ある旅行者の話 (30)
長い旅路を終えて、私はついに目的地にたどり着いた。
途方に暮れるほど長い時間、私はこの船とともに過ごし、いつかたどり着く目的地に思いを馳せていた。
約千年。詳しく言うと1024年間。
私たちの夢であった時間旅行は、人類の科学と情熱によって達成されたのだ。
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冷凍された体がじわりじわりと溶けていく。
指先から始まり、瞼、唇、股間、そして心臓。
冬を越えて、希望に満ちた春が訪れるようだ。
私はあえて目を閉じたまま、通気口から新たに生産される空気を吸い込んだ。
ひんやりとした空気が鼻を通り、肺へ流れ込み、胸に広がる心地よい感覚を存分に楽しむ。
私は、ゆっくりと上体を上げて息を吐いた。
上下する胸の筋肉がパキパキと鳴る。首を回し、手を握ったり開いたり、
あらかじめ決められていたマッサージのメニューを頭の中で確認しながら、私は入念に自分の体をほぐしていった。
2時間ほど時間をかけ、マッサージを終わらせると私は自由に行動できるようになる。
私は、まず船に備えてあるシャワー室に向かい、体にこびりついている垢を洗い落とした。
顔をガシガシと洗い、髭を慎重に剃り、歯を丁寧に磨いた。
熱風を利用し髪を乾かすと、私は清々しい気分になった。
それは、私が千年前に行っていた朝の習慣を終えたときと全く同じ気分であった。
シャワー室を後にして、食事をとることにする。
と言っても、私の体はすでに食事を必要としないのだが(科学による肉体改造なのだが、詳しいことは自分でもよくわからない)
いつもの調子を戻すために、あえて船で食事ができるよう頼んだのである。
コーヒーを挽き煎れ、トーストと卵を焼き、レタスとトマトで簡単なサラダを作る。
超越した科学は、食材を腐らせないらしく、食材は保存棚に出発した当時と変わらぬまま陳列されていた。
テーブルに座り、千年ぶりの食事を味わう。
正直な話、これが美味であるかどうかは関係がない。
あくまで、私の精神状態を安定化させるための食事であり、その行動を行うということに対して意味があるのだ。
しかし、この食事は私の心を震わせてしまった。
コーヒーが喉を満たし、トーストと卵は胃を、レタスとトマトは口内を、
信じられないほどの幸福を私にもたらせてくれたのである。
食事を終えて、私は唸った。
千年ぶりに直面する、自分の欲に私は戸惑ってしまったのである。
今まで、このように食事に対して心を震わせる経験を私はしてこなかった。
その結果、私はいま、自分がとびきり特別な空間にいるのだと気付いてしまったのである。
日常の習慣によって誤魔化そうとしていた、非日常に対する恐怖が一瞬で体を駆け巡る。
私はもう一度、深く息を吸い込み、落ち着こうと試みた。
そうだ、私は何をするべきだったか、確かめなければならない。
時を飛び越え、何を成すためにこんなところにいるのか。
頭の中でやるべきことを暗唱した。
「 」
何も浮かばない。
じんわりと、心に靄がかかる。
「 」
腕を組み、歯を食いしばり、私が時を超えた理由について考える。
「 」
先ほど食べたキツネ色のトーストと、鮮やかなトマトが頭に思い浮かぶ。
「 」
先ほど食べた朝食だけが、淡々と私の頭の中を満たしていた。
今日はここまでです。
遅筆で不定期更新ですが、よろしくお願いします。
先日読んだたんぽぽ娘は面白かったな
どうしようもない焦燥の中で、私はポッドの中に残っていたコーヒーを啜った。
先ほど私の喉を潤したはずのコーヒーは、先ほどより苦く、舌を痺れさせた。
カップを持つ手が震える。
人間の本来の姿ならば、額を止めどなく汗が流れるはずのだが、水分を必要としないこの体からは一滴の水分も出ることはない。
私は、コーヒーをグイと飲みほし船の中を探索することにした。
いくらこの計画が極秘であっても、計画書のひとつやふたつ存在しているだろう。
この船の大きさは、大きめのリビングとキッチンがセットでひとつ、
こじんまりしたシャワー室と洗面台がセットでひとつ、
冷凍保存用の透明なカプセルが置いてある空間が単独でひとつ。
その3部屋である。
私は、舐めるように部屋を探し回った。
しかし、探す時間が増えれば増えるほど眉間にしわが寄り始め、
手振りは大げさになり、息が浅くなっていった。
結局、私の目的に関する資料は見つからず、
部屋を何度も何度も往復するだけのつまらないトレーニングになってしまった。
私は途方に暮れた。
そして、だんだんと怒りが募ってきた。
何度も同じ部屋を歩き回るうちに、私をこんな状況にさせた奴らに腹が立ってきたのである。
気付けば、私はこれまで連中に扱き使われていたような気がする。
私は、もしかすると、頭の悪いサルのように安全性の調査のために送られた、
単なるモルモットに過ぎないのではないか。
なんてことだ!私は、柵に囚われた動物ではないか!
そう考えると、この状況は些か不安ではあるが、
私にとって自由を手に入れるための好機なのかもしれないと思えてきた。
何からも縛られることもなく、新たな時代に、自由に生きることのできるチャンスなのではないか。
そう考えることにより、私を押し潰そうする不安が徐々に軽くなっていくのを感じた。
そうだ!私は、自由だ!
私は、失っていた目的を取り戻したような気分になった。
棚に閉まってあった新品のシャツに袖を通し、
髪を整え、小物が詰まったスーツケースを抱えて、意気揚々と外とつながるドアの前に立った。
「この一歩は、世界にとって大きな一歩だが、私にとっては何て事のない一歩だ」
ノブを強く握りしめて、自由へとつながる扉を開ける。
さぁ、私の希望に満ちた未来が待っているだろう!
そう意気込んだ先に待っていたのは…
とりあえずここまで。少し時間を開けてもう少し書きます。
>>12 タンポポ娘面白いですよね。
と思いましたが、今日はここまでにします。
ありがとうございました。
最初、私は世界の一面が血で染められているように見えた。
鮮やかで光を拡散するような鋭い色をした赤。
外につながるドアをゆっくりと開けた瞬間、私はつい顔の筋肉を強張らせた。
赤、赤、赤、
見渡す限りの『郵便ポスト』が敷き詰められていたのである。
拓かれた平地に、等間隔に敷き詰められた郵便ポストは何処までも続いており、
右を見ても、左を見ても、それこそ墓地にある墓石のように並べられていた。
私は戦慄した。
誰かの手によって管理されたであろう無数のポストたちは、
ただそこに何も言わずに存在している。
そのある種の完成された存在美に、私は劣等感にも似た感情を覚えた。
私は、恐る恐る船から降り、一番近くにあるポストに向かった。
光沢のある表面に手を伸ばし静かに触れてみる。
驚くべきことに、このポストは無機物にあるまじき温度を発していた。
具体的に言えば人の温度。
血が流れる人間の肌の暖かさが、そのポストから感じられたのである。
私はとっさにポストから手を放しブルブルと震え、涙がこぼれそうになった。
(涙を流せないことがこれほど不幸なものだとは思わなかった!)
今、目の前で起こっている理解を超えた現実にうちひしがれてしまったのである。
私は、震える声でポストに話しかける。
『あなたは…生きているのでしょうか…?』
今まで、私はこんな情けない声を上げたことはない。
常識に考えればポストが言葉を持たないことは当たり前であるし、
まして自我を持って『はい、そうですよ』と答えることもあるまい。
しかし、私はこのように狂人じみた行動をせざるを得なかった。
この幻想のような出来事に自分が足並みをそろえなければ、
私を形成する大切なものが砕け散ってしまうと、直感的に、本能的に、理解したのである。
ポストは、依然としてその立ち振る舞いを変えず、ただその場に存在するだけだった。
私は、もう一度ポストの表面に触れてみることにした。
暖かな血の流れが、たしかに感じられる。
ペタペタと観察を続けているうちに、だんだんと心が落ち着いていくことに気が付いた。
なるほど、千年ぶりに触れる血の暖かさと言うものは、たとえポストであったとしても緊張を解す人の暖かさなのだ。
少し心が冷静になった私は、改めてこの場を観察することにした。
地面には薄黒い苔のような草が敷き詰められており、そこから無数のポストが生えている。
上を見上げると、そこは闇であった。
夜の持つ闇ではなく、何処までも深い井戸を見下ろしたような、筒抜けの空洞による闇であった。
なるほど、ここはどこかの施設であり、この異様な環境にも意味があるのかもしれない。
微かに残る生きているモノの気配に、私は勇気づけられた。
ここで、立ち止まっていてもどうしようもない。
私は、都会のビルのように立ち並ぶポストの間を歩き出した。
右を見ても、左を見ても、完璧に統一された赤いポストの集団がこちらを監視している。
ここで、私は大切なことに気が付いてしまった。
ここに並ぶポストたちには、あるべきはずの『口』が存在していなかったのである!
そう、郵便物を入れるための開け口が、この無数のポストたちには一向に見当たらなかったのだ!
私は、いよいよ恐ろしくなった。
先ほどまで、ポストだと思っていたモノは、『血の通った得体の知れない物体』なのである。
私は、この世界において『ポスト』という理解できる物体の存在によって、かろうじて自分の心における常識を保ってきた。
しかし、もうそれは通用しなくなった。
千年と言う時の深さから零れ落ち、常識は通用せず、誰からも存在を認められない。
その孤独と絶望に、私は気が付いてしまった。
今日はここまでです。ご視聴いただきありがとうございました。
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