メイド「行ってらっしゃいませ、ご主人様」 (33)
男「ああ、行ってくるよ」
男「しかし君には迷惑をかけたね。士官学校に行けたのも君のお陰だ」
メイド「いえいえ。私は坊っちゃん…いえ、ご主人様の立派なお姿を見るのが一番の喜びですから」
男「はは、坊っちゃんは止してくれ。何せ今日からは…」
メイド「陸軍士官殿、ですからね!」
男「おいおい、まだ候補生だよ」
男「君ともっと話していたいがもう行かなくては」
男「最近革命だの人民戦線だの物騒だ、気をつけてくれよ」
メイド「はい。ご主人様もお体にお気をつけて」
男「うん。では改めて…行ってきます」
メイド「行ってらっしゃいませ、ご主人様」
数ヵ月後
候補生「おい、お前もたまには外出したらどうだ。ビリヤードとかショーとか」
男「金もないしやめておくよ」
候補生「相変わらず真面目な奴だな。たまには息抜きくらいしろよ」
候補生「給料も一応出てるだろ?」
男「全部家に送ってる」
候補生「えっ、そりゃどうして…ああ、いや、すまなかった」
コンコン
教官「入りたまえ」
男「失礼します」ガチャ
教官「そう構えなくてもいい。今日は少し話をな」
教官「お前は優秀な奨学生だ。だか少し真面目すぎる嫌いがある…何故そこまで勉強するんだ?」
男「わが祖国からの奨学金によって学校に通わせて頂いているからであります」
教官「模範的ないい回答だ。しかし給料は君の自由にして構わんのだぞ」
男「私の家にはメイドが一人います。家は炭鉱の商売で没落し、両親は死にました」
男「彼女には大変世話になっているのです。故に給金はすべて送金しております」
教官「タバコや酒くらいなら構わんだろ。女遊びに興じているわけではあるまい」
男「それは国家と彼女に対する裏切りであります」
教官「そんな事を言ったら士官候補生の殆どが裏切り者になってしまうぞ…」
教官「君のような人間は好きだが、娯楽もほどほどにやりたまえ」
教官「そうそう、君を呼んだのはそれだけの為ではない」
教官「最近祖国を外敵から守り、国内のスパイとやらを排除するなどという国粋主義が流行っているらしい」
教官「ここだけの話だが、彼らの言い分も分かる。それに共産主義者どもよりはマシかも知れん」
教官「事実軍や資本家の間で彼らの支持が広がっている」
教官「だがわれわれ軍人はそのような政治的なものとは無関係であるべきだ」
男「承知しております」
教官「気を付けろよ。真面目で優秀なものほどその類いのものに引っ掛かりやすい」
教官「あともうひとつ、これで最後だが」
男「はっ」
教官「学校での閲兵式の時に来ていた食品会社のご令嬢を覚えているか?」
男「申し訳ありません、前しか見ておりませんでした」
教官「それでよし!これで覚えていると申したらお前をぶっ叩いてやる所だった」
男「ハハ…」
教官「ようやく笑ったな。だが私はお前以外の生徒の顔を全員ひっぱたいたぞ。とことん真面目な奴だな…」
男「光栄です」
教官「まあいい。それでその令嬢が君に興味を持ったらしくてな、手紙を預かってきた」
男「只今戻ったよ」
メイド「お帰りなさい!」
メイド「あっ…し、失礼しましたご主人様!お帰りなさいませ!」
男「はは、別にそれでも怒ったりしないよ」
メイド「私、首を長くしてご主人様の事をお待ちしておりました」
男「ありがとう。前回の休暇から随分と日が経ってしまった…」
メイド「ご主人様…今回はいつまで居られるのですか?」
メイド「い、いえ、勿論ご主人様のお仕事が重要でご多忙なのは承知しておりますが…」
男「一週間ってところかな」
メイド「何処かにお出掛けになりますか?」
男「いや、墓参りは済ましたし後はメイドと一緒に居ようと思う」
メイド「そうですか!嬉しいです、ご主人様!」
メイド「ふふ、今日の夕食は腕によりを掛けさせていただきますね」
男「うーん…」
ガチャ
メイド「ご主人様、紅茶をお持ちしました」
男「ありがとう。そこの机に置いておいてくれ」
メイド「何をなさっているのですか?」
男「ああ、さる令嬢から手紙を貰ってね…」
メイド「何ですって!?」ガシャン
男「うわっ!?」
メイド「ご、ごめんなさい!今すぐ片付けます!」
男「素手だと危ないぞ。箒とちり取りを持ってくるから手伝うよ…」
男「なんでも先日の閲兵式で俺の事を随分と気に入ってくれたらしくてな」
メイド「そうですか」
男「婚約者を俺にするだのどうのこうのと…」
メイド「そうですか」
男「あの年代じゃそういう咄嗟かつ短絡的に決めてしまう事だってよくある」
メイド「そうですか」
男「メイド?」
メイド「ご主人様が結婚ご主人様が結婚ご主人様が結婚」ブツブツ
男「おいおい、まだ会ってすらいないぞ」
メイド「はっ!?す、すみません…」
メイド「そ、それで、返事はどのように…」
男「もう返事は決まっているんだが、文面が思い付かなくてな」
男「勿論断るよ。家柄が釣り合わないし」
メイド「ご主人様だって貴族ではないですか!」
男「名前の一部分にそれが残ってるだけだ。財産はこの屋敷だけさ」
メイド「でも!ご主人様は気品もあるし頭もいいし、優しいし、それにそれに…!」
メイド「わたしはご主人様の良いところ、いっぱい知ってます!」
男「そこまで誉められると恥ずかしいな」
男「だが今の俺には燕尾服を買う金も手袋もないし、そんなものを買うつもりもない」
男「何と言っても先立つものは金さ」
メイド「でも…でも…!」
男「安心しろ、偉くなったら給料も増える」
男「そうしたら燕尾服を買って、きれいなドレスも買おう」
男「着てくれるかな?君」
メイド「…はい!喜んで!」
メイドやる前は道頓堀の店員だったの?
>>17
ヨロコンデー!
候補生「なあ、次の選挙は行くのか?」
候補生B「俺は行かないね。そもそもあんな議会や社会民主党政権なんぞは協商国から押し付けられただけだろ」
候補生C「じゃあアカどもが政権を盗っていれば良かったとでも言うのか?」
候補生B「そもそもあれは国防軍が無視を決め込むから…」
教官「きな臭い世の中になったな。いや、前からか」
男「祖国はどうなるのでしょうか?」
教官「我が国の与党は左派からも右派からも攻撃されている」
教官「皇帝の時代に戻った方がいいなどと言う者もいるくらいだ」
男「確かに我が国は先の対戦で炭鉱地帯と回廊地帯を失いましたが…」
教官「まああの敗戦がこの混乱を招いたのは間違いないだろう」
教官「だが軍人は…せめて我々士官だけでも、政治に口を出してはならない」
教官「我々はただ命令に従うまでさ」
ドンドン
教官「政治談義はそこまで!解散しろ!」
親衛隊員「我が国には沢山の裏切者が潜んでいる!共産主義者、外国資本家のスパイ、そして…」
共産党員「今の与党はすべての無産階級の敵、社会ファシストであり堕落している!労働者よ団結せよ!革命評議会が…」
メイド「何年か前から増えましたね、あんな人たち」
男「政府は実際ギリギリの所で上手くやってるよ…それなりにね」
男「でも不景気と賠償金だけはどうにもならない」
メイド「私の御給金を減らしてください。お給金がなければ、ご主人様はもっと…」
男「いや、家の管理をして貰ってるからね。それさえ払えないなんてこっちが恥ずかしい」
メイド「ご主人様…」
男「俺に構わないでもっと贅沢していいんだよ。綺麗なのに勿体ない」
メイド「き、綺麗、ですか?」
男「そうだよ。君は若いし綺麗だ。道行く人が何にも振り返ったのに気付いてなかったのかい?」
男「そういえば君、結婚は?」
メイド「それは、まだ…」
メイド「そ、それよりご主人様だって…」
男「うーん、やっぱり金もないし勿体ないしな…」
メイド「私なら気にしません」
男「え?」
メイド「ご主人様は素晴らしい人です」
男「そうか…ありがとう」
ガヤガヤ
親衛隊員「いいか諸君!我々の敵の薄汚れた手は我らが祖国に迫ってきて…」
男「…左に行くぞ」
ワイワイ
共産党員「無産階級の革命によってこの国は真の革命国家へと生まれ変わる!我らが偉大なるマルクスは革命が我が国から発生して…」
男「右に…くそ、逃げ道がない」
男「このままだと暴動になる!こっちだ」
メイド「えっ?きゃっ!」
バサッ
メイド「ちょちょちょっと!ご主人様、何を!?」
男「静かに!ほとぼりが冷めるまで待つぞ」ヒソヒソ
メイド「ご主人様、なんだか逞しくなられましたね」ヒソヒソ
男「こんな時に…まあそりゃ軍人だしね…でも、全部君のお陰だ」ヒソヒソ
メイド「そ、そんな…」ヒソヒソ
イマノセイフハー!ファシストドモガー!
親衛隊員「そして…」
共産党員「この世界情勢は…」
バッタリ
親衛隊員「あ」
共産党員「おっと」
「「どうも、お疲れ様」」
親衛隊員「この世の中は堕落している!何故ならば…」
共産党員「今こそ世界同時革命を起こすのだ!」
男「あ、あれ?」
メイド(ご主人様…あったかい…)
男「おかしなこともあるもんだな…」
メイド(ああ、ずっとこうして…)
男「大丈夫?」
メイド「はっ!?」
男「何だか訳がわからないが大丈夫のようだ、目をつけられないうちに帰るぞ」
教官「はっはっは!そりゃ不思議に思うよな」
男「はい…」
教官「現在あの極右ども…国家社会主義者は共産党とある意味協力関係にあるんだ」
教官「一応今の政府も左翼と言えば左翼だからな、あの慎重なやり方は極左にとっては裏切者に思えるんだろう」
教官「一方右翼は右翼で弱腰な政府に業を煮やしている。だから双方とも政府を攻撃する点で目的が一致してるんだよ」
男「なるほど…」
教官「…何故政治の話に詳しくなったのかと疑問に思っただろう」
教官「実は…誘われているんだ」
男「どこに、ですか?」
教官「極右の武装組織だ」
教官「恥ずかしいことに…私は、私の祖国に自信が持てなくなってきてしまったんだ」
教官「だがあの武装組織、親衛隊は高度に訓練されている。あの組織ならば…あれを国防軍のものとできれば…」
男「しかし教官殿…」
教官「分かっている!忠誠宣誓だってした。だが見ろ国防軍を。プライドだけはある貴族にごろつきと変わらない兵隊!」
教官「国境地帯に兵士を派遣することもできない!」
教官「そして、私は自分の部下として君を指名した」
男「えっ!?」
教官「国家社会主義党は急激に支持率を上げている。あそこが政権を獲る日も近い。そうすれば我々は一気に昇進だ!」
教官「どうだ、こんな場所は捨てて一緒に来ないか」
男「…」
メイド「お帰りなさいませ、ご主人様!」
メイド「ご主人様…?」
男「…上官に軍人をやめて親衛隊に行かないかと誘われた」
メイド「…」
男「あそこには資本家の後援者がたくさんいる。共産党が政権をとると困る奴等が…」
男「多分、今より給料は良くなるかもしれない」
メイド「ご主人様、私はご主人様がどうされようと支持します」
メイド「ご主人様の為ならなんでもします」
メイド「だから、ご主人様のやりたい事をしてください」
男「そうか…」
男「俺は、私は…軍人として、忠誠を撤回するなんて事はできない。政治に肩入れする事だって」
男「明日、断ってくる」
メイド「…はい 、ご主人様」
教官「貴様、後悔するぞ!」
男「承知の上です。嘘はつけません」
教官「くそっ…もういい!」バタン
男「教官殿…貴方は変わってしまわれた」
候補生「聞いたか?教官殿が軍人やめて親衛隊に入隊したってよ」
候補生D「俺も親衛隊に行こうかな…」
候補生E「いやいや、赤色戦線の方が…」
男「…」
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