「猫は劇団に入りたかった」 (21)
「いつかあの舞台に立ってライトに照らされて、皆が目を奪われるような演技をするのが夢なんだ」
「ああそうかい。この飲んだくれの老いぼれ一人満足させらんねぇようじゃ、先は長いのう」
「余計なお世話さ」
そこは打ち捨てられた廃墟だった。
存在するのは何千では足りないほどのゴミの山と、同じように打ち捨てられた猫と老人。
老人はいつもどこからか酒をくすねてきては、最後の一滴まで飲み干して、無くなったら次のを探しに町へ降りていく。
猫は雑巾みたいに薄汚れた身体をすっくと立たせて、破れた絵本を見ながらお芝居の稽古。
「爺さんいい加減お酒やめなよ……」
「ほれ、さっさと今日の訓練せんか。継続は力なりじゃぞ」
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「あ、え、い、う、え、お、あ、お!」
「声が小さいのう。虫かと思うでな」
「あ!え!い!う!え!お!あ!お!」
「何じゃ、出せるなら最初からやらんか」
この廃墟には猫と老人しかいなかった。
流木みたいに流れ着いた二人は途端に意気投合……した訳ではなかったが、なんとなくずっと一緒にいた。
憎まれ口は叩けど、居心地が悪い訳ではなかった。
老人の酒調達以外では、月一で一緒に街へ行く。
老人は人々に避けられながら最低限の買い物を済ませ、猫はその間タダでお芝居見物に行く。
赤と黄色に彩られた張りにそっと頭を覗かせれば、そこは猫の夢そのものだった。
ダンサーのしなやかな足は舞台上の空間にシュプールを作り、役者は姫に花を手向けて愛を誓う。
ピエロは入り口でおどけて曲芸を披露していた。
美しい世界だ。
カーテンの隙間から見える華やかな世界は、猫には極楽にも見えただろう。
猫はいつしか舞台俳優を目指すようになった。
それはゴミ置き場での生活に馴れた猫が思い描ける、これ以上ない夢だった。
「ああロミオ様、あなたは何故ロミオ様なの?」
「感情がこもっとらん!それじゃジュリエットどころか町娘にも見えんわい!!」
ジジイは初め、猫の夢を笑った。
「爺さん、だいたいボク男の子だよ。なんでジュリエットの役なんかやらせるのさ」
「どんな役もこなせて初めて舞台俳優じゃ!役を選ぶなぞという贅沢は出来ん!!」
「それは分かってるけどさぁ~……」
老人は腹を抱え、猫はぶすっと頬を膨らませた。
馬鹿にされたと思ってじっと、老人の顔も見もせずに目を伏せていた。
頭上から酒臭い声が降ってきた。
ハッハッハ、そんな馬鹿げた夢を持っちまったか! こいつぁいい酒の肴になる!ちんまいお前があの舞台に立った暁にゃ、ワシのヘソクリ全部引きずり出して最前列でからかってやるわい!!
言ったな爺さん! 約束だからな!
出来るもんならやってみい! 話はそれからじゃ!!
それから毎日毎日。
「お父さんお父さん、魔王が来るよ!」
「フン、まるで緊迫感が出ておらん!」
毎日毎日。
「もっと……光を……!」
「バカモン!半笑いで死ぬ奴があるか!!」
飽きもせず。
‐※‐
『演劇【長靴をはいた猫】 主演募集!』
訓練をはじめてどれほど経ったか分からない或る日、猫はいつもの赤と黄のカーテンにそんなビラを見た。
まんまるい満月みたいな瞳はもっとまんまるになった。
心臓が熱くってたまらない。
どこまででも飛んで行けそうだ!
「爺さん爺さん爺さん爺さん爺さん爺さん!!!」
「何じゃうるさいのう」
「これこれこれ!見て!!これこれ!!」
思わずビラを食いちぎってきてしまった。
まあいいやそんな事は!今はとにかくこれ見てこれ!見てこれ!!
ジジイは猫の口からビラをもらうとさっと目を通す。
「ふぅん……○月×日の12時からオーディションで主演の猫を募集……」
「な?!な?!これでボクも役者になれるんだぜ!!こんなことって!!ああ!!神さま!!」
「少し落ち着かんかバカタレ、まだ受かると決まった訳じゃないじゃろうに」
と言いつつも、爺さんも少しだけ嬉しそうだった。
その日の夕飯には、いつもより少しだけ豪華な飯が出た。
○月×日
この日ばかりは猫もおめかしをした。
ゴミだらけの身体をさっぱり洗って、ブラッシングをして、小奇麗な蝶ネクタイをして。
今日は他のどの猫よりかっこいい。
割れた鏡で何度も見たが、やはりかっこいい。
「んじゃ行ってくるね!終わるまでここで酒でも飲みながら待っててくれよ!」
「フン、さっさと終わらせてこんかい」
老人は酒のボトルを片手に、もう片方の手で猫をしっしと追い払った。
猫は一度だけ振り向いた後あっかんべーをして、カーテンの中へ消えていく。
「さぁさぁ、『長靴をはいた猫』の主演オーディションだよ!まだの猫は受付を急げ!!」
入り口ではピエロが相変わらずおどけながらも、オーディションの呼びかけを行っていた。
片手を口元に当ててメガホンにして、もう片方の手で四つのお手玉を放り投げている。
会場には相当な数の猫が集まっていた。
一体この町のどこにこんなに猫がいたのか、と驚く。
ご主人に抱かれた奴も、一匹オオカミな真っ黒い奴も、とにかくもうたくさんの猫が居て、周りを見渡す程猫酔いしそうになって下を向いた。
この中からたった一匹なのか。
と、舞台の上にピエロが出てきて優雅に一礼をした。
会場はまだざわざわと五月蠅かったが、彼は両手を柔らかく広げてそれを制した。
「さぁっ!レディーッスエーンジャントルメンッ!お待たせいたしました!只今より、我が劇団シルクが贈る最新作『長靴をはいた猫』の主演オーディションを開催いたします!!」
パンっ、と前の方で大きなクラッカーが弾けて、会場は沸き立った。
さっきまでの緊張はどこへやら、猫の目は途端に輝きを取り戻す。
ああ、いつも見ていた光景だ。
まだ始まったばかりなのにこんなにもワクワクする。
そこからは簡単な説明があった。
主演募集というのは、いつも劇団を見ている町の皆との繋がりを深める為に行われるとか、寄付金がどうたらこうたら。
一通り流したのちに、オーディションの説明となった。
「オーディションのやり方は簡単!こちらでお配りします台本の中から、指定したシーンを演じていただくだけ!」
ありゃりゃ、それだけか。
しかしこの鳴き声のうるさい中よく声が通るなあ、と猫は感心した。
きっとこの人の声なら爺さんも合格を出すだろう。
「じゃあオーデションに移ります……が、その前に、劇団自慢のサーカス猫、シーモにお手本を見せてもらいましょう!カモン!!」
!
拍手と共に出てきたのは、長靴をはいた白い猫。
綺麗な肢体をくねらせながら元気よく二本足で立っている。
「エントリーNo.00!シーモです!」
「オッケーそれじゃあNo.00!台本43のシーンを演じてください!」
「はい!」
最初は劇団に既に所属している猫のチュートリアルか。
声も良く通ってるし演技もばっちり。流石にうまい。
直前にこういうのがあると参考になるな。
猫は感心しながら見ていた。
「あすこで水浴びをなすっているのは我が主、カバラ伯爵にございます!」
「はいオッケー!……と、このようにして行っていきます!それでは皆さんのご健闘をお祈りしております!!」
まだー?
だ
だ
よ
ま
み
さ
途端に心臓が早鐘を打った。
自分の番はまだまだ先だが、どうしたことだろう、この緊張は。
昨日まではもう主演になった気でいたのに。
よく眠れたのに。
割れた鏡で見た自分の姿が、急に田舎っぽく、せせこましい誂えに見えてきた。
他の猫を見やった。
でっぷりと太ったご主人に抱えられ、今日の為にぱりっとノリをきかせた燕尾服。
おろしたての靴はピカピカガラスみたいに光っていて、自慢のひげはピンと立っていた。
自分はどうだろうか、古臭いデザインの蝶ネクタイと、ゴミ置き場で拾ってきたボロ長靴。
既に負けているような気がして、思わず下を向いた。
「へっ、何だいあの田舎猫、もう丸くなってるぜ」
「きっと勝負する気なかったんだな」
「ちょっとかわいそうよ、タダでお芝居見れるって意気込んできたのかもしれないじゃない」
「はは、お前が一番ひでぇじゃねぇか!」
そんな声に、耳を塞ぎたくなった。
し
え
ん
た
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