八幡「citrus?」(12)
のろりのろりと亀更新
シトラスという漫画のねたを
>>1
書いてる途中で書き込んでしまいました。てへ。
citrusという漫画のネタを多分に含みますが、分かりやすく書くつもりなので、よろしくお願いします。
移動教室のとき、早くから次の教室に移っても時間を持て余すので、寝たふりをして頃合いを見計らいながら最後の方に教室を出て行くのが常だった。
葉山グループがぞろぞろと席を立つのが視界の端に映って、そろそろ起きて授業の準備でもするかと上体を起こす。
お喋りを一通り楽しんでから葉山たちは移動するので、クラス全体からみれば彼らが教室を出るのは後の方だった。葉山たちに続いて教室を出ると、ちょうど移動先の教室でも時間を持て余さずに済むと経験上知っていたので、彼らが脇を通り過ぎて行くのを待って俺も席を立とうとする。
が、俺の席の横を通り過ぎていく一団のなかで、一瞬だけ歩調を緩める人がいた。
海老名姫菜。
四ツ折りに畳まれた紙を俺の机に置くと、何事もなかったかのように彼女は葉山グループに紛れて去って行く。
なんだろう。
一体なんのつもりか。
どうせ誰も俺のことを気に留めちゃいないだろうから、その場で構わず海老名さんから貰った紙を開く。
放課後、屋上。
手紙を読むというほどの文章量もなく、ともすれば味気なく思えるくらいの簡潔さで用件が綴られていた。
なんの用だろうか。
海老名姫菜という人の印象について言えば、由比ヶ浜の友人という認識でしかない。
何度か関わり合いになる機会もあるにはあったが、それから仲が深まるようなこともなく、俺からすれば完全無欠に赤の他人に違いなかった。
もっとも、嘘とは言え、一度告白をした仲ではある。
が、告白の理由も目的も海老名さんは承知していて、妙な誤解が生まれるようなこともなかった。
とすれば……。
奉仕部への依頼か。それも部室を訪れるではなく、直接俺にアプローチをかけてくるあたり、由比ヶ浜には聞かせたくない内容での依頼ではなかろうかと推測できる。由比ヶ浜のことか、はたまた由比ヶ浜を含む葉山グループについての悩みかは測りかねるが、彼女が俺に用事があると言えば、そのくらいのことしか考えつかない。
まあ、今、考えても仕方ないことか。放課後になれば呼び出しの理由もわかるだろう。
あまり面倒なことじゃなきゃいいなぁ。
すでに面倒に巻き込まれている気はするが、こうなってしまったからには言っても詮なきこと。
何か問題があったとして、それを放置した結果、その、なんだ、由比ヶ浜に累が及ぶようなことがあっても後味が悪いし、さらにそこから飛び火して雪ノ下に何かあっても嫌だから、無視をするわけにはいかないだろう。
そして、放課後。
海老名さんからの呼び出しのせいで上の空になるなんてことはなかったが、それでも頭の隅には呼び出しの件が引っ掛かり続けていて、なにか落ち着かない気持ちを抱えたまま一日を過ごしたのだった。
以前、川崎に会い、相模と一悶着あった例の屋上の扉を開ける。
屋上は吹き抜けであるから、扉を開けた瞬間、ザアッと強い風が通り過ぎて、思わず目を瞑る。
再び目を開いたとき、視界に海老名さんの姿があった。
海老名「やっ」
軽い感じで手を上げて、笑みを見せる海老名さん。
その雰囲気からすると重たいものを背負い込んでいるという風でもなくて、何か深刻な相談があるのではないかと身構えていた俺は肩透かしを食らった。
そして、少し混乱する。
なに? なんで呼び出したの、このひと?
まさか告白ということはあるまいし、かといって悩み相談や依頼がある様子でもない。
八幡「で、なんで呼び出したのか説明してほしいんだが?」
結局、考えて答えの出る類いのことではないから、直接海老名さんに訊ねる。
海老名「ああ、うん、そのことなんだけどね……」
言いながら、ごそごそと鞄をあさり、何か取り出す海老名さん。
どこかのケーキ屋のものと思わしき洒落た紙袋が出てきて、それを「はい、どうぞ」と手渡される。
は? なに、ケーキ?
意味がわからなさすぎて、つい素直に紙袋を受け取ってしまう。
しかし、ケーキ屋の紙袋は見かけの重さ通りではなくて、不振に思って中を覗いてみると数冊の漫画本が入っているようだった。
八幡「……どういうこと?」
海老名「うん、それ、ヒキタニくんに貸すから読んでみて?」
八幡「は?」
あまりに良い笑顔で海老名さんが言うので、かえって警戒心が煽られる。
もしかして、何かよくない漫画ではないだろうか。
例えば、海老名さんが言うところの男同士の美しい友情を描いたような漫画とか。
所謂、ひとつの布教活動を受けているのではなかろうか。
考え始めるとそうとしか思えなくて、今度はよくよく中身を改める。
八幡「citrus?」
が、予想は大きく裏切られた。
表紙には睦み合う美少女二人のイラストがあって、出版社を確認したところ、一迅社のコミック百合姫という記されているのを見つけ、「あっ」と全てを察した。
八幡「……海老名さん、こっちの方面もいけるんですね」
思わず敬語になる。
海老名「本質的にはどちらも同じものだからね。ぎりぎりの背徳感が好きだから、つい百合ものも読んじゃうんだよねぇ」
遠い目をしながら言う海老名さん。
この御仁、業が深すぎるよ。
俺を含めて奉仕部の面子も相当アレだと思っていたが、葉山グループも大層な爆弾を抱え込んでんなぁ。
そして、そのどちらのコミュニティでもバランサーとして機能している由比ヶ浜はドMか何かなの?
八幡「しかし、なんで俺なんだ?」
お薦めの漫画を読ませたいだけなら俺でなくてもいいだろう。それともあれか。友達のいない俺にならば、歪んだ趣味が露呈しても言いふらされる心配がないから安心できるとかそういうことだろうか。
海老名「いや、こればかりはヒキタニくんに読んでもらわないと意味がないことだからさ。ヒキタニくんだったら、その漫画を読んで私と同じ気持ちになってくれると思うし」
真意を測りかねて海老名さんを見るが、うっすらと微笑んで彼女はますますわけがわからないことを言う。
海老名「うん。御託を並べても埒が明かないからさ、とりあえず読んでみよう。そしたら私の考えも理解できるから」
八幡「あんまり理解したくないんだが……」
しかし、半端な情報量しか与えられないとかえって気になるというもの。それに漫画を読むだけならば、面倒なことにもならないだろうから、べつに構わないかという気もしてくる。
八幡「わかった。……それじゃあ、しばらく預かるぞ」
海老名さんの頼みを了解して漫画の入った紙袋を鞄にしまう。それを見届けると用事は済んだとばかりに海老名さんが鞄を背負い直すので、俺の方でも屋上をあとにした。
しかし。
何気なく引き受けた漫画が原因で、のちに奉仕部は思わぬ方向に転がっていくのであった。
海老名さんから借りた漫画を汚すようなことがあってはいけないから、早く返却するために、その日のうちに漫画を読むことにした。
だが、これは……。
物語は主人公の柚子が両親の再婚のため女子校に編入するところから始まる。
髪も染め、今時ギャルとして生きてきた柚子であったが、独自の伝統を重んじる女子校では校則違反とされ、初日から生徒会長である藍原芽衣に厳しく叱責されてしまうのだった。
が、この生徒会長こそが、柚子の母の再婚相手の子どもにあたる人物であった。つまり義理の妹になる存在で、柚子と芽衣は一つ屋根の下で暮らすことになる。
そして、出会いこそ最悪であったものの、ファーストキスを奪われたことから次第に柚子は芽衣に惹かれていくのであった。
そして、二人の恋の行方は……。
と、強引に短くまとめるとそんな話。
最初の数ページ読んでみて、海老名さんの思惑に気付いてしまった。それから続きを読むかどうか暫く迷って、結局最後まで読んでしまい後悔している俺がいる。
八幡「うあー、あー」
読まなきゃ良かった。
先程から漏れるのは呻き声ばかりだ。
八幡「……明日からどんな顔をして奉仕部に行けばいいんだよ」
初の百合漫画だったから楽しめるか不安だったけれど、それは全くの杞憂で文句なしに楽しめた。だからcitrus自体に罪はない。だが、citrusに登場するキャラクターと奉仕部の面子の類似性には非常に問題があった。
藍原柚子は由比ヶ浜に似たところがあるし、藍原芽衣は雪ノ下に似たところがある。
それが問題だ。
そのせいでページを繰る度に由比ヶ浜と雪ノ下がイチャついているようにしか見えなくなった。普段、あいつらの部室でのイチャつきようを知っているだけに、余計にいたたまれない気分になる。
きっと海老名さんも同じ気持ちになったに違いない。
今ならわかる。
海老名さんはこのなんとも言えない胸のざわめきを誰かに共有してほしかったのだ。
そして、この気持ちを共有してもらうにあたり、雪ノ下と由比ヶ浜のどちらにも関わりのある俺が適任者として見出だされて白羽の矢がたったわけである。
まあ、その理屈でいけば葉山でも良かったわけだが。しかし、葉山に読ませるには尖りまくった漫画だから、やはり適任とは言えないだろう。
④
八幡「あー、明日、学校に行きたくねぇ」
いや、進んで学校に行きたかったことなど一度もないが、とりわけ明日は行きたくなくなった。
藍原芽衣。黒髪ロングの美少女。クールビューティ。容姿端麗。成績優秀。家柄良し。口調が「~なのだけれど」「~だと思うわ」など、このキャラクターが話す度に雪ノ下の顔が脳裏を過る。
藍原柚子。髪を茶髪に染めて、口調も今時のギャル風な女子高生。しかして、その実態は恋には初心な純情乙女。ちょっと学力は残念だが、明るいムードメーカーでクールな芽衣の心を抉じ開けようとするガッツの持ち主。このキャラクターを見る度に由比ヶ浜の顔が脳裏を過る。
あー、マジで学校行きたくない。
リビングに降りて、冷蔵庫から取り出した飲み物を片手にぶつぶつとぼやいていると、それを聞き咎めた小町が「お兄ちゃん、まーた言ってる」と呆れたような視線を向けてきた。
いやぁ、そんなこと言われても。
が、あらゆる者に平等に時は流れる。学校に行きたかろうと行きたくなかろうと夜が来れば次には朝が来る。悶々として夜を迎えて、そして気が付いたら東の空が白み始めているのだった。
恨むぞ、海老名さん。
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