最上静香の「う」_四杯目_ (23)


ミリマスSSです。

一応、地の文形式。

続き物でもあります。


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「いい店、見つけたんだ。折角だし、昼飯にどうかな」

 プロデューサーにそう提案されたのは、最上静香がレッスンを終え、片付けをしていたときのことだった。

 ライブも近い、それだけにダンスレッスンにも気合いが入る。ゆえに激しくカロリーを消費し、腹の虫がすっかり目覚めていた静香は、二つ返事で行くと答えた。

 店というのは、うどん屋である。プロデューサーも静香もはっきりと示すことなく、静香は彼がうどんを食べに行こうと提案したことを理解し、プロデューサーは彼女がその店をうどん屋であると認めたことを理解する。うどんの以心伝心と称した方がよいだろう。

 彼が提案した昼食がうどんであるということも、静香が迷うことなく好意的に受け入れた理由であった。

 静香はうどんをこよなく愛する、十四歳の少女である。

 着替えを済ませ、静香はプロデューサーとともにレッスンスタジオを後にした。

 残暑は厳しい。私服へ着替える前に、冷たいシャワーを浴びて身体の火照りを冷ましていたにもかかわらず、静香の肌からは汗が吹き出される。道沿いの欅に留まるクマゼミの鳴き声がわんわんと響き、暑さを助長しているような心地がしてたまらない。

 横を見遣ると、横並びに歩くプロデューサーが玉のように汗をかき、それをハンカチーフで拭っていた。

 静香は行き先を訊ねていなかったことに気付いた。

「ちょっとここから離れてるよ。大手町にあるんだ」

 地下鉄に乗り、乗り換えも含めると三十分程度かかるだろうと彼の胸算用である。

「腹減ってるかもしれないけど、ちょっと我慢してくれよ」
 
「美味しいお店ならいいですけど、そこまでのお店だったら、空腹の中わざわざ時間かけて赴いても勘定が合いませんよ」

 空腹のせいか、静香の言葉は多少ながらトゲを含む。

「おっと、それは心配無用だ。うどんの味に関しては折り紙付きだぞ」

 彼は不敵に笑った。

「特に、こんな暑い日には打ってつけの一杯があるんだよ」

「打ってつけ?」


 どういう代物か静香はプロデューサーに訊ねたが、彼は「行ってからのお楽しみ」と勿体ぶって教えようとしない。

 夏に打ってつけの一杯といえば、真っ先にざるうどんが思い起こされる。茹でたうどんを氷水で締め、醤油と出汁が濃く利いたつゆに付けて啜る。冷えた麺には清涼感があり、弾力に富み、喉越しがよい。途中、鰹の利いたつゆへ煎り胡麻やおろし生姜、刻み海苔を放り込み、味の変化を楽しむ。夏の醍醐味である。

 しかし、プロデューサーの口ぶりからして、単にざるうどんではないのだろう。一風変わった一杯を提供する店なのかもしれない。


 地下鉄の入り口を降り、改札を抜けると、生ぬるい風を押し退けながら電車がホームに滑り込んできた。

 十分ほど地下鉄に乗り、路線と同じ名前の駅で下車し、乗り換える。地下通路で繋がった名前の異なる駅へと向かい、さらに一駅乗ると、大手町に到着した。

 移動は二十分である。しかし、静香の腹の虫を活発に動かすには十二分の時間であった。

 地下鉄の出口を上ると、高層ビルが林のごとく、高く聳え立っている。建物は官庁や大手企業の本社が入るオフィスビルも多く、ここ東京が日本の中心であることを改めて思い知らされる。この無機質な建物のどこかで働いているであろう、スラックスにワイシャツ姿のビジネスマンが無表情に通りを行き交っている。

 このような場所に、果たして彼らを癒すうどん屋があるのだろうか。デスクワークに忙殺された企業戦士たちの、いわば砂漠のオアシスたるうどんがあるのだろうか。

 晩夏の太陽がずっと高く輝いており、林立するビルをギラリと反射させている。


 プロデューサーと静香はあるオフィスビルへ入った。地下にある食道街へ向かい、少し奥へ進むと、プロデューサーは立ち止まって指を指した。

「ここですか?」

「ああ。なかなか洒落た店だろう?」

 提灯で一文字ずつ店名を掲げた、いかにも和風な佇まいの店であった。時刻は丁度一時を過ぎた頃合いだが、オフィスワーカーの姿も多い。

 店に入ると、席があてがわれた。威勢のよい声が飛びかう。

 店内は、外から見ているときよりも広く感じられた。木を基調としており、天井は高く、清潔感がある。厨房では若い従業員が忙しく動いており、大釜のあるらしい場所から湯気がもくもくと立ち上がっている。



 静香は店中央に掲げられたメニューを眺めた。わかめうどんや肉うどんなどの定番のなかに、ごぼう天うどんに丸天うどんなど、ラインナップからある地域性を静香は感じ取った。

「もしかして、ここって博多うどんの店ですか?」

 静香の言葉に、プロデューサーは感心した表情を見せた。

「流石は静香だな。そう、元は博多にある店なんだ。でも、ただの博多うどんとは毛色がかなり異なるぞ?」

 静香はほう、と関心が湧く。それから、先刻プロデューサーと会話した内容を思い出した。

「ところで、今日に打ってつけの一杯ってどれですか?」

「それはな……」

 彼はメニューの下段の方を指差した。

「あった、あれだ」

「えっと……『すだちかけうどん』?」

 静香が訊くと、プロデューサーは頷いた。


 程無くして店員が注文を取りにやって来た。プロデューサーはその「すだちかけうどん」と小さな丼のセットを二つ注文した。

 聞き慣れない名前の丼だったため、静香は訝しんでいると、「大丈夫だ、任せておけ」と彼は胸を張って言った。彼の妙な自信に、静香は怪訝深くなる。

 さて、うどんも丼も耳慣れぬものである。すだちかけうどんは恐らく「すだち」と「かけ」と「うどん」に分けられるだろう。すだち風味のかけうどん、ということになる。柑橘の香りよく、確かに清涼感があるのだろう。しかし、どのような一杯か、静香は想像がつかない。

 丼になると、その謎は一層深まる。彼は注文のときに「ビー丼」と呼んでいた。ビーはアルファベットの「B」のようだ。しかし、このBが何物なのか、何の略称なのか、静香の豊富な想像力をもってしても、てんで思い浮かばなかった。


 静香はしばらく思案していたが、それから、酒杯を傾ける客がちらほらと見えることに気付いた。

「お酒も飲める店なのですね」

「ああ。店の前に『うどん居酒屋』って大きな提灯が立て掛けられてただろう。まず刺身やつまみを食べながら飲んで、それからうどんで〆るスタイルが最近博多で流行ってるそうだ」

 特に日本酒に力を入れているらしい。

 プロデューサーは、隣の客がさも美味そうにビールジョッキをあおる姿を見て、喉を鳴らした。誘惑に駆られる彼を静香は見逃さない。

「ダメですよ、プロデューサー」

「分かってるよ。この後も事務所で仕事しないといけないからさ」彼は苦笑した。

 静香は十四歳である。ゆえに酒は飲めない。しかし、酒と肴を楽しみ、それからうどんを啜る。これは魅力的な響きを持っていると静香は思った。成人を迎えたら、このような店で酒を嗜んでみよう。静香は心の中でそう誓った。


 静香とプロデューサーは、うどんが運ばれてくるまでの間、様々な話をして過ごした。午前のレッスンの反省、来るライブの構成、事務所で春日未来がしでかした失態など、話題は尽きない。いや、静香は話題が尽きぬよう努めた。

 空腹が限界を迎えていたのだ。腹の虫が蠢くのを何とか誤魔化さなければ、静香は今にも気が触れてしまいそうだった。周りの客がうどんに舌鼓を打つ姿を、悠長に眺めているほどの余裕はない。お腹が空いた。我々だけがうどんに有り付けないでいることに、静香は焦りさえ覚えた。

 移動中に浴びた日光の火照りが、自らの身体に残っていることも、静香の焦燥感を昂らせていた。

 静香とプロデューサーの座る卓にうどんが運ばれたとき、静香が絶望の淵から救い出されたような表情を見せたことは、容易に想像できるだろう。

 すだちかけうどんとB丼が静香の前に置かれた。


 本能が理性を打ち負かし、箸置きから箸を、それからレンゲを取り出して今にも食らおうとした静香であったが、目の前に置かれたうどんの光景に思わず箸を止めた。


 美しい。


 黒々とした丼のなかを真白な絹のように滑らかなうどんが泳いでいる。出汁は博多らしい透き通った黄金色であり、東京のような醤油黒さは見られない。

 何よりもこの丼を美しく見せているのが、皮の濃緑が美しいスダチであった。輪切りにされたスダチが、円形に、折り重ねるように敷き詰められている。向こう側が見えるほどに薄くスライスされており、七宝繋ぎの様である。瑞々しいうどんの光景に、静香は昂る感情が次第に鎮まる心地がした。空腹すら忘れ、すだちかけうどんをしばらく眺めた。

「綺麗だろう」

 うどんに目を奪われていた静香は、プロデューサーに声をかけられ、やっと我に返った。

「はい。ずっと眺めていたいような、美しいうどんです」

 本心からの静香の言葉に、プロデューサーは微笑んだ。

「気持ちは分かるけど、食べてあげないとうどんが可愛そうだ」

 一聞すると無風流な彼の返事だが、ご尤もである。うどんを食べることが、店への礼儀であり、何よりもうどんへの敬意である。


 静香は箸とレンゲを一旦置き、手を合わせた。それからレンゲを手に取り、出汁を掬った。丼に手を添えると、冷ややかな感触が伝わった。

 もしや。薄々形作られていた仮定を確かめるように、静香は出汁を啜る。丼から湯気が立ち込めておらず、熱気を感じないあたりから半ば気付いていたが、やはり冷たい。

 出汁は鰹節の力強い旨味が主張しているが、嫌気は全くなく心地良い。そして、輪切りにしたスダチの風味がじんわりと出汁に溶け込んでいるのだろう。柔らかく爽やかな酸味が、静香の口をするすると受け入れさせる。

 麺を三、四本つまんで引き上げる。弾力に富むことが箸からも伝わる、しっかりと重みのある麺だ。

 一気呵成に啜ると、冷水でしっかり締められた冷ややかな麺が、するりと口内に入る。博多の柔らかくモッチリした麺――時には茹で置きのパスパスした麺もあり、それも魅力の一つだが――とはかなり異なり、コシが強く、ほんのりと小麦の甘みが香る。小麦の香りと出汁の旨味と塩味、そして、スダチの酸味が見事に調和している。


 それから静香はB丼に目を向けた。玉子とじの丼のようだが、具に入っている赤みのあるモノは肉であろうか。

「雲仙ハムっていう、長崎のハムらしいぞ」プロデューサーが静香に言った。

 酒肴のメニューには、この雲仙ハムを使ったハムカツもある。

「そうなんですか。しかし、どうして『B丼』なんですかね?」

「うん、何でだろうな。こればかりは、サッパリだ」

 B丼を一つ、静香は口へ運んだ。新しいような、はたまた何故か懐かしさを覚えるような味である。割り下の甘みの効いた優しげな旨味がまず広がる。それから、ハムの塩味と強い旨味が押し寄せてくる。とはいえクドさも感じず、塩梅は絶妙であり、これまた二口、三口と箸が進む。


 静香はうどんへ目線を戻した。妙案を浮かべた彼女は、一枚のスダチを箸で潰し、出汁を啜った。スダチの香り、酸味が弥濃くなり、出汁の性格が変化したかのように思える。静香はなるほど、と唸った。

 スダチは柑橘の香りが強く、少しトゲのある酸味が特徴である。この特徴をうまく利用していると静香は悟った。

 まず薄くスライスしたスダチをうどんの上に並べることで、スダチの風味は出汁にゆっくりと穏やかに溶け出す。出汁の旨味とスダチの酸味は調和する。それからスダチをへし曲げると、途端、スダチの風味が出汁の中へ溶け込む。特徴ある強い香りと酸味が主張し始める。しかし、鰹節の風味は骨太であり、それゆえスダチの風味が濃くなってもうどん全体の味を壊さないのである。


「静香」

 プロデューサーが呼び掛けた。

「これを入れると、また一味変わるぞ」

 彼が差し出したのは、天かすであった。小海老が入っているようで、天かすは桃色である。

 一さじ掬ってうどんに散らすと、天かすの赤みが丼の中を華やかにした。まるでジヴェルニーの庭園に浮かぶ睡蓮が眼前に広がっていると、絵心豊かな静香は連想する。スダチの輪切りが蓮の葉、そして、天かすが蓮の花のようである。箸を丼に架けて太鼓橋にしようかと考えるが、渡し箸は行儀が悪いので、あくまで想像に留めた。

 出汁を一口飲むと、静香は目を見開いた。複雑な旨味、酸味のなかに小海老の香ばしさと旨味が加わることで、再び調和がもたらされたのだ。麺、出汁、スダチ、そして天かす。一見単純のように思われるが、旨味と酸味が混然一体たる、こうも複雑滋味な一杯に様変わりするのか! 実に見事な変化である。モダン・ジャズ・カルテットのような美しい調和が、丼の世界に形成された瞬間だった。


 静香はこのうどんの四重奏に魅了された。ひとたび虜になれば、没頭する一途である。静香はひたすらにうどんを食べた。うどんを、出汁を、一口重ねるごとに静香は魅力に囚われていく。スダチを潰して出汁を啜り、麺を食らう。再び出汁を飲み、B丼へ箸を移し、スダチの輪切りを齧ってみては、仄かな苦酸っぱさに顔を顰める。相変わらず一連の動作は流麗であるが、これまでの空腹もあるのだろうか、普段以上に動きに途切れが見られない。

 彼女のプロデューサーは、自らもうどんに没頭しながら、無意識に静香の動きに付いていく。彼のうどんに立ち向かう姿もまた実に鮮やかである。

 二人のうどんを啜る音、出汁を飲む音、丼に当たる箸の音が融けるように重なっていく。音階もない無機的な音にもかかわらず、二人によってメロディが、詩が紡がれていく。レノン=マッカートニーのように、美しい曲が形成される。店内の客、スタッフは、静香とプロデューサーが織りなす音楽に聴き入ったかのように、ぼんやりと二人を眺めていた。

 連弾のようにも、ジャズのセッションのようにも聴こえる二人の応酬である。静香はうどんへ相対しながら、この二重奏を心地良く感じていた。普段は彼の言行に尖ったことばかり言う静香だが、こうした無意識から彼女の素直さが滲み出てくるものである。

 二人の即興は最高潮を迎える。丼を掲げると、冷やかな出汁が凛とした感覚を与え、二人は喉を潤す。最後の一滴まで飲み干そうと高く高く丼を傾け、そして、卓へ丼を置く音が同時に響いた。




美味い。




 ふうと息を吐き、静香とプロデューサーは余韻に浸った。柑橘のように爽やかな余韻である。

 静香は胃が満たされた満足感とともに、身体の火照りがすっかり抜けきていることに気が付いた。冷たいうどんと出汁が、身体を冷やしてくれたのだろう。スダチの爽やかな香りも心地良い。なるほど、彼が言っていたように、これは夏に打ってつけのうどんである。

 二人は手を合わせ、精神を充足させたこの一杯に感謝した。

 それから、会計を済ませる。静香は自らの分は支払おうとしたが、プロデューサーは断った。

「こういう時くらい、男の見栄を張らせてくれ」と彼が言うので、静香はそれならばとお言葉に甘えた。

 二人が後にした店内では、彼女たちの紡ぐ音楽の残響が空気を震わせているようであった。


 相変わらず、残暑の熱を帯びた空気が外に漂っている。しかし、身体の中から冷えた二人の身体は、しばらくこの暑さを凌げるだろう。

「プロデューサー」

 静香は彼に頭を下げた。

「ありがとうございました」

 新たなうどんの境地を見出してくれたことに対する、自然な感謝であった。

「静香のお眼鏡にかなって、よかったよ。美味そうに食べてたもんな」

 プロデューサーは微笑み、頷いた。

「静香がそうやって幸せそうに食べる姿、俺は好きだな」

「なっ……」

 静香は頬を紅潮させた。

「もうっ、そんな馬鹿な事言わないでくださいっ。早く行きますよ」

 静香は駅へと歩調を速めると、プロデューサーは苦笑しながら彼女を追いかけた。

 太陽の光がビル群を縫うようにして道路へ差し込む。

 ほとぼり冷めた身体が、再び芯から熱くなるのを静香は感じた。





……つづく?


 大分暑さも抑えられてきたとはいえ、まだまだ暑い日が続きますね。
 冷たいうどんで涼をとって、残暑を乗り切りたいです。

 今回、大手町のお店で書きましたが、系列店が中目黒にもあるそうですよ。
 では、皆さんもよいうどんライフを。

過去作はこちらです。

最上静香の「う」
最上静香の「う」【ミリマスSS】 - SSまとめ速報
(http://ex14.vip2ch.com/test/read.cgi/news4ssnip/1484490831/)
最上静香の「う」_二杯目_
最上静香の「う」_二杯目_ - SSまとめ速報
(https://ex14.vip2ch.com/test/read.cgi/news4ssnip/1494082798/)
最上静香の「う」_三杯目_
最上静香の「う」_三杯目_ - SSまとめ速報
(https://ex14.vip2ch.com/test/read.cgi/news4ssnip/1549628270/)

こちらもよかったらどうぞ。
最上静香「あれは・・・うどん職人!?」藤原肇「違います!!」
http://ex14.vip2ch.com/test/read.cgi/news4ssnip/1396941747

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