戦艦水鬼「光溢れる水面に、わたしも」 (20)
完敗。
完敗である。
いや、違う。
我々は今まさに完敗へ向かって突き進んでいる最中なのだ。
戦艦水鬼は自らの体に、艤装に、視線を落とした。自軍の負けを半ば理解していても体は動く。敵前逃亡などあってはならないと勇ましく持論を叫んでいたのは誰だったか。
記憶の隅、埃を被って千切れかけている思い出が、薄ぼんやりとだが浮かび上がる。そして確たる何かを得られぬまま、また水底へと沈んでいくのだ。
まるでわたしたちのようではないか、と彼女は思った。
そうして自嘲気味に笑う。どういう意味だか。まったく、どうやらすっかり気が振れてしまったようだ。
いや、あるいは、最初から……。
自らを突き進ませるものの正体はわからない。自らの正体すらもわからないのだから、別段不思議ではなかった。
遠く、水平戦場に見える敵影。その数十二。空母棲姫が撃沈させられたとの報が入ってから、およそ3時間。羅針盤に導かれてやってきた、忌々しい艦娘たち。
彼女たちを見るにつけ、自らのうちにこみ上げてくる感情の存在を、当然戦艦水鬼は知っていた。その名前も。
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羨望。
この焦がれるような思いは、でなければ、恐らく恋なのかもしれない。
うらやましい。
うらやましい。
うらやましい。
気が狂ってしまいそうだった。戦艦水鬼、彼女はとにかく急いて急いて仕方がない。
彼我の距離は艦影を確認できるまでに近づいている。このまま行過ぎるということはありえない。
戦艦水鬼の傍に連なるは二人の戦艦棲姫。その後ろを空母ヲ級と二隻の重ネ級が追随しており、言葉こそなかったが、一気に感情のようなものが吹き出るのがわかった。
聯合艦隊の横腹へ喰らいつく丁字戦。全砲門が一斉にこちらを向くのを、当然戦艦水鬼たちは見逃さない。さりとて回避行動をとるつもりもない。
不利は百も承知だった。このまま同航戦へ移行し、弾薬の尽きるまで撃ち合う。それしかない。それしかあるものか。そう感じていたのは決して彼女だけではなく、後ろを付き従う五隻も同じ。
十二隻の内訳――戦艦が二、航戦が一、正規空母が一、航巡が一、軽巡が二、重巡が一、雷巡が一、駆逐が三。数の多寡は即ち戦力の多寡。そして差でもある。
いや、やめようと戦艦水鬼は首を横に振った。戦いは頭でするのではないと彼女は思っていた。
それになにより。
この高揚に水を差すのもつまらないではないか!
彼女の艤装が応えるかのようにうぉおおおんと啼いた。開戦を告げる喇叭だった。
まず敵艦隊後方からの援護射撃により、ネ級の片一方が撃沈する。ヲ級は小破にすらならない掠り傷。
初射よりも先に一隻が潰された。その事実は、けれど、彼女らの速度を加速させるばかりである。
続いて航空戦。爆戦が、それを護衛する烈風が、新型艦載機を次々と撃ち落としていく。こちらの擁する戦闘機はおおよそ二百。対するあちらは八十にも満たない。多勢に無勢のはずであるのに、それをひっくり返す艦戦たち。
数の多寡は戦力の多寡ではなかったか。青い空母のなんという練度であろうか。
ヲ級はこちらの被害を押しとどめるだけで精一杯のようだった。航空優勢をとられたが、雷撃も爆撃も届きはしない。よしと見るか、悪しと見るか。
更に続く。甲標的による雷撃――戦艦水鬼への直撃弾を戦艦棲姫が庇った。炸薬が派手に炸裂し、艤装の一部をもぎ取っていく。それでも小破に至ることはない。硬い装甲と高い火力が、彼女ら戦艦の持ち味である。
そして、遺憾なく発揮されるのは、十分に近づいてから。
あっはぁ、と艶かしい声が出たのを、彼女はどこか他人事のように聞いていた。
撃ちかたよぉい、と遠くで聞こえる。
戦艦三隻の主砲がこちらを狙っているのが見える。
艦隊旗艦を勤めるは番傘。その後ろに修験道服。しんがりには巨大な艤装も。
衝撃。
音速の壁を容易く突破した砲弾が、戦艦水鬼の直衛を勤めていたネ級を跡形もなく吹き飛ばした。遅れて、残った腕だけが着水、水へと潜っていく。
沈みきるところまで見やっている暇など彼女にはなかった。戦いこそがまるで誉れとでも信じているのか、指で緩やかに艦隊を指し示すと、二体の艤装がそれぞれ20inch砲を発射する。
反動で水面が激しく波打ち、海鳥たちを気絶させた。当然敵影もただでは済まない。間一髪で致命傷こそ避けたのだろうが、修験道服は体と艤装をまとめて吹き飛ばしながら倒れこむ。大破ではない。中破だ。
敵艦隊からの応射――外れる。お返しだ、と戦艦棲姫が呟くのを戦艦水鬼は聞き逃さない。同じ気持ちなのだ、と彼女は思った。昂ぶって昂ぶって仕方がないのだ。
うらやましくてうらやましくて堪らないのだ。
突っ込んでゆく。距離が縮まるにつれ、当然弾幕の密度は増える。狭叉射撃、そして誤差を伝える水上観測機が鬱陶しいことこの上ない。
弾着観測射撃がヲ級を襲う。下半身を吹き飛ばされ、それでも尚倒れることはない。大破しても、生きている。戦いたがっている。
喉から言葉が溢れるが、それはおう、おう、おうと意味を持たない。言いたいことは、言ってやりたいことは、沢山あったはずなのに。
ただ、ともすれば鼻先さえ触れ合いそうな距離での射撃戦――そこで初めて、戦艦水鬼は確かに番傘の顔を見た。
険しさの中に一握の悲しさを湛え、彼女のことを見据えている。
それが憐憫であるとすればまだ戦艦水鬼にも理解はできた。だが、番傘の抱いている感情は、恐らくそうではない。想像でしかないにせよ確信できた。なぜなら、彼女は負の感情とともに生きてきたから。
恨みだとか、妬みだとか、嫉みだとか。
そう言うよくない感情はよく知っているつもりだから。
試製51センチ三連装砲が轟音をあげた。衝撃波で戦艦水鬼と、そして番傘自身を吹き飛ばしながら、放たれた圧倒的な質量は幸いにも誰を捉えることもない。
これこそ好機と彼女は撃った。同時に、飛び込んできた修験道服が、番傘を突き飛ばして一命を取り留める。小癪なと憤る暇さえ与えない周囲からの援護射撃。
援護。援護である。
あぁ、うらやましいことこの上ない。
互いの主砲を全て向け合いながら同航戦へ。艤装の拳が水面を叩く。バランスを崩した番傘へ追撃。だが、艤装の加重をものともしない番傘の動作は、さすがといわざるを得なかった。追撃も、更なる追撃の拳も、全て空を切る。
砲撃の炎が真昼の空をして白く染めた。戦艦棲姫が二人、両者の放った砲弾の一つが番傘の左半身に叩き込まれる――はずだったのだが。
ツインテールの航巡が割って入っている。艤装と、肉体。両方を欠損させられ海上に赤い花が咲いた。
それでも彼女は笑っていた。強がりではない、本当の笑い。
あぁ、うらやましい。
わたしもあんなふうに笑える日がいつかくるというのだろうか。
艤装を一撫で。うぉおおおんという雄たけびをあげ、怪物が二体、番傘へ突っ込んでいく。
沈めよう。沈めなければならない。それこそが彼女の本懐で、深海棲艦の本能。
更に歩を進めようとしたところへ弾着観測射撃。彼女の頭上に浮かぶ、煩わしい瑞雲十二型。巨大な艤装を背負っているくせに目に涙なぞ浮かべて、実にいけ好かない。ちぐはぐだ。
戦艦たちの巨大な艤装の後ろから現れたのは、雷巡を旗艦とする水雷戦隊。日は傾き、既に夕方。夜が近い。
砲撃戦は加速するばかりである。それまでの重たい、一撃必殺の応酬のような戦いとは打って変わり、彼女たちの戦いはあるいは三次元的ですらある。
的を絞らせない。狙いを定めている間に背後から。そして振り向けば姿は既になく。そんなヒットアンドアウェイ。
20センチ程度の口径では彼女の艤装に傷をつけることすら難しい。そして聡明であろう敵艦隊がそれをわからぬはずもなく、だがしかし、戦いをやめることはなく。
それほどまでに大事な何かのために敵が戦っているのだとすれば、果たして自分たちは一体なんなのだろうか。なぜ我々は、大事な何かをひとつとて持たぬまま、終わりのない見敵必殺に明け暮れているのだろうか。
うらやましい。
うらやましい。
うらやましい。
守るべき大事な何かを持つお前たちがうらやましい。
旗艦を狙う。大量の魚雷を抱えたそいつは、けれど涼しい顔。撃つ――外れる。反対方向から砲撃。射線は二。振り向きざまに艤装でなぎ払う。一人の左腕があらぬ方向へ曲がり、中破。
視界の端で二人の戦艦棲姫を彼女は捉えた。生きている。まだ沈んでいない。当然彼女を含む深海棲艦に安堵の心情などありはしないのだけれど、誰もがそう信じて疑わないのだけれど。
だとするならば――あぁ。
戦艦水鬼は眉を顰める。
胸のうちに芽生える、このきらきらと輝くものは、所詮幻にしか過ぎないのか。
艤装が再度唸りを上げた。うらやましい。この羨望の感情をいかにして晴らしてくれよう。砲弾を撃ち、拳を振り上げ、もう一度もの言わぬ鉄屑へと戻すことによってしか為しえない。
もう一度? そこで彼女は確かに自分の思考へ疑問を通わせた。
一瞬の間。そしてそれが命取りであることを、気づいたときにはもう遅い。
日は水平線に落ちきった。――夜の到来。
探照灯が、照明弾が、夜偵が、縦横無尽に闊歩している。
がちゃり、がちゃり、がちゃり。恐ろしげな艤装の稼動音。
夜の口火を切ったのは、そして終わらせんとするのは、旗艦でもある茶髪の雷巡。その射線数は正気の沙汰ではない。
まったく、仕方がないな。
それは空耳だったのだろう。空耳に違いない。
ただ、戦艦棲姫が彼女の眼前に立っていることだけは、決して間違いではなくて。
酸素魚雷、及び艦首魚雷の猛攻を全てその一身で――あるいは二身で受け止めて、戦艦棲姫の艤装がゆっくりと崩れていく。赤い油を垂れ流し、ぶちり、ぶちりと自重に耐えられなくなった肉片が剥がれ落ちながら。
なぜ、と問う間もなく、駆逐艦の魚雷が大破の戦艦棲姫を襲った。ちょうど真下で炸裂したその魚雷は、戦艦棲姫本体の下半身と、右腕から肩にかけてをまっさらにして、同時に命の灯火も吹き消す。
残った戦艦棲姫が旗艦を大破まで追い込むが、既に彼女もまた残った駆逐艦、及び軽巡と重巡に囲まれている。二発の魚雷を受け、艤装と本体が断絶、それぞれが四断されて沈んでいった。
そのとき彼女は確かに何かを叫んだ。言葉となっていたかは非常に怪しかったが、それでも、彼女は叫んだのだ。
うらやましい。
20inch砲を重巡に向けた。あちらもこちらへ砲身を向けている。
殆ど同時に発射された砲弾は、重巡を一発で大破に追い込む。が、反面、彼女の艤装の右側半分も機能停止に追い込まれた。頭を潰され、ぐずぐずに溶解していく。
それでも彼女は戦いをやめない。当然のことではある。たとえ艤装がまるきり役に叩かなくなっても、決してやめないだろう。
あまりにもうらやましいから。
20inch砲を撃つ。撃つ。撃つ。冷却がおっつかなくとも、過熱した艤装が肌にへばりつこうとも、砲撃をとめることはない。止めるわけにはいかない。
応戦する水雷戦隊は夜の闇の中を駆け回り、的確に魚雷を放ってくる。ミスはごく僅か。やはり、それすらもまた、練度の賜物なのだろう。
自分たちを沈めるために腕を磨いてきたのだろう。
右足の膝から先が欠損している。艤装に抱えあげさせて体勢だけは確保しているが、その艤装自体もまた、十全な動きとは言いがたい。
装甲には穴が開いて主砲も三連装のうち一本がひん曲がっている。内部機構も誤作動を繰り返し、出力だって半分程度に低下。自分が小破なのか中破なのか、あるいは大破なのかすら、自己診断できないでいた。
だが、戦いを続ける限りは、敵の姿を見ていることができる。
それが戦艦水鬼にとって唯一無二の救いだったといってもよい。
あまりにもうらやましい艦娘の姿。
それはあまりにも美しく。
あまりにも輝いていて。
……いつまでも見ていたくもなる。
艤装が砲を放つと、ついに反動には耐え切れなくなったようで、右腕が音と共に弾けて消えた。砲弾は巨大な水飛沫、そして津波と共に海中へと消え、降り注ぐ水滴を浴びながら一人の駆逐艦が彼女の前に立っている。
目から頬へと水の流れたあとがある。飛沫だろうか? それとも?
駆逐艦が何かを呟いた。既に目も、耳も、頭も確かではない戦艦水鬼にとって、それは到底聞き取れる代物ではない。
セーラー服がはためいて、お下げが揺れて、九四式高射装置が鈍く光って。
魚雷がついに――やっと――戦艦水鬼の艤装と体を崩壊させていく。
艤装はもはや艤装の体を為してはいない。彼女は水上へと放り出され、満足な浮力も得られずに、いまゆっくりと体が傾き始めている。
目を細める戦艦水鬼。気づけば海の向こうが濃紺から紫へ、そして桃色へと変わっているのが見えた。太陽の姿は見えないが、存在だけはわかる。
敵影十二隻は日の光の中に、そして煌く目映さの中に屹立していた。
そんな姿を、やはり変わらず、彼女はうらやましいと思う。
美しいと思う。
「――」
口に出せたのか、出せなかったのか。
とうに確認する術はなく、戦艦水鬼は水底へと沈んだ。
提督、おめでとうございます!
我が聯合艦隊は反撃を開始、トラック諸島において敵機動部隊主力を補足、これの撃滅に成功しました!
トラック泊地、防衛成功です!
【END】
リハビリ。
読了ありがとうございました。
フッ… l!
|l| i|li , __ _ ニ_,,..,,,,_
l|!・ω・ :l. __ ̄ ̄ ̄ / ・ω・≡
!i ;li  ̄ ̄ ̄ キ 三
i!| |i  ̄ ̄  ̄ =`'ー-三‐ ―
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/・ω・ /
| / i/ こ、これは乙の軌跡じゃないんだからねっ!
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ニ_,,..,,,,,_
/ ・ω・`ヽ ニ≡ ; .: ダッ
キ 三 三 人/! , ;
=`'ー-三‐ ―_____从ノ レ, 、
乙
読んでるだけで高翌揚してくる素晴らしい戦闘描写
深海側の視点から描いてる部分もこのssを無機質な一戦闘ではなく情念を感じさせる物に昇華していて良い感じ
最後の>>14も心憎いですね、大変面白かったです
いっつも酉付けっぱなしだなハルバード
ある一方からみたって感じかな
最後のが物悲しく感じた、乙
ええな
乙
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