ヘドニスティックおねえさん (15)


特にやることもないから散歩に出る。

ついさっきセミの声に起こされたばかりなのに陽は少し西に傾いていて、自分のぐうたら具合をひしひしと感じてしまう。

十分ほど歩いたところで並んで河原に腰かけている学生服の男女が目に入った。

聞こえてきた会話から察するに先輩後輩の関係なんだろう。二人とも淡々とした口調だけど、わざわざこんな所で雑談をしている辺り楽しいんだろう。

「少し不思議なふいんきが好きなんです」

「僕も好きだな」

そんなやり取りが耳に入る。

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それはふいんきじゃなくて雰囲気だ、と心の中で会話に突っ込みを入れながら二人の後ろを通り過ぎる。

Tシャツに汗がにじむ。タオルでも持ってくれば良かった。

自分の用意の悪さを恨む僕を一台の自転車が追い抜く。荷台に座った女の子のロングスカートが風になびいている。

女の子の腕は自転車を漕ぐ男の子の腰に回されていた。

はぁ、とため息を吐く。僕の気持ちは二組のカップルを見たことで滅入りきっていた。

なんで折角の休みにこんな気分にならなきゃいけないんだ。

何か買い物でもしようかと思ってたけど、やめだ。不快感と劣等感に耐え切れず、家へと足を向けた。


ボロアパートの扉を開くと、蚊取り線香の匂いと共に閉じ込められた熱気が纏わりついた。

部屋にいる蚊を一網打尽にしようと、閉め切った部屋で蚊取り線香を焚いたのは失敗だったと後悔する。外に出たことに対してのを含めるとこれで二度目の後悔だ。

狭い部屋を突っ切って窓を開けると、部屋にこもった熱気と生ぬるい外気が交換される。

休みだからって無理に何かしようとする必要なんてない。そう思いながら網戸を閉め、畳の上に寝転がった。

誰かが外で吸ってるんだろう、網戸から流れ込んでくる煙草の臭いが蚊取り線香の香りと混じる。

不快な臭いをシャットアウトするために窓に手をかけたところである事に気付いた。

煙がすぐ近くから流れてきている。濃い煙はすぐ左から流れてきているようだ。


文句の一つでも言ってやろうと思って網戸を開き窓柵に手をかけ、身を乗り出す。

隣の部屋の窓柵に身体を預け、ゆっくりと煙を吐き出す見知らぬおねえさんがそこに居た。

いつの間に入居したんだろう。一週間くらい前までは空き部屋だったはずだけど。

「ああ、臭った? ゴメンね」

そんな事を考えている間に僕に気付いたおねえさんは、そう言って窓枠に煙草を押し付け、火の消えたそれを下の舗道に放り捨てた。

「お詫びに麦茶でもどう?」

気だるそうな顔で笑うおねえさんは、冗談っぽく手招きした。


「おや、ホントに来てくれるとは思わなかった」

隣の部屋の扉をノックした僕を、おねえさんはそう言って迎えてくれた。

「ちっちゃいテーブルも買っとくべきだったか」

窓から夕陽の射し込む部屋で胡坐をかいて座っている僕の前にガラスのコップが置かれる。

「氷は?」

そう聞かれても、正直言って僕はそれどころじゃなかった。脱ぎ散らかされた服や下着が視界に入って仕方がない。

おねえさんもおねえさんでTシャツにホットパンツと、直視していると色々不味いことになりそうな服装をしている。

「どうしたの?」

その声で現実に引き戻される。二つでお願いします、と僕は言った。


カラン、と小気味のいい音を立ててコップに氷が落とされる。

「うん、ちゃんと冷たい」

氷を手放した指を自分の首に這わせ、冷たさを確認するおねえさん。意識してしまうとその動作一つ一つに色っぽさを感じてしまう。

「最近は特に暑いよね。薄着してるのに汗だくだ」

ぱたぱたと手うちわをあおぎながら冷蔵庫から麦茶を取り出すおねえさん。

おねえさんの大きな胸に引き伸ばされた白いTシャツは、黒文字のプリント部分以外は汗でピッタリと肌に張り付いてうっすらと透けている。

「そういう時にはやっぱり、麦茶が一番だ」


僕の向かいに膝を立てて座ったおねえさんは、そのまま身体ごと容器を傾けてコップに麦茶を注ぐ。

麦茶の波にのまれて氷がクルクルと回るが、僕は他の事で頭がいっぱいだった。

汗に濡れて光る鎖骨、膝に押し付けられて形の歪む胸、夕陽を浴びて朱に染まった太腿。僕の視線はおねえさんに釘付けだった。

「はい、どうぞ」突然おねえさんが顔をあげ、僕に麦茶の入ったコップを差し出した。

平静を装いながらありがとうございます、と受け取り一気に飲み干す。カラカラだった喉が潤っていく。

「そんなに好きなんだ」

僕の飲みっぷりを見て、おねえさんが言う。


夏と言えば麦茶ですから、と答えた僕におねえさんはきょとんとした顔をしながら「うん? ……ああ、そうだよね」と麦茶に口を付ける。

「ちょっと一服させてもらうよ」

ポケットから形の崩れた煙草の箱を取り出し、中から一本引き抜く。

くわえた煙草にライターで火をつけながら「いる?」とおねえさんは僕に箱を向ける。

首を振って煙草は吸わないんです、と答える。

「それじゃあ失礼するよ」

すぐ隣にあった窓におねえさんが腰かけた。手を伸ばさなくても触れそうな位置に、すらっと伸びた脚が投げ出される。


「タバコ、吸ったことないの?」

おねえさんがゆっくりと煙を吐きながら聞く。僕は無言で首を縦に振った。

ふーん、とおねえさんは興味なさげにまた煙の素をくわえた。次の瞬間。

僕の口から煙が流れ込んできた。目の前にあるおねえさんの目が笑う。

おねえさんの視線が、柔らかい唇の感触が、煙に満たされていく僕の頭をかき混ぜる。

「じゃあこれが初めてだ」

ゆっくりと離れていく互いの口から煙が漏れ出している。


「おかわりするかい?」

少し無理のある体勢だったのか、おねえさんは腰に手を当てて微笑む。

「遠慮しなくていいよ。そのために呼んだんだし」

かなりどもったと思う。でも僕は確かにお願いします、と言った。

「素直なのはいいことだよ」とおねえさんは煙草を窓の外に手放して、僕の前に座る。

おねえさんが身体を前に傾け、僕との距離がゆっくりと縮まっていく。

ゴクリと唾を飲み、僕は目を閉じた。


こぽこぽこぽ、と予想外の音が聞こえ、思わず僕は目を開けた。

見ると、おねえさんが僕のコップに麦茶を注いでいた。

「はい、麦茶のおかわり」

おねえさんの微笑みは窓枠に腰かけていた時とは打って変わって意地の悪いものになっている。

「好きなんだねぇ、やっぱり」

違うよね、して欲しいことはこれじゃないよね? ちゃんと言ってくれないと分からないよ?

おねえさんの目がそう言っている。お預けを喰らった気分でまた麦茶を飲み干す。

『もう一度煙草を吸わせてください』何度も脳内で繰り返し、声を絞り出す。あ、あの――


「あ、ヤバい」

僕の後ろを見上げ、おねえさんが立ち上がる。

「ごめん、そろそろバイトの時間だわ」

多分着替えたりしないといけないのだろう。お邪魔しましたありがとうございます、と早口に言って僕は外へ向かう。

「そうだ、最後に一つ」

僕が玄関の扉を開いたところで、おねえさんに呼び止められる。

「タバコが吸いたくなったら、またおいで」

気だるそうな顔で笑うおねえさんは、冗談っぽく手を振った。

僕はヘビースモーカーになるだろう、きっと。

これにて終了です。煙草を吸ったことがないのはこういう形で初めての喫煙をしたいと思ってるからです
キスもまだなのはこれもまた同じ理由なのです。多分


夏の描写がすごいな、どこか現実感のない非日常って感じがありありと想像できた

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