男「春ですよ」(72)
男「冬来たりなば、春遠からじ」
男「…そう信じて頑張ってきたけど」
「花見れば 千々にものこそ 悲しけれ
我が身ひとつの 春にはあらねど」
男「………」
男「…国試、落ちちまったな~」
男「いやいや、浪人生ってのは案外想像よりも怖いなあ…」
男「………」
男「♪つがぁるぅ、ゆきぃんこ、まいとぉぶころぉ~」
男「…周りは就職組ばっかしだし」
男「お、あいつらやっぱし結婚してたんか」
男「………」
男「あーあ、コーヒーがうめえ…」
男「♪おっとこやもめに影女~」
男「…いるわけ無いよな。妖怪なんてさ」
男「………」
男「♪でんせーつのぼーけんしゃー、みあげるそらはたかく~」
?「…酔ってんの?」
男「?」
シーン…
男「…はてはて、ついに俺も幻聴を聞くような心持ちになったか」
男「………」
男「やっぱし気のせいだよな」
男「♪今になって分かるの~、最初から恋だった~」
?「year?」
男「………」
男「おいおい、ちょっと待ってくれよ?」
男「……」フゥ
男「おーけーおーけー、落ち着いた」
男「俺様、実家住まいの一人暮らし。両親は既に他界、兄弟姉妹は無し」
男「長いこと住んでるけど、怪異とは縁も由香里も無い」
男「まして霊感なんてなんてあるわけもなし」
?「…ついでに収入も彼女も無いわね」
俺のスペック
・高収入
・高身長
・高学歴
・イケメン
・親が中堅会社社長
・スポーツ万能
男「…」
?「あら、反論してくれないの? 相変わらずつまらない男」
男「声はすれども、姿は見せず…。聞き覚えもなし…」
?「あらあら、随分さびしいことを言うのね。私が貴方のオムツを変えたこともあるのよ?」
男「……」
?「ほらほら、私が何処だかわかるかしら」クスクス
男(…天井裏か?)
\ /
\ 丶 i. | / ./ /
\ ヽ i. .| / / /
\ ヽ i | / / /
\
ー
__ わたしです --
二 / ̄\ = 二
 ̄. | ^o^ |  ̄
/
/ ヽ \
/ 丶 \
/ / / | i, 丶 \
/ / / | i, 丶 \
ドス!ドス!
男「おらおらッ!さっさと降りてきやがれ!」
?「わわわ!ちょっと、やめてよっ!」
男「訳の分からん生物に、止めろと言われて止める俺様ではないわッ!」
?「…まったく、ちょっと待ってなさい」
スタン…トトトト…
男「はて、足音が離れていく?」
~♪
男「…違う!歌声が近づいてくる!」
?「…いた時計の針、きしむ音を響かせ~♪」
男「………」
?「少しずつ回っていく、今も時を刻んで~♪」
トタトタトタ…
男(…やばい!この部屋には鍵が閉まる構造が無い!)
?「君の声が聞こえたなら…」
男「と、遠い星に手を伸ばすよ?」
ピタリ…
?「あら随分と無粋なのね。 …全く、誰に似たのかしら」
?「さて、戯れはここまでね」
男「た、戯れだとぅ…」
?「そうよ? 戯れ、あくざれ、…とりっく・あ・とりーと」
男「…多分、最後のは違うと思うが」
?「いいからドア開けて」
男「…嫌でござる」
?「………」
男「………」
?「あけろよ、な?」
男「…と、言われるまま扉を開けたが…」
男「さてはて、見慣れん猫が一匹が鎮座してござる」
男「……」
男「に、にゃ~?」
猫「馬鹿にしてるの?」
男「…あ、やっぱし喋れるんだ」
ドラクエの猫みたい
猫「久しぶりね。元気だったかしら?」
男「………」
猫「どうしたの、変な顔して。驚かせすぎたかしら」
男「」ブンブン
猫「?」
男「話せる猫とくれば、普通こう…、猫耳の、ちっちゃい女の…」
猫「…悪いけど、童貞が許されるのは元服までよ」
男「で、あんた誰?」
猫「ご挨拶ね。…私は貴方をそんな子に育てた覚えは無いわ」
男「…え?」
猫「ほら、覚えてない?」
チラッチラッ
男「…その赤い首輪」
猫「ええ、貴方が私の誕生日にくれたものよ」
男「え?え?ちょっ!」
猫「正確には、貴方が幼稚園に通う前の年、貴方の家族全員が揃っていた最期の年の贈り物…」
男「………」
猫「さて、そろそろ部屋に上げて」
猫「…じゃないと貴方、ここで死ぬことになるわよ?」
ー男の部屋ー
男「…ホットミルクの用意が出来たぞ」
猫「ご苦労様」
男「座布団の用意も…」
猫「ありがとう、そこらに置いといて」
男「…」
猫「…何?」
男「お前、ネココか?」
猫「やっと思い出せたの? 久しぶりね、二十年振りかしら?」
男「『思い出せたの』って言われてもな。お前がウチに居たのは俺が五歳のときだ、普通の猫ならとっくに寿命だろうがよ」
猫「え? 説明したと思うわよ?」
男「は? 説明?」
猫「そう、私が『いかに素晴らしい存在』か。貴方もご両親に話してたじゃない…」
男「…それ、いつの話だ?」
猫「だから、二十年前の私の誕生日」
男「…」
猫「よく小さな貴方の話し相手にもなってあげたのに…、全く、時の流れは残酷ね」
男「…イマジナリーコンパニオン…」
猫「解離性同一性障害? ちょっと止めて、私も貴方も正常よ?」
男「お、おう」
猫「本当、無粋な男のままね。全く、せっかくの再開が台無しよ?」
男「面目ない」
猫「いいわ、許してあげる」クスクス
男「…でもさ、何で今頃になって?」
猫「ああうん、それなんだけど、カーテン閉めて貰ってもいい?」
男「?」
猫「その時、絶対に窓の外を見ないでね」
男「え?」
猫「…その首、貴方の知り合いかしら?」
その時になって、俺は気付いた。
春の朧月、曇りガラスの窓の外。
四つんばいになろうと、うつ伏せになろうと、
決して、人体の構造上ありえない場所に、人間の頭部がひとつ。
言葉にするならば、『地面から生首が生えている』。
生首は、部屋の中で呆けたように立ち尽くす人間と、一匹の黒猫を一瞥したかと思うと、
ふっと掻き消え、同時に俺は意識を失い、
昔の俺がネココと呼んでいた友人だけが、カラカラと高らかに笑っていた。
?『やあ、久しぶ…、初めまして』
男『誰だ』
?『まあ、誰だっていいじゃないか』
男『…』
?『そう睨んでくれるなよ、怪しいもんじゃない』
男『そう言われてもな…』
?『そうだ。あえて言うなら、君の友人の世話していた者だ』
男『友人?』
?『…確か、ネココと君が呼んでた黒い猫のことだよ』
男『ああ、そりゃ世話になった』
?『うんうん』
男『で、あんたはここで何をしてるんだ?』
?『さあ? 多分なんにも』
男『……』
?『さあ、そろそろフェードアウトの時間じゃないかな?』
男『フェードアウト?』
?『うん、じゃあバイバイ。…またね』
チュン…チュン…
男「…朝、だと?」
猫「やあ、おはよう」
男「……」
猫「昨晩はごめん。ついつい貴方の失態を笑っちゃった」
男「失態?」
猫「ヒント、なぜ貴方のパンツが新しいのに代わってると思う?」
男「…」
猫「正解は…」クスクス
男「…言わんでいい」
猫「全く、貴方はアソコだけは、立派な人間の雄だったのに…」
男「……」
猫「あら、怒らせたのかしら? 別に気にしなくてもいいわよ。昔から何度も見たことあるものだったし」
男「…否、そういう問題では…」
猫「そう? なら、そろそろ起きて朝ごはんにして頂戴。お腹が減って死にそうなの」
男「あのさ…」
猫「…安心して。日の出から日没まで『アレ』は出てこないわ」
男「そっか」
猫「それとも、私が一緒じゃないと怖いのかしら?」クスクス
男「…ばーか」
猫「あらあら、お漏らしする大人には言われたくないわ」
男「ちっ」
猫「…ふふふ、ご飯できたら起こしてね」
男「おい、今から寝るのかよ」
猫「ええ、私は猫ですもの。夜行性の本能には勝てませんわ」
男「…」
猫「…zzz」
男「…寝るの早いな」
ー近くの公園ー
男「…ということがあってだな」
友「……」
男「で、どう思う? お前の、忌憚の無い意見が聞きたい」
友「…喋る猫に、消える生首…」
男「うむ、学年主席のお前なら」
友「受験期のストレスからの開放と、国家試験の失敗による一時的な狂気」
男「…1d6?」
友「いあいあ、くとぅるふふたぐん…」
男「………」
友「冗談だ冗談。 件の猫さんは?」
男「…眠いから寝るんだそうだ。 朝飯食ってからは、ずっと惰眠モードに入っちまってる」
友「ということは、詳しい情報はまだか」
男「ああ、それはそうなんだが…」
友「『そうなんだ』が、まだ自分の正気を疑っている段階ってところ?」
男「…恥ずかしながら」
友「うん、そういう君の慎重なとこ、ボクは好きだよ」
この雰囲気好きだ
男「…で、いつだったか、お前も一時期、変なものを見たとか言ってただろ?」
友「うん、でも、あれは幻覚だよ」
男「……」
友「手術前の不安と、その後のは、きっとホルモンバランスの不調」
男「今は?」
友「今は安定。結婚してからは、やや良好?」
男「…ああ、遅ればせながら、結婚おめでとさん」
友「うん、ありがとう」
男「ああ、そろそろ時間か」
友「うん、君も元気そうで何より。うちの旦那も、君が試験に落ちたって聞いて心配してんだよ?」
男「…そりゃどーも」
友「あはは、また連絡ちょうだいね」
男「おーう、そっちも研究頑張ってくれ」
友「うん…」
男「………」
友「じゃあ、また。今度は猫さんに会いに行っても?」
男「…頼む」
友「うん、それじゃバイバイ」
昼頃になって、俺のベットを占領していた黒猫が起き抜け一番、
猫「…なに? 去勢された雌の匂いがする」
とか、言ってたので、俺はその黒猫を小突いておいた。
きっと、その匂いの主は、俺の学生時代の友人のことで、
俺は、彼女自身の一人称が、『私』から『ボク』に変わっていく経緯を知っているだけに、
この黒猫の、心無いひと言が許せなかった。
黒猫は、不服そうにしばらく俺を睨んでいたが、
やがて事情を察したのか、罰が悪そうに毛づくろいをはじめたので、
俺達は昼飯を取ることにした。
ー午後 男の部屋ー
男「シーチキンと、猫まんま」
猫「…」プイッ
男「…叩いたのは悪かったよ」
猫「…」プイプイッ
男「むう…」
猫「…」ツーン
男「機嫌直せよ。鮭フレークもつけるから」
猫「……」
男(あ、耳が動いた)
猫「…」
男「削り節」
猫「…お刺身」
男「……」
猫「当然、養殖モノは嫌よ?」
男「…独身無職男の経済状況を考えてくれ」
猫「なら、なまり節で良いわ。かりかりの厚切りを3枚」
男「なまり節?」
猫「知らない? ほら、水気たっぷりのかつお節みたいなの。頼子はよく解したのを用意してくれたわ」
男「頼子、…って、母さんか」
猫「ええ、懐かしい名前だわ」
男「……」
猫「…頼子はいつまでこっちに?」
男「お前が消えてすぐ。近くの交差点で事故ったらしい」
猫「『らしい』?」
男「あまり覚えてないんだ。全部ひとづて」
猫「全く、薄情な男ね」
男「人間の記憶は、感情の分化と同様、大人と同じ風に形成され始めるのは一般的に学童期以降とされる。生物学的欠陥だ」
猫「屁理屈こねないで。女手ひとつで貴方を育てた頼子の二年間を、よりにもよって貴方自身が貶めるの?」
男「…悪い」
猫「じゃあ、他に覚えていることは?」
男「…ええと」
猫「……」
男「…そういえば、母さんが死んで、暫くは誰かが世話してくれていたような…」
猫「ええ、そうでしょうね」
男「おいおい、まさか…」
猫「ほら、そのシーチキンの缶を寄越しなさい」
男「?」
猫「…鈍いわね。鍋島騒動を知らないの?」
男「お、おう」
猫「頼子の部屋を借りるわよ。間取りは昔と同じ?」
男「ああ、突き当りを右。鍵は開いてる」
猫「…ふうん、一応は大事にされてるのね」
------
男『……』
?『やあ、こんにちは』
男『? あれ?』
?『ん、どうかしたのかな』
男『俺はさっきまで…』
?『ああ、僕がネココ君に呼ばれたんだ。君が意識を失っただけ』
男『…なるほど、あの野郎』
?『そんな怒りなさんな。あの子も悪気があるわけじゃない』
男『否、悪気って言われてもな…』
?『はっはっは、多分理由は起きれば分かるよ』
男『…そういえば、あんたは今朝も会ったよな』
?『ああ、そうだと思うよ』
男『なんか、随分と引っかかる言い方だな』
?『…ここは時間経過が曖昧だからね。正直、昼と夜の区別も感知できないんだ』
男『ふーん、そりゃ大変だな』
?『なに、慣れてしまえばどうということも無いよ』
男『そんなもんか?』
?『ん、そんなもんだよ』
?『…ほら、あの子が呼んでるよ?』
-----
?「…起きなさい」
ペチペチ
?「起きろ」
ペチペチ
?「…起きないと、齧るわよ」
男「…!」ガバッ
?「…やっと起きた。全く、手間のかかる男ね」
男「……」
?「? ほら、起きたなら手伝って」
男「…お前、ネココか?」
ネ「そうよ? 何か変かしら?」
男「変ってお前…」
ネ「そうね。この服はセンスが古いわね。…もっとモダンなのが欲しいわ」
男「この家の女物は母さんのしかないからな」
ネ「貴方にもっと甲斐性があれば、私ももっとお洒落出来たのに…」
男「へーへー、そりゃ悪うござんした」
ネ「そうよ? もっと精進しなさい」
男「…で、何を手伝えば良いんだ? ブランド物なら買ってやらんぞ」
ネ「馬鹿ね」
ネ「…この家の結界作りに決まってるじゃない」
俺はネココに言われるまま、
その日の午後中をかけて、盛り塩やら奇妙な図形が描いたお札やらを置いて回り、
夕方頃になって、彼女のいう『結界』とやらが完成する。
まあ、まあはっきり言って眉唾モノなのだが、
メザシの頭も何とやら。
とりあえず、初体験はプロにリードしてもらうのが初心者の務め。
そうそう、作業中に、ふと気になって、
以前どうしてこの家を出て行ったんだ、と聞いてみると、
「…猫エイズ」という、やる気のない返事が返ってきた。
ああ、気のないながら、俺を睨むその眼は金色の猫目で、
やっぱり目の前の女性がネココなのだと、
その時になって、俺はやっと納得したのだった。
ー夜 男の部屋ー
男「…ふう、風呂上がったぞ」
猫「そう」
男「あ、また猫に戻ってやがる」
猫「なに? 文句あるの?」
男「文句は無いが、この世にはロマンというものがあってだな…」
猫「…聞きたくないわ。耳が腐りそう」
男「実にもったいない。綺麗だったのに」
猫「…それはどうも」
男「んじゃ、そろそろ教えてくれないか?」
猫「ええ、私が答えられる範囲なら」
男「…それで、昨日のアレって何なんだ?」
猫「何って、生首でしょ?」
男「否、そうじゃねーよ。んなもん見れば誰だって分かる」
猫「…なら何? アレの正体? 出てくる理由?」
男「そうそう、そういう感じ」
猫「…知らない」
男「は?」
猫「悪いけど、貴方の御期待には副えないわ」
男「…おいおい」
猫「だって仕方がないじゃない。少なくとも、私が生まれてくる前から『アレ』は居たんだもの」
男「……」
猫「私が知っているのは、貴方達の家系にアレが憑いてるってことだけ」
男「…憑いてる?」
猫「正確には、貴方の男の血族。…ほら、貴方の一族って、一定年齢以上の男性っていないでしょう?」
男「…言われてみれば…」
猫「…個人差はあるみたいだけど、皆、大体20代の半ばで亡くなっている筈よ」
男「って、俺ももうすぐじゃん」
猫「ええ、だから私が残された家族のお手伝いとして、この家に呼ばれたんだけど…」
男「え? 手伝い?」
猫「…でも、来たら来たで、男は子孫を残してないどころか、女っ気ひとつない体たらく…」
男「うう…」
猫「…貴方、生物としてのやる気あるの?」
男「……」
猫「まあ、幸か不幸か、少しは時間的な猶予はあるんだけどね」
男「…猶予ってお前、結界敷いただろ?」
猫「無茶言わないで。昼間の結界は気配拡散の効果、すぐに乗り越えられるわ」
男「? 気配拡散?」
猫「…ごめん、ちょっと黙ってくれる?」
…ミシッ…
……ミシッ…
男「…足音?」
猫「ええ、アレが貴方を探してるの。今のは1階の廊下かしら」
男「…」ゴクリ
猫「昨晩に貴方の姿を捉えたけど、今日は姿はおろか、貴方の気配も感じられなくて、取り合えず入り込んでみたってところかしら?」
男「…し、侵入禁止の結界とかは無いのか?」
猫「無くはないけど、この部屋に一生引きこもるの?」
男「……」
猫「ふふっ、安心して。怖かったら膝の上くらいなら、まあ乗っててあげても良いわ」
男「…すまん、お願いしても?」
猫「…あらあら」クスクス
…ミシッ…
……トン、トン、トン…
男「…階段、か?」
猫「そう、多分お風呂場で貴方の気配を感じ取ったから、そのまま貴方を足跡を辿ってるの」
男「じゃあ、この部屋まで来るのか?」
猫「…いいえ、途中で気配が紛れて、アレからはこの部屋の入り口が見つかりにくいはずよ」
男「……」
猫「なんなら、その扉を開け放ってみる?」
男「…のーさんくす、ネココさん」
…ミシッ…
……ミシッ……ミシッ…
猫「…来たわね」
男「……」
猫「部屋のドア、ノックされても絶対に返事しちゃだめよ?」
男「」コクリ
…コンコンコン
「…誰か、いませんか…」
…コンコンコン
「…誰か、いませんか…」
…コンコンコン
「…誰か、いませんか…」
…コンコンコン
「…誰か、いませんか…」
…コンコンコン
「…誰か、いませんか」
…コンコンコン
「…いませんかいませんかいませんかいませんかいませんかいませんか…」
…トン、トン、トン…
……ギシ…トン、トン…ミシ…トントントトトン……
「…いませんかいませんかいませんかいませんか…」
猫「ふふっ、案の定迷ってるみたいね」
男「…ネココさん、余裕あるね」
猫「貴方が余裕に乏しいさもしい人間だからよ」
男「反論はせんよ…」
猫「出来ない、の間違いでしょ?」クスクス
ミシッ…ミシッ…ミシッ……
「ませんかませんか、ませんか、ませんか…」
ミシッ…トン…トン…トン………
「……………」
…………………
猫「御疲れ、無事に通り過ぎてったみたい」
男「……」
猫「あの様子じゃ今夜もう2、3回入って来ると思うけど、一先ずは防衛成功を祝いましょう」
男「…あのさ」
猫「何? 文句なら受け付けないわよ?」
男「さっきの声、『誰か』を探してただろ?」
猫「あら? 貴方にも聞こえたんだ。そうよ? アレはずっと誰かを探してるみたい」
男「ああ、うん。それは理解できるんだが…」
男「…あの声、男と女、ネココさんはどっちの声に聞こえた?」
-----
?『あ、こんばんは』
男『……』
?『全く、ひどいね。あの子、説明がめんどくさいとか最悪じゃないか』
男『…またあんたか』
?『はいよ、また僕だと思うよ』
男『で、またこの場所か…』
?『うん、また君は気絶させられたみたいだね。…一応、元飼い主としては頭を下げるべきかな?』
男『否、別に』
?『そう? じゃあ早速解説に移ろう。君の夢を間借りさせて貰ってるわけだし』
男『解説?』
?『うんうん、この世のルールみたいなの。…君は死後の世界とか考えたことある?』
男『? 宗教勧誘なのか?』
?『そうそう、仏教的解釈ならあの世の概念ってのは、あるとも無いとも言える。
開祖のお釈迦様も、死後の世界の存在を言及しなかったからね。
天国地獄の概念も、平安期以前の初期仏教にはあまり登場しなかったりするし…』
男(…あ、なんか語り始めた)
?『…一方、神道では、死者は祖霊となって子孫を見守る役目を司ってる。
だから、案外日本では死者は身近な存在だったと言える。
つまり、死後の世界については、結構あいまいなまま区分されている場合が多い』
男『…』
?『時代が進んで、お次は道教。
これは魂魄論といって、人間は死後、魂は天空に還り、魄は地に還るとされている。
こいつは魂の消滅に近い形で、死後の世界を解決したけれど、まあ肝心の部分については、実は明言されていない…』
男『…』
?『でもって、最後は耶蘇教。
これは天国地獄って死後を明言しているけれど、宗派によっては煉獄や死後の世界自体を否定してたりする。
…なにより、源流となったユダヤ教には、【我々の信じる神は…】という有名な文言から、
他の宗教同様、死後の世界の多様性を言及する旨が書かれてるわけだ…』
男『…はあ』
?『つまり、導き出される結論としては、
死後ってのは、実際に死んでみないことには人間には分からないってことだ』
男『まあ、それはそうでしょうね』
?『ああ、露骨に引かれると、さすがの僕も傷つく』
男『と、言われてもだな…』
?『まあ、ほら僕はここで何もしないのが仕事だから、どうにも人と話す機会が少なくってね。
ほらあれだ、…現代風だと、コミュ障とか言うんだっけ?』
男『また同意しにくいことを…』
?『まあまあ…、一応、これで世界中で影響力が大きいとされる宗教、その死後の世界観を網羅してみたわけだけど、
話にはついてこれそうかい?』
男『ヒンズーやら、ミトラ、ブードゥーなんかが抜けてましたが…』
?『え? それも話していいのッ?!』
男『…あ、いや勘弁して下さい』
?『…まあ、冗談はさておき…、
宗教論では、死後の世界を一元論的に語れないことは理解してもらえたものと定義する』
男『おいこら』
?『では、今度は、現代科学の観点から、死後の世界についてを切り込んでみるとしよう…』
男『……』
?『先ずは、化学的なんだけれど、これは魂の同定が不可能な点から割愛せざるを得ない。
観測不可能かつ、再現実験なんて、それこそ神様の領域。
ぎりぎり観測可能な、魂の重ですら約6~28mgと振れ幅が大きくて、実験の信憑性にも乏しいケースが多い』
男『…あれ? こっちの方が理解し易い』
?『しかしながら、物理学会は一味違う…』
男『…』
?『…90年代後半より、現代物理学会において主流となった超弦理論をはじめ、
この世が多元的に構成されているのではないのか、といった論調が脚光を浴び、
現時点では、机上ながら数学的に正しいのでは無いか、とされる』
男『…せんせー』
?『うん、なんだね?』
男『…わりと頭が痛くなってきてるので、要点だけお願いします』
?『やれやれ、前戯の余裕もないとは、君には女性経験がないのか?
せっかちなばかりでは嫌われるよ?』
男『…しらんがな』
?『まあいい、早い話が…』
?『生物が死ぬと、肉体と呼ばれる定点を失って、高次元を魂だけが漂った状態になる』
?『…うん、幽霊ってヤツだね』
?『うん、数学的にxyz軸で考えてみようか?』
男『…数学的?』
?『例えば、人間界の座標を定点(0,0)と置いた場合、
生者は、x軸とy軸の概念の中だけの生き物なんだけれど、死者には新たにz軸(0,0,0)の概念が加えられる』
男『…』
?『君がさっき、亡霊の声を判別できないのを不思議がったよね?
それもここに原因があるわけなんだけど、…平気かな?』
男『…お、おう』
?『…では話を続けるけれど、
このz軸の概念ってのがかなりシビアで、通常人間の感覚器では(0,0)は知覚できても(0,0,α)が認識できない。
稀に、例外も存在するけれど、それらはいわいる霊感体質と呼ばれ、現世では規格外として扱われる』
男『…霊感』
?『では、今度は視点を死者側に変えてみる』
男『…』
?『死者は、確かにz軸をある程度自由に行き来出来る存在ではあるけれど、
実はこれもかなりシビアなことなんだ』
男『?』
?『…君は、ダイビングプールとか見たことある?』
男『え? まあ』
?『なら結構。死者の空間移動はダイビングに似て、
生者の世界に具現化するには、ポイント(0,0,0)に移動しなくてはいけない』
男『…』
?『…そう、移動しなくてはならないんだけれど、
実はこのz軸は無限延で、一点に留まるには、ダイビングで毎回同じ場所に飛び込む正確さが求められる』
男『すると…』
?『…微妙な空間の誤差によって、人間の認識域を行ったり来たり…。
ん、怪異としての特性を得た上で、あちら側へ向けたアプローチが困難なモノの出来上がりだ』
男『…』
?『勿論、世界中には、護符や結界などがあり、それらの多くは何らかの働きで空間に影響を与え、
そういったモノを空間的に留まり難くする効果があるのではないか、というのが《こっち側》の理論だよ』
男『…こっち、側?』
?『うん、だって君…、
《僕の言葉》は理解してるみたいだけど、
《僕》の男女の区別、年齢や背格好、その他の情報、《何か一つでも》認識してるのかな?』
-----
目が覚めると、俺はベットの中に押し込まれ、
枕元には、眠そうな顔をした人間姿のネココさんがいた。
聞けば、夜が明けたので家中の壊れた結界を修繕していたらしい。
ネココさんは俺をベットから追い出すと、ブランチに鯵の干物を要求してから、すうすうと寝息を立て始めた。
俺はといえば…、
ただ、眠るネココさんの長い睫毛を呆っと見つめながら、
彼女が、普段どの次元で生きている存在なのかだけが気になっていた。
【day 3】
ー昼 商店街ー
男「…白と黒」
ネ「ほら、迷う必要は無かったわね。さっさと買い物を済ませましょう。…私眠いの」
男「ううう…」
ネ「何事もなく終わればいいので、変な波風立てないようにと生きてみる~♪」
男「立ててんのはネココさんです。
…世間一般では、男性に女性下着を買わせる行為を拷問っていうんですよ?」
ネ「え? ご褒美の間違いでしょ?」アフアフ
男「ああもう…、人前で大あくびなんてはしたない」
ネ「…全く、人間の世界は不便極まりない…」
男「ええと、あと買うべきは…」
ネ「日用雑貨類、お塩とサラダ油。…それからトイレットペーパーも切れ掛かっていたわ」
男「なるほど。…となると、駅前のスーパーが特売してたっけ…」ブツブツ
テクテクテク…
先輩「おう、そこを行くのは男じゃないか」
男「…あ、先輩」
先「何が『あ、先輩』だよ、この馬鹿。こっちは試験に落ちたって聞いて心配してたんだからな」ベシベシ
男「! …ちょッ、痛!」
先「それに幻覚やら幻聴に悩まされてるんだと? 馬鹿を通り越して、若年性の認識障碍か」
男「………」
ネ「…あの、この方は?」
先「お、浪人生の分際で生意気にも彼女連れか。よくやったぞ、阿呆助」
男「違いますよ。こっちは俺の遠縁に当たる…、えーとネ…」
ネ「遠縁の、寧子(ねいこ)と申します。初めまして」
先「あ、こりゃどうも、御丁寧に」
男(…お、ネココさんが猫かぶり…)
ネ「それで、男のお知り合いの方ですか?」
先「あー、…っと、自分は先輩と言いまして、男君とは先輩後輩の付き合い以外にも、個人的に仲良くさせて貰っています」
ネ「? 仲良く?」
男「先輩の奥さんの件で、少し縁があったんです」
先「俺の妻、友っていうんですが、学生時代に男君にお世話になりまして」
男「………」
先「俺と友は元同期だったんですが、ちょいと病気を患って長いこと休講状態だったんです。
で、いざ復学してみると、学内で浮いてしまったわけで…」
ネ「ああ、鈍い男のことですから、そんな内情を知らずに友さんに話しかけたと…」
男「…ぐぅ」
先「はっはっはっ、…まあ、男君が鈍感さのおかげで、妻はさびしい思いをせず、今年無事に卒業しましたって話です」
ネ「それはそれは」クスクス
男「…んで先輩、友は一緒じゃないんですか?」
先「ん、ああ、今日は妻は人工透析の日だ」
男「……」
先「んな顔すんなって。そのうち、そちらにお邪魔するから、寧子さんにも明かしときますが、
妻の病気は、子宮体癌。ちょいと発見が遅くて、完治の見返りに、妻は子宮と腎臓、それに肝臓の一部を摘出しています」
ネ「……」
先「ああ、すいませんね。ただ、本人としては気にしてる所もあるらしくて…」ペコリ
男「……」
ネ「…先輩さん、お顔をお挙げになって下さい」
先「…はあ」
ネ「ふふっ、そのまま私の瞳を見て下さいますか?」
先(…ッ!)
ネ「…ご覧の通り、私の眼は生まれつき、このように一風変わった色彩です。…綺麗だと褒める方も居れば、猫の眼だと蔑み方も居ました。
だからと言うわけではありませんが、奥様のことくらいなら、受け止められる度量はあると思いますよ?」ニコリ
先「これは、なんとも、どうも…」
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