苗木「看病」 (61)


苗木「彼女との再会」
舞園「短編四つ、です」

・以前投稿した上記二作の続編(正確には短編内の『舞園さんの部屋』と『寝顔』の間)で、小説形式です
・今回も二人がメインですが、ほんの少しだけ他のキャラも出てきます
・絶望何それな平和な世界観です。基本的に原作の設定を使用していますが、細かい所は勝手に変更したり追加してる点もあるのでご了承下さい
・二作同様キャラの性格や口調、文章自体におかしな所が見受けられるかもしれません

相変わらず起伏のない平坦な話ですが、よろしくお願いします

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4月25日、土曜日――僕が希望ヶ峰学園に入学してから、数週間が経過した。

「ふあぁ……」

間の抜けた声で大きく欠伸をして、目に溜まった涙を指で拭い取る。ベッドから立ち上がると、僕は顔を洗う為にシャワールームへと足を運んだ。

(まだ少し眠いな……)

その眠気を取り払うように、ばしゃばしゃと冷たい水を顔に浴びせかける。眠い理由はごくごく単純で、夜更かしをしてしまったからだ。

それと言うのも、昨日は待ちに待った舞園さん達の新曲の発売日だった訳で。買ってすぐや寝る少し前に、他の曲と合わせて聴いてたんだけど……そしたらついつい夢中になってしまって。
結果、入学して初めて夜更かしをしてしまった。舞園さんと一緒に朝食を食べる為にも、しないよう心掛けてたのに……。まあ、幸いそこまで寝すぎた訳じゃないけど。
とはいえ時間が押してるのは事実で、顔を拭いて寝癖を整えると、シャワールームを出てクローゼットに向かった。扉を開けて今日着る私服を取り出し、パジャマを脱いでてきぱきと着替えていく。
姿見でパーカーの首周りを調節し、最後に全身を軽くチェックしてから、そっと扉を閉めた。

「ふう……」

何とか、いつも部屋を出る時間には間に合った。本来なら着替えた後は幾らか余裕があって、ベッドに座ったりして寛ぐ所だけど、今日はそんな訳にもいかない。
壁にかけていたルームキーを手に取ると、僕は早々に部屋の外に出た。

(舞園さんはまだ、か)

廊下には他の人の姿もなく、しんとした朝の静けさに包まれていた。お互いの部屋の間の壁――定位置となったその場所に背を預けて、舞園さんが出てくるのを待つ。
毎朝ここで待ち合わせをしてる訳だけど、今日みたいに僕の方が早い時もあれば、舞園さんの方が早い時もある。
前者の場合は待ってる間がとても楽しく、後者の場合はいつも笑顔で出迎えてもらえる。舞園さんと一緒な以上、どちらにしても僕にとっては嬉しい。
昨日と一昨日は舞園さんの方が早かったけど、今日は僕が待つ番。僕を見ると嬉しそうに側に寄ってくる舞園さん……その姿を想像して、気分は更に弾んだ。

「今日は何を食べよっかな……」

頭の中でメニューを広げながら、どれにしようか考える。昨日はミニオムレツやトマトスープといった洋食だったし、今日は和食にしてみようかな。

舞園さんと一緒の食事――それはとにかく幸せの一言で、普通に食べるよりも何倍も美味しく、何倍も楽しく感じられる。
料理を食べつつ仲良く話を交わす朝食の時間は、僕の一日の原動力と言ってもいい。
舞園さんがもぐもぐと可愛らしく口を動かす所や、両手でコップを持って飲み物を飲む所……そんな姿をすぐ隣で見る事が出来るのは、一緒に食べる上での特権だ。
まあ、あんまりじろじろ見るのは気が引けるから、たまにチラッと窺う程度だけど……。食べてる所を眺められるのって、やっぱり何か照れ臭くなるもんな。
……眺めてくる相手が舞園さんだと、尚更。


(舞園さん、今日はたっぷり羽を伸ばせるといいな)

休日もお仕事がある舞園さんだけど、実は今日はオフの日だったりする。
女子同士だと朝日奈さんや大神さんと特に仲が良くて、今日はその二人と一緒に、学園の外にショッピングに出かけるらしい。
昨日から楽しみにしていて、日頃忙しい分たっぷり満喫したいと、舞園さんは嬉しそうにそう言っていた。

ちなみにそのショッピングが終わった後は、僕が舞園さんの部屋に遊びに行く事になっている。舞園さんの方から誘ってくれて、言うまでもなく喜んで承諾した。
どうやら帰りにケーキを買ってきてくれるみたいで、一緒にティータイムを楽しむ予定なんだ。茶葉から淹れたレモンティーをマイカップで味わって、ケーキを食べつつ談笑を交わす。
その場面を想像するだけで、余計に楽しみになってきた。待ち遠しいな……。

「おお、今日も早いな苗木君!」
「あ、石丸君。おはよう」

と、そうやってうきうきしていると、快活で力強い声が僕に掛けられる。『超高校級の風紀委員』の石丸君だ。
少し前までは休日すら制服で過ごしてたけど、今は休日らしくちゃんと私服を着ている。仲良くなった大和田君と先週買った物らしく、大層気に入ってるみたいだった。
サウナでの我慢勝負を機に、大和田君と兄弟と呼び合う仲になった石丸君。最初は堅物すぎて何だか面倒臭い人だったけど、今は大和田君との交流のお陰で、四角かった人柄も大分丸くなった気がする。

「うむ、おはよう! いやあ、今日も実に爽やかな朝だなっ! はっはっは!」
「そ、そうだね……」

……ただ、暑苦しいのは相変わらずだ。朝から声が大きいと言うか……。
寄宿舎の部屋は防音性に優れた造りをしてる以上、まだ寝ている皆の迷惑にこそならないけど……こうして目の前で話してると、やっぱり少しうるさく感じる。
出来たら、もう少しボリュームを落としてくれると助かったり……。

「ここで待っているという事は、舞園君はまだなのだな?」
「うん。と言っても、もうすぐ出てくると思うけどね」
「そう言えば昨日、彼女が君と話している際に明日……つまり、今日はオフだと言っていたな。日頃随分と忙しいにも関わらず、オフの日も早起きを欠かさないとは、流石は舞園君だ! 出来たら、兄弟も倣って欲しい所なのだが……」
「はは、仕方ないよ。平日ならともかく、休日はゆっくり寝たい人だっているだろうし」
「まあ、それはそうなのだが……たまには朝食を共にしたいものだ」

石丸君は少し項垂れ、残念そうにそう口にする。まあ、休日の大和田君はいつにも増して遅くまで寝てるからな……。


「苗木君に石丸君、おはよう」
「あ、おはよう不二咲君」
「おはよう! 不二咲君も毎日早起きで感心だ!」
「あはは、石丸君程じゃないよぉ」

そう言いながらとことこと歩み寄ってきたのは、『超高校級のプログラマー』の不二咲君だ。
不二咲君は当初は本来の性別を隠してて、僕も女子だと信じて疑ってなかったんだけど、ついこの間男子である事が発覚した。
特別な事情で、ある日を境にずっと女子として生きてきたらしい。だけど発覚してからは、ちゃんと男子として皆と接している。
ただ、今着ている私服はまだ女性物のままだ。確か今日、大和田君や石丸君と一緒に男物を見にいくんだったかな。
不二咲君に大和田君に石丸君……クラスの男子同士だと、この三人は取り分け仲が良い。それぞれが足りない物を、三人が互いに補い合っている……そんな関係を築けていると思う。

「苗木君はいつも通り、舞園さんを待ってるんだね。舞園さん、今日も朝からお仕事なのかな?」
「いや、今日はオフだよ。朝日奈さんと大神さんの三人で、学園の外にショッピングに行くんだって」
「あ、そうなんだ? ふふ……日頃忙しいのにオフの日も早起きだなんて、舞園さんはすごいよね。まあ、苗木君と一緒にご飯が食べたいから、ってのもあるんだろうけど」
「う、うん……」

不二咲君の言葉に、照れ臭くなって目を伏せる。『苗木君と一緒に食べたいので、オフでも早く起きますよ』――毎日一緒に食べる約束を交わした際に、舞園さんはそう言った。
ゆっくり休みたいだろうと思って、オフの日は除こうかと提案した僕に、満面の笑みを浮かべて。だから僕は今朝もこうして、舞園さんが出てくるのを待ってるんだ。

「うむ! 食事は一人よりも、誰かと一緒の方が断然楽しいからなっ! 親しい友人となら尚更! だからこそ、たまには兄弟にも早起きして欲しいのだが……無理強いする訳にはいかないからな」
「まあね……僕達が大和田君に合わせようにも、大和田君は起きるのが遅いしね。待ってる間にお腹がペコペコになっちゃうから……」

僕のクラスで早起きに分類されるのは、舞園さん、石丸君、不二咲君、朝日奈さん、大神さん……そして僕の六人だ。朝は大抵、この六人が一緒になる事が多い。
大和田君は平日も起きてくるのが遅いから、石丸君達と一緒に朝食を食べた事は、入学してからまだ一回もないんだよな。

「まあ、気長に待てばいいんじゃないかな? 入学してからまだひと月も経ってないんだし、時間はたっぷりあるよ」
「そうだな……苗木君の言う通りだ。慌てず、堅実に行くとしよう! ……む、そろそろ食堂が開く時間だな。では、僕はお先に失礼する!」
「僕も先に行ってるね。それじゃあ苗木君、また後で」
「うん。また後で」

並んで食堂に向かう石丸君達を見送り、僕は続けて舞園さんを待つ。朝日奈さんと大神さんも早起きだって言ったけど、あの二人は日課通り、僕達よりも早く起きて外でランニングをしてるはずだ。
早朝からランニングだなんて、流石は体育会系だよな……僕には到底真似出来そうにない。もし同じ量の運動をこなしたとしても、きっと朝食は喉を通らないと思う……。

(オフ、かあ)

先述した通り、舞園さんは朝日奈さん達と一緒にショッピングに出かける。女の子同士水いらずのお出かけ。
……昨日も思ったけど、やっぱり朝日奈さん達が羨ましく感じるな。舞園さんと一緒に出かけられるなんて……。幾ら仲が良いとは言え、僕も流石に一緒に出かけた事はないし。
でもまあ、今日は舞園さんの部屋に遊びに行けるんだ。そうじゃなくても、目の前で私服姿を見られる……それだけでも、僕にとっては充分すぎるほど嬉しい。
その事を考える度に、自ずと気分が浮き立つ。


――カチャッ。

「!」

そうして頬を緩めたその直後、すぐ側でドアの解錠音が鳴る。舞園さん、支度が済んだみたいだ……僕は壁から背を離し、私服姿に心をわくわくさせながら、ドアの方に身体を向けた。

「あ、苗木君……」

開かれたドアから舞園さんがひょこっと顔を出し、僕を見て名前を呟く。それから可愛い私服姿をお披露目――しなかった。

(あれ……?)

……と言うのも、舞園さんは何故かパジャマ姿のままだったんだ。オレンジ色と薄黄色の無地の物……もちろん可愛いんだけど、まさかパジャマ姿で出てくるとは思わなくて、意表を突かれてしまった。

「お、おはよう、舞園さん」
「……はい。おはよう御座います」

舞園さんはドアを閉め、その場に立ったまま返事をする。
……何か、少し様子が変な気がするな。今日はやけに落ち着いてる……ってよりは、普段の明るさが感じられないと言うか。それにいつもなら、すぐに側まで寄ってきてくれるのに……。
とまあ、そこはひとまず置いておくとして。まだパジャマ姿って事は、恐らく……。

「えっと……舞園さん、ひょっとして今起きたばかりとか?」
「い、いえ。と言っても、起きたのは少し前なのであんまり変わりませんけど……。ごめんなさい、寝坊しちゃって」
「あ、別に謝る事なんてないよ! 僕だって今日は寝坊しそうになったし……。それにほら、舞園さんは昨日もお仕事があったんだから仕方ないって。僕の事は気にせずに、ゆっくり着替えていいよ?」

僕と違い、舞園さんはアイドルとして日々忙しい生活を送ってる。幾ら規則正しいとは言え、別に超人って訳じゃないんだ……寝坊の一つや二つしたって、何らおかしくない。
だけど僕がそう言うと、舞園さんは何故か申し訳なさそうな表情を浮かべた。

「えっと、そう言ってもらえるのは嬉しいんですけど……」
「ん? どうかしたの?」
「あのですね……実は今日は、一緒にご飯を食べられそうにないんです。それに、部屋に遊びにきてもらう事も……」
「えっ……そ、そうなの? でも、どうして……?」
「そ、それは……」

視線を逸らし、何故か言い淀む様子を見せる。……どうしたんだろ? 言うのが躊躇われるような、そんな理由なのかな……? と言うかよく見たら、頬がほんのり赤くなってる気が……。

(……ん? 待てよ……)

パジャマ姿のまま、言い淀む姿、それに赤みを帯びた頬――それらの要素がふと頭の中で結びつき、僕は一つのある推測に至った。
確証は持てないけど、この推測は間違ってない気がする。舞園さん、もしかして……。
……取り敢えず、早い所確認してみないと。


「舞園さん、ちょっとごめんね」
「え?」

僕は先にそう断ってから、舞園さんの側まで歩み寄り――


「……あ……」


――前髪を掻き分けて、そっと額に自分の掌を宛がった。掌を通して、舞園さんの体温が僕へと伝わる。
思った通り、必要以上に熱い。試しに自分の額と比べてみても、舞園さんの方が確かに熱く感じる。それに、ほんの少しとは言え汗ばんでいるみたいで……。

「……やっぱり。舞園さん、風邪引いてるんだね……」

風邪ならパジャマのままなのも、咳をしたのもどっちも納得がいく。それに、予定を断ったのだって……。
どうやら推測は正しかったようで、僕が額から手を離すと、舞園さんは伏し目がちにこくりと頷いた。

「……実は、そうなんです」

そして、風邪を引くまでの経緯をゆっくりと話し始める。

「昨日の夜から、どことなく身体が重く感じていたんです。ひょっとしたら、風邪を引いてるんじゃないかなって……。単に疲れてるだけかとも思ったんですけど、今さっき起きたら少し頭痛がして、額も熱くて……。やっぱり引いちゃったんだって、確信しました」
「なるほど……。でも、それならそうとはっきり言ってくれればよかったのに」
「苗木君の事だから、言ったら絶対に心配すると思ったんです。でも、余計な気を遣わせたくはなくて……」
「よ、余計なんかじゃないよ! 舞園さんが風邪を引いたなんて、心配して当然だって。長引いたらお仕事に支障が出るだろうし……そうじゃなくても、心配せずにはいられないよ」
「苗木君……」
「症状はどう? 熱や頭痛以外には何かある?」
「えっと、後は少し気怠さが感じられるくらいですね。熱も起きてすぐに測ったんですけど、言う程高くはありませんでした。症状としては軽い方だと思いますし、多分、今日一日休めば治ると思います」
「そっか……」

少しだけ安心した。症状が重かったら大変だったけど、思ったよりも軽そうで何よりだ。

「けど、断りを入れるならメールでもよかったんじゃ? 部屋のすぐ外とは言え、わざわざ出てこなくても……」
「私も最初はそう思ったんですけど、どの道お粥をもらいにいかないといけませんからね。他にも、飲み物だって必要ですし……」
「あ、それもそ……って、自分で用意するつもりだったの!?」
「動くのが辛い、って程じゃないですから。それくらいなら全然大丈夫ですよ」
「で、でも……」

幾ら症状が軽いと言っても、悪化する可能性だって充分にあるんだ。歩き回るのは出来るだけ避けた方がいいと思う。
自分で用意しなくたって、他の人に頼めばいい訳だし。もちろん僕だって、頼まれたら迷う事なく引き受ける。
何なら――


「……あの、舞園さん。舞園さんさえ良かったらなんだけど……」
「……? はい、何ですか?」

舞園さんは不思議そうに首を傾げる。僕の顔を見つめる、透き通るように綺麗な瞳。その瞳をまっすぐ見つめ返しながら、僕は思い切って『提案』した。


「――僕に、看病させてもらえないかな?」


「えっ……!?」

すると、舞園さんは腕を交差させて驚きの表情を浮かべる。まあ、無理もないよな。僕自身、とてつもなく大胆な提案だって思ってるし……。

「な、苗木君が私を、ですか……?」
「うん。どう……かな?」

どうせお粥とかを用意するなら、そのまま看病してあげたい。症状が軽くても弱った身体じゃ色々手間取るだろうし、少しでも治りが早くなるよう、手を貸してあげたいんだ。

「え、えっと……」
「……やっぱり、嫌だった? 病気で弱ってるのに、部屋に上がるのは……」
「い、嫌だなんてとんでもないです! 苗木君に看病してもらえるなんて、すっごく頼もしいですから……。けど、悪いですよ。せっかくの休日を、私の看病なんかで潰しちゃったら……」
「それなら気にしなくていいよ? 舞園さんの部屋に遊びに行く以外、特にこれといった予定はなかったし。それなら、舞園さんの為に何かしてあげたいんだ。……ううん。予定があったとしても、だね」
「で、でも……仮に看病してもらったとして、もし風邪がうつっちゃったら大変じゃないですか。苗木君、ただでさえ風邪を引きやすい体質なんですから……」
「まあ、確かにうつっちゃうかもしれないね。……けど、それでも心配なんだ。弱ってる舞園さんを放っておくなんて、僕には出来ないよ。例えうつるとしても、舞園さんの力になりたい」
「苗木、君……」
「毎日お仕事を頑張ってるんだし、それにほら……僕達は友達だよね? だから、遠慮せずに甘えてもいいと思うんだ」

友達が困ってる時は、手を貸して助けてあげるのが当然だと思うから。
入学して初めての体育の授業……転んで怪我をした僕を、舞園さんが保健室まで付き添って、手当をしてくれた時みたいに。

……とは言え、最終的に判断を下すのは舞園さんだ。手を貸すと言っても、無理矢理行えばそれはただのお節介になる。
もちろん、僕は押し通すつもりなんてない。断られたら素直に引き下――

「……嬉しい」
「!」

と、返事を待っていた僕の両手を、舞園さんがぎゅっと握ってきた。風邪の所為か、いつもより少し温かく感じる。

「やっぱり苗木君は優しいですね。そう言ってもらえて、とっても嬉しいです。……でも、いいんですか? 本当に看病してもらっても……」
「う、うん。僕なんかでよかったら……」
「……うふふ、ありがとう御座います。それじゃあ苗木君の言う通り、遠慮せずに甘えちゃいますね?」
「……うん! 任せて!」

僕は力強く頷く。少しでも多く舞園さんの力になれるよう、精一杯頑張らないと!

「って、風邪引いてるのに長い間立ち話させちゃったね。お粥と飲み物、急いで持ってくるよ。……あ、風邪を引いた事、僕の方から朝日奈さん達に伝えようか?」
「そうですね……ショッピング、一緒に行けなくなっちゃいましたし。私の事は気にせず楽しんできて下さいって、そう伝えてもらってもいいですか?」
「分かった。ちゃんと伝えておくよ」
「ありがとう御座います。鍵は開けておくので、戻ってきたら勝手に入っちゃって下さい」
「うん。それじゃ、行ってくるね。舞園さんは横になって休んでて」
「はい。よろしくお願いします」

舞園さんはぺこりと小さく頭を下げ、一度僕に微笑んでから自分の部屋の中に戻っていった。

(さて……まずは飲み物を買わないと)

風邪となると、やっぱりスポーツドリンクだよな。お粥も栄養面を考えると、卵粥にした方がいいかも……。
看病について色々頭を回しつつ、僕は駆け足気味に食堂へと向かった。

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「お待たせ、舞園さん」
「お帰りなさい、苗木君っ」

お粥とスポーツドリンクを調達すると、僕は急いで舞園さんの部屋に戻ってきた。ベッドの側まで歩み寄ると、舞園さんは身体を僕の方へ横たわらせる。

「勝手に卵粥にしちゃったけど、よかった?」
「はい、大丈夫ですよ。そっちの方が美味しい上に、栄養も取れますしね。お気遣いありがとう御座います」

そう言って、にっこりと笑顔を浮かべる。風邪を引いてるのにこう思うのも何だけど、顔だけ出してる姿も可愛い……。

……当たり前だけど、こうしてベッドで横になっている舞園さんを見るのは、今日が初めてだ。
遊びにきて部屋に入ると、どうしても気になったこのベッド。そこで舞園さんが今正に、毛布と掛け布団を深く被り、頭を枕に乗せて。
看病という名目があるとは言え、僕は今、舞園さんのプライベートに足を踏み入れてる。単に遊びにくるだけの時よりも、ずっと深く……。
いつもは僕より少し高い目線も、今はずっと低い位置から僕を見上げている。大抵は見下ろされてばかりだから、何だか妙に照れ臭い。
風邪で弱っている舞園さんと、部屋の中で二人きり……こんな滅多に居合わせられないシチュエーションの中、どきどきしない筈がなかった。

「テ、テーブルを側に持ってきていいかな? ほら、飲み物を置く場所とか必要だろうし……」
「構いませんよ。お手数おかけします」

お粥とドリンクを乗せたトレーを置き、テーブルを低く持ち抱える。それからトレーを滑らせないよう、ゆっくりとベッドの側まで移動させた。
続いて椅子を一脚だけ運び、それもベッドの側に置く。何と言うか、看病らしい雰囲気が出てきたな。

「あ、体温計もテーブルに置いてもらえますか?」
「うん」

測った後に置いてたんだろう、枕の側にあった体温計を舞園さんから受け取る。

(って、あれ……?)

と、そこで僕はある事に気がついた。……どうしてか、舞園さんが着ているパジャマがさっきと変わっているんだ。
袖の部分しか確認出来てないけど、確か一旦別れる前は、オレンジ色と薄黄色の無地の物だったはずだ。それが今は、花柄模様があしらわれた水色と白色の物になっていた。

(汗をかいたから着替えた……のかな?)

僕がお粥とドリンクを用意してる間……つまり、ほんの少し前に。そう考えると、その光景がついつい頭の中に浮か――びかけた所で、頭をぶんぶんと振る。
そ、そんな事を考えるのは止そう……。小首を傾げる舞園さんに笑って誤魔化しながら、体温計をテーブルに置いた。

「そうそう。朝日奈さんと大神さん、お見舞いに行くって言ってたよ。今すぐは色々看病があるからって遠慮してたから、ショッピングが終わった後になるけど」
「本当ですか? 嬉しいな」
「『風邪のお見舞い品にドーナツってアリかな?』って言ってたけど、どうなんだろ? 一応、買うなら他の物にするよう勧めておいたけど……」
「んー……ドーナツは食べたい気分じゃないですね。それに取っておくとしても、あまり日持ちもしませんし。でも、朝日奈さんらしいですね」
「はは、確かに」

『プロテイン飲んだら、治りも早くなるんじゃない?』なんて事も言ってたっけ……すかさず全力で否定したけど。
確か、僕が転んで怪我をした時も同じ事を言ってたよな。プロテイン万能すぎだろ……。


「あ……そうだ。一応、タオルを用意しておこうと思うんだけど……どこにあるか、教えてもらってもいい?」
「タオルなら、クローゼットの中にある小さい引き出しですね。右の方の……」
「ク、クローゼット、僕が開けてもいいのかな……?」
「うふふ、それくらい大丈夫ですよ。……ただ、間違えて他の引き出しを開けちゃわないで下さいね?」
「だ、大丈夫だよ。間違えないって」

少し照れ臭そうに言った舞園さん。それはつまり、見られると恥ずかしい物が入ってるって事なんだろうか……自然と想像しかけて、だけど瞬時に掻き消す。
なるべく何も考えないようにしよう……。僕はクローゼットの前まですたすたと歩いていくと、そっと扉を開いた。

(…………)

開いて真っ先に目に入る、ハンガーラックに掛けられた数々のお洒落な服。じっくりと眺めたくなる気持ちを何とか抑えて、すぐに視線を小さな引き出しに移した。
右、右……と頭の中でしっかりと反芻をしつつ、すーっと引き出しを開ける。
中には綺麗に折り畳まれたタオルがたくさん入っていて、その内一番上の物を手に取ると、早々に扉を閉めて舞園さんの所まで戻った。

「テ、テーブルに置いておくね」
「はい。ありがとう御座います」

僕の部屋にある物と同じ、柔らかい手触りのふわふわとした真っ白いタオル。ただ、舞園さんが使った物だと考えると、どうしても意識せずにはいられない……。

「っと、次に冷却シートだけど……入ってる所って、僕の部屋と同じだよね?」
「そうですね。机の右の、大きい引き出しの中です」

机なら、緊張する事もないな……心の中で安堵しながら机の前まで移動し、大きめの引き出しの中から冷却シートの入った箱を手に取る。
中を開けて一枚だけ取り出すと、元の場所に返してベッドの側に戻った。
……すると、舞園さんがどこか期待するような、そんな眼差しで僕を見上げる。

「その、苗木君が貼ってくれるんですよね?」
「ま、まあ……。気をつけるけど、ずれちゃったらごめんね……?」
「そのくらい気にしなくていいですよ? 看病をしてもらえるってだけで、とっても助かるんですから。……あ、せっかくなので、この体勢のまま貼ってもらってもいいですか?」
「え? この体勢……って、横になったままって事?」
「はい、早速甘えちゃおうと思って。どうですかね?」
「ぼ、僕は別にいいけど……」

でもそうなると、舞園さんに覆い被さるようになるんじゃ……。てっきり起き上がった状態で貼るんだと思ってたから、僕は内心戸惑ってしまった。

「ありがとう御座います。それじゃあ、お願いしますね」
「ま、任せて」

……けど、甘えていいって言ったのは他ならぬ僕だもんな。そうした以上、ちゃんと聞き入れてあげないと。
舞園さんはどこか嬉しそうに、横になったまま身体を寄せてくる。ぐっと縮まった距離に思わず緊張しつつ、シートのフィルムをぺりぺりと剥がした。
そのシートを両手に持つと、舞園さんの額にゆっくりと近づけていく。想像した通りの覆い被さるような形に、たまらず鼓動は速度を増していった。


「な、何だか恥ずかしいですね。自分からお願いしておいて何ですけど……」
「う、うん……」

対する舞園さんも、
頬をはっきりと赤く染めている。僕から視線を逸らすように、両手で前髪を掻き上げた。
すると露わになる、他の肌と同様の白くて綺麗な額。思わず、熱を確かめる為に取ったさっきの行動を思い返す。

(そういえば、あんなに積極的に触ったのって初めてだな……)

積極的にスキンシップを取ってくる舞園さんとは違い、僕が自分から取った事はまだほとんどない。精々、肩についてた糸くずを取ってあげたくらいだ。
何と言うか……自分から触るのって、やっぱり照れ臭いんだよな。お風呂上がりの時なんて、ちょっと指が当たっただけでどきっとしちゃって……。
そう考えると、身体が自然と動いたとは言え、さっきの行動は随分大胆だったと思う。それに、舞園さんの汗が僕の手に……。

「苗木君?」
「あっ、ご、ごめん。ちょっと考え事しちゃって……すぐに貼るから」

ついつい思い耽りそうになってしまった。ずっと腕を上げてたら疲れるだろうし、早い所済ませないと……。
一旦頭の中をリセットして、額が触れかかる所までシートを近づける。……と、何だかやけに視線を感じて、そっと目を落としてみると、舞園さんが僕をじっと見つめていた。

「ま、舞園さん? そんなに見られると、少しやり辛いって言うか……」
「駄目ですか? 苗木君が貼ってくれる所、見ていたいんです」
「だ、駄目じゃないけど……」

でも、この状態でそんな風に見つめられると、ますますどきどきしちゃって……。と、とにかく早く貼ろう。このままずっと同じ体勢でいたら、平静でいられなくなりそうだ。
舞園さんに視線を注がれながらも、貼る位置をこまめに調節し……皺が出来ないよう注意しながら、そっと丁寧に貼った。

「はい。……どう?」
「とっても、気持ちいいです……。この清涼感って、風邪の時くらいしか味わえませんよね」
「はは、味わわない方がいいんだけどね」
「それもそうですね。うふふ」

冷却効果は長時間もつらしいけど、効果が切れたら貼り替えてあげないと。これで気持ちよく眠れるといいな……。

「それにしても、本当に気持ちいいです。昔、お父さんに看病してもらったのを思い出しました」
「お父さんに?」
「アイドルの道を目指し始めた頃、流行ってた風邪にかかっちゃった時があったんですよ。あの日は朝から高熱に浮かされる羽目になりました……。でも、そんな私の為にお父さんがお仕事を休んで、一日中付きっ切りで看病してくれたんです」
「そうなんだ……。それだけ舞園さんが心配だったんだろうね」
「苦しかったけど、お父さんがずっと側にいてくれてすごく安心しましたね。懐かしいです……」

舞園さんは思い返すように呟く。一人っ子だった舞園さんにとっては、お父さんが唯一の肉親だ。お父さんにとっても舞園さんは大切な一人娘で、だからこそ側にいてあげたかったんだろう。
アイドルを目指す前から一人を寂しがってたのは、お父さんだってきっと知ってただろうし……。
この数週間だけでもお父さんとの思い出は幾つか聞いたけど、本当に好きなんだな。お父さんの事を嬉しそうに話す舞園さんは、見ていてとても微笑ましい。


「……そう言えば、苗木君も今日は一日中、付きっ切りで看病してくれるんですか?」
「そ、そのつもりだけど……」
「そうですか……つまり今日一日は、苗木君とずっと一緒なんですね」

そう言うと、舞園さんはまたじっと僕を見つめる。……そう。朝日奈さんと大神さんがお見舞いに来るとはいえ、今日は一日中、舞園さんと二人きりなんだ。
お互いの部屋に遊びに行く時なんかとは違って、今日は朝早くからこうして二人きりでいる。
甘い香りの漂うこの部屋の中、舞園さんをずっと独り占めに……だからこそ、今まで以上に目を向けずにはいられない。
お人形さんのような白い肌に、くりくりとした綺麗な大きい目に、うるうるとした艶のある桜色の唇に、サラサラとした美しい黒髪に――。

「あ、すっ、水分補給しないとね! 風邪の時はこまめに摂るのが大事って言うし……舞園さん、喉渇いてるでしょ?」

意識を逸らすよう、慌てて話を切り換える。そんな僕を見て、舞園さんはおかしそうにくすくすと微笑んだ。

「そうですね、起きてからまだ何も飲んでないので。よっ……と」

ゆっくりと起き上がり、隠れていた上半身が姿を見せる。別れる前とは別の、花柄模様があしらわれた水色と白色のパジャマ。
こっちもよく似合ってて可愛いな……。心の中でそう呟きながら、蓋を開けたスポーツドリンクを差し出した。

「それじゃあ、いただきますね」
「うん。残り少なくなったらまた買ってくるよ」
「はいっ。ありがとう御座います」

舞園さんはお礼を言ってから、容器を傾けてとくとくと喉に流し込んでいく。そんなごくごく普通の動作も、舞園さんがすると綺麗に映える。
さながらCMの一シーンみたいで、僕はつい見惚れてしまっていた。やがてふうっと一息吐くと、僕から受け取った蓋を閉めて、ドリンクをテーブルの上に置いた。
喉が渇いてたのは確かなようで、量はそれなりに減っている。

「っと、そろそろお粥を食べよっか。栄養もちゃんと摂らないとね」

小鍋の蓋の取っ手を掴み、音を立てないようそっと開けた。するともくもくと湯気が立ち上り、中から卵粥が現れる。

「わあ……! 美味しそうです」

たっぷりネギが散りばめられた、カニカマ入りの卵粥。その綺麗な色合いに、舞園さんも喜んでいる様子だ。僕はその卵粥が載ったトレーを持ち、舞園さんに差し出す。

「はい。まだ熱いから気をつけてね」
「あ……」
「……?」

けど、何故か舞園さんはそれを受け取ろうとしなかった。じっと卵粥を見つめる姿に、僕は思わず小首を傾げる。

「舞園さん、どうしたの?」
「えっと……あの、ですね。実は、またお願いがあって……」
「あ……そ、それならどんどん言っていいよ? 僕に出来る事なら何でもするから」

それだけ、舞園さんの力になれるんだもんな。僕としても嬉しいしどんどん頼って欲しい。ただ、さっきみたいな内容だとまた緊張しちゃううけど……一体どんなお願いなんだろ?


「それで、お願いって?」
「はい。その……」

舞園さんは口許に両手を添えて、どこか恥ずかしそうな様子を見せる。その直後――



「……お粥を、食べさせてもらえませんか?」



――舞園さんの口から発せられたのは、そんな度肝を抜くような言葉だった。

「えっ……!? たたっ、た、食べさせるっ!?」

たまらず動揺しながら聞き返すと、舞園さんはこくりと小さく頷く。どうやら聞き間違えでもないみたいだ……。

「お父さんが看病をしてくれたって、さっきそうお話しましたよね? 実は当時、お粥を食べさせてもらったりもしたんです。その事を思い出したら、苗木君にもして欲しくなって……。どう、ですかね?」
「え、えっと……」

食べさせてあげる……って、つ、つまりあれの事だよな。ラブコメ漫画なんかでたまに見かける、いわゆる『あーん』って奴……。
僕が持ってる人気ラブコメ漫画の中にも、そんなシーンがあったはずだ。で、でも、それを僕が舞園さんに……!?

「……やっぱり、流石にワガママでした?」
「あっ、い、いやっ! そんな事ないよ、甘えていいって言ったのは僕なんだし……断るつもりなんて、全然ないから!」
「じゃあ、食べさせてもらえますか?」
「う、うん。舞園さんがそうして欲しいなら……」
「……うふふ、ありがとう御座います。嬉しいです」

慌てながらも引き受けると、舞園さんはその顔に満面の笑みを湛えた。それだけして欲しかったって事なのかな……。

……でも、こんなお願いをしてくるなんて本当にびっくりした。甘えていいとは言ったけど、余りにも大胆と言うか……。
幾ら看病を買って出たとは言え、お粥を食べさせてあげるなんて完全に想定外だった。誰かに食べさせてあげる……言うまでもなく、僕にそんな経験があるはずがない。
漫画の中くらいでしか見られないような物だと、そう思っていた。それがまさか当事者になるなんて……それも、相手が舞園さんだなんて。
シートを貼るだけでもあんなだったのに、またどきどきしてきた。ただ、引き受けた以上はちゃんとしないと……。

(この調子で今日一日、まともでいられるのかな……)

まだ看病を始めて間もないっていうのに。自分の身体の心配もしながら、僕は静かに椅子へ座った。卵粥の乗ったトレーを太股に置き、手に持ったスプーンで卵粥を掬う。
これを、舞園さんの口元に持っていくんだ――と、そこで僕はある事に気づき、動きかけた手をすぐにぴたりと止めた。

スプーンに乗せられた一口分の卵粥。そこからは、依然として湯気が立ち上っている。もちろん、こんな熱い状態で食べさせる訳にはいかない……そうなると、当然冷ましてあげないといけない。
けど、それって――

>>10
ありがとう御座います。更新はちまちまになりますが、お付き合いいただければ幸いです

キリが悪いですが、続きはまた夜投稿しようと思います
書き溜めてはいるものの、投稿用に改行してる際に読み返すと変な点が色々見つかって修正に時間がかかるという……
もっと早く書けるようになりたい所

前作も読みました!この王道苗舞が大好きです!
応援してます!頑張ってください!

ゆっくりでいいんで続けてくれたら嬉しい


(ぼ、僕が、ふーふーしないといけないって事か……!?)

よくよく考えてみれば、『お粥』を食べさせてあげるんだから当然だ。あんまり緊張してたもんだから、今更になって気づいてしまった。
食べさせてあげる上に、そんな事までする必要があるなんて……! ど、どうしよう。まさか、舞園さんに自分でしてもらう訳にはいかないよな。
かと言って、自然に冷めるまで待つのは論外だ。そうなると、やっぱり僕がするしかないって事か……。

……まあ、何も出来ない訳ではないんだよな。途轍もなく緊張してしまうけど……でも、舞園さんは楽しみにしてくれてるんだ。
それに、あんまり待たせるのは悪い――僕は意を決すると、卵粥の乗ったスプーンを自分の口元まで持っていった。

「ふー……ふー……」

そして、少し強めに息を吹きかけていく。舞園さんが火傷したりしないよう、何度も何度も念入りに……。
これだけすれば大丈夫だろうか……そう判断した所で舞園さんを見てみると、頬の赤みが更に濃くなっていた。やっぱり、僕みたいに意識してるんだろうか……。
そんな事を考えながら、空いた片方の手を受け皿に、舞園さんの口元にスプーンを近づけていく。

「は、はい、舞園さん」

……流石に、ここで『あーん』と言う勇気までは持ち合わせていない。大体、舞園さんに食べさせてあげるって時点で、すごい事をしてる訳で……。
既に全体が熱くなっている僕の顔は、きっと真っ赤に染まってる筈だ。

「……はい。いただきます」

舞園さんはどこか緊張した面持ちで、ゆっくりと口を開く。静かな部屋の中、早鐘を打つ胸の鼓動をはっきりと感じながら……僕はお粥をその口の中に入れた。
しっかりと咥えるのを確認してから、そっとスプーンを引き抜く。舞園さんは頬に両手を添えて目を瞑り――まるで絶品料理を食べているかのように、美味しそうに味わってくれている。
僕が息を吹きかけた、食べさせてあげた卵粥を……。やがてごくりと飲み込むと、にっこりと笑顔を浮かべた。

「ふふ……とっても、美味しいです」
「よ、よかった。その、熱かったりはしなかった?」
「苗木君が冷ましてくれたお陰で、全然平気でしたよ。もっといただけますか?」
「う、うん」

また一口を掬い、同じように息を吹きかけてから口の中に運ぶ。舞園さんは何度も何度も噛んで、二口目も美味しそうに食べてくれた。

「あの日のお父さんも、こんな風に食べさせてくれましたね。思えば、誰かに食べさせてもらうのなんてあの日以来です」
「え……そ、それって、お父さんを除けば……」
「はい。……苗木君が初めてです」
「そ、そっか」

男子の部屋に入ったのも、男子を部屋に招き入れたのも。それに、食べさせてもらったのも――全部、僕が初めてなんだ。やっぱり、舞園さんの『一番』になれるのはすごく嬉しい……。

「はい、舞園さん」
「ありがとう御座いますっ」

内心心を躍らせながら、一口、また一口と冷まして舞園さんの口に持っていく。それから僕は最後の一口まで、舞園さんに卵粥を食べさせてあげた。
米粒一つ残ってない空の小鍋を見て、思わず頬が緩む。

「ごちそうさまでした! 苗木君に食べさせてもらったお陰で、一層美味しくいただけました」
「あ、ありがとう。そう言ってもらえると嬉しいよ」

最初こそかなり緊張したけど、美味しそうに食べてくれる舞園さんを見てたら、徐々に嬉しさの方が強くなっていった。
出来たら昼食も食べさせてあげたいって、そう思えるくらいに。ただ、面と向かってそんなお礼を言われると、すごく照れ臭い……。


「さて、栄養もちゃんと補給出来た事ですし、身体を休めないといけませんね。食べてすぐ寝るのは少し気が引けますけど……でも、風邪の時にまでそんな事を気にしてたら、治る物も治りませんもんね」
「た、体重の事なら大丈夫じゃないかな? 舞園さん、普段からお仕事でよく動いてるんだし……それに、スタイルだっていいんだしさ」
「そ、そうですか? ありがとう、御座います……」

舞園さんは照れ臭そうに伏し目がちになる。実際、そこまで気にする程じゃないと思うけど……まあ、そこは女の子だもんな。
それに舞園さんはアイドルなんだ、人一倍気にして当たり前か。体重管理だってしないといけないんだから、本当に大変だよな……。

「ところで苗木君、一つ聞きたい事があるんですけど……」
「ん、何?」
「その……付きっ切りで看病をしてくれるって事は、私が寝ている間も、側にいてくれるんですよね?」
「ま、まあ……」

僕はぎこちなく頷く。……付きっ切りで看病をするって事は、そういう事だ。幾ら症状が軽いと言っても、寝ている間に何かあったら大変だし、その間も側にいてあげないといけない。
よくよく考えなくても、びっくりするくらいすごい事だよな。正直、最もプライベートに脚を踏み入れる時だと思う……。

「えっと、もし気になるんだったら、その間は自分の部屋に戻ってるけど……」
「うふふ、大丈夫ですって。前にも言いましたけど、苗木君の事はとっても信頼してますから」
「で、でも、寝ている所を見られるの、恥ずかしかったりしない……?」
「それは……正直、かなり恥ずかしいですよ? 今だって既にどきどきしていますし……。けどそれでも、一緒にいてくれた方が嬉しいですから」

僕をまっすぐに見つめながら、全幅の信頼を寄せてくれる舞園さん。しっかりと気持ちの込められたその言葉は、僕を心の底から喜ばせた。

「分かったよ。寝ている間もちゃんと看病するから、安心してね」
「はい! ただ、寝言を言っちゃわないかが心配です……。苗木君、もし言ってたらちゃんと教えて下さいね……?」
「う、うん」

寝言、か……今までそこには頭が回らなかったけど、そうだよな。舞園さんだって、寝言を言う事があるかもしれないんだよな。
……正直、すごく聞いてみたい。心配しているのにこう思うのは何だけど……。


「それで、私が最初に言おうと思ってた事なんですけね。寝ている間もずっといてくれるのは嬉しいんですけど、その間苗木君は随分暇になっちゃいますよね?」
「あ……それもそっか。看病すると言っても、どうしても暇にはなっちゃうだろうね」
「どうします? テレビなら、好きに使ってもらっても構いませんけど……」
「いや、テレビは遠慮しとくよ。舞園さんの安眠を妨げるかもしれないし」
「私は全然いいですよ? だって、付きっ切りで看病をしてもらうんですから……。そうじゃなくても、別に……」
「ううん、それでも遠慮しとく。舞園さんの体調を優先したいから……」
「苗木君……ふふっ、ありがとう御座います。苗木君にこんなに気遣ってもらえて、私は幸せ者ですね」

幸せ者……それは僕だってそうだ。舞園さんと一日中一緒にいられるなんて、願ってもない事なんだから……。
最初はショッピングが終わった後、部屋に遊びに行く予定だったけど……結果的に、こうして一緒の時間が増えた。僕は今、すごく幸せだ。

「代わりにさ、部屋にある漫画とかをここに持ってきてもいいかな?」
「あ、もちろん構いませんよ。それなら、私の持ってる雑誌もお貸ししましょうか? ただ、女性物のファッション雑誌とかなので、つまらないかもしれませんけど……」
「う、ううん、そんな事ないよ! 貸してもらえるんだったら、喜んで読むから」

正直、舞園さんが読んでる物ってだけでかなり興味があるし……。それを読ませてもらえるなんて、嬉しいに決まってる。

「そうですか? それなら良かったです。読みたいと思った物、勝手に取っちゃっていいですから」
「分かった。ありがとう、舞園さん」
「うふふ、お礼を言うのは私の方ですよ?」

舞園さんは嬉しそうに、そして楽しそうに微笑む。ああ、本当に幸せだ……ずっとこんな時間が続けばいいのに。いや、ずっと風邪を引いたままなのは駄目だけど……。

「じゃあ僕、食器を片づけてくるね。朝食を食べてくるから、少し時間がかかるけど……」
「大丈夫ですよ。私も自分のペースで食べさせてもらったんですし、苗木君もゆっくり食べて下さい。あ、ルームキー、苗木君に渡しておきますね」
「うん」

ハイテーブルに置かれていたルームキーを、舞園さんから受け取る。舞園さんの部屋のルームキーを、僕が……何か不思議な感覚だ。

「それじゃ舞園さん、また後で」
「はい! また後で、苗木君っ」

舞園さんは気分を弾ませた様子で、僕に手を振ってくる。こういう時でもわざわざ振ってくれる所が、何とも舞園さんらしい……そう思えるのも、親しくなっていってる証拠だよな。
僕も同じように手を振り返すと、一旦舞園さんの部屋を後にした。

>>17 >>18
ありがとう御座います、そう言ってもらえると嬉しいです

短いですがキリがいいので今日はここまでにしときます
明日は大量に投稿出来……るといいな(願望)


いつもより遅くなった朝食を済ませると、僕は飲み物を買ってから一度自分の部屋に戻った。暇潰し用の漫画等を持っていく為だ。

「うーん……取り敢えず十冊くらいでいいか」

収納棚の前に屈み込み、どれにしようか考える。持っていく漫画を抜き取っていく。一度にそんな大量には持ち運べないし、読み終わってから読んでない物と取り換えればいいんだしな。
そんな訳で、僕はシリーズ物の十巻までを収納棚から抜き取った。

(ゲームは……まあ、やめた方がいいよな)

テレビの前に立ち、台の収納スペースに置いてある携帯ゲームを見下ろす。ゲームで遊ぶ人なら分かると思うけど、ボタンの入力音はカチカチと結構うるさかったりする。
それが気になって、心地よく眠れない可能性だってあるかもしれない……舞園さんにはちゃんと休んで、少しでも早く治って欲しいから。暇潰しには最適だけど、これは持っていかない事にした。

……ある意味、こっちの方が最適かもしれないしな。僕は作業机の方に移動して、置いてあった携帯音楽プレーヤーを手に取った。

(……へへ)

このプレーヤーの中には、舞園さん達の曲が全て収録されてある。入学してからも既に何度も聴いてるけど、今日もお世話になりそうだ。
舞園さんの部屋で聴くのなんて初めてだし、またどこか新鮮な気持ちで楽しめるかもしれない。

「っと、早く戻らないと」

看病を買って出たっていうのに、自分の部屋で呑気にしている場合じゃなかった。僕はプレーヤーをポケットに入れると、飲み物と一緒に重ねた漫画を持ち抱えて、部屋の外に出た。
舞園さんの部屋の前まで移動し、片手で漫画を支えながらドアの鍵を開ける。

「戻ったよ、舞園さん」

部屋の中に入って鍵をかけ直してから、舞園さんに声を掛ける。

(……あれ?)

でも、少し待ってみても舞園さんから返事はこなかった。うるさくない程度に声は出したつもりだけど、ひょっとして聞こえなかったんだろうか。
それか、もしくは――僕はある推測を立てると、逸る気持ちを携えて、ベッドの側まで早歩きで近寄っていった。

「……わあ……」

そして、思わずそんな声を漏らす。僕の目の前には、推測した通りの光景が広がっていた。



「すぅ……すぅ……」



――舞園さんは、小さく寝息を立てながら気持ちよさそうに眠っていた。スポーツドリンクを飲む前までのように、毛布と掛け布団を肩まで被り、身体を横に向けて。
綺麗で愛らしいその姿に、僕はたまらず目が釘付けになってしまった。テーブルに持っていた漫画と飲み物を置き、静かに椅子に座ると、引き続き夢中になってその姿を眺める。

(舞園さんの、寝顔……)

一度でいいから、実際に寝顔を見てみたい――初めて部屋に遊びにきた時、想像しながら思った欲張りな願望。それが今、こうして舞園さんの部屋で叶っている。
付きっ切りで看病をする以上、絶対にお目にかかれると分かってはいたけど……いざ前にしてみると、今のこの状況がどこか現実離れに感じられた。

普通の表情や笑った表情、照れ臭そうな表情から少し困ってそうな表情と、何から何まで可愛い舞園さん。当然と言うべきか、寝顔も同じように……いや、それ以上にすごく可愛かった。
瞼がずっと閉じられている事で、睫毛の長さや多さはより顕著に見て取れて。小さく寝息を漏らす僅かに開いた唇は、思わず生唾を飲み込むくらい艶やかで。
お人形さんみたいに真っ白な肌は、よく触れ合ってる手と同じで、きっとしっとりすべすべとしてるんだろう。その魅力的すぎる無防備な寝顔は、僕の目を惹きつけて離さない。
本当に、ずっと眺めていたいくらい――。


(まあ、そう言う訳にもいかないけど……)

幾ら寝ているからって、遠慮せずに好き放題眺めるのはよくないよな……。舞園さんもかなり恥ずかしいって言ってたし。
そもそも、僕がここにいるのは寝顔を眺める為じゃない。看病をする為なんだ。そこは間違えないようにしないと……。

ただ、現状は側にいてあげるだけで充分だ。汗をかいてたらタオルで拭く所だけど、今はそんな様子も見受けられない。……と言う訳で、持ってきた漫画を読むとするかな。
そうしてテーブルの方に向き直り、漫画の一巻目に手を伸ばし――かけた所で、『そうだ』と手を膝の上に戻した。

(……先に、舞園さんの雑誌を読ませてもらおう)

この漫画はいつでも読み返せるけど、舞園さんの雑誌を読める機会なんてこんな時くらいだろうし。そうと決まれば、早速一冊借りてみようかな。
音を立てないよう静かに立ち上がると、僕は収納棚まで歩み寄っていった。

「うーん……やっぱり、舞園さんが出てる雑誌はないか」

一冊一冊を丁寧に抜き取って、表紙を確認していく。その抜群のプロポーションから、舞園さんはたまにファッションモデルを請け負う事もある。
それでもしかしたら、出てる雑誌が置いてあるかもしれない……そんな風に少し期待してたんだけど、残念ながらないみたいだ。
まあ、舞園さんもそれなりに恥ずかしがり屋だしな。その点を考慮したら、自分が出てる雑誌はやっぱり買わないか……。

……それにしても、ファッション雑誌って本当に色々あるんだな。でも、細かい違いは僕にはよく分からない。そもそも、男性用のファッション雑誌だって読まないし……。
舞園さんに色々教えてもらってるから、多少なりとも知識はついてきたけど……それでもまだまだ疎い方で、別段センスが上がった訳でもない。
舞園さんや江ノ島さんみたいにお洒落になんて、僕にはなれっこないだろうな……と言うか、お洒落な自分が全く想像出来ないや。

(っと、ずっと棚の前で物色するのもよくないか)

とは言え、どれにするかまだ決まってないんだけど……まあ、取り敢えず端から順々に借りてみようかな。僕は一番端にある雑誌を抜き取ると、舞園さんの側に戻って椅子に座った。
舞園さんの容態は変わりなく、依然として気持ちよさそうに眠っている。……欲が出て、また少しの間寝顔を堪能してから、僕は机に置いていた雑誌を開いた。
皺をつけないよう、気をつけてページをめくっていく。

(色んな服があるんだなあ……)

紹介文にはまるで魔法名みたいなファション用語もあって、何だか分かり辛いけど……でも、写真だけなら僕でもそれなりに楽しめそうだ。
数十ページに渡って多種多様な服装が紹介されていて、それらの服をモデルの子達が綺麗に着こなしている。モデルなだけあって、やっぱり皆スタイルがいい。
何と言っても、僕よりも背が高い子ばっかりだ……。

背が高いと言えば、クラスの女子達もそうなんだよな。一番低い朝日奈さんでさえ僕と同じ160cmらしく、江ノ島さんと戦刃さんに至っては169cmもある。
もちろん、舞園さんも僕より高くて……偶然なのかそうでないのか、僕より背が低い子は一人もいないんだ。入学当初は、それが少し気になっていた。特に、舞園さんに対して……。

(……でも、そんな悩みもすぐに解消された)

他でもない、舞園さんのお陰で。ホント、舞園さんにはいつも元気を分け与えてもらってるよな……。だからこそ、今日くらいは僕が分け与えてあげたい。
大した事は出来ないけど、少しでも力になれると嬉しいな。僕は改めてそう思い、寝ている舞園さんに微笑みかけてから、視線を雑誌へと戻した。


「そう言えば、こまるはこう言う雑誌ってあんまり持ってなかったな」

少女漫画に舞園さんのCD、舞園さんのグッズなど……アイツのお小遣いの使い道は、大体そんな感じだった。
ファッション雑誌も持ってたのは持ってたけど、舞園さんが出ていた物だけだ。可愛い可愛いって、目をキラキラさせながら読んでたっけ。アイツはとことん舞園さんに夢中だ。
……ちなみに、ファッション雑誌は僕も一緒に読ませてもらった。こまるが楽しそうに眺める横で、写真の私服姿で動いてる様子を、色々想像したりしていた。

(あ……この服、舞園さんに似合いそう)

白と紺の太ボーダーの袖レースシャツに、同じく裾にレースがあしらわれた白く透けるキャミブラウス。それから、薄いベージュ色のミニプリーツスカート……との事。
どうやら夏の新作らしく、清涼感があって個人的にいいなって感じた。こう言った落ち着いた配色が、舞園さんの清楚な面とすごくマッチしてると思う。
試しに、着ている所を想像してみる……うん、やっぱり似合うんじゃないかな。他の服もそんな風に想像しながら、色々な私服姿の舞園さんを楽しんでいった。

「しっかし、本当に色んな物があるんだな……」

雑誌には、トップスとボトムス以外にもたくさんのファッションアイテムが載っている。
キャスケットやマリンキャップといった帽子類、首に巻く物ならスヌードやストール、靴で言えばショートブーツやスリッポンなど……僕の頭では到底把握しきれない量が、幅広く紹介されていた。
女の子の場合、他にも色々小物があるよな。舞園さんや朝日奈さんならヘアピン、霧切さんはヘアリボン、セレスさんはヘッドドレスと指輪、江ノ島さんはヘアゴム。
あ、セレスさんはウィッグも入る……んだろうか。小物と言うには少し大きすぎる気もするけど。……怒ると怖いから、本人の前じゃ絶対に言えない。
あのドスの効いた表情を思い浮かべて、苦笑しながら次のページを開く。……と、その直後。

「んっ……」
「!」

静まり返っていた部屋の中、唐突に舞園さんの微かな声が耳に入った。もしかして目を覚ましたんだろうか……そう思い、すぐさまベッドに顔を向ける。
けど、予想に反して瞼は変わらず閉じられていて――舞園さんは眠ったまま、僅かに身動ぎをしていた。
掛け布団の下で小さくもぞもぞと動き、若干顎を引いて……やがて、またすぅすぅと寝息を立て始める。その短い一部始終を、僕は一度も瞬きをせずに眺めていた。

(……何か、ものすごく貴重な物を見た気がする)

いや、この状況の時点で貴重なんだけど……でもまさか、身動ぎする所を見られるなんて。
けどよくよく考えてみれば、寝てるんだからそれくらい見られてもおかしくないか。何と言うか、看病冥利に尽きるな……。

とは言え、看病をする為にいる事を忘れた訳ではなく。安らいだ表情を再び確認してから、引き続き雑誌を眺める。

「あ、このページからは髪型特集か」

ショート・ミディアム・ロング……それぞれの長さに応じた髪型が、多岐に渡り詳しく紹介されていた。
カール、内巻き、ゆるふわ、レイヤーなど、これまた数多くの用語がふんだんに使われていて、頭が混乱しそうになる。
単にロングストレートとかツインテールとか、そう言ったポピュラーな言葉なら僕にも分かるんだけど……。

(よくよく考えたら、クラスの女子は皆髪型が違うんだっけ)

舞園さんと霧切さんは同じロングストレートだけど、霧切さんは三つ編みを一本追加した髪型だ。
朝日奈さんは髪先が上を向いた少し変わったポニーテールで、大神さんはロングウェーブでいいのかな。江ノ島さんは束にボリュームのあるツインテールで、戦刃さんはシンプルなショートカット。
腐川さんは三つ編みのお下げで、セレスさんは……何だろう? 山田君は以前、『縦ロール』って言ってた気がするけど。
縦があるって事は、横ロールなんてのもあるんだろうか。どうも今一想像出来ないな……。

ちなみに、舞園さんのロングストレートはあくまで普段の話。アイドルとして活動している時は、おさげやサイドテール、それにポニーテールやツインテールなんかも披露している。
当然どの髪型もよく似合っていて、色んな舞園さんを見られるのはとても嬉しい。

……けど、それらはあくまで映像越しであって、生で見られる訳じゃない。映像越しでも充分嬉しいんだけど、こうして面と向かって仲良くしてる以上、どうしても欲が出てしまうんだ。

「出来たら、目の前で色んな髪型が見たいな……」

まあ、入学してからまだ一ヶ月足らず。今はまだその機会がないだけで、この先見られる可能性は幾らでもあると思うんだ。だから、前向きに期待しておこう。
その後も時折舞園さんの体調を確認しながら、僕は雑誌を色々と眺めていった。


やがて、それから暫くして。雑誌もあらかた読み終わり、持ってきた漫画に着手して少しした頃。
ふと部屋の壁掛け時計を見上げると、時刻はもうすぐ昼に差し掛かろうとしていた。

(舞園さん、ぐっすりだな……)

漫画をテーブルに置き、視線を身体ごと舞園さんの方に向ける。あれから何度か身動ぎこそしたものの、起きる気配は一向になかった。
顔に少し汗をかいたりしたから、タオルで丁寧に拭き取ったけど……舞園さんの体調は特に変わりなく、今も気持ちよさそうに眠っている。
これだけぐっすりなんだし、きっと順調に回復していってるよな。いつも通りの元気一杯な姿を早く見たい。

「すぅ……すぅ……」

信頼されてるからこそ側で見る事の出来る、保護欲をかき立てるあどけない寝顔。
あんまりじろじろ眺めないようにしてても、ちらっと窺うだけでついつい欲張りたくなる、そんな魅力に溢れている。
こうして眺めていると、またどうしても欲が出て――

(……もっと、顔を近づけてもいいかな)

そんな身勝手な思考が、ふと僕の頭を過った。舞園さんが端に身を寄せているお陰で、今の距離でも充分近いと言えるけど……どうせなら、もっと顔を近づけてみたい。
一瞬だけでいいから、それこそ本当に目の前で見てみたい。眺める時間に比例して、ワガママな思いもひとりでに強くなっていく。
やがて、その思いを抑えきれず……椅子に座ったまま、僕は徐々に前屈みになっていった。

舞園さんとの距離を詰めていくにつれて、緊張感がどんどん高まっていく。まるで風邪がうつったかのように、頬にもどんどん熱が溜まっていき。
胸の鼓動がうるさい所為か、寝息もいつの間にか聞こえなくなって。そして、寝顔が遂に目と鼻の先までくると――



「ん……え?」



――舞園さんの瞼が開き、ばっちりと目が合った。

「き、きゃあっ!?」
「う、うわあっ!?」

同時に驚きの声を上げて、お互いに勢いよく顔を離す。舞園さんは鼻から下を掛け布団に隠して、戸惑いの視線を僕に向けてきた。

「な、ななっ、苗木、君……!?」
「あっ、いや、その……これは……!」

返事をしようとするも、慌ててしまって呂律が回らない。ど、どうしよう。まさか、こんなタイミングで目を覚ますなんて……!
僕だけじゃなく、舞園さんも動揺しているのは明らかだ。早く説明しないと……!

「ど、どうしてお顔を近づけて……? あの、もしかして……」
「ち、違うんだよ! 僕は別に、疾しい事をしようとしてた訳じゃ……! た、ただ……」
「ただ……?」
「その……舞園さんの寝顔を、もっと近くで眺めたくなって、それで……」
「わ、私の寝顔を……ですか?」
「う、うん……。それでも、充分疾しい事かもしれないけど……と、とにかく、ごめんっ!」

勢いよく頭を下げて謝る。何だか、まるで入学当日のあの時みたいだ。ショックを受けた振りをされてからかわれた……。
だけどあの時とは違って、今回は明らかに非がある。悪いと分かっていながら、あんな事をしたんだから……。


「ふふっ、そうですか……そういう事だったんですね」

……と、申し訳なさで頭が一杯になっていると、舞園さんのそんな言葉が耳に届く。
その声には、いつもと同じように柔らかさが感じられて……そっと顔を上げてみると、舞園さんは掛け布団から顔を出して優しく微笑んでいた。

「ま、舞園さん……?」
「私ったら、変な勘違いをしちゃってました。早とちりでしたね」
「え、えっと……何とも思ってないの? 嫌だったとか……」
「そんな、嫌だなんて……。私、これっぽっちも思いませんでしたよ? びっくりはしちゃいましたけど……でも、謝るような事じゃないですから」
「そ、そう……?」
「はいっ。……ただ、とっても恥ずかしかったです。何せ起きたら、目の前に苗木君のお顔があるんですから……」
「ご、ごめんね……」
「あ、また。謝るような事じゃないですってば」
「あっ、つ、つい……。でも、やっぱり一言くらいは謝らせてよ。ほら、風邪を引いてるって言うのに、あんなにびっくりさせちゃったんだし……」
「うふふ。苗木君ったら、律儀なんですから」

そう言って、舞園さんはまた微笑んだ。謝るような事じゃない……そう言ってくれたように、僕を責める気は欠片も見受けられない。
それどころか、寧ろ嬉しそうで……。とにかく、嫌がられてなくてよかった。僕は心の中で安堵の溜め息を漏らした。

「それにしても、意識するとどんどん恥ずかしくなっちゃいますね。もっと近くで眺めたくなった、なんて……」
「あ……」

舞園さんに言われて、僕も今更ながら恥ずかしくなってきた。正直に言わざるをえなかったとはいえ、またすごく大胆な事を……。

「……ちなみに、どれくらい眺めていたんですか? その、あんなに近くから……」
「ほ、ほんの一瞬だよ。顔を近づけた直後に、舞園さんが目を覚ましたから……」
「あれ、そうなんですか? 私が起きたの、随分タイミングが良かったんですね」

ホント、まるで漫画みたいな展開だったよな。もう少し早く行動に移ってたら、その分長く間近で見られたんだろうか……。

「でも、もっと近くで……って、普通に眺めてもいたって事ですよね?」
「ま、まあ……」
「そっちは、どれくらい眺めていたんですか? 流石に、ずっとじゃないと思いますけど……」
「す、少しの間だけだよ。ただその、ちょくちょく眺めてはいたと言うか……」

まだ申し訳なさが残ってるのもあり、隠すのは気が引けて正直に答える。すごく恥ずかしいけど、自業自得だから仕方ない。
それに、舞園さんの方が恥ずかしいだろうし……。

「ちょくちょく、ですか……。ふふっ、随分見られちゃったんですね。仕方ないですけど……」

ただ、頬を赤らめながらもやっぱりどこか嬉しそうで。ひょっとして、僕だからこそそんな反応をしてくれるのかな……そう思うと、僕もついつい嬉しくなった。


「あ、そうだ。私、寝言は言ってませんでしたか……?」
「あ、それなら大丈夫だよ。舞園さん、ぐっすり眠ってたし……」
「それならよかったです。もし寝言を言ってたら、まともに目を合わせられなかったかもしれませんから……」

まあ、変な寝言を聞かれたりしたら、誰だって恥ずかしいよな。僕の場合、舞園さんに寝顔を見られてしまったら、その時点で目を合わせられなくなりそうだ……。
って言うか、身動ぎしてたのは言わなくていいのかな? ……うん。そう言う事にしておこう。

「あ、もうお昼前だったんですね。確かにぐっすりだったみたいです」

舞園さんが時計を見上げながら口にする。そろそろ昼食の開始時間だ。

「舞園さん、お腹は空いてる? それなら僕、また持ってくるよ」
「んー……ずっと寝てましたし、それ程空いてはいませんね。でも、栄養はちゃんと摂らないといけませんし……何か軽い物なら入りそうです」
「だったら、おろしたりんごにする? ほら、寝起きでも食べやすいと思うし」
「あ、いいですね! そう言えば、おろしたりんごは風邪の時の定番って言いますね。それじゃあ、お願いしてもいいですか?」
「分かった。早速持ってくるよ」
「あ、その前に少しいいですか?」
「ん?」

食堂に行こうとしかけた僕を、舞園さんが呼び止める。僕は身体を向き直って椅子に座り直した。

「どうしたの? 他にも何かお願いしたい事がある、とか?」
「お願い事と言えばお願い事なんですけど……どうせなら、お昼はここで一緒に食べませんか?」
「え、ここで……?」
「はい。朝は苗木君が看病をしてくれるって浮かれてて、後から気づいたんですけど……看病をしてもらってるのに、私だけ先に食べるのは悪いかなって。そうじゃなくても、普段みたいに一緒に食べたいですし……。どうですか?」
「そう言う事だったら、喜んで引き受けるよ。言われてみればそうだよね、普段から一緒なんだし……」
「うふふ、ありがとう御座いますっ」

舞園さんの部屋で食べるのは当然初めてだけど、二人きりなのも相俟って、更に料理が美味しく感じられそうだ。どのメニューにしようかな……。

「あ、それともう一つ……」
「?」

そう言いながら恥ずかしそうに、人差し指同士をちょんちょんと突き合わせる。その仕草を見るのは初めてで、すごく可愛い……じゃなくて。
もう一つお願いがあるみたいだけど、一体何だろう……?

「……りんごも、食べさせてもらっていいですか?」
「!」

と、いざ聞いてみれば、そんな仕草を取ったのも納得で。つられて僕も頬を熱くしながら、しっかりと頷いた。

「う、うん! もちろん……!」

僕自身、昼食も食べさせてあげたいなって思ってたし、願ってもない話だ。僕の返事を聞いて、舞園さんはぱぁっと嬉しそうに笑った。
それから僕は舞園さんに見送られながら、浮ついた状態でまた食堂へと向かった。


「戻ったよ、舞園さん」
「お帰りなさいっ」

部屋の中に入り、朝食後と同じ言葉をかける。今度はちゃんと返事がきて、舞園さんはゆっくりと身体を起こした。

「あ、苗木君はそのサンドイッチにしたんですね」
「うん。この前、舞園さんが美味しいって言ってたし」

胸肉のローストチキンと野菜を挟んだ、カロリーも控えめの女子達に人気のメニュー。舞園さんが勧めてくれてたから、一度食べたいと思ってたんだ。

「ちなみに、朝は何を食べたんですか?」
「えっと、煮魚定食だね。ほら、ゼリーが一緒についてる奴」
「なるほど、あれですか。あのゼリー、とっても美味しいですよね。明日の朝は私もそれにしたいです」
「はは、まずは風邪を治さないとだけどね」
「ふふっ、分かってますよー」

楽しみなんだろう、舞園さんは今から嬉しそうにしている。まあ、さっきまでしっかり身体を休めてたんだし、この調子なら明日の朝にはきっと治ってるはずだ。

「じゃあ食べよっか。えっと……舞園さんに食べさせてあげて、僕が食べて……の、交互でいいのかな?」
「そうですね。ごめんなさい、お手数をかけちゃって」
「う、ううん、気にしないで」

一際美味しそうに食べてくれる姿が、目の前で見られるんだ。この程度の労力なんて、寧ろお釣りが大量に来るくらいだし……。
トレーをテーブルに置いて椅子に座ると、僕はりんごの入った容器を手に取った。淡い黄色と瑞々しい光沢が綺麗で、爽やかな香りが鼻をくすぐる。
これを、今から舞園さんに食べさせてあげるんだ……卵粥を食べさせてあげた時を思い出しながら、スプーンで一口分を掬う。

(嬉しいとは言え、やっぱり緊張するな……)

朝に一度経験したものの、それだけで慣れる筈がなくて。朝ほどじゃないし、息を吹きかける必要がない分、そこはかなり気が楽だけど……。

「は、はい、舞園さん」
「はいっ。いただきます」

だけど僕と違って既に慣れたのか、舞園さんは全然緊張してないみたいだ。嬉しそうに返事をしてから可愛らしく口を開き、そこにゆっくりとりんごを入れる。
すると朝と同じように、何度も何度も噛み締めて美味しそうに食べてくれた。その姿を見て、ついつい頬が緩む。

「とっても美味しいです……。甘さが口の中に沁み渡ります」
「風邪の時って、甘い物がいつもより美味しく感じられるよね」
「うふふ、そうですね。私の場合、苗木君に食べさせてもらってるからなのもありますけど……」
「あ、あはは……ありがとう」

そう言われるのはやっぱり照れ臭く、僕は誤魔化すように笑って、りんごの容器を一旦トレーに戻した。
いただきますの後にサンドイッチを一つ手に取ると、少し大きめに一口齧る。あっさりしてるけどしっかりとした味わいで、女子に人気な理由も頷けた。


「どうですか?」
「うん、美味しいよ。モモ肉の方しか食べた事がなかったけど、こっちも全然いけるね」
「ですよね! 苗木君にも好評みたいで嬉しいです」

合わせた両手を頬に添えて、あどけなく喜ぶ。僕はメニューを選ぶ際、舞園さんに好評だったり勧めてもらった物にする事が結構あって、共感すると決まって嬉しそうにしてくれる。
それは僕も同じで、自分の気に入った物を舞園さんに共感してもらえると、その分仲が深まっていくのが実感出来るというか……とにかく、無性に嬉しくなるんだ。
サンドイッチをりんごの容器に持ち替えて、また一口を舞園さんに食べさせてあげる。目の前で喜ぶ姿を見ると、それだけでお腹が満たされていくようだった。

「本来のシャリシャリした食感はもちろんですけど、こうしておろした物も柔らかくていいですよね。ヨーグルトがあった時なんかは、入れてよく一緒に食べてました」
「あ、ウチもだよ。親戚からりんごをたくさん貰った時とか、よくそうやって食べてた」
「苗木君のお家もですか? そのままでも充分美味しいですけど、ハチミツを入れるともっと美味しくなりますよね」
「うん。ハチミツ、こまるがよく入れてたね。テレビの画面を観ながら入れてたら、入れっ放しにして悲惨な事になった時もあったけど……」
「あはは、こまるちゃんらしいです」

食堂で食べてる時と同じように、楽しく談笑を交わす。こんな取りとめのない話でも、僕にはとても心地いい。
舞園さんの部屋の中、二人きりの昼食……幸せな気分を実感しながら、僕はまたサンドイッチを一口齧った。もぐもぐと噛み締めて味わっていく。

「ふふっ」

するとどうしたのか、舞園さんが突然笑みをこぼす。僕は食べながら思わず小首を傾げた。

「どうしたの? 突然笑って……」
「あ、いえ……苗木君が食べてるのを眺めてたら、つい」
「え? な、何か笑うような所でもあった……?」
「そうじゃなくてですね……苗木君が食べてる姿って、見てるととっても和むんです。それで微笑ましくなって、つい笑っちゃった訳ですね」
「そ、そういう事……」

納得出来た……けど、そんな事を言われたら照れ臭い。まあ、嬉しくもあるんだけど……。
至って普通に食べてるだけなのに、舞園さんにはそんな風に映ってるんだ。だからたまに眺めてくるのかな……?

(ただ、それはどっちかと言うと僕の台詞なんだよな)

心の中でそう呟きながら、掬ったりんごをまた舞園さんの口元まで運ぶ。ぱくっと口に含むと、今までと同じように美味しそうに食べてくれた。

(……可愛い)

舞園さんの食べてる姿こそ、見てて和むと思う。ずっと見てても飽きないというか、ずっと見ていたくなるというか……とにかく、目の前で見られる僕が幸せ者なのは間違いない。
その後も仲良く話をしながら、昼食のひと時は緩やかに過ぎていった。それから食器を片づけて部屋に戻ると、舞園さんは横になって身体を休めていた。


「あれ、眠くなった?」
「そう言う訳じゃないですけど、なるべく横になってた方が、やっぱり効果的かなと思って。この状態でも、苗木君とお話は出来ますし」
「そ、そうだね」

常に見上げられてる分、僕は少し気恥ずかしいけど……。朝より多少は慣れたとは言え、相変わらず意識はしてしまう。
照れ隠しに頬をかきながら、僕は静かに椅子に腰を下ろした。

「そう言えば、私が寝てる間は何をして過ごしてたんですか? やっぱり、そこに置いてある漫画を?」
「ううん、漫画はあんまり。せっかく貸してもらえるんだし、先に舞園さんの雑誌を色々読んでたんだ」
「あ、そうだったんですね。色々読んだって事は、それなりに楽しんでもらえたんでしょうか」
「う、うん。男物と違って、女の子の服って本当に種類が豊富だよね。改めて感心しちゃったよ」
「良かった。楽しめてもらえて何よりです」

舞園さんも一人の時は、こんな風に雑誌を読みながら過ごしてるのかな……そう思うだけで、ページをめくる手はどんどん進んでいった。
……ただ、楽しめた一番の理由は、舞園さんが着た姿を色々想像してたからだけど。流石にそれは本人には言えない……。

「でも、舞園さんが載ってる雑誌はなかったね。持ってないだろうなとは思ってたけど……」
「そ、それはそうですよ。自分が載ってる雑誌を読むなんて、恥ずかしいですから……」

そう口にする舞園さんの頬は、真っ赤に染まっている。やっぱり、舞園さんも結構恥ずかしがり屋だよな。
数日前に桑田君にアカペラをせがまれた時も、恥ずかしそうに少しだけ歌ってたし。舞園さんの生歌、すごく良かったな……って、そうじゃなくて。
まあ、歌った場所が教室だったんだ。僕を含めてクラスの皆もいたから、恥ずかしくても無理はないか。

「……もしかして、私が載ってる雑誌が読みたかったんですか?」
「へっ!? ま、まあ……。その、舞園さんの色んな私服姿が見たくて……」
「そう、ですか……ありがとう御座います。でも、ご期待に添えられなくて申し訳ないです」
「う、ううん、いいんだ。今は休日になったら、目の前で見せてもらえるんだし……」
「うふふ……そうですよね、目の前で見てもらえるんですよね。今日は風邪を引いちゃったので叶いませんでしたけど、しっかり治して、明日はちゃんと見てもらいたいです」
「そ、そうだね。楽しみにしてるよ」
「はい!」

舞園さんは嬉しそうに元気よく頷く。写真や映像で見るのもいいけど、やっぱり生で目の前で見るのは格別だ。その為にも、僕もしっかり看病をこなさないと。

「あ、そうそう。雑誌、服以外に髪型もたくさん載ってたよね。やっぱり、ああ言う所にも目を通してるの?」
「もちろん! 今はこんなスタイルが流行ってるんだなーって、感心しながら読んでますよ」
「へえ……。舞園さんは昔からずっと今の髪型だよね。変えようと思った事ってあったりする?」
「いえ、特にはないですね。今のこの髪型が気に入っていますし。でも、どうしてそんな事を?」
「えっと、昨日は近況報告も兼ねて、電話でこまると色々話したんだ。その際あいつが、『髪型イメチェンしよっかなー』って言ってきて。それで舞園さんはどうなのかなって」
「わあ、こまるちゃんイメチェンするんですか?」
「いや、やっぱり今はやめとくんだって。いつかはしたいって言ってたけど」
「んー、そうですか。ちなみに、どんな髪型にするかは聞きました?」
「えっと、『前髪は今のままだと子供っぽいから、横に流す感じにしたい』って言ってたね。他にも『後ろは少し短くして、毛先を軽くするつもり』だとか……それと確か、『サイドは段をつけて、ひし形のシルエットになるようにする』って。うろ覚えだけど、そんな風に言ってたと思うよ」
「なるほど……うん、似合うと思いますよ。いつの日か、イメチェンしたこまるちゃんも見てみたいです」

自分で想像してみたんだろう、舞園さんは期待しているみたいだ。僕も昨日詳しく教えられて、自分なりに想像してみたけど……まあ、似合わないって事はないと思う。
『そんな風にしたら、私も結構凛々しく見えるんじゃない?』って言ってた事に関しては、実際に見てみないと判断がつかないな。ただ少なくとも、受ける印象は結構変わりそうだ。

(二人とも)可愛い


「あの、苗木君。髪型と言えば、一つ気になった事があるんですけど……」
「気になった事?」
「はい。……苗木君って、女の子の髪型だとどんな形が好きなんですか?」
「え? お、女の子の髪型……?」
「好みの髪型って、人によって細かい違いがあるじゃないですか。ミディアムくらいがいいとか、結んでる方がいいとか、明るい色がいいとか……。髪型の話をしてたら、苗木君はどうなのかなって気になっちゃって。差し支えがなければ、教えて欲しいです」
「え、えっと……」

舞園さんは関心の眼差しで僕を見つめる。……言われてみれば、今まで聞かれた事がなかったな。他の皆の髪型について話した事はあるけど、それだけで。
どうにも恥ずかしい……けど、それだけ興味を持ってくれてるんだ。だから、ちゃんと答えてあげたい。

「つまらない返事になっちゃうけど……特に好きって言えるような髪型は、これといってないんだ。ただ……」
「ただ……?」
「その……舞園さんの髪型は、女の子らしくてすごくいいなって……」

風が吹くとサラサラと靡く、黒くて長く美しい髪。大和撫子を体現したようなその髪型は、多くの人が目を奪われて、僕も惹かれずにはいられなくて。
思わずじっと眺めてしまいそうになったりと、それくらい舞園さんの髪は魅力的だ。

「ありがとう、御座います……。苗木君にそう言ってもらえるなんて、とっても嬉しいです」

頬を赤らめて照れ臭そうに喜ぶ舞園さん。その反応もとても女の子らしくて、見る度に僕を更に夢中にさせる。
ただ、色んな髪型を見てみたい――そこに変わりはない。髪型が違う事で、また新しい舞園さんを見られるんだから。

「…………」

と、そんな風に期待に胸を寄せていると、舞園さんがまた僕を見つめていた。

「舞園さん?」
「え? は、はい。どうしました?」
「いや、また僕をじっと見ていたものだから……舞園さんこそ、どうしたの?」
「……いえ、何でもないですよ。ただ、じっと見ていただけですから」
「そ、そっか」

それはそれで気になるけど……まあ、ひとまず置いておこう。今は他にとても気になってる事があるから……。
何だかもやもやするし、早い所確かめたい。僕はそっと口を開いた。

「あの、舞園さん」
「はい、何ですか?」
「髪型の事なんだけど……舞園さんは、男の人の髪型だとどんな形が好きなの?」

……それこそが、僕が今とても気になってる事だった。舞園さんに聞かれた事で、僕も興味が湧いたんだ。
舞園さんが好んでいるのは、どんな髪型なのか……。僕がそう尋ねると、舞園さんは一度微笑んでから答える。

「実はですね……私も苗木君と同じで、特に好きな髪型がある訳じゃないんです。ただ……」
「た、ただ……?」
「……苗木君の髪型は、とってもいいなって思ってます」

さっきと似たやり取りに、僕は期待しながら聞き返して――そうして舞園さんが口にしたのは、予想した通りの言葉だった。僕の頬はたちまち熱を帯びていく。


「あ、ありがとう……。舞園さんに褒めてもらえると、やっぱりすごく嬉しいよ」
「ふふ、そう言ってもらえると光栄です。苗木君のそのアンテナ、本当に不思議ですよね。お風呂上がりでもピンと立っていますし」
「はは……全くだよね。どうしてここだけ変わってるんだか……」
「でも、ぴょんっとしてて可愛いじゃないですか。何より、後ろ姿でもすぐに苗木君だって分かりますし」
「ま、まあ、特徴的ではあるかな……?」

舞園さんの言う『アンテナ』とは、僕の頭頂部に生えている髪の事だ。昔から周りの人にはそう呼ばれてきたけど、この希望ヶ峰学園でもそれは変わらないらしい。
今まで同様僕のトレードマークになりつつあって、舞園さんはどうもこのアンテナを気に入ってるみたいだった。
僕にとってはただの髪なんだけど、こんな所でも気に入ってもらえるのは嬉しい。ただ……。

「あの、また触らせてもらってもいいですか? 話してたら、何だかうずうずしてきちゃって」
「う、うん。構わないよ」
「ありがとう御座いますっ」

そう言うと、舞園さんはわくわくした様子で起き上がる。触りやすいよう少し頭を下げてあげると、『失礼しますね』と言ってから、両手で楽しそうに触り始めた。

(やっぱりくすぐったい……)

たまにお願いされて、こうして触らせてあげてるんだけど……これがどうもくすぐったく感じるんだ。それに何だか、妙に照れ臭さを覚える。
単に髪を触られてるだけなのに……。舞園さんに触られてるからなのか、どことなく変わったシチュエーションだからなのか。
理由はよく分からないけど、多分どっちも当て嵌まるんだと思う……。

でも一つだけ言えるのは、当然嬉しくもあるって事で。舞園さんがこんなにスキンシップを取る相手は、僕を除いて他にいない。
その積極性に困惑してしまう時もあるけど、舞園さんと一番仲が良いという事実に、気持ちは自ずと舞い上がるんだ。

……まあ、くすぐったいのに変わりはないんだけど。程なくして満足したのか、舞園さんはお礼を言って僕の髪から手を離した。

「少し夢中になっちゃいました……。首、疲れていませんか?」
「ううん、何ともないよ」
「よかった。でも苗木君、何だかくすぐったそうでしたね?」
「え? ど、どうして分かったの?」
「お顔をよく見たら、少しぷるぷる震えていましたから。前触った時にもしかしてと思ったんですけど、やっぱりそうだったんですね。苗木君の弱点、一つ発見しちゃいました」
「じゃ、弱点って……」
「うふふ……次触らせてもらう時は、たっぷり時間をかけよっかな」
「あ、あはは、お手柔らかにね……」
「やだ、冗談ですってば」

なんて言いつつ、舞園さんの事だから冗談じゃないのかもしれない。僕は別にそれでもいいけど……。
ただ、くすぐったいと知られた上で触られると、何だか尚更くすぐったく感じそうだ……。


「さて……もっとお話していたい所ですけど、なるべく身体を休ませた方がいいですよね。なので、また少し寝ようと思います」
「うん、分かった」
「とは言え、ちゃんと寝つけるかは分かりませんけどね。朝は苗木君がいない間に寝ちゃってましたけど、今はこうして側にいるので……」
「だ、だったら僕、寝つくまで外に出てようか?」
「もう、そんな必要ないですって。大体、寝ちゃったら呼ぶ事が出来ないじゃないですか」
「あ……そ、それもそっか」
「まあ、案外すぐに寝つけるかもしれませんよ? 何て言ったって、苗木君がいてくれると安心しますから。でも、今度は起きた時に驚かせないで下さいね?」
「わ、分かってるよ。もうしないから」
「ふふっ……それじゃあ苗木君、お休みなさい」
「うん。お休み、舞園さん」

挨拶を交わした後、舞園さんは横になってすっと瞼を閉じた。と思いきや、やっぱり僕が気になるのか、少しすると目を開き恥ずかしそうに微笑む。
けど、またすぐに閉じて――やがて、静かにすうすうと寝息を立て始めた。

「……お休み、舞園さん」

寝顔を眺めながら改めて呟く。『苗木君がいてくれると安心しますから』……込み上げてくる嬉しさが、僕の顔に新しい笑みを浮かべさせた。

(さて……何をして過ごそうかな)

まあ、漫画を読むか舞園さん達の曲を聴くか、それくらいしかないんだけど。借りた雑誌で思った以上に時間を使えたから、漫画はまだそんなに読んでないんだよな。
ただ、舞園さんが寝てる間しか出来ないんだし……それなら、先に曲を聴いておいた方がいいか。せっかく舞園さんの部屋で、その上寝顔を眺めながら聴けるんだから。

――ピンポーン。

「!」

と、早速聴こうと音楽プレイヤーを取り出そうとした矢先、突如インターホンが鳴り響く。一体誰だろう……僕は一瞬そう思ったけど、すぐに心当たりがある事に気がついた。

(ひょっとして、朝日奈さんと大神さんかな)

ショッピングが終わったから、お見舞いに来てくれたんじゃないだろうか。すぐに部屋の入口まで向かい、鍵を解いてドアを開く。

「おっす、苗木! 舞園ちゃんのお見舞いに来たよー!」
「朝日奈よ、あまり大きな声は出さぬ方がよいのではないか?」
「あ、そっか。ごめんごめん」

思った通りで、ドアの先にはその二人の姿があった。帰ってそのまま直行してきたのか、手には幾つかの買い物袋が提げられている。

「いらっしゃい、二人共。って、僕が言うのも変だけどね……」
「看病お疲れさんっ。それで、舞園ちゃんの具合はどう? 症状は軽い方だって言ってたけど」
「これといって問題はないよ。朝はぐっすり寝てたし、その分症状も和らいだんじゃないかな。なるべく休んだ方がいいからって、今さっきまた寝ついた所だけどね」
「ふむ、それは何よりだ。されど寝ているとなれば、見舞いはまた改めた方がよいか?」
「うーん、寝てるからって出直す必要はないんじゃない? 確かに、起きてたら色々話も出来たけどね」
「朝日奈さんの言う通りだよ。舞園さんも二人が来る事を伝えたら喜んでたし、寝てる間でも、来たって分かればまた喜んでくれるはずだから」
「ふっ……そうか。ならばお邪魔させてもらうとしよう」
「うんうん! それじゃ、私もお邪魔しまーす」

二人を部屋の中に招き、音を立てないようゆっくりとドアを閉める。すると朝日奈さんが小走りで奥に進んでいき、買い物袋を提げたままベッドの側に屈み込んだ。


「うっわー……舞園ちゃん、寝顔可愛いー……」

どうやら寝顔を見たかったみたいで、目の前にして感嘆している様子だった。……まあ、そうしたくなる気持ちはよく分かる。

「もちろん普段から可愛いんだけど、寝顔はもう効果抜群だね! 天然記念物級……いや、国宝級だよっ!」

舞園さんに配慮してか小声で褒めちぎっていく。何の効果が抜群なのかがよく分からないけど、朝日奈さんらしいと言えばらしい言い回しだった。

「寝ている姿もここまで麗しいとは、流石は舞園と言った所だな」
「苗木、ずっと付きっきりで看病してるんでしょ? って事は、舞園ちゃんのこの寝顔も眺め放題だった訳だ。いやー、とんでもない幸せ者だね、このこのっ」
「べ、別にそんな、ずっと眺めてた訳じゃないから」
「眺めていた事自体は否定せぬのか?」
「お、大神さんまで……。二人してからかわないでよ」
「あはは、ごめんごめん」

舞園さんがすぐ側で寝てる……そんな状況で眺めないなんて、少なくとも僕には無理だ。僕じゃなくても、大抵の男子がそうに違いない……。

「それにしても、苗木は舞園ちゃんによっぽど信頼されてるんだね。一緒に部屋にいる中で、こうして安心して寝てられるんだからさ」
「うむ、素晴らしい信頼関係だ。それも、苗木の持つ人柄の賜物と言えよう」
「あ、ありがとう」

自分では特に大した人柄だとも思わないけど、褒められるのは素直に嬉しい。そこに舞園さんが絡むとなると更に……。
……ただ、寝起きにびっくりさせちゃったんだよな。寝顔を間近で見ようとした所為で……。もっとも、それでも舞園さんは僕を信頼したままでいてくれたけど。

「あ、そうだ。はい苗木、舞園ちゃんへのお見舞い品っ」
「ありがとう」

朝日奈さんからビニールの買い物袋を受け取る。中を覗き込むと、ミニサイズのパイナップルの缶詰が入っていた。

「お見舞い品、缶詰にしたんだね」
「我は何分このような事には疎くてな、何を買うかは朝日奈に任せたのだ。風邪の見舞い品には、どうも果物の缶詰が定番らしいな」
「幾つかサイズがあったけど、食べきれるように小さめのにしといたよ。舞園ちゃんって、パイナップル大丈夫だったよね?」
「うん、確かそのはずだよ。でも、どうしてパイナップルにしたの?」
「そんなの決まってるよ! ほら、形がドーナツに似てるじゃん? どの果物にするか悩みそうになったけど、パッケージの絵を見てこれだって思ったんだー」
「そ、そういう理由なんだ……」

苦笑しながら、缶詰の入った袋をテーブルに置く。それはまあ、似てると言えば似てるけど……。

「そう言えば苗木よ、看病とは具体的にどのような事をしたのだ?」
「えっと、大した事はしてないよ。大神さん達も知ってる通り、まずはお粥とスポーツドリンクを用意して、次に冷却シートを貼ってあげたね。それからお粥を……」
「ん、お粥を?」
「あっいや、後は寝てる間にタオルで汗を拭いたとか、それくらいで……」
「まあ、看病でする事って大体それくらいだよね。けど、それでも舞園ちゃん的には助かったと思うよ」
「そうだな。症状は軽いと言えど、親しい者が側にいるだけでも、気の持ちようは変わってくるであろう」

二人は揃ってうんうんと頷く。あ、危なかった……危うく、食べさせてあげた事を口走る所だった。そんな事が他の人に知られたら、恥ずかしいってもんじゃないよ……。

「上から……? 普通はもっとこう、身体を起こしてもらって貼るんじゃないの?」
「ぼ、僕も最初はそう思ってたんだよ。でも、舞園さんにお願いされて……」
「あ、なるほど。まあ、そっちの方が案外貼りやすかったりするのかな……?」

朝日奈さんは腕を組み、首を傾げながらうーんと唸る。そういう事じゃないと思うけど……まあ、触れない方がいいな。僕としても恥ずかしいし……。

「朝はぐっすり眠っていたとの事だが、その間苗木は何をしていたのだ?」
「舞園さんが雑誌を貸してくれるって言うから、主にそれを読んでたね。その後は舞園さんが起きるまで、部屋から持ち込んだ漫画を読んでたよ」
「舞園ちゃんの……って、女性物のファッション雑誌だよね。苗木、楽しめたの?」
「う、うん。ほら、色々舞園さんから教わってるし、知識も増えるかなって……」
「ふむ、感心な事だ。我も朝日奈から教わってはいるが、どうも理解が難しくてな……」
「あはは、私もある程度の事しか知らないけどね。まあ、気長に覚えていこうよ!」
「……そうだな。そうする事にしよう」

大神さんはどこか嬉しそうに、ふっと口元を緩める。そのやり取りを側で見て、二人の仲の良さが改めてはっきりと窺えた。


「さーて、っと。私達はそろそろ退散しようかな」
「あれ、もういいの? 来てからあんまり経ってないけど……」
「もっといたいのは山々だけどね。でも、話し声で舞園ちゃんを起こしちゃうと悪いし」
「舞園さんなら、別に気にしないと思うよ? 起きたら起きたで、話に加わりたがるだろうし」
「まあ、舞園ちゃんならそうするだろうね。でもほら、こんなに気持ちよさそうに寝てるのに、起こすのはやっぱり気が引けちゃってさ」
「うーん……そっか」

まあ、無理に引き止める訳にもいかないよな。いた時間が短かったからって、朝日奈さん達が心配してない訳でもないんだし。

「寝ている姿を見る限り、そう懸念する必要もないだろう。お主がついている事だしな」
「そうそう! それに苗木としても、舞園ちゃんと二人の方がいいんじゃない?」
「なっ……! あ、朝日奈さん、何言ってるの!」
「あはは、苗木ってば分かりやすいなー」
「も、もう……」

またからかってきて。そりゃ、舞園さんと二人きりなのは嬉しいけど……。

「じゃ、そういう事だから。この後も舞園ちゃんの看病、頑張ってね!」
「よろしく頼むぞ。何か困った事があれば、我らに連絡するといい」
「うん。分かったよ」
「それじゃ……っと、その前に。舞園ちゃん、今度は一緒に行こうねっ」

朝日奈さんはまたベッドの側に屈み込み、寝ている舞園さんにそう言葉をかける。それから僕は部屋の外まで二人を見送ると、手を振りながらそこで別れた。
部屋に入り、鍵をかけ直してから舞園さんの側まで戻る。また静まり返った空気を感じながら、そっと椅子に腰を下ろした。

「またぐっすりみたいだね、舞園さん」

そうである以上、当然返事が来る訳もなく。依然として静かに寝息を立てる舞園さんを眺めながら、僕は朝日奈さんがかけた言葉を頭の中で反芻していた。

(一緒に行こう……か)

もし僕が、舞園さんと一緒にショッピングをしたら――その場面を想像した事がないと言えば、それは嘘になる。肩を並べて一緒に歩きながら、色々な店を巡っていく。
きっと、とんでもなく楽しいんだろうな。する前から気分が弾んで、してる最中は浮かれっ放しで、終わった後も余韻に浸って……幸せという言葉が、完全に引っ付いて離れないくらいに。

……まあ、それは今もなんだけど。心の中でそう呟くと、僕は音楽プレイヤーを取り出して、イヤホンをそっと両耳に当てた。
数ある中から目当ての曲を選び、再生する……すると可愛らしいイントロが流れ始め、やがて舞園さん達の声が耳の中に溢れ始める。

「幸せ、だな」

甘く香る舞園さんの部屋の中、無防備な舞園さんの寝顔を眺めながら、舞園さんの綺麗な歌声に耳を傾けて。深々とそう感じながら、僕は暫くの間聴き耽っていた。


(……ん、後一曲か)

気がつけば残すは一曲のみとなって、これを聴けばまた全曲を聴いた事になる。ホント、どの曲も何度聴いても飽きないよな。
今日はシチュエーションがシチュエーションなだけあって、より味わって聴く事が出来たし。程なくして最後の一曲が流れ出すと、僕は普段と同じように目を瞑って聴き始めた。

『夜空の星達に打ち明ける願いは 大人になるにつれて小さく小さくなってくのかな?』
(舞園さんの声って、本当に癒されるよな……)

この透き通るような歌声はもちろん、日頃聞く屈託のない可愛らしい声だって。他の人と談笑している時も、授業で答えを述べる時も、何気なく独り言を呟いた時も……。
ついつい意識を向けちゃうような、底知らずの魅力を持っている。それこそ、ずっと聞いていたいと思う程に……。

そんな舞園さんの声を聞いて、一番嬉しさを感じる時……それは言うまでもなく、僕と話してくれている時だ。僕だけに向けられた、僕に対して感情の込められた声。
その声を受けながら話を交わすと、たちまち表情は緩んでいく。まるで周りに花が散りばめられたような、そんなゆったりとした雰囲気に包まれるんだよな。

……ちなみに舞園さんも、僕の声を『聞いてるだけで安心する』と言ってくれた。中学の時はすぐ近くで声が聞けると、すごく嬉しかったんだとか。
先週の日曜日には聞きたくなったからって、お仕事の休憩時間に電話をかけてきてくれたっけ……。
舞園さんと違って何の特徴もない声だし、今までそんな風に言ってもらえた事なんてなかったけど……他ならぬ舞園さんにそう言ってもらえるのは、やっぱり感激だ。

『Twwinkle Twwinkle Little Star……』

そうして喜びに浸りながら聴いていると、次第に最後の一曲も終わりを迎える。やがてメロディーが完全に流れ終えると、僕は満足して一度微笑んでから、閉じていた目をゆっくりと開いた。



「あっ」



――ら、舞園さんと目が合った。

「うわあっ!?」

反射的に驚きの声を上げてしまい、後ろに跳ねそうになる身体を何とか背もたれが抑える。そんな僕を見て、舞園さんはくすくすとおかしそうに笑った。

「舞園さん? その、いつの間に起きて……?」
「んー、大体数分前くらいですよ。そしたら苗木君が目を瞑って音楽を聴いていたので、気づくまで眺めていようと思ったんです」
「な、なるほど……」
「お昼前と違って、今度は私が驚かせちゃいましたね。うふふ」
「ホ、ホントだね……」

苦笑しながら両耳のイヤホンを外す。いつの間にか起きてたもんだから、思わずびっくりしてしまった……。
それにしても、目を瞑ってる間に起きるなんて……お昼前といい、これまた何ともなタイミングだ。聴いてる姿をまじまじと見られたなんて、すごく恥ずかしい。
身体でリズムを取ってた所も、全部見られたんだろうか……。

「ところで苗木君、随分楽しそうに聴いていましたね。その……勘違いだったら恥ずかしいんですけど、聴いてた曲って……」
「う、うん。舞園さん達の曲だよ」
「わあ、やっぱり……! とっても嬉しいです。苗木君、あんな風に聴いてくれてるんですね」

そう言って、舞園さんは満面の笑みを僕に向けた。……でもまあ、こんな笑顔が見られるんだから、この恥ずかしさも些細な事だよな。


「でも、もっと眺めていたかったですね。そこが少し残念です」
「はは……ちょうど最後の曲だったから……」
「最後……? あ、ひょっとして、また全曲聴いてくれたんですか?」
「うん。舞園さんの部屋で聴ける機会なんて、滅多にないし……」
「そうですか……ありがとう御座います。苗木君には喜ばせてもらいっ放しですね」

喜ばせてもらいっ放しなのは、寧ろ僕の方だ。希望ヶ峰学園に入学してからは、舞園さんのお陰で色鮮やかな毎日を送られてるんだから。
これまでの人生の中で、今が一番充実している。それは間違いようのない事実だ。

「でも、全曲聴いたって事は、また結構ぐっすりだったんですね。……って、あれ? 苗木君、テーブルのその袋は……?」
「ん? ああ、そうそう。実は舞園さんが寝てる間に、朝日奈さんと大神さんがお見舞いに来たんだよ」
「そうなんですか?」
「うん。それでこれは、お見舞い品のパイナップルの缶詰だね。食べきれるように小さめの物にしたんだって」

袋から缶詰を取り出して手渡す。舞園さんは両手で受け取ると、『嬉しい』と言いながらその缶詰を頬にくっつけた。

「缶詰にしてくれたんですね。そう言えば、果物の缶詰も風邪の時の定番ですっけ」
「パイナップルにした理由が、何とも朝日奈さんらしいけどね……」
「朝日奈さんらしい……あ、もしかして形がドーナツに似てるから、ですか?」
「あはは、正解。パッケージの絵を見てこれだって思ったんだって」
「ふふっ、本当に朝日奈さんらしいですね。その時の光景が容易に想像出来ます」

何と言うか、本当にドーナツが好きだよな……。あんなに愛されてるんだから、ドーナツの神様とやらもさぞご満悦だと思う。

「それでその缶詰、どうする? やっぱり夕食の時に食べる?」
「そうですね、せっかく買ってきてもらった事ですし。流石にパイナップルだけという訳にはいかないので、デザートとして食べるつもりですけど」
「まあ、それはそうだよね。そうなるとメインは何に……って、今から考えるのはやっぱり早いかな」
「いえ、そんな事ないですよ? お昼はあまり食べてないので、鍋焼きうどんにしようかなって思ってたんです。これも風邪の時の定番ですよね」
「だね、僕も風邪の時はよく食べてたなあ……。それじゃあ夕食の時間になったら、また取りにいくね」
「はいっ。あ、またここで一緒に食べましょうね?」
「も、もちろん」

僕が頷くと、舞園さんは嬉しそうに微笑んだ。差し出された缶詰を受け取り、テーブルの上に戻す。
昼食みたいに、この舞園さんの部屋で一緒に……やっぱり、うどんも食べさせてあげる事になるのかな。そうなるとお粥みたいに、息を吹きかけて冷まさないといけない。
最初の内はまたどきどきしてしまいそうだ……。


「ところで、朝日奈さんと大神さんってどれくらいいたんですか?」
「えっと、実はあんまりいなかったんだ。話し声で舞園さんを起こしたら悪いからって、遠慮してたよ」
「そうなんですね……私、別に気にしなかったのに」
「僕もそう言ったんだけどね。でも気持ちよさそうに寝てたから、やっぱり気が引けちゃったみたい」
「私、そんなに気持ちよさそうでした?」
「ま、まあ。寝ている姿を見る限り大丈夫そうだって、大神さんもそんな風に言ってたし……」
「……うふふ。きっと苗木君が側にいてくれて、安心出来たからでしょうね。思った通り、すぐに寝つけたみたいですし……ありがとう御座います」
「う、うん。あ、帰る際に朝日奈さんが言ってたよ。『今度は一緒に行こうね』って」
「そうですね……一緒にわいわい楽しみたいです。あ、今日何を買ったのか、明日色々聞いてみないと」

舞園さんは声を弾ませて楽しみにしている様子だ。僕と仲良くしてくれるのは当然嬉しいんだけど、女子の友達同士で仲良くしてる姿を見るのも、それはそれで微笑ましくて温かい気持ちになる。

「そう言えば舞園さん、具合はどう? 朝の間ぐっすり寝た分、症状も和らいだんじゃ……って、、二人にはそう伝えたけど」
「えっと、さっきまでまたぐっすり寝てたお陰か、頭痛はもう治まってますよ。気怠さもほとんど感じられませんし、熱もちゃんと下がっていると思います」
「そっか。思った通り順調そうで何よりだよ」
「でも念の為に、ちゃんと測っておいた方がいいですよね。体温計、取ってもらえますか?」
「うん。はい」

テーブルに置いていた体温計を舞園さんに手渡す。ちゃんと下がってるといいん……って、あれ? 今から測るって事は……。

「あっ! ぼっ僕、後ろ向いてるね! ちゃんと目も瞑っておくから!」

まさか、このまま測る所を眺める訳にもいかない――僕は慌てて舞園さんに背を向けると、ぎゅっと固く目を瞑った。
すると背後から、舞園さんがくすっと吹き出す声が耳に届く。

「何も、目まで瞑らなくたっていいんですよ? 寝たまま測るつもりですし。それでも少し恥ずかしいので、後ろを向いてもらえるのは助かりますけど……」
「そ、それでも一応瞑っておくよ。けど、決して疾しい気持ちがある訳じゃ……」
「ふふっ、分かってますよ。じゃあ、少しの間待ってて下さいね?」
「……うん」

身体に緊張を張りつかせながら、小声でそっと頷く。静かになった部屋の中、始めに体温計を取り出す音……続いて布団の衣擦れる音が、僕の耳へと伝わる。
……疾しい気持ちこそないものの、当然気にならない訳じゃなかった。毛布の下の光景を想像しかけては、小さく頭を振って振り払う。舞園さんに変に思われてないか心配だ……。
早く脈打つ鼓動を鮮明に感じながら、舞園さんが測り終えるのを待つ。やがて、ピピピピッと完了のアラームが鳴った。

「ど、どうだった?」
「うん、ちゃんと下がってましたよ。もうほとんど平熱ですね」
「よかった……。でも、油断は出来ないね。悪化しないとは言い切れないし……」
「そうですね。もう治りかけとは言え、安静にするに越した事はないです。……っと、もうこっちを向いても大丈夫ですよ?」

その言葉を合図に目を開き、ゆっくりと舞園さんの方へ向き直る。意識しすぎた所為で、目を合わせるのが少し気恥ずかしい……。

「体温計、お返ししますね」
「う、うん」

受け取った体温計を元あった場所に置く。……ケース越しとは言え、どきどきしたのは言うまでもなかった。

この雰囲気好きだわ

>>32 >>41
ありがとう御座います。気に入っていただけると書いた甲斐もあります

今し方最後まで調整が済んだので、全部投稿しようと思います


「さてと……安静にすると言っても、流石にまた寝るのも何ですね。朝昼とぐっすりでしたし……」
「はは……幾ら風邪を引いてると言っても、ずっと寝るのってやっぱり難しいよね」
「そう言えば苗木君、風邪を引きやすい体質って昔からなんですか?」
「うん。小学生の頃からよく引いてたよ」
「そうなんですね……。引いてる間の眠たくない時って、どうやって過ごしてました?」
「えっと……大体漫画を読んでた、かな? ゲームは頭を使うから駄目って言われてたし。それでも暇でこっそりやってたら、バレて軽く怒られちゃった時もあったけどね……」
「あはは、それはそうですよー」

けど、そうでもしないと暇だったんだよな……。今みたいに話し相手もいなかったし、小学生の頃は部屋にテレビもなかったし。
まあ、朝や昼にやってる番組ってどれもつまらないから、どの道観なかっただろうけど。

「でも中学になってからは、舞園さん達の曲を聴いてもいたね。症状が重い時でも、聴いてるだけで気分が安らいでた」
「嬉しい……そんな時でも、苗木君の支えになれていたんですね」
「すごく心強かったよ。そう考えると、この看病はある意味恩返しと言えるかも……」
「うふふ、とっても素敵な恩返しです。お釣りがたくさん来ちゃいますね。私から苗木君には声だけだったのに、私は側にいてもらってもいるんですから……」

そう言って、またじっと見つめてくる舞園さん。けど、お釣りが出るなんて事はない。
パジャマ姿の舞園さんと、部屋の中でずっと二人きり……誰もが羨むそのシチュエーションに、身を置く事が出来ているんだから。

「苗木君は風邪を引いた時って、どんな物を食べていたんですか? やっぱりお粥やうどん、おろしたりんごなんかを?」
「そうだね。他にも玉ねぎのスープとか、プリンやヨーグルトとか……あ、卵酒も一回だけ飲んだ事があるよ」
「そう言えば、卵酒も風邪に効くって聞きますね。でも、あれって美味しいんですか?」
「あんまり覚えてないけど、好みが分かれそうな味だった……かな? 僕は飲んでみて全然口に合わなかったから、それきり遠慮してて……」
「あ、だから一回だけなんですね」
「もしかしたら、今なら飲めるようになってるかもね。でも、多分合わないままな気がするな……」

作ってくれた母さんには申し訳なかったけど、当時は結局全部は飲めなかった。母さんは味見して美味しく出来たって言ってたけど……僕も大人になったら、普通に飲めるようになるんだろうか。
……まあ、風邪自体を引かなくなるのが一番なんだけど。

「ところで苗木君。風邪を引いた時って、確かお母さんが看病してくれてたんですよね?」
「そうだよ。まあ、付きっきりって訳じゃなかったけどね」
「なるほど……。お母さんに食べさせてもらったりはしてました?」
「そ、そんな事してないよ! 普通に自分で食べてたから!」
「あ、その言い方って、何か私を馬鹿にしていませんか?」
「い、いや、そんなつもりで言ったんじゃ……!」
「なーんて、冗談ですよ。普通は照れ臭いでしょうしね。私はお父さんっ子だったので、別にそう感じませんでしたけど。……でも、最初苗木君にしてもらった時は、とってもどきどきしました」
「ぼ、僕も……」
「ふふっ……苗木君、顔を真っ赤にしていましたもんね」
「だ、だって……」

分かってはいたものの、舞園さんからそう見えてた事がいざ明確になると、また顔に熱が昇った。やっぱり、この事は他の皆には知られたくない。
もし学園中に広まったりでもしたら、まともに顔を上げて歩ける気がしない……。


「か、風邪と言えば、小学生の時はこまるも一緒に引いた事があったよ。看病が大変だったって、治った当時母さんがそう言ってた」
「そうでしょうね……正直、一人だけでも大変だと思いますから。でも、それ以上に心配だったと思います。こまるちゃんの方は、引きやすい体質って訳じゃないんですか?」
「うん、あいつはあんまり引かないしね。一緒に引いて以降は、去年の一回だけのはずだし……。引きやすい身としては、やっぱり羨ましかったよ」
「年に二、三回は引くんでしたっけ。だとしたら、この希望ヶ峰学園でも引いちゃうんでしょうか」
「多分そうなんじゃないかな? うがいなんかもちゃんと心掛けてるけど……」

そもそも、こうして朝から看病をしてる以上、うつるのは間違いないと思う。それを分かった上で看病を買って出たんだけど。
でも、舞園さんからうつされる風邪なら、全然嫌じゃないっていうか……。

「じゃあ、もし苗木君が引いちゃった時は、私に看病させて下さいね?」
「ええ!? だ、駄目だよ! 舞園さんは僕と違ってお仕事があるんだから、うつしちゃう訳にはいかないし……!」
「それはそうかもしれませんけど……でも、苗木君はこんなに尽くしてくれてるのに、私だけ何も出来ないのは……」
「うっ……」

舞園さんの悲しげな表情に、僕は思わずたじろいだ。ざ、罪悪感が半端ない……。

「苗木君が私を心配してくれたみたいに、私だって苗木君が風邪を引いちゃったら、絶対に心配になりますよ。だからその時は、少しでも力になりたくて……」
「舞園さん……」
「……少しの間側にいる、だけでもお願い出来ませんか? それなら、うつっちゃう可能性だって低いと思うんです。ワガママを言ってるのは、自分でも分かっているんですけど……」
「う、ううん。舞園さんの気持ちはすごく嬉しいよ。風邪の時に舞園さんが側にいてくれたら、絶対安心するだろうし……。その、それくらいならお願いしたいかなって……」
「わあ……! ありがとう御座います、苗木君っ」

さっきまでとは打って変わって、今度は飛びきりの笑顔で喜ぶ。確かに少しの間側にいるだけなら、うつる事は早々ないよな。
僕だってうつりさえしなければ、喜んで看病をお願いするくらいだ。舞園さんの気持ちがすごく嬉しい事に、偽りなんてない。
……問題があるとすれば、ベッドで横になってる姿を見られるだけでも、恥ずかしそうだと言う事だ。風邪がうつって明日発症しちゃったとしたら、早速体験する事になるのかな……。
弱った僕の側で、心配そうに見守ってくれる舞園さん……その光景を想像してみながら、ふと壁に掛けてある時計を見上げた。まだ夕方前で、窓の向こうに広がる空も依然として青い。

「そう言えばさ、いつまで看病するかって具体的に決まってなかったよね。あ、僕はもちろん、舞園さんが望む限りいるつもりだけど……」
「えっと、私は晩ご飯までのつもりでいましたよ。キリがいいし、長すぎると苗木君だって疲れるでしょうから」
「別に気にしなくていいよ? 今だって全然疲れてないし。舞園さんが望むなら、それこそ寝る前までいるつもりだったから……」
「本当ですか? 嬉しい……。でも、やっぱり晩ご飯まででいいですよ。もう治りかけですしね。何より、苗木君だってお風呂に入ったりしないといけませんから」
「あ……そ、そっか。舞園さんももう熱はないんだし、お風呂に入りたいよね」
「そうですね。と言っても、今日はシャワーで済ませますけど。シャワールームを使うの、今日で二回目になります」
「僕はまだ一回も使ってないかな……何か少しもったいないかも」
「まあ、仕方ないですよ。お湯に浸かった方がやっぱり気持ちいいですから」
「だ、だよね」

……こうしてお風呂の話をすると、どうしても色々と想像しそうになってしまうな。舞園さんがシャワーを浴びてる姿とか、お湯に浸かってる姿とか……。
二人きりで話してる分、尚更意識しちゃって。そんな訳で、お風呂の話は少し苦手だ……。



「それにしても、晩ご飯までまだまだありますね」
「そうだね。それまで何しよっか? こうやって話してるだけでもすごく楽しいから、このままでも全然構わないけど……」
「うふふ、私もですよ。苗木君となら、いつまでもお話出来る気がします。ただ、一つやってみたい事があって……」
「やってみたい事?」

僕が聞き返すと、舞園さんは無言で小さく頷く。それからもじもじと、少し照れ臭そうにお願いしてきた。

「その……よかったら、一緒に音楽を聴きませんか?」
「い、一緒に音楽を……?」
「苗木君が聴いてる姿を眺めてから、一緒に聴きたいなって思っていたんです。一人で聴くのもいいですけど、同じ曲を一緒に聴いたら、もっと楽しめないかなって。もちろん、苗木君さえよければの話ですけど……」
「ぼ、僕は別にいいよ? いや、寧ろこっちからお願いしたいって言うか……。えっと、同じ曲を一緒にって事は、一つのイヤホンを二人で……なんだよね?」
「はい。それで、苗木君のプレイヤーをお借りしたいんですけど……構いませんか?」
「う、うん」
「ありがとう御座いますっ。ふふ、とっても楽しみです」

舞園さんは口元に両手を添えながら、喜びを露わにする。僕もすごく楽しみだ。まさか、舞園さんと一緒に音楽が聴けるなんて……。
こんなに幸せで本当にいいんだろうか。つくづく看病様様だ……。

「はい、舞園さん」

テーブルの上にあったプレイヤーを手に取り、片方のイヤホンを差し出す。舞園さんは嬉しそうに両手で受け取ると、そっとそのイヤホンを片耳に挿した。
僕が普段使ってるイヤホンを、舞園さんが……それだけでも少しどきどきした。

あ、そう言えば……。

「……聴く曲って、舞園さん達のじゃないよね?」
「そ、それはそうですよ。自分の曲を一緒に聴くなんて……」
「はは……だ、だよね」

一応聞いてみたけど、予想した通りの反応だった。恥ずかしそうに毛布で顔を隠す姿がすごく可愛い……。

「じゃあ、交代交代で聴きたい曲を選んでみない? せっかく一緒に聴く訳だし」
「いいんですか? 是非そうしたいです!」
「じゃあ、舞園さんから先に選んでいいよ。はい」
「ありがとう御座います。んー、まずはどれに……あ、この曲にしようかな」

再生ボタンが押され、イヤホンから選ばれた曲のイントロが流れ始める。すぐに何の曲か分かり曲名を言うと、舞園さんは『ピンポーン!』と声音を弾ませた。
それからは静かに耳を澄ませて、その曲に聴き耽る。聴き終わった後は感想を言い合って、今度は舞園さんが次の曲名を当ててと、何度もそのやり取りを繰り返して。
そんな風に一緒に聴く音楽は、一人の時よりも何倍も楽しく感じられた。

暫くの間音楽を一緒に聴いて、それが終わった後は、舞園さんに持っている漫画を貸してあげた。
僕は持ってきていた作品の続きを、舞園さんは所望したラブコメ物を読みながら、引き続きゆったりとした時間を過ごして。
やがて夕食の時間が迫ると、僕達は読んでいた漫画をパタンと閉じた。

「そろそろ晩ご飯ですね。夢中になって読んでたら、あっと言う間に時間が過ぎちゃってました」
「漫画、もしよかったらそのまま貸そうか? 部屋にある残りも」
「いいんですか? 実は、もっと読んでみたいなって思ってたんです」
「全然いいよ。舞園さんに気に入ってもらえて、僕も嬉しいし……。あ、返すのはいつでもいいよ。ゆっくり読んでもらって構わないから」
「ありがとう御座います。ふふっ……やっぱりいいですね、こうして同じ物を好きになるって」
「う、うん」

同じ食べ物、同じ曲、同じ漫画……好きな物を共有する数が増える程、舞園さんとの距離が近くなっていく。この調子で、もっともっと増えていくといいな。

「それじゃあ僕、夕食取ってくるね。スポーツドリンクも残り少ないし、二本目買ってくるよ」
「はい!」

また一緒に食べるのを楽しみにしてくれてるんだろう、笑顔の舞園さんに見送られて廊下に出る。何を食べようか頭の中で考えながら、食堂に向かって歩を進めていった。


やがて夕食の乗ったトレーを手に、舞園さんの部屋に戻ってくる。食べやすいようにか、テーブルに置いていた漫画は隅の方に綺麗に寄せられていた。

「あれ? ひょっとして、苗木君もうどんですか?」
「うん。何か僕も食べたくなって……」
「一緒ですね。嬉しいな」

無邪気に喜ぶ舞園さんに、つられて僕も笑みを作る。……まあ、本当の理由は同じ物が食べたかったからだけど。せっかく、舞園さんの部屋で一緒に食べられるんだしな……。
昼食の時よりもわくわくしながら、僕はトレーを置いて椅子に座った。舞園さんも毛布とかけ布団を除けて、ベッドの端に座る。

「あの、それで舞園さん。うどんも食べさせてあげたらいいのかな……?」
「あ、その事なんですけど、この通りもう治りかけじゃないですか。だから、晩ご飯は自分で食べようと思って」
「え……そ、そう?」
「はい。そうじゃなくても、流石にうどんは食べさせ難いでしょうし」
「い、言われてみればそうだね。それに交代交代に食べてたら、その内冷めちゃうか……はは」

そんな訳で、今までみたいに食べさせてあげる必要はなくなった。
もししてた場合、やっぱり気恥ずかしさを感じたんだろうけど、また美味しそうに食べてくれる姿を見たかった……それだけに、少し残念だった。
でもだからと言って、舞園さんと一緒の食事が楽しい事に何ら変わりはない。せっかくの幸せなひと時を存分に享受しないとな。

「じゃあ食べよっか。熱いから気をつけてね」
「はい」

トレーを舞園さんの前に持っていき、片方の小鍋をコースターごと自分の前に置く。続いて揃っていただきますの音頭を取ってから、同時に小鍋の蓋をそっと開けた。

「わっ」
「わあ」

中身を見て、お互いに小さく声を上げる。海老の天ぷらやかまぼこやほうれん草、それに椎茸と半熟卵が豪華にトッピングされた、ほかほかの鍋焼きうどん。
ゆらゆらと立ち上る白い湯気が、一層僕の食欲をそそった。

「美味しそうですねっ」
「うん」

手にした箸でうどんを掬い、何度か息を吹きかけてからつるつると啜っていく。少し濃い甘めのこのつゆが、正に鍋焼きうどんって感じだ。

「そう言えば、鍋焼きうどんってどうして『焼き』なんでしょう? 煮込んでるのに……」
「ああ、それって『焼き』は鍋の方につくんだって。鍋に直接火をかけて作るから、鍋焼き……だったかな?」
「なるほど、そう言う事ですか。でも苗木君、よく知ってますね」
「小さい時に風邪を引いて作ってもらった時、気になったから母さんに教えてもらったんだ。納得はしたけど紛らわしいなって、子供心ながら思ったけどね……」
「ふふっ、微笑ましいです」

海老天をもぐもぐと咀嚼しながら、母さんの作った鍋焼きうどんを思い出す。風邪を引く回数が多かった以上何度も食べたけど、優しい味だったな。
出来たら風邪抜きにまた食べてみたい。


「あ、風邪に関して今更思い出したんですけど……中学の時、一回だけ学級閉鎖になりましたよね? ほら、木曜日の午後から金曜日までで、実質ほとんど四連休になって」
「えっと……うん、確かにあったね。集団風邪だったんだっけ?」
「そうだったと思います。あの日って、やっぱり苗木君も休んでいたんですか?」
「いや、僕は普通に登校してたよ。……休み明けに引いちゃったけど」
「あ、結局引いちゃったんですね。あの時は長い事苗木君を見られなかったので、少し寂しかったです。その分、久し振りに見られた時はとっても嬉しかったですけど」
「あ、ありがとう」

……よくよく思い出してみれば、僕の方を見てすごく嬉しそうな顔をした事があったな。いつだったかは詳しく覚えてないけど、舞園さんが言ってるのはその時なのかもしれない。
一瞬僕を見たからなのかと思って、すぐに有り得ないって目を逸らしちゃったけど……やっぱり、あの時見てたのは僕だったんだろうか。
そう考えると今更ながら嬉しい。連休の間も、僕の顔を思い浮かべてくれたりしてたのかな……。

「嬉しかったと言えば、今朝額に手を当ててくれた時ですね。初めてですよね、苗木君の方からあんなに触れてくれたのって」
「う、うん。早く確かめないとって、身体が自然と動いたって言うか……」
「苗木君らしいです。普段と違って随分積極的だったので、内心少しびっくりしちゃいましたけど」

まあ、びっくりして当然だよな。その辺僕は消極的なんだから……。それにしても、舞園さんは僕からのスキンシップも嬉しいのか。
けど、それでも積極的になれそうにない辺り、やっぱり僕は恥ずかしがり屋だ……。

「……でも私の額、少し汗ばんでませんでした? 嫌な思いをさせちゃってたら申し訳ないです……」
「そ、そんな、嫌なんて事はないよ! だから気にしないで」
「そう……ですか? それならいいんですけど……」
「その、こんな事を聞くのは失礼かもしれないけど……舞園さん、パジャマを着替えてるよね?それってやっぱり、汗の匂いが気になった……から?」
「は、はい。もしかしたら汗臭いかもと思って……」
「僕は、別にそうは思わなかったけど……。で、でも、やっぱり気になっちゃうよね。舞園さんは女の子なんだし……」
「……うふふ、そうですね。仲のいい苗木君の前だと、尚更……」

指で額髪を梳きながら、舞園さんは照れ臭そうに言う。あの日……最初の体育の授業が終わった後も、舞園さんは僕の前で汗臭くないかを気にしていた。
僕の前でだけ恥じらう姿は、他の人や皆の前よりも一層恥ずかしそうで、一層可愛く見えて……。例え気の所為だとしても、その姿を見られるのは至福だった。


その後も雑談を挟みつつ、やがて一緒にうどんを食べ終わる。
少しの間休憩を挟んだ後、僕はプルタブ式の缶詰の蓋を開けて、持ってきたフォークと一緒に舞園さんに渡した。

「甘くて美味しいです……。朝日奈さんと大神さんには感謝しないとですね」

中身はあらかじめ一口サイズに切り分けられていて、その内一粒を口に含む。舞園さんは女の子らしく甘い物が好きで、もちろんドーナツやケーキだってそうだ。
今日買う予定だったケーキは新作らしく、是非僕と一緒に食べたかったんだとか。美味しそうにケーキを食べる舞園さんも見たかったな……。

「そう言えば、話してた新作のケーキってどんな種類があるの?」
「えっと、たくさんありますよ。苺とブルーベリーのチーズタルトとか、マンゴーのロールケーキとか、バナナのムースケーキとか、カボチャのモンブランとか。他にもハート型のガトーショコラに、カップに入った小さめのプリンアラモード……と、選り取りみどりですね」
「へえ、本当に色々あるんだね……。ちなみに、どれを買うつもりだったの?」
「んー、特に決めてた訳じゃないですよ。どれも美味しそうだったので、実物を見てからにしようと思っていたんです。それで二つ買ってみて、先に苗木君に食べたい方を選んでもらうつもりでした」
「な、何か悪いね。買ってきてもらうばかりか、先に選ばせてもらう事になってたなんて……」
「気にしないで下さい、私の方からお誘いしたんですから。……でも、風邪を引いてティータイムも無しになっちゃって。ごめんなさい、せっかく楽しみにしてくれてたのに……」
「ううん、舞園さんこそ気にしないでよ。確かに残念ではあるけど、こうしてここで昼食や夕食を一緒に出来たし……それだけでも、僕はすごく楽しかったから」
「苗木君……」
「それにほら、ティータイムも今日しか出来なかった訳じゃないんだしさ。今度する時があれば、また楽しみしておくよ」
「……ふふっ、そうですね。苗木君の言う通りです。また機会が出来たらお誘いするので、待ってて下さいね?」
「うんっ!」

僕は力強く頷いた。舞園さんと一緒にティータイムが出来るなら、幾らだって待てる。僕も紅茶を淹れる練習をしながら、その時を心待ちにしよう。

「あ、そうだ。約束を守れなかったお詫び、って訳でもないんですけど……」
「?」

一体何かな……と、首を傾げたのも束の間。舞園さんはパイナップルの缶詰を、僕に向かって差し出してきた。

「よかったら、苗木君もどうぞ?」
「えっ!? そ、そんな、舞園さんの物を僕が食べる訳には……!」
「私は別にいいですよ? それに、朝日奈さん達だって気にしないと思います。せっかくうどんを一緒に食べたんですし、どうせならパイナップルも一緒に味わいたいなって。どうですか?」
「えっと……そ、そういう事なら。じゃあ、取り敢えず一つ……」
「はいっ」

差し出された缶詰にそっと箸を伸ばし、掴んだ一粒をゆっくりと口に入れる。パイナップル特有の爽やかな甘味と仄かな酸味が、噛む度に口の中に浸透していった。

「美味しいですか?」
「う、うん」
「よかったです。この独特の食感って、パイナップルならではですよね」

そう言って、舞園さんはまた一粒を美味しそうに食べる。……同じ『お揃いの物を一緒に食べる』でも、こうして一つの物を分け合って食べるのは、尚更特別に感じられる。
親しい間柄だからこそ、こう言った事だって出来るんだよな。

しみじみとそう思いながら、今度は同時に食べて一緒に味わう。そんなこんなでやがてパイナップルも食べ終わり、楽しい夕食の一時を終えた。


その後少し余韻に浸ってから、僕は食器を返して看病の後片づけに取りかかった。
持ち込んだ漫画を部屋に戻し、貸してあげる分を新しく持ってきて。収納棚の空いていたスペースに並べると、一緒にその光景を嬉しそうに眺めて。
机にはドリンクや体温計を残したまま、椅子だけを片づける事になって。その際、寝ている間に汗を拭いた事を今更伝えたら、舞園さんは恥ずかしそうに頬を染めて。
僕は恥ずかしさを誤魔化すように、椅子を元の場所に戻しにいって――

そうして後片づけを済ませると、舞園さんは礼儀正しく頭を下げてきた。

「今日一日、本当にありがとう御座いました! 苗木君のお陰で、とっても助かりました」
「どういたしまして。その……僕も舞園さんとずっといられて、すごく楽しかったよ」
「うふふ、私もです。今日はいい事尽くめでした」

僕にとっても、今日は本当にいい事尽くめの一日だった。今日だけで、今までにない色々な事をたくさん経験出来た。
入学して一ヶ月足らずでこんな日を過ごせるなんて、昨日までの僕ですら思いもしなかっただろう。正しく思い出に深く残る、特別な一日だった。

「ってそうだ、忘れる所だったよ。冷却シート、貼り替えた方がいいよね……?」
「あ、それなら大丈夫ですよ? これからシャワーを浴びるので、その後自分で貼りますから」
「あ、そっか。先に貼ると剥がれちゃうね」
「本音を言うと、苗木君に貼って欲しかったですけどね。また下から見ていたかったです」
「あ、あはは……正直、かなり恥ずかしいんだけど……」
「なんて、冗談ですよっ。付きっきりでお疲れでしょうし、苗木君もお風呂でゆっくり身体を癒して下さいね」
「うん」

まあ、ずっと一緒にいられた嬉しさからか、正直疲れなんてちっとも感じてないんだけど。仮に疲れてたとしても、舞園さんのこの笑顔を見るだけで一瞬で吹き飛んじゃうよな。
舞園さんこそが、僕にとっての一番の癒しだから。

「じゃ、僕はこれで。大丈夫だと思うけど、もし何か困った事があったら、その時は遠慮せずに連絡してね。すぐに駆けつけるから」
「はい!」

お互いに笑顔を浮かべ合い、一緒に部屋の入口まで向かう。ドアを開けて外に出ると、入口を挟んで舞園さんと向かい合った。

「あ、苗木君、最後にいいですか?」
「え?」

すると、舞園さんが唐突にそんな事を口にする。何が――と返すよりも早く、僕の手は舞園さんの両手に包み込むように握られた。


「ど、どうしたの?」
「付きっきりで看病をしてくれたのが本当に嬉しくて、つい握りたくなっちゃって。少しだけこのままでいさせて下さい」
「ぼ、僕は構わないけど……」

ただ、まだ夕食時間の最中な以上、周囲の人通りは多い。そんな中、こうしてぎゅっと手を握られてると人目が集まる訳で。後ろを通る数々の足音から、同時に視線を感じる……。
やがていつもより少し長いスキンシップの後、舞園さんは握っていた僕の手を離した。

「ふふっ、最後の最後まで甘えちゃってごめんなさい。苗木君の看病のお陰で、今日はちゃんと安眠する事が出来そうです」
「はは、それなら何よりだよ。元気な姿を見られるの、期待してるね。……それじゃあお休み、舞園さん。また明日」
「うん! お休みなさい、苗木君。また明日っ」

挨拶を交わし、小さく手を振り合う……普段通りのやり取りの後、僕は隣の自分の部屋へと戻っていく。それから部屋に入る最後まで、舞園さんは僕を見送り手を振ってくれていた。
ドアを閉めて奥に進み、真っ先にベッドに仰向けに倒れる。寛ぎながら、改めて今日一日を頭の中で振り返った。

(楽しかったなあ……)

入学当日よりも長い間、本当に一日中舞園さんと一緒だったんだ。こまるに話したら、また心底羨ましがられるだろうな……まあ、家族には秘密にするつもりだけど。
内容が内容だから、流石に話すのは気が進まないし……。食べさせてあげた事に関しては、特に。母さんなんかは間違いなくからかってくるはずだ。
そんな訳で今日の事は、僕の胸の内に仕舞っておこうと思う。

いつかまた、今日みたいな日が過ごせるといいな。もちろん、今度は風邪や看病は抜きに、お互い元気な状態で。期待に胸を膨らませながら、僕はごろんと横に倒れた。

(……ん?)

すると、仄かに甘い香りがする事に気づく。それは嗅いだ事のある……と言うか、ついさっきまで嗅いでいた香りだった。

「舞園さんの、部屋の匂い……」

試しにパーカーの袖をすんすんと嗅いでみると、その甘い香りが鼻を通っていった。……ひょっとして一日中部屋の中にいたから、匂いが服に移ったんだろうか。
ついついもう一度嗅いでみると、自ずと口元が緩む。

「……へへ」

看病が終わった後も、こんな幸福感に浸れるなんて……これは舞園さんが意図せずくれた、僕へのご褒美と言えるかもしれない。
せっかくだから、今夜はこのパーカーを枕に敷いて寝る事にしよう。甘い香りのお陰で、きっと普段よりも一層安眠出来るはずだ。
こんな事、舞園さんにはとても話せないけど……だから、僕だけの秘密として。



その夜、いつにない満ち足りた気分で眠りに就き――こうして、長かった幸せな一日は幕を閉じた。


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「んーっ……」

翌朝――昨日とは打って変わって、僕は清々しい気分で目を覚ました。起こした身体はとても軽く、眠気も全く感じられない。
やっぱり目覚めはいいに限るな。これも、一昨日までのように早めに寝たから……それと何より、枕に敷いたこのパーカーのお陰だろう。
流石にもう匂いは消えてたけど、感謝の意を込めて僕はぎゅっと抱き締めた。綺麗に畳んでから身支度に取りかかる。

ちなみに、今日は早めに外へ出る事にした。先に待っておいて、舞園さんの体調をすぐに確認する為に。
無事に治っていれば御の字、普段通り一緒に食堂で朝食を食べて。もし治ってなかったら、その時はまた看病を買って出るつもりだけど……。

「どうなったのかな……」

気にならずにはいられない……けど、大丈夫だよな。昨夜だって結局連絡はなかったんだし、無事に治ってるはずだ。
これまでのように元気な姿で、全国の人々に笑顔と歌声を届けて欲しい。もちろん、僕にも――。そんな風に前向きに考え、やがて私服に着替え終える。
時計を確認すると、普段通り少し余裕のある時間。だけど昨日同様ベッドを素通りし、ルームキーを手に部屋の入口まで歩いていく。
また一番乗りだろうな……なんて思いながら、ゆっくりとドアを開けた。

「おはよう御座います、苗木君っ」

――すると、笑顔の舞園さんが僕を出迎える。まさかいるとは露とも思わず、僕は少し驚いてしまった。

「お、おはよう舞園さん。早いね……」
「ちょうど今、部屋から出てきたばかりですけどね。苗木君こそ、今日はやけに早いですね?」
「ぼ、僕は舞園さんの体調を早く確認したくて、それで……」
「わあ、そうなんですか? 嬉しいっ」

舞園さんは昨日別れる前と同じように、両手で僕の手を握り包んだ。早速のスキンシップについつい浮かれそうになる。
 
「それで舞園さん、風邪は治って……?」
「はい、見ての通りばっちり治りましたよ。昨日と違って目覚めがすっきりでしたし、症状も完全になくなりました! 今日早めに出たのも、苗木君に早く見てもらいたかったからなんです」
「そうだったんだ……。治って本当によかったよ。安心した」

心の底から、ほっと安堵の胸を撫で下ろす。まるで自分の事のように嬉しく感じられた。

「おかげさまで、お仕事にも支障を来さずに済みました。これで問題なく頑張れそうです」
「でも、病み上がりだから無理はしないようにね? ぶり返しちゃうかもしれないし……」
「あ、それなら大丈夫ですよ? 今日は番組の収録や雑誌の撮影とかなので、身体に負担のかかるスケジュールはありませんから」
「そっか。ならいいんだけど……」
「心配してくれてありがとう御座います。苗木君には感謝してもしきれませんね……」
「ううん、気にしないで。その、僕は当然の事をしたまでだし……」

大体、一日中舞園さんと一緒にいられたんだ。感謝するのは寧ろ僕の方なくらいなんだから。


「それでも私、本当に助かったんですよ? なので、是非とも何かお礼をさせて欲しいです」
「そ、そんな、いいよお礼なんて! 気持ちだけですごく嬉しいから……」
「けど、それだけじゃ足りなくて……。あんなに安心出来たのだって、苗木君がずっと側にいてくれたお陰なんですから……」
「舞園さん……」
「だから、どうしてもちゃんとお礼がしたいんです。駄目ですか?」

そう言うと、舞園さんはぐっと身を乗り出してくる。普段よりも一際近い距離に、僕はたまらず頬を熱くさせた。
ど、どうしよう。正直お礼なら、昨日のパーカーで充分すぎるって言うか……。いや、舞園さんはその事を知らないし、やっぱり話す訳にはいかないんだけど……。
それに、ここまで真摯に言ってくれてるんだ。それなのに断るのはよくないよな……。

「わ、分かったよ。舞園さんがそこまで言うなら……」
「本当ですか? よかったっ」
「で、でも、何をお願いすればいいのかな? 何分、こういう事には慣れてなくて……」
「うふふ、何でもいいですよ? 私、苗木君の為に頑張っちゃいますから」
「そ、そう?」
「はい!」

舞園さんは元気に頷く。何でも……その魅力的すぎる言葉に、僕は思わずどきどきした。
い、いや、別に変な事をお願いする訳じゃないけど。舞園さんにそう言われて、どきどきするなって方が無理な話だ……。

ただ、どうにもすぐには思いつきそうにない。それに何でもいいとは言われたものの、あんまり無理な事を言うのは、やっぱり気が引けちゃうし……。
かと言って、遠慮するのもそれはそれで悪い気がする。一体、どんなお願いをすれば――

(……あ、そうだ)

そんな風にあれこれ考えていると、ふととある望みが頭の中に浮かぶ。……そう言えば、入学当日に同じ事を思ったっけ。
これなら、舞園さんに無理を言う訳でもないよな。それに僕としても、心の底から望む事だし……うん、これにしよう。

「あの、舞園さん。お願いしたい事が決まったんだけど……いいかな?」
「どんとこいです! それで、お願いしたい事と言うのは?」

舞園さんはわくわくしている様子で、僕の返事を待つ。どんな反応をしてくれるんだろうか……そう思いながら、僕はゆっくりと口を開いた。

「あのね……舞園さんの手料理を食べさせて欲しいんだ」
「私の手料理……ですか?」
「うん、出来たら肉じゃがを。お父さんが好きだからよく作ってあげてたって、そう言ってたよね? その肉じゃがを、是非僕も食べてみたくて……。どうかな?」

それこそが、僕がお願いしたい事だった。料理番組を見る時も、度々食べたいと思っていた舞園さんの手料理。
その中でも、お父さんのお気に入りの肉じゃが……一番食べてみたいと思ったのは、やっぱりそれで。
僕のそんなお願いに、舞園さんは照れ臭そうに頬を赤らめた。

「もちろんいいですよ? 嬉しいです、手料理を食べたいと言ってもらえるなんて……。私自身、いつか振る舞ってみたいって思ってましたから」
「そ、そうなの?」
「はいっ。そうと決まれば、腕によりをかけて作りますね! ……ただ、煮物って一度冷まして味をしみ込ませないといけないんですよ。せっかくなので美味しく食べてもらいたくて……でも、そうなるとそれなりの時間が必要になるんです。だから、時間が取れるまで待たせる事になっちゃいますけど……」
「別に気にしなくていいよ? 舞園さんの都合に合わせてもらって、僕は全然構わないから」
「そう言ってもらえると嬉しいです。それまで楽しみに待っていて下さいね?」
「うんっ!」

喜びを顔一杯に露わにして、僕は元気よく頷いた。中学の時から憧れていた舞園さんの手料理が、遂に食べられるんだ。
肉じゃが、すごく楽しみだな。下手したら、当日はずっとニヤけ顔になってるかも……。


(って、そうだ)

と、天にも昇る気持ちからはっと我に返る。そう言えば、舞園さんに一つ聞きたい事があるんだった。

「ところで舞園さん、話は変わるんだけど……」
「どうしたんですか?」

実は、今の舞園さんは普段と少し違う所がある。ドアを開けた際にすぐ目に入って、ずっと気になっていたんだ。
その違う所は何なのかと言うと――

「えっと……髪、今日は結んでるんだね」

言いながら、その部分にそっと視線を向ける。――そう。舞園さんの今の髪型は、いつものロングストレートじゃない。雑誌やテレビで見かけるような、サイドテールなんだ。
シンプルな白いヘアゴムで結ばれていて、動く度にふわふわと揺れる。目の前で見たいと思ってた、違う髪型の舞園さん。その姿に目を奪われないはずがなかった。

「あ、気づいてくれてたんですね」
「も、もちろんだよ。気づかない訳がないって」
「本当ですか? 嬉しい……。それで、その……どうですか? 似合ってますか?」
「う、うん。よく似合ってて、可愛いと思う……」
「……えへへ、ありがとう御座います」

頬に両手を添えて笑顔を浮かべる……そんな嬉しそうな姿が、尚更可愛さを助長させた。
同じ表情や仕草でも、髪型が違うだけでとても新鮮に感じられる。新しい舞園さんを見られて、僕の方こそすごく嬉しい。

「でも、どうして今日は結んでるの? 入学してから今まで、ずっと下ろしたままだったのに……」
「それはですね……色んな髪型を見てみたいって、苗木君が言ってくれたからですよ」
「え!? ぼ、僕、口にした覚えは……って、あっ!」
「うふふ、エスパーですから」

お決まりの台詞と共に、舞園さんは悪戯に微笑む。……そう言えば昨日、髪型の話をしている際に見つめてきた時があったよな。
どうしたのか聞いてみたら、『じっと見ていただけ』って返されて……。きっとあの時に、僕の考えを読んだんだと思う。こんな欲望が筒抜けだったなんて、何か恥ずかしい……。
でも、舞園さんはそれに応えてくれたんだ。僕が望んだからこそ、こうして普段と違う髪型にしてくれた。僕は本当に幸せ者だと、つくづくそう実感した。

「あ、もうすぐ時間ですね。苗木君、行きましょう?」
「うん。舞園さんは何を……あ、そっか。煮魚定食にするんだったよね」
「はい! 苗木君は何にするんですか?」
「僕はトーストセットにしようかな。何かカフェオレが飲みたい気分で……」

お互いの私服への感想、今日のお仕事に関して、昨日の看病の事……仲良くたくさん話を交わしながら、いつものように一緒に朝の時間を過ごしていく。
目の前で見せてくれる、屈託のない明るく元気な姿。舞園さんが楽しそうだと僕も楽しく、舞園さんが嬉しそうだと僕も嬉しい。それを一番身にしみて感じられるのは、もちろんこの隣だ。
ただ、入学してからまだ数週間。こんな僕が誰よりも舞園さんの隣にいる事を、不思議に思う時はやっぱりある。段々とこの場所に馴染んでいって、やがては当たり前になるんだろうか。
そしたら、きっと今よりも仲良くなれるはずだよな。その分舞園さんの笑顔だって、更に多く見る事が出来る。その時を胸に描きながら、僕もたくさん笑顔を見せていこう。



……けど、結局風邪がうつってしまい、夜に舞園さんが部屋を訪れる事になって。側にいてくれる間見せられたのは、やっぱり恥じらう姿の方が多かった。

やたらと長くなりましたが、以上になります
苗木君が舞園さんの色々な私服姿を想像する所とか、もっと色々書きたかったり上手く構成したかった部分が結構あったけど断念しました
って言うか>>13の三行目の謎改行に今気づいた……

一応エピソード自体は後四つ程あるんですが、描写のマンネリ化やネタ切れが正直不安でならない
投稿するとしても相変わらず遅いでしょうが、読んでいただけたら嬉しいです

なんかすごく和む文章だった
まだエピソードあるなら続けて欲しいです


次も見るよ

こんな甘酸っぱいことがあっても数年後には記憶消された挙句、罪をなすりつけられそうになり、舞園は殺され、苗木は霧切ルート一直線になるのだから怖いねぇ

>>54
乙かれ
遅くても待つよ


前の二つもこっちも良かった
>>57
スクールモード「希望は前に進むんだ!」

乙!
今回も可愛かったです!
次回作があるなら、完成するまで楽しみに待ってます!

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