ロシアンルーレット (68)

丸卓を囲んで椅子に座る、AからEの五人の男たちがいた。

彼らは石造りの殺風景な部屋に押し込まれ、机に置かれた四角い缶を見つめている。

「始めろ」

彼らの背後に立つ、黒服の男が号令を下す。5人が5人とも、ただ1人の例外無く顔を強張らせた。

Aは首を回し、黒服の顔をじっと見つめた。ヤツらは何を考えている?

しかしサングラスに覆われた瞳からは何も読み取れはしなかった。

「早く始めろ」

抑揚の無い、それでいて有無を言わさない、威圧感を兼ね備えた低い声。

Aは黒服を見るのを諦め、首を戻して四角い缶に正対した。

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手の平ほどのそれは、縦10センチ、横8センチ、奥行き3センチ。緑色で、材質はスチールらしい。

上には直径3センチの穴が空けられている。覗けば、そこは深闇に通じているように思われた。

だが現実としてそんな事があるはずもなく、穴から漂う甘い匂いが

その闇に確かな底と、確かな中身がある事を示している。

Aは唾を飲み込むと、ゆっくりと缶に手を掛けた。軽く持ち上がり、中身がガラリと音を立てる。

逆さに倒すと、Aの手には赤色の玉が音も無く落ちた。そのまま口へ入れ、隣のBへ缶を回す。

BもAと同じ事を繰り返し、そしてCへ缶を回す。

さらにCからDへ、DからEへ。

彼らは順々に色の付いた玉を取り出しては口に運び、取り出しては口に運ぶを繰り返し続ける。

赤。橙。黄。緑。青。

一つ取り出す度に涙を浮かべる者、神か仏に祈る者、安堵の溜息を吐く者、

歯を鳴らしながら噛み砕く者、目をつむって飲み込む者。

順々に色の付いた玉を取り出しては口に運び、取り出しては口に運ぶ。

単純作業を繰り返してなお、彼らはみな固く表情を強張らせたままであった。

そして三週目。

最初の男Aは、おもむろに缶を逆さにして一度だけ強く上下した。

白い玉が手の中に転がり込む。

「――!」

場がどよめいた。皆の視線が一点に集まる。

Aは汗で湿る手の平から白い玉を摘み上げると、天井から吊り下がる裸電球にかざし、目を細めた。

だが腕が震え、焦点も定まらず、その正体は判然としない。

「おい」

不意に響く背後の声。

「早くしろ、三秒ルールだ」

Aの背中に固い金属がゴリと押し付けられる。

同時にカチリという音が鳴った。

Aは天井に掲げた玉から手を離し、自らの口へ放り込んだ。

今撃たれる訳にはいかない。こちらにはまだ希望がある。

目をつむって玉を飲み、一秒、二秒、三秒――――。


「があああああああああああぁぁぁぁぁあああああ!!!」


鼻から、口から、そして目から、

北極の如く清涼極寒の暴風がAの体内から吹き荒れはじめた。

「ハッカか!?」

「やりやがった!」

「早いぞ!?」

「ひっ!」

方々から悲鳴が上がる。

凍る空気が床に溜まり、皆の足元と背筋を震撼させた。

「まず一人」

黒服はAの背中から銃を離すと、Bの前へ缶を回した。

「次はお前だ」

× B C D E

『ハッカを引いたら死ぬ』。ルールは至ってシンプル。

彼らは『サクマドロップス』を用た死のゲームに身を投じていた。

勝てば一千万。

法外な賞金とは言え、己の命を秤(はかり)にかけるのは愚行に等しい行為だろう。

だが彼らは皆、命に変えても大金が必要な者ばかりであった。

五人にはそれぞれ莫大な借金があった。

ギャンブルに溺れた者、愛人に貢ぐだけ貢いで捨てられた者、株で取り返しのつかない失態をおかした者。

その経緯は様々だが、

彼らの抱える負債は人生を何度やり直しても取り戻せない程に膨れ上がっていた。

完済の目途は立たず、利子の支払いにも窮する毎日。

取り立て屋に追われて家族は崩壊、そして絶縁。

業務妨害を理由に職場からも解雇を言い渡された。

家を引き払い、四畳半の格安物件に移り住んでからというもの、

扉を叩くのは取り立て屋か、宗教勧誘のどちらかである。

だがそんなある日、彼らに一獲千金のチャンスが転がり込んだ。

「高額の賞金が手に入るゲームあるんだ。どうだ、参加してみないか?」

話を持ちかけたのは黒服にサングラスといかにもな風体の男であったが、

困憊(こんぱい)の極みにある彼らにとっては正に渡りに船であった。

「確かに少々危険なゲームだよ。でもそのリスクに見合った賞金だと思えば悪くないだろう?」

これぞ天啓。と甘言に釣られて来てみれば、石造りの部屋に押し込まれて現在に至る。



そして今、Aは死んだ。

ゴトリという固い音を立て、Aの体が床に崩れた。

喉を押さえたまま目を剥き、色の無い目を天井に向けて横たわる姿は

さながら出来の悪い蝋人形である。

黒服がパッと指を鳴らすと、扉から二人の男が現れ、慣れた手つきで速やかに処理が始まった。

ズルズルと引きずられていくAの体は、死した時と変わらず首から手を離さない。

ガッチリと硬直していた。

皆の視線が扉に向く中、カチャリという金属音が静寂を破る。

「次はお前だ」

Bは缶に飛び付いた。銃口から逃れるように。

慌てて振ったせいか、彼の手には二個の玉が転がり込む。

一つ目は白、そして二つ目も――――、白。

「ルールだ。全部喰え」

黒服の宣告に、Bはただただ首を左右した。

このゲームのキモは、ハッカとレモンの見分けにあると言って良い。

どちらも一見すると白い玉に見える。しかし『透度が違う』というのは既知の事実である。

ハッカは白く濁っているため光を通さないが、レモンは光を通して透けて見える。

最初、Aが玉を電球にかざしたのはその為である。

出した玉は全て食すのがルールだが、レモンであるという確証を得れば迷わず口に入れれば良い。

しかし食べなければ、三秒後に口に飛び込むのは鉛玉である。

Bは手中の二つに目を落とした。

可能性は『レモンとレモン』、『レモンとハッカ』、そして『ハッカとハッカ』。

どちらも『同じ白』であれば『レモンとレモン』か『ハッカとハッカ』であり、助かる可能性はまだ残る。

しかし並べて見れば瞭然。手の平の二つの玉は、かざすまでもなく別物である。

目の前が白一色に包まれた。

Bは人口五千人にも満たない、小さな漁村で生を受けた。

父は漁師であり、母とは見合い結婚だったらしい。

父は二十八、母は二十六。

このままでは行き遅れるからと、お互いの家族で婚儀を決めたという話だ。

だからだろうか、二人の仲は、息子のBから見ても決して良いものには映らなかった。

元から望まぬ結婚であったのか、後から愛を育む生活が合わなかったのかは分からない。

確かな事は「漁があるから」としょっちゅう家を空ける父の態度と、

必要最低限の会話以外は目も合わせない母との、冷めた家庭の空気であった。

後から聞いた話だが、傍から見れば二人の仲はそれほど悪くはないように見えたらしい。

それもそのはず、「何も起こっていない」のだから。

悪い事はもちろん、そして良い事も。あるのは喜怒哀楽のどれ一つ無い、無味無臭の空気ばかりである。

Bはそれがたまらく嫌だった。

父は家庭に自分の居場所を作らず、かと言って母も自室に閉じ籠って関与しない。

そのうちBまでもが、自分にも居場所が無いように思えてきた。

「こんな家、いつか出ていってやる」

小学、中学と義務教育を過ごすうち、その思いは沸々と煮えつつあった。

高校は、父の言いつけで地元の普通科に通う事になった。

中学を卒業したばかりの身では一人でやっていける自信も無く、

表面上は素直にその言葉に従った。

だが卒業と同時に父の通帳を持ち出し、その日のうちに夜行バスで上京した。

胸がすく思いだった。

それからは日雇いのバイトで食い繋いだ。

父の貯金は上京前にある程度引き出したものの、頻繁にやっては居場所がばれる。

幸いにも半年ほど働いた工事現場の監督が「何ならうちで働くか?」と言ってくれ、

貯金を使い切る前に収入が安定した。

そろそろ腰を落ち着ける時が来たのかもしれない。

正社員として働き出して一年。

仕事帰りに「今日は良い所に連れてってやる」と言われたのが人生の分水嶺であった。

監督に連れられて足を運んだのは、いかにも高級そうな風俗店であった。

「ここ、大丈夫なんですか?」

恐る々々尋ねるBに、監督は「俺に任せておけ」と豪語する。

そして手に一万円札を六枚握らせた。

ボーイに連れられ、小奇麗な待合室に通された。

すぐさまビールが出されたが、Bは手を付ける気になれなかった。

いくら請求されるか知れたものではない。

心臓が轟き、息苦しさを覚える。

ここは一体何の店だろう、という思いが、何度も心の中で反芻した。

そもそも監督は「後は一人で行け」と言い残し、店の入り口で去ってしまった。

募る心細さは口を乾かせ、ビールの誘惑は秒を追うごとに膨らみ続ける。

膝上で握った拳に力を入れたその時、背後から名前を呼ばれて振り返った。

低頭するボーイの横を通り、店の奥へと導かれる。

そしてその女と出会う。

二階に上がる階段の前、赤いシルクのワンピースに身を包み、彼女はそこに立っていた。

脊髄から脳髄が一瞬にして痺れる。

生まれて初めて覚える衝撃だった。

彼女はゆっくりと近付き、細い両腕をBの首へ回した。

すっと顔が近付いたと気付いた時には、呆けて開いた唇にねっとりとした熱いモノが滑り込んでいた。

こじ開けられた口の中で、それは舌全体を撫でまわすようにゆっくり、大きく動きだす。

二、三度その動きを繰り返した後、それは動きを変えて不意に舌を吸い寄せ始めた。

急な展開に驚き、Bは小さく声を漏らした。

「ぁっ」

熱いモノが軽く歯に当たる。

彼女は驚いて顔を引き離した後、

「初めて?」

口元を指で押さえながら頬を緩ませた。

その後の顛末は記憶に無い。

全てを彼女に委ね、夢と現(うつつ)をさ迷い続けた。

押しかかる彼女の自重すらも、享楽に溺れた体の前には甘美な刺激となって襲いかかる。

地に着かない足取りで店を出た後、Bの手には一枚の名刺が握られていた。

それからだ。彼女の元に通い詰めるようになったのは。

Bの給料では月に一度が限度だった。

六万という金額は、正社員になったばかりの身には余りに重い。

捻出するには、食費や光熱費を削らなければならない。

だが、そんな事は関係なかった。

一度でも多く彼女に会いたかった。彼女を想うだけで胸が張裂けた。

何も肉体関係だけが全てではない。

『一目惚れ』と言うと笑う者がいるかもしれないが、

あの時に感じた衝撃は正に『一目惚れ』のそれであった。

Bは今でもその感覚を信じている。

彼女に会う回数は、月を重ねるごとに増えていった。

もちろん給料だけでは足りず、日雇い時代に貯めた貯金は全て使った。

父の貯金も底をついた。

金融業者にも頭を下げた。

だがブラックリストが出回るようになり、Bに融資する者はただの一人もいなくなった。

そしてついには門を叩いた。

『闇金』と呼ばれる、地獄への門を。

法外な金利は瞬く間に膨れ上がり、最早Bには利子すら返済する力もない。

火の車は早々に車輪が焼け落ちた。

取り立て屋に締め上げられながら「マグロでも獲るか?」と言われたその時、

Bはかつて漁村に住んでいた事を漏らしてしまう。

一も二もなく船に押し込まれ、一年以上も海をさ迷ったのは言うまでもない。

だがBはめげるでもなく、彼女に会いたい一心で真摯に漁を勤め上げた。

長き海の生活を終え、給料が借金の半分にしかならない事を知った時も、

「もう一度行けば完遂できる」と思った程である。

次の漁までいくらかの猶予があった。

Bは逸る気持ちを押さえて六万円を握り締め、彼女の待つ店へ疾走した。

が、

夢にも思っただろうか。よもや彼女が姿を消していようとは。

Bはボーイに肉薄した。

「彼女は何処だ。行き先を教えてくれ!」

だが相手にされるはずもない。

ついには店を叩き出された挙句、出入り禁止を言い渡された。

Bの足は、港と反対へフラフラと歩き出していた。

戻る気がしなかった。

元より逃げられる気はしないが、何もかもやる気が失せてしまった。

心の一部が切り落とされ、もう、何をしても取り戻せる気がしなかった。

二時間ほど歩き、大きな川へ出た。

橋の手すりから半身を乗り出し、ただぼうっと水の流れを眺め続けた。

そんな時だ、あの男が現れたのは。

「高額の賞金が手に入るゲームあるんだ。どうだ、参加してみないか?」

Bはゆっくりと顔を上げた。

黒服が視界に映り、サングラスの奥と目があったような気がした。

「ゼロだ」

宣告に次ぐ銃声。石壁が真っ赤に染まる。

そして軽い音が二つ、耳の奥にやけに響いた。

× × C D E

鉄の臭いが部屋一杯に充満し、残った者はみな等しく口を覆った。

一人耐え切れず、甘い匂いの胃液を床に向かってぶちまけ続ける。

その間にAと同様、別の黒服二人がBの遺体を回収してく。

後に残ったのは、扉の向こう側へ続く赤い道筋だけであった。

「次はお前だ」

Cへ向けて黒服が缶を押し付ける。

だがその時、彼は不意に耳を押さえて動きを止めた。

しばらく左右を見渡しながら、

「はい。……はい」

誰に言うでもなく呟く。

そして首を上下した後、

「缶を交換する」

おもむろに言って缶を掴み直し、足早に部屋を後にした。

10分ほど経っただろうか。いや、既に30分は経ったのだろうか。

何れにせよ黒服はまだ戻らない。

Cはゆっくりと椅子から立ち上がると、血の続く扉に手を掛けた。

ドアノブが抵抗なく回る。

扉の先は闇であった。

Bを引きずった跡は、三メートル足らずでもう見えない。

その先からは涼しい風が流れ込んでいる。嫌な臭いのしない、新鮮な空気。

Cは目を閉じ、己の肺腑を目一杯に動かし続けた。

二度、三度、四度。

次第に脈が落ち着き、思考も段々と澄み渡るように思えてきた。

ふと「ここを走り抜ければ逃げられるのでは?」という、淡い期待が脳裏をかすめる。

「おい、閉めろ」

背後の声に振り返ると、Dが椅子から身を乗り出して手を招いていた。

「いいじゃないか。吐きそうなんだ」

Cは憮然と応酬した。少なくとも嘘ではない。

だが、Dは自らの耳を人差し指で叩きながら、より一層強く手招きを続ける。

Cは暫くその様子を眺めていた。何をやっているのか分からない。

数十秒経ち、業を煮やしたのはEであった。

「マイクだ」

「あ――」

黒服は誰に言うでもなく呟き、缶を持って部屋を出た。

それは外の誰かと連絡を取っていたからに他ならない。

少し考えれば分かる事だった。そんな簡単な事にさえ気が回らなかったとは。

つまりは監視されている。

よって部屋を一歩でも出たが最後、Bと同じ末路を辿っただろう。

Cは音を立てないように気を配りつつ、静かに扉を閉め直した。

椅子に戻り、二人に向かって頭を垂れる。

「すまない」

「ああ」

「済んだ事だ」

DもEも、それきり一言も喋らなくなった。

軽率な行動に腹を立てているのか、それとも監視の目を気にしているのかは判らなかった。

黒服が戻ってきたのは、それから間もなくの事であった。

彼はポケットを探りながら

「大人しくしていたか? まあ、逃げようなど考えん事だ」

獰猛な笑みを浮かべた。

「次はコイツを使ってもらう」

丸卓に置かれたのは、先程より一回り小さな缶であった。色も違う。赤だ。

「『サクマ式ドロップス』……?」

Cがラベルを読みあげる。

「じゃあ今までのは何だったんだ?」

Dも怪訝な顔で目を合わせる。

Eだけはその缶をじっと見つめ、固い表情のまま沈黙を保っていた。

「何だお前ら、コイツを知らんのか? まあいい、ルールの説明をしてやろう」

混同している者も多いが、『サクマドロップス』と『サクマ式ドロップス』は別物である。

最初使っていた『サクマドロップス』には

イチゴ、レモン、オレンジ、パイン、リンゴ、ハッカ、メロン、スモモ、

以上の七種。

一方『サクマ式ドロップス』には

イチゴ、レモン、オレンジ、パイン、リンゴ、ハッカ、ブドウ、チョコ、

以上の七種が入っている。

最初の五種は同じだが、残りの二種が違う。

そして缶が取り換えられた理由は、その残りの二種にある。

二種の内の一つ、『チョコ』は異物混入レベルの劇薬である。

ハッカが人体の冷感受容体を異常に刺激し、凍死を引き起こすのに対し、

チョコは脳へ強力な負荷を与え、さらには中毒症状を引き起こす。

急性の場合は即、死に至る事も珍しくない。

そして一粒に含まれる劇薬は、成人男性一人分の致死量に等しい。

「分かったか? まあハズレが増えたと言う事だ」

黒服は口元を歪めながらCの肩を叩く。

「始めろ」

ドキドキするけど八じゃね?

Cは穴を指で押さえながら強く腕を上下した。

中身はしっかりと詰まっているらしく、それほど手応えのある音はしない。

撹拌は出来そうになかった。

諦めて穴から指を外し、玉を一つ手に移す。

―― 赤。

そして口へ。

続いてDが缶を受け取り、軽く振ると


―― 紫。


先程まで無かった色に一瞬困惑の表情を見せたが、何の事はない『ブドウ』である。

流石に『チョコ』ではないだろう。

飲み込んでEへ回すと、彼は緑を取り出して口に含んだ。

>>44
マジでしたごめんなさい

二週ほどは難なく過ぎた。

赤、紫、緑。

黄、橙、緑。

そして三週目、

紫、赤、―――― 茶。

ついに現れた。疑いの余地の無い、チョコ色の一粒が。

喰えば死、されど喰わずとも死。

黒服はEへ銃口を向けながら秒読みを開始した。

CとDが固唾を呑む中、Eは不敵な笑みを浮かべると躊躇なくチョコを噛み砕いた。

そしてドロリと喉が動く。

「ゴフッ」

Eは強く咳き込んだ。口に当てた手の隙間から、血が一筋、つうっと流れて床に落ちる。

次第に体が震えだし、痙攣にも似た激しさへと一気に姿を変えてゆく。

「あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛

 あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛

 あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛」

椅子を蹴飛ばし、机にぶつかり、Eは狂人のようにのたうち回った。

「あ゛あ゛――――っ、

 あ゛あ゛――――――――っ、

 あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛」

床を転がり、目と舌を剥き出して狂乱する男を前に、

残った二人はただ身を寄せて震える以外に術がなかった。

ピタリ、と、不意を突いたように絶叫が止む。

Eは最後に一度だけ体を大きくのけ反らせ、そして動かなくなった。

「回収だ」

黒服がインカムに指示を送る。

「お前ら、席に着いていろ」

その言葉にCとDは、自らもまた椅子から滑り落ちていた事を知る。

だが腰に力が入らない。耳には今だ、あの絶叫がこびり付いていた。

二人は震える手足で床から椅子によじ登った。

その間に回収役の二人が部屋に入り、Eを左右から持ち上げる。

その時だった。

「こいつ、まだ――!」

一人が叫び、場が一瞬にして色めき立つ。

「何故だ!?」

黒服も声色に動揺を隠せない。

Eは捕らわれた腕を振り払うと、ゆっくりと上体を起こしつつ

血と泡だらけの口元を袖で拭った。

「俺は、チョコを、喰うのは、初めてじゃないん、だ」

色の無い目を光らせながらニヤリと笑む。

「……ジャンキーめ!」

黒服は歯を鳴らした。

黒服は踵を返すと部屋の隅で立ち止まり、小声で何やら呟き始めた。

初めての事例らしく、回収の二人も互いに顔を見合わせては、何処か落ち着かない様子であった。

「はい。……はい」

数分ほどのやりとりを経て振り返ると、黒服はEに向かって両腕を広げた。

「喜べ、お前はゲームの続行を許された。

 何処で手に入れたかは知らんが、耐性が付いていたとは運がいい」

根も葉もない賛辞であった。

そして顎でEをしゃくると、回収の二人はそれを持ち上げて椅子に降ろす。

ゲームは再び動き始めた。

缶は再びCの手に。振ればガラガラと音がする。中身は確実に減っていた。

逆さにすれば出たのは赤。

乾いた口をどうにか濡らし、喉の奥まで押し込んだ。

続くDも赤。

色の偏りに黒服が首を傾げたが、ゲームの中断までは至らない。

希によくあるのだ。

Eは震える腕を缶に伸ばした。

命を繋いだとはいえ、劇薬は確実にその命を蝕んでいた。

少し持ち上げたところで缶が滑り、丸卓の上に倒してしまう。

はずみに一つこぼれ出た。

非情にも、茶色であった。

その後の展開は、ただの焼き直しと言って良い。

ただ一つ、結末だけを除いては。

× × C D ×

「さて、残るは二人か。

 缶の中身も少なくなったようだし、最後に特別なモノを用意した」

言って黒服が取り出したのは『サクマ式ドロップス』。外見に目立った差異は見られない。

「何が違うんだ?」

Cは率直な意見を述べた。Dに目配せしたが、彼は黙って首を振った。

黒服は喉の奥で笑うと、三本の指で固い蓋をこじ開ける。

「『サクマ式ハッカドロップス』を知ってるか?」

背筋に悪寒が走った。

『サクマ式ハッカドロップス』。

知る人ぞ知る、ハッカのみをしこたま詰め込んだ極悪非道の商品である。

割合で言えば、通常の『サクマ式ドロップス』にはハッカが八分の一入っている。

しかしこの『サクマ式ハッカドロップス』は純度100パーセント、ハッカ100パーセント、

悪意100パーセントの殺意の塊である。

考案者は鬼畜外道に違いない。

こんな商品は在ってはならない。きっと人を不幸にする。

だが奴らのように人の不幸を蜜とすすり、それを商売とする者たちであれば

このようなシノギに手を出しても何ら良心を傷めない。

「悪魔め」

Cが吐き捨てた。

「中身は移し替えたがな。まあ三分の一といったところか。決着は早いぞ。覚悟しておけ」

黒服は先程の呪言など聞こえぬ体を装い、Cの前にガチャリと缶を叩き付けた。

「始めろ」

Cは缶を逆さに構えた。そして軽く左右する。だがどうした事か、玉は一向に落ちてこない。

手間取っている事を利用して上目で穴を盗み見ると、そこには白い影がチラリと覗いていた。

Cは高鳴る心臓を押さえ、動揺を悟られぬよう、逆へ逆へと缶を振る。

手応えはあった。少しずつではあるが、白い影が次第に小さくなる。

もう一息で隣の緑が出るかもしれない。

「早くしろ」

訝しんだ黒服が近付き、缶諸共Cの手を掴み上げる。

そのまま強く振り回されると、白い玉が一つ、丸卓へゆっくりと落下を始めた。

全てがスローモーションに見えた。

丸卓を鳴らす軽い音も、エコーががかったように現実味が無い。

転がる玉はどこかフワフワしていた。

視界が白ずみ、グラリと脳が大きく揺れる。

目を強く結び、再び開いた時には、白い玉は机の淵で止まっていた。

唖然と固まるCを余所に、死の宣告は無慈悲に静寂を打ち破る。

「さん……」

その声に自我が戻った。身を乗り出して玉を掴む。

「にぃ……」

だが判別している時間は無い。喰え!

「いち……」

神よ!

「ぁぁぁぁぁ……」

嗚咽にも似た息を吐き、Cは涙の浮かぶ目を二度しばたかせた。

口一杯に広がる酸味と塩味。極寒とは程遠い、温かな甘み。

Cはレモンを噛みしめながら、自らの幸運と共に飲み下した。

その横でDは缶を掴むと、緑を取り出して一息に口へ放り込む。

白煙が上がった。

『サクマ式ハッカドロップス』には二色ある。これは現物を見た者しか知り得ないだろう。

一色目は馴染みの白。そして二色目は――――、緑。

本来のパッケージにはその両色が載っているが、

今回は通常の『サクマ式ドロップス』に移し替えられていた。

メロンだと思って口に入れたが最期、全身の冷感受容体に異常をきたして死に至る。

全ては仕組まれていたのだ。

「おめでとう、君が勝者だ」

部屋中にしわがれた声が響き渡る。

「これで一千万は君のものとなった。我々も非常に楽しませてもらったよ」

だがCには勝ったという気がしなかった。

ただ、生き残っただけ。

釈然としない勝利に贈られる言葉もまた、所詮うわべに過ぎないと分かっている。

そして一つだけ言える事がある。悪夢はこれで終わらない。



「さあ、次のゲームは『すっぱいレモンにご用心』だ。君の活躍に期待しているよ」



━━ おわり ━━

最後までご覧いただき、ありがとうございました。
そしてご指摘ありがとうございます。

玉の種類を間違えていたので>>41は以下になります。

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混同している者も多いが、『サクマドロップス』と『サクマ式ドロップス』は別物である。

最初使っていた『サクマドロップス』には

イチゴ、レモン、オレンジ、パイン、リンゴ、ハッカ、メロン、スモモ、

以上の八種。

一方『サクマ式ドロップス』には

イチゴ、レモン、オレンジ、パイン、リンゴ、ハッカ、ブドウ、チョコ、

以上の八種が入っている。

最初の六種は同じだが、残りの二種が違う。

そして缶が取り換えられた理由は、その残りの二種にある。

面白かった おつ

すっぱいレモンに~なら、一時期パッケージでハズレを判別出来る様になってたな

メーカーから怒られるだろ、これw

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