ビター (オリジナル百合) (119)

書きためなし
短い







可愛い。
愛してる。
分かった。
そう言うのはもういい。
ほんとに。

「あみ……可愛い」

ほらまた。
駅前の喫茶店で、一目なんか気にせずに頭を撫でる。
止めて欲しい。
批難の目を向ければ、

「照れてる?」

の一言。
付き合って1年が経った。
彼女の第一印象はしっかりもののお姉さん。
今は、甘えたがりでめんどくさい人。
そう言うのは求めてなかった。
男の人と同じ。
そう言うのが嫌だから、こっちの世界にきたのに。
結局、この人も同じ。

「みさきさん、公共の場で撫でないでください」

「可愛いからつい」

好きなら、私の気持ち考えて。
私から腕を組んだり、キスをしたり、頭を撫でたり一度もしなかったのに。
どうして、過剰なスキンシップが苦手なことにこの一年気が付かなかったの。
友達に相談してみた所、それって好きじゃないでしょ、とのこと。
そうかもしれない。
やっぱり女の人だからでしょ、とか。
それもあるのかもしれない。


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「みさきさん、あとこれチョコなんですけど」

「ほんとッ嬉しい!」

私の差し出したチョコを嬉しそうに手に取った。
多少心苦しい。
今までのツケが、今、この瞬間に集まっていた。
もちろんそれは、彼女の分と私の分だけど。

「みさきさん、それ義理チョコなんです」

「えー、ひどーい!」

笑いながら、包みの紐に手をかける。

「あの、ホントに義理チョコなんです」

みさきさんの手が止まった。
きょとんとして、私を見た。

「私は別に、あみのくれるものならなんでもいいよ」

遠まわし過ぎて、伝わっていない。
耳の奥で脈動が大きくなっていくのが分かった。

「だから、もう、本命じゃないんです……」

「それ、まさか別れたいってこと?」

私は頷いた。

「なんで」

「私のせいです。私がみさきさんに合わなかった」

「だったら、どうしてこの間の旅行行ってくれたの? なんで、エッチさせてくれたの? ねえ」

「大きな声で、止めてくださいッ」

「ご、ごめん」

「……色々、私が我慢できなかっただけなんです」

「何、言ってよ」

私は首を振った。

「ホントに、ささいなことなんです。私が変なんですよ」

「言ってくれたら、治すから、ね?」

そう言って、前にも何か約束してくれたっけ。
もうなんだったか忘れてしまった。
でも、一番最初に言った約束は覚えてる。
そう、たばこだ。
嫌なら止める。
付き合ったら止める。
彼女が有給をとって、私の家に泊まりに来た時のことだっけ。
高校に行ってる間に、外で吸ってきたみたいで、匂いですぐ分かった。
しょうがないんだろうなって思った。
ストレスとか、そういうのがあるんだろうなって。
私の前では、良い恰好するけど、そういう所は嫌だった。

「私、結婚まで考えてるんだよ。誰よりも真剣なの分かったでしょ?」

「それは、すごく分かりました」

でも、それがすごく重かった。
相手の良いところなんて全然分からなくて、探し方も分からなかった。

「あみ……」

「治さなくていいです。きっと、みさきさんに似合う人がいると思います」

私は財布からランチ代を取り出して机に置いた。

「今までありがとうございました」

「まッ」

「着いてこないでください」

私は駆け足でその喫茶店を出た。
道の途中振り返った。
来てない。
寂しさよりも、安堵の方が勝った。
これで解放されるんだ。

分かってる。
酷い人間なんだ。
あれだけ愛されたのに、
私から愛を与えることなんてしなかった。
したいとおも思わなかった。
キスは気持ちよくなんてなかったし、
エッチも気持ちよくなんてなかった。
好きだと言ったこともなかった。

私はただ、普通の人がしていることをしてみたかっただけなんだ。

今日はここまで
お姉さんはちょい役です

期待

シェアハウス書いてた人かな
期待

期待

恋愛が無駄なんて思わないし、好意がいらないわけじゃない。
ただ、インプットとアウトプットの仕方をいつまでも理解できないでいる。
ドライなんだろうか。私の血はきっと、チョコレートみたいに錆びついてドロドロでおまけに苦いと思う。

手切れ金のようなあのチョコを、彼女は食べるだろうか。
それとも、床に叩きつけるかな。
ゴミ箱に捨ててしまうかもしれない。
どちらにせよ、もう切り離したこと。
そう。
もう、私とは無関係だ。

でも、見てみたかったとも思ってる。
みさきさんの見てる世界。
結婚まで考えるくらい好きになる思考。
それが分かれば、私の人生はもっと楽しいはず。
彼女の脳みそを取り換えてみたかったな。
そうしたら、私を祖母に預けて男と逃げた母の気持ちも分かると思う。

そのための踏み台だった。
前の前の彼も。
前の彼女も。
私は追い求めてるだけ。
ずっと。

ポケットの中を漁る。
自分用に買ったチロルチョコが3つ。
コーヒー味を口の中に放り込んだ。
舌に苦味が広がった。

高校用に真面目に黒髪を縛っていたゴムを外して、チョコが入っていたポケットに突っ込んだ。
後頭部が軽くなって、多少息苦しさも緩和してくれた。
ふと、左脇で水に何かを放り込む音が聞こえた。
ぼちゃんとか、ぽちゃとか。

「……?」

土手の上からそちらを確認する。
誰かが、河原の石で水切りをしているようにも見える。
と、思ったけれど、紙袋から取り出しているのは色とりどりの包み紙だった。
川に大量のゴミを投げ捨てる変人。
危ない人。
触らぬ神に祟りなし。
見て見ぬふりをして、通り過ぎよう。

「あー! おじさん! いけないんだ!」

私は、その甲高い声に立ち止まった。
後ろを振り返る。
小学生の男の子。
指を差して、ジャージ姿の変人に、

「極悪人! 極悪人!」

と、江戸で打ち首にでもされそうな単語を叫んだ。
ジャージの人は肩をびくりとさせ、大げさな所作でこちらに顔を向けた。
若い色白の男性。
視線は私の方を見ていた。
小学生はすでに走りだしていた。
私は関係ないから。
あなたが、ゴミを捨てるのは勝手。
でも、私には関係ない。
だから、こちらを見るのは止めて。
急に走り出して、襲ってきたらどうしよう。
そう思うと怖くなった。
後ずさりして、アスファルトのでこぼこにかかとが引っかかる。
バランスを崩して、ゆっくりと尻もちをついた。

「たっ……ァ」

スカートがめくり上がり、咄嗟に膝を隠した。
そのほんの一瞬の出来事の間に、変人は目の前に立っていた。

「ひっ……」

首をすくめて、腕でガードする。

「何してるの」

「え」

案外と女らしい柔らかな声質で、
彼――彼女は怪訝な目で私に腕を伸ばしていた。
見覚えがとてもある。

「楠崎さん……?」

教室で見た顔。
同級生の女。
斜め前の席。
楠崎。
楠崎りょう。

「うん、男かと思った?」

ややからかうように、楠崎さんは言った。
私は彼女の手を掴みながら頷いた。

「思った」

「そ」

笑う。
嫌な顔一つ見せず。
黒髪ショートカットで背が高い。
目元や鼻筋も中性的で、一瞬見ただけでは性別を判断しかねる。
確か、性格も女子受けが良かったはず。
柔和で、優しい。
確か、日直が一緒になった時、黒板は汚れるからと全部やってくれた。

だから、楠崎さんだと全く思わなかった。

「何、捨ててたの?」

「見られてた?」

「そりゃ、見るよ」

見たくなかったけど。
河原に置き去りにしている紙袋が風に揺れてぱたんと倒れた。
中身が草むらに飛び出す。

「チョコレートだよ。食べる?」

チョコ?

「いらないけど、なんで捨てるの」

「甘いもの苦手だから。でも、くれるから仕方なくこうやって処理してるんだ」

「処理ってひどい」

私は苦笑して、コーヒー味のチロルチョコを放り投げた。

眠すぎ眠いのでまた明日

楠崎さんは慌てて両手を前に出す。

「ハッピーバレンタイン。苦いのなら食べれる?」

「食べれるけど、いいの?」

「余ったのだから」

みさきさんにあげた包みに入りきらなかっただけの余剰品。

「余ったやつなんだ」

やや戸惑った顔。

「いらない?」

「ううん。そういう感じの方がいい」

どういう感じだろう。

「女の子らしいというか、こういうのは手作りしてそうだと思ったから。チロルチョコって意外」

包み紙のロゴマークを見ながら、楠崎さんはぼそりと言った。

「手作り? しないしない。というか、手作りだとなおさら無理ってこと?」

「うん、困る」

「困る?」

「捨てる時、良心が痛むよ」

「あー、一応痛むんだ」

「まあね」

「それでも、クラスの女子が見たら卒倒しそうだけど」

「みんなに言う?」

「言ったら、楠崎さん友達いなくなるね」

「友達とかいなかったから、いいけど」

「あれ、ほら、一緒にいつもいる子たちは?」

「取りまき?」

「そうだとは思ってたけど、自分で言う?」

「……そうだね、ごめん」

クラスの王子様的な立ち位置の人間とは思えない卑屈っぽい一面。
裏切られたようでショックを受ける子もいるだろう。

「女泣かせだね」

「勝手に期待される身にもなって欲しい」

寝ます

彼女は包みからチョコを取り出して匂いを嗅いでかじった。
あ、いけるいける、と全部放り込む。

「さ、残りのも捨てよっと」

「見られても知らないよ」

「うん」

生返事を一つして、楠崎さんはまた土手を下っていく。
後姿は、やはり男にしか見えなかった。
お尻も胸もちっさい。
私は自分のお尻を触った。
あれくらいで良かったのに。

彼女はまたぽいぽいぽいぽいと放り投げていく。
私も友チョコは何人かと交換するけど、あれは確実に本命チョコも混ざってる。
いらないならいらないと、はっきり言えばいいのに。
それって、男らしくない。
あ、女か。
髪でも伸ばせば、多少は言い寄る同性も減ると思うけど。
他の生徒に見られて、共犯扱いされても困るため、私は暫く見物して、帰宅した。

次の日、教室では面白いことが起こっていた。
当人たちからすると、笑えないだろうけど。

「なにあれ」

少し寝坊して、ぎりぎりに席へ駆け込んだ私は前の席にいたふみかちゃんの肩を叩いた。
色素の薄い髪をふわふわさせて、首を傾げる。

「えっと」

と、手振り身振り。
ふみかちゃん自身状況をよく掴めていないようだ。
頑張って伝えようとしている姿が可愛い。
癒し。
天使。

「うん、なんとなく分かった」

「ほんと? あみちゃんすごい」

ド下手くそな説明をまとめると、昨日川にチョコを捨てた所を誰かが見ていて、それについて問い詰められているということだった。
だから、言ったのに。
自業自得。
女子特有の言葉攻めでも楽しむつもりだったのかな。
ぞっとしない。

「りょうちゃん、大丈夫かな……」

りょうちゃん?

「ふみかちゃん、仲良かったの?」

「お店にたまに来るの」

ふみかちゃんの家は、定食屋さん。
作業服のお兄さんやおじさんが多く集う。
楠崎さんは混じっていてもそう違和感はないね。
馴染み過ぎて、ふみかちゃんにりょうちゃんなんて呼ばせてるわけか。
いや、呼ばせては無いだろうけど。

「複数で責めるってのは私もきついと思う」

たぶん、教室内で見守るその他大勢も同じようなことを思っているんだろう。
だからって、とばっちりを食いたくない、でも誰か止めてやれと言うのが人情。
でも、そもそも悪いのは楠崎さんの方。
ここで助けた人間は、変な噂が流れそうだし。
え、まさか付き合ってるの?
とか。
めんどくさいことこの上ない。
がたん、と椅子が音を立てた。
私は視線を上に転じた。
ふみかちゃんが立ちあがっていた。

「どした」

「と、止めようかと」

「マジで」

放っておいても、HRになったら勝手に蟻の子みたいに散らばっていくよ。
その言葉は飲み込んで、彼女の腕を握った。
温かい。
ふみかちゃんはけっこう後先考えない。
私みたいに、これをすれば自分がどう傷つくのかとかを計算して、結局動かない人間とは違う。
根本的に。
傷つくの覚悟でいっちゃう。
で、後で私に泣きついてくる。
それも、可愛い。
でも今回は修羅場ってやつだから。
横やりを入れるのはオススメできない。
人の恋路を邪魔する奴はと同じパターン。

とごたくを脳裏で並べながら、

「まずいって」

ふみかちゃんを足止めする。

「でも……」

と考え込むようにふみかちゃんは声を落とす。

「ふみかちゃん、これでとばっちり受けたら、私ら明日から針のむしろみたいな生活しなくちゃならなくなるかもよ」

脅してみる。
彼女は背中を丸めて、机に手をつく。
悩んでいるようだ。
悩め悩め。
と、顔を上げて一言。

「あみちゃんがいいならいいよ……私」

その台詞は、この状況では聞きたくなかったよ。

恋人のお願いとか、昨日別れたみさきさんのお願いとかは全然心に響かない。
が、ふみかちゃんのお願いは心に突き刺さる。
内容が内容だけにより深く。
私は腕を離した。

「わかった」

「死なばもろともだね」

「それはいやだなあ」

あの男女を助ける義理はないけど。
私は先走るふみかちゃんの肩を掴み、一歩先に躍り出た。

「ちょっと、さそろそろ解放してやってもいいんじゃないの」

クラスの視線。
楠崎さんの視線。
振り返る、取り巻き共の視線。
ふみかちゃんが私の腕の裾を掴んだ。

「りょうちゃん、もうしないよね」

と、楠崎さんに優しく問う。

「や、すると思う」

楠崎さんは即答した。
ねえ、
そこはさ、
嘘でもしないって言え。

周りが唖然としている中、
ふみかちゃんはめげずに口を開いた。

「し、しないようにできる限り務める方向でどうでしょうか?」

となぜか事務的に言った。
楠崎さんを中心に、視線が交錯する。
楠崎さんは小さな声で、

「その方向で」

と言った。
若干ふてぶてしい。

「あ、あんたら関係なくない?」

と思い出したように、一人が言った。

「で、でももう十分謝ってもらったしいいじゃん?」

別の女子が言った。

「もう、いいと思う。甘いもの嫌いって言い出しにくい環境つくったのうちらだし」

他の女子もそれに相槌を打つ。
彼女達もふっかけたはいいが、止め所を見失っていたのかも。
王子への悲観を口々に漏らしつつも、シンデレラ達の集いは打ち切られた。

ふいに、騒がしさを取り戻す教室。
HRの合図が鳴りそうだ。
足早に担任が教室へ入ってきて、クラスの雰囲気は徐々に元の日常に戻っていった。

昼休みになった。
楠崎さんはいつも教室にいない。
聞いた話だと、女子ととっかえひっかえでご飯を食べてるとか。
と、その話をりょうちゃんにすると、彼女は首を振った。
そして、私の耳元に顔を寄せる。

「これ、内緒ね。お昼食べてないって言ってたよ」

まさか。

「なんで?」

「わからない。でも、夜はがっつり食べるの」

「どうして知ってるの?」

「夜はいつもうちの定食屋にいるの」

ご飯を大盛りにして、猫のように綺麗に食べるそうだ。

「じゃあ、今楠崎さん何してるんだろ」

「うーん」

そこまでは知らないらしい。

「そういや、楠崎さんてけっこう毒吐くんだね。夜もそうなの?」

「うん」

ふみかちゃんは頷いた。

「昼間もけっこう毒吐いてるよ」

「え、そうなの」

「今度聞いてみたらいいよ」

あえて聞きたいとは思わない。
でも、じゃあ、優しい楠崎さんは幻想だったんだ。
あまり楠崎さんのことは知らない。
話すことなかったし。

「あ」

とふみかちゃんは何か閃いた顔をした。
嫌な予感がした。

「今日、夜ご飯食べにくる?」

「えーっと、邪魔じゃない?」

「じゃないじゃない」

「親に聞いてみないと」

「大丈夫大丈夫。連絡入れたら大丈夫」

ふみかちゃんが笑っている。
笑っている時は、だいたい何か企んでいる。
まずい。
予想できる。
嫌すぎる。
行きたくないかも。
でも、ふみかちゃんの頼みは断れない私。
むしろ、嬉しい私。
頼られている。
葛藤。

「分かった……。で、楠崎さんは何時に来るの?」

ふみかちゃんは満面の笑みで、説明してくれた。

午後7時。
自転車を立て看板の横に止めた。
女子高生がいそうな雰囲気ではない。
のれんをくぐり、少し躊躇しながら引き戸を右に引っ張った。

「いっらしゃいませー」

奥からふみかちゃんがエプロン姿で出てくる。
いつもよりも声が高い。
接客用かな。

「あそこ」

ワイルドに親指を突き立て、後ろを差した。
いるね。
昨日のジャージ姿で。
男臭い中、一人線の細い男がいる。
いや、女だった。
ため息。
ふみかちゃんが背中をぱんぱんと叩く。
仲良くね、と言い残して座敷の方へ向かった。
そう。
きっと、ふみかちゃんは楠崎さんにお友達をつくってあげたいんだろう。
良い子。
そういう所、たまにめんどくさい。
喜ぶならいいかなって思う自分もどうかしてるけど。
ゆっくりと進んで、偶然を装いつつ、隣に腰掛けた。

「あれ、楠崎さん」

カウンターでサンマの背骨を綺麗にはがしていた彼女は、こちらを見やった。

「なんでいるの」

楠崎さんが言った。

「たまに来るの。悪い?」

「ううん」

「昨日と同じジャージだったから、楠崎さんかなって思ったら当たってた」

彼女は自分の服を一瞥して、

「だいたい外はこれ」

「干物じゃん」

「干物?」

「女として乾いてるって意味」

「乾いてないってどんな人」

彼女は逆に質問する。

「お待たせー、ご注文何にするー?」

ひょっこりと笑顔でふみかちゃん。

「こんなのだよ」

「なるほど」

楠崎さんは頷いた。

楠崎さんと同じサンマ定食を頼んだ。

「今日はありがとう」

「いいけど、もしかしたら、私がチクったとかって思わないの」

「しなさそう」

「まあ、しないけど」

湯のみを掴んで一口すする。

「助けるつもりもなかったよ」

「明野が言ったの?」

あ、良かった。
ふみかちゃんとかじゃなくて。

「そうだよ」

「お節介」

真顔で言った。
続けて、

「頼んでない。迷惑な人だね」

本心でそう言っているのが分かった。
頼まれてするもんじゃないから。
と、言いたくなったけど言えなかった。
なぜなら、言葉より先に手が出ていたから。
彼女のおでこにでこピンを食らわせていたのだ。

「ッ?!」

痛みで苦悶の表情。

「失礼な奴。次、ふみかちゃんの悪口言ったら殺すから」

楠崎さんはきょとんとして、それから目を細めた。
互いに睨み合う。

「顔がいくら良くても、許せないことってあるよ」

「好きでこんな顔なんじゃない」

「じゃあ、整形でもしたらクズ崎さん」

「それこっちの台詞だけど……ん? 今、なんて」

「お待たせー」

ふみかちゃんがサンマ定食を運んで来た。
そして、険悪なムードを野生の勘か何かで読み取ったのか、
そっとおぼんを置いて静かに戻っていった。
魚の焼けた匂いと、お味噌汁の甘じょっぱい匂いがお腹に染みた。

「食べれば」

楠崎さんが促す。

「言われなくても」

睨みつつ、箸に手をつける。
もはや、先に目を逸らした方が負け。
犬の縄張り争いのように、私たちは見つめ合った。

彼女はたちまち食べ終えて、私より先に店を出て行った。
ふみかちゃんが眉根を寄せて、駆け寄ってくる。

「ごめん、ダメだった」

「いいの、私こそ」

「はあ……」

なんだか肩凝った。
ふみかちゃんの手が私の肩に置かれた。
お疲れさま、と互いに苦笑いした。


翌日、多少減りはしたが相変わらず取りまきを引き連れて中庭を行く楠崎さんを見かけた。
楠崎さんは気だるそうな表情をしていた。
それでもイソギンチャクのように引っ付いている女子は、相当の手練れなのかもしれない。
楠崎さんを観察してみると、一切女子を甘やかす様子もなく、辛辣な言葉を放っていた。
それから、昨日みたいな修羅場は日常茶飯事のようだった。
たまたまそれが昨日は教室で勃発したというだけのことだと私は漸く気づいた。

「ふみかちゃん、あれは放って置いてもいいと思うよ?」

陽の当たるベンチでお弁当を突きながら、私は言った。

「でも、みひへふとおもふんらけろな」

ちゅるんとたこさんウインナーを口に納める。

「ええ? なんて?」

「無理してるんじゃないかなって」

「無理? 無理なら無理って言いそうだけど」

「そうだよねえ」

私は彼女の言いたいことが良くわからず、卵焼きを頬張った。
塩味。

「じゃあ、気のせいかな」

「気のせい気のせい」

ふみかちゃんの頭を悩ませるなんて、やっぱり楠崎さん許せない。

「私は楠崎さん苦手だよ」

「悪かったね」

背後から聞こえた中性的でドスの効いた声に私は思わずお弁当を取り落としそうになった。

「楠崎さんっ」

私は小さく叫ぶ。

「私も昨日はいらっとしたよ」

煽ってくるね。
ふみかちゃんのいる手前、煽り合いはしない。
無視。

「明野」

「はい?」

「この人、なんて名前なの」

ご飯が喉につまった。
思わずせき込む。

「ごほっ……」

「りょうちゃん、知らなかったの……?」

「何ヵ月同じクラスだと……ごほっ」

「明野は、食堂の名前だったから覚えれたけど……他の人はあんまり」

項垂れる楠崎さん。
他の人に興味がないのか。

「椎名あみちゃんだよ」

楠崎さんは口の中で何回も名前を呟いた。
もしかして、覚えようとしてくれてるのだろうか。

「楠崎さん、あの」

「りょうでいいよ。苗字はクズクズって聞こえるから嫌」

「りょう……ちゃん?」

「なんで疑問形」

「ちゃん、似合わないからどうしようかなと」

「くんづけ?」

「それは気持ち悪い」

りょう。
りょうでいっか。

ここまで
続きは夕方くらい

「じゃあ、りょう」

「ん」

なんで改めて自己紹介しなくちゃいけないんだろうか。

「何か用?」

りょうは、

「用がないと話しかけちゃいけない?」

ふみかちゃんの肩に手を乗せた。
あ。
いい度胸じゃん。
ふみかちゃんが困惑している。

「け、ケンカは」

「分かってる、仲良くすればいいんでしょ」

私は手を差し伸べる。

「ふみかちゃんに免じて、休戦ね」

りょうはその手を払いのける。
血が沸き立ちそうになるのをこらえ、無理やり握った。

「というわけで」

私はベンチの端に座る。

「座りなよ」

握った手を離さずに、力任せに引っ張った。

「痛いんですけど」

私とふみかちゃんの間に座り、りょうは文句をたれた。

「りょうさ、顔しか良いところないんだからもうちょっと言葉遣いに気をつけなよ」

「明野、椎名はどうして一言余計なことを挟みたがるんだ」

「あみちゃん、褒めるの下手だから」

褒めてない。

「私にも、明野くらい優しくして」

「え、どの口で言ってるの」

彼女は人差し指を自分の口元に置いた。
なんといううざさ。

「あみちゃんも暫くしたら優しくしてくれるよ。人見知りだから」

「そうなんだ」

ちょっと、嬉しそうな顔しないでよ。

「人見知りなんだ」

嬉しかったのはそこか。

「言っとくけど、生理的に無理な人間には優しくできないから」

「良かった」

自分のことだとは思ってない。
幸せな頭だこと。

「りょうくーん!」

頭上から可愛らしい声。
3人で上を見上げる。

「お弁当、食べてくれたー?」

眩い青空をバックに、ツインテールをぶら下げて、3階から手を振っている。

「うん、ごめん、食べてない」

「わかった! また作るね! 弁当箱は!?」

「元のまま」

「わかった!」

元気の良い返事と共に、彼女は校舎の中へ。

「誰」

私は尋ねた。

「弁当屋さん」

「いや、名前」

「知らない。いつも弁当作ってくれるから弁当屋さん」

「で、いつも捨ててるの?」

「うん」

罰当たりめ。
地獄に落ちろ。

「りょうちゃん、ホントに人気者だね」

ふふ、と小さく笑うふみかちゃん。

「他に何屋さんがいるの」

目を瞬かせ、りょうは指を折る。

「トイレ屋さん、いつもトイレに付き添ってくれる。送迎屋さん、行きも帰りも一緒について来てくれる。お菓子屋さん、いつも必ずお菓子を作ってきてくれる……それから」

「あ、オッケーです。ありがとうございました」

「すごいね」

ふみかちゃんが感心したように手を叩いた。

「明野のことは、最初定食屋さんだった」

まんまじゃないの。

友達無くすよと、言いかけて、友達いない宣言をされたことを思い出した。

「本命はいなかったの?」

「本命? 可愛いなあって思う子はいたけど……付き合いたいとは思わなかったな」

「女の子同士はやっぱり無理か」

りょうは頷いた。

「まあ、普通は」

「だよね」

やっぱりみさきさんに走ったのは気の迷いだったんだ。
結局、自分でも何がしたかったのか分からなかったし。

「明野は」

「え?」

わたわたと体を揺らす。
こういう話題、苦手なんだよねこの子。

「私は、まだそのそういうのよく分からなくて……」

「へえ……」

興味深そうに、りょうは呟く。

「もてそうなのに」

「ねえ」

告白されても、こんな感じで断ってるらしい。

その後、りょうと二人でふみかちゃんをいじって遊んだ。
楽しくなかったと言えばウソ。
たぶん、根っこの腹黒い感じが似てるから気兼ねなく話せるのかも。

帰り道。
ふみかちゃんがやや浮かない顔をしているような気がした。

「何かあった?」

「どうして?」

「なんか、落ち込んでるかなって」

「か、風邪かな?」

「え、大丈夫。寒くない?」

私は自分の首にかけてあったマフラーをほどく。

「い、いいよ。寒くないから」

慌てて私の手を掴んで止める。
じゃあ、なんだろ。
一日中一緒だった。
特に普段と違うことなんて。
あ、あー。

「昼間のもしかして気にしてる? 付き合うとかのくだり」

「えー、いやー、うー」

「あんなの個人差ありまくりなんだから、気にしなくていいよ」

「だ、だよね」

ふみかちゃんは頷く。

「で、何に引っかかってるの」

足が止まった。
私も立ち止まって、彼女を見た。

「わ、私……」

小さく震えている。
何を言う気なの。
車道を行き交う車やバイクの音にかき消されそうな声。

「ふみかちゃん?」

「もしかしたら、りょうちゃんのこと……好きなのかも」

それでも、私の耳は聞き逃さなかった。
間違いであって欲しいとは思った。

「ふみかちゃん、それ……気は確か?」

「うん……」

うん、て。
正気の沙汰じゃない。
頭でも打ったのかも。
今日は、でも転んでない。

「今週、どっかで頭ぶつけた?」

「ううん……」

「先週は?」

「ううん……」

それじゃあ、いつ。
いつから。

「そっか……好きか」

「怒らないの?」

「なんで」

「だって、私、何も言わずにあみちゃん利用した」

「そんなので、怒らないって。女はそれくらいできないと、社会で生きていけないよ」

ふみかちゃんの肩に抱き着く。

「でも、よりにもよってりょうかあ」

「だめ?」

私の許可が降りなかったらどうするのかな。

「いいに決まってるじゃん。応援するよ」

応援するよ。
ふみかちゃんのためなら。

「でも、りょうちゃん女のこと付き合うって考えないと思うから……このまま卒業まで一緒にいられたらいいよ」

「それでいいの?」

「うん」

いいわけないんだろうなあ。
カミングアウトしてくれたのはいいけど、相手は見込みがなさそうだし。
報われないのに好きになっちゃうなんて、ふみかちゃんホント健気。



その夜は眠れなかった。
どうして眠れなかったのかは考えないようにした。

3人での行動が多くなって、休日に遊びに行く機会も増えた。
相変わらず、私とりょうは口喧嘩を繰り返し、ふみかちゃんが仲介役に立つという図式。
数か月も経つと、それが普通になった。
りょうはだんだんと髪が伸びてきて、女らしくなっていった。

「伸びたねえ」

ふみかちゃんが色々な角度から髪を結んでは解きを繰り返す。

「これくらいだと、男には間違えられないね」

私は笑う。

「でも、私はあれくらい短い方が好きかも」

ふみかちゃんの好みだと思ったので、軽い気持ちで私は言った。

「椎名短い方が好きなの?」

「さっぱりしてるし、りょうにお似合い」

「ふーん」

真顔で鼻の頭をさする。

「長いのも似合うよ」

すかさずふみかちゃんがフォローを入れた。
さすが私の天使は優しい。

翌日、彼女はまたばっさりと髪を切り、元のスタイルに戻っていた。
昨日まで肩に着いていた部分は、首筋がしっかり見えるくらいの長さになっていた。

取りまきもざわついていたが、私とふみかちゃんも驚いた。

「椎名が、昨日切ったらって言ったから」

「私? 確かに、言ったけど、でも」

本気にしたの。

「似合う?」

「う、うん」

ふみかちゃんの方を振り向きたかったけれど、私はずっとりょうの肩口を見ていた。
その日のお昼休み、トイレに行った時のこと。
取りまきの一人が、用があると言って私を引き止めた。

「なに?」

「付き合ってるの?」

「今まで、ケンカ仲間くらい必要かと思って野放しにしてたけど、椎名さんてりょう君に手出したの?」

口々に、失礼なことをのたまっていく。
スズメかあんたたちは。
一人一人順番に喋ってよ。

「まって、話が全然見えない」

取りまきの一人が、昨日の私たちの会話を聞いていたようで、
りょうが私の提案を受け入れたからそういう考えに至ったとのこと。
短絡的過ぎるでしょ。

「いつもの気まぐれじゃん」

「だったらいいけど、最近りょう君変わったし」

「変わった? どこが」

「優しくなった」

そうかな。

「いいことだね。逆に今までが可笑しすぎたけど」

「優しいりょう君とかりょう君じゃないし」

知らないよ。

「とにかく、付き合ってないし、これからもそういうつもりは一切ないから。もういい?」

「あ、ちょっと」

まだ何か話があるの。

「明野さんにも言っておいてよ! 無駄に気を持たせないでって」

私はそれには答えずに、女子トイレを後にした。
他人は勝手なことを言う。
窓から覗く街並みに向かって胸の中の気だるさを吐き出す。
そこだけ、ガラスは白く曇った。


放課後、3人でカラオケに行った。
ドラマの主題歌がやたら私をナイーブにさせる。
暗がりの部屋で、私の左に座るふみかちゃんより、右側に座っているりょうの方が距離が近かった。
やたら、身体に触ってくるような気もした。
今まで、何も変わってはいないと思っていた。
意識し始めて、漸く彼女の変化に気付く。
よくない。
非常によくない傾向。

「あの!」

私は立ち上がる。

「飲み物いる人」

二人から返事が帰って来た。
そうだ。
二人きりにさせて、既成事実をさっさと作らせないと。

「ウーロン茶と、メロンソーダね。分かった、行ってくるから、二人でイチャイチャしておいて」

そう言って、部屋を出る。
ふみかちゃんがそわそわしたのがなんとなく分かった。
そうだ。
こういう路線でいこう。

ゆっくり時間をかけて、溢れんばかりドリンクを注ぎ部屋に戻った。
戻ると、りょうがいなかった。

「電話かかってきて外に行ったよ」

「へえ」

ふみかちゃんの目の前に、ウーロン茶を置いた。

「ありがとう」

「いいえ」

曲は何も入っていなかった。
メジャーなアーティストの新曲のプロモーションビデオが流れていて、目がチカチカした。

「りょうちゃん、前みたいに男の子っぽくなったね」

「そうだね」

「あみちゃんは……」

何か言いかける。
言葉にならずに、消えていったみたいだった。
だから、私は自分から、答えを持たぬまま探るように切り出した。

「ね、誰かを好きになるってどんな感じ」

ふみかちゃんに向き直る。

「私には、まだよく分からない」

「嘘だよ……もう、あみちゃん知ってるでしょ」

「そんなこと……」

「ううん」

ふみかちゃんは、私の手を握る。
弱弱しい。
この子は諦めようとしてるんだ。
とんだ勘違いだよね。

「もし……知っているとしたら、それは」

本命にならなかった気持ち。本命のなれの果て。
義理チョコの苦味。

「ふみかちゃんが、りょうに取られちゃうのが嫌だってことくらいかな」

私は両腕をふみかちゃんの体に回した。
身動きせずに、彼女は息を吸った。

「早く付き合っちゃいないよ」

この気持ちを甘くさせないで。

誤 
「早く付き合っちゃいないよ」 →「早く付き合っちゃいなよ」

「りょうのどこがいいのか全然分からないよ、私には。だから、安心して。応援するって言ったでしょ」

「あみちゃん……ありがとう」

彼女を離す。

「あ、なんか食べる? ポテトとか」

「……そうだね」

暫くすると、りょうが戻ってきた。

「なになに、そんなにくっついて内緒話? 教えて」

「りょうには教えなーい」

「いじわる」

「ごめんね、りょうちゃん」

「明野まで」

今日はここまで

ちょっとお尋ねします

このssの中で誰に幸せを掴みとって欲しいですか?
参考までに良ければ

3人の中だとふみかちゃん
ただもっと言うとみさきさんに幸せになって欲しい

それぞれ魅力があるから甲乙つけがたい
強いていうなら3人共?これじゃ都合良すぎるけど

誰かって指定するとみんなにとってのハッピーエンドが予想できないなぁ

あえて誰も幸せにならない選択肢もあると思う

苦味のあるエンドがほしい
しかし前作もだけど上手いこと書くね

>>50~54
ありがとう
一人称で書いてると、キャラの立ち位置がよく分からなくなるので助かります

私もふみかちゃんも何も言わないので、拗ねたようにソファーの端っこで体育座りして、りょうは背中を向けた。

「時間もったいないんだから、早く曲いれてよ」

「教えてくれないと歌わない」

マイクの柄でりょうの背中をぐりぐりと押した。
う、と悲鳴をあげて身をよじり、ソファーをつたって逃げていく。

「りょうちゃん、メロンソーダいる?」

「いる」

ふみかちゃんからコップを受け取って、一気に半分くらい飲んだ。

「もういらない。あげる」

ふみかちゃんにコップをつき返す。
小さく笑って、ふみかちゃんはそれをちびちび飲んだ。
こいつ、自分は何でも許されると思っているんじゃないだろうか。

呆れた視線をりょうに向けていると、ふみかちゃんが、

「気を遣われるよりもいいんじゃないかな」

そう言って、

「でしょ」

りょうが頷いていた。
そりゃ、ふみかちゃんはりょうがすることならなんでも許せるのかもしれないけど。
私は、違うよ。
親しき中にも公序良俗ありだよ。
私の規範でだけど。

「はいはい」

ただ、それを口に出す程でもなかったので私は適当に返事をした。

お、待ってた

それから、制限時間になり、30分程延長してから店を出た。
二人きりにさせるために、本屋に寄ってから帰ると告げると、二人共一緒に行くと着いて来た。
なんでやねん。
と一人胸中でごちた。
ふみかちゃんに目配せしたけれど、何も伝わらなかった。
適当にファッション雑誌を買う。
その隣で、女子旅うんたらかんたらと書かれた本をふみかちゃんがぺらぺらとめくっていた。
りょうがそれを覗き込む。

「りょうちゃん、旅行行きたいね」

「行くなら、海がいい」

「水着?」

「いや、寒いよ」

可愛い会話をしていた。

「二人で行ってくればいいじゃん」

と直球に伝える。
ふみかちゃんが首を振った。

「ええ? 三人で行こうよ」

「そうだよ、何拗ねてんの椎名」

拗ねてるとかじゃないの。
色々気を遣ってるの。
けれど、肝心のふみかちゃんが、

「みんなで行った方が楽しいよ」

とそんな私を一蹴する。

「そうだね……」

結局、次の連休に三人で温泉に行くことになった。

その日の夜、ふみかちゃんから連絡があった。
ベッドに入って、今日買った雑誌を読んでいたところだった。

「はい、もしもし?」

『あの、今日のことなんだけど』

今日?
もしかして、りょうが引っ付き過ぎて気に障ったんじゃ。
私は喉を鳴らした。

『あみちゃん、私、気を遣わなくても大丈夫だから……』

「あ、えっと」

気づいてたんだ。

「ごめん、お節介だったよね」

『違う。嬉しい、あみちゃんが応援してくれてるのが伝わったよ』

「ほら、りょう鈍感そうだしね」

『そうだね。でも、あみちゃん……辛いでしょ?』

「なんで?」

電話の向こうで、口ごもったのが分かった。
何を言おうとしているんだろう。

『本当のこと言って欲しいの……あみちゃん、何か隠してるよね』

「何かって」

『だって、無理してるの分かる』

「そんなことないから。ふみかちゃん、どうしたの?」

どうして、また掘り返すようなことを。
冷静さを装う。
ふみかちゃんに、余計な心配をかけさせたくないのに。
受話器を握りしめる。

『最近、あみちゃんが何考えてるのか分からない……それが嫌なの。ただの、私の我がままだよ』

そんな事言って。
この子は、どうして私の気持ちをかき乱すのかな。

いい加減にして欲しい。

「私は、ただ……ふみかちゃんとりょうが一緒になればって思って」

私は違う。
私はみさきさんとは違う。
自分を人に押し付けない。
そうでありたい。

『……』

「ほんとに……それだけだから、怒らないでよ」

『え、怒ってなんか……』

ふみかちゃんが喜んでくれていない。
ふみかちゃんに喜んでもらえたらそれだけでいいのに。
それだけでいいはずだよね。
愛せない人の愛を受け入れるように、
愛する人の愛を受け入れないことも、
私にならできるはずだよね。

『あみちゃん?』

守れない約束はしない。
そうでしょ。
応援するんでしょ。
ずっと前から、分かってることじゃん。
ずっと繋ぎ止められないもんなんだって。

「……き」

『え? ごめんね……聞こえなかった、今、なんて』

「ううん、ごめんなんでもない。ちょっと、お祖母ちゃんに呼ばれてるからまた明日ね」

『あ、あみちゃん』

携帯を切って、ベッドの足元に放り投げた。
滑りながら、縁に当たってこつんと音を立てた。

脇に置いた雑誌を3ページ程見て、それも放り投げた。
目を瞑って、ふみかちゃんの言われた言葉を反芻していた。

――何考えてるのか分からない。

ふみかちゃんやりょうが変わってしまったように、もしかしたら私にも何か変化が?
虚しい変化があったのかな。
だんだんと眠くなっていく。

私だってふみかちゃんに分かって欲しいなんて思ってない。
だから、いいの。
もっと、単純になって。
受け入れてしまえば楽なのに。
そうしないなんて、そういう所めんどくさい。

ここまで

雨隠ギドの作品でこんなのあったな

>>67 あった気がする
でも、なんかキャラは四ツ原フリコっぽいなとか思ったり

>>67
終電のやつは半年くらい前に見ましたが、どの話でしょうね

>>68
へたれっぽい感じですかね

それに、私なんかよりりょうの方がよっぽど訳の分からない生命体じゃん。
好奇心はそっちに費やして欲しい。
連休に予定している旅行のことが頭をよぎる。
気が重くなった。
それよりも、明日学校でふみかちゃんに会うのがもはや気まずい。
私は私のやりたいようにするだけ。
なのに、この後ろめたさはどこからくるのか。
優しさが嘘を呼んで、身動きをとりずらくさせる。

友達を応援するのに、どうしてこんな労力がいるんだろう。
疲れはさらに眠気を誘い、私は考えるのを止めた。

眠すぎるのでねます

おつおつ

すき

夢を見た。
温泉旅行に行くはずだったけれど、私だけ置いてきぼりにされるという内容だった。
夢の中の自分は、電車に乗り遅れてしまって二人を見送る形で駅にぽつんと取り残されていた。
あーあ、と呟いてベンチに座って後悔しているのだ。
悔しがって、列車の後部車両をずっと眺めていた。
夢から覚めてすぐだと、それは現実味を帯びていた。
そして、どこかほっとした気持ちになって、
暫く経って、カーテンの隙間から覗く曇り空を見つめながら、ああこれは夢だったんだとがっかりした。

朝食を食べ終わって携帯を確認すると、ふみかちゃんから連絡が入っていた。
お父さんが風邪を引いて寝込んでしまって、少し遅刻するとのこと。
手伝いに行こうか悩んだが、彼女の方から、すぐに向かうからと続けて連絡が来たので、私は作ったメッセージを削除して家を出た。
学校に着くと、りょうが駆け寄ってきた。

「今日は、明野いないの」

今朝のやりとりを簡単に説明する。
ふーん、と多少は気に留めるような表情。

「じゃ、今日は椎名独占できるわけだ」

「気持ち悪いこと言わないでよ」

「自分でもさ、なんでこんなこと言えるようになったのか不思議なんだ」

「知らないって」

懐くな懐くな。

「最近、取り巻きの人達が、優しくなったりょう君なんて、りょう君じゃないって言ってたけど」

「あー、そんなことを言われたような気もするけど。基本、私は気に行った人には優しいよ」

「じゃあ、明野と私は気にいられたの?」

「うん」

「それは、どうも」

「椎名忘れてるかもしれないけど、私は前から気にいってたよ」

「前っていつ」

「ずーっと前、ほら、日直一緒だった時」

りょうとの思い出なんて、あるはず――あ、思い出した。

「黒板消してくれたっけ」

汚れるからって。

「ね」

私は小刻みに頷く。
あの時、私もまだほとんど会話したことのない彼女に多少緊張していた。
黒板の映像が脳裏を流れていく。

「椎名だけだったよ、かっこいいとかってその後言わなかったの」

「だって、りょうの方が背が高いんだから必然そうなるじゃんか」

「そうそう」

りょうは唇の端を釣り上げる。

「もしかして、そうやって試してた? 自分に合うか合わないか」

「さあ?」

りょうは視線を逸らせて、わざとらしく口笛を吹き始めた。
私の座席の後ろに回って、曇天を眺める。
ベタベタだな、おい。
中学の時から、もしかしたら男っぽく見られる自分に辟易していたのかもしれない。

「分からなくもないけどさ……」

ふっと息を吐く。

「椎名も、我慢してた口?」

「そういう時もあるよ」

「へえ」

彼女は私の頭の上に、手を乗せた。
重い。
上から声が降ってくる。

「相手のために求められる自分を演じたこともあったけどさ、だんだん嫌になるんだ。分かる椎名?」

「うん」

相手の期待に応えて、自分を摩耗させていく感覚が蘇る。

「前の彼女が――あ」

「彼女? 彼女って?」

息を荒げて、ふみかちゃんが教室に入ってきた。
私は、咄嗟に立ちあがる。
後頭部に何か固いものがあたった。
りょうのあごだ。

「いった?!」

互いにぶつけた位置を抑えてうずくまった。

「だ、大丈夫?」

ふみかちゃんが駆け寄ってきて、机に突っ伏した私の肩を支えた。

「椎名、なに、すんのさ……」

恨みがましい声。

「ちょ、びっくりして」

「ご、ごめんね二人とも。私が急に入ってきたから」

私の涙目を、天使のような顔で覗いてくる。

「ふみかちゃんが謝ることないよ……」

見られたかな。
不用意だった。
うかつだった。
あんなに距離が近ければ、要らぬ誤解を生みかねないのに。

「あみちゃん?」

名前を呼ばれただけなのに、どこか、見透かしたような瞳に私はどきりとする。
気のせいかも。気のせいであればいいのに。
どうしてこんなに気を遣っているのか、自分でも可笑しいくらい。
嫉妬とか、めんどくさいし。
違うか。

ふみかちゃんに、ただ嫌われるのが嫌なだけだよね。
どうしてそんな風に、よくない未来予想が生まれるんだろう。
りょうのせいにできたらなんてラクなんだろう。
いっそのこと、今すぐにでもふみかちゃんの気持ちをりょうに教えてしまいたい。
そしたら、どうなるか。
りょうは何て言うのか。
想像するのも恐ろしい。

すぐに担任が入ってきて、生徒が席につき始めた。

「後で、続き!」

りょうが興味津々と言った様子で、私に言った。
私は眉根を寄せて、嫌そうに見える顔を作ったけど、彼女はもうこちらを向いていなかった。

日本社会に、女は必ず男と付き合うってきまりでもあればこんな風にもやもやしなかったのかな。
付き合わなければ、禁固刑とか。
子どもを産め産めって言うなら、そのくらいやればいいんだ。
そしたら、女友達とのことでこんなに悩まないのに。
私だって普通の恋愛を楽しんでいたかもしれない。
選択肢が多ければ、それだけ悩むし、悩む時間も長くなるじゃんか。
悩むのはしんどい。
気持ちを抑えるのはもっとしんどい。
女の子の皮を被った異物。
苦味しかない。

そうやって、私は自分を卑下しながら、ふみかちゃんの背中を見つめていた。


その日の4限終わりに、ふみかちゃんの様子が変なことに気が付いた。
気だるげというか、

「何か、疲れてない?」

りょうも気が付いたのかその手が、ふみかちゃんのおでこに触れる。
びくりとしながらも、彼女は首を振った。

「そんなことは」

「でも、熱っぽいなあ」

りょうが言った。

「ふみかちゃん、お父さんに風邪貰ったんじゃない?」

ここまで

りょうの手を軽く押し返して、ふみかちゃんは小さく笑いながら、

「うーん……たぶん、看病して疲れたのかも。昨日からお父さん調子悪くて、ちょっとばたばたしてて……」

「早退しちゃいなよ」

軽いノリで、りょうが言った。

「明野の分のノートは、椎名が取ってくれるし」」

「言われなくても取るけど、あんたに言われたくはない」

めんごめんご、とか古臭い謝罪をしつつ、りょうに肘で小突かれた。
お前は、チャラ男か。

「あ……あの! 私、そんなにしんどくないから大丈夫……!」

私とりょうはふみかちゃんを見た。

「う、うん」

私は頷いた。
ふみかちゃんの声は、いつもより少しだけ知らない響きを含んでいた。

結局、ふみかちゃんは軽い誘いに乗ることなく放課後を迎えた。
弱ってる所が可愛いなんて言ったらどんな反応が返ってくるだろう。
きっと、私なんかが言っても何にも響かないと思うけど。

「家まで送っていくよ」

下駄箱から緩慢にローファーを取り出す彼女に声をかけた。

「ありがと……でも、うつったらいけないし、りょうちゃんも今日はお店臨時休業だから……二人でご飯食べに行ってきたらいいよ」

「ふみかちゃん、ちょっと」

りょうは、

「え、まいったな。何食べに行く?」

「や、行かないから」

「それじゃあね」

一人、ふらふらと帰ろうとするふみかちゃん。
その細い腕を慌てて掴む。

「どうしたの、あみちゃん」

なんだろ。
今日、初めて名前を呼ばれたような気がした。

もっとも、たぶん何回か言ってくれてはいた。
今日は、どういう訳かふみかちゃんの意識の中に私がいたような心地がしなかったのだ。
かと言って、りょうを意識しているのかと言うとまた違うような。
とにかく、今日のふみかちゃんはどこか変。
そんな言葉で、彼女を表現するのも気が引けてしまうけど。

「りょう」

私はふみかちゃんを見ながら、

「今日はふみかちゃんの看病しに行くから先に帰ってて」

「あみちゃん……大丈夫だからっ」

ふみかちゃんが言った。

「椎名、なにそれ命令?」

りょうは素朴な疑問をぶつけるように聞いた。

「うん」

「ふーん、じゃあ断れないわ。今日は、新天地開拓してくるよ」

手をひらひら振って、気味の悪いくらい聞き分けの良い彼女は、先に玄関を出て行った。

私の家への分岐点である郵便局前を通り過ぎる。
その頃には、人の顔が判別できない程度に陽は傾いていた。
歩道橋から混雑気味の車道を眺めながら、ふみかちゃんが呟いた。

「二人で帰るの久しぶりだね」

「私も、それ思った」

ふみかちゃんが同じことを考えてくれていたのは、素直に嬉しかった。
学校を出てから、私は少し不愛想だった。
彼女もそれを感じ取ってはいて、今の今まで無言だったのでほっとして私は言った。

「ごめん、無理に着いて来て」

ふみかちゃんはすぐには何も言わなかった。
もしかしたら、クラクションの音で聞き取りずらかったかな。

「うん……いいよ」

ふみかちゃんが答える。
続けて、私の袖口を掴んでこう言った。

「ねえ、今日私がどんなこと考えてるか分からなかったでしょ……」

彼女の目を見た。
暗くて良かった。
表情は窺えない。

「わ……分からなかった」

誘導されるように、私は言った。

周りの街灯やビルの明かりを反射して、彼女の瞳だけがゆらゆらと揺れていた。
昨晩の電話のやりとりを思い出した。

「最近、あみちゃんに感じてる私の気持ち……そんな感じだから」

息が止まりそうなことを言われて、私は躓いた。
ふみかちゃんが握っていた袖を引っ張てくれる。
二人立ち止まる。
カッコ悪い。

「大丈夫?」

「あ……うん」

そうだ。
私、昨日、ふみかちゃんに怒られるのが嫌で電話を切ったんだ。
都合の悪いことを完全に忘れていた。
なんて、都合の良い。

「それでね……なんとなく、分かったことがあって、あみちゃん……もしかして、私のこと好き?」

鉛の口を開く。

「どういう意味?」

「あ、勘違いだったら私、凄く自意識過剰なだけなんだけど、色々、思い返してたら……そんな思考に」

「じゃなくて、好きってどういう意味の?」

ああ、やめろやめろ。
自分で傷口を広げるような自傷行為は。

「……私がりょうちゃんに対してのと同じ意味で」

いくら、本当にそうだと言う確信が持てたとして、本人にそれを言ってしまうふみかちゃんは、悪く言えば、無遠慮。
なんて、デリカリーがない。
良く言えば。
欲を言えば。
本当は嬉しいのに。
気付いて欲しくは無かった。
だって、あんまりじゃんか。
それが分かった所で、彼女にすがることなんてできないのに。

「だったら、どうする?」

からかうように、彼女を抱きしめた。
こういうのは、わざとらしくした方がいい。
ふみかちゃんは首をすくめた。

「……なんてね。変な妄想してないで、早く帰ろう」

私は上着のポケットに手を突っ込んで、歩き出す。
何か入ってる。

「ふみかちゃん」

最後の義理チョコを握りしめる。

「もう、それ考えなくていいからね」

彼女の柔らかくて暖かい感触を必死に追い出して、そう言った。

「私、恋愛とか無理だし……スキンシップとか苦手だし、まずさ……女の子同士とかやっぱり肌に合わないみたい」



私は笑った。

「ていうか、ちょっと前まで私がりょうのこと好きって言ってたじゃんか。あんたの推理は穴があり過ぎだよ名探偵」

後ろからふみかちゃんが着いてくる気配がなくて、振り返った。

「ふみかちゃん?」

彼女の小さい体が、より小さく見えた。

「なにして」

「私は、りょうちゃんのこと好きだよ!」

周りの雑踏に負けんばかりの大声を張り上げた。
それは、私を射抜いた。

「でも、言ったよね?! 卒業まで一緒だったらいいって!!」

なに。
いきなり。

「こんなこと言ったら、嫌われるかもしれないけど……、私は! りょうちゃんとは卒業までになったとしても、あみちゃんとは一生の友達でいたいのっ……」

声が震えていて、最後の方は聞き取りずらかった。

「だから、あみちゃんのことで……知らないこととかっ……ほんとは、嫌なのっ……! 私の知らない人と付き合ってた時も、ほんとは、ほんとは嫌だった……んだから……」

ふみかちゃんは、いつも突拍子がない。
そして、説明が下手くそ。
そして、可愛い。
そして、酷い。

「なんで、なんでそんなこと言うのっ!?」

私も叫んだ。
ふみかちゃんは片腕で、頬を拭っていた。
何かこらえるように。

「私だって……ふみかちゃんが、りょうのこと好きだって言うから……我慢しようって思ったのに! ふみかちゃんと二人の時間も減ったし、嫌なのは私の方だよ?! 私は、ふみかちゃんを……ほんとは、誰にも渡したくなんてない」

言って、後悔。
しゃがみ込んで、私は顔を抑えた。
こらえ切れなかったのは私の方だ。

「私は!」

ふみかちゃんは、まだ何か言おうとしていた。
ああ、もう聞きたくない。

「……気持ち悪い」

と、ややトーンの低い声が聞こえた。

「は?」

ふみかちゃんが口を抑えて、歩道橋の鉄柵に寄りかかっている。
私が近づく頃には、崩れ落ちてしまった。

「ふみかちゃん!?」

彼女を抱き留める。
息が上がっていて、苦しそうだ。

「お家……帰る」

ふみかちゃんがぽつりと呟いた。

それから、彼女を急いで家に送っていった。
ふみかちゃんをベッドに寝かしつける頃には、互いに冷静さを取り戻していた。

「ごめんね……今日、私、変なことたくさん言った」

卵がゆをおばさんに受け取って、枕もとの机に置く。

「私こそ。食べれる?」

「うん」

小さい土鍋から小皿に取り分ける。
ピピ、と電子体温計が鳴った。

「何度?」

よそおいつつ、聞いた。

「38度ちょっと」

「ばか」

「はい」

短くやり取りして、小言を述べて、おかゆを渡す。

「食べさせてあげた方がいいの?」

聞くと、うんと頷いた。

「はいはい」

「わーい」

悪魔か。

「あーん」

「あー……」

しっかり冷まして、口に入れる。
リスのようにほっぺを膨らませて噛んでいた。

「おいしー」

さっきまで、口論していたようには見えまい。

もぐもぐ、と効果音さえ聞こえてきそうだ。

「優しいね、あみちゃんは」

少し張りつめていた背中が、緩くなる。

「そんなことないよ」

「それに比べて、りょうちゃんは酷い」

ふみかちゃんからりょうの悪口を聞くことになるなんて。
いい気味だと思いながら、私は身を乗り出す。

「なになに」

「お店に来ても、愛想は無いし、3人でいる時もたまにしか話しかけてくれない」

「あー、それは、そんなことないと思うけど……」

一応、りょうをかばう。

「……たぶん、ふみかちゃんがいるから私にも優しくしてくれるんだと思う」

「うーん、まあ、わけわかんないよね、あいつ」

「うん……」

きっと、それでいてどきりとさせる言動をするのだろう。
そうやって、期待を持たせて容易く裏切る。
本人も無自覚なのか、自覚有りなのか。
どっちにしろ迷惑な話だけど。

「だから、たぶん……分かりたいって余計に思うんだね」

ふみかちゃんは言った。
まるで、元カノみたいだと思った。
みさきさんがあれだけ言ってくれた愛の言葉も、私には伝わってなくて。
みさきさんも、きっと私のこと分からなかったんだと思う。
だから、知りたくて知りたくてしょうがなかったのかも。

私は、もうふみかちゃんのことを知ってしまった。
彼女といると、私らしくなれた。
私たちの関係は、決まってしまっていた。
もっとも、居心地の良いポジションへと移ってしまったんだろう。

私は、彼女に分かってるよとしか言えないんだ。
それで。
そうやって。
分かりたいと思っていたことも、分かってしまって。
平行線。
互いに交わることはないのに、
未来永劫共に居続けることができる。

出会いからやり直せばいい?
そんなことできない。

「ふみかちゃん、チョコ食べる?」

有無を言わせずに、溶けかけたチョコを彼女の手の平に置いた。

「崩れてる」

彼女は笑った。
疲れた笑い。

「この間あげたチョコ、ノーカンにしてくれる?」

沈黙。
音もなく、ふみかちゃんは頷いた。

今日はここまでです、

乙乙

そんなことを言っても、あれはもう彼女のお腹の中で溶けてしまっているのに。
でも、私はもう見て見ぬふりなどできない。
ふみかちゃんが、誤って受けとってしまった私の本命チョコ。

ベッドに横たわるふみかちゃんが、私を見ている。

「それで、仲直りね……」

太ももに生暖かいものが落ちた。
私は泣いていた。
泣くまいと思うと余計に。

「あ、あみちゃん……」

ふみかちゃんが、慌てて私の頭を抱きかかえる。

「ごめ、ん。大丈夫、なんでもないからっ」

彼女を押し返す。
押し返した力は、自分の予想よりも強くて、そのまま彼女は仰向けに転がった。
ベッドの上で、私の下敷きになっても、なお、彼女の眼差しは、彼方。
私の欲しい言葉をくれない唇を指でなぞる。

ふみかちゃんの吐息が指の腹をくすぐった。
互いに荒い。

ふみかちゃんがぎゅっと目を瞑った。
反射。
拒絶。

りょうの影が脳裏にちらついた。
もう、やめて。
放っておいて。
入ってこないで。
二人にしておいて。
どっかいってよ。

私たち3人が互いに知らなかった時間まで戻れたらどんなにいいだろう。
こうなることが分かっていたら、もっとふみかちゃんの周りを警戒できたかな。

「りょうが、好きでもいいから……私と」

このまま友達でいて?
私と――。
喉を突き刺すような痛み。

「あみちゃん、ごめんね……」

力が抜けた。
ほんの少し、分かった。
彼女と友達のままでいるということ。
そういう関係を望むにしろ望まないにしろ、
目の前の私の好きな人と交わり続ける道筋がそれしかないということ。

彼女の体から離れ、ベッドの端に顔を押し当てた。
何度考えても、同じ。
今の私にはふみかちゃんを振り向かせることなんてできやしないんだ。

1ヶ月ほどあとのこと。
ふみかちゃんとりょうと三人で旅行に行く計画は、予想外な、ある意味予想通りな所から亀裂が入った。

「え、行きたくない?」

私は、椅子に座ってこちらを見上げるりょうを見た。

「うん」

いつもの気まぐれかと思い、私は適当にあしらう。

「はいはい、じゃあ私とふみかちゃんで行きますから」

「あ、あのりょうちゃんなんで」

「なーんか、やだ」

「なんじゃそりゃ……」

りょうは、眉間を擦る。
と、私とふみかちゃんを交互に見やる。

数秒して、

「明野も、椎名も遠慮してるから、私も遠慮しておく」

謎の解答。
困惑する私とふみかちゃん。
何を言い始めたのか。

「ていうかさ、誰が行きたいのこの旅行? 誰が得するの?」

「りょ、りょうちゃん?」

ふみかちゃんが、傷ついたような声を出した。
何を言いたいのか。
いつもの気まぐれにしては、苛立った様子に私もたじろいでしまう。

「つまらない」

場が一気に凍り付く。

「気に食わないことがあるなら言いなよ」

りょうの机に、片手を置いた。

「言ったよ、私は。言ってないのは、椎名の方だ。明野の言いなりになる椎名も面白いけど、今はちょっと気に食わないかな。明野も明野だね。自分で言えばいいのにさ」

「言いなりって……」

私は、唇を噛んだ。

「違った?」

「違うし、言ったよね。ふみかちゃんを傷つけるようなことは」

「明野のことを悪く言うつもりはないけどさ、あんたがしんどいのは見てらんないな」

目を細め、妙な顔つきをする。
いや、これは怒っているのか。
哀しんでいるのか。

私のためみたいな口ぶり。
誰も頼んでないのに。
分かったようなことを言って。
こいつに何が分かるの。
苦労して、3人の間を取り持っている私の気持ちが、こいつに分かってたまるか。

「あんたなんかに」

ふみかちゃんに出会って、
友達になって、
好きになって、
何よりも私を満たしてくれて、
私を焦がして、
でも、それ以上は進めなくて、
りょうを好きと言われて、
それでも、一緒にいられたらいいと思い込もうとした私の気持ちが、
分かってたまるか。

拳を握る。

今日はここまで
おやすみ

りょうの言葉に自分が興奮してきているのが分かった。
それに気づいて、私は息を吸った。

「言っとくけど、私は、今後も明野に気持ちが向くことはないよ」

ふみかちゃんが後ずさった。

「りょうちゃん……知って」

「ばれない方がおかしいけど」

りょうは後ろ頭を掻く。

「好きなようにやればいいのにさ。明野も椎名も。それで終わるようならそこまでの仲なんだろ」

誰よりも勝手な奴が、自由をうたう。

「あんた、知ってて近づいてきたの?」

「まさか、途中で気づいたんだ。まるで、昼ドラを見てるみたいだったけど」

くつくつと笑う。
頬が熱くなる。
バカにして。

りょうは笑うのを止めて、私とふみかちゃんを見た。

「私はさ、ただ普通に旅行に行ってみたかっただけ」

なにそれ。
普通の旅行ってなに。
友達同士で行くってこと?
本当に好きな人と行く旅行?

もう、それ無理。
この3人じゃ無理だから。
分かってるよ。
私だって普通の青春送りたいよ。
あんたに言われなくても。
私だって、そうしたかったんだから。

りょうは立ち上がって、背中を向けて言った。

「こんな扱いにくい人間と一緒にいてくれてありがとさん」

教室を出て行く。
授業が始まりそうだった。
私もふみかちゃんも彼女の後姿を呆然と見つめた。

あんな酷い人間は初めてだ。
教師が入って来て、私とふみかちゃんは何も言わずに席に着いた。
目の前のふみかちゃんの背中は小さくなっていた。
何も考えれない、と言った感じだ。
暫く経って、教科書の問題を解きながら、
ふみかちゃんが振られてしまったのだと思い当たるのだった。


先生に聞くと、彼女はその日ずっと保健室にいたらしかった。
放課後、ふみかちゃんを先に帰らせて私は保健室へ向かった。
いないことを祈りつつ、扉を開ける。
どうも、祈りは届かなかったみたい。

「りょう」

回転椅子でくるくると回っている彼女の名前を呼んだ。

「や」

ハツラツとしていて、腹が立った。

「何か用?」

目の前に近づいて、鼻息を吸う。
彼女に言ってやりたいことは、ふみかちゃんのことばかりだった。

「まだ、何かどうにかしようって思ってる?」

りょうがひょいと椅子から降りる。
私の腕を掴んだ。

「やだ、やめてよッ」

そのまま、壁際に追い込まれる。
背中を白い柱に打ち付けて、私は身を捩った。

「私は期待をかけられるのが一番嫌いなんだよね」

「それで、川に流したチョコみたいに処分するの?」

「好きでもない相手に、優しくできる程人間できちゃいないよ」

少しは、ふみかちゃんのこと考えてよ。
哀しませないでよ。
嫌いだ。
こんな女嫌い。
まるで、私だ。
私の酷さを姿見に映したみたいだ。

「期待の無いあんたの言葉が調度よかったのになあ」

りょうは私の頭を撫でた。
彼女は、誰からも好かれたくないんだ。
それでいて、人が恋しいんだ。
矛盾してる。
なんて、天邪鬼な奴。
不器用な奴。
なんて――。
だから、分かりたいと思うのか。

りょうが笑う。

「りょう……」

「でさ、それと、あんたの困った顔もけっこう好きだったよ」

こいつが、極悪人だったら私はふみかちゃんを応援なんてしなかった。
こいつが、私のこと嫌いだったなら3人の仲を取り持とうなんて思わなかった。

「私は……嫌い」

「そっか……」

そんなことしか言えない。
それでもあんたは満足するんじゃないの。
なんで、そんな痛そうな顔をするの。
チョコを捨てた時みたいに、良心が痛んでいるの。

「残念」

離れていく。
引き止めなくていいの、私。
きっと、もう明日から友達でもなんでもない、そんな関係になるのに。

いいの?

りょう、振り向いてよ。
まだ、何か皮肉を言ってよ。
何か、言わせてよ。

そんな、身勝手な願いは通じはしないのだ。
彼女は去っていく。
拾った野良猫が、手元をするりと抜け出したみたいに、私は何かを消失した。







おわり

お付き合い感謝
苦味を持たせようと思ったらこんなことに……

ファッキン……

んああ

乙。りょうには椎名に口付けをして爪跡を残していって欲しかったなぁ。なんて

りょうがあみのこと好きになったのは>>41の過程からってわかったけどあみがりょうに好かれてるって知ったのはいつ頃なんだろうな

あと他にエンドはあったのか?見てみたい

>>116
りょうが椎名にそういう感情を抱くには至らなかったみたいです

>>117
>>74あたりから、懐かれてるのは感じていました

>>117
他エンドはありませんが、今後の展開としての予想を一つ

失恋したふみかをあみが励ますことで、ふみかの感情が発展する可能性はあります。
ただ、りょうに似ているあみは、自分を押し付けることが嫌で、また、追えば逃げます。
ふみかがあみにアタックしても、あみははすぐには受け入れられません。
誰かが椎名を後押しし、明野が椎名のそんな性格を愛おしいと思い、受け入れる側に立てば、あみとふみかのハッピーエンドもありえます。

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