春紀「苺の味」 (45)

R15くらいッス

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それは夏というにはまだ少し早い、5月の終わり頃の出来事。

「わあ!苺がいっぱいですよ!春紀さん!」

晴ちゃんの嬉しそうな声が、生徒でごった返すミョウジョウ学園の広大な農場に吸い込まれていく。
かくいうあたしも少しばかり昂ってるこの感情は誤魔化しきれなかった。今、あたしらの目の前には宝の山が広がっている。
今日は金星祭。ミョウジョウ学園農芸部の出し物は、もうすぐ旬の終わる苺を使った、苺狩り。金持ち学園、恐るべし。
入場料は500円。それ以外の費用は、パックでの持ち帰りは有料だけど、この場で食べる分は全部タダ。これが太っ腹ってやつか。

「兎角さんはこういうの乗り気になってくれなくて…春紀さんもイチゴ好きだったなんて、駄目元で誘ってみて良かったです!」

少し拗ねたような物言いで晴ちゃん。普段晴ちゃんべったりの守護者、東兎角サンはこの人ごみを嫌って引きこもりだ。最近油断気味というかなんというか。
他の連中には相変わらず殺気剥きだしでおっかない番犬みたいなのに何故かあたしのことを信用してるみたいだ。曰く、あたしは他の連中とは匂いがちょっと違うらしい。
なんだそりゃ。甘く見られてるんだかなんだか知らないけど。ま、好都合ってやつ?

「はは……はしゃいじゃって。後で東に怒られるのあたしなんだから転んで怪我とかすんじゃないよ?」

東のことが話題に出たんでそれっぽいことを言ってみる。
勿論です!とイマイチ決まってない敬礼ポーズを返してきてやる気まんまんの晴ちゃん。金は既に支払い済みだ。
あとは二人で駆け出して苺をたっぷり頂くだけ。晴ちゃんはうずうずしてるのが傍目にも明らかだった。よっぽど好きなんだな。
ま、あたしも苺には目がないけどさ。でも、こういう時素直に食いっ気だけ出せないのが貧乏人の辛いとこっつーか。

「凄いな。……家の奴らも連れてきてやりたいくらいだ」

畑を見て、ぼそっと思わず本音が漏れた。慌てて晴ちゃんを見る。苺畑に目が行ってて聞こえて無かったっぽい。
格好悪い話を聞かれてないようでほっとする。で、思わず今漏れた本音に思いを馳せてしまう(ん?なんか日本語変じゃね?)。
あいつらをここに連れてきたら……喜ぶだろうな。晴ちゃんだっていい子だし、きっとあっという間に仲良くなるんだろうな。とか。みんないい顔するんだろうな。とか。
で、その日ばかりはあたしも遠慮する必要がなくてさ。腹いっぱい苺を食べるんだ。バースデーケーキのショートケーキに乗った苺を分け合うなんてしょっぱい真似しなくていい。
どんなに頑張っても食べきれないだけの苺が目の前にはある。好きなだけ頬張って、大声で笑って。ああ、ほんと、あいつらを今すぐにでもここに連れてきたいくらいだ。
……いや、そりゃ無理か。姉ちゃんが人殺しする場所にあいつら連れてこれるわけがない。

まだ、予告状、出してないけどさ。
……今日、このイチゴ狩りの場で、あたしは晴ちゃんを殺す。


計画はこうだ。最初はあの子と普通に苺狩りを楽しむ。
晴ちゃんにたっぷり苺を食べさせ、仲良くお喋りなんかして警戒を解く。
気が緩み一番油断したタイミングで人気のないところに連れて行って、予告状を出して殺す。
信用してくれて晴ちゃんを預けた東には悪いけど。でも馬鹿なのは油断してたあいつだろう?

悪いね、晴ちゃん。でも、あんた殺せばそれで終わりだ。あいつらを一生養える金が手に入る手はずになってる。そしたらあたしはもう二度と殺しなんかしなくて済むんだ。
ううん。そしたらあたしはそれどころじゃなくなるかも。復讐として東の手で消されるかもな。でも、あいつらに金渡ったのさえ見届けたら、それもいいかもな。正しく自業自得ってやつだ。

「春紀さん?どこか悪いんですか?」

そこまで考えて、晴ちゃんが心配そうな顔であたしの顔を覗きこんでるのに気がついた。
あぶね。怖い顔してただろうな。計画に関しては気付かれてないよな?……大丈夫だよな?この子なんか鈍そうだし。

「あ…悪い。ちょっと考え事してた。なら腹いっぱい食べてしっかり元取らないとね!……ま、味の方は学生の作った農作物だ。あんま期待できないけどさ。はは」

なんだがちょっと棒読みっつか、ヘッタクソな演技みたいな返事してしまって自己嫌悪。
でも晴ちゃんはそれにも訝しむ素振りすら見せず笑ってくれた。ふう。助かった。

「……ふふ。ほんとにそう思います?」

訝しむどころかだ。嬉しそうに笑って、大粒の真っ赤な苺を掲げて見せてきた。

「えっ?もう採って来たの?」
「えへへへ。春紀さんはい、あーん」

どうやらあたしが呆けてる間に速攻で採ってきたらしい。伊介様もびっくりだ。いたずらっぽく笑ってズイッとあたしの口元に差し出す。食べろってことだろう。ちょっと怯んだが遠慮無くパクつく。
大口開けすぎたのと、あたしが食いついたのと同じタイミングで晴ちゃんがもう一段階苺を前に差し出したせいで彼女の指までちょっと食べてしまった。柔らかくて、ちょっとしょっぱい。
もぐもぐ。……うまっ!何だこの苺!

「えへへ。ね?凄いでしょ?学生の手だからって侮れませんよね」

あたしの表情で反応を悟ったのだろう。まるで自分の手柄のように得意気に笑う晴ちゃん。花の咲くような笑顔ってのはこのことだろう。
だからこその罪悪感があたしの中で暴れ出す。正直、あたしはこの子を殺したくなかった。
この子は悪人だと思えない。走りが言ってたような極悪人の家族殺しには。

「ああ。甘くて、ジューシーで。ほのかな酸味も効いてるね。こんな美味しい苺生まれて初めて食べたよ」
「品種改良した、まだ市場にも出回ってない最新品種なんだそうです」
「そりゃ凄いね。こりゃ食い意地張らなくてもたくさん食べれちゃいそうだ」

演技を忘れるな。殺意を悟られるな。失敗は赦されない。
あたしは家族を幸せにするためにここにいる。自分に言い聞かせる。
そうだ。例え晴ちゃんが悪人だろうと、善人だろうと関係ない。

あたしはこの子を殺す。今日、この苺畑で。
……金の為に。

「晴もです!それじゃあ、行きましょう!」
「ああ!…………」

それからの苺狩りの時間は、ちょっとよく覚えていない。
平時ならどれだけ食べても飽きたらないくらい美味かったであろう最新品種の苺様も、その時ばっかりは美味いと感じなかった気がする。
きっとそれでもそこそこの数は食べたんだろう。我ながらもったいない精神というか、貧乏人根性には恐れ入るもんだ。
なぜなら、気が付いた頃には舌が苺の酸味でしびしびしていて、お互いの真っ赤な口元を指して笑い転げていたからだ。
どんなことを話したんだっけ。どんなことしたんだっけ。あたしはきっとどうかしちまったんだ。よく覚えていない。
でも、その時間がすごく楽しくて、愛おしかったのだけは、覚えてる。
……本当に、楽しかったんだ。そう、とても、楽しかった。

けど、そういう時間ってのは得てしてあっという間に過ぎ去るもんだ。
ああ。あっという間に、その時は来た。

「……ふう。晴、もうお腹いっぱいです!」
「はは、晴ちゃん急いで食べ過ぎだよ。ま、あたしは腹八分目ってとこかな」

晴ちゃんがたぬきみたいにお腹をポンポンと打って、ギブアップ宣言をしてきた。可愛らしくも間の抜けた仕草に思わず吹き出した。
この時、あたしはどんな顔をしていただろう。今がすごく楽しくて、時間が止まればいいと思っていた。
この苺狩りを通して、あたしと晴ちゃんは多分、親友になってた。この子は優しい子だ。そう確信した。
極悪人?とんでもない。この子が極悪人なら、この世の中に善人なんかいないさ。そしたらあたしなんかはどうなるんだ。地獄の鬼か?醜い怪物か?
それとも……血を吐き闇の底でのた打ち回るのが相応しい、本物の外道か。
ま、どちらにせよあたしは天国には行けない。晴ちゃんは……死んでから再開しなくて済むであろうことだけは少しだけ救いだった。

「春紀さんも晴と同じくらい食べてたと思うんですけど…」
「そりゃガタイの差だね。身体の大きさからして違うさ」

情けない声であたしにぶーたれる晴ちゃんに、力自慢のポーズを取って得意げに言ってやる。
この腕がこの優しい少女を殺すのだと思うと、今すぐにでも切り落としたくなった。

「でも、いくら好きでももうしばらくは苺はたくさんかな。口の中が酸っぱくってさ」
「晴もです。苺の酸味だけ口に残っちゃってしびしびする……」

苦笑いしてべぇ、と舌を出して見せた。すると晴ちゃんも同じ表情でべぇ、とする。
舌が真っ赤だった。ちょっと恥ずかしそうな晴ちゃんの顔が、あたしにはとても可愛いと思えた。

「晴ちゃん舌真っ赤」
「春紀さんもですよ。ふふ、お揃いですね」
「お揃いかぁ。確かに!あはははは!」
「あははは!」

二人してまた大笑い。その後、晴ちゃんがちょっと苦しそうにため息一つ。
あたしは頭の中が変になりそうだった。胸が苦しくて、悲しくて。でも、今更止めるわけにもいかない。
言おう。そう思うと意外とすんなりと言葉が出てきた。

「……ちょっと疲れた?人気のないとこ行って休憩しようか」

なんだこれ。マヌケなナンパ男の誘い口上みてェ。計画立てた時はもうちょっとスマートな口上だったと思ったんだけどな。
もしかしたら、そういう連中も計画段階ではイケてると思ってるんだろうか?だとしたら、今度からはちょっとだけああいう手合にも優しさを持ってやろう。間抜けっぷりに同情する。

「すみません。どこに行きましょう」
「さっき農場の端で日陰になってる雑木林見つけたんだ。人目にも付かないし、あそこなら何しても大丈夫だよ」
「…っ」

まただ。これ、色んな意味で怖いよな。自己嫌悪。それにきっと、怖い声が出た。晴ちゃんが息を呑み、一気に緊張したのが分かる。
ああ、やっちゃった……。警戒させちゃった。慌てて取り繕おうとして出たのは、最低なフォロー。

「……勿論、ゲロ吐いてもね」
「……あ、そ、そういうことですか?や、やだなぁ春紀さん。晴ちょっとびっくりしちゃいました。それに女の子が下ネタは駄目ですよ。あ、あはは……」
「はは、悪かったよ。さあ、ここからそんなに離れてないし、動けるかい?手を繋いであげるから連れてってやるよ」

なんとか、誤魔化しきれたって安堵した。でも、それが一層悲しかった。
いろんな感情を振り切ろうと、押し切ろうと強引に晴ちゃんの腕を掴んで現場へ連れて行く。
晴ちゃんはあたしに掴まれた一瞬だけ小さな悲鳴を上げたが、何も言わずにあたしに着いて来てくれた。
それがまたあたしには凄く悲しかった。晴ちゃんの柔らかい手首が、微かに震えていた。

ごめん。晴ちゃん。聞こえないとわかって、心のなかでそう謝罪する。すぐに、楽にしてやるさ。せめて少しだって苦しまないよう。そんな身勝手。
晴ちゃんと手を繋いで歩く雑木林までの時間は、悪夢のように長くもあり、幸せな夢のように短かくもあった。

「……着いたよ」
「すみません」
「……なに。気にすんな」

雑木林は苺狩りの途中で適当に見繕った場所だったが、あたしの予想以上に『仕事』には都合の良さそうな場所だった。
いつの間にか日が暮れはじめて、陽の光のほとんど届かないここは暖かく過ごしやすかった今日から取り残されていたように少しだけ肌寒い。
二人、適当な岩場に隣合わせで座って肩を寄せあった。持ってきた水筒のお茶を差し出すと、晴ちゃんは首を振った。もう大分お腹の方も落ち着いたらしい。
あたしもなんだか飲む気になれず、せっかく汲んだお茶に口も付けずに捨ててしまった。捨てられたお茶がふかふかの地面にゆっくりと染みこんでいくのをじっと見る。

「……ここ、ちょっと肌寒いですね。それに日の光が届かないから薄暗くて」
「……ああ」

とっくに見えなくなったお茶の行方をじっと見つめていると、晴ちゃんの静かな声があたしの耳に届いた。祭りの喧騒は、ここまで届かない。
晴ちゃんがあたしの目をじっと見る。近いと思った。あたしは思わず目を逸らす。後ろめたさだけじゃない。何かわからない感情も入り混じってた気がした。

「人通りも無いし、苺畑から意外に離れてる。晴がいくら大声を出してもここからじゃ誰も聞こえませんよね」
「……そうだな」

なおも晴ちゃんの静かな声は続く。あたしは唇を噛む。晴ちゃんの顔が、見れない。
晴ちゃんはあたしが居辛そうにしているのに気付き、寂しそうに笑いながら身体を反対に向けてくれた。あたしもなんとなく半身になって、背中合わせになる。

「……春紀さん」

背中から聞こえる静かな声は落ち着いていた。何かを悟ったような、まるで全てを赦そうというかのような優しい声。
あたしの心を締め付ける声。それはどんな責苦よりもあたしの心を傷付けた。何かが軋み、悲鳴をあげるような幻聴が、あたしにははっきりと聞こえた。

「……」
「……」

沈黙が訪れた。あたしはすでに、こっそりと懐からワイヤーを取り出していた。
今の距離なら、その気になれば一瞬で晴ちゃんの首を刎ね落とすことができる。そう、思った。

「……ねえ、春紀さん?」
「なんだい?晴ちゃん」

でも、あたしはそれをしなかった。
躊躇ったんだと思う。この簡単な仕事が、嫌で嫌で、堪らなかった。逃げ出したいと思った。もう辞めたいと思った。
でもそれをしたら全ては無駄になってしまう。だから、せめて晴ちゃんの他愛もない会話に付き合って、先延ばしにしようと思った。

「ねえ春紀さん。知ってます?苺には甘味を感じる味覚を活性化させる作用があるらしいですよ」
「……へえ。いっぱい食べたし、だとしたら今何か食べたらいつもより甘く感じるのかな」
「そうだと思います。春紀さん、何かおやつとか持ってきてます?」
「お茶はあるけど……なんだか飲む気にならなくて」

どうでもいい話だと思った。それがありがたかった。晴ちゃんとの、こんなにもどうでもいい会話が、何より優しく、悲しかった。

「晴もです。あ、さっきのお茶はごめんなさい。せっかくのご好意だったのに」
「いいよ。気にしない」
「ありがとう、春紀さん」
「……いいよ、お礼なんか言わないでよ、頼むから」

晴ちゃんの身体が震えているのが肩越しに分かった。
寒いのかもしれないと思い、羽織っていたセーターカーディガンを脱いでかけてやる。肌寒いと思ったけれど、気にしないことにした。
背中に感じる震えが少しだけ収まった気がした。

「いいえ。こんな機会滅多に無いし、ちゃんとお礼言っておかないと。春紀さん、今日晴の我儘に付き合って苺狩りに来てくれてありがとうございます」
「よしてよ」
「よしません。だって、本当に嬉しかったから。晴、同じクラスの友達が同じ好物だったって、それだけでも凄く嬉しかったのに」
「……そんなのたまたまだよ」

「まさか、その友達と一緒に出かけて、一緒にお腹いっぱいそれを食べれて、一緒に笑い合って。……晴に、そんなことができる日が来るだなんて」
「やめろって」
「晴、本当に嬉しかったから。春紀さんのお陰で、夢が一つ叶ったから。だから、ありがとう。春紀さん」
「……馬鹿」
「……はい。晴は、ちょっとお馬鹿なのかもしれません」

そう言って寂しそうに笑う晴ちゃん。それからまた、二人、沈黙。
居心地が悪かった。カーディガンが無くなって身体は冷えるし。辺りはどんどん日が沈んで暗くなっていく。
早く、決めなきゃいけないと思った。

「……馬鹿ってのは言いすぎた。ごめん」

でも、あたしはいつの間にかもう一度会話を引き延ばしていた。
何かを祈っていた気がする。誰に?神様にじゃない。天使にでもない。ましてや悪魔なんかにでもない。よくわからない、誰かに。
何を?それもわからない。家族を幸せにできること?晴ちゃんを殺すこと?それとも……赦されること?

「いいえ。きっと、晴は馬鹿です」

背中越しに消えてしまいそうな気配を感じた。それから背中に感じていた暖かさが消え、空気が動く。
晴ちゃんがこっちを向いたんだとわかった。あたしは動かなかった。

「さっきの話の続きですけど」

今度は耳元で晴ちゃんの声が聞こえた。少し、くすぐったいと思った。

「さっきのって、どの?」
「苺の話」
「ああ。苺を食べると甘さを感じやすくなるって話?」
「ええ。晴達、さっきまでいっぱい食べてましたもんね」
「だね。まあ、今となっちゃ確かめようがないんだけどさ。食べるもんも無いし」

相手がこっちを見てるのにいつまでも顔を背けて話をするわけにもいかない。
飲む気になれないお茶のことはあえて選択肢から外し、そこまで言って仕方なく声のする方を向いた。
晴ちゃんの顔が、信じられないくらいすぐ近くにあった。少しだけ、身体が強張った。

「いいえ。確かめる方法はありますよ」
「え?」

「試してみます?」

ただでさえ近かった晴ちゃんの顔が、さらに近づいて来た。

はじめに唇の柔らかさ。

次に、熱。

今までに味わったこともないような得も言われぬ甘さが口の中に広がり。

ああ。あたしは、その瞬間に気付いたんだ。

祈っていたのは、自分自身に対して。

赦してって。

もう赦してって。

あたしはずっと昔から、自分の流した血と涙の沼に沈みながら、そう祈り続けていたんだ。

肝心の赦しってやつの正体すら、掴めずにいるのに。

ああ。頼むよ、誰か。頼む。誰か。誰か。誰か。誰か。誰か。誰か。
誰かあたしのことを、この地獄から――









                       助けて。








「……ぷは」

それからどれくらい経ったのだろう。晴ちゃんにキスされてることを悟ったのは、それから随分経った後だったような気もする。
……実際は思考停止してたのはほんの数秒だったと思うけどね。
呆然としてたあたしの脳みそが再起動したのは、晴ちゃんが息継ぎをするために苦しそうにあたしの唇から唇を離し
――もっと正確に言うと、あたしの口内から舌を引き抜いた後――のことだった。
するとさっきまであたしの口の中を舌を信じられないような甘さで満たしていたモノが無くなり、あたしの口から思わず「あ……」という名残惜しそうな声が漏れた。

「な、ななな、いきなりなにすんのさ!?」

それを誤魔化すために……というわけではなかったけど、慌てたあたしは思わず晴ちゃんに抗議の声をあげる。
とにかく、このままでは暗殺どころの話じゃない。

「……ごめんなさい」

晴ちゃんがバツの悪そうな顔で謝ってくる。けれど今回ばかりはあたしだってそれで誤魔化されてやるわけにはいかない。

「ごめんなさいって、そんなこと言われたって!どういうつもりさ!?事と次第によっちゃあいくら晴ちゃんでも……」

これから殺す相手に向かって随分間の抜けた台詞だったが、今のあたしにとってそこまで考えが回るわけがない。
手をバタバタと振り回し、派手にかぶりを振って、大げさで滑稽なくらいの派手なリアクションをして意図を問いただす。

「……ごめんなさい」

返って来たのは、先ほどと同じく謝罪の言葉。ただし、今度はもっと悲しそうな顔。晴ちゃんの顔は、今にも泣きそうに歪んでいた。
……あたしは甘いんだろうか。そんな泣きそうな声で謝られると、後ろめたさもあって怒りも混乱もあっという間に雲散霧消してしまった。

「……謝んなくていいから。とにかく、どうしてこんなことしようと思ったのかだけ、あたしに教えてよ」

まさか苺の実験の証明をしてみたいって思ったわけじゃないんだろう?
そう言って優しく晴ちゃんの頭を撫でる。なんであたしが慰めてんだ、って思ったのは内緒だ。

「春紀さんのことが好きだったんです」
「……」

絞りだすような晴ちゃんの衝撃の告白。
絶句した。いろんな意味でね。だってそりゃあそうだろう。
そのいろんな事を自分の馬鹿な脳みそに納得させるために、簡単な質問をしてみる。
なんとなく、どんどん底なし沼にハマって沈んでいく自分の姿をイメージしながら。

「えーっと、それって、友達として?」
「一人の女の子として。……ううん。恋愛対象としてです」
「……わお」

それだけがあたしの口から出た全てだった。
言いたいことは幾らでもあった。恋愛対象として好きってなんだよ、あたしら同性じゃん、とか。
自分を殺そうとしてる奴に好意ってどんな神経してんの、とか。そもそも好きだからっていきなりキスする?とか。
苺狩り誘ったのってもしかしてそういう意図で?とか。他にもいろいろ。

言葉が出ない。思考回路はとっくに焼き切れた。
わけわかんねェ!!そう腹の底から、喉が破けるくらいの声で叫びたい気分だった。

……また、沈黙。

「晴をここで殺す気ですよね?」
「……ごめん」

しばらくして、ためらいがちに口を開いた晴ちゃんにいきなり核心を突かれてもう一回絶句した。
「ごめん」ってなんだよ、って自分に内心ツッコんだ。同時に、晴ちゃんはいつから気付いていたんだろうって考えて……。
すぐに、結論は出た。

「最初から知ってたな?」
「……はい」

なるほど、確かにこの子は馬鹿だ。肩を竦めてそう思った。
同時に、とてつもない勢いで怒りが湧いてくる。自分の殺意を棚に上げて、晴ちゃんに本気で怒鳴り声をあげる。

「っ!!馬鹿野郎!!ならなんでのこのこ着いて来た!!分かってるならいくらでも……いくらでも逃げ出すチャンスはあったはずだろ!!?」
「それでも!!!」
「っ!!」

だが晴ちゃんも負けていない。あたしに怒鳴り返す。気圧されて、話の続きを待ってしまった。

「……晴は、春紀さんと一緒に遊んでみたかったんです」

項垂れた晴ちゃんの顔は、涙と鼻水でぐしゃぐしゃの泣き顔になっていて、はっきり言ってブッサイクで見られたもんじゃなかった。

でも、なんでだろう。その顔がたまらなく愛おしく見えたのは。
なぜなんだろう。この子の突然の告白に、悪い気がしなかったのは。
なんなんだろう。この子のことを、ただただ抱きしめてやりたいと思う、湧き上がるこの感情は。
どうしてだろう。心が、こんなにも、苦しいのは。

「……晴に、こんなところで春紀さんから逃れられる自信はありません。兎角さんもいないし……襲われたらきっと一巻の終わりだと思います」
「…」
「でも、晴はまだ、死ぬわけにはいかないんです」
「支離滅裂だよ晴ちゃん。あたしは、どうすれば……」
「……晴と、一緒に生きてください」

「……」
「晴は、春紀さんと一緒に生きたいって、そう思ったんです」
「……」
「例え殺されるかもしれないって思っても……それでも、このタイミングしか無いって。そう思って……」
「だから、この……告白?のためにあたしを今日誘ったって?」
「はい」

「……東は、このこと知ってる?」
「兎角さんは、知ってます。相談に乗ってくれて、呆れながらも好きにすればいいって、そう言ってくれました。これが晴の生き方ならって……」
「……あいつも大概の馬鹿だな」

そうだ。あのカレー馬鹿め。否。馬鹿カレーめ。
でも、当然晴ちゃんはもっと馬鹿だと思う。
でもでも、あたしも、きっと、もっと、もっともっともっと、ずっと馬鹿だ。

………

……






………あーもうっ!!!









 

「……むぐっ!?」

ぐしゃぐしゃの顔した晴ちゃんの、隙だらけの隙(日本語が変?知るかっ!!)を突く。
あっさりと唇を奪う。……いや、さっき奪われたから、奪い返すって感じかな。

驚愕で目を大きく見開く晴ちゃんを、まだまだこんなもんじゃないよと言外に伝える意図で抱き寄せる。
さっきまで震えていた肩が、ぎゅっと強張るのを感じながら気にせず後頭部に手を廻す。
これなら例え悪い子が苦しそうにバタバタ暴れても、頭を抱えられてるから逃げられなくなるって寸法だ。

さっきからあたしのこと好き勝手振り回しやがって、今度はあたしが晴ちゃんにやり返す番だ。
そう思ってなんでか固く閉じられている唇を舌で無理やりこじ開けた。やっぱり甘い。
しびれるような気持ち良さがあたしの舌を満たす。幸せな味だと思った。

晴ちゃんはどう思ってるだろう。同時にそう思った。
こんなにも美味しい甘さを味わっているなら、きっと晴ちゃんだって幸せだと感じてるはずだ。
手前勝手で都合の良い思考があたしの頭を支配する。

もっと味わいたい。味あわせたい。あたしは身勝手だ。でも、どうにも止められない。求めたい。求められたい。奪い合いたい。
これは征服欲ってやつなのかもしれない。苺で真っ赤になった晴ちゃんの舌に、苺で真っ赤になったあたしの舌を無茶苦茶に絡める。
あたしらの口の中で、グチャグチャと水と水と空気とが交じり合う下品な音がした。

「んっ……」

晴ちゃんの喉から小さく声を漏れる。気にしない。
晴ちゃんの舌があたしから逃れようと口の中を逃げまわる。逃すわけがない。
執拗に追いかけて、丁寧に舐めまわす。全部だ。この子の舌の表面という表面を全てあたしの舌で撫で回し尽くしてやろう。
あたしから逃れようと喉の奥に舌を隠そうとしたら、今度は歯茎を舐めまわす。口蓋を舐めまわす。全部しつこく舐めまわす。優しくだ。激しくだ。卑しくだ!

晴ちゃんがゆっくりとあたしの首に手を回す。殺意は感じない。そのまま腕を絡め、唇が押し返された。
柔らかい胸があたしの胸に押し当てられ、あたしの身体に少しだけ晴ちゃんの体重がかかる。温かい。柔らかい。軽い。愛おしい。苦しい。

ああ。苦しい。息苦しい。辛い。熱い。寒い。痛い。胸が。心が。身体が!震える。疼く。病む。魘される。柔らかい。疼く。熱い。苦しい。
疼く。疼く。疼く疼く疼く疼く疼く。苦しい。苦い。渇く。痛い。重い。助けて!

滅茶苦茶に狂ったあたしの心と身体が、甘さと癒やしを求めて晴ちゃんの唇を乱暴に貪り尽くす。
いくら貧乏人で下品な育ちだからって、他人様の口の中の甘露にさえ喰らいつくのか、って頭の中の冷静で皮肉やな自分がジョークを飛ばす。
うるせえ。死ね。皮肉屋で馬鹿で間抜けな自分を1秒で殺す。晴ちゃんの唇からは苺の甘酸っぱい匂いが漂っている。

ようやくその気になったのか求めるようにあたしの唇に舌を押し当ててきた。少しだけ意地悪をして唇と舌で侵入してこようとした相手の舌を思いっきり挟み込む。
晴ちゃんが目を白黒させているのが愉快だ。しばらくその顔を楽しんでいたかったが、すぐにまた泣き出しそうになったのでそこで意地悪は止めた。
晴ちゃんがあたしの口の中で甘さを求めて下品に舌をねぶりまわす。あえてされるがままにしてやるあたしは、余裕があるようでその実気が狂いそうだった。

次の問題は呼吸だ。口が完全に塞がった晴ちゃんは、しばらく耐えていたが遂に諦めて鼻で大きく息を吸い込んだ。
躊躇うような鼻息があたしの鼻っ柱に当たってくすぐったい。晴ちゃんが恥ずかしそうに身悶えするのがわかった。
あたしはわざと晴ちゃんの真似をして大きく鼻息を吸い込んで、吐き出した。晴ちゃんがくすぐったそうにまた悶える。可愛いと思った。

鼻から息を吸ったはいいが今度は吐き出すのもまた躊躇していた晴ちゃんが、仕方なさそうに弱々しく息を吐き出す。
あたしはもう一度鼻息を吸い込む。晴ちゃんも真似をする。吐き出す。真似をする。繰り返す。繰り返す。だんだん間隔が短くなる。二人共遠慮がなくなってくる。
下品になれ。あたしは晴ちゃんに目でそう念じ続けた。晴ちゃんは慎みを捨てきれないようだった。
どこかでまだ困惑してる。馬鹿だな、と思った。

どうせアンタはあたしからもう逃げられないんだ。だったら、もういっそ諦めて堕っこちちゃえばいい。
何を躊躇ってんのさ。最初に仕掛けたのはそっちだろ。今更やっぱ無しってのは通らないよ。当たり前だろ?
さあ、獣になる方法を教えてやるよ。理性っていう名の綺麗な服着た自分を捨てるんだ。簡単だろ?ほら、やってみな。

あたしは晴ちゃんにそう伝えた。言葉でじゃない。心でだ。
それはきっとあたしの自分勝手な幻想であって、思い込みだったのかもしれないけど。
でもなんでかわからないけど、その時あたしの心は一語一句全部、晴ちゃんに伝わっていたんだという根拠の無い確信があった。

その証拠に気付けば二人、ほら。イノシシみたいに鼻息荒らげて、ライオンみたいにお互いの舌を貪っていたんだから。
だからこそこの瞬間、あたしは思う。きっとその時の必死な願いっていうか、願望みたいなもののことを、祈りって呼ぶんじゃないだろうか、って。
……ってことは、きっと今までのあたしのお祈りなんて子供のおままごとみたいなもんだったんだろう。叶ってなくて当然だったのかもね。



しびれるような甘さが、いつまでも消えない。
いつまでも甘い。甘酸っぱくて切ない。
まるであたしたちの大好きな、苺のように。

だから、あたしらはいつまでもその大好きな味を貪り続けた。
いつまでも、いつまでも。ずっと、ずっと。

きっと。

絶対。

この味は、一生忘れないだろうって思った。

ずっと、ずっと、忘れないだろうって。

そう思った。






「ごめんな、晴ちゃん」






選択肢



晴ちゃんは春紀を赦しますか?

時間制限はID変わる時間まで。多数決。

リドル的に赦す一択!
とか言いつつ、選ばれなかった選択肢のルートも書いていただけるのでしょうか…?

抵抗はするだろうが、赦しちゃうよなぁ……。

世界は赦しに満ちている

「赦すよ。だって、春紀さんは晴のこと、受け入れてくれたから」

「ごめん……」

自己嫌悪と情けなさで声を震わせ、あたしはガキみたいに泣いていた。
食いしばっても食いしばっても、嗚咽が漏れる。涙が止まらない。声が震え、心が軋む。
そんなあたしの頭を優しく撫でて、晴ちゃんは優しく、嬉しそうに、笑った。

「ありがとう、春紀さん」
「ごめんな、晴ちゃん。ほんとごめん……。あたし……最低だ……!!」
「ううんいいの、春紀さん。だからどうか泣かないで」
「でも……!」

それ以上何も言わないで。晴ちゃんの目はそう言っていた。
あたしはそれで気付いちゃったんだ。晴ちゃんも、あたしと同じだったんだって。

これは後から走りのやつから聞いて知ったんだが、晴ちゃんの人生はそれは壮絶なものだったらしい。
だから、あたしは分かった。この子は疲れてたんだ。生きることに。誰かの犠牲の上に立って笑うことに。だって、この子は誰よりも優しい子だから。
でも晴ちゃんは、その優しさゆえに自らのために死んでいった人たちの分も幸せに生きなければならないと、自らにそれを科した。
その瞬間に、晴ちゃんは誰を犠牲にしてでも幸せに生きなければならないという呪いにかかったんだ。

勿論人並み……いや、それ以上に願望はあっただろう。夢だって。希望だって。やりたいことだっていくらでもあった。
幸せになりたい。心の底から笑いたい。救われたい。受け入れられたい。愛されたい。赦されたい。そんな祈り。
小さな背中にたくさんの命の責任を背負って……呪いの名は、命。罪の名も、命。罰の名は、犠牲。

晴ちゃんはそれでもなお笑った。
あたしも精一杯の笑顔を作った。でも、きっと笑ってるような顔にはならなかったんだろう。

あたしは武器を握って泣いていた。
知らず知らずのうちにワイヤーをあたしの血が伝っていく。気付かない内に手で固く握りしめていたからだ。
晴ちゃんはただ満足そうに笑っている。首に回したあたしの手から零れ落ちた血が、晴ちゃんの服を赤く染めていく。

「ありがとう」

あたしはこれから晴ちゃんに救われる。
晴ちゃんの死によってあたしは黒組の勝者となり、家族全員を一生食うに困らせないだけの金を得る。
晴ちゃんは愛するあたしの手で死ぬことであたしとその家族を救い、あたしの心に一生残る。

死んだもののために生きるのではなく、生きる者を救うために死ぬ。なんて陳腐な話だろう。
でも、それはきっと死にゆく者に自分勝手な満足感を与えてくれる死に方でもあるに違いない。
そしてこの子は、生きる苦しみから解放されるんだ。

ずるいと思うかい?
ずるいと思うよな。

でもさ。この子のことを罪深いと責める権利なんか誰にもないんだ。
この子の弱さを自分勝手と責め立てるなら……それはもう人間の所業じゃない。

晴ちゃんが目を瞑った。あたしは何も言わなかった。
ただ、もう一度だけ晴ちゃんの唇にキスをした。晴ちゃんの唇はやっぱり信じられないくらい甘くて柔らかくて。
ちょっとだけ、しょっぱい味がした。

「ありがとう、春紀さん」

晴ちゃんがまた笑った。
それがあたしが見た最後の晴ちゃんの顔だった。

「ううん。こっちこそ、ありがと。苺、美味しかったよ」

最後に晴ちゃんがまた何か言おうとしていた気がしたけれど、あたしにはもうそれに気付いて反応してやる余裕なんてなかった。

晴ちゃんの首は、苺のヘタみたいに簡単に外れて、ゆっくりと地面に落ちた。






それからというもの、あたしは人を殺していない。




黒組の報酬はあたしがたまたま買った宝くじが大当たりしたという設定で口座に振り込まれ、それ以来我が家は金に困ることはなくなった。

大金が入ったからといって、生来の性分を変えることには抵抗があった。というか、金に溺れて転落人生なんてまっぴら御免だ。
資産はきっちりキツ目のがま口で締めて、我が家は今日は相変わらずの貧乏長屋暮らし。
ちょっとだけ変わったのは、そこが持ち家になり、それなりのリフォームが施されて、テレビやエアコン、なんとゲーム機まで揃っている。

ま、せいぜいそこらの一般家庭並みの生活ってところだ。
これから下の子どもの進学ラッシュを考えると、実はそこまで贅沢もしていられない。
その程度の報酬設定だ。ま、あえてそうしたんだけど。

「姉ちゃん、お帰り~」
「お~。ただいま~」

それでも、たまの贅沢はできるようになった。
今日もこれからパーティーだ。え?なんのパーティーだって?ああ。それはさ……。

「あ、お帰りおねえちゃん。今日はご馳走だからね。楽しみに待ってるんだよ」
「あっ、馬鹿!」
「おっ?マジで?今日はなんかいいことでもあったっけ?」
「ほら絶対忘れてるだろうから内緒にしとくって言ったのに……」

あたしのすっとぼけた演技に、まだ幼い末の弟がきっちり騙される。
妹の冬香はもうそんなとぼけた真似には騙されない年になってるからか、そんなあたしをちょっと咎めるような目で見て、肩を竦めてみせた。
悪い悪い。そうジェスチャーして謝っておく。
我が家の財布と食を司る権力者『妹』の機嫌を損ねたんじゃ、折角パーティーの主役なのに冷や飯を食わされかねない。

もう、と苦笑いして、冬香がしっしとあたしを台所から追い払う。
素直に逃げ出し、記念すべき自分の誕生日と、美味しいご馳走と家族の暖かい祝福に思いを馳せる。

お寿司に、オードブル。サラダ。プレゼントもいくつか用意されてるのを知っている。
それに何と言ってもの楽しみは食後のケーキだ。大好きな、苺が乗ったショートケーキ。
いくら金が手に入ってもこれがやっぱ一番。
貧乏臭い?ほっとけ。

そうこうしてる内にチビ達があたしを呼びにきた。食事の用意ができたらしい。
あたしはまた演技する。今日はなんかあったっけかなーなんて呟きながらね。
で、チビどもの演出したサプライズ誕生日パーティーに盛大に驚いた振りをしてやるんだ。
これも家族サービス。

パーティーは美味しい食事と繰り出されるプレゼントの数々、そしてあたしの派手なリアクションで盛況のまま続く。
宴もたけなわ、ガキどもがケーキを待ちきれず、今か今かとそわそわし始めたのを、あたしは目を細めて見守っていた。

弟妹達がケーキを美味しそうに食べるのを見届けて、あたしは満腹になった。
下の子らの何人かがうとうととし始め、冬香が食器を下げ始める。
何人かの上の子らがはしゃぐ中の子らを連れて風呂に行った。
母さんが眠ってしまった子どもたちを寝室に連れて行った。

気付けばあたしは一人になっていた。

一人になって、あたしははじめてケーキを口にした。

美味しかった。

最後に苺が残った。

あたしはそれを摘んで観察することにした。

赤くて、丸々とした苺。青々としたヘタ、粒のしっかりした種。よくわからないが、きっと高級なものなんだろう。
きっと美味しいに違いない。甘酸っぱくて、ジューシーで。

我慢できずに口の中に放り込む。
やっぱり美味しかった。

先日、東兎角があたしを訪ねてきた日のことを思い出す。殺されるのを覚悟していたけど、そんなことはなかった。

晴ちゃんが覚悟の上だったのを知っていたからだろう。自業自得だあのバカめ、と寂しそうに独りごちていたのを見て申し訳ない気持ちでいっぱいになった。

「なあ、ちょっと聞いてもいい?」
「なんだ」

ぶっきらぼうなもとクラスメートに、気になってたことを聞いてみた。

「晴ちゃんはどうしてあたしのことなんか好きになったんだろうな」

なんか聞いてる?
場合によっては挑発とも取られかねない危険な発言だった気もするが、それでもどうしても気になったんだから仕方ない。
案の定東サンは少しだけ嫌そうな顔をした後、律儀に答えてくれてから帰っていった。

「晴は、お前のことが気になると言っていた」
「いやそれは知ってるさ。だから知りたいのはなんでそういう感情をあたしに持ったのかってことで」
「お前が一番、赦しって言葉から程遠い女に見えたからだとさ」
「……はぁ?」
「お前、自分のこと嫌いだろ」

曰く。

あたしは自分のことを絶対に赦せないって顔をしてた。
幸せになることも、報われることも。
だから悲しかった。
救ってあげたいと思った。
そうやって見つめている内に、あたしのことをもっと知りたいと思い始めた。

晴ちゃんは、あたしのことを、自分を赦すことのできなかった自分だと思っていたらしい、とも。

「なんだよそれ……」

つまり、それってどういうこと?

「晴はな。世界が赦しで満ちていて欲しいと願ったんだ」

馬鹿げているだろう?でも、あいつはそうであって欲しいと本気で思った。
だから、私もお前を殺さない。

それが東兎角流の赦しだそうだ。

結局、東兎角の来訪はあたしには何一つ納得できるものを残して行かなかった。

意識を今に戻し、口の中で咀嚼した苺の残骸をコロコロと転がり回す。
あれから誰ともキスをしていない。この苺も確かに美味しいけど、あの甘さは望むべくもない。

「なんだかなぁ」

どうやらあたしは晴ちゃんによって赦されたそうだ。
だから生きている。晴ちゃんを殺したのに東兎角に殺されずに済んでいる。
それもどうも肩透かしを食らったような感覚で、なんだか腑に落ちずにいるがどうやらそういうことらしい。

「結局、あたしは何を赦して欲しかったんだろう」

自分のこともわからないのに、なんでか生きている。死んだ魚みたいな目で、それでもなんとか生きることを赦されている。

苦しみも喜びも、なにもかもが中途半端な世界。あたしはそこで今、全てを赦された。
欺いたことも。騙したことも、隠したことも、傷付けたことや殺したことさえも。
ただ唯一、藻掻き求めることだけを赦されずに生きている。
そしてこれからも、こうして生き続けるのだろう。
だとしたら、ああ。

この世界はなんて赦しに満ち溢れ、そして息苦しいのだろうか。

口の中で意地汚く転がり回し続けた苺の残骸の味が遂に感じられなくなり、あたしはようやく味わうことを諦めてそれを飲み込んだ。




BADルート「世界は赦しに満ちている」

終わり

書いてる本人がよくわかってないから深い意味は求めるなッス
シリアスっぽい地の文リドルss書いてみたかっただけッス

いずれ赦さないよルートも書きたいから残しとくッス

乙ッス
待ってるッス

おおお今まで春伊一択だったが春晴も素晴らしいね……乙!哉

乙っス!
地の文読みやすくて良かったっス

このSSまとめへのコメント

1 :  SS好きの774さん   2014年08月19日 (火) 04:49:43   ID: gwP0rk0P

赦される

2 :  SS好きの774さん   2014年08月20日 (水) 00:36:00   ID: mGd1MwZl

許すんじゃない?

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