塩見周子「LOVE」 (82)
* * *
(カランカラン――♪)
「あ、いらっしゃいませー!」
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朝の予報によれば、午後の早い時間帯には関東の平野部で雨が降るらしい。
だが、近所で昼飯を済ませて事務所に戻る途中、彼女にバッタリ出会い、この店に立ち寄るまでの間、外はまだまだ強い日差しが照りつける青空だった。
それにしても、この店に来るのも久しぶりだな。
相変わらず、客の入りはそれほど多くないらしい。
奥の窓際のテーブルに案内され、二人で席に着く。
彼女を担当していた頃は、仕事先へ向かう前の時間潰しや、事務所に戻る途中の反省会にもよく利用していた。
そういえば、速水さんを連れてきたことはまだ無い。
多少手間取ってしまったが、注文をするとウェイトレスの子は元気よく返事をして、マスターの方へと向かっていった。
今日はそれほど長居できないので、後日改めてくつろぎに来たい所だが――。
――――。
なんだ。
「偶然だね~」なんて、白々しく無理矢理誘ってきたのはコイツの方なのに、当の本人はなぜかご機嫌斜めらしい。
頬杖をつきながら、窓の外へムスッと顔を向けている。
「何をむくれてるんだよ」
「べっつにぃ~~」
まったく、年頃の女の子は気まぐれで困る。
鼻でため息をつき、ポケットからタバコを取り出し、口にくわえたところで、ハッと気づいた。
灰皿が無い。
見ると、店内の壁には「全席禁煙」という張り紙がチラホラ掲示されている。
でたよ。
近く世界的なスポーツの祭典が東京で行われるとあって、どこもかしこも揃って禁煙ブームときてる。
ストレス社会に生きるサラリーマンの数少ない嗜好品を奪うそれは、タピオカよりよほどタチが悪い。
舌打ちしながら視線を戻すと、周子がこちらを見てニヤニヤと笑っていた。
「へへーん、残念でしたー♪ ついこの間から禁煙だよ、ここ」
「こんな所で油売ってていいのか」
タバコをしまい、今度は俺がむくれる番だった。
「二時からやるミーティング、お前も出るんだろ」
そう言うと、周子は「あぁ」と曖昧な返事を零しながら、椅子の背にもたれ直した。
まさに今日、我が事務所が最重要戦略として掲げる新規プロジェクトのキックオフミーティングが間もなく予定されている。
事務所内でも勢いのある精鋭アイドルを五人、クインテットで組ませるという派手な企画であり、当人達とそのプロデューサーも出席するものだ。
何を隠そう、目の前にいる塩見周子は、今回選ばれた栄えある五人のうちの一人である。
そして、俺の今の担当アイドル、速水奏も。
事務所創立以来となるであろう肝入りのプロジェクトであるだけに、俺だって直前の準備は心身共に万全にしておきたい所だったのに。
少し間を置いて、当の周子はボンヤリと口を開いた。
「まぁ、どんな雰囲気になるんかなぁって、外堀を埋めるっていうかさ、予め探りを入れといた方がいいかなーって」
――表面上は普段どおりを装ってはいるが、らしくもない、少し不安を覗かせた顔つきだ。
コイツも、大仕事を前に多少なりナーバスになっているということか。
「殊勝な心掛けだが、お前のプロデューサーに直接聞けばいいだろ」
「そんなつれないこと言わないでさー、Pさん」
ケラケラと笑いながら、周子はテーブルの上に身を乗り出してきた。
「なんだよ、あの人とはソリが合わないか?」
「そんなんじゃないって、仲良くやってるよ。
でも、あの人脳筋」
と言いかけて、慌てて手を振るう。
「いやいや、何ていうか、小癪な真似とか、小手先の腹芸とか苦手そうやん。
実際、今日のこと聞いても「心配するな! 当たって砕けてみろ!」としか言われんかったし」
「だろうな」
「ね? だからさ、あたしも事前に情報収集して、心の準備したいんよ。
他の子達のこととか、この企画の裏事情とかさ。
Pさん、そういうの詳しいでしょ?」
「…………」
周子の言うとおり、俺はチキンだから、何か新しいことを始める時は、できる限り情報を整理してシミュレーションを重ねることが多い。
周子も、表向きは感覚派を気取ってはいるが、本音の部分ではこうして慎重な面もあるから、何だかんだソリは合ったのだと思う。
後任のプロデューサーが、彼女のそういう側面を上手く汲んでくれるといいが――。
まぁ、今さら俺が心配する筋合いのものでもないか。
「今回のプロジェクトの発起人は、城ヶ崎美嘉のプロデューサーだ」
「へぇ、美嘉ちゃんの」
「表向きはな」
そう言うと、周子が話の調子を合わせるように首を傾げる。
「何、表向きって?」
「俺達の間では、城ヶ崎美嘉のプロデューサーは一番のヤリ手でな。
実直で熱意もあり、社内での人望も厚い。
彼を立ち上げの中心人物に据えておけば、従う社員も多いし、スムーズにプロジェクトが進むだろうという上役の考えだ」
「ふーん」
「もちろん、カリスマギャルの実力も折り紙付きだから、彼女を抜擢することも初期段階から決まっていたらしい。
順当に考えれば、今回のは城ヶ崎美嘉がユニットのリーダーになって、彼女のプロデューサーがプロジェクトを引っ張る形になるだろうな」
「美嘉ちゃん、ねぇ」
手持ち無沙汰そうにコップの中身をスプーンでいじりながら、周子はまた窓の外に視線を投げた。
「あたし、あの子とあまり話したことないんよね。
すごいストイックなんでしょ? 仲良くできるかなぁ」
「お前なら、誰とでもそれなりに上手くやれるだろ」
「ふーん、大きなお仕事なのに“それなり”でいいんだ?」
「それがお前の良さだと俺は思っている」
周子は視線を外に向けたまま、「ふふっ」と鼻で笑った。
見慣れないピアスが、陽の光に当たってキラリと光る。
「お前はちゃんと自分で考えて行動できる子だ。
それなりで済ませていい部分と、そうじゃない部分の分別も、お前はつけることが出来る」
「Pさん、どうしたん? えらい褒めるね今日」
「担当じゃないアイドルには、いくらでも無責任なことを言えるんだよ、プロデューサーってのは」
「言い方きぃつけや。
ていうか、そういうお調子の良い言葉は、担当の子にこそ言ってあげるべきじゃない?」
視線を戻し、キャラメルフロートを掬ったスプーンを向けて、ニンマリと周子が笑ってみせる。
「さてはPさん、ちゃんと奏ちゃんにサービスしてあげてないでしょ」
「ところでそのピアス、どうしたんだ?」
「ごまかすなや。でも、よくぞ聞いてくれましたーん♪」
得意げに耳元をチラチラ見せびらかすと、先ほどからやや目障りな煌めきが一層際だって見えた。
「プレゼントしてもらったんだー、今のあたしのプロデューサーさんに。
えへへ、いいでしょ。似合う?」
「あぁ、キレイだよ」
「ホント?」
「ちょっとだけ」
「一言余計だっての、こらぁ」
笑いながらむくれる彼女に、俺も知らず笑みがこぼれる。
彼女は知る由も無いだろうが、周子が付けているピアスには、心当たりがあった。
先日、彼女のプロデューサーが、
「おい、お前! 周子は一体どんなプレゼントが好きなんだ! お前、知ってるだろ! 教えろ!」
と、俺が事務所の自販機コーナーで携帯を弄っている時、ドカドカ歩いてきて藪から棒に聞いてきたのだ。
事情を聞いてみると、
「デカいイベントをこなしたご褒美をしてやりたいんだ! 教えろ!」
とのことだった。
まぁ、年頃の子ですし、ピアスとか、アイツたぶん自分では買わなそうだから喜ぶんじゃないですか、と適当に言ったら、
「そうか!」
と、そのままドカドカ歩いて帰っていったのだった。
俺が茶々を入れてやったことなど、言うつもりは無い。
だが――。
なかなかどうして、よく似合っている。
あの人にしては、センスのあるチョイスだ。
こんな風に会う度に、周子は変わっていく。
担当から離れると、俺以外の誰かに彼女を染められていくのだということを、今さらながらに実感させられる。
周子なら、極端に自分を見失うことは無いと思ってはいるが――。
ヤキモチ、というべきなのか。
こうも気に掛かってしまうのは、何だか釈然としない。
「それで、Pさん?」
「え?」
思わず間抜けな返事を返すと、周子は満足げな笑みを浮かべている。
「ほら~、シューコちゃんがキレイなのはしょうがないけど、いつまでも鼻伸ばしてる場合じゃないでしょ。
あ、すいませーん」
思いついたように、通りがかったウェイトレスを彼女は呼び止めた。
「コーヒーゼリー二つくださーい」
「はーい♪」
「おい」
今日は長居するつもりなんて無いんだ。
第一、タバコも吸えないんじゃ話にならない。
ミーティングの時間も近づいてきている。
「だって、まだあたし、表向きの事情しか聞けてないしさ?」
あぁ――そういうことか。
コイツもよくよく、いらないことに首を突っ込みたがる。
「裏の事情なんか知ってどうすんだよ」
「知ってから決めようかな」
「そうか」
わざわざアイドルに伝え聞かせるような話ではない。
まして担当でもない子に――。
だけどまぁ、いいか。担当じゃないし。
ここまで来たら、言い訳を考えるのも面倒だ。
サラサラな責任感をアイスコーヒーで飲み下し、一つ息をついてから仕切り直した。
「大した話じゃないさ。一ノ瀬志希って、いるだろ?」
「おぉ、志希ちゃん。
そりゃ知ってるよ、一緒に別のユニット組んでるし」
「元はと言えば、あの子のプロデューサーが仕掛け人なんだ、今回の企画は」
コップを置いて、窓から見える事務所のビルに目を向ける。
業界内ではそれなりに大手だけあり、立派な社屋だ。
禁煙ブームに乗っかりさえしなければ。
何だって喫煙コーナーを閉鎖したんだろう。
「一ノ瀬志希があまりに癖の強い子だったために、その世話に手を焼いた彼女のプロデューサーが、SOSを出した。
お偉方も集まる懇親会の場で、ユニットの企画を幹部連中に直談判したんだ。
せっかくのギフテッドなる逸材なのだから、自分一人だけでなく、より多角的な視野でもって彼女のプロデュースを行える体制にするべきだとな」
「ほぉー。
志希ちゃんが問題行動を起こした時の責任の所在を曖昧にしようと、そのプロデューサーさんは上手いことやったわけや」
「そういうことだ」
周子は相変わらず、こういう感性は実に鋭い。
まさに一を聞いて十を知るタイプである。
その要領の良さ故に、俺も随分と楽をさせてもらったものだ。
「助け合いという名の責任逃れ、ねぇ……まるで政治家みたい。あはは」
「実際、アイツのやったこともロビー活動みたいなもんだしな」
「アイツって、その志希ちゃんのプロデューサーさんのこと?」
「正直言って、あまり好きじゃない」
そこらのプロデューサーよりも、アイツはずっとしたたかだ。
表向きはヘーコラして無力な後輩を装ってはいるが、周りを上手く利用し、決して自分だけが怪我を負わない立ち回りをアイツは心得ている。
「まぁいいや。
あともう一人、フレちゃんはどうよ? Pさん的には」
「ん? そうだなぁ」
――宮本フレデリカか。
ついこの間、ラウンジで彼女とそのプロデューサーが随分と楽しそうに談笑していたのを思い出す。
「あまり会ったことが無いから、逆に教えてほしいな」
「フレちゃんねー、めっちゃいい子だよ」
「そういうアバウトな情報じゃなくて」
「いや、あたし的にはそうとしか形容できんもん。
マジ、めっちゃいい子。話せばわかるって」
何だよその言い草は――ただ。
「一目は置いている。まぁ、注意して見ておくよ」
「あの子のプロデューサーさんもクセがある人なん? やっぱ」
「まぁな」
「見たカンジは気の良いおじいちゃんやけどなぁ、あの人」
我が社の社員は、基本的に上が抜ければ、その後釜を埋めるようにエスカレーター式に昇格していく仕組みだ。
一方で、宮本フレデリカのプロデューサーは、ほぼ役員クラスの年齢にも関わらず、未だに俺達みたいな現場レベルのスタッフに身をやつしている。
おそらくあの人自身の希望なのだろうが、いずれにしろ、社内でも屈指の変人であることには違いない。
周子の言うとおり、傍目には好々爺然としているが、腹の底では何を考えているやら――。
「その人達、あたしのプロデューサーさんとも上手くやれるかな?」
「それはお前が心配することじゃない」
「Pさん的にはどうなん?」
「たぶんやべーと思う」
「あははは」
長々とくだらない話をしてしまった所で、ちょうど余計なコーヒーゼリーが運ばれてきた。
「それ食ったら帰れよ」
「Pさんのもあたしが食べちゃっていい?」
「デブになったら、お前のプロデューサーが何て言うだろうな」
「それじゃあ、Pさんに無理矢理食べさせられましたーって言うわ」
「あのなぁ」
俺だって、いい加減に腹を据えかねるぞ。
タバコを吸えないイライラもあって、だんだんコイツの言動が憎たらしくなってきた。
「何だってそう、俺のことを無闇に巻き込もうとするんだ。
いいか、もしそんなことをあの人に言ってみろ。
ドカドカ歩いてきて「おい、お前! 周子に何を食わせた! デブになったらどうするんだ、この野郎!」とか言いながら殴られたっておかしくないんだぞ」
「あはは、そりゃあ笑えないね」
笑ってんじゃねぇか。
コップに残ったアイスコーヒーを飲み干し、何とか気分を落ち着かせる。
「プロデューサーさん、昔野球やってたんだってね」
「甲子園にも行ったらしいな」
「観客として?」
「お前それ本人に言うなよ、マジでぶん殴られるぞ。
そんな間違いはあってはならない」
往時の球界の某番長もかくやという、あのガタイでどつかれようものなら――。
想像しただけでゾッとする。
「本当に勘弁してくれ。
あの人、短気で勘違いしやすいから、今日ここで会ってるのだって、浮気とか思われたら大事だぞ」
「……浮気っていうならさ」
周子はスプーンを置いた。
コーヒーゼリーはまだ半分ほど残っている。
健啖家の彼女にしては、自分で頼んだくせにペースが遅い。
いつだったか、ここでケーキを馬鹿みたいにドカ食いしたこともあったくせに。
しかも、残ったヤツは全部俺が食わされて――。
「大事な人、忘れてない?
さっきからPさん、奏ちゃんの話全然してないやん」
「…………」
ギクッ、としてしまった。
それを見透かしたように、周子は含みを持たせた笑い方をしてみせる。
注意をしているつもりでも、気がつけばこうして手の上で転がされている。
いつもコイツのペースだ。
「……そういう流れではなかっただろ」
「あの子は勘が鋭いし、見た目以上に感情豊かやでー?
あたしとだけこの店に来てるなんて知られたら拗ねちゃうよー?」
「速水さんには余計なこと言うなって」
「その“速水さん”って呼び方もどうなん?」
――――?
「あたしには、最初から下の名前で呼び捨てだったくせに」
言われて気がついた。
何で俺は、速水さんを名字にさん付けで呼んでいるんだろう?
というより――。
「お前はあまり“塩見さん”って感じがしなかったんだ」
「しかも“お前”呼ばわりときてる。
奏ちゃんのは大方“速水さん”でなけりゃ“君”でしょ、どうせ」
「……あぁ」
何で、周子は最初から“周子”だったんだろうな――。
「ちゃんと向き合ってあげなよ。
奏ちゃんにとって、Pさんは親しくしてほしい人なんだから。
あたしとみたくラブラブになれーとは言わんけど、たまにでも甘えさせてあげなきゃ」
「何がラブラブだよ……
あのな、いいか、接し方について言えばお前が特別だっただけだ。それは俺も反省…」
「どうだっていいけど!」
いつの間にか、周子の表情からは笑みが消えていた。
「だったら奏ちゃんの特別に、Pさんがなってあげなきゃ。奏ちゃんだけの特別に。
Pさんには、その辺の心構えが足りてないんじゃない?」
「……タバコ吸ってくる」
席を立ち、周子の呼び止める声を背中で受けながら、店の外に出た。
先ほどよりも太陽は高く上っていて、庇の外に出る勇気は出ない。
夏が近づいているらしく、ジメジメと嫌な暑さだ。
雨はまだ降る様子が無い。
慣れない電子タバコを少し深く吸いすぎて、軽くむせた。
――――。
周子の言わんとすることも、分からなくはない。
そもそも、あまり的外れなことを言う子ではなかった。
なぜ、俺は速水さんに対し、距離を置いているのか――。
アイドルとプロデューサーは、邪な関係になってはならない。
あくまでビジネスライクな間柄であるべきだ。
適切なタイミングで、効果的なレッスンや仕事を与えて、実力を身につけさせて、人気を得る。
その地道な積み重ねが、結果的にはアイドルとプロデューサー、お互いの信頼関係の構築に繋がる。
実際、城ヶ崎美嘉と彼女のプロデューサーが、そうして今のステイタスを獲得してきたのを、俺も見てきた。
自身を律するあの二人の姿こそ理想像であり、かくあるべしと思った。
周子に対しては、俺はきっと甘えていたのだ。
居心地の良い無遠慮な距離感で、不出来な俺が適当な環境を与えても、彼女は事も無げに上手にこなしてしまう。
それでいいのだと――。
でも、それは彼女が有能だったから上手くいっていただけで、そんなのは健全なプロデュースとは言えない。
担当であるなら、俺が責任感を強く持ち、アイドルをしっかり導いていかなくては。
――言い訳がましい、とか言われそうだな。
タバコタイム中に整理した、今のこの気持ちを周子に言ったら。
でも、きっとそう思う。
両者の間にあるのは、決して燃えるような恋じゃなく、ときめきでもない。
距離感は必要なんだ。友達や恋人同士を気取ってやれる仕事じゃないのだから。
――――。
だがそれは――周子にしたプロデュースを否定することになるのか?
「…………」
携帯を取り出し、着信の有無を確認する。
今頃、一人で事務室で待っているであろう速水さんからは、何の連絡も来ていない。
余計な連絡は、する必要が無いからだ。
そういう関係だ。
今の俺のスタンスは、周子を担当していた当時の俺のプロデュースを――。
それによりもたらされた自身の成功体験を否定されるに等しいと、周子は考えている。
確かに、お前の教育は失敗だったと、親や先生から言われたとしたらそりゃ怒るよな。
でもなぁ――。
速水さん、何か怖いんだよなぁ。
あんまり美人すぎると緊張するというか、アレでまだ高校生だからなおのこと扱い難しいし。
周子の言うとおり、かなり勘が鋭いから、何かのきっかけで突然怒られそうな――。
その辺、ほんと周子は楽だったというか――。
ていうか、ちょっと待て。
言うほど俺は周子とベタベタだったか?
全然そんなんじゃなかったよな。第一、ラブラブな関係というのは――。
――一人で何ぶつぶつ言ってんだ俺。
あっつ。いい加減戻るか。
「……おわっ」
テーブルに戻ると、周子がサッと携帯をポケットにしまうのが見えた。
俺の分のコーヒーゼリーは、傍目には健在だ。
良からぬものが盛られている可能性は高い。
「上手い言い訳は思いついたん?」
「その前に、聞いておきたいことがある」
椅子に座り、周子の目を真っ直ぐに見つめる。
ニヤニヤ顔がほんの少したじろいだ。
「お前は、俺と組めて良かったか?」
「は?」
周子があんぐりと口を開け、目をパチクリとさせた。
分かる。
いきなり何言ってんだコイツ、ってなるのはしょうがない。
「すまないが、真面目な質問だ」
「…………」
こんなことを大真面目に当人に聞くのは、本当は死ぬほど恥ずかしい。
大体、肯定してもらえた所で素直に喜べるかどうかも分からない。
空気を読んで無理に言わせたのではないかと、疑心暗鬼になるかも知れない。
面と向かって否定されたら、それこそヘコむだろう。
周子は俯き、しばらく黙り込んだあと、ぷくくっと笑った。
「……アホやなぁ」
「何?」
店の外でシミュレーションを重ね想像していたどのケースとも違う返答をする周子の表情は、どこまでも柔らかくて、いじらしい。
「Pさん自身が、そこに自信持てなくてどうすんのさ」
――――。
「……俺自身が、か」
「まっ、お陰様でこれからやるミーティングもユニット企画も、楽しくなりそうやなーって確信できたからいいけどね」
「どういう意味だよ」
「言葉どおりの意味ですけどー?」
――まったく。
やっぱりムカつくなお前。
いつも人のことをおちょくって、自分のペースで振り回して――だけど、楽しくて。
コイツほど、口さえ無ければと思った女の子はいない。
誰もが振り向くようなそのスタイルで、観客を虜にする正統派アイドルの道を歩ませる未来もあっただろう。
俺が伸び伸び育てたおかげで、差し詰めコイツの将来はバラドル一直線だ。
ざまぁない。
「……まぁ、いい。
コーヒーゼリー、食わないのか? いいぞ、俺のも食って」
「なんか、お腹いっぱいになっちゃって」
「そうか」
俺は、自分のコーヒーゼリーを口の中に掻き込んだ。
この際、たとえ毒を盛られていようが構うものか。
「うひょー、お兄さんいい食いっぷりやねー♪」
「出るぞ。いい加減、そろそろ時間だ」
「はいはい」
素直に従い、立ち上がる。
速水さんのことで、焚きつけてきたのはコイツの方なのに、あまりガツガツ追求してこない辺り、コイツは間合いの取り方が憎らしいほど上手い。
「ところで、聞いてこないのか? 俺の言い訳」
店を出て、それとなく俺が尋ねても、周子は肩をすくめるだけだった。
「Pさん的に気持ちの整理がついたんなら、それでいいんじゃない?
あたしはもう、Pさんの担当アイドルじゃないんだしさ」
ニコリと笑い、事務所へ向かって先に歩き出していく彼女の背を見つめる。
――ひょっとして、そのために俺を誘ったのか?
大事なミーティングを前に、煮え切らない俺に、担当アイドルに対する気持ちの整理をつけさせるために――。
「……それもそうだな」
最近の天気予報は、データの統計量が昔より膨大かつ緻密になり、モデルの精度も向上したこともあって、昔ほど大きく外れることは無くなったという。
それにつけても、今日の予報は珍しく大ハズレだったようで、ムカつく日差しを無限に浴びせかける青空には、今なお真っ白な雲が二、三個浮かんでいるだけだ。
ミーティング前に情報収集をしたいだと?
コイツめ、涼しい顔してよくもいけしゃあしゃあと――。
目の前を意気揚々と歩く彼女は、今日の天気予報よりもずっと嘘つきで、本当に俺の手には負えない存在なのだなと改めて思う。
担当を外させてもらって良かったよ。
「なぁ、周子」
「ん?」
足を止め、クルリと彼女が振りかける。
先ほどまでは小憎らしいと勝手に思っていたピアスが、少し柔らかく光るのが見えた。
「お前、先に帰れよ。一緒に戻ると変な噂されそうだ」
「言われなくてもそうするよ。って……」
口元に悪戯っぽく手を当てて、ニヤニヤと笑い出す。
「何だよ」
「んーや、いかにもお忍びデートの偽装工作みたいやなーって」
「ば……お前、いいからさっさと帰れ!」
「はーい♪ ……あ、Pさん」
歩き出そうとした所で、ふと思い出したように止めて、また周子は振り返った。
「今日は、ありがとね」
「……次からは電話にしてくれないか」
俺の方こそ、今日は周子に感謝をしなければならなかった。
速水さんに対し、担当としての心構えをつけさせてくれた彼女に。
こういう時、素直な「ありがとう」を咄嗟に言えない辺り、俺もまだまだなっていない。
「えー? だってPさん電話に出らんもん」
「夜中でもいいよ。遠慮はいらない」
「へぇー、あっそ。
言質取ったし、ほんなら昼間でも夜中でもバンバンかけたるわ」
「そこは時々にしとけよ」
「あはは、アホ」
悪戯っぽく手を振りながら、周子は楽しそうに笑った。
「愛しの奏ちゃんからの電話に出られんくなるからやめろ、くらい言ってや。
じゃ、また後でねー♪」
振り返り、弾むように軽い足取りで、かつての担当が俺のもとを離れていく。
――アイツ、何があんなに楽しいんだか。
そう思っていた時、携帯が鳴った。
誰だ?
――は、速水さんだ。
え、何で――?
「……もしもし」
『ふふ、プロデューサー?』
電話越しの速水さんの声は、今まで聞いた記憶が無いほど楽しげだった。
何なのだ、さっきの周子といい――。
『そろそろ時間よ。どこで油を売っているの?』
「あぁ……すまない。すぐに行くよ」
『急いで来てほしいけれど、忘れ物もしないようにしてね。
特に』
含みを持たせるような間の後、およそ女子高生とは思えない妖艶な声が耳の奥に響いた。
『私だけの特別になってくれる心構えだけは、ちゃんとね』
――あー、なるほど。
これは勘が鋭いのとは違うな。
さてはコイツら、グルになって俺をからかってんのか。
周子と同様、この子もよくよく手に負えない存在なのだと、改めて痛感させられる。
一ノ瀬志希のプロデューサーよろしく、お偉方へのロビー活動を行うべきは俺の方だったのかも知れない。
けれど――。
携帯を耳に当てながら、空を見上げる。
調子の良い周子のあの笑顔が、嘘つきの青空の中に、鮮やかに映って見えた。
「もちろんだ。一緒に頑張ろうな……奏」
まったく――。
中学生じゃあるまいし、女の子の呼び方一つ変えるのに何をこんなに緊張する必要があるんだ。
情けない。
少しの間を置いて、小さく笑う声の後、
『うん』
という短い、素直な返事が返ってきた。
距離感は必要だ。
でも、担当アイドルと向き合い、好きになっていかないことには、プロデュースは始まらない。
俺が考えるべきは、それくらいシンプルなことだったのかも知れない。
そう、今の俺は速水さ――もとい奏の担当だ。
彼女の魅力を一番に見出してやれるのは俺なんだ。
それを周子は気づかせてくれた。
――やっぱり邪なのかな。
何だかんだ言っても手に負えない、かけがえのない人――。
奏だけでなく、今日のように俺を頼ってくれるのなら、いつまでもそんなお前だけの特別でいたいと思うのは。
アイドルとプロデューサー、両者の間にあるのは燃えるような恋じゃなく、ときめきでもない。
でも、いいじゃないか。
それもまた一つのラブ、ってことにしておこう。
携帯をしまい、青空に映る邪魔者をしっしと追い払って、俺は愛しの担当アイドルが待つ事務所への道を急いだ。
* * *
(カランカラン――♪)
「あ、いらっしゃいませー!」
えへへ、このドアのカランカランって音好き。
お店に入ると、馴染みの店員さんがあたしらを出迎えた。
あっ、薬指に指輪つけてる!
可愛いし、彼氏さんできたのかな?
それとも、ナンパしてくる男連中への牽制かな。
「二人なんですが」
「二名様ですねー、こちらのお席へどうぞー♪」
あはは、どうやら気づいてないねーPさん。
いつもなら、このタイミングで「おタバコは吸われますか?」って聞かれたのに。
ふふっ、張り紙も結構あるけど、いつ気がつくんかな?
――おー、ここやここ。
懐かしいなーこのテーブル。
「ご注文はお決まりでしょうか?」
やっぱり、あたしらを覚えてくれてるみたい。
たぶんいつものヤツを注文するだろうと思ってくれたらしい店員さんは、こっちがメニューを開く前にオーダーを聞いてきた。
「えっ、と……じゃあ、アイスコーヒーと……」
だというのに、この人ときたら何もたついてんねん。
「……お前は、何にする?」
――はぁぁぁ~~!
え、忘れた? ちょっと、ウソでしょ。
「あたし、ここに来たらキャラメルコーヒーフロートって決めてんですけど」
「そうか……じゃあ、それで」
「はい、かしこまりましたー♪」
Pさんがいつもお昼を済ませてる定食屋と事務所の間。
その道中で待ち伏せて、偶然を装いつつ引っ張り込んだっつーのに、こんなポンコツになってるとはねぇ。
頬杖をついて、抗議の意味も込めてムスッと窓の外を眺める。
ほれ、おニューのピアスやぞ、さっさと気づかんかい。
「何をむくれてるんだよ」
あーあ、ほらね気づかない。
色んな意味で、この人はあらゆることにすっかり鈍感になっちゃってる。
「べっつにぃ~~」
そんなに例のプロジェクトのことでテンパってんのかな。
よほどナーバスになってるみたい。
ほーんと、マジメやもんなぁPさん。
奏ちゃんから話聞いてても、ギクシャクはしてないカンジだけど、なんか二人とも楽しくなさそうだし。
やれやれ、こんな調子じゃあたしでさえ辛気臭いのがうつる――。
あっ!
気づいた気づいた。ハトが豆鉄砲食らったようなマヌケ面がタバコくわえとる。
ていうか、電子タバコにしたんだ。
ライターでシュパッと火付けるの、カッコ良くて結構好きだったのにな。
「へへーん、残念でしたー♪ ついこの間から禁煙だよ、ここ」
あははは、アホめ~♪
ここに来てようやく手に入れた初笑いで盛り上がろうとしていたのに、この人ときたらムズカシイ顔したまんま。
「こんな所で油売ってていいのか。
二時からやるミーティング、お前も出るんだろ」
――はぁ~、あたしとここに来て最初の話題がそれですか。
Pさん、頭ん中プロジェクト一色か。ご苦労なことやな。
「……まぁ、どんな雰囲気になるんかなぁって、外堀を埋めるっていうかさ、予め探りを入れといた方がいいかなーって」
何でこの店に連れてきたのか、聞かれるであろうことは予測はしていたので、取ってつけたような言い訳をしてお茶を濁す。
ちょっと適当すぎたかな?
「殊勝な心掛けだが、お前のプロデューサーに直接聞けばいいだろ」
おっ? 疑われた様子は無いな。
ていうか、突き放した言い方をしてる辺り、いよいよこの人には余裕が無いと見えた。
テーブルに身を乗り出し、ケラケラと笑いかけてみる。
「そんなつれないこと言わないでさー、Pさん」
「なんだよ、あの人とはソリが合わないか?」
「そんなんじゃないって、仲良くやってるよ。
でも、あの人脳筋……いやいや、何ていうか、小癪な真似とか、小手先の腹芸とか苦手そうやん」
そういえば、Pさんとはやっぱお互い知り合いなんだね。そりゃそうか。
ていうか、プロデューサーさん同士ってどこまで交流あるんだろう?
「実際、今日のこと聞いても「心配するな! 当たって砕けてみろ!」としか言われんかったし」
「だろうな」
「ね? だからさ」
まぁいいや。
そっちがそういう態度で来るならしゃーない。
お仕事の話にでも付き合ってあげますか。
ガス抜きと考えれば、そう悪い話の持っていき方じゃないでしょ。
「あたしも事前に情報収集して、心の準備したいんよ。
他の子達のこととか、この企画の裏事情とかさ。
Pさん、そういうの詳しいでしょ?」
そこまで言うと、Pさんは椅子の背にもたれ、鼻で深いため息をつきながらジッと天井を見上げた。
あたしに話すべき内容かどうか、頭ん中で吟味しているんだろう。
せっかくそっちの土俵に上がってやろうってのに、何とも失礼な話である。
おまけに、こんなに首をフリフリしてんのに、未だにピアスのことをツッコんでこない。
散々待たせた後、ようやくPさんは口を開いてくれた。
「今回のプロジェクトの発起人は、城ヶ崎美嘉のプロデューサーだ」
「へぇ、美嘉ちゃんの」
あのナイスミドルなイケメンさんか。
JKのカリスマたるギャルアイドル、城ヶ崎美嘉ちゃんとのペアは、しばしば事務所内でも美男美女ないしカリスマタッグとして噂の的になる。
何とも華のあるお話なことで――そう思っていると、
「表向きはな」
などと、Pさんがちょっと得意げに言葉を続けた。
何やねん、そのもったいぶった話し方。一応ノってあげるか。
「何、表向きって?」
あーあ、何ていうか――。
知らんけど、ホステスさんにでもなった気分。
「お仕事お疲れ様」「今日はどんなことがあったの?」なんてオッサンの愚痴を延々と聞かされるのが商売になるわけや。
そんな気を知ってか知らずか、たぶん知らずやな、Pさんは妙に饒舌になり始める。
「俺達の間では、城ヶ崎美嘉のプロデューサーは一番のヤリ手でな。
実直で熱意もあり、社内での人望も厚い。
彼を立ち上げの中心人物に据えておけば、従う社員も多いし、スムーズにプロジェクトが進むだろうという上役の考えだ」
――ふーん、なるほど。
客観的に話しているように見えて、この人、さては美嘉ちゃんのプロデューサーさんをリスペクトしとんな?
ぶきっちょが下手なこと考えるとロクなことになんないと思うけどねぇ。
「もちろん、カリスマギャルの実力も折り紙付きだから、彼女を抜擢することも初期段階から決まっていたらしい」
自分に言い聞かせるように、どことなく言い訳がましく、Pさんは言葉を続ける。
「順当に考えれば、今回のは城ヶ崎美嘉がユニットのリーダーになって、彼女のプロデューサーがプロジェクトを引っ張る形になるだろうな」
まぁそれはともかく、Pさんのその予想にはあたしも賛成。
それに、人を見て仕事が動いていくというのは、思いのほか結構興味深い。
別にあたしはお仕事大好きってわけじゃないけど、コミュを大事にするシューコちゃんとしては、色んな人の思惑があーだこーだ渦巻くシーンにはアンテナも強くなっちゃうよね。
ただ――。
「美嘉ちゃん、ねぇ……あたし、あの子とあまり話したことないんよね」
一度、事務所の自販機の前で会って、立ち話をしたことはあった。
めちゃくちゃ優しくて、あたしの小話にも楽しそうに笑ってくれて、去り際には「お互い頑張ろうね!」なんて言ってくれる、良い子だった。
ただ、ウチらの中ではいわゆるトップアイドルに一番近い存在である彼女だけに、それがあの子の本音の姿なのかは分からない。
むしろ、生き馬の目を抜くような芸能界のトップに近い人ほど、腹芸の一つもできて当然なんじゃないかな。
「すごいストイックなんでしょ? 仲良くできるかなぁ」
疑いたいわけじゃないんやけど――まぁ、警戒はするよね。
こんなにイイ子ほんとにいる? 八方美人の、えぇカッコしぃなんじゃないの?
なーんてね。
窓の外に見える事務所をボンヤリ見つめる。
4階の、あそこの窓ら辺かな。あの時、美嘉ちゃんと話したのは――。
「お前なら、誰とでもそれなりに上手くやれるだろ」
Pさんは、鼻でちょっと笑った。
他人事だと思って、そんな簡単に言ってくれちゃってさ。
「ふーん、大きなお仕事なのに“それなり”でいいんだ?」
つい皮肉混じりの返事を零してしまった。
あれ、ひょっとしてあたしの方がナーバスになってない?
そう思っていると――。
「それがお前の良さだと俺は思っている」
――――ふふっ。
まったくもう、こうして唐突にあたしのことを直球で褒めてくれるもんなぁ、この人。
不意打ちくらって緩んだ顔を抑えようとしている矢先、Pさんはなおもコンボを繋いでくる。
「お前はちゃんと自分で考えて行動できる子だ。
それなりで済ませていい部分と、そうじゃない部分の分別も、お前はつけることが出来る」
あーやだやだ。そういうのアカンて。
「Pさん、どうしたん? えらい褒めるね今日」
たまらず姿勢を変えて、Pさんの言葉を切った。
対してPさんは、肩をすくめてニコリと笑う。
「担当じゃないアイドルには、いくらでも無責任なことを言えるんだよ、プロデューサーってのは」
あははは、あんたも大概いけずがお上手やな。
あたしを担当してただけあるわ。
でもね。
「言い方きぃつけや。
ていうか、そういうお調子の良い言葉は、担当の子にこそ言ってあげるべきじゃない?」
目の前にあるそれをスプーンで掬う。
ここのめちゃうまキャラメルフロートの味を知らんとは、奏ちゃんがかわいそうや。
「さてはPさん、ちゃんと奏ちゃんにサービスしてあげてないでしょ」
「ところでそのピアス、どうしたんだ?」
はい来たー!
おっそ。やっと気づいたんか。
それとも、今まで言うタイミングを見計らっていたとか?
「ごまかすなや」
考えてみれば、やらしいタイミングである。
こっちが奏ちゃんの話をぶっ込んだ矢先の、この返し――。
強引に話題を変えるためのネタとして、さっきまで取っておいたんだとしたら、この人もなかなかの策士や。
まぁそれは考えすぎかな。
話の流れに身を任せ、これ見よがしに耳元をチラチラさせてみる。
「でも、よくぞ聞いてくれましたーん♪
プレゼントしてもらったんだー、今のあたしのプロデューサーさんに。
えへへ、いいでしょ。似合う?」
「あぁ、キレイだよ」
「ホント?」
お、こんなあっさりと褒め――。
「ちょっとだけ」
おい。
「一言余計だっての、こらぁ」
あたしが相手だと思って、このゾンザイな扱い――。
でも、悪い気はしない。
だってほら、やっと笑ってくれた。
目の前で零れる、Pさんのリラックスした笑顔を見て、あたしも心が軽くなる。
しかし、あの時はビビったよね。
事務室のソファーでくつろいでいると、いきなり後ろから、あたしの今のプロデューサーさんが、
「おい、周子!」
ってドカドカ歩いて近づいてきて、
「周子! お前、ピアスが好きなんだってな! 聞いたぞ! どれがいいんだ!」
とか言いながら藪から棒にカタログをバッと広げてあたしに見せつけてきた。
いや、そりゃ好きか嫌いかで言ったら好きだと思いますけど、いきなり何やねん。
事情を聞いてみると、
「お前も頑張っているからな! ご褒美をやろう! どれがいいんだ!」
とかなんとか。
プレゼントをくれるというなら素直に嬉しいけど――。
まぁせっかくだし、可愛くて高めのヤツを選ばせてもらった。
へへーん、安月給で買えるもんなら買うてみぃ。
と思っていたら、その次の日に事務所に行った途端、いきなり
「おい、周子!」
ってプロデューサーさんがドカドカ歩いてきて、ロビーで、皆が見てる前で、
「ピアス、買ってきたぞ! 付けてみろ!」
とか言いながら自分で包装をビリビリ破いてモノを取り出し、あたしに突き出した。
昨日の今日で買ってきたとか、行動力の化身か。
ていうかプロデューサーさん、あんたもう少しシチュエーションを選ぶことできんかったんか。
そうでなきゃ、せめて語尾にビックリマーク付けずに話すことはできんのか。
「プロデューサーさん、あの、めっちゃ恥ずいんですけど」
「何でだ! お前、頑張っただろ! 遠慮するな!」
だからうるさいってば!
こんなの公開処刑やん、あたしが何したっちゅーねん。
そんなこんなで、プレゼントしてもらったこの素敵なピアス、たぶんPさんも一枚噛んでいたんでしょ?
他の子達とピアスの話題になったことは無いし。
あえてこの場で正すことはしないけど、プロデューサーさんが「聞いたぞ!」って言ってた人は、たぶんPさんなんだろうと思う。
実際にモノを選んだのはあたし自身だけどさ。あはは。
――あれ?
なんかPさん、ボーッとあたしを見つめてどうしたんだろう。
お疲れなのかな?
それとも、久しぶりにシューコちゃんに会って見とれちゃったのかな。
「それで、Pさん?」
「え?」
いやいや、「え?」じゃないでしょ。
こんな気の抜けた返事ある?
「ほら~、シューコちゃんがキレイなのはしょうがないけど、いつまでも鼻伸ばしてる場合じゃないでしょ。
あ、すいませーん、コーヒーゼリー二つくださーい」
「はーい♪」
視界の端を流れていく指輪の光を追って追加オーダーをすると、店員さんの可愛らしい返事が返ってきた。
「おい」
「だって、まだあたし、表向きの事情しか聞けてないしさ?」
たまらず不平を漏らしたPさんをたしなめる。
勝手に注文したのは良くなかったけど、まだまだPさんの話聞きたいもん。
「裏の事情なんか知ってどうすんだよ」
「知ってから決めようかな」
「そうか」
そりゃ、今回のプロジェクトにまつわる話が意外と面白いというのもある。
ただ、仕事の話をしてれば、そのうち奏ちゃんの話にもなるだろう。
さっきはぐらかされちゃったツケは、きちんと払ってもらわんとね。
しばらく黙り込んだ後、アイスコーヒーをくっと一口飲んで、Pさんは切り出した。
「大した話じゃないさ。一ノ瀬志希って、いるだろ?」
「おぉ、志希ちゃん」
あのパッパラパーやな。
直接火の粉が降りかからない位置から、彼女の奇行を観察するのはとても楽しい。
もちろん、一緒に話しててもすごく愉快で、頭の良いアホの極みを間近で見られるありがたーい子。
「そりゃ知ってるよ、一緒に別のユニット組んでるし」
「元はと言えば、あの子のプロデューサーが仕掛け人なんだ、今回の企画は……
一ノ瀬志希があまりに癖の強い子だったために、その世話に手を焼いた彼女のプロデューサーが、SOSを出した。
お偉方も集まる懇親会の場で、ユニットの企画を幹部連中に直談判したんだ」
――これは意外。
志希ちゃんのプロデューサーさんって、あの気弱そうな若い女の人でしょ?
お偉いさん連中へ直談判とは、意外と度胸あるんだ。
「せっかくのギフテッドなる逸材なのだから、自分一人だけでなく、より多角的な視野でもって彼女のプロデュースを行える体制にするべきだとな」
「ほぉー」
Pさんが深いため息をつく様子を見て、何となく察しがついた。
「志希ちゃんが問題行動を起こした時の責任の所在を曖昧にしようと、そのプロデューサーさんは上手いことやったわけや」
「そういうことだ」
なるほどなぁ。
あのヘーコラした姿勢は建前で、上役へのポイント稼ぎだったのか。
とんだ猫かぶりである。実に世渡りが上手そう。
「助け合いという名の責任逃れ、ねぇ……まるで政治家みたい。あはは」
「実際、アイツのやったこともロビー活動みたいなもんだしな」
「アイツって、その志希ちゃんのプロデューサーさんのこと?」
妙にトゲのある呼び方だと思い、振ってみると、ますますPさんの顔つきが苦々しくなっていく。
「正直言って、あまり好きじゃない」
あっはっは。
Pさんマジメやもんなぁ。おべんちゃら使いのぶりっ子はお気に召しませんか。
あたしは全然良いと思うけどね。その人なりに持てる力を最大限に発揮して人生泳いでんだし。
まぁいいや。
「あともう一人、フレちゃんはどうよ? Pさん的には」
「ん? そうだなぁ……あまり会ったことが無いから、逆に教えてほしいな」
あれ、そうだっけ? これまた意外。
さっきも言ったけど、あたしらはトリオユニット組んでるから、普段から結構会ってるんだよね。
言われてみれば、接点無いか。奏ちゃんも――。
そういや、今回ユニットを組む五人で、あたし以外の誰かと話したことあるんかな、あの子。
「フレちゃんねー、めっちゃいい子だよ」
「そういうアバウトな情報じゃなくて」
確かに、知らなきゃそういう反応にもなるだろう。
でも分かってないねーPさん。
「いや、あたし的にはそうとしか形容できんもん。
マジ、めっちゃいい子。話せばわかるって」
一ヶ月くらい前かな。
ジュニアの子らが事務所の中で遊んでいた時、誤ってラウンジに備え付けてあった花瓶を割っちゃったことがあった。
仁奈ちゃんと、誰だっけ、莉嘉ちゃんとみりあちゃんかな?
それはもう、この世の終わりかってくらい三人とも青ざめた顔して、めっちゃ泣きそうになってたんだけど――。
そこをたまたま通りかかったフレちゃんが、
「シキちゃん、シューコちゃん、大変! 急患であります!」
って一緒にいたあたしと志希ちゃんに突然言い出して、すぐさま
「容態は!?」
「宮本的にはオールオッケーであります!」
「つまりあかんヤツやな」
「フレデリカ助手、すぐさまクランケをここにヨコシタマエー!」
「ウィームッシュー☆」
って具合にコントが始まって、壊れた花瓶を志希ちゃんがあり合わせで作った即興ボンドで瞬く間に組み上げて、すっかり元通りに直ったそれを使ってフレちゃんと志希ちゃんがキャッチボールして案の定落として割った。
あたしは黙って観察、もとい呆然と見ていることしかできなかった。
後から来た用務員さんには、「コイツらが割りました」ってあたしがアホ二人をつるし上げて事なきを得たわけだけど、すっかり涙目になってる仁奈ちゃん達に、フレちゃんはそれはもう優しく、
「フレちゃんプロデューサーからアメ玉もらったんだー♪
アタシ一人じゃ食べきれないから皆にあげるね。
宮本味と期間限定の塩味があるけどどっちがいい?
あなたが落としたのは金のフレ、それとも銀のシューコちゃん?」
ってな具合に、くだらないお話ですっかり皆を笑顔にしちゃったのである。
あたしが知る限り、フレちゃんはアイドルになるべくしてなった子で、ある意味、今のPさんがもっとも必要とする存在なんじゃないかとも思う。
似たようなエピソードはいくらでもあるし、実際に会って確かめてみてほしいので、この場では言わない。
けど、当のPさんはマジメな顔して腕を組んでいる。
「一目は置いている。まぁ、注意して見ておくよ」
――そっか。
この人が警戒してるのはフレちゃんじゃないんだ。
どうやら、プロデューサー同士の交流はそこそこ多いらしい。
「あの子のプロデューサーさんもクセがある人なん? やっぱ」
「まぁな」
「見たカンジは気の良いおじいちゃんやけどなぁ、あの人」
まぁフレちゃんのノリについていけちゃう辺り、頭のおかしい人ではあるのかも知れない。
ってそんなこと言ったらあたしもブーメランか。
しかし、話を聞いてると、アイドルだけでなくプロデューサー陣営も何とも濃いメンツが集まるもんだね。
ガチムチの脳筋と、完全無欠のイケメン。
猫かぶりのおべっか女に、変人気味のお爺ちゃん。
ニコチン中毒のPさんが相対的に一番普通に見えるって、考えてみるとよっぽどやで。
あたし的には、やはり脳筋が一番不安である。
絶対ケンカしそう。
「その人達、あたしのプロデューサーさんとも上手くやれるかな?」
「それはお前が心配することじゃない」
Pさんがピシャリと釘を刺す。
そう言うってことは、Pさんも心配してるやん。
「Pさん的にはどうなん?」
「たぶんやべーと思う」
「あははは」
あっさり言いすぎや。
もうぶっちゃけ面倒になってるでしょ。
「お待たせしましたーコーヒーゼリーお二つですねー、ごゆっくりどうぞー♪」
店員さんがコーヒーゼリーを運んできた。
注文してたの、すっかり忘れてた。
はて、何でこんなのを今さら頼んでいたのかというと――。
「それ食ったら帰れよ」
「Pさんのもあたしが食べちゃっていい?」
冗談めかして言ったものの、あたしもさっきお昼食べたばっかだから、ぶっちゃけあまりお腹空いてない。
甘い物は別腹とは言うけど、コーヒーとコーヒーやし、おまけにキャラメルフロートとゼリーの生クリームも微妙に被ってて、持て余しちゃいそう。
「デブになったら、お前のプロデューサーが何て言うだろうな」
「それじゃあ、Pさんに無理矢理食べさせられましたーって言うわ」
あ、コーヒーゼリーうまっ。
と思ったけど、一口で飽きちゃった。
ゼリーのほろ苦さが上の生クリームと相性良いのはありがたいけど、飲み物のキャラメルが甘々なので、口休めが無い。
あかん、み、水――。
「あのなぁ……何だってそう、俺のことを無闇に巻き込もうとするんだ」
Pさんがほんの少し怒気を強めた。
あらら、さてはいよいよニコチンが足りんくなってんな。
「いいか、もしそんなことをあの人に言ってみろ。
ドカドカ歩いてきて「おい、お前! 周子に何を食わせた! デブになったらどうするんだ、この野郎!」とか言いながら殴られたっておかしくないんだぞ」
「あはは、そりゃあ笑えないね」
ていうかPさん、地味にモノマネ上手いね。
イントネーションとかブレスの取り方とか、結構レベル高いよ。
ウチのプロデューサーさんねぇ――。
元バンドマンの某俳優もかくやという、見事な逆三角形体型。
芸能界は体力勝負とはよく言われるけど、マジもんの物理を発揮してくるタイプの業界人が果たしてどれだけいるだろう。
「プロデューサーさん、昔野球やってたんだってね」
「甲子園にも行ったらしいな」
「観客として?」
無難に笑いを誘ったつもりだったけど、Pさんはキビシイ顔をしたまんま。
「お前それ本人に言うなよ、マジでぶん殴られるぞ。
そんな間違いはあってはならない」
いや、そっちこそしょーもない冗談にマジになりすぎでしょ。
ていうか、ひょっとして殴られたことある?
「本当に勘弁してくれ。
あの人、短気で勘違いしやすいから、今日ここで会ってるのだって、浮気とか思われたら大事だぞ」
Pさんが深いため息を吐く。
――ふーん、浮気。浮気ねぇ?
「……浮気っていうならさ」
スプーンを置いて、Pさんを真っ直ぐに睨む。
何であたしが、さして食べたくもないコーヒーゼリーにこんな必死こいてスプーン伸ばしてると思ってんの。
さっきから黙って聞いてりゃ――。
「大事な人、忘れてない?
さっきからPさん、奏ちゃんの話全然してないやん」
Pさんの肩が、小さくピクッと動くのが見えた。
やっぱり、ワザとだったんだ。
「……そういう流れではなかっただろ」
そういう流れを意図的に避けておきながら、何を言ってんのこの人。
精神的優位に立とうとして、あたしは無理に笑顔を作ってみせるけれど、腹の底はこの人への怒りでグラグラしてきている。
タバコも吸えずに付き合わされてイライラしとんのかも知れんけど、腹に据えかねてんのはこっちの方なんだよ。
「あの子は勘が鋭いし、見た目以上に感情豊かやでー?
あたしとだけこの店に来てるなんて知られたら拗ねちゃうよー?」
「速水さんには余計なこと言うなって」
ほら出た。速水サン、だってさ。
「その“速水さん”って呼び方もどうなん?
あたしには、最初から下の名前で呼び捨てだったくせに」
「お前はあまり“塩見さん”って感じがしなかったんだ」
「しかも“お前”呼ばわりときてる。
奏ちゃんのは大方“速水さん”でなけりゃ“君”でしょ、どうせ」
正直言って、難癖じみた言い草なのは頭では分かってる。
人様がどなた様をどう呼ぼうがその人の勝手。
わざわざ外野が口出しをするような話じゃない。
でも――。
「……あぁ」
Pさんが大人しく首肯する。
歯切れの悪い表情は、この人自身も何かしらの後ろめたさを抱えてる証拠だ。
呼び方だけの話じゃない。
奏ちゃんへの接し方、そのものに。
「ちゃんと向き合ってあげなよ。
奏ちゃんにとって、Pさんは親しくしてほしい人なんだから」
そう――でなきゃ、奏ちゃんは何を支えにしてこの厳しい業界を泳いで行かなきゃならないのか。
「あたしとみたくラブラブになれーとは言わんけど、たまにでも甘えさせてあげなきゃ」
「何がラブラブだよ」
Pさんがすかさず口を挟む。
担当アイドルとの距離感に悩んでいるこの人に対して、言葉の使い方を間違ったか。
ちっ、またそうやって言葉尻をあげつらう――ホンマ、マジメちゃんやな。
「あのな、いいか、接し方について言えばお前が特別だっただけだ。それは俺も反省…」
「どうだっていいけど!」
いけない、思わず語気が強くなってしまった。
本当は全然どうだって良くない。でも――。
「だったら奏ちゃんの特別に、Pさんがなってあげなきゃ。
奏ちゃんだけの特別に」
これだけは言わせてほしかった、Pさん。
奏ちゃんには、絶対にPさんが必要なんだよ。
だって、担当プロデューサーなんだもん。
どこぞの完全無欠な優等生プロデューサーに安易に倣って、手前勝手な関係性をアイドルに押しつけるのは、あたしは賛同できない。
「Pさんには、その辺の心構えが足りてないんじゃない?」
甲斐性無しになりがちなPさんの目を泳がせないよう、じっと見つめる。
これはあたしにとって、“それなり”で済ませていい問題じゃない。
決して。
「……タバコ吸ってくる」
「ちょっとー、Pさぁん?」
逃げるようにして席を立つ彼の背中に、無駄だと思いつつ声をかける。
Pさんはそのまま、店の入口の方へと消えていっちゃった。
「……ったく、ヘタレめ」
ため息をつきつつ、目の前のコーヒーゼリーをスプーンで弄くり回す。
全然美味しくない。どうしよ、これ。
「ケーキでも食いに行くか。とりあえず、食事制限はもういいんだろ」
――――。
Pさんはもう、覚えてないかもね。
それまで順調にアイドルやれてて、オーディションでも負け知らずだったあたしが、初めて負けた日。
泣いたり、悔しがったりするのはダサいから、いつものようにヘラヘラ笑って、何ともないようなフリして周囲にはごまかしてた。
でも――。
本当は、めっちゃ悔しかった。
負けた原因は分かってる。
トレーナーさんからも、結構しつこく言われてた所だった。
どうせそんな細かく見る審査員さんなんておらんでしょって、ナメていた。
情けなくて、悔しくて、自分の中でそれを受けとめきれなくて、終いにはもう、どうでもええわって、心の底では投げやりになってた。
いい加減、涙を堪えてピエロを気取るのもしんどいから、さっさと帰りたかったのに。
車に乗り込むなりこの人は、唐突にそんなことを言い出して、あたしをこの店に連れてきて、反省会もそこそこに
「好きなの頼めよ。でも、デブになったらお前の自己責任だからな」
とか言って、このテーブルで知らん顔してタバコをふかしてた。
よくよく考えたら、「あたしが負けたこと何とも思っとらんの!?」って、怒っても良いシーンだった。
あるいは、「あたしの抱えている悔しさにアンタは興味の欠片も無いんかい!」とかね。
実際この人にとっては、何てことのない一言だったんだと思う。
担当アイドルの敗北は、プロデューサーにとってはつきもので、いつまでも引き摺るようなものじゃないのかも知れない。
傍から見れば、ホントに取るに足らない一言でしかないし、あたしも、何でこんな――。
何で、こんなに嬉しかったのか、分からなかった。
心がホッとして、うっかり涙が出ちゃったのをごまかそうと、ゲラゲラ笑ってアホみたいな量のケーキを頼んで、ムシャムシャ食べまくった。
それで、結局Pさんに全部押しつけて、ヒーヒー言いながらこの人が一生懸命食べるのを楽しく見てたなぁ。
そう――そんないつも通りの、何てことのないひとときに、本当に救われたんだよ、あたし。
「……よっ」
自分のを何とかたいらげて、Pさんの手つかずのコーヒーゼリーに何と無しにスプーンを伸ばす。
ホイップの先っちょがテロンッ、と上に乗っかった。
「……全っ然食う気にならん」
言うまでもなく、ポンポンが破裂寸前である。
いかんいかん、アイドルがそんな、殿方を差し置いて、ラフレシア級のお花を摘みに行くなんてことがあっては。
冗談はさておき、あーあ、Pさん戻ってこんなぁ。
あの調子じゃ、結構時間かかりそう。
相当イライラしてたし、2本くらい吸ってるかも。
「…………」
スマホを取り出し、何となくPさんのコーヒーゼリーをカメラに収める。
その写真を、奏ちゃんに悪戯心でメールで送ってみた。
『お借りしてまーす』
あははは。奏ちゃん、怒るかな?
いや、怒んないか。そういう気取ったカンケイだもんねー、って早っ。もう返事来た。
『お相手はどこ?』
『お花摘みに行ってる』
『喫煙席に行ってあげたら良かったのに』
あぁ~――奏ちゃん、ここ全席禁煙なんよ。
説明すんのメンドいな。
そう思っていると――。
『彼のスイーツには、何かしたの?』
「ぶはっ」
何かしたって、ナニを期待しとんねんこの子。
そういやまだJKか。綺麗な顔して、お子ちゃまみたいなこと言ってんな。
『まだなんも、何しよっか?』
とか言いながら、あたしもノリノリでテーブルにあるものを確認する。
サイドメニューが妙に充実していることもあり、調味料も砂糖と塩に、タバスコ、なんと醤油とウスターソースもある。
志希ちゃんなら、トイレが止まらんくなるヤツを作れるレベルだ。
写真撮って送ったげようかな?
『周子のキスでも仕込んであげたら?』
「……はぁ!?」
っと、つい大きな声が出てしまい、慌てて咳払いをする。
『間接キスにしかならないでしょうけれど』
前言撤回。
そういやこの子、ませガキやったわ。
さっきスプーンでほんのちょびっともらったから、間接キスといえばまぁ、それである。
『あの人とはキスしない方がいいよ、口くっさいから』
『したことあるの?』
返信早っ。何やねんこの食いつきは。
『いや、無いけど、あのタバコの量で口くさくないわけなくない?』
『マジマジと嗅いだことは無いけども』
『なら、私が担当アイドルとして最初になりそうね』
いやいやいや――。
アカンてそれはマジで。絶対お腹壊すし。
ヘビースモーカーのオッサンとのキスに、何でそこまで執念燃やすのか分からん。
『そうすれば、私もあの人にとっての特別になれるかしら』
――――奏ちゃん。
『なんてね』
何であたしが、Pさんの奏ちゃんに対する接し方にヤキモキしているのか――。
それは、別に二人にくっつけとか、ラブラブになれとか、そういうことを言っているんじゃない。
あたしにとってのこの店。
Pさんに素敵な時間をもらえたあの日のように――。
奏ちゃんにとっても帰る場所を、綺麗な思い出を作ってほしい。
悲しい出来事に笑顔を奪われるようなことがあっても、後で探しに行けるように。
心の支えにできるように。
そうじゃなきゃ、何かあった時、奏ちゃんは――。
『奏ちゃん、これからやるミーティングに出る?』
『もちろん』
『周子も出るでしょう?』
――――。
『あたし、奏ちゃんをリーダーに推薦してもいい?』
黙っていれば、美嘉ちゃんがリーダーになるんだろう。
腹芸の一つや二つできる、えぇカッコしぃの優等生がリーダーになるのなら、それが一番収まりがいい。
でも――もし万が一、美嘉ちゃんが天然だったとしたら?
本当の本当にめちゃくちゃ優しい良い子で、でもドライな間柄を彼女のプロデューサーさんに強いられていて、なまじポテンシャルが高いだけに上手いことやれてて――。
でも実は、心の支えになるようなものを築けていなかったとしたら――。
『何を企んでいるの?』
『別にー?』
『ただ、奏ちゃんがリーダーになればさ
奏ちゃんの担当であるPさんの出番も増えるかなーなんて』
『そうやって、私からあの人を奪うつもり?』
『随分と欲張りさんなのね、あなた』
『いやいや、それは誤解よ』
『ていうかほら、その方がさ
Pさん的には、奏ちゃんだけの特別になれるかもよ』
『逆に』
『(疑問符のスタンプ)』
ごめん、奏ちゃん。適当こいた。
でもあたし、美嘉ちゃんのことそんな知らんのよ。
何も心配いらない子だったらいいんだけど、もし――もし本当に良い子だったとしたら、今回の企画で、責任感に押し潰されちゃう可能性が高い。
ただ、奏ちゃんがリーダーになれば、当然に奏ちゃんの負担が大きくなっちゃうんだけど、そこはあたしがガッツリ奏ちゃんをフォローしますよって。
あとついでにPさんも。
勝手が分かる人がリーダーになった方が、あたしもちょっかい出しやすいし。
『相変わらず、調子がいいんだから』
『何かで埋め合わせ、お願いね』
『お、引き受けてくれる?』
『ありが』
「ん?」
ふと気配がしたので、顔を上げると、いつの間にかPさんがテーブルに戻ってきていた。
慌ててスマホをしまう。
明らかに警戒した様子で、コーヒーゼリーとあたしを交互に見てくる。
あはは、いやいや、何もしてないって。
シューコちゃん成分をちょこっと盛っただけよ。
「上手い言い訳は思いついたん?」
奏ちゃんと楽しくメールしてたからか、さっきの怒りはだいぶ収まっている。
ていうか、Pさんに謝んなきゃ。
触れてほしくない所にずけずけ土足で上がり込んで、いらんことも言いすぎたよね。
「その前に、聞いておきたいことがある」
Pさんの方も、妙に冷静になってあたしの前に座る。
え、何だろ? そんな畏まっちゃって。
「お前は、俺と組めて良かったか?」
――は?
え、いきなり何言ってんのこの人。
ポカンとするしかないあたしを前に、Pさんは手を膝の上に置いて、まるで面接かってくらい、すごい真剣な顔をしている。
「すまないが、真面目な質問だ」
――――。
ほんっと――この人、いくら言っても足りないほどマジメな人。
Pさんと組めて良かったか、なんて――。
そんなの、良かったに決まってるよ。
そうじゃなかったら、わざわざこうしてPさんにお節介やかないし。
普段あまり言えなかったのはごめんやったけど、Pさんには本当に、あたし――。
本当に、感謝してる。
それをわざわざ、こうして面と向かって問い質してくるなんて――。
ふふっ、ホンマにこの人ときたら――。
「……アホやなぁ」
「何?」
いくら自信が無いからって、それをかつての担当アイドルに直で聞くかね?
昔野球で鍛えたプロデューサーさんに勘違いされて殴られるのは違うと、Pさんは言っていたけど、いっそ殴られてきた方がいいよ。
デリカシーの無いいけずには、ちょっとはおイタが必要でしょ。
「Pさん自身が、そこに自信持てなくてどうすんのさ」
ま――そういう不器用さがPさんの良いところでもあるんだけどね。
「……俺自身が、か」
「まっ、お陰様でこれからやるミーティングもユニット企画も、楽しくなりそうやなーって確信できたからいいけどね」
「どういう意味だよ」
「言葉どおりの意味ですけどー?」
ケラケラと、心の底から笑いがこみ上げる。
やっぱり、この人の隣は居心地がいい。
何一つ、プライドも遠慮もいらない、安らげる場所。
今日はあたしがPさんのしかめ面をほぐしたろうと思っていたのに、逆にあたしの方が笑顔にしてもらっちゃった。
「……まぁ、いい」
Pさんは、呆れた様子でため息を一つつく。
すみませんねぇ、こちとらネイティブないけずなんで。
「コーヒーゼリー、食わないのか? いいぞ、俺のも食って」
「なんか、お腹いっぱいになっちゃって」
「そうか」
そう言うと、Pさんはスプーンを取るなり、勢いよくコーヒーゼリーをたいらげてしまった。
早っ、イリュージョンや。わはは。
「うひょー、お兄さんいい食いっぷりやねー♪」
茶化してみても、Pさんはまるで相手にしない様子で、伝票を持って席を立つ。
「出るぞ。いい加減、そろそろ時間だ」
「はいはい」
確かに、いつのまにか良い時間だ。
お会計を済ませている時、あの店員さんと目が合った。
何となくウインクをこっそり交わして、小さく笑い合う。
あたしにエールを送ってるつもりかな?
彼氏持ちの余裕かましよって、やかましいわ、今に見とれよ。
あっつ。
外に出ると、どっピーカンの強い日差しが容赦なく降り注いできた。
色素の薄いあたし的には、日が当たると赤くなっちゃって痛いんよね。
うへぇ、しんど。
「ところで、聞いてこないのか? 俺の言い訳」
手で必死に顔を仰いでいると、ふとPさんがおずおずと聞いてきた。
何、まだ気にしてたんだ。
あの時はついあたしもカッとなっちゃったけど、奏ちゃんとPさんの話は、無理にあたしに聞かせるもんでもない。
「Pさん的に気持ちの整理がついたんなら、それでいいんじゃない?
あたしはもう、Pさんの担当アイドルじゃないんだしさ」
「……それもそうだな」
そーそー。
それにさ、今度の企画で、またPさんとは絡む機会も多くなるでしょ。
何たって、あたし達のリーダーになるであろう奏ちゃんの、担当プロデューサーさんなんだから。えへへ。
奏ちゃんには冗談っぽく言ったけど、Pさんの出番が増えるのは、実は結構楽しみにしてるんだ。
別に、美嘉ちゃんのプロデューサーさんを信用してないわけじゃない。
でも、自分ではそう思ってないんだろうけど、今回選ばれた精鋭アイドルとやら五人のうち二人も担当していたプロデューサーが無能なわけがないし、Pさんがプロジェクトを引っ張った方が、色んな意味で面白くなりそうだなって。逆に。
「なぁ、周子」
「ん?」
ルンルンで歩いていたあたしを、Pさんが呼び止めた。
「お前、先に帰れよ。一緒に戻ると変な噂されそうだ」
腰に手を当てて、気だるそうにしっしと手を振る。
実に失礼なジェスチャーだけど、その照れ臭そうな様がどうにもおかしくて笑ってしまう。
「言われなくてもそうするよ。って……」
「何だよ」
「んーや、いかにもお忍びデートの偽装工作みたいやなーって」
そう言うと、Pさんの顔がタコのように真っ赤になった。
「ば……お前、いいからさっさと帰れ!」
「はーい♪」
気を取り直してルンルン――と歩こうと思ったところで、ふと止めた。
「あ、Pさん」
もう一言だけ、言いたいことがある。
さっき言いすぎたことを謝りたかったのもあったけれど――。
「今日は、ありがとね」
咄嗟にあたしの口から出たのは、何だかんだそれだった。
お節介を焼こうなんて、前もってそれらしい理由付けを自分なりにしていたつもりでも、結局のところ、あたしはこの人とお喋りがしたかっただけみたい。
「……次からは電話にしてくれないか」
なおも照れ臭そうに、頬をポリポリと掻きながら、吐き捨てるように言うPさん。
「えー? だってPさん電話に出らんもん」
「夜中でもいいよ。遠慮はいらない」
「へぇー、あっそ。
言質取ったし、ほんなら昼間でも夜中でもバンバンかけたるわ」
「そこは時々にしとけよ」
「あはは、アホ」
まったく、あの子の担当プロデューサーがそんなことでどうすんのさ。
相変わらずハトが豆鉄砲食らったようなマヌケ面しちゃって。
「愛しの奏ちゃんからの電話に出られんくなるからやめろ、くらい言ってや」
後ろ手に手を振りながら、あたしは駆けだしていく。
「じゃ、また後でねー♪」
振り向けばいつも、心の隅にこの人がいてくれた。
甲斐性無しの、しょーもない人ではあるけど、ちっぽけなプライドも遠慮もいらない間柄で、あたしを支えてくれた人。
悲しい出来事があった時、それを何気ない特別で上書きしてくれた人。
あたしに出来ることがあるとしたら、そんな人に、せめてしかめ面にはなってほしくなくて――。
楽しませてくれた分、今度はあたしがこの人を楽しませて、笑顔にしてあげたい。
そう思うだけで、投げやりな気持ちが空に消えていくんだよ。
でもそれは、愛してるのとは違う。
悲しいかな、それだけは断言できる。
だってあの人ぶきっちょだし、ヘタレだし、マジマジと嗅いだことは無いけど口くっさいし。
まぁ、これから奏ちゃんがあの人と親密になるであろうことに、束縛やヤキモチみたいなんはちょっぴりあるかもだけど、ちょっかい出せる間合いは保てるわけだし、それで良しとしよう。
今のあたしにとって、笑顔にしたい人がいる。
それはきっと、燃えるような恋じゃなく、ときめきでもない。
でもいいじゃない。
それもまた一つの、えーと――。
まぁ、それもまた一つのソレよ。あははは。
事務所が見えてきた。
あ、なんか――嫌な予感。
正門で仁王立ちしているプロデューサーさんのイメージが、咄嗟に脳裏に浮かんだ。
ので、そぉーっと裏門に回って、コッソリ入ろうとする。
「周子!!」
「うわああぁぁ!?」
めっちゃ大声で呼びかけられた。
恐る恐る振り返ると、白の半袖ポロシャツにジャージ、スニーカー。
これに竹刀を持たせたら、およそ昭和の体育教師まんまなあたしのプロデューサーさんが、ドカドカ歩いてくるのが見える。
後頭部から、いきなり大ボリュームのビックリマークを浴びせかけないでよ。
脳震盪起こすわ。
「周子! お前、どこに行ってたんだ! もうミーティング始まるぞ!」
「まだセーフでしょ。
それより、何であたしがこっちから入るって分かったん?」
「状況判断だ!」
何やそれ。
脳筋かと思いきや、意外と頭は回んのか。あるいは野生の勘的なヤツか。
まぁ、何はともあれ――。
「えへへへ」
「何がおかしいんだ、周子!」
「やっぱプロデューサーさんは、あたしのプロデューサーさんやわー♪」
「何を言ってるんだ、周子!」
さっきの人との温度差がすごくて風邪引きそう。
でも、これだけあたしのことを直球で面倒見ようとしてくれる人は、悪い気はしない。
「ねープロデューサーさん、今日のヤツ終わったら、どっかご飯おごってよ」
「いいぞ! 何がいいんだ、お前!」
「んー、甘いのばっかは飽きたから、ちょっとしょっぱい系がいい気分かなー……
ラーメンとかどう?」
「こんなクソ暑いのにか! お前、バカだな! いいぞ! 塩ラーメンでも食いに行くか!」
「おっ、いいね! ちょうどそれくらいがいいや、塩見だけに♪」
「えっ! お前、それはどういう意味だ!」
「いやウソでしょ」
ダメだこの人、何話しても漫才にしかならん。
ほーんと先行きが心配やねー、あははは♪
~おしまい~
Mr.Childrenの『LOVE』という曲を基に書きました。
途中、同曲の歌詞を所々引用しています。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
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