくぜー」
少年が僕を呼ぶ。
「あ、うん」
呼ばれるままに、僕も駆け出す。
まるで少年時代に向かうかのごとく、走りだした。
グラウンドから続く小さな農道をしばらく歩いた。
勢い良く霧散する白い太陽の光が、僕たちの進む道を照らした。
やっぱり、熱い。
野球をしている時は気づかなかったが、やっぱり、熱いのだ。
夏なのだから。
それでも、少年たちはすいすいと僕の先を平気で歩いて行く。
僕も、大切な何かを見失わないような気持ちで、必死についていく。
ふと、小さな家に自販機が2,3個併設する場所に行き着いた。
色あせた木材で屋根もついており、直射する日光も防ぐことができる。
「兄ちゃんにみんなには内緒だぞ?俺らの"おあしす"に来たことはさ」
黒い野球帽をかぶった少年が、手招きしながら僕にそう言った。
「俺スプライトー!」
「じゃあ俺はオープラスだ!」
「お前それコンビニで買えば"ナカタ"のカードついてくんのにー」
「うっせ、自販機で買うからいいんだ」
もみくちゃになりながら少年達が次々にジュースを買っていく。
僕は、それを黙って後ろで見ていた。
少年たちの声とともに、木々から降り注ぐ蝉しぐれが僕を包んだ。
「さ、次は兄ちゃんの番だ」
少年たちが僕の方を見て早く早く、と促してくる。
僕は迷うこと無くファンタのグレープを押した。
「俺と一緒かー、美味いよね!」
黒い野球帽をかぶった少年だ。
「そうだね、これが最高なんだ」
こういう時は、やっぱりファンタに限るんだ。
俺もファンタグレープだな
「じゃあいいか、"カンパイ"するぞ?」
「いえええーい!」
そう言って叫ぶと少年たちは次々に互いの缶をぶつけ合った。
僕もそれに混じって缶を交わす。それに何の意味があるのか分からなかったが、なんだか無性に楽しい。
そして案の定、炭酸を買った少年たちは次々と泡が吹き出す。
そして、笑い転げる。
「これがたまんねーよなー!」
「汚いよ?」
そう言う僕のファンタグレープも飲み口から泡が吹き出していた。
「兄ちゃんのもえらい事だぞ」
そう言ってまた、少年たちは大いに笑い出した。僕もおかしくて、つい笑ってしまった。
楽しい。懐かしい。
そんな感覚だった。
「あー美味かった!」
「やっぱり夏の炭酸はいいよなー!」
少年たちは次々とジュースを飲み干していく。
さすが小学生と言ったところか、けっこうな速さだ。
ベースボールで疲れた体にファンタのギュギュッとした炭酸が染みていく。
夏なんだ。
「おばちゃーん!缶ここにおいてくよー!」
「あ、俺もー!」
そう呼びかけると隣の小さな家から白髪の優しそうなお婆ちゃんが出てきた。
「はいはい、ちゃんと全部飲んでね」
少年たちは飲みきった空き缶をしきりに自販機の横に並べていく。慣れたものだ。
僕もそれにならって缶を並べようとした。すると、
「あら、あなた…」
「はい、何でしょう?」
お婆ちゃんが唐突に話しかけてきた。
「いえ…なんでもないの」
そう言うとお婆ちゃんは、ただニコニコして僕の方を見つめていた。
僕が缶を置いて、少年たちの方に向かってそこを去るまで、笑みを浮かべて僕を見ていた。
「次何するー?」
「野球も飽きたしなー」
「今日は暑いし、川でも行こうよ」
「あー!それいいね!」
少年たちの会話が目の前で繰り返される。
歩みは元いたグラウンドの方へと進んでいく。
川…か。こんな日に清流に裸足を浸したらさぞ気持ちいいんだろう。
グラウンドに着くと、地面に無造作に転がったグローブを拾って、自転車のかごへ投げ入れていく。
先ほどの空き缶もだが、手際がいい。
こういう遊びに慣れているんだろうか。
みんな自転車に揚々と自転車に乗ってベルをリンリン鳴らす。
「おっしゃー行くかー!」
僕は自転車なんかないし、ここまでといったところだろうか。
「兄ちゃん、リュックリュック」
「え?」
あまりに突然言われたので僕は目を丸くした。
「だから、リュック俺の自転車のカゴに入れていいぜ」
「なんで」
僕には、言ってることがすぐには理解できなかった。
「兄ちゃん走りなよ。一緒に川まで行こうぜ」
ああなるほど、と思って少し嬉しくなってしまった。
どうやら僕も、一緒に川まで行っていいらしい。
「ちょっとあるけどね。大丈夫、そんなに遠くないから」
「兄ちゃん大人だろ?そのくらい走れるよね」
前の方から自転車に乗った少年たちが、こちらに首を向けて楽しそうに語りかけて来る。
「じゃ、行くから。ついてきて」
黒い野球帽をかぶった少年が腕を振った。楽しそうに。
走った。僕は走った。
自転車で走る少年たちを目指して。
走った。夏の真昼に空に突き刺さる飛行機雲の如く、走った。
思えば、全力で何かを追いかけて… 走るなんていつぶりだろうか。
しかも、息切れして意識が遠のいていく中で、なお楽しくて笑みが零れてくるなんて…
いつぶりだろうか。
「兄ちゃんもっとはやくー!」
「頑張れ兄ちゃん!こっちこっち!」
少年たちの笑い声とはしゃぐ声が、僕の頭に駆け巡る。
僕は、走った。
少年時代を追いかけるかのように。
もしかしたら、忘れかけていた少年時代そのものを、走っていたのかもしれない。
走っても走っても、追いつけない。
頭が朦朧としてくる。
木々の陰と、日向の光が、交互に、交互に、僕の視界を過ぎていく。
蝉のだみ声が、滲んで、僕の頭の中で反響して延々と響く。
それでもなお、前方に自転車が走るから、少年たちに導かれて、僕は走った。
夏の只中を、全力で、ひたすら走った。
もう、だめだ。
足が動かない。視界が霞んだその瞬間だった。
「兄ちゃん、この坂下ったらもう川だから!」
「突撃だ!」
少年たちが急にハイになって立ちこぎを始める。
そうか、ゴールに着いたんだ。
良かった、僕はちゃんと辿りつけたんだ。
夢から覚めたような気分で坂を下ると、そこには小さな川が流れていた。
草が生い茂っていたが、水底がはっきりと見える綺麗な清流だ。
「兄ちゃんよくついてこれたなー。ナイスガッツ!」
「本当だよー、この川に来れるなんて運がいいね」
少年たちからの称賛の言葉を受け、思わず僕も笑ってしまう。息を切らしながら。
本当だ。我ながら、よくこの炎天下を走ってこれた。
そして少年たちは裸足になって上の服を投げ捨て、次々と川の中へ歩いて行く。
「すごいな…」
流石に、川の中に入ることには少々の抵抗があった。
着替えも持ってきていないし、帰りの事を考えると、どうしても踏み出せない。
「兄ちゃん、何やってんだ?」
はよ
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