インコ、網戸、それから猫 (61)


 セキセイインコのモモが彼女と出会ったのは、ある昼下がりのことだ。
 その時彼は自慢の青い羽根を整えていて、くちばしがちょうど尾羽にさしかかっていた。

 モモは羽づくろいの中でも特に尾羽を整えるのが好きだ。
 長くてやりにくそうだねえと飼い主は言うけれど、やりにくいからこそやる甲斐もある。
 それにここをしっかりしておくと見栄えが断然に違うのだ。

 彼は熟練のくちばし捌きで尾羽を丁寧に梳きはじめた。
 一回、二回。しかし三回目でふと彼は顔を上げた。
 きゅっとすぼまった瞳孔の先、網戸の向こう、そこに何かがうずくまっていた。


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 光るものが二つ。目のようだ。ぴくぴくと動く、おそらく耳。
 なんだろう見たことがある。
 あれはたしか……

(猫だ)

 モモはそれがなんだか知っていた。
 飼い主が本やテレビで見ているのを脇からのぞいたことがあった。


 そしてその恐ろしさも知らないのに知っていた。
 その姿を見ただけで、体に寒気が走ったのだ。

「モモちゃんが細くなってる」

 飼い主たちはそう言って笑ったけど、モモは怒るどころではなかった。
 これは出会ってはいけないものだと記憶した。
 あと、飼い主がインコもいいけど猫も飼いたいなーと言ったことも一応記憶しておいた。


 その出会ってはいけない猫に見つめられて。
 モモは気づかなかったふりをすることにした。
 羽の中に顔をうずめて知らんぷりを決め込んだ。

 ああいう奴は羽づくろいしているうちにどこかへ行ってしまうに違いない。


 両翼の先から尾羽の先まで。くまなく二周を終えても猫は帰っていなかった。
 再び顔を上げてモモは困り果てて首を傾げた。

 試しに少し歩いて相手を見やる。
 猫の目はしっかりモモを見つめていた。
 今度は逆側へ五歩。
 やっぱり猫はこちらを見ていた。

 モモはしばらく考えて。それから猫の方へと近づいてみた。
 もしかしたら動かない猫なのかもと思ってしまったのだ。

 二歩までは何ともなかった。
 三歩目で猫が少し身体を起こした。
 四歩を踏み出すかは少し迷った。
 迷って結局踏み出した。


 っしゃあん、と大きな音がした。
 モモは大きく飛びあがった。
 大慌てでかごに駆け寄って飛び込んで。
 ぶるぶる震えて細くなった。

 猫の方をなんとか振り返ると、それはまだそこにいた。
 悔しそうに顔をむっとさせてモモの方を睨んでいた。

「……失敗した」

 その声が雌のものだったので、雌の猫だとようやく分かった。
 彼女は名残惜しそうに網戸を二三度叩くと、どこかへ姿を消してしまった。
 もう来るな!
 そう願いながら、モモは体を固くしたままだった。


 けれど猫は次の日もやってきた。

「帰って!」

 かごの奥から震え声でモモは叫んだ。
 猫は動かなかった。

「帰ってよ!」

 猫はやっぱり動かなかった。
 ただじっとモモの方を見つめているだけだった。


 と、その時、不意に猫が口を開いた。

「わたし、謝ろうと思って来たの」
「え?」

 モモは首を傾げた。

「昨日は驚かせてしまったでしょう? 友達になろうと思ったのに」
「友達?」
「そう。でもあいさつの仕方がわからなくてあんなことを。ごめんなさい」

 モモはもっと首を傾げた。

「わざとじゃなかったってこと?」

 猫はこくりとうなずいた。


 なあんだ! モモはすっかり安心した。それなら怖がることなかったね!

「わたしと友達になってくれる?」
「いいよ!」

 モモはかごを飛び出して、急いで網戸に走り寄った。

「友達になろう!」

 そして網戸まであと少し、というところで思い出したのだった。
 テレビでは猫が鳥を襲っていたことを。
 ぴたり、とモモが足を止めると、猫が不思議そうに聞いてきた。

「どうしたの?」
「ごめん、やっぱり猫は怖いや」

 モモの答えに猫は大声を上げた。

「なんで! もう少しだったのに!」


 そして再びの網戸を叩く音。
 っしゃあん、がしゃん、がっしゃあん。

 モモはもちろんかごに逃げ帰って、もう猫なんて絶対に信じるものかと決めた。


 次の日も猫は来た。
 けれどモモはかごの奥でそっぽを向いてやっていたので猫は手を出せなかった。

 次の日も猫は来た。
 かごの奥に隠れていなければならないのはつらいが、怖いよりはましだった。

 その次の日も猫は来た。
 飼い主が網戸の外に出て、少し撫でてやっていた。
 どことなく猫が勝ち誇った顔をしていたので、威嚇で羽を膨らませてみた。


 猫が来る頻度が多くなって、飼い主が彼女をかわいがる風景も多くなった。

「あんたがうちに来てくれたらいいのねー……だって」

 猫が得意げに言った。

「そのうちあんたを食ってわたしがこの家のペットになろうと思うの」
「あっそ」

 むすっとしながらモモは答えた。もちろん網戸からは距離を取って。

「ねえ、どう思う?」
「無理じゃない?」

 ムキになってモモは言った。

「ご主人様はなんだかんだ言ってぼくの方を取るよ。だってぼくの方がかわいいもん」
「それならわたしが勝つんじゃないかな」
「なんで?」
「わたしの方がかわいいから」

 その日は自分がどれだけかわいいかを延々と競い合った。


 それで結局はというと。勝負はモモの勝ちだった。
 飼い主が網戸を開ける時の隙を突いて室内に忍び込んだ猫は、こっぴどく叱られて外に放り出されたのだ。

「ねえ、どんな気分?」

 モモの問いに、網戸の外でふて腐れる彼女は答えなかった。
 モモが笑った時だけ彼女はモモの方をにらんだ。


 その後、二三日猫はやってこなかった。
 モモはせいせいしたなーと思いながらも、網戸の外を折に触れて確認した。

 次にやってきたとき、猫は少し満足げに見えた。
 余裕のあるゆっくりとした足取りで網戸の前まで来ると、優雅にそこに座った。

「……何かあった?」
「聞きたい?」

 訪ねると猫はにやりと笑った。
 モモはとりあえずうなずいておいた。


 猫が語るにはこういうことらしい。

 ここ二三日雨が続いた。
 雨はすこぶる嫌いなので雨宿り先を探していたところ、一軒の家の軒先がちょうどいい感じだった。
 そこで丸まっていたところ、天から恵みが降ってきたのだった。

「恵み? 雨のこと?」
「違う。家の人がごはんくれたの」

 自分の家で雨宿りしている猫を見つけた人間が、食事をくれたということのようだった。
 そういう人間というのは再び訪れれば躊躇わず食べ物を差し出すのだという。


「これで食事には困らないよ。搾り取れるだけ搾り取ってやる」
「それはよくないんじゃないかなあ」
「なんで。あんたもやってることじゃない」

 モモは小さな頭で考えた。
 考えて考えて、結局分からないということが分かった。

「でもよくないよ」
「生きるためには仕方ないのー。あんたに何がわかるのさ」

 明らかに面倒になった様子で、耳の後ろを掻きながら猫が言った。
 モモは、よくないと思うけどなあともう一度だけつぶやいた。

つづく


どうなる

ふむ。いいね。


インコが主人公とか俺得


 ある夕べ、モモは網戸から空を見上げていた。
 そのはるかな高みでは何羽もの鳥が行き交い、遠く鳴き声を響かせていた。

「どうしたの?」

 いつの間にか網戸の向こうにいた猫にモモは答えた。

「別に」

 猫はふーん、と言ってその場でごろりと横になった。

「もううちには来なくていいんじゃないの?」
「面白そうなものがあると来ちゃうんだよね」
「……ぼくのこと?」
「そういうこと」

 複雑な気分でモモは彼女を見つめた。


「ぼくなんか面白いかな」
「面白いよ?」
「ろくに飛べないのに?」
「え、そうなの?」

 猫は片目を開けてこちらに向けた

「うん。体、あんまり強くないから」

 惨めな気分でモモは自分の足元を見下ろした。
 血色の悪い脚がそこにある。
 それから小柄な体。

「ご主人様もよく言うんだ。モモちゃんはもうちょっと丈夫だったらよかったのにねって」


 猫は相変わらず片目片耳だけで話を聞いていた。
 が、体を半回転させて腹ばいになると、前足に顎を乗せて微笑んだ。

「それくらい問題ないんじゃない?」
「それくらいって……」

 ぼくは本気で落ち込んでいるのに。
 ますます気分を暗くするモモに猫は言った。

「あんたがどんだけ虚弱だろうと、猫を面白がらせるのには十分だよ。わたしはあんたを見てると狩りたくて狩りたくて仕方がないよ」
「そんなの何の慰めにもならないよ!」

 モモは跳びあがって怒った。猫のおもちゃとしての価値なんてどうでもいい!
 それでも猫はひるまなかった。

「それならさ、あんたはわたしよりはかわいいんだ。それははっきりしたじゃない? 誇ってもいいんじゃないかなあ」


 モモは言葉を失った。
 静かになったので鳥たちの声がよく聞こえた。

「……カラスが飛んでるねえ」

 モモはようやくそれだけをつぶやいた。

「そうだね」

 猫は静かにうなずいた。

「ぼく、カラスも嫌いなんだ。大きくて黒いから怖い。夜に似てるよね」
「ふうん」
「夕方になって空を飛んでるのを見るとこっちに来たらどうしようって思っちゃう」
「ならわたしが追い払ったげるよ」


 驚いて視線を下ろすと、猫が立ち上がったところだった。
 ふわあと大きなあくびを一つ。彼女はこちらに背を向けた。

「まあカラスはあんたなんか相手にしないだろうし、あとわたしの気が向いた時だけね」

 ありがとうは言わなかった。
 本当にびっくりしたのと、言う前に猫はもういなくなってしまったからだ。


 ところでモモはなんだか変だなあとは思っていた。
 違和感があって、それが何なのか今まではわかっていなかったのだけれど、ある日ふいに気づいた。

「猫さん、太った?」
「いきなりごあいさつね」

 猫はあまり気を悪くした様子もなく答えた。
 そのお腹周りはなんとなく大きくなっているように見える。

「食べ過ぎはよくないよ」
「食べないともたないの」

 モモはよくわからずに首を傾げた。

「どういうこと?」


 しばらくもったいぶった後、猫は得意げに口を開いた。

「わたしね、ママになるの」
「ママ?」

 ますますモモは首を傾げた。

「知らないの? お母さんのことよ」
「それは知ってる。でもなんだかぴんとこなくて」

 よいしょ、と止まり木の上で片足立ちを右から左へ換えた。


「それよりママになるって大変じゃないの?」

 モモの言葉に猫はにやりと笑った。

「楽勝よ。食事場所はしっかり押さえてあるんだから」
「でもごはんだけじゃないんでしょ、子供たちの世話って」
「それは……そうね。いろいろ教えなきゃいけないかも」

 猫は宙を見上げて考え込んだ。

「食べ物のとり方やトイレの仕方、細いところの歩き方。他にも何かあったかな。あんたどう思う?」
「分からないよそんなこと」
「あんたはママにどんなことを教わったの?」

 モモは黙った。


「ん? なにか変なこと聞いた?」

 モモは首を振った。

「ううん。今思い出そうとしてみたんだけど、何も浮かばなくて」
「忘れちゃったの?」
「うん、多分」
「薄情ね」
「そうだね」

 モモは素直にうなずいた。一生懸命世話してくれたはずの母親のことを忘れるなんて確かに薄情に違いない。


「ぼくね、体だけじゃなくて頭も弱いみたいなんだ」
「うん?」
「ぼくの仲間は人の言葉をしゃべることができる。でもぼくはできない」

 モモは口の中でぐちゅぐちゅとつぶやいてみた。
 それは変な風に絡まって、意味のある言葉にはなってくれなかった。

「覚えることができないんだよ。記憶力がないんだ」
「それでママのことも覚えてない?」
「多分そう」

 モモは止まり木から床へと下りた。
 少し高かったのでちょっとだけつまづいた。


 小鳥のおもちゃをくちばしの先でいじりながらモモは言った。

「でもそれで苦労したことはないよ。案外うまくやっていける。猫さんとの会話にも困らないし心配しないで」
「別に心配してないよ」

 猫が呆れたように言った。

「あんた全然不幸そうには見えないもの」
「だって全然不幸じゃないし」

 モモは顔を上げて胸を張った。そのことについては自信があった。
 猫が小さく笑った。


「なら慰める必要もないんだね。それは安心した」
「ちょっとは慰めてよ」
「どっちよ」
「あ、でも同情はしないで」
「なおさらどっちよ」

 猫はもう一度笑うと、網戸の前から立ち去った。
 その数日後に子猫が生まれたらしい。
 あの猫はママになったのだった。


 子供の世話は忙しかったようだ。
 モモが網戸の前にいても半月ほどは姿を現さなかった。

「疲れた……」

 網戸の前で猫がびろんと伸びていた。
 モモはそれを見ながらお腹の毛が柔らかそうだなあと考えていた。

「子育て大変?」
「代わってよ」
「やだ」

 だいたいのところはすぐに分かった。すごく苦労しているらしい。


「……でもかわいいんだあ」

 ぐちぐちと苦労話を続けた後、猫が顔をほころばせた。

「甘えてくるところなんかたまらないよお」

 とても幸せそうで、自分と話しているときとは全然違う顔をするんだなあとモモは思った。
 自分のママも同じ顔をしていたのかなあとも思った。

「子供たちが大きくなったら連れてくるよ」
「別にいいよ」
「大丈夫だよかわいいよ。六匹並んだらきっともっとかわいいよ」
「怖いよ」

 猫の親ばか話は延々と続いた。


 一か月も経つと子猫はさらに元気らしい。

「生意気に狩りの真似事なんかしちゃってさ」

 猫はすごく楽しそうだ。

「この前は上の子がバッタを捕まえたの」
「かわいそうに……」
「あんたバッタの肩もつの?」
「バッタさんにも家族がいたかもなのに……」
「水差さないでよもう」

 猫は前足で何かを払うようにしてからふう、と息をついた。

「なんだかさびしいなあ」


「え?」

 モモが声を上げると、猫はどこか遠くを見ながらつぶやいた。

「だっていつかはあの子たちともお別れだもの」

 モモはなんだ気が早いなあとしか思わなかった。
 猫の成長速度なんか知らないけれど、多分まだまだ独り立ちは先のはずだ。

「そうじゃないの」

 でも猫は言った。

「今が幸せだとお別れのこともどうしても考えちゃんだよね」

 そういうものだろうか。


 こちらに背を向けて猫は寝そべった。
 見えなくなった顔が、どんな表情を浮かべているかはもちろんわからなかったけれど。
 まあでも言えることはあった。

「お別れしてもその子たちは君のことを忘れないだろうね」

 猫の耳がピクリと動いた。

「そうかな」
「うん。君の子たちはきっとぼくよりは頭いいだろうし」
「そりゃね」
「それに、こんなにお別れを惜しまれるくらい好かれてる子たちが、好いてくれていた親のことを忘れるなんてきっとできないよ」


 猫は背を向けたまま黙っていた。
 ただ尻尾だけが時折ゆるりと揺れた。

「帰る」
「うん」

 見送る後ろ姿は寂しそうでもあり、満足そうでもあった。
 と。

「あんたはどう?」

 猫がこちらを振り向いた。

「あんたはわたしを忘れない?」
「え?」


 どういう意味かは分からなかった。
 多分だけれど、猫自身もきっとわかってはいなかったのだとモモは思う。
 ただ、少し考えてから答えた。

「がんばる」
「そう。ありがと」

 あ、と思った時には、猫は向かいの家の陰に消えていた。


 その日以来、猫は姿を見せなくなった。

つづく


 モモは網戸の外をのぞいた。
 今日も猫は来ていない。
 どんなに尾羽を梳いてみても、どんなに翼を整えてみても、猫はやって来なかった。

 ずっと網戸の前にいるモモを、飼い主たちは心配した。
 猫を待っているのだとは、忙しい彼らは気づきもしなかった。


 ある日、飼い主たちが話をしているのが漏れ聞こえた。
 ある家に餌をねだりにきていた猫が、誤って出された玉ねぎ入りの食事を口にして、中毒症状を起こしたそうだ。
 動物病院に連れていかれたそうだけれど、その後のことは分からないらしい。

 野良に餌やるのってこういうこともあるからよくないのよねえ、と飼い主は言った。
 モモは話の半分も分からなかった。
 ただ、かわいそうな猫がいたんだなあとだけ理解した。


 モモは網戸の前にいた。

 晴れの日も雨の日もそこにいた。

 羽づくろいをしながら待っていた。

 待ち疲れてうとうとしているときも、物音がすればはっと顔を上げた。

 草が風に揺れているだけだった。


 あれからどれくらい時間がたっただろう。
 モモにはとうにわからなくなっていた。
 ただ、網戸の季節になると、やっぱりその前まで行って座り込んだ。

「モモちゃん今日も日向ぼっこ?」

 飼い主が笑った。
 そうだったかもしれない。そうじゃなかったかもしれない。
 よくわからない。


 モモは待っていた。
 もう羽づくろいをするよりもうとうとしていることの方が多くなったけれど、それでもじっと待っていた。

「……?」

 ふと顔を上げると黒い影がそびえたっていた。
 とても懐かしい感じがしたが、それは彼女ではなかった。

(彼女って誰だっけ……)

 黒い影はカァと鳴いて、こちらに近寄ってきたが、何かに気づいたように飛び去った。


「俺が先に狙ってたんだからな」

 カラスの代わりに目の前に立った猫はそう言うと、網戸をがしゃんがしゃんと叩き始めた。
 しばらくしてびくともしないことにイライラし始めた頃、彼は怪訝そうに声を上げた。

「お前、怖くないのか?」

 モモはぼんやりと見上げていた。

「うん……怖くない。なんでかな、とても懐かしい気がしたから」


 モモは記憶を探った。
 でも目当てのものは見つからなくて、モモはうつむいた。

「思い出せないや……ぼく、記憶力ないから」

 猫はさらにイライラしたようだった。

「お前の事情なんざどうでもいいんだよ。俺は腹が減ってるんだ。さっさとここを開けろよ」

 モモは必死に考えた。頭の中をひっくり返して、ようやく一つ見つけ出した。

「ママ……」
「は? ママ?」

 猫が手をとめた。


「お前、その年でママなんて言ってるのかよ」

 猫は笑った。
 だがモモは静かに答えた。

「なんでかな、網戸が揺れる音を聞いているとママのことを思い出すんだ。優しいママなんだ」

 猫の笑い声がやんだ。

「やさしい? はあ? やさしい?」

 憎むような声で言う猫に、モモは不思議に思って訊ねた。

「君のママは優しくなかったの?」


「あのクソババアは俺たちを置いて出ていった。ママなんて呼び方はふさわしくない」

 猫は心底怒っているようだった。

「俺たちをかわいがるだけかわいがって、飽きたらぽいだ。信じらんねえ」
「でもかわいがられたことは覚えてるんだね」

 モモは小さく微笑んだ。

「好きだったから、忘れられない」
「うるさい!」

 猫は力一杯網戸をたたいた。
 薄いその隔てが危うく揺れた。
 それでもモモは怖がらなかった。


「彼女は子供と別れて忘れられることを恐れていた」

 モモは続けた。

「でもそれだけ強く記憶に残してくれているのなら安心するんじゃないかな」
「……どういう意味だよ」

 猫がうつむいてうめいた。
 はたとモモは気づいた。
 自分は何か大事なことを言った気がするけれど、それがいったい何なのかわからなかったのだ。

「ごめん、わからない」


「ごめん」

 モモはうつむいて繰り返した。

「ごめん……」

 何か、とても大切なことを失ってしまっていたことにようやく気付いたのだ。
 そしてそれはもう、絶対手元には戻ってこないことも理解した。

「ごめん……」

 なんだか猛烈に悔しかった。


「泣くなよ……」

 すっかり勢いをなくして猫が言った。

「泣かないよ」

 モモはそう言って顔を上げた。そして猫を見てはっとした。
 彼女は言った。自分がカラスを追い払ってやると。

「そっか」

 モモは胸が満たされていくのを感じた。

「そっかあ……」

 彼女はこういう形で約束を守ったのだ。


 モモは嬉しくて仕方なくなったので、背中に首を回して顔をうずめた。
 日に当たった羽毛は、少し薄くなってしまった今でも十分温かかった。

「おい」

 急に丸まったモモを見て、猫は困惑したようだった。

「おい、寝るのか」
「ううん、少しだけ思い出にひたるだけ」
「……なら俺は帰るぞ」
「待って。そこにいて」

 猫はもっと困った様子だったが、断ったり勝手にいなくなったりすることもなかった。


 日の光がオレンジがかってきたころに、飼い主はインコが網戸の前で丸まっているのを見つけた。
 網戸の向こうには猫がいたが、インコを狙っているようではなかった。

 おそらく雄と思われるその猫は、にゃあと一声鳴いてそれからゆっくりと去っていった。
 残されたインコは、寂しそうではあったが決して不幸そうには見えなかった。

 当たり前だった。
 網戸を挟んで、彼と彼女は確かに満たされていたのだから。

おわりサンクス

よかった。ありがとう。


切ないけど良いね
忘れてしまっても、忘れられてはいなかったんだな

こんなssもありか
素晴らしかった

なんだこのss
この板のレベルにふさわしくないわ(いい意味で)

乙乙

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