「式波、朝だよ」
終劇後。エヴァの存在しない現実世界。
そこは極めて普通で平凡で退屈な世界。
東の空に昇る太陽が朝の到来を告げる。
「うっさいわね……だから何よ」
「起きないと遅刻するよ?」
遅刻。遅刻ってなんだっけ。どうでもいい。
「シンジ、あんた有給まだあるでしょ?」
「え? あるけど、それがどうかした?」
「だったら今日は休みなさいよ」
「な、何を言ってるのさ!?」
今さっき言ったことを繰り返すのは面倒だ。
「あんたバカァ?」
「馬鹿なことを言ってるのは式波だろ」
「いいから早く布団に戻りなさいよ」
ほんと、シンジには困ったものだ。どうして言葉にしないとわからないのか。エヴァの存在しない世界では当然、セカンドインパクトが起こっていなくてこの狭くて窮屈な日本には四季があり冬場はそれなりに冷えるのに。
「あんたが居ないと寝れないでしょうが」
「だから起きないとって……うわぁっ!?」
「だから起きないって言ってんでしょ!?」
有給決定。理由は朝が寒いから。文句ある?
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「式波は優秀だから仕事をサボっても問題ないかもしれないけど僕はそういうわけにはいかないんだよ。そのくらいわかるでしょ?」
「その僕っての、いい加減やめたら?」
「え? 変、かな……?」
変じゃないけどガキっぽい。まあいいけど。
「あんたひとりくらい養ってやるわよ」
「それ世間ではヒモって呼ぶんだよ?」
こいつは自分が将来ヒモになりそうな主人公の代表格である自覚がないのだろうか。あるわけないか。だから仕事もロクに出来ない。
「でも、あんたは必要とされてる……」
「もしかして、職場でなんかあったの?」
「別に。自分の仕事はきっちりこなしてる」
日本の労働環境はそれだけではダメらしい。
「ね、シンジ」
「なに、式波」
「ありがとうって、云わなきゃだめ?」
云おうとはした。けど理由が見当たらない。
「そうだね。それは云うべきだと思うよ」
「なんでよ」
何かを手伝うのは結局自分への皺寄せを避けるためでその逆もまた然り。或いはありがとうと伝えることで自分が相手に迷惑をかけた時の為に貸しを作る意味合いもあるだろう。
「ありがとうって言葉が嬉しいから、かな」
「なにそのくだらない理由」
馬鹿みたい。結局気持ち良くなりたいだけ。
「厚意って、そんな薄っぺらいわけ?」
「たしかに薄っぺらいかも知れないね」
「だったらありがとうなんて云わない」
的確なアシストは出来て当たり前。それを褒めるほうがプロを侮辱している。とはいえ周囲に目を配ることもまた必要不可欠な矛盾。
「じゃあ、式波はどんな時にありがとうって感じる? たとえばでいいから教えてよ」
「そうね……なんだろ」
私だってたまには感謝することはある。たとえば朝が弱い私を毎日起こしてくれたり、美味しい食事を作ってくれたり、我儘に付き合って有給取ってくれたり。そんな当たり前。
「……Danke」
「え? 今、なんて言ったの?」
「ふんっ……どうでもいいでしょ」
自分が気持ち良くなるために云う感謝は相手に伝わる必要はない。そう私が決めたから。
「そろそろ行かないと本当に遅刻しちゃう」
「え? やっぱり仕事、行っちゃうの……?」
身体を起こそうとするシンジにしがみつく。
置いていかないでと。精一杯に態度を示す。
云えばいいのに。我儘だと、認めたくない。
「僕はさ、式波」
「なによ……改まって」
「仕事が出来るほうじゃないし、周りに迷惑かけてばっかりだけど……大切なのはそれが頑張った結果かどうかだって、そう思うよ」
シンジのこういうところが大嫌い。同時に大好きだと感じる自己矛盾。そうやって、不器用な癖に頑張る男だから、ヒモになるのよ。
「だったら私があんたを褒めてあげるわよ」
「式波が?」
「あんたはよくやってるわよ。毎日遅くまで残業して、ご飯作ってくれて、遅刻ギリギリまで私に付き合ってくれて……それでもね」
大切なことは、そうじゃない。教えてやる。
「もう少し自分のことも大事にしなさいよ」
「式波……」
「だからお願い。今日は有給を取りなさい」
あんたの為じゃない。これは、私の我儘だ。
「はあ……式波はずるいな」
「効いた?ねえ、いまの効いた?」
「もう……台無しになるから黙ってなよ」
台無しは望むところだ。美談なんて大嫌い。
「でも、ありがとう……式波」
だから、美談にするな。むしゃくしゃする。
「アスカって呼んで」
「へ?」
「夜だけじゃなく、朝からアスカって呼びなさいよ。私も……バカシンジって呼ぶから」
昨夜もアスカアスカってうるさかった癖に。
まるで何もなかったような顔をして。今朝怠いのは全部この男のせいだ。シンジが悪い。
「じゃあ……僕からもアスカにお願い」
「なによ……バカシンジ」
「昨夜はシンジって呼んでくれたのに……」
「は、はあっ!? 耳がおかしいのよ!!」
「耳が感じるのはアスカじゃんか……」
「こ、このっ……さっさと仕事に行けっ!」
「うげっ!?」
蹴っ飛ばしてベッドから落とした。最っ低。
「じゃあ、アスカも仕事頑張ってね」
「あっ……」
ほんとに行くんだ。なら私も支度しないと。
「良かった。もう平気みたいだね」
「へ? な、なにが?」
「仕事の時の顔になってるよ」
やられた。まんまとシンジに乗せられた。わかってるわよ。元々仕事をサボるつもりなんてなかったし。ただ我儘を言ってみただけ。
「そうだ、アスカ」
「なに? 急がないと遅刻するわよ」
「ドイツ語でHelloとHow are you ?ってなんて言うの? もし良かったら教えて欲しいな」
「Hallo / Wie geht's?」
支度をしながら答えるとこんな指令がきた。
「それを職場で云ってみたらどうかな?」
「ちっ……わかったわよ」
それで何が変わるわけでもない。ただ自分が気持ち良くなりたいだけ。だから相手に伝わる必要はない。それでいい。それが正しい。
「大丈夫? 忘れ物ない?」
「あーもう、もっと早く起こしなさいよ!」
バタバタ忙しない朝は大嫌い。不幸せな朝。
それでいて玄関の扉を開けて朝陽を浴びるとほんの少しだけ幸せを感じるのは、たぶん。
「寒いね。手、繋ごっか?」
「いちいち訊くな、バカシンジ」
繋がない選択肢なんてどこにもありゃしないのに。私があんたに感謝しない日がないのと同じように。だから私はシンジを励ました。
「文句ばっかり言って自分で何もしない無能より、失敗しまくるあんたのほうがよっぽどマシ」
「それ、褒めてる?」
「働き者の無能なんて存在しないってこと」
働き者の無能なんてくだらない言葉は社会が働き者の有能を求めたが故に生まれたに過ぎない。怠け者で有能なこの私が言うんだから間違いない。だからシンジ、見返してやれ。
「男でしょ? 職場で僕なんて言わないの」
「じゃあ、俺? ちょっと照れるな……」
「あは。似合わないわね。性別交換する?」
自然に笑みが溢れた。ほっぺが冷たいけど繋いだ手は温かい。ありがとうって云いたい。
「ありがとう、アスカ」
「あんたが言ってどうすんのよ……」
云えないのはシンジのせいだろうか。違う。
「……Danke」
「またそれ? どういう意味?」
「それは、その……あ、あ……」
喉の奥まで出かかった言葉を、飲み込んで。
「あ! そう言えばおしっこするの忘れた!」
「フハッ!」
口をついて出るのは嘘ばっか。言葉の浪費。
「Dankeってのはドイツ語でおしっこよ」
「フハハハハハハハハハハハッ!!!!」
生きてくだけで精一杯の私たちは、人のことまで考える余裕はないかも知れないけれど、それでも隣の人だけには嗤っていて欲しい。
「ふぅ……じゃあ、僕はこっちだから」
「シンジ」
お互いの職場に向かうために別れる間際、素直に名前を呼べた私はそっと頬にキスした。
「愛してるわ。頑張んなさい」
「……うん。行ってくる」
ほんとはあんたの役目だけど。まあいいか。
口に出さなければ伝わらない。頑張れない。
あんたは毎朝私のネジを巻いてくれるから。
シンジが頑張った分の給料は、私が払おう。
【ハロ / フハッワユ】
FIN
初音ミクの『ハロ / ハワユ』
数あるボカロ曲の中でも屈指の名曲です
興味ある方は是非おすすめです
最後までお読みくださり、Danke sch?n!
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