北沢志保「あめの日」 (33)
その日は、朝からずっと雨が降り続いていました。
どのくらい降ったかと言うと、劇場の前に小さな水溜りがたくさんできたほどでした。
地面を叩きつける雨粒の音を聞きながら、志保は荷物の整理をしていました。
窓の外を眺めながら、志保は弟の学校への最短ルートを考えました。
「いつもの慣れた道と裏道のどっちがいいかな。裏道の方が早く着くけど、この雨なら車も多いだろうし危ないかも。でも、雨の中あの子を長時間待たせるのも……」
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そして、志保は、ネコさんをバッグの中に入れると、いつもの道を歩き出しました。
雨は、依然として弱まる気配がありませんでした。
路面は濡れて歩きづらくなっていましたが、志保の靴はその思いに応えるように早いペースで蹴り上げていきます。
ですから、予定していた時間よりも大分早く弟の学校に着くことができました。
志保が着いた時、校門からは色とりどりの傘と共に親子が手を繋ぎながら出てきていました。
「あまり待たせずに済んだかな」と、志保は思いました。
志保は、昇降口に向かうと弟を探しました。
「お姉ちゃん! お姉ちゃん!」
弟は志保を見つけると、ブラブラと揺らしていた傘を止めて大きな声を出しました。
その声は志保にも届いたようで、すぐに弟のもとへと笑顔で駆け寄ってきました。
「ごめんね。待った?」と、志保は言いました。
「うぅん、今降りてきたところだよ」弟は首を振りました。
弟は帰ろうとして、手を出しましたが、志保の袖口がビッショリと濡れていることに気づきました。
「お姉ちゃん、袖濡れてるよ! 寒くない?」
「あっ……、平気よ。これくらい」
「でも……」
「……ありがとう。ちょっと待っててね」
こう言うと志保は、バッグからタオルを取り出してポンポンと叩くように拭きました。
志保が弟の方へ向き直ると、弟は少し遠くを見ているようでした。
その方向には、お母さんが迎えにきて、笑顔で帰る子どもたちがいました。
とたんに志保の心の中は不安な気持ちでいっぱいになりました。
「……ごめんね」志保は、口にするつもりのなかった言葉を呟き、思わず口を覆いました。
弟は何が起こったか分からず、志保を不思議そうに見つめました。
ちょうどその時、学校のチャイムが鳴りました。
二人はそのチャイムに促されるように歩き始めました。
いつもよりも会話の少ない帰り道になりました。
志保は、夕飯の洗い物をしながら、弟の表情を思い出していました。
推測でしかありませんでしたが、志保は弟の気持ちが少し分かる気がしました。
雨の日にお母さんと手を繋いで帰れる嬉しさを知っていたからです。
お母さんの都合と雨が重なる日はめったに訪れず、志保にとっては特別な日でした。
気が付くと、志保の手は止まっていて、水だけが流れ続けていました。
志保は慌てて水を止めると、洗い物を中断して洗面所へと向かいました。
しっかりしないと。私はお姉ちゃんなんだから。
志保は鏡の前に立つと、頬を引っ張り笑顔を作りました。
劇場でのレッスンやアドバイスを思い出しながら作りました。
765プロに所属してから数カ月が経ち、志保は理想とする表情を作るまでに、それほど時間をかけなくてよくなりました。
ですから、弟が宿題を教えてもらおうとして声をかけた時には、既にいつものお姉さんでいることができました。
志保はお姉ちゃんかわいい!
さて、弟は宿題を終えると、紙とペンを取り出し何やら書き始めました。
「まずは、やりたいこと、めあてを書くんだよね」と、弟は張り切って言いました。
「お姉ちゃんに元気あげる! お姉ちゃんが喜ぶことは何だろう? お手伝い……かな?」
弟はこんな風に呟きながら自分にできることを考えました。
そして、今日一日を振り返っていた時、あることを考えつきました。
「そうだ! お迎え! 雨の日にお姉ちゃんを迎えに行こう!」
弟は、すっかりその気になって計画を立てていきました。
次の日、弟は学校の図書室へ行き、この地域の地図を借りました。
小学校から劇場までにある曲がる箇所を調べました。
それから、照る照る坊主を作り、逆さにして掛けてみました。
弟が劇場に向かえるのは学校が休みの日だけでしたから、金曜日の夜は特に念入りにお願いしました。
ところが、そういう日に限って快晴だったり時間のかかる宿題が出たりしたものですから、志保に気持ちよく出かけてもらえる反面少しもどかしい気持ちになりました。
その日からさらに一週間が経った朝、弟が目を覚ますと、空が雲に覆われていました。
どうやら、ポツポツと弱い雨が降っているようでした。
遂に、遂に待ち望んでいた日がやって来たのでした。
弟は、パチャパチャと水音を立てながら、劇場を目指しました。
「あっ、水たまり!」
大きく踏み込んで、思い切り水をはね上げると、その音は楽器のように響きました。
弟は、何だか楽しくなってきて、リズムを刻むように歩きました。
志保が隣にいたら、間違いなく注意をされているのに、余程楽しかったのですね。
小学校の前を通り過ぎ、チェックしていた角を曲がると、志保がお土産を買ってきてくれた雑貨屋さんが見えてきました。
「ここにあったのかぁ……」と、弟は言いました。
「ちょっと気になるけど、寄るのはまた今度」
弟は、少しスピードを上げて、また歩き始めました。
歩いて、歩いて、だいたい二十五分くらい経ったころに、劇場に辿り着きました。
「まだ、だよね?」と、言って時計を見ました。
その時、弟は志保から重要な事を聞き忘れていたことに気づきました。
「お姉ちゃん、今日のレッスン、何時頃に終わるんだろう……?」
明かりの付いた部屋を眺めながら、弟は、ため息をつきました。
いつもこの曜日に帰宅する時間を頭に入れてから家を出ました。
でも、今日も同じスケジュールで進むとは限りません。
「どうしよう……」
弟は、心細い気持ちになりながら、劇場の前で立ち尽くしました。
「ねぇ、ボク」
弟は、突然隣から声が聞こえたので、思わずぎょっとしました。
「おっと! ごめんごめん。ビックリさせちゃった?」と、お姉さんが言いました。
「……ううん」
弟は、心配そうに顔を覗き込んできたお姉さんにドキドキしながら言いました。
「さっきから、ずっとここにいるからさ。一人なの?」
「ううん、お姉ちゃんを待っているんだ」
「お姉ちゃん?」
「そうだよ!」と、弟は明るく言いました。
そうして、お姉さんの顔を見上げた時、弟はハッとしました。
「お姉さん、所恵美さん?」
「うん? そうだよ」
「やっぱり! お姉ちゃんと一緒に歌ってるの見たことあるよ」と、弟は言いました。
そして、傘に付いた名札を恵美に見せました。
「へぇー、北沢……。ってことは、志保の弟……? ……えええええっ!?」
弟は、恵美の驚く声の大きさに、思わず耳を塞ぎました。
「志保に弟がいるとは聞いてたけど、まさかこんな小さい子だったとはね……」
恵美は、ぶつぶつと呟いています。
しかし、すぐに弟に向けてこう言いました。
「あ、志保、呼んでくるね」
「ううん、それはいいよ!」弟は、慌てて言いました。
恵美は不思議そうな表情をしています。
弟は、恵美にゆっくりと話しました。
雨の日に、迎えに来てくれた人の姿が見えた時の嬉しさをお姉ちゃんにも味わってほしいんだ、と。
「それで、家から歩いてきたんだ?」
「……うん」
「へぇー、スゴイね! 志保、きっと喜んでくれるよ」
「そうかな?」
「うん! あ、でも、無理はしちゃダメだからね? 今日みたいに雨が降ってる日は特に!」と、恵美は弟に優しく言いました。
恵美は、ケータイを取り出しました。
「志保、志保はっと……」と、恵美は言いました。
「あ、大丈夫大丈夫! 志保に連絡してるわけじゃないよ」と、恵美はおろおろしている弟に言いました。
「うーん。スケジュール見てみたけど、志保、もうレッスンは終わってるはずだから、そろそろ出てくると思うよ」
「あ、ありがとう……ございます」
「いいっていいって~」と、恵美は笑顔で言いました。
「んじゃ、アタシはそろそろ戻ろうかな。あ、今度は、ぜひ劇場にショウを見に来てよ。きっと、志保も喜ぶと思うし。友だちもたくさん連れてさ!」
「うん!」と、弟も恵美の笑顔に応えて言いました。
志保は、恵美が劇場に入ってから五分ほどして、姿を見せました。
レッスンを終えた志保は、そわそわとしながら用具の片付けをしていました。
志保は、予定をクリアした段階で、弟にメールを送ったのですが、それに対する反応がなかったのです。
「昼寝でもしているのかしら」志保は、そんなことを頭の片隅で考えながら、帰る準備を進めていきます。
「いつもなら、十分もしないうちに返信があるのに。まだ、いつものアニメの時間でもないし……。何もなければいいけど」
弟のことを考えながら劇場を出た志保は、その瞬間想像もしていなかった光景を目にしました。
思わず、瞬きをパチクリと二、三度繰り返したほどです。
「お姉ちゃん!」弟は志保の姿を確認すると、一目散に駆け寄りました。
あっという間に志保の元に着き、見上げました。
志保は、喜びというよりも、戸惑いの表情を浮かべました。
「あ、あの、お姉ちゃん……」
弟は恐る恐る声を掛けました。
志保は、何かを言おうとして息を吸い込みますが、言葉として発せないようでした。
「……えっと、どうして?」と、志保は絞り出すように言いました。
弟は、喜んでくれるとばかり思っていたので、笑顔から一気に泣きそうな表情になりました。
うつむいたままの弟の頭に、志保の手が乗せられます。
志保は、傘を持つ弟の袖が濡れていることに気づいたのです。
そして、弟がどうしてここにいるかも分かりました。
「帰ろっか」と、志保は言いました。
弟が顔を上げると、そこにはよく知る志保の笑顔がありました。
「……うん!」
いつもの雨の日のように、弟が志保の手を取り歩き始めました。
二つの傘が、この前よりも近くに並びました。
「そうだ。どこか寄りたいところある?」
しばらく歩いていると、志保が言いました。
「え、寄り道!?」
「うーん、そうかな」
「じゃぁ、公園! 最近行ってないし!」と、弟は高ぶる気持ちを抑えきれずに大きな声で言いました。
二人は、小さいころからよく遊んでいる公園へ行くことにしました。
「お姉ちゃん、あんまり人のことをじろじろ見たらいけないんだよ」
「そ、そんなことしてないでしょ?」
「うそだー! さっきの信号で反対にいたおじさんずっと見てたもん」
和やかな空気に包まれながら、二人は歩き続けました。
幸いなことに、雨も小降りの状態が続いています。
二人は、公園に着くと、広い園内をゆっくりと回り始めました。
植えられた季節の花たちは、二人を迎えてくれているようでした。
二人は、半周くらいしたところで、東屋で休憩をしました。
「もう、慣れない距離を急に歩いたりするから……」と、志保が言いました。
「ちょっと休んだら、大丈夫だって」と、弟が言いました。
「そう? あ、今日の夕ご飯どうしようか」
「お母さん、遅いの?」
「うん。会議があるから、食べてていいって。何か、食べたいものある?」
「うーん……」
「お店まで歩く間に考えよっか」
「分かった!」
二人は立ち上がり、傘を差しました。
「にゃ~ん」
東屋を出た二人の足をネコの鳴き声が止めました。
「お姉ちゃん、あそこ、見てみて」
弟は、耳をすませ、聞こえた方向に見慣れない箱を見つけると、それを指差しました。
弟はネコの元に駆け寄り、志保も後を追います。
「捨てネコってやつかな?」
「そうみたいね」
二人とも心配そうに見つめます。
弟は、少し考えて、志保の方を向き傘の大きさを確認しました。そして、こう言ったのです。
「お姉ちゃん、僕の傘、この子にあげてもいい?」
「えっ……?」
「だって冷たそうだし……。お姉ちゃんの傘なら、僕も入れるでしょ?」
志保は、少しだけ考えましたが、首を縦に振りました。
「でも、いいの? その傘?」
「うん。この子に元気になってもらいたいもん」と、弟は強い目をして言いました。
弟は、手に持った傘をネコに差しかけると、サッと志保の傘に入りました。
ネコも、少しだけ安堵した表情をしたように見えました。二人も笑顔になりました。
二人は手を繋ぎました。
「そういえば、今日所恵美さんに会ったんだよ」
「え、ちょっと、どこで?」
「劇場の前だよ。すごく、優しい人だったよ」
「そうだけど……。そういうことはもっと早く言わなきゃだめよ」
「ごめんなさい。でも、お姉ちゃんも、アイドルなんだね」
「な、何なの。そのニヤニヤした笑い方は……」
「ふふーん」
二つの笑顔が、傘の中で並びました。
いつの間にか、雨も上がりました。
志保が左手で、弟が右手で、二人で買い物袋を持ちながら、向かう我が家はもうすぐです。
支援だよ
>>1
北沢志保(14)Vi
http://i.imgur.com/iinWIGe.jpg
http://i.imgur.com/fbM8tte.jpg
>>15
所恵美(16) Vi
http://i.imgur.com/D2EoHit.jpg
http://i.imgur.com/blfYNtd.jpg
絵本みたいでいい雰囲気
おしまい
お付き合いいただいた方、本当にありがとうございました
童謡のあめふりをなぞりたかった作文です
ボイスドラマや漫画の特装版などありますが、志保の弟に対する態度はどのくらい穏やかでいいのか……
2人がイメージから遠くないと嬉しいです
>>27
ありがとうございます
乙でした
乙っした
乙乙
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