僕「雨に濡れてどこまでも」(22)
病院からの帰り道。
空には雨雲がかかり、電車に乗る頃には既に雨が降り出していた。
「……」
僕の住む町。僕が降りる駅に着く。
改札口もない田舎の小さな駅。
穴の空いた切符を駅員の人に渡し、窓口と一緒にある待合室を抜ける。
外に出ると雨はいよいよ本降りといった調子。雨脚が強まってきていた。
「…………」
屋根の下、隣のベンチの辺りを一瞥すると、タクシー待ちと思しき人が珍しく3、4人もいた。
険しい顔でタクシー乗り場を眺めたりしているあたり、知り合いの迎え待ちということではないようだ。
バスは端からあてにしてないし、僕の番になるまでどれほど待たされるのか。
「…………」
小考した結果。僕は小さく嘆息し、諦念ぎみに降りしきる雨の中へと足を踏み出した。
◇◇◇◇
「…………」
雨の中。傘も持たない僕は、濡れ鼠となって閑散とした町を歩いている。
なに、急ぐことはない。
どうせ急いだってびしょ濡れなんだ。ならいっそこの雨を楽しむくらいの余裕があってもいいじゃないか。
そう、胸の内で呟く。
どうせ時間にして三十程度。そう苦ではない。
暗くなってはいるが、まだ午後の3時過ぎ。それも平日に雨とあって人影もない。
せいぜい気鬱そうな車がほんの1、2台過ぎて行ったくらいだ。
奇異に見る目も哀れむお節介な視線もない。
ゆったり濡れて帰ろう。
「…………」
降りしきる雨。
歩き慣れた道。
小学生の頃から変わらない、退屈な帰り道。
田んぼ、畑、ビニールハウス、バス小屋、竹林、水路――。
――こんな何の情味もない帰り道も、雨に濡れる日には強く思い出してしまう、彼女との思い出と最後の記憶。
「…………」
小学生の時分。
この殺風景でつまらない通学路を、僕は彼女と一緒に帰った。
『あーめにぬーれてどっこまーでもー』
『きーみのはーなうーたきーきーなーがーらぁ』
『らんららららん、らんっ』
――音楽の授業で習った歌。
BJトーマスの「雨に濡れても」の歌詞を、先生が児童にも分かりやすく、歌いやすく改変したもの。
雨の日は、雨合羽で雨にうたれながら、二人でこの歌を歌って帰った。
『雨合羽着てても結局は濡れちゃうんだよね。いっそ水着とかのほうがいいかも』
僕の数歩先を、雨に舞うように歩く彼女。
『夏はいいかもしれないけど、それ以外は寒そう。それに、ランドセルは?』
『それはランドセルカバーを使うとして……。やっぱり、寒いのはどうしようもないね』
あはは、と彼女は欠けた歯列を見せ快活に笑って見せる。
それにつられて、なぜだか僕も自然に笑ってしまう。
彼女は、雨の日が大好きだった。
『あーめにぬーれてどっこまーでもー』
『きーみのはなうたきーきーなーがーらぁ』
『らんららららん、らんっ』
幸せ、というには内容が薄く、甘いと形容するには無邪気に過ぎる記憶。だけど掛け替えのない、大切な思い出。
雨の日に。彼女と手を繋ぎながら帰る僕は、こんな退屈な帰り道でも悪くないと思えた。
――あの時と同じ道を、今は僕独りで歩いている。
「…………」
こうして雨に濡れる日に決まって思い出すこと。
あの時の淡く温かい思い出と――取り返しのつかない後悔と自責の記憶。
「…………」
通学路の道中にある小さな水路。
幅は15メートルくらい、橋から川底までは目測で6、7メートル程度。
今はいつもよりやや増水した程度で、空の色を映した暗色の水が緩やかに流れている。
しかし連日の雨となると当然の如く水量は増し、溢れんばかりまで迫る。
――あの時……秋の長雨で増水した時。
僕は彼女と二人でその威容を眺めていた。
『凄いねぇ。もっと降ったら、溢れちゃうんじゃない?』
茶色く淀んだ濁流が、僕達の足の下を流れて行く。
『こんなのに流されちゃったら大変だね。なんだかぞっとする』
欄干に凭れて、隣の彼女がに言う。
川面はいつもと段違いに近い。橋の底から二メートル程だろうか。
『……』
足元に落ちていた枯れ葉を拾い上げ、川へ落とし入れる。
枯れ葉は濁流に呑まれ、瞬く間に見えなくなっていった。
『……早く帰ろ。お母さんからここにはあんまり近付くなって言われてるし』
彼女の声音は、少し不安げだった。
『うん、そうだね……』
そして、彼女が僕の手を引く。
引かれるがままに、僕が川の先から視線を外そうとした矢先。
濁流に揉まれ、流れくる何かを視界の端に捉えた。
見てしまった。
それは……猫だった。
『猫だ! 猫が流されてるっ!』
――助けなきゃ。助けなきゃいけない。
直情的で向こう見ずな正義感で溢れていた小学生の僕は、猫を救うことで頭が一杯になった。
逡巡する隙はない。そうすればさっきの枯れ葉のように……。
『駄目だよっ! 危ない!』
彼女の制止の声は聞こえない。愚昧な僕には届かない。
あの時の僕は、「死ぬ」ということは悲しいことだとわかっていても、その災禍が自身に降りかかるとは思ってはいなかった。
だって物語の勇者は、どんな危地においても死ぬことなんて無かったのだから。
だから僕は迷わず飛び込めた。飛び込んでしまった。
その、ランドセルを放り投げ、欄干から飛び込む瞬間。
彼女が、僕のお腹にしがみつき。
――僕達は、川に落ちた。
『……ッ』
『――――っ!』
川は、冷たくて、苦くて。
苦しかった。
「……」
あれから、九年。
僕は二十歳を迎え、この町で働いて暮らしている。
彼女は――あの日から、ずっと隣街の病院で寝たきり目を覚まさない。
あの時の猫はどうなったのかわからない。結局のところ僕が助けに入ったって、何が変わったわけでもなかった。
無力な愚かしい僕だけが。惨めにのうのうと今を生きている。
「…………」
僕は今日もこの町で、彼女が目覚める日を待っている。
いつか彼女に謝るために。
また彼女とこの道を歩けるように。
この町で、彼女を待ち続ける。
雨に濡れながら、待っている。
「あーめにぬーれてどっこまーでも」
「きーみのはなうたきーきーなーがーら」
「らんららららん、らん」
終わり
>>9 訂正
威容→異様
水路スレを見てて着想しました。
こんなチープな不幸話が起こらないように定期的に水路を見に行きましょう。
それでは
乙
ちょっと水路見てくる
おつ
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