万里花を愛でるニセコイSS「アンミン」 (19)
「ら、楽様……そんなに固くならず、力を抜いてください」
「た、橘こそ……もっとちゃんと、俺の腕に頭を乗せろよ」
一条楽と橘万里花は楽の自室に敷かれた布団の中で、いわゆる腕枕、の体勢になっていた。
「楽様……暖かいですわ……」
万里花が楽の胸元に頬を寄せる。
万里花の髪から漂うシャンプーのいい香りに、楽は思わず意識が飛びそうになり、慌てて頭を振るう。
目的を忘れてはいけない。
そもそもどうしてこんな状況に陥ってしまったのか。
全ては二日前、教室での出来事が発端だった。
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遅刻ギリギリ、全力ダッシュでギリギリ駆け込んだ教室。
汗だくで息を切らせている楽とは対照的に、同じ速度で走ってきたはずの桐崎千棘は涼しい顔をしていた。
「あれ、何これ、消臭剤? ダーリン、これ使ったら?」
千棘は鶫誠士郎の机の上に置かれていた小さな霧吹きを手に取ると楽に向ける。
瞬間、弾かれたように机に突っ伏していた鶫は頭を上げると、千棘の手に握られた容器を認めて驚愕に目を見開いた。
「お、おじょおおおおお!?」
「わっ!?」
鶫の大声に驚いた拍子で千棘の手に力が入り、霧吹きから霧状の液体が噴射される。
キラキラと輝きながら、霧は楽の右腕辺りの制服の布地に吸い込まれるようにして消えていった。
「すみません、お嬢……。てっきり、またビーハイブの妙な発明品かと思いまして……」
桐崎の屋敷で見つけた怪しげな容器を、間違いのないようにと保管していたことを鶫が掻い摘んで説明する。
慎重に取り扱っていたはずだったが、つい、あらぬ想像に耽るうちに目を離し、机に突っ伏して頭を抱えていたという事実は伏せながら。
「でも、楽は何ともないみたいね。今回はホントにタダの霧吹きなんじゃないの?」
「どうやらそのようですね、安心しました……」
「変な薬じゃなくてよかったぜ……」
鶫と楽がホッと一息ついた瞬間、教室のドアが勢いよく開いた。
「楽様、おはようございますですわー!」
いつもの挨拶とともに楽に駆け寄り抱きつく万里花。
楽の身体に両腕を巻き付けて頬をすり寄せてくる。
「また貴様は……!」
お嬢の恋人に身体的接触を図る不届き者をいつも通りに引っぺがさんと立ち上がったところで、鶇は妙なことに気がついた。
「お、おい、橘万里花……?」
いつもなら楽様楽様と甘ったるい声で楽にまとわりついているはずの万里花の動きが大人しい。
というよりもむしろ、楽の身体に捕まったまま、ピクリとも動かない。
「お、おい、橘……?」
恐る恐る、楽は自分の胴体にしがみついたまま固まっている万里花に声をかける。
「すー……すー……」
「――って、寝てる……?」
楽の身体に両手を回し、頭を楽の腕に預けた姿勢で、万里花はすやすやと寝息を立てていた。
「それはビーハイブ薬品開発部が開発した新型の睡眠薬でな。枕などの寝具に一吹きしておけば、それを使った時に一瞬で眠りに落ちることができるという薬品だ。長期戦が予想される任務などで作戦効率を画期的に向上させる効果が期待されているのだが、うっかり今回の任務に出る時に屋敷に忘れてしまったのだ。私が戻るまで、くれぐれも紛失しないように気をつけてくれ」
クロードからの電話を切ったあと、鶇が事情をかいつまんで説明をする。
「ま、またその手のアイテムかよ……」
以前、キスしなければ目覚めない睡眠薬なる珍妙な薬品で騒動になったことを、楽は思い返していた。
ただし今回は枕に吹きかけることですぐに眠れる睡眠薬、ということなので、以前に比べれば実害は少ないように思える。
実際、楽の腕から身体を離すと、万里花はすぐに目を覚ましたのだ。楽に触れさえしなければ、薬の効果は発生しない。
「つぐみさん、ちょっとその薬品を私の膝にかけていただけませんでしょうか?」
万里花がとても良い笑顔で提案する。
「な、何故だ?」
「楽様を膝枕して差し上げようかと」
「しねえよ! 鶇もさっさとそれを鞄の中にでもしまっとけって!」
これ以上事態がややこしくならないように、楽は鶇に容器を片付けさせることにした。
「というわけで、橘、今日一日はくっついてくるの禁止な」
「楽様のいけずー。私、楽様の腕の中なら、恋でも眠りでも地獄にでも、大喜びで落ちますのに」
にじり寄ろうとする万里花を鶇が抑え込む。これでどうにかこれ以上の騒動にはならずに済みそうだ。
ふう、と楽がため息を漏らすと同時に、始業を告げるベルが鳴った。
「おはよう、鶇。昨日の薬、今日は持ってきてねえだろうな?」
「当たり前だ、屋敷の金庫の中に保管してきた。クロード様はまだ不在だが、戻られ次第引き渡しておく」
翌日の朝、登校して一番最初の会話だった。
「それじゃ一安心だな。よかったぜ、今回はロクでもないことにならなくてよ」
まったくだと鶇が頷いた時、カラカラと教室のドアが開いた。
何気なく目をやると、力なく半分ぐらい開かれたドアの隙間から、ふらふらと万里花が入ってくるところだった。
前日、楽目がけて飛びついてきたのとは対象的に、片手を壁について身体を支えている。
「ど、どうした、橘。大丈夫か?」
「あら楽様……ご機嫌麗しゅう」
全く麗しくない様子で万里花が応える。顔色も、唇の色も悪い。
「おい、体調悪いんじゃねえか? どうする、保健室行くか?」
おろおろと心配する楽の気遣いに少しだけ嬉しそうにはにかむと、万里花は事情を話し始めた。
「大丈夫ですわ、楽様。実は、昨日の夜、一睡もできなかっただけですので……」
「い、一睡も?」
詳しく聞きかけた瞬間、鶇の携帯電話の着信音が鳴り響いた。
「はい、あ、クロード様ですか?」
「誠士郎か。昨日の電話で一件言い忘れていたことがあった。例の薬だが、一瞬で眠りにつけるというのはその効果の一端でしかない。真に画期的な効果は別にあるのだ」
電話の向こうでクロードが説明する。
「枕が変わると眠れない、とよく言うように、この薬品を吹きかけた寝具を一度使うと、その寝具を使った時には一瞬で眠れる代わりに、それ以外の寝具を使った時には絶対に眠れなくなるのだ。これを利用すれば、戦闘中に瞬間的な睡眠を取ることも、また逆にそれ以外の時間には絶対に眠らないことも可能になる。用法を誤ると危険なのでな、厳重に保管しておくように頼んだぞ」
電話が切れると、鶇が遠い目をしながら言った。
「……だそうだ」
「し、寝具が変わると眠れない……って、それじゃ橘の不眠は……」
やはり、今回もロクなことにはなりそうもなかった。
さらに翌日。
万里花の不眠の原因が例の薬にあることがわかったことで、楽と鶇は一計を案じることにした。
薬の効果で眠りについた時の寝具――つまり楽の右腕を枕にすること以外で眠れなくなっているのであれば、それを使わせるしかない。
ということで楽は薬を吹きかけられた制服の上着を万里花に貸し出し、それを枕の上に敷いて眠らせることにしたのだった。
上手くいけば、ぐっすり眠れているはずだけど。
しかし、弱々しくドアを開けて教室に入ってきた万里花はすっかりやつれ果てた様子で、一目見ただけで眠れていないことがわかる。
「だ、ダメだったのか……」
「す、すみません、楽様。もしかすると楽様の服に、その、こ、ここ、興奮してしまって寝付けなかっただけかもしれませんが……」
寝不足の影響か少しテンションがおかしい万里花。
クマができてしまったその目には危険な光が宿りつつあった。これはヤバい。
それに万里花は元々身体が弱い。二日続けての不眠ともなれば、体調を崩してしまっても何の不思議もなかった。
「しかし、制服を貸してもダメとなると……」
「もはや一条楽、お、お前の、その、身体を使うしか……」
鶇が顔を真っ赤にしながら言う。
机に突っ伏したまま、ピクリとも動かない万里花をこのまま放っておくわけにもいかない。
非常に照れくさいが、自分にしかできないのなら、仕方がない……。
「……橘」
「な、なんでしょう、楽様……?」
「その……こ、今晩は羽姉も宿直でいねえし、ウチに来ないか……?」
ぶはっ! と鼻血を吹いて万里花が倒れる。
「ら、楽様……!?」
睡眠不足に加えての血液不足はシャレにならない。
早いところ、万里花の不眠を解消しなければと、楽は決意を新たにした。
「……」
「……」
というわけでその日の夜、楽と万里花は楽の自室に敷かれた布団を前に、二人して黙りこくっていた。
いつもの万里花であれば、自分を押し倒して布団に潜り込んできてもおかしくないはずなのに、妙にしおらしい様子なものだから楽も異常に緊張してしまう。
いや、もしかすると寝ていないせいでそんな元気もないのかもしれないけれど。
だとしたら、一刻も早く眠らせてやらねえと。
声をかけようと隣を見れば、万里花の顔色は青ざめている――わけではなく、真っ赤に染まっていた。
「た、橘……?」
「ひゃい! な、なんでしょう、楽様!?」
体調が芳しくないのはその通りだったが、万里花もこの状況にもの凄く緊張していたのだった。
「え、えーとだな、そ、そろそろ、その、寝るか……?」
「は、わわ、そ、そうですね!」
躊躇うように、もぞもぞと万里花が上着を脱ぐ。
さっき風呂に入った時に、下を寝間着に着替えてきたらしい。
「って、うおお、橘お前それ……」
「こ、これはその、本田が持っていけと言うもので……」
半ば肌が透けているのではないかと思えるほどの薄手の布が、複雑な刺繍とひらひらとしたデザインに彩られて万里花の体を包み込んでいた。
しかし布が薄い分だけ、小柄な体格には不釣り合いな丸みを帯びた万里花の膨らみの輪郭がそっくりそのまま見えてしまっている。
真っ白な肌はほんの少しだけ上気して、薄桃色に染まっていた。
そんな格好で恥じらっている万里花を直視することができず、楽は目を逸らして布団へと潜り込む。
ただでさえ緊張して固くなってるってのに、あんな格好をされた日には……!
「あ、あの、楽様、私も失礼しますね……」
そう言うと、おずおずと万里花も布団の中に入る。
これまでにも小野寺小咲と同じ部屋に泊まることになったり、千棘と同じ布団に寝る羽目になったことならあった。
ただしその時はどちらも布団を離したり、座布団を持ってきて眠ったりと、朝まで一緒に眠ったわけではない。
だけど、今回は。同じ布団で寝るだけでなく、楽の右腕を万里花の枕に――つまり、朝まで腕枕をして眠らなくてはならないのだ。
布団の中で反対を向いて丸まる二人。
ほんの少し肩が触れただけで、お互いにビクリと身体が跳ねる。
「た、橘、安心しろよ、べ、別に俺はお前が寝ている間に変なことをしようなんて――!」
「い、いえ、私はその楽様になら何をされても構わないのですが……」
でも、まだ心の準備ができていませんので……、と消え入りそうな声で呟く。
思わぬ返答に楽の方が言葉に詰まる。何をされてもって……!
沸き起こる妙な想像を頭から振り払い、楽は万里花の方に向き直ると、その白くて細い首筋の下に右手を滑り込ませる。
「ひゃう!」
「す、すまん、橘。で、でもよ、こうしないと腕枕ができねえだろ」
ぐいと腕を押し込む楽。必然的に身体が密着してしまう。
寝る前に風呂に入ったせいで、万里花のうなじから立ち上るシャンプーのよい香りが鼻孔をくすぐる。
こんないい匂いのシャンプー、うちの風呂場にあっただろうか。
万里花を眠らせるのが目的だったのに、楽は自分の意識の方が先に飛んでしまうのではないかという危機感を覚えていた。
――楽の身体が自分の背中に密着している。
お風呂で暖まった身体が、まるでそれ以上に熱を持っているかのようだった。
普段、少し抱きついたりからかったりするだけで照れてしまう楽が、こうして一つ布団の中で自分に身体を近づけその腕を差し出してくれている。
眠れなくて弱ってしまっている自分を心配する彼の優しさ。
きっと今頃、顔を真っ赤にしているに違いない。
私が照れていたら、きっと楽をもっと困らせてしまう。
せめて私が普段通りに振る舞わなければ。
万里花は一回深呼吸してから、くるりと身体を反転させた。
吐息を感じるほどに近くにある楽の顔は予想した通りやっぱり真っ赤で。
自分が身に着けている薄い布地から透ける肌を目にしまいと、不自然に目を泳がせている。
らっくんはやっぱり、可愛い人だ。
「楽様……」
楽の腕に頭を預けて、頬をその胸に寄せる。
ドクンドクンと、早鐘のような楽の鼓動が聞こえる。
ドキドキ、してくださっているのですね。
できればもっと、この音を聞いていたい。真っ赤に照れる、らっくんの顔を見つめていたい。
だけど、あの薬の効果だろうか。
楽の腕に頭を乗せたときから、この二日間全く感じなかった睡魔が急激に万里花の意識を支配しつつあった。
「楽様……私、この瞬間をもっと楽しんでいたいのですが……」
「バカ、無理すんなって。ずっと寝てねえんだろ」
空いている左手で、眠そうな万里花の頭を優しく撫でる楽。
「でも……」
「あ、明日も眠れなかったら、またこうしてやるからよ……」
どんな顔をしてそんなことを言っているのか、見られないのが残念だけれど、瞼が閉じていくことを万里花は止めることができない。
楽の優しい声と温もりを感じながら、万里花は久しぶりの心地よい眠りへと落ちていった。
カーテンの隙間から、昇ったばかりの太陽の日差しが差し込んでくる。
幸せそうにすやすやと眠る万里花とは対照的に、楽は一睡もすることができなかった。
何しろ、自分になら何をされても構わないなどという女の子が、あどけなくも美しい隙だらけの寝顔をして、無防備にも自分の腕の中で眠っているのだ。
小さくて形の整った唇から、規則的な寝息が漏れる。
楽はその唇から目が離せなかった。万里花が息を吸うたび、知らず知らずのうちに楽の顔が吸い寄せられていく。
その柔らかそうな唇は、一体どんな感触がするのだろう。
徹夜明けの痺れた頭が下そうとしているのは、謝った判断なのか。
それとも、余計な壁が取り払われた、深層の心理なのか。
唇と唇が、触れそうになる。瞬間。
「……らっくん?」
「え……?」
ぱちりと開いた目で、万里花が数センチの距離まで近付いていた楽の顔を見つめていた。
「い、いや、その、ここ、これは……!」
ぼんやりしていた楽の意識が急激に冷えてハッキリしていく。
「ら、らら、らっくん……!」
それとは真逆に、状況を理解した万里花の顔が赤く染まっていく。
「ま、まだ心の準備ができとらんけん……そがん事したらだめばいーっ!」
細腕から繰り出された拳に、楽は布団からはじき出されて襖を突き破り、廊下に頭から着地した。
慌てて駆け寄ってくる万里花の半裸の肢体を目に焼き付けながら、意識を失うことで楽はようやく眠りにつく事ができたのだった。
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「もう一つ説明し忘れていたが、薬の効果は一度薬をかけた寝具でぐっすり眠れば消えてしまう。ただし、何日も眠らなかった場合などは効果が持続してしまうこともあるようだ。いいか、明日私が戻るまでは――」
「だ、そうだ……」
疲れ果てた様子で、鶇がクロードからの電話の内容を伝える。
「ということは、私、楽様無しでは眠れない身体になってしまった、ということですわね?」
ぐっすり眠ったことですっかり元気になった万里花は楽に抱きついたまま上機嫌に言う。
「何でそうなるんだよ!」
一方の楽は万里花の顔をまともに見る事ができなかった。
何しろ今朝、万里花の寝込みを襲って、キスをしようとしてしまったのだから。
そんな楽の考えをすっかり見抜いた様子で、万里花はぐいぐいと楽に擦り寄りながら耳元で囁いた。
「今度は私もキチンと心の準備をしておきますから……遠慮なさらず、またキス……してくださいね?」
「まだしてねえよ!」
「ま、まだとはどういう事だ一条楽!?」
携帯電話をしまったばかりの鶇が懐から拳銃を取り出し叫ぶ。
相変わらずの騒々しさに包まれる教室の中で、万里花は今日一日、授業中の居眠りを我慢しようと決意していた。
薬の効果が続いているのかどうかはわからないけれど……。
もう一度、楽の腕と、あの心地よい安らぎの中で眠るために。
そして今度こそ、楽の優しいキスで、その眠りから覚めるために……。
おしまい
シチュエーション先行したせいで微妙な出来に。
こんなことなら七夕ネタにすれば良かった。
これで微妙ならどんな砂糖を吐けばいいんだ
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